(今度こそ!)先日のブログにも書きましたが、内宮を目の前にして、お参りできずに帰阪した11年前。 “これから伊勢神宮に行ってきます。” https://kitamahokif.jugem.jp/?eid=
弘前に住む大阪人が、音楽、美術、歴史、そしてグルメについて日々感じたことをつぶやきます。
司馬遼太郎のシリーズ”街道をゆく”の中の1巻のタイトル”北のまほろば”に魅せられて、大阪から本州最北端の青森県にやってきました。日々見聞きしたこと、感じたこと、考えたことなどをつれづれなるままに綴ります。
(灯台見学後)灼熱の^^;)見学会が終わったのが10時過ぎ。 "今津灯台移設工事" http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=5114今津駅に戻る途中で、以前から気になって
(今津灯台)西宮の今津浜に清酒の大関所有の木製の灯台があります。現役です。 今津灯台と建設途中の新水門(2020年1月)江戸時代、このあたりで作られた日本酒が江戸に運ばれた(60%以上が江戸に)そうですが、その運搬の船が樽廻船。日
フェスティバルホールでコンサート前に_立ち食い寿司 魚がし日本一 フェスティバルプラザ店
(大阪芸大プロムナード・コンサートの前に)朝日新聞社の中之島の旧ビル時代のフェスティバルホールは何度かコンサート、オペラを聴きに来たことがありますが、新しいビル(フェスティバルタワー)に移ってからのそれは聴く機会がなく(仙台、弘
(マンボ)元々はハイチの土着宗教ブードゥー教の女司祭(神との対話)という、なんだかおどろおどろしい感じです。しかし、1938年にオレステス・ロペスとカチャオ・ロペスの二人が発表したダンスミュージックにマンボと名付けたのが、ダンスミュージック
(神武の御代から)生駒山は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、生駒山地の主峰です。その名前が現れるのは日本書紀の神武東征の一節が最初ということで、古くから知られた山だったようですね。 (ケーブルカー)山
(いいものを見た後は)当然美味しいものでしょう!えっ、違います?まあ、私はそうなので (*^^*) 奈良国立博物館新館での特別展で、南山城の仏像の名品をしこたま見て、目福の限りを尽くしました。なので次は美味しいランチをと思ったので
(40年ほど前)浄瑠璃寺(九体寺)という寺に初めて出掛けたのは今から約40年前。 堀辰雄:短編集「大和路・信濃路」の7篇の中の一つが”浄瑠璃寺の春” 「この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬
生駒山山上遊園地から大阪・神戸の眺め (奈良・斑鳩1dayチケット)奈良・斑鳩に日帰りで行くなら、この切符(奈良・斑鳩1dayチケット)がお得って情報を得て、買ってみたんですが、本当にお得だったのか? 奈良・斑鳩1day
(昼からビール)これをアカガワルといいます、って私が言い出したのですが ^^;)ランチにビールが欠かせない友人のA氏の名前にちなんでつけました (*^^*) (エビスバー)しかし、こう毎日暑いとたまには飲まずに居られな
(日本画の系譜)京都画壇という言葉があります。それは、近世から近代の京都で活躍した画家たちの総称ですね。 その源流というか原点は、江戸時代に遡り、その時代に活躍した狩野派・土佐派などの幕府や大名に仕えた御用絵師集団、そして町中で絵
(偉人とは良い人が必須条件ではない)色んな分野で活躍し、偉大な功績、業績を生み出した人が、必ずしも良い人(品行方正、性格善良 etc.)ではないようですね。例えばモーツァルト。神に愛された作曲家と言われながら、その素顔は下品で生活破綻者とい
講習会会場近くの夙川の公園のモニュメント (講習会の後のお楽しみ)ヘリテージマネージャー講習会三回目。 この日は、途中に何度か休憩があったものの、4時間の連続講義。内容は興味深く、時にマニアック。しかし終わっ
(ワーグナーの楽劇をどう攻略するか)こういった内容で、とっつきにくいワーグナーの楽劇の攻略方法を書いていました。 "ワーグナーをどう攻略するか。今日5月22日は彼の208歳の誕生日。" http://kita
(孫たちとの最後の食事)この日の夕方には娘と豆台風1・2号が我が家を発つので、お昼にみんなで食事に出掛けました。遠くに行くのも暑い中大変なので、みんなのお気に入りの店、小林駅そばのインド・ネパール料理のスビ・マハルにしました。&
(古代ローマ)古代ローマは共和制下で大いに発展し、地中海世界を制覇しましたが、その共和制後期にはあまりに大きな版図を支配し運営するには、元老院を中心とする共和制ではもはや対応できず、シーザー(カエサル)の頃には寡頭制、そして独裁制へと実質移
(本物の台風までやってきた)豆台風が2つやってきたと思ったら、本物の台風までやってきました ^^;) Y氏から頂いたいちじくでジャム作り。 チョコレートクッキー作りに挑戦 手巻き寿司の準備のお手伝い。それ以上に
(アメリカ合衆国) アメリカ合衆国を日本では米国と書きますよね。何故なんでしょうか? (漢字表記のルール)それは、日本が中国の文化の影響下にあって、外来語を漢字で当て書きする伝統があったためです。用いる漢字と
中華?和食?まあどっちでもいいか、美味しかったから (*^^*)_日々家(六甲アイランド)
(江戸ライフのあとで)神戸ファッション美術館で浮世絵による江戸ライフを楽しんだあと、 "ファッションとは? 浮世絵に見る江戸ライフ_神戸ファッション美術館" http://kitamahokif.jugem.jp/?e
ファッションとは? 浮世絵に見る江戸ライフ_神戸ファッション美術館
初代歌川豊国:富士額花の行列 (服装だけではない)定義を改めて考えてみると、狭義のファッション(英: fashion、仏: mode)は、ある時点において広く行われているスタイルや風習のことですね。しかし、装いに関係する装身具、美
JAPANと呼ばれる日本の漆器_弘前を舞台にした映画”バカ塗りの娘”
(日本独自のhome ware) 尾形光琳作”八橋蒔絵螺鈿硯箱”、江戸時代(18世紀)、国宝、東京国立博物館蔵(wikipedia) 漆器は海外で"JAPAN"と呼ばれたりする
(DMを届けに)9月26日からの写真展(個展 − 北の祭り−)のDMが出来上がりました。 会場のShala Cafeに届けに行きました。 そのついでに開催中の写真展””を見て、ランチも
(永遠のライバル) ドミニク・アングル:オダリスク(wikipedia) この絵はご存知ですよね。横たわる美しい裸婦像。描いたのは、ナポレオンの騎馬姿の絵や、戴冠式の絵で有名なジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子、ドミニク・
(SFという言葉の誕生より前に) ハーバート・ジョージ・ウェルズ(H.G.ウェルズ、1866年9月21日 - 1946年8月13日、wikipedia) SF(空想科学)小説の生みの親の一人で、SFの
(クラシック音楽の危機?)関西に戻ってから、おかげさまでクラシックのコンサート(プロ、アマ共に)に行く機会が飛躍的に増えました。これ自体はとても嬉しいことです。ただ、そこで気づくことは、聴衆の超高齢化です。下手をすると、アラ古希
(遅ればせながら)”冷やし中華始めました”の幟が揚がるのはもっと早い時期でしょうが、今夏私にとっては初めてでした。お店はいつもお世話になっている西宮北口駅そばの餃子の王将。おそらくグランドメニューに入って
コーヒーとインスタントは似て非なるもの?_日本でインスタントコーヒーが売り出された日
(インスタントコーヒーの登場)インスタントコーヒーは、コーヒーの抽出液を粉末化したもの。 インスタントコーヒーの一般的な瓶(wikipedia) お湯さえあれば溶かして簡単にコーヒーを飲めるということで開発されました。い
弦楽四重奏曲で本音を吐露した作曲家_今日はショスタコーヴィチの命日
(謎多き作曲家)(ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ 1906年9月25日 - 1975年8月9日)大昔ならいざしらず、20世紀に生まれて活躍したにもかかわらず、ショスタコーヴィチほど謎の多い作曲家も他にはいない
(未完成という状態)普通、未完成と言うと不完全というニュアンスが付きまとい、なんだか残念なものという感じがします。しかし、例えば芸術の世界を見てみると、未完成ながら世界の名画といったものが存在します。 レオナルド・ダ・ヴィンチ:モ
(新たなシリーズ)京都での文化財マネージャー講習会が終了したと思ったら、踵を接して兵庫ヘリテージマネージャー講習会が始まりました。別に資格マニアなのではなく、必要にかられてなんですけどね ^^;) 京都は朝早くから夕方まででしたが
(スープ缶) キャンベルスープ(Google Arts & Culture) この何の変哲もない、大抵の家庭にストックされているであろうキャンベル社製のスープの缶を並べたものを、シルクスクリーンの手法で描いたのが
(夜景図)古今に夜景を描いた名画が数あるなかで、洋画ではエドワード・ホッパーのナイト・ホークスが、私が尤も心惹かれる作品の一つです。 エドワード・ホッパー:ナイト・ホークス(wikipedia) アメリカの都会の一角、夜
(マンドリンデュオ・シエスタ)元町のクラシックサロン・アマデウスの"水曜日のお茶会" 先月から始まりました。今月も月初めはマンドリンデュオ・シエスタの担当。と言っても、先月の第一回目はメンバーの一人
(弘前では)長らく住んだ弘前では、桜まつりの頃には陸奥湾で旬となるトゲクリガニ、そしてガサエビ(シャコ)が宴席のお弁当に良く入っています。これを食べないと春を迎えた気分にならんというお年寄りが居られました。 (鱧、ハモ
(目当ての店には振られたけれど)元町のクラシックサロン・アマデウスのマンドリンデュオ・シエスタの演奏を聴きに行きました。 午後2時からなので、その前にランチをと思ったのですが、当てにしていたお店が激混み。元町商店街は水
(ラクダという進化形態)ラクダは砂漠のような乾燥したところで、数日間水を飲まずに行動できます。そのため、コブに水を貯めているという俗説が生まれたほどです。 実はコブは脂肪の塊(体中の脂肪をここ一箇所に集めたとも言える)です。断熱材
(大阪コレギウム・ムジクム・マンスリーコンサート)関西はバロック以前の音楽を主に演奏する団体が結構あります。今では世界的な活躍をしているバッハ・コレギウム・ジャパンも、神戸の教会をベースに始まったと聴きますし、テレマンアンサンブルも大阪で結
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(今度こそ!)先日のブログにも書きましたが、内宮を目の前にして、お参りできずに帰阪した11年前。 “これから伊勢神宮に行ってきます。” https://kitamahokif.jugem.jp/?eid=
(お伊勢参りは駕籠で行く?)江戸時代、一大ブームとなった庶民の憧れお伊勢参り。多い時は年間数十万人もの人が出かけたとか。その時の交通手段は歩きだったり、場所によっては駕籠というのもあったようです。そして現代は駕籠に替わって鉄道が一般的でしょ
(災い)災は降り掛かってくるものなのか、それとも自ら引き寄せてしまうものか。現在のドイツ南部にあった国、バイエルン。そこの王位についたルートヴィヒ二世のことを考える時、この言葉が頭に浮かびます。ルートヴィヒ二世(1864年3月10日 - 1
(それは伊勢市駅の連絡橋だった) 昨日、お伊勢参りに行ったのですが、最初に近鉄で到着した駅が伊勢市駅。そこから最初の参拝先である外宮(げぐう)に向かおうとして、駅構内の陸橋を渡って、JR伊勢市駅の方に移動していました。
(朋あり遠方より来りて伊勢に参らんとす)友人二人が学会?参加で関西に来ていて、せっかくだからお伊勢参りに行くけれど、ご一緒にどうですかと誘われ、はい行きますと答えて今日行くになりました ^^;) 思えば11年前、式年遷宮が完了した
(第二の故郷弘前から)20年も暮らした津軽、弘前は私にとって第二の故郷。春の桜、夏のねぷたまつり、秋の紅葉、そして冬の息を呑む白銀の世界。どれも愛おしいものばかりです。尤も冬の猛吹雪はあまり思い出したくないですが ^^;) &nb
(友人の作品を見に)共に関西学院大学出身で、かつそこの鉄道研究会のメンバーだった友人二人が写真を出展している、関学鉄道研究会OB会の写真展”KGR 鉄路写真展”を、今年も西宮北口のアクタ西宮東館の西宮北口ギャラリーに
(宝塚ゴルフ倶楽部)宝塚市の市報に逆瀬川の渓流でホタルを鑑賞する会なるものが出ていて、誰でも無料で参加できるとあったのです。その時の反応は“ふーん、ホタルか”といったくらいでした。しかし、よくよく読むと会場が宝塚ゴル
(蛍狩りの前に)逆瀬川上流にある宝塚ゴルフ倶楽部内でのホタル観賞会に行く前に夕飯をササッと済ませようと、例によって西宮北口駅今津線ホームにある若菜そばへ。 日中暑いとはいえ、蛍狩りの夜7ー8時には丘陵の上の
(研究教育者)という言葉があるのか無いのか、よくわかりません。ググっても出てきませんね。教育研究者とももちろん違います。研究と教育を分担する大学の教育研究職のことを指しているつもりです。 私は研究者のはしくれとして35年間、大学に
(弘前ねぷたがやってきた)航空会社FDAの神戸ー青森便就航を記念し、弘前ねぷたまつりへのプロモーションも兼ねたイベント”弘前ねぷた in KOBE”。一昨年、昨年も神戸のハーバーランド高浜岸壁(モザイクの海側の広場)
(友人の写真展へ)大学の万葉の故地を巡る旅行会(犬養孝先生とともに)で出会って以来の友人が、鉄ちゃんでもあることから、万葉の故地で鉄道のある風景を撮るシリーズを昨年から初めて、今回はその成果を披露する2回目の写真展でした。 &nb
(会場に行く前に)友人の万葉と鉄道の写真展(万鉄?^o^)を見に行く前に、最寄りの本町駅近くの、The Calenderと言う名のカジュアルイタリアン風の店にランチで立ち寄りました。写真展会場の阿波座の長楽庵との中間地点にありま
(初体験)生まれて初めて、ポスティングなる作業をやってみました。各家庭のポスト(郵便受け)に広告やフリーペーパーを配る仕事です。別にバイトでというわけではなく、息子がやっているクラシック喫茶主催のうたごえサロンが、新会員募集のチラシを配ると
(ビリアニ)自宅の最寄りの駅、今津線の小林駅。小さいながら、なかなか住みよい環境で、キラッと光るお店も色々とあります。 中でも移り住んで最初にお気に入りの店になったのが、インド・ネパール料理のスビマハル。味・ボリューム・そして手頃
(もしハイドンが居なかったとしたら)ふと立ち止まってなにげに足元をみた時、そこに可憐に咲く清楚な花を見つける。可憐だけれど、しっかりと大地に根ざしている。それを眺めていると、今まで懸命に探しているもののことを忘れて、ひと時心が休まる思いがす
(銀河鉄道の父)“屋根をかける人“で、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズとその妻の生涯を描いた門井慶喜に感銘を受けた私ですが、彼の直木賞受賞作”銀河鉄道の父“は、未読でした。 &
(忽然と現れた救世主、オルレアンの少女) その名はジャンヌ・ダルク ジャンヌ・ダルク(ユリウス暦1412年ごろ1月6日 - 1431年5月30日、wikipedia) 英仏百年戦争のさなか、
(真の天才)と呼ばれる人は、どういうわけか不遇と相場が決まっているようで。モーツァルト然り、シューベルト然り、ビゼー然り、バルトーク然り。そして、今日が誕生日のコルンゴルトもそうでした。 エーリヒ・コルンゴルト (1897年5月2
(交響楽団ひびき)交響楽団ひびき。この団体は、初代の団長となった方がチューバ奏者で、大学卒業後も続けたいと思ったけれど、どこもチューバの空きがなく、それならオケを作ってしまえと、勢いで作ったのだとか ^^;) それも今
(大山鶏料理の後)西宮北口駅ビル1階にあった、大山ブランド鶏の焼き鳥のお店"やきとり屋すみれ"がいつの間にか餃子のお店に変わっていました。 "ブランド鶏 ”大山とり&rdqu
(イギリス音楽の復権か?)クラシック音楽の7不思議の一つ。ヨーロッパで音楽活動の中心の一つであるイギリスが、なぜかヘンリー・パーセル以降、近代になって、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ウォルトンなどが登場するまでの200年間もの
(万葉故地と鉄道)大阪本町の音響カフェ"長楽庵"で開催されていた、Y氏の写真展を見てきました。 コンセプトは"鉄道万葉集"として、万葉の故地とそこを走る鉄道を一つの画面に収めた写真集。今まで
(今朝のクラシック倶楽部)毎日の楽しみが、早朝(5時)から放送しているNHKクラシック倶楽部を録画して、朝食時に聴くこと。 今日は、スティーブ・ライヒの音楽でした。スティーブ・ライヒといえば、ミニマル・ミュージックの旗手。彼の音楽
(本町のビルの2階)阿波座にある長楽庵という音響カフェで友人が開催している写真展「鉄道万葉集」を見に行きました。大阪梅田から大阪メトロ御堂筋線で本町へ。いつもはそこで同中央線に乗り換えて、ひと駅乗って阿波座で降りて店に向かうので
(鉄道写真展) 中学時代の同級生M氏が所属していた関学鉄道研究会のOBの写真展に行ってきました。 その日、在廊していて、説明してくれたのは、その彼の友人で、同じく鉄道研究会OBのT氏。 (10がテー
(綺羅星のような弟子たち)徳川秀忠、伊達政宗、佐竹義宣、金森可重、佐久間将監、毛利秀元、浅野幸長、島津義弘、小早川秀秋、大久保忠隣、石川貞通、大久保藤十郎、大野治長、大野治房、猪子一時、小堀遠州、上田宗箇、板倉重宗、南部利直、永井尚政、佐久
映画”オズの魔法使い”と主演のジュディー・ガーランド (映画の都)映画の基本、動画の撮影と映写の技術は、エジソンの発明ですが、アメリカでは最初映画は二流、三流の娯楽と考えられ、映画産業が盛んになったのはヨー
(朝が来た)渋沢栄一の声がけで、阪神地区に多くの近代的紡績工場が設立されました。その一つが尼崎紡績です。 その初代社長が、NHK朝ドラの"朝が来た"の主人公、白岡あさのモデル広岡浅子の夫、広岡信五郎ですね。&n
(偽作と言う問題)何年も前に、ゴーストライターが書いた音楽作品を自身のものとして発表していた事件が発覚して、大きな話題になりましたね(佐村河内守ゴーストライター事件)。 しかし、そもそも著作権が確立するずっと以前からあるクラシック
(お雪さんとモルガンの出会い)京都祇園で姉が置屋を営んでいた関係で芸妓になった雪香(本名 加藤ユキ)。お雪さんと呼ばれていました。 芸妓時代のお雪さん(wikipedia) そこに、失恋の痛手を抱えた、米国の大財閥J.P
(白川女(しらかわめ))絣の着物を来て、頭にカゴを載せ、それにいっぱいの四季の切り花、あるいは番茶を入れて、山里から京都の市内に出て、”花いらんかえ、花ぁ〜どうどす?”の柔らかい京言葉とともに売り歩いた女たち、そう、
(クラシックサロン・アマデウス)息子と友人が共同で運営している、神戸元町にある、クラシックサロン・アマデウス。貸館、あるいは企画コンサートをやっていて、気軽にクラシックの生演奏が聴けます。またアフタヌーンコンサートなら、手作りケーキとコーヒ
(20世紀を代表する作曲家)時代ごとに作風をカメレオンのごとく変え、20世紀の芸術にも広く大きな影響を与えたストラヴィンスキー彼が日本を初めて訪れたのは、1959年。もう70代後半でした。 イーゴリ・ストラヴィンスキー(wikip
諦めるのではなく、コスパを上げた断捨離を目指す?(*^^*) (携帯キャリア)ずっとドコモでした。20年近く。なにせ、ドコモで繋がらないところは、他のキャリアでも繋がらないので、安心料として、高い携帯料金を払ってきまし
(古代哲学者の名言?)「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」(ソクラテス)昨今こんなことを書いたりすると、炎上しそうですが、まあ古代ギリシャ時代だということで大目に見ていただきます ^^;)
(全く売れなかった) フィンセント・ファン・ゴッホ(wikipedia) フィンセント・ファン・ゴッホは、昨今の凄まじいまでの人気が嘘のように、生前は全く売れませんでした。それを最後まで支えたのが、弟のテオ(テオドルス・
(弘前で体質変化)弘前で20年ほど暮らすうちに、煮干出汁のラーメンを食べる事がたびたびあり、すっかりそれがなくてはたち行かないほど(オーバーな ^^;)、いわば煮干し中毒になってしまいました。 もう毎週のように、いや週
−女優が演じる指揮者とチェリストが演じる女優 − (リアリティある映像)映画”Tar/ター”を見てきました。クラシック音楽界の闇を描くサイコ・スリラーだとか、性差別、バワハラ、など現代の病巣を織
(奈良の駅舎)この前の土曜日は、近畿産業考古学会主催のJR桜井線の駅舎見学会でした。 (畝傍駅) 見どころ満載でしたが、例えば畝傍(うねび)駅。平屋建てで横に実に長い堂々とした駅舎。 JR桜井線畝傍駅(左側が旧