昨日のヤフーニュースに「地元民しか読めない栃木県の市町村名」という記事があった。ランキング1位は「上三川町」。かみのかわと読む。白鷺が多く飛来する町だという。栃木県に行くときは、この町をよく通る。日産の工場がある町というイメージが強かった。昨年この町を散策
昨日のヤフーニュースに「地元民しか読めない栃木県の市町村名」という記事があった。ランキング1位は「上三川町」。かみのかわと読む。白鷺が多く飛来する町だという。栃木県に行くときは、この町をよく通る。日産の工場がある町というイメージが強かった。昨年この町を散策
山あげ祭りは、市内各所に移動して野外歌舞伎を公演するので、当然舞台もその都度移動する。その舞台に車を付けたものを地(じん)車という。地車に乗せてきた花道や土台の用具が降ろされ、地車の上部が左右に開かれ舞台となる。大道具、小道具、音響機器、照明器具などはト
訪れたのは梅雨明けの土曜日。混雑を覚悟したのだが、意外にも閑散としていた。訪日外国人が話題になっているが、外国人観光客は一人も出会わなかった。蓬莱橋からの眺め。ホテルの下に滝が見える。箒川の上にはホテルの通路がかかっている。塩原もの語り館前の歴史を感じる
開祖は平重盛の妹、妙雲禅尼といわれている。塩原の温泉街の一角にあるこの寺を訪れるのは、これで3度目か。本堂。本堂の裏手にある滝。熊に注意の立て札が。以前来た時はサルに注意だったのだが。以前はこの先まで行けたのだが、今は立ち入り禁止になっていた。本堂の天井の
日光街道に出ると、車は通行止めになっていて、露店と山車が見え、祭りらしい雰囲気になっていた。300年以上の歴史を持つといわれるこの祭りは、7町の山車が巡行する。仲町の山車。山車の中の太鼓、傍らの笛、鍾がお囃子を奏でる。助町の山車。どの山車も提灯で囲われている
夏祭りの時季になってきた。周りのあちこちで夏祭りが開催されている。初めて幸手市の夏祭りに行ってきた。幸手の駅前通りを歩き始めると、山車が脇道に入っていくのが見えた。市内7町から山車が出る。この山車の提灯に天神町と書かれていた。カメラを構えた後ろに天神神社が
源泉が2種類あるということで、内湯は2つに分かれていた。内湯につかった後、露天風呂に向かう。幸い混んではいない。一人で来ている人が多いのか、静かだ。内風呂から露天風呂に向かう通路の正面に薬草の湯がある。浴槽が2つあって、手前が肌の弱い人向けという表示があっ
那須の芦野温泉は、リゾート地の那須高原からはかなり離れた東北本線の東側にある。正面、宿泊施設の左手が日帰り温泉への通路になっている。日帰り温泉の入り口。入って突き当りが食堂になっている。夕食には少し早い時刻だったが、入浴後だとオーダーストップになっている
栃木県に出かけたので、昼食は四季彩御膳が食べたくなった。ナビでは那須烏山に到着するのが丁度昼食時になる。駐車場が満杯ならすぐあきらめるつもりだった。たぶんダメだろうと思ったが、意外に数台分のあきがあった。中に入ると、カウンター席に通された。3席だけのこじ
白河の関は、関東と東北の境界にある。以前ここを通りかかったことがあるが、その時は立ち寄らなかった。駐車場には入ったのだが、神社と石碑があるだけだろうと思って、見学するのをやめた。今回は、時間に余裕があったせいか、はるばる来たのだからという思いもあって、立
桜之門跡から本丸へ。建物は戊辰戦争で焼失した。三重櫓は1991年、前御門は1994年に復元。右は多門櫓跡。本丸御殿の畳は707畳あったとか。三重櫓が天守の代わりになっていたが、他の城でも同じような例はある。木造復元なので、階上への立ち入りは5人までと人数制限の表示が
仮設入り口の階段を登りきると、右本丸、左帯曲輪の表示があった。帯曲輪はまだ行ったことが無いので、そちらに向かう。東日本には珍しい壮大な石垣に圧倒される。写真右側は富士見櫓跡。本丸の西になる。ここからはるかに富士山が見えることがあったのだろう。この石垣は、
伊王野周辺の観光マップが無いので、白河まで足を延ばすことにした。車で30分くらいらしい。予想通りの時間で小峰城に着いた。本丸を目指すと、修繕工事中だった。左手に臨時の出入り口が見えた。小峰城には、今まで2度ほど来たことがあるが、いずれも何かのついでに立ち寄
那須というと、ほとんどの人は那須高原をイメージする。那須高原がある那須町の市街地は、そこからかなり離れている。那須町は、関東と奥州を結ぶ街道が南北に縦断し、東側にあるのが東山道で、伊王野はその宿場だった。東山道と並行して西側に、奥州道があり芦野はその宿場
飛山城は宇都宮市の家臣芳賀氏の居城で、13世紀後半築城、16世紀に秀吉により廃城となった。宇都宮氏の鬼怒川東岸に位置し、東西240m、南北420m、面積14㌶の平山城であり、国の史跡に指定されている。空堀と土塁。突出部には櫓があった。3つ目の櫓台。桝形。土橋と門。
長泉寺には数週間前に初めて参拝した。この時は夕暮れ時で人の気配は全くなかった。その長泉寺のボタンが満開だという記事を見たので、栃木県に出かける目的地の一つに加えた。今回の参拝も夕刻になってしまったが、まだ日が高く数人の姿が見えた。花に水をやっているのは和
国道294号線の道沿いに八咫烏神社の案内板が見えた。那須烏山には何度も来ているが、この神社は知らなかったので立ち寄ってみた。丘陵を登って畑が広がる平地を進むと、鳥居が見えた。車3台分の小さな駐車場があった。鳥居の先は熊野神社の拝殿。小さな拝殿の左手にいく
龍門の滝は何度も行っているので、もうわざわざ行くことはないが、朝スマホを開けると、龍門の滝の花の記事があった。それを見て、今回の目的地の1つに加えた。龍門の滝は、那須烏山では最も一般受けする観光スポットと言える。何か所か立ち寄った後ここに着いたのは夕刻だ
駐車場の脇に白い花が見えた。見上げると山がヤマツツジで覆われている。新緑とのコントラスト。道路の向こう側の山に山藤が咲いていたので、それとのコラボを意図したのだが、写真ではヤマフジガ見えなくなっていた。何年か前にここに来た時は、日光連山や那須烏山の市街地
玉敷公園の藤を鑑賞した後、玉敷神社へ参拝しようと思った。さてどう行けばいいかと見渡すと、旧河野邸宅の案内板があったので、とりあえずそちらに向かう。玉敷神社の参道に出た。左手に旧河野邸の門。建物は門以外残っていないが、庭園が保存されている。文学者の旧邸らし
玉敷神社神苑は、現在玉敷公園として市が管理している。以前1度ここへ来たことがある。その時は駐車場がもっと狭かったような気がするのだが、記憶違いだったのだろうか。その時も駐車場は混んでいた。藤棚は5棚ある。この藤棚は小さいが、特に人気があるようで、写真を撮
先週の日曜日。栃木県那珂川町からの帰路、市貝町の芝桜公園に立ち寄った。すでに夕暮れ時だったためか、駐車場を入ると交通整理のガードマンは大勢いたが、客は数人しか見えず閑散としていた。芝桜は駐車場沿いの一画は開花していたが、ほとんどはまだこれからという状態だ
岩槻城公園に立ち寄った。駐車場からすぐの所も、シートを敷いて花見している人で賑わっていた。一回りしようとしたら、急に雨が降り出した。以前来た時より、桜が幾分減った感じがしたが天候のせいだろうか。着いてすぐだったが、雨の中散策する気にもなれず、駐車場の出口
近くの公園の桜。一気に満開になった感じ。コロナ禍の時は、遠出を自粛してこの下にシートを敷いて花見している人を見かけた。それ以前は、散策がてらといった感じで、シートを敷いて花見している人がいたか覚えていない。もしいたとしたら、違和感があって記憶の片隅に残っ
いわうちわ群生地の受付の人が、第二駐車場の近くにこの庭園があると教えてくれた。第一駐車場はもう車は無くなっていたが、第2駐車場にはまだ数台止まっていて、人の行き来もあった。車を置いて坂道を登る。鮮やかな黄色い花が出迎えてくれた。レンギョウというらしい。坂を
高山の岩場に咲く花と言われているが、八溝山系のこの山は標高はそれほど高くないし、岩場も見当たらなかった。同じような写真だが、実はこの時はまだ他にも見学者が下の道を歩いていた。屋上から通行人を見下ろした感じに見えたので、山の急斜面を表現するにはちょうどいい
栃木県の那珂川町に、いわうちわの群生地があるというので立ち寄ってみた。「イワウチワ」はその名の通り高山の岩場に咲く花らしいが、ここは群生地としては「日本一」の規模なのだそうだ。訪れたのは閉山の時刻が迫る夕刻。帰る車が多く、駐車場は空いていた。時間短縮のた
栃木県那珂川町にあるホテルの、日帰り温泉とグランドゴルフができるペアの利用券を貰ったので行ってきた。ホテルは高台にあるのでくねくねした結構急な道を登っていく。入り口は城門のような感じ。門をくぐると色んな建物が散在している。フロントで受付を済ませ、グラウン
今年はまだ咲いていない。写真は2022年3月29日の物。珍しく開花後に雪が降ったので写真を撮りに行った。この公園で花見をする人はいなかったが、コロナ禍で自粛の時、たぶん近所の人なのだろうが、シートを敷いてささやかに花見しているのを見かけた。
国道294号線は千葉県柏市と福島県会津若松市を結ぶ道路だが、その栃木県区間は何度となく利用している。その道路わきに三重塔の案内板があるのも知っていたが、そこに行ったことはなかった。夕暮れだったが、ちょっと寄ってみる気になった。人けは全くなかった。門前に車
この神社も何度か参拝している。近くに撮影スポットがあるので、撮り鉄がてら立ち寄ったこともある。今回訪れた時は、駐車場にガードマンがいた。何かあるのか分からなかったが、境内に入ると蚤の市が開かれていた。3時頃になっていたので、そろそろ終わりという感じだった。
真岡の長蓮寺に参拝するのは3度目になる。1回目は観光パンフレットを見て。2回目は最初に訪れた時肝心の物を見落としたため。そして今回はツレが未訪問だったため。この寺は真岡市の中心部にあり、駐車場も近いので立ち寄りやすい。1297年開山。本尊は阿弥陀如来。中央の入
専修寺のパンプレットに三谷草庵が載っていた。専修寺建設中の親鸞の仮住居と伝えられているが、そこも国の史跡に指定されている。東方2㎞にあるらしい。せっかくだから立ち寄ることにした。ナビをセットしようとしたが、拡大してもそれらしきものは出てこない。パンプレット
引き続き専修寺を。総門前にある欅。樹齢800年、親鸞聖人お手植えといわれ、県の天然記念物になっている。鐘楼堂。江戸の門徒から寄進された。御影堂。国の重文。歴代上人像がまつられている。如来堂。これも国の重文。1701(元禄14)年建築と言われている。御本尊は天拝一光
真岡市にあるこの寺は、今回で2度目の参拝になる。真宗最大の教団「高田門徒」が兵火で衰退し、中心は伊勢国に移ったが、江戸時代に復興後は「本寺」と呼ばれている。現在、境内は国指定史跡になっている。総門は国の重文。茅葺の棟門で柱は親鸞建立当時の物。手水舎と後ろは
清水川せせらぎ公園の岩場を撤去し、親子連れや高齢者に配慮した公園にする方針だという記事を見た。ユニバーサルデザインの観点からの再整備だという。この公園から岩場がなくなるとすれば、まったく景観が変わってしまうのだろうと思い、思い立ったときに写真に撮っておこ
烏山城三の丸は上下2段になっている。上の段には地面に栗のイガが落ちていた。下の段には梅が咲いている。どちらもその一画にという感じで密集はしていない。南北西には一部に竹が密集している。人々の生活の残り香が漂っている雰囲気がある。
烏山城跡の長者峰にたどり着くことができて目的は達成された。やはり未踏の通路をたどり、西側防御の腰曲輪などがどの程度見えるのか確かめながら、西城を経由して帰ることにした。長者峰を振り返ると、下に水たまりが見えた。烏山城は井戸がたくさんあったらしいので、ここ
烏山城址にはこの冬2度程行って、その5城3廓を一通り回った。ところが地図上気になる場所があった。地図には名前が載っていないが、大きな平坦地がある。たぶんヤブで覆われているのだろうとは思ったが、確かめてみたくなった。烏山城址は、メインのルートでさえ人と会うこ
十文字の東が鍛治町とこの前書いたが、西は元町になる。元町の手持ちの写真はこの1枚しかない。マキが積んであって、いかにも昔からのお茶屋さんといった風情なので写真に収めた。マキはお茶と関係があるのだろうか。この前ここを通りかかったとき、家はリニューアルされてい
関街道(旧国道294号線)は烏山城下、中町で東西道と交差し、そこは十文字と呼ばれていた。十文字から東が鍛治町だった。文字通りかつては7軒の鍛冶屋があったほか桶屋、傘屋など主に職人の町だったらしい。十文字のすぐ東は昭和の雰囲気があるたたずまい。鍛治町は商家も並
烏山城下の宿町(赤坂町・中町、金井町)の南北端に寺があったことは、前回書いた。この3町の中では金井町が最も新しく、それまでは中町の南端に結界としての寺があったという。その寺、極楽寺は1864年に焼失した。極楽寺の跡地。この大谷石の蔵の後方に清水川が流れ、そ
那須烏山の市街地を南北に貫く旧国道294号線は、かつては関街道と呼ばれていた。その両側に連なる街並みは、北から赤坂町、中町、金井町の3町で宿町を構成していた。宿町の北端には大宝院、南端には妙光寺があり、街道にはそれぞれ木戸が設けられていた。大宝院があった
栃木県に行くときは、たいてい新4号を使う。最近は上三川から右折し、真岡から新しく開通した道を使うことも多くなった。信号が圧倒的に少ない。その道を行くと、宇都宮でLRTに出くわすことがある。信号待ちの時、車窓から。
烏山城は昨年12月に訪れ、その時廻りきれなかった西側の西城などには1月になって改めて訪れた。それぞれの写真については、すでにいくつかに分けてブログに載せてきたが、未掲載の物をまとめてみた。今回西側に行くルートは、車橋から本丸桝形までは前回と重なる。前回もここ
東洋経済オンラインに「東武線の結節点春日部には何がある」という記事があった。小学校では今も春日部はタンスの街と習っているのだろうか。春日部に観光で行ったことはないので、手持ちの写真は2種類しかない。冒頭の記事に関しては、頭の中ですぐ反応した。春日部にはシャ
3週間ほど前のこの番組は、那珂川町の古民家ホテルのコンシェルジュとして働くアメリカ人の女性についてだった。那珂川町は栃木県でもとりわけ過疎化、高齢化が進む町なのだが、その町の活性化に奮闘している姿が映し出されていた。那珂川町には何度も行ったことがあるが、そ
国道から三の丸を望む。左中央が三の丸。奥は筑紫山。北側から三の丸へ。この坂道を登って左が三の丸だが、突き当りの1段高い所にも曲輪があり建物があったらしいが、今は藪に覆われている。三の丸を下から。三の丸は上下2段になっていて、上段は今は寿亀山神社、下段は梅林
北城は城の北端にあり、南は搦手口の十二曲口に面していて、中城とともにその抑えの役割を担っていた。虎口は南東に1か所。もともとは展望が開けていたのだろうが、ここも植林に閉ざされている。東側には階段状に帯曲輪があり、その統括の役割も担った。西側から北辺にかけ
西城の北側に道があり、そこを北に向かう。丁字路に突き当たり、左は大野曲輪(図8)、右は北城(図4)になる。正面にくぼ地が見える。表示はないが井戸曲輪だろう。他の山城で見た井戸と雰囲気が似ている。表示がないのは、発掘調査未実施のためらしい。丁字路を左に折れて
烏山城を初めて訪れたのがいつだったか覚えていない。伸び放題の木々が日差しを遮り、周りは藪だらけだった印象はある。そのころと比べると、所々間伐され、藪も取り除かれて、人の手が入った感はある。それでもまだ鬱蒼としている。ここを何度か訪れているが、ここで人と出
烏山城を訪れるのは冬に限る。蚊などの虫にまとわりつかれることもなく。スズメバチや蛇の心配もない。国の史跡に指定された年内に訪れようと思って冬を待ち、12月に行ってきた。ただその時は全体を廻りきれず、烏山城を最も特徴づけると思われる西側が残ってしまった。今回
昨夜のテレビ東京のアド街ック天国は岩槻だった。そこに出てきた場所の写真があるので、いくつか掲載してみたい。岩槻は人形の街として知られている。この光景が登場した。ひな祭りの時、愛宕神社の石段にひな人形が飾られる。愛宕神社は平地の中で不自然に小高い所にあるが
この蕎麦屋に初めて入ったのは何年も前のことになる。記憶が正しければ、その頃はそば打ちを趣味とする有志が、土日だけこの店を開いていた。ソバはこしが強く、かき揚げはカラッとしていて、漬物もうまかった。その後、何度かこの店に立ち寄ったが、ここ何年かご無沙汰にな
上三川城址はこの前訪れたばかりだが、南側半分を見ただけだった。何度も通り抜けたことのある道路の南側にある公園が、上三川城址の北端だと思い込んでいたので省略した。ところが後日ネットで確認すると、これらはかなり離れていてそれぞれ別の公園であること、北側には幅
烏山城址に登るには遠回りになるルートだが、毘沙門山の遊歩道から行くことにした。築城600年を記念して、毘沙門山に新たにブロンズの毘沙門天が建立されたらしいので、一度見てみたいと思った。緩急の違いはあっても延々と続く階段。覚悟はしていたが、途中で足が張って
烏山城の本丸まで登ったことを証明すれば、証明書をもらうことができる。国の史跡に指定された同じ年に証明書をもらおうと思っていた。下城してその足で市役所に手続きを取りに行った。登城前に那珂川の対岸から撮った城山の全景。鉄塔があるのが筑紫山でその右側杉で覆われ
車橋跡まで戻り、そこを過ぎて今度は七曲口を下る。砂防ダムと舗装された水路が見え、そこからは直線の道になり、左手に三の丸の表示が見えた。表示の脇を入ると、小さな神社があった。寿亀山神社。老中を務めた烏山藩主大久保常春を祀った神社で、束帯姿の座像が御神体とさ
さすがにもう混んではいないだろうと出かけた白岡八幡宮。意外にも誰もいなかった。正月らしい気配りの手水舎。地元の高校美術部が例年奉納する巨大な絵馬。場所を独り占めしてぜいたくな気分で参拝。
前回の本丸から、堀切を渡り古本丸へ。南に虎口、櫓があったらしい。本丸と古本丸の間から東を見る。古本丸から中城へ。虎口は食い違い。大野曲輪は北西にある曲輪だが、すぐ下に道路があったのが意外だった。狭くあまり利用されていない感じだが舗装されていた。中城から大
元日の夕刻、近くの神社に初詣に出かけた。ちょうど家を出ようとしたとき、スマホから地震警報があった。直後に揺れを感じたが、しばらくして収まったのでそのまま出かけた。天満神社。街はずれの鎮守様といった感じの小さな神社なのだが、近くに大規模な住宅地があるせいか
前回の常盤曲輪から今回は本丸へ。正門跡。正門をくぐって2回曲がる間の空間。内桝形。石垣と土塀に囲まれていた。正門から1回曲がる場所の石垣。上は切込みハギ。下は野面積み。崩れかかっている個所と崩れ落ちた個所が。空堀。写真では伝わりにくいが、この深さと規模が烏
令和5年3月、烏山城が国の史跡に指定された。年内に訪れようと思ったが、鬱蒼とした山城なので虫や蛇のいない冬を待ったが、押し詰まった年末に実現した。遠回りになるが、延々と続く毘沙門山の石段を登り、筑紫山を経て、城山にたどり着くルートをとった。まずは5城3廓で構
この店に入るのはこれで2度目になる。初めて食べた「四季彩御膳」の味が忘れられず、再訪となった。今回頼んだのは「天ぷら和定食」。天ぷら、さしみ、焼き魚など。焼き魚の隣のサツマイモの上にはクルミが載っている。デザート。どれもレベルお超える味で2200円。今回
ボランティア有志15人の作だとか。山あげ会館の公園を彩る4万個のLED。
今年の3月、愛知に旅行した時に、足助屋敷で偶然メグロのバイクを見た。バイクに興味がある訳ではないが、その時は片隅に置いてあるバイクをなんとなく見に行った。そしてメグロのマークがあるのに驚いた。メグロは何十年も前に消滅したメーカーだった。後でネットで検索して
上三川城址公園の北側の道路は、今まで何度も通り抜けたことがあり、城址であることは知っていた。車窓からの眺めは芝生の公園という感じで、立ち寄ったことはなかった。この日は、なんとなく立ち寄ってみるかという気になり、駐車場をセットすると南側の住宅街にあった。車
常陸大子駅を見下ろす高台にある永源寺に向かった。橋を渡るとT字路を右に曲がる。左は駅の裏手にあたる生活道路のようで、今日は鉄道ファンを規制するためかボランティアらしき人が立っていた。永源寺はもみじ寺とも呼ばれる紅葉の名所として知られている。1446年創建。本堂
メグロのマークを付けたバイクがずらりと並ぶめったに見られない光景。手前のバイクはメグロのマークとロゴがついているが、どう見ても昭和前半のバイクとは思えない。メグロ聖地のロゴが入ったバイクもいくつかあった。高齢の人が何人か古いバイクをチェックするように見て
11月12日、日本各地からメグロのバイクが、その聖地栃木県那須烏山市に集結した。目黒製作所は、かつて日本有数のオートバイメーカーだった。設立は1925年、1944年に東京から那須烏山に疎開した。1964年、ホンタ等の戦後派メーカーの勃興により、大型バイクのメグロは経営破
暇なときはブログを書く。とは言っても何を書くか困ることが多い。そんな時は過去のこの時期のことを書く。という訳で今回は日本橋。訪れたのはコロナ以前の2018年。東京駅八重洲口から北に向かう。地下通路から地上に出て一瞬方向感覚がマヒした。自分を信じてそのまま進む
栃木県益子町にある西明寺にはすでに2~3回参詣したことがあり、その都度ブログに載せてきた。5年くらいブランクがあり、今回写真も撮ってきたので、新たにまた載せてみたい。境内はいかにも山奥の寺という雰囲気だが、車だとそれほど時間がかからずここまでたどり着ける。
下野市は、宇都宮と小山に挟まれた市で、それぞれのベッドタウン的な感じの市だが、薬師寺や国分寺の史跡があるので、かなり古くから開けた街なのだろう。その下野市にある薬師寺八幡宮。社伝では875年の創建という。下野薬師寺の鎮守の役割を担った神社。1056年、源頼義
先日、慈眼寺の写真を撮ったので、ブログに載せるにあたり検索した。すると、同じ名称の寺が全国に実に多く存在することを知った。写真を撮ってきたのは下野市にある慈眼寺。1196年に新田氏によって開基されたという。江戸時代は、将軍の日光社参の小休所とされた。山門。山
「生活ガイドcm」がアクセス数から作成したランキングによると、1位はさいたま市、2位は川越市だったとか。街並みや雰囲気、店の充実、交通の便などの指標からの集計らしいが、さいたま市の街並みといっても、具体的なイメージが湧いてこない。さいたま新都心あたりだろう
今朝の「東洋経済」に、埼玉スタジアム線を岩槻まで延長し、都心に直結させようとする動きに関する記事があった。岩槻から都心に行くには、大宮からJR線に乗り換えるか、春日部から東武スカイツリーラインを利用するかが現状だ。直結になれば、東武としては痛手だろうが、岩
昨夜3日21時から、東北自動車道の架橋工事が実施された。わざわざ見に行くかどうか迷ったが、めったにない機会なので、出かけることにした。野次馬はそんなに多くはないだろうと思ったが、予想ははずれた。現場近くの駐車場に車を止めようとしたが、入り口に警備員が配置さ
大田原の道の駅。駐車場の一画に那須与一の像が。那須といえば、今では観光地として有名な温泉がある栃木県北部のイメージが強いが、古代の那須国は栃木県東部に位置する一帯をいった。那須温泉一帯は、開拓で人の手が入るまでは未開の地だった。那須与一の生誕地は現在の那
何日か前のヤフーニュースに「茨城鹿島神宮幻想的な池の写真が話題に」という記事があったので、今回はそれに便乗して。その記事は早朝だったが、私が訪れたのは黄昏時。せっかくの機会だからと鹿島神宮にも足を延ばすことにした。時間を考え、いったんは「自宅に帰る」にセ
今朝見た記事の中に、皇居のお堀に関するものがあった。内容をかいつまむと「家康が江戸入りした当時、江戸城の周りは葦が生い茂る湿地だった。城に石垣は無く、芝土居には木が茂っていた。城下の宅地は狭く、家臣は寺や町屋を借りるなどして住んでいた。家康が最優先したの
祭3日目の夕刻、祭りの間御仮殿に遷座していた神輿が八雲神社の鳥居に向かう。いつもは御仮殿脇の辻でひともみするのだが、すんなり去って行った。鳥居の前でお飾りを外し、「暴れ神輿」になって屋敷町を含む旧7町を廻る。違和感は担ぎ手の少なさだった。還御の神輿は翌年の
山車の祭りは全国津々浦々にあるようだ。車で出かけると、轍で舗装が傷ついている道路に出くわすことがある。山車のほとんどは4輪だと思うが、山あげ祭の屋台は2輪になっている。2輪なので止まっている時は支えが必要になるが、方向転換は楽に行える。2輪が影響しているのか
昼間通りかかった時に見えた茅の輪が気になって、すでに暗くなってはいたが帰路立ち寄った。大田原市佐良土にある光丸山法輪寺。開山は860年と言われている。鳥居のある神仏混淆の全国でも珍しい寺で、高さ2.14メートル、重さ1トンの日本一の天狗面を所蔵している。脇の立て
黒羽城址公園の紫陽花はもう終わってしまったかもしれないとも思ったが、ダメもとで行ってみた。紫陽花祭りの幟旗が立ち並び、駐車場には誘導員がいた。まだ祭りの期間中だったようで、ラッキーだった。車を降りて二の丸から本丸に向かう。本丸の紫陽花空堀の紫陽花空堀の東
数週間前、テレビの路線バス乗り継ぎ番組にこの神社が登場した。この辺りは、何度も通ったことがあり、神社の存在は知っていたが、立ち寄ったことはなかった。番組の中で、日本一の剣が祀られていると紹介されて話題性があるので、今回立ち寄った。栃木県上三川町にあるこの
平地なのにくねくね曲がっていて、たぶん古くからある道なのだろうとは思っていたが、寺の山門脇にある解説版を見て、それが鎌倉街道であることを知った。白岡市にある忠恩寺。1054年開基。岩付太田氏に庇護され、江戸時代は家光以降8将軍から朱印状を得た寺だという。山門は
菖蒲支所の展望室は、エレベーターを降りてから更に階段を上った所だった。エレベーターを降りた階に本多静六記念館があった。展示室に入ると、日比谷公園の模型があった。本多静六は、埼玉出身の林学者であることは知っていたが、日比谷公園を設計した本人だとは知らなかっ
那須烏山に行ったついでに花立峠のツツジを見に行った。ところが、もうほとんど散っていて、わずかに所々にポツンポツンと咲き残っているだけだった。周りには誰もいなかった。今年はどこも開花が早かったので、散るのも早かったようだ。4年前に訪れた時は満開だったのだが。
この季節、晴れた日の山々はまぶしい。新緑が目に染みる。国道50号を通る都度、気になっていた出雲大社。時間に余裕があった時、立ち寄って参拝した。その境内からの眺め、山桜が堪能できる。拝殿。しめ縄は本家より太いらしい。しめ縄に硬貨が刺さるとご利益があるとか。
古河と桃の木との縁は江戸時代初期に始まる。当時古河藩主だった土井利勝は、成長が速い桃ノ木から薪と果実が得られることに着目し、植樹を奨励した。明治時代には、花見シーズンに花見列車が運行されたという。今でも開花の時期は交通渋滞になる。古河公方公園は、鎌倉公方
枝垂れ桜とともに寒緋桜も咲いていた。茂木城は中世の城なので、建物は残っていないが、堀切などの遺構はきれいに保存整備されている。本丸跡の広さは目を見張るものがある。
子供が小さかった頃、ここから車で20分くらいの場所に住んでいたので、この公園にはだいぶお世話になった。何より広々としていて、気分転換にもなった。駐車場の近くに染井吉野が咲いていた記憶はあるのだが、それ以外の花についてはあまり覚えていなかった。写真は、たぶん
茂木城は中世の城で、宇都宮氏の支族茂木氏の居城だった。鎌倉御家人八田知家が茂木の地頭職に補任され、三男知基が茂木氏を名乗って築城した。1610年廃城。
犬山城は、現存12天守、国宝5城の一つ。天守のみが現存し、城跡は国の史跡に指定されている。犬山城の入り口の写真。入るとき人が映りこんだので、帰りがけに撮りなおそうとした。この外人の二人連れ、写真を撮ろうとしてしばらく待ったが、立ち止まったまま動こうともしない
気分転換のために、栃木県那珂川町の日帰り温泉に出かけた。午前中は所用があって、家を出るのが午後になってしまった。温泉に着くのは夕方になるが、もうすぐという所で、以前何度か行った蕎麦屋を思い出した。確か土日の昼食時しか営業していない店だったので、閉まってい
犬山城にはだいぶ前に来たことがあって、天守閣については覚えているのだが、その周りについては全く記憶が無くなっていた。この神社についても、その時参拝したのかどうか、今回が初めてなのかはっきりしない。歩き疲れていたが、もう少し頑張ってみることにした。神社の名
足助や有松の伝統的な町並みを堪能してきたが、犬山はそれらとは違った雰囲気があった。レトロな町並みでは共通するものの、平日にもかかわらず人が多いという点では、川越に近い雰囲気。食べ歩きの若者が多いという点では、谷中銀座の雰囲気がある。本町通りと寺内通の交差
今回の旅行の目的地はすべて回り終えた。だいぶ歩いて、疲れがたまっていたので、早めに帰ろうかとも思ったが、迷った末、折角来たのだからもう1つどこかに立ち寄ることにした。頭に浮かんだのは犬山。犬山城は、以前訪れたことがあるので、今回は予定に入れてなかったが、城
今年は桜の開花が異常に早かった。コロナ禍の規制が解け、花祭りの予定期間まで花が持つかどうか心配していた目黒川はどんな状況になったのだろうか。去年は花見も自粛で、遠出は控え、近所でささやかにという雰囲気だった。近所のこの公園にもシートを敷いて花見している家
熱田神宮の境内に入って最初に目についたのが巨大な灯篭。佐久間灯籠というらしい。信盛のいとこの盛次が1630年に寄進した。鳥居をくぐって拝殿へ。訪れたのは昼過ぎ。午前中目一杯散策して足が棒のよう。一休みしようと見まわしたが、座れる場所が見当たらない。ツレが御朱
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昨日のヤフーニュースに「地元民しか読めない栃木県の市町村名」という記事があった。ランキング1位は「上三川町」。かみのかわと読む。白鷺が多く飛来する町だという。栃木県に行くときは、この町をよく通る。日産の工場がある町というイメージが強かった。昨年この町を散策
山あげ祭りは、市内各所に移動して野外歌舞伎を公演するので、当然舞台もその都度移動する。その舞台に車を付けたものを地(じん)車という。地車に乗せてきた花道や土台の用具が降ろされ、地車の上部が左右に開かれ舞台となる。大道具、小道具、音響機器、照明器具などはト
訪れたのは梅雨明けの土曜日。混雑を覚悟したのだが、意外にも閑散としていた。訪日外国人が話題になっているが、外国人観光客は一人も出会わなかった。蓬莱橋からの眺め。ホテルの下に滝が見える。箒川の上にはホテルの通路がかかっている。塩原もの語り館前の歴史を感じる
開祖は平重盛の妹、妙雲禅尼といわれている。塩原の温泉街の一角にあるこの寺を訪れるのは、これで3度目か。本堂。本堂の裏手にある滝。熊に注意の立て札が。以前来た時はサルに注意だったのだが。以前はこの先まで行けたのだが、今は立ち入り禁止になっていた。本堂の天井の
日光街道に出ると、車は通行止めになっていて、露店と山車が見え、祭りらしい雰囲気になっていた。300年以上の歴史を持つといわれるこの祭りは、7町の山車が巡行する。仲町の山車。山車の中の太鼓、傍らの笛、鍾がお囃子を奏でる。助町の山車。どの山車も提灯で囲われている
夏祭りの時季になってきた。周りのあちこちで夏祭りが開催されている。初めて幸手市の夏祭りに行ってきた。幸手の駅前通りを歩き始めると、山車が脇道に入っていくのが見えた。市内7町から山車が出る。この山車の提灯に天神町と書かれていた。カメラを構えた後ろに天神神社が
源泉が2種類あるということで、内湯は2つに分かれていた。内湯につかった後、露天風呂に向かう。幸い混んではいない。一人で来ている人が多いのか、静かだ。内風呂から露天風呂に向かう通路の正面に薬草の湯がある。浴槽が2つあって、手前が肌の弱い人向けという表示があっ
那須の芦野温泉は、リゾート地の那須高原からはかなり離れた東北本線の東側にある。正面、宿泊施設の左手が日帰り温泉への通路になっている。日帰り温泉の入り口。入って突き当りが食堂になっている。夕食には少し早い時刻だったが、入浴後だとオーダーストップになっている
栃木県に出かけたので、昼食は四季彩御膳が食べたくなった。ナビでは那須烏山に到着するのが丁度昼食時になる。駐車場が満杯ならすぐあきらめるつもりだった。たぶんダメだろうと思ったが、意外に数台分のあきがあった。中に入ると、カウンター席に通された。3席だけのこじ
白河の関は、関東と東北の境界にある。以前ここを通りかかったことがあるが、その時は立ち寄らなかった。駐車場には入ったのだが、神社と石碑があるだけだろうと思って、見学するのをやめた。今回は、時間に余裕があったせいか、はるばる来たのだからという思いもあって、立
桜之門跡から本丸へ。建物は戊辰戦争で焼失した。三重櫓は1991年、前御門は1994年に復元。右は多門櫓跡。本丸御殿の畳は707畳あったとか。三重櫓が天守の代わりになっていたが、他の城でも同じような例はある。木造復元なので、階上への立ち入りは5人までと人数制限の表示が
仮設入り口の階段を登りきると、右本丸、左帯曲輪の表示があった。帯曲輪はまだ行ったことが無いので、そちらに向かう。東日本には珍しい壮大な石垣に圧倒される。写真右側は富士見櫓跡。本丸の西になる。ここからはるかに富士山が見えることがあったのだろう。この石垣は、
伊王野周辺の観光マップが無いので、白河まで足を延ばすことにした。車で30分くらいらしい。予想通りの時間で小峰城に着いた。本丸を目指すと、修繕工事中だった。左手に臨時の出入り口が見えた。小峰城には、今まで2度ほど来たことがあるが、いずれも何かのついでに立ち寄
那須というと、ほとんどの人は那須高原をイメージする。那須高原がある那須町の市街地は、そこからかなり離れている。那須町は、関東と奥州を結ぶ街道が南北に縦断し、東側にあるのが東山道で、伊王野はその宿場だった。東山道と並行して西側に、奥州道があり芦野はその宿場
飛山城は宇都宮市の家臣芳賀氏の居城で、13世紀後半築城、16世紀に秀吉により廃城となった。宇都宮氏の鬼怒川東岸に位置し、東西240m、南北420m、面積14㌶の平山城であり、国の史跡に指定されている。空堀と土塁。突出部には櫓があった。3つ目の櫓台。桝形。土橋と門。
長泉寺には数週間前に初めて参拝した。この時は夕暮れ時で人の気配は全くなかった。その長泉寺のボタンが満開だという記事を見たので、栃木県に出かける目的地の一つに加えた。今回の参拝も夕刻になってしまったが、まだ日が高く数人の姿が見えた。花に水をやっているのは和
国道294号線の道沿いに八咫烏神社の案内板が見えた。那須烏山には何度も来ているが、この神社は知らなかったので立ち寄ってみた。丘陵を登って畑が広がる平地を進むと、鳥居が見えた。車3台分の小さな駐車場があった。鳥居の先は熊野神社の拝殿。小さな拝殿の左手にいく
龍門の滝は何度も行っているので、もうわざわざ行くことはないが、朝スマホを開けると、龍門の滝の花の記事があった。それを見て、今回の目的地の1つに加えた。龍門の滝は、那須烏山では最も一般受けする観光スポットと言える。何か所か立ち寄った後ここに着いたのは夕刻だ
駐車場の脇に白い花が見えた。見上げると山がヤマツツジで覆われている。新緑とのコントラスト。道路の向こう側の山に山藤が咲いていたので、それとのコラボを意図したのだが、写真ではヤマフジガ見えなくなっていた。何年か前にここに来た時は、日光連山や那須烏山の市街地
玉敷公園の藤を鑑賞した後、玉敷神社へ参拝しようと思った。さてどう行けばいいかと見渡すと、旧河野邸宅の案内板があったので、とりあえずそちらに向かう。玉敷神社の参道に出た。左手に旧河野邸の門。建物は門以外残っていないが、庭園が保存されている。文学者の旧邸らし
長泉寺には数週間前に初めて参拝した。この時は夕暮れ時で人の気配は全くなかった。その長泉寺のボタンが満開だという記事を見たので、栃木県に出かける目的地の一つに加えた。今回の参拝も夕刻になってしまったが、まだ日が高く数人の姿が見えた。花に水をやっているのは和
国道294号線の道沿いに八咫烏神社の案内板が見えた。那須烏山には何度も来ているが、この神社は知らなかったので立ち寄ってみた。丘陵を登って畑が広がる平地を進むと、鳥居が見えた。車3台分の小さな駐車場があった。鳥居の先は熊野神社の拝殿。小さな拝殿の左手にいく
龍門の滝は何度も行っているので、もうわざわざ行くことはないが、朝スマホを開けると、龍門の滝の花の記事があった。それを見て、今回の目的地の1つに加えた。龍門の滝は、那須烏山では最も一般受けする観光スポットと言える。何か所か立ち寄った後ここに着いたのは夕刻だ
駐車場の脇に白い花が見えた。見上げると山がヤマツツジで覆われている。新緑とのコントラスト。道路の向こう側の山に山藤が咲いていたので、それとのコラボを意図したのだが、写真ではヤマフジガ見えなくなっていた。何年か前にここに来た時は、日光連山や那須烏山の市街地
玉敷公園の藤を鑑賞した後、玉敷神社へ参拝しようと思った。さてどう行けばいいかと見渡すと、旧河野邸宅の案内板があったので、とりあえずそちらに向かう。玉敷神社の参道に出た。左手に旧河野邸の門。建物は門以外残っていないが、庭園が保存されている。文学者の旧邸らし
玉敷神社神苑は、現在玉敷公園として市が管理している。以前1度ここへ来たことがある。その時は駐車場がもっと狭かったような気がするのだが、記憶違いだったのだろうか。その時も駐車場は混んでいた。藤棚は5棚ある。この藤棚は小さいが、特に人気があるようで、写真を撮
先週の日曜日。栃木県那珂川町からの帰路、市貝町の芝桜公園に立ち寄った。すでに夕暮れ時だったためか、駐車場を入ると交通整理のガードマンは大勢いたが、客は数人しか見えず閑散としていた。芝桜は駐車場沿いの一画は開花していたが、ほとんどはまだこれからという状態だ
岩槻城公園に立ち寄った。駐車場からすぐの所も、シートを敷いて花見している人で賑わっていた。一回りしようとしたら、急に雨が降り出した。以前来た時より、桜が幾分減った感じがしたが天候のせいだろうか。着いてすぐだったが、雨の中散策する気にもなれず、駐車場の出口
近くの公園の桜。一気に満開になった感じ。コロナ禍の時は、遠出を自粛してこの下にシートを敷いて花見している人を見かけた。それ以前は、散策がてらといった感じで、シートを敷いて花見している人がいたか覚えていない。もしいたとしたら、違和感があって記憶の片隅に残っ
いわうちわ群生地の受付の人が、第二駐車場の近くにこの庭園があると教えてくれた。第一駐車場はもう車は無くなっていたが、第2駐車場にはまだ数台止まっていて、人の行き来もあった。車を置いて坂道を登る。鮮やかな黄色い花が出迎えてくれた。レンギョウというらしい。坂を
高山の岩場に咲く花と言われているが、八溝山系のこの山は標高はそれほど高くないし、岩場も見当たらなかった。同じような写真だが、実はこの時はまだ他にも見学者が下の道を歩いていた。屋上から通行人を見下ろした感じに見えたので、山の急斜面を表現するにはちょうどいい
栃木県の那珂川町に、いわうちわの群生地があるというので立ち寄ってみた。「イワウチワ」はその名の通り高山の岩場に咲く花らしいが、ここは群生地としては「日本一」の規模なのだそうだ。訪れたのは閉山の時刻が迫る夕刻。帰る車が多く、駐車場は空いていた。時間短縮のた
栃木県那珂川町にあるホテルの、日帰り温泉とグランドゴルフができるペアの利用券を貰ったので行ってきた。ホテルは高台にあるのでくねくねした結構急な道を登っていく。入り口は城門のような感じ。門をくぐると色んな建物が散在している。フロントで受付を済ませ、グラウン
今年はまだ咲いていない。写真は2022年3月29日の物。珍しく開花後に雪が降ったので写真を撮りに行った。この公園で花見をする人はいなかったが、コロナ禍で自粛の時、たぶん近所の人なのだろうが、シートを敷いてささやかに花見しているのを見かけた。
国道294号線は千葉県柏市と福島県会津若松市を結ぶ道路だが、その栃木県区間は何度となく利用している。その道路わきに三重塔の案内板があるのも知っていたが、そこに行ったことはなかった。夕暮れだったが、ちょっと寄ってみる気になった。人けは全くなかった。門前に車
この神社も何度か参拝している。近くに撮影スポットがあるので、撮り鉄がてら立ち寄ったこともある。今回訪れた時は、駐車場にガードマンがいた。何かあるのか分からなかったが、境内に入ると蚤の市が開かれていた。3時頃になっていたので、そろそろ終わりという感じだった。
真岡の長蓮寺に参拝するのは3度目になる。1回目は観光パンフレットを見て。2回目は最初に訪れた時肝心の物を見落としたため。そして今回はツレが未訪問だったため。この寺は真岡市の中心部にあり、駐車場も近いので立ち寄りやすい。1297年開山。本尊は阿弥陀如来。中央の入
専修寺のパンプレットに三谷草庵が載っていた。専修寺建設中の親鸞の仮住居と伝えられているが、そこも国の史跡に指定されている。東方2㎞にあるらしい。せっかくだから立ち寄ることにした。ナビをセットしようとしたが、拡大してもそれらしきものは出てこない。パンプレット
引き続き専修寺を。総門前にある欅。樹齢800年、親鸞聖人お手植えといわれ、県の天然記念物になっている。鐘楼堂。江戸の門徒から寄進された。御影堂。国の重文。歴代上人像がまつられている。如来堂。これも国の重文。1701(元禄14)年建築と言われている。御本尊は天拝一光
真岡市にあるこの寺は、今回で2度目の参拝になる。真宗最大の教団「高田門徒」が兵火で衰退し、中心は伊勢国に移ったが、江戸時代に復興後は「本寺」と呼ばれている。現在、境内は国指定史跡になっている。総門は国の重文。茅葺の棟門で柱は親鸞建立当時の物。手水舎と後ろは