熊野那智大社にある八咫烏像 八咫烏とは「神武東征物語」に登場する三本足の烏(カラス)なのだが、実際には烏に模した人物(特に紀伊半島の豪族)なのでしょう。 『日…
『魏志倭人伝』と『古事記』『日本書紀』が同時に成立し、考古学所見にも適合する説を目指しています。
天照大神=倭女王卑弥呼時代の倭国=高天原は九州北部に在った小国三十国の連合国=女王国連合であり、邪馬台国は卑弥呼が定めた倭国の首都であった。
熊野那智大社にある八咫烏像 八咫烏とは「神武東征物語」に登場する三本足の烏(カラス)なのだが、実際には烏に模した人物(特に紀伊半島の豪族)なのでしょう。 『日…
長脛彦命=味鋤高彦根命を祀る高鴨神社(奈良県御所市) 『古事記』『日本書紀』の「神武東征物語」に登場する長脛彦命。 長脛彦命は『記・紀』では「神武東征物語」の…
高天原を訪れたスサノオを、弓矢を持って待ち受けるアマテラス。この後、二神は「誓約」を行うが、生まれた子供が、アマテラスの五男神、スサノオの宗像三女神。この時…
皆さんは、ノストラダムスと聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか? 多分、「1999年七の月、人類は滅亡する」と予言したが、結局その時は何も起こらず、予言…
邪馬台国の文字は、「紹興本」や「紹熙本」のような十二世紀に作られた印刷本には邪馬壹国と記されるが、古い時代に筆写された『後漢書』や『翰苑』には邪馬臺国と記され…
『日本書紀』に聖徳太子は、用明天皇と穴穗部間人の間にできた子と記されます。ところが、豊後国には用明天皇の伝説が伝わっており、この伝説の伝えるところによると、豊…
『魏志倭人伝』には倭の小国の副官として卑奴母離の名が記されます。この卑奴母離とは後世の『記・紀』では夷守と記されると考えられます。更に後の世になると、防人と記…
今年もどうぞよろしくお願いします。 邪馬台国及び投馬国は此処だ! (帯方)郡より女王国(邪馬台国)に至ること萬二千余里。(伊都国における伝聞記事)南投馬国へ…
『記・紀』神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神が天沼矛(アメノヌボコ)を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き…
『記・紀』を見ると、邇邇芸命は天孫降臨に際し、「邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に宇岐…
私は以前、ニューヨーク911や真珠湾作戦は米戦争屋がわざと自国を攻撃させて、その報復の形で、戦争突入の口実を作ったのだと分析した。 ところが、今回イスラエルは…
黒木の大藤は、八女市黒木町にある素戔嗚神社の境内にあります。大藤は、樹齢600年以上の国指定天然記念物で、八女市が誇る観光名所です。2023年の八女大藤祭りは…
景行天皇(即位十八年)六月三日。高来県(タカクノアガタ=現在の長崎県島原半島)から玉杵名邑(タマキナノムラ=現在の熊本県玉名郡に渡りました。そして、その土地…
熊本県八代市球磨川河口部にある水島 景行天皇の(即位十八年)夏四月三日に熊県(熊本県球磨郡)、現在の人吉市に到着しました。そこには熊津彦の兄弟が二人いました。…
宮崎県西都原古墳群に在る女狭穂塚景行天皇時代より遅れ、五世紀前半の建造とされる。仁徳天皇時代の髪長姫辺りの墓だろう。対する男狭穂塚は父親の諸県の牛(主)の墓か…
地域タグ:小林市
隼人の盾を持って踊る京都・大住隼人会の学生たち京都は隼人が移り住んだ地。奈良時代(約1300年前)の話らしい。大住から来たと云うことだが、本来は大隅隼人なのだ…
地域タグ:宮崎県
香椎宮本堂(著者撮影) 香椎宮本堂内部(著者撮影) 香椎宮裏手にある仲哀天皇が倭国軍の大本営を開いた場所の石碑(著者撮影)この石碑は同時に仲哀天皇の墓標にもな…
地域タグ:宇佐市
古宮八幡宮(田川市香春)精銅所近く 今回は宇佐神宮、及びその関連神社を掘り下げてみたいと思います。 『四世紀末秦一族は北九州に秦王国を築いた』 『隋書』の記…
今回は現在私の居住する大分県の話です。そこで地の利も加えまして、少し丁寧に考察したいと思います。そして、『景行天皇紀』を主体としながらも、時折『豊後国風土記…
景行天皇十二年の秋七月、熊襲が背いて朝貢をしなかった ーすると、当時既に大和朝廷は熊襲を従えていたことになるが、『古事記』では皇子の倭建命が熊襲討伐に出向い…
奈良県斑鳩町の法隆寺に鎮座される聖徳太子像嘗て一万円札に描かれていた聖徳太子像とはかなり印象が違う。こちらの方が目が鋭く、厳しい性格が窺われる。実像に近いのだ…
北朝鮮の巡航ミサイルの行路。 今朝も北朝鮮はミサイルを発射したらしい。 北はミサイルを発射することで、米戦争屋から多量の資金を得ているのであり、米戦争屋と金正…
北朝鮮のミサイル発射は米戦争屋が資金と技術を提供しているのか?
次第に発射回数が増えている北朝鮮のICBM等のミサイル 北朝鮮はここ何週間かミサイルの試験発射を繰り返している。そのうちいくつかは、アメリカと韓国がICBMシ…
一機目の旅客機の突入があった、ツインタワー。 この時 もう一方のビルも、二機目の旅客機が突入しようと近づいてくる。 ところで、この画像はどうやって撮ったの…
米戦争屋は戦争を起こす為には平気で自国民を犠牲にする。 日本軍の奇襲攻撃を受け、燃え上がる米戦艦ウエストバージニア 「ハル・ノート」を突きつけられ、米国…
1532年、中国の明朝で描かれた【四海華夷総図】(Wikipediaから引用) 日本国と倭国が別に描かれている。つまり、倭国=九州王朝日本国=本州=大和朝廷と…
今回は古田武彦氏の『九州王朝説』について、自論を展開したいと思います。 『九州王朝説』は後漢の光武帝から【漢委奴国王】銘の金印を戴いた倭奴国の時代から、卑…
どうやら、「ToYourDay」さんはもう歴史の話はしないようですね。 まあ、私的に考えた結果、「ToYourDay」さんは古代史論に関しては、邪馬台国論…
私のブログに対する長々とした批評、誠にありがとうございました。 しかし、貴殿のブログを読ませて頂いた私が、何も心に残るものが無かった理由は、貴殿の話には何…
折角、コメントを頂いた「ToYourDay」さんには、出来るだけ返信しようと思うのですが、「ToYourDay」さんの書き込みの大部分は私への誹謗中傷であり…
成程! いったい何をギャーギャー喚いているのか不明だったが、どうやら『古代史の散歩道』なるHPが実際にあるようだね。 古代史の散歩道古代史の整理と問題点の検…
景初中,明帝密遣帶方太守劉昕、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡,諸韓國臣智加賜邑君印綬,其次與邑長。其俗好衣幘,下戶詣郡朝謁,皆假衣幘,自服印綬衣幘千有餘人。部從事吳…
再び、「古代史の散歩道」さん、もとい「ToYourDay」さんから返信がありました。どうもありがとうございます。そこで、礼儀として今回も更に返信したいと思いま…
「古代史の散歩道」さん(本名・筆者名不詳)へのコメントをわざわざ書いたのですが、ブログ掲示板にスパムと見做されて掲載を拒絶されましたので、仕方なく、只今私のブ…
古田案(邪馬台国へ至る南水行十日陸行一月の起点を帯方郡に置く)の場合、古田氏の言う魏使団に韓国内や対馬と壱岐内を陸行させる説は前回指摘した如く、一切成り立ち…
近頃では邪馬台国九州説派でも特に、邪馬台国を吉野ケ里や甘木朝倉或いは日田辺りの、伊都国から比較的近場に比定したい論者に古田武彦案を引用した説が大人気であり、…
神武天皇は饒速日命の息子・ウマシマジ命から初代天皇の座を奪ったのか?
橿原神宮に展示される神武天皇像 神武天皇=彦穂穂出見命が東征軍を率いて畿内に攻め込んだ最後に、『古事記』では饒速日命が登場し、物部一族を従え神武に帰順したとさ…
賀茂御祖神社(下鴨神社)京都市左京区八咫烏とされる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られる。 八咫烏をモチーフにした日本サッカー協会のシンボルマーク…
埼玉県飯能市の真言宗智山派 円泉寺に飾られる下照姫像 天若日子が饒速日命であること以外に『記・紀』が隠蔽している話に、長脛彦命が実は味鋤高彦根命と同一人物だと…
『先代旧事本紀』によると、天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた五男神又は六男神の長男、正哉吾勝勝速日天押穂耳(オシホミミ)尊は高皇産霊(タカミムスビ)神の娘…
黥面文身模様のついた顔面土器 日本の歴史書『古事記』『日本書紀』には倭の海人族が登場する。 倭の海人族、それは古代日本の歴史を作ってきた人々。 倭人は縄文の昔…
「木造源頼朝坐像(ざぞう)」甲府市の甲斐善光寺所蔵生前の頼朝の面影が最もよく保たれているとされる。 現在NHK大河ドラマで放送中の「鎌倉殿の13人」だが、二…
邪馬台国論争は新井白石や本居宣長以来、三百年以上も、争われてきたのだが、未だに決着を得ないのは、いったいどういう理由があるのだろうか? それは『魏志倭人伝』…
大阪府立弥生文化博物館に展示される卑弥呼の像 【卑弥呼は誰なのか!】は昔から謎とされている問題である。 しかし、私に言わせれば、卑弥呼は『魏志倭人伝』が紀元…
【榎放射説】の欠点は、帯方郡使の梯儁らが来倭後伊都国に留まり、倭女王卑弥呼の居す倭国の王都邪馬台国へは行っていないとした点にあろう。 ところが、実際に『魏志…
女王國より以北は戸数道里を略載可なれども、其の余の旁國は遠絶にて詳らかにし得ず。
今回は『魏志倭人伝』解釈上、最も難解な記載と思われる、 「女王国以北は戸数道里を略載可なれどもその余の某国は遠絶にて詳らかにし得ず」 に焦点を当てたいと思…
この前発売された私の著書、「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着 」を執筆するにあたり、私が非常に苦労した場面が二つあります。 その一つが、『魏…
今回は、卑弥呼神社の本体である、鹿児島神宮について、書きたいと思います。 この神社は鹿児島県霧島市隼人町にあり、昔は大隅正八幡宮と呼ばれていました。ではなぜ…
先日の私のブログ、 「なぜ卑弥呼神社がないのか」 に対し、富貴名無さんから、以下のような、コメントを頂きました。 こんにちは(^^)鹿児島神宮のすぐ近く…
東京大学卒の東北大学文学部名誉教授で、古代史研究家として有名な田中英道氏は次のような説を唱えています。 なぜ卑弥呼神社がないのか? あなたは、こんな歴史の“…
「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着」の反省点
昨日、私が出しました本、「『魏志倭人伝』の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着」には、いくつかの反省点がありましたので、今回は、そのことをこのブログ上で、表明し…
遂に玄武書房から、私の新刊著書が出版されます。タイトルは上に記される、題名のとおりです。 この本は過去に前例のない、本格的な『魏志倭人伝』解釈本だと自負して…
天武天皇(大海人皇子) 『日本書紀』に天武天皇即位前の元々の名は、大海人皇子と記されます。 『日本書紀』では、大海人皇子と中大兄皇子の二人は、共に舒明天皇…
大化の改新(乙巳の変)は百済王朝が起こした倭国政権に対するクーデター
百済宮比定地 吉備池廃寺 (奈良県桜井市大字吉備) 我々が中高生時に習った日本史の教科書によると、紀元645年、中大兄皇子と中臣鎌足は大化の改新(乙巳の変)を…
3500年前の北九州地域 40mの海進があったとの推定。これだけの海進があった場合、ようやく針摺瀬戸が出現する。1980年、九州大学航空工学科の真鍋大覚助教授…
談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』の描く 紀元645年に起きた乙巳の変の画像。 江戸時代、住吉如慶・具慶の合作によって描かれたもの。切られた蘇我入鹿の首が飛んでい…
中臣(藤原)鎌足像 『日本書紀』は中大兄皇子が実際には百済皇子・翹岐であることを示しています。 しかし、世の中には感覚が鈍いせいか、このことに全く気付かない人…
沙宅(サテク)王妃 韓国ドラマ【階伯「ケベク」】より引用 2011年放映の韓国ドラマ・階伯 [ケベク] の登場人物は『日本書紀』と被っており、韓国の歴史から日…
聖徳太子の長男 山背大兄皇子手に持つのはペルシャ製のランプ 前回までにこのブログで示したように、聖徳太子=厩戸皇子=蘇我善徳=アマタリシヒコは女帝・推古天皇の…
法隆寺釈迦三尊像(聖徳太子をモデルに作られたと云われ、肖像画とは違い西洋人的顔つきをしている) 『日本書紀』によると、聖徳太子は用明天皇と穴穂部間人皇女の…
聖徳太子と向かって左が用明天皇の第五皇子の殖栗皇子、向かって右が息子の山背大兄皇子 以前は一万円札のアイコンとして、日本人に親しまれていた聖徳太子ですが最近で…
高天原(倭国)の天照大神(卑弥呼)は、布津主神と武御雷神(ともに物部氏の祖先)に命じて、豊芦原中国の王都出雲を攻めて侵略すると、 (『古事記』では三保の岬で…
越人像(浙江省博物館蔵)古代の江南辺りの海人族の姿(Wikipediaより引用) "火野蓮時"さん書き下ろしの素戔嗚尊【素戔嗚尊見開き御朱印】 因みにこの須…
佐賀県諸富町新北神社と御神木の飛竜木(ビャクシン) 初、五十猛神、天降之時、多將樹種而下、然不殖韓地、盡以持歸。遂始自筑紫凡大八洲国之內、莫不播殖而成靑山焉。…
天照大御神の三種の神器 八咫鏡 八尺瓊勾玉 草薙剣(Wikipediaより引用)因みに八咫鏡は伊都国の平原王墓から出土した内行花文鏡のようである。 時、彼處…
徐福が書いたとされる古代文字のレプリカ「徐市過此(ソブルクァチャ)」と書いてあるらしい。 是時、素戔鳴尊、帥其子五十猛神、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。乃興…
『古事記』本文には次のような須佐之男命に関する記載があります。 於是 八百萬神共議而於速須佐之男命負千位置戸亦切鬚及手足爪令拔而 (読み方)是ここに八百万の…
神武東征物語の実情に関して私の考えるには、二代目天照大神である台与の時代に九州北部にあった倭国=女王国連合は、先代の女王・初代天照大神であった卑弥呼が魏に朝…
2mの縄文海進があった時の福岡市(奴国)周辺の海岸線図これでもかなり海没する地域が出現し、糸島水道が現れる。 さまざまな自説に拘ってばかりの邪馬台国論者によく…
私の考えた榎放射説とは異なる新放射説によりますと、南水行十日は伊都国から邪馬台国に直接至る行程となりますが、この行程は途中で刻々と変わる船の方角はあまり考え…
邪馬台国の在った時代とは、すなわち弥生時代である。 歴史研究家の特に邪馬台国畿内説派の方はこの時代を古墳時代のはしりであると、 考えておられる方もいらっしゃ…
発掘された黒塚古墳の石室 前回画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡ではないのか?と言ったが、この説を裏付ける明白な理由が存在する。その理由とは奈良県天理市柳本町に在る黒…
景初三年銘の三角縁神獣鏡 島根県加茂町出土 中国社会科学院考古研究所前所長の王仲殊氏は、「三角縁神獣鏡は魏王朝から賜与されたものではなく、当時日本に渡来した呉…
【神功皇后の三韓征伐】に関し、『三国史記』と『記・紀』との摺り合わせ
神功皇后の三韓征伐絵図 上記絵図は『記・紀』の記す【神功皇后の三韓征伐】物語の様子だが、例えば『日本書紀』では、【神功皇后の三韓征伐】について次のように記され…
敦賀駅前に立つ、「都怒我阿羅斯等」の像単に甲冑を着けたサラリーマンという感じで、ダサダサ。因みに「ツヌガアラシト」とは兜のクワガタが角に見え、「角がある人」と…
末蘆川で鮎釣りをする神功皇后 『日本書紀』 (原文) 夏四月壬寅朔甲辰、北到火前国松浦縣而進食於玉嶋里小河之側。於是、皇后勾針爲鉤、取粒爲餌、抽取裳縷爲緡、…
赤塚古墳大分県宇佐市に有る。3世紀末に築造されたと推定される九州最古の前方後円墳。全長57.5メートル、後円部の直径36メートル、高さ4.8メートル、前方部の…
新倭の女王・台与(臺與・壹與) 『晋書』(しんじょ 繁体字: 晉書)は、中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の648年に太宗の命…
臺與が魏に貢献した青大勾玉はこのような倭国特産(糸魚川産)の翡翠製であったと考えられる。当時の倭人達は既にこのような高等技術を持っていたのである。 白珠とは…
卑弥呼の冢と考えられる筑後国山門郡瀬高町の権現塚古墳 (原文) 其八年太守王頎到官倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾…
(原文) 其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人、上獻生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木フ・短弓矢。掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。 其六年、詔賜倭難升…
魏の正使である帯方郡使・梯儁等の辿ったルート帯方郡使の梯儁らは末蘆国の港(呼子港や唐津港)には入港せず、伊都国の港に直接上陸すると、一大率に積み荷を港で捜露(…
一般に卑弥呼の鏡と云われている三角縁神獣鏡 (原文) 今以絳地交龍錦五匹・絳地縐粟罽十張・蒨絳五十匹・紺青五十匹、答汝所獻貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹・細班…
親魏倭王銘 金印 其年十二月、詔書報倭女王曰、制詔親魏倭王卑彌呼。帶方太守劉夏、遣使送汝大夫難升米・次使都市牛利、奉汝所獻男生口四人・女生口六人・斑布二匹二丈…
景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏、將送詣京都。 (書き下し文) 景初二年六月。倭女王、大夫難升米等を遣わして郡に詣り、天子に…
女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國、在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國・黒齒國、復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上…
弥生(渡来)系の風貌をした倭女王卑弥呼 其國本亦以男子爲王、住七八十年。倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫壻、…
吉野ヶ里遺跡の邸閣 收租賦、有邸閣、國國有市。交易有無、使大倭監之。自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。 王遣使詣京都…
太占の法令亀の法 其俗擧事行來有所云爲、輒灼骨而卜以占吉凶。先告所卜、其辭如令龜法、視火坼占兆。其會同坐起、父子男女無別、人性嗜酒。(裴松之)注…魏略曰 其俗…
其行來渡海詣中國、恆使一人不梳頭、不去蟣蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人、名之爲持衰。若行者吉善、共顧其生口財物、若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰…
吉野ヶ里遺跡の竪穴式住居 倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也、食飮用籩豆手食。其死有棺無槨、封土作冢。始…
其風俗不淫。男子皆露紒、以木緜招頭、其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈祄、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。種禾稻紵麻、蠶桑緝績、出細紵縑緜。其地無牛馬虎…
男子無大小、皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身、以避蛟龍之害。今倭水人、好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲…
其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。 書き下し文 其の南に狗奴国あり。男子を王と為す。其の官に狗古智卑狗あり、女王に属…
『魏志倭人伝』をそのまま読む(連続して記載される二十一カ国)
自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。次有斯馬國、次有己百支國、次有伊邪國、次有郡支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次…
南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日・陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮、可…
>それともう一つ、貴殿は邪馬台国は何処に在ったと考えていますか?このことも貴殿は屁理屈を並べるばかりで、具体的には何も語っていなさそうです。牧健司博士と同様に…
> 記 まずは、毎度無視される前置き部分の当方指摘の再掲です。今回の記事で大変困るのは、当方のブログ記事が引用されていないので、一…
> 貴兄の視点では、倭人伝からそれだけしか読めないのならしょうが無いですが、別にもっと読める人に対して自慢することではないでしょう。当方は、すでに、全行程四十…
東南至奴國百里。官曰兇馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。 【奴国】東南、奴國に至るには百里。官を兇馬觚(し…
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熊野那智大社にある八咫烏像 八咫烏とは「神武東征物語」に登場する三本足の烏(カラス)なのだが、実際には烏に模した人物(特に紀伊半島の豪族)なのでしょう。 『日…
長脛彦命=味鋤高彦根命を祀る高鴨神社(奈良県御所市) 『古事記』『日本書紀』の「神武東征物語」に登場する長脛彦命。 長脛彦命は『記・紀』では「神武東征物語」の…
高天原を訪れたスサノオを、弓矢を持って待ち受けるアマテラス。この後、二神は「誓約」を行うが、生まれた子供が、アマテラスの五男神、スサノオの宗像三女神。この時…
皆さんは、ノストラダムスと聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか? 多分、「1999年七の月、人類は滅亡する」と予言したが、結局その時は何も起こらず、予言…
邪馬台国の文字は、「紹興本」や「紹熙本」のような十二世紀に作られた印刷本には邪馬壹国と記されるが、古い時代に筆写された『後漢書』や『翰苑』には邪馬臺国と記され…
『日本書紀』に聖徳太子は、用明天皇と穴穗部間人の間にできた子と記されます。ところが、豊後国には用明天皇の伝説が伝わっており、この伝説の伝えるところによると、豊…
『魏志倭人伝』には倭の小国の副官として卑奴母離の名が記されます。この卑奴母離とは後世の『記・紀』では夷守と記されると考えられます。更に後の世になると、防人と記…
今年もどうぞよろしくお願いします。 邪馬台国及び投馬国は此処だ! (帯方)郡より女王国(邪馬台国)に至ること萬二千余里。(伊都国における伝聞記事)南投馬国へ…
『記・紀』神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神が天沼矛(アメノヌボコ)を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き…
『記・紀』を見ると、邇邇芸命は天孫降臨に際し、「邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に宇岐…
私は以前、ニューヨーク911や真珠湾作戦は米戦争屋がわざと自国を攻撃させて、その報復の形で、戦争突入の口実を作ったのだと分析した。 ところが、今回イスラエルは…
黒木の大藤は、八女市黒木町にある素戔嗚神社の境内にあります。大藤は、樹齢600年以上の国指定天然記念物で、八女市が誇る観光名所です。2023年の八女大藤祭りは…
景行天皇(即位十八年)六月三日。高来県(タカクノアガタ=現在の長崎県島原半島)から玉杵名邑(タマキナノムラ=現在の熊本県玉名郡に渡りました。そして、その土地…
熊本県八代市球磨川河口部にある水島 景行天皇の(即位十八年)夏四月三日に熊県(熊本県球磨郡)、現在の人吉市に到着しました。そこには熊津彦の兄弟が二人いました。…
宮崎県西都原古墳群に在る女狭穂塚景行天皇時代より遅れ、五世紀前半の建造とされる。仁徳天皇時代の髪長姫辺りの墓だろう。対する男狭穂塚は父親の諸県の牛(主)の墓か…
隼人の盾を持って踊る京都・大住隼人会の学生たち京都は隼人が移り住んだ地。奈良時代(約1300年前)の話らしい。大住から来たと云うことだが、本来は大隅隼人なのだ…
香椎宮本堂(著者撮影) 香椎宮本堂内部(著者撮影) 香椎宮裏手にある仲哀天皇が倭国軍の大本営を開いた場所の石碑(著者撮影)この石碑は同時に仲哀天皇の墓標にもな…
古宮八幡宮(田川市香春)精銅所近く 今回は宇佐神宮、及びその関連神社を掘り下げてみたいと思います。 『四世紀末秦一族は北九州に秦王国を築いた』 『隋書』の記…
今回は現在私の居住する大分県の話です。そこで地の利も加えまして、少し丁寧に考察したいと思います。そして、『景行天皇紀』を主体としながらも、時折『豊後国風土記…
景行天皇十二年の秋七月、熊襲が背いて朝貢をしなかった ーすると、当時既に大和朝廷は熊襲を従えていたことになるが、『古事記』では皇子の倭建命が熊襲討伐に出向い…
私は以前、ニューヨーク911や真珠湾作戦は米戦争屋がわざと自国を攻撃させて、その報復の形で、戦争突入の口実を作ったのだと分析した。 ところが、今回イスラエルは…
黒木の大藤は、八女市黒木町にある素戔嗚神社の境内にあります。大藤は、樹齢600年以上の国指定天然記念物で、八女市が誇る観光名所です。2023年の八女大藤祭りは…
景行天皇(即位十八年)六月三日。高来県(タカクノアガタ=現在の長崎県島原半島)から玉杵名邑(タマキナノムラ=現在の熊本県玉名郡に渡りました。そして、その土地…
熊本県八代市球磨川河口部にある水島 景行天皇の(即位十八年)夏四月三日に熊県(熊本県球磨郡)、現在の人吉市に到着しました。そこには熊津彦の兄弟が二人いました。…
宮崎県西都原古墳群に在る女狭穂塚景行天皇時代より遅れ、五世紀前半の建造とされる。仁徳天皇時代の髪長姫辺りの墓だろう。対する男狭穂塚は父親の諸県の牛(主)の墓か…
隼人の盾を持って踊る京都・大住隼人会の学生たち京都は隼人が移り住んだ地。奈良時代(約1300年前)の話らしい。大住から来たと云うことだが、本来は大隅隼人なのだ…