凡河内躬恒は、宇多の子(305)だが、冷たくも宇多は認知しなかった。 しかし、(1067)の詞書には、その宇多が内々に認知したことが、読み取れる。 (1067)法皇西河におはしましけるに 猿山かゐにさけふといふ題を 「法皇が西河にいらっしゃる時、猿が山峡に叫ぶという題を(与...
万葉集(9)は、定訓がない難読の歌とされているが、その前の歌(熟田津に…)は、斉明天皇が中大兄皇子に即位を期待して、彼女の葬儀を託す歌となっているから、それに関連しているとみて、試訓を探ってみた。 次のように、一、二句は五七と定型となっているから、万葉仮名だろう。万葉仮名は...
前の記事で、天武の父とされる舒明は、異父ということが詠われていると解説したが、では天武の父は、誰か。 (692)の参考にした万葉集(1011)を解読して、わかったことを記しておきたい。 (1011)我屋戸之 梅咲有跡 告遣者 来云似有 散去十方吉...
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凡河内躬恒は、宇多の子(305)だが、冷たくも宇多は認知しなかった。 しかし、(1067)の詞書には、その宇多が内々に認知したことが、読み取れる。 (1067)法皇西河におはしましけるに 猿山かゐにさけふといふ題を 「法皇が西河にいらっしゃる時、猿が山峡に叫ぶという題を(与...
源氏物語の相関図を見ていて、ふと、光源氏が良房に思えてきた。あれほどの好色家の光源氏なのに、正式な子が夕霧しかいないことが不審だった。光源氏は良房ではないか。 良房には、明子しか子はいない。そして、父冬嗣(桐壺院)の妻大庭王の娘(藤壺中宮)に手を出して、良世(冷泉帝)が生ま...
西行は、1118~1190年、定家の親の世代だ。北家魚名を祖とする武人の家。平清盛と同時代の武士だったが、1140年(22歳)出家した。俊成とともに、新古今の新風形成に大きな影響を与えた歌人として生きたとある。何で生活していたのかわからないが、気品ある寂寥感に魅力がある。ど...
このよをは わかよとそおもふ もちつきの かけたることも なしとおもへは この歌は、道長の歌とされるが、実際は右大将実資が自分の日記(小右記)に書き残した歌で、1018年、11歳の後一条天皇に道長の三女威子(18歳)が中宮になり、一家三后を果たした祝いの宴で詠われた。道長自...
古今集の和歌を解読する中で、初めて出くわす単語だった。「枯野」。「からの」と読み記紀に「枯野・からの」の表記がある。 ①日本書紀応神天皇五年冬十月 伊豆国に命じて造らせた。長さ十丈の船ができた。 試しに海に浮かべると軽く浮かんで速く行くことは、走るようであった。 その船を名...
古今集からずいぶん下った家康の歌を見てみる。 朝日新聞の文化欄にピーター・j・マクミランさんが紹介している。 富士の山 みねの雪こそ 時しらね 落つる木の葉の 秋は見えけり ① ①富士山の季節に合わない峰の雪だが、落葉に秋はあらわれています この歌は、伊勢物語(9 から衣...
最近、「マフィンで食中毒」とテレビであったが、今度は学校給食で小麦に「カビ毒」のニュ―スがあった。マフィンで食中毒は、ちょっと考えられないですね。マフィンで賞味期限が二日とか、ありえない!と思ったのは私だけでろうか。おいしく食べる保障は、二日というのはわかるが、それ以後食べ...
岩波文庫「魏志倭人伝」を初めから読んで、最後に「隋書」に取り掛かり、ふと、奇妙なことに気がついた。「魏志倭人伝」で意味が取れない「以北」とされる「北」と「隋書」の「多利思比孤」の「比」が同じ形に見える。これは、読者一人ひとりが確認してほしいが、同じ漢字を使っている。そのよう...
古事記の最初の部分のはじめから、ちょっと、思う所を記しておきたい。イザナギが出て来るのは前回(68)で解説した部分が最初ではなく、その前に既に記述されているから、そんなこと言っても前にちゃんと「妹」と書かれていると思った読者がいると思う。 その矛盾を、違う解読をすることで解...
883年乳母の子源益が、陽成によって撲殺されたとされる事件。 当時、陽成は、13,4歳で益は、親しい遊び友達だ。元永本(938)詞書にその真相が語られていた。仮名序での二重詠みの如くであるが、すさまじい語句の変換に迫られた。小町の和歌だが、詞書は、小町が書いたわけではない。...
(884)あかなくに またきも月の かくるるか 山の端にけて 入れずもあらなむ 業平 「まだ満足もしていないのに、早くも月が隠れるのだろうか。山の稜線が逃げて入らないでほしい(惟喬親王もまだここにいてほしい)。」 長い詞書のある業平の歌。 解説は省くが、この歌で、業平は、「...
(867)むらさきの 一本ゆゑに むさしのの くさはみなから あはれとそみる 「紫草が一本あると言うだけで、武蔵野の草は、全部が上品に見えることよ。」 説明は省くが、もう一つの意味は、 「一品である故に、光孝天皇の長男是忠親王は、いたわしいことよ。彼の母班子女王は(宇多天皇...
千利休の切腹に関して、一次資料を提示、解説してくれた。 中村修也著「千利休 切腹と晩年の真実」朝日新書 2019年 私は、利休の切腹はありえないと思っていたので、同論の本をみつけてうれしかったので、書いてみます。主な理由を三つ挙げます。 ①利休は商人。商人に(特別視したとし...
現在の多くの歴史論説は、一次資料を既存の読みで解釈して成立している。一次資料に立ち戻って点検をしてみることが必要であろう。そして、そのようにして古代史をよみがえらせようとした人がいた。 「まぼろしの邪馬台国」の著者、宮崎康平氏。アカデミアの人ではなく、経済人(島原鉄道常務...
高子は宇多期896年、東光寺座主善祐と密通したという疑いをかけられ、皇太后を外される。善祐は、伊豆流罪になった。宇多による高子の粛清だ。 拾遺和歌集巻第十五恋五(925) 善祐法師なかされて侍ける時母のいひ津かはしける なく涙 よはみなう見登 なりなゝん おなしなきさに...
古今集(909年)に続く、後撰和歌集(935年)、拾遺和歌集(984年)あたりまで、古今調は見られる。古今集の時代に生きた歌人の歌が盛られている。つまり、古今集に語られたように、正史にはない歴史が語られているとみると、この分野の再解読すべき歌の地平線が洋々として広がっている...
万葉集(9)は、定訓がない難読の歌とされているが、その前の歌(熟田津に…)は、斉明天皇が中大兄皇子に即位を期待して、彼女の葬儀を託す歌となっているから、それに関連しているとみて、試訓を探ってみた。 次のように、一、二句は五七と定型となっているから、万葉仮名だろう。万葉仮名は...
前の記事で、天武の父とされる舒明は、異父ということが詠われていると解説したが、では天武の父は、誰か。 (692)の参考にした万葉集(1011)を解読して、わかったことを記しておきたい。 (1011)我屋戸之 梅咲有跡 告遣者 来云似有 散去十方吉...
古今集の歌の中には、万葉集の歌を本歌とするものがある。万葉集の歌の読み方を決定できる貴重なケースだ。読みだけでなく、その意味の理解の手助けにもなる。 (683)は、万葉集の歌(2798)の本歌取りで、この本歌を理解することで解読ができた。 (2798)伊勢乃白泉郎之 朝魚夕...
元永本では、(649)の次に、(1108)が挿入されている。この歌は、万葉集巻11(2710)にある。内容から、説明は省くが、斉明天皇の作。「武力で重祚した」と詠んでいる。この歌に続いて、采女のかへしとして、(1109)の歌が挙げられ、「鸕野讃良の弟、健皇子は、鎌足の子で、...
(884)あかなくに またきも月の かくるるか 山の端にけて 入れずもあらなむ 業平 「まだ満足もしていないのに、早くも月が隠れるのだろうか。山の稜線が逃げて入らないでほしい(惟喬親王もまだここにいてほしい)。」 長い詞書のある業平の歌。 解説は省くが、この歌で、業平は、「...
(867)むらさきの 一本ゆゑに むさしのの くさはみなから あはれとそみる 「紫草が一本あると言うだけで、武蔵野の草は、全部が上品に見えることよ。」 説明は省くが、もう一つの意味は、 「一品である故に、光孝天皇の長男是忠親王は、いたわしいことよ。彼の母班子女王は(宇多天皇...
千利休の切腹に関して、一次資料を提示、解説してくれた。 中村修也著「千利休 切腹と晩年の真実」朝日新書 2019年 私は、利休の切腹はありえないと思っていたので、同論の本をみつけてうれしかったので、書いてみます。主な理由を三つ挙げます。 ①利休は商人。商人に(特別視したとし...
現在の多くの歴史論説は、一次資料を既存の読みで解釈して成立している。一次資料に立ち戻って点検をしてみることが必要であろう。そして、そのようにして古代史をよみがえらせようとした人がいた。 「まぼろしの邪馬台国」の著者、宮崎康平氏。アカデミアの人ではなく、経済人(島原鉄道常務...
高子は宇多期896年、東光寺座主善祐と密通したという疑いをかけられ、皇太后を外される。善祐は、伊豆流罪になった。宇多による高子の粛清だ。 拾遺和歌集巻第十五恋五(925) 善祐法師なかされて侍ける時母のいひ津かはしける なく涙 よはみなう見登 なりなゝん おなしなきさに...
古今集(909年)に続く、後撰和歌集(935年)、拾遺和歌集(984年)あたりまで、古今調は見られる。古今集の時代に生きた歌人の歌が盛られている。つまり、古今集に語られたように、正史にはない歴史が語られているとみると、この分野の再解読すべき歌の地平線が洋々として広がっている...