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日本城郭検定準1級〈武者返級〉合格。1級合格目指しブログを通して予習復習しながら勉強中。

ブログタイトル
むぎの城さんぽ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mugiide
ブログ紹介文
日本百名城や史跡・城郭めぐりの旅の記録と日本城郭検定の問題でお城の勉強をしよう!という日記です。
更新頻度(1年)

133回 / 365日(平均2.6回/週)

ブログ村参加:2016/02/20

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むぎさん
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むぎの城さんぽ
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むぎの城さんぽ

むぎさんの新着記事

1件〜30件

  • 秋元氏墓地(群馬県)

    【秋元氏墓地】あきもとしぼち【別名】-【構造】墓地【年代】1590年(天正18年)【指定史跡】市指定史跡【場所】群馬県前橋市総社町植野150地図総社城初代城主秋元長朝の墓所が元景寺にあります。長朝の父景朝は、関東管領上杉憲政に仕え、1587年(天正15年)にここ勝山の地を与えられました。しかし、景朝は間もなく病で没してしまいました。そのため長朝は父景朝を供養するために元景寺を創建しました。元景寺元景寺は総社城主、秋元長朝公が父君景朝の菩提供養のために開かれた寺です。実はこの写真、屋根ばかり移っていますが、門の地べたに地元の方が数人座って楽しくおしゃべりをされていたので、写さないようにと思ったら中途半端な画格になってしまいました^^;参道脇の細い道を奥へと入って行くと駐車場に到着します。奥には墓地への道と、入口に...秋元氏墓地(群馬県)

  • 松坂城(三重県)

    【松阪城】まつさかじょう【別名】―【構造】平山城【築城者】蒲生氏郷【築城年代】1588年(天正16年)【指定史跡】県指定史跡【場所】松阪市殿町地図【スタンプ設置場所】松阪市立歴史民俗資料館本居宣長記念館(休館日は松阪市観光情報センターに設置)【城郭検定】出題あり1584年(天正12年)羽柴秀吉により松ヶ島城に封ぜられた蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄「四五百森」の独立丘陵に目をつけ、夜を日に継いで1588年(天正16年)に入城できた平山城がかつての松坂城です。蒲生氏郷は後に会津若松へと移るため、松坂城に居たのはわずか2年でしたが松阪開府の祖として今でも松阪市民に愛されています。駐車場以前訪れた時は、本居宣長記念館に駐車して散策した記憶がありますが、今回はこちらの松阪市駐車場を利用しました。大手大手を真直ぐ城に向かって登...松坂城(三重県)

  • 用土城(埼玉県)

    【用土城】ようどじょう【別名】高城【構造】平城【築城者】藤田康邦【築城年代】1546年(天文15年)【指定史跡】ー【場所】埼玉県大里郡寄居町用土地図藤田康邦用土新佐衛門の隠居所として築城された城と伝えられています。鎌倉街道を押さえる要所に築かれました。これまでの居城であった花園城と天神山城を養子の北条城氏邦に譲り、用土城へと退きました。その後天正18年鉢形城が落城すると用土城も豊臣方に攻められ落城し、廃城となりました。現況では後世に建てた石碑や地名が残っているのみです。駐車場寄居町農業ふれあいセンターの駐車場に車を停めて散策することにしました。寄居町農業ふれあいセンター地域の農業を振興させるための施設でのようですが、屋根を見ると、鯱が載ってます!ここが城址であることを意識して造られているようです。馬場曲輪ただ、...用土城(埼玉県)

  • 東方城(埼玉県)

    【東方城】ひがしかたじょう【別名】-【構造】平城【築城者】不明【築城年代】1456年(康正2年)【指定史跡】市指定史跡【場所】埼玉県深谷市東方地図令和2年9月13日登城東方城(埼玉県)

  • 庁鼻和城(埼玉県)

    【庁鼻和城】こばなわじょう【別名】国済寺館【構造】平城【築城者】上杉憲英【築城年代】1456年(康正2年)か【指定史跡】市指定史跡【場所】埼玉県深谷市国済寺地図令和2年9月13日登城庁鼻和城(埼玉県)

  • 猿ヶ京城(群馬県)

    【猿ヶ京城】さるがきょうじょう【別名】宮野城【構造】崖端城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉121地図【御城印】猿ヶ京関所資料館猿ヶ京城本丸跡には現在「湖城閣」というホテルがあります。永禄3年、上杉謙信が宮野城に一泊した時に八本の歯が抜けて掌に落ちた夢を見て不吉に思ったところ、直江山城守兼続が「関八州を手に入れる吉兆」と励ました。すると申年生まれの謙信は、この年も申年だったこともあり宮野と呼ばれていたこの地を「猿ヶ京」と名付けたと伝わります。猿ヶ京関所跡からホテルに向って真直ぐ入って来ると、「湖城閣」のアーチが見えて来ました。ちなみに、猿ヶ京関所跡では今がブームの御城印が販売されています。ぜひ、こちらと合わせてお立ち寄り下さい。駐車場ホテル「湖城閣」の駐車場があり、こ...猿ヶ京城(群馬県)

  • 密岩神社(群馬県)

    【密岩神社】みついわじんじゃ【別名】密岩神社里宮・奥宮【構造】神社【年代】不明(600年前)【指定史跡】ー【場所】群馬県東吾妻町大字郷原1126地図奥宮といわれる古くからの神社は、登山道の中腹にあり崖の岩の中に造られた社で、誰がどうやって造ったのかわかりません。現在はそこへ行くことも出来ない危険な場所にあります。秘境の社・密岩神社奥宮を離れた場所からお参りするしかなく、この地に里宮が設けられ、遷宮が行なわれたました。密岩神社駐車場車はこちらの駐車場へ置いて、徒歩で神社まで行きます。岩櫃山周辺ガイドマップ駐車場にはガイドマップの看板があります。というのも、ここから密岩神社はもちろんのこと、潜龍院跡も徒歩で行けるのです。またハイキングを目的としてなら、さまざまな見所も確認出来ます。真直ぐ進むと潜龍院跡へ。左折すると...密岩神社(群馬県)

  • 田丸城(三重県)

    【田丸城】たまるじょう【別名】玉丸城【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】1336年(延元元年)【指定史跡】県指定史跡【場所】度会郡玉城町田丸地図【スタンプ設置場所】玉城町教育委員会窓口(村山龍平記念館内)【御城印】玉城町教育委員会窓口(村山龍平記念館内)伊勢参宮本街道と熊野街道の分岐点で、伊勢交通の要衝として栄えていました。織田信長の伊勢侵攻により、伊勢北畠氏の田丸城は織田家の嫡男が送り込まれました。その後信長の二男信雄が田丸城の大改修を行い、三重の天守を築きました。しかし、天守が放火で焼失すると信雄は松ヶ島城を築いて移り田丸城は次々と城主が変わり、1619年(元和5年)徳川紀州藩が成立すると久野氏の居城として幕末まで続きました。二の丸南東部の外堀四周を水堀が巡り、北側は二重堀になっていた堀は多くが埋め立て...田丸城(三重県)

  • 猿ヶ京関所(群馬県)

    【猿ヶ京関所】さるがきょうせきしょ【別名】-【街道名】三国街道【設置】1631年(寛永8年)【廃止】1869年(明治2年)【指定史跡】県指定史跡【場所】群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉地図三国街道は、佐渡街道とも呼ばれ五街道に次ぐ重要な街道のひとつです。江戸と佐渡の連絡路にある越後諸大名の参勤交代や旅人の往来、諸物資の輸送等、交通が頻繁になったことで関所を設けるようになりました。最初は真田氏が支配していましたが、改易になると公領支配となり、後に高野・片野・木村・戸部の四氏が代々関守を務めていました。明治2年正月、明治政府の関所廃止が発令されると猿ヶ京関所も廃止されました。駐車場駐車場は無料で関所資料館の隣と裏にあります。冠木門駐車場脇からも出入り出来ますが、まずは正面の冠木門をくぐって入ります。冠木門の脇に、なにやら...猿ヶ京関所(群馬県)

  • 特別編(準1級・2級・3級)【3】

    🏯織田信長は、安土城を書かせた屏風を天正遣欧使節の手によってバチカンに贈りました。この屏風を受け取ったローマ教皇は誰でしょうか。解説へ①ヨハネ・パウロ1世②レオ10世③グレゴリウス13世④ウルバヌス2世🏯信長から安土城築城の総責任者である惣奉行に任命された家臣は誰でしょうか。解説へ①中川重政②柴田勝家③佐久間信盛④丹羽長秀🏯1576年(天正4年)に安土城を築いた織田信長は、城として初めて5重7階の豪壮な建造物を建てました。この高層建造物は信長の一代記「信長公記」には何と書かれているでしょうか。解説へ①殿守②殿主③天守④天主🏯安土城の大手道にみられるような一直線の石段は、安土城以前の信長の城にその原形が見られています。その城とはいったいどこでしょうか。解説へ①勝幡城②清須城③小牧山城④岐阜城🏯江戸時代の軍学者し、...特別編(準1級・2級・3級)【3】

  • 御城印

    北海道・東北地方北海道✿五稜郭✿勝山館✿洲崎館✿花沢館青森県✿弘前城✿根城✿浪岡城✿種里城✿堀越城✿三戸城✿七戸城✿聖寿寺館岩手県✿✿盛岡城✿九戸城✿鍋倉城✿花巻城✿久慈城宮城県✿仙台城✿白石城✿角田城✿金山城✿船岡城✿岩切城✿若林城✿北目城✿岩出山城✿佐沼城✿涌谷城✿亘理城秋田県✿久保田城✿横手城✿雄勝城✿しなの館✿臼館✿影平館✿椛山館✿館堀城✿桐木田城✿小野城✿松根城✿上の宿館✿浅萩館✿草井崎城✿男鹿崎館✿中屋敷館✿湯沢城✿堂ケ沢館✿八口内城✿八幡林館✿平城館✿法領館✿矢倉館✿瘤沢館山形県✿山形城✿鶴ヶ岡城✿米沢城✿高畠城✿長谷堂城✿畑谷城✿上山城✿館山城福島県✿会津若松城✿白河小峰城✿二本松城✿向羽黒山城✿三春城✿飯野平城✿磐城平城✿神指城✿桑折西山城✿須賀川城✿長沼城✿三芦城✿相馬中村城✿赤館✿猪苗代城...御城印

  • 桑名城(三重県)

    【桑名城】くわなじょう【別名】東城・扇城・旭城・九華城【構造】平城【築城者】桑名行綱【築城年代】1186年(文治2年)【指定史跡】県指定史跡【場所】三重県桑名市吉之丸地図桑名城は、京と江戸を結ぶ東海道の海路です。「七里の渡し」に隣接し、港町として栄えていました。関ヶ原の戦いの翌年に本多忠勝が城主となり桑名城を築きました。桑名城最後の藩主、松平定敬は会津藩主松平容保の実の弟だったために戊辰戦争後に、城は新政府軍により徹底的に破壊されました。駐車場三の丸にある九華公園の無料駐車場にやって来ました。本多忠勝像九華公園駐車場の西側にある本多忠勝像です。北大手門前にどっしりと座っているこの本多忠勝像は、立坂神社所蔵の画像がモデルだそうです。案内看板西側に回り、大手にやってきました。水堀の前には大きな案内看板があり、縄張絵...桑名城(三重県)

  • 万木城(千葉県)

    【万木城】まんぎじょう【別名】万喜城・満喜城・富山城・万騎城【構造】山城【築城者】土岐氏【築城年代】天文年間【指定史跡】-【場所】千葉県いすみ市万木834地図万木城は、1412年(応永19年)土岐時政が摂津国富山城からこの地に移り築城したと伝わりますが、定かではありません。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅亡すると徳川家康の重臣である本多忠勝が入城しましたが、忠勝の大多喜城入城に伴い万木城は廃城となりました。城址公園駐車場麓の区民センター前に広い城址公園の駐車場があります。大手口なのでここから歩いても良いのですが、やはりできるだけ近くまで車で行きたいので私はまだ先まで車で行きたいと思います。万木城址公園入口この入口にある石碑も気になるところですが、とりあえず先を急ぎます。石碑こんな石...万木城(千葉県)

  • 鳥羽城(三重県)

    【鳥羽城】とばじょう【別名】鳥羽の浮城・錦城・二色城【構造】海城【築城者】九鬼嘉隆【築城年代】1594年(文禄3年)【指定史跡】県指定史跡【場所】三重県鳥羽市鳥羽3-4地図【城郭検定】出題あり鳥羽城は、1594年(文禄3年)九鬼嘉隆が築城し、以後九鬼水軍の本拠地となりました。関ヶ原の戦いでは、息子の守隆は東軍につき、嘉隆は西軍についたため、守隆が父の助命を願い出て許されたたが、家臣の間違った命令が原因で嘉隆は答志島で自害しました。その後たびたび城主が交代しましたが最後は稲垣昭賢が入国し、明治維新を迎えることとなりました。三の丸麓にある三の丸は、城の玄関口として整備されました。岐阜県の岩村城を思い出させる段状の石垣。苗木城主の遠山氏の影響か?などと勝手な想像をしてみたりして鳥羽水族館から見えるこの部分が、とても気...鳥羽城(三重県)

  • 問題と解説(河後森城)

    問題と解説河後森城✤特別編✤🏯土佐との国境を警備するために築かれた城はどれでしょうか。①大洲城②河後森城③川之江(仏殿)城④湯築城【公式】日本城郭検定過去問題集―2級・3級・4級編―日本城郭協会学研プラス問題と解説(河後森城)

  • 伊勢亀山城(三重県)

    【伊勢亀山城】いせかめやまじょう【別名】近世亀山城・亀山新城・粉蝶城・姫垣城【構造】平山城【築城者】岡本宗憲【築城年代】1590年(天正18年)【指定史跡】県指定史跡【場所】亀山市本丸町地図【城郭検定】出題あり亀山城は、若山城の東に岡本宗憲が新たに築城した戦国期から続いた城です。江戸時代初頭には上洛する将軍などの休憩所として本丸御殿が使用されており、寛永11年には徳川家光の上洛前に大規模な整備が行われています。その後、明治6年の廃城令によって城内のほとんどの建物は取り壊され、堀も埋め立てられてしまいました。現在は石垣の一部と多門櫓を残すのみとなっています。駐車場以前訪れた時は本丸の多門櫓前に停められたのですが、そこは駐車出来る数が少ないので今回は駐車場として案内されている西出丸の駐車場へやって来ました。西出丸跡...伊勢亀山城(三重県)

  • 伊勢長島城(三重県)

    【伊勢長島城】いせながしまじょう【別名】長島城・松箇島城【構造】平城【築城者】藤原道家【築城年代】1245年(寛元3年)【指定史跡】-【場所】三重県桑名市長島町西外面地図【城郭検定】出題あり長島城は、文明年間(一四六九~八七)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと言われています。長島一向一揆の時には織田信長の攻撃を受け、天正二年(一五七四)に包囲され敗れました。長島城跡は現在長島中部小学校と中学校の敷地になっています。案内看板案内看板のある道路向い側に駐車場もあります。長島城は明治5年の廃城後、伊勢暴動で焼失し、堀も徐々に埋め立てられました。多くの建物が焼失した中、残った奥書院の居間は深行寺本堂に移築され、大手門は蓮生寺表門となり現存しています。長島の大松そして、本丸の南西隅にあっ...伊勢長島城(三重県)

  • 上津部田城(三重県)

    【上津部田城】こうづべたじょう【別名】御城屋敷【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】市指定史跡【場所】三重県津市一身田上津部田地図上津部田城は、いつ、誰が築城したのか分かっていません。この付近には御城屋敷が三ヶ所あったとされ、そのうちのひとつではないかと推定されています。三ヶ所ある御城屋敷のうち、判明しているのがこの地から東に500mほど離れた場所にある峯治城です。駐車場上津部田城へのアクセスはいくつか選択肢があるのですが、道路の下から攻めるか上から攻めるかというところで、私は上から攻めてみようと、三重県総合文化センターのA-1の駐車場へやって来ました。堀駐車場から堀切を覗き込んでいます。大きな堀を挟んで、茂みの側が主郭になります。三重県総合文化センターの裏を遊歩道の方(三の郭)へ抜けて行きま...上津部田城(三重県)

  • 若山城(三重県)

    【若山城】わかやまじょう【別名】亀山古城・丹陵城・粉蝶城【構造】平山城【築城者】関実忠【築城年代】1265年(文永2年)【指定史跡】-【場所】三重県亀山市若山町地図若山城は、亀山城の前身であり、関氏歴代の居城でした。しかし、1573年(天正元年)織田信長により関父子は若山城を追放され信長の子である神部信孝に与えられました。1583年(天正11年)羽柴秀吉が攻城した際、秀吉側に付いた関氏が再び若松城の城主となりました。その後、関氏は陸奥の白河城へと移されると、岡本良勝が入城するが1590年(天正18年)新たに亀山城を築き、若山城は廃城となりました。城址石柱若山城南側の交差点に城址碑が立っています。ふと足元を見ると、マンホールの蓋が亀山城の本丸石垣と東南隅櫓ではないか!あやうく踏みそうになって、反射的に避けてました...若山城(三重県)

  • 玉城グスク(沖縄県)

    【玉城グスク】たまぐすく【別名】玉城城・アマツヅ城・アマツズグスク【構造】山城【築城者】祖神アマミキヨの子孫か【築城年代】12世紀末~13世紀【指定史跡】国指定史跡【場所】沖縄県南城市玉城444地図【城郭検定】出題あり未登城の城【公式】日本城郭検定過去問題集―2級・3級・4級編―公益財団法人日本城郭協会学研プラス玉城グスク(沖縄県)

  • 船江城(三重県)

    【船江城】ふなえじょう【別名】-【構造】平城【築城者】本田氏【築城年代】1415年(応永22年)【指定史跡】-【場所】三重県松阪市船江町549地図船江城は、参宮街道沿いの浄泉寺あたりにありました。北畠氏が応永年間に挙兵した際に、「船江城軍は強固で、屈強の軍兵であるので城を抜くことは容易ではないから、迂回作戦をとり、山際を通ってまず阿坂城を攻めることとした」という記述を「勢州軍記」に載せています。現在遺構は残っていませんが、境内に沿った用水路が堀の名残ではないかと思われています。駐車場浄泉寺東側に隣接する参拝者の駐車場をお借りして参拝しながら散策です。東側から境内に入るととても近いですが、山門からお入り下さいと書いてあるので南側へ回って山門から入りましょう。山門山門から入る理由として、山門は三門(東西南)で知恵門...船江城(三重県)

  • 西尾城(愛知県)

    【西尾城】にしおじょう【別名】鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城【構造】平山城【築城者】足利義氏【築城年代】1221年(承久3年)【指定史跡】市指定史跡【場所】愛知県西尾市錦城町231-1地図西尾城は、1221年に起った承久の乱の戦功により三河国守護に任じられた足利義氏が築いたと伝わる城です。やがて義氏の子孫が吉良を名乗るようになり、吉良荘と呼ばれる西尾地区を統治することとなりました。西尾城の特色として、天守は本丸ではなく二の丸にあり、城下を堀で囲む総構えで城下町と結ぶ主要個所に五つの門を設けていました。駐車場二之丸丑寅櫓、同櫓と天守台を結ぶ土塀の復元が完成した二の丸駐車場に車を置いて、いざさんぽです!天守台まずは外側から眺めてみます。綺麗に石垣が積まれた部分が天守があったという天守台を復元したものです。綺麗に隙間な...西尾城(愛知県)

  • 渋見城(三重県)

    【渋見城】しぶみじょう【別名】渋見砦【構造】山城【築城者】乙部藤政【築城年代】1558~70年(永禄年間)【指定史跡】市指定史跡【場所】三重県津市渋見町城地図渋見城は、織田信長の伊勢侵攻に対し築城されました。1570年(永禄13年)織田信長の弟信包に攻められ、城は落城しました。藤政は家所へ逃れ自殺したとも、織田軍に加わったとも、寺に入ったとも諸説ありますが、詳細は不明です。公園北側出入口住宅団地造成され、現在は渋見砦跡公園になっています。周囲に駐車場は無いので通行の邪魔にならないよう端に寄せて素早く散策しました。この日はあいにくの雨で、誰もいません。もともと乙部氏の乙部城は平地にあったため、信長の伊勢侵攻に対し戦略上不利なため山地の渋見に場所を移し築城したと言われています。ちなみに、城址碑の前には海抜110mの...渋見城(三重県)

  • 津城(三重県)

    【津城】つじょう【別名】安濃津城【構造】平城【築城者】細野藤敦【築城年代】1558年~1570年(永禄年間)【指定史跡】県指定史跡【場所】津市丸之内地図【スタンプ設置場所】高山神社社務所(9:00~16:00)【城郭検定】出題あり織田信包(信長の弟)が1580年(天正8年)に津城を創築。その後、藤堂高虎公が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、1611年(慶長16年)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直しその東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れ低湿地ながら防御には堅固な城でした。平成25年5月3日登城令和2年7月24日再登城続日本100名城公式ガイドブック(歴史群像シリーズ特別編集)公益財団法人日本城郭協会学研プラス津城(三重県)

  • 美濃金山城(岐阜県)

    【美濃金山城】みのかなやまじょう【別名】兼山城・鳥峰城・鳥ヶ峰城【構造】山城【築城者】斎藤政義【築城年代】1537年(天文6年)【指定史跡】国指定史跡【場所】可児市兼山字古城山1418番211地図【スタンプ設置場所】可児市観光交流館(8:30~22:00、12月28日~1月4日休業)美濃金山城は、斎藤政義が烏峰城を築きました。織田信長の家臣である森可成が城主となって、烏峰城から金山城と名前を変えています。鬼武蔵と呼ばれる森長可も城主を務め、信長の信頼も厚く金山城に訪れることもありました。森乱丸の生まれたが金山城で、安土城で信長から多くのことを学び、本能寺の変で信長とともに亡くなっています。駐車場道路終点は出丸にある駐車場です。ここまで車で来られると、かなり体力の負担は軽減されます。出丸ここを見ただけでは、石垣造...美濃金山城(岐阜県)

  • 明智城(岐阜県)

    【明智城】あけちじょう【別名】長山城【構造】山城【築城者】土岐頼兼【築城年代】1342年(康永元年)【指定史跡】市指定史跡【場所】岐阜県可児市瀬田長山地図土岐頼兼が明智氏を名乗り、1342年(康永元年)に長山城を築きました。以来200年余り代々居城しましたが、明智光秀の叔父である光安が城主の時に斎藤道三の子である斎藤義龍の攻撃を受けて落城しました。諸説ありますが、明智光秀はこの地に誕生し、約30年間を過ごしたと伝えられています。花フェスタ公園明智城の周辺には駐車場がなく、駐車は大河ドラマ館のある花フェスタ公園の駐車場を利用することになります。ちなみにここは本丸に近い団地側の入口です。パンフレットもこちらで入手できます。※団地内に駐車する場所はありません。二の曲輪まずは、二の曲輪に到着です。ここには休憩所とトイレ...明智城(岐阜県)

  • 特別編(準1級・2級・3級)【2】

    🏯小田原北条氏初代の北条早雲(伊勢盛時)が、伊豆討ち入り後に居城としたのはどれでしょうか。解説へ①韮山城②興国寺城③小田原城④下田城🏯寒狭川と宇連川の合流点で断崖の上に築かれた城で、武田勝頼と織田・徳川連合軍の戦いの舞台となった三河の城はどれでしょうか。解説へ①高天神城②田中城③野田城④長篠城🏯豊臣秀吉による小田原攻めの時、豊臣方の石田三成の水攻めに耐えた城はどこでしょうか。解説へ①太田城②忍城③川越城④岩槻城🏯豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、陣城として築いたのはどれでしょうか。解説へ①福岡城②名護屋城③平戸城④唐津城🏯関ケ原の戦い後、各地で近世城郭が築かれました。これを俗になんと呼んでいるでしょうか。解説へ①元和の築城ラッシュ②慶長の築城ラッシュ③文禄の築城ラッシュ④天正の築城ラッシュ🏯関ケ原の戦いで西軍について敗...特別編(準1級・2級・3級)【2】

  • 郷原城(群馬県)

    【郷原城】ごうばらじょう【別名】-【構造】山城【築城者】真田昌幸【築城年代】1582年(天正10年)頃【指定史跡】-【場所】群馬県東吾妻町大字郷原地図郷原城は、1992年に吾妻町教育委員会が測量調査時に発見されたました。真田昌幸が武田勝頼を潜龍院へ迎えようとした際に、潜龍院と共に岩櫃城の出城として築城されたものと思われます。他にも、物見や真田道の関所としての役割をしていたという説もあります。潜龍院織田・徳川連合軍による甲州征伐時、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために3日間で建てたといわれる館城で、古谷御殿と呼ばれていました。しかし、武田勝頼は古谷御殿には入ることなく、天目山で自害してしまいました。この潜龍院跡から郷原城への搦手道が続いています。搦手道実は、今回郷原城へ行く計画はしておらず、目的は潜龍院さんぽだったの...郷原城(群馬県)

  • 十王山烽火台(群馬県)

    【十王山烽火台】じゅうおうざんのろしだい【別名】-【構造】山城【築城者】富岡氏?【築城年代】不明【指定史跡】-【場所】富岡市下黒岩136地図富岡城は下野国の結城氏が敗戦し富岡で富岡氏を称し隠れていた城ではないかと伝えられています。富岡氏は後に邑楽郡大泉町の小泉城へ移ったと伝わります。十王山烽火台は、その富岡城の物見台であったと考えられています。十王山烽火台北側下の畑です。車で来る場合は北側の車道か、ここから北東400mにある富岡城方面からの車道になりますが、車道はとても狭く、すれ違いは困難な道です。十王山ここは、富岡市街地を一望出来る公園となっています。南側の麓から登山道がありかなりきつい道のりですが、遊歩道になっているのでここが市街地からの正規の十王山登山道となり、この場所に至ります。烽火台尾根の東端にある円...十王山烽火台(群馬県)

  • 山田城(群馬県)

    【山田城】やまだじょう【別名】古城【構造】山城【築城者】山田氏【築城年代】不明【指定史跡】町指定史跡【場所】群馬県中之条町大字山田743地図山田城は、岩櫃城と尾根続きであることから、岩櫃城の鬼門に配された重要な支城であったと思われます。背後の山中にある高野平城とは別郭であるとの説もあり関係性が気になるところですが、詳しいことは判明に至らず古城と呼ばれる理由も明らかにはなっていません。吾妻神社山田城へ行く間に吾妻神社があります。ここがひとつのポイント地点となるのですが、せっかくなので寄り道してみました。山門外から見ても立派な神門と社殿が見えます。近年になってからの改修で、屋根の葺き替えや採色などされています。拝殿現在の社殿は1750年頃(宝暦年間)に造営されたもので、以前は上妻神社と呼ばれていましたが、1880年...山田城(群馬県)

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