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むぎの城さんぽ https://blog.goo.ne.jp/mugiide

日本百名城や史跡・城郭めぐりの旅の記録と日本城郭検定の問題でお城の勉強をしよう!という日記です。

日本城郭検定準1級〈武者返級〉合格。1級合格目指しブログを通して予習復習しながら勉強中。

むぎ
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2016/02/20

1件〜100件

  • 立川氏館(東京都)

    【立川氏館】たちかわしやかた【別名】立川城・立河氏館【構造】平城【築城者】立河宗恒【築城年代】鎌倉時代【指定史跡】都指定史跡【場所】東京都立川市柴崎町4‐20‐46地図立川氏館は、武蔵七党西党日奉氏の支族である立川氏の居館です。鎌倉時代に居館の中に寺を建立し、その後現在の普済寺となっています。中世以降は小田原北条氏に仕え、後北条氏が滅亡すると水戸藩徳川家へ仕官し常陸国へと移って行ったとされています。普済寺入口随分新しい立派なお寺が見えたと思いきや、1995年(平成7年)に火災で焼失してしまったため、本堂など新たに建て替えています。閻魔堂山門立派な山門があります。この山門は火災を逃れたもので江戸時代からの現存のようです。木像この日、門の上の扉が開いており、顔を覗かせていた木像は聖徳太子とのこと。堀跡この橋の...立川氏館(東京都)

  • 稲庭城(秋田県)

    【稲庭城】いなにわじょう【別名】早坂館・鶴ヶ城・貝館【構造】山城【築城者】小野寺重道【築城年代】1193年(建久4年)【指定史跡】ー【場所】秋田県湯沢市稲庭町梺地図稲庭城は、下総国出身の小野寺氏の本拠地で、源頼朝に戦の褒美としてこの地を賜りました。1600年(慶長5年)山形の最上義光の3千の兵に攻められ、自ら稲庭城に火をかけて背後の山から横手城逃れるも、関ヶ原の戦いで上杉景勝軍(西軍)に加勢したことで改易となり、石見国津和野へお預けの身になり稲庭城は廃城となりました。現在、二ノ丸に建つ稲庭のシンボル模擬天守は観光スポットとして建てられスロープカーが運航し、難儀することなく二の丸まで運んでくれます。稲庭城址入口国道398号線を走っていると稲庭城址入口が見えて来ました。ここからが本来の登城口と思われますが、こ...稲庭城(秋田県)

  • 名護屋城(佐賀県)

    【名護屋城】なごやじょう【別名】―【構造】平山城【築城者】豊臣秀吉【築城年代】1592年(天正20年)【指定史跡】国指定史跡【場所】唐津市鎮西町名護屋地図【スタンプ設置場所】佐賀県立名護屋城博物館【御城印】佐賀県立名護屋城博物館【攻城団チラシ】鎮西町観光案内所・唐津駅観光案内所豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に拠点として築いたのが名護屋城です。当時の大坂城に次ぐ規模ながら、たった5ヶ月で築城し、全国の大名の陣が周辺に置かれました。150以上とも云われる大名の陣には20万人もの人口で城下町が構成され大変賑わいました。1592年(文禄元年)の朝鮮侵攻から秀吉の病死により撤退するまでの7年間戦いは続き、名護屋城の役割を終えると、名古屋城は取り壊し、唐津城の資材となりました。駐車場一番近い、信号名「大手門...名護屋城(佐賀県)

  • 近世念珠ヶ関址(山形県)

    【近世念珠ヶ関址】きんせねずがせきし【街道名】羽州浜街道【設置年代】1596年〜1615年(慶長年間)【廃止年代】1872年(明治5年)【指定史跡】市指定史跡【場所】山形県鶴岡市鼠ヶ関地図鼠ヶ関には二つの関所址があり、ここ近世念珠ヶ関址と南へ約1キロの県境に古代鼠ヶ関址と呼ばれる関所址があります。古代鼠ヶ関は、勿来関、白河関と並ぶ奥州三大関所のひとつとされていました。そして古代鼠ヶ関と区別するようにこの地には近世念珠ヶ関址が江戸時代に存在していました。この番所は沖を通る船の監視や港に入る船の取り締まりも行っていました。国道7号線を新潟方面から山形方面へと向かっていると、石碑と看板が目に留まりました。ストップ!戻れ~!と足軽ドライバーに命令、確認しに車を降りる。どうやらここは関所跡のようなので、止められたよ...近世念珠ヶ関址(山形県)

  • 鞠智城(熊本県)

    【鞠智城】きくちじょう【別名】久々知の城【構造】朝鮮式山城【築城者】ヤマト政権【築城年代】7世紀後半【指定史跡】国指定史跡【場所】山鹿市菊鹿町米原地図【スタンプ設置場所】歴史公園鞠智城・温故創生館鞠智城は、1350年前にヤマト政権が築いた城で、白村江の戦いで敗れた際、唐や新羅の侵攻に備えて築かれた日本書紀などに記された重要な拠点であると考えられています。九州を統治していた大宰府を守るために、大野城や基肄城に武器や食料を送る拠点として機能していました。歴史公園入口八角形の建物が見えて来るのですぐにわかると思います。駐車場無料の駐車場もあるのでゆっくり見学出来ます。…が、すでに夕暮れ時です。急がなくては続100名城のスタンプが押せません💦温故創生館到着した時にはすでに17を過ぎてしまっていました。9:30~1...鞠智城(熊本県)

  • 六郷城(秋田県)

    【六郷城】ろくごうじょう【別名】ー【構造】平城【築城者】六郷道行【築城年代】1558年~1569年(永禄年間)【指定史跡】町指定史跡【場所】秋田県仙北郡美郷町六郷地図六郷城は、六郷氏が永禄年間に築いて本拠地とした城です。関ケ原の戦いの後、徳川家康によって常陸へと国替えを命じられました。その後慶長7年佐竹義重が居城し、一国一城令により廃城となりました。六郷は六郷氏、佐竹氏両名によって城下町が形成されました。田岡神社田岡神社の周囲にはあちこちに標柱があります。神社があるということは、とりあえず城の中心部はここか!と攻めてみる。主郭神社の奥には立派な石碑があります。佐竹義重没後300年を記念して建てられた通庵佐竹公館阯碑です。二の丸跡本丸より東側にあるのが二の丸で、こちらも標柱があります。内濠跡交差点で信号待ち...六郷城(秋田県)

  • 富岡城(群馬県)

    【富岡城】とみおかじょう【別名】城山【構造】山城【築城者】富岡氏【築城年代】戦国期【指定史跡】ー【場所】群馬県富岡市上高尾地図【御城印】あり富岡城は丘陵頂部の斜面に盛り土して造成され、縦堀と横堀が配された戦国期の城郭です。高田川側からは急崖で、かつては西と北東に堀切があったとされますが簡単な造りであったことから現在は確認することが難しく現代の改変により原形はみられない。県道より西側にある城山公園にある十王山の砦がこの城の烽火台であったのではないかと考えられています。県道10号線から東に入ると、そこから更に南に入ります。入口軽自動車でも両サイド小枝で擦る状態ですが、とりあえず鉄塔までは車で突き進むことが出来ます。鉄塔先ず目標としていた鉄塔までやって来ました。道はまだ続いてますが、ひとまず車で入って来れるのは...富岡城(群馬県)

  • 広島城(広島県)

    【広島城】ひろしまじょう【別名】鯉城・在間城【構造】平城【築城者】毛利輝元【築城年代】1589年(天正17年)【指定史跡】国指定史跡【場所】広島市中区基町地図【スタンプ設置場所】1層ミュージアムショップ(休館日12/29~1/3)【城郭検定】出題あり広島城は、吉田郡山城を本拠としていた毛利輝元が1589年(天正17年)に築城を始め、築城前に訪れた豊臣秀吉の聚楽第に感銘し、参考にして本丸御殿が建てられました。天守、御殿の他に櫓88基、門10基、外観は下見板張に漆喰塗で統一された築城当初から大規模な築城がなされていました。築城中に豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われ、この時名護屋城へ向かう秀吉が広島城へ立ち寄ったと伝わります。毛利氏が築き、福島氏、浅野氏と大大名に継がれ、浅野氏は12代(250年)続き、明治維新を迎...広島城(広島県)

  • 天神山城(福島県)

    【天神山城】てんじんやまじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】戦国時代末期【指定史跡】ー【場所】福島県双葉郡楢葉町北田天神地図天神山城は、岩城氏と相馬氏との間で激しい戦闘が行われた境目の地域に築かれた城館です。木戸川の急崖と太平洋の急崖の自然の要害を利用し、守りを強固にしています。築城時期は不明ながら縄張りの特徴から戦国時代末期と思われ、楢葉城と連動させるために築かれたのではと考えられ、当時楢葉城を預かっていた猪狩氏による築城も考えられますが定かではありません。北田天満宮北田天満宮のあるこの場所が主郭となります。虎口これより先が二の郭になります。案内看板二の郭に入ってすぐに看板があるので、ここで縄張図の確認をしました。外郭まで合わせると、かなりの広さがあります。二ノ郭しっかり土塁で四方を...天神山城(福島県)

  • 大桑城(愛知県)

    【大桑城】おおくわじょう【別名】ー【構造】山城【築城者】河合弥十郎【築城年代】1571年(元亀2年)【指定史跡】市指定史跡【場所】愛知県豊田市大桑町地図大桑城は、大桑村一帯を治めていた豪族である河合弥十郎が築いた城と伝わります。この城をめぐる戦が多く、織田、徳川、今川、武田と三河では勢力争いが激しくなる中1575年(天正3年)武田勢率いる軍が足助城・大沼城・田城城など、周辺の城を次々と攻め落とし、この時作手方面の要所として大桑城を抑える為にこの城も武田軍に攻め落とされてしまったものと思われます。駐車場登城口には一般登城者向けに駐車場が設けられています。登城口ここから登って行くのですが、奇麗な遊歩道になっています。案内看板そして、登り口には案内看板が設置されています。①の看板は大桑城です。他の城跡にもこの看...大桑城(愛知県)

  • 勝間田城(静岡県)

    【勝間田城】かつまたじょう【別名】ー【構造】山城【築城者】勝間田氏【築城年代】15世紀中頃【指定史跡】県指定史跡【場所】静岡県牧之原市勝田2160ー1地図勝間田城は、牧之原市にある勝間田川流域の勝間田荘を治めていた一族で、今川氏と対立の関係にありました。1476年(文明8年)横地氏と共に今川義忠に対抗しましたが、勝間田城、横地城共に落城してしまいました。勝間田氏は、後に甲斐の武田氏に仕えています。駐車場麓にある駐車場。ここから舗装された道路を歩いて登ります。(上には駐車場がありません)駐車場向いの小屋には案内看板とパンフレット、御城印の案内が掲げられています。ここでまずパンフレットを入手して概要図を見ながらスタート!出郭手前で車両通行止めが置いてありました。が、目の前を1台の軽トラが通行止めの看板を横にど...勝間田城(静岡県)

  • 柏の城(埼玉県)

    【柏の城】かしわのしろ【別名】柏城・志木館・引又館【構造】平山城【築城者】大石顕重【築城年代】1590年(天正18年)【指定史跡】ー【場所】埼玉県志木市柏町3地図柏の城は、関東管領山内上杉家の重臣である大石氏一族の居城と伝わります。また、このあたりは在原業平の御座所として設けられた館の跡地とも伝えられています。現在ある小学校の敷地が本丸と二の曲輪跡で、長勝院のある場所が西の曲輪、南側に三の丸、その外側に大堀、大手と構築されていました。本丸跡奥に見える小学校、手前が二の曲輪、その奥の校地中央あたりが本丸となります。市道を挟んで小学校の向い側が三の曲輪になっています。大堀跡の看板があったので、そちらに行って見たいと思います。三の曲輪三の曲輪の中に通り抜け?の小道があります。見ていると、結構この小道の利用者多い...柏の城(埼玉県)

  • 岩国城(山口県)

    【岩国城】いわくにじょう【別名】横山城【構造】山城【築城者】吉川広家【築城年代】1601年(慶長6年)【指定史跡】―【場所】岩国市横山2-6-51地図【スタンプ設置場所】岩国城受付窓口(ロープウェイ運休日は休館)【スタンプ設置場所】出題あり関ヶ原の戦いの後、戦いに敗れた毛利輝元は石高を減らされ国替えとなり、毛利氏に仕える吉川広家も石高を減らされて月山富田城から岩国に移って来ました。横山山麓に居館を構え、有事の備えに5年の歳月をかけて山頂にも城を築いています。しかし、その後たった7年で「一国一城令」により山頂部の城は破壊されてしまいました。現在は昭和37年に本来の位置から30mずらして復興天守が建設され、錦帯橋と共に天守を望む景色が定番の撮影スポットとして有名になっています。錦帯橋錦帯橋は大正11年3月8日...岩国城(山口県)

  • 天神城(群馬県)

    【天神城】てんじんじょう【別名】ー【構造】崖端【築城者】沼田顕泰【築城年代】1557年(弘治3年)【指定史跡】ー【場所】群馬県利根郡川場村天神地図【御城印】あり沼田城主沼田顕泰が三男朝憲に家督を譲り、末子平八郎を連れて1557年(弘治3年)に隠居城として築城された天神城へ移ったと伝わります。しかし、顕泰(長尾派)の嫡子である朝憲(北条派)を殺害したことで対立し、川場合戦が勃発。多勢に無勢で顕泰は平八郎を連れて会津の蘆名氏を頼り落ちて行きました。会津に落ちた顕泰は、その後長尾景虎を頼りに越後へ移り沼田城を奪還し再び沼田城主として入城しています。富士山横塚線を走っていると天神地区に入ったところで城址への案内の矢印看板を発見!某マップではここで曲がれと言ってくれないので駐車場へは案内してもらえず本丸下で行き止まってし...天神城(群馬県)

  • 古谷館(群馬県)

    【小谷館】こややかた【別名】潜龍院館・郷原御殿【構造】館【築城者】真田昌幸【築城年代】1582年(天正10年)【指定史跡】ー【場所】群馬県東吾妻町大字郷原923地図天正10年に織田・徳川連合軍に攻められた甲斐の武田勝頼は、武田家の再挙を図ろうと真田昌幸が岩櫃城へ招き入れ、麓のこの地に御殿を築きました。しかし、勝頼は天目山で自刃してこの地に来ることありませんでした。その後、勝頼のために築かれた御殿は祢津潜龍斎昌月に与えられ山伏寺は「潜龍院」とされました。古谷古谷登山口駐車場を利用して潜龍院へ向かっていざ、出陣!近くには古谷登山口トイレも完備されていて、そこにはパンフレットも用意されています。左手には密岩神社があります。看板に従って民家の間の道を進みます。看板や矢印を見ながら行けば、迷うことなく行くことが出来ます。...古谷館(群馬県)

  • 棚草城(静岡県)

    【棚草城】たなくさじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】朝比奈氏【築城年代】室町時代【指定史跡】ー【場所】静岡県菊川市棚草殿ノ谷地図棚草城は、今川氏の家臣である朝比奈氏の関係城であったと考えられますが詳しいことは分かっていません。雲林寺のあった三の郭にある今川氏宮には今川氏真と朝比奈孫十郎が祀られています。虎口三の郭の入り口です。三の郭には現代まで牧野氏が管理されていた雲林寺がありました。ここから上の本城山にある茶畑が主郭となります。今川さま小屋の右手には牧野氏献納したという石仏が祀られています。左手には今川さまと朝比奈孫十郎が祀られているようです。お稲荷様に守られているのが、今川氏らしい。雲林寺跡雲林寺の本堂があった場所です。現在はこのように建物は無くなっています。こちら側からも上に登れそうだったのですが、...棚草城(静岡県)

  • 厚木とん漬け(神奈川県)

    厚木とん漬けの歴史江戸時代の末期、荻野山中藩(現在の厚木市近辺)で人寄せがありました。しかし、思いのほか集まった客人が多く料理が不足してしまったのです。何とかならないかと思案した結果、猪の肉に味噌を塗ったものを出すことにしました。ところが、当時の武士は四ッ足の肉(牛や豚、馬や猪、鹿や兎など四本足の動物)を食べる事を嫌っていました。そこで、何の肉か分からぬよう味噌を塗ったまま焼き、それを膳に添えたところ意外にも美味いと評判になりました。これが「とん漬」の始まりと言われています。主人のお友達(ラリーとお城好き)のKさんから頂いたのですが、肉が柔らかく味がしっかりしていてご飯が何杯でもいけちゃう危険な御馳走を知ってしまいました✨焼いた写真撮るのも忘れて食べてしまいました(^^;これはリピートしてしまいます。ありがとう...厚木とん漬け(神奈川県)

  • 唐津城(佐賀県)

    【唐津城】からつじょう【別名】舞鶴城【構造】平山城【築城者】寺沢広高【築城年代】1602年(慶長7年)【指定史跡】―【場所】唐津市東城内8-1地図【スタンプ設置場所】唐津城天守閣1階【御城印】唐津城天守閣1階唐津城は、豊臣秀吉の側近であった寺沢広高が1602年(慶長7年)に名護屋城の解体資材を使用して7年かけて築いた平山城です。本丸には天守、二の丸には藩主の住居と藩庁があり、三ノ丸には藩士が住み外曲輪には町人が住み、町奉行所が置かれていました。廃藩置県によって廃城となった後は舞鶴公園となり、市民の憩いの場となっています。地下道市営駐車場から地下道を通って登城口へ向かいます。地下道の中のは地下通路ギャラリーになっていて、つい足を止めて見入ってしまいます。登城口このあたりはにゃんこがお出迎えしてくれます。案内看板東...唐津城(佐賀県)

  • 福山城(広島県)

    【福山城】ふくやまじょう【別名】久松城【構造】平山城【築城者】水野勝成【築城年代】1619年(元和5年)【指定史跡】国指定史跡国重要文化財【場所】福山市丸之内1-8地図【スタンプ設置場所】福山城天守閣内【御城印】福山城博物館天守閣受付(管理事務所)【城郭検定】出題あり1619年(元和5年)水野勝成が領主となり、武家諸法度後に1622年(元和8年)福山城が築城されました。明治6年、廃城になると天守、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除きほとんどが取り壊しとなりました。更に昭和20年の戦災により天守と御湯殿が焼失ししてしまい、焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は現在、国の重要文化財に指定されています。広島県立歴史博物館の有料駐車場を利用して城さんぽ開始です!正面には現在耐震工事中の足場の組まれた天守が見えます。案内看板天守へと続...福山城(広島県)

  • 敏満寺城(滋賀県)

    【敏満寺城】びんまんじじょう【別名】敏満寺遺跡【構造】平山城【築城者】佐々木氏【築城年代】室町時代【指定史跡】ー【場所】滋賀県犬上郡多賀町敏満寺地図清涼山敏満寺城は、飛鳥時代に胡宮神社の境内に建立された寺で、湖東の有力寺院のひとつとして西教寺・金剛輪寺・百済寺に並ぶ大寺院でした。室町時代には佐々木氏がこの寺を守り、代々住職をつとめていました。戦国期になると敏満寺周辺では六角氏、浅井氏の対立が激しく、浅井氏の軍勢に火を掛けられています。町や村を守るために敏満寺は城塞化せざるを得なかったとみられ、織田信長に逆らったことにより焼き討ちされています。発掘調査によって単なる寺院遺構ではなく、城郭としての機能を持っていたことがわかっています。現在名神高速道路上り線の多賀サービスエリアの中で僅かな遺構を見ることが出来ます。名...敏満寺城(滋賀県)

  • 大穴城(埼玉県)

    【大穴城】おおあなじょう【別名】大穴館・大穴山館【構造】平山城【築城者】ー【築城年代】南北朝時代【指定史跡】ー【場所】埼玉県坂戸市東坂戸1地図中世に築かれたと思われる大穴城は、城であった当時のあまり記録がなく近くにある大堀山館との関連があると推定されますが、詳しいことはわかっていません。江戸時代初期に旗本の本多九蔵秀玄が館を改修して陣屋を置いたと伝わります。団地の建設でほとんど遺構は見られない状態です。ここも公園化されていてどのあたりがどこなのか、地図で見ても面影すらみつけるのが難しい状態です。公園の一番高い場所に案内看板がありました。ここが五反山または御殿山と呼ばれていた場所なのでしょうか。案内看板城跡を利用して江戸時代には陣屋が置かれていたようです。手入れされていない公園の外の茂みに何かありそうな予感。土塁...大穴城(埼玉県)

  • 城の腰城(群馬県)

    【城の腰城】じょうのこしじょう【別名】城山【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】群馬県甘楽郡南牧村砥沢字城の腰地図中道院の裏山に位置する城の腰城は、市川氏の砥沢城の支城と考えられます。谷を挟んで中道院の西側は市川氏の館があり、その背後の山に砥沢城があります。城の腰城と砥沢城の位置関係を見ても接しているほど近い関係にあることからも両方の城が一体化して機能していたとも思われ、市川氏にとって重要な砦であったと考えられます。中道院入口この谷を挟んで左手の山が「城の腰城」、右手の背後の山が「砥沢城」になります。今回は城の腰城へ登城を試みたいので、左の道を登って中道院へ向かって登って行きます。中道院中道院の駐車スペースをお借りして、いざ登城!山門立派な山門の先に墓地があり、城址はその先の山頂にあり...城の腰城(群馬県)

  • 星尾城(群馬県)

    【星尾城】ほしおじょう【別名】城山【構造】山城【築城者】市川市【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】群馬県甘楽郡南牧村星尾地図星尾城は、砥沢城の支城で物見と烽火のつなぎの砦であったと考えられています。東西に細長い尾根上に築かれており、斜面は急で山頂は岩場と断崖で平場の部分はわずかなため、兵は見張り程度の少人数の番兵が置かれていたと思われます。戦国期の監視用の砦として使用されていたことが想像されます。南牧関所跡ここは、かつても南牧関所があった場所です。こちら側から星尾城のあるトンネルを目指して行きます。関所の石碑武田信玄がここに関門を置き、砥沢城主でもある市河氏が関守を務めていました。この石碑を目印に、林道道場線へと向かいます。途中、分かれ道で左折して道場地区に近いところまでひたすら林道を走ります。すると、ようや...星尾城(群馬県)

  • 住吉城(群馬県)

    【住吉城】すみよしじょう【別名】仲村城【構造】平山城【築城者】住吉玄蕃【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】群馬県高崎市我峰町地図住吉城は、箕輪城主長野氏に仕えた住吉玄蕃が築城したと伝えられています。箕輪城の支城として築かれ、住吉氏ののちに清水小内記正智が城主となりました。長野、武田両軍の決戦では長野勢の重要な拠点になったと思われます。近くには長野氏が開発した用水路の長野堰があります。烏川と白川の合流点の河岸に位置し、現在は長野堰と道路によって遺構はほとんど残っていません。しかし、この「すなっくリバー」のところに立派な城址碑があります。城址碑この城址碑には、城主清水小内記正智の名が刻まれています。清水氏の子孫の方が管理の城址碑のようです。城域には住宅が立ち並び、ほとんど遺構は残っていません。長野堰用水城址碑のあ...住吉城(群馬県)

  • 下小屋城(群馬県)

    【下小屋城】しものこやじょう【別名】下の小屋城【構造】崖端城【築城者】伊香保地衆【築城年代】1572年(元亀3年)【指定史跡】ー【御城印】伊香保温泉お宿かつほ【場所】群馬県北群馬郡伊香保町湯中子地図下小屋城は、1572年(元亀3年)武田軍の侵攻に備えるために伊香保衆が築いた城です。沼尾川とその支流に挟まれた、断崖に囲まれた自然の要害に守られた構造です。北からの武田軍の攻めの強化を重視しており、主に北側に土塁が築かれているのが今ででも確認すること出来ます。入口県道155号線(伊香保村上線)沿いにある入口です。駐車スペースもあるので、こちらに車を置いてここから徒歩で入城です。追手口城域へと真っ直ぐ伸びる入口。城への進入路はここだけになります。自然の土盛りが門のような役割をしています。石垣大きな石で入口を補強していま...下小屋城(群馬県)

  • 宇津ノ谷峠(静岡県)

    【宇津ノ谷峠】うつのやとうげ【街道名】東海道【設置年代】1590年(天正18年)【廃止年代】【指定史跡】ー【場所】静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷82-2「道の駅宇津ノ谷峠」地図宇津ノ谷は、静岡県の最西部にある峠の入り口です。峠越えの道は、古くは「蔦の細道」と呼ばれ「伊勢物語」にも記されていました。そして宇津ノ谷峠は、豊臣秀吉が小田原攻め際に「蔦の細道」よりも西側に大軍を通すために伐り開き、江戸時代に東海道として整備したのが旧東海道です。宇津ノ谷峠を挟んで静岡市側には丸子宿、藤枝市側には岡部宿があります。道の駅宇津ノ谷峠道の駅宇津ノ谷峠へやって来ました。宇津ノ谷トンネルの静岡側にある道の駅です。朝ごはん食べられるかなあ?と寄り道してみました。約700年~1590年頃まで使われていた東海道は「つたの細道」と呼ばれ、平安...宇津ノ谷峠(静岡県)

  • 丁子屋(静岡県)

    【丁子屋】ちょうじや【街道名】東海道・丸子宿【創業年代】1596年(慶長元年)【廃業年代】現在も続く【指定史跡】国登録有形文化財【場所】静岡県静岡市駿河区丸子7丁目-10-10地図1596年(慶長元年)丸子宿に丁子屋平吉が宿場の茶屋として創業したのがはじまりです。自然薯が採れる時期に旅人にとろろ汁をふるまい、この先の難所である宇津ノ谷峠を越えるために精を付けようとする旅人で賑わったといわれます。広重さんの部屋部屋は9部屋あり、それぞれ丸子宿や静岡にちなんだ名前が付けられているとのことで、この日は広重さんの部屋へ通され、江戸四大浮世絵絵師の一人である歌川広重の「東海道五十三次」を見上げながらの食事となりました。「東海道五十三次」の中で丸子宿は、ここ「丁子屋」が描かれています。とろろ汁丁子屋のとろろ汁の特徴は、江戸...丁子屋(静岡県)

  • 堤城(静岡県)

    【堤城】つつみじょう【別名】遠江堤城・丘山城【構造】丘城【築城者】松井信薫【築城年代】1504年(永正元年)【指定史跡】ー【場所】静岡県菊川市下平川堤地図牛渕川にかかる城下橋の東側の小山が堤城跡になります。永正年間に今川家臣の松井左衛門尉信薫が築城したと伝わります。後に城主となった信薫の弟の宗信が1529年(享禄2年)に、二俣城へ移ったことで廃墟となりました。駐車場が無いので、牛渕川にかかる城下橋の近くに駐車スペースをみつけてそこへ車を置いて登り口へ。出丸側を見上げると、「堤城跡」の標柱が見えます。バイク屋さんの裏手の小川沿いに小道があるので近道をして登り口へ向かいます。案内看板登り口に案内看板があります。松井氏の墓少し登ったところで「城主松井氏の墓」という看板が見えて来ました。見ると、右手にお墓がありました。...堤城(静岡県)

  • 湯日城(静岡県)

    【湯日城】ゆひじょう【別名】養勝寺城【構造】山城【築城者】不明【築城年代】1469~1487年(文明年間)【指定史跡】ー【場所】静岡県島田市湯日地図湯日城は、付近を支配した土豪の居城であったと推定されますがこれより西方の勝間田郷の領主である勝間田氏が築いた城とも考えられ、推定の域は脱しないため築城主は不明です。後に武田氏の手が入り馬出や三日月堀が造られていたとされています。案内看板城址でない場所にある案内看板。知らなければ見落としてしまいそうです。近年、みかん園に造成された際に多くの遺構は消滅したとされ名残が見られるかなと近づいてみたものの、ソーラーのあるかつて入り口まで行って、入ることが出来ず断念。遺構もあまり期待できないので、ここは深追いせず終了。写真を撮りそびれたましたが、戻ることなく後にしました。令和4...湯日城(静岡県)

  • 岡田館(福島県)

    【岡田館】おかだだて【別名】ー【構造】平山城【築城者】岡田胤盛【築城時期】1334年(建武元年)【指定史跡】ー【場所】福島県南相馬市小高区岡田地図岡田館は、南北朝時代に岡田胤盛によって築かれたと伝わります。岡田胤盛は、相馬重胤と共に下総から原町あたりに移り、以後相馬中村へ移るまで岡田氏代々の館とされていました。丘の上にこんもりとした林がある場所に岡田館がありました。岡田館とされる場所は、初発神社の境内の平地に在りました。北ノ内と地図にあるので、ここから攻めてみることにしました。土塁北ノ内から見上げた土塁。北ノ内北の内と呼ばれる主郭の北の外郭から境内へと続く小道を進みます。境内何やらロープが張られています。参道は通れないということか?ありゃ、参道側へ行けないぞ!立入禁止看板立ち入り禁止の看板がありました。どうやら...岡田館(福島県)

  • 村上城(福島県)

    【村上城】むらかみじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】相馬義胤【築城時期】1596年(慶長元年)【指定史跡】市指定史跡【場所】福島県南相馬市小高区村上舘腰地図村上城は、慶長元年に相馬藩主十六代相馬義胤が城を築こうと定めた城です。堀や土塁を築いて御殿を築こうとした際に火災が起こり、材木が焼けてしまいました。不吉に思った義胤は、別の場所に新たな城を築く決意をして慶長二年、小高城から新たに改修した牛越城へと移りました。村上城は完成を見ないままに今に至っています。島のような小高い丘が見えて来ました。どうやらあそこが目指している村上城のようです。海岸に突き当たりました。まだ車で登れそうなので、更に先へ。井戸海側からの道を登り始め間もなく右手に見えたのは井戸。「こんなところに井戸がある!」が、しかし縄張図に載っているも...村上城(福島県)

  • 伊那街道(三州街道)

    起点:塩尻🍡塩尻宿🍡小野宿🍡宮木宿🍡松島宿🍡伊那部宿🍡宮田宿🍡赤須上穂宿🍡飯島宿🍡片桐宿🍡大島宿🍡市田宿🍡飯田宿🍡駒場宿🍡浪合宿🍡平谷宿🍡根羽宿終点:豊川伊那街道(三州街道)

  • 甲州街道

    起点:日本橋(にほんばし)🍡内藤新宿(ないとうしんじゅく)🍡高井戸宿(たかいど)🍡布田五ヶ宿(ふたごか)🍡府中宿(ふちゅう)🍡日野宿(ひの)🍡八王子宿(はちおうじ)🍡駒木野宿(こまきの)🍡小仏宿(こぼとけ)🍡小原宿(こはら)🍡与瀬宿(よせ)🍡吉野宿(よしの)🍡関野宿(せきの)🍡上野原宿(うえのはら)🍡鶴川宿(つるかわ)🍡野田尻宿(のだじり)🍡犬目宿(いぬめ)🍡鳥沢宿(とりさわ)🍡猿橋宿(さるはし)🍡駒橋宿(こまはし)🍡大月宿(おおつき)🍡花咲宿(はなさき)🍡初狩宿(はつかり)🍡白野宿(しらの)🍡阿弥陀街道宿(あみだかいどう)🍡黒野田宿(くろのだ)🍡駒飼宿(こまかい)🍡鶴瀬宿(つるせ)🍡勝沼宿(かつぬま)🍡栗原宿(くりはら)🍡石和宿(いさわ)🍡甲府柳町宿(こうふやなぎまち)🍡韮崎宿(にらさき)🍡台ヶ原宿(だいがは...甲州街道

  • 奥州街道

    起点:日本橋(にほんばし)🍡千住宿(せんじゅ)🍡草加宿(そうか)🍡越谷宿(こしがや)🍡粕壁宿(かすかべ)🍡杉戸宿(すぎと)🍡幸手宿(さって)🍡栗橋宿(くりはし)🍡中田宿(なかだ)🍡古河宿(こが)🍡野木宿(のぎ)🍡間々田宿(ままだ)🍡小山宿(おやま)🍡新田宿(しんでん)🍡小金井宿(こがねい)🍡石橋宿(いしばし)🍡雀宮宿(すずめのみや)🍡宇都宮宿(うつのみや)🍡白沢宿(しらさわ)🍡氏家宿(うじいえ)🍡喜連川宿(きつれがわ)🍡佐久山塾(さくやま)🍡大田原宿(おおたわら)🍡鍋掛塾(なべかけ)🍡越堀宿(こしぼり)🍡芦野宿(あしの)🍡白坂宿(しらさか)🍡白河宿(しらかわ)終点:白河(しらかわ)奥州街道

  • 奥州街道

    起点:日本橋(にほんばし)🍡千住宿(せんじゅ)🍡草加宿(そうか)🍡越谷宿(こしがや)🍡粕壁宿(かすかべ)🍡杉戸宿(すぎと)🍡幸手宿(さって)🍡栗橋宿(くりはし)🍡中田宿(なかだ)🍡古河宿(こが)🍡野木宿(のぎ)🍡間々田宿(ままだ)🍡小山宿(おやま)🍡新田宿(しんでん)🍡小金井宿(こがねい)🍡石橋宿(いしばし)🍡雀宮宿(すずめのみや)🍡宇都宮宿(うつのみや)🍡白沢宿(しらさわ)🍡氏家宿(うじいえ)🍡喜連川宿(きつれがわ)🍡佐久山塾(さくやま)🍡大田原宿(おおたわら)🍡鍋掛塾(なべかけ)🍡越堀宿(こしぼり)🍡芦野宿(あしの)🍡白坂宿(しらさか)🍡白河宿(しらかわ)終点:白河(しらかわ)奥州街道

  • 福岡城(埼玉県)

    【福岡城】ふくおかじょう【別名】城山【構造】平城【築城者】不明【築城年代】室町時代【指定史跡】ー【場所】埼玉県ふじみ野市福岡173地図河川改修により河岸川の中間に位置する福岡城は、後北条氏の家臣富永善左衛門が旧福岡村一帯を所領しており、居館があったと推定されています。駐車場下福岡城山公園に駐車場が設置されているのでこちらに駐車していざ、散策!案内看板入口には二枚の案内看板が設置されています。こちらは城山遺跡の看板です。周囲には城館に纏わる地名も残っており、伝承ではありますが館があったことが想像できます。周辺の歴史さんぽ案内の看板です。下福岡城山公園シンプルで整備された公園です。しばらく見ていると、子供たちは遊んでいませんでしたが、さんぽやジョギング途中に寄る人はいるようです。手前に見える杭(標柱)と奥の白いフェ...福岡城(埼玉県)

  • 泉妙見山城(千葉県)

    【泉妙見山城】いずみみょうけんやまじょう【別名】泉城・中城【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市泉地図泉妙見山城は、中城と称する北東向きに突き出た台地を利用して築かれています。三つの郭から構成され、郭内には現在も妙見社が祀られています。相馬に移住したという相馬氏の関係の城と考えられています。標柱この場所は「中城」という小字で、戦国時代に館があったところといわれています。御神体は妙見大名社で、二月二十二日、二十三日に鳥ビシャの神事がおこなわれます。主郭はこの奥に見える民家の敷地になると思われ、ここより先には行っていません。土塁妙見社のある方を見ると、堀と土塁らしきものが見えます。土壇土塁らしき場所には建物(拝殿?)が建ち、土塁というよりは土壇になっているようです。建物の裏側に...泉妙見山城(千葉県)

  • 泉城(千葉県)

    【泉城】いずみじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市泉立ノ台地図泉城は、鎌倉時代に陸奥の相馬郡に移住したという相馬泉五郎胤康に関係があった城であろうと考えられています。石祠郭の中央付近に祀られている石祠は、もしやと思って覗き込んでみたら小ぶりではありますが、やはり妙見さまのようです。古くから妙見さまを大事にお祀りしてして来たようですね。ずかずかと勝手に畑に入って行くのも躊躇われるので、この辺で退散。泉妙見山城とごっちゃになっていてよくわからない。調べようにも資料も少なく、泉城と泉妙見山城と区別されているようで区別されていないようで、どちらかがどちらかの支城のようで…んんん?結局よくわからないけど、周囲を見回してみるとそれっぽいのがわかる。令和3年12月30日...泉城(千葉県)

  • 大井追花城(千葉県)

    【大井追花城】おおいおっけじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市大井地図大井追花城は、相馬の一族である高城氏が城主であった記録が残りますが築城した人物や時期は分かっていません。大井追花城と戸張城の城主はとても仲が悪く、戦で両者は取っ組み合いになりながら落馬し、その際どちらかが相手の鼻を食いちぎったという伝承があります。また、平安時代から平将門(大井)と藤原秀郷(戸張)の争いから農民も互いに戦い、長いこと大井と戸張は不仲であり、縁組をすると不幸になるという言い伝えがありました。主郭郭内に入れないかと周辺を一周してみたものの、かつて大手口であったであろう場所は宅地があって入れない。主郭部分は藪のようで、とりつく場所もみつからず外から眺めるだけとなりました。妙照寺...大井追花城(千葉県)

  • 平塚城(東京都)

    【平塚城】ひらつかじょう【別名】豊島城【構造】平山城【築城者】豊島近義【築城年代】平安時代末期【指定史跡】ー【場所】東京都北区上中里1-47-1地図平塚城は、豊島近義が城館を築いて後に石神井城へ移るまで本拠地とした城です。奥州遠征の凱旋中に源義家が城に立ち寄り、この時近義に鎧を与えました。源義家の死後、賜った鎧を城内に埋めて塚とし、城の鎮守として祀ったとされています。その甲冑塚は高さがないことから平塚と呼ばれ、平塚城の語源ともなっています。駐車場有料ではありますが、平塚神社の駐車場があります。手前にアルファベットの駐車スペースがありますが、神社参拝であれば境内近くに置いて良いとのことです。境内平塚神社には、平安時代末期の英雄・源義家(八幡太郎)をはじめ、源義綱(賀茂次郎)、源義光(新羅三郎)の三兄弟が祭神に祀ら...平塚城(東京都)

  • 手賀城(千葉県)

    【手賀城】てがじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市手賀地図手賀城は、手賀沼の南岸湿地に突き出た高台に位置します。千葉介勝胤の子や孫らが手賀六百貫を治めることとなり、手賀城に居住していましたが、後の天正十八年、豊臣秀吉による小田原攻めの際に落城し、廃城となりました。興福院手賀城は二つの郭から成り、伏見稲荷大明神のある主郭と、興福寺の境内になっている二の郭で構成されています。興福院山門と標柱山門脇には標柱があり、興福寺の寺域が手賀城の城域であったことが記されています。門柱を見ると、現在は門だけになっていますが柱の穴からすると横に袖塀でもあったのでしょうか。力石この丸石は「力石」といい、祭礼など人の集まりのとき、力自慢の若者がこの石を持ち上げて力比べをし、その力...手賀城(千葉県)

  • 佐津間城(千葉県)

    【佐津間城】さつまじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】不明【築城年代】16世紀中~末期【指定史跡】ー【場所】千葉県鎌ヶ谷市中佐津間1地図佐津間城跡は東側に大津川をのぞむ標高25mの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9mの比高があります。土塁と空堀をめぐらせて、周囲を台地から遮断して曲輪を形成単郭構造の城跡で、守備を主体とし、四方に張り出した構造の櫓台と、その櫓台を利用した横矢構造が確認されていて、曲輪の入口となる虎口の跡も残っています。また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定され、周囲には屋敷裏や北根郷屋、南木戸などの城に関係する小字名も残っています。戦国時代に造られた城跡は東葛地方でも数多く確認されていますが、鎌ヶ谷市内で明らかに城跡として確認されているのは佐津...佐津間城(千葉県)

  • 戸張城(千葉県)

    【戸張城】とばりじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】戸張行常【築城年代】平安時代末期【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市戸張地図戸張城は、相馬系の戸張八郎が城主であったと考えられていますが定かではありません。戸張氏は平将門の子孫で、鎌倉時代から約200年間この地に館を構えていました。典型的な直線連格式の造りで、郭は主郭と二の郭から成ります。三方が崖地で、かつては手賀沼が広がり敵から守るには適した地形をしていました。文京区立柏学園国道16号線の柏隧道のトンネルの上に行く脇道を進むと、文京区立柏学園(廃校)があります。この敷地内が戸張城跡なので、中に入って見学することは出来ません。土塁と虎口門の外から中を覗き込むと、しっかり土塁が残っているのが見えます。ちなみに、見えている土塁は二の郭の土塁です。ということは主郭は...戸張城(千葉県)

  • 中曽根城(千葉県)

    【中曽根城】なかそねじょう【別名】淵江城・千葉城【構造】平城【築城者】千葉勝胤【築城年代】1460年~1466年(寛正年間)【指定史跡】ー【場所】東京都足立区本木2地図中曽根城は、下総国の千葉勝胤が一族の内紛に破れ武蔵国へと逃れて来ました。扇谷上杉氏から、赤塚城や石浜城を賜るもこの地に新たに中曽根城を築城しました。城内には遺構は残っていませんが、千葉氏が信仰する妙見宮を祀ったのが始まりとされる中曽根神社があります。中曽根神社入口南側の路地からの入り口です。境内の中には中曽根城の城跡碑があります。城跡碑中曽根城は室町時代千葉次郎勝胤公によって築城された周囲六町四方(三十六ヘクタール)でそとかまえに堀や土居をめぐらしていたと伝えられている今も小字に出戸小屋の内出などの名が残っている当社の境内は城の一部で一段と高く千...中曽根城(千葉県)

  • 坂上城(群馬県)

    【坂上城】さかのうえじょう【別名】高浜の砦【構造】崖端城【築城者】高浜氏【築城年代】永禄年間【指定史跡】ー【場所】群馬県高崎市高浜町492地図坂上城は、箕輪城と鷹留城を結ぶ要衝の砦です。長野氏の支配下にあった高浜氏は、武田氏の箕輪城攻撃の際の攻防戦として奮闘しました。那波無理之助宗安率いる250の兵は、夜陰に紛れて雉子ヶ尾峠を越え、雉郷城・里見城の防御線を突破して烏川を越え、明け方に高浜の砦を奇襲しました。守将匂坂常陸長信は箕輪城にあって不在のため、高浜の砦は手薄のために落城すると、宗安は高浜砦に火を放って東の白岩へ向かいました。箕輪から馳せ向かった安藤九郎左衛門勝道と戦って討ち取りましたが、続いて駆けつけた青柳金王(宗高)らに敗れて退却したと伝えられています。江戸時代になると、坂上城の小暮繁信は徳川氏に従い大...坂上城(群馬県)

  • 滝野川城(東京都)

    【滝野川城】たきのがわじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】滝野川氏【築城年代】1469~1487年(文明年間)【指定史跡】ー【場所】東京都北区滝野川3地図かつて鎌倉へ向かう源頼朝が布陣したという伝承が残るのが、滝野川城です。豊島氏の一族である滝野川氏の居城で平塚城の支城であったと伝わります。金剛寺のある場所に城が築かれていたといい、太田道灌との戦いに敗れた豊島氏とともに滝野川城も廃城となりました。金剛寺山門金剛寺の山門です。金剛寺はもともと石神井川を天然の要害とする寺城として機能していました。弁天の滝や紅葉の名所と知られていたため金剛寺は紅葉寺とも呼ばれています。案内看板山門脇には「源頼朝の布陣伝承地」の案内看板が設置されています。本堂金剛寺の裏に公園があるので、行ってみようと思います。松橋弁財天洞窟跡この...滝野川城(東京都)

  • 箕輪城(千葉県)

    【箕輪城】みのわじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】箕輪三郎【築城年代】>鎌倉時代【指定史跡】ー【場所】千葉県柏市箕輪地図箕輪城は、手賀沼の南側の台地に築かれた戦国期の柏市最大級の城です。築城は15世紀から16世紀と推定され、松戸市にある小金城を本拠とする高城氏の支城と考えられています。土塁と堀によって「田」の字形に主要郭が配され、それぞれを土橋で繋いでいましたが現在は平成25年の発掘調査の後、手賀沼病院が建てられていて多くの遺構は失われています。全体図病院の駐車場を拝借して、駐車場より東に向かうとすぐに二の郭内の道路沿いに案内看板があるので、ここで縄張りを確認します。二の郭しかし、主要な遺構の多くはどうやら病院の建物の下になってしまったようです。このように、土の部分もありますがあまりに綺麗に整備されている...箕輪城(千葉県)

  • 中館(福島県)

    【中館】なかだて【別名】江垂館・中館古城【構造】平山城【築城者】桑折元家【築城年代】南北朝時代【指定史跡】ー【場所】福島県南相馬市鹿島区江垂中舘地図中館は、南北朝時代に桑折元家が移り住み真野氏を称していました。1542年(天分11年)相馬領内の反乱により中館に本陣を構え、反乱を抑えました。この時城の修築とともに岡田堀切や大井堀切などを構築しています。その後、真野氏は約2kmほど北に田中城を築き、田中城へ移ると中館は廃城となりました。日吉神社参道日吉神社を目指してやって来ました。神社の参道があろいますが、横着者なので境内の方まで車で移動してしまます。日吉神社の境内近くまで来ると駐車場に車を停めて、周囲を散策することに。日吉神社先ずは神社へご挨拶。日吉神社は、陸奥国司北畠顕家が籠った霊山城落城の際、桑折五郎元家が霊...中館(福島県)

  • 耳取城(長野県)

    【耳取城】みみとりじょう【別名】鷹取城【構造】平山城【築城者】大井行氏【築城年代】1243~1246年(寛元年間)【指定史跡】ー【場所】長野県小諸市耳取地図耳取城は、岩村田を本拠とした大井光長の四男行氏に分治して配された城です。これより耳取大井氏の始まりとなりました。室町時代になると岩尾城、小諸大井氏は鍋蓋城、平原大井氏は平原城というように領地の防衛のために積極的に築城して行きました。応仁・文明の乱以降は増築を繰り返し、大きな城郭へと発展しました。県道78号線を走っていると、耳取城の城址碑が目に留まります。その脇道を千曲川川へと下ると西小屋曲輪へと到着します。西小屋曲輪鷹取山の断崖の中に、隠れ曲輪とも言うべき平場があります。土塁と岩肌がむき出した壁のような要害、その奥の高まりは望楼のような役割をはたしていたもの...耳取城(長野県)

  • 荒戸城(新潟県)

    【荒戸城】あらとじょう【別名】荒砥城【構造】山城【築城者】上杉景勝【築城年代】1578年(天正6年)【指定史跡】県指定史跡【場所】新潟県南魚沼郡湯沢町地図荒戸城は、上杉謙信の相続争いとなった「御館の乱」の際に上杉景勝によって築かれた城です。謙信が急の死を遂げると、謙信の養子であった景勝と景虎との間で家督争いとなり、小田原北条家から養子となった景虎の援軍として北条軍が三国峠を越えて越後へ侵攻して来るのを防ぐため、景勝は上田衆を総動員して三国越えの最前線に荒戸城を築かせました。登城口湯沢町の芝原トンネル手前を左に入った旧三国街道沿いを進むとこの場所が見えて来ます。車が数台置けるスペースがあるのでとてもありがたいです。11月に入ると冬支度がされていて、案内看板はすでにブルーシートで覆われていました。残念。階段があるの...荒戸城(新潟県)

  • 雑賀城(和歌山県)

    【雑賀城】さいかじょう【別名】妙見山城【構造】丘城【築城者】鈴木重意【築城年代】1577年(天正4年)【指定史跡】ー【場所】和歌山県和歌山市和歌浦中3地図雑賀城は、戦国時代に現在の和歌山市和歌浦に存在した丘城で、妙見山城とも呼ばれていました。雑賀衆でお馴染みの雑賀孫市の父である鈴木重意(佐太夫)が築いた城で、平時は農耕や漁猟に従事し、合戦があると本拠地とする雑賀城へ結集していました。雑賀党とも呼ばれるこの党の中心人物が鈴木氏で鉄砲伝来当初から射撃法を習得していました。本願寺の顕如上人の味方をして織田信長軍と対峙しています。和歌浦交番交番横に駐車スペースがあるので交番でひと声掛けて車を駐車、ダッシュで城址へ。※交番の駐車場ではありませんので公式に許可はされません。自己責任にて。津屋公園養珠寺は、紀伊徳川家初代藩主...雑賀城(和歌山県)

  • 浅貝寄居城(新潟県)

    【浅貝寄居城】あさかいよりいじょう【別名】寄居城・浅貝寄居館【構造】平城【築城者】上杉謙信【築城年代】1571年(元亀2年)【指定史跡】町指定史跡【場所】新潟県南魚沼郡湯沢町三国地図浅貝寄居城は、関東管領上杉憲政の要請により、三国越えの拠点として上杉謙信が栗林、大石両将に命じて築かせた城で、謙信は三国超えの際の宿所として利用していました。三国街道沿いに築かれたこの城は、三国峠を越える際の抑えとして重要な監視場所で、関東の北条氏・甲斐の武田氏の侵攻の備えと関東遠征など、三国超えの拠点となった城館です。空堀(南東)ホテルの建物に囲まれた場所に主郭だけが残っています。どこから入城しようか…とちょっと悩みます。空堀(北東)建物の間から入れそうな場所を探してみましたがこの堀を渡って土塁を乗り越えるしかないかなあ。土塁目の...浅貝寄居城(新潟県)

  • 有賀城(長野県)

    【有賀城】あるがじょう【別名】天狗山城【構造】山城【築城者】有賀次郎【築城年代】1219年~1222年(承久年間)【指定史跡】ー【場所】長野県諏訪市豊田有賀地図有賀城は、諏訪と辰野を結ぶ有賀峠の諏訪側の登り口にある江音寺(館跡)の裏山に築かれた山城です。諏訪と伊那谷を結ぶ交通の要所で、鎌倉街道、甲州脇往還としても重要な場所でもありました。鎌倉時代から諏訪氏支族の有賀氏が存在しましたが、武田氏に背き有賀氏が滅びると有賀の郷は以降千野氏所領となりました。諏訪側から有賀峠を登り始めて間もなく「有賀城跡」の看板が見えて来ます。若い頃は何度もこの道を通ったのにまったく気付いていませんでした。城裏橋「城裏橋」と記された橋を渡って登ります。裏道のようですが、しっかり冠木門があります。ここから雰囲気創りがはじまっていますね。運...有賀城(長野県)

  • 楢葉城(福島県)

    【楢葉城】ならはじょう【別名】山田岡城・木戸城・山田岡館・館山城・木戸山田岡館【構造】平山城【築城者】楢葉隆祐【築城時期】平安時代末期【廃城時期】1602年(慶長7年)【指定史跡】ー【場所】福島県双葉郡楢葉町山田岡舘地図楢葉城は、木戸川によって形成された丘陵地に築かれています。源頼朝の奥州合戦で武功を上げた岩城氏初代である東海小太郎成衝が浜通り南部を賜り、その後嫡男が楢葉氏を名乗りこの城を居館とし、楢葉一帯を領地としました。1534年(天文3年)相馬盛胤に攻められ落城すると、下浦常陸守泰清が城主となり、1570年(元亀元年)に岩城親隆が奪還して再び城主返り咲くことに成功しました。その後岩城氏の改易によって、楢葉城も廃城となりました。三の郭Googleマップに案内されてやって来たところ、車道から一段登って来て耕作...楢葉城(福島県)

  • 真野古城(福島県)

    【真野古城】まのこじょう【別名】ー【構造】平山城【築城者】坂上田村麻呂?【築城時期】8世紀頃?【廃城時期】不明【指定史跡】市指定史跡【場所】福島県南相馬市鹿島区江垂新城地図真野古城は、伝承によると坂上田村麻呂が築いたと伝わるが定かではありません。丘陵地に位置し、新城館・桜平古館・杉の館・田村堀切が結びついて機能していたとみられています。発掘調査によると、古代陸奥に置かれた七つの軍団のひとつ「行方軍団」との関連が考えられています。また、多賀城跡から行方軍団のことが記された文書も出土しており、780年(宝亀11年)頃には行方軍団が存在し、真野古城跡に置かれていたことが推定されています。遊歩道入口新城公園を目指して行き止まりまでやって来ると自然に登城口に到着します。舗装路終点に車が数台停められます。遊歩道の入り口があ...真野古城(福島県)

  • 桑折陣屋(福島県)

    【桑折陣屋】こおりじんや【別名】ー【構造】陣屋【築城者】松平忠尚【築城時期】1700年(元禄13年)【廃城時期】1747年(延享4年)【指定史跡】ー【場所】福島県伊達郡桑折町陣屋地図桑折周辺の信達地方は、江戸時代に入ると、米沢藩上杉氏領となりましたが、1664年(寛文4年)に幕領へと移り、幕府代官所が福島に置かれていました。その後、信達地方は一時福島藩本多氏領となりましたが、1682年(天和2年)再び幕領となり、堀田氏の福島藩入部に伴い、残された幕領を治めるため、1686年(貞享3年)に幕府代官所として桑折陣屋が設置されました。初代桑折代官は柘植伝兵衛でした。1700年(元禄13年)松平忠恒が二万石で桑折藩を開き、陣屋を使用していましたが、松平氏は定府(参勤交代せず、江戸に常任している大名)であったので、桑折屋...桑折陣屋(福島県)

  • 田中城(福島県)

    【田中城】たなかじょう【別名】ー【構造】平城【築城者】桑折氏【築城時期】15世紀頃【廃城時期】1602年(慶長7年)【指定史跡】ー【場所】福島県南相馬市鹿島区鹿島田中地図真野川の南に位置する中館に、桑折元家が南北朝時代に移り住み真野氏を称していました。その後、真野氏は真野川の北側へ田中城を築いて、中館から田中城へ移りました。戦国期は相馬氏に仕えていたので、天正年間には相馬義胤の弟である郷胤が城代となり相馬郷胤は田中氏を名乗るようになりました。そして、1602年(慶長7年)に廃城となりました。土塁現存している遺構としては、ここに土塁の一部が残っています。そしてこの辺りから南側が主郭になります。主郭この辺りはもともと湿地帯で、田中氏の城よりも前の真野氏の時代には堀を巡らしせていたと考えられます。現在はこのように、農...田中城(福島県)

  • 桑折西山城(福島県)

    【桑折西山城】こおりにしやまじょう【別名】西山城・高館・赤館【構造】山城【築城者】伊達稙宗【築城時期】1532年(天文元年)【廃城時期】1548年(天文17年)頃【指定史跡】国指定史跡【場所】福島県伊達郡桑折町万正寺地図桑折西山城は、1532年(天文元年)頃に陸奥国守護に任じられていた伊達稙宗が築いた伊達氏の本城です。越後国守護上杉氏との養子縁組に反対する嫡男の晴宗と稙宗が対立し、7年間にわたる「天文の乱」の舞台となった場所です。室町幕府の仲介により晴宗は米沢に本城を移し、桑折西山城は廃城となりました。登城口案内看板山城サミット当日朝に入口まで行ってみました。日を改めて行って見ようと思います。今回はここだけ。令和3年10月31日登城日本の城語辞典:城にまつわる言葉をイラストと豆知識でいざ!読み解く萩原さちこ誠文...桑折西山城(福島県)

  • 椎谷陣屋(新潟県)

    【椎谷陣屋】しいやじんや【別名】ー【構造】陣屋【築城者】堀直央【築城年代】1715年(正徳5年)【指定史跡】県指定史跡【場所】新潟県柏崎市椎谷2074地図椎谷陣屋は江戸時代に椎谷藩が設けた陣屋で、藩祖の堀直之は江戸町奉公や神社奉公などの重要な役職に就いた歴代の藩主も若年寄や大番頭、秦者番などの要職を務めています。当初は、超願寺を仮陣屋としていましたが、椎谷に陣屋を設け五代直孝の時代に現在の地に移りました。陣屋は慶応4年5月に戊辰戦争で水戸藩の浪士によって焼失、残念ながら当時の建物は残されていません。北国街道国道352号線(北国街道)沿いにある椎谷陣屋跡入口です。江戸時代に天領の出雲崎から信州を経て江戸へ佐渡の金銀を運んだ重要な道でした。大手門跡東屋のある辺りにかつて大手門がありました。案内看板車道から入ってすぐ...椎谷陣屋(新潟県)

  • 勝山城(新潟県)

    【勝山城】かつやまじょう【別名】滝谷城【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】村指定史跡【場所】新潟県刈羽郡刈羽村滝谷地図勝山城は、日本海側から攻撃して来る敵に対して構築された山城で、詳細は不明ですが、野呂一伯の居城であったと伝わります。没落後は佐々木氏の一族である竹俣氏が在城するとところとなりましたがその後は上杉氏の番城となり、斉藤下野守朝信の居城であった赤田城の支城となりました。駐車場城址散策路入口には、駐車場も備えられていて気軽に行ける山城です。散策路駐車場から車道を渡り、散策路へと入ります。遊歩道になっているので整備もされていて歩きやすくなっています。朝の涼しい時間帯を狙って散策です。このように整備されています。途中、別れ道がありますがとにかく城址を目指します。堀切堀切が見えて来ました。こ...勝山城(新潟県)

  • ラジオ塔(前橋城)

    【名称】旧ラジオ塔【城址】前橋城(北の空堀跡)【設置者】NHK・東京電燈(東京電力)【設置年代】1933年(昭和8年)【指定史跡】国登録有形文化財【場所】群馬県前橋市大手町3-16-3地図前橋市中央児童遊園(るなぱあく)旧ラジオ塔案内看板ラヂオ塔大百科2017日本各地にひっそりと残る街頭ラジオ一幡公平タカノメ特殊部隊ラジオ塔(前橋城)

  • 春日古城(長野県)

    【大島城】おおしまじょう【別名】美篶の春日城・春日古城【構造】丘城【築城者】春日河内守昌吉【築城年代】1492年唐~1500年(明応年間)【指定史跡】ー【場所】長野県伊那市美篶上大島3758地図春日氏は室町時代より高遠城に属していました。後に伊那部の春日城へ移ったとも言われています。天正年間に、武田勝頼の命により高遠城の城主となった仁科五郎信盛(武田信玄の五男)が、武田征伐にやって来た織田の大軍と対峙、仁科五郎信盛に従っていた春日河内守昌吉は激戦の中で討ち死にしました。春日河内守昌吉は忠臣十七士のひとりとして名を残しています。天神広場信州伊那アルプス街道から円応院へ向かって南に入った突当りにある天神広場が大島城(美篶の春日城)跡です。この道もかつては城址から見て北側の堀になっていたものです。駐車場ゲートボール場...春日古城(長野県)

  • ラジオ塔

    📻お城にあった(ある)ラジオ塔の紹介です📻北海道・東北北海道五稜郭青森県弘前城(弘前公園)岩手県盛岡城(岩手公園)宮城県白石城(益岡公園)秋田県久保田城(千秋公園)山形県鶴ヶ岡城(鶴岡公園)米沢城(上杉神社)福島県磐城平城関東・甲信越茨城県栃木県群馬県前橋城(前橋公園るなぱあく)高崎城(高崎公園)埼玉県千葉県東京都神奈川県山梨県長野県上田城小諸城(懐古園)松本城新潟県新潟城(白山公園)北陸・東海富山県高岡城富山城石川県金沢城(兼六園)松任城福井県岐阜県大垣城高山城(城山公園)岐阜城(岐阜公園)静岡県愛知県志賀城(滋賀公園)三重県桑名城(九華公園)松坂城(松坂公園)近畿滋賀県長浜城(豊公園)京都府田辺城(舞鶴公園)大阪府大坂城兵庫県姫路城(姫路公園)洲本城(三熊公園)和歌山県和歌山城奈良県郡山城中国・四国鳥取県鳥...ラジオ塔

  • 雑賀崎城(和歌山城)

    【雑賀崎城】さいかざきじょう【別名】ー【構造】山城【築城者】雑賀孫市【築城年代】1573~1592年(天正年間)【指定史跡】ー【場所】和歌山県和歌山市雑賀崎地図雑賀崎の西南で、紀州の青石とよばれる結晶片岩が海岸に露出した断崖絶壁で、鷹がこのような絶壁の岩穴に巣をつくることから「鷹の巣」とよばれています。この崖の下に「上人の窟」とよばれる洞窟があります。1580年(天正8年)に、教如上人が織田信長との石山合戦に敗れ、大阪の石山本願寺から紀州の鷺ノ森に逃れ、その後、和歌浦から舟でこの洞窟にたどり着き、隠れて難を逃れたと伝わります。雑賀崎漁港まずは雑賀崎漁港へやって来ました。正面に見えている緑地が雑賀崎城跡と伝わる場所です。雑賀崎漁港の駐車場から見た雑賀崎城跡です。こちら(海)側から登るのは今も昔も無理というもの。と...雑賀崎城(和歌山城)

  • 太田城(和歌山県)

    【太田城】おおたじょう【別名】紀伊太田城【構造】平城【築城者】紀俊連【築城年代】延徳年間【指定史跡】ー【場所】和歌山県和歌山市太田地図太田城は、岡山県の高松城・埼玉県の忍城と並ぶ「日本三大水攻め」の戦の地として知られています。羽柴秀吉は、紀州の勢力を滅ぼすために制圧あたり、一揆勢にみせしめのため水攻めを決行。太田城の周囲に5km以上もの堤を築き、宮井川の水を引き込みました。城主の太田左近以下53名の処刑と引き換えに一揆に加わったとされる百姓の助命で和睦がされ、水攻めの終結と同時に秀吉の弟である秀長によって和歌山城の築城が始まりました。来迎寺来迎寺は太田城の本丸跡と伝わる場所です。秀吉による紀州攻めの際には、太田城に約5000人が立て籠もり、攻防戦はおよそ1か月間続きました。秀吉軍10万余の大群に囲まれ、当初は兵...太田城(和歌山県)

  • 紀伊岡山城(和歌山県)

    【紀伊岡山城】きいおかやまじょう【別名】岡城【構造】山城【築城者】畠山高政【築城年代】不明【指定史跡】県指定史跡(時鐘堂)【場所】和歌山県和歌山市吹上1丁目4−14地図岡山城は、現在の和歌山大学教育学部附属小・中学校の敷地内に築城したとされています。和歌山城ある一帯は、かつて「岡山」と呼ばれていて、1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州征伐の後に築かれた和歌山城より古くからあった畠山高政が築いた城を岡山城と称しました。鳥居三年坂通りから奥山稲荷社へ登って来ると鳥居があります。ここは岡山城の城域ではあるのですが、築城されたのは美術館や博物館、学校や幼稚園がある辺りではないかとされているので、高台になっているここは物見にしていたのかなとも思います。奥山稲荷神社紀州藩祖頼宣卿が駿河の国より国入りの際、和歌山城の守り神...紀伊岡山城(和歌山県)

  • 前田家の霊廟(群馬県)

    【名前】前田家の霊廟【別名】まえだけのれいびょう【構造】墓所【年代】1616年(元和2年)【指定史跡】市指定史跡【場所】群馬県富岡市上高尾地図1616年(元和2年)に加賀百万石前田利家五男利孝が七日市藩の藩主となり、長学寺を菩提寺としました。二代利意の代に寺領三十石が与えられ、手厚く保護しました。長学寺の境内には二代・三代・五代・六代・十代の前田家藩主の霊廟があります。駐車場かつては大型の観光バスも立ち寄るといったことがあったようで広い駐車場があるのですが現在は乗用車が数台停められる程度のスペースだけ解放されています。(それでも十分ですが)駐車場から中央の石段を登って山門を目指します。梵鐘山門を兼ねた梵鐘です。見た目はちょっと日本のものとは違った感じです。大銀杏鎌倉時代、曽我兄弟の死を悲しんだ大磯の虎御前が、1...前田家の霊廟(群馬県)

  • 北条城(新潟県)

    【北条城】きたじょうじょう【別名】ー【構造】山城【築城者】毛利時元【築城年代】不明【指定史跡】市指定史跡【場所】新潟県柏崎市大字北条地図北条氏は大江広元を祖とする毛利氏一族で、越後毛利氏は越後北条氏、安田氏とに分かれています。北条城は越後毛利氏の城の中では最大で、代々越後北条氏の当主が城主となっています。戦国期、北条高広が城主の時に上杉謙信に仕えていましたが武田方と内通して謀反を企てましたが安田氏がいち早く謙信に伝え、降伏しています。御館の乱の際には上杉景虎に味方し、上杉景勝軍に破れ北条城もまた落城した。北条城址入口北条城には専称寺と普廣寺の二つのお寺から延びる登城口があります。まずは大手門のある専称寺へ。専称寺正面に見える門が、現存の移築門です。大手門北条城の大手門を移築したと云われる山門です。この門は別名「...北条城(新潟県)

  • 安田城(新潟県)

    【安田城】安田城【別名】ー【構造】山城【築城者】安田憲朝【築城年代】室町時代【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市大字安田字南谷地図安田城は、大江系毛利氏の流れを受け継ぐ安田憲朝が築いた山城です。経光の四男時親は、中国地方を領した安芸国系毛利氏の祖となっています。越後国佐橋荘を拠点とした越後毛利氏は、越後北条氏と安田氏に分かれ、安田氏は長尾家や上杉謙信らに従い、御館の乱では上杉景勝の味方をするなど功績を認められ、上杉家の忠臣となり活躍しました。後に景勝が会津に移封となると、ともに会津へ移り住み、ここ、越後の安田城は廃城となりました。入口安田城址入口の石柱があります。この入口付近を「御屋敷」と呼び、現在の道路とは別に民家の裏側の二の郭と北郭の間に桝形へ向かって伸びる大手道(王坂)があります。しかし、今回は三の郭(墓地...安田城(新潟県)

  • 南条毛利館(新潟県)

    【南条毛利館】なんじょうもうりやかた【別名】南条古城・南条館・佐橋荘南条館【構造】平山城【築城者】毛利氏【築城年代】鎌倉時代【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市南条834地図鎌倉時代、源頼朝の重臣である大江広元の孫にあたる毛利経光が越後国佐橋荘南条に移り住み、四男時親を安芸国吉田庄を与え分家しました。安芸国の毛利氏と言えばとても有名ですが、その毛利元就のルーツがここであることこが佐橋神社の境内にある石碑に刻まれています。丘を登りきると、館があったであろう平地があります。毛利氏供養塔わりと新しめの毛利氏供養塔があります。毛利家供養塔建立の趣意関氏は、鎌倉時代に佐橋庄を支配した毛利氏を多くの人に知ってもらいたいとこの供養塔を建立しました思いが記されています。佐橋神社鎌倉時代、この丘に佐橋庄の地頭毛利氏の館がありました...南条毛利館(新潟県)

  • 琵琶島城(新潟県)

    【琵琶島城】びわじまじょう【別名】宇佐美城【構造】平城【築城者】宇佐美氏【築城年代】南北朝時代【指定史跡】市指定史跡【場所】新潟県柏崎市元城町地図琵琶島城は、鵜川が大きく蛇行した地形を生かして築かれた平城です。かつては、周囲を高さ2〜3メートル・基底部4〜5メートルほどの大土塁が囲み、東に大手・西に搦手の虎口などの遺構も残っていましたが、近年の河川改修や農地改良、農業高校の建設などによって、多くの遺構は失われしまいました。琵琶島城が築かれた起源は不明ですが、江戸時代に廃城となっています。柏崎総合高校高校の敷地内に城址碑があるということなので、職員室に一声かけて見学させていただきました。ちなみに、この辺りに大手門があったのかなあと推測します。開学之碑先生がこちらの碑も見て行ってね!とおっしゃったので覗いてみたら、...琵琶島城(新潟県)

  • 岩野城(新潟県)

    【岩野城】いわのじょう【別名】水無城【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市土合地図岩野城は日吉小学校より北側に位置する八王子神社を配する丘に構築されています。その歴史の詳細は不明ですが、郭や土塁、堀跡らしき遺構が残されています。案内看板八王子神社の入り口に2台ほど車が停められます。史跡戦国期岩野城跡と記された看板が立っています。ここを登ったところが神社の境内で、岩野城の郭になります。鳥居階段を登り切ったところに朱色の鳥居が立っています。まずはいつものように参拝からです。八王子神社郭の中央には、こじんまりとした八王子神社が祀られています。土塁神社の背後には土塁があります。この更に奥にも城域が続いているということだったのですがこの時期なので、ちょっと覗いて侵入を断念しました。蜘...岩野城(新潟県)

  • 柿の葉すし

    🍣柿の葉すし柿の葉すしは奈良県の中南部・吉野地方の郷土料理で、塩で〆た鯖を薄くスライスし酢飯の上に載せ、柿の葉で包んだものです。福井と京都を結ぶ鯖街道とほとんど同じ理由で誕生しています。海が無い奈良へ海から魚を運ぶという保存が利く御馳走です。使われる魚は主に鯖ですが、鮭・鯛・鯵・海老など種類は豊富です。さて、北陸の方では包むものに笹が使われています。奈良では柿の葉が使われているのが特徴です。柿の葉は、抗酸化作用や殺菌作用のあるタンニン・ビタミンなどを豊富に含んでいます。へたの部分が漢方薬として用いられるほど、効能があるようです。食べてみると、柿の葉ってこんなに香りがあったんだっけ?と柿の実の部分とはまた違った味と香りが楽しめます。明らかに北陸方面のもと風味が違う。(食べたことが無いとわからないかも)秋になると紅...柿の葉すし

  • 大和高田城(奈良県)

    【大和高田城】やまとたかだじょう【別名】ー【構造】平城【築城者】当麻為貞【築城年代】1432年(永享4年)【指定史跡】ー【場所】奈良県大和高田市旭北町2地図高田城は、1432年(永享4年)に室町幕府六代将軍・足利義教の命により、当麻為貞が築城したと伝わります。織田信長の命により郡山城のみを残し、大和国内の諸城は破却され、更に、筒井順慶の侵攻ににより1587年(天正15年)11月に、高田氏(当麻氏)は滅びることとなりました。常光寺公園大和高田市立片塩小学校と常光寺の間にある小さな公園に城址碑と案内看板があります。常光寺・常光寺池・市立片塩小学校・幼稚園の敷地が正方形になっているのが地図で確認出来ますが、そこが城跡とされています。半分ほどが常光寺池になっていますが、かつてこの池の面積は今の3分の1ほどで、近年になる...大和高田城(奈良県)

  • 筒井城(奈良県)

    【筒井城】つついじょう【別名】筒井順慶城・筒井平城【構造】平城【築城者】筒井順慶【築城年代】14世紀中期【指定史跡】ー【場所】奈良県大和郡山市筒井町地図大和から河内への交通の要所で中世の軍事施設としては大規模な城郭でした。16世紀になると筒井氏の勢力は益々拡大し、周囲の豪族との権力争いを重ねていましたが、1559年(永禄2年)松永久秀が大和に侵攻すと、筒井城は落城し松永氏の支配下に入りました。その後織田信長の大和進出に伴い、筒井城が拠点となりましたが天正8年に大和の城は郡山城以外は破却せよという信長の命令により、筒井城も廃城となりました。二の郭この辺りが城の中心部となります。東側にある菅田比売神社が三の郭に位置します。案内看板主郭に立てられている案内看板。縄張図(案内看板より)城域の西側(虎口側)に南北へと伸び...筒井城(奈良県)

  • 飯垣城(和歌山県)

    【飯垣城】いいがきじょう【別名】秋月城【構造】平城【築城者】国造紀俊連【築城年代】文明年間【指定史跡】ー【場所】和歌山県和歌山市秋月地図耕月寺の北西、国道145号線の北側に秋月城がありました。近年まで堀跡などの遺構がわずかに見られましたが都市開発が進み、店舗が立ち並び遺構はほぼ消え去りました。日前国懸両神宮保護の目的で築かれた城で、飯垣周防守に守らせたと伝わり地元では「飯垣城」と呼ばれています。耕月寺まずは、耕月寺に土塁が残っているとの情報を得てこちらにやって来ました。耕月寺で庭の手入れをされていた方に挨拶がてら城跡のことを伺ってみました。ここにお城があったと聞いて来たのですがと尋ねると、「飯垣城ならここじゃないよ」との返事が。「いや、秋月城があるって聞いてここに来たのですが?」と返すと、秋月はここの地名で「飯...飯垣城(和歌山県)

  • 上条城(新潟県)

    【上条城】じょうじょうじょう【別名】ー【構造】館城【築城者】上条上杉氏【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市上条地図上杉謙信の時代、上条氏は謙信の軍事下に所属していました。謙信が死去し、御館の乱が起きると上杉景勝方として奮闘しています。ところが上杉景虎方の兵により上条城が奪われてしまいました。その後すぐに景勝方の旗持城将佐野清左衛門尉によって上条城は奪還されました。1600年(慶長5年)上条城は上杉遺民一揆の際、上杉氏の残党に攻略され、これにより廃城となりました。大手口上条進修館(集会場)の西側に大手口があります。南側には御殿川があり、大手道に架かる橋は御殿橋という名称なだけにここを通って館に入ることを示しています。主郭大手道を登り切って主郭に入るとすぐに、説明の城址碑があります。ここまでは舗装され...上条城(新潟県)

  • 藤井城(新潟県)

    【藤井城】ふじいじょう【別名】豊岡城【構造】平城【築城者】稲垣重綱【築城年代】1616年(元和2年)【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市藤井地図上野伊勢崎城から元和2年に2万石でこの地に移封となり、藤井城を築城を始めましたが、4年後には2万5千石で三条城へ移封となり、藤井城は未完成のまま廃城となりました。妙覚寺駐車場から大手口を見ているところです。大手道ここを真っすぐ入って行くと、郭に入る手前に1~2台ほど車が停められるスペースがあります。虎口この辺りに車が停められます。この日は紫陽花が満開で奇麗でした。石碑入って左側に藤井城の説明の書かれた石碑があります。城址公園とした主郭は周囲より一段高くなっています。戦没者の慰霊塔かなと思い、近くでよく見て来なかったけど、本丸のシンボル的な塔があります。特に思考を凝らせた構...藤井城(新潟県)

  • 角城(新潟県)

    【角城】かくじょう【別名】椎谷城【構造】山城【築城者】不明【築城年代】室町時代【指定史跡】ー【場所】新潟県柏崎市椎谷地図1507年(永正4年)長尾為景が上杉房能を天水越で討ちました。すると、兄である関東管領の上杉顕定が関東軍を率いて越後へ侵攻し長尾為景軍を大敗へと追い込み、長尾軍は越中へと逃れました。今度は長尾軍が体制を立て直し、寺泊・椎谷の戦いで上杉軍を撃破しました。その時の椎谷の合戦で戦場になったのが角城だと思われます。椎谷陣屋の裏門へと続く道から撮影しました。丸の中に角城があります。この先で、道路の真下から見上げると登れそうにない急勾配でした。主郭は30m×25mと小振りながら周囲には土塁が構築されています。華蔵院入口にあたる華蔵院へやって来ました。この裏に登城路がありますが、城域には立ち入る人が無いため...角城(新潟県)

  • 柿崎城(新潟県)

    【柿崎城】かきざきじょう【別名】木崎城【構造】平城【築城者】柿崎景家【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】新潟県上越市柿崎区柿崎地図木崎山に築かれた長尾氏(上杉氏)の重臣として活躍した柿崎和泉守氏の居城です。近くを流れる柿崎川が天然の堀とも言われています。現在は北陸自動車道・柿崎インターチェンジの料金所と国道8号を結ぶループ状の道路に囲まれています。国道8号線正面の橋の右袂の茂みが柿崎城です。入口国道沿いを歩いていると入口が見えて来ました。ここは国道8号沿いの北東側にある入口です。案内看板案内看板によると、入口は全部で3ヶ所あるようです。藪で断念か?と思いながら進んでみると人が通る道だけはあるようで、とりあえず行けるところまで行ってみることに。蜘蛛の巣を払い除けながら登って行くと大きな裏向きの看板が見えて来まし...柿崎城(新潟県)

  • へしこ

    🍶へしこ「へしこ」と呼ばれる福井県若狭地方の伝統料理があります。青魚を塩漬けにしたあと、ぬか漬けにして一年~二年の長期にわたり本漬け熟成したものです。福井県から京都府まで続く「若狭街道」は、若狭湾で水揚げされた鯖を京都まで運んでいたこともあり、「鯖街道」と呼ばれるようになったことでも知られています。鯖は足が早い食材ですが、日持ちをさせるために編み出された調理法で、冬場のたんぱく源の保存食として鯖街道沿線の宿場や、京都などで重宝されていました。日本海側へ行くと、つい「カニ」食べよう!と思ってしまいこのような伝統的な食べ物が頭に浮かばなかったのですが、攻城団の団員総会後に団員さんたちと食事をした時に、初めて食べてみました。福井の地酒と頂いて、めちゃめちゃ美味しかった。ほんとに酒の肴には最高です。良いものを教えていた...へしこ

  • 津山ホルモンうどん

    津山ホルモンうどん居酒屋「金両」【場所】津山市大手町2−2津山セントラルホテルタウンハウス1F地図津山の食文化としては、古くから牛馬の市が開かれたように、牛馬の流通の拠点だったようです。明治時代以前に肉食が禁止された近江などでもあった「養生喰い」は、「健康の為に食べる」・「薬として食べる」という意味で、津山藩の領内では牛肉を食べることを江戸幕府に許可されていました。そのため津山の牛肉は全国的にも有名になり、名物となりました。近年、酒のつまみの一品として食べられていたホルモン焼きに締めの一品としてうどんを一緒に焼いて食べていたのが、ホルモンうどんの起源だとされています。津山城へ行った際、夕食に食べたのですが、帰りにはホルモンうどんのタレを買って帰りました。万能なタレです!津山ホルモンうどん懐かしのホルモンうどんた...津山ホルモンうどん

  • 四方田氏館(埼玉県)

    【四方田氏館】よもだしやかた【別名】堀の内【構造】館【築城者】四方田弘長【築城年代】鎌倉時代【指定史跡】ー【場所】埼玉県本庄市四方田光明寺地図武蔵七党のひとつである児玉党に属し、四方田を本拠地としたことから四方田氏を名乗り、この地に館を築きました。四方田氏の名前は「北条本」と呼ばれる戦国時代の武将たちに愛読された「吾妻鏡」にも見られます。駐車場光明寺の駐車場をお借りして現存する堀跡を散策。正面に見える畑が主郭です。山門光明寺の山門です。いつもながら、先ずはお参りをしてからの散策とします。本堂外堀と内堀の間に光明寺があります。光明寺の東側が主郭となり、外堀は道路と化しています。内堀跡(西側)光明寺の東側には今でも内堀跡が残っています。ここは主郭との間の堀跡になります。既に埋め立てられて、幅も狭くなっていますが、堀...四方田氏館(埼玉県)

  • 延岡発祥 破れ饅頭

    🍡破れ饅頭破れ饅頭の由来は、天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミをアメノウズメノミコトが木の小枝を持って舞い踊り、この時の小枝が皇賀玉(おがたま・招霊)の木でした。破れ饅頭はこのオガタマの実を形どっています。そのため別名「オガタマまんじゅう」とも言われてます。1605年(慶長10年)、延岡城の下町の製菓店が売り出したのが始まりで、中町にあった佐々木磯吉菓子店が受け継ぎ広まりました。近所のスーパーで期間限定で売り出していたので早速買って食べてみました。ほぼほぼあんこです。皮はものすご~く薄く、中のあんこは昔ながらの甘さです。(甘さ控えめではありません)お茶🍵といただくのがベストです。【虎屋】破れ饅頭(12個入)延岡発祥破れ饅頭

  • 五十子陣(埼玉県)

    【五十子城】いかっこじん【別名】五十子城【構造】平城【築城者】上杉房顕【築城年代】1457年頃【指定史跡】ー【場所】埼玉県本庄市大字東五十子地図1454年(享徳3年)享徳の乱勃発後、間もなく構築された陣です。享徳の乱は古河公方足利成氏方と関東管領上杉氏との争いで、五十子に本陣を置き、上杉氏は新田荘から足利荘を攻め一旦は成氏を古河から追うことに成功。しかし、その後成氏に五十子陣を攻められ、上杉政真が上杉顕定が死去すると上杉顕定が長尾景春に五十子陣を追われ、群馬県前橋市にある宿阿内城へ逃げ込んでいます。このとき五十子陣は激しい攻撃を受け崩壊しました。てんぐ茶屋主郭にあるという「てんぐ茶屋」を目標に五十子陣跡へやって来ました。稲荷神社主郭内にある稲荷神社。陣の守護神として当時からあったとされる稲荷神社が当時のままと言...五十子陣(埼玉県)

  • 水軍の賄い飯宇和島鯛めし

    宇和島鯛めし海鮮居酒屋がいや鯛の刺身をご飯にのせ、生卵、ごま、ねぎ、のりなどの薬味をのせて特製タレでいただくという郷土料理です。船上では火を使えないので、切身を醤油につけてご飯の上にのせて丼物にして豪快に食べたのがはじまりで、「宇和島鯛めし」は宇和海の日振島を拠点に活動していた伊予水軍が船上で食べられる賄い飯として誕生したといわれています。海賊達が酒盛りをしながら刺身を食べている時に、締めの料理として酒盛りをした茶碗にご飯をよそって残った刺身をのせて食べたのではないかと言われています。鯛めしが誕生した当時は鯛に限らず、白身でも赤身でも魚の刺身ならどれでもOKで、鯵などの刺身も使用していたいいます。ちなみに、鯛だけを使うようになったのは昭和に入ってからと言われています。また、「宇和島鯛めし」は元々は「ひゅうが飯」...水軍の賄い飯宇和島鯛めし

  • 練習問題(準其之一)

    🏯大和政権の九州統治の詰城的な施設として築いた朝鮮式古代山城は、どこをモデルとした防衛構想か?①平壌②扶余③漢城④倭城🏯「日本書紀」などに記載のない鬼ノ城は、次のどの分類に属する?①朝鮮式山城②大和式山城③中国式山城④神籠石系古代山城🏯石垣山一夜城の正式な史跡名は次のうちどれ?①史跡石垣山城②史跡石垣山一夜城③史跡石垣山④史跡一夜城🏯明治6年の廃城令で破却となった城はいくつか?①122城②144城③266城④288城🏯平屋建ての門の中では最も格式が高い城門は?①棟門②薬医門③高麗門④長屋門🏯表御殿の玄関であり待合室である車寄の近くに位置する空間は何と呼ぶ?①書院②遠侍③対面口④近習🏯鹿児島城の藩内要所には防備のため外城を多数作ったが、どのくらいあったか?①50②80③100④120🏯川越城の本丸御殿はかつてはど...練習問題(準其之一)

  • 練習問題(其之四)

    🏯次の中で一番巨大な敷地面積を誇った城はどれ?①江戸城②名古屋城③松本城④大坂城🏯忠臣蔵でおなじみの大石内蔵助が筆頭家老だった城はどれ?①姫路城②水戸城③名古屋城④赤穂城🏯別名白鷺城と呼ばれる城は次のどれ?①大阪城②名古屋城③熊本城④姫路城🏯現存12天守に当てはまらない城は次のうちどれ?①名古屋城②丸亀城③松本城④犬山城🏯なぜ、現在の江戸城に天守がないのでしょうか?①資金が無かった②関東大震災で崩れた③明暦の大火で焼けた④第二次世界大戦の空襲で焼けた🏯大坂の陣で徳川家康と戦った敵方の総大将はだれ?①上杉景勝②豊臣秀頼③真田幸村④石田三成🏯旧幕府脱走軍と明治政府軍の激戦の城、五角形星形平面の西洋式の城とはどれ?①根城②松前城③五稜郭④弘前城🏯甲斐の国を拠点とし、「風林火山」の旗印で有名な武将はだれ?①武田信玄②上...練習問題(其之四)

  • 練習問題(其之三)

    🏯日本の古代遺跡の中で、城のはじまりとされる環壕集落の遺跡はどれ?①伊場遺跡②吉野ヶ里遺跡③岩宿遺跡④登呂遺跡🏯古代に朝鮮の技術で築かれた山城があるが、次のうちどれ?①竹田城②苗木城③洲本城④大野城🏯663年、大和政権が朝鮮半島で惨敗した戦いとはどれ?①扶余の戦い②平壌の戦い③白村江の戦い④京城の戦い🏯朝倉氏の造った中世の館があるのはどれ?①一乗谷城②多賀城③小谷城④秋田城🏯15世紀から16世紀ころの琉球王朝の王城はどれ?①座喜味城②首里城③勝連城④今帰仁城🏯韮山城主だった北条早雲が、相模国に侵入して最初に奪い取った城はどれ?①小机城②小田原城③新井城④津久井城🏯尼子氏の居城で「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈った名将・山中鹿之助で知られる山城はどれ?①津和野城②鬼ノ城③月山富田城④鳥取城🏯琵琶湖の岸辺に織...練習問題(其之三)

  • 練習問題(其之二)

    🏯築造中は「亀田御役所土塁」と呼ばれた城はどれ?①五稜郭②松前城③四陵郭④龍岡城🏯宣教師ルイス・フロイスが城下町の賑わを見て「バビロンの混雑に等しい」と日本史に記載され城は次のどれ?①安土城②彦根城③岐阜城④金沢城🏯藤堂高虎の築城論理が生かされた広い内堀が本丸を囲む城は次のどれ?①今治城②津城③大洲城④宇和島城🏯蒲生氏郷が織田信雄の松ヶ島城を廃し、その瓦を用いて伊勢地方に築いた城は次のどれ?①津城②伊勢亀山城③松阪城④伊賀上野城🏯加賀藩主前田利長の隠居城は次のどれ?①富山城②高岡城③金沢城④福井城🏯現存12天守のうち、天守や御殿が五角形の内堀に囲まれていた城は次のどれでしょうか。①丸岡城②彦根城③松本城④金沢城🏯徳川家康が本丸と二の丸の縄張を行ったと伝えられ、石垣は笏谷石で造られている城は次のどれ?①岡崎城②駿...練習問題(其之二)

  • 練習問題(其之一)

    🏯次の中で総延長が最も長かった惣構(総構)はどれ?①金沢城②姫路城③京都御土居④小田原城🏯佐倉城に残っている馬出の分類はどれ?①真の角馬出②草の角馬出③真の丸馬出④草の丸馬出🏯大坂城(徳川)の外郭にある門で出枡形式のものは次の中のどれ?①桜門②玉造門③青屋門④京橋門🏯石垣に使用する石材を自前の石で築かれた城は次のうちどれ?①久保田城②仙台城③盛岡城④弘前城🏯跳出が石垣の勾配の一つとして挙げてる軍学書はどれ?①海国兵談②武教全書③士鑑用法④甲陽軍鑑🏯江戸の人口が江戸中期に100万人に達した。人口の約何%が男性だったか?①80%②55%③70%④65%🏯徳川幕府の「一国一城令」発布以前の城の数はいくつ?①3000②6000③10000④800🏯北条早雲に始まる北条五代の城主たちは各地の有力大名たちと婚姻関係を築いて...練習問題(其之一)

  • 胃に優しい思いやりの白石うーめん

    白石うーめん白石うーめんは、白石の城下町にいた浅右衛門という青年により白石温麺は誕生しました。今から約400年前、浅右衛門は胃腸が弱く病弱な父親のために「消化が良く元気になる食べ物はないか」と、毎日方々を探し回っていました。ある日、旅の僧から、油を使わず消化に良い麺があると聞き、その製法を伝授してもらいました。浅右衛門はさっそく小麦粉と塩水から作る製法で、麺を完成させました。その麺は消化が良く、滋養となり、父親の胃病はたちまち回復していったそうです。その後、浅右衛門の造った麺は評判を呼び、白石城の片倉小十郎の耳にも入り献上されました。すると病の父を思いやる心から、この麺が誕生したことに感銘を受け小十郎はこの麺を「温麺」と名付け、浅右衛門は「味右衛門」と名乗ることを許されたと言われています。うーめんの由来は諸説あ...胃に優しい思いやりの白石うーめん

  • 松山タルト

    長崎探題職を兼務していた定行が1647年(正保4年)にポルトガル船が運んできた南蛮菓子を食し、その味にいたく感動したため、製法を松山に持ち帰ったといわれています。その南蛮菓子はカステラの中にジャムが入ったロールケーキのようなもので、現在のあんこが入ったタルトは定行が独自に考案したものだそうです。その後、このタルトは久松松平家の家伝とされ、明治以降、松山の菓子司に技術が伝わり、愛媛の銘菓となりました。中のあんこも柚子餡だけでなく、栗入りや伊予柑風味の商品もあり、メーカーとしては一六本舗、六時屋、ハタダなどが有名です。(とくに一六本舗の「一六タルト」は県外でも知られるほど有名ですね)一六タルト柚子タルトひと切れタルト一六タルト柚子タルト5個入り一六本舗内容量:5個入りpiashop松山タルト

  • 小島氏館(埼玉県)

    【小島氏館】おじましやかた【別名】ー【構造】館【築城者】小島氏【築城年代】平安時代~鎌倉時代【指定史跡】ー【場所】埼玉県本庄市小島5丁目4−12地図武蔵武士と言われる武蔵七党のひとつ丹党に、小島郷を本拠地とした小島氏の祖で小島重光の居館であったのではないかと推定されています。現在土塁と空堀が北・南・西に残っています。東側は利根川の崖地になっているため、初めから土塁がなかったと考えられています。長松寺長松寺を目指してやって来ました。案内看板少しばかりですが、この中に小島氏の居館あったことが記されています。長松寺を囲むように断片的に残る土塁からこのお寺が館の中心であったと思われます。石碑何やら絵が描かれた石碑ですが、文字が読み取れなくてどのような意味を持つ石碑か分かりません。う~ん、気になる。鐘楼正面に回り込んでみ...小島氏館(埼玉県)

  • 岩染城(群馬県)

    【岩染城】いわぞめじょう【別名】城山【構造】山城【築城者】不明【築城年代】不明【指定史跡】ー【場所】群馬県富岡市岩染地図岩染城は、藤田氏の藤田城を守るための砦として築かれた城とも、小幡氏の国峰城の支城とも考えられ、実際のところはどちらの説も確証のあるものはみつかっておらず、推論でしかありません。しかし砦であった遺構は今も見事に残っていて、この地に城が築かれていたことは間違いありません。入口以前入口の確認にここまで来ました。駐車スペースも何とか確保しましたが、路面は見た目と違い赤土と舗装の境目が滑るので注意が必要です。軽自動車であれば通れそうですが、途中倒木があるので車での通過は断念。しかしながら、いつもHPを拝見させて頂いている余湖氏のアドバイスもいただき、今回は、このルートから楽ちんに行くことが出来ましたこの...岩染城(群馬県)

  • 問題の解説(西尾城)

    城郭検定から学ぶ✤1級の過去問✤屏風折れの土塀丑寅櫓から天守台につづく土塀は、木造で控え柱である構造で、「屏風折れ」と言われる土塀です。折れに対応して土手も張り出しているのが特徴です。2020年6月26日(金)に完成し、7月11日(土)から一般公開が開始されました。第18回の問34の写真問題に使用されたアングルから撮影してみました。よくわかる日本の城日本城郭検定公式参考書加藤理文ワン・パブリッシング問題の解説(西尾城)

  • 東西対決!関ヶ原のうどん

    国道21号線沿い関ヶ原にある麺処「やまびこ路」左のうどんは、薄口昆布だしの関西風右のうどんは、濃口鰹だしの関東風東西のダシの分け目もここにあり!どちらも甲乙つけがたかったのですが、個人的な感想としては憧れは関西風、食べてみれば馴染の関東風ということで関ヶ原の戦いのごとく惜しくも関東風に軍配ですかね。でも家康より三成の方が好きなのでなんとも複雑な気分です^^;場所:岐阜県関ケ原町大字野上1380−1地図マルちゃん赤いきつねうどん(東)96g×12個内容量:96g×12食東洋水産マルちゃん赤いきつねうどん関西96g×12個原材料:油揚げめん(小麦粉(国内製造)、植物油脂、でん粉、食塩、植物性たん白、乾燥酵母、卵白)、かやく...東洋水産東西対決!関ヶ原のうどん

  • 寺子屋(城郭検定の手習い)

    日本城郭検定の過去問の解答を基に、見所とポイントをまとめてみました。現地を訪問された際の参考にして散策すると、お城めぐりがより一層楽しくなるのではないでしょうか。北海道・東北【北海道】🏯根室半島チャシ跡群🏯五稜郭🏯松前城🏯志苔城🏯上ノ国勝山館【青森県】🏯弘前城🏯根城🏯浪岡城🏯三戸城【岩手県】🏯盛岡城🏯九戸城🏯志波城🏯胆沢城【宮城県】🏯多賀城🏯仙台城🏯白石城🏯船岡城【秋田県】🏯久保田城🏯秋田城【山形県】🏯山形城🏯米沢城🏯長谷堂城🏯舘山城【福島県】🏯二本松城🏯会津若松城🏯白河小峰城🏯向羽黒山城🏯神指城🏯霊山城関東・甲信越【茨城県】🏯水戸城🏯土浦城【栃木県】🏯足利氏館🏯宇都宮城🏯黒羽城【群馬県】🏯箕輪城🏯金山城🏯名胡桃城🏯前橋城🏯高崎城【埼玉県】🏯鉢形城🏯川越城🏯忍城🏯武蔵松山城【千葉県】🏯佐倉城🏯大多喜城【東京都】...寺子屋(城郭検定の手習い)

  • 問題と解説(古川城)

    問題と解説🏯古川城🏯✤1級✤🏯1585年(天正13年)、秀吉の命を受けた金森長近・可重が三木氏を滅ぼすと、増島城を築くまでの間に拠点にしたと伝わる城の本丸跡で、5間✖4間が想定される基礎建物が発見され、重層櫓となる可能性も指摘されている。この城はどれでしょうか。①小島城②野口城③小鷹利城④古川城解説:1585年に侵攻してきた金森がもともとあった城を「大改修」し、城の入り口「虎口」に大規模な石垣を築いたことがわかりました。標高623メートルの山頂部は造成され、約680平方メートルの平地の一段高い場所には「主郭」(9メートル×7メートル四方)の跡も見つかっています。よくわかる日本の城日本城郭検定公式参考書加藤理文ワン・パブリッシング問題と解説(古川城)

  • 古川城(岐阜県)

    【古川城】ふるかわじょう【別名】蛤城【構造】山城【築城者】古川氏【築城年代】不明【指定史跡】県指定史跡【場所】岐阜県飛騨市古川町高野地図【城郭検定】出題あり未登城の城古川城(岐阜県)

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