むぎの城さんぽ
住所
出身
ハンドル名
むぎさん
ブログタイトル
むぎの城さんぽ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/mugiide
ブログ紹介文
日本百名城や史跡・城郭めぐりの旅の記録と日本城郭検定の問題でお城の勉強をしよう!という日記です。
自由文
日本城郭検定準1級〈武者返級〉合格。1級合格目指しブログを通して予習復習しながら勉強中。
更新頻度(1年)

121回 / 284日(平均3.0回/週)

ブログ村参加:2016/02/20

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むぎさんのブログ記事

1件〜30件

  • 白浜城(千葉県)

    【白浜城】しらはまじょう【別名】-【構造】山城【築城者】白浜氏【築城年代】不明【指定史跡】市指定史跡【場所】南房総市白浜町白浜地図15世紀後半、関東管領上杉氏の勢力がこの地を領有していました。房総里見氏初代とされる里見義実が安房に入り、最初の城がこの白浜城でした。麓の青根原神社周辺は居館があったと思われる地名が残されています。前期里見氏の有力家臣である木曽氏の子孫とされる人々が集住しています。また、城跡は第二次世界大戦中に軍用地として使用されました。遊歩道入口大手道とされるのは青木観音堂とされいますが、今回はみつけやすかったこちらの「じょう山展望台入口」の方へやって来ました。案内看板この案内看板は丈夫だったようで健在です!白浜里見古道足元には壊れた看板枠があり、看板は土手下へ飛ばされていました。櫓口台風15号の...白浜城(千葉県)

  • 岡本城(千葉県)

    【岡本城】おかもとじょう【別名】-【構造】平山城【築城者】岡本氏【築城年代】不明【指定史跡】-【場所】南房総市富浦町豊岡地図もともとこの土地の豪族である岡本氏の居城で、1570年(元亀元年)に里見義弘の要請により岡本氏は城を譲渡し千代村に移ると義弘は岡本城の改修をして弟であり養嗣子の義頼を置きました。義弘の死後義頼と実子梅王丸との間で抗争になり里見氏は衰退しました。登城口旧道から細い道を入るとトンネル手前に「里見氏城跡岡本城跡」の看板があります。台風15号の影響で、付近はまだ停電したままでした。信号機は発電機により点いている場所もありますが、まだ消えている場所もありました。館山、白浜の方まで行ってみたのですが、岡本城のあるこの辺りは特に被害が大きいようです。建物の破壊も激しく、大変なさ中にもかかわらず、登城道を...岡本城(千葉県)

  • 荘田城(群馬県)

    【荘田城】しょうだじょう【別名】和田屋敷【構造】段丘【築城者】沼田景泰【築城年代】1247年(宝治元年)【指定史跡】市指定史跡【場所】沼田市井土上町386−8地図沼田氏発祥の地で、利根氏は平将門討伐戦に加わり、平氏一人を伴ってこの地に戻り、井土上の和田に館を建てて住まわせ、庄田氏・沼田氏を称しました。七代の経家と孫の大友能直と重縁の三浦氏が北条時頼に亡ぼされた際、一族の一人が逃れてきて、沼田景泰と称し城郭を築いた。小沢城に移るまでの8代158年間の居城で、往時は城跡外に荘田沼がありました。現在、熊野神社がある場所が本郭跡になります。駐車場熊野神社脇に駐車場があります。上段から車で来ると、道下に駐車場が見えますがダイレクトに行くことは出来ません。神社入口のある下段から入って下さい。駐車場から見た神社裏にある小川は...荘田城(群馬県)

  • 3級の過去問【7】

    🏯現国宝の城で、明治中期から近年まで唯一の個人所有の城はどこでしょうか。★①犬山城②彦根城③姫路城④松本城🏯城の周辺には戦いのために集まった大名たちの陣屋が立ち並び、「京をもしのぐ」賑わいのあったとされる陣城はどれでしょうか。★①小倉城②伏見城③名護屋城④佐賀城🏯徳川家康が関ヶ原の戦いで戦功があり娘婿でもある池田輝政に与えた城とはどこでしょうか。★①掛川城②岡山城③姫路城④篠山城🏯天守に付属して小天守や櫓を持たない形式を独立式天守というが、次の中で独立式天守はどれでしょうか。★①犬山城②松本城③松江城④宇和島城🏯城主の常陸からの転封により、石垣がほとんど使用されない土塁技術で築かれた城で、御物頭御番所が唯一の現存建物の城とはどれか。★①宇都宮城②鉢形城③箕輪城④久保田城🏯築城では一般的に選地(地取)・縄張り・普...3級の過去問【7】

  • 須坂陣屋(長野県)

    【須坂陣屋】すざかじんや【別名】須坂藩御館【構造】陣屋【築城者】堀直升【築城年代】1617年(元和3年)【指定史跡】-【場所】須坂市須坂地図須坂陣屋は須坂藩一万石を堀氏が14代に渡り治めて来た須坂地方の陣屋です。堀氏は元々奥田姓を名乗っていましたが、秀政が信長に仕えていた秀吉に堀氏を名乗ることを許されたことで奥田氏から堀氏へと改姓されました。現在跡地には須坂小学校と奥田神社があり、須坂小学校北側に石垣、神社境内に鐘楼が残されています。鳥居大手道から見た奥田神社です。駐車場は教育会館の駐車場を利用しました。案内看板鳥居をくぐって、左手にある案内板です。須坂藩館の図江戸時代末期に描かれた須坂藩館の図です。版籍奉還後に東京鎮台の所轄となり、廃城となりました。詞碑須坂町役場から上高井教育会館と使用され、役目を終えたたこ...須坂陣屋(長野県)

  • 福島正則館(長野県)

    【福島正則館】ふくしままさのりやかた【別名】福島正則屋敷・福島城【構造】居館【築城者】福島正則【築城年代】1619年(元和5年)【指定史跡】県指定史跡【場所】上高井郡高山村高井地図関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が広島城を福島正則に明け渡し萩城へ移ったのですが、台風被害で崩れた広島城の石垣など修復した際、幕府に無断で石垣を改築したと武家諸法度の法に触れ、1619年(元和5年)改易となりました。その後、信州高井郡2万石と越後魚沼2万5千石の合計4万5千石を与えられ、高井野の地に住居を定めました。しかしここでの生活は短く、わずか5年でこの世を去ることになります。64歳、病死でした。信濃に来た正則は、検地や治水、新田開発と民政に尽くしたと伝わります。火の見櫓と標柱県道沿いに見える火の見櫓。その脇に見える標柱には「福島正則...福島正則館(長野県)

  • 3級の過去問【6】

    🏯関東の巨大な山城で東西3キロ、南北約4キロあり、山頂近くに石垣で復元整備された日の池のある城はどれでしょうか。★①岩村城②鉢形城③金山城④箕輪城🏯江戸の背後を固める城で代々譜代の大名が城主となり、石垣を使わず全て土塁で曲輪や現存の巨大な角馬出を築造した城はどれでしょうか。★①川越城②佐倉城③水戸城④小田原城🏯平成の発掘調査をもとに、大手虎口や石敷きの城道が復元された石造りの山城はどれでしょうか。★①春日山城②久保田城③岩村城④金山城🏯城郭部が城下町より低い位置にあることから「穴城」とも呼ばれ、現存の三の門が重要文化財になっている城はどれでしょうか。★①新発田城②高遠城③上田城④小諸城🏯平成17年に築城400年を記念して、備中櫓が復元された城はどれでしょうか。★①備中松山城②津山城③岡山城④津和野城🏯中国揚子江...3級の過去問【6】

  • 遠照寺(長野県)

    【遠照寺】おんしょうじ【別名】―【構造】寺院【造営者】最澄【造営年代】821年(弘仁11年)【指定史跡】市指定史跡【場所】伊那市高遠町山室2010地図遠照寺は、桜の名所で有名な伊那市高遠のはずれの山間にあります。1200年ほど前に薬師寺が建立されたことが始まりと云われています。昭和58年に亡くなられた住職を弔うために植えられた3本の牡丹苗が増え、今では「牡丹の寺」としても大変有名です。江戸時代の大奥で起きた絵島生島事件で高遠に流刑された絵島の分骨墓があります。駐車場駐車場に車を置きます。ずいぶん久しぶりにやって来ました。山門山門をくぐると、両脇には檜の大木があります。これはなかなか立派なもので、国内産だし、売買するとなると相当高値がつくだろうなあ…なんて煩悩全開で散策開始梵鐘境内入口付近にある梵鐘。本堂まず目に...遠照寺(長野県)

  • 六川陣屋(長野県)

    【六川陣屋】ろくがわじんや【別名】椎谷藩六川陣屋【構造】陣屋【築城者】堀著朝【築城年代】1792年(寛政4年)【指定史跡】町指定史跡【場所】上高井郡小布施町都住101-1地図六川陣屋は椎谷11代藩主堀著朝の代から六川に陣屋が置かれ明治の廃藩置県まで続きました。支配領地は、六川・中子塚・中条・清水・羽場・中山田・奥山田・草間・大熊中御所・問御所の11ヶ村でした。藩祖は堀直之で、藩祖の父堀直政は主家堀秀政の与力大名として活躍しました。小松軍治翁碑六川通りにやって来ました。陣屋の御門があったであろう場所付近に石碑です。御門跡とでも書いてあるのかと思って近寄ってみると「小松軍治翁碑」と記してあります。小松軍治翁碑の道向かいにも何やら石碑がありました。木に埋もれて何の石碑なのかわかりません。田畑に水を引き込むための水門で...六川陣屋(長野県)

  • 越前大野城(福井県)

    【越前大野城】えちぜんおおのじょう【別名】亀山城【構造】平山城【築城者】金森長近【築城年代】1575年(天正3年)【指定史跡】県指定史跡【場所】大野市城町3-109地図【スタンプ設置場所】越前大野城一階【城郭検定】出題あり越前大野城は、亀山に築かれた平山城で秋から春にかけての早朝に条件によって雲海が現れ、年に10回程しか見られないため「幻の天空の城」と呼ばれ幻想的な景色を見られることがあります。織田信長に仕えた金森長近は、越前の一向一揆を平定した功績により大野3万石を与えられ朝倉氏の居城であった戌山城に入りました。しかし、戌山城は標高の高い山城だったため新たに亀山に大野城を築き居城としました。駐車場三の丸側にある駐車場にやってきました。駐車場は比較的に多くいくつかあります。今回は南登城路に近い場所にしました。南...越前大野城(福井県)

  • 一乗谷城(福井県)

    【一乗谷城】いちじょうだにじょう【別名】―【構造】山城【築城者】朝倉孝景【築城年代】築城年代1471年(文明3年)【指定史跡】国指定史跡国重要文化財【場所】福井市城戸ノ内町地図【スタンプ設置場所】「復原街並」入口(南・北)【城郭検定】出題あり一乗谷全体を城郭とし、越前朝倉氏の居城でした。山麓の居館部と、詰城としての中世山城の一乗城で構成され連郭式の縄張りで織田信長の侵攻に備えられた畝状竪掘群が見られます。山麓では町屋や武家屋敷など復原されています。案内看板一城谷朝倉氏遺跡資料館にある案内看板です。こちらで予習をし、パンフレットを入手していざ一城谷へ!下城戸跡一乗谷へ入ると石碑の立つ下城戸跡が見えて来ます。これより特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡となります。土塁土塁と外堀、矩折形の城戸口があります。木戸口この敵の侵入を防...一乗谷城(福井県)

  • 北の庄城(福井城)

    【北の庄城】きたのしょうじょう【別名】北庄城・柴田氏北ノ庄城【構造】平城【築城者】柴田勝家【築城年代】1575年(天正3年)【指定史跡】―【場所】福井市大手地図北の庄城は、柴田勝家が1575年(天正3年)に築城した「北の庄城」と、その跡地に結城秀康が1601年(慶長6年)に改築した「福井城」とがあります。1583年の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻のお市と共に自害すると、城に火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失してしまいました。北の庄城址・柴田公園柴田公園には柴田神社や北の庄城址資料館が隣接しています。今回訪れた時間が朝だったので北の庄城址資料館は閉館していますが、前回ここも訪れています。前日が攻城団の団員総会を丸岡城で開催しているので、ここで団員のまるさん御夫婦と再会しました。九十九橋この橋が架けられていたという記...北の庄城(福井城)

  • 第3回団員総会(丸岡城)

    第3回団員総会今年で3回目の攻城団「団員総会in丸岡城」が8月24日開催されました。1回目は二条城、2回目は名古屋城、3回目は丸岡城での開催となり丸岡城国宝推進室の方によるレクチャーや丸岡城のガイドさんによる天守見学、テーブルごとのトークや歓談と、回を重ねるごとに充実した内容になっています。一筆啓上茶屋集合場所は「一筆啓上茶屋」です。すでに数名の団員さんが到着していたので、その方々と合流して福井駅から出る「攻城団御一行」バスで来る皆さんの到着を待ちました。すると、一台の観光バスがやって来ました。「まさか、マイクロバスじゃなくて大きい観光バスのお迎えか!!」VIPなお迎えで、ちょっと羨ましく思っちゃいました。ランチ団員総会は午後1時からなので、今回は一筆啓上茶屋で12時より昼食を一緒に食べよう!ということで、希望...第3回団員総会(丸岡城)

  • 小布施陣屋(長野県)

    【小布施陣屋】おぶせじんや【別名】一ノ木陣屋【構造】陣屋【築城者】江戸幕府【築城年代】1701年(元禄14年)【指定史跡】町指定史跡【場所】上高井郡小布施町小布施975-1地図ここは江戸時代中期の1701年(元禄14年)から15年間陣屋(代官所)が置かれた場所です。竹風堂の駐車場あたりにあったという陣屋の主屋は46坪ほどで、役人の武士や足軽などのほか、下働きの者など20名ほどが働いていました。駐車場入口国道403号線沿いの竹風堂の駐車場入口です。この先有料駐車場になります。日本のあかり博物館竹宮堂と日本のあかり博物館の間を入った有料駐車場と、日本のあかり博物館のあたりに陣屋はありましたが建物が立ち並び、陣屋の遺構はほとんどありません。案内看板駐車場側から見える案内看板です。駐車場側から見えるこの小道の先に祠が見...小布施陣屋(長野県)

  • 坂木陣屋(長野県)

    【坂木陣屋】さかきじんや【別名】坂城陣屋【構造】陣屋【築城者】板倉重種【築城年代】1682年(天和2年)【指定史跡】-【場所】埴科郡坂城町坂城6402-1地図坂木陣屋は、江戸時代初期に坂木五千石の支配役所として八郎右衛門屋敷に代官所および陣屋が置かれました。北国街道の宿駅であり、横町・立町・新町・大門を宿場とし幕領後は中野預かりとなりますが、引き続き代官陣屋が置かれていました。坂城駅前坂城駅前にやってきました。案内看板坂城駅前にある案内看板です。この案内看板によると東側の石垣が遺構のようですが…。東側にある石垣と言ってもこれ?石垣新しいように見えるので、遺構と言われなければほとんどわかりません。宅地にあるこちらの石垣の方が遺構のように見えます。位置から見てもおそらくこれも陣屋の石垣と思われます。堀跡駅前の案内看...坂木陣屋(長野県)

  • 桂泉院(長野県)

    【桂泉院】けいせいいん【別名】法幢院・龍澤山桂泉院【構造】寺院【造営者】月哺禅師【造営年代】1353年(正平8年)【指定史跡】梵鐘(県宝)【場所】伊那市高遠町東高遠2322地図高遠城主であった高遠太郎家親が月哺禅師の高徳を聞き、城の鎮護の寺として開山したと言われます。1592年(文禄元年)に上野国松井田の補陀寺の住僧であった荊室広林が来た際、どんな人でも出入りができる城外に移すよう勧め、清い泉の湧き出る桂の木の傍に移し、龍澤山桂泉院と称するようになりました。当初法幢院は高遠城内にありましたが、1621年(元和7年)に現在の地に移りました。山門駐車場は山門脇と本堂がある境内の方にもあります。車は境内側に置かせてもらい、立派な山門を見るため、階段を下りて来ました。本堂高遠城内に在った頃には、織田勢によって落城させら...桂泉院(長野県)

  • 大峰城(長野県)

    【大峰城】おおみねじょう【別名】大峯城・大峰山城【構造】山城【築城者】大峰氏【築城年代】不明【指定史跡】-【場所】長野市長野大峰山地図善光寺の背後の山に築かれた大峰城は、天守型の展望台が建っています。この展望台は現在閉鎖されており、周囲も木々で覆われ望見することは出来ません。昭和37年に鉄筋コンクリートで造られた展望台建設時に逆「卍」の中に「鬼」の文字が四つ墨書きされたカワラケが出土し、築城に際しての呪術的な儀式に使用されたものではないかとされています。遺構は一部破壊されているものの、土塁や堀切などの遺構が残っています。終点の駐車場に到着しました。駐車場から振り返った写真ですが、バードラインから大峰斎場方面に入り大峰斎場から先はこのような道を登りあげますが、道は路肩が崩れたり、穴が空いていたり、木の枝が出たりし...大峰城(長野県)

  • 久米城(茨城県)

    【久米城】くめじょう【別名】竜貝城【構造】山城【築城者】大掾氏【築城年代】鎌倉時代【指定史跡】-【場所】常陸太田市久米町2035地図久米城は、佐竹の分家である佐竹北家が本拠とし、山入氏と対抗していました。本城、西城、南城の3城からなる複合城郭で南へと続く尾根上には南の出城も構築されています。鹿島神社付近を本城とし、切岸で郭を区切り尾根筋に郭を築き山麓には平時の居館があり、屋敷と城下町を構えていました。駐車場久米城駐車場があります。案内板や縄張図などが設置されています。鹿島神社鳥居鹿島神社の鳥居のあるところから登城します。順路に従い登って行きます。誘導の案内看板があるので道はわかりやすく、道も整備されています。しかし、この道のコンクリートはとても滑りやすいので雨が降った後は注意して歩かないとすってんころりんです^...久米城(茨城県)

  • 岡城(長野県)

    【岡城】おかじょう【別名】岡村城・古城・小県岡城【構造】平城【築城者】馬場信房【築城年代】1561年(永禄4年)頃【指定史跡】市指定史跡【場所】上田市岡地図岡城の築城時期は不明で文献などから推測で永禄4年~7年の間に築城されたものと思われます。村上義清の葛尾城を落してから、松代に海津城を築くまでの間の川中島進出の重要な前線基地でもありました。武田方の築城であることの特徴がよく見られ、東、西、北の三ヶ所の虎口には三日月堀の伴う丸馬出がありました。現在は宅地や水田と化され、岡城跡公園となっています。案内看板東の虎口付近に案内看板があります。ここには土塁と堀が見られますが、東側にあった東の丸馬出は宅地となり残念ながら、今は消滅しています。駐車場案内看板のある土塁の脇に2台分の駐車スペースがあります。こちらに車を置いて...岡城(長野県)

  • 上田古戦場(長野県)

    【上田古戦場】うえだこせんじょう【合戦名】上田原合戦【合戦者】村上義清vs武田信玄【合戦年代】1548年(天文17年)【指定史跡】-【場所】上田市上田原地図諏訪、佐久地方を平定した武田晴信(信玄)は、北信濃への進出を企てこの地にやって来ました。上田、小県地方に勢力を延ばしていた村上義晴がこれに応戦、1548年(天文17年)ついに上田原合戦へと突入しました。この合戦で武田方は板垣信方などの有力な武将を失い、晴信(信玄)自身も手傷を負い撤退を余儀なくされ、数少ない晴信(信玄)の負け戦となりました。上田古戦場公園この案内看板がある場所は上田古戦場公園の多目的グラウンド側入口にあります。古戦場公園には駐車場があるので周辺散策にはここを利用すると良いです。武田信玄が負け戦となった戦いが、上田では二度ありました。1548年...上田古戦場(長野県)

  • 山方城(茨城県)

    【山方城】やまがたじょう【別名】御城・御城館【構造】丘城【築城者】山方能登守盛利【築城年代】1408年(応永15年)頃【指定史跡】-【場所】常陸大宮市山方313地図山方城は、佐竹氏の重臣の山方能登守の居城跡で、御城と呼ばれ南郷街道に沿った水上交通上の中間地点として重要地点でもありました。御城、中ノ城、外城の三つの郭からなり、南側には山方宿がありました。平時は本城、中ノ城に住み、戦時は高館山頂の詰城に移り住んだものと思われます。駐車場無料駐車場完備です。ここから少し歩くことになりますがありがたいことです。この先に駐車する場所が無いので車はここに置いて歩くことになります。嘆願橋駐車場脇にある皆沢川にかかるこの橋は、かつて農民が御城の領主に願い事をする際ここまでしか入ることが出来ず、ここで言上したことから「嘆願橋」と...山方城(茨城県)

  • 小沢城(群馬県)

    【小沢城】おざわじょう【別名】沼田館・沼田城【構造】崖端城【築城者】沼田景朝【築城年代】1405年(応永12年)【指定史跡】市指定史跡【場所】沼田市甲2038地図小沢城は三浦系・沼田景朝が荘田城から移り、小沢川の崖端に築いた城です。沼田氏の幕岩城へ移るまでの4代114年間、居城にしていました。入口四釜川の崖端に築かれた城で、入口には「沼田平八郎景森の墓」の看板があり、従うように道を登ると小沢城(法城院)に辿りつきます。法城院現在は法城院があるこの場所に案内看板が設置されています。内郭の南側(崖側)は蒟蒻畑になっています。平和観音尊像この辺りに内郭と中郭との間の土塁と堀、虎口があったと思われますが今は土塁はなんとなく名残が見え、堀は見当たりません。土塁と虎口内郭の土塁は東側に残されているものが比較的良好に残ってい...小沢城(群馬県)

  • 荒砥城(長野県)

    【荒砥城】あらとじょう【別名】新砥城【構造】山城【築城者】山田氏【築城年代】室町時代【指定史跡】―【場所】千曲市上山田地図村上氏の支族である山田氏に築かれた山城です。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられました。1582年(天正10年)武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時代には屋代秀正が上杉に従いますが、その翌年には屋代秀正が徳川家康と通じて荒砥城に籠城、上杉諸将に責められ落城したと伝えられています。戸倉上山田温泉戸倉上山田温泉の背後の山に荒砥城が聳えます。「戸」の上に櫓が見えるのがおわかりいただけるでしょうか。県道聖高原千曲線県道聖高原千曲線を進むと見えて来る荒砥城の看板。看板に従って右折をすると駐車場と入口はもうすぐです。また、聖高原方面は現在工事中で全面通行止めになっています。駐車場(...荒砥城(長野県)

  • 常陸太田城(茨城県)

    【常陸太田城】ひたちおおたじょう【別名】佐竹城・舞鶴城・青龍城【構造】平山城【築城者】藤原(小野崎)通延【築城年代】1109年(天仁2年)【指定史跡】-【場所】常陸太田市中城町151地図常陸太田城は、小野崎通延が築城し馬坂城を居城としていた佐竹隆義が小野崎氏を小野崎城へ追いこみ常陸太田城を入手、佐竹氏の本城としました。佐竹氏は会津上杉討伐や関ヶ原合戦に参陣しないなど徳川家康に反抗的態度が多かったために、秋田に国替えを命じられました。秋田移封後は水戸藩の支庁が置かれ明治初期に廃城となりました。西本郭太田小学校へやって来ました。学校はお休みで、職員室を訪ねてみたのですが先生方はいらっしゃいませんでした。通報されないように体育館に居た保護者の方に声を掛けて、事情(城跡を見に来たこと)を告げました。舞鶴城址碑西本郭の太...常陸太田城(茨城県)

  • 小野崎城(茨城県)

    【小野崎城】おのさきじょう【別名】-【構造】平山城【築城者】小野崎通盛【築城年代】1145年―1151年(久安年間)【指定史跡】-【場所】常陸太田市瑞竜町小野崎地図小野崎通盛は、小野崎に館を構えていたことから小野崎新太夫と称しました。佐竹昌義の家臣となり、その勢力は宿老・守護代へと発展していきました。その後佐竹領の拡大に伴い、小野崎城から櫛形城へと所領替えとなり小野崎城は廃城となりました。城址碑常陸太田市立瑞竜中学校にある城跡碑の撮影許可を取りに職員室を訪ねました。撮影許可と他に遺構がないか尋ねてみたのですが、残念ながら遺構は残っていないとのこと。東側の一段下(里川側)から遠景で見ると城(館)を置きそうな地形であることがわかります。しかしそれ以外城跡であったことを偲ぶ材料がみつかりませんでした。近くには白鷺神社...小野崎城(茨城県)

  • 総社城(群馬県)

    【総社城】そうじゃじょう【別名】植野城【構造】平城【築城者】秋元長朝【築城年代】1601年(慶長6年)【指定史跡】-【場所】前橋市総社町総社地図総社に封ぜられた秋元長朝は蒼海城を放棄し、この地に築城したのが総社城です。秋元氏は天狗岩堰の揚水灌漑工事を行い、城下に水路を引き、城下町の整備も行いました。秋元泰朝の時代になると甲州谷村に移封され、廃城となりました。城川公園現在、本丸と二の丸の一部は利根川に削り取られて失われています。また、残った二の丸部分と三の丸も宅地化が進み遺構は残っていません。この壁、和風にはみえないですが、塀に開いた穴が狭間に見えます。^^;案内看板城川公園に設置されている案内看板です。堀跡城川公園から振り返って道の東側を見ると堀の名残なのか?と想像するにもちょっと難しいような二の丸跡があります...総社城(群馬県)

  • 写真館・別館

    カバーコレクション今井城写真館・別館

  • 写真館

    一郷山城新発田城箕輪城小幡陣屋PENTAX高倍率ズームレンズDA18-270mmF3.5-6.3EDSDMKマウントAPS-Cサイズ21497ペンタックスペンタックス写真館

  • 明徳寺城(群馬県)

    【明徳寺城】みょうとくじじょう【別名】天神山砦・天神山城【構造】丘城【築城者】沼田氏【築城年代】1390年―1394年(明徳年間)【指定史跡】町指定史跡【場所】利根郡みなかみ町後閑地図明徳寺城は、会津葦名氏の攻撃に備えて荘田城の沼田氏が築いた天神山砦を改築して城を築きました。戦国時代には北条氏と真田氏の争いに巻き込まれ、後に小田原征伐へと発展し真田氏の領地になるが、後に廃城となりました。みねの湯つきよの館「みねの湯つきよの館」を目標にしてやって来ました。すると矢印看板は「みねの湯つきよの館」の方を指しているのでお邪魔させていただきました。案内看板と標柱案内看板のある「つきよの館」の駐車場から見た入口です。左手に下る道があるのですが、草が生い茂っていて降りて行く気になれなかったのですがその先には井戸があるようです...明徳寺城(群馬県)

  • 栃尾城(新潟県)

    【栃尾城】とちおじょう【別名】舞鶴城・大野城【構造】山城【築城者】芳賀禅可【築城年代】室町時代初期【指定史跡】県指定史跡【場所】長岡市栃尾大野町地図上杉謙信の旗揚げの城と云われる栃尾城は、越後守護となった宇都宮氏綱の家臣芳賀禅可が築きました。上杉謙信が青年期を過ごした城であることでも知られていますが、謙信の死後家督争いとなった「御館の乱」では、越後の主導権争いになり栃尾城は景虎側に味方していたため、景勝軍に攻められ中城まで火を放たれ間もなく落城しました。その後慶長3年に入城した堀秀治は、慶長15年に堀家取りつぶしとなり栃尾城は廃城となりました。駐車場麓の諏訪神社から登るルートがあるのですが辛いより楽な方が良いのと、この日はもう夕暮れで城の中で日が暮れてしまいそうだったので迷うことなく中腹の駐車場からの登城です。...栃尾城(新潟県)