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日毎の糧 https://blog.goo.ne.jp/matunaga2954

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

日毎の糧
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2016/12/16

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  • 今光は見えないが、雲の彼方で輝いている

    ヨブ記37章21節「今、光は見えないがそれは雲のかなたしかで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと~」(新共同訳)1節「それゆえ、わたしの心は破れんばかりに激しく打つ」。前章で、エリフは雨雲と稲妻について述べたが、それは本章でも続いている。雷鳴が神の怒りの御声として彼の心を激しく打ち、神の轟きを聞けと呼びかける(2節)。確かに雷鳴は恐れと驚きとして呼びかける。彼はこれを自然現象としてみないで、知り得ない御業として受け取る(3~5節)。6節「神は命じられる。雪には、「地に降り積もれ」雨には、「激しく降れ」と」。神は御業を認させる為に、人の手の業をすべて封じ、働く事が出来なくなる。獣は巣穴に隠れ、嵐が吹き荒れ、寒さが撒き散らされ、神の息吹で氷ができ、広く河川は凍結する(7~10節)。雲は雨を含んで重くなり、密雲は稲...今光は見えないが、雲の彼方で輝いている

  • 苦悩の中で耳を開いて下さる

    ヨブ記36章15節「神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し/苦悩の中で耳を開いてくださる」(新共同訳)1節「エリフは更に言葉を続けた」。32~36節まで長々と弁論を続けたエリフは改めてヨブに「もう少し私の話を聞いてくれ」と呼びかける(2節)。私の考えを述べ、私の造り主は正しく偽りはない。完全な知識をもつお方を示そう。その支配は力強く知恵に満ちて、逆らう者を生かしておかず、貧しい人に正しい裁きをしてくださる方(3~6節)、従う者に目を止め、栄誉を与えられる(7節)。「貧しい者」とは「苦しむ者」(口語訳)である。8節「捕われの身となって足枷をはめられ苦悩の縄に縛られている人があれば」その行いを指摘し、その罪の重さを指し示され、耳を開いて戒め、耳を傾けて従うなら日々を幸いな者とし長く恵みのうちに過ごす事になる(9~1...苦悩の中で耳を開いて下さる

  • あなたは神を待つべきなのだ

    ヨブ記35章14節「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」(新共同訳)1節「エリフは更に言った」。エリフは教育的な態度で更にヨブを説得しようとしている。34章に続いてヨブの言葉を取上げて語る。しかし正確ではない。「神はわたしを正しいとしてくださるはずだ」と言っているが、それは正当だろうかと反論する(2節)。13章18節だが、これはヨブの基本的な主張。新改訳「わたしの義は神からだ」。「わたしが過ちを犯したとしても、あなたに何の益があるか」と言うが、犯しているとか犯していないとか損得にしている高慢な態度を批判しているが、むしろエリファズが22章3節で述べている。4節「あなたに、また傍らにいる友人たちにわたしはひとこと言いたい」。ヨブと友人たちに、エリフは3節と...あなたは神を待つべきなのだ

  • 命を得て光を仰ぐ

    ヨブ記33章28節「しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐと」(新共同訳)。1節「さてヨブよ、わたしの言葉を聞きわたしの言うことによく耳を傾けよ」。三人の友人とヨブに呼びかけたが答えがないので、改めて「さてヨブよ」と語り始める。わたしは口を開き、率直に語り舌は偽りを決して言わない、唇は真実をもってはっきり言う(2~3節)。全能者の息を吹きかけてわたしは生かされた者だ(4節)。これは創世記2章7節を指す。あなたもわたしと同様に土のかけらに過ぎないのだから、脅かして押さえつけようとしている訳ではない。答えられるなら答えてみよという(6~7節)。8節「あなたが話すのはわたしの耳に入り声も言葉もわたしは聞いた」。あなたは潔白で、罪を犯していない、清く不義はない。それでも神は敵視して足枷をは...命を得て光を仰ぐ

  • エリフは怒った

    ヨブ記32章2節「さて、エリフは怒った。この人はブズ出身でラム族のバラクエルの子である。ヨブが神よりも自分の方が正しいと主張するので、彼は怒った。」(新共同訳)。1節「ここで、この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分は正しいと確信していたからである」ここで最後にエリフという友人が突然登場し語り始める。彼はヨブと三人の会話を聞いていたが、そこに居合わせていたことはこれまで出てきていない。エリフの言葉は32~37章まである。「エリフ」とは「彼は神」という意味で神への篤い信仰を表す名である。本章は弁論の導入部で何故最後に彼が出てきたか理由を述べる。ヨブが神より自分のほうが正しいと主張していること、そしてこの主張に三人が適切な反論の出来ないとからで、話しかけるのを控えていた(5節)。この時ヨブの「怒り」が4回も出て...エリフは怒った

  • 全能者よ、答えてください

    ヨブ記31章19節「どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。わたしと争う者が書いた告訴状を。」(新共同訳)。1節「わたしは自分の目と契約を結んでいるのに、どうしておとめに目を注いだりしようか。」29章で義人だヨブとして正義と公平をもって生きていることが語られ、30章ではそれにも関わらず苦難と悩みの日々であることを嘆く独白であった。本章では自分が潔白であることを強く主張する。そして告白状を用意していると結んでいる。その潔白であることを次々と羅列する。不倫の目で乙女を見たことはない不正を行う者に神は災いを与えられるが不正の富を手にしたことはない(1~3節)。神はわたしを見張っておれら、その歩みを全て数えておられる(4節)。5節「わたしがむなしいものと共に歩き...全能者よ、答えてください

  • わたしは塵芥に等しい

    ヨブ記30章19節「だが今は、わたしより若い者らが、わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら、わたしは忌まわしいと思っていたのだ。」(新共同訳)。1節「だが今は、わたしより若い者らがわたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすらわたしは忌まわしいと思っていたのだ」。「だが今は」は全勝と比較して不幸で悲惨な有様になっているという。「若い者ら」はそうではなかった(29章8節)かつて彼らは無一物で飢え、砂漠や沼地をさまよい、あかざの葉、れだまの根を食料としていた(2~4節)。砂漠に自生し、食用に不適である。世間から追われ、泥棒呼ばわりされ、谷間や土の穴、岩の裂け目を住まいとする(5~6節)。愚かな者、卑しい者の子(新改訳「しれ者の子たち、つまらぬ者の子たち」)。甚だしい差別を受け、世間から排除された...わたしは塵芥に等しい

  • 正義を衣としてまとい、公平はわたしの上着

    ヨブ記29章14節「わたしは正義を衣としてまとい、公平はわたしの上着、また冠となった。」(新共同訳)。友人との論争で因果応報の思想には限界性を示し、友人との論争は未解決のまま残っている為に29~31章で明らかにしようとした。神に守られていた日々は、頭上に灯を輝かせて暗黒の中を歩いていたわたしであった(2~3節)。信頼のできる友と親しく交わりをして繁栄(収穫の秋)の日々であったあの頃は全能者はわたしと共におられ、わが子らは周りにいた(4~5節)。ヨブの自己評価である。6節「乳脂はそれで足を洗えるほど豊かで、わたしのためにはオリーブ油が岩からすら流れ出た」。「乳脂」はクリーム状のもので石鹸の原形。町の城門」は住民の集まる場所で、公訴のなされる処、そこにヨブは着座し若者が静まり、老人たちは敬意を表し、主だった人々は会...正義を衣としてまとい、公平はわたしの上着

  • 知恵はどこに見いだされるのか

    ヨブ記28章12節「では知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか」(新共同訳)。1節「銀は銀山に産し金は金山で精錬する」本州に新共同訳で混み出しに「神の知恵の賛美」となっている。ここは独立した章に思えるが4~27章の三人の友人との議論から一つの結論を出しているといえよう。それは因果応報論と不条理の問題である。人の知恵には限界があり神の聖知=叡智が示されねば解決しないということであろう。これは既に7章17節、9章4節、23章2~9節、26章12節に語られている。友人チョファルも述べている(11章7節)。人は山を掘り起こし岩を切り開き金銀鉄鋼を掘り出し精錬する知恵を持っている。地下の坑道を深く掘る知恵があるが猛禽も禿鷹も獰猛な獅子すらもそれは無い(5~8節)。人は硬い岩まで手を伸ばし切り裂いて進み、川を堰...知恵はどこに見いだされるのか

  • 破滅が洪水のように

    ヨブ記27章20節「破滅が洪水のように彼を襲いつむじ風が夜の間にさらう」(新共同訳)1節「ヨブは更に言葉をついで主張した」。26章に続くヨブの答弁であるが、2節から、彼は徹底して身の潔白を全能者にかけて誓う。2節「わたしの権利を取り上げる神にかけて/わたしの魂を苦しめる全能者にかけて/わたしは誓う。」息が鼻にあり生きている限り、決して唇は不正を語らず、舌は偽ったことを語ったことはない(4節)。あなたがたこそ間違った判断をしているのであり、わたしは死に至るまで一日たりとも正しさに固執して断じて譲らない(5~6節)。7節「わたしに敵対する者こそ罪に定められわたしに逆らう者こそ不正とされるべきだ」。身の潔白を主張するヨブにとって、今は友ではなく、敵対する者だから、神から罪と不正によって裁かれ、命が断たれるであろうとい...破滅が洪水のように

  • 神の道のほんの一端

    ヨブ記26章14節「だが、これらは神の道のほんの一端。神についてわたしたちの聞きえることはなんと僅かなことか。その雷鳴の力強さを誰が悟りえよう」(新共同訳)1節「ヨブは答えた」。ビルダデの貧弱な知恵に対する痛烈な皮肉を込めた反論をヨブはしている。あなたは無力な者にどんな助けを与え、どんな救いをもたらしたのか、知恵のない者にどんな忠告を与え、多くの人にどんな策を授けたというのかと問う(2~3節)。神の言葉を述べているつもりでいるが、それは本当か、誰の息吹(霊)なのかと問いかける(4節)。ヨブは真の霊の働きを知っていることを言外に述べようとしているのである。5節「亡者たち、陰府の淵に住む者たちは水の底でのたうち回る」。ビルダデが25章では言及しなかった神の権威と知恵について語っている。先ず陰府と深淵についてである。...神の道のほんの一端

  • 光に背く人々がいる

    ヨブ記24章13節「光に背く人々がいる。彼らは光の道を認めず光の射すところにとどまろうとしない」(新共同訳)1節「なぜ、全能者のもとには、さまざまな時が蓄えられていないのか。なぜ、神を愛する者が、神の日を見ることができないのか」。ヨブの独白が続く。本章は12節までと、13節以下とに大きく二つに区分できよう。前半は、悪しき暴君の圧制のもとで虐げられている人々の悲惨である。彼らは神を愛する者なのに神の裁定の日を見ることなく、地境を移し、家畜の群を奪い、孤児が手塩に掛けている驢馬を連れ去り、やもめの牛を質草に取る悪人がいる(2~3節)。4節「乏しい人々は道から押しのけられこの地の貧しい人々は身を隠す」。彼らは飢えて食べものにこと欠く状態で、野驢馬のように、子に食べ物を与えるために荒れ野で労し、悪人の畑で刈り入れをする...光に背く人々がいる

  • 神に祈って何になるのか

    ヨブ記21章15節「なぜ、全能者に仕えなければならないのか。神に祈って何になるのか」(新共同訳)。1節「ヨブは答えた」。ツォファルに対するヨブの反論である。これまで語ったのは因果応報論では説明し切れないということである。わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。13章17節でも同じことを述べている。我慢して聞いてくれ。それから笑うなら笑えと訴える(2~3節)。わたしはこれまで人に訴えているのではないのに、なぜ我慢しなければならないのか。これから語ることは慄然とし身震いさえするのだ、だから口に手を当て驚くがよい(4~6節)。7節「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ年を重ねてなお、力を増し加えるのか」。ヨブは因果応報を批判し問い直す。神に逆らうものが幸福に生き永らえ、子孫も栄え(8節)、家は平和で...神に祈って何になるのか

  • 神に祈って何になるのか

    ヨブ記21章15節「なぜ、全能者に仕えなければならないのか。神に祈って何になるのか」(新共同訳)。1節「ヨブは答えた」。ツォファルに対するヨブの反論である。これまで語ったのは因果応報論では説明し切れないということである。わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。13章17節でも同じことを述べている。我慢して聞いてくれ。それから笑うなら笑えと訴える(2~3節)。わたしはこれまで人に訴えているのではないのに、なぜ我慢しなければならないのか。これから語ることは慄然とし身震いさえするのだ、だから口に手を当て驚くがよい(4~6節)。7節「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ年を重ねてなお、力を増し加えるのか」。ヨブは因果応報を批判し問い直す。神に逆らうものが幸福に生き永らえ、子孫も栄え(8節)、家は平和で...神に祈って何になるのか

  • わたしを贖う方は生きておられる

    ヨブ記19章25節「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう」(新共同訳)1節「ヨブは答えた」。ビルダドへのヨブの応答である。内容はビルダドに向けられた言葉と、神がヨブに向けておられる怒りの凄まじさを披瀝した言葉が出てくる。あなた達はどこまでわたしを苦しめ、そんな論法でわたしを打ち砕くのかと問い、侮辱するのはもう充分だと訴える(2~3節)。故意に犯したのでもない過ちを、跨張して責め立てて辱めているという(4~5節)6節「それならば、知れ。神がわたしに非道なふるまいをしわたしの周囲に砦を巡らしていることを」。神がわたしに不当な取り扱いをされているのを知るがよい。救いを求めても応えてもらえず、わたしの道はふさがれて通れず、行く手には暗黒があり、栄誉の冠は奪われ、希望は根こそ...わたしを贖う方は生きておられる

  • 神はわたしの歩む道を知っておられる

    ヨブ記23章10節「しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば、金のようであることが分かるはずだ」(新共同訳)1節「ヨブは答えた」。エリファズとの対話は噛み合わなかった。そこでヨブは神との対話を切に願うのである。彼の独白は24章にまで続いている。ここでは16~17章、19章程の激しさはないようだ。来る日も来る日もわたしは、苦しみ嘆き(口語訳=呟きは激しく)、呻いて祈りの手は重い。どうしたら、その方を見出せるのか…どうしたら、おられるところに行けるのか。わたしの訴えを差し出し、思う存分(口語訳=口を極めて)…言い分を述べたいとつぶやく(2~4節)。必死に神を探し求めるヨブである。5節「答えてくださるなら、それを悟り話しかけてくださるなら、理解しよう」。神は強い力で争われる方でなく、...神はわたしの歩む道を知っておられる

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