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ここは小さな高校です https://blog.goo.ne.jp/5381naninani

英語の授業を通して、田舎の小さな高校で学ぶ素敵な生徒たちを紹介しています。

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2017/05/01

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  • 形の文化

    『花咲く丘の高校』にて形の文化・・平成21年4月30日の授業より新学期も3週間がたった。始めのうちは緊張していた生徒も、私になれてくると授業開始時の挨拶さえもいい加減になってきた。「おい、おい、挨拶はきちんとやってくれよ。社会的な動物である人間にとっては、先ず形が大切なのだ。中身がどんなに良くても、立場をわきまえて形をきちんとしないと、社会的に抹殺されてしまうのだ。今日のニュースで大きく報道されているスマップのK君。彼ほどの素晴らしい才能を持ったタレントでも、酔っぱらって公園で裸になっただけで警察に逮捕されてしまったのだからね。あれが上野公園だったら、こんな大騒動にはならなかったろうにね。TPOっていうか、時間(夜中)も場所(公園)もクールな高級住宅街(Occasion)だったことも彼には仇となったのだ。...形の文化

  • 猿供養寺の人柱ー(2)

    前編のあらすじ800年以上前から越市板倉区猿供養寺(さるくようじ)に伝わる民話。猿供養寺村では毎年のように地滑りが起きていた。その年の春に起きた地滑りは7日たっても治まらなかったので、人柱を埋めて鎮めることになった。若い娘が人柱になりたいと言うと、わしは年を取っていて命は惜しくないからわしを人柱にしてくれと年寄りが言い出したりして、中々話が決まらなかった。猿供養寺の人柱ー(2)ちょうどそのころ、信州(今の長野県)から猿供養寺(さるくようじ)へ来る黒倉山(くろくまやま)の峠道をひとりの年とった旅のぼうさんが歩いていたと。ぼうさんは、村にはいったとたん、じすべりがあんまりひどいんでたまげてしもたと。道はでっかくもりあがったり、へこんだり、右に左にごちゃごちゃになっていたんだと。あちこちのうちも、かべはおちたり...猿供養寺の人柱ー(2)

  • 猿供養寺の人柱(民話)

    この言い伝えは事実だったのです。昭和12年(1937年)3月、近くの田を耕していたお百姓さんが、新しい田んぼに土を入れようとして土地を削っていると、甕が出てきました。その甕の中にはお祈りをしている人の姿がったのです。大学の先生に調べてもらったところ、800年も前の旅のお坊さんだろうということが分かりました。(採集地:長野県境にある新潟県中頸城郡板倉町)猿供養寺の人柱(HumanPillarinSaruKuyoji)①ずうっとむかしのことらと。猿供養寺(さるくようじ)の村(中頸城郡板倉町猿供養寺)は、毎年毎年、地滑りで困っていたったと。春先の雪解けの頃や、雨がいっぺえ降る秋の終わりごろになると、きまったように地面が動いて、田畑が壊れたり、家が崩れたりしたと。この年もまた、春先の地滑りが始まったと。「地の神様...猿供養寺の人柱(民話)

  • 心が痛む能登沖地震

    言葉や文字では表せない悲惨な災害で、テレビや新聞ではこの悲惨な事実を客観的に報道してくれているので有難いです。お正月に帰省中だった子供さんたちの若い命が失われたなんて、神も仏もいないのだろうか。神や仏がいるのなら、どうか彼や彼女たちが現世よりもずっと素敵な天国や極楽へ行けるようにその御手を差し伸べてください。我が家(妻と私の老夫婦だけ)では「芸能人格付けチェック」を見ようと、早めにお節料理を茶の間の炬燵の上に並べていたところ、テレビに「地震速報、能登沖でM6.5」のテロップが流れました。(後でM7.6に訂正されたようです)60年前、結婚したての私たちは新潟市に住んでいて、マグニチュード6.5の新潟地震に襲われたので、「これは、新潟地震と同じ規模だぞ」と言っていると、間もなく我が家がガタガタ揺れ始め、屋外へ...心が痛む能登沖地震

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