2024年3月14日午前7時。お母さん、2年前のこの時間あなたはどこにいましたか?旅立ちを見送れなくったこと、今でも心残りです。今日は一日中、貴女のために過ごします。...
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2024年3月14日午前7時。お母さん、2年前のこの時間あなたはどこにいましたか?旅立ちを見送れなくったこと、今でも心残りです。今日は一日中、貴女のために過ごします。...
最後に母に会えた日からもう2年。母がいない世界を、一日、一日、生きている内に2年が経ってしまった。元旦の夕方に起こった能登半島地震。被災地のニュースに都度都度胸を突かれている。それでも私にとってただ一人の母の面影は、いつまでも心から離れない。あの時母は確かに私を認識していた。その後一週間、この世から旅立つ時まで、もしかしたら母は、ベッドに横たわったまま私を待っていたのではないだろうか?そう考えると、...
新しい認知症な薬レカネバブが、専門家部会で販売承認された。早期にしか効き目がない。価格が高い。とか、まだまだ理想的な薬には程遠いかもしれないけど、一歩前進したことは確かじゃないのかな?認知症の検査なんて、本人も家族も気が向かないのは当たり前だけど、早期に気軽に検査出来るようになれば準備する時間も生まれると思う。認知症さえなければ、まだ側に母が座っているのになぁ。と繰り返し思う家族のひとりの思いです...
4月に注文した車、運よく引き当てがあり6月納車になった。このご時世なので3ヶ月待ちは当たり前だと、秋までのんびり待って今のタントとゆっくりお別れしようと思っていたのに。なので納車が決まってから休みの日は少しの時間でも運転をして一緒にいた。そして今日、納車の時間の前に1時間のラストラン。コロナ禍の中母を乗せて眼科通院。すぐにフットサポートから下に下ろしてしまう母の足を、何度も何度も手で持ち上げて車に乗せ...
年末の車検を前に車を買い替えることにした。自分の車を買うのは2017年から3度目だ。本来ならその年に購入した車に乗り続けている筈だった。でも母が大腿骨を骨折して車椅子生活になってからは、その車には乗れなくなってしまった。2019年の年末頃から母の左目が充血するようになった。その年の秋に右足首を骨折していた私。年が明けてやっと眼科に連れて行けるようになった。介護タクシーでもいいけれど時間の融通が効かないので...
人間とは慣れていく動物だけれど母のいなくなったこの家に慣れ母のいないこの世に慣れ慣れたくなんて決してないのに。...
4月に入った。このところ雨の日が多かったせいか庭の緑が一気に賑やかになった。勿論雑草も。そして昨年剪定をしたおかけで、これまで埋もれていた花が顔を出している。多分母が育てた茶花だ。10年ほど前の母の日記を開いてみたら、ちょうど咲き出した椿の名前が記されていた。卜半椿。もうこの世にいなくても教わることが沢山ある。...
東京に桜の開花宣言。そして今日は、母の命日だ。報せを受けて向かう電車の中でホロホロ涙がこぼれ落ちたのを覚えている。今日は陽射しは暖かいけど風は少し冷たかった。あの日はどうだったっけ?母が眠るお墓に初めて訪れた。母の遺骨がある辺りに手を置いて語りかけた。お母さんもうお母さんにやってあげられることは何もないね。でもね、直接お母さんにやってあげられなくても、これからの私の残された人生、日々丁寧に心豊かに...
一周忌法要から1週間。倦怠感が抜けない。まるでこの一年蓄積された疲労が一気に噴き出してきたようだ。このところの春らしい陽気が嫌でも一年前を思い起こさせる。心が不安定になる。...
一周忌の翌日。思ったよりもずっしり疲れている。でも今日は、昨日以上に大切に過ごしたい。この世で母に会えたのが昨年のこの日だからだ。母に会えたのはたった30分だった。あの日の陽の光。部屋の様子。触れた顔も握った手も温かかった。本当にあれが最後だった。もうこれ以上、一年前の母との記憶を追いかけることは出来ない。...
母の一周忌法要が終わった。法要はお墓の近くの式場でやることにした。全部一人でやるので余裕を持つため前日から近くのホテルに泊まることにした。母の遺骨を車の助手席に乗せた。この車の助手席に母が乗るのは初めてだ。約3年半を過ごしたグループホームの横を通り、私が子どもの頃暮らしていた家の前を通り、道中ずっと母に語りかけながら進んだ。ホテルにチェックイン。母との最後のお泊まりだ。そして今日一周忌当日。気温が...
愛鳥である文鳥ボムを迎えて今日で4年。母がグループホームに入ってぽっかり空いた心の穴を少しでも埋めたくて迎えたのはボム最後1ヶ月半のこと。私の骨折コロナ突入在宅期間母と会えない日々そして母との別れずっと側にいてくれたのはボム。10cm にも満たない身体とは思えない存在感。ありがとう♪大好きだよ。...
1週間後は一周忌法要だ。そして先延ばしにしていた納骨も。グループホームに入ってすぐに大腿骨骨折して車椅子生活になった母。以来庭までは連れて来たけれど一度も家の中に入れることは出来なかったので、納骨は一周忌の時に、と決めた。おはよう。おやすみ。行って来ます。ただいま。毎日声をかけてきた。納骨したらその習慣がなくなってしまうのか…淋しい。考えて、手元供養をすることにしてミニ骨壷を手に入れた。木製にしたの...
89回目の母の誕生日。初めての、母がこの世にいない母の誕生日。...
去年のこの時期、どんな心境だったのか実感出来ない。1月末に母を施設に送り届けてから、3月頭に食事がのどを通らなくなった母に面会するまで、一度も顔を見ることはなかった。母が永くない事は分かっていた。でも今の状態を間近に知ることも出来ないので実感として感じられなった。だから極めて普通に過ごしていたのだと思う。...
退院した母を車に乗せて新しい施設に連れて行ったあの日から、ついに一年が経ってしまった。会えない時間が多かっただけに、余計に束の間会えた時間の記憶が強烈に残っている。母を自宅の前に連れてきた時間に車に乗り込み、一年前と全く同じ道を走った。施設の前にある公園の駐車場に停車して一年前に思いを馳せた。あの日と同じように空が青く風が強い。2ヶ月ぶりにやっと直に会えた母。その後またひと月会えなくなるのだけど、...
気が付けば、母の一周忌まで3か月もない。日々の生活は、極めて普通に過ごしている。なんだ。私結構気丈夫だ。でも突然、落とし穴に嵌るように悲しみに襲われる。...
今年も残すところ残り2日。母がこの世にいた2022年が間もなく終わってしまう。でももう母は、時間とか場所とか、そんなものに縛られない所にいるのだろう。...
父の15回目の命日。このところメッキリ冷え込んで今日も朝から風が冷たい。道も混んでいてノロノロ運転。霊園に近づいた頃、それまでずっと暗かった空から突然陽の光が差し込んできた。それは、母と最後に命日に墓参りした時を彷彿とさせる紅色の陽射しだった。あの日、墓参りを済ませて車に乗った母はお墓から線香の煙が立ち上るのを見て「ちょっと見てくるわー」と言ってもう一度墓の前まで戻って行った。そして、お墓の前に立っ...
3ヶ月ぶりに美容院に行った。以前はひと月に一回は通っていたのになんつーことだ。この歳だからこそ、もっとこまめに通わなければいけないのにね。もう20年近く担当してもらっている美容師さん。同年代、同じように要介護の母を抱える身なので共通の話題と気持ちが共有出来る大事な存在。もっとも彼女は私よりもっと頑張っているのだけど。母が他界してから何度か来ているけどその話題にならなかったので敢えて伝えなかった。でも...
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2024年3月14日午前7時。お母さん、2年前のこの時間あなたはどこにいましたか?旅立ちを見送れなくったこと、今でも心残りです。今日は一日中、貴女のために過ごします。...
最後に母に会えた日からもう2年。母がいない世界を、一日、一日、生きている内に2年が経ってしまった。元旦の夕方に起こった能登半島地震。被災地のニュースに都度都度胸を突かれている。それでも私にとってただ一人の母の面影は、いつまでも心から離れない。あの時母は確かに私を認識していた。その後一週間、この世から旅立つ時まで、もしかしたら母は、ベッドに横たわったまま私を待っていたのではないだろうか?そう考えると、...
新しい認知症な薬レカネバブが、専門家部会で販売承認された。早期にしか効き目がない。価格が高い。とか、まだまだ理想的な薬には程遠いかもしれないけど、一歩前進したことは確かじゃないのかな?認知症の検査なんて、本人も家族も気が向かないのは当たり前だけど、早期に気軽に検査出来るようになれば準備する時間も生まれると思う。認知症さえなければ、まだ側に母が座っているのになぁ。と繰り返し思う家族のひとりの思いです...
4月に注文した車、運よく引き当てがあり6月納車になった。このご時世なので3ヶ月待ちは当たり前だと、秋までのんびり待って今のタントとゆっくりお別れしようと思っていたのに。なので納車が決まってから休みの日は少しの時間でも運転をして一緒にいた。そして今日、納車の時間の前に1時間のラストラン。コロナ禍の中母を乗せて眼科通院。すぐにフットサポートから下に下ろしてしまう母の足を、何度も何度も手で持ち上げて車に乗せ...
年末の車検を前に車を買い替えることにした。自分の車を買うのは2017年から3度目だ。本来ならその年に購入した車に乗り続けている筈だった。でも母が大腿骨を骨折して車椅子生活になってからは、その車には乗れなくなってしまった。2019年の年末頃から母の左目が充血するようになった。その年の秋に右足首を骨折していた私。年が明けてやっと眼科に連れて行けるようになった。介護タクシーでもいいけれど時間の融通が効かないので...
人間とは慣れていく動物だけれど母のいなくなったこの家に慣れ母のいないこの世に慣れ慣れたくなんて決してないのに。...
4月に入った。このところ雨の日が多かったせいか庭の緑が一気に賑やかになった。勿論雑草も。そして昨年剪定をしたおかけで、これまで埋もれていた花が顔を出している。多分母が育てた茶花だ。10年ほど前の母の日記を開いてみたら、ちょうど咲き出した椿の名前が記されていた。卜半椿。もうこの世にいなくても教わることが沢山ある。...
東京に桜の開花宣言。そして今日は、母の命日だ。報せを受けて向かう電車の中でホロホロ涙がこぼれ落ちたのを覚えている。今日は陽射しは暖かいけど風は少し冷たかった。あの日はどうだったっけ?母が眠るお墓に初めて訪れた。母の遺骨がある辺りに手を置いて語りかけた。お母さんもうお母さんにやってあげられることは何もないね。でもね、直接お母さんにやってあげられなくても、これからの私の残された人生、日々丁寧に心豊かに...
一周忌法要から1週間。倦怠感が抜けない。まるでこの一年蓄積された疲労が一気に噴き出してきたようだ。このところの春らしい陽気が嫌でも一年前を思い起こさせる。心が不安定になる。...
一周忌の翌日。思ったよりもずっしり疲れている。でも今日は、昨日以上に大切に過ごしたい。この世で母に会えたのが昨年のこの日だからだ。母に会えたのはたった30分だった。あの日の陽の光。部屋の様子。触れた顔も握った手も温かかった。本当にあれが最後だった。もうこれ以上、一年前の母との記憶を追いかけることは出来ない。...
母の一周忌法要が終わった。法要はお墓の近くの式場でやることにした。全部一人でやるので余裕を持つため前日から近くのホテルに泊まることにした。母の遺骨を車の助手席に乗せた。この車の助手席に母が乗るのは初めてだ。約3年半を過ごしたグループホームの横を通り、私が子どもの頃暮らしていた家の前を通り、道中ずっと母に語りかけながら進んだ。ホテルにチェックイン。母との最後のお泊まりだ。そして今日一周忌当日。気温が...
愛鳥である文鳥ボムを迎えて今日で4年。母がグループホームに入ってぽっかり空いた心の穴を少しでも埋めたくて迎えたのはボム最後1ヶ月半のこと。私の骨折コロナ突入在宅期間母と会えない日々そして母との別れずっと側にいてくれたのはボム。10cm にも満たない身体とは思えない存在感。ありがとう♪大好きだよ。...
1週間後は一周忌法要だ。そして先延ばしにしていた納骨も。グループホームに入ってすぐに大腿骨骨折して車椅子生活になった母。以来庭までは連れて来たけれど一度も家の中に入れることは出来なかったので、納骨は一周忌の時に、と決めた。おはよう。おやすみ。行って来ます。ただいま。毎日声をかけてきた。納骨したらその習慣がなくなってしまうのか…淋しい。考えて、手元供養をすることにしてミニ骨壷を手に入れた。木製にしたの...
89回目の母の誕生日。初めての、母がこの世にいない母の誕生日。...
去年のこの時期、どんな心境だったのか実感出来ない。1月末に母を施設に送り届けてから、3月頭に食事がのどを通らなくなった母に面会するまで、一度も顔を見ることはなかった。母が永くない事は分かっていた。でも今の状態を間近に知ることも出来ないので実感として感じられなった。だから極めて普通に過ごしていたのだと思う。...
退院した母を車に乗せて新しい施設に連れて行ったあの日から、ついに一年が経ってしまった。会えない時間が多かっただけに、余計に束の間会えた時間の記憶が強烈に残っている。母を自宅の前に連れてきた時間に車に乗り込み、一年前と全く同じ道を走った。施設の前にある公園の駐車場に停車して一年前に思いを馳せた。あの日と同じように空が青く風が強い。2ヶ月ぶりにやっと直に会えた母。その後またひと月会えなくなるのだけど、...
気が付けば、母の一周忌まで3か月もない。日々の生活は、極めて普通に過ごしている。なんだ。私結構気丈夫だ。でも突然、落とし穴に嵌るように悲しみに襲われる。...
今年も残すところ残り2日。母がこの世にいた2022年が間もなく終わってしまう。でももう母は、時間とか場所とか、そんなものに縛られない所にいるのだろう。...
父の15回目の命日。このところメッキリ冷え込んで今日も朝から風が冷たい。道も混んでいてノロノロ運転。霊園に近づいた頃、それまでずっと暗かった空から突然陽の光が差し込んできた。それは、母と最後に命日に墓参りした時を彷彿とさせる紅色の陽射しだった。あの日、墓参りを済ませて車に乗った母はお墓から線香の煙が立ち上るのを見て「ちょっと見てくるわー」と言ってもう一度墓の前まで戻って行った。そして、お墓の前に立っ...
3ヶ月ぶりに美容院に行った。以前はひと月に一回は通っていたのになんつーことだ。この歳だからこそ、もっとこまめに通わなければいけないのにね。もう20年近く担当してもらっている美容師さん。同年代、同じように要介護の母を抱える身なので共通の話題と気持ちが共有出来る大事な存在。もっとも彼女は私よりもっと頑張っているのだけど。母が他界してから何度か来ているけどその話題にならなかったので敢えて伝えなかった。でも...
年末の車検を前に車を買い替えることにした。自分の車を買うのは2017年から3度目だ。本来ならその年に購入した車に乗り続けている筈だった。でも母が大腿骨を骨折して車椅子生活になってからは、その車には乗れなくなってしまった。2019年の年末頃から母の左目が充血するようになった。その年の秋に右足首を骨折していた私。年が明けてやっと眼科に連れて行けるようになった。介護タクシーでもいいけれど時間の融通が効かないので...
人間とは慣れていく動物だけれど母のいなくなったこの家に慣れ母のいないこの世に慣れ慣れたくなんて決してないのに。...
4月に入った。このところ雨の日が多かったせいか庭の緑が一気に賑やかになった。勿論雑草も。そして昨年剪定をしたおかけで、これまで埋もれていた花が顔を出している。多分母が育てた茶花だ。10年ほど前の母の日記を開いてみたら、ちょうど咲き出した椿の名前が記されていた。卜半椿。もうこの世にいなくても教わることが沢山ある。...
東京に桜の開花宣言。そして今日は、母の命日だ。報せを受けて向かう電車の中でホロホロ涙がこぼれ落ちたのを覚えている。今日は陽射しは暖かいけど風は少し冷たかった。あの日はどうだったっけ?母が眠るお墓に初めて訪れた。母の遺骨がある辺りに手を置いて語りかけた。お母さんもうお母さんにやってあげられることは何もないね。でもね、直接お母さんにやってあげられなくても、これからの私の残された人生、日々丁寧に心豊かに...
一周忌法要から1週間。倦怠感が抜けない。まるでこの一年蓄積された疲労が一気に噴き出してきたようだ。このところの春らしい陽気が嫌でも一年前を思い起こさせる。心が不安定になる。...
一周忌の翌日。思ったよりもずっしり疲れている。でも今日は、昨日以上に大切に過ごしたい。この世で母に会えたのが昨年のこの日だからだ。母に会えたのはたった30分だった。あの日の陽の光。部屋の様子。触れた顔も握った手も温かかった。本当にあれが最後だった。もうこれ以上、一年前の母との記憶を追いかけることは出来ない。...
母の一周忌法要が終わった。法要はお墓の近くの式場でやることにした。全部一人でやるので余裕を持つため前日から近くのホテルに泊まることにした。母の遺骨を車の助手席に乗せた。この車の助手席に母が乗るのは初めてだ。約3年半を過ごしたグループホームの横を通り、私が子どもの頃暮らしていた家の前を通り、道中ずっと母に語りかけながら進んだ。ホテルにチェックイン。母との最後のお泊まりだ。そして今日一周忌当日。気温が...
愛鳥である文鳥ボムを迎えて今日で4年。母がグループホームに入ってぽっかり空いた心の穴を少しでも埋めたくて迎えたのはボム最後1ヶ月半のこと。私の骨折コロナ突入在宅期間母と会えない日々そして母との別れずっと側にいてくれたのはボム。10cm にも満たない身体とは思えない存在感。ありがとう♪大好きだよ。...
1週間後は一周忌法要だ。そして先延ばしにしていた納骨も。グループホームに入ってすぐに大腿骨骨折して車椅子生活になった母。以来庭までは連れて来たけれど一度も家の中に入れることは出来なかったので、納骨は一周忌の時に、と決めた。おはよう。おやすみ。行って来ます。ただいま。毎日声をかけてきた。納骨したらその習慣がなくなってしまうのか…淋しい。考えて、手元供養をすることにしてミニ骨壷を手に入れた。木製にしたの...
89回目の母の誕生日。初めての、母がこの世にいない母の誕生日。...
去年のこの時期、どんな心境だったのか実感出来ない。1月末に母を施設に送り届けてから、3月頭に食事がのどを通らなくなった母に面会するまで、一度も顔を見ることはなかった。母が永くない事は分かっていた。でも今の状態を間近に知ることも出来ないので実感として感じられなった。だから極めて普通に過ごしていたのだと思う。...
退院した母を車に乗せて新しい施設に連れて行ったあの日から、ついに一年が経ってしまった。会えない時間が多かっただけに、余計に束の間会えた時間の記憶が強烈に残っている。母を自宅の前に連れてきた時間に車に乗り込み、一年前と全く同じ道を走った。施設の前にある公園の駐車場に停車して一年前に思いを馳せた。あの日と同じように空が青く風が強い。2ヶ月ぶりにやっと直に会えた母。その後またひと月会えなくなるのだけど、...
気が付けば、母の一周忌まで3か月もない。日々の生活は、極めて普通に過ごしている。なんだ。私結構気丈夫だ。でも突然、落とし穴に嵌るように悲しみに襲われる。...
今年も残すところ残り2日。母がこの世にいた2022年が間もなく終わってしまう。でももう母は、時間とか場所とか、そんなものに縛られない所にいるのだろう。...
父の15回目の命日。このところメッキリ冷え込んで今日も朝から風が冷たい。道も混んでいてノロノロ運転。霊園に近づいた頃、それまでずっと暗かった空から突然陽の光が差し込んできた。それは、母と最後に命日に墓参りした時を彷彿とさせる紅色の陽射しだった。あの日、墓参りを済ませて車に乗った母はお墓から線香の煙が立ち上るのを見て「ちょっと見てくるわー」と言ってもう一度墓の前まで戻って行った。そして、お墓の前に立っ...
3ヶ月ぶりに美容院に行った。以前はひと月に一回は通っていたのになんつーことだ。この歳だからこそ、もっとこまめに通わなければいけないのにね。もう20年近く担当してもらっている美容師さん。同年代、同じように要介護の母を抱える身なので共通の話題と気持ちが共有出来る大事な存在。もっとも彼女は私よりもっと頑張っているのだけど。母が他界してから何度か来ているけどその話題にならなかったので敢えて伝えなかった。でも...
母が誤嚥で救急搬送されてから丸一年。つい昨日の出来事のようだ。病院に向かう車中。処置室の雰囲気。寝入ったままの母の様子も体温も、まだはっきり覚えている。あの日から3ヶ月半後に息を引き取るまで、たったの3回しか直に会えていないのだ。今更言っても仕方ないことだと分かってはいるけれど、何度思い返しても、そんな事あっていいのか?と激しく思う。あの日々、心底辛かったなー。...