ぼくたちは 時間に追われて毎日を過ごしている 過去から現在 そして現在から未来時間の流れって変わらないし 変えようがないそれは人為を超えた世界そう教えられてきたし 事実実感としても そう思うしかない でも 時間
神奈川の田舎寺の僧侶が、日頃の出来事をつれづれなるままに綴った日記ブログです。
主催者は、親鸞の教えに生きる平凡な僧侶。日常の出来事や、ニュース、ご門徒とのコミュニケーションで見えてきたことなどを、筆に(キーボードに)まかせて綴った随筆ブログです。 楽しく、時にはうーんと唸りながら読んでいただけたらと思います。
ぼくたちは 時間に追われて毎日を過ごしている 過去から現在 そして現在から未来時間の流れって変わらないし 変えようがないそれは人為を超えた世界そう教えられてきたし 事実実感としても そう思うしかない でも 時間
一日の仕事を終えた憩い とても静かな夜 秋って 夜が美しい 耳を澄ますと聴こえてくる虫の声 それは 昼間の あの息をつくような猛暑とは対照的な世界 徐々に長くなりゆく 夜の時間 風は涼しく
連日の猛暑のためであろうか ここ数日 夜 窓を開けていても 蚊が入ってこなくなったぼくの部屋だけの現象であろうか? 梅雨の時期 湿度が高く気温もそこそこだった時には うなりをあげて部屋に入ってきて 連日のように寝ているぼ
静かな朝 明けて間もない空を見上げると ずいぶん高くなったような感じがする夏の空は 湿気を伴った太平洋高気圧(海の高気圧)の空それに対し 秋の空は大陸から移動してきた乾いた「大陸育ち」の高気圧だから湿度が少ない分 空の透明度が増し 高く感じ
景色 気候の移り変わり 9月って そんなことを感じさせられる月 日の傾きが変わり 朝の日の出時間や夕方の日没時間が変わり 空気が変わり 聞こえる音が変わり 水の肌触りが変わる それは美しさでもあり 時に体調不良
自治会の草刈りに参加した刈ったばかりの草の根の石をどけると たくさんの蟻やダンゴ虫たちがうごめいている日の当たらない適度な湿気のある環境 虫たちは虫たち自身の世界と生態系の中でせいいっぱい生きているんだなぁと感じたいのちの世界この
歴史ってほんとうに進化の歩みなのか?そんな疑問を 最近の世界状況を見ていると 強く感じる歴史は進歩するもの? いや 歴史って後退し退化してゆくこともある と人権や平和 そして核に対する意識1990年代に終わったはずの東西冷戦それが
移り変わりそんなことを鮮やかに感じさせられる9月の中旬陽の傾きが移り変わり 朝の早さが移り変わり 空気が移り変わり 水のここちよさが移り変わる季節の移り目は そんな変化の連続・・・ 諸行は無常 そうお釋迦さまはいわれた
4とか9は不吉な数字そんな意識がある4は死を 9は苦を それぞれ連想させるからということけれども 数字の9って 東洋的な考え方ではめでたさの極限とされているようだ奇数は陽の数その奇数の一番高い数字が9そこで陽の極みである9が重なる
肉や乳製品って 一見 口当たりがよく感じられる けれども 肉や乳製品を多量に摂取する食文化のある欧米には 心臓病や動脈硬化といった 特に循環器系の病気の発生率が高かった 肉食文化の欧米で ベジタリアンとかビーガンが注目さ
虫たちの声が美しい 秋って 虫たちが元気に活動する季節 こおろぎや鈴虫 赤とんぼやバッタ 境内をあるいているだけでも そんな虫たちと出逢い 虫たちの姿を目にすることができる もっとも この時
いいことがあれば自分の手柄として誇り 悪いことがあれば他人に責任を転嫁する部下が偉くなれば自分が偉くしたと誇り その部下が不祥事を起こしたら周りの者が悪かったのだと頬かむりをするそれがぼくらの姿 それがこのシャバ世界毎日毎日 そんな責任のな
笑顔は 副作用のないくすりそんなことを 先日ある人が言っていた う〜ん なるほどなと 不思議に納得した笑顔って場の雰囲気をやわらげ 笑顔って人をリラックスさせる笑顔って人をしあわせにし 笑顔はまた免疫力をあげ健康にする笑顔には百の
地球は本来 宇宙からの紫外線にさらされ 生きものが住める星ではなかったというそれを変えたのが シアノバクテリアの存在彼らが光合成によって放出する大量の酸素が 地球に紫外線を防ぐ膜をつくり これによって地上が有害な光線から護られて 生き物が住
このところの雨で気温が安定し 軒に巣を造った鳩たちも元気そう・・・(*´ω`*) 鳥類って汗をかかない いや 鳥類だけでなく イヌやネコのような哺乳動物も汗をかかない(人間みたいに汗をかく動物って
9月の初め だからというわけではないが 昨日は部屋の大掃除をした しまってあった荷物を開け 不要なものを整理し プチ断捨離のようなことをした 朝早くから始め 終わったのが夜の7時 ずいぶん時間がかかっ
身体に障がいを負った人が頑張って ハンデを克服して 世間に名の知られるアスリートになるそんなドキュメント映像を見ると ぼくらは感動させられる でも・・・ 障がいを負った当事者のじつに9割近くが そういう映像に「嫌悪感を覚
8月も終わり 夏休みの宿題の追い込みといことで 毎年8月終わりになると寺の書院をご門徒の子どもたちさんたちに開放している 忙しい寺務の合間をぬって ぼくも宿題を見て上げたり おやつを差し入れしたり昨日も結構賑やかな一日だ
過ぎゆく夏 お盆が終り 夏のにぎわいが終わった寺の境内に 街角に 商店街に 駅の周辺に ふと淋しさが流れる八月の最後の週末 この週が明ければ もう九月 子どもたちは長い夏休みを終える&nb
このところ30度を超える猛暑が続く最高気温35度など普通だ ぼくらが子どものころは 最高気温が30度に届いたらニュースになった今は最低気温ですら30度近い熱帯夜が普通にある 地球は確実に熱くなっているんだなあ・・・と思う
寂寥感8月の終わりの今の時季 特に朝早い時間の空気って そんなものを強く感じる毎年のように淋しさ そんな感じ夏が終わり新学期も近い そんな子ども時代の記憶ってまるで華やかな祭りが明けて 今日から仕事だという その朝のような雰囲気そんな子ども
空気中に広がった湿気が 夜間の涼しさで結露し朝露になる その朝露が 朝日に照らされて銀色に光っている日によっては 深夜はもう寒いくらい日中の猛暑とは裏腹にそんな今日はもう8月27日暦の上では夏の終わり熱くなった空気でも もう二週間
風雨以時 そんなことばが浮かぶ 風雨が時を得て降り 吹くさま これって 環境と人間がぴったり一致した姿 環境と人間が対立し合い侵し合う 人間が環境を壊し 環境が人間に大きな災害をもたらす
いじめってなくならない 強いものが力のないものを脅し 暴力を加え 金を巻き上げたり さらに脅迫して万引きをさせたり そんなことってなくならない なぜ? 弱い者を従わせることって 人間の本
最近 つばめたちが2階のベランダによく止まっている室内で仕事の合間にストレッチなどをしていると ベランダの手すりに止まってこちらをじっと見ている様子ストレッチが終わると すっといなくなってしまう何でだろう・・・つばめも人恋しいのか
わからぬものをわからぬまま受け入れるって 大切なんじゃないか
わからないものをもつって 大事なことなのではないか・・・?最近そんなことを思う近代以降の「科学」は 自然界のすべてのできごとを理論で説明しようとするものだったでも この世のすべては必ずしも客観的な理論だけで説明できることばかりじゃないその代
静けさそういったらよいのだろうか今の時季の夜 夜の10時過ぎたぐらいの時間静かといえば 冬や春の夜でも静かなはずでも 夏の終わりを引っ張った初秋の今の深夜の静けさには 何というか 深みのようなものがあるそれは 昼間の喧騒や暑さ うっとうしさ
人生って予測ができぬもの今の世の中って 一日いちにちが目まぐるしい勢いで動いていく一時的な栄華は長く続かず 並ぶもののない資産家が 数年後には破産していく そんな世の中戦国の世よりも あるいみ親鸞の時代よりも 無常ということを学ぶ上で 肌で
夕方 近所を散策していたら 草むらに蛍が 一匹二匹と光を放って舞っていた涼を誘う光景蛍の光には何かそんなもの淋しさが感じられる 夏は夜 月のころはさらなり やみもなほ ほたるの多く飛びちがひたる また ただひとつふた
8月のお盆過ぎの残暑は あるいみ7月や8月上旬よりきつく 肌にまとわりつくような感じ もっとも暑さで体力が落ちていることも体のダメージの要因としてあるのだろうけれど 冷房が暑さに追いつかない 毎年今
知らないことって罪深い そんなことをふと思う 幼い日 自分を育てるために親に負わせた苦痛 自分のわがままのために どんな苦労をかけたか それは その時にはわからない
市内のDIYのお店に麦藁帽を買いに行った炎天下での草取り 庭掃除 その時かぶって 強い日差しを避けるためお盆過ぎの平日 でも 店内ではずいぶん子どもたちの姿が見かけられた夏休みはいつまでなのだろう楽しそうな親子連れの姿こんな光景が
「にっぱち」 そんなことばがあるそうだ 「にっぱち」とは2と8 2月と8月この二つの月は 一年でももっとも消費が落ちる月だとか考えてみれば 冬の寒さ疲れが出る2月 そして 夏の暑さの疲労がピークになる8月は 体力的にもき
目連尊者の母上は 心が邪見で火の車昔 そんな歌を説教で聞いた記憶がある お釋迦さまの弟子・モッガラーナ(目犍連)の母君は子煩悩歳を取ってから授かった息子である彼を眼の中に入れても痛くないような可愛がりよう
動 静を失せざることは 智慧の功なり 静 動を廃せざることは方便の力なり(動が静を失わぬのは智慧があるから 静が動をさまたげぬのは方便の作用があるからだ)『証巻』に引かれる曇鸞『浄土論註』のことば静は悟りの静寂・理想世界を表し 動は迷いの
暑い日に 熱いお茶をあえて飲む そうすると 体の毒素がスムーズに排出されるという いわゆるデトックスというやつだ 今の時季 冷たい飲みものに冷房の部屋 そんな中で 体の疲れが溜り始める8月の半ば&nb
秋めいたはかなさ8月って そういうものをなぜか感じさせるうすばかげろうのような そんなはかなさ気候的にも 人間のいのちといういみでも二つの原爆の日があり 終戦の日があり そこにお盆が重なり暑さの中の乾いた空気 茜色になりゆく日ざし 赤とんぼ
ぼくらが口にする肉 この肉って 環境負荷が 他の食材に比べ著しく高い たとえば牛肉 世界では今 一日約80万頭の牛が 肉の需要のために 屠殺されているたった一日に である それだけの牛を育てる牧場の確
温室効果この地球が生命の星になったのは そんな作用があったから一定温度を保つ温室のような効果 大気の成層圏にそれをなすのが 二酸化炭素そう 今温暖化ということで 目の敵のようにされている あのCO2CO2削減ということがいわれている けれど
盛夏 まさにそういってもいい今の時季の蒸し暑さ でも 暦的にはもう秋の入り口そんなアンバランスさが 密度の濃い白い日差しの中にふっと紅みめいた暗さ淋しさを垣間見せてくれているよう・・・今日は長崎の原爆投下から79年目の日この日の1
日中猛暑日の早朝 起きがけに窓から入る風が涼しい 境内を見回る そんな早朝 ヒグラシの声がする ヒグラシはその名の通り 夕方に鳴くイメージがあったが 早朝に鳴くその声は まるで山奥の渓流にでも行った時
草いきれ そんな熱気が 日中境内の草刈りをしていると 漂ってくる 「危険な暑さ」 そんなことばが 連日の天気予報で出てくる季節 暑さに「危険な」という形容詞がつけられるようになったのは ど
平和と安全は 水みたいなもの そういう意識が 現代のぼくらにはあるんじゃないか そんなことを感じる けれど その平和って 国のトップの一存により あるいはその国を取り巻く情勢により 簡単に そして瞬時に覆されて
夏の朝って 爽やか その爽やかさって 夏独自のもの 朝露が葉にたまり 朝日に照らされ光っている その光が50メートルほど離れた所からも見える・・・ 宝の華千万種にして 池・流・泉に弥覆す 微風華葉
人間の思考って いつの間にか自分に都合のよいように変わっていく 人の傷みや苦しみも その人が声を出さなければ また出せなければ なかったことにされ 時に闇に葬られる この社会は平等だとい
夏の朝って 朝顔が似合う 朝 近所に回覧板を届けに行ったとき ふっとそんなことを感じる 寺の門前の角のお宅 うちのご門徒さんではないけれど 寺に懇意にしてくださり よく散歩の途中 ご主人や奥さんと世
日中は猛暑 でも 朝は涼しい 早朝 起きて境内を歩く そうすると草の葉に透明な珠のような滴が 朝露だ 露ってもともとは大気中の水分 それが夜半から明け方の涼しさ・低温で冷えて水になって草の
月日の流れの感覚って 極端に暑い時 あるいは寒い時の方が早く感じる そんなことってあるみたい 夏至が過ぎ 梅雨が過ぎ 夏本番だと言っていたのがつい昨日のよう けれど もうその夏も暦上では終わりにさし
猛暑の中 庭を歩くと 木陰の草の葉に 蝶が止まっていた 暑さで動かない 蝶たちも暑いんだなぁ・・・と 何か愛おしい気持ちになった もう数年も前になるけれど ラジオを聴いていたら 福岡県の小
7月も明日で終わり 連日の猛暑が続くこの季節 二十四節気では大暑となるようだ 大暑ということばを聞いて 大寒を思い出す 年間で最も寒い大寒は 確か1月の終わりから2月の節分ごろまで それからきっかり半
昨日の日曜日 近所のモールでたくさんの買い物を 寺に帰り 荷物を抱え 部屋に入ろうとするけれど 両手がふさがってドアが開けられない そんなことって しばしばある 抱えること 抱えすぎること
暑い日が続く 毎日熱中症で人が倒れ 救急車で搬送され 人が亡くなっていく 外で作業をしていてというのではない 室内で 暑さでぐったりなって そのまま死にいたる人 とくに 独居の高齢者世帯&
7月末の土曜日の朝 今日は久々にご法事で 藤沢まで行く 暑い日中 でも 久々に遠くに行けるのは いい気分転換でもある 田んぼの稲も もうだいぶ大きくなっただろうね・・・(´_ゝ`) &nb
夜半 というよりもう明け方近い時間に目を覚ますと おぼろな月の光が 窓から射しこんでくる 下弦の半月 いわゆる有明の月 けれど なぜかそれがとても明るく 美しく見えた 地球から見る月 その
昨日から PCの調子がよくない・・・”(-“”-)” 今月は仕事でPCを使う機会が多く 暑さでばてぎみなのか そんなことも思ってしまう・・・ しばしば
つゆ草が青い花をつけている 花の色って 微妙な自然が織りなすわざ とくに花に青い色が出るのはかなりまれで 難しい自然の条件が必要らしいたとえば 青い朝顔も その色彩のバランスが崩れて 夕方には紫っぽくなったりす
「今日も日中は危険な暑さに 不要不急の外出はなるべくお控えください・・・」 そんなことばが 毎日の天気予報で聞かれる季節になった そもそも 暑さに「危険な」という形容詞がつくことなど ぼくが子どもの頃には想像したこともな
先週の金曜日に土曜の日が過ぎ 毎日厳しい暑さが続く ι(´Д`υ) アツィー 墓地の茂みのせみ時雨も すっかり定着した感じ すでに朝の4時過ぎから
買い物に行っていつも思うことがある 商品の値段表示 「本体価格」ばかりが大きく表示してある その表示のし方に消費者の目線に立っていない無神経さを感じるぼくがいた 本体価格がいくらかなんて金を払う側のぼくらには正
人間って どんなおとなしい人でも 温厚な人であっても 状況が変わると変化していく そんなことを実感する機会って 日常の中にも結構 というより頻繁にある 利害感情がかかわると どんなに上品にとりすました人でも 感情的になる
伸びきった夏草を草刈り機で刈る一気に刈り倒されたその切り株を見ると 小さな虫たちがうごめいているのが見えるぼくら人間にとってはうっとうしく煩わしく感じられる草も 地面に生息する虫たちにとってはなくてはならない生態系の一部草が影を作ることで地
6年以上学びつつ基本会話さえもできぬ日本人の英語力って・・・
日本人は英語を 学校で6年以上学ぶ けれども 普通の会話やヒアリングさえほとんどできない なぜなんだろう? ずっと疑問に思っていたお隣の韓国や中国では ある程度学べば会話や聴き取りができるようになるようだ&nb
7月もなかば過ぎ 例年なら梅雨の末期だけれど 今年の波動も関東地方はどうも空梅雨で終わりそう 最も先日の雨で愛媛では土砂災害があり 山口とか九州も大変だったけれど 雨がないのはいいこと ぼくら一般人
人間って恐怖に駆られると極端に走る 振り込め詐欺が無くならない 詐欺の犯人も それに引っかかる被害者も これだけ世の中が 詐欺の手口を紹介し気を付けなさいとか 不審があったらすぐ通報しなさいとか&n
人は疲れてくると なぜか海を見たくなる ぼくの住んでいる地域は 神奈川でも内陸だが 寺の仕事の合間のオフの日などには よく車を走らせ 湘南の海岸に行く 海岸に行って 何をするわけじゃない 浜辺に腰を掛け 目を閉
ぼくらは子どものころから 食前に手を合わせて「いただきます」という習慣を親や教師から教えられてきた この「いただきます」って 食膳に供されるいのちに対して「いただく」ということぼくら自身のいのちをつなぐために 他のいのちを「いただ
うちの寺のある地域では お盆はほとんどが8月に勤められる でも 中には7月の今の時季に勤められるお宅もある お盆って佛教行事(もともと佛教でなかった祖霊信仰を取り入れたという部分もあるけど)でも 季節の行事で
今日は12日 関東地方は一般に7月にお盆をする家が多い 明日13日が そのお盆の始まりだ うちの寺でも 昨日あたりからちらほらお参りの人が増え始めた もっとも 農村地帯なので お盆のお参り(お盆経)は
鳥たち 虫たち そして時々顔を出すけものたち・・・ うちの寺の境内には そんな生き物たちがいる 庭の樹の梢に くさむらの大きめの石の下に 墓地の奥の茂みに 彼らは強い そんなことを時々思う
ぼくは 年に二〜三回ほど地方に行った時などに温泉に入る 寒い時季の温泉ってたまらない 体の芯から温まるって感じ・・・(^◇^) 温泉の記号って ♨だ ちょうど くらげをひっくり返したような形昔 学校
パソコンの動きが悪い・・・”(-“”-)” 古い型の端末 なので 時々フリーズしたり 動作が重くなったり そんなことが起こる 知り合いのパソコンショップの人に尋ね
人は夢を見る さまざまな可能性に自分を託しその可能性の中に夢を見 それを人生の杖とする 辛いとき 苦しいとき 行き詰った時すらその夢を思い出して がんばりの杖とする でも 人生って時に そんなぼくの
安らかな死って すべてのいのちの理想 死に際に苦痛や心配事がなく 穏やかな気持ちで往きたいってどんな存在 どんないのちでも思うもちろん 人間でも いわゆる癌などの病名を隠したりするのも その配慮だろう・・・ 命
人間って不安な存在 どんな地位をもち どんな財産をもち どんな人間関係をもっても どこか不安をかかえる 不安の救いやはけ口をもとめている そう 虎視眈々とね 人間って不安をかか
・・・よろずやは雑貨や生活用品を扱う店 都市郊外のその地は開発がまだ進んでおらず のどかな田舎の雰囲気が残っていただからお客は地元の農家の人たち 主人とはまったくの顔なじみだ この街に鉄道の駅を造るという計画
寝ている自分に蚊が飛んでくる夜中 起きて蚊取り線香を焚く 昼間の疲れの中に寝入るぼくに その安眠をさまたげる蚊ほど煩わしいものはなく 起きて明かりをつけ 部屋の中を見回す修羅の形相のぼくがいる&nbs
地域のこどもに安価で食事を提供する子ども食堂 現時点で 全国に7万か所以上開設されているという 子どもの貧困率が6人に1人といわれるこの国 10年ほど前に子ども貧困対策法が施行され その後 社会的に
7月に入り 夏休みが近い 海に山に 楽しい旅行を計画! どこへいこうか 海なんかいいかもしれない そうだ ネットで検索してみよう! さっそくスマホで「神奈川の海 旅館」を検索する
人間って 安易な道に落ちやすい ここちよく 耳あたりがいい世界 得する 儲かる 自分が守られる そんな世界に 狡猾に 老獪に世を渡ろうとする者は そういう人間の弱さに たくみに取
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
答えは目の前にある すなおになればいい それだけのこと なのに どうして人間って意地を張るのだろうか 人の親切を歓べず すなおにそれを受け止められない 答えは 道は 目の前にある
・・・彼はその日 普通に目が覚めた 「おはようございます お食事になさいますか? それともお散歩で?」 そう 仕事に追われる彼は家事をまかなうために一人の年老いた給仕人をやとったのだった 普段は6時に起きて 自
先日 歯医者に行って歯を抜いてもらった 虫歯の歯 ちゃんと磨いてるつもりなのだけれど 歯と歯の間に歯垢がたまりそれが虫歯を引き起こす 虫歯って なんてやっかいなんだって思う 歯を抜いて感じ
ふとしたささいなことで機嫌が悪くなる週半ばの朝 忙しいと人は心をうしない 何事にもつっけんどんになる 人の好意もやさしいことばも受け入れられず耳に入らず ちょっとした過失をも荒立てて指摘し 責め立ててしまう自分
「自作自演」ということ 治療のために病気を煽る医療者必要のないのに説明もなく悪くない歯を抜かれた 逮捕のために犯罪を「造る」検察検挙率をあげるためにうその「証拠」も平気ででっちあげる スクープネタの
どうでもいいことだけど ぼくは2週間に一回ほど耳の掃除をする 耳かきで中の垢を掻き出すのだ 一通り掻き終えて 最後に凡天と呼ばれるあのふさふさで耳の中をさっとなでる瞬間の心地よさは何とも言えない 心までリフレッ
管理のために 麻酔なしの歯やくちばしの切断がされる日本の畜舎
狭い環境に閉じ込められると 人間って殺伐とした気持ちになり攻撃的になる 監獄に閉じ込められた人は ちょっとした物音とか食事の時に立てる音でけんかが起きるという普段 おとなしい人でも そういう環境になると攻撃的な気持ちが引き出されて
今日はどんよりした曇り空 ようやく梅雨のこの時季らしい陽気になってきた 昨日の関東の梅雨入り宣言 一方 沖縄などでは梅雨明けになっているのに 日本は広いなぁって思ってしまう 雨が降らなければ
外は雨が降っている 雨はいやだが ようやくこの時季らしくなったしっとりとした雰囲気に今日は部屋でゆったりした一日をすごそうかと思う私であった このところカラカラでしなびそうになっていたアジサイが この雨で息を吹き返す同じ
朝が早くなった 4時前から明るくなる 明日は夏至だ 夏至の前後は一年でもっとも昼間の時間 つまり日照時間が長いといわれる 夏至って 暦の上からは夏の真ん中に位置する 夏って太陽
「終活」 そんなことばが使われるようになって久しい 高齢化が進む現在 残りの人生をどう生き どう終えていくかって深刻な問題 そこで よりよい人生の幕の引き方を考え 取り組み 準備していこうというのがその趣旨&n
なかなか梅雨に入らない そんな中今朝は雨模様 一気に筒入りとなるか 梅雨か・・・ ぼくにとっては晴れていると寺の作業が進められるし お参りの人たちとのコミュニケーションが楽しめる でも 農家
ぼくは比較的物持ちがいい方なのだろうか 家や車のカギを一つにまとめられる鍵かけの着いたキーホルダーを使っている だいぶ古い革製のキーホルダー時々クリームをつけて磨いたりしている結構傷んできてはいるが いまでもちゃんと使え
ぼくたちは地球に生き さまざまな動物たちと共生している 彼らは時にぼくらのこころをなごませ ぼくらの衣食をまかなうために犠牲になり また時にぼくらの健康維持のための実験台になってくれたりする・・・ 動物と一口
晴天が続く 例年なら梅雨の時季なのに 梅雨入りはまだ時々 思い出したように降る雨 この時季は 空気がきれいだ雨粒が大気の塵を洗い流してくれるのだろう 陽ざしが白い そういえば あと一週間ほどで夏至陽ざ
6月も半ば 例年ならすでに梅雨のさ中なのだけれど 今年はどうしたんだろう いまだに関東は梅雨入りしていない今日は14日だが 一週間後の21日は夏至 年間で一番昼間の時間が長い日意識の上では ついこの間年が明け 年始に走り
昨日の夜からどんよりした空模様 一部の地域では梅雨入りしたとか これからうっとうしい じめじめの季節に入る ぼくは毎朝4時くらいに目が覚めるが(歳をとると目が覚めるのが早くなるよね・・・(^^;))
ぼくらは日常 漢字を使う 漢字って 日本だけじゃない 発祥の地中国はもちろん 台湾 韓国 シンガポールなど(中国本土はは簡略化した漢字を現在は使っているよね) このほか 北朝鮮やベトナムなど かつて漢字が使われ
夏至が近くなったためか 明るくなるのが早くなる 4時過ぎると 部屋の中で本が読めるぐらい 外は曇っている でも 明るくなる少し前から 鳥たちの声が聞こえ始める 彼らは早起き そして何よりも 時計を持つ
今日は朝からどんよりして時々雨のぱらつく神奈川だ墓地の草も6月に入ってから一層伸び具合がよくなって ぱらつく雨の中 午前中は除草作業をする作業を終わってラジオをかけたら 沖縄の海のことをやっていた何の気なしに聞いていたら ふと海が見たい気分
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ぼくたちは 時間に追われて毎日を過ごしている 過去から現在 そして現在から未来時間の流れって変わらないし 変えようがないそれは人為を超えた世界そう教えられてきたし 事実実感としても そう思うしかない でも 時間
一日の仕事を終えた憩い とても静かな夜 秋って 夜が美しい 耳を澄ますと聴こえてくる虫の声 それは 昼間の あの息をつくような猛暑とは対照的な世界 徐々に長くなりゆく 夜の時間 風は涼しく
連日の猛暑のためであろうか ここ数日 夜 窓を開けていても 蚊が入ってこなくなったぼくの部屋だけの現象であろうか? 梅雨の時期 湿度が高く気温もそこそこだった時には うなりをあげて部屋に入ってきて 連日のように寝ているぼ
静かな朝 明けて間もない空を見上げると ずいぶん高くなったような感じがする夏の空は 湿気を伴った太平洋高気圧(海の高気圧)の空それに対し 秋の空は大陸から移動してきた乾いた「大陸育ち」の高気圧だから湿度が少ない分 空の透明度が増し 高く感じ
景色 気候の移り変わり 9月って そんなことを感じさせられる月 日の傾きが変わり 朝の日の出時間や夕方の日没時間が変わり 空気が変わり 聞こえる音が変わり 水の肌触りが変わる それは美しさでもあり 時に体調不良
自治会の草刈りに参加した刈ったばかりの草の根の石をどけると たくさんの蟻やダンゴ虫たちがうごめいている日の当たらない適度な湿気のある環境 虫たちは虫たち自身の世界と生態系の中でせいいっぱい生きているんだなぁと感じたいのちの世界この
歴史ってほんとうに進化の歩みなのか?そんな疑問を 最近の世界状況を見ていると 強く感じる歴史は進歩するもの? いや 歴史って後退し退化してゆくこともある と人権や平和 そして核に対する意識1990年代に終わったはずの東西冷戦それが
移り変わりそんなことを鮮やかに感じさせられる9月の中旬陽の傾きが移り変わり 朝の早さが移り変わり 空気が移り変わり 水のここちよさが移り変わる季節の移り目は そんな変化の連続・・・ 諸行は無常 そうお釋迦さまはいわれた
4とか9は不吉な数字そんな意識がある4は死を 9は苦を それぞれ連想させるからということけれども 数字の9って 東洋的な考え方ではめでたさの極限とされているようだ奇数は陽の数その奇数の一番高い数字が9そこで陽の極みである9が重なる
肉や乳製品って 一見 口当たりがよく感じられる けれども 肉や乳製品を多量に摂取する食文化のある欧米には 心臓病や動脈硬化といった 特に循環器系の病気の発生率が高かった 肉食文化の欧米で ベジタリアンとかビーガンが注目さ
虫たちの声が美しい 秋って 虫たちが元気に活動する季節 こおろぎや鈴虫 赤とんぼやバッタ 境内をあるいているだけでも そんな虫たちと出逢い 虫たちの姿を目にすることができる もっとも この時
いいことがあれば自分の手柄として誇り 悪いことがあれば他人に責任を転嫁する部下が偉くなれば自分が偉くしたと誇り その部下が不祥事を起こしたら周りの者が悪かったのだと頬かむりをするそれがぼくらの姿 それがこのシャバ世界毎日毎日 そんな責任のな
笑顔は 副作用のないくすりそんなことを 先日ある人が言っていた う〜ん なるほどなと 不思議に納得した笑顔って場の雰囲気をやわらげ 笑顔って人をリラックスさせる笑顔って人をしあわせにし 笑顔はまた免疫力をあげ健康にする笑顔には百の
地球は本来 宇宙からの紫外線にさらされ 生きものが住める星ではなかったというそれを変えたのが シアノバクテリアの存在彼らが光合成によって放出する大量の酸素が 地球に紫外線を防ぐ膜をつくり これによって地上が有害な光線から護られて 生き物が住
このところの雨で気温が安定し 軒に巣を造った鳩たちも元気そう・・・(*´ω`*) 鳥類って汗をかかない いや 鳥類だけでなく イヌやネコのような哺乳動物も汗をかかない(人間みたいに汗をかく動物って
9月の初め だからというわけではないが 昨日は部屋の大掃除をした しまってあった荷物を開け 不要なものを整理し プチ断捨離のようなことをした 朝早くから始め 終わったのが夜の7時 ずいぶん時間がかかっ
身体に障がいを負った人が頑張って ハンデを克服して 世間に名の知られるアスリートになるそんなドキュメント映像を見ると ぼくらは感動させられる でも・・・ 障がいを負った当事者のじつに9割近くが そういう映像に「嫌悪感を覚
8月も終わり 夏休みの宿題の追い込みといことで 毎年8月終わりになると寺の書院をご門徒の子どもたちさんたちに開放している 忙しい寺務の合間をぬって ぼくも宿題を見て上げたり おやつを差し入れしたり昨日も結構賑やかな一日だ
過ぎゆく夏 お盆が終り 夏のにぎわいが終わった寺の境内に 街角に 商店街に 駅の周辺に ふと淋しさが流れる八月の最後の週末 この週が明ければ もう九月 子どもたちは長い夏休みを終える&nb
このところ30度を超える猛暑が続く最高気温35度など普通だ ぼくらが子どものころは 最高気温が30度に届いたらニュースになった今は最低気温ですら30度近い熱帯夜が普通にある 地球は確実に熱くなっているんだなあ・・・と思う
姥捨て山の話が ふと心に浮かぶ・・・。 現在の長野県千曲市の更科地域の話として伝わる。 昔 年寄りの大嫌いな領主がいて 「年寄りはみんな六十歳を過ぎたら山に捨てよ」というおふれを出した。 その領内に
お釋迦さまの国インドって動物を大事にする国。 そう インドを訪れた多くの人が指摘する。 農村部だけでなく 大都会でさえも。 街路樹にはリスが戯れ 道では牛や馬 らくだが荷車を引いている。 大きなお寺では象を飼っ
自然環境って 自明のもの あたりまえに与えられたものじゃない。 そういう意識って 長い間ぼくら人類は忘れてきた。 一人ひとりが意識しないと 自然環境は容易に壊され 失われ しかももとにもどらないもの。 そんな意
みんな知っていた。 関係者だけでなく 業界関係者の間では周知の事実。 なのに言えない空気。 ジャニーズ性加害問題で 今世間は沸きたっているけれど 一連の問題を見ると ほんとうに日本的 というか日本のムラ社会その
花って 植物の生殖器官。 植物が 自身の種を残すために ほんらい葉であった部分を独自に進化させて 花という部位を一定の時季になると顕出させるようにしたもの。 花の授粉って 花自身ではうまくできない。 そこで風の
怒り 憎しみ 非難。 このところエックス(旧ツイッター)を見ていると そんなコメントばかりで 見ていて疲れてしまう。 ジャニーズ事務所の性加害問題。 先日の事務所の会見を契機に 世間の眼はいっきに
今は新月の時季。 今月末29日は中秋の名月だ。 先月31日のスーパームーンと相俟って 9月は月が美しく それが夜の静けさを荘厳する。 宇宙と自分 そのつながりが実感され この世の喧騒がむなしくむいみに思えてくる
夏から秋にかけての時季は 虫たちの楽園の季節だ。 蝶が舞い テントウムシやダンゴムシが草むらに這いまわる初夏。 やがて地中から這い出て成虫になったカブトムシやせみたち。 そして お盆あたりから草むら
(※文章の中に やや残酷な情景描写が含まれます) 「害虫」「害獣」「害鳥」とぼくらはいう。 でも。 自然界には 「害」とか「益」という概念は存在しない。 ただその個体が生きている 必死で生
感情的な危機意識って しばしば大局的な方向を見誤らせる。 そんなことを思う。 喩えは適切ではない
9月の異名「ながつき」って 長夜月。 そんなことを以前書いた。 秋の夜長っていう。 秋って夜が長い。 だから飽きない(飽きないのに「あき」っておかしいなって今気づいて 一人で笑ったりする
「天高く 馬肥ゆる秋」などというが 秋の空って高く感じられる。 夏のどんよりした空って低い。 でも 秋は空気が乾いている分 空の透明度
半ば もう確信犯化している。 そんなことをつくづく感じる。 自民党と旧統一教会との癒着。 そのズブズブさって もう自民党の政策と統一教会の意向との境界線さえ見えないくらい 一体化してしまっている。
日中は猛暑。 宵の口ごろは まだ熱帯夜の兆し。 そんなことで薄着と薄手のタオルケットで寝ていたのだけれど。 夜中の2時3時に目が覚めると 寒い〜・・・(~_~) まるで10月下旬から11月初めぐらい
夜 寝ていると蚊が ぶ〜んという羽音を立てて飛んできた。 はっとして 顔面上30センチの空間に注意を向ける。 そうだ 今は蚊の季節だったんだ。 そう改めて認識するぼくがいた・・・。 夏と
ものって 多くなると価値が下がる。 希少価値ということばがあるように ものって 少なければ少ないほど 価値は上がる。 これは経済の基本的な法則だ。 ものの価値を上げる意図。 そ
「行き合いの空」。 今の時季の空って そんなふうに呼ばれているのだと 先日のラジオでいっていた。 遠くに積もる積乱雲 夏の盛りをイメージさせる入道雲。 けれど一方 手前をみると きぬ雲やうろこ雲が見
いつも書いていることだけれど・・・。 「災害は忘れたころにやってくる」ではなく 近年の自然災害はまるで「忘れるまもなく」 ひっきりなしにやってくるという そんな印象だ。 しかも オーストラリアや南米の森林火災
過去が教訓とされない意識 目先のことに囚われて大きな筋道で自分の行動を考えられない思考。 今 とくに平成生まれの若い世代って そういう感覚に包まれてしまっているなってつくづく感じる。 大きな因果関係で物事が把
朝の明るくなる時間が 少しずつ遅くなってきていることを実感する。 8月の下旬は夏至から2か月。 来月の今ごろは もうお彼岸過ぎだ。 うかうかしていたら 10月 11月になり 今年も終わってしまう。