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ブログタイトル
日毎の糧
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/matunaga2954
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聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。
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63回 / 365日(平均1.2回/週)

ブログ村参加:2016/12/16

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日毎の糧さんの新着記事

1件〜30件

  • 床の上で心に語り、そして鎮まれ

    詩4篇「わが義の神よ、呼び掛けに答えてください。あなたは私を苦しみから解き放ってくださいました。私を憐れみ、祈りを聞いてください」(聖書協会共同訳2節)本詩も苦しみの中からの祈りである。人称が2節「私」、3~6節「人の子ら」。7節「私たち」、8~9節「私」に変わっている。先ず義なる神が苦難から解放し守ってくださるようにと祈る。「解き放ってくださる。口語訳は「くつろがせ」で「夕の祈り」といわれることから、寝床で祈る状況を伺わせて面白い。3節「人の子らよ、わが栄光の主をいつまで辱めるのか。空しいものを愛し、偽りを求めて」。苦しめている敵に悔い改めを求める4節「あなた方は知るがよい。主は忠実な人を選び、呼びかけを聞いてくださることを知れ」。主から聖別されているので、深い配慮を受け、祈りにいつも応えてくださると確信する...床の上で心に語り、そして鎮まれ

  • 身を横たえて眠り、目覚めます

    詩3篇6節「身を横たえて眠り、目覚めます。主が私を支えておられるから」(聖書協会共同訳)1節小見出し「賛歌、ダビデの詩、ダビデが息子アブシャロムから逃れたときに」。本詩は6篇まで一連の詩で、朝の詩に始まり、夕の詩(4篇)、夜の詩(5篇)、夜半の詩(6篇)となる。一節の表題のようにダビデがわが子アブサムの反逆を避けて逃走中に作った詩であるが必ずしも内容は一致しない(サムエル記下15章30節以下)2節「主よ、私の苦しみの何と多いことでしょう。多くの者が私に立ち向かい、多くの者が私の魂に言っています『あの者に神の救いなどない』と。」不信と反対の敵対者に囲まれ、神の救いなどないと侮られていると訴えている(3節9。この局面を打開させる鍵は「それでも主よ」と呼び掛ける。口語訳「しかし主よ」英訳はButYouOLord、岩波...身を横たえて眠り、目覚めます

  • 畏れつつ、主に仕えよ

    詩2篇「畏れつつ、主に仕えよ。震えつつ、喜び踊れ。」(聖書協会共同訳11節)1節「なぜ国々は騒ぎ立ち、諸国の民は空しいことをつぶやくのか」。これは1篇1、4~6節「悪しき者」への呼び掛けである。彼らは騒ぎ立ち、空しいことをつぶやき、主と、主が油注がれた者に何故逆らうのかと問い(2節)、彼らの枷を壊し、その縄を投げしてようと振舞うのか(3節)。「油を注がれた者」(マーシーアハ・メシア)は神の霊力を宿す者で王の即位の儀式で行われた(サムエル記上10章1節、列王記上1章39節)4節「天にいます方は笑う。わが主は彼らを嘲る」天の王座から見おろされる主なる神は、彼らの高慢さを冷笑し、憤りに任せて彼らをおののかせる(5節)「わたしこそ聖なるシオンの山で、この油を注いだ方を地上の王として即位させたのだ」と宣言されるのである(...畏れつつ、主に仕えよ

  •  教えを昼も夜も口ずさむ人

    詩1篇+「幸いな者、悪しき者の謀に歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人」(聖書協会共同訳1節)。箴言は人と人の横糸、詩編は神と人の横糸で織りなす人生模様となぞらえることが出来る。詩編には讃美、祈り、感謝、嘆き、禱告、悔い改めがある。本詩は2篇と一つに結ばれた詩と考えられる。「幸い」で始まり「幸い」(2篇12節)で結ばれている。内容は律法(1篇)と予言(2篇)で、旧約の二大命題となっている。ヘブライ語の語順は「幸いだ!その人は」(アシュレーハイーシュ).「幸いだ!歩まない」(アシュルローハラフ)で詩編冒頭に相応しいことばである。先ず消極的態度と行動が示される。先ず神に逆らう者らの計画に組みしない、一緒に歩かない、傲慢な者と同席しないのである。神の働き(共同体)の圏外に出て行くことをしないのである。これ...教えを昼も夜も口ずさむ人

  • 信仰によって義と認められ

    ローマの手紙第1章16―17節聖書はバイブルというが、これはギリシャ語で「本」(書物)、英語ではザブック(ザ=大文字)といいます。唯一の本ということです。印刷技術が発達していなかった紀元16世紀マルティン・ルターの宗教改革があった時代には一般人には手にすることは出来なかった。印刷技術が発明された同じ時期に、宗教改革が置きて、ルターは、これに相まって誰でもルター訳聖書が読めるようになったのです。同じキリスト教でもルターの宗教改革を認めなかったローマカトリック教会では二十世紀になるまで、ラテン語聖書しかありませんでしたから、人々は礼拝で神父の話で聖書を彼らの都合のよい話として聞くだけで充分だったのでした。1987年になって日本で、初めてカトリック教会とプロテスタント教会が一緒になって「新共同訳聖書」が出版されたので...信仰によって義と認められ

  • それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ

    ルカ10章3節「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(新共同訳)1節「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」。小見出し『七二人を派遣する』。ルカ福音書特有の記事である。6章で十二人の弟子を選ばれたイエスは、七十二人という数字の根拠は、民数記11章24~26節の故事に由来したものと考えられるが、そこでは七十人であった。理由は「収穫は多いが、働き手が少ない」(2節)という実情からである。福音書記者は宣教の視野を「全世界」(マルコ16章章15節、ルカ24章42節)に置いていたに違いない。主イエスとで弟子たちの周囲には多くの病人や貧しい者の数が多かったは当然伺える(2節)。4~10節は9章2~5節と同じである。3...それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ

  •  自分の十字架を背って従いなさい

    ルカ福音書9章23節「それから皆に言われた「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(新共同訳)1~6節12人を宣教に派遣する(並行記事マルコ6章7~12節)病気の癒しと神の国を宣伝える。遍歴の説教者であるが物乞いを禁じ、迎えられる家で共に食事をし、そうでない時は「足の塵を払う」(10章11節、使徒言行録13章51)。宣教の実践である。7~9節領主ヘロデの戸惑い。イエスの出来事を聞き、イエスは何者だろうと訝かしく思い、やがて敵意に変わる(13章31節)。この後イエスと弟子たちはベッサイダに退く。10~17節五千人への供食押し掛けてきた群衆に神の国の説話と癒やしの業があるが、日没になり十二弟子に群衆への配慮を促す。「パン五つと魚二匹」しかないと言う。増食の奇跡は列王...自分の十字架を背って従いなさい

  • 良い地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞く

    ルカ福音書第8章15節「良い地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実をむすぶ人たちである」(聖書協会共同訳)1~4節「婦人たちの奉仕」ルカ福音書特有な記事で12弟子に同行する。ユダヤ教社会では極めて異例であるが、奉仕(ディアコネイン)は持ち物を出し合って一向に仕える。イエスの死と復活に際して、初めに彼女らは出会う証人となる(23章51~24章10節)。4~8節「種を蒔く人」のたとえ。この並行記事はマタイ13章10~17節、マルコ4章10~12節である。聞き手は群衆(オクロス)である。聞き手として様々な可能性を持つ。蒔く人は出来るだけ広い範囲に腕を広げて蒔いた。種は道端、石地、茨の中、そして良い土地に落ちた。「聞く耳を持つ者は聞きなさい」(8節)と大声がある。神の言葉を聞く耳があるかどうか...良い地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞く

  • 神の国で最も小さい者でも、偉大である

    ルカ福音書第7章28節「言っておくがおよそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(聖書協会共同訳)1~10節「百人隊長の僕をいやす」。ピラトに仕える百人隊長が危篤の部下のいやしを求めてきた。会堂を建てるユダヤ教の新派と考えられる(5節)。そこに出向くイエスに対して自らの権威に比較できない方として認める言葉に、イエスへの信頼を読み取っている。異邦人伝道はイエス復活後のコルネリウスの姿と重なって見える出来事である(使徒言行録10章1~40節)。11~17節「やもめの息子を生き返らす」死者の復活記事は旧約のエリヤとエりシャの伝承(列王記上17章7~24節、下4章32~37節)を、イエスを「主」として記載されている(13節)。群衆は「大予言者が現われた...神の国で最も小さい者でも、偉大である

  • 岩の上に土台を置いて家を建てる人

    ルカ福音書第6章48節「それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てる人に似ている。洪水になって水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、びくともしなかった」(聖書協会共同訳)1~5節安息日に麦の穂を摘む。他人の麦畑から麦穂を摘みとることは律法で許されていた(申命記23章26節)。しかし安息日律法は重要であり、その違反は死罪に相当する(レビ記15章32~36節)。ここでは食事の準備で労働に値するとした。イエスはダビデの故事に言及し(サムエル上21章1~7節)律法の柔軟性を要求。安息日律法の解釈をする権威を主張した。6~11節手の萎えた人を癒やすこと(マタイ12章9~14節)、12~16節十二人を選ぶ(マタイ10章1~4節)記事である。ルカ6章12節では人の選びに先立ち徹夜の祈りをイエスはさ...岩の上に土台を置いて家を建てる人

  • 何もかも捨てて立ち上がり従った

    ルカ福音書第5章28~29節「その後、イエスは出て行き、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『私に従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」(聖書協会共同訳)1節「群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せて来た、イエスはゲネサレト湖のほとりに立っておられた」というのは4章の終わりに見られた状況に「続く事柄であった。席の温まる間もない忙しさが伺える。イエスの宣教に弟子を選任することは急務であった。2~11節この時ガリラヤの漁師たちが夜通しの漁を終えて網を洗っていた。その内漁師シモンの舟に乗り込んで陸から少し離れたところで群衆に教え始めた。マタイ福音書では小高い丘の上から宣教が始まるが、ルカ福音書にはそれはない。人が選ばれている(5章1~11節)。沖へ漕ぎ出して網をおろして見よと告...何もかも捨てて立ち上がり従った

  • 貧しい人に福音を告げ知らせるため

    ルカ福音書第4章18~19節「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、打ちひしがれている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(聖書協会共同訳)1~13節イエス荒野の誘惑で、平行記事はマタイ4章1~11節、マルコ1章12~13節にある。40日の断食はイスラエル荒野40年と重なる。悪魔の存在は天使の顔を持つ(ヨブ記1章)。誘惑の第一は飢餓で、奇跡でなく神の言(ロゴス)で応える。第二は権力と繁栄、第三は神殿だがイエスはこれも神の言葉で応える(申命記6章13節、6章16節)。イエスのメシア性が証明された。14~15節イエスは育ったナザレで、安息日に会堂に入り立ってイザヤ6...貧しい人に福音を告げ知らせるため

  • その方は聖霊と火でバプテスマを授ける

    ルカ福音書3章16節「ヨハネは皆に向かって言った。「私はあなた方に水で洗礼(バプテスマ)をさずけているが、私よりも力のある方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる」(聖書協会共同訳)1~3節歴史的背景を先ず述べる。サマリアの総督ポンティオ・ピラトはユダヤ、サマリアの総督(28~36年)でヨハネが登場する。イエスの受難の時と重なる。彼は罪の赦しと悔い改めを洗礼(バプテスマ)によって示した。群衆はヨハネがメシアであると誤解した。彼は解く必要があり「わたしより遥かに権威ある方が来られる」と語り、その方の前には身を屈めて靴の紐を解き、外出の時には持ち運ぶ役目にも及ばぬ僕だと伝える(16節)。彼は水のバプテスマをヨルダン川で授け、罪の悔い改...その方は聖霊と火でバプテスマを授ける

  • 天に栄光神に、地に平和人に

    ルカによる福音書第2章11節「いと高き所には栄光神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(聖書協会共同訳)キリスト誕生を十二月二五日に定められたのは、ローマの皇帝コンスタンティヌスが、キリスト教を公認した紀元三世紀以降であるが、その根拠にはローマ人の冬至祭で太陽神ミトラから取って替ったことによっている。いつの時期にキリスト誕生があったかという議論があるが、羊飼いらが野宿する季節は、ユダヤ地方の冬の雨期では無い筈と言われる。然し羊飼いらが常識論に当てはまらない様な生活を強いられ野宿する生活から軽蔑され、羊の群を牧する為に雇われ労働者でした。ここで大切なことは、十一節「あなたがたのために、救い主がお生れになった。この方こそ主メシヤである。」という天使らの告知である。当時のユダヤ社会で、軽蔑され疎外され、季節はずれ...天に栄光神に、地に平和人に

  • わたしの魂は救い主である神を喜びたたえます

    ルカ福音書第1章47-48節「わたしの魂は救い主である神を喜びたたえます。この卑しい仕え女に目を留めてくださったからです」(聖書協会共同訳)1章はマリアとエリサベトの二人の女性が描かれている。3~7節エリサベトはアロン家の娘で神の前に正しく主の掟を守る、夫は祭司ザカリアで、二人とも神の前に正しく主の戒めを守り、非のうちどころがなかったがエリサベツトは年老いて不妊の婦人であった。{正しい人}とは神の祝福を受けて嫡子を得ると思われていたのである。祭司の勤めをしていたザカリアに妻エリサベトが男子を産むと告げられ、またエリサベトにも同様の告知があり、驚く(8~25節)。そしてナザレに住むダビデの家系ヨセフと婚約している年若い乙女マリアにも6ヶ月後、身分も育ちも異なるが、この二人にも神から男の子を授かるという物語(26~...わたしの魂は救い主である神を喜びたたえます

  • 昨日も今日もまた永遠に変わることのない方

    ヘブライ人への手紙第13章8節「イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です」(聖書協会訳)1節「兄弟愛をいつも持っていなさい」。(小見出し=神に喜ばれる奉仕1~19節)。神の御國を継ぐ者として、地上の生活を確かなものとするという実践が勧められる。先ず愛の実践であるが、旅人をもてなすこと、気づかないで天使たちをもてなすことがあるという(2節)、迫害で投獄されている者と虐待されている者の慰問(3節)。この旅人も虐待されている人々も概ね巡回伝道者を指している。4節「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません」。貞節が問われている。健全な結婚とは夫婦間の性的生活を指している。「汚す」とは男女の性的不道徳を犯すことで、一夫一婦の関係が質される。他人の目を誤魔化しても神の目...昨日も今日もまた永遠に変わることのない方

  • 信仰の創始者また完成者イエスを見つめながら

    ヘブライ人への手紙第12章2節「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとはないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」(新共同訳)1節「こうゆう訳で」は11章の「証人の群れ」に登場した信仰の英雄たちを示しながら、今や信仰の馳せ場を走らなければならないと促すのである。絡みつく重荷をかなぐり捨て、身軽になるのである。それは罪の重い外套を着ていては定められた各自の競走を完走することは出来ない。2節「信仰の創始者」は2章10節では「救いの創始者」(アルケーゴス)となっている。この語は「先導者」という意味もある。イエスいて信仰が開始し、信仰が完成するという事になる。このお方のことをよく考え、罪と戦い抵抗したことに導かれているなら、迫害の恐怖...信仰の創始者また完成者イエスを見つめながら

  • 望むところの実質と、見えない事実の確証

    ヘブライ人への手紙第11章1節「信仰とは、望んでいる事柄の実質であり、見えないものを確証するものです」(日本聖書協会訳)1節でまず信仰の内容と前提が示される。信仰とは、望んでいる事柄の実質であり、見えないものを確証するものという。「信仰」には定冠詞がないので、定義的な文体となっている。「望んでいる事柄」は人間の側の態度と関係なく、存在する客観的なものを意味する。「確証」は1章3節では「本質」と訳されている。「信仰によって~」が3~12節までに七回繰り返して述べている。3節は1節後半の主張が別な角度から述べているといえる。「この世界」とは1章2節に述べている世界でなく、神の言葉により創造されたという。まず創世記4章2節以下のアベルとカインの物語である。「勝れる犠牲」は「豊かな」という意味であるがその種類と選択にお...望むところの実質と、見えない事実の確証

  • 信頼しきって、真心から神に近づこう

    ヘブライ人への手紙第10章22~23節「心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。告白した希望を揺るぎなくしっかり保ちましょう」(新共同訳)1節「律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。ですから、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません」。人の手で造られた幕屋で、年毎に生け贄を献げて神に近づく人たちを完全な者にはできない。出来たら生け贄を献げることは中止される筈だが、実際は繰り返されて、罪の記憶が甦るだけである(2~3節)。ここで詩40篇7~9節を引用し、キリストが来られた時「罪を贖う生け贄を好まない、むしろわたしのため、体を備えて下さった」とい...信頼しきって、真心から神に近づこう

  • 世の終わりにご自身を生け贄として献げ

    ヘブライ人への手紙第9章26節「もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりに、ご自身を生け贄として献げて罪を除くために、ただ一度現れてくださいました」(聖書協会共同訳)小見出しにあるとおり「地上の聖所と天の聖所」について述べられている。最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました」。8章で旧新の契約についてであったが、9章から地上と天上の幕屋について展開する。第一の幕屋とは聖所、第二の幕屋は至聖所で、そこにある祭具とその間にある垂れ幕について述べる(2~5節)。6節「以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります」。地上の幕屋での祭司の勤めがあり、続いて大祭司の勤めについて述べる(7節)。大祭司が年に一度...世の終わりにご自身を生け贄として献げ

  • 大胆に恵みの座に近づこう

    へブライ人への手紙第4章16節「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(新共同訳)1節「だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう」。三章後半で神の民が不信仰で安息にあずかることが出来なかったことを知ったが、しかし神の約束はまだ成就していないので、安息に入りそこねないよう注意しようと勧める。2節「というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。…」。「福音が告げ知らされている」とは神の安息に入ることを指す。彼らはこれを聞いても信じて受け入れなかった為に安息に与ることができなかった。しかし信じたわたし達は、この安息に与る...大胆に恵みの座に近づこう

  • 『今日』という日のうちに~

    ブライの手紙第3章『今日』という日のうちに13節「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」(新共同訳)1節「だから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、わたしたちが公に言い表している使者であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい」。既に2章17~18節からわたしたちが信仰を告白しているイエスは、民の罪を償うためにすべての点で同じ試練を受けられた使者であり、神の前に憐れみ深い忠実な大祭司であることを考えなさいという。「考えなさい」(カタノエオー)は充分に知ること、「思い見るべきである」(口語訳)、「見据えなさい」(岩波訳)。2節「モーセが神の家全体の中で忠実であったように、イエスは、御自身を立てた方に忠実であられました」。「神の家」と...『今日』という日のうちに~

  • 救いの創始者

    ヘブライ人への手紙第2章10節「というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです」(新共同訳)1節「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます」。1章の勧めを受けてこれに応答すること。「注意を払う」(プロセケイン)、口語訳「心に留める」は、船の錨をおろすこと、もしそうしないなら「押し流される」(パラルノオーメン)、漂流することになる。2節「もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば~」。「天使たちによって語られた」とは、旧約の啓示を指す。その違反や不従順に対して断罪されるなら、神の...救いの創始者

  • この終りの時

    ヘブライ人への手紙第1章1節「この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。の終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」1~2節「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」。著者は、冒頭の挨拶なしに、まず神の語りかけに注目させる。旧約時代は預言や夢、幻、自然、奇跡などで語られたが、しかし「この終わりの時代」には、もはや何の媒介もなく直接御子イエスを通して語りかけられた。口語訳「終りの時」TEV「thelastdays」ギリシャ語「エスカト―」から終末論(eschatology)が展開される。「…神は御子を...この終りの時

  • 新しい契約の大祭司

    ヘブライ人への手紙第8章6~7節「しかし、今、わたしたちの大祭司は、はるかに優れた務めを得ておられます。この方は、更にまさった約束に基づいて制定された、さらにまさった契約の仲介者だからです。もしあの最初の契約が欠けのないものであったなら、第二の契約が必要になる余地はなかったでしょう」(聖書協会共同訳)1節「以上述べたことの要点は、わたしたちにはこのような大祭司がいて、天で大いなる方の玉座の右の座に着き~」。これまで論述してきたメルキゼデクに等しい永遠の大祭司イエスが、御座の右に着いておられること、そして人間ではなく神が建てられた真の幕屋で仕えておられる(2節)。すべての大祭司は供え物といけにえとを献げる任命を受けているが、この方も何か献げ物を持っていなければならないであろう(3節)。しかしこの方が地上におられる...新しい契約の大祭司

  • 永遠に変わることのない祭司職

    ヘブライ人への手紙第7章24~25節「しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それで、ご自分を通して神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです」(聖書協会共同訳)1節「このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました」。本章はイエスがメルキゼデクに等しい大祭司であることを論証している。彼が聖書に登場するのは創世記14章17~20節である。まず彼の名前の意味を説く。「メルキ」はマルヒー(使者=王)、「ゼデク」はツェデカー(正義)で「義の王」である(2節)。同時に「サレム」はシャローム(平和)で「平和の王」である。彼には父もな...永遠に変わることのない祭司職

  • 最後まで希望を持ち続ける

    ヘブライ人への手紙第6章11節「わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います」(新共同訳)1~2節「だからわたしたちは、…基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう」。基本的な教えとしてここに六項目が挙げられているが、5章終りの未成人の状態にある読者に対する言葉である。なぜこの六項目はキリストの教えの初歩であるが、何故これが初歩なのか。ユダヤ教の指導者ラビから学んだ共通の教えだからである。「成熟を目指して進みましょう」は意訳。これは3節の神からの呼び掛けに対して応えること。TEVではLetusgoforward!となっている。4~5節知識と実際とが離れては、厳しい時代状況にはついて行けない。棄教、背...最後まで希望を持ち続ける

  • 成熟したキリスト者の生活

    ヘブライ人への手紙第5章「乳を飲んでいる者は皆、幼子ですから、義の言葉を味わったことがありません。固い食物は、習慣によって善悪を見分ける感覚を鍛えられた大人のためのものです」(日本聖書協会訳ヘブライ5章13~14節)1節「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています」。ここで大祭司の資格が明らかにされる。第一に人間の中から選ばれ、人々のために神に仕える役に任じられることである。それは「弱さを身にまとっている」ので、罪にいたる無知と迷いにある人々を「思いやる」ことが出来ねばならないからである(2節)。「弱さを身にまとう」とは、人としての脆弱で壊れやすい「土の器」である。「思いやる」(メトリオパセイン)とは「判断する、測る、思い測る」ということ...成熟したキリスト者の生活

  • 恐れる生活出なく、神を畏れる生き方

    「神はすべてを時宜に適うように造りまた、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」(コヘレテの言葉3章11節)1聖書協会訳では、「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた」となっている。「永遠を思う」ということは、現実主義ではなく、様々な事柄に出会った時にその先に「何かがある」ということである。本書では「全てが空しい」という無情と虚無に陥ることでなく、人生を大切に生きるということにつながる。2仏教にも「般若心経」という教本がある。「色即是空、空即是色」というが、ここで「空」というのは、実体を欠いた現象は常に変化し無情だというのである。その現実に適応して生きるのである。「空」というのはヘブライ語で「へベル」は「蒸気」「息」で実体を備えて...恐れる生活出なく、神を畏れる生き方

  • 『主の栄光を仰ぎ見る』

    聖書民数記21章4~9節第二コリント3章12~17節1「信仰」という日本語の漢字は、「人偏」がついていますが、これは人が生まれた時から、信じ仰いで生きる者という意味が込められているように思います。それは乳幼児のことを考えてみると納得できるでしょう。それは母親の乳房が乳幼児の顔と向き合ってあるということです。喉の骨格が特別に出来ていると言われます。類人猿のゴリラやチンパンジーも同じだと思わるでしょうが、何時襲われるかも知れない外敵から子猿を守る為に、哺乳の仕方が違っていて骨格が人と異なっている訳です。2乳幼児は安心しきって乳を飲んでいて、時々休み母親の顔を見つめます。「信じ仰ぐ」という生き方を身に付けています。八木重吉の詩に「あんあんあん、あんあんあん、あんあんあん、うるさいよ、うるさいよ、うるさか(く)ないよ、...『主の栄光を仰ぎ見る』

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