社会は進歩していくものそういう感覚を ぼくらは小さなころから教えられ 感じてきた人権 民主主義 差別の撤廃 戦争や核の廃絶は 時間とともに進展していくのだというような・・・けれども現実の今の社会 この数年の世界の動向は それと正反対の方向に
神奈川の田舎寺の僧侶が、日頃の出来事をつれづれなるままに綴った日記ブログです。
主催者は、親鸞の教えに生きる平凡な僧侶。日常の出来事や、ニュース、ご門徒とのコミュニケーションで見えてきたことなどを、筆に(キーボードに)まかせて綴った随筆ブログです。 楽しく、時にはうーんと唸りながら読んでいただけたらと思います。
人も動物も いのちって相依相関し合っているんだ・・・(^◇^)
お釋迦さまは 縁起ということを説かれた 縁起って? 世界 この世は 円環し 循環し合っているということ つまり 相依相関ということだ 自然と人間って 相互関係 自然を侵し その調
ぼくは以前 埼玉の学校で教員をやっていた 埼玉の西部地区で その学校には電車を使って秩父から通ってくる学生が多かった 秩父という場所にはそれまで取り立てて関心を持たなかったけど その学生たちと接する中で ほの
駆け足で過ぎ去ったような そんな慌ただしい3月も あさってまで 年度末である3月 だから あれやこれやとやっているうちに 3月って いつの間にか過ぎてしまう ほんとうに 時間ってたいせつだ
年度替わりの季節 世の中は今 忙しく移り変わる 新しい2024年度に向けて そんな中 昨日 私の教員時代の教え子が 久々に神奈川の寺を訪ねてきた 長い間 川越の施設に勤め 先ごろケアマネージャーの資格をめでたく
昨日までの雨もやみ神奈川の今日は晴れ 日中は暖かくなってきた今日は朝から 境内の木の枝打ちをしたぼくのいる寺は木が多い 毎年3月末の今ぐらいから 少しずつ枝打ちをするでも 全部終わるのには 2〜3週間かかる普段は感じないけど 木っ
今日も朝から雨模様 昨日は 一件の法事が寺であった私のいる寺の建物は段が多い 近年はご高齢の参拝者が多いので 不自由をかけている お焼香も 座布団に座ってやっていただくのだが 足が悪く 正座のできない人も多い
スギの花粉が飛んでいる・・・( ˘•ω•˘ ) この所の寒と暖の行きつ戻りつの気候の中で わが物顔に飛びまくる 花粉症は いまや「国民病」? 寺に来る人たちも
鶏たちにやさしい飼育法の基準 ベター・チキン・グレードということ
部屋の軒下に 鳥たちが巣を造っている 朝 カタカタと音がするので見てみると つばめが草の茎やちいさな木の枝を運んでは飛び そんな光景が見られる 寺の境内には自然が残っている でも 一歩そこから出たら 住宅があり
芥川龍之介の小説に 桃太郎っていうのがある桃太郎といえばだれもが知る昔話正義の味方桃太郎が 犬 猿 キジを従えて 鬼ヶ島に悪い鬼を成敗に行く話でも 芥川は これを鬼側の視点に立って描く平和な楽園だった鬼ヶ島 そこに「侵略者」として
思いを正直に吐き出して打ち解ける空間(「禅定」のいみ)・・・
ぼくのお寺に時々 ご門徒やそれ以外の方でも 相談や話を聞いてもらいたいといってこられることがあるあるいは電話なんていうのも結構ある大体 そういうのは2〜3時間 長い時は5時間ぐらい話を聞くことが多い でも それだけお寺が頼りにされ
春爛漫の境内 昨日のお中日は 境内に墓参の人があふれていた 穏やかな風景 こんな風景が ずっと続いてほしいと思うけれど 諸行無常 世の中や世界の情勢って いつ どんな風に変わるかわからない
最近 愛用のPCの調子が悪い操作しても反応がおそいのだ 情報が重くなっているみたいだ時々近くの電気屋さんもっていく このごろは ちょっとした操作を聞くのでもお金がかかる なるべく自分で操作をするけど 変なところをさわってしまい別の
今日は朝から風が強く お墓参りの人たちもマスクをされている人が多い 花粉症だ ちょうどこの時季 花粉が飛びやすいかくいう私も 軽度の花粉アレルギーがある墓地のごみをかたづけながら くしゃみの連続であるでも 肌をなでる風が
昨日からお彼岸に入った 今週の土曜日 23日までの一週間が春のお彼岸の期間お彼岸とは わかりやすく言えば ほとけさまに心を向けて佛道精進する期間これに春と秋の年二回あるのは この時期は気候がよくてじっくりものを考えるのにいい時季だ
ぼくたちは 豆腐や納豆など 大豆製品をいただいている でも そのぼくたちが食べる大豆製品に使われる大豆は 世界で生産される大豆の わずか6%ほどに過ぎないことを ご存じだろうか? 大豆の75%は「大豆ミール」
先日花屋さんにいったら 若い女性の店員が 左手の手首にきれいな腕輪念珠をしていた 聞いたら 「お守り代わりに」つけているといっていた 腕輪念珠が流行したのはいつごろからだったろうかもうずいぶん前のことだ記憶している&nb
もうすぐ彼岸の入り 日に日に濃くなる春の気配 野山の花や緑 そんな時季には 気持ちが開放的になる うきうきとなり ずっと家にいるのがもったいないような 一週間ぐらい どこかに旅でもしたい そんな気持ち
来週から お彼岸に入る早いお宅では お彼岸のお経の依頼もそろそろ 暑さ寒さも彼岸までといわれるが 日中は14度まであがった でも 朝はまだ寒い昨日あたりは 畑にうっすら霜が降りていた庭の梅の枝でうぐいすが美しい声で鳴いて
私は食べることが好きだというか 食べることがきらいな人っていないだろう 健康な普通の人であれば・・・根を詰める仕事をして 気が付くとお昼 空腹であった自分に気づくその時の食事って最高にうまい食欲って 仕事の充足感と平行するものなんだよね人は
ぼくは法事の時 参拝者の人たちにお経本をくばり 一緒にお勤めするようにしているお寺さんによっては そういうのをうっとうしがる住職もいるが ぼくの場合は これまでやってきて おおむね好評だだいたい法事が苦痛とか退屈だっていう その理由のほとん
お彼岸の入りまであと一週間ほど日ざしは日ごとに濃く 朝が早くなってきた ひんやりする朝でも 7時過ぎると にわかに暖かくなる 3月に入るのを待ったように 先週あたりから墓地の草が一気に伸び始める。草取りが大変な時季に突入
狭い環境に閉じ込められると 人間はストレスが生じるちょっとした物音にも敏感になり ふとした刺激でもいらだちやすくなる 監獄などでけんかや暴力が起きやすいのは そういう人間の自然な心理によるものだろう それは人
「準備だおれ」だけで終わる人生なんて つまらないよね・・・(´・ω・`)
食事の準備をする 今日はお気に入りのメニュー この日のために準備した とっておきの食材 腕によりをかけて・・・ さぁ できた うん うまいうまい! 最高のしあわせ 生きているって感じ&nb
「進化」と「退化」ということについて 思った・・・(´・ω・`)
ぼくはねこを飼っている十年ほど前に ぼくの所に居ついたねこ最近はすっかりぼくになじみ 朝雨戸をあけると飛び込んできて顔をすりつけたりするえさをねだっているのだねこは「畜生」そういわれる でも ときどき 彼と接して ねこっ
お坊さんって 頭の毛を短くしている 私は普通に伸ばした長髪だが 人によっては 「お坊さんらしくない」って言われることもある 浄土真宗のお坊さんって 一般に頭を短くしていない 長髪の人が多い正式な統計を見たわけ
時間に生きる中で いつの間にか時間に支配されていったぼくたち・・・
お彼岸まであと2週間 夜明けの時間がだいぶ早くなったちょっと前までは 7時くらいまで暗かったのにねぼくは毎日 5時前に起きて本堂の戸をあける冬の5時は結構寒い それに真っ暗だでも そんな中でも近所の住人がジョギングで境内を走っていたりする5
うすら寒い春の朝 寒さの中にもったりとした春の空気を感じる 明らかに半月前のあの冬の日とはちがう 生命感と湿気をふくんだ空気の冷たさ 庭掃除のひと仕事を終え 部屋にもどる平日の昼どき 暖か
親鸞も 蓮如さんも 詩心 歌心が豊かだったらしい親鸞は多くの和讃を詠まれているし 蓮如さんも御文のはしばしで教えのこころをかみ砕いた和歌を添えている歌ってリズムリズムに乗ると 難しい佛教の道理も すっと入ってくることがある以前、松田聖子さん
採卵鶏のおすのひなが 誕生したその日に殺されることについては このブログでも何回か取り上げたが 肉養鶏のひなもまた 生まれたその日に選別され 「規格外」と判断されたひなが殺されている そのことって あまり知られていない
ぼくはとても方向音痴だ・・・(´・ω・`)旅行なんかに行っても 慣れない土地だと 西も東もわからない 法話で地方のお寺に寄せてもらう でも・・・駅を降りるとわからない○○方面の出口に車を用意しておきました
「木の芽時(きのめどき)」ということばがある樹々に新芽が出始める早春の季節 つまり今ぐらいの時季のことであるこの時季は木や草が芽吹く 生命の息吹に充ちた時季日中の気温も温かく 冬が終わった! というにわかな解放感みたいなものを感じる時季でも
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社会は進歩していくものそういう感覚を ぼくらは小さなころから教えられ 感じてきた人権 民主主義 差別の撤廃 戦争や核の廃絶は 時間とともに進展していくのだというような・・・けれども現実の今の社会 この数年の世界の動向は それと正反対の方向に
朝のひんやり感 今の時季 一日でいちばん過ごしやすい時間帯って朝日の出前後の時間 夜のひんやり感がまだそのままで 空気が温まっておらず 大気中の湿気が露になり あるいは霧になって草の葉に降り注ぐ そんな時間帯
7月のお盆も過ぎ いよいよ夏も本番 子どもたちも夏休みが近いらしいご門徒さんのお宅の高校生も 週内に期末試験が終わると言っていた 今年は空梅雨で 雨が少なかった 水不足が心配されるし また夏の後半の台風シーズン
熱中症ギラギラ照り付ける日をイメージしがちだが ほんとうは曇って湿度が高い日が意外と危ないのだとかこれからは台風のシーズンということもあり 湿度がマックスな状態になる時季だから適度にエアコンをかけ 食べ物などの衛生管理はきちんとして食中毒な
昨日から7月のお盆期間 お盆は7月に勤める所と 旧暦に則って8月に勤める場所とがあるうちの寺でも 地域によって7月8月まちまちだ 農村部では概して8月が多く 都市部のエリアでは7月が多い一応そんな区分けはできるけれど か
凶悪な事件が起きる そんな時世間はその容疑者に 厳しい眼を向ける その人の成育歴 仕事の状況 人間関係 それに通院歴 病歴などまでもが 洗いざらい暴露され 少しでも非難されることがあれば まるで鬼の首を取ったように 針小棒大にはや
基本的には テレビを見ずラジオを聴く生活そんな生活パターンがぼくにできたのは いつごろだったかふり返ると 大学に入って独り暮らしを始めたころから もう40年以上前からだったと記憶するラジオを主体とした生活テレビは視覚をともない だから「なが
毎年夏になると このブログで書いていることだけれど 夏という季節には どこか儚さが漂う その無常感にはいろんな要因があるけれど ひとつにはそれが 戦争のイメージと強くかかわっていることがあるようにぼくには感じられる&nb
近所の福祉会館でアイマスク歩行の体験会があった 視覚障がい者になった場面の疑似体験コースアイマスクをして 付き添いの人の合図で歩いてみる体験 視覚が取れないでもリードしてくれる相方が 「そこに段差がありますよ」とか 「右
夜の静寂感 憩いの雰囲気夏ってそんなものをひとしお感じる 日中の猛暑外歩きしているとすごい疲れがたまる体が暑さに対する防御をしているのか細胞が必死に 蓄積された熱を外に放出させようとしているのか 一日が終わると かなりの
ものすごい雨が降った朝けれどそれが通り過ぎると 茂みで鳥たちの声がする せみの声がする 何もなかったように いつもと全く変わらぬ様子で ぼくらは ちょっとした雨でも動揺するまして大雨で宿る所がなければ おろおろし大騒ぎす
7月7日七夕の日の朝 どんより曇った天気今夜は天の川が見られるだろうか? この時季は水っぽい 大気中の水分が多くなる時季なので ちょっとした気温の変化でも結露しやすいだから窓なんかでも びしゃびしゃになったりす
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
日中は猛暑 けれど そんな一日が終わった夕刻の涼しさよ 一日のしんどさも何も すべてこの一瞬のためにあるのではないかと思えるような夏の夕刻の涼風にはそんな憩い感がある 夏の夕刻や夜の楽しさや憩いのひととき&nb
電力の消費量がマックスになる時季がきた 電力会社や政府は節電を呼び掛ける けれど連日の猛暑エアコンの付けっぱなしで 今年も電力消費量はかなり高まりそうな雰囲気だ 電気のない生活 現代のぼく
蒸し暑い7月の日の午後 冷蔵庫で冷やした梨がおいしく感じられる 梨と言えば二十一世紀梨がまず思い浮かぶ 現在は鳥取 長野が名産地とされるこの梨実はそれとは離れた千葉県松戸市(かつての八柱村)がその発祥の地だという&nbs
人生の一日一日は 喩えて言えばランニングの一歩一歩 7月の初めは一年の中間点 つまり折り返し地点だ 正確には 昨日の24時あたりがちょうど真ん中だったらしい 毎年おきまりの感慨だが・・・ あっという間
今日から7月 一年の後半に入ったそれだけのことなのに 何か空気が新鮮なものに入れ替わったような感覚を覚える 不思議なことだ 7月の旧名は ふみづき もっとも旧暦なので 今の7月終わりから9
梅雨前線が表れては消えたり今年の梅雨は不可解 そんな感じ 長雨のじめじめは確かに鬱陶しい けれど・・・降るべき時に降らないと困る人たちがあり 困る草花や野菜がある そもそも 日本の農作業のスケジュール自体 梅雨の降雨を前
体調がすぐれぬ日が続く気温の変化に 体がついていけないからだろう でも こういうことがあって ひごろの健康のありがたさが 身に染みて感じられる 健康ってあたりまえのものじゃないそんなことを 自分がいかにわかっ
伸びきった夏草を草刈り機で刈る一気に刈り倒されたその切り株を見ると 小さな虫たちがうごめいているのが見えるぼくら人間にとってはうっとうしく煩わしく感じられる草も 地面に生息する虫たちにとってはなくてはならない生態系の一部草が影を作ることで地
日本人は英語を 学校で6年以上学ぶ けれども 普通の会話やヒアリングさえほとんどできない なぜなんだろう? ずっと疑問に思っていたお隣の韓国や中国では ある程度学べば会話や聴き取りができるようになるようだ&nb
7月もなかば過ぎ 例年なら梅雨の末期だけれど 今年の波動も関東地方はどうも空梅雨で終わりそう 最も先日の雨で愛媛では土砂災害があり 山口とか九州も大変だったけれど 雨がないのはいいこと ぼくら一般人
人間って恐怖に駆られると極端に走る 振り込め詐欺が無くならない 詐欺の犯人も それに引っかかる被害者も これだけ世の中が 詐欺の手口を紹介し気を付けなさいとか 不審があったらすぐ通報しなさいとか&n
人は疲れてくると なぜか海を見たくなる ぼくの住んでいる地域は 神奈川でも内陸だが 寺の仕事の合間のオフの日などには よく車を走らせ 湘南の海岸に行く 海岸に行って 何をするわけじゃない 浜辺に腰を掛け 目を閉
ぼくらは子どものころから 食前に手を合わせて「いただきます」という習慣を親や教師から教えられてきた この「いただきます」って 食膳に供されるいのちに対して「いただく」ということぼくら自身のいのちをつなぐために 他のいのちを「いただ
うちの寺のある地域では お盆はほとんどが8月に勤められる でも 中には7月の今の時季に勤められるお宅もある お盆って佛教行事(もともと佛教でなかった祖霊信仰を取り入れたという部分もあるけど)でも 季節の行事で
今日は12日 関東地方は一般に7月にお盆をする家が多い 明日13日が そのお盆の始まりだ うちの寺でも 昨日あたりからちらほらお参りの人が増え始めた もっとも 農村地帯なので お盆のお参り(お盆経)は
鳥たち 虫たち そして時々顔を出すけものたち・・・ うちの寺の境内には そんな生き物たちがいる 庭の樹の梢に くさむらの大きめの石の下に 墓地の奥の茂みに 彼らは強い そんなことを時々思う
ぼくは 年に二〜三回ほど地方に行った時などに温泉に入る 寒い時季の温泉ってたまらない 体の芯から温まるって感じ・・・(^◇^) 温泉の記号って ♨だ ちょうど くらげをひっくり返したような形昔 学校
パソコンの動きが悪い・・・”(-“”-)” 古い型の端末 なので 時々フリーズしたり 動作が重くなったり そんなことが起こる 知り合いのパソコンショップの人に尋ね
人は夢を見る さまざまな可能性に自分を託しその可能性の中に夢を見 それを人生の杖とする 辛いとき 苦しいとき 行き詰った時すらその夢を思い出して がんばりの杖とする でも 人生って時に そんなぼくの
安らかな死って すべてのいのちの理想 死に際に苦痛や心配事がなく 穏やかな気持ちで往きたいってどんな存在 どんないのちでも思うもちろん 人間でも いわゆる癌などの病名を隠したりするのも その配慮だろう・・・ 命
人間って不安な存在 どんな地位をもち どんな財産をもち どんな人間関係をもっても どこか不安をかかえる 不安の救いやはけ口をもとめている そう 虎視眈々とね 人間って不安をかか
・・・よろずやは雑貨や生活用品を扱う店 都市郊外のその地は開発がまだ進んでおらず のどかな田舎の雰囲気が残っていただからお客は地元の農家の人たち 主人とはまったくの顔なじみだ この街に鉄道の駅を造るという計画
寝ている自分に蚊が飛んでくる夜中 起きて蚊取り線香を焚く 昼間の疲れの中に寝入るぼくに その安眠をさまたげる蚊ほど煩わしいものはなく 起きて明かりをつけ 部屋の中を見回す修羅の形相のぼくがいる&nbs
地域のこどもに安価で食事を提供する子ども食堂 現時点で 全国に7万か所以上開設されているという 子どもの貧困率が6人に1人といわれるこの国 10年ほど前に子ども貧困対策法が施行され その後 社会的に
7月に入り 夏休みが近い 海に山に 楽しい旅行を計画! どこへいこうか 海なんかいいかもしれない そうだ ネットで検索してみよう! さっそくスマホで「神奈川の海 旅館」を検索する
人間って 安易な道に落ちやすい ここちよく 耳あたりがいい世界 得する 儲かる 自分が守られる そんな世界に 狡猾に 老獪に世を渡ろうとする者は そういう人間の弱さに たくみに取
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが