「平凡な生き方が、人生の灯台になる」(私)毎日同じ事をして生きているが、それが人様の頼りになっているものだ。人生の灯台
【張り付いて生きる】東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持...堂々と生きる
近くの小さな図書館に寄りました。25年以上前の新潟市立小学校、おばたただお校長先生の「心のリボン」のお話を読み感動しました。運動会の閉会式の挨拶です。子供たちの胸にはリボンがついていました。一等は青、二等は黄色、三等は赤のリボンです。一人三回競技に参加しましたので、多い子は三つのリボンをつけていました。また、一つもつけていない子もいました。それを見て急に覚えてきた挨拶をやめて言いました。「リボンを三つ胸につけている人、手をあげなさい。この人たちは大変がんばった人です。その場所にしゃがみなさい。」「次に、リボンを二つつけている人、手をあげなさい。この人たちは、次にがんばった人たちです。しゃがみなさい。」このあたりで、父母の方々は心配そうになってきたそうです。「次に、リボンを一つつけている人、手をあげなさい。...心のリボン
瞳の中の空澄みきった空晴れきった空曇り空雨が降りそうな空雨雲が浮かぶようにうるうるという涙雲が浮かぶ。うるうるは鎌倉時代に良く使われた古語。涙雲で目が曇り、涙の雨がうるうると降る。しかし、雨はいつかやみます。空がまぶしく輝き出すように、あなたの瞳もきっと輝きを取り戻すことでしょう。うるうる
400年以上前の室町時代に『伊曾保物語』があるのを知りどんな内容か調べてみました。驚きました。ギリシャの説話集イソップ物語でした。ギリシャを訪れている秋篠宮の佳子様も読んで行かれたそうです。ポルトガル語から、「かな」に翻訳されたものでした。あの時代の人びとがありときりぎりす、北風と太陽、うさぎと亀などの物語を読んでいたのです。久しぶりにあった狐に鶏がまことにゆかしう存じる。と言っています。「ゆかしい」とは懐かしい、慕わしい、欲しい、見たいなどに使われていたようです。『ゆかしい』好きな言葉を見つけた喜びがしました。僕はあなたがゆかしい!僕はあなたに会えてゆかしく思う。何か今のなつかしいより、優雅な響きがあって好きです。奥ゆかしいはここからきたようです。ギリシャ訪問の佳子様
『迷い道青葉時雨に胸晴れる』(私)青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。ぱっと気持ちが晴れました。小さなことに心迷わすな!一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。皆様にも青葉時雨が降りますように。青葉時雨
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。光明蛍
【うぐいす】平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌だと思います。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。今朝もうぐいすが鳴いているなあ。うぐいす
「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう前へ前へ」言葉の力
この仕事は若い人、いや年配者でも無理なのか?また、2カ月で出社拒否か無断欠勤をして辞めていく。人間関係が難しいからか。私が18年間勤められたのは何だろうか。「仕事が好きになれば仕事が来る。仕事の見返りは仕事だから。」(私)嫌いになると全てが嫌いになってしまう。石の上に3年は昔の言葉か。残りの仕事は皆が手に付けてない書類の整理やら清掃環境整備を依頼されています。まだまだ役にたつことがあることに感謝しています。仕事の報酬
イギリスの神学者ジョン・ウェズリーの言葉が好きなので紹介します。私は英文の方が好きです。アメリカのオバマ大統領が就任した時の有名な「youcan.」はこの言葉を引用したのではないかなと感ずるのですが。『Doallthegoodyoucan.君ができるすべての善を行え、Byallthemeansyoucan.君ができるすべての手段で、Inallthewaysyoucan.君ができるすべての方法で、Inalltheplacesyoucan.君ができるすべての場所で、Atallthetimesyoucan.君ができるすべての時に、Toallthepeopleyoucan.君ができるすべての人に、Aslongaseveryoucan.君ができる限り』この言葉はいろんな所で、いろんな人が自分の能力に応じ精一杯生きた...君ができること
鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。現在は、学業や仕事、介護に日々追われ、心の窓は閉ざされてしまいがちです。この場もあらゆる神様が通る無限の清風が吹いていますよ。無限の清風
3000年前、オリエント地方に1人の若者がいた。ある夜、夢の中に神が現れ「キミの希望を1つかなえてあげよう。何が欲しいかね?」若者は「長命、健康、美しさ、幸福、栄光、成功、富、愛…」「僕はまだ人生で大切なものが何かを知りません」だから一番欲しいものは「知恵、物事を理解する心」と答えたのです。若者の望みがとても気にいった神は、その望みをかなえてあげたのでした。彼の名はイスラエルの皇太子ソロモン王です。私も神にいつもお願いしています。「生きる力になる言葉」を欲しいと。それで、たくさんの言葉を下さっているに違いない。「言葉は心を伝える舟」なのだから。心を伝える舟
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(万葉集・山上憶良)銀も金も宝石も何になろうか。すぐれた宝も子に及ぼうか、いや及びはしない。母の日にたくさんの花束が届きました。皆さん大喜びされましたよ。親心
あかあかと燃える茜色ためてためてゆったりゆっくりと沈んでいくあの悠久なる流れの中に自分を沈めていく明日の力を信じて。もうすぐ退職します。1212too夕陽夕陽
わが道の先にいい事がある。だから努力するのです。道の先
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。光明蛍
「幸せな人間とは困難な時、神の導きを知った人間である」(私)振り返ると、あんなに絶体絶命の時に、能力以上の事が出来たのは神の仕業に違いないと感謝している。神の導き
神は人に「創造力」という才能を授けてくれました。しかし、人は自分たちを破壊するものを創ってしまった。人は言葉に限らず「分かり易いもの」に飛びつきがちです。本当に思っていることは、簡単には言葉になりません。あらゆる苦汁の体験から出ているからです。私は弱い人、貧しい人、見捨てられた人、病に苦しむ人、生きる力を失っている人に言葉を発信して来ました。しかし、朝に夕に見えない人の声を聴く事が多くなりました。その人達にも勇気を与える言葉を意識して発信しなくてはと思っています。何故なら、そのような人達もこの場を見ているからです。死んでも生きると。復活しているのです。皆様にもその気持ちを持って頂けたらと思います。復活
「人生にハイウェイはない。自らの轍を作るのだ。」(私)轍(わだち)
「人生に七色の虹を望むなら、スコールを耐えねばならない」(私)突然の雨に濡れる事だってあるだろう。しかし、私は七色なんて望まない、大好きな二色があればいい。人生の虹
「声援は力なり」大谷選手も復帰戦活躍した筒香選手もだ。声援
辛い時を経験してきた人には、共鳴できる和歌があります。『ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき』(新古今集藤原清輔)「ながらへば」とはこの世に生き永らえたらということ。「憂し」とは嫌なこと。嫌で、つらくて、どうしようもないこの頃だけれども、このまま生き永らえていたら、いつか懐かしく思う日が来るだろうな。辛かった昔のあの頃が、今は恋しく感じられるように。確かに、そう感じます。古代の人も同じなんだと親しみを感じます。さあ、今日も辛いことあるかもしれませんが、懐かしく、恋しくなる思いでだと気楽に行きましょう!『ながらへばまた懐かしく思い出すことだろう令和の嫌なことを』ながらへば
ニューヨークのプレタポルテの女王と言われた、エレナ・ランバート。彼女の豪華な部屋の中に一段ときらびやかな部屋があるという。訪れた人は圧倒されるという。部屋の敷物は日本の帯をつなぎ合わせたきらびやかな敷物だからという。パッチワークの手法で様々な帯地がつながれているという。「このはぎれを見るたびに、私は自分の毎日の生き方を考えるのです。一枚のはぎれが私の今日の一日の生き方だと思っています。そして、完成した敷物が私の人生だと思っています。」と述べています。発想がすごい。帯地の敷物!豪華で歩けない。そこで思い出したのが、大昔のインドのお坊さん達が托鉢で頂いたのが貴重な布切れだった。それを継ぎ足した袈裟(けさ・法衣)を着たことから「お布施」になったという。布切れ一枚一枚に思いがあるのです。ここも「言葉の布地」なんで...言葉の布地
アメリカのフロリダを舞台にしているテレビドラマにマイアミの綺麗な海に惹かれて観光スポットなどを調べていました。すると、素敵な話を見つけて感動しています。ユダヤ人でナチスの収容所にいたヘンリー・ランドさんは、戦後体一つでアメリカに渡った移民でした。人一倍働いて、カリフォルニアにいくつかのホテルを所有していました。カリフォルニアのディズニーランドに行くことを楽しみにランドさんのホテルに予約をしていた難病の少年が、その夢をかなえる直前に亡くなったという知らせが入りました。両親は「早く連れて行きたかったが、闘病費用などでお金をためるのに時間がかかってと」泣き崩れたのでした。それを聞いたランドさんは、ホテルや私財を投じて、難病の子どもがお金がなくてもテーマパークで遊べる施設をフロリダ州のディズニーランドのそばに作っ...夢と魔法の国
「たしかに私の顔にしわも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから私は今の顔の方が好きです。」(オードリー・ヘップバーン)私もしわが増えました。心のしわも。多くの悲しみとそれを越える愛を知ったからです。心のしわ
「花誘ふ比良(ひら)の山風吹きにけりこぎ行く舟のあと見ゆるまで」(新古今集)桜の花を誘って吹き散らす比良の山風が吹いたことだ。琵琶湖を漕いで行く舟の通り過ぎた跡が見えるほどに湖面に花が散っている。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(古今集小野小町)花の美しさはむなしくあせってしまったことだなあ。長雨が降り続き、私がこの世で暮らし、もの思いにふけっている間に。桜の花が葉桜になりましたね。そんなに急いで散らさなくてもいいのにね。今年もありがとう。桜舞い散る道
「袖振りあうも他生の縁」(日本の諺)この言葉には暗示する意味があります。「他生」とは、仏教では「前世、来世」のこと。道ですれ違うまったく関係ない人でも前世からの因縁があると教えている言葉です。「袖」を「魂」に変えてください。「魂すりあうも前世、来世の縁」となります。声掛け合う人は前世、来世でも深く触れ合う人です。私は相談事、悩み事を受けて知らない人と接する事が良くあります。その方よりも背後霊の方に親しみを感じる事もあります。お互いの前世のご縁があるからでしょう。皆様とお話ししているのも前世からのご縁があるからだと思います。私の前世は皆様の前世に救われていたのだと感じています。そのご恩返しで生かされているのです。ありがとうございます。前世の縁
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「平凡な生き方が、人生の灯台になる」(私)毎日同じ事をして生きているが、それが人様の頼りになっているものだ。人生の灯台
ドイツの諺に「1本の毛にも影がある」があります。どのような細い毛1本1本にもかならず影がある。どんな人にも意地もあり、感情があるのだから、どのような立場の人にもきちんとした礼をつくさないと、しっぺ返しをされるという意味です。なるほどと思いました。そのような境遇にいる人には心強い言葉だと思います。心配りは必要ですね。影
論語は紀元前600年に孔子が説いた言葉で厳格な道徳心を述べています。日本人は孔子より前の老子の思想の方が合っているのではと思えてなりませんでした。すると、嬉しい言葉を見つけました。偉い学者さんが、孔子と老子の比較をしていました。孔子は二宮金次郎の生き方。生真面目な努力型。老子は天真爛漫に生きた良寛型。この批評を見て納得しました。そこで、老子の言葉を幾つか紹介します。「気にしない」悪口を気にするのは、自意識が強いからだよ。誰もそんなに注目しているもんか。要するに、うぬぼれやさんなんだ。だから人の悪口など、気にしない、気にしない。「愚か者」満杯のコップにいくら水を注いでも、こぼれるばかりだ。これは愚か者のやること。新しい水が欲しいなら、一度捨ててしまわないと。「大器晩成」本当に偉大な人は、大成するのが遅く、こ...老子と良寛
「苦難は年齢、時を選ばず突然やってくる。」(私)お祝いの席に悲しみの知らせがやってくる。それが、この世の定めなのです。ガラスの心臓の私だったのにたくさんの苦しみがやってきました。今はお陰で防弾ガラスのように厚く強くなってきました。皆様のガラスも厚く強くなっていることでしょう。これからもガラスの心臓の人を導いてください。ガラスの心臓
『肩落とし家路につく夜夕星(ゆうづつ)が天路(あまじ)を見よとかげろふ二星』(私)今日の事がうまく行かず、肩を落として帰る夜、夕星が天女が通るという、天路を見よとの声に見上げると、光輝く星が二つ出合うように近くにいる。元気を出しなさいと言ってるようだ。素敵な事がありますようにと星合(ほしあい)に祈りながら家路につきました…。通常一番輝いている星は西の空の金星(宵の明星)を指しますが、東の空を見て一番星を見つけたならそれは木星です。どちらかを最初に見つけた星を夕星(ゆうづつ)と古代の人は呼びました。仕事帰りに夜空を見上げて頑張った自分に星達がお疲れ様と迎えてくれました。この場所もお疲れ様と元気がでる夕星ですね。お疲れ様の星
今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。般若心経に「度一切苦厄(どいっさいくやく)」という言葉があります。度は動詞で、「悟りの世界に渡す」という意味です。『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸に渡した』という意味です。何故か、一切の苦や厄を消し去って無くしたと言わないのでしょうか。苦(四苦八苦)や厄(行き詰まりの意味)は消し去ることはできないので、悟りの岸に渡してしまったというのです。悩みの心を消すのでなく、悟りのある仏様に渡してしまえば楽になるということでしょうか。一人で悩んでいないで、どんどん渡してしまえばいいのです。それが、「幸せ」になるということです。幸せの語源を調べると、不思議な事が分かりました。「幸」は手かせの象形文字から来ているのです。手錠をかけられて束縛されている...手放す
常世草とは理想郷の果実と言われています。常世の国とは、永遠に変わらない国。仙人たちが住んでいる理想郷のことです。その昔、垂仁(すいじん)天皇は、その常世の国に、田道間守(たじまもり)を遣わしました。そして、9年後、彼が持ち帰った果実を「常世草」と呼びました。いまの蜜柑(みかん)なのです。昔は、蜜柑のことを橘(たちばな)といいました。「田道間花(たじまばな)」が縮まって「橘」になったといいます。その後、蜜のように、甘かったことから蜜柑と呼ぶようになったそうです。当時の人々にとっては、まさに常世の国の果実と思えたのでしょう。今でも京都御所には、右近の橘と左近の桜が植えられています。また、田道間守が9年後に戻って来たときには、垂仁天皇は亡くなっていました。田道間守は、天皇の墓の前で泣き崩れ、橘の実を供えて、後を...理想郷の果実
わ江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅ましいという意味。人間はひとたび生まれてきたからにはどのような思いをしても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで生きなければならない。なぜなら生命は貴重なものだから。どうぞ、愚痴ばかりでなく、心は生きる力の言葉を発してください。必ず導きがありますから。生きる勇気
古代に流行っていた袖があります。現代では別れの時は、さようなら!と手を振りますね。しかし、万葉集を読んでいると、万葉の頃は袖(そで)振りというようです。「白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖振る」(大舎人部祢麻呂・おおとねりべのねまろ)白い波が寄せる浜辺で別れてしまったら、もうどうしようもない。だから、何度も、何度も、何度も、何度も袖を振るのです。栃木県足利市の大舎人というひとが、防人(さきもり)として九州に派遣されて旅に出る途中に詠んだ歌。きっと恋しい人と、いつ会えるか分からない別れの歌なのでしょう。万葉の頃の袖は、手よりも長い筒袖でした。「袖を振る」とは、人の魂を鎮(しず)めたり、親しい人に自分の気持ちを伝えることができると信じられていたようです。袖振り合う仲というのでしょうか。愛...袖振り
体の汚れと違って、心の汚れは気づきにくい。気づいた時には汚れを落とすのは難しい。日々心の汚れを洗い落としましょう。そのひとつに、日々悔い改めることです。私は湯船に使って出来の悪い自分を悔いて謝っています。洗心
年をとると失うものが多い。両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、脚力、記憶力、歯、胃…。あらゆる財産を喪失していく。その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。人は木石にあらず。人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも持つ感情ある生き物です。失うと言う考えでなく、生きる栄養となって『消化』したと思えばよい。失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。生きるて心の栄養一杯とることだから。心の栄養
枕草子(清少納言)の書き出しに「春はあけぼの…夏はよる…秋は夕暮れ…冬はつとめて…」がありますが、「つとめて」とは朝早くという意味です。夜明けの日の出たころを指すようです。皆様はつとめては何されていますか?私はつとめて犬と散歩しています。今日も元気にいきましょう!枕草子つとめて
【聖なる言葉】「人を救うのはあなた。あなたを救うのは私達。私達を救うのは神から与えられた聖なる言葉です。」本当に不思議と救われるものです。あなたも聖なる言葉の力を感じて下さい。聖なる言葉
【張り付いて生きる】東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持...堂々と生きる
近くの小さな図書館に寄りました。25年以上前の新潟市立小学校、おばたただお校長先生の「心のリボン」のお話を読み感動しました。運動会の閉会式の挨拶です。子供たちの胸にはリボンがついていました。一等は青、二等は黄色、三等は赤のリボンです。一人三回競技に参加しましたので、多い子は三つのリボンをつけていました。また、一つもつけていない子もいました。それを見て急に覚えてきた挨拶をやめて言いました。「リボンを三つ胸につけている人、手をあげなさい。この人たちは大変がんばった人です。その場所にしゃがみなさい。」「次に、リボンを二つつけている人、手をあげなさい。この人たちは、次にがんばった人たちです。しゃがみなさい。」このあたりで、父母の方々は心配そうになってきたそうです。「次に、リボンを一つつけている人、手をあげなさい。...心のリボン
瞳の中の空澄みきった空晴れきった空曇り空雨が降りそうな空雨雲が浮かぶようにうるうるという涙雲が浮かぶ。うるうるは鎌倉時代に良く使われた古語。涙雲で目が曇り、涙の雨がうるうると降る。しかし、雨はいつかやみます。空がまぶしく輝き出すように、あなたの瞳もきっと輝きを取り戻すことでしょう。うるうる
400年以上前の室町時代に『伊曾保物語』があるのを知りどんな内容か調べてみました。驚きました。ギリシャの説話集イソップ物語でした。ギリシャを訪れている秋篠宮の佳子様も読んで行かれたそうです。ポルトガル語から、「かな」に翻訳されたものでした。あの時代の人びとがありときりぎりす、北風と太陽、うさぎと亀などの物語を読んでいたのです。久しぶりにあった狐に鶏がまことにゆかしう存じる。と言っています。「ゆかしい」とは懐かしい、慕わしい、欲しい、見たいなどに使われていたようです。『ゆかしい』好きな言葉を見つけた喜びがしました。僕はあなたがゆかしい!僕はあなたに会えてゆかしく思う。何か今のなつかしいより、優雅な響きがあって好きです。奥ゆかしいはここからきたようです。ギリシャ訪問の佳子様
『迷い道青葉時雨に胸晴れる』(私)青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。ぱっと気持ちが晴れました。小さなことに心迷わすな!一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。皆様にも青葉時雨が降りますように。青葉時雨
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。光明蛍
【うぐいす】平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌だと思います。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。今朝もうぐいすが鳴いているなあ。うぐいす
「身口意(しんくい)」という言葉があります。身とは行動。口とは言葉。意とは思考(知恵)。自分の持っているものを他者の為に出すこと。いわゆる他者支援のことです。ボランティアとか、お布施ともいいます。人を助けることはお金だけではないのです。私は「言葉のボランティア、言葉のお布施」で支援していきたいと思います。身口意
いつまでも仲良くナいつまでも幸せにナいつまでも優しくナいつまでも思いやってナいつまでもがんばってナ(ある投書欄。兄が妹にあてた結婚式の寄せ書き、その後病死されたという。)兄からのメッセージ
「何でもかんでも沢山、本を読む事が正しいとは限りません。」と良寛さまが述べています。『たとえ恒沙(ごうしゃ)の書を読むとも、一句を持(じ)するに如(し)かず』と述べています。「恒沙」とはインドのガンジス河の川砂のこと。数えきれないことを恒沙といいます。「一句を持するに如かず」は沢山の書を読むのも良いが、一書の中の一句を噛み締め、考え、実践することはさらに大切であると述べています。心を打つ一句を持ち続けることがより大切と述べているのです。簡単な言葉でもずっとずっと心にこだまします。心に刻む言葉
【奈良にて】昨日は母の納骨の為、奈良に行ってきました。駅について驚きました。安倍晋三さんが駅前で演説中に亡くなった所でした。そうか、ここで亡くなったのですね。近鉄奈良駅の大きな場所でした。お寺に貼ってあった言葉紹介します。奈良にて
イエスが人生最後に言った言葉が「私は渇(かわ)く」です。十字架の上で苦しみながら肉体的に、ものすごく喉が渇いていたということもあるのでしょうが、愛の足りないこの世界に対して渇いていたのかもしれません。マザー・テレサがこの言葉に心を深く揺さぶられたといいます。インドの貧しく愛の足りないスラム街で人々の渇きを癒そうとしました。皆様も色々な悩み苦しみを癒されに来ていると思います、渇きを癒すことができますように。祈願私は渇く
長年勤めている老人施設のブログに私の事が掲載されていました。こんにちは!今日は真夏のような暑さの一日でしたね。お天気は良いものの、少し動くと汗が流れ出てきました。さて、ここ2~3か月ですっかり日常となった書道について。担当するケアマネジャーが皆様の作品を見ながら少し思ったことがある様子・・・爆笑お伝えさせていただきます♪「旅」90代の女性が30個以上あるお手本の中から選んで書いたのが「旅」でした。「旅」の言葉のイメージに何か深い意味を感じました。ドイツの詩人リルケやスペインの詩人アントニオ・マチャド、国内でも松尾芭蕉や若山牧水、島崎藤村と言った作家が、様々な「旅」「旅人」についての詩を残しています。「旅はね、自分の思い出作りと生きがいを探しに行くことさ。だからいつも歩いているんだね。」作品を見て、ふっと思...旅
ある人が私の5年前のブログを読んでくれていました。こんな事を書いていたのだなと懐かしく思い出しています。鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。現在は、学業や仕事、介護に日々追われ、心の窓は閉ざされてしまいがちです。最近、聞く言葉に『ヤングケアラー』があります。病気や障害をもつ両親や祖父母な...幸せの風
高野山(空海)や比叡山(最澄)などの深山から、夜間ブッポーソーという鳴き声が聞こえてくるところからその鳥を「仏法僧」と名付けられた。「一声よく一夜に五千声発す」といわれ、その声をよく耳にするも、めったに姿を見せない鳥といわれていました。昭和になって、「木葉木菟(このはずく)」と分かりました。しかし、その名を改めることがなく仏法僧と呼ばれています。6月の季語になっています。深い山の中でしか聞こえない鳥に霊鳥を感じて思わず手を合わせたくなります。最近見た夢は飛び魚を追いかけ水平線まで泳いだり、水平線を飛び越え星空を泳いでいました。ポケットに星のかけらが入っていた。首飾りにしよう。夢の首飾りをつけた喜びの夢でした。そうだ!私が作った老人施設の体操ビデオは「長寿体操」です。次は「星空を泳ぐ体操」を作ろう!生きる喜...星空を泳ぐ
イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。仏教の教えも紹介します。一休和尚は「小欲を越え、大欲に生きよ」そうすれば貧しくても心豊かに生きることができ、決してみじめになることはないと述べています。雨の日も風の日もひたすら励む。小さな欲を捨て、大欲(皆様の事を気遣う事)に生きる。そう考えて天に祈っています。豪雨や地震が多いです。世界の皆様、日本の皆様をお守りください。神に祈りを
僕はただの草名も知らないただの草。あの女の子毎日通るけど一度も気づかないだけど雨の日も、風の日もあの子が通るのを待っていた。あの子が泣きながら歩いてきた。そして、やっと僕を見てくれた。淋しくても強く生きている僕を見て元気が出たみたい。僕はただの草名も知らない草だけど人の心に「花」を咲かすことができるんだ。僕は名も知らない古い古いお地蔵さん誰かが悲しい思い出に立てたみたいとても悲しい悲しい思い出に違いないだって僕はいつも胸が痛いからだから、もうそんな悲しい事起きないように僕が守るから安心して僕を見たら手を合わせてくれたら嬉しいな胸の痛みが癒えるからさ。いつまでも忘れない。(毎日通る道に小さなお地蔵さんとたくさんの花束がいつまでもいつまでも耐えない。それを見て20年前に作りました。)草と地蔵
17年前の日記。介護士の研修で老人施設と訪問施設に行きました。全く違う職種で緊張して行きました。ショートステイの男性がやって来ました。彼はこんな所に来たくない。将棋できる人いないか!と大声上げていました。女性スタッフはいつもと同じ事をいう人と無視していました。私は手を上げて将棋のお相手しました。脳梗塞で下半身が不自由になって車椅子に座っていました。一勝一敗で終わり満足してくれました。私は言いました。ずっと心配そうに後ろに立っている女性が気になっていました。え!どんな風の人ですか?着物姿で小太りの女性です。あ!それは昨年亡くなった同居していたかみさんのお母さんだ。この車椅子は彼女の使っていた物です。彼は泣き出してありがとう。今日来てあなたに会えて良かった。私こそ役に立って良かったです。この仕事でもやれる自信...人生泣き笑い
「ChangeisChance.」チェンジ(変化)にこそチャンスがある。(gをcに変えるだけでこの言葉になります)異動辞令に不安を抱いている人に送った言葉です。新しい試みこそチャンスだと歩みましょう。変化はチャンス
昨晩のトピックスニュースに紹介していた、お蕎麦屋さんに嬉しくなりました。お蕎麦に揚げカレーパンを入れたら美味しかった!それから店の看板商品になった。娘に早速カレーパン買って来てもらって蕎麦カレーパン作りました。(インスタント蕎麦だから作るほどのものではない)旨かった!やみつきになりそう。うどん苦手だから、カレー蕎麦は良く食べていた。内の施設の食堂にも頼もうかなカレーパン蕎麦。カレーパン蕎麦
愛犬も亡くし、母も亡くし、続けて兄も亡くし友達も亡くしお世話したお年寄りも亡くした日々。心に淋しさが残り何か記憶に留めて置きたくて昔に書いた詩です。同じ体験持つ人に捧げます。【永訣の日】『さようなら』って言わせて木の葉は散っても木は生きている木が枯れても森は生きているひとつの命が死んでも必ず生まれ変わるんだ春になると木は新しい木の葉をつけ草やお花はパッと大地から芽を出すこのことがずっとずっとつづいていくんだもし死んでいる人に君の悲しい気持ちを話したら君はほっとするかもしれないよだってその人は君の気持ちをよくわかってくれるから大切な人は僕達の思い出の中でずっとずっと生きていくんだわすれないでねありがとうさようならと言わせて(ジム・ジョアン)『忘れないよ』と言わせて木は新しい木の葉をつくり森はあらたな生き物を...永訣の日
【心の涙】私は泣いています。心の中で。私は定年したのに臨時招集されケアマネとして働いています。あるユニットからsos。自尊心が強く暴言、拒否が強い人がいる。私は会いました。私と同じ70代後半の人でした。彼は映画のカメラマンで数々の作品を手掛けてきた。黒澤明、三船敏郎…。私は驚き尊敬した。私はテレビのドキュメントディレクター、戦地のカメラマン、子ども番組もしていたと話してから心打ち溶けた。現場の苦労話などに。書を教えたら喜んで書いてくれました。それが昨日急変して病院で亡くなりました。彼の部屋の壁に彼の書作品が張ってありました。思わず目が熱くなりました。安らかにお休みください。私はクリスチャンですので十字を切りました。続きはあちらでやりましょう。心の涙
「人間は毅然として現実の運命に耐えてゆくべきだ。そこに人生の一切の真理がひそんでいる。」(ゴッホ)奥深い言葉です。いまの与えられた現実を耐えること。それが自分の生きるすべての道の本質があるからです。病気になったこと、体が不自由になったこと、なぜ私だけがこうなったのと悩むことがあるかも知れません。それを乗り越えて生きることが大切とパラリンピックの選手達が教えてくれています。生きていけば必ずいいことある。そう信じて元気出しましょう!と毎日お年寄りに声掛けして手を握って回っています。生きる道
昨日3年ぶりにコロナで閉鎖していた市が運営している無料の銭湯に行って来た。お湯に浸かりながら思い出していた。ここで知り合った気の短いおじいさん。どうしたかな?私は異動で本館のユニットに行った。その時に出会ったおばあさん(昨年肺炎で亡くなった)。涙が出る程悲しい人生歩んで来た。旦那が博打ばかりして、家に一銭も入れないので赤ちゃん栄養失調で亡くしてしまった。睡眠薬ひと瓶飲んで苦しかったから救急車呼んだ。離婚して今の旦那と結婚してなんとか苦労から抜け出せた。その旦那の写真見たらあの銭湯で知り合ったおじいさんだった。おばあさんそれ聞いて3年ぶりに会いたいなと言って亡くなった。おばあさん、銭湯大好きな旦那を知っている人に会えて、誰にも話せない苦労話を聞いてくれる人に会えて私は幸せだよと言ってくれた。出会いは偶然でな...出会いは必然
愛とはその人の自由を見つめること。夫婦愛、親子愛、恋人愛、友人愛、すべてその人に寄り添うことができる人、それが愛だと思う。愛とは見つめる事なんだ。無茶苦茶な私をずっと見守ってくれている人がいるってことに気がつき感謝しています。愛とは
「ある人から悪口を言われたのですが、どうしたら良いですか」と相談されました。いつもこう答えます。お釈迦様だって説法を聞いてくれない人や、理解できない人は無視する。7日も過ぎれば悪口はなくなるものだ。悪口を毒蛇と思え。飛んで来た毒蛇は掴まないでよけるだろう。よけられた毒蛇は行き場所を失い元に戻るしかない。投げた人に戻るのだとお釈迦様は述べます。また、毎日病気を探しているお年寄りがいます。今日は胸が痛い、膵臓が悪い、寒気と吐き気がする、目まいがする、ガンになった・・・。毎日何かの病気を訴えて深刻な顔して起きません。バイタルとれば何ともありません。やっと安心して起きてくれます。「般若心経」の中に「心無けい礙(しんむけいげ)」という言葉があります。悲しいことがあれば、悲しみに心を奪われる。心配ごとがあれば、心配ご...心配事からの解放
竹の竿の先に五色の糸を飾って星に祈ると三年の間に必ず願いが叶うと言われた宮中行事が、江戸の頃庶民の行事として定着した。竹に五色の願いの糸を垂らすだけでしたが、元禄の頃には色紙や短冊に和歌を書いて吊るすようになり、さらに願い事を書くようになり現代へと続いている。あなたが好きは赤遠くにいる人へ青はしゃいでいる二人は黄二人の幸せを祈る白神様に願いを祈る紫「七夕をまつる心はひとつにて願いの糸はおのがすぢすぢ」源頼政(みなもとのよりまさ)あなたは何色の紙に願いを書きますか?私は紫の紙に願いを書くでしょう。皆様の健康を願います。七夕の準備