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母と薔薇のタンゴ http://baranotango.blog.fc2.com/

82歳の母との日々。認知症の話って当事者じゃないと敬遠されがち。やり切れない気持ちを綴っています。

バラタン
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2017/06/11

  • 車の買い替え

    年末の車検を前に車を買い替えることにした。自分の車を買うのは2017年から3度目だ。本来ならその年に購入した車に乗り続けている筈だった。でも母が大腿骨を骨折して車椅子生活になってからは、その車には乗れなくなってしまった。2019年の年末頃から母の左目が充血するようになった。その年の秋に右足首を骨折していた私。年が明けてやっと眼科に連れて行けるようになった。介護タクシーでもいいけれど時間の融通が効かないので...

  • いつしか

    人間とは慣れていく動物だけれど母のいなくなったこの家に慣れ母のいないこの世に慣れ慣れたくなんて決してないのに。...

  • 教わること

    4月に入った。このところ雨の日が多かったせいか庭の緑が一気に賑やかになった。勿論雑草も。そして昨年剪定をしたおかけで、これまで埋もれていた花が顔を出している。多分母が育てた茶花だ。10年ほど前の母の日記を開いてみたら、ちょうど咲き出した椿の名前が記されていた。卜半椿。もうこの世にいなくても教わることが沢山ある。...

  • 命日

    東京に桜の開花宣言。そして今日は、母の命日だ。報せを受けて向かう電車の中でホロホロ涙がこぼれ落ちたのを覚えている。今日は陽射しは暖かいけど風は少し冷たかった。あの日はどうだったっけ?母が眠るお墓に初めて訪れた。母の遺骨がある辺りに手を置いて語りかけた。お母さんもうお母さんにやってあげられることは何もないね。でもね、直接お母さんにやってあげられなくても、これからの私の残された人生、日々丁寧に心豊かに...

  • 倦怠感

    一周忌法要から1週間。倦怠感が抜けない。まるでこの一年蓄積された疲労が一気に噴き出してきたようだ。このところの春らしい陽気が嫌でも一年前を思い起こさせる。心が不安定になる。...

  • 最後の記憶

    一周忌の翌日。思ったよりもずっしり疲れている。でも今日は、昨日以上に大切に過ごしたい。この世で母に会えたのが昨年のこの日だからだ。母に会えたのはたった30分だった。あの日の陽の光。部屋の様子。触れた顔も握った手も温かかった。本当にあれが最後だった。もうこれ以上、一年前の母との記憶を追いかけることは出来ない。...

  • 一周忌

    母の一周忌法要が終わった。法要はお墓の近くの式場でやることにした。全部一人でやるので余裕を持つため前日から近くのホテルに泊まることにした。母の遺骨を車の助手席に乗せた。この車の助手席に母が乗るのは初めてだ。約3年半を過ごしたグループホームの横を通り、私が子どもの頃暮らしていた家の前を通り、道中ずっと母に語りかけながら進んだ。ホテルにチェックイン。母との最後のお泊まりだ。そして今日一周忌当日。気温が...

  • ありがとう♪

    愛鳥である文鳥ボムを迎えて今日で4年。母がグループホームに入ってぽっかり空いた心の穴を少しでも埋めたくて迎えたのはボム最後1ヶ月半のこと。私の骨折コロナ突入在宅期間母と会えない日々そして母との別れずっと側にいてくれたのはボム。10cm にも満たない身体とは思えない存在感。ありがとう♪大好きだよ。...

  • 1週間後には

    1週間後は一周忌法要だ。そして先延ばしにしていた納骨も。グループホームに入ってすぐに大腿骨骨折して車椅子生活になった母。以来庭までは連れて来たけれど一度も家の中に入れることは出来なかったので、納骨は一周忌の時に、と決めた。おはよう。おやすみ。行って来ます。ただいま。毎日声をかけてきた。納骨したらその習慣がなくなってしまうのか…淋しい。考えて、手元供養をすることにしてミニ骨壷を手に入れた。木製にしたの...

  • 89

    89回目の母の誕生日。初めての、母がこの世にいない母の誕生日。...

  • あの頃の思い

    去年のこの時期、どんな心境だったのか実感出来ない。1月末に母を施設に送り届けてから、3月頭に食事がのどを通らなくなった母に面会するまで、一度も顔を見ることはなかった。母が永くない事は分かっていた。でも今の状態を間近に知ることも出来ないので実感として感じられなった。だから極めて普通に過ごしていたのだと思う。...

  • 思いは尽きない

    退院した母を車に乗せて新しい施設に連れて行ったあの日から、ついに一年が経ってしまった。会えない時間が多かっただけに、余計に束の間会えた時間の記憶が強烈に残っている。母を自宅の前に連れてきた時間に車に乗り込み、一年前と全く同じ道を走った。施設の前にある公園の駐車場に停車して一年前に思いを馳せた。あの日と同じように空が青く風が強い。2ヶ月ぶりにやっと直に会えた母。その後またひと月会えなくなるのだけど、...

  • 落とし穴

    気が付けば、母の一周忌まで3か月もない。日々の生活は、極めて普通に過ごしている。なんだ。私結構気丈夫だ。でも突然、落とし穴に嵌るように悲しみに襲われる。...

  • 2022

    今年も残すところ残り2日。母がこの世にいた2022年が間もなく終わってしまう。でももう母は、時間とか場所とか、そんなものに縛られない所にいるのだろう。...

  • 父の命日

    父の15回目の命日。このところメッキリ冷え込んで今日も朝から風が冷たい。道も混んでいてノロノロ運転。霊園に近づいた頃、それまでずっと暗かった空から突然陽の光が差し込んできた。それは、母と最後に命日に墓参りした時を彷彿とさせる紅色の陽射しだった。あの日、墓参りを済ませて車に乗った母はお墓から線香の煙が立ち上るのを見て「ちょっと見てくるわー」と言ってもう一度墓の前まで戻って行った。そして、お墓の前に立っ...

  • 感じる

    3ヶ月ぶりに美容院に行った。以前はひと月に一回は通っていたのになんつーことだ。この歳だからこそ、もっとこまめに通わなければいけないのにね。もう20年近く担当してもらっている美容師さん。同年代、同じように要介護の母を抱える身なので共通の話題と気持ちが共有出来る大事な存在。もっとも彼女は私よりもっと頑張っているのだけど。母が他界してから何度か来ているけどその話題にならなかったので敢えて伝えなかった。でも...

  • 思い返しても

    母が誤嚥で救急搬送されてから丸一年。つい昨日の出来事のようだ。病院に向かう車中。処置室の雰囲気。寝入ったままの母の様子も体温も、まだはっきり覚えている。あの日から3ヶ月半後に息を引き取るまで、たったの3回しか直に会えていないのだ。今更言っても仕方ないことだと分かってはいるけれど、何度思い返しても、そんな事あっていいのか?と激しく思う。あの日々、心底辛かったなー。...

  • 変わらない

    母を最後に眼科に連れて行ってから、ついに一年が経ってしまった。すぐこの間のことのようなのに。温もりも手の感触も覚えているのに。思いは一年前も今も変わらない。ただ会いたい。...

  • 1週間前よりもぐっと秋深くなってきた。季節は変わらなく巡ってくる。でもこの空の下に母はいない。...

  • まだね。

    母が他界して初めて旅に出た。旅先で時折見かける老人ホームや、その看板。今まではその度に母が今どうしているだろうと思いを馳せていた。でももう、そこに母はいない。まだね、まだまだね、内蔵がキューっとなる。...

  • 花火

    今日は花火大会。昨年、一昨年はコロナで、その前の年は台風で(私は骨折で入院中〜)中止だったので4年ぶりの開催。4年前は母がグループホームに入所して落ち着かない時期で、色んな複雑な気持ちを抱えながら花火を見上げていた。その母は今はいない。でもきっともっと高い所から見てるのかな?ラストの尺玉の連発は圧巻で、脳を空っぽにして見入った。秋の花火はなんとなく淋しい。...

  • 柿が店頭に並ぶようになった。柿が大好物な母のために、いつもタッパーに詰めて持って行って母の部屋で一緒に食べた。去年は眼科に行く車の中で。あれが最後になった。もうそんなことも出来ない。...

  • 半周忌 その2

    この半年、いつ何をやってきたのかあまり記憶がない。それでも、明日から、半歩でいいから前に歩こう。...

  • 半周忌

    母が空に旅立ったってから明日で半年。もう半年経ってしまった。半年前の今頃、どんな状態だったんだろうな。もう半分くらい、魂が肉体から離脱していたんだろうか?なんでその時私は側にいられなかったんだろう?...

  • 半年

    最後に母に会えてから今日で半年だ。あの日の母の表情や温もり、そしてあの日々の気持ちが朝から何度も蘇ってきて、その度に目頭が熱くなる。母が空に旅立ってから一番長く泣いた日かもしれない。帰宅して遺骨の前でまたメソメソしていたら、愛鳥の文鳥が飛んできて慰めてくれた。…と思う。...

  • 何も出来ない

    母と一緒にPCR検査の出来る所を探している。そんな夢を見た。母の存在をはっきり感じた。第7波では施設にいる高齢者が入院出来ないケースが増えている。それは母だったかもしれない。胸が痛む。もし今の状況だったら、誤嚥を起こしても病院に受け入れてもらえなかったかもしれない。去年の今頃は月に一度眼科に連れて行くその時間がなにより大切だった。母のために出来ることがあった。もう何も出来ない。...

  • 新盆

    お盆の支度は、母が元気な頃は母に任せっぱなしだったし、母が認知症になってからはお墓参りには行ったけれど飾り付けは全くしていなかった。でも今年は新盆なので、私に出来る限りのことはやることにした。珍しくお盆3日間とその前日に休みを取った。山の日に菩提寺で盂蘭盆法要があったのだけれど、その日は前々から出勤が決まっていたので断念。13日は台風予報が出ていたので前日にお墓を洗いに行ってしまった。13日は母の友人...

  • コロナvs夏風邪

    4年前の今日、母は我が家からグループホームに住まいを移した。あの日のことは、あの日の心境は、ずっと忘れないだろう。とはいえ、今年は…先週、社内で初の陽性者が出た。比較的近くで仕事している私、帰宅して手持ちの抗原キットで陰性を確認。でも念のためPCRキットも使って翌日ゆうパックで送った。しかし、その夜、喉の痛みで眠れなくなった。朝起きてもパッとせず万が一のこともあるので休むことにした。すると午後になって...

  • 第7波

    第7波だそうだ。全くいつまで続くのだろう。昨年の今頃の母を思い、今年はもう叶わないのだと思い知らされる日々。でもまだ母が永らえていたとしても、また会えない時間を耐えながら過ごさなければならなかったんだ。それはそれで相当限界だったことだろう。...

  • 第7波

    第7波だそうだ。全くいつまで続くのだろう。昨年の今頃の母を思い、今年はもう叶わないのだと思い知らされる日々。でもまだ母が永らえていたとしても、また会えない時間を耐えながら過ごさなければならなかったんだ。それはそれで相当限界だったことだろう。...

  • 4ヶ月

    母が旅立って4ヶ月。7月はどうしても4年前を思い返す。朝起きたら母がいなくて初めて捜索願いを出したこと。グループホームへの入所を決めたこと。それでもまだ母はこの家で暮らしていて、階段の昇り降りもしっかり出来たし、よく食べてよく笑っていた。まだそれ程前のことではない。お母さん、今どこにいるの?...

  • 3ヶ月

    母が旅立ってから3ヶ月。さびしいさびしいさびしいまだ3ヶ月だ。当たり前だ。...

  • 長いお別れ

    ずっと、母が他界したら、私はボロボロになって何も出来なくなるだろうと思っていた。でも実際はこれまでと変わらなく過ごしている。変わったことと言えば、朝必ず仏壇に仏飯を供えるようになったことくらい。このところの真夏日のせいか、身体が妙に疲れてしまい余り母のことを思って気持ちが落ちることも少ない。母が「長いお別れ」をしてくれたからなのかな。...

  • 2ヶ月

    2回目の月命日。もう2ヶ月経ってしまったのだ。ついこの間のような気もするし、随分前のような気もする。でももういくら待っても母の笑顔を見ることは出来ない。手を握ることは出来ない。...

  • 上履き

    四十九日を過ぎたので、施設から持ち帰ってそのままにしていた母の荷物に手を付けることにした。施設への入所連絡を待つ間、足りない物を新たに買い揃えて名前付けをした衣類。一つ一つ手に取っては泣きくれるかと想像していたけどそんなこともなかった。ただ、ずっと履いていた上履きを見たら胸がギューッとなった。...

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