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ゆきのおと Yuki's Note ♪
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https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35
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名越左源太翁(なごや さげんた)の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史☆記事・写真の転載禁止
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88回 / 365日(平均1.7回/週)

ブログ村参加:2017/03/18

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名越 幸(なごや ゆき)←本名ではありませんさんの新着記事

1件〜30件

  • 若宮神社の恵比寿さま

    若宮神社の画像、改めて眺めていて気づいたことなどを書いてみます。以前、記事に書いていますが、『若宮神社~篤姫生誕地~春日神社界隈を散策(mixi日記より)』(2008.1.25カテゴリー「若宮神社」)何となく気になって撮っていた恵比寿さまがありました(↑トップ画像)なぜ若宮神社に恵比寿さまが?と思って、「若宮神社由緒沿革」を読むと、明治初年までは「若宮八幡宮」と呼ばれていたようです。(参考までに)→「八幡宮」「神社の分類と神様の系統」祠の横、この左側の石塔↓の中に居られますフォトチャンネルも作ってはいたのですが、ブログ記事としては画像が少なくて不完全燃焼というか、画像を紹介したりなくて改めてアップしたいと思ったのです「若宮神社」は画像上部中央↓近くには春日神社もあります。こちらはまた次回に若宮神社の恵比寿さま

  • 庭の四季 2021 9月

    いつもご覧いただき、ありがとうございます今日はここで少し趣向を変えて今の時期の庭の画像などを並べてみようと思いますこちらの塀側には朝日が当たらないので、デュランタが今頃になって咲いています。咲いた後は黄色い数珠の玉のようになります。こちらでは季節外れの紫陽花が咲いています。母が好きだった(と思う^^;)アメジスト・セージ。いつの間にか庭から無くなっていたので、苗を買ってきて直植えにしたら大きく育って花をつけてくれました。これはアメリカ芙蓉、かな?(真ん中に伸びているのは花海棠の幹)紅葉も少しずつですが色づいてきました。金柑の木、思い切って剪定したら、いつの間にか緑の葉が繁ってきました。大きく繁って剪定するのも大変だった銀木犀も6月にバッサリ切り戻してもらいましたが、その頃からするとだいぶ枝葉が蘇ってきました。←...庭の四季20219月

  • 9月、命日と誕生日もいろいろ

    5年前に作った「家族・先祖の生没年月日専用ダイアリー」↓ですが、『2016年4月のあれこれ及び、先祖の生没年月日専用カレンダー式手帳完成!』(2016.4.23)今も役立てています。で今月、9月には誕生日や命日が割に多いのです。7日は、父の長姉の命日(2009年、96歳没)で、15日は町田久成(一時期曽祖父の次姉の夫だった)の命日だったり、同日は父の伯母(明治9年生まれ、吉野・実方の川上家)の誕生日だったりします。また、22日は伯母(父の義姉、旧姓津曲、1984年没)の命日24日は曽祖父・轟の実兄・名越時成(なごやときなり薩摩藩英国留学時の変名:三笠政之介)の誕生日(弘化四年=1847年生まれ)さらに江戸時代の旧暦ながら、第22代・島津継豊公の命日が九月二十日(宝暦十年=1760年、磯別邸に没、六十歳)その父で...9月、命日と誕生日もいろいろ

  • 父の没後100日目の墓参とワクチン接種

    今日は2回目のワクチン接種の予約日。午後2時半に予定していたので、それまでに父母の墓参りに行ってきました。少し雨に降られたものの、無事済ませてワクチン接種会場へ。9時間経って、別段変わりはなく安堵しています。昨日は昨日で、父の次兄が建てた、曽祖父母以下が眠る父方の先祖の墓へ。市営墓地ですが、がけ崩れの跡らしきものが見られました。ブルーシートをかけてあったので目についたのですが、我が家の先祖が眠る墓所からは少し遠く、どの程度か、道路を通れるのかはわかりませんでした。市内の北部、遠くの方では雨の柱も見られました。帰る頃にはすっかり暗くなってしまいました^^;古い墓所なので、法面の蔦がひと月の間に伸び放題!次は鎌と鍬を持って草刈りに励まなくてはならないようです‥‥。お盆の頃には墓所の方で法面もカットされていたのですが...父の没後100日目の墓参とワクチン接種

  • 西郷家墓地へ(2018.3.9)

    前回記事で、石敢當(せっかんとう)の画像を探していたら、この写真を撮った2018年3月9日の出来事をブログに書いていないことに気づきました。なぜかな?と考えるに、この頃はあちらこちらを探索し、画像処理や記事のアップで忙しく、このブログでも2018年3月をチェックすると、だいぶ前に幾島様のお墓を訪ねたことをアップしていたり→『幾島君招魂墓(鹿児島市)』FBでもその日あった出来事をアップしたりと、とにかく忙しかったようです(笑)で、3年前の3月、この日は父と、市内の常盤町へ西郷家墓地やその他気になっていた石碑などを探しに出かけたのでした。ちょうど大河ドラマ『西郷(sego)どん』が放送中でもあり、墓所があると聞く常盤町は、小さい頃に母の妹家族が住んでいたし、兄弟揃って書道教室へ歩いて通ったりして昔から馴染みのある場...西郷家墓地へ(2018.3.9)

  • 石敢當(せっかんとう)から都城島津家、更には北郷氏へ

    いつもお読みいただき、ありがとうございます(画像は以前、鹿児島市内の常盤町で写したもの)さて、FBの歴史を語るグループで昨日話題に上ったのが石敢當(せっかんとう)でした。沖縄や鹿児島ではよくみられるもので、「中国から入ったのでは」とか「琉球から」と話題になったことから、私は「唐人町」のある都城あたりも関係するのでは?と、以前購入していた佐々木綱洋氏の『都城唐人町』や『都城島津家墓地』をめくってみたのです。すると、前回書いた北郷家について、『都城島津家墓地』の冒頭、第1章第1節に「北郷氏と都城島津家」と題して詳しく書かれていました。ただ、以前は「和泉(今和泉)島津家」に関するところに興味があり、北郷家については気になりつつも、詳しいところまでは読んでいませんでした。北郷家は川内の平佐北郷家もありますが、都城島津家...石敢當(せっかんとう)から都城島津家、更には北郷氏へ

  • 島津氏と北郷氏と禰寝氏の沼へ

    昨日はちょっと歴史沼にまたハマってしまってアップアップしていました。Wiki情報ですが、「広大院(茂姫)」の母親で、島津重豪の側室「慈光院(市田氏お登勢の方)」の弟、「市田盛常」から始まって、重豪から「近思録崩れ」「樺山久言」→「島津忠貫」→「島津忠紀(重富家)」→「島津貴儔」☆貴儔の娘・都美は島津久門(のちの重年)の正室。第8代藩主・島津重豪と「佐土原藩主・島津忠持」の外祖父、及び第11代将軍徳川家斉の御台所・茂姫の曽祖父にあたる。(Wikiより)で、「島津忠持」…日向国佐土原藩9代藩主。島津宗家の島津重豪の従弟であり、義理の甥である。→その父「島津久柄(ひさもと)」また、島津重年は島津継豊の次男として鹿児島城で生まれ、加治木島津家当主・島津久季の養子となる。なお、継豊と母・登免(○松院殿)との子は重年(幼名...島津氏と北郷氏と禰寝氏の沼へ

  • 『古の遺愛』繋がりで「伊集院俊矩」の名を知る

    先日、当拙ブログのアクセス状況をチェックすると、「アクセスされたページ」の中に『「古の遺愛」とは?』が上がっていたのです。記事の中の何かが検索でヒットしたか何かなのでしょうけど、何を書いていたか自分でも見直してみたんです。で、ここに貼ってあったリンク先を久しぶりに読み直してみたところ、最初の項「一「古の遺愛」について」にあった「伊集院俊矩」という人物が気になったわけです。この伊集院俊矩という人は「宗信の傳育役」で、「その事績を収録した「伊集院俊矩言行集」も篤烈(=名越左源太時敏)は書写している」とありました。そこで「伊集院俊徳」で検索したところ、『第七部鹿児島の金石文』という、鹿児島市のHPの史料がヒットしたので、このPDFのどこにこの名前が載っているのか探してみました。すると、ページ「七六一〜」の「17.福昌...『古の遺愛』繋がりで「伊集院俊矩」の名を知る

  • 浄光明寺と南洲墓地 in 2018

    今日もご覧いただきありがとうございますさて、これまで島津吉貴公や竹公園のことは記事にアップしていましたが、☆郷土史探訪の日々<1.西郷南洲顕彰館~竹公園(mixiアルバムより)☆西郷南洲顕彰館と竹公園☆「西村天囚」からの「島津吉貴の時代」先日の南日本新聞の桐野作人さんのシリーズ記事『かごしま街道見聞記』【29】で、「浄光明寺」の名前が上がっているのを知り、このブログ内で検索してみたところ、2017年6月25日の『西郷南洲顕彰館と竹公園』の1件だけでした多分FBでアップしたことで、このブログにも残したつもりでいたようですと、いうことで、今頃ですが3年前に訪ねた時の画像をアップしたいと思います画像は全て、2018年3月30日撮影浄光明寺、場所はどこかというと、南洲顕彰館の駐車場から南洲墓地の入り口鳥居へ向かう途中、...浄光明寺と南洲墓地in2018

  • 歴代藩主の母親は?

    いつもお読みくださって、ありがとうございます※トップ画像は何年か前の曲水の宴を見に行った際に撮った仙巌園からの桜島さて、これまでに随分と限定的ながら島津のことなど一通り書いてきたので、もう書くこともあまり無いかな〜と思っていたのですが‥‥。ひょんなことから、俄然、書きたいことが出てきたのです今朝、目が覚めて何となく考えたのが、鹿児島で名越家を起こすきっかけになった、お須磨さん(月桂院殿)と吉貴公のことや、嫡子・継豊公のこと、それから重豪公の母・都美さん(正覚院殿)が継豊公の弟・島津貴儔の娘であり、貴儔さんもまた、お須磨さんが産んだ子であること、などなど、これまでに知り得たことの思い起こしでした。※画像は随分前にメモしたものです。文字がひどいよくよく考えるとそれまで読みこなせずにいた『島津貴久』(新名一仁著)を改...歴代藩主の母親は?

  • TOKYO2020が終わる

    PCでご覧の方で、文字が読みにくい時は枠外左の「文字サイズ変更」の「大」をクリックしてくださいね。さて、今日でオリンピック競技も終わり。父が亡くなって2ヶ月、東京オリンピックがあることで随分救われたかも知れない。思えば、6月は諸々の手続きで過ぎて行き、7月に入ると大相撲中継が始まった。いつも父とテレビで楽しんでいたけど、習慣的にもひとりで観ていても楽しめた。で、その大相撲も千秋楽だなぁ‥‥と思っているところで東京オリンピックが始まった。特に注目している競技があったわけではないけど、ひとりで居ても気が紛れたことも確かだし、元来スポーツ観戦は好きだからどの競技も興味深く楽しめた。日を追ってオリンピック競技でいろんな選手がそれぞれに頑張っている姿を目にして、元気をもらえた。ソフトボールの日本優勝、卓球混合ダブルスの優...TOKYO2020が終わる

  • リモート中継で五十日祭

    先月の記事で「これまで本当にありがとうございました」と書いたので、もしかしたらこのブログも終了?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。父が亡くなって50日目の先日、自宅にて五十日祭を行いました。母の十年祭(12年前)の時の神主さんにお願いして、無事に父も神様になりました。☆神棚の下の犬・猫のカレンダー写真は父のお気に入りでした(笑)これからは母や先祖の皆さんと一緒に家族の暮らしを見守ってくれることと思います。ところでこの五十日祭の時に、初めてリモート中継を経験しました。義妹が「リモートで参加しますね」と言ったのがきっかけで、どうすればリモート中継できるのか聞いたらメッセンジャーが使えると弟から教えてもらい、前日になって試してみてぶっつけ本番で、県外で離れて暮らす兄と弟夫婦と一緒に祭祀に参加することが出来て...リモート中継で五十日祭

  • ドルフィンポートの思い出、再び

    前回の投稿、父の画像を探す中で、昨年の今頃の記事を目にしたのです。『ドルフィンポートの思い出と、古地図遊び♪』(2020.6.19)鹿児島の市民・県民、県外からの観光客の皆さんの憩いの場だったドルフィンポートも今はもうありませんが、ぜひ、有効活用して欲しいところです。貝汁、美味しかったなぁ♪‥‥って、去年の記事でも書いてあった(笑)ドルフィンポートの思い出、再び

  • 皆様にお知らせです

    いつもお読みいただき、心より御礼申し上げます先月いっぱい『都見物日記』の再度のご紹介を続け、一段落したところでした本日でちょうど二週間が経ちますが、去る6月9日未明、父が他界いたしましたあと20日で95歳の誕生日、という日の午前3時前、家中で倒れ救急搬送搬送中もさまざま手を尽くしていただきましたが、搬送先の病院で午前4時16分、死亡が確認されました突然の病死(腹部大動脈破裂)でした翌日、家族葬にて静かに送りましたこれまでのご厚情に感謝致します昨年の今頃、父と史跡巡りをした際のことを記事にしていますので最後にご紹介してご報告を終わりますこれまで本当にありがとうございました『皇徳寺跡2020』『高祖父・名越左源太泰藏の命日に、皇徳寺跡へ再び』☆なお、今回のカテゴリーは「ある日の父の問わず語り」としましたお時間のある...皆様にお知らせです

  • 神戸から鹿児島へ

    いつもお読みいただき、ありがとうございますさて、「4月17日鹿児島を出帆」してからひと月と十日余り、長い旅の最後に鹿児島へ帰るイサさんたちです☆「5月28日三原氏母様も一緒に鹿児島へ」☆「5月29日船旅は、行きも帰りも・・・」☆旅の終わり昨日28日、新型コロナのワクチン接種の、父の分の予約をネットで取れました♪ちょっとのんびりし過ぎて、1回目は7月14日、2回目は8月4日となりましたが、一応ほっとしています神戸から鹿児島へ

  • 美濃丸にて帰りの船旅へ

    神戸滞在も最後となり、朝から色んなかたがおいでになったようで‥‥☆「5月26日神戸最後の夜に・・・」まずは朝方「青山と申すお方」がお話に来られ、「鈴木信弥と申すお方」も暫くお話し、九時過ぎに帰られ、程なくして「三原母様」が「西村時彦様」と御出でになり、お昼に食事・お酒などご一緒された後、午後二時には西村時彦様がお帰りになった翌日、翌々日の日記を読んでいくと、三原のお母上はイサさん達三人と一緒に鹿児島へ向かうので、西村時彦さまが送って来られた、ということだったようですね。この日はこの後も、三時過ぎには楠公社あたりを散歩なされ、雨が降ってきたので早めに宿へ戻ると、「上(カミ)の納屋の上の田尻様」も御出でになった。夕飯はこの宿で四人で食べ(ということは、イサ、イサのお姑さん、轟、三原の母様(轟の義母)の四人)、ゆっく...美濃丸にて帰りの船旅へ

  • のさん、のさん

    今日の『都見物日記』紹介は二本立て〜☆「5月24日宿屋増元、長崎の小間物屋さん」ここにも「西村時彦様」が出てきてるしw☆「5月25日神戸へ移り、布引瀑見に出掛け候」大坂に5泊して、イサさんたち三人は神戸へ移動しています令和3年の今日25日は火曜日で、何かと気忙しい雑用ばかりなり本当にのさん、のさん‥‥、でした本日はこれまで、のさん、のさん

  • ひと月ぶりに大坂で過ごす(明治の旅日記)

    今朝はだいぶ気温が下がって最低気温が14.2℃だったのには驚いたそれでも日中は気温が上がったようで27.2℃天気も良くなってやっとナスタチュームとスイートマジョラムを鉢植え出来たのでほっとしました写真撮ってないのでその画像はありません〜明治の旅日記『都見物日記』です昨日の記事で、「西村時彦」で検索しても記事が見つからなかったと書いたけど、今日の23日の日記に早速それを覆すことが載っていた(自分で書いたのにw)☆「5月23日今日は三人で大坂見物」その記事がこちらですひと月前に大坂で過ごした時の日記(タイトルにも入ってるしw)※「4月22日大坂の宿屋・増元泊、西村時彦様と道頓堀の芝居見物へ」(2020-04-22)あと一週間の旅日記ですひと月ぶりに大坂で過ごす(明治の旅日記)

  • 西村時彦さん

    いつもお読み頂きありがとうございます『都見物日記』です20日に大坂入りして宿屋「増元」泊、翌21日には久々に「三原氏母様」にもお会いしました→「5月21日和田すみ殿と再会、三原氏母様とも久々にお目にかかり上げ」☆「5月22日昼間はお買物、夜は西村時彦さん方へ」この日、西村時彦(ときつね)さん登場この日以前に書いた記事を探してみたら、『都見物日記』ではこの日が最初(この後5月28日の日記にも登場します→「5月28日三原氏母様も一緒に鹿児島へ」)そうだった?西村時彦=西村天囚西村天囚では2018年、2019年にも書いていた。ということで、以前書いた記事を並べてみます「古の遺愛」とは?(2018-02-15)カテゴリー|名越左源太と家族「西村天囚」からの「島津吉貴の時代」(2019-03-05)カテゴリー|第21代藩...西村時彦さん

  • 『明烏』つながり!?

    いつもお付き合いいただき、ありがとうございます『都見物日記』もいよいよ関西編に☆「5月20日神戸、そして大阪へ」☆「5月21日和田すみ殿と再会、三原氏母様とも久々にお目にかかり上げ」ところで21日の日記に出てくる文楽『明烏(あけがらす)』ですが、先日の『鶴瓶の家族に乾杯』(大河ドラマ『青天を衝け』所縁の埼玉・深谷の回)で笑福亭鶴瓶師匠が、故・立川談志師匠が落語会を開いた老舗旅館を訪ねるシーンがありました偶然にも、演目に『明烏』(談志師匠だったか古今亭志ん朝かは失念)が並んでいたのを観たのでした立川談志/明烏『明烏』つながり!?

  • 東京滞在も今日で終わり(明治の旅日記)

    今日はのち、深夜になり『都見物日記』、予定では17日出立でしたが、イサさんの長男・久良殿がお見えになり、この日は一日ゆっくり過ごされた模様以下、19日までの工程☆「5月17日久良さんと永岩さんと」イサさんたち、長かった東京滞在を終え、汽車で横浜へ移動☆「5月18日東京を離れ、横浜の蓬莱屋に一泊」横浜からは、帰郷途中に大阪を訪ねるために船に乗ります☆「5月19日新潟丸で横浜出帆」令和3年の日記17日の月曜日、朝顔の花が小さく咲いていた鉢植えのはまだ蕾→雨の止んでるうちに、ニオイスミレを鉢植えと地植えに19日、今日は苔むした庭を小ぎれいにしたくてホームセンターに行って平レンガを買い足してきた雨が降らない時を見計らって作業予定じゃ、また書きます〜東京滞在も今日で終わり(明治の旅日記)

  • 東京を離れる日も近くなり‥‥(明治の旅日記)

    令和3年の今日のお天気は時々、夜になってまたでした今日の『都見物日記』は2回に渡って5月16日の日記なので、同時リンクです☆「5月16日島津お染様、佐原芳殿、お出でにて」お二人ともそれぞれにおみやげ物を下さってるんですよね。最初読んだ時にはなんでだろう?と思ったのだけど、「第七章」にある17日の日記でわかりました。☆「5月16日(続き)芳殿、吉村お仙殿、そして久良殿との再会に!」そういえば、15日の日記にも「九良賀野辰彦さんお出に相成り、已(※スデ)に御出発が近寄りはせぬかと思うて参りましたとの事」とありましたものね今日は雨が上がってる間に、随分前に買っていた花の苗をようやく植えることが出来た←ニオイスミレでも、まだハーブの苗が残ってる〜梅雨があまりにも早くやって来たので大変です‥‥やれやれでは、また明日東京を離れる日も近くなり‥‥(明治の旅日記)

  • 向島、増上寺、辰様と銀座の千歳へ(明治の旅日記)

    今日は一日中でした九州北部、四国、中国地方まで梅雨入りで、3週間早いとか言ってましたね〜まずは『都見物日記』です両日とも轟は電信の事で出かけています☆「5月14日向島、堀切の菖蒲、桜馬場」向島の辺り、桜馬場、堀切の菖蒲の所には数寄屋風の座敷もずら〜っと並び、景色も最高だったようですね去年このリンク記事を書きながら、ガイドブックを読んでいたら「向島百花園を造園した人が骨董店経営の「佐原何某」という名前」だったことに驚いたのですが、果たして5月6日に登場する「佐原芳どの」と何か関係あるのでしょうか??☆「5月15日増上寺黒本尊前の通りでお買い物、夜は辰様と銀座の千歳で」これを書いて、後日「堂の前」が判明しました「辰様」=九良賀野辰彦さんは、イサ、轟姉弟の従兄弟。5月2日に登場→『「5月2日新橋松元屋から京橋区加賀町...向島、増上寺、辰様と銀座の千歳へ(明治の旅日記)

  • 5月11日 令和3年は入梅、13日には有川様と鰻を戴く(明治の旅日記)

    まずは『都見物日記』です5月11日、12日は一泊二日の日光山社参詣☆「5月11日上州日光山へ参詣」9:20京橋の宿屋から馬車で上野停車場まで→汽車で宇都宮まで→馬車で日光まで夜9時に宿屋・神山へ着く☆「5月12日日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」お天気良く宿屋・神山を早くに出ると、9時には日光を見学・参詣(12時ごろまで)日光までの道中も、両脇の杉木立ち、6〜7里(約24~28km)は松・杉も素晴らしく実に感心されたご様子その後少々雨模様日光の宿屋・神山へ戻り、昼食を摂るとすぐに馬車で宇都宮まで→午後4時には宇都宮の停車場から汽車で上野停車場まで夜7時過ぎに上野着、馬車で新橋まで、そこから三人連れで歩いて宿屋へ戻る昔の旅は大変そうだけど、その分じっくり旅気分を味わえそうです。コロナ禍の現状ではまだまだ難しいで...5月11日令和3年は入梅、13日には有川様と鰻を戴く(明治の旅日記)

  • 5月10日は御祖先のお墓参り(明治の旅日記)

    今日は一日2回、叔父のアルバムなど、重い荷物運びで疲れました〜残りは明日。明日で何とか区切りつけられそうです今日の「都見物日記」〜☆「5月10日泉岳寺、大円寺、浅草の観音へも参詣」東京訪問中のイサさんたち三人は、泉岳寺で大圓寺の名越家御祖先の墓を訪ね、草取り掃除をしてお参りしています。また、その少し下にあるという「筆どのの子供の墓」もお参りしています。浅草観音参詣や、見世物小屋で熊や人魚(!?)、お花などもみて回り、花や野菜の種なども購入した模様。では令和3年の今日は?BS放送で「プレミアムカフェ」を観ていたところ、キナノキから抽出されるキニーネがマラリアの特効薬であることを紹介していたので、思わず田代安定を思い出しました。↓こんなサイトの記事を見つけました「カルチベ-農耕と園藝ONLINE」私も田代については...5月10日は御祖先のお墓参り(明治の旅日記)

  • 5月9日は手紙つながり、ってことで

    今日は黄砂の飛来も?(トップ画像は庭で見つけた金蛇(トカゲ)さん)明治23年の旅日記はというと、、☆「5月9日轟殿は博覧会へ、佐原芳どの、山井於時様、永岩直次郎さんもご来訪」息子の精一殿から永岩直次郎さんへの手紙で、イサさんに「早く帰って来るように」と書かれていたようですこの回は「山井於時様」も「永岩直次郎さん」も気になるところですが、カテゴリー〈「都見物日記」番外編〉で改めて書くことにして今日は、亡くなった叔父が大事に保管していた古い手紙類を昨日持ち帰ったので読んでみたのですが、なんと!叔父が小学生だった頃の友人達からの手紙の束でした中学校が別々になってもやり取りしていたようで、その後高校、大学へ行ってもやり取りが続いたようです。それだけに、叔父にとって大事なものだったんでしょうね〜明日はまた叔父の部屋の片付...5月9日は手紙つながり、ってことで

  • 上野博覧会から九段坂招魂社へ(明治の日記)

    本日の『都見物日記』は☆「5月8日上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」九段坂って、あの日本武道館が近くにあるんですね!今の今まで知らんかった〜九段といえば、前の記事で書いた亡き母の弟は、武蔵野音大を卒業後、九段中学校と茗荷中学校で音楽講師をしていました。その教え子に、声楽家の鮫島有美子さんがいらっしゃいます。「鮫島有美子」オフィシャルサイト「日本コロンビア」のプロフィール素敵な方だなぁと以前から思っていましたが、叔父から「中学校の時の教え子なんだよ」と聞いたときには驚きましたすぐには信じられませんでしたが、大事にとってある年賀状やお手紙、LPレコードやCDなどを見るうちに、鮫島さんが大成されて光栄で幸せなことだったんだろうなぁ、と感慨深いものがありましたでは〜上野博覧会から九段坂招魂社へ(明治の日記)

  • 佐原芳どの、天王寺の吉次殿、からの~金杉通り!

    本日、さてさて、明治23年の「都見物日記」には何が書いてある?☆「5月6日佐原芳どのを訪問、天王寺の吉次殿とは?」「天王寺の吉次殿」も「佐原芳(よし)どの」も、相変わらずどなたなのか判明しません。「お筆どの知人」の「金杉の多田親愛さん」とありますが、「金杉」はおそらくは地名、では、どこだろう?と思い、ネット検索しました。上野の墓参の帰りに立ち寄った、とあるので、「東京台東区金杉、現在の下谷(したや)」のことでしょうね。Wikiの「地名の由来」を読むと、下谷村が先なのかと思うけど、「沿革」には↓このようにありました。1590年:領地替えで江戸に移った徳川家康により姫ヶ池、千束池が埋め立てられる。寛永寺が完成すると下谷村は門前町として栄える。江戸の人口増加、拡大に伴い奥州街道裏道(現:金杉通り)沿いに発展する。江戸...佐原芳どの、天王寺の吉次殿、からの~金杉通り!

  • 6日、7日と上野方面を訪問(明治の日記)

    のち今日は昨日に続いて、一昨年暮れに急逝した叔父(亡き母の弟)のマンションの部屋の片付けに行きますもうひと息といったところです。(叔父は声楽家で、武蔵野音大を卒業後、長年東京で暮らしていました。その後、2014年故郷に戻り、5年暮らしました。これまで書いていませんでしたが)さて、『都見物日記』は☆「5月6日佐原芳どのを訪問、天王寺の吉次殿とは?」☆「5月7日雨降りながらも、上野の博覧会に」となっております6日、7日と上野方面を訪問(明治の日記)

  • 5月の「都見物日記」はいかが?

    過去記事のインデックス作りに時間を費やしている間に、明治23年の旅日記では東京へ着いてしまってました〜(あら大変)◇前回は『明治時代の旅日記、道頓堀で芝居見物』(2021-04-29)|「都見物日記」と令和3年日記で、5月1日までの道のりをご紹介しました。今日はその続き☆「5月1日豊橋を出発、一路東へ」☆「5月1日(続き)ついに東京入り!」☆「5月2日新橋松元屋から京橋区加賀町へ宿替え麻布永坂島津氏お染様の所へ」☆「5月3日【前編】昨日の話で大笑い、歌舞伎座芝居見物も♪」☆「5月3日【後編】イサさん、団十郎の道成寺に感激!」☆「5月4日京橋の涯松田屋と申所へ」☆「5月5日今日は水天宮様の縁日で」では〜5月の「都見物日記」はいかが?

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