当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます・今日は本家嫡子「久澄」さんの命日でした。関連過去記事→『今和泉島津家と永吉島津家と』・昨年初めてちゃんとお墓参り出来ました。・FBには投稿していたのですが、こちらのブログにはまた後日・我が家の庭で今年もアマリリスが花を咲かせました♪気軽に携帯からアップするつもりがちょっと勝手が悪い...もうちょっとどうにかしたい〜ではおやすみなさい😴にほんブログ村久澄さんの命日
名越左源太翁(なごや さげんた)の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史☆記事・写真の転載禁止
☆『鹿児島県史料名越時敏史料』ですが、私個人としては歴史史料としてよりも、やはり、親族としての注目・着眼点というのがあります。例えば、小林地頭に任命された頃の日記が収められた『鹿児島県史料名越時敏史料二』ですが、以前からじっくりと読んでみようと思っていましたが、今回のきっかけは、小林の郷土史に関心を持つFBFが、ある1ページを画像にアップして紹介していたことでした。その画像は『鹿児島県史料名越時敏史料三』のp.236でした。「常不止集(とことわしゅう)」(六・七・八之巻)が収められている部分です。調べてみたら、天保12年(1841年)8月19日の日記ですので、これは名越左源太時敏の父親も地頭職ということなのか、詳細はわかりません。それから、『同名越時敏史料二』を持ち出してきて、もう少し丁寧に目を通してみることに...親族目線で『鹿児島県史料名越時敏史料二』を読む
タイトルの「十三屋」というのは、昨年シリーズで紹介していた『都見物日記』で出てくる老舗の髪結い道具のお店なのです。「5月6日佐原芳どのを訪問、天王寺の吉次殿とは?」ここ↑に「十三屋という東京にて名高き櫛屋に行き、又ここにて櫛、へら、すき櫛〆て八十四銭だけ買入、‥‥云々」と出てきます。9月1日にあったBS放送の番組での再放送『神田川紀行』を観ていて、画面に映った橋の名前、何だったかなぁ?と東京のガイドブックを見たのでした。橋の名前は「万世橋」というのは分かりました。で、ふと前のページに「十三や」という「髪結いのプロが使うツゲ櫛」とあるのが目に留まり、「十三や‥‥どこかで見聞きしたような‥‥」と思ってハタと気づきました慌てて確認すると、やはり載っていたのですこれ、嬉しくて9月1日当日にFBでアップしたのですが、この...十三屋を見つけた!
以前、『島津登について』で頂いたコメントの中で、「島津務(司=つかさ)久命」という人が気になり、今頃ですがネット検索してみました。この方、曽祖父の養母・御須賀さんの最初の夫・「島津務(司)久命」だったようだ、とのこと。(「久命」の読みがわかりません「新納久命(ひさのり)」という名前があったので同様かな?)検索した結果、そこから「島津歳久」→「島津常久」→「島津忠隣」と見ていったら、「木脇祐定」の名前を見つけました。こちらは日向伊東氏の一族とのこと。この結果、「島津務久命」についてはわかりませんでしたが、自分用のメモとして取り敢えず並べてみることにします。「島津歳久」これは単に「島津」と「久」に反応してヒットした模様島津歳久(しまづとしひさ)は、戦国時代の武将。島津貴久の三男で、島津義久、島津義弘の弟。日置島津家...曽祖父の養母・須賀の前夫、島津務(司)久命とは?
2010年11月28日撮影前回に続き、これも過去に撮った画像炭床(すみどこ)、地元では「すんどこ」というのかな?そこの鎮守神社です。確か2010年当時、引っ越しからだいぶ経つのに、「そういえば、土地神様、氏神様に一度もご挨拶していないなぁ」と思い、鹿児島県神社庁に電話して尋ねたところ、ここと、黒丸神社を教えていただきました。それで父と訪ねてみたのです。県道35号永吉入佐鹿児島線を春山方面へ向かい、途中右手の道に入ります。行き着いたのは住宅の横の細道の奥まったところでした。市のコミュニティバスは近くの公民館までは通るみたいですが、そこからさらに奥に行ったところです。車で行ったので止めるスペースがかろうじてあったので良かったです。鳥居の奥の階段を登ると社殿がありました。(トップ画像)社殿の横には紀念碑がありました。...鎮守神社(炭床)
いつもお読み頂き、ありがとうございます例によって、FBにアップしたきりで当ブログにあげてなかった画像が多々あるので、ちょっと並べてみます。国道226号線を鹿児島市から南へ向かい、平川付近の左手に鳥居が見えます。2014年11月2日撮影車を降りて見てみたところ、「烏帽子岳神社御由緒」の案内と、短歌雑誌「にしき江」創刊者の歌碑がありました。「鶴田海南歌碑・昭和三十九年三月建立同さゑ歌碑・昭和四十七年九月建立」とありました。〈海南〉歌碑↓〈さゑ〉歌碑↓7年前の撮影時にはありませんでしたが、FBで最近撮影された方の画像には「鶴田正義歌碑」が写っていました。新しく建立されたのだろうと思います。今、「にしき江」で検索したところ、HPのTopicsにありました!平成27年3月28日に除幕式があった模様です。実は亡き母が一時期...歌誌「にしき江」創刊者の歌碑と烏帽子岳神社の鳥居
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当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます・今日は本家嫡子「久澄」さんの命日でした。関連過去記事→『今和泉島津家と永吉島津家と』・昨年初めてちゃんとお墓参り出来ました。・FBには投稿していたのですが、こちらのブログにはまた後日・我が家の庭で今年もアマリリスが花を咲かせました♪気軽に携帯からアップするつもりがちょっと勝手が悪い...もうちょっとどうにかしたい〜ではおやすみなさい😴にほんブログ村久澄さんの命日
皆さま、お久しぶりでございます。昨年10月以降、すっかりご無沙汰しておりました。年も変わり5ヶ月も経って、庭には白い水仙の花が賑やかに咲いています。八重咲きの水仙香りも良いですこちらは💁🏻♀️鈴蘭水仙スノードロップと間違われる事もあるようですメールで1年前投稿した記事の案内が届き、そろそろ更新しなければ!と思ったところでございます。ちなみに昨年の今日の記事はこちら↓郡元墓地の川上家累代合葬墓など('08.12.6撮影)-☆☆ゆきのおとYuki'sNote♪☆☆以前「郡元墓地」について書いた記事を検索していて、後日アップする予定で2年近くもそのままになっていた物があることに気付きました。・ここです↓『歴史探訪時系列...gooblog昨年はその前年11月から20年ぶりくらい...水仙の庭
4月に書いたきり、久しぶりの記事更新。夜中3時に左脚が攣り、目が覚めた。いつものことで、脚三里と足首に湿布を貼って対処。その前に2時ごろ喉の渇きで目が覚め、一度起きていたので、この時点で二度寝からの目覚め。いつもはノートパソコンで書くのだけど、laptopを開くのも面倒なので、スマホにgooblogアプリをダウンロードして、初めての投稿と相成りました。で、つらつらと思うところを徒然に書いてみようと思い、「つらつら」を電子辞書で引いてみたら幾つか並んでいた。「つらつら」...1、「滑滑」...なめらかな様。つるつる。いや、これじゃないな。次、2、「熟ゞ・◯(人偏に青)ゞ」......つくづく。よくよく。念入りに。う〜ん、これもちょっと違うかな🤔「つらなむ(列並む)」...連ね並べる。など引い...つらつらと
当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございますきょう夕方のニュースを見ていたら、鹿児島市磯の仙巌園で「曲水の宴」が催されたとのこと。父と見に行ったのは5年前のことでした。『仙巌園曲水の宴2018』さて、勝手ながらしばらくの間、コメント欄の書き込みを閉じさせて頂きたく、よろしくお願い致します。カテゴリー欄も順序を入れ替えて少し見易くしてみました(スマホでの表示はどうなのか確認していませんが‥‥)今後もお時間ある時には遊びにおいで下さいませ画像はいずれも2009年1月15日に撮ったものですにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村気付けば「曲水の宴」の頃
以前「郡元墓地」について書いた記事を検索していて、後日アップする予定で2年近くもそのままになっていた物があることに気付きました。・ここです↓『歴史探訪時系列インデックス』(2017-08-13)カテゴリー インデックス(主なイベント)ここに自分で書いておきながら、すっかり忘れていました。「☆(2008年の)12月6日には郡元墓地の『篤姫の父上・母上のお墓』を訪ねたことも。(2018年3月11日に日記アップ)実はここを時成さんのご子孫・U氏に教えて頂いた後、もう一度父を連れて訪ねてみたのがこの日でした。その際には、曽祖父・轟の姉イサさんが嫁いだ川上家のお墓を撮影したので、後日アップ予定です(以上、2021年4月9日追記)」2008年12月に訪ねた際に撮った、と書いてあるけど、写真の画像情報を見ると「2011...郡元墓地の川上家累代合葬墓など('08.12.6撮影)
当ブログへのご訪問、ありがとうございます先月24日、全国的に大寒波でしたが、鹿児島でも積雪がありました。記録として翌朝に撮った画像をアップしておきます。・外は寒い上に積雪で玄関から庭へ回る事も出来ません。家の中から撮ったものです。・1月25日は朝から晴れていましたが、我が家の前の道路には日が当たらず、放っておいたらいつまでも雪が融けません。なので、通りを歩く人が滑らないようにと、スコップで雪かきしました。・水道管が凍らないようにと、台所や洗面所の水を細〜く流していたので大丈夫だったのですが、ボイラーが使えなくてお湯が出なかったのです。。外の水道にもタオルを巻いたりしていたのですが、それでも凍結したらしく、午後になってお湯を出してみたところ、ボイラーが復活‥‥と思った途端!外の水道管が破裂して水がバシャバシ...雪、最強寒波襲来!('23.1.24~25)
当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます前回はちょっと遅めの今年の初投稿で照國神社参拝をあげました。今回は1月22日に初めて参拝した「谷山神社」です。御祭神は南北朝時代に谷山氏と所縁のある「懐良親王」(かねながしんのう、「かねよし」とも)なので、古い神社かと思っていましたが、調べてみたら、創建は昭和3年とのことでした。撮った画像を時系列で並べることにします。「谷山神社」は鹿児島市の南部、谷山地区にあります。谷山は以前は谷山市でしたが、現在鹿児島市となっています。地域の方には親しまれている神社と聞きます。神社へ車で向かうと、駐車場に止めてまず目に入ったのは‥‥、この「松方正義頌徳(しょうとく)碑」でした。なぜ、ここで松方正義なのだろう??‥‥と思いつつ、先...谷山神社を初参拝('23.1.22)
当ブログへのご訪問、ありがとうございます年が明けてずいぶん経ちましたが、今年もよろしくお願い致します。1月7日の七草祝いの日に、照國神社へご挨拶に参りました。駐車場に着くと、早速猫さんが現れ、島津忠義公の銅像を見上げて、いるのかな?もう一匹やって来て、同じく立ち止まり、2匹とも柵の向こうへ消えました駐車場には結構車もありましたが・・・(?)、すでに夕刻だったので訪れる方で混み合うこともなく、ゆったりとした雰囲気。こういう時間も好きです♪境内はこんな感じ。参拝後おみくじ引いて、かごしま暦と交通安全のお守り、それに破魔矢をいただき帰りました。帰り着く頃にはすっかり暗くなり、夜空には月が今年の七草の月は満月でした。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村七草の日に照國神社参拝('23.1.7)
拙宅ブログへのご訪問、ありがとうございます画像は昨年11月末に霧島神宮で撮ったもの〈関連記事〉→『霧島神宮誌で歴代宮司名を確認』(2021-11-30)カテゴリー:永吉島津家この2ヶ月ブログ更新をしていませんでしたが、「働かざる者食うべからず」というか、生活の糧を得るための仕事を幸運にも見つけることが出来て、仕事第一で専念しておりました。ようやく環境にも馴染んできたところです。さて、大晦日です。今年の1月にはブログに何を書いていたっけ?とチェックしてみたところ、→『平山矢九郎季徳とは?』(2022-01-13)カテゴリー:爲恵祥院殿菩提石塔1月11日に照國神社で引いたおみくじが「大吉」で、「開運招福お守り」に入っているラッキーチャームは打ち出の小槌の「小槌」だったと書いてありました。ひょんなことでタイミン...年の終わりは20年ぶりの仕事復帰
いつもお読みいただき、ありがとうございます我が家の楓、夏場に葉も縮れてみっともなかったのでバッサリ剪定したのですが、その後に出てきた葉がちゃんと紅葉してくれました(画像は今月7日に撮影)さて、今年もあと2ヶ月となりつつありますが、来年の手帳・カレンダーを入手された方も多いと思います。私も少し前に、カレンダー形式の月別卓上ノートと、見開き1週間形式の手帳を購入しました。今年使ってきた手帳も残りわずか、近いところで12月1日の高祖母の命日を書き込んでいた時に、ふと、「名越タネさんは、夫・泰藏亡き後、誰と暮らしていたんだろう??」と思ったのです。高祖父・泰藏(名越時敏)は明治14年6月16日に亡くなっていますが、その後26年と5ヶ月半は、誰とどのように暮らしていたのか‥‥。長男・時成さんは宮崎県高鍋で4年後の明...高祖母・タネの晩年は?
拙宅ブログへのご訪問、ありがとうございます本日放送のNHK『英雄たちの選択』で町田久成にスポットを当てた「日本の宝を守れ!町田久成・博物館創設への挑戦」が放送になる前にと、久しぶりに町田家の墓を訪ねてみました。・町田家の墓所に最初に偶然であったのは、2013年5月22日のことでした。これについては以前、2017年の5月8日の日記に書いています。・『町田家墓地(石谷)』(2017-05-08)写真もいくらか撮りましたが、PCやデジタル機器の容量などの問題で画像をアップしづらい状態なので新たな画像はガラホで撮った入り口の表示のみです・夕暮れ近くだったので、静かな空気の中でゆっくり見て回れました。ヤブ蚊にも刺されてしまいましたが(笑)虫除け、塗っていくべきだったなぁにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほ...久しぶりの町田家墓所訪問(日置市石谷)
いつもお読みいただき、ありがとうございます2017年にFacebookを始めて、そちらに記事をアップすることも増えたので、あとから見返してみて「ブログ記事になってない!」ということも多々あるのですが、この桐野利秋誕生地跡を訪ねたことも当ブログには書いていませんでした・・・ということで本日、2018年1月の日記↓としてアップしましたのでどうぞご笑覧ください『桐野利秋誕生地を訪ねて』(2018-01-22)カテゴリー:別府晋介&桐野利秋では〜2018年1月桐野利秋誕生地を訪ねてみた記録
いつもお読みいただき、ありがとうございます6年前に書いた記事『曾祖父・轟の名を台湾のサイトに見つける』(2016-09-12)カテゴリー 曾祖父・轟のことこの記事に貼っていた「国立台湾師範大学」のサイトのリンク先が見られなくなっていたので、先ほど探してみたところ、というサイトで見ることが出来ました「篇名」というのは何でしょうか『澎湖白沙地區的社會與經濟變遷』となっていました。作者:王右邦出版年月:2007年「出版品名称」が『臺灣師範大學歷史學系在職進修碩士班學位論文』で、指導教授の名前も表示されています。この論文の「参考文献」一覧に曽祖父・轟の書いたものが上がっています。画面をスクロールすると結構下の方にあります↓↓↓「栗川轟(陳春暉譯)(1939)1999〈一百零二年前澎湖之水產業概況(原名:〈四十二年...曽祖父が残した明治30年の澎湖の水産業レポート
今夜はちょっと趣向を変えて‥‥DavidBowieの1983年のライヴ映像を観てるのだけど、私にとってのボウイは70年代の曲がほとんどで、80年代に入ったら、「何だか‥‥ちょっと、違うよなぁ‥‥」と思って聴かなくなった。そんな中、聴き馴染みのある曲がかかった。70年代の曲っぽく思っていたこの曲、♪AshestoAshes1980年のアルバム『スケアリー・モンスターズ』に入ってる曲だったっけ?!このアルバム、持ってたかなぁ?明日確かめてみよう。意外な発見があった夜でした。では、お休みなさい(↑上のリンクはライヴ音源。こちらのとは別物です↓)(ビックリ和訳)デヴィッド・ボウイ-AshestoAshes-DavidBowie「デヴィッド・ボウイライブインバンクーバー1983」
昨日、FBにも書いたのですが、以前このブログで書いた記事の画像を目にして、あることに気づきました。『小松帯刀清廉の誕生日に』(2020-12-03)カテゴリー 曾祖父・轟のこと以下、FBで投稿したものをそのまま載せておきます。===================今日(8月3日)、拙宅ブログでこの6時間以内に読まれた記事リストを見て、その中の一つをチェックしてみたところ、その中の画像から気付いた事がありました。記事タイトルの「小松帯刀の誕生日」はこの際関係ないのだけど、『鹿児島県史料名越時敏史料一』のp.74に文久二年(1862年)の正月の名越家の家族構成を書いてあり、よくよく見てみると、その中で「文化二年乙丑八月三日誕生於枝様一母上様御歳五十八歳」とあるのです!それに気付いたのが今日、8月3日とは‥‥。...「於枝様」に気付いた話
今日は記録がてら、本の紹介です一昨日のこと、午前中にFBをチェックしたら、歴史関連のグループでご自身の本の紹介を投稿された方の画像の一つに、名越(なごし)護さんによる書評(推薦文)が書かれていたのですが、その名越護さんの紹介に著作としてこの『新南島雑話の世界』が載っていました。「新‥‥?!」と思い早速検索かけたら、某通販サイトに今年の5月10日発行とあり、最近出されたばかりの本があったことに気付きました。(ただし、購入後に奥付をみると、4月20日発行とありました)『南島雑話の世界』の続編とのこと。その日のうちに、早速近所の書店に買いに行くと、1冊、ありました支払いの時に、つい、「ここに載ってるのは先祖が書いた本なんです。曽祖父の父親なんです。」と話してしまいました。カウンターの青年は驚いたように「あぁ、そ...『新南島雑話の世界』
いつもご覧いただき、ありがとうございます私はブログを書くのも読むのもPCを使うのですが、スマホだと読みにくかったりしないだろうかといつも気にしつつ、つい長々と書き、画像も大きいものにしてしまいがちです、、、今時はスマホでご覧の方も多いかもしれませんね。PCで見ると、「このブログの人気記事」という表示があり、今日は『福昌寺跡の島津家墓地に』(2018-03-20カテゴリー 歴史探索)が5番目に上がっていました。ありがたいことですで、どんなこと書いていたっけ?と、読んでみたところ、そこにある画像について、「「島津安藝忠剛」と「島津山◯忠厚」こちらも今和泉島津家。忠剛は、忠冬の父で篤姫の父でもありますね。※写真で見るだけでは山◯がよくわかりません‥‥あとで調べてみます。」と書いていました。画像が小さく、またこの...島津重豪の娘・敬姫
皆さま、おはようございます以前、『維新のふるさと鹿児島ウォークin2008(1)』(2017-09-19カテゴリー 維新のふるさと鹿児島ウォークin2008)で「関勇助誕生之地」の画像を貼って紹介していますが、この一帯を歩いて回った2008年当時はほとんど知らないことだらけでした。画像を後で見直す中で「関勇助誕生之地」に関しても、説明板を読んではみたものの、当時はあまりピンときていませんでしたが、この「関勇助」という人物は斉彬公が最も信頼を寄せていた方なのだということです。改めて調べてみると、「かごしま市観光ナビ」に観光スポットとして紹介されているようです。2008年に撮っていた案内板(下の画像)の説明をより詳しく紹介しています。【関勇助】(せきゆうすけ)生没年不詳名は広国、南塘と号した。城下高麗町(現・...関勇助誕生の地
いつもお読みいただき、ありがとうございます今回は、玉里島津家2代・島津忠済の墓所です。案内図には「久光男子」とあります。☆玉里邸は斉興公が隠居後に暮らし、ここで生涯を閉じたと『島津歴代略記』にもあるので、初代は斉興公かと思っていたところ、Wikiで確認したら、明治4年に分家して出来たのが「玉里島津家」とありました。Wiki(上記の各リンク)に詳しくあるので、そちらをお読みいただくとして、ここでは写真を並べることにします。今回の写真は2018年6月13日に撮ったものです。福昌寺墓地の東側の石塀。手前の入口へ。島津忠済墓所入口の門扉です。福昌寺墓地へのメインの入口よりも右手にこの門扉があります。中へ入ってみます。「従一位勲一等公爵島津忠済卿・田鶴子墓」大正五年二月とあります(Wiki情報によると、忠済卿は大正...玉里2代・島津忠済の墓所
今回は19代・島津光久公の墓などの画像です。☆19代・光久公は「初代藩主・島津家久」の二男。なので「第2代藩主」ということですね。以前撮った写真は、光久公のお墓を意識して撮ったものではありませんでした。この画像は光久夫妻の墓があるあたりを区画入り口から撮ったもので、中央に写っているのは「20代島津綱貴」の墓です。また、19代・光久公の長男が島津綱久様で、綱久夫人・真修院殿との長男が20代・綱貴公ということになります。☆20代・綱貴公のご両親の墓(画像左:真修院殿、右:島津綱久様)は、継豊公の墓所の後方に。・こちらは継豊公の墓石の背面を撮った際に光久公夫妻の墓所が写り込んだもの(画像左端の2基)「綱久夫妻」と「光久夫妻」、案内図で確認してみます。☆『吉貴公の祖父・島津綱久墓など』(2022-07-03)で、...19代・光久公などの墓所
当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございますきょう夕方のニュースを見ていたら、鹿児島市磯の仙巌園で「曲水の宴」が催されたとのこと。父と見に行ったのは5年前のことでした。『仙巌園曲水の宴2018』さて、勝手ながらしばらくの間、コメント欄の書き込みを閉じさせて頂きたく、よろしくお願い致します。カテゴリー欄も順序を入れ替えて少し見易くしてみました(スマホでの表示はどうなのか確認していませんが‥‥)今後もお時間ある時には遊びにおいで下さいませ画像はいずれも2009年1月15日に撮ったものですにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村気付けば「曲水の宴」の頃
以前「郡元墓地」について書いた記事を検索していて、後日アップする予定で2年近くもそのままになっていた物があることに気付きました。・ここです↓『歴史探訪時系列インデックス』(2017-08-13)カテゴリー インデックス(主なイベント)ここに自分で書いておきながら、すっかり忘れていました。「☆(2008年の)12月6日には郡元墓地の『篤姫の父上・母上のお墓』を訪ねたことも。(2018年3月11日に日記アップ)実はここを時成さんのご子孫・U氏に教えて頂いた後、もう一度父を連れて訪ねてみたのがこの日でした。その際には、曽祖父・轟の姉イサさんが嫁いだ川上家のお墓を撮影したので、後日アップ予定です(以上、2021年4月9日追記)」2008年12月に訪ねた際に撮った、と書いてあるけど、写真の画像情報を見ると「2011...郡元墓地の川上家累代合葬墓など('08.12.6撮影)
当ブログへのご訪問、ありがとうございます先月24日、全国的に大寒波でしたが、鹿児島でも積雪がありました。記録として翌朝に撮った画像をアップしておきます。・外は寒い上に積雪で玄関から庭へ回る事も出来ません。家の中から撮ったものです。・1月25日は朝から晴れていましたが、我が家の前の道路には日が当たらず、放っておいたらいつまでも雪が融けません。なので、通りを歩く人が滑らないようにと、スコップで雪かきしました。・水道管が凍らないようにと、台所や洗面所の水を細〜く流していたので大丈夫だったのですが、ボイラーが使えなくてお湯が出なかったのです。。外の水道にもタオルを巻いたりしていたのですが、それでも凍結したらしく、午後になってお湯を出してみたところ、ボイラーが復活‥‥と思った途端!外の水道管が破裂して水がバシャバシ...雪、最強寒波襲来!('23.1.24~25)
当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます前回はちょっと遅めの今年の初投稿で照國神社参拝をあげました。今回は1月22日に初めて参拝した「谷山神社」です。御祭神は南北朝時代に谷山氏と所縁のある「懐良親王」(かねながしんのう、「かねよし」とも)なので、古い神社かと思っていましたが、調べてみたら、創建は昭和3年とのことでした。撮った画像を時系列で並べることにします。「谷山神社」は鹿児島市の南部、谷山地区にあります。谷山は以前は谷山市でしたが、現在鹿児島市となっています。地域の方には親しまれている神社と聞きます。神社へ車で向かうと、駐車場に止めてまず目に入ったのは‥‥、この「松方正義頌徳(しょうとく)碑」でした。なぜ、ここで松方正義なのだろう??‥‥と思いつつ、先...谷山神社を初参拝('23.1.22)
当ブログへのご訪問、ありがとうございます年が明けてずいぶん経ちましたが、今年もよろしくお願い致します。1月7日の七草祝いの日に、照國神社へご挨拶に参りました。駐車場に着くと、早速猫さんが現れ、島津忠義公の銅像を見上げて、いるのかな?もう一匹やって来て、同じく立ち止まり、2匹とも柵の向こうへ消えました駐車場には結構車もありましたが・・・(?)、すでに夕刻だったので訪れる方で混み合うこともなく、ゆったりとした雰囲気。こういう時間も好きです♪境内はこんな感じ。参拝後おみくじ引いて、かごしま暦と交通安全のお守り、それに破魔矢をいただき帰りました。帰り着く頃にはすっかり暗くなり、夜空には月が今年の七草の月は満月でした。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村七草の日に照國神社参拝('23.1.7)
拙宅ブログへのご訪問、ありがとうございます画像は昨年11月末に霧島神宮で撮ったもの〈関連記事〉→『霧島神宮誌で歴代宮司名を確認』(2021-11-30)カテゴリー:永吉島津家この2ヶ月ブログ更新をしていませんでしたが、「働かざる者食うべからず」というか、生活の糧を得るための仕事を幸運にも見つけることが出来て、仕事第一で専念しておりました。ようやく環境にも馴染んできたところです。さて、大晦日です。今年の1月にはブログに何を書いていたっけ?とチェックしてみたところ、→『平山矢九郎季徳とは?』(2022-01-13)カテゴリー:爲恵祥院殿菩提石塔1月11日に照國神社で引いたおみくじが「大吉」で、「開運招福お守り」に入っているラッキーチャームは打ち出の小槌の「小槌」だったと書いてありました。ひょんなことでタイミン...年の終わりは20年ぶりの仕事復帰
いつもお読みいただき、ありがとうございます我が家の楓、夏場に葉も縮れてみっともなかったのでバッサリ剪定したのですが、その後に出てきた葉がちゃんと紅葉してくれました(画像は今月7日に撮影)さて、今年もあと2ヶ月となりつつありますが、来年の手帳・カレンダーを入手された方も多いと思います。私も少し前に、カレンダー形式の月別卓上ノートと、見開き1週間形式の手帳を購入しました。今年使ってきた手帳も残りわずか、近いところで12月1日の高祖母の命日を書き込んでいた時に、ふと、「名越タネさんは、夫・泰藏亡き後、誰と暮らしていたんだろう??」と思ったのです。高祖父・泰藏(名越時敏)は明治14年6月16日に亡くなっていますが、その後26年と5ヶ月半は、誰とどのように暮らしていたのか‥‥。長男・時成さんは宮崎県高鍋で4年後の明...高祖母・タネの晩年は?