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日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない http://evnara.blog.fc2.com/

太平洋戦争の各地戦跡に足を運んでいます。 [沖縄戦を深く知るツアー]をご希望の方はメールにてお願いします。 pochetteevnara@gmail.com

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2016/02/28

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  • 久米島

    2024年2月10、11、12日2泊3日の久米島旅行に出かけた。勿論初めての久米島だ。去年に行った渡嘉敷島同様、とまりんから船で久米島を目指す。(一般的には那覇空港から飛行機で)チケットは並んでその日購入した。(6560円往復。要滞在日数&宿泊先記入用紙有り)とまりんには船内で食べる用?にと、手頃価格のお弁当が沢山売っている。▼今回は久米島の足としてスクーターを積んで行った(7240円往復)乗船して定刻出航。渡名喜島経由で3...

  • キャンプハンセンフェスティバル

    2024年2月24日(土曜日)金武町にある米軍施設、キャンプハンセンのフェスに初めて行ってきた。キングタコス(本店)などがある国道329号線沿いのGATE2から基地内に入る。キャンプハンセンは金武町から名護市、宜野座村、恩納村まで続く恩納岳を含む広大な面積の米軍訓練区域。1997年実弾砲兵射撃訓練はアメリカ本土へ移転。2008年より陸上自衛隊も同施設内で訓練ができるようになった。沢山の人が並んでいた。身分証明書の提示、厳重...

  • 伊平屋島

    今回も、伊是名島と同様、運天港からフェリーに乗る。(往復4720円+環境協力税100円)定刻11時出航、運天港を後にする。古宇利水道を通り、1時間20分の船旅。伊平屋島を目指す。▲伊是名、伊平屋島が見える。伊平屋島到着前泊港に到着。右奥に映る大きな岩は【虎頭岩】だ。伊平屋島ポートターミナルは現在工事中で、使用されていなかった・・・。続く➡執筆中この映画は是非見ておきたいですね「凛として愛」YouTube※APAホテルでは無料...

  • 航空自衛隊那覇基地【美ら島エアーフェスタ2023】

    美ら島エアーフェスタ2023in航空自衛隊那覇基地に行ってきた。今回は那覇基地で初のアクロバット飛行、ブルーインパルス展示飛行があったので凄い見学者の数だった・・・。続く➡執筆中この映画は是非見ておきたいですね「凛として愛」YouTube※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦...

  • 第15旅団創隊13周年、那覇駐屯地創立51周年記念行事

    陸上自衛隊 第15旅団創隊13周年、那覇駐屯地創立51周年記念行事に行ってきた。昨年と同様、てだこ浦西駅からゆいレールに乗って赤嶺駅、無料シャトルバスで那覇駐屯地だ。続く➡執筆中この映画は是非見ておきたいですね「凛として愛」YouTube※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦...

  • 伊是名島

    伊是名島は、島尻郡に属する沖縄諸島北西部の島で、伊平屋伊是名諸島に属する。住所は沖縄県島尻郡伊是名村。沖縄戦では米軍の上陸は無く、戦時下の沖縄本島における戦闘情報等は、村の一部、主に指導者層でのみ独占され、一般住民にはまったく知らされていなかった。そのため、沖縄本島への米軍上陸の報が村民公然の事実となったのは、約2ヶ月が経過した5月末頃であったといわれている。昭和19年の十十空襲では、伊是名島上空にも...

  • 普天間フライトライン・フェア2023

    9月30日(土曜日)普天間フライトライン・フェア2023に行ってきた。真栄原の友人と一緒に行ったので、宜野湾市の真栄原(第2ゲート)からの入場を試みたがあえなく撃沈。第1ゲート(大山)から入場。左側の女性1人「やんばる世界遺産の米軍廃棄物アメリカは片付けろ」だって。。。(呆)その女性は、手を振ってアピールしてくるが、当然無視して進んで行く。免許証などの身分証明書を提示して普天間基地内へ入場。スコールが一雨来たので、...

  • 大湿帯の【御真影奉護壕】

    県有林である源河の山間部、名護市源河 大湿帯(オーシッタイ)の標高約120mの丘陵斜面に掘られた人工壕は、御真影奉護壕と呼ばれた。その壕が見学出来ると知って行ってきた。沖縄本島北部「やんばる」と呼ばれる緑豊かな所にある、小さな山里【オーシッタイ(大湿帯)】国道331号線天仁屋(てにや)付近からオーシッタイ(大湿帯)に向かう。 寂しい道を、源河方面の山中に向かって車を走らせる。政治結社沖縄共生會総本部と研修農場。...

  • 港川ステイツサイドタウン

    1950年代の米軍住宅を利用した商業施設『港川ステイツサイドタウン』に行ってきた。港川ステイツサイドタウンは、1950〜60年代に米軍基地関係者をターゲットに、賃貸住宅街として開発された場所。築30年が経った1980年代後半、老朽化が進み空き家が増えていった。そんな中、入居者がこの雰囲気を活かして雑貨やカフェを経営するようになった。その流れを受け、2000年代からは空き家になった住宅を順次店舗へ誘致するようになり、現...

  • 奥間ビーチフェスト2023【Okuma Beach Fest 2023】

    4月30日(日曜)、6年振りの開催となった米空軍基地主催のフェス【Okuma Beach Fest 2023】に行ってきた。会場は沖縄本島北部の国頭村奥間にある、米空軍が管理する米軍保養施設奥間レスト・センター天気予報は雨。前日から降っていた雨は止んでいるものの、空には厚い雲が・・・祈る様な気持ちで会場に向かう。▲▼奥間交差点にあるファミリーマートは、沖縄本島最北端のファミマ。12時ゲートOPENだが、早めに入れてくれた。▲毎度...

  • 嘉手納基地アメリカフェスト2023

    4月22日(土曜日)嘉手納基地アメリカフェスト2023アメリカフェスト2023に行ってきた。12時ゲートオープン。58号線沿いの嘉手納基地第4ゲート付近は大渋滞。▲島の北から来た私。▲島の南から来た友人もこの渋滞。まだ昨日の雨が少し残る正午。いよいよ嘉手納基地第4ゲートから入場。免許証等の身分証明を提示。元、日本陸軍中飛行場だった場所にやっと来れた・・・。車を駐車した時に気が付いたが、前を走る箱バンは元同僚(沖縄県出身...

  • 辺野古米海兵隊基地キャンプ・シュワブフェスティバル

    2023年3月25(土曜)26(日曜)辺野古米海兵隊基地キャンプ・シュワブフェスティバルに行ってきた。この日は26(日曜)日、連日天気が良くない沖縄本島だったが、朝から雨模様・・・12時開門13時開始だ。キャンプ・シュワブメインゲートでは無く、第5ゲートから身分証明書を提示し、基地内の仮駐車場へ向かう。いくつかのゲートを通って仮駐車場へ。第5ゲートから基地内のけっこうな距離を走る。普段は国道329号線から、反対派の違法闘...

  • 渡嘉敷島

    慶良間諸島の島々の一つ、渡嘉敷島に行くことが出来た。渡嘉敷島は、那覇市西方約18マイルの洋上に浮かぶ慶良間諸島の主島▲渡嘉敷島へは、那覇市の泊港(とまりん)から船が出ている。▼【フェリーとかしき】で、いざ渡嘉敷島(周囲25㎞)へ出発。▼フェリーとかしきから那覇市泊高橋付近を眺める。いい天気に恵まれた。▼船内は綺麗で広い。渡嘉敷島まで約70分の船旅だ。沖縄の格言で「慶良間みーしが、どぅ~のたにはみーらん」「きらま...

  • 航空自衛隊那覇基地【美ら島エアーフェスタ2022】

    【那覇基地開庁50周年記念】ということで、美ら島エアーフェスタ2022in航空自衛隊那覇基地に初めて行ってきた。陸自祭の時と同じく、てだこ浦西駅からゆいレールに乗って那覇(赤嶺駅)に向かう。那覇軍港と美らSUNビーチから無料シャトルバスが出ているとの事だった。空自那覇基地は、赤嶺駅から徒歩5分程度なので歩く事にしていたが、信号の先には既に長蛇の列が・・・。長蛇の列で、信号を渡って右の筈が、左へ曲がって列の最後尾...

  • 開戦の詔書【現代語版】

    開戦の詔書には、我が国が何とかして戦争を回避しようと外交的努力を重ねた事や、本来戦争などしたくはないという昭和天皇の思いがハッキリ記されておりますが、終戦の詔書では「責任は私にある」と述べられている。国の中心に座している御方が、己よりも国民を優先する我が国は、他に二つと無い素晴らしい国、日本。学校でも教わらず、報道されることも無い昭和天皇の『開戦の詔書』。今一度読み返して欲しい。開戦の詔書【現代語...

  • 第15旅団創隊12周年、那覇駐屯地創立50周年記念行事

    沖縄県で初めての陸自祭!コロナで3年無かったとの事で、とても楽しみにしていた。【第15旅団創隊12周年、那覇駐屯地創立50周年記念】ということで、陸上自衛隊那覇駐屯地に初めて行ってきた。てだこ浦西駅からゆいレールに乗って那覇に向かう。▲奥武山公園、小禄、赤嶺からシャトルバスが出ているとので、小禄まで乗る事にした。てだこ浦西駅は、ゆいレールの終点だ。(小禄、赤嶺,、那覇空港まで370円)▲▼早速来たので乗り込む。続...

  • 琉球王朝祭り首里

    令和4年度「第57回琉球王朝祭り首里」は、新型コロナ第7波により、実施する事業と中止する事業を選別されての開催になったが、初めて行ってきた。この祭りは昭和35年に「教育、文化の発祥の地として、青少年の向上心の高揚と、健全育成、併せて城下町首里の活性化を図ること」を目的に始まり、那覇市の三大祭り(「那覇大綱引き」「那覇ハーリー」と並ぶ)の一つとなっているそうだ。首里城祭は正殿完成まで「首里城復興祭」と改称し...

  • 普天間フライトライン・フェア

    2022/10/1 普天間フライトライン・フェアに行ってきた米軍普天間飛行場第3ゲート(宜野湾市野嵩、野嵩第3ゲート)から基地内に入った。フライトライン・フェア基地入場ゲートは、今回入場した野嵩第3ゲートと大山第1ゲートの2つだ。沖縄県に引っ越してきてから、初めての米軍基地入場だ。広い敷地に格納庫等の軍事施設が見える。ここは元々日本軍の基地では無かった場所で、日本軍は現在の嘉手納基地に、陸軍中飛行場、米軍読谷補...

  • ふじ学徒隊

    豊見城村は那覇の南に隣接する。豊見城城は600年以上前の「琉球戦国時代」に攻め滅ぼされた南山王系列[見城按司]の城であった。現在は琉球当時の遺構はほとんど無く、石垣の一部や古井戸などが残るだけで、世界遺産に指定された琉球グスク群からは外されている。沖縄戦当時、現在の豊見城城跡公園には旧陸軍第24師団第2野戦病院壕があった。▲▼この壕に配属され、従軍した軍医や積徳高等女学校学徒看護隊の生存者により昭和57年8月...

  • 沖縄八社

    沖縄八社とは、社琉球八社とも呼ばれ、王府から特別の扱いを受けた「波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮」の8つの神社の総称。 半年かけて時間を作っては巡った8つの神社をご紹介しましょう。▲先ずは波上宮(なみのうえぐう)(令和4年2月撮影)▲昭和38年7月撮影の同じ場所。▲昭和38年7月撮影の同じ場所。▲▼次は沖宮(おきのぐう)奥武山公園内にある沖宮は、15世紀頃に海中より光輝ある枯木を拾い、熊...

  • 津堅島

    津堅島(つけんじま)は、沖縄本島中部、勝連半島の南東約5kmの中城湾の沖合に位置し、周囲7.0km、人口200人程度の小さな島だ。沖縄諸島で最も知られていない(沖縄戦や戦跡等で)津堅島(つけんじま)は、沖縄諸島で最も早く戦時体制に入っていた島である。1896年(明治29年)、沖縄県内初の灯台として島の南島端のカジチ崎に津堅島灯台が建設され、太平洋航路や中城湾の船舶の出入りを監視した。大正11年中城湾要塞建設計画で、津堅...

  • 戦前最後の沖縄県知事 島田叡

    【島田叡】戦前最後の沖縄県知事。神戸市須磨区出身。(享年43歳)医師の7人姉弟の長男として明治34年12月25日神戸市須磨区須磨寺町に生まれた。文武両道で、神戸二中~東京帝大まで野球部で活躍。当時の日本では学生野球がトップスラス。スター選手だった。大正3年3月 西須磨尋常小学校卒 大正8年3月 兵庫県立神戸第二中学校卒 大正8年9月 三高文科丙類入学 大正11年4月 東京帝国大学入学 大正14年4月 東京帝国大学法学部政治...

  • 沖縄県営鉄道(軽便鉄道)

    沖縄県営鉄道(軽便鉄道)戦前の沖縄本島には、大正時代に3路線が開業し、昭和初期頃までは経営は安定していた。太平洋戦争(大東亜戦争)末期には軍事輸送が本格化し、昭和19年7月には、通常ダイヤによる営業運転を終了して実質的な軍用鉄道となる。また、同年10月10日の那覇空襲によって那覇駅が焼失し、更に12月には糸満線喜屋武~稲嶺間で、列車爆発事故(沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故)が発生している。 昭和20年3月には戦争の激...

  • 屋我地島

    屋我地島は沖縄本島と橋で繋がる人口約1300人の小さな島。第二次世界大戦では屋我地島北部、済井出地区のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」が、日本軍の兵舎施設と間違われ、昭和19年10月10日(いわゆる十十空襲)米軍の激しい攻撃を受け、施設の90%が破壊された。▲米軍が作成した戦略地図の愛楽園はBARRACKS(兵舎)と記されており、軍関連施設と考えていた可能性大である。米軍の空襲で水タンクが破壊され、十分な治療ができなくな...

  • 源為朝公上陸之趾

    沖縄戦では日本海軍の小型潜水艦基地が置かれた運天港。運天港には、大正11年に建立された「源為朝公上陸之跡碑」がある。源平の争乱(保元の乱)に敗れ、源為朝が伊豆大島に流された後、伊豆大島を脱出し、暴風にあいながら「運を天にまかせて」たどり着いた港と言い伝えられている。「運天港」の名はそうしたエピソードからつけられた港だ。沖縄では、源為朝が流れ着き、地元の有力者の娘を娶り琉球王統の始祖を作ったという伝説が...

  • 多野岳ホーク基地跡

    沖縄県名護市の多野岳は、標高383mの沖縄本島で3番目に高い山。因みに1番は国頭村字奥間の与那覇岳で標高503m、2番は本部町と名護市にまたがる標高453mの八重岳だ。多野岳は昭和31年米軍に強制接収され、昭和34年、沖縄配備計画に基づき米軍羽地陸軍補助施設としてミサイル発射台と関連施設が構築され、ホークミサイル基地として使用されていた。昭和37年からその敷地は徐々に返還され、昭和47年(沖縄祖国復帰)に全面返還されてい...

  • 山雨の塔(宇江城の壕)

    糸満市宇江城一帯は日本軍最後の抵抗拠点の一つ。激戦地糸満の中でもここ「真栄平」地区は、住民の戦没率が最も高く、2人に1人以上が亡くなられた一帯である。第32軍牛島司令官の自決により、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終了した昭和20年6月23日(22日説有)以降も、付近の真栄平や宇江城の壕に籠りながらゲリラ戦を戦っていた隷下の部隊が抵抗を続けていた・・・。それが日本陸軍第24師団以下22連隊+工兵第24連隊(第1中隊...

  • 久高島

    知念半島は中城湾を望む丘陵地帯に位置する。久高島は知念半島から見る事が出来る琉球神話聖地の島だ。戦時中は沖縄本島東海岸から敵が上陸してくることを想定し、昭和16年頃から中城湾臨時要塞が建設される事になり、砲台や兵舎が建設されたが久高島に建設されたという記録は残っていない(海岸防衛施設程度は構築されたらしい)昭和19年3月沖縄守備軍(第32軍)が編成されると、満州に配備されていた第9師団(武部隊)が同年7月沖縄...

  • 伊江島

    沖縄県の国頭郡に属する「伊江島」(沖縄県国頭郡伊江村)長い間行きたかった島にやっと行く事が出来た。島のほぼ中央にそびえる城山と呼ばれる岩山以外は平坦な地形が広がっている。この地形を活かし昭和19年(1943年春~1944年完成)日本陸軍航空本部により飛行場が建設された島だ。建設には多くの島民が働き、当時は東洋一と称される飛行場だった。伊江島の戦い終結後、3本のメイン滑走路は米軍によって拡張工事され、その内2本は今...

  • 名護市親川の民族資料博物館

    沖縄本島北部。名護市に私設博物館があると聞いて行ってきた。▲名護市親川にある民族資料博物館。名護市街を過ぎて国道58号線を北へ走ると右手にこの看板が見える。▲▼此処は2005年開設の「私設」博物館との事。展示物は、館長の真嘉比さんが1人で集めたと言うから驚きだ。総額1億近くかかっているらしい・・・。▲館長の真嘉比さんが入口まで案内してくれる。 ▲入館料500円を木箱に入れて、ここからは...

  • 喜界島

    奄美大島から飛行機で約10分、シートベルト着用サインが消える間も無く喜界空港に到着。喜界島は鹿児島市から南へ380㎞、奄美大島の北東端から25㎞の洋上にある周囲48.6㎞の隆起サンゴ礁の島で、2019年6月現在、3804世帯、7018人が暮らす小さな島だ。喜界空港に到着。正直、この飛行時間で6200円はちょっと高いと思うのは私だけだろうか・・・。JRの駅より小さい可愛い空港だ。この雰囲気が良い!!チェックインカウンターも1つ...

  • 沖永良部島

    徳之島から約2時間の船旅。沖永良部島が見えた。沖永良部島(和泊港)に到着。出迎えの人達や乗り込む人達で港は沢山の人だ。沖永良部島は、沖縄本島から北に約60km離れている。島全体は隆起珊瑚礁で生成され、石灰岩で覆われている。島内には河川は少ないものの、湧水の数は多く、また石灰岩と基盤との間に地下河川(暗川)が形成されている。和泊町と知名町の2つの自治体から成り、人口約14000人で、奄美群島では奄美大島、徳之島...

  • 徳之島

    最初で最後という10連休となったGWを利用し、平成と令和をまたいでの奄美諸島巡りに出かけた。バニラエアを利用して奄美大島へ。Peachとバニラエアが統合され、現状【Peachはバニラエアの路線網を段階的に引き継ぐ】となっているが、奄美大島への直行便は【ウィンターダイヤ期間にPeachとして就航予定】となっており、正式発表はまだされていない。Peachにはバニラエアの奄美路線は是非引き継いで頂きたいものだ。▼乗り継ぎ時間は...

  • 与論島(よろんじま)

    2019年のお正月。人口5000人弱の小さい島「与論島」で年始を過ごした。行きは鹿児島空港経由で与論島へ。帰りは那覇空港経由で本州へと戻る空路だった。与論島は鹿児島県に属する。鹿児島県最南端の小さな島で、沖縄本島までの距離はたった22㎞。九州の鹿児島県までは約590kmもあるのだ。与論島が鹿児島県に属する理由は、「関ヶ原の戦い」で敗戦した島津氏が南島征伐に転換した為である。当時、琉球王朝は大陸の宋と交易していた...

  • オーストラリア戦争記念館(Part5)

    オーストラリア戦争記念館(Part4)からの続き。最終章は「 AIR CRAFT HALL 」一番見たかった展示ブースだ。▼初っ端からゼロ戦だ!(しかし、見学する人は僅か・・・日本人の私だけが一生懸命写真を撮っていた)▼エア-パーク/航空自衛隊浜松広報館と同じ飛行状態での展示だ。此の零戦21型はパプアニューギニア・二ューブリテン島 ガスマタに放置された台南航空隊所属機をオーストラリア軍が捕獲した物※ガスマタ(Gasmata)はパプア...

  • オーストラリア戦争記念館(Part4)

    オーストラリア戦争記念館(Part3)からの続き。このあたりの展示はさほど興味も無い為、サラッと通っただけの様なものなので、今回の記事はほぼ写真のみで。▲ビックリしたが人形だった・・・。ここも見学者はほとんど居ない・・・。▼イギリスの植民地時代の絵かな?ま、今もイギリスの植民地みたいなもんだけどね。オーストラリアの女王は今もエリザベス女王だし・・・。今でもエリザベス女王に批判的な事を少しでも言うと、オー...

  • オーストラリア戦争記念館(Part3)

    オーストラリア戦争記念館(Part2)からの続き。▼▲此の展示場の中は「ニューギニアの戦い」のブナやゴナ、そしてココダの戦場を再現している。中は薄暗かったので、まともな写真が撮れなかった・・・。連合軍と日本陸軍が戦った「ニューギニアの戦い」をどれだけの日本人が知っているのだろうか・・・。▼これもよく見る写真。(写真は「処刑時にヤスノ・チカオが部下に写真を撮らせた」と書いてある) (写真は1944年4月ホーランデ...

  • オーストラリア戦争記念館(Part2)

    オーストラリア戦争記念館(Part1)からの続き。1939年(昭和14年)まで進み、やっと日本が展示に出だした。戦争が宣言されたと書いてある。第二次世界大戦の始まりだ。昭和14年は既に満州国が建国されていて、加えて日中戦争も続いていた頃だがナチスドイツの展示が多い。いきなり軽戦車の展示から始まった。戦車はイタリア軍??説明を見たが忘れた・・・軽四位の大きさでかなり小さ目だった。フェラーリを作っている国だけど兵器...

  • オーストラリア戦争記念館(Part1)

    オーストラリア(シドニー)旅行最終日の自由行動日、ガイドさんや同ツアーの参加者から「ホントに行くの!?」と、言われながら「オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)」へ行ってきた。オーストラリア戦争記念館はシドニーからはかなり離れたオーストラリアの首都「キャンベラ」にある。朝早く起きてシドニーのホテルを出発。歩いてシドニー・セントラル駅(Sydney Central Station)に向かう。朝の時間帯で人が少ない...

  • シドニー

    オーストラリア(シドニー)は観光の街。戦跡とはほぼ縁の無い大陸だが、太平洋戦争(大東亜戦争)時にはオーストラリアも連合軍として参戦していた為、日本軍はダーウィン周辺の北部都市への空爆や、特殊潜航艇でシドニー港を攻撃している。そしてニューギニア(1975年ニューギニア信託統治地域がパプアニューギニアとして独立)や、ボルネオ、沖縄戦等の広範囲で連合国として日本軍と戦い、ノルマンディー上陸作戦以降はヨーロッパ西...

  • 難波グランド花月

    普段は通り過ぎる事の多い、大阪(難波)で寄り道して、難波グランド花月に寄ってみた。千日前通りを抜けて「難波グランド花月」を目指す。大阪は美味いものが多くて目移りしてしまう。どこも美味しそうなお店ばかりだ。▲▼ホントに安い!帰りに寄って帰ろうと思っていたのに忘れてた・・・。▲▼あっという間に難波グランド花月に到着。一度来た事があるが、リニューアルされてからは初めてだ。特にファンという訳では無いが、2階フロ...

  • 下関と門司

    出張で山口県を訪れたので帰りに時間を作り、「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」を見て、以前から行きたかった下関の唐戸市場と、「海賊と呼ばれた男」を見てから是非とも行って見たかった門司へ行ってきた。▲まずは午前中に行くのがBESTの唐戸市場へGO!(昼から行っても店がほとんど閉まっている)▲下関らしく巨大なフグがお出迎え。▲土曜日だった事もあり、かなり賑わっていた。▲▼食べたい物ばかりで、ついつい取り過ぎる...

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