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ここは小さな高校です https://blog.goo.ne.jp/5381naninani

英語の授業を通して、田舎の小さな高校で学ぶ素敵な生徒たちを紹介しています。

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2017/05/01

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  • たかすえドータの歌-7 いづこにも

    いづこにも劣らじものをわが宿の世を秋はつるけしきばかりはいづこのもおとらじものをわがやどのよにあきはつるけしきばかりは(1021年、私14歳)十月ごろになると、庭の木々がいっせいに色づいてくる。まるで輝くわたる錦のようで、その美しさはちょっと類がないくらい。それなのに、家へ訪ねてきたある人が、「いま、ここへ来る途中、紅葉もみじの素晴らしいお屋敷がありましたよ」などと、わが庭の紅葉が目に入らないのか無視しているようなことを言うではないか。私はとっさに言い返したくなり、抗議の歌を一首。いづこにも劣らじものをわが宿の世を秋はつるけしきばかりはThoughautumnleavesinmygardenaremorebeautifulthananywhere,itisapityyoupraiseonlythoseof...たかすえドータの歌-7いづこにも

  • たかすえドータの歌-6 ときならず

    時ならず降る雪かとぞながめまし花橘の香らざりせばときならずふるゆきかとぞながめましはなたちばなのかおらざりせばー私は14歳(1021年)いまのところは、それほどキレイじゃないわよね。でも、花ざかりの年ごろになれば、顔だちももっとよくなるだろうし、髪だってずっと長くなって、チャーミングな女になるにちがいない。そう、光君ひかるぎみに愛された夕顔ゆうがおや薫大将かおるだいしょうに愛された浮舟うきふねのような女になれるってもんだわ。きっとーわが家の軒近いところに、たちばなの木が一本ある。5月はじめのある日、庭を眺めているとたちばなの花がちょうど盛りで、その白い花びらがほろほろと散っている。そこで一首。時ならず降る雪かとぞながめまし花橘の香らざりせばImighthavetakenitforunseasonalsno...たかすえドータの歌-6ときならず

  • たかすえドータのうた-5 ちるはなも

    散る花もまた来む春は見もやせむやがて別れし人ぞ恋しきちるはなもまたこむはるはみもやせんやがてわかれしひとぞこいしき『更級日記』の作者(孝標の女)の叔母は『蜻蛉日記』の作者です。この年(1021年私14歳)は伝染病が流行して、たくさんの人が亡くなった。上総(かずさ千葉県中部)から東京へ戻る途中、まつさとの渡しで別れた私の乳母も、3月1日に亡くなってしまった。あの夜、月の光に照らされた姿をしみじみとした思いで見たのが、彼女の見納めになってしまったのだ。私はどうしようもなく悲しくて、物語りを読みたいという気持ちさえも失せてしまった。ある日のこと、一日中泣きくらして、ふと外を見ると、夕日がはなやかにさしているなかに、桜の花びらがはらはらと、とめどなく乱れ散っている。美しくもはかない情景に、私は歌に思いをこめて、散...たかすえドータのうた-5ちるはなも

  • たかすえドータのうた-4 たのめしを

    『更級日記』を書いたのは「私」すがわらのたかすえの娘です。「私」の父、菅原孝標は菅原道真の玄孫(げんそん、やしゃご)です。頼めしを猶や待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけりたのめしをなおやまつべきしもがれしうめをもはるはわすれざりけり9月3日(1020年)に上総国(かずさのくに千葉県中部)をスタートして、12月2日、ようやく京の都に入ることができた。継母けいぼだった人が、父と別れて、この家を去ることになった。彼女は愛情をもって私に接してくれ、私も長年この人に慣れ親しんできた。宮仕えの経験があり、教養もゆたかで、私を物語の世界に近づけてくれたのも、この継母の影響である。その年も暮れて、新しい年を迎えた。梅の蕾が膨らみ、やがて花をつけはじめた。私は継母がいつ来てくれるのかと毎日待ち続けた。しかし、満開になって...たかすえドータのうた-4たのめしを

  • 英訳たかすえドーターのうた-2 まどろまじ

    あづま路の道の果てよりも、なお奥の地で育った娘、孝標女(たかすえドーター)の「更級日記」よりまどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月まどろまじこよいならではいつかみんくろとのはまのあきのよのつき十七日(1020年9月)の朝に、いかた(千葉県北部)を出発。その夜は「くろとの浜」というところに泊まった。明るい月に照らされて、遥か彼方まで続く白い砂丘。松原を吹きわたってくる風に、しみじみ心打たれもする。歌を詠む人たちに交じって、私も一首。まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月(玉葉集)IwillnotslumberifImissseeingtonight,whencanIseeit?ThemoonofanautumnnightabovethebeachofKuroto.slumbe...英訳たかすえドーターのうた-2まどろまじ

  • たかすえドーターのうた-3 あらしこそ

    あずま路(東海道)の道の果てよりももっと奥(千葉県中部)に育った私(菅原孝標女)は、13歳になった秋に父の任期が終わり、一家が京都へ帰ることになった。「更級日記」たかすえドーターの和歌-3嵐こそふきこざりけれ宮路山まだもみぢ葉のちらで残れるあらしこそふきこざりけれみやじやままだもみぢばのちらでのこれる遠江国とおとうみのくに(静岡県西部)に入った。昔からよく歌に詠まれて有名な「さやの中山」を越えたときのことも、高熱にうなされていて、何も覚えていない。そのあいだにも季節は移ろい、川面かわもを吹きわたってくる風が、身を切るような冷たさになってきた。天竜川を渡り、浜名橋まで来た。以前、父とともに上総へ向かったときは、たしかに渡った橋が、その後、洪水にでも流されたのか、今は跡形もない。しかたがないので船で渡る。いの...たかすえドーターのうた-3あらしこそ

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