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むぎの城さんぽ https://blog.goo.ne.jp/mugiide

日本百名城や史跡・城郭めぐりの旅の記録と日本城郭検定の問題でお城の勉強をしよう!という日記です。

日本城郭検定準1級〈武者返級〉合格。1級合格目指しブログを通して予習復習しながら勉強中。

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2016/02/20

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  • 相良城(静岡県)

    【相良城】さがらじょう【別名】相良陣屋【構造】平城【築城者】田沼意次【築城年代】1768年(明和5年)【指定史跡】ー【場所】静岡県牧之原市相良地図相良城は、9代将軍徳川家重が、田沼意次を相良1万石の大名に取り立て、この時はまだ相良陣屋だったのですが、10代将軍家治が城を築くことを許可し、12年かけて有力な大名のみに許される天守を持った城を築城しました。しかし、意次が失脚すると、松平定信の命により、相良城内の財産は没収され、相良城はわずか8年で廃城となり、壊滅的に破却されてしまいました。牧之原市資料館牧之原市資料館が建つこの場所が相良城の本丸跡です。現在は、相良小学校、相良中学校、相良高校、町役場などが立ち並ぶ場所が城域となっていました。城址碑牧之原市資料館が建つこの辺りが本丸ということで本丸碑があります。...相良城(静岡県)

  • 龍眼山城(静岡県)

    【龍眼山城】りゅうげんざんじょう【別名】植松城【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】静岡県牧之原市静波龍眼地図龍眼山城は、勝間田氏の属城とされていますが定かではなく城の構造からみると武田氏の築いた城ではないかとの説もあり築城者は不明とされています。現在榛原公園として多くの市民が訪れています。榛原公園南側麓にある榛原公園入口へやってきました。公園の案内図があります。駐車場北側から車で上まで行くことが出来ますが、軽自動車の幅しか無いので普通車はこちらに車を置いて歩いて登ることをお勧めします。登山口ここから登って行きます。遊歩道として整備されていますので歩きやすく、意外に地元の皆さんが利用されているので容易に登ることが出来ます。頂上登り切った山頂が主郭です。主郭公園として整備されていて...龍眼山城(静岡県)

  • 清水袋城(静岡県)

    【清水袋城】しみずふくろじょう【別名】清水城・袋城・浜清水袋城【構造】海城【築城者】武田信玄【築城年代】1569年(永禄12年)【指定史跡】ー【場所】静岡県静岡市清水区本町地図清水袋城は武田信玄が築いた海城で、武田水軍の根拠地となった城です。巴川河中に扇状に突き出して築かれた珍しい縄張で、馬場美濃守信房がが担当したものと伝わります。1582年(天正10年)武田勝頼が滅亡すると、徳川家康の支配となり武田水軍は徳川水軍へと変わり、城も家康の持城となりました。慶長13年、家康が駿府城へ隠居するとこの城の存在価値を失い、本城の外堀を埋めて町屋を建てて廃城とし、清水における武田の支配はわずか14年でした。上総稲荷神社江戸時代初期には廃城となり、堀は埋め立てられ町屋にしているので現在は遺構も残っておらず、宅地になって...清水袋城(静岡県)

  • 小川城(静岡県)

    【小川城】こがわじょう【別名】法永長者屋敷【構造】平城【築城者】長谷川正憲【築城年代】1394~1428年(応永年間)【指定史跡】ー【場所】静岡県焼津市小川城内地図小川城は、堀と土塁で囲まれた「長者屋敷」と呼ばれる平城で焼津の海岸線から約1kmほど内陸に位置し、小川湊にも近いこともあり、海と陸を押さえるための要所として築かれました。城主は小説やドラマでお馴染みの「鬼平犯科帳」の鬼平こと長谷川平蔵の祖となる長谷川正宣で、今川氏と関係が深く小川城にて龍王丸(今川氏親)を匿ったこともあります。その後小川城は、武田信玄の駿河侵攻によって廃城となりました。城址碑と案内看板発掘調査後遺構は埋め戻され、宅地と化していて現在遺構を見ることは出来ません。しかし、長谷川氏が龍王丸を匿う間、次期今川家当主を担うことが出来るよう...小川城(静岡県)

  • 立川氏館(東京都)

    【立川氏館】たちかわしやかた【別名】立川城・立河氏館【構造】平城【築城者】立河宗恒【築城年代】鎌倉時代【指定史跡】都指定史跡【場所】東京都立川市柴崎町4‐20‐46地図立川氏館は、武蔵七党西党日奉氏の支族である立川氏の居館です。鎌倉時代に居館の中に寺を建立し、その後現在の普済寺となっています。中世以降は小田原北条氏に仕え、後北条氏が滅亡すると水戸藩徳川家へ仕官し常陸国へと移って行ったとされています。普済寺入口随分新しい立派なお寺が見えたと思いきや、1995年(平成7年)に火災で焼失してしまったため、本堂など新たに建て替えています。閻魔堂山門立派な山門があります。この山門は火災を逃れたもので江戸時代からの現存のようです。木像この日、門の上の扉が開いており、顔を覗かせていた木像は聖徳太子とのこと。堀跡この橋の...立川氏館(東京都)

  • 稲庭城(秋田県)

    【稲庭城】いなにわじょう【別名】早坂館・鶴ヶ城・貝館【構造】山城【築城者】小野寺重道【築城年代】1193年(建久4年)【指定史跡】ー【場所】秋田県湯沢市稲庭町梺地図稲庭城は、下総国出身の小野寺氏の本拠地で、源頼朝に戦の褒美としてこの地を賜りました。1600年(慶長5年)山形の最上義光の3千の兵に攻められ、自ら稲庭城に火をかけて背後の山から横手城逃れるも、関ヶ原の戦いで上杉景勝軍(西軍)に加勢したことで改易となり、石見国津和野へお預けの身になり稲庭城は廃城となりました。現在、二ノ丸に建つ稲庭のシンボル模擬天守は観光スポットとして建てられスロープカーが運航し、難儀することなく二の丸まで運んでくれます。稲庭城址入口国道398号線を走っていると稲庭城址入口が見えて来ました。ここからが本来の登城口と思われますが、こ...稲庭城(秋田県)

  • 名護屋城(佐賀県)

    【名護屋城】なごやじょう【別名】―【構造】平山城【築城者】豊臣秀吉【築城年代】1592年(天正20年)【指定史跡】国指定史跡【場所】唐津市鎮西町名護屋地図【スタンプ設置場所】佐賀県立名護屋城博物館【御城印】佐賀県立名護屋城博物館【攻城団チラシ】鎮西町観光案内所・唐津駅観光案内所豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に拠点として築いたのが名護屋城です。当時の大坂城に次ぐ規模ながら、たった5ヶ月で築城し、全国の大名の陣が周辺に置かれました。150以上とも云われる大名の陣には20万人もの人口で城下町が構成され大変賑わいました。1592年(文禄元年)の朝鮮侵攻から秀吉の病死により撤退するまでの7年間戦いは続き、名護屋城の役割を終えると、名古屋城は取り壊し、唐津城の資材となりました。駐車場一番近い、信号名「大手門...名護屋城(佐賀県)

  • 田沼街道

    起点:相良湊橋牧之原市資料館北側にある起点🏯相良城起点となる湊橋があるのは相良城があった場所です。⇓🍡島田宿⇓🍡金谷宿終点:藤枝勝草橋田沼街道

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