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ブログタイトル
日毎の糧
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https://blog.goo.ne.jp/matunaga2954
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聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。
更新頻度(1年)

8回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2016/12/16

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日毎の糧さんの新着記事

1件〜30件

  • 主は大いなる方

    詩48篇2節「主は大いなる方我らの神の都、聖なる山で大いに賛美させる方」聖書協会共同訳1節「歌。賛歌。コラの子の詩」2節「主は大いなる方我らの神の都、聖なる山で大いに賛美させる方」本詩は13節にある通り神殿内を行進する出発を促す言葉ととり、全体を祭儀に関連づけて解釈されることが多い。2~4節はその導入、5~9節は過去を回想、10~12節神を二人称で記し、13~15節は命令形で指示を与える四段落に分けられる。2~4節はシオンの麗しさを歌う。それは全地の喜びである。これは47篇で力は神に属すると述べているが、本詩では13~15節にある城壁、城郭、砦、塔など力の語彙を配して同様の指摘ができよう。3節「シオンの山は高く、美しく、全治の喜び北の果ての、大いなる王の町」この「北の果て」はイザヤ14章13節では異教の神々の居...主は大いなる方

  •  静まれ、私こそが神であることを知れ

    詩46篇11節「静まれ、私こそが神であることを知れ、国々に崇められ、全地において崇められる」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、コラの子の詩。アラモト調。歌。2節「神は我らの逃れ場、我らの力、苦難の時の傍らの助け」力強い神への信頼を言い表す。本誌の背景にはBC702年アッスリア軍が攻めてきてエルサレムを包囲した時、一夜にして神の使いにより敗退したことが考えられている(列王記下18章13~19章35節see)。原文「非常に(メオッド)見いだされる(ニムツア―)苦難の時に(ヴェツアロット)助け(エズラー)」。容易に見出される助けということである。口語訳「悩めるときのいと近き助け」。がなじみ深く、名訳である。3節「それゆえ私たちは恐れない。値が揺らぎ、山々が崩れ落ち、海の中に移るとも。海の波の横揺れを外敵からの勢力に...静まれ、私こそが神であることを知れ

  • 私の心に湧き立つ美しい言葉

    詩45篇2節「私の心に湧き立つ美しい言葉私の詩を王のために歌おう。私の舌は巧みに物書く人の筆」聖書協会共同訳1~2節「指揮者によって「百合」に合わせて、コラの子の詩。マスキール。愛の歌。私の心に湧き立つ美しい言葉私の詩を王のために歌おう。私の舌は巧みに物書く人の筆」10節まで王に対する語りかけである。「愛の歌」とは宮廷の詩人が王の結婚に対して捧げた歌である。「イエデイドット」はヘセドではない。これを比喩的に解釈して王をメシア、花嫁をイスラエルと見なした。同じ比喩的解釈は雅歌にも見られる。「心に湧き出る美しい言葉」とは動きが止まらないことで、自分の舌が書記の筆のように流暢に動くのである。3節「あなたは人の子の誰よりも美しくその唇は優雅に語り出す。それ故神はあなたをとこしえに祝福された」。第一に王が人として優雅で魅...私の心に湧き立つ美しい言葉

  • 心に隠していることを神は知っておられます

    詩44篇22節「神はそれを探り出さないでしょうか。心に隠していることを神は知っておられます。」聖書協会共同1節「指揮者によって」。コラの子の歌。アスキール。神よ、この耳で私たちは聞きました。先祖が私たちに語り伝えたことを。先祖の時代、いにしえの日々にあなたのされた業について」。本詩の時代背景は、バビロン捕囚後の近い頃と考察される。その状況は民の苦難と恥辱の中で、神による解放と勝利を願っている内容となっている。ここから国を憂い執りなす祈りの姿勢を学ことができる。「先祖が私たちに語り伝えたこと」(2節)とは出エジプトの出来事を指し、それは信仰の原点でもあった。過去の出来事を根拠にして、現在の苦境からの解放を願うのである。4節「彼らは自分の剣によって土地を得たのでも自分の腕で勝利を得たのでもありません。あなたの右の手...心に隠していることを神は知っておられます

  • あなたの光とまことを遣わしてください。

    詩43篇3節「あなたの光とまことを遣わしてください。それらは私を導き聖なる山、あなたの住まいに伴ってくれるでしょう」聖書協会共同訳本詩は42篇に続く内容的同一のものとされている。小見出しはなく、呼び掛けが「神よ」(エろヒーム)と同じであり、42~49篇を「コラ詩篇」とされ、詠唱者(管理者)を担当した。1節「神よ、私を裁き私のために争ってください。神に忠実ではない国民から、欺きと不正の者から私を救い出してください」。直訳「また争い給え(ヴエリヴア-)、わが訴えを(リヴイ―)」2節「あなたこそ、わが砦なる神。なぜ私を拒まれたのですか。なぜ私は敵の虐げの中を嘆きながら歩むのですか。直訳「なぜ私を見放されたのか(ゼナふターニ)岩波訳「なにゆえ私を突き放したのですか」。3節「あなたの光とまことを遣わしてください。それらは...あなたの光とまことを遣わしてください。

  • 私は喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。

    詩42篇5節「私は祭りに集う人の群れと共に進み、喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。それを思い起こして、私の魂を注ぎ出す。」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、マスキール、コラ」の子の詩。43篇に表題がないことと、6節、12節と、43篇5節に同じ繰り返しがあるところから、この二つは連続した詩と見なされる。2節「鹿が谷川で水をあえぎ求めるように神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める」かつてはエルサレム巡礼の行列を導いた音楽を奏でる者であったが(43篇4節)、今は捕囚により、エルサレムと神殿から追放され、異教徒に苦しめられ激しい嘆きの中にある。干上がった川床で鹿が水を求めて喘ぐように、私の魂はあなたを慕い喘いでいるという。3節「神に、生ける神に私の魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか」。エルサレムの神...私は喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。

  • 主は彼が病の床にあっても支えてくださる 

    詩41篇4節「主は彼が病の床にあっても支えても支えてくださる。その人が病気の時あなたはその床を新たにしてくださる」聖書協会共同訳1節指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。この小見出しは40篇と同じである。文頭に「幸いなるかな」(アシュレー)が来る。それは「弱い者を思いやる人は。災いの日に、主はその人を救い出してくださる(2節)。原文「弱い者」(ダる)は3~4節に言及している弱く貧しい者である。聖書は一貫して主なる神への信頼と、同胞への愛の働きかけを連動して説く。つまり愛の業のなかで神の聖意が働くのである。箴言14章31節、マタイ福音書25章31~36節を参照したい。「主が守り、生かし彼はその地で幸いな人と呼ばれる。その人を敵の思いのままにさせないでください」と。「主は彼が病の床にあっても支えてくださる。その人が病気...主は彼が病の床にあっても支えてくださる

  • 私の耳を開いて下さった 

    詩40篇7節「生け贄の供え物も、あなたは喜ばれず私の耳を開いて下さった。焼き尽くすいけにえも、清めのいけにえも、あなたは求められなかった」聖書協会共同訳1節指揮者によって。賛歌。2節「私は耐えて主に望みを置いた。すると主は私に向って身を乗り出し私の叫びを聞いてくださった」神への嘆願。2~12節は破滅から救われた感謝。後半13~17節は敵の攻撃より神の救助を求める祈りである。「身を乗り出し~」は意訳で「望みに(カヴオー)」「私は待ち望んだ(キヴイーティ)」。3節「主は私を滅びの穴,泥沼から引き上げて、私の足を岩の上に立たせ歩みを確かなものとし」。私の口に新しい歌を我らの神への賛美を授けてくださった。多くの人はこれを畏れ,主に信頼する(4節)。5節「幸いな者主を頼みとする人、ラハブにも、偽りの神に迷う者にも顔を向け...私の耳を開いて下さった

  • 主よ、私の祈りをお聞きください

    詩39篇主よ、私の祈りをお聞きください13節「主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください」聖書協会共同訳1節指揮者によって。エドトンの詩、賛歌。ダビデの詩。2節私は言った。『舌で罪を犯さないように。わたしの道を守ろう。悪しき者がわたしの前にいるうちは、口に轡をはめておこう』と。神への嘆願。38篇と同じ重い皮膚病を担っているかに思われる。何故口に轡をはめておくのか。それは悩ませている苦難のゆえに人生の空しさつぶやき「神に逆らう者」(口語訳=愚かな者)からのそしりを受けることがないためである。岩波訳「不法者の冒涜と曲解をうけさせぬように言葉を慎む」。ここでは悪意を抱いている者で9~⒑節で繰り返されている。3節「私は黙り込み、口を閉ざし善いことついても沈黙した。だが、わが私の苦痛は募り」。私の内で心...主よ、私の祈りをお聞きください

  • 私の望みはすべてあなたの前に

    詩38篇10節「わが主よ、私の望みはすべてあなたの前にあります」聖書協会共同訳1節賛歌、ダビデの詩。記念のために。2節「主よ、怒って私を責めず、憤って私を懲らしめないでください」見出しの「記念」とは素祭(レビ記2章1節)の中で火祭として献げる感謝を表している。本詩は七つの悔い改め(6,32、38,51,102.130,143各編)の一つ。先ず神の怒りから解放されることを嘆願する。わたしは「矢で射抜かれ、押さえつけられた獲物」のようだと訴えている(3節)。あなたの矢がわたしの中に突き刺さったという。痛みが全身に走るのである。矢を射られた獲物が暴れて逃げる有り様を想定している。4節「あなたの憤りのために私の肉体は健やかなところはなく私の罪のために骨に安らぎはありません」。「私の過ちは頭を越えるほどにもなり、罪が耐え...私の望みはすべてあなたの前に

  • 主の前に沈黙し、主を待ち望め

    詩37篇7節「主の前に沈黙し、主を待ち望め成功の道を行く者謀を遂げる者に怒りを燃やすな」聖書協会共同訳1節(アルファベットによる詩)ダビデによる詩悪をなす者に怒りを燃やすな不正を働く者に怒りを燃やすな。」アルファベット詩は34同じである。一人の長老(わたし25、35節)が神に逆らう者のむくいについて若者に忠告を与える形の箴言に近い詩である。同じテーマは49、73編にある。全体を1~11節静かな信頼、12~22節神に従う者と逆らう者にたいする反省、23~40節祝福と裁きの三つに区分される。1節の悪事をなす者が繁栄しているように見えるが心悩ますな、心熱くなるなと勧める。彼らは若草に見えるが、それは一時に過ぎない。彼らは草のように瞬く間に枯れ若草のようにしおれる(2節)3節「主に信頼し、善を行え地に住み、真実を育め。...主の前に沈黙し、主を待ち望め

  • 主よ あなたの慈しみは天にあり 

    詩36篇6節「主よあなたの慈しみは天にありあなたのまことは雲にまで及びます」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、主の僕の詩。ダビデの詩(小見出し)。「背きの罪が悪しき者にささやくのが私の心に聞こえてくる。彼の目には神への恐れがない」本詩も三十五編と同じ内容から三つに区分される。①1~5節悪しき者について述べる。②6~10節一変して神への祈りと賛美となる。③11~13節主の慈しみに生きる者と悪事を働く者の対比された祈り。2節「主の僕の詩」は詩18篇と同じで罪中心の生き方を止めて神の愛に生きることである。「私の心に聞こえてくる」直訳「わが心の奥に悪しき者への咎(ペシャ)のささやきである。わたし(ダビデ)は悪しき者に罪がささやかれていることが判る」という、鋭い洞察力が示される。3節「彼は自分の過ちを認め、憎むはずが、...主よあなたの慈しみは天にあり

  • 私は大いなる集会であなたに感謝をささげ

    詩35篇18節「私は大いなる集会であなたに感謝をささげ強力な民の中で、あなたを賛美します」聖書協会共同訳1節「ダビデの詩。主よ、私と争う者と争い私と戦う者と戦ってください」。盾と大盾を手にし、私を助けるために立ち上がってください2節。本詩は三つの詩が纏められている(1~⒑節、11~17節、18~28節)。10節までは主の助けを呼び求める祈りである。争いに勝ち、立ち上がって助けてくださいと祈る。3節「槍と投げ槍を構えて私に迫り来る者に立ち向かい私の魂に言ってください『あなたの救いはわたしだ』と。直訳「私に向って追い攻める者達を、槍を抜いて閉じ込めてください。そして「私こそお前の救いだ」と言ってください。4節「私の命を狙う者が恥じと屈辱を受け、私に悪をたくらむ者が、退き、辱められますように。」そして恥をかき後退して...私は大いなる集会であなたに感謝をささげ

  • 主は心の打ち砕かれた者に寄り添い

    詩34篇19節「主は心の打ち砕かれた者に寄り添い、霊の砕かれた者を救い出す」聖書協会共同訳1節「小見出しダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で気がふれたように装い、逃れて去ったとき。2節「私はどのような時も主をたたえよう。私の口には絶え間なく主の賛美がある」。前半11節までが苦難からの救いの喜びと賛美であり、後半12節以下は教訓的な教えである。すべての時に主を賛美し、口に賛美が絶えないのである。3節「私の魂は主を誇り苦しむ人は聞いて喜ぶ」。私と共に主を崇めよう。共に御名を崇めよう(4節)。原文「へりくだる者達は(アナヴイ―ム)聞くように(イシュメウー)そして喜ぶように(ヴェイスマーフー)。苦難は心貧しく、謙遜な態度にされる(マタイ福音書5章3節)4節「私と共に主を崇めよ。共に御名を崇めよう」。私が主を尋ね求めると...主は心の打ち砕かれた者に寄り添い

  • 幸いな者 主に過ちをとがめられず 

    詩33篇1節「正しき人よ、主によって喜び歌え」聖書協会共同訳1節「正しき人よ、主によって喜び歌え。賛美はまっすぐな人にふさわしい」。1~3節は賛美への招きであるが、1節は32篇11節と同じであり、原文「義人たちよ(ツアデイキーム)」喜び歌え。「正しい者達(らイエシヤリーム)喜びの声をあげよ、力強く賛美することが出来る。琴と十弦を奏でて主に感謝をささげ、ほめ歌うのである(2節)。3節「新しい歌を主に歌え、喜びの叫びと共に麗しく奏でよ」。本詩は新年祭の詩篇とされている。4節「主の言葉はまっすぐ主の業はすべて真実」。ここら神の創造の業とその秩序を賛美する。主は正義と公正を愛し、主の慈しみに地は満ちる(5節)。主の言葉により、その息吹によって天の万象は造られた(6節)。主は大海の水を革袋に入れるように集め、深淵の水を倉...幸いな者主に過ちをとがめられず

  • 幸いな者 主に過ちをとがめられず

    詩32篇2節「幸いな者主に過ちをとがめられず、その霊に欺きのない人」聖書協会共同訳11節「(小見出し)ダビデの詩、マスキール。背きの罪を赦され、罪を覆われた人」悔い改めの詩篇のひとつ。詩51篇と同じ「バト・シェバとの不倫事件」サムエル記下11章が想起される。共通している詩篇は51篇、130篇、143篇もある。1、2節の文頭に「幸いだ!」(アシュレー)が来る。この形式は1篇1節、33篇12節、41篇2節などにも出てくる。それは罪の悔い改めの結果である。その罪の赦しが四様に出ている。(1)「背き(ペシャア)」文語訳「咎」違反=赦された人(ネスイ)(2)「罪(はタアー)的が外れる。踏み外す」=覆われた人(ケスイ)。(3)「不義(アヴオン)」咎。邪悪な性格=主がとがめない(ろーヤふショヴ)。(4)「欺き(レミヤ)」陰謀...幸いな者主に過ちをとがめられず

  • まことの神よ 私の霊を御手に委ねます

    詩31篇6節「主よ、まことの神よ私の霊を御手に委ねます。あなたは私を贖われた」聖書書協会共同訳1節「(小見出し)指揮者によって。賛歌、ダビデの詩。」2節「主よ、あなたのもとに逃れます。私がとこしえに恥を受けることがないようにしてください。あなたの正義によって私を救いだしてください」嘆き(2~7節)と信頼(8~9、20~23節)とが交互に歌われている。2~7節は71篇1~3節と同じである。「~もとに逃れます」は原語「あなたの中に私は逃げ込む(ハスイ―テイ)」である。3節「私に耳を傾け、急いで私を助け出してください。私のために、砦の大岩、救いの城となってください。」逃げ込むのは、あなたが私のために「砦の大岩・巨岩(れツール)」砦の家・私の岩(サるイ)だからである」これが4節で繰り返されている。「あなたこそわが岩、わ...まことの神よ私の霊を御手に委ねます

  • わが主に憐れみを乞い願います

    詩30篇わが主に憐れみを乞い願います9節「主よ、私はあなたに呼び掛けます。わが主に憐れみを乞い願います。」聖書協会共同訳1節「(小見出し)賛歌、神殿奉献の歌。ダビデの詩。「主よ、あなたを崇めます。あなたは私をすくい上げ私のことで敵を喜ばせる事はありませんでした」(2節)。小見出しにある通り、神殿奉献の歌でマッカベヤ時代(BC164年~)から「宮きよめの祭に用いられるようになったという(ヨハネ福音書10章22節see)2節にあるとおり「主よ、あなたを崇めます」という賛美から始まる。3節「わが神、主よ、私があなたに叫ぶと、あなたは私を癒してくださいました。」本詩から32篇まで重い病から癒された経験が歌われる。それは瀕死に直面する程の者であったことが伺われる。4節「主よ、あなたは私の魂を陰府から引き上げ、墓穴に下る者...わが主に憐れみを乞い願います

  • 主がその民に力を与えてくださるように   

    詩29篇11節「主がその民に力を与えてくださるように、主がその民に力を与えてくださるように」聖書協会共同訳1節「(小見出し)賛歌、ダビデの詩神々の子らよ、主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ」。8篇2~10節、19篇1~7節に同じ自然の中で神の力の働きが賛美されているが、本詩は自然の猛威の中から主(アドナイ・岩波訳ヤハウエ)の名を呼ぶ祈りである。「神々の子ら」は大空に無数に存在する星と雷鳴を表しているカナンの文学形式に基づいている(ヨブ記38章7節)。ヘブライ語対訳では「神の子らよ」で、礼拝の会衆に呼び掛けた典礼用に転用した加筆と言われる(9節、11節cf)。汎神論を避ける必要はない。2節「御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いで主にひれ伏せ。」天にある無数の星と雷鳴に呼びかけて「御名の栄光を主に帰せよ」と三度繰り返す...主がその民に力を与えてくださるように

  • 父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます

    詩27篇10節「父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます」聖書協会訳1節「(小見出し)ダビデの詩主は我が光、我が救い。わたしはだれを恐れよう。主はわが命の砦。私は誰におののくことあろう」。「悪をなす者が私の肉を食らおうと近づくとき、私を苦しめる者、私の敵のほうが、かえってつまずき、倒れる」2節。1~6節は信頼の祈りであり、7~13節は嘆きの歌である。主は私の不安や恐れを取り除く光であり、命の砦である。然し苦難の描写や克服は共通した事柄で相互補完した詩篇と読むことが出来る。3節「たとえ、軍勢が私に対して陣を敷いても私の心は恐れない。たとえ、戦いが私に向って起こっても私の信頼は揺るがない」。4節「私が主に願った一つのこと私はそれを求め続けよう。命のあるかぎり主の家に住み主の麗しさにまみえ主の宮で尋ね求...父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます

  •  あなたの栄光の宿る所を慕います 

    詩26篇8節「主よ、私はあなたの生む家をあなたの栄光の宿る所を慕います」聖書協会訳1節「(小見出し)ダビデの詩主よ、私を裁いてください」。私は全き道を歩みました。私は主を信頼し揺らぐことはありませんでした。」。2節「主よ、私を調べ、試してください。私の思いと心を確かめてください」。直訳「調べる」(=ベはネーニ試験する、「試す」=ツォルファ真偽を鑑定する)はらわたと心を火をもって試してくださいと祈る。本詩では信頼の姿勢が強く求められ一層強くそれが示される。「完全に歩んだ道」である。3節「あなたの慈しみは私の目の前にあります。私はあなたの真実に従って歩んできました。」これは25篇10節にもある。私を導く使者はあなたの慈しみ(ヘセド)であり、あなたの真実(エムナー)だと告白する。4節「私は空しい者と共に座らず欺く者と...あなたの栄光の宿る所を慕います

  • 主は恵み深く、正しい。それゆえに罪人に道を示す

    詩25篇8節「主は恵み深く、正しい。それゆえに罪人に道を示す」聖書協会訳1節「(小見出し)ダビデの詩主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見る」。わが神よ、私はあなたに信頼する。私が恥を受けることのないように。敵が勝ち誇ることがないように(2節)。9~10篇と同じアルファベット詩篇である。1節と2節は冒頭にアルファベットが来ないで、「あなたに向かって」(エレーは)と「あなたに」(べはー)である。まず「私が恥を負わないように、」敵が勝ち誇ることがないように」と祈る。更に主を待ち望む者は恥を受けない。理由なく裏切る者は恥じると、「恥じ」が三回出ている(2~3回)。それは神との正しい関係についてである。4節「主よ、私にあなたの道を知らせ、行く道を教えてください」。前の「道」は複数で「諸々の道」デレヘーは(・口語訳大路)、後の「道...主は恵み深く、正しい。それゆえに罪人に道を示す

  • 栄光の王とは誰か。強く勇ましい主

    詩24篇8節「栄光の王とは誰か。強く勇ましい主。戦いの勇者なる主」聖書協会訳1節「地とそこに満ちもの。世界とそこに住むものは主のもの。」(小見出しダビデの詩。賛歌)聖書協会共同訳。「主が大海の上に地の基を築き大河の上に世界を添えたから」2節。エルサレム入城に先立ち、その資格が質されている。先ず主は全地を支配されるかたであり、その御業は天地創造の時にまで遡る。「大海の上に地の基を築き」とあるが、「大海」「大河」は創世記1章2節「混沌」(カオス)で、その上に天と地が創造されたということである(2節)。続いて主の山(エルサレルムの都)に上り、聖所で主を礼拝する人は誰かが問われる(3節)。これは15篇にもある。その人は①「汚れのない手と清い心を持つ人(4節)暴力や不正で汚れていない人。②「魂を空しいものに向けない人異教...栄光の王とは誰か。強く勇ましい主

  • 主は私の羊飼い。私は乏しいことがない

    詩23篇1、2節「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。主は私を緑の野に伏させ憩いの汀に伴われる」聖書協会共同訳1節「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」。新共同訳は「主は羊飼い」であったが、原文は「ヤハウエロイー」(主はわが羊飼い)で、一人称を省いていたが、ダビデの個人的経験(サムエル記上16章11節)の枠を超えて主を羊飼いとして導かれるイスラエル民全体の賛歌という解釈であった(エゼキエル34章see)。民として欠けることのない土地に平穏に生きる確信が込められていたのであろう。主は私を草原(若草の牧場・岩波訳)に伏させ、「憩いの水のほとり・アルメーメヌほット)に伴って下さる。流れる水ではない。動物も人間も貴重な岩盤を砕いて掘った井戸である(出エジプト記2章15~17節)。3節「主は私の魂を生き返らせ御名にふ...主は私の羊飼い。私は乏しいことがない

  • すべての人が主を心に留め、立ち帰るように

    詩22篇28節「すべての人が主を心に留め、立ち帰るように。国々のすべての氏族が御前にひれ伏すように」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、曙の牝鹿による、賛歌。ダビデの詩(小見出し)21篇とは対照的に弱さを一身に負う者の嘆きの詩が22節まで詠われる。2節「わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのか。私の悲嘆の言葉は救いから遠い」。『わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのか』は原文「エリーエリーラマーアザヴターニ」がそのまま十字架上で叫ばれた主イエスの言葉として引用されている(マタイ27章46節、マルコ15章34節)。3節「わが神よ、昼に呼びかけてもあなたは答えられない。夜もなお、私は黙ることはできない」。昼も夜も呼び求めて止まないのに応えてくださらないと「わたしの神に」訴える。絶望のどん底にありながら、あなたヘ...すべての人が主を心に留め、立ち帰るように

  •  あなたの救いにどれほど喜び踊ることか 

    詩21篇2節「主よ、王はあなたの力を選び、あなたの救いにどれほど喜び踊ることか」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、賛歌。ダビデの詩」小見出し20篇に続く王の詩である。20篇が取り成しの詩であり、21篇は御救いの感謝の詩である。全体は2~8節と9~13節に二分される。2節「主よ、王はあなたの力を選び、あなたの救いにどれほど喜び踊ることか」。讃美は主の御力を喜び祝うというものである。「あなたの力を選ぶ」とあるが直訳「主よ『あなたの力の中で』(アドナイベオズは)は20篇で三度くりかえされた「神の名の力」(2,6,8節)である。主が王の心の願いに応え、聞き届けられた勝利が与えられたという確信が歌われる。4節「あなたは恵みの祝福をもって彼を迎え、その頭に黄金の冠を載せた」。主がイスラエルの王位に就けられたことを喜ぶ。「...あなたの救いにどれほど喜び踊ることか

  • あなたの救いを喜び歌おう

    詩20篇6節「あなたの救いを喜び歌おう。我らの神の名により旗を揚げよう。主があなたの望みをすべてかなえてくださるように」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、賛歌。ダビデの詩」小見出し「ダビデの詩」とあるが、民が王と共に戦いに出陣する時の歌である。本詩はその祈りであり、21篇は感謝。背景としてサムエル記下10章1~19節が考えられる。この時祭司が王に呼び掛け、執り成す祈りである。2節「苦難の日にあなたに答え、ヤコブの神の名があなたを守ってくださるように」。「あなた」は以下王を指している。イスラエルを救出したヤコブの神(出エジプト記19章3節see)の御名が崇められ、戦場で起こり来る苦難に助けられるようにと願う。3節「聖所からあなたに助けを送り、シオンからあなたを支えてくださるように」民の真ん中にある神殿から勝利の...あなたの救いを喜び歌おう

  • 天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる

    詩19篇3節「その声は全地にその言葉は世界の果てにまで及ぶ」」聖書協会共同訳1~2節(小見出し)指揮者によって、賛歌。ダビデの詩。「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる」。本詩は2~7節と8~15節との二つの詩が結び合わされている。前者は神(エル)の御手で万物の創造を支配している事を讃美する。それは天の栄光を物語る(原文メサペリーム)働きとして示している。後者は神(ヤーヴェ)が大空を両手(原文マギッド)の業として創造された事を言い表している。3~4節「昼は昼に言葉を伝え夜は夜に知識を送る。語ることもなく、言葉もなく、その声は聞こえない」これは8篇2、4にも詠われている。5節「その声は全地に、その言葉は世界の果てにまで及んだ。そこへ神は太陽のために幕屋を張った」。大空に張られた弦の響きは世界に伝えられるとい...天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる

  • 主はわが岩、わが城、私を救う方

    詩18篇3節「主はわが岩、わが城、私を救う方、わが神、わが大岩、私はそこに逃れる。わが盾、わが救いの角、わが砦」聖書協会共同訳1節「小見出し:指揮者によって、主の僕ダビデの詩。主がダビデをすべての敵の手、またサウルの手から助け出した日、彼はこの歌の言葉を主に語った。同じ詩がサムエル記下22章に出てくる。サウル王から逃れて読んだ詩は52,54,57篇にもある。全体を五つに区分できよう。①苦難の中から神に呼ばわる(2~7節)②神の顕現(8~16節)③救いは正しい者に与えられる(17~31節)④神こそわたしの力、敵を滅ぼす(32~46節)⑤感謝と讃美(47~51節)2節「主よ、わが力よ、私はあなたを慕う。」以下九つの表現で神を告白する。主はわしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の...主はわが岩、わが城、私を救う方

  • あなたの道を守り、足取りの揺らぐことはない

    詩17篇3節「私の歩みはあなたの道を守り、足取りの揺らぐことはありません」聖書協会共同訳1節「主よ、私の正しさをお聞き下さい。叫びに耳を傾けてください。偽りのない唇から出る私の祈りに。」無実の訴えである。ダビデの生涯では、マオンの荒れ野に逃れた時(サムエル記上23章24~29節が想定される。「正しさ」原語は義(ツエデク)である。2節「御前から私のために判決が出され、あなたの目が公平に注がれますように」神の義(ツエデク)をもって訴えを聞き、公平(ミシュパト)をもってご覧下さいと強く迫る。3節「あなたは私の心に試練を与え、夜訪れて私を試みましたが、何も見出すことはありませんでした。たくらみなど口にすることはありません。」あなたが私の内側を火で精錬して不純物があるかどうかを試しても、何一つ無いでしょうという。4節「人...あなたの道を守り、足取りの揺らぐことはない

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