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ブログタイトル
貫之のこゝろ・私の元永本古今和歌集
ブログURL
https://5jnrystart.muragon.com/
ブログ紹介文
現在の伊達本「古今集」ではなく、元永本で、掛詞を解き、貫之の心、歴史の事実に迫ります。
更新頻度(1年)

7回 / 365日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2017/01/05

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くえんさん
ブログタイトル
貫之のこゝろ・私の元永本古今和歌集
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貫之のこゝろ・私の元永本古今和歌集

くえんさんの新着記事

1件〜30件

  • (56)名前考-2

    元永本古今集(270)の作者名が「きのともひら」となっている。伊達本では、「きのとものり」と訂正されている。人の名前を間違えることはまずない。明らかに、この名には何か仕掛けがあるとみるのが、自然であろう。 その前に、歌を解読してみよう。 (270)露なから をりてかささむ ...

  • (55)誦文「あめつちほし」の意味

    春 あめつちほしそら 夏 やまかはみねたに 秋 くもきりむろこけ 冬 ひといぬうへすゑ 思 ゆわさるおふせよ 恋 えのえをなれゐて 藤原有忠という人が「あめつち」の48文字をそれぞれ和歌のはじめにおいて、源順(911~983年没)に送ったところ、順が、こんどは和歌のはじめと...

  • (54)万葉仮名は意味を引きずる-(2)

    このブログ(12)で、万葉仮名が音だけのはずが、掛詞で、その意味をも表すことを説明した。 漢字からその意味をたどることは、容易であった。しかし、その反対からさかのぼって漢字にたどり着くことは、至難の業。(or 勝手な解釈?) その一例を挙げたい。 かな序p.49 …いま こ...

  • (53)百済と新羅 -2

    光仁は、百済系の血筋を式家百川らの画策を得て、皇統を新羅系から奪還することができた。しかし、まだ、聖武の血筋を引く者がおり、桓武がその最後の血族を粛清して、一応百済系王朝を完成することができた。最後の犠牲者は、早良親王で、桓武の弟とされるが、(1118)に、井上内親王の子(...

  • (52)平安時代に梅毒はあった

    芥川龍之介の短編に「鼻」という話がある。今昔物語や宇治拾遺物語を出典とする鼻の長い僧の滑稽な物語で、この鼻は、どうして長いのか、現代での診断の解説を読んだことはない。ただ、単に面白い「長い鼻のおはなし」として、設定されたのだろうか。 ショッキングなことであるが、かな序を解読...

  • (51)芭蕉ルネサンス(2)

    前回「芭蕉ルネサンス」での妄想の続きをしてみた。  旅に病で 夢は枯野を かけ巡る  1694年「笈日記」 この句は、辞世の句ともいわれ、芭蕉が死の四日前に詠んだもの。 私は、一句「病で」に引っかかる。「やんで」と読まれるが何故、「病み(自四連用形)」としなかったのだろうか...

  • (50)芭蕉ルネサンス

    芭蕉は、元禄時代、伊賀の人で、「奥の細道」など、俳句を交えた紀行文を書き、それまでとは全く違う俳諧の世界を切り開いたと言われている。 「奥の細道」は、随身を伴って、江戸深川から、5か月の旅日記。 先ず、不思議に思うのは、その費用はどこから? 彼は、何の生産性もない俳句を作る...

  • (49)山上碑の漢文

    高崎市の上野三碑が、近年、世界記憶遺産に指定された。この石碑は、7C後半から8Cにつくられたことが、文面からわかる非常に古い貴重な遺物である。 その内、山上碑は、非常に短い漢文であるので、気づいたことを書いてみたい。 熊倉浩康著「上野三碑を読む」という、私のような初心者にも...

  • (48)皇極天皇50歳の子、真人の父は入鹿!

    かな序p.18に、皇極天皇が入鹿に犯されて(?)生んだ子が、真人であるということは明白であると読める一節がある(このブログを書いた時は、読めていなかった)。皇極50歳、入鹿33歳の子ということになる。ちょっと、信じられない生理現象でもあるので、日本書紀皇極3年(真人の生まれ...

  • (47)掛詞は続くよ、定家まで。

    かな序に書いたように、女文字で書かれた歌には、必ず掛詞があり、政治歌が詠まれているというのが、和歌の常識となる。だから、一字たりとも、いじると意味が取れなくなる。この和歌の常識が保たれるのは、定家の校訂本ができるまでということになる。 定家が生まれるころ、没した小倉百人一首...

  • (46)衣通郎姫の歌

    允恭天皇8年春2月に、衣通郎姫(そとおしのいらつめ)が允恭天皇を忍んで詠んだと、日本書紀にある歌。 和餓勢故餓 勾倍枳豫臂奈利 佐瑳餓泥能 區茂能於虛奈比 虛豫比辭流辭毛 わかせこか くへきよひなり ささかにの くものおこなひ こよひしるしも (我が背子が来べき宵なり、ささ...

  • (45)女装してなどいない「土佐日記」

    「土佐日記」は、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」ではじまる。 小松英雄氏により、「女文字で」と解説された時、私は、こうした古典が完全には解読理解されていないことを知った。しかし、解説はここまでで、「男も、すなる日記」の「も」が、理解不能であった。日記は...

  • (44)名前考

    昔、人々は、地名、人名に意味をこめてなづけた。言霊信仰は、根強い。 再び、かな序に帰って、解読してみて、実感! 紀友則、貫之は、光孝天皇の子。清和期に起こった応天門の変で、伴氏、紀氏の粛清があり、清和は、光孝に頼み込んで、彼らの娘の救済(?)のため、後宮に入れてもらっている...

  • (43)枕詞「あしひきの」は百済出身の意

    枕詞「あしひきの」は、山、峰に係る。最も多く使われている枕詞であり、この「あし」は、足。名前にも多く現れる。例えば、斉明天皇の当時の諡号は、天豊財重日足姫天皇である。 「足」は、コリアンで「タリ」と発音され、二本脚のことを指している。橋という意味もあり、二股に別れた人の足の...

  • (42)さくやこのはな

    (41)で、百済と新羅との宿命的な争いをみたが、列島への進出と共に起こったことのようだ。もうこの東には、海しかない。しかし、覇権意識の強い彼らは、戦いをやめない。 口承で伝えられていたあの有名な歌は、5C頃王仁が、仁徳天皇即位を祝いで詠った歌というが、これも当時の争いを描き...

  • (41)百済と新羅

    平安時代までの政争は、どうも、新羅系と百済系の争いのようにみえる。 天武天皇は、新羅系。天智天皇は、百済系である。半島の民族の抗争は、複雑なのだが、極々単純化してみれば、その半島の抗争の果てに、敗残の支配層が、家来を引き連れて列島に避難して、この列島で支配の再構築をしようと...

  • (40)あのすばらしいかな序をもう一度。

    1100首を掛詞により、解読してみた。これは、「掛詞」で古今集は、作られているという私の仮説の証明でもある。それが、できたと思ったが、最初に解説したかな序の地の文を、掛詞で解読できていなかったことに気づいた。 余りに有名な書き出しで、その裏に、掛詞があるとは思いもしなかった...

  • (39)維斗のつもりの「伊都国」。

    古今集(1054)は、糸と名ありける男によそへていひける とはじまる。 糸=維斗(ゐと)、北斗七星のことで、天子の暗喩。 そう理解して、はじめて、この歌が、陽成の父としての立場が、「祚・天皇の位」に当たるのだが、業平は、その野望は持っていないと詠っているとわかる。 しかし、...

  • (37)「雑歌」は、雑多な歌ではない。

    古今集は、春の歌からはじまる。万葉集は、「雑歌」からはじまる。 これを「ざっか」と読んではいけない。「くさぐさのうた」だ。古今集には、第17、18に雑部がある。 くさぐさ=日(くさ=天皇)・具者。 つまり、天皇とその取り巻きの人々が詠んだ歌ということだ。 今でも、苗字が「日...

  • (17-2)早良親王は、何故出家したか。

    (17)早良親王は、井上内親王の子? のブログで北畠親房「神皇正統記」に、式家百川が、井上内親王を招き込んで、その息子早良親王を出家させたとあると、私は書いた。 百川がどう説得したのか? 躬恒の(956)の歌にその答えがある。 (956)山法師のもとにつかはしける   (凡...

  • (36)人丸は、従六位上。

    人丸は、かな序にある通り歌聖として、あがめられたが、六位と官位は低くその生涯は、多くの憶測に満ちている。伊達本では、定家は、彼を「正三位」としている。 (907)には、「此二歌は 或人云 柿下人丸かとそ云伝たる」の添え書きがある。(906)の歌と共に、作者は人丸というのだ。...

  • (35)升色紙にみる歌の不理解

    (34)で、拾遺和歌集が出された時は、歌の本意が理解されていたことをみたが、11世紀になると、書写からもその意が理解されていないことを説明したい。   写真は、升色紙の有名な古今集(613、作者は、清原深養父)の、伝藤原行成筆といわれるものを、私が臨書したもの。     い...

  • (34)拾遺和歌集にみる掛詞

    この歌集の冒頭に、壬生忠峯の歌がある。彼の歌は、評価高く、藤原公任は、作例の最高位にある歌としている。 (1)春立つと いふ許にや 三吉野の 山もかすみて 今朝は見ゆらん 春立つと=春(東宮、貞明親王)立つ(位に就く)と。 許=ばかり、許し。 三吉野の山=散(故)・吉野の山...

  • (33)脱字とされるが、掛字・万葉仮名から平かなへ-3

    秋萩帖のはじめ、二首の同じようにある脱字について解説したい。 ともに、一行目の一番下の文字が脱字とされる。私が臨書したのは、 下線部で、ともに文頭の掛字とみた。 ①安幾破起乃之多者以        あきはきのしたはい  ▢都久以末餘理處悲      「都」の左側部分が「路」...

  • (32)歌聖・人丸の歌(2)「ほのぼのと・・・」

    冒頭の仮名序の解説をした時、人麻呂の(409)のこの歌を読めていませんでした。万葉集の歌は、その訓読から、検討しなくてはいけないのだが、仮名序には、平かなで表記してあるので、この手間が省ける。この表記の通りに詠んでいたということ。万葉集の全歌について、平かな表記をしてくれて...

  • (31)「よき人のよしとよくみて…」

    古今集は、掛詞に満ち満ちている。それは、万葉集から受け継いだものだ。そこには、おいそれと、理解できない掛詞の連続。 万葉集巻第1(27)を解読します。 詞書には、「天皇 吉野の宮に幸す時の御製歌」とあるから、679年天武天皇が作った歌。 淑人乃  良跡吉見而   好常言師 ...

  • (30)漢字の威力・熟田津に船乗りせむと…

    (12)万葉仮名は、意味を引きずる でも言及したことであるが、漢字を万葉仮名として音として用いても、読者は、意味を忘れることができない。漢字は、意味を決定づける。 再び、万葉集の歌を取り上げて、その漢字の就縛から抜け出した、当時のインテリの歌を解読したい。 万葉集巻第1(8...

  • (29)業平が、文徳の母順子を毒殺

    (616)おきもせす ねもせてよるを あかしては はるのものとて なかめくらしつ おき=起き、息。 ね=寝、音。 よる=夜、寄る。 あかしては=明かしては、明し手(晴らした手段)は。 春のもの=情事のこと、→菱藻(砒霜)。 なかめくらしつ=眺め暮らしつ、中(胸中)・巡らし(...

  • (28)伊勢物語を掛詞で読むと…

    古今集の中に、業平の歌が30首も採られているが、その多くに長い詞書が添えられている。しかも、他の歌と比べられない程長い。同時代に、伊勢物語が知られており、業平は、私家集を残していなかったので、この優れた歌人の歌を引く時、伊勢物語からそのまま取ってきたように思える。 (404...

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