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2016/11/13

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  • 本年度も当ブログをご覧いただき本当にありがとうございました。

      2年目を迎えた片麻痺の車一人旅は、今年度は4地方に出かけました。 春の九州北部地方。初秋の白山巡回の北陸、琵琶湖のある近江地方。秋は福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県、山形県の東北6県を旅しました。さらに晩秋の山陰、瀬戸内の中国地方を訪れました。   かなり片麻痺一人旅に慣れてきて、楽しく旅ができました。      特に、身体が不自由そうだと、多くの人から声をかけていただき助けて頂きました。本当に感謝です。 見知らぬ親切な方々と会話出来ることで、旅が一層たのしい物になりました。   また身体が不自由でも懸命に生きておられる方々を目にし、心から感動し励まされました。     来年度もよろしくお願いします。 皆様良いお年をお迎えください ..

  • 田舎暮らしが10年を過ぎました。

      気が付けば、夜明けとともに起きだし、日暮れにとともに外での活動を止める暮らしになりました。   朝4時に起きだし夜11時には床に就きます。   これは旅の途中に出会った老婆です。雨の中、心配になるほどゆっくりですが荷物運搬キャリーを押して、一歩、一歩懸命に歩いていました。 がんばれ!がんばれ!と思わず声が出ました。将来の自分の姿でもあります。ただ、この老婆のように、過去でも未来でも無く、今を懸命に生きたいと思いました。     朝4時頃に起きだし、まず戸を開けて新鮮な光と空気を取り込む。それから瞑想と足指ストレッチが一日の始まりです 午後3時頃から、リハビリのため散歩をするのですが、日が暮れてくるとやめ時です。家に帰って部屋で、静かに過ごします。   夕食時には、焼酎..

  • 中国地方、山陰と山陽の旅

     【上は広島県福山市の瀬戸内の海。下は山口県萩市の日本海】   2022年11月は、今年最後の一人旅と中国地方へ出かけました。 当初は山陰側の奥出雲から山陽側の瀬戸内海に抜けて、しまなみ海道の島々を巡る予定でした。 そこは、例によって進路変更。 結局、山口県の長門まで足を伸ばし、そこから瀬戸内海の福山市、しまなみ海道の島々を巡り最後は広島県の世羅高原、帝釈峡まで北上し帰宅しました。 4泊5日の旅でした。    主な立ち寄り先です。全行程は1356kmでした。   島根県雲南市、太田市三瓶山 山口県長門市、萩市 山口県山口市 広島県福山市、尾道市 愛媛県今治市 しまなみ海道 広島県帝釈峡      2022..

  • 片麻痺旅の車内仕様

     片麻痺での一人旅を始め1年あまり、車内仕様は、試行錯誤の連続です。 中でもイスとテーブルは何度も変えました。他にも、旅が長くなるに従い、クーラーボックスを変え、結局は冷蔵庫に行きつきました。 そんなこんなで、徐々にスタイルが固まってきました。 meganesaru707軽バンの片麻痺一人旅仕様です。床をフラットすると麻痺で思うように動けないので、椅子、テーブル、ベッドの洋式です。 https://t.co/HDUQCE9sMq09/20 02:26  基本、片手でできるDIYですので大したことは出来ません。 車中泊は、旅が好きなのか、車のDIYが好きなのか、人それぞれの楽しみ方はあると思いますが、私は旅派です。 自宅と比べ多少不自由な方が、旅の味わいがあると思ってい..

  • 2022年秋 東北の旅 まとめ

    2022年10月、東北地方6泊7日の旅のまとめです。 主な立ち寄り地と記事のリンクは以下です。 1.新潟県 長岡市 良寛の里 2.福島県 会津若松市   豊かな会津盆地から下北半島へ 不治の障害ゆえ恋人と別離 3.福島県 猪苗代湖 4.福島県 白河の関 5.福島県 須賀川市 円谷幸吉記念館 6.福島県 いわき市 百姓ばっば「吉野せい(作家)」開墾の地 7.福島県 いわき市 草野心平記念館   8. 福島県 大熊町~南相馬市 廃墟となった町々 9.宮城県 塩釜市 長井勝一漫画美術館(ガロ編集長)   10.宮城県 南三陸町 JR志津川駅 11.岩手県 田野畑村 民俗資料館 北三陸リアス式海岸 北山崎 12.青森県 八戸市 13.青森..

  • 最後の瞽女、小林ハルさん永眠の地

    東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。 小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。   障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い それにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。     ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。 とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。 105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。 新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子..

  • 土門拳記念館の困難

      私が山形県で楽しみにしていたのは酒田市の「土門拳記念館」を訪れることだった。 原発投下後の悲惨な人々の写真、九州の炭鉱の子供たちの写真、仏像の写真など、私は土門拳の写真のファンなのである。 ところが、著名な建築家が設計したと言うこの記念館、身体障害者には非常に厳しかった。 障害者用の駐車場があるのだが、これが遠い。一般の駐車場の方が入り口に近いのだ。 それから私は歩行器を押して入り口に向かったが、これが大きな鉄の扉で、片手の力ではどうにも開かない。 幸い、外を掃除をされていた職員の方がおられ、入り口を開けくださった。 帰りもこの扉を開けようと、苦戦していると、見かねた受付の職員の方が、わざわざ出てきてくれて開けてくれた。身体障害者だけでなく高齢者や女性も開けるのは厳しいと思う。 館内の売店にも階段を使わない..

  • 米作り、農民の苦悩は数百年続いている

    十和田湖から秋田県に入って、驚いたのが日差しの強さである。 その日は青森県の下北半島の付け根、三沢市を出発したが、寒い日であった。ところが、十和田湖を経由して秋田県に入った途端、えらく日差しがまぶしいのだ。 このような日差しの強さは、昨年11月に訪れた愛媛県の佐多岬半島以来である。佐田岬はご存じ温州みかんの代表的産地である。 下北半島は、水稲不適合地域で、一方秋田県は「あきたこまち」に代表される米どころである。 だが、秋田も下北も雪国で寒冷地であることに変わりはないのだ。 秋田は寒冷な気候に適した「あきたこまち」の様な品種を生み出せたが、岩手や青森は太平洋から吹いてくる冷風(やませ)により、江戸時代後半まで懸命な努力にかかわらずそんな品種は生み出せなかったのだ。 この差はやはり太陽の恵み(日照)だと、直観的にわかる。 ..

  • 寺山修司記念館

          知らなかった。 三沢には、寺山修司記念館があるのだ。   斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。 若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。 映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない 記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。 車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。 そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。 今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。     ..

  • 会津藩士の再起

    下北半島の元会津藩士の過酷な暮らしを救ったのは意外にも明治政府による「廃藩置県」であった。 これにより藩はなくなり移動も自由になった。ある者は会津に戻り、またある者は東京に出た。 しかし引き続き下北に残り、ここで暮らしを立て直すべく奮闘した人々もいた。代表は、元会津藩士・旧斗南藩少参事であった広沢安任である。 広沢は、当地が古くから南部藩最大の馬の放牧場であったことに目をつけ、貧困に苦しんでいた旧会津藩士のため政府に上申し、土地を無償で借り受け近代的な牧場を開いた。   地域の特性を生かして暮らす、そんな基本を怠って硬直した江戸幕府の政策失敗のツケは結局、弱い庶民に回ってくる。   全国一律に稲作に固守しなければ、地方の特徴を生かし多様な道が開けるのだ。  しかし元会津藩士たちの聡明さが、ついに再起に繋げたのだ。 どんな..

  • 歩行器は、旅でもすこぶる便利です。

    今回の車一人旅では、歩行器(シルバーカー)をフルに利用しました。これがすこぶる便利なのです。 ◆コンビニやスーパーでの買い物時 買い物かごを座席の上に置いて買い物し、レジが終わると商品は、座席の下のかごの中に納めます。 ◆施設見学時 写真の様に、パンフレットは座席に挟んで、購入した土産品は下のかごへ。 ◆雨の日も安心 杖の様に滑る危険性はなく、安定感があり、安心して歩行できます。 これで傘も差せます。 ◆手すりのない階段 一段一段昇り降りしますので時間はかかりますが、コツを掴めば、安定しています。 ◆旅行中でも1万歩 私の様に、重度障害でかろうじて歩行している人間は、杖に頼るより、より自然な歩行になり楽なのです。だから歩行数が自然に増えます。   それじゃ~また   ..

  • 会津28万石から7千石の米作不適合地への転封

    夜、岩手県から青森県に入った。雨が降り気温もどんどん下がってきた。 青森県の太平洋側(南部藩)に来たのは、戊辰戦争で敗れた会津藩が、いわれなき朝敵と見なされ、藩ごと転封された土地だからだ。 それを斗南(となみ)藩と言う。28万石の会津藩は7千石の地に封じ込められた。その荒野に藩士と家族1万7千人が移り住んで、飢餓に追い込まれたのだ。 その跡地を見てみたかった。最初は八戸市の西側の三戸郡中心に移り住んだのであるが、そこからさらに下北半島へ移動させられた。 八戸市のネットカフェ で一泊し、翌日下北半島の入口三沢を目指した。 三沢は言わずと知れた空港・基地の街である。   ただただ広い平原が広がっているのだが、ここは米作りには全く不向きだ。太平洋からヤマセという冷たい風が吹いて来るからだ。 新政府により豊かな会津盆地から..

  • 片麻痺から回復しなかったが、夢は達成できた。

    宮城県から北上する三陸沿岸道路は復興支援道路であり、海はほとんど見えない。 長年の夢であった三陸リアス式海岸は見ることができないのだ。 30代の時、石川県の霊峰白山(はくさん)のホテルで偶然、車で日本一周をしている初老の方と知り合った。 これまで、どこが一番良かったかと何気に尋ねた時、即座に三陸のリアス式海岸と答えられた。 その時、俺も60才で仕事を引退し、キャンピングカーを購入し三陸リアス式海岸を見に行こうと決めた。 54歳で脳卒中で倒れ重度の障害が残り、翌年東日本大震災が起きた。 夢は完全についえたと思った。 それでも、日本の各地を車旅しようと、リハビリを続けた。 しかし、重度の障害は、力めば力む程、むしろ身体は強張り、痙性が進んで一層歩き難くなった。 10年が過ぎ、もうこれ以上身体が大きく回復しない..

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