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日毎の糧 https://blog.goo.ne.jp/matunaga2954

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

日毎の糧
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2016/12/16

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  • 主の前に沈黙し、主を待ち望め

    詩37篇7節「主の前に沈黙し、主を待ち望め成功の道を行く者謀を遂げる者に怒りを燃やすな」聖書協会共同訳1節(アルファベットによる詩)ダビデによる詩悪をなす者に怒りを燃やすな不正を働く者に怒りを燃やすな。」アルファベット詩は34同じである。一人の長老(わたし25、35節)が神に逆らう者のむくいについて若者に忠告を与える形の箴言に近い詩である。同じテーマは49、73編にある。全体を1~11節静かな信頼、12~22節神に従う者と逆らう者にたいする反省、23~40節祝福と裁きの三つに区分される。1節の悪事をなす者が繁栄しているように見えるが心悩ますな、心熱くなるなと勧める。彼らは若草に見えるが、それは一時に過ぎない。彼らは草のように瞬く間に枯れ若草のようにしおれる(2節)3節「主に信頼し、善を行え地に住み、真実を育め。...主の前に沈黙し、主を待ち望め

  • 主よ あなたの慈しみは天にあり

    詩36篇6節「主よあなたの慈しみは天にありあなたのまことは雲にまで及びます」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、主の僕の詩。ダビデの詩(小見出し)。「背きの罪が悪しき者にささやくのが私の心に聞こえてくる。彼の目には神への恐れがない」本詩も三十五編と同じ内容から三つに区分される。①1~5節悪しき者について述べる。②6~10節一変して神への祈りと賛美となる。③11~13節主の慈しみに生きる者と悪事を働く者の対比された祈り。2節「主の僕の詩」は詩18篇と同じで罪中心の生き方を止めて神の愛に生きることである。「私の心に聞こえてくる」直訳「わが心の奥に悪しき者への咎(ペシャ)のささやきである。わたし(ダビデ)は悪しき者に罪がささやかれていることが判る」という、鋭い洞察力が示される。3節「彼は自分の過ちを認め、憎むはずが、...主よあなたの慈しみは天にあり

  • 私は大いなる集会であなたに感謝をささげ

    詩35篇18節「私は大いなる集会であなたに感謝をささげ強力な民の中で、あなたを賛美します」聖書協会共同訳1節「ダビデの詩。主よ、私と争う者と争い私と戦う者と戦ってください」。盾と大盾を手にし、私を助けるために立ち上がってください2節。本詩は三つの詩が纏められている(1~⒑節、11~17節、18~28節)。10節までは主の助けを呼び求める祈りである。争いに勝ち、立ち上がって助けてくださいと祈る。3節「槍と投げ槍を構えて私に迫り来る者に立ち向かい私の魂に言ってください『あなたの救いはわたしだ』と。直訳「私に向って追い攻める者達を、槍を抜いて閉じ込めてください。そして「私こそお前の救いだ」と言ってください。4節「私の命を狙う者が恥じと屈辱を受け、私に悪をたくらむ者が、退き、辱められますように。」そして恥をかき後退して...私は大いなる集会であなたに感謝をささげ

  • 主は心の打ち砕かれた者に寄り添い

    詩34篇19節「主は心の打ち砕かれた者に寄り添い、霊の砕かれた者を救い出す」聖書協会共同訳1節「小見出しダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で気がふれたように装い、逃れて去ったとき。2節「私はどのような時も主をたたえよう。私の口には絶え間なく主の賛美がある」。前半11節までが苦難からの救いの喜びと賛美であり、後半12節以下は教訓的な教えである。すべての時に主を賛美し、口に賛美が絶えないのである。3節「私の魂は主を誇り苦しむ人は聞いて喜ぶ」。私と共に主を崇めよう。共に御名を崇めよう(4節)。原文「へりくだる者達は(アナヴイ―ム)聞くように(イシュメウー)そして喜ぶように(ヴェイスマーフー)。苦難は心貧しく、謙遜な態度にされる(マタイ福音書5章3節)4節「私と共に主を崇めよ。共に御名を崇めよう」。私が主を尋ね求めると...主は心の打ち砕かれた者に寄り添い

  • 幸いな者 主に過ちをとがめられず

    詩33篇1節「正しき人よ、主によって喜び歌え」聖書協会共同訳1節「正しき人よ、主によって喜び歌え。賛美はまっすぐな人にふさわしい」。1~3節は賛美への招きであるが、1節は32篇11節と同じであり、原文「義人たちよ(ツアデイキーム)」喜び歌え。「正しい者達(らイエシヤリーム)喜びの声をあげよ、力強く賛美することが出来る。琴と十弦を奏でて主に感謝をささげ、ほめ歌うのである(2節)。3節「新しい歌を主に歌え、喜びの叫びと共に麗しく奏でよ」。本詩は新年祭の詩篇とされている。4節「主の言葉はまっすぐ主の業はすべて真実」。ここら神の創造の業とその秩序を賛美する。主は正義と公正を愛し、主の慈しみに地は満ちる(5節)。主の言葉により、その息吹によって天の万象は造られた(6節)。主は大海の水を革袋に入れるように集め、深淵の水を倉...幸いな者主に過ちをとがめられず

  • 幸いな者 主に過ちをとがめられず

    詩32篇2節「幸いな者主に過ちをとがめられず、その霊に欺きのない人」聖書協会共同訳11節「(小見出し)ダビデの詩、マスキール。背きの罪を赦され、罪を覆われた人」悔い改めの詩篇のひとつ。詩51篇と同じ「バト・シェバとの不倫事件」サムエル記下11章が想起される。共通している詩篇は51篇、130篇、143篇もある。1、2節の文頭に「幸いだ!」(アシュレー)が来る。この形式は1篇1節、33篇12節、41篇2節などにも出てくる。それは罪の悔い改めの結果である。その罪の赦しが四様に出ている。(1)「背き(ペシャア)」文語訳「咎」違反=赦された人(ネスイ)(2)「罪(はタアー)的が外れる。踏み外す」=覆われた人(ケスイ)。(3)「不義(アヴオン)」咎。邪悪な性格=主がとがめない(ろーヤふショヴ)。(4)「欺き(レミヤ)」陰謀...幸いな者主に過ちをとがめられず

  • まことの神よ 私の霊を御手に委ねます

    詩31篇6節「主よ、まことの神よ私の霊を御手に委ねます。あなたは私を贖われた」聖書書協会共同訳1節「(小見出し)指揮者によって。賛歌、ダビデの詩。」2節「主よ、あなたのもとに逃れます。私がとこしえに恥を受けることがないようにしてください。あなたの正義によって私を救いだしてください」嘆き(2~7節)と信頼(8~9、20~23節)とが交互に歌われている。2~7節は71篇1~3節と同じである。「~もとに逃れます」は原語「あなたの中に私は逃げ込む(ハスイ―テイ)」である。3節「私に耳を傾け、急いで私を助け出してください。私のために、砦の大岩、救いの城となってください。」逃げ込むのは、あなたが私のために「砦の大岩・巨岩(れツール)」砦の家・私の岩(サるイ)だからである」これが4節で繰り返されている。「あなたこそわが岩、わ...まことの神よ私の霊を御手に委ねます

  • わが主に憐れみを乞い願います

    詩30篇わが主に憐れみを乞い願います9節「主よ、私はあなたに呼び掛けます。わが主に憐れみを乞い願います。」聖書協会共同訳1節「(小見出し)賛歌、神殿奉献の歌。ダビデの詩。「主よ、あなたを崇めます。あなたは私をすくい上げ私のことで敵を喜ばせる事はありませんでした」(2節)。小見出しにある通り、神殿奉献の歌でマッカベヤ時代(BC164年~)から「宮きよめの祭に用いられるようになったという(ヨハネ福音書10章22節see)2節にあるとおり「主よ、あなたを崇めます」という賛美から始まる。3節「わが神、主よ、私があなたに叫ぶと、あなたは私を癒してくださいました。」本詩から32篇まで重い病から癒された経験が歌われる。それは瀕死に直面する程の者であったことが伺われる。4節「主よ、あなたは私の魂を陰府から引き上げ、墓穴に下る者...わが主に憐れみを乞い願います

  • 主がその民に力を与えてくださるように

    詩29篇11節「主がその民に力を与えてくださるように、主がその民に力を与えてくださるように」聖書協会共同訳1節「(小見出し)賛歌、ダビデの詩神々の子らよ、主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ」。8篇2~10節、19篇1~7節に同じ自然の中で神の力の働きが賛美されているが、本詩は自然の猛威の中から主(アドナイ・岩波訳ヤハウエ)の名を呼ぶ祈りである。「神々の子ら」は大空に無数に存在する星と雷鳴を表しているカナンの文学形式に基づいている(ヨブ記38章7節)。ヘブライ語対訳では「神の子らよ」で、礼拝の会衆に呼び掛けた典礼用に転用した加筆と言われる(9節、11節cf)。汎神論を避ける必要はない。2節「御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いで主にひれ伏せ。」天にある無数の星と雷鳴に呼びかけて「御名の栄光を主に帰せよ」と三度繰り返す...主がその民に力を与えてくださるように

  • 父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます

    詩27篇10節「父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます」聖書協会訳1節「(小見出し)ダビデの詩主は我が光、我が救い。わたしはだれを恐れよう。主はわが命の砦。私は誰におののくことあろう」。「悪をなす者が私の肉を食らおうと近づくとき、私を苦しめる者、私の敵のほうが、かえってつまずき、倒れる」2節。1~6節は信頼の祈りであり、7~13節は嘆きの歌である。主は私の不安や恐れを取り除く光であり、命の砦である。然し苦難の描写や克服は共通した事柄で相互補完した詩篇と読むことが出来る。3節「たとえ、軍勢が私に対して陣を敷いても私の心は恐れない。たとえ、戦いが私に向って起こっても私の信頼は揺るがない」。4節「私が主に願った一つのこと私はそれを求め続けよう。命のあるかぎり主の家に住み主の麗しさにまみえ主の宮で尋ね求...父と母が私を見捨てようとも主は私を迎え入れて下さいます

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