先日なぜか、朝早く目が覚めた。 その後なかなか寝付けないので何気なく、外に目をやると、外が白んできているようである。 ふと清少納言の「枕草子」の一節が頭に浮かんで来た。 『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる』。 めったにないチャンスだからと思い外へ出てみた。 するとどうだろう今まさに日が昇ろうとしているではないか。 山裾から朝日が昇り、空も雲も、あたり一帯がピンク色のグラデーション一杯に彩られている。 素晴らしい自然のドラマの幕開けである。 清少納言が表現したかった『春はあけぼのが素晴らしい』。とはこの情景のことだったのか。 現代的に言うならば…
ある時パートのおばさんに仕事を頼もうと思って「今、手が空いてますか」と尋ねたところ、「右手はふさがってますけど、左手は空いてま~す」。という答えが返ってきました。 何か頼みたいという気持ちを察してであろうか、『今忙しいんですけど』という否定的な返事ではなく、「右手はふさがってますけど、左手は空いてま~す」。とはなんと面白い答え方をするもんだと、思わずクスッと笑ってしまいました。 またある寒い日に、行きつけのコンビニで弁当を買った時のことである。 お目当ての弁当をもって、レジに並び会計をしようとしたところレジ係のかわいい女の子が「レンジで温めますか?」と聞くので「お願いしま~す」。そして何気なく…
古都では由緒正しき春は終わりを告げ、みちのくでは待ち焦がれた春がようやくやってきた。 桜が咲き、ひとひらの花びらが舞い落ちはじめ、やがて花吹雪となって散り、今は藤の花やつつじがあちこちで咲き乱れ、百花繚乱の様相を呈している。 生きとし生けるものすべての命が再び誕生している瞬間である。新生の時とでもいうべきであろうか。 しかし始まりがあればすべてに終わりも訪れる。 「会うは別れの始まり」だとか。 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」とは林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩である。 そしてその昔「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」と絶世の美女であった小野小町…
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