生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
瀬戸内海を支配していた村上水軍には三つの村上家(能島、因島、来島)があった。その中の能島村上家の本拠地が、目の前の小さな能島である。手前が水軍の旗となる。 この島の沿岸海域は、潮の流れが速く複雑で、敵が容易に近くことができなかった。 この島を拠点に広く瀬戸内海の運航を支配し、村上海賊と呼ばれた。 「海賊は、今でいえば警察だった」と、少々わかりにくい説明もあったが、船の安全も守っていたのだろう。 ある時は海賊、ある時は警備隊、ある時は漁民、そして事が起これば、まとまって水軍となり、大名や石山本願寺(浄土真宗)を助けたのである。誠にあっぱれである。農民に比べ独立性、自由度が高く行動が広範囲である。 やり投げで、世界選手権銅メダリストの村上 幸史(むらかみ ゆきふみ)選手も瀬戸内の島出身である。村上..
瀬戸内海しまなみ海道の大島(愛媛県今治市)を走っていて、目に飛び込んできた採石場。 調べてみると、愛媛県今治市の「大島の石」は有名で、国会議事堂などにも使われているそうです。 それよりもっと身近に、昔から墓石に使われることも多いそうです。 あなたのご先祖のお墓、瀬戸内海大島産かも? それじゃ~また
広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ「しまなみ海道」の大三島を訪れた。 この島を車で走っていると、宗方(むなかた)という地名にでくわした。 宗像(むなかた)は、言わずと知れた九州北部の町で、福岡市と北九州市の中間に位置し、日本最古の神社「宗像大社」がある。この神社は海神を奉(まつ)る総本社で、全国にムナカタと呼ばれる地名があるのだ。 古来、九州と瀬戸内海の島々は船で活発に往来があったのではないか、直観的にそう感じた。 調べてみると、大三島には、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)がある。「三島大明神」とも称され、三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布するそうである。 古く九州の地から瀬戸内海、さらに全国に広がっていく海のルートがあったのだろう。それが後年北前船として淡路島や三国、能登、新潟、北海道など各地の港町に繁栄を..
山口県の「香月泰男美術館」まで足を伸ばそう。 島根県大田市の三瓶山の西駐車場に着いたのは早朝だったので、時間の余裕ができた。 シベリア抑留のの絵画、玩具の人形。前々から香月泰男さんのファンだったので、その作品を直接見る事は念願だった。 4時間程かかって、山口県長門市の丘の上にある美術館の下に着いた。 そこからは急な坂道で、おまけに車止めがある。 しかし「車両乗り入れの必要な方は右側のインターホンをご利用ください 」との看板がある。「助かった!」とインターホンを押した。 しばらく待っていると女性が坂道を降りてきた。受付の方というよりも学芸員の雰囲気だ。 「今日は造園屋さんが伐採工事しており、途中にトラックが止まっているのでここから入るのは無理です」とつれない言葉。 ..
これまで色々なところを旅し、そのたび多くの身体障害者用のトイレを利用してきたが、これまでの中で最高のトイレと巡り会った。 島根県太田市の三瓶山(さんべさん)西の原駐車場の身障者トイレである。 壁面全てが天然木材で、ものすごく落ち着ける。明るく清潔で、もちろん洗浄、乾燥機能付きである。 多くの身障者トイレは、広いが白色系で寒々としている。 しかし入ってすぐ気付いたが、トイレなのに自然の中の様に、空気も澄んでいて、天然の温かさがある。 素晴らしいトイレだった。 それじゃ~また
【神戸新聞 2022年11月13日】 病気をしてから服にうるさくなった。 別に、急におしゃれになったわけではない。 着やすくて歩きやすい服を求めるようになったのだ。 苦労しながらなんとか服を着ても、ちゃんと着れていない。みっともないなどと女房に容赦なく指摘されて凹む。 だから不自由な身体に合せた着やす衣服は切実な問題だ。 但し自分の好きなデザインも外せない要素だ。そうなると既製服のお直しが一番現実的だと思う。しかもリーズナブルな値段で。 「キヤスク」の様な取り組みが広がってほしいと思う。 公式サイト https://kiyasuku.com それじゃ~また
昭和世代の方なら覚えておられる方もが多いのではないか、TVドラマ「男女7人夏物語」。 明石家さんま、大竹しのぶなど7人の若手俳優が出演して大ヒットした。こんなシチュエーションの青春を過ごされ方、実際多かった思う。私にもそんな青春があった。18歳の時京都で出会った5人。もちろんドラマのような美男美女ではない。 どん底大学で出会った男3人に、女2人(看護学生とOL)。そこから2組のカップルが誕生し夫婦になった。私は1人余った(涙) どん底の男たちは、もう無茶苦茶で、だれもまともに就職できなかった。そんな男をこの女性2人は見捨てなかった。 あれから40年、女性1人は50代の初めに亡くなり、先日男の1人が亡くなった。気がつけば5人のうち2人が既に亡い。もう1人の女性もガン闘病中だ。 ..
中国地方旅の初日、目指すところは、島根県の奥出雲である。ちょうどこの日は皆既月食の日である。 紅葉狩りを楽しみながら、夜は、余分な光が少ない山の中でゆっくり皆既月食を見物し写真も撮ろう。 しかし、出かけてみると紅葉の盛りはまだ先。それではと、皆既月食撮影を始めたが、一眼レフカメラは重く、片手で夜空に向かって撮影するとブレブレになる。三脚を持ってくれば良かったか。 しかしプロでもないのだから綺麗に取る必要はない。むしろこの片手で撮った方が、個性が出て面白いのでは、と思い直した、ヘタの言い訳か(笑) 障害は個性だという人がいる。が、生活全般においては不便の連続で、私はできればこんな個性は勘弁してほしい。 しかし、文化芸術の分野では、個性たり得ると思う。 ..
緊急搬送された病院で、慌てて駆けつけた親族に医者が言った一言。 回復期病院に転院した時、看護師に言われた一言。 いずれも同じでした 「自己管理の失敗」 他にも医者に「もう一生歩くことは出来ないでしょう」 「本当なら助からないのを助けたのに、これ以上何を望むのか」と言われた方々がいます。 倒れたショックで落ち込む中、容赦なく浴びせかけられる治療側の暴言。片麻痺障害という後遺症は、こんなどん底からのスタートです。 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。 その時ふっと若死にした友人の奥さんのつぶやきが聞こ..
これ、はなはだ危険である 午後、西に向かっての走行は片手運転にとって最もピンチの時である。 前方は、まぶしさの余り真っ白。カーナビやスピード・メータ等の計器類は全く見えない。 両手運転なら片手でハンドルを持ってゆっくりサングラスをかければいいのであるが、片手運転ではハンドルから手を離すのは極めて危険である。 私は高速道では、自動運転に設定にしているので、車線はみ出しなども感知して修正してくれる。それでも長い間手を離し続けることはできない。都市部近郊では、白線が消えかかってる所などたくさんあるからである。 私はカーナビを見るために運転専用の遠中メガネをかけているので、一層手間が掛かる。 これまでは、車用サンバイザーを降ろし、遠中メガネの上にサングラスをかけていたが、夕日に全く歯が立たなかった。 目の能力もか..
2022年は米国株投資家にとって厳しい一年となった。 S & P 500指数は日経平均を 10ポイント下回り年初より17%の大幅下落となった。 私も年末の1ヶ月で、金融資産の7%強、〇百万失った。 買いシグナルは12月に何度も点灯したのであるが、 NISA を使い切ったこと、来年の下落もあるだろうと様子見を決め込んだ。 ただ年末に比較的下げ幅の少なかった日本株アクティブファンドを売却した。 これについては、ここからの伸びしろは小さいと感じたこと。アセット・アロケーション(資産配分)における日本株の構成比率が基準値を越えていたこと。特定口座での購入であったこと。さらなる下落局面に備えキャシュを増やしておきたいことなどが理由である。 ◆投資リターンは、インデックス投資>厳選投資 2..
多くの人がここを通過し、自主リハビリを続けていく。 明日は、今よりもう少し良くなろうと「あすなろ」の意志との希望を抱いて。 一歩進んで、一歩下がるで、何度も心が折れそうになる。自分自身との戦いなのだろう。 倒れてから、数日で、リハビリが始まった。驚いた!若いセラピストが、子供を相手にする様に話しかけてくるのだ。 病棟では、他に喜んでくれる人はいなかった。 これでウロウロされて転倒でもされたら大変だとの心配が先に立つのだろう。治療側と患者の心情とは大きな隔たりがある。 脳の損傷が大きい場合、健常者風歩きしようとすると、どうしても無理が出る。力み、過緊張、痙性の悪循環だ。セラピストからは健常歩きとの違いを絶..
これが、別れかもしれない・・。 12年前、出張先で脳卒中で倒れ緊急搬送されたの で、今も旅立ちの時、ふっとそう感じます。 妻もちょっと不安そうな表情を浮かべる時があります。 でも怯えて縮こまるのは私たちらしくありません。 出発します。 【兵庫県生野銀山跡】 【兵庫県宍粟】 【福井県大野市 九頭竜ダム湖】 【福井県大野市 宝慶寺】中国で道元と一緒に修行していた中国僧「寂円」は、道元が日本に帰国した1年後、道元を慕い永平寺にやってきた。 その後道元の死ぬまで側で修行を続けた。道元の死後は永平寺を離れ、大野の山奥の小さな寺「宝慶寺」で、死ぬまで修行を続けた。 【青..
【山梨県精進湖から望む富士】 本年もよろしくお願い致します。 今年も、車一人旅を続けます。 長距離移動のみでなく、小さなエリアでゆっくり過ごす旅もいいなあ~と思っています。 ブログも継続します。今年より新たに、写真と自由律句を組み合わせた「写真自由句」に取り組みます。テーマを設定しブログでまとめたいと思います。 初めての取り組みの場合、質より量です。まずは、恥を省みず(Twitter)にどんどん上げていきたいと思います。よろしければご覧になってください。 皆さま良き年になりますように それじゃ~また
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生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
ポータブル電源の残量が無くなったため、 仕方なく食パンをそのまま、ゆっくり嚙んでいると 塩味が効いていて、何ともウマイ 食パンってこんなに美味しくなっているのか! 毎朝トーストされたものを、十数年年食っていたが、初めて気付いた。 こんな発見あるから旅はいい それじゃ~また 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
▼以前「突然やってきて玄関でハンコだけもらってはいさよなら」のケアマネージャーの話をしました。 彼女との関係は本当に変わりました。彼女は1週間前には必ずメールで予定を聞いて互いのスケジュールを合わせ訪問してくれる様になりました。もちろん必ず私の部屋にまで入ってきて、顔を合わせ、15分程度は話をする様にもなりました。 ▼話してみれば、彼女は大変熱心な人で、勉強家でもあります。また彼女の故郷、坂だらけ、ネコだらけの町である広島の尾道の話題から、坂の歩行方法や、ネコ、映画などの話題で盛り上がるようにもなってきました。 それだけではありません。私がロボットリハビリで入院していた時には、リハビリを見学したいと言うことで、ロボットの横で1時間ずーと私のリハビリを見学していました。 さらに私を担当してくれていた理学療法士とも、熱心に..
知らなかった。 三沢には、寺山修司記念館があるのだ。 斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。 若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。 映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない 記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。 車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。 そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。 今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。 ..
▼今回のテーマは「障害受容」です。 私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。 1.障害受容に至る過程 通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。 「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きまし..
久々の「お気をつけあそばせ」シリーズの記事です 亭主を、都合よくコントロールしようとする妻 ▼私の母がそんな女だった。夫婦で 鉄骨建築の会社を起業したが、 母が実質的に社長、 父は 現場監督だった。お金のことは全て母親がやっていた こういう人は 、頭も良く愛情深そうに思えるが、 そうでない。 自分が思うままにコントロールできる人間が好きなだけだ。 ▼母の晩年は父に内緒で、それまでの苦労に復讐するように 贅沢品にお金を使い続け、一方で自分の気に入った親族を偏重し援助を続けた。 父は終始、理性的でなく感情的人間で、死ぬ間際まで酒を飲み続けた。当然会社は、大きな成長の機会を逃し、実質的には個人企業の域を出なかった。 ▼お金(蓄財)に関して、次の様に私は考える 。 蓄財には、四つのステージ(段..
▼女性看護師さんによって気が合いそうなタイプ、どちらとも言えないタイプ、どうも苦手と感じるタイプがあります。 ▼わたしは、柔らかくおもしろいタイプは気が合いますが、勝ち気なタイプはどうも苦手です。 ▼勝ち気、強気なタイプには闘争心さえ感じるのです。接しているとどうしても態度や言葉に”ぞんざいさ”を感じるのです。私の経験ではわりと美人が多く上から目線で人を見る。負けず嫌いな私は、ムラムラ反発心がわいてくるのです。 ある意味自分と似た面も無くはない人なのですが・・・。とにかく私の場合「ムラムラ反発心」が問題なのです。これをコントロールする必要があるのです。 ▼世の中自分の気の合う人とだけ付き合って楽しくやっておれれば、それは幸せなのですが、これから先に病院や施設等で暮らす可能性は誰しもありますので、..
片手でくぎを打たなければならないこと、時々あります。 そこで、考えたのがこちらの方法です。 (1)家電部品や菓子などについてくる発泡スチロール(あるいは硬いスポンジ)を用意します。 (2)それにまず、くぎを立てます(ねじくぎは回しながら立てます)。端の方がいいです。 (3)くぎを打つべき場所に立ててくぎを打ちます。 (4)くぎが固定されたらスポンジを引き抜く。スポンジは破けます。ですから、最初に端の方に刺しておく方が良いのです。 それじゃ~また。 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
旅ブログを書くことは楽しい。 第一に、旅を再体験できる。ある旅の一瞬を切り取って、じっくりと味わい直すこともできる。 二番目は、書いたものを読んでくれる人がいることである。少人数でも読者のいることは大いなる喜びであり励みになる。たまにコメントなどいただくと、更に嬉しい。 三番目は読み返す楽しみである。自分の体験したことが写真だけでなく文書で残っていることは、そのときの心情がよみがえってくる。 ブログをお書きなったことのある方はお気づきだと思うが、自分の書いたものは面白いのである。 興味も考え方も同じで、すぐ理解や共感できるから当然と言えば当然であるが、つい熱中して時間を忘れる。 四番目は、いつでも何回も気楽に読み返せる楽しみが残っていく。例え、身体が弱って書けなくても読み返す、あるいは読み上げで聞く楽しみは残る..
四国への5日間の旅、走行距離は1350㎞だった。のんびりと余裕のある行程だった。 そのうち4割弱が高速道だったろうか。 地方の比較的空いている高速道では、N-VANのクルーズ・コントロール機能が本当に役に立った。 最高速度を設定しておけば、前の車に合せてくれる。例えば最高速度を90キロに設定しておく。前の車が80 km で走っていればこちらも80 km に自動調整してくれる。前に車がいなくなれば最高速度の90キロまでスピードが上がる。 アクセルペダルを細かく操作しなくてもいいから、大変楽なのだ。 足を床にぺったと置いておけるから疲れない。 私は片麻痺となって、以前に比べ集中力、瞬時に様々な事を考え操作するという点では、少し劣るように思う。同乗者と会話は苦手だ。 だからアクセルに気を遣わなくていいぶん、非常に運転が楽..
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん..
東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。 小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。 障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い それにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。 ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。 とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。 105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。 新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子..
私が山形県で楽しみにしていたのは酒田市の「土門拳記念館」を訪れることだった。 原発投下後の悲惨な人々の写真、九州の炭鉱の子供たちの写真、仏像の写真など、私は土門拳の写真のファンなのである。 ところが、著名な建築家が設計したと言うこの記念館、身体障害者には非常に厳しかった。 障害者用の駐車場があるのだが、これが遠い。一般の駐車場の方が入り口に近いのだ。 それから私は歩行器を押して入り口に向かったが、これが大きな鉄の扉で、片手の力ではどうにも開かない。 幸い、外を掃除をされていた職員の方がおられ、入り口を開けくださった。 帰りもこの扉を開けようと、苦戦していると、見かねた受付の職員の方が、わざわざ出てきてくれて開けてくれた。身体障害者だけでなく高齢者や女性も開けるのは厳しいと思う。 館内の売店にも階段を使わない..
下北半島の元会津藩士の過酷な暮らしを救ったのは意外にも明治政府による「廃藩置県」であった。 これにより藩はなくなり移動も自由になった。ある者は会津に戻り、またある者は東京に出た。 しかし引き続き下北に残り、ここで暮らしを立て直すべく奮闘した人々もいた。代表は、元会津藩士・旧斗南藩少参事であった広沢安任である。 広沢は、当地が古くから南部藩最大の馬の放牧場であったことに目をつけ、貧困に苦しんでいた旧会津藩士のため政府に上申し、土地を無償で借り受け近代的な牧場を開いた。 地域の特性を生かして暮らす、そんな基本を怠って硬直した江戸幕府の政策失敗のツケは結局、弱い庶民に回ってくる。 全国一律に稲作に固守しなければ、地方の特徴を生かし多様な道が開けるのだ。 しかし元会津藩士たちの聡明さが、ついに再起に繋げたのだ。 どんな..
会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。 こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。 ..
奥羽(東北地方の太平洋側)の北部(岩手、青森)の農民は、日本の歴史上、本当に凄惨な暮らしを強いられた。 本来は、縄文時代の古墳が発見されるなど、漁業を中心に畑作、山の幸を加えれば、豊かな土地であったにもかかわらずだ。 全ての不幸の始まりは、武士による年貢取り立て。その土地に不向きな米作を強要されたことだ。 ここは太平洋側からの冷たい風である山背(やませ)が吹いて、南国産の米作など元来不向きな土地なのだ。 山背、冷害、凶作のパターンで農民は飢餓にあえいだ。 最近、Yu-Tuber歴史家が「農民は飢餓の年は、藩により備蓄米の放出があり幸せだった」と物知り顔で、平然と言うのを聞いてぶったまげた。 歴史上、そんなレベルでは全くないのだ。数年に一度は、ここそこで、餓死が当り前の様に起こるのだ。 それでも盛岡藩は年貢を強制..
▼「空木」は、枝の中が空洞であることから「空(うつ)ろな木=空木」と名付けられたと言われています。 ▼作家の「宮部みゆき」さんと「杉本章子」さんが対談し、 山本周五郎作「なんの花か薫る」に関して次のように発言されています。 (杉本)人が、人でなしの顔をして出てくるのはよくあるけれど、人でなしが無垢な善人として出てくる。 (杉本)無意識の悪意。本当に天真爛漫な「人でなし」のぬけぬけとした残酷ぶりをじっくり心に刻んでほしいと思います。 (杉本)本当に誠実で心の中にあることをそのまま言っているんだろうと思うんですね。だけど結果的にはすごいぬけぬけとした残忍な性格だなと思わせるわけですよ (宮部)悪いことをしていると思っていないんですよね。ふっと邪悪が臭う 。 (杉本)山本周五郎の作品というのは人間の残酷さとか邪悪さと..
高校を卒業した頃、「漫画には小説や詩と同じように大人が読むものもある」ということを教えてくれたのが、漫画雑誌「ガロ」でした。 つげ義春さんの「紅い花」,永島慎二さんの「フーテン」夢中になって読みました。 編集長であった長井勝一さんの「まんが美術館」が塩釜にあると知って訪ねました 入場者は私一人で、普段見ることのない漫画の生原稿をじっくりと味わうことができた。やはりみんな恐ろしくうまい! ガロは紙質が悪いこともあり、なんだか下手に見えた作品も、生原稿を見るとやはりスゴイ!プロもどきは生き残っていけない厳しい世界だと、実感させられた。 作家の息遣いを感じる生原稿はやはりいい。 ★仙台の先にある塩釜という街、初めて訪れた者には何とも走りにくい街でした。交差点..
越前加賀は、日本の歴史上、類まれな地域である。それは庶民による自治共和国が100年も続いた歴史を持つからである。 この旅で、白山市鳥越の一向一揆歴史館を訪れることを楽しみにしていた。 この地は「百姓の持ちたる自治共和国」が大抵抗の末に、最後に滅んだ所である(1582年) 滅ぼしたのは織田信長である。 信長との戦いは、石山本願寺(後に大阪城)、金沢御堂(後の金沢城)と二つの大拠点が陥落し、大勢は決していたが、鳥越は、なお最後まで徹底抗戦した地である。陥落後は、周辺の集落に人が全くいなくなるほど残虐な殺戮(さつりく)を受けた。浄土宗門徒は武士の世を揺るがす危険集団とみなされたのだ。 その100年前、本願寺門徒による一向一揆で守護大名を打ち破って百姓の持ちたる国が誕生した。百姓による自治共和国である。 百姓とは、中心となった..
私が小学生の頃、テレビが爆発的に普及しました。東京オリンピックが開かれるからです。 期待に胸膨らませた東京オリンピック陸上競技では、惨敗つづきでシュンとなりました。 ただ一人、最終種目のマラソンで、円谷選手がメダルを取ったのです。歓喜しました。 円谷選手は首を傾け本当に苦しそうに走るのです。アベベに次いで、競技場に戻ってきた円谷選手は、そこで一人の白人選手に抜かれましたが、何とか銅メダルを獲得しました。 私もこれに大いに刺激を受けて、「円谷選手のようにオリンピックに出る」と人生初の目標を立て、毎朝走るようになりました。円谷選手は私のヒーローでした。 何年か後、あの円谷選手が自殺したという衝撃のニュースが飛び込んできました。 「なぜ?」という疑問は脹らみましたが、それでも毎朝一人で走ることは止めませんでした。 家..
◆伊勢志摩は、 伊勢神社の 内宮があり、交通も便利な風光明媚なところだというイメージをずーっと持っていた。 でもそれは 伊勢志摩の伊勢市の方で、志摩町は違っていることを初めて知った。 伊勢自動車道の伊勢西ICから志摩町に向かったのであるが、 これが、くねくねした山道の連続 。小一時間たって、ようやく志摩町に着いた。 ◆そこから古くから交通の難所と言われた熊野灘は始まる。隠国(かくれくに)と呼ばれた熊野の入口である。 岬の大王崎灯台から、半島の先端の御座白浜を目指した。 ◆夕日が沈む堤防の上に、中学生くらいの女の子が 三人、寝っ転がって頭を寄せ合い、足を上げたりしながら、楽し気に会話してる。 いいなあ~こんないいところに生まれて。 いつまでも仲良しさんでいて下さい。 ..
◆私は車一人旅を趣味としています。昨年は長崎の平戸から青森県の三沢まで旅しました。 しかし 、同じ趣味の多くの人が取り組まれている車内をDIYして車中泊仕様することは、残念ながら思うようにできません。 ◆寸法を計る、切る、組み合わせる等の加工、取り付け作業は、片手では本当に困難なのです。 しかし機能的にどうしても必要なことが出てきます。車内で料理する場合は二酸化酸素中毒にならないための換気です。これまではドアを開け放していたのですが、秋冬は結構寒いのです。 ◆それで窓に換気扇を取り付けることにしました。 ただ 片手では寸法を測ることもできません。 幸い専用のサンシェードを持っていたので、それをなぞって 大まかな型をとりました。 しかし片手では、プラダンを型通り切っていくのも難しく、ぴったりと実際の..
【神戸新聞2023年4月13日】 こういったサービス、提供者側からの話はよく耳にします。 問題は得てして「お金がある」高齢者、障害者向けであることです。こんなかゆい所に手が届くサービス提供するのだからと、コストアップ式に料金がどんどん高くなっていく。 市町村による障害者移動支援サービスはあります。私も2年程プールでのリハビリに利用していたことがあります。 しかし提供者都合で日程など決められますし、何より「してやってる感」が強く出て、多少圧力を感じました。 ですから、相手は時間を守らない。対等の関係ではないのです。 今回の取り組みも、多くの身障者が気楽に利用できる料金、提供者のサービス・マインドの向上にも目を向けてほしいと希望します。 それじゃ~また ..
【神戸新聞2023年4月9日】 ◇画像をクリックすると拡大されます。 私は、左片麻痺ですが、麻痺側に膝が上手く曲がらない。 頑張って歩行リハビリすればするほど膝が突っ張っていく。 ですからこんな器具あればいいなあ~と常日頃感じていた。下半身まひとあるが、片足だけの装着も片足だけでも使えそうに思う。 問題は一台数百万という値段と、訓練できる施設が限定されること。はやくこの問題が解決されること切に望みます。 それじゃ~また
次男の婚約、両家の顔合わせ などで 、なかなか旅立つことができなかったのですが、 ようやく 今年初めての車一人旅に出ます。 Twitter やブログで紹介されていて、いいなぁ~と感じた場所にも行ってみるつもりです 。ご紹介いただいた方々、ありがとうございます。 歩行などの調子はそんなに良くはないのですが、怖がって縮こまるのは嫌いです。その分、細心の注意を払いながら行動したいと思います。それが小さな自信につながります。 それじゃ~また
◆「薬のやめどき」医師長尾和宏著 先生の主張は「薬は幸せな人生にどこまで役に立つのか。 そのためには やめどきを間違えないことだ」ということだ。 薬のやめどき 作者: 長尾 和宏 出版社/メーカー: ブックマン社 発売日: 2016/12/22 メディア: 単行本(ソフトカバー) ◆どうして多剤投与が起きるのか 臓器別 医療による細分化 、患者の高齢化 、さらに薬好きの国民性が重なり 、多剤投与による無駄な費用が増大し 、誰も止められなくなってきているだけだ 。だから自然増 と言うべきだ 。本当はもっと減らせる 医療費の中で一番 減らせる部分はまず 薬剤費なのだ。 ◆医療のやめどきを知らない医師 「やめ..
【神戸新聞2023年3月22日】 いかにもお役人が考えそうな机上の政策である。 まあ、これはこれでいいだが、役所は長年法定雇用率をごまかしてきた。メガネを掛けただけの人間を障害者にカウントするなどひどいものだった。そしてその責任を取ってはいない。 少なくとも長年のズルの埋め合わせとして民間企業の法定雇用率の倍を基準に設定すべきだと思う。 そうやって実際に障害者を雇い入れ、苦労して手に入れたノウハウを民間企業に提供してほしい。 <吠え!吠え!> 自分たちは大して苦労せず、民間企業ばかりに苦労を押し付け、達成できなければ罰金を徴収する。 ええ加減にせんかい!! それじゃ~また 役人
◆妻への詫び状(1) 結婚して数年たったころ、今も一緒に暮らしていると古い友人に言うと、驚かれた。 今にして思えば、確かにコミュ力もなく性格も悪かった。 ◆妻への詫び状(2) 妻にどうしても聞けないことがある。 「俺と結婚して良かった?」 答えと確率予想(日頃の言動から) 浮気や賭け事しない。暴力も一切なし、ただ人生がギャンブル 1 失敗60% 2 経済面は、ギリギリ良かった30% 3 良かった10% 死ぬ前には、一度聞くつもり。 ◆妻への詫び状(3) 「今が一番いい」と言う妻。 脳卒中で仕事を失くし、要介護2の俺が、ほぼ家にいる暮らし。 それでも、これまでよりは、ましだと・・・? ほんま救われた。 ..
◆2024年から新NISAが始まる 国のメッセージを読み解けば、 「もう公的年金だけで老後の生活は到底支えられません 不足分は投資により自己責任で作ってください。 国も年金積立金は投資で運用します。 どうか新NISA制度を利用して自己責任(損失補填はしません)で資金運用にチャレンジしてください。」ということであろう ◆止まるは地獄,、行くも地獄となるか? 特に、今は世界的に株価は低迷している。 それでも私は行くつもりです。長期スパンで見れば、平均年5%の収益は信じています。 それじゃ~また meganesaru707新NISA成長枠、公募投資信託の3分の2が対象外 金融庁方針 - 日本経済新聞 https://t.co/SiLIv..
◆長く生きていると誰でも一つや二つ本当に苦しい目に会う時がある。別離、災害、裏切り、病気などである。 なぜ自分がこんな目に会わなければならないのだ⁈その理不尽さに打ちひしがれる。 今、幸福そうに見える人でも、過去には消してしまいたいような出来事もあるものだ。 ◆時が解決する面もあるとはいえ、いつまでも生々しく蘇る記憶もある。 半世紀近く前の事で、うなされることががあり、目覚めて我ながら驚く。 深い悲しみは止まらないのだ。 それが、生きて行くことなら受け入れるしかない。死の間際まで続くのだろう。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年3月19日】 ◆このようなバリアフリーマップへの取り組みがあることは、これまでもちょこちょこ聞いていたのですが、姫路でもNPOにより取り組まれているということです。 観光振興のため、この様な地図が、多くの街で作成されることを切に願います。トイレの場所等、車椅子の方だけでなく高齢者の方にも喜ばれると思います。 ◆内閣府 まち(都道府県・指定都市バリアフリーマップ等ホームページ一覧)
木下晋さんの作品「祈心」です。 鉛筆で描かれています。 10年近く前、元大工の義父が脳梗塞で不自由になった手で近所のお地蔵さんに屋根付けました。 そこに近所の人がお供えしています。 皆さん手を合わせ何を祈ったのか やはり 庶民の暮らしには「祈り」があります。それは世界に共通するように思います。 邪悪な人には欲望はあっても、暮らしに「祈り」はない。 それじゃ~また
【工事後/引き戸】 【工事前/開き戸】 ◆洗面場兼風呂の脱衣所となる部屋の扉を、開き戸から 引き戸に変えた。 開き戸の場合、後ろにステップしながらドアを開けなければならない。 普段、室外では、装具と杖を使って、室内では壁に手をついて歩行している身にとっては、この動作は非常に難しかった。 また車椅子になった時を考えると、自走でも押してもらうにしても、どうしょうもなく不便だ。 それで前々から引戸に変更することを考えていた。 ◆今回は吊り下げ式の扉である。 これによって床にレールをつけなくても済む。段差ゼロだ。開け閉めが若干重いのかなと思って、取っ手だけは大きめの物にした。 結果、スムーズに開け閉めできる。もちろん車イスでの出入りもOK..
小さな庭にも様々な恵みがあります。母が植えたものが多いですが、みょうがの様に自然と生えてきた物もあります。 庭のミカンです。 下、段々色濃くなってきた状態です。 (写真上) ミョウガの茎です (写真下)庭の手入れしていた我が女房 「まだ、こんな立派なミョウガあった!」 と大興奮。 庭のイチジクです。下が実りの時です。 庭に自生しているシソを、プランターに植え替えてみたら、ぐんぐん大きくなりました。夏の麵友(めんとも)です。 左がみかんの木、右がイチジクの木です。 杜仲茶の収穫が済みました。1年分のお茶..
台所から見た桜並木です。植樹した頃、地域住民の名札が下がっており、みんなせっせと世話しました。 父の名札もありました。鉄骨建築屋でしたので、立派過ぎる害鳥除けがしてありました。 ツツジの咲くころ、田植えの終わった田に山が映り込んでいます。
meganesaru707https://t.co/BKF4gc6ltK03/26 00:27 【神戸新聞 2023年2月】 ◆夢のような話です。 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードですから処方された薬を飲み続けています。 ◆二度ほど見直しを、お願いしましたが、結局変わらずでした。 それが、こんな主張をされる医者がおられる。 薬には副作用は付き物なのは誰もが知ることです。私も思い当たりますが、心臓や血流の疾患ですので、一生飲み続ける他ないと諦めていました。 ◆しかし、長尾先生の言われる様に、減薬できれば、副作用はなくなり経済的負担は軽減され、薬不足を心配することもない。 本当に出来るのでしょうか・・・? その見極めの為には、その..
【神戸新聞 2023年3月3日】 大賛成です。 できれば小学や中学の義務教育で、そうでなければ高校では、ぜひ体験して頂きたいと思います。 百聞は一見にしかずです。車椅子を乗ったり、車椅子を押してもらったりすれば街の段差等の道路等のインフラ。車イスに乗る気持ちは分かってくると思います。 車椅子でエレベーターになかなか乗れなかったり、乗り合わせた人に狭いなどと言われたりすることが起きています。そんなことが起きないように。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年2月16日】 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖値、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードです。 今の所、薬の入手に不便はありませんが、筋肉弛緩剤などネットで調べると生産が逼迫しているなどと載っており不安に感じることはあります。 皆さんは問題なく手に入っていますか? 問題はジェネリック薬なのでしょう。海外の安い原材料に頼る構造と企業の姿勢は知っておいた方がよさそうです。 薬は欠かせないものにかかわらず、ジェネリック薬は何とも危うい生産構造に感じられます。 それじゃ~また
いよいよ待ちに待った春だ!旅心も高揚します。 2023年春の旅は、紀伊半島から吉野~伊賀~甲賀~近江を巡る旅を予定しています。 関西は地元ですので、観光で一度は行った町も多いですが、今回は、ゆっくりと巡回してみようと思います。 まず温かい紀伊半島から、吉野へ、忍者の町の伊賀と甲賀、近江商人の町である東近江を巡りたいと思っています。 ただ例によって気まま旅。行先は途中で変わるかもしれません。 それじゃ~また
梅の花が好きです。 さくらは、散っても美しい。水面(みなも)に浮かぶ花びらはことさら美しい。 梅は咲いている時が全て。だからいとおしい。 じっと寒さに耐える。梅のつぼみ 開花まで、もう一息。 早く咲け咲け梅の花。 庭に ようやく一輪 遅梅かな。 早く咲く梅もあります。ですが、遅れて咲いた梅には愛おしさを感じます。 梅も人も同じです。 ようやく満開となりました。