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春夏秋冬 / 老い楽の詩 https://blog.goo.ne.jp/hennkyoujinn

老い始め老い逝くまで、楽よりも苦の方が多い。束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる楽があれば幸せ。

星 光輝
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住所
福島県
出身
北海道
ブログ村参加

2017/04/09

  • 元気が出る歌

    1934やってみよう『やってみよう』歌:WANIMA作詞:篠原誠作曲:イギリス歌謡正しいより楽しい/正しいより面白い/やりたかったことやってみよう/失敗も思い出/はじめようやってみよう/誰でも最初は初心者なんだから/やったことないこともやってみよう/苦手な相手とも話してみよう/知らなかったこと見たことないものあたらしい楽しい悲しいときは笑って/寂しいときは声出して/雨はいつまでも続かない/土砂降りも楽しもう踏み出そうよじ登ろう/高い山ほど絶景が待ってるから/遠回りの道を選んでみよう/険しい峠には何かがあるさ/ありえなかったこと出会わなかった人/あぶなっかしい楽しい振り返るより振り向いて/掘り返すより掘り出して/過ぎた話はほどほどに/今の話をしよう恐れず迷わず/同じ今日という日は二度とないんだから/明日より...元気が出る歌

  • 渦巻き線香

    1933渦巻き線香明日17日は義父の49日。逝かれたことが信じられず「生きている」と思ったり、ふと「いない」と気づいたりする。普通の線香は、直線の棒状になっていて、燃焼時間はだいたい数十分程度でしかない。火をともしてから数十分で灰になって燃え尽きてしまう。お通夜の席など、一晩中線香の火を絶やしてはいけない時などは、普通の線香だと頻繁に火をつけなければならず大変である。渦巻き線香は長い間火をともすことができ、お通夜などに使われる渦巻き線香は、12時間(なかには24時間)ほど火をともすことができるので、夜中も線香の火を絶やさずにいられる。煙を出し燃えている渦巻き線香を眺めながら、渦巻き線香は人生のように思えてきた。燃え始め、最初の一回りは時間が長い。それは子どもの時間のようにも映る。線香が燃え尽きるのはまだま...渦巻き線香

  • 桜は生きる

    1932桜と生きるBS1沁みる夜汽車、という10分番組がある「桜と生きる」が放映された松浦鉄道浦ノ崎駅のプラットホームは桜の名所で知られているその桜の木々は病気になり枯れてしまい花は咲かなかくなった井手一雄(69歳)さんは、49歳のとき胃癌がわかり、胃を全摘出した別の病気が併発し長年勤務した仕事を辞めざるを得なかった52歳のとき、妻の実家に移り住んだ「どう生きていけばいいか、わからなくなってきた」「何も出来ないもどかしさ」「自分のふがいなさ」に悶々としていた。ある日、妻は一ボソリと呟いた。「(浦ノ崎駅の)桜が咲かないと寂しいわね」何もしなければ枯れていくだけ。でも、手当てをすれば、きっと花が咲く。「共に病気をかかっているもの同士」桜と自分が重なった桜を見て、今年も桜に出会えた桜を見て癒されて長生き出来てい...桜は生きる

  • 春ナノニ雪ガ降ッテイル

    1931春ナノニ雪ガ降ッテイル夜中にwifeが目を覚まし「寒い」と言った「電気シーツスイッチ入れたら」と寝ぼけ声で話した自分5時に目を覚まし大きな窓のカーテンを少しあけたら雪景色だった齢拾になったbeagle元気と寒い空気のなか散歩に出かける家を出た先の縁石の脇に雪衣をまとった「白い花」(雪が積もり白い花に映った)南陸奥に住んでいる団地の桜並木は雪化粧水仙は雪が積もり首を垂れ、話しかけると「雪が冷たく重い」と話しているようだいつも通り路の阿武隈川岸辺は雪で覆われ、春だったので碧い草が見え隠れしている一度は枯れ木になりかけた枝に桜が咲いていたこれから咲く小さな桜の花にも出会えた元気も桜を眺めている春ナノニ雪ガ降ル春カラ冬ヘ季節ハ戻ルコトハナイ昨日wifeと珈琲を飲みながらくつろいだホッと紅茶を頼んだら上から...春ナノニ雪ガ降ッテイル

  • 空蝉

    1930空蝉ほとんど人も車も通らない死んだような路の両脇に桜並木がある空蝉梅雨が明けると蝉は鳴き始める地上に生きている時間は儚く短いそれでも蝉は生きていると力の限り鳴き叫ぶ蝉を見倣い私も今日力の限り生きてみようか蝉の抜け殻のまま蝉は帰って来ない私には帰る家がある空蝉は、蝉の抜け殻を指す言葉だけれども、自分の心も同様に抜け殻の如くあり、生きる屍の態にある。暑い夏、木々のなかで、蝉たちは鳴いている。いままで自分は、蝉の鳴き声は喧騒であり心苛つかせ、余計に暑さを感じていた。寝たきり拾年と言われ、畳一畳より幾分広い介護用ベッドの上で寝たきり老人は幾日も昼夜を過ごしてきた。その老人は自力で寝返りすることもできず、四肢は拘縮したまま、ジッと天井を見つめたまま、窓の外にある四季の移ろいさえ感ずることさえなかった。それで...空蝉

  • 春には春の花が咲く

    1929春に春の花が咲く天台宗最勝寺の庭園に紅葉の樹に紅葉の花が咲いていた初めて見た本当に小さくて可愛い花だつた春には春の花が咲く

  • 義父35日

    1928義父35日過ぎてしまった時間(こと)は早い今日は義父の35日腰痛圧迫骨折が引き金となり寝たきりになった最後は自宅で妻嬢二人に囲まれ息を引き取る数分まで言葉を交わしていた居た人が居なくなる傍にいない仏壇に置いてある遺影に話しかけることしかない老いにある自分にとり喪失は辛くわが身を重ねてしまう老いの迎え方老いの感じ方老いの生き方死に方ふと、思ってしまった義父35日

  • さくらさくら

    1927さくらさくら令和5年4月1日に咲いたさくらさくら南陸奥今年も桜に会えたあなたに再会でき嬉しく感涙の気持ち来年も会いたいさくらさくら

  • 夕焼けに電柱がよく似合う

    1926電柱と夕焼け令和5年1月かな筑波山が眺望できる地で撮ったもの夕焼けに電柱がよく似合う関東平野は高い山がなくどこまでも広がりゆく大地にあり心がゆったりとする朝陽や夕陽は茜空になるいま、猫だけでなく犬の手もかりたいほど時間に追われ2月は28日で終わり2月31日まであればあと3日の余裕があるのだがそう旨くいかない自分を見失わないことそう自省しながら忙しいと言いながらしばらくぶりのブログ見たり書いたりしているこの先不安どこまで辛抱し介護タクシーを軌道に乗せられるか職員の生活を先に考えねばならない他人を乗せ、目的地まで移動する安全、安心、快適さを大切にし無事故を続けなければならない仕事いのちを運ぶ仕事である、と自覚が大切夕焼けに電柱がよく似合う

  • 地域密着型通所介護を今月で「廃止」することになった

    悩めること多く、悩めることから逃れようと「寝ても」は悩みは続く1925悩みは死ぬまで尽きない足かけ9年続いた民家活用型の地域密着型デイサービスを今月28日をもって「たたむ」ことにした。多くの老人から無数のこと教えられたり学んだり、感涙したりした。苦渋の決断残り少ない日々のなかで元気に通われている老人と思い出づくりに追われている。すべて介護の仕事を止めると惚けてしまうことからケアマネジャーは継続デイサービスで使用している軽自動車を活用し来月から訪問介護の枠のなかで介護タクシーを始めることになった地域密着型通所介護を今月で「廃止」することになった

  • 寒い朝

    1924夜明け前から早朝散歩道路の右端は阿武隈川が流れている東北の冬空は日によっては、鉛色のような重たい空が目に映るそんなときは憂鬱な朝に気が重くなる雪で覆われた散歩路を歩くのは気持ちがいい振り返ると酔っ払いが歩いたような蛇行の足跡人生の足跡も雪路のようにはっきりとしていたらいいのだけれど白髪一路の如く一つの路を最後まで貫き通すことは偉大である自分自身人生の足跡はあったりなかったりの感じ最後だけでもしっかりと雪を踏みつけ歩きたいbeagle元気に連れられ、雨の日以外は朝夕散歩をと決めている朝夕で8000歩を歩くのは大変達成したりしなかったりの繰り返し杖をつきながらでもよいから一日も長く歩き続けたいものだ寒い朝

  • 死ぬまで歩く 97才の婆さん[2]

    1923半人前。(2)幼児のオムツが外れると、幼児の行動が束縛されず自由になる。それは、同時に母親もオムツの世話がなくなり、自由な時間が増えてくる。子どもの成長により身体の世話が解放される。それに対し老人は様々な理由から歩くなくなると、紙オムツになってしまう。介護のかかわり方、介護の仕方によって、老人のオムツを外す可能性がある。老人は「オムツをするくらいなら死んだ方がましだ」、という言葉を耳にする。なかにはオムツにされたことで、生きる意欲をなくし、いつの間にか眼は虚ろになりベッド上で死を待つだけの時間になってしまう。何故、オムツにされた老人は生きる希望をなくすのか。それは、オムツをしている赤ん坊(幼児)と同じになった自分、他人の世話を受けなければ、排泄の処理ができなくなった自分は「半人前」の大人だと思って...死ぬまで歩く97才の婆さん[2]

  • 死ぬまで歩く 97才の婆さん [1]

    1922小さな「大人」(1)哺乳類動物の大半は前足と後ろ足を使い歩く。人間は「直立歩行」が出来たことで、「前足」は「手」となり自由になった。手は石を掴み、石に棒をつけることで、金槌の機能を果たし武器にもなった。手はさまざまな道具を作りだし、労働を行うことで「ヒト」から「人」へと成長した。人間にとり「歩く」「歩ける」ことは、大きな自由(解放)をもたらした。オギャーと産声をあげた赤ん坊は、首が座り、寝返りができるようになると、頭を上げ、周囲(まわり)を見渡すようになると、赤ん坊にとり世界観は大きく変わる。目の前にある物に興味を抱き、這い這いを始める。這い這いは高這いに変わり、高這いから椅子の座面に両手をつき、「立ち上がり」をする。立ち上がりから「立ち(立位保持)」、自由になった両手で手を叩きながら満面の笑顔に...死ぬまで歩く97才の婆さん[1]

  • 初日の出

    1921初日の出2023,1,1;6;55関東平野から筑波山を眺め初日の出を拝む。毎日陽は昇り陽が沈む。自分は数え71の齢を迎えた。加齢性難聴と診断され、歯が欠けたような感じで人間の聲を一部聴き取ることが出来なくなった。補聴器でもつけようかどうか迷ってる。今年は訪問介護ー通院等乗降介助(介護タクシー)により透析患者や一人暮らし老人、老老介護家族等の通院支援を始めていく。自分自身は70の手習いで国家試験運行管理者の取得に挑む。介護タクシーも旅客運送事業のひとつであり『いのち』を運ぶという大切な使命を持ち安全運転が求められます。その自覚を持つために運行管理者として責務を果たしていければと・・・・虫食いのような物忘れが出始めwifeから惚けてきた、小言を頂戴するボケ防止の目的を兼ね運行管理者の試験に挑むもうひと...初日の出

  • 今日は講習

    1920人間は外に出たい早朝、晩秋の阿武隈川縞模様の水面に魅入ってしまった今日1日自動車学校で運行管理者講習を学習する。来春から本格的に要介護高齢者等の通院や買い物等外出(移動)支援サービスを行う。自分も透析患者の送迎をさせて頂く。超高齢になると認知症や体力低下等により自動車普通運転免許証を返納せざるを得なくなる。田舎は交通手段がかぼそくなる。陸の孤島になってしまう。通院と買い物に困まる。デマンドバスが走るようになったが、痒いところまで手が届いていない。行き先は限られ複数の行き先を希望することができない。買い物時間は1時間だから、たまの外出にコーヒーや外食を楽しむことは難しい。認定調査を行うと外出先はデイサービスと通院のみ。外出が行われていることになる。でも、なんだかスッキリしない。動物は外にでることを欲...今日は講習

  • 煙草がやめられない

    1919「自業自得だ~」もう東北は晩秋木々たちは数えるほどの枯葉となりスタットレスタイヤに交換せねばならない昨日強いてんかん発作をくり返し救急搬送された65歳の若い老い人がいた脳動脈瘤クリッピング術を行い過去にはくも膜下出血を起こし手術によりいのちが救われたなのに喫煙をやめられず煙草がないと「しけもく」を吸っていたてんかん発作を止める薬も服用せず過ごしてきた日々90歳の婆さんから「まだ、若いのにどうして、我慢が足りないのだろうか」トイレまで我慢できず多量の尿便失禁をしてしまう食事中には噴き出すほどの嘔吐をする介護員が汚物の処理をするのは「当たり前」、と嘯(そうぶ)く救急に駆けつけてくれた救急隊員は「(薬も飲まない、煙草を吸っているから)自業自得だよ」と意識消失している彼女に話す脳外科医は「悪戦苦闘しながら...煙草がやめられない

  • 煙草がやめられない

    (そうぶ)く救急に駆けつけてくれた救急隊員は「(薬も飲まない、煙草を吸っているから)自業自得だよ」と意識消失している彼女に話す夫に電話連絡し自分も病院に駆けつける「頭のなかをもう少しみてみたい」、と脳神経医から話され入院となった。煙草がやめられない

  • 老いの時代

    夜明け前、夕暮れ時に「元気」は首にネオンの首飾りをし散歩をする1918続)老いの旅人たち気が付いたら自分も「老い時代」に立っていた。頭髪は薄くなり一部、地肌が目につく。首、両膝、腰の痛みは時折、自分を悩ます。最近、福島市では97歳の男性が運転する軽自動車歩道を走り、女性を「はね」亡くなる、という痛ましい事故があった。免許更新では認知機能検査では問題がなかった・・・。自分も透析患者を乗せ送迎のためにハンドルを握っている。「いのちをはこぶ」という重圧を感じながら、安全運転を心がける。中島みゆきが唄う『時代』は人生そのものを感じてしまう。旅を続けてきた老人はいまなお死に向かって覚束ない足取りで歩き続ける旅人たち。「まわるまわるよ時代はまわる喜び悲しみを繰り返し」「別れと出会いをくり返し」「今日は倒れた老人たちも...老いの時代

  • 倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ

    犬には犬の悩みや不安はあるのだろう、いまは安心しきって眠りについている1917老いの旅人たち書き終えぬまま「投稿」になってしまいましたうっかりでそのままになっていました。言い訳ではないが、激しい腰痛で義父が寝たきり状態になり昨日急遽、130㎞余り車を運転しwifeの実家へ「飛んだ」救急車を呼び、隣市の整形外科がある病院に入院となった。倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ

  • 老いの旅人は何処で死を迎える

    1916老人ホームに対する意識は変わった介護保険により特別養護老人ホームに対し地域に住むひとたちの意識は変化した。姥捨て山ではなくなり寝たきり老人になると寝たきりで生きている本人も老いたつれあいも家族も疲れ果て老人ホームに入所させることに「抵抗感」は薄れ、おたがいのためだ、と思い老人ホームの玄関をくぐる。いまは、老人ホームで最期のときを迎える。ふと、思うことがある。特別養護老人ホームであれサービス付き高齢者住宅であれ老人病院であれ住み慣れた我が家であれ本人は最後(最期)におきどのような死に方を臨んでいるかだれか聴いてくれる人がいるかそのことが気にかかる。臨終場面、家族が傍で手を握りながら見守ることは無理なことであろうか最後の一夜自分が住み慣れた家に帰ることはできないのか最期どこで死ぬかどのように死ぬのか最...老いの旅人は何処で死を迎える

  • 他人の集まりだ

    1915老人ホームだけは嫌だ~90歳を超えた婆さんはぼろぼろとご飯を洋服や床いっぱいにこぼす洋式便器に座る前におしっこを床いっぱいにこぼすこの床は誰が濡らしたの、と尋ねられても「わたしじゃない」、と真顔で答える朝、起きおしっこでびっしょり濡らした紙ぱんつを脱ぎ棄てぱんつを穿かずにデイサービスに通う住み慣れた家で暮らすことが厳しくなってきた「老人ホーム(特別養護老人ホーム)に行くか」、直球で尋ねた「老人ホームだけは嫌だ」「味噌を舐めたって行かない」「どうして」、と意地悪く聞き返してみた「他人の集まりだ」90歳を超えた老人たちは老人ホームの姥捨て山に映るのか他人の集まりだ

  • 紅葉・苔石そして秋桜

    1914紅葉・苔石そして秋桜自然の美しさをそのままキャンバスに描く技術もなく、スマホカメラで撮るしかない自分。観音沼森林公園は自然がそのまま残されている。観音沼の入口付近でリンゴ農園の爺さんが、赤い林檎「新世界」を売っていた。「新世界」は蜜がいっぱい入っており美味しかった。晩秋となれば、舞い散る枯葉は積り、苔石の上に枯葉が散っている。苔石になるまでどのくらいの歳月が経過したのであろうか。枯葉の下には小さな虫たちが生息している。冷たい北風にも負けず、霜にも負けず、寒さにも負けず、青い空と白い雲をめがけ秋桜は健気に咲いていた。昨日、保育園の敷地に咲いていた秋桜に遭遇した。晩秋の老いにはまだ至ってはいないけれど暦のように早く過ぎ去ってしまう。冬の前の晩秋の美しさに浸りながら、もうすぐ冬がやって来る。紅葉・苔石そして秋桜

  • 朝の散歩路

    1913朝の散歩路雨が降らない限り(beagle元気は雨が嫌い、雨の朝夕は散歩は「休み」となる)朝夕の散歩路は阿武隈川に沿って歩く朝陽に向かい合掌どこにもあるような景色でも、同じ風景はないここだけの風景どこにもいるような人間だが自分という人間はひとりしかない宇宙から見たら塵にもならない存在でも、この地球(ほし)に生まれ生きている季節は変わる雪が降る処は巡りくる春夏秋冬の景色は美しい変わらぬのは自分と思いながらも退化の陰りという変化は訪れる朝の散歩路

  • AI - Story

    「俺、beagle元気も老いてきた白い毛が目立ち始めてきた」1912AIStory限られた時の中でどれだけのことが出来るのだろう言葉にならないほどの想いをどれだけあなたに伝えられるのだろうずっと閉じ込めてた胸の痛みを消してくれた今私が笑えるのは一緒に泣いてくれたキミがいたから1人じゃないからキミが私を守るから強くなれるもう何も恐くないよ時がなだめてく痛みと共に流れてく日の光がやさしく照らしてくれる説明する言葉も無理して笑うこともしなくていいから何かあるならいつでも頼ってほしい疲れた時は肩をかすからどんなに強がってもため息くらいする時もある孤独じゃ重い扉も共に立ち上がればまた動き始める1人じゃないから私がキミを守るからあなたの笑う顔が見たいと想うから時がなだめてく痛みと共に流れてく日の光がやさしく照らしてく...AI-Story

  • 紅葉の美しさに癒された一日

    1911紅葉の美しさに癒された一日東北自動車道白河インターを降り国道4号から国道289号線に入り、甲子(かし)温泉を目指します甲子温泉を過ぎ長いトンネルを走り抜けると下郷町(福島県)に入ります。国道289号から観音沼森林公園の標識があり左折し直進すると目的地に到着します。観音沼森林公園は二度目の訪問になりいずれも紅葉の季節に来ました。紅葉は観る人の心境によって色彩も変化します。自然が織りなす美自然が描いた一幅の絵に魅了されます一眼レフだったらと思いながらもスマホカメラのシャッターを押しました観音沼森林公園の紅葉の美しさから希望と勇気を頂いた。紅葉の美しさに癒された一日

  • 遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある

    1910遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある残雪がある那須連山の向こうの世界は、どんな世界であろうか小学校に上がったばかりの頃北海道の農家に生まれた自分の家は東西南北山に囲まれた盆地であった。ニセコ連邦の山々の向こうはどんな世界が広がっているのか、と空想を膨らましていた。山々の向こうは海なのかそれとも自分の知らないまだ見ぬ街なのか山ではないけれど海は広い水平線の向こう、さらにその先はどんな国があるのだろうか「行ってみたいなよその国」自分はいま老い老い始め、死ぬまでの線上を考えたときいま、どの位置にあるのか「ご臨終です」、と告げられたとき自分は黄泉の国に移る黄泉の国とはどんな世界であろうか苦しみや悩みが消えるのであろうかまた、くだらないことを考えてしまった遥か彼方にある見える山々の向こうの先は何がある

  • 霜が降りた

    1909霜が降りた一昨日在宅訪問した際に玄関先のブッロク塀脇の路上に朝顔がしぶとく咲いていた。朝顔の根本は折れ曲がりながらも折れずに根はコンクリート路の割れ目から地中にしっかりと根を張り栄養分を送り花は枯れずに咲き誇っていた。霜が降りた寒い朝あの朝顔は霜にやられたのであろうか我が家から20キロ先余り離れているだけにおいそれと朝顔の安否を確認することもできない。2カ月余り休止したブログ休止なのか急死なのか消息不明のままにしてしまった。事業を負債を見直したら両手の十指までいかなかったが七本の指ほど有り唖然としてしまった。七拾歳にしてまだ働かねばならないあと四年で完済する意気込みで朝顔のようにしぶとく生きることを強く思った。霜が降りた

  • 大雨が降り続いています

    1908ご訪問頂きありがとうございますご訪問頂きありがとうございます。皆様のブログを訪れる余裕もなく一方通行になってしまっていますしばらくは片翼で飛ぶような感じになります一番身近にいるwifeの気持ちが理解できているのか昨日wifeと喧嘩をしてしまいラインで会話するような状態になりました。仲直りするには自分が反省するしかありません外は大雨雨の音は壊れたピアノ、という曲があります「心は壊れたラジオ」いまの自分はそんな状態です。秋の大雨は寂しく、何だか秋が短く過ぎ去る気がします。大雨が降り続いています

  • 心が挫けても秋桜を見倣う

    1907茎が折れても咲き続ける秋桜朝露に濡れた秋桜、よく見ると花びらの下に水滴があるコロナウイルス感染症が治癒し退院後生きているのか、死んでいるのか、ブログは放置されたまま。ようやく倦怠感は消失した、筋力も消失し脚は萎え体重も減った。折れた心のままでは、本当に「生きる屍」になってしまう自分。台風14号の暴風に遭い茎が折れても咲き続ける秋桜。これからも心は折れても逝くまで生きる。犬も猫もコオロギも秋桜も生き物であり、生命がある。コロナウイルス感染症から生還した自分。wifeが救急車を呼ばなければ肺炎は重症になり重症患者のベッドに伏せていたかもしれない。救急隊員そして病院スタッフに救われた。病院スタッフからは再び生命(いのち)を助けて頂いた、そんな思いにかられた。阿武隈川の夕陽の風景を再び眺めることができた、...心が挫けても秋桜を見倣う

  • ご心配をおかけしました

    1906退院しました8月4日日曜日に退院しました。ご心配をおかけしました。7月22日にコロナ感染が判明し2週間余り。後遺症は大きく、躰全体倦怠感が強く歩くのも疲れる。食欲、意欲低下にあり、味覚は一部、苦い味と塩辛い味が強いが、まだ味覚はある。wifeは味覚を失い、回復するかどうか気がかりです。何を食べてもゴムのように感じる。人間にとり食べることは大きな楽しみの一つだけに、wifeの味覚喪失はとてもショックです。なかなか仕事の関わりは大変で、やらなければならないこともあり、明日からは「気」を入れ、倦怠感と闘いながら生きます。ご心配をおかけしました

  • 救急搬送され入院

    1905救急搬送され入院29日、胸痛から苦しく救急搬送コロナ病棟に入院した肺炎も併発スマホの入力慣れず救急搬送され入院

  • かなり辛い「コロナウイルス感染」

    1904かなり辛い「コロナウイルス感染」県から送られてきた在宅療養期間中の食料救援物資”助かりました”自分だけはコロナウイルス感染しない、と思っていたが、ベッドに臥床してしまった。自分は21日38.5℃の熱症状になり、翌日抗原検査実施し「陽性」反応が出た。いまは平熱になっても頭と躰はしんどいです。躰全体、「怠く」何もやる気が起こらない。頭はスッキリせず、舌は白くなり正常な味覚は失われ、苦さと塩辛さが混じっています。スムーズに社会復帰できるのか、不安です。外へも出れず「籠の鳥」状態にあり、人間外へ出れないのは、精神的に辛いものです。気持ちが塞いでしまいます。自分以上にwifeは躰が辛く、立っているのがやっとです。それでも辛さをこらえ、食事と洗濯をしてくれ、自分の不甲斐なさと感謝しています。元気なのはbeag...かなり辛い「コロナウイルス感染」

  • コロナウイルス感染 陽性

    大雨の阿武隈川1903waifコロナウイルス感染陽性wifeは咳、味覚障害、発熱があり、本日近くの病院で抗原検査をしたところ「陽性」の結果になりコロナウイルス感染者となった。自分は濃厚接触者となり、8月28日までは自宅療養及び待機となった。まだ、自分は発熱、咳、味覚を感じない、といった症状はない。感染は覚悟しなければならないが、どこで感染したかは、見当がつかない。8月26日自治医大学附属病院腎臓外科の受診は、「電話診察」に切り替えとなり、処方箋は病院からかかりつけ薬局に処方箋を送信してくれることで落ち着いた。隣市に住む妹に薬の受け取りをお願いした。他人事ではなく、自分の事となってしまった。陸の孤島になったような感じで、10日間も自宅に籠る形となった。これで自分が感染したら自宅待機期間は延びてしまう。幸い8...コロナウイルス感染陽性

  • 生かされた生命(いのち)

    1902生かされた生命(いのち)自治医科大学付属病院(栃木県下野市)NPO法人「難病患者支援の会」は、海外での生体腎移植で臓器売買が行われた疑いがあると報道され、憤りを覚える。腎臓の機能が働かなくなり、死ぬまで人工透析をしなければならない躰。多くの透析患者は腎臓移植を望むも、なかなか難しい状況にある。藁をもすがる思いで、腎臓提供の話があれば海外であっても命の危険と隣り合わせにあっても多額の腎臓移植の金を支払い、手術を受ける。術後順調にいっても、体調が良くなく腎臓外科に受診しても、治療は難しく再び人工透析に戻る人もいる。最悪の場合は、死亡したり重症になった人もいる。東南アジアでは、子供たちが携帯電話欲しさに腎臓を売ることが横行し、そこには貧困と人権の問題が根深く関わっています。わが国の透析患者数は年々増加し...生かされた生命(いのち)

  • 自分の足で歩く

    1901「猫」と「犬」そして「自分」独古牧場干し草のところで2匹の可愛い子猫ピンボケがあり残念車窓から外を眺め何を思う、犬は窓から首を出し景色を見るのではなく、外の匂いを嗅いでいる・・・・月に一度のシャンプー。9歳4ヶ月beagle元気老いは隠せない、耳の淵が「白く」なってきた季節外れの風景だが、この風景はお気に入り南湖公園(白河市)自分は猫も犬も好き、にんげんも好き。「ニンゲン」に生まれ、ひかり新幹線よりも速く時は過ぎ、気がついたら老いの季節。昔話「浦島太郎」を思い出した。玉手箱を開けたら一挙に白髪となった浦島太郎。まだまだ(人生の)時間はある、と思っているうちに、70歳を迎えた。どんな出来事に遭遇するか。頭と足の動きは鈍くなってきたが、自分の足で歩いていく。老いてから、自分の誕生日を迎えるたび、亡き母...自分の足で歩く

  • 老いふけるのではなく、老いをふかめて往く

    令和4年8月12日産まれた子牛(雌牛)、ふらつきながらも懸命に歩いていた(8月12日撮影)独古牧場365日乳牛のお世話をし、「乳」を搾っている。介護と同じく休みがない。190070歳からの『老い楽の詩』後頭部の一部は「不毛地帯」となった緑内障のため左右の目は、真横が視野狭窄で「見えなくなった」ちらほら「短期記憶障害」がまだらに出現明日、8月17日で「70歳」の老いを迎える。こうしてPCに向かい、仕事ができるのは後何年であろうか。そんなことを思うよりも、最後の十年何ができたか。まだ子牛の毛は濡れていた。親牛はもう傍にはいない。自分の足で立ち、歩き生きていく。子牛に見倣い、自分も下肢の筋力低下に負けることなく歩くのだ。高村光太郎『牛』は、高校生のときに出会った。牛のように我が路を、周囲に振り回されることなく、...老いふけるのではなく、老いをふかめて往く

  • 「痛み」と「傷み」

    1899「痛み」と「傷み」猛暑が続く、beagle元気はクーラーとお友達、冬景色で涼しさを感じれば幸いです深夜、wifeは急に喘息発作を繰り返し、傍らで心配しても何もできない。「救急車を呼ぶか」と話すが、手振りで呼ばなくてもいい、と答えるwife。見ているだけで辛く、「死ぬのではないか」と心配になった。胸が苦しく呼吸困難になり痛々しく、仕事のストレスが溜まっただけでなく、自分の発した言葉でwifeの心(気持ち)を傷つけたことから喘息発作が起きてしまった。躰の「痛み」の深層は、心の「傷み」から発したもの。wifeの心に負担をかけてはいけないのに、忘れてしまい無理をさせてしまった。wifeは話す。「{22歳齢(とし)の差があり}自分との時間は他の人よりも短いよね?齢の差があるだけ、な~んの思い出もなく、ただ老...「痛み」と「傷み」

  • 郵便局で「お金を『盗られた』(取られた)」・・・・

    1898郵便局で「お金を『盗られた』(取られた)」・・・・物事を知らないと、損をしてしまう今の世の中。今日16時過ぎ街の中にある郵便局に行き、3年半余り「残高0円」の通帳に、44,180円入金してきた。ATMから出てきた我が通帳を見たら、残高が「44,070円」になっていた。上段に「硬貨料金」110円、と記載されゆうちょ銀行に「盗られて」しまった。積んだお金は、利息がつくどころか、逆に盗られ(取られ)目減りしてしまった。ATMで硬貨を預払をしたときは、「預け入れ」のときは、硬貨枚数によって取られる料金も変わる。硬貨枚数1~25枚のときは110円、26~50枚220円、51枚~100枚330円になる。硬貨百円1枚、預け入れしたときは110円になり、通帳残高0円のときは、「ATMは自動的にお預入れ拒否され」、...郵便局で「お金を『盗られた』(取られた)」・・・・

  • 長く感じた癌の痛み 死は一瞬

    1897長く感じた癌の痛み死は一瞬早朝の阿武隈川、たゆまな川は流れる、川は時間に似ているく「子宮体癌」、と診断されたのはちょうど半年前の8日だった。ひとり暮らしの彼女病室で最期の夜明けを迎えた。69歳の若さであった。癌は躰のあちこちに転移し、痛みを伴もないながらも、最後まで必死に癌と闘った。ベッドに寝ることもできなくなり、リクライニングチェアに座位の姿勢で休息をとられていた。他人(ひと)の痛みは目に見えぬだけ、痛みの大変さ、苦痛は本人だけしかわからない。彼女にとり癌の痛みはシルクロードのように長く感じたのではないだろか。コロナウイルス感染症のため、何処(いずこ)も肉親の病室での面会は禁止されている。彼女も姉妹とは最後の言葉を交わすことなく寂しく心残りだった、と思う。でも、眠るような穏やかな顔であったことが...長く感じた癌の痛み死は一瞬

  • 金網の向こう側に咲く花

    1896金網の向こう側に咲く花散歩路、金網フェンスの向こう側に咲く花に遭遇した。ピンク色の花びら、自分にはわからない「あなたの名前」。下の花びらは朽ちていたのが痛ましいかった。たんぽぽ原詩狩俣繁久作詞小森香子作曲大西ススム1金網の向こうに小さな春を作ってるタンポポ金網の外にも小さな春を作ってるタンポポ光り色したタンポポは金網があっても金網がなくても沖縄じゅうに春をふりまいたでしょう2デモ隊の足下に光りの花を咲かそうとタンポポ米兵に踏まれてもそれでも花を咲かそうとタンポポ強く生き抜くタンポポを金網のない平和な緑の沖縄にみんなの願いを込めて咲かせてやりたい1970年、日本のうたごえ歌曲集に掲載。原詩者は70年当時中学校3年生。受験勉強中に二階の窓から見て書いたこの詩は「沖縄の子、本土の子」という子ども文集のと...金網の向こう側に咲く花

  • 無情に「消え去った」

    1895無情に「消え去った」夏のなかに「小さい秋見つけた」正しい手順(操作)でUSBメモリーを外したつもりだが、USBを差し込みしたら保存した文書は何処へ行ったのか、開くことができなかった。USBまで認知症化し記憶が消え去った。ああああああああ!、と唸るも後の祭り。今度からは別のUSBまたはドキュメントに送信せねばと反省しきり。不慣れなPC操作は、未だに進歩せずにいる。朝、beagle元気と散歩のなか、路傍に薄ピンクの秋桜に出会った。何故か路傍に咲く花に魅かれ心癒されるのは老いた証拠であろうか。秋桜は雨風に打たれ晒され、茎が折れても枯れずに生き続け花を咲かせる。挫折しても挫けず秋桜のように立ち上がり、花咲か爺さんのように見事な桜の花を咲かせたいものだ。「仕方がない」、と負け言葉で誤魔化してきた今日までの自...無情に「消え去った」

  • 老い逝くさなか

    1894老い逝くさなか夏空のなかに秋の気配を感じさせる雲。朝beagle元気と散歩しながら空を仰ぎ見る。今日、8月6日ひろしま原爆投下77年の月日がたっても、いまなおその爪痕は深い。夏なのに今日も雨が降り、井伏鱒二『黒い雨』を思い出す。ウクライナ侵略戦争はまだ続き、核兵器使用の危機にある。日本政府は戦争の危機を訴え軍事費が膨大に膨れあがり、一方で老人の年金受給額は減らされるなか介護保険料、国民健康保険等保険料の自己負担は増え、さらに手にする年金額は少なくなる。先日、印鑑をどこにしまったか忘れ、2時間もかけ探し回ったが見つからなかった。wifeには小言、苦言を幾度なく浴びせられ、「ぼけの始まりじゃないの」、と言われる有様。諦め「印鑑を作り直すしかない」と思ったそのとき本棚の隙間にある紙袋に目が留まった。もし...老い逝くさなか

  • 再会

    1893再会自治医科大学附属病院皮膚科病棟を退院し右後頭部にできた腫瘍は、「脂腺腺腫」と診断され、悪性ではない、と医師から告げられ安堵した。ケアマネジャーの事務所を自宅に移転し、在宅勤務のときはbeagle元気と過ごすことができる。五畳一間の狭い空間から、自分が住む地域の在宅介護に関わり、我が老後も含め要介護老人達を見つめていく。再会

  • 家に帰る

    1日、一往復しか走らない路線バス、朝8時過ぎ駅行きのバスが来て、夕方5時半に着く辺境の地に棲む、緑が多い処に棲む1892明日退院右後頭部皮膚腫瘍切除術は9時に始まり、40分で終えた。麻酔注射6本打たれ、最初の1、2本は痛かったが、我慢できた。いま、ボワッとするが、痛みはなく、ホッとしている。16日の抜糸まで洗髪できないのが苦痛。腫瘍かどうか、腫瘍であれば良性かどうか、判明するのはまだ先のこと。入院中に、ひとり暮らしの婆さんがスマホを部屋のなかで失くした。置き忘れだね。スマホを使える認知症老女。東京に住む妹が「電話がつながらない、どうかしたのか心配」で彼女の家から30km北の方角に住む弟から電話がかかってきた(15時半過ぎ)「姉のところに電話をしてもつながらない。行って様子を見て頂けないか」「いま、入院して...家に帰る

  • 夜景

    1891病室の窓から深夜2時、目が覚めた病室の窓に映る夜景暗闇に灯る明かり闇に光る明けない夜はないそう思いながらあと68日で70の齢夜景

  • 右後頭部皮膚腫瘍切除術

    18902泊3日今日から2泊3日、自治医科大学附属病院に入院右後頭部皮膚腫瘍切除術を明日行い腫瘍が良性か悪性かをはっきりさせる主治医は、多分良性であろう、と話していました。8:45に手術室入室し、9:00手術開始、60分を予定している。仕事柄、電話がかかってくるので、個室にした4人病室でも良かったのですが直ぐ電話対応ができない。昨日は21時半過ぎ、65歳の女性が痙攣発作を起こし救急搬送された病院救急外来に駆けつけた。夫と長男が同居しているのだが、本人の日常生活の様子が把握出来ていないため代わりに救急外来、入院病棟の看護師に申し送りをした。4時間の睡眠だったので、今日は病室のベッドで熟睡できた。病室の白い壁に絵がかけてあり癒される絵です。右後頭部皮膚腫瘍切除術

  • 青い空 白い雲

    1889青い空白い雲青い空白い雲

  • 1888知らない海を眺めていたい山に囲まれて育った自分は老いたいまも海に憧れている海は解放的であり遥か彼方に見える水平線海と空の境がなくなる海は様々な様相を見せる知らない海を眺めていたいいつの日か知らない海辺で海を眺めていたい海

  • 犬は飼主(ひと)を裏切らない

    1887犬の気持ち朝夕の散歩のとき、縁石を歩くbeagle元気beagle元気と暮らしてきて思うことがある犬は飼主(ひと)を裏切らない人間は裏切ることがある犬は飼主の気持ちがわかる人間は犬をペット扱いにしている限り犬の気持ちはわからない元気はいろんな表情を見せてくれる何かして欲しいとき「犬語」で話しかけてくる犬も大切な家族である元気の寿命は人間に比べ遥かに短いそれだけに慈しんでいきたい犬は飼主(ひと)を裏切らない

  • 当たり前に歩ける

    大雨で阿武隈川は大河の様相川はうなり、押し流すかと思えば、濁流となり人をも飲み込む悩みや不安をも飲み込んでくれると気が楽になる1886当たり前にできている歩ける口から食べるトイレで用足しする日常生活のなかで当たり前にできているそのことに対し何不自由ない人は、何も思わない呼吸(いき)していることも同様である電気や水道にしても然り停電や断水に遭遇したとき、人は初めて電気や水の有り難さに気づく熱さ喉元を過ぎれば忘れてしまう人もいる当たり前に歩けることがいかに自由であるか老い病い、不自由な躰になったとき登山(やま)に行きたい、と叶わぬ夢を抱くそれでも諦めずに不自由な躰で頂上に立つ障害者もいる杖をついても手すりにしがみつき渾身の力を絞り小幅な歩きでトイレに行く93歳の婆さんがいる歩くそれは行きたいところへ行く自分の足で立...当たり前に歩ける

  • 「ベッドがないから受け入れできない」(本当か・・・)

    1885入院拒否昨日、デイサービス事業所から「利用者が下血している」、と連絡があった。家族に連絡を入れ、かかりつけのクリニックに受診するようお願いしたところ、長男嫁は「孫の迎えがあるのでできない。受診しないでいいからそのまま帰してください」、と受話器から聞こえてきた。介護スタッフが体調を崩しひとり休んでいるため、デイサービスに通院付添を、お願いすることはできなかった。「あと、60分で事業所に着くので、こちらでクリニックまで連れていきます。15時20分頃に着くので送迎車(軽自動車)に乗せておいてください。お願いします」デイ介護員がスマホで撮った「紙パンツに多量の出血」の画像を送信してもらい、腎泌尿器内科クリニックの医師に見てもらった。「病院内科で診てもらったほうがよい」、ということで、主治医はA総合病院第1内科(...「ベッドがないから受け入れできない」(本当か・・・)

  • 頭の痛み

    1884頭の中がうなる「痛み」は目に見えないだけに他者の痛みはわかりにくい。「痛み」は数字で表すこともできない。「痛み」は治療により痛みを消失することもある。心の「傷み」は、傷が深く、治りにくい。大切な人を亡くした「悼み」は悲哀、慟哭と同時に大きな喪失感をもたらす。85才の婆さんは、軽い脳梗塞後遺症から右足の痛み、痺れがあり、常に悩みの種であった。頭の中も痛みが走り、それを言葉で表すなら「頭がうなる」頭がうなるってどういうことか、と尋ねた。婆さんは「洗濯機が回っているような感じ」偏頭痛であるwifeにも聞いてみた。wifeは乾燥機が回っている感じ。頭の痛みは引かず、常にうなっているうなりの強弱は日によって違う。「痛み」「傷み」「悼み」どの「いたみ」も相手の気持ちにならないと「いたみ」が伝わらない。「うなる」は「...頭の痛み

  • いまを楽しむ老夫婦

    1883夜更かし仲の良い老夫婦がいた夫は要支援1の認定を受け介護用ベッドと手すりを借りていた妻は大腸癌の手術を受け退院した台所に立つのもやっと病弱な躰で軽自動車を運転し夫の通院付き添いや買い物をしていた老夫婦は月1回の外食とパチンコを楽しんでいた最近、夫の部屋の照明器具が故障した大家に頼み照明器具の電球を取り替え夫の部屋は明るくなったBSが映らないテレビだったので、ついでに修理してもらったBSは映画、韓国ドラマなど観たい番組が多く老夫婦して夜更かしをしているのでお天道様が明るくなってから起きている不健康な生活をしていては、と・・・・話すこともできず逆にBSが観られ、いま楽しく夜更かしをしているのですね妻は夕暮れから段々暗くなると縁石に気がつかずタイヤをぶつけたりしている縁石で良かったよ、人だったら大変なことにな...いまを楽しむ老夫婦

  • 十三病息災

    1882健康は大切なもの自分は43才のとき慢性腎不全症になり最終的には人工透析になる、と医師から告げられた自分の場合は腎不全になった原因は不明そのとき、『星の王子さま』の中に書かれていた言葉を思い出した大切なものを失って初めてその大切さを知る自分は慢性腎不全になって初めて健康のありがたみが切に感じた一病息災とはならず一つの臓器(自分の場合は腎臓)がダメ(病気)になると他の臓器に悪さが働き、また一つ病気が重なっていくひまわり🌻が咲く頃に70才になるが一病息災ならぬ十三病息災であっても病気のなかの「健康」を維持していきたい車の運転ができるうちは杖を使いながらも歩けるうちはあと、10年生きたいしかし、命は神様が決めるもの医療機関の人たちなど無数の人たちに支えられ命をいただいた自分だから、いま、自分ができることを・・・...十三病息災

  • 老い往く

    1881beagle元気も自分も老い往き生きるbeagle元気は9才あと何年生きられるか自分もわからないゆっくりしたい、と思うがあと数年働かなければならない事情がある躰と頭が「元気」ならば10年頑張りたいその後はゆっくりと過ごし海をながめたい元気も自分も老いにあるけれど繰り返す事のできない今日という時を生きる老い往く

  • 人は昔鳥だったのかもしれない

    1880空を飛ぶいま書店の棚に福永武彦の小説を目にしなくなった自宅に眠る文庫本の中から福永武彦『廃市、飛ぶ男』を手にした10年前に読んでいた「君は夢の中で空を飛んでいることはないかい」(『廃市、飛ぶ男』180頁)自分は月に1、2回空を飛ぶ夢を見る両手を広げ鳥のように羽ばたきながら飛んでいる大海や大河の上を飛ぶ夢は最高に気持ちがよく、このまま夢の世界であって欲しい、と願う彼の身体は半ば死んでいるのだ彼の両脚は、腰から下は、痺れたまま何の感覚もなく、歩くことができなくなったベッドの上で仰向けになり、かろうじて寝返りはできるベッドで寝ているだけの生活それは「生活」と呼べるのだろうか彼は身体の左側を下にして、病室の窓の方を見ることが好きだった窓ガラス越しではなく、窓を開け、空や白い雲などを見る空は黄昏になり薄暗くなると...人は昔鳥だったのかもしれない

  • 突然のくも膜下出血

    1879思いがけない・・・今日、赤いアルトのハンドルを握り在宅訪問に向かっていた。普通ならばスマホが鳴り響かない日(土曜日である)なのにバッグの中からスマホが鳴った。アルトを停車しスマホをとった。「昨日義母が入浴中、突然くも膜下出血に遭い亡くなった」、と長男嫁の言葉に吃驚。93才であった。1軒目の在宅訪問を終え、急いで向かった。お祈りし、臥床している彼女に合掌した。眠るように穏やかな表情であった。手で白髪を撫でながら、「ありがとう」と呟いた。夕方、仲良しだったデイサービスの3人の婆さんが会いに行かれる。突然のくも膜下出血

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春夏秋冬 / 老い楽の詩
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