首長族の観光村を出てメーホーンソンの中心地に戻りました途中で再度わきの山に登ったのですがそこからは町が小さな盆地でできていることがよくわかりました写真の左端に見えるのはチェーンカム湖という町の中央の湖ですそしてその北に目を移しますとメーホーンソ
飛行機旅中心で 台湾・タイと世界遺産ネタと世界一周もあります 乗物や機内食・空撮を主にしてます
殆ど旅行中の飛行機内と 移動中の写真です 台湾とタイには 20年で50回以上行ってます コメントいただければ 必ずお返事いたします♪ 親しくなったら オフ会しましょう! 仲間もいますよ♪♪♪
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首長族の観光村を出てメーホーンソンの中心地に戻りました途中で再度わきの山に登ったのですがそこからは町が小さな盆地でできていることがよくわかりました写真の左端に見えるのはチェーンカム湖という町の中央の湖ですそしてその北に目を移しますとメーホーンソ
7月末からの3連続飛行機旅那覇・熊本・鹿児島合計10フライトを8月1日に終えその足でワクチン4回目接種を終了しましたさすがに還暦越えの私には堪えたのか1昨日健康診断で半日の絶食+胃レントゲンをして連日の猛暑日も重なってダウンしてしまいました昨日から
メーホーンソン空港はもちろん国内線だけで定期旅客便は日に3本ほどのチェンマイ便だけでしたチェンマイがこの地方の中核都市ですどこに行くにもチェンマイに出てから行くことになりますまたこの近くにはメーサイという町もありますがそこに至ってはミャンマーの国境
過去旅シリーズですこのシリーズのパート1は上海編パート2はカンボジアのアンコール遺跡編そしてこのパート3は首長族編です今首長族という言い方をしてもよいものかは不明ですが当時まだカヤン族はこの呼び方が一般的でしたタイ王国は実は多民族国家なんです多
先月の初めコラム080としてこのままでは会員レベル維持ができないことと会員レベル維持をなぜ来年もしたいかを記事にしましたコラム記事080そしてこのままではとても到達できないということで修行をすることにしたと書いたと思いますその結果何とか順調に進んで
さてバスで15分ほどで目的地にやってきましたインテックス大阪です色んな大型展示会などが開催される場所ですここが大阪府の大規模接種会場になっていました入口を入りますと接種券保持の確認と検温・手消毒のエリアがありますそこを抜けますと正式の受付です
伊丹空港に到着した後も今回は続きます一度記事にはしていますので思い出す方もいらっしゃることと思います伊丹空港から出ますリムジンバスは大阪市内であればどこ行きでも均一料金になっていますなのでいつも我が家に一番近い阿倍野橋行きのバスに乗っていますしか
この日の沖縄は雨昨日日本列島の南岸に延びていた梅雨前線が少し南下したせいで梅雨が明けかけた沖縄にも雨をもたらしました乗りましたのは11:15発のANA762便の伊丹行き使用機材は行きと同じくB787-8の国内線仕様機でした那覇空港を離陸してずっ
昨年の旅のシリーズです昨年の5月は緊急事態宣言が末に解除されてすぐに沖縄に行きましたそして翌月の6月も沖縄に行くことを中止しませんでしたご存じのように私は年単位で予約を入れていますのでほぼ毎月沖縄行きを昨年は入れていたのですしかし全部行ったわけで
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 12/12最終章
翌日はバンコクに戻りますメリディアン宿泊ですから空港へはタクシーで・・・になりましたこのホテルはエントランスからバイクタクシーなどが待ってる敷地外に出るまで少し歩かなければなりませんのでやはりスマートにはいきませんそれにバイタクの場合キャリーケース
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 11/12
予約していましたディナーは民族舞踊のディナーショーでしたカンボジアの民族舞踊はタイのように王宮文化が続いていたわけですからちゃんとしたものがあったそうですしかしポルポト政権下全てのものがストップ・・・というかなくなってしまったそうですそして子ルポ
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 10/12
ワットの入り口には今後何かのお金に変わるものを得るために色んなものが建設中でした小さな子供たちも手伝っていますね私が初めてカンボジアを訪れたのはこれより10年前地雷撤去もあまり進んでいない時まだポルポトが生きていた時ですその頃のこのくらいの子供た
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 09/12
さて第一回廊から第二回廊へと昇りますそう少し上階になるんですここの回廊には第一回廊のような派手な彫刻はありませんが建物自体がヒンズーの影響を受けたのがはっきり分かる形になっていますこの第二回廊には日本とゆかりの深いものもあります森本右近太夫
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 08/12
ここでガイド嬢にキレられてしまいました彼女としたらこのバンテアイスレイでは15分の見学予定だったんだそうですこれからアンコール遺跡群の有名どころのタ・プロームやタ・ケオなどいろいろ案内したかったそうなのですが私このバンテアイスレイで1時間以上過してし
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 07/12
通路を進みますと少年僧たちに出会いましたMKさんならご存じですがこのインドシナ半島の仏教では男は一生に一度は出家して僧侶になるという決まりがありますカンボジアでもそうなのでしょうかね出家することによって徳を積むという考えです女性や普段の生活の中で
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 06/12
最後にバイヨン寺院をもう一度拝んでおきましょうさて今回のガイドさんですが基本的には無料だったんです(実際にはいくらか渡しました)車と運転手だけの手配をしていたのですが手配先から日本語学生のガイドを研修の一環としてつけたいとの申し出があって引き受けた
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 05/12
南大門をくぐってアンコールトムに入ってまずはその中心に位置しますバイヨン寺院に向かいましたこの寺院のことをアンコールトムと思ってらっしゃる方が多いと思いますがアンコールトムの中にあるバイヨン寺院ですアンコール遺跡群の中ではアンコールワットの次に有
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 04/12
さて翌日は実は前日に車付きガイドを事前に手配していました日本語を勉強中のカンボジア人が日本人相手のガイドをするというNPOの斡旋するガイドです前2回のカンボジア訪問時(30代半ば)と違って私は40代半ばそしてこの時は少し遠いところまで行きたかったの
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 03/12
カンボジアに着いた日は何もせず・・・・ということはなかったですがマーケットを覗いたりした後はホテルでゆっくり過ごしましたルームサービスでスイーツを頼んだりしたんですよ実は甘いものが苦手な私でも単純なスイーツの中には好きなものがあるんですその中の一
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 02/12
バンコク航空のATR72-200はターボドロップ特有の唸り声をあげてドンムアン空港を北に向けて離陸しました上昇してすぐに180度左旋回を通り越した後さらに南下してバンコク市内中心部手前で左に90度の旋回で東を向きましたそしてそのまま数分後私が座った
2006年06月 アンコールと首長族の旅part2 01/12
さて上海観光の後香港経由でバンコクについて業務をこなし業務明けにカンボジアに行くことになりました以前2回のカンボジア訪問は首都プノンペンに入ってシエムリアップまではカンボジアの国内線で移動しましたしかしこの時にはバンコク航空が就航していましたので
前の記事に書きましたように那覇ではアジトに入った後道向かいのファミマに行ったきり外を出歩くことはほぼしませんでした翌日少し混み合ったゆいレールで空港に向かいましたがやはりここの県民は少し感染に対して感覚が本土とは違うようです私自身どういう対策が良
前回の昨年記事は4月末のゆざわShu*Kuraでの旅でしたがその旅の翌日から緊急事態宣言が発令されました私は旅によく出ていますがこういうことはきちんと守りますはいしばらく旅は中止しました会社内でも旅によく出ることは知れ渡ってますのでもし感染でもしたら即座
2006年06月 アンコールと首長族の旅part1 7/7最終章
さて上海外灘から黄浦江を浦東にわたり最寄りの地下鉄2号線駅から龍陽路駅に出てまた磁浮で浦東空港に戻りました龍陽路駅では珍しいものを見ましたこれ自動販売機ですね何も珍しいものではありませんが当時としては珍しいものです何か感じませんでしょうかそう
上海市というのはご存じのように人口がとてつもなく多い都市ですでもしかし非常に広い市域を持っています例えば東京23区内の人口と比べると3倍弱もある人口ですが面積は・・・10倍以上あるのです広大な中国という国の都市はやはり面積も日本とは違います色んな10
地下鉄2号線はいわゆる上海の中心まで走っています現在と違いこのころは案外上海地下鉄も単純でしたまた乗るのにそんなに難しくもなかった記憶があります今ですと切符を買うのに一苦労改札を入る前のセキュリティに一苦労一苦労というのは「並ぶこと」です当時の上
列車内に乗り込みました私はもちろん普通車乗車です車体幅が広いのか3-3のアブレストの座席配列でした先頭車両はVIP車で2-2のアブレストです共産党役員専用なのかそれとも高額料金を払えば乗れるのかよくわかりませんでした車両にはドット式の表示板が
さあ出発です今から16年前ですからこのころは私もまだ40代半ば体力もありますので観光旅行の場合はダッシュ観光します以前に書いたと思いますが当時は日本~タイの普通運賃を使用していましたのでバンコクと東京の間に何回か乗り継ぎを入れていますこの時は東
2006年の過去旅シリーズの途中ですが少しコラムを挟みたいと思います私の皆様のブログへのコメント私のブログへのコメントへのリコメントが最近少し遅れ気味なのにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますはいここ1か月ほどそんな感じになっていますと言います
第5サテライト中央の吹き抜けのエスカレーターを上がりますとANAラウンジの受付になります振り返りますと出発エリアのフロアが広がっていますこの受付の左側がANAラウンジ右側が当時はANAラウンジファーストと言っていました今のスイートラウンジの前身で
ブログ開設前の過去旅のシリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしていますこの旅のことはブログにはありませんがANAフレパでは公開していましたより大きな写真で見てくださいね私はカンボジアのアン
2021年04月 ゆざわShu*Kuraで呑みテツ9/9最終章
大宮駅でDr様夫妻とお別れした後上野駅でI氏と別れ私は上野東京ラインのホームに向かいました私は東京は慣れてるとは言え上野駅は慣れていませんので事前にDr様や様々なようつべの動画を見て動線を頭に入れていましたので迷うことなく乗り換えが成功して品川ま
列車は日本海沿いに走り抜け信越本線で新潟県長岡を目指しました長岡からは上越本線で越後湯沢駅で終着です青海川駅を出てすぐに振る舞い酒が出たようです特別本醸造の大詳盛というそうです吟醸酒ではありませんのでいろんな味が混じってる感がありまして日本酒が好
さて私は完全にアウェーの土地ですしテツでもありませんこのゆざわShu*Kuraでどこをどう移動するのか全く分かりませんとりあえず動く居酒屋に入ったという感じですゆざわShu*Kuraの企画乗車券の1号車は飲食付きの観光列車ですからお酒とお料理が出てきましたまず最
上越妙高駅は改札コンコースが2階で改札をくぐって階下に降りて地上ホームがえちごトキめき鉄道旧信越本線です私の頭の中では北陸新幹線が存在しなかったのと同様この鉄道はまだ信越本線のままL特急あさまが走ってる感覚でしたじゃあこの特急は何だろうって・・・・
北陸新幹線を上越妙高で下車しましてそのまま駅前のアジトにチェックインしましたあと1時間ほどで関東組の方々が到着しますがもうすでに私のいつもの就寝時刻を過ぎていますシャワーを浴びて即ベッドに入りました翌朝はいつもよりは遅めに起床しましたこの日の出発時
あえてグランクラスのすぐ前のグリーン車ドアから乗りましたなんかやはり重厚なエントランスですね座席は2-1のアブレストです2-1のアブレストは近鉄のプレミアム特急で何度も体験していますがフル新幹線の車体幅はそれ以上ですので横幅はグランクラスのほう
敦賀を出たサンダーバード35号は武生・日本一の眼鏡産地の鯖江と停車して福井に停まりましたここを出てもまだ金沢は4つ先の停車駅です芦原温泉・・・・・観光地なので夜は停車しなくてよい加賀温泉・・・・・同じく小松・・・・・空港がありますがどちらかと言え
さてサンダーバードに乗り込みました前の記事にも書いた通りこの列車は設備はごくごく普通に整っていて喫煙者以外は全くの不自由がない列車(完全禁煙)ですが全く面白みもない列車でもあります700系新幹線に似てることはないですが立ち位置が似ていますマイナ
皆様方ゴールデンウイークは楽しく過ごされたでしょうか私は九州に行ってましたがブログは今日から再開いたします国内旅行ばかりの2021年でしたが鉄道がメインの旅を4月にしましたこれはDrさまよりお誘いもありましたしこのところ関東方面にもお邪魔していませ
私は現在海外旅行は行けていませんがそれでも国内旅行は行っていますプレミアムポイントを安くてより多く稼ぐため利用しているのが「スーパーバリュープレミアム28」という運賃ですANAはプレミアムクラスと言い何でもかんでもプレミアムという単語を使いますね正
バンコクでのこの当時のアジトはスコータイかウエスティンバンヤントゥリーかどちらかでしたしかしバンヤントゥリーがウエスティンの冠を外しスコータイがバカ高くなってきましたスターウッド系への集中の意味合いもありますのでこの時はアソークの2大スターウッドウ
この時のマレーシア訪問はやることだけやって1泊だけしてプライベートの時間を作ることなく終わりましたホテルも確か中央駅の前のホテルにしてチェックアウト後すぐに空港に行けるようにしていたと思います私にとってクアラルンプルはあまり興味がわく街ではありません
シンガポールではチャンギ空港で実は待ち合わせをしていました時間が少しありましたので一旦入国しましたここの国では今ではかなり厳しいたばこの持ち込み規制がありますがこの時は1カートンなら大丈夫だったと記憶していますただこの時もチューイングガムはダメでし
ブログ開始以前の過去旅シリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしています私の勤めています会社の店舗にこられた方はご存じですが買い物の会計はコンビニのようにバーコードスキャンによる精算そしてその
食事を始めるころには四国沖を飛行していましたいつもよりずいぶんと列島から離れてのルートです種子島から離れたルートをとっているのがわかりますね多分九州南部あたりに前線か低気圧があったと考えられますなので奄美大島あたりからずっと揺れが続いていましたそ
この日の帰路は羽田経由ですのでいつもの伊丹行きとは空港に行く時間が違いますプレミアムクラスで昼食サービスが行われる便は羽田行きで3便あります11時発12時ちょいすぎ発そしてこの日乗った13時過ぎ発です羽田が絡む幹線路線の場合は軽食ではなく昼食・
昨年は緊急事態宣言と蔓延防止との繰り返しでしたが予約は数か月も前に入れてますのでそういうことはお構いなしに入っています宣言が出ればフライトの振り替えとか後伸ばしとか対応して宣言が出てないときにはそのまま行っていましたこの時の沖縄行きも宣言を数日後に出
さてキティエプロンでサービスするCAさんたちですがエバー航空のキティジェットのすごい所は想像をはるかに超えたところにありました機内に入りますと通常は大型スクリーンがあるところにキティの絵が飾ってありましたそしてビジネスクラスのヘッドカバーもキティ
翌日は帰国ですアジトのウエスティン台北の前からは実は桃園機場行きのバスが走っていることは走っているのですアジトのある南京東路は松山機場発桃園機場行きのバスの通り道なのですがここを通るバスは大変な停車数を誇ります(笑)台北市内でかなり停まり
私は車のことは全く分かりませんこれは何の車でしょう次の車はなんとなくわかりますオート三輪というやつですね私の子供の頃には田舎でよく見かけましたのでダイハツミゼットでしょうかダイハツは大阪池田市の企業ですがダイは大阪の大ハツは発動機の発です元々
九份観光を終えて台鐵台北站に戻ってきましたアジトは南京東路ですからここからはMRTで戻らなければならないのですがこの数年前に出来た駅前の施設に行ってみることにしました台湾故事館読んで字のごとく台湾の昔の様子を展示してある施設です残念ながら今はあ
着いた所は九份です正式のバス停名称は「九份老街」ですね一つ手前の九份バス停で降りてはいけません九份老街のバス停を降りて左に進みますと前の記事の最後の写真コンビニが入り口左にある老街の入り口に出ますこの商店街を進んでゆきます中華風味の土産物店や
さて業務を終えて休日の開始ですこのころの私の台北でのアジトは前回書きましたがウエスティン台北で南京東路にあるホテルでした台北站に出るにはバスかタクシーそのころ出来ていたMRTの乗り継ぎいずれかで向かうことになります今ですと新しくできたMRT 松山新
ブログ開始以前の過去旅シリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしています2006年の台湾と言いますのは①新幹線が開業していない②松山機場がまだ国内線専用③エバー航空が前年よりハローキティジェ
賢島駅まで来ますと終着駅らしく車止めがあるホームが並んでいますこれに乗ります観光特急しまかぜです席さえ選ばなければコロナで需要が減ってますので今はプラチナチケットではありませんしまかぜに乗るにはもちろん乗車券は必要ですがそれ以外に特急券としまか
伊勢に来た・・・と堪能できる貝を食べた後はただ大阪に帰るだけなのですがこの時は朝に大阪を早く出たことと使った切符が株主優待券でしたのでどこから乗っても大丈夫なその切符をうまく使いましたまず鳥羽から賢島までIC乗車券で乗りましたこれは通常の乗車券で
参拝を終えた後は土産物街に戻りました営業しているお店のエリアを選んで撮影しましたが半分以上は閉店ガラガラでしたいつも内宮のおはらい町で食べてます豚捨のコロッケとメンチですがここにもお店がありましたコロッケとメンチ屋さんではなく元来はお肉屋さんで
おはらい町で少し食べた後はこの時は久しぶりに二見まで行きました伊勢市の駅でバスフリー切符を買っていますのでここに行くことで元をはるかにオーバーできます内宮前から20分ちょっとで着きますのは夫婦岩東口ですここには大土産物センターとかわうそとトドとゾ
さて神宮の参拝も終わりましたのでおはらい町に繰り出しましたさすがに伊勢神宮ですなんのお祭りでもないのに3月の上旬でこの人出ですもしかするとコロナの影響で例年よりお参り人数総数が増えてるのかもしれません普通のお参りではすまないぞこれはやはり大元の
大阪から伊勢志摩では特急の停車駅の最寄りますがおおよそ1時間40分です伊勢市駅はJRとの共同駅ですので近鉄で到着しますと跨線橋を渡ってJRの駅側に向かうことになります改札を抜けますと右に観光案内所と三重交通の案内所があります三重交通の案内所でこれを
伊勢志摩ライナーはアーバンライナーとほぼ同じ時期に出来た特急ですなので外観や顔は似た感じになっていますただ違う点は内部です片や名古屋と大阪という大都市を結ぶ特急片や大都市と国立公園を結ぶリゾート特急雰囲気が全く違います普通席は伊勢ノ海を表したブル
この年の正月明けに沖縄に行きました時はもうすでにその4~5日後から緊急事態宣言が出ることはわかっていました2021年1月13日から2月末まで緊急事態宣言が出されました大阪は例のボンボン知事が先走って解除させてその後大変なことになりましたが私として
先月末というか先週金曜日ですがコロナワクチンの3回目接種をしてきましたまず私の住む大阪市では65歳以上と未満で分けて2回目接種完了日から約7か月後それぞれ1週間ほどの差をつけて接種券の送付を行ったようです昨年の7月19日に2回目接種をした
ラウンジでは珍しくスイーツなどを食べて過ごしていましたがこれは一口サイズなので大丈夫ですエアーニッポン機は機種はB767-300ERでの運航でしたこれはのちにANA名に変わってもそのままでB787-8が導入されるまでずっとそのままでしたこの日は晴
台北でゆっくりしましたあと帰国しますこの時もまだ羽田~台北松山線はありませんでしたので中正国際機場に向かいました私が乗りますエアーニッポン便はターミナル2の発着です当時は日本アジア航空の発着はまだ1タミからでしたがのちに2タミに移動になりました
バンコクの支店に挨拶して翌日タイを後にしましたチェンマイ行きの日から正月休暇を使ってますがこの時はもう少し使っていましたはいこの帰りに台湾に寄るためですこの台湾寄港は業務ではなくプライベートの休暇です私はバンコク発券東京行き普通運賃チケットを使って
この時のチェンマイ行きでは昼間の観光の写真は残っていませんでした行ったのかどうかも記憶にはありませんが夜に行きましたナイトバザールの写真は残っていましたチェンマイの名物と言えばたくさんの寺院とナイトバザールとカオソーイですカオソーイというのはからい
国内線のセキュリティ内は当時はまだまだ外国人の比率が高かったですこの先LCCがもっと登場してきて国内線のほとんどを占めるようになるまで飛行機移動はまだタイでは高根の花だったようですなのでタイ航空の国内線も特別感のあるサービスでした機内食も当時はエ
さてバンコクでの業務終了後正月休暇を埋め込んでそのままチェンマイに行きましたこのころはバンコクに行くとチェンマイに行っていたような気がします単に1泊だけのエクスカーションとしてですね今もし同じ状況があるのならバンコクでのったりと過ごしていると思いま
夕刻出発便ですから機内食のサービスはディナー・・・夕食です当時のタイ航空のファーストクラス機内食は今のような洗練された感じではなく食べ物は豊かだけれど野暮ったいという感じでしたサービスの仕方もすべてワゴンで運んできて座席の横でCAさんが盛り付けて出
ブログ開始以前の過去旅シリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしています半年に1度のバンコク業務は9月と1月でした夏の決算後に1回冬の決算前に1回です夏と冬の決算はやることが少し違いますので
この日の東京湾は西風が強くてアプローチはB滑走路を使っての着陸でしたこれはご存じのように東京湾をネズミの国方面に飛んで左旋回で着陸しなければなりません左旋回に入る前にひとつ前に着陸するであろうJAL機が見えました上下にぶれて見にくいかもしれません
大阪もそうですが沖縄も感染率は高いですのであまり出歩くことなく那覇では過しましたホテルの周辺くらいでしょうか翌日は早々に帰ります那覇のスイートラウンジもいつもよりかは空いていましたいつものように泡で旅の安全を祈りますこの日は前日と違って沖縄付
2020年は運よくタイミングよくプレミアムポイント倍付キャンペーンに乗っかりまして早々にダイヤモンド会員維持ができましたので秋以降の沖縄行きをすべて年越しの2021年に変更しました「安心変更キャンペーン」という変更不可の運賃でも変更できるという制度
さて翌日は高雄業務でした当時の高雄支店にいた日本人社員2名のうち1名が内地から来る社員に対してあまり良い印象をもってないつまり業務チェックをして日本に帰りそれを本社に報告しているというような誤解を持った人物でもうねうざいと言ったらありゃしないそん
台南は日本で言いますと良く京都にたとえられます決して街の様子とか雰囲気は似ているわけではありませんが古いものが残っていて台湾の語源になった台南・・・というのもあながちウソではありません(逆ではありません)今日は歴史のお勉強です(笑)街を歩いています
台湾2日目この日もまだ休暇中ですこの時の高雄でのアジトは・・・・・高雄一高い建物のホテルでした数年前Drご夫妻が宿泊されましたよね当時は最高級のホテルでしたが徐々に徐々に星が落ちて行き名前も変わってゆき今はどうなっているのでしょうか検索すると3星
中正国際空港に着陸したANK機を降りまして入境・・・・ではなく乗り継ぎの手続きをしましたこの当時は記事の最初の文字の通りまだこの空港の名前は変わってはいませんでしたがすべにターミナル2は運用が始まっていましたエアーニッポン機の発着はそのターミナル2
ここ3年ほど私は雨男の気配がしています休みの旅に雨というのは季節の変わり目では当たり前飛行機に乗る日は往復どっちかが雨や強風挙句の果てには夏では台風に遭遇したり・・・・・しかしまだ15年前は間違いなく晴れ男でした飛行機に乗る日は8割が晴れ間のフライ
ブログ開始以前の過去旅シリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしています我が社は台湾に数店支店がありますそれは2代目の社長(創業時の専務)が戦時中台湾駐留していたことからなのですが台北・台中
松山城から繁華街の大街道に戻ってそこの三越前からバスで空港に向かいました松山空港は市内中心部と近いせいかリムジンバスは一般道を走りますので急いでいる時などは大変遅く感じます時間の感じ方というものは相対的ですからね松山空港にはANAラウンジがありま
さて豪華なランチをとった後は次の目的地に急ぎますこの日は予定になかった入泉をしましたので少し急がねばなりません道後温泉駅からはチン電に乗りましたチン電ですが市電ではありません伊予鉄道の市内線ですね坊ちゃん電車もよいのですが待ってると遅れますので
ここはどうやらお食事処とか小料理屋とかではなく基本的には居酒屋のようでした日本酒が各種置いてありますね全て一升瓶だということは「よく出る」ということなのでしょうねでも私は先ずは泡です昔父親が戦友の経営する居酒屋を手伝ってた時期がありましたその時
松山空港に着きましたあとはリムジンバスで市内に向かいました私は預け荷物もない客で誰よりも早く飛行機を降機してビル外に出ています運よく直近のバスは私が乗った後すぐに出発しました早着したため予定より早いバスに同じ飛行機の搭乗客でただ一人乗れたのですそ
このころから私はゲートには出発30分前には行くようになりました理由はゲート板の撮影と使用機種の撮影は以前からしてますが搭乗者が少ないのが続いていましたので各空港では定時もしくは早発の割合が高くなっているため搭乗開始時刻も以前よりかは早くなってきてい
昨年のお正月はそれまでの慣習の海外での年越しができないということもあり何年かぶりに国内にいたのですが会社も休みですしどうしようかと悩んだ結果元旦フライトをしようと思いました元旦初日の出フライトなるものもANAでは毎年あるのですがこれに乗ってもマイル
コラムを2つ続けることをお許し下さい私の記事アップは祝日関係なく月・水・金の週3回朝5時になっています記事の数と曜日との兼ね合いで出来る限りきちんと金曜で終わったり月曜から始めたりしたいものですので・・・・・今年の初詣なのですがいつものように今月
みなさまあけましておめでとうございます旧年中は大変お世話になりました新しい国際線の記事は約2年ほどありませんが今年こそなんとか行けるようになってほしいですよね本年も相変わらずよろしくお願いいたします 今私が使っています
宇和島鯛めしです美味しいです
あけましておめでとうございます旧年中は拙いブログにおいでいただきありがとうございました本年も相変わりませずよろしくお願いいたします今日元日は松山に来ています先程朝のフライトで到着いたしましたプレミアムクラスはおせちのサービスですこれから道後
さて翌日は帰国です羽田~台北松山の路線はまだない時代ですから帰りも中正国際機場(現桃園機場)に向かいました入りましたラウンジは日亜航空貴賓室日本アジア航空使用のラウンジです色合いとか調度とかがやはり日本航空由来の上品で落ち着いた感じになっていま
台湾4日目この日は昼までアジトのお部屋でごろごろしていました前日からアジトはシェラトン台北に変えていますこの時は・・・・来来大飯店でしたでしょうか以前Dr様とディナーブッフェを食べたところですこの吹き抜けの下のテーブルがある所がレストランですこの
台北3日目今日からは休日扱いです出張届にはこの日は帰国するということになっていましたが私だけは台湾に残りましたしかしこればれると懲戒ものなんですよ東京本社からの社員は午後便で予定通り帰りますので一応桃園機場まで見送りに行きましたそのあとアジトを自
成田に着いた後は駆け足で国際線に向かいました多分乗り継ぎ時間いっぱいいっぱいだったのだろうと思いますラウンジの写真が全くありませんので・・・・・成田からは当時のエアーニッポン便で台北に飛びましたご存じのように今とは違い当時は中共に遠慮してANAも
ブログ開始以前の過去旅シリーズですコロナで海外渡航が2年程出来てませんので昨年の国内旅行と過去旅を1回づつ交替でアップしています私にとって9月と言いますのは一年で一番忙しい月です8月末で決算となる我が社はその末日の前後に棚卸をして在庫額を算出しま
私が乗りましたのは一番大阪寄りの車両のデラックスシートです2-1のアブレストで普通席より300円ちょっと高いだけですからかなりお安いグリーン車仕様です名阪特急の上級席は需要が高くて普通席より混雑度が高いのですが伊勢方面の特急ではあまり需要が高くあ
さすがはお伊勢さんです何も特別な日でもない平日ですがおはらい町の人出はすごかったです阿部野橋発着にしたので時間的に少しタイトに組んでいましたなので買い食いめぐりはしないでお店に入りました浜与本店 内宮前店外宮前にあるのは知っていましたが外宮前です
さて外宮の参拝が終わりましたら内宮に向かいますいつもですと御木本道路に面した外宮前のバスターミナルから内宮行きのバスに乗るわけですが内宮前までバスに乗りますと高くつきます(440円)のでその手前で降りることをお勧めします一つ手前が神宮会館前(350
さて観光特急しまかぜは大和八木に停車した後は伊勢市駅まで停まりません途中伊勢中川駅の手前では名古屋線との分岐が見られます今乗ってる軌道が大阪線左の白い軌道橋が中川短絡線で名古屋線に入りますそして土手の上が名古屋線で左方向が名古屋方面です昔の短絡
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首長族の観光村を出てメーホーンソンの中心地に戻りました途中で再度わきの山に登ったのですがそこからは町が小さな盆地でできていることがよくわかりました写真の左端に見えるのはチェーンカム湖という町の中央の湖ですそしてその北に目を移しますとメーホーンソ
7月末からの3連続飛行機旅那覇・熊本・鹿児島合計10フライトを8月1日に終えその足でワクチン4回目接種を終了しましたさすがに還暦越えの私には堪えたのか1昨日健康診断で半日の絶食+胃レントゲンをして連日の猛暑日も重なってダウンしてしまいました昨日から
メーホーンソン空港はもちろん国内線だけで定期旅客便は日に3本ほどのチェンマイ便だけでしたチェンマイがこの地方の中核都市ですどこに行くにもチェンマイに出てから行くことになりますまたこの近くにはメーサイという町もありますがそこに至ってはミャンマーの国境
過去旅シリーズですこのシリーズのパート1は上海編パート2はカンボジアのアンコール遺跡編そしてこのパート3は首長族編です今首長族という言い方をしてもよいものかは不明ですが当時まだカヤン族はこの呼び方が一般的でしたタイ王国は実は多民族国家なんです多
先月の初めコラム080としてこのままでは会員レベル維持ができないことと会員レベル維持をなぜ来年もしたいかを記事にしましたコラム記事080そしてこのままではとても到達できないということで修行をすることにしたと書いたと思いますその結果何とか順調に進んで
さてバスで15分ほどで目的地にやってきましたインテックス大阪です色んな大型展示会などが開催される場所ですここが大阪府の大規模接種会場になっていました入口を入りますと接種券保持の確認と検温・手消毒のエリアがありますそこを抜けますと正式の受付です
伊丹空港に到着した後も今回は続きます一度記事にはしていますので思い出す方もいらっしゃることと思います伊丹空港から出ますリムジンバスは大阪市内であればどこ行きでも均一料金になっていますなのでいつも我が家に一番近い阿倍野橋行きのバスに乗っていますしか
この日の沖縄は雨昨日日本列島の南岸に延びていた梅雨前線が少し南下したせいで梅雨が明けかけた沖縄にも雨をもたらしました乗りましたのは11:15発のANA762便の伊丹行き使用機材は行きと同じくB787-8の国内線仕様機でした那覇空港を離陸してずっ
昨年の旅のシリーズです昨年の5月は緊急事態宣言が末に解除されてすぐに沖縄に行きましたそして翌月の6月も沖縄に行くことを中止しませんでしたご存じのように私は年単位で予約を入れていますのでほぼ毎月沖縄行きを昨年は入れていたのですしかし全部行ったわけで
翌日はバンコクに戻りますメリディアン宿泊ですから空港へはタクシーで・・・になりましたこのホテルはエントランスからバイクタクシーなどが待ってる敷地外に出るまで少し歩かなければなりませんのでやはりスマートにはいきませんそれにバイタクの場合キャリーケース
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ワットの入り口には今後何かのお金に変わるものを得るために色んなものが建設中でした小さな子供たちも手伝っていますね私が初めてカンボジアを訪れたのはこれより10年前地雷撤去もあまり進んでいない時まだポルポトが生きていた時ですその頃のこのくらいの子供た
さて第一回廊から第二回廊へと昇りますそう少し上階になるんですここの回廊には第一回廊のような派手な彫刻はありませんが建物自体がヒンズーの影響を受けたのがはっきり分かる形になっていますこの第二回廊には日本とゆかりの深いものもあります森本右近太夫
ここでガイド嬢にキレられてしまいました彼女としたらこのバンテアイスレイでは15分の見学予定だったんだそうですこれからアンコール遺跡群の有名どころのタ・プロームやタ・ケオなどいろいろ案内したかったそうなのですが私このバンテアイスレイで1時間以上過してし
通路を進みますと少年僧たちに出会いましたMKさんならご存じですがこのインドシナ半島の仏教では男は一生に一度は出家して僧侶になるという決まりがありますカンボジアでもそうなのでしょうかね出家することによって徳を積むという考えです女性や普段の生活の中で
最後にバイヨン寺院をもう一度拝んでおきましょうさて今回のガイドさんですが基本的には無料だったんです(実際にはいくらか渡しました)車と運転手だけの手配をしていたのですが手配先から日本語学生のガイドを研修の一環としてつけたいとの申し出があって引き受けた
南大門をくぐってアンコールトムに入ってまずはその中心に位置しますバイヨン寺院に向かいましたこの寺院のことをアンコールトムと思ってらっしゃる方が多いと思いますがアンコールトムの中にあるバイヨン寺院ですアンコール遺跡群の中ではアンコールワットの次に有
さて翌日は実は前日に車付きガイドを事前に手配していました日本語を勉強中のカンボジア人が日本人相手のガイドをするというNPOの斡旋するガイドです前2回のカンボジア訪問時(30代半ば)と違って私は40代半ばそしてこの時は少し遠いところまで行きたかったの
カンボジアに着いた日は何もせず・・・・ということはなかったですがマーケットを覗いたりした後はホテルでゆっくり過ごしましたルームサービスでスイーツを頼んだりしたんですよ実は甘いものが苦手な私でも単純なスイーツの中には好きなものがあるんですその中の一
バンコク航空のATR72-200はターボドロップ特有の唸り声をあげてドンムアン空港を北に向けて離陸しました上昇してすぐに180度左旋回を通り越した後さらに南下してバンコク市内中心部手前で左に90度の旋回で東を向きましたそしてそのまま数分後私が座った
さてフランクフルトでのアジトは利便性のみを考えて駅前の中級ホテルにしましたフライトの利便性を考えて空港ホテルにするか市内観光の利便性を考えて中央駅前のホテルにするか迷った結果空港~中央駅は15分ほどしか離れていないので安い駅前のほうにしたのですもう
ドイツ人の好きなスポーツはやはりサッカーなんでしょうね私などは微塵の興味もありませんがこういう人の集まる所にはファンショップも固まっていましたこれはブンデスリーガのファンショップですねそしてこれは地元のチームFCバイエルンのファンショップです日
ノイウハウザー通りは聖母教会が見えるあたりからカウフィンガー通りと名前を変えてマリエンプラッツ・・・マリエン広場に出ますここの代表的な建造物は旧市庁舎と新市庁舎です旧市庁舎は14世紀ですので建物自体は復元物で今はおもちゃ博物館として営業しています
ミュンヘン中央駅の駅前には駅舎を背にして大きく左側の道と右側の道があります右側がバイアー通りといって普通です左側がプリールマイヤー通りといって少し欧州っぽい感じですプリールマイヤー通りを東に進みますこの建物はミュンヘン上級地方裁判所ですう~ん日本
アラベラシェラトンに1泊して朝ミュンヘンに向かう飛行機に搭乗しましたルフトハンザ航空のエアバスA321-100です実はANAでも導入していました1998年から約10年の間飛んではいたのですがANAの運用計画にあわなかったのか短命に終わりましたしか
日本からの欧州着陸都市はロンドンこれは日本発の特典航空券の欧州行きファーストクラス空席がロンドンしかなかったからロンドンからミュンヘンへの移動で中継点をデュッセルドルフにしたのは空港ホテルが安かったからまあいろんな要因でこのルートになりましたデュ
この時の機内食の写真は残っていました多分フレパの活動をするようになったからでしょうね機内サービスはロシア上空に入ってから始まりました2003年ですその前々年に何が起こったのか覚えてらっしゃいますでしょうか2001年9月11日アメリカを代表するアメ
7月19日コロナワクチン2回目接種に行ってきましたワクチンはモデルナ製で大阪市大規模接種センターでの接種です私は軽いアレルギーがありますのでできるだけアナフィラキシーを起こさないワクチンを選択したいと思っていましたファイザー製よりモデルナ製のほうが
私の最も行きたかった世界遺産はエジプトのピラミッドマチュピチュアンコール遺跡群もちろんすべて行ったわけですがマチュピチュ以外は複数回行っています最初にエジプトに行ったのは36歳の時母を連れていわゆる南回りで行きました大阪⇒バンコク⇒ドバイ⇒カ
プレミアムクラスのお弁当は昼食仕様奇をてらった内容ではなく基本的なおかずが並んだ内容でしたこの日のルートは少し東寄りの海上を進みましたので種子島の東沖を北上するというあまり島々を見ることができない航路で飛んだようですうとうとしてましたので半ばあ
那覇市内のいつものアジトでのたあ~~と過ごした後翌日は何もしないで帰ります私の旅のバンコクでの過ごし方と那覇での過ごし方はよく似ていますね日頃の疲れをいやす旅ですから先月行った時もそうでしたが中韓台の観光客がいない那覇は本当に人が少ないです房総
前の月3連続の飛行機旅をして緊急事態宣言前の国際線などのプラチナポイントと合わせてそれが倍付になりこの7月30~31日の沖縄行きで早々にダイヤモンドレベル達成となりましたただ単に4月の沖縄行きを移動させただけですが・・・・・・旅の始まりはやはり伊
実はこのインドネシア内での食事ですが私としては大変珍しく全てホテルで済ませましたインドネシアの町中の衛生状況が・・・・・ということはあまり影響はないのですがジャカルタとジョグジャカルタ両方のシェラトンが町中から離れていたのです往復のタクシー代を考
ボロブドゥール遺跡の次に行きましたのは王宮です5世紀以降大航海時代にオランダ領になるまでインドネシアは各地域に存在する王が統治していました基本的にインドネシアという国意識はなくてインドネシアというのはオランダが東インド会社を作った時その延長線上の「
2時間ほどのプランバナン寺院群の観光の後一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びて休憩した後午後の観光に向かいました世界遺産ボロブドゥール寺院です8世紀後半に作られたものでもともとの丘に土をもって基壇を作りその上に岩石を積み上げて作られています一番下
ジョグジャカルタでは2泊しました着いた日はホテルのプールなどでまったりと過ごして翌日は1日観光・・・というより半日観光を2つ組み合わせましたこれはホテル常駐のタクシー会社での手配です当時のインドネシアですのでタクシー合計5時間貸し切りでも7000円
今の私であればバンコクに夕刻に着いたならばその日の乗り継ぎでシンガポール経由ではなくタイ航空でジャカルタに直接行く行程をとってると思いますが当時の私は①飛行機に何回も乗りたい②シンガポール航空に乗りたいこういう願望がありましたジャカルタ郊外で1泊
沖縄に行きました時はもうすでにその4~5日後から緊急事態宣言が出ることはわかっていました2021年1月13日から2月末まで緊急事態宣言が出されました大阪は例のボンボン知事が先走って解除させてその後大変なことになりましたが私としては自粛自粛自粛・・
このブログのを始める前の海外渡航の記事を昨年の国内旅行の記事の間に入れる第3弾です2002年はまだ今の職場へ移動していませんので夏休みは8月ではなく6月に取りました行った先はインドネシアのジャワ島もうこのころ私はJMBからAMCへ完全に移行してい
私が白ご飯を食べないことをご存じの方もいらっしゃると思いますなんらかの意味があったり主義主張があったりするものではありません単なる好き嫌いの問題ですカレーライスは食べますし炒飯やそれに代わるナシゴレンやカオパッなどは大好きです味のついていない「白」