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邪馬台国探訪 https://ameblo.jp/makoto-kodama/

『魏志倭人伝』と『古事記』『日本書紀』が同時に成立し、考古学所見にも適合する説を目指しています。

天照大神=倭女王卑弥呼時代の倭国=高天原は九州北部に在った小国三十国の連合国=女王国連合であり、邪馬台国は卑弥呼が定めた倭国の首都であった。

卑弥呼様は天照大神
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別府市
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延岡市
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2015/12/21

1件〜100件

  • 源氏は秦氏の末裔なのか?

    「木造源頼朝坐像(ざぞう)」甲府市の甲斐善光寺所蔵生前の頼朝の面影が最もよく保たれているとされる。  現在NHK大河ドラマで放送中の「鎌倉殿の13人」だが、二…

  • 間違いだらけの邪馬台国論

     邪馬台国論争は新井白石や本居宣長以来、三百年以上も、争われてきたのだが、未だに決着を得ないのは、いったいどういう理由があるのだろうか? それは『魏志倭人伝』…

  • 卑弥呼は本当は誰なのか?

    大阪府立弥生文化博物館に展示される卑弥呼の像  【卑弥呼は誰なのか!】は昔から謎とされている問題である。 しかし、私に言わせれば、卑弥呼は『魏志倭人伝』が紀元…

  • 難升米らの倭使を送還した(仮の)帯方郡使

     【榎放射説】の欠点は、帯方郡使の梯儁らが来倭後伊都国に留まり、倭女王卑弥呼の居す倭国の王都邪馬台国へは行っていないとした点にあろう。 ところが、実際に『魏志…

  • 女王國より以北は戸数道里を略載可なれども、其の余の旁國は遠絶にて詳らかにし得ず。

      今回は『魏志倭人伝』解釈上、最も難解な記載と思われる、 「女王国以北は戸数道里を略載可なれどもその余の某国は遠絶にて詳らかにし得ず」 に焦点を当てたいと思…

  • 邪馬台国が投馬国よりも北にある理由

     この前発売された私の著書、「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着 」を執筆するにあたり、私が非常に苦労した場面が二つあります。 その一つが、『魏…

  • 鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の由来

     今回は、卑弥呼神社の本体である、鹿児島神宮について、書きたいと思います。 この神社は鹿児島県霧島市隼人町にあり、昔は大隅正八幡宮と呼ばれていました。ではなぜ…

  • 卑弥呼神社は実際にあった

     先日の私のブログ、 「なぜ卑弥呼神社がないのか」 に対し、富貴名無さんから、以下のような、コメントを頂きました。 こんにちは(^^)鹿児島神宮のすぐ近く…

  • なぜ卑弥呼神社がないのか?

    東京大学卒の東北大学文学部名誉教授で、古代史研究家として有名な田中英道氏は次のような説を唱えています。 なぜ卑弥呼神社がないのか?  あなたは、こんな歴史の“…

  • 「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着」の反省点

     昨日、私が出しました本、「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着」には、いくつかの反省点がありましたので、今回は、そのことをこのブログ上で、表明し…

  • 『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着

    遂に玄武書房から、私の新刊著書が出版されます。タイトルは上に記される、題名のとおりです。  この本は過去に前例のない、本格的な『魏志倭人伝』解釈本だと自負して…

  • 天武天皇は住吉海人族の長・津守連・大海(たいかい)なのか?

    天武天皇(大海人皇子)   『日本書紀』に天武天皇即位前の元々の名は、大海人皇子と記されます。 『日本書紀』では、大海人皇子と中大兄皇子の二人は、共に舒明天皇…

  • 大化の改新(乙巳の変)は百済王朝が起こした倭国政権に対するクーデター

    百済宮比定地 吉備池廃寺 (奈良県桜井市大字吉備) 我々が中高生時に習った日本史の教科書によると、紀元645年、中大兄皇子と中臣鎌足は大化の改新(乙巳の変)を…

  • 針摺瀬戸(はりずりのせと)

    3500年前の北九州地域 40mの海進があったとの推定。これだけの海進があった場合、ようやく針摺瀬戸が出現する。1980年、九州大学航空工学科の真鍋大覚助教授…

  • 天智と天武は本当に兄弟なのか?

    談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』の描く 紀元645年に起きた乙巳の変の画像。 江戸時代、住吉如慶・具慶の合作によって描かれたもの。切られた蘇我入鹿の首が飛んでい…

  • 天智天皇は百済皇子『翹岐』で中臣鎌足は百済大佐平智積か?

    中臣(藤原)鎌足像 『日本書紀』は中大兄皇子が実際には百済皇子・翹岐であることを示しています。 しかし、世の中には感覚が鈍いせいか、このことに全く気付かない人…

  • 百済・義慈王と百済王子・翹岐の母は誰?

    沙宅(サテク)王妃 韓国ドラマ【階伯「ケベク」】より引用 2011年放映の韓国ドラマ・階伯 [ケベク] の登場人物は『日本書紀』と被っており、韓国の歴史から日…

  • 『日本書紀』が舒明天皇時代とする時代は本当は山背天皇時代

    聖徳太子の長男 山背大兄皇子手に持つのはペルシャ製のランプ 前回までにこのブログで示したように、聖徳太子=厩戸皇子=蘇我善徳=アマタリシヒコは女帝・推古天皇の…

  • 聖徳太子の母親・穴穂部間人皇女とは誰?

    法隆寺釈迦三尊像(聖徳太子をモデルに作られたと云われ、肖像画とは違い西洋人的顔つきをしている)   『日本書紀』によると、聖徳太子は用明天皇と穴穂部間人皇女の…

  • 聖徳太子は蘇我善徳である。

    聖徳太子と向かって左が用明天皇の第五皇子の殖栗皇子、向かって右が息子の山背大兄皇子 以前は一万円札のアイコンとして、日本人に親しまれていた聖徳太子ですが最近で…

  • 大和国を(やまと)国と読む理由。

     高天原(倭国)の天照大神(卑弥呼)は、布津主神と武御雷神(ともに物部氏の祖先)に命じて、豊芦原中国の王都出雲を攻めて侵略すると、 (『古事記』では三保の岬で…

  • 古代倭人の姿

    越人像(浙江省博物館蔵)古代の江南辺りの海人族の姿(Wikipediaより引用)  "火野蓮時"さん書き下ろしの素戔嗚尊【素戔嗚尊見開き御朱印】 因みにこの須…

  • 五十猛神

    佐賀県諸富町新北神社と御神木の飛竜木(ビャクシン) 初、五十猛神、天降之時、多將樹種而下、然不殖韓地、盡以持歸。遂始自筑紫凡大八洲国之內、莫不播殖而成靑山焉。…

  • 草薙剣

     天照大御神の三種の神器 八咫鏡 八尺瓊勾玉 草薙剣(Wikipediaより引用)因みに八咫鏡は伊都国の平原王墓から出土した内行花文鏡のようである。 時、彼處…

  • 素戔嗚尊は本当に朝鮮半島に渡ったのか?

    徐福が書いたとされる古代文字のレプリカ「徐市過此(ソブルクァチャ)」と書いてあるらしい。  是時、素戔鳴尊、帥其子五十猛神、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。乃興…

  • 千座置戸の刑罰

     『古事記』本文には次のような須佐之男命に関する記載があります。 於是 八百萬神共議而於速須佐之男命負千位置戸亦切鬚及手足爪令拔而 (読み方)是ここに八百万の…

  • 神武東征の実情

     神武東征物語の実情に関して私の考えるには、二代目天照大神である台与の時代に九州北部にあった倭国=女王国連合は、先代の女王・初代天照大神であった卑弥呼が魏に朝…

  • 縄文海進を弥生時代に持ってくる論者が多過ぎる

    2mの縄文海進があった時の福岡市(奴国)周辺の海岸線図これでもかなり海没する地域が出現し、糸島水道が現れる。 さまざまな自説に拘ってばかりの邪馬台国論者によく…

  • 伊都国から『南邪馬台国へ至る水行十日』

     私の考えた榎放射説とは異なる新放射説によりますと、南水行十日は伊都国から邪馬台国に直接至る行程となりますが、この行程は途中で刻々と変わる船の方角はあまり考え…

  • 卑弥呼が倭国を統治していた時代とはどんな時代か?

     邪馬台国の在った時代とは、すなわち弥生時代である。 歴史研究家の特に邪馬台国畿内説派の方はこの時代を古墳時代のはしりであると、 考えておられる方もいらっしゃ…

  • 画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡である理由

    発掘された黒塚古墳の石室  前回画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡ではないのか?と言ったが、この説を裏付ける明白な理由が存在する。その理由とは奈良県天理市柳本町に在る黒…

  • 三角縁神獣鏡の由来

    景初三年銘の三角縁神獣鏡 島根県加茂町出土 中国社会科学院考古研究所前所長の王仲殊氏は、「三角縁神獣鏡は魏王朝から賜与されたものではなく、当時日本に渡来した呉…

  • 【神功皇后の三韓征伐】に関し、『三国史記』と『記・紀』との摺り合わせ

    神功皇后の三韓征伐絵図 上記絵図は『記・紀』の記す【神功皇后の三韓征伐】物語の様子だが、例えば『日本書紀』では、【神功皇后の三韓征伐】について次のように記され…

  • 誉田別命が気比大神と名を代えたという謎の話

    敦賀駅前に立つ、「都怒我阿羅斯等」の像単に甲冑を着けたサラリーマンという感じで、ダサダサ。因みに「ツヌガアラシト」とは兜のクワガタが角に見え、「角がある人」と…

  • 神功皇后伝承(鮎釣り)

    末蘆川で鮎釣りをする神功皇后  『日本書紀』 (原文) 夏四月壬寅朔甲辰、北到火前国松浦縣而進食於玉嶋里小河之側。於是、皇后勾針爲鉤、取粒爲餌、抽取裳縷爲緡、…

  • 倭女王・台与の西晋貢献の記載

    赤塚古墳大分県宇佐市に有る。3世紀末に築造されたと推定される九州最古の前方後円墳。全長57.5メートル、後円部の直径36メートル、高さ4.8メートル、前方部の…

  • 『晋書』「倭国伝」の台与に関する個所

    新倭の女王・台与(臺與・壹與) 『晋書』(しんじょ 繁体字: 晉書)は、中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の648年に太宗の命…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(宗女・台与の倭王即位)

    臺與が魏に貢献した青大勾玉はこのような倭国特産(糸魚川産)の翡翠製であったと考えられる。当時の倭人達は既にこのような高等技術を持っていたのである。  白珠とは…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(卑弥呼の死)

    卑弥呼の冢と考えられる筑後国山門郡瀬高町の権現塚古墳  (原文) 其八年太守王頎到官倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(献使の往来)

     (原文) 其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人、上獻生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木フ・短弓矢。掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。 其六年、詔賜倭難升…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(拝仮倭王)

    魏の正使である帯方郡使・梯儁等の辿ったルート帯方郡使の梯儁らは末蘆国の港(呼子港や唐津港)には入港せず、伊都国の港に直接上陸すると、一大率に積み荷を港で捜露(…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(銅鏡百枚)

    一般に卑弥呼の鏡と云われている三角縁神獣鏡  (原文) 今以絳地交龍錦五匹・絳地縐粟罽十張・蒨絳五十匹・紺青五十匹、答汝所獻貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹・細班…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(親魏倭王)

    親魏倭王銘 金印 其年十二月、詔書報倭女王曰、制詔親魏倭王卑彌呼。帶方太守劉夏、遣使送汝大夫難升米・次使都市牛利、奉汝所獻男生口四人・女生口六人・斑布二匹二丈…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(卑弥呼の魏朝見)

     景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏、將送詣京都。 (書き下し文) 景初二年六月。倭女王、大夫難升米等を遣わして郡に詣り、天子に…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(女王国の東の国と南の国)

     女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國、在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國・黒齒國、復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(倭女王卑弥呼)

    弥生(渡来)系の風貌をした倭女王卑弥呼  其國本亦以男子爲王、住七八十年。倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫壻、…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(一大率)

    吉野ヶ里遺跡の邸閣 收租賦、有邸閣、國國有市。交易有無、使大倭監之。自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。 王遣使詣京都…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(人性酒を嗜む)

    太占の法令亀の法 其俗擧事行來有所云爲、輒灼骨而卜以占吉凶。先告所卜、其辭如令龜法、視火坼占兆。其會同坐起、父子男女無別、人性嗜酒。(裴松之)注…魏略曰 其俗…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(持齋)

     其行來渡海詣中國、恆使一人不梳頭、不去蟣蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人、名之爲持衰。若行者吉善、共顧其生口財物、若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(棺あれども槨なし)

      吉野ヶ里遺跡の竪穴式住居 倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也、食飮用籩豆手食。其死有棺無槨、封土作冢。始…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(倭人の風俗)

    其風俗不淫。男子皆露紒、以木緜招頭、其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈祄、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。種禾稻紵麻、蠶桑緝績、出細紵縑緜。其地無牛馬虎…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(黥面文身)

    男子無大小、皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身、以避蛟龍之害。今倭水人、好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(狗奴国)

    其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。 書き下し文 其の南に狗奴国あり。男子を王と為す。其の官に狗古智卑狗あり、女王に属…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(連続して記載される二十一カ国)

     自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。次有斯馬國、次有己百支國、次有伊邪國、次有郡支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(投馬国と邪馬台国)

     南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日・陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮、可…

  • 「古代史の散歩道 など」ブログの自説批判の撤退について

    >それともう一つ、貴殿は邪馬台国は何処に在ったと考えていますか?このことも貴殿は屁理屈を並べるばかりで、具体的には何も語っていなさそうです。牧健司博士と同様に…

  • 「古代史の散歩道など」ブログに対する回答

    >               記 まずは、毎度無視される前置き部分の当方指摘の再掲です。今回の記事で大変困るのは、当方のブログ記事が引用されていないので、一…

  • 「古代史の散歩道 など」サイトに対する批判

    > 貴兄の視点では、倭人伝からそれだけしか読めないのならしょうが無いですが、別にもっと読める人に対して自慢することではないでしょう。当方は、すでに、全行程四十…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(奴国・不彌国)

     東南至奴國百里。官曰兇馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。 【奴国】東南、奴國に至るには百里。官を兇馬觚(し…

  • 「古代史の散歩道 など」サイト氏の唱える道程説が駄目な証拠

    今回、ちょっとがっかりしたので、厳しめのコメントを書かせていただきます。もうちょっと斬新な説は書けなかったのでしょうか? *「陸行」・非陸行 逆に、末羅から伊…

  • 古代史の散歩道 などサイトの疑問に対する回答

    以下の書き込みは私の考えですので、別に強制はしませんから、一応参考にしてください。 新・私の本棚 番外のおまけ 投馬国道里問題について            …

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(伊都国)

     東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。 東南、陸行五百里にて、伊都國に到る。官を爾支と曰く…

  • 「古代史の散歩道 など」サイトに対する反論

    いつも私の説を御批評いただき、誠にありがとうございます。でも一応、反論を・・・それにしても、食糧不足の泣き言がない以上、盛大に農耕していたでしょうから、大挙浜…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(末蘆国)

     現在も活動する三重県鳥羽市の海女さんたち。  又渡一海千餘里、至末盧國。有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人、好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。 又一海…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(一支国)

    一支国 原の辻遺跡の外観。 次は一支国(壱岐国)です。 又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離、方可三百里、多竹木叢林、有三千許家、差…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(對島国)

     始度一海千餘里、至對馬國。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑、有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。 …

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む(その二)

    從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里。 (帯方)郡より倭に至るには海岸に循(そ)いて水行し、(諸)韓国を歴(へ)て、乍南乍東其の(…

  • 『魏志倭人伝』をそのまま読む (その一)

    倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。 よく引用される『魏志倭人伝』の冒頭文だが、 倭人は帯方東南大海の中に在り。山…

  • 卑弥呼の魏朝献年は景初二年か三年か?

    倭使が辿ったルートと司馬懿軍の進軍ルート 倭女王卑弥呼の魏貢献は何時の話か?このことは今まで景初三年とする説が多かったのだが、私は景初二年と考えている。何故な…

  • 女王国とはなにか?

    『魏志倭人伝』に邪馬台国の名は一度しか出てこないが、女王国は度々登場する。倭女王卑弥呼が治める国。それが女王国である。 ところがこの女王国には二つの意味がある…

  • 秦王国の鹿児島進出と隼人の乱

    隼人塚 鹿児島観光写真より 養老4年(720年)2月29日、大宰府から朝廷へ「大隅国国司の陽侯史麻呂(やこのまろ)が殺害された」との報告が伝えられた。朝廷は3…

  • 加羅国から渡来したとされる秦氏とはどのような民族なのか?

    八幡の八の字はユダヤ十二氏族のうち失われた十支族中の八支族を彷彿とさせます。北九州には八幡の他に十幡(戸畑)もあり、こちらは失われた十支族が揃っています。だか…

  • 辛島氏の祀る八幡信仰を大和から来た大神比儀が奪った

    現在の宇佐神宮の由緒書きの記す鍛冶翁・八幡神権現物語によると 欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形(ひしがた)池のほとりの泉のわくところに、ひとつの…

  • 秦王国の八幡神は大和朝廷により秦氏の神から日本の神に変えられた。

    八幡神を祀る神社である八幡宮は日本全国に約四万四千社程あると云われており、なかでも京都の石清水八幡、鎌倉の鶴岡八幡、博多の筥崎八幡などが有名処ですが、これ等全…

  • 秦王国の王都は田川香春から豊前宇佐に遷都されたらしい。

    全国の八幡宮で行われる放生会は宇佐放生会が発祥ではないかと思われますが、この神事は養老四年(西暦720年)の大隅・日向隼人の乱後、1300年も続いています。宇…

  • 【磐井の乱】

    筑紫君磐井の墓と伝えられる福岡県八女市の岩戸山古墳とその前に並べられた石人たち。 『記・紀』継体天皇の項によると、六世紀初頭に九州で【磐井の乱】が起きたとある…

  • 四世紀末秦一族は北九州に秦王国を築いた

     『隋書』の記載からも6~7世紀に秦王国が北九州地域に在ったことは明白であります。 それでは秦王国はいつ頃出来て、いつ頃まで北九州地域に存在したのでしょうか?…

  • 田川郡赤村に見つかった前方後円墳は北九州に秦王国を開いた功満王の陵墓か?

    2018/3/20 西日本新聞 筑豊版朝刊誌面上に次のような記事が掲載された。 「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る450m  赤村に…

  • 『隋書』の記すところでは聖徳太子が居た時代の北九州に【秦王国】が在ったとされる

    七世紀初頭、聖徳太子が居た時代の日本には秦王国と呼ばれる王国が在ったらしい。 『隋書』には隋の煬帝が遣わした裴淸(裴世淸)の倭国訪問日誌が記されている。 「明…

  • 神功皇后に殺された四世紀末の邪馬台国女王・田油津姫の兄・夏羽と夏一族とは?

    香春嶽(一之嶽は昭和に入ってからの石灰岩採掘により上半分は無くなってしまった) 『日本書紀』には「当時の邪馬台国女王・田油津姫が神功皇后軍に殺されたとき、兄の…

  • 息長足姫(神功皇后)による【邪馬台国】侵略

    息長足姫(神功皇后)は【神】の言葉を得て、教えられたとおりに祭祀を行うと、吉備臣の祖の鴨別(かものわけ)らを遣わして、熊襲を撃つよう命じられました。すると干支…

  • 【神功皇后の三韓征伐】伝説の真相とは?

    橿日(香椎)宮に掲げられる神功皇后(息長足姫)像【右手前は大臣武内宿禰、奥は中臣烏賊津連と考えられるが、烏賊津連の顔が黥面であることに注意】【黥面でない神功皇…

  • 仲哀天皇を殺して大和朝廷を簒奪した功満王の子・融通王(弓月君)が応神天皇となった説

    【三韓征伐】に挑む神功皇后絵図 上の話は【神功皇后の三韓征伐】として知られるが、実際は新羅を征伐しただけである。高句麗は征伐するどころか倭国軍は後に好太王によ…

  • 仲哀天皇を殺した【神】の名は?

    前回記した如く、あくまでも熊襲(狗奴国勢力)征伐に拘るばかりで、新羅出兵を渋った仲哀天皇に対し、【神】は、『凡そ、この天下はおまえの知らすべき国にあらず。一道…

  • 仲哀天皇の謎の死の真相とは何だろうか?

    『古事記』『日本書紀』の記す古代天皇の中でも第14代仲哀天皇はとりわけ謎が多く、52歳時に筑紫国の香椎宮で急死したとされるその死にざまは特に謎に包まれている。…

  • 比売大神の正体は玉依姫か?

    木彫りの御神像が舞い、相撲を取る細男舞・神相撲(くわしおのまい・かみずもう)は4年に1度、豊前国築上郡吉富町小犬丸に鎮座する【八幡古表神社】の夏季大祭に於いて…

  • 亀山古墳の被葬者だと考えられる比売大神とは卑弥呼のことなのか?

    【奈多宮木造八幡三神像】左から八幡神、比売大神、大帯姫(神功皇后)を現す。八幡奈多宮は国東半島、大分空港近くの杵築市奈多海岸に有る宇佐神宮と関係の深い神社。正…

  • 宇佐神宮の建つ小椋山(亀山)は前方後円墳?

    宇佐神宮の本殿(上宮)へ向かう参道  大分県宇佐市には豊前国一之宮である宇佐神宮(宇佐八幡宮)があります。 この宇佐八幡宮は全国に約四万四千社程分布する八幡宮…

  • 天之御中主神と倭の海人族

    【道教】の唱える【八卦】の図(平安時代に日本で流行った【陰陽五行説】にも関連する)(占いが)【当たるも八卦当たらぬも八卦】の故事ことわざでも有名である。 現存…

  • 侏儒國は種子島・屋久島

    『魏志倭人伝』には倭国=女王国連合周囲国の記載がある。 これらの国々は現代日本でもほぼ同じ関係のはずで、他所の世界の話にする必要はない。つまり我々現代の日本人…

  • 魏の正使・悌儁らの帯方郡使が辿った伊都国から邪馬台国への陸行行程

     魏の正使悌儁ら「帯方郡使」が正始元年(AD240)に辿った伊都国ー邪馬台国間の陸行一月(千五百里) 難升米らの倭使を伊都国まで送還後、伊都国に駐留しつつ、奴…

  • 『帯方郡から邪馬台国へ至る道程の真相解明』

    【全国邪馬台国連絡協議会】(全邪馬連)HPの【私の邪馬台国論】に投稿しました。題名は『帯方郡から邪馬台国へ至る道程の真相解明』です。是非、いちどご覧ください。…

  • 景初三年(AD239)倭使を送還するために遣わされた(仮の)【帯方郡使】の陸行道程

     上記地図は帯方郡使が末蘆国の呼子港辺りに上陸後、伊都国迄の五百里を陸行し、その後伊都国に駐留しつつ、奴国、不彌国を往来していた行程を再現したものです。 とこ…

  • 帯方郡使たちの倭国への旅(その一)

    『魏志倭人伝』にのめり込み過ぎて、帯方郡使の辿った道程が頭から離れなくなった私は、一度帯方郡使の気分になって、帯方郡から倭国への道程を辿ってみたいと思っていま…

  • 猿でも解る邪馬台国の位置

    どうやら日本国民の誰もが、未だに邪馬台国の位置をまるで解っていないらしいので、今回は『魏志倭人伝』の記す帯方郡から邪馬台国へ至る道程記事を読むだけで、邪馬台国…

  • 『魏志倭人伝』の記す里程の距離とは如何?

     わたしは前回迄のブログ【猿でも解る邪馬台国の位置】で、『魏志倭人伝』の記載どおりに帯方郡から邪馬台国へ至る道程を辿ることで、末盧国-邪馬台国間の距離が僅か二…

  • 伊都国と邪馬台国間の千五百里が、水行で十日陸行で一月も要する理由

    ● 里程から算出される伊都国-邪馬台国間の距離はたったの千五百里なのに、   水行で十日もかかる理由は船で長崎半島を大きく回り込んで行くからであり、   陸行…

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