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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 103年前の役員選挙

    最近落手の大正十二年(102年前)一月発行『角力雜誌』(第三十二號)より━。見出しは「新取締に井筒氏」で、取締の出羽海谷右衞門(元横綱常陸山)が大正11.6.19に急逝後はじめの東京大角力協會の選挙である。當選九十八票井筒嘉次郎次點五十票高砂浦五郎同三票伊勢海五太夫註。「嘉次郎」は「嘉治郎」が正確。昭和六年…50歳のとき自殺した元Ⅱ西ノ海である。103年前の役員選挙

  • 楽日●で十両V逸す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,225,562昭和二十年夏場所、西十両十枚目穗波山〔後小結大起〕の星取表。〇朝明(十両11)〇三濱洋(〃6)=後幕内〇前ノ山(〃15)=後幕内〇矢留石(〃13)〇双子岩(〃5)=後幕内〇藤田山(〃3)=後幕内●信州山(〃1)=後幕内当場所の十両優勝は、二枚目の後横綱千代ノ山で6勝1敗の同点。大起は彼の兄弟子に当る。楽日●で十両V逸す

  • 横綱雲龍と幕内雲竜辰…

    「日本史」に出てくる著名人物では、坂本龍馬や芥川龍之介━「竜」に非ず「龍」を表記するのが正確と云うものであろう。幕末の名横綱、雲龍久吉も「雲竜」に非ず、雲龍で統一すべきである。但し、入幕前は雲竜…と番附2段めの“細字”は書いてあるが、新入幕の嘉永五(1852)年春場所番附に「雲竜改雲龍…」の表示がないのは当然。昭和二十年代の幕内力士、鬼竜川は、龍・竜が混用━てんで不統一であり、一々改名表示なんか不可能の感じだった。明治末期~大正初期の幕内力士、雲竜辰五郎は、臺灣や香港で評判であったそうな。彼は「雲龍」と番附で表記されたことはない。萬延元(1860)年冬場所番附は、東方大関に雲龍、同じ東方の幕尻(前頭八枚目)に新入幕の飛竜が載っている。『日本相撲史』江戸篇は、すべて「ノ」や「龍」で統一しているのはいただけな...横綱雲龍と幕内雲竜辰…

  • 今後の方針と構想

    ※昨日までのトータル訪問者数1,225,321拙稿「“時代”を超えた力士たち」は、凡そ本文を3ページ半にまとめる予定で、現在約2頁の執筆が終了したところ。本日夕刻までに近江冨士の記述を終えたい。残るは雲竜辰五郎と佐賀ノ海初太郎の両力士。次に、「古今平幕最優秀力士星取表」だが昭和六三年九州場所を以て連載を打切る。そのあと、「古今幕内最低成績力士一覧」を連載したい。同点の場合は最上位力士のみで下位は割愛する。尚、「や」を「●」と同一視せず、●-〇の“敗差”が最大のものを「最低成績」とする。今後の方針と構想

  • 近江冨士━石山の3引分けは誤謬

    横綱常陸山の「欧米漫遊」に随行した近江冨士初太郎は、或る意味で異色の力士である。幕内記録では、引分け相撲が7番、預りは皆無━土俵際なんかでの微妙な相撲が全然なかったのかも知れない。引分けた相手が何れも平幕止りの力士で、横綱・三役を経験したものとの引分け相撲はゼロなのだ。想像を逞しくすれば、彼の取口内容と云うのは、所謂“淡泊”的じゃぁなかったか…。更に、東京地裁書記官N氏の労作『明治大正の全三役力士略伝』に拠れば、7引分けの内訳で対石山戦が「3」となっている。昭和戦後の記録━若乃花対出羽錦の3引分けを聯想したのである。ところが、遺憾ながら石山の「3」は「2」が正確で、「平ノ石1」が「2」の誤謬━同書の星取表の方が誤りはなかった。近江冨士━石山の3引分けは誤謬

  • “大頭”で幕下Vを逸す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,225,085昭和二七年春場所、東幕下筆頭鶴嶺山〔後関脇鶴ヶ嶺〕星取表。●出羽ノ花(十両17)=後幕内〇玉晃(幕下2)=元十両松緑〇平鹿川(〃4)=後幕内〇秀湊(〃2)=後幕内〇大國(〃6)〇高瀬山(〃8)=後十両〇大達(十両15)●七ッ海(幕下16)=後幕内〇森ノ里(〃1)=後十両〇照美山(十両14)〇若椿(幕下9)=後十両〇成山(〃21)=後小結●佐田岬(〃14)=後幕内前ノ山〇大土﨑(〃17)=後十両大戸﨑●東海(十両15)=後幕内当場所の幕下優勝は、後幕内の七ッ海で、12連勝後3連敗している。“大頭”で幕下Vを逸す

  • 小結たった1場所…

    拙作『相撲史発掘』の劈頭連載記事、「“時代”を超えた力士たち」明治→大正篇の登場力士のうち、小結を最高他位とするものは未執筆の1人を除いて次のとおり。富山・緑嶋友之助石川・大ノ川甚太郎青森・千年川金之助山形・小錦八十吉(←山泉)新潟・柏戸宗五郎(8代め)千葉・竜ヶ﨑松太郎滋賀・近江冨士初太郎このうち、千年川を除外した6力士は三役に在位したのは、小結がたった1場所かぎりなのであった。その小結場所で勝越した力士は皆無。〔尤も、小結で勝越したら関脇昇進の可能性大。〕一番成績のよかったのは、現役急逝の大ノ川で、4勝5敗1分━引分けの相手は緑嶋だった。最低は、柏戸で全然土俵へ上っていない。竜ヶ﨑も零勝3敗7休。小結たった1場所…

  • 『日本相撲大鑑』&5力士写真 進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数1,224,868窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真の撮影年月は不明ですが、全て入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レ...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈

  • 幕下3人破り全勝したが…

    興行日数が江戸安永期以来の延長となった大正十二年夏場所、東三段目筆頭筑波嶽〔非関取〕の星取表である。〇博多濱(幕下35)や〇諏訪錦(三段目3)=後十両霞ヶ浦や〇﨑陽ノ花(幕下38)や〇浪ノ音(三段目17)=後十両や〇天竜(三段目18)=後関脇や〇雷ノ峰(幕下25)=後幕内天竜は、全勝同士で対戦、翌日連敗して4勝2敗となっている。幕下3人破り全勝したが…

  • 大文字と同期の天山

    ※昨日の閲覧…539・訪問者…308トータル訪問者数1,224,633昭和三二年初場所、西序二段九十枚目甲泻〔後十両天山〕の星取表である。〇津渡(序二段91)●立ノ花(〃92)=後幕内北ノ國やや〇石崎(序二段87)〇中ノ山(〃84)や〇大蛇山(序二段94)やや〇村上山(序二段101)〇大根占(〃90)=後幕内大雄やや〇梓山(序二段81)当場所の序二段優勝は、同門・同期生の後幕内大文字で8戦全勝だった。力士→プロレス転向は少なくないが、天山の如く、逆コースは非常に珍しい。大文字と同期の天山

  • 横綱 東富士3━3小結 若葉山

    昭和戦後の好取組とその結果。最高位は横綱対小結である。①昭和二六年夏場所四日目東張横綱●東冨士(突落し)若葉山〇西前頭二②同二六年秋場所三日目東横綱〇東冨士(押出し)若葉山●西小結③同二七年春場所二日目東横綱〇東富士(突出し)若葉山●東前頭筆頭④同二七年秋場所二日目東横綱〇東富士(寄切り)若葉山●西前頭筆頭⑤同二八年初場所七日目西横綱■東富士(━━)若葉山□東前頭三⑥同二九年春場所三日目西張横綱●東富士(蹴手繰)若葉山〇西前頭四横綱東富士3━3小結若葉山

  • 常陸山に随行、十両→幕下の…

    ※昨日の閲覧…759・訪問者…327トータル訪問者数1,224,325拙稿「“時代”を超えた力士たち」は、桂山勘五郎・大蛇泻粂藏の執筆を一応終って、3番めに登場すべく近江冨士初太郎を俎上に載せる。この近江冨士は、横綱常陸山の「欧米漫遊」に随行したのである。明治四十一年春場所、新十両近江冨士が「全休」あつかいとなったため、十両六枚目から同年夏場所は幕下七枚目まで降格となってしまった。畢竟、常陸山の洋行は、「私的行動」の位置づけであり、本場所大相撲をすっぽかして欠場。当時の東京大角力協會取締の雷(いかずち=元横綱Ⅰ梅ヶ谷)らに諒解を得ず、独善的行為だったと批判されても仕方あるまい。常陸山に随行、十両→幕下の…

  • 108年前の検査役改選

    我国最高の相撲文献とされる『日本相撲史』明治・大正篇は、「勝負検査役」改選記事など投票における“得票”数は全然記載していない。『角力世界』大正六年六月号に掲載された◎檢査役改選…10名の新検査役の得票数百五十九票待乳山楯之丞(元横綱大砲)百五十七票入間川梶之助(元小結両國)百四十七票峰崎銀次郎(元木村銀治郎)百四十四票雷權太夫(元横綱Ⅱ梅ヶ谷)百四十票關の戸與次郎(元関脇逆鉾)百三十八票阿武松緑之助(元幕内大見﨑)百三十七票熊ケ谷彌三郎(元幕下荒玉)百三十五票二所關軍右衞門(元関脇Ⅱ海山)百二十五票花籠平五郎(元大関荒岩)八十三票伊勢ケ濱勘太夫(元幕内鶴ヶ濱)現代とちがって「無投票当選」はなかった?尚、括弧内は当方が調査したもの。108年前の検査役改選

  • 「米騒動」で辞任した…

    ※昨日の閲覧…617・訪問者…364トータル訪問者数1,223,998昨夜の拙稿「寺内正毅」首相について、参考のため、『新潮日本人名辞典』(平成三年刊)より━。てらうちまさたけ…嘉永五年~大正八年明治・大正期の陸軍軍人、政治家。〔中略〕第一次桂、第一次西園寺、第二次桂各内閣の陸相。明治三九年大将。…日韓併合と共に初代朝鮮総督。大正五年元帥となり、…内閣を組織。シベリア出兵など軍国主義政策、武断政治を行い、非立憲内閣といわれ…七年米騒動のなかで言論弾圧に対する諸新聞の非難を浴びて辞任〔後略〕歴史は繰返すと云うが、相撲史も・日本史も例外じゃぁない。現「令和の米騒動」も、大正七年のそれの現代版みたいに思われる。「米騒動」で辞任した…

  • 「角聖」も寺内首相に頭あがらず

    この度、大正時代の相撲資料を落手。大正六年(108年前)夏場所の記事から、鳥渡ばかり御紹介しよう。首相の大角力御觀覽(九日目)寺内首相九日目に國技館に御見物に御成り遊ばされた。出羽の海〔註=元横綱常陸山〕が上から煽く版元の根岸氏下から煽き上げる、煽き待遇に首相は葉卷の煙をどつちへ靡かせうかと想案に消へて無くなる。第18代の総理大臣、寺内正毅内閣成立は、大正五年十月九日だったが、2年ちかく経過した同七年九月二十九日には、のち暗殺された原敬内閣に━現石破首相も参議院選挙で大敗し退陣となりそう?「角聖」も寺内首相に頭あがらず

  • 春の“7人衆”は…?!

    ※昨日の閲覧…617・訪問者…380トータル訪問者数1,223,634楽日翌日恒例の、勝手に選別した“7人衆”の春…をふり返って、綜括・寸評をお読みください。〔顔ぶれは、前回とまったく同じです。〕関脇●王鵬6勝9敗前場所から変身したの…?「押し相撲」で6勝。でも、逆に「押し」での黒星4番━祖父同様“押されると弱い”DNAが染みこんでいるのかも知れない。前頭十一枚目〇翠富士9勝6敗「肩透し」で4番も白星。同郷の大先輩、天竜三郎氏が黄泉で歎く表情が瞼に浮んでくる。幕下十一●北石番磨3勝4敗現在38歳、40歳まで頑張って「関取復帰」は可能?同三十枚目〇炎鵬6勝1敗九日目の黒星が惜しまれる。もう三十路なので「再入幕」は、ちと難しくなったと云う気がする。同五一枚目●山藤1勝6敗74kgでは幕下でも苦しい━矢張り80...春の“7人衆”は…?!

  • 夏の理想的「番附」は…?

    直近3場所通算成績・地位を基準に編成された96年前の昭和四年春場所の番附に倣って、来る夏場所の三役番附「私製版」を御披露しよう…。横綱<該当力士なし>東大関豊昇龍30勝10敗・5休西大関大の里31勝14敗東関脇大栄翔28勝17敗西関脇髙安28勝17敗東小結琴櫻27勝18敗西小結霧島25勝20敗大栄翔と同成績の髙安は、前々場所や前場所の地位が低いので、鳥渡ばかり…「過大評価」なのかも知れない。夏の理想的「番附」は…?

  • 『相撲ロマン大事典』無代進呈

    ※昨日の閲覧…885・訪問者…443トータル訪問者数1,223,254古本『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁。定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち、1600人が登場!保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。一番安価での送本法に智慧をお貸しください。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』無代進呈

  • 鏡 里6━0高津山

    昭和戦後のパーフェクト記録。最高地位は、横綱対関脇ではある。①昭和二三年夏場所千穐楽西前頭四●髙津山(押出し)鏡里〇東前頭十②同二三年秋場所二日目西前頭八●髙津山(下手投)鏡里〇東前頭九③同二四年秋場所初日西小結●髙津山(外掛け)鏡里〇東前頭筆頭④同二五年夏場所二日目東関脇〇鏡里(寄切り)髙津山●西前頭三⑤同二五年秋場所初日東関脇〇鏡里(下手投)髙津山●西前頭筆頭⑥同二六年夏場所二日目西関脇〇鏡里(寄切り)髙津山●西前頭七元関脇髙津山の“下り坂”に因り終焉。鏡里6━0高津山

  • 後横綱を破って幕下昇進…

    ※昨日の閲覧…653・訪問者…426トータル訪問者数1,222,811幕下以下の取組に「試行錯誤」を実施したらしい大正十二年春場所。西三段目三枚目、雷ノ峰〔後幕内〕の星取表である。●大正山(三段目9)〇伊達ヶ峰(〃2)●五國山(〃6)〇筑波嶽(幕下38)〇遠州洋(三段目8)〇若響(〃10)〇信夫山(〃17)=後幕内〇鷹ヶ汐(〃13)●岩見嶽(幕下35)〇玉錦(三段目13)=後横綱…翌場所から「金が慾しいなら、働いて稼げ」で11日間興行になったが、幕下以下は「全日出場」じゃぁなかった。後横綱を破って幕下昇進…

  • 109年前、負越し小結が関脇に上る

    109年前の大正五年春場所、西方小結大蛇泻の星取表。●両國(前二)〇四海波(同八)〇九州山(同五)●對馬洋(関脇)●釈迦ヶ嶽(前四)〇紫雲竜(同七)●西ノ海(大関)●大錦(〃)〇綾川(小結)●栃木山(前一)4勝6敗で負越しなので、当然翌場所は平幕へ陥落する筈なのに、西関脇に昇進したのである。109年前、負越し小結が関脇に上る

  • 幕下を3人も破ったのに…

    ※昨日の閲覧…701・訪問者…460トータル訪問者数1,222,385昭和三二年夏場所、東三段目筆頭千葉〔後関脇羽黒花〕の星取表。●大和川(三段目2)や〇琴ヶ浦(三段目8)〇北上山(幕下79)や〇大和海(幕下79)やや〇美鈴山(三段目5)や〇嶺本(三段目9)や〇岩永(三段目3)=後十両雲仙山や〇相葉山(幕下72)当場所の三段目優勝は、同点決勝の末、時登改め市川〔非関取〕56枚目だった。幕下を3人も破ったのに…

  • 元十両に●で幕下Vを逸す

    昭和十八年夏場所、東幕下二六枚目柏農山〔後幕内〕の星取表である。〇清ノ海(幕下25)や〇袖ノ海(幕下29)や〇愛知山(幕下23)=後幕内〇御殿山(〃21)や●薩摩洋(幕下14)=元十両や〇川田(幕下32)=後幕内出羽湊や〇琴ノ花(幕下30)や〇真鶴(幕下22)や当場所の幕下優勝は、後幕内の信州山で8戦全勝だった。元十両に●で幕下Vを逸す

  • 89年前の新横綱…

    ※昨日の閲覧…615・訪問者…349トータル訪問者数1,221,925昭和十一年春場所、新横綱の武藏山。〇磐石(前四)下手投●双葉山(同三)下手投●巴泻(同二)…出投●番神山(同三)寄切り〇髙登(小結)下手捻〇大潮(関脇)逆捻●鏡岩(仝)寄切り■旭川(前一)ややや独り横綱の玉錦に対抗させるため無理にでっちあげ〔彦山翁の表現〕られた横綱だ。令和の現代も独り横綱に対抗させるべき日本人横綱を大“安売り”しないでもらいたい。89年前の新横綱…

  • 小結 清水川7━1小結 國登

    昭和戦後の最高位が小結同士の好取組とその結果。①昭和二四年秋場所二日目東前頭八●國登(打棄り)清水川〇東前頭九②同二七年春場所四日目西前頭六〇清水川(寄切り)國登●西前頭九③同二八年初場所五日目東前頭八〇國登(打棄り)清水川●西前頭八④同二九年初場所十二日目東小結●國登(外掛け)清水川〇西前頭四⑤同三十年初場所六日目東前頭七〇清水川(寄切り)國登●東前頭十⑥同三十年夏場所初日東前十五〇清水川(寄切り)國登●東前十六⑦同三十年秋場所九日目西前頭十●國登(寄倒し)清水川〇東前十六⑧同三一年初場所九日目西前十三●國登(寄倒し)清水川〇東前二十國登の1勝が「打棄り」なのは面白いと愚考する。小結清水川7━1小結國登

  • 横綱大鵬と“同郷”の清惠波

    ※昨日の閲覧…602・訪問者…380トータル訪問者数1,221,576今日づけS紙「南と北の島物語」〔最終回らしい〕における「日本統治時代の南樺太」の地図で、「敷香」とともに「恵須取」なる地名が眼に入って、昭和戦後の活躍力士を想いだしたのである。前者は日・烏の混血児、横綱大鵬の出生地であり、後者は平幕止りでも名力士の清惠波清隆の出身地だった。某書に拠れば、清惠波の出身地は石川県鳳至郡…となっているが、樺太の南部、眞岡〔ソ聯軍━否、露國軍が侵攻するかも…わかんない北海道の稚内と近距離だ。〕で生れて、上記の恵須取で育ったと云う。吾輩のラヂオ観戦“初土俵”は、昭和三三年春場所であり、そのとき清惠波は十両へ陥落していた。その後4場所ほど再入幕してるけれども、彼の相撲っぷりは全然記憶にない。小学生当時から…その醜名...横綱大鵬と“同郷”の清惠波

  • 横綱 栃木山6━0関脇 大蛇潟

    大正時代の本場所大相撲におけるパーフェクト記録をひとつ。最高位は横綱対関脇である。①大正四年春場所五日目西前頭二●大蛇泻(寄切り)栃木山〇東前十六②同五年春場所千穐楽西小結●大蛇泻(寄切り)栃木山〇東前頭筆頭③同五年夏場所三日目西関脇●大蛇泻(引落し)栃木山〇東小結④同六年春場所三日目西関脇〇栃木山(寄切り)大響●東前頭三〔大蛇泻改名〕⑤同七年春場所二日目東大関〇栃木山(押切り)錦嶋●西前頭筆頭〔改名〕⑥同七年夏場所四日目東張横綱〇栃木山(押倒し)錦嶋●西前頭四大蛇泻は横綱大錦卯一郎には1度勝利している。横綱栃木山6━0関脇大蛇潟

  • 『日本相撲大鑑』&5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…633・訪問者…397トータル訪問者数1,221,196窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関。熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、力士の写真のみ御希望には勝手ながら応じられませんので悪しからず...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈

  • 炎鵬なぜ「7戦全勝」できない?

    元幕内の人気軽量力士、炎鵬がまたしても「7戦全勝」は夢の如く消えてしまった。なんで全勝ができないのか━勿論、幕下上位なら…はじめから土台無理なのは承知している。今日の相撲ぶりをみて、私見・愚考を述べたい。相手が立合いに早く突っかけてきたので“待った”━兎に角、「阿吽の呼吸」がうまくいかない場合、彼は結果がよくない確率が上昇する感じだ。相手が早いのは即ち、自身が「遅い」━動作は、つねに相手の動きをよくみて、相手が早目に突進してくると充分に予測せねばならないのだ。嘗て、双葉山の笠置山勝一(後秀の山理事)に対する、含蓄のある言葉に「勘ちゃん〔註=本姓名仲村勘治〕は理屈で勝とうとするが、そうはいかないよ」云々。たしか元関脇笠置山戦は双葉山の17戦全勝だった。畢竟、相撲競技なるもの、頭脳で考えたって駄目なのであり、...炎鵬なぜ「7戦全勝」できない?

  • 28歳で急退した元関脇…

    ※昨日の閲覧…643・訪問者…394トータル訪問者数1,220,799拙稿「“時代”を超えた力士たち」次回の2人めは、最高位関脇の大蛇泻粂藏。彼は、満13歳8箇月で本場所大相撲の初土俵を踏んでいる。現代風に表現すれば「中学生力士」なのであった。新十両・新入幕のときも弱冠18歳前後だった━当時としても「早熟」力士で将来を嘱望されたけれども、大方の期待を裏切って…満28歳の若さで引退してしまった。引退後、年寄錦嶋を襲って協会取締に就任したものの、昭和八年…未だ働き盛りの四十代で急逝している。28歳で急退した元関脇…

  • 後大関、幕下Vを逸す

    昭和十六年夏場所、西幕下九枚目岸本〔後大関汐ノ海〕の星取表。〇新川(幕下8)=後十両〇小坂川(〃15)=後幕内●東冨士(〃2)=後横綱やや〇玉櫻(幕下11)=後幕内や〇緑松(幕下9)=後幕内緑國や〇薩摩洋(幕下4)=後十両や〇我郎山(幕下17)やや〇北見泻(幕下6)=後十両当場所の幕下優勝は、後横綱東冨士だが、十四日目に十両戦を白星で飾り8勝1敗━負けていたら、当時“居候”先の出羽所属、汐ノ海が優勝だったであろう。汐ノ海は「下位優勝」の経験がない。後大関、幕下Vを逸す

  • 太刀山6━0朝 汐

    ※昨日の閲覧…806・訪問者…527トータル訪問者数1,220,405明治大相撲のパーフェクト記録。最高地位は横綱対大関である。①明治三六年春場所七日目西張大関●朝汐━太刀山〇東前頭九②同三六年夏場所五日目西関脇●朝汐━太刀山〇東前頭二③同三七年夏場所七日目西小結●朝汐━太刀山〇東前頭筆頭④同三九年春場所九日目東関脇〇太刀山━朝汐●西小結⑤同三九年夏場所五日目東関脇〇太刀山━朝汐●西前頭四⑥同四十年春場所四日目東関脇〇太刀山━朝汐●西前頭六資料不備で、國技館開設前の決り手は大抵わからない。太刀山6━0朝汐

  • 前八〇陣立「足取り」大関●駒ヶ嶽

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」明治→大正篇⑥を現在鋭意執筆中である。劈頭は、平幕止りの桂山(前後は陣立)である━彼の、対三役戦をすべて列記する。〔但し、場所年月・何日目を割愛。〕●小結小常陸〇大関駒ヶ嶽●関脇朝汐●関脇朝潮●大関西ノ海●横綱常陸山●大関駒ヶ嶽明治四三年夏場所四日目、悲運大関の駒ヶ嶽を「足取り」で倒した一番が唯一の殊勲だった。前八〇陣立「足取り」大関●駒ヶ嶽

  • 後大関…、8戦全勝なのに

    ※昨日の閲覧…1,013・訪問者…642トータル訪問者数1,219,878昭和二九年秋場所、東序二段五四枚目山田改め北葉山〔後大関〕の星取表。〇松ノ川(序二段53)〇高ノ花(〃50)や〇里見山(序二段59)や〇手塚(序二段64)や〇三﨑山(序二段47)や〇潮若(序二段40)や〇橋立(序二段39)や〇新川(序二段34)=後幕内玉響や当場所の序二段優勝は、北葉山の兄弟子、後十両の隠岐ノ島で8戦全勝。尚、全勝同士の取組は意外に少なく、橋立なんか前日まで2敗を記録していた。後大関…、8戦全勝なのに

  • 「5連敗」が通算3場所の…

    「ちゃっかり」は可としても、絶対いけないのが「うっかり」の失態だ。明治末期~大正初期に在幕11場所の桂山(前・後の醜名は陣立)は、「5連敗」を2場所連続記録しているが、それだけじゃぁなかった。通算3場所も「5連敗」の不名誉な記録なのだ。大正四年夏場所、陣立二日目●朝緑(十両1)三日目●逆鉾(〃2)四日目●石山(前十八格)五日目●釈迦ヶ嶽(前八)六日目●小ノヶ﨑(前十二)「5連敗」が通算3場所の…

  • 同系の上位に…

    ※昨日の閲覧…710・訪問者…472トータル訪問者数1,219,236昭和二八年夏場所、西三段目十三枚目栃光〔後大関〕の星取表である。〇柏森(三段目14)や〇岡本(三段目12)=後関脇岩風や●時汐(三段目12)〇佐久昇(〃16)=後十両やや〇稲葉山(三段目14)〇龍日山(〃6)やや〇玉龍(三段目5)〇清見崎(〃30)や当場所の三段目優勝は、上位の常勇〔非関取=出羽海部屋で対戦せず〕成績は同点の7勝1敗。尚、栃光の8番相撲の相手は前日まで全勝だった。同系の上位に…

  • 桂山、2連続「5連敗」

    明日から拙作『相撲史発掘』冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」の執筆を開始する予定。劈頭へ登場する力士は、明治四十三年春に入幕した陣立勘五郎だが、この醜名での最高地位は前頭八枚目にて止っている。したがって大正二年春場所の西前頭六枚目が最高位なのでそのとき名乗った桂山がメーンの力士名だと確信する次第。この桂山の成績を『日本相撲史』明治・大正篇の星取表で仔細に調査━相手の地位も━してみて、幕内力士としての評価は芳しくない。大正二年春場所二日目●小錦(前十三)三日目●朝潮(関脇)四日目●八甲山(前十六)五日目●西ノ海(大関)六日目●近江冨士(前十二)大正二年夏場所六日目●紫雲竜(前三)七日目●山田川(同十三)八日目●雲竜(十両1)九日目●綾浪(前十)千穐楽●神﨑(十両1)桂山、2連続「5連敗」

  • 「弘化三年春場所」脱稿

    ※昨日の閲覧…1,057・訪問者…456トータル訪問者数1,218,764拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━弘化三年春場所━が漸く脱稿した。原稿清書も1頁分は終っているので、今夕までに残り三分の二を片づけたい。小見出しは次のとおりである。二十代幕内、姿を消す63年ぶりの怪記録破格の取組、御用木─大山甚だ遺憾に思うけれども、下記の2点に触れることができなかった。①三役戦が1番のみ。大関劔山━関脇御用木②皆勤がたった1人。東前頭四枚目の常山「弘化三年春場所」脱稿

  • 『相撲ロマン大事典』無代進呈

    『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!本の重さが1.6kgほどあり、一番安い方法で送本したいと思っております。jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』無代進呈

  • 横綱 常陸山8━1小結 緑嶋

    ※昨日の閲覧…1,057・訪問者…648トータル訪問者数1,218,308明治大相撲の好取組とその結果。最高地位は横綱対小結である。①明治三六年夏場所三日目西大関〇常陸山(寄切り)緑嶋●東前頭六②同三八年夏場所五日目西横綱〇常陸山(押出し)緑嶋●東前頭筆頭③同三九年春場所三日目西横綱〇常陸山(撓め出し)緑嶋●東前頭五④同三九年夏場所四日目西横綱〇常陸山(突出し)緑嶋●東前頭四⑤同四十年夏場所四日目西横綱〇常陸山(突放し)緑嶋●東前頭筆頭⑥同四二年夏場所四日目東横綱〇常陸山(突放し)緑嶋●西前頭八⑦同四四年春場所五日目東横綱〇常陸山(極倒し)緑嶋●西前頭三⑧同四五年春場所三日目西横綱〇常陸山(押倒し)緑嶋●東前頭三⑨大正三年春場所初日西横綱●常陸山(押出し)緑嶋〇東前頭八決り手は、「明治十大力士年代実戦記」...横綱常陸山8━1小結緑嶋

  • “未来の横綱” 序ノ口全勝成らず

    昭和十一年夏場所、東序ノ口二枚目相模川〔後関脇〕の星取表である。〇薬師山(序ノ口3)〇旭浪(〃4)や〇輝竜錦(序二段21)や〇高津山(序ノ口5)=後関脇〇大蛇嶽(〃10)やや●吉良錦(序ノ口4)や某書〔当方所蔵してない〕収載の星取表では、「〇吉良錦」と誤謬らしい。当場所の序ノ口優勝は、相模川の1枚上位(序ノ口筆頭)の立泉〔非関取〕で5勝1敗と記録されている。“未来の横綱”序ノ口全勝成らず

  • 後横綱 琴櫻2━3もと安念山

    ※昨日の閲覧…815・訪問者…484トータル訪問者数1,217,660昭和後期の好取組とその結果。最高地位は横綱対関脇だが、前者の負越し。①昭和三八年名古屋場所三日目西前十二●羽黒山(打棄り)琴櫻〇東前十五②同三八年九州場所十二日目東前頭筆頭●琴櫻(寄切り)羽黒山〇東前頭七③同三九年初場所四日目西小結〇琴櫻(上手投)羽黒山●東前頭筆頭④同三九年夏場所十四日目西前頭六〇羽黒山(寄切り)琴櫻●東前十五⑤同三九年九州場所四日目西前頭八〇羽黒山(押出し)琴櫻●東前十二若い頃スリムな体つきの琴櫻は、「打棄り」腰も備わっていた。現琴櫻は…そんなものはなさそうにみえる。後横綱琴櫻2━3もと安念山

  • 黒星の相手が幕下V

    昭和十九年春場所、西幕下三一枚目前ノ山〔後幕内〕の星取表である。〇玉輝(幕下30)や〇榊川(幕下34)や〇十和田錦(幕下19)や〇郷錦(幕下35)=元十両や●不動岩(幕下16)=後関脇〇秀ノ海(〃43)や〇岩永(幕下47)や〇杉村(幕下46)=後横綱千代の山や当場所の幕下優勝は、巨漢不動岩で8戦全勝だった。黒星の相手が幕下V

  • 関の戸VS柏戸 取組回避の謎

    ※昨日の閲覧…860・訪問者…447トータル訪問者数1,217,176去る昭和四十年初場所は、懸案の「部屋別総当り」制が実施された劃期的本場所である。当時、NHKのKアナウンサーは「同門戦わず」と云う300年の伝統を破って…なんて喋っていた━と、記憶している。実は、そんな“鉄則”なんかどこにも存在せず、「同藩戦わず」なる不文律があった━とされている。拙稿「江戸大相撲熱戦譜」では毎回、末尾の方で“同部屋対戦”の有無を検証している。〔但し、幕下以下は対象外。〕弘化三(1864)年春場所における幕内力士の所属部屋は、東方が雷(いかずち)・阿武松・伊勢ノ海・武蔵川・関ノ戸─の5部屋。西方は秀ノ山・玉垣・宮城野・伊勢ノ海・浦風・追手風━の6部屋。結局、東・西に分割されたのは伊勢ノ海部屋だけなのであり、その所属力士も...関の戸VS柏戸取組回避の謎

  • 彦山翁の命日に想う

    丁度60年前の昭和四十年三月九日午後七時四五分、肩書は相撲評論家の彦山光三が逝った━享年71歳3箇月であった。郷土紙N新聞が翌日づけ朝刊で訃報を顔写真入りで伝えたのを忘れることができない。嘱託さきの讀賣紙が詳報を掲載し、『相撲』誌も同年四月号で簡単に報じたけれど、どちらも写真は載せてなかった。当時、春場所の三日目で郷土出身の新横綱Sが「横綱相撲」で、同三九年九州場所で対手の髷を掴みながら「反則勝」になったAを圧倒した頃、彦山翁が「幽明の境」を彷徨っていた。彦山論文「相撲百七十五手絵とき」から抜萃してみたい。〔前略〕相撲社会ではよく「相撲は“おがむ”ことと“いただく”ことが一切だ」─といいならわしている。〔括弧内略〕すなわち“おがむ”かたちは“攻め”の代表“型”であり、“いただく”かたちは“守り”の代表“型...彦山翁の命日に想う

  • 「…熱戦譜」今日夕刻に脱稿?

    ※昨日の閲覧…1,037・訪問者…569トータル訪問者数1,216,729拙作『相撲史発掘』へ長期連載読物の「江戸大相撲熱戦譜」━弘化三年春場所は、鋭意執筆中で起・承・転・結のうち、「結」の相当部分が余白で一応9行だ。したがって、順調にいけば本日夕刻までに脱稿するかも知れない。今回も、本文を凡そ2ページ半━「略歴表」を含んで3ページにまとめる目途がついた。但し、自ら添削することもあり得る。「…熱戦譜」今日夕刻に脱稿?

  • 清水川、対戦の関脇は10人?

    小部屋の悲哀を味わった元小結の清水川の対戦成績のうち、最高位が関脇となっている力士をピックアップしてみたい。対出羽錦6勝12敗対羽嶋山6勝8敗対輝昇7勝1敗対信夫山4勝4敗対玉乃海6勝5敗対安念山5勝3敗対北の洋4勝5敗対時津山6勝6敗対若前田2勝3敗対鶴ヶ嶺2勝3敗某書を参考にした。或は、1番か2番対戦したものが漏れているかも知れない。お叱りを待っております。清水川、対戦の関脇は10人?

  • 179年前、九日目で役力士全員欠場

    ※昨日の閲覧…1,770・訪問者…440トータル訪問者数1,216,160幕末、弘化三(1846)年春場所の三役力士陣容は次のとおり。東方大関劔山(←鰐石)関脇鏡岩(←和田ノ浦)小結小柳(入幕前名、緑松)西方大関秀の山(←岩見泻←立神←天津風)関脇御用木(←四明ヶ嶽)小結荒馬ところが当場所は初日から後大関の小柳が休場したばかりじゃぁなく、後半には中途休場が続出。五日目から秀の山、六日目から荒馬、七日目から鏡岩、八日目から劔山が休んで、更に翌九日目には御用木も欠場━とうとう役力士6名はすべて土俵から姿を消してしまった。せめてもの救いは、七日目中入り前の取組に大関劔山━関脇御用木の三役戦が組まれて、結果は勝負「預り」の判定だった。兎に角、10日間の興行を実践できたのは奇蹟的と思われる。179年前、九日目で役力士全員欠場

  • 『日本相撲大鑑』&5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄2、関脇・福島・時津山仁一3、関脇・北海道・安念山治4、小結・秋田・若ノ海正照5、大関・熊本・栃光正之御希望の方は、600円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈

  • 郷土力士が優勝と同点

    ※昨日の閲覧…531・訪問者…301トータル訪問者数1,215,720昭和初期における「関西大場所」の最後の興行だった昭和七年十月〔於京都〕場所、前頭六枚目瓊ノ浦〔後関脇両國〕の星取表である。〇鷹城山(前五)上手投●土州山(十両3)吊出し〇旭川(前三)寄切り〇射水川(同四)打棄り●古賀ノ浦(同二)外掛け〇大ノ濵(同五)切返し〇大浪(十両1)外掛け〇吉野山(前三)切返し〇雷山(十両4)浴せ倒し〇松前山(〃1)割出し〇巴泻(前六)叩込み幕内優勝の大関清水川元吉と同点。尚、幕下から2階級特進で十両を経ず…、そのため上位・三役との対戦を回避されている。郷土力士が優勝と同点

  • 楽日「●幕下」で三段目優勝

    昭和二三年秋〔10月〕東三段目三枚目小山内〔後幕内出羽ノ花〕の星取表。〇越美山(三段目3)や〇滝大蛇(幕下28)=後十両豊ノ花や〇宮錦(三段目2)=後小結〇天覧山(〃4)やや〇水嶋(三段目7)や●一錦(幕下18)=元十両当場所の三段目優勝なのである。楽日「●幕下」で三段目優勝

  • 後関脇 岩風の改名場所

    ※昨日の閲覧…547・訪問者…267トータル訪問者数1,215,419昭和二九年初場所、西三段目五枚目岡本改め岩風〔後関脇〕の星取表。〇時ッ海(三段目2)や〇聖國山(三段目3)〇龍日山(〃1)やや●熊羽山(三段目3)や〇髙葉山(三段目8)〇若津川(〃11)や〇宇佐錦(三段目13)や〇二ツ岩(幕下43)や当場所の三段目優勝は、五十枚目の北ノ海改め荒若〔非関取〕の8戦全勝。後関脇岩風の改名場所

  • 10大関と対戦した元小結 清水川

    最高位小結で「上手投」を十八番とする清水川。大関との対戦成績を調査してみた。〔対戦当時の地位に非ず。〕対名寄岩熊五郎7勝零敗対佐賀ノ花勝巳2勝2敗対汐ノ海運右エ門2勝3敗対増位山大志郎零勝1敗対三根山隆司5勝9敗対大内山平吉4勝7敗対松登福太郎2勝9敗対琴ヶ濱貞雄3勝8敗対若羽黒朋明5勝4敗対栃光正之2勝5敗彦山光三の「私製番附」で関脇にランクされたほどの実力者だろう。尚、大関と云っても、陥落後も長期間活躍力士が含まれており、実力がまちまちなのは当然だ。10大関と対戦した元小結清水川

  • 後半戦 欠場で優勝相当の成績❔

    ※昨日までのトータル訪問者数1,215,152幕末、弘化三(1846)年春場所の最優秀成績力士は、西方小結の荒馬でその星は〇や〇〇〇ややややや━当時としても“低次元”と云わざるを得ない。現15日間制ならば9勝5敗1分相当の星だから、何をか況や━である。しかも、後半戦の土俵へ全然登場せず、「優勝相当」の成績なんて呆れて物が云えない。後半戦欠場で優勝相当の成績❔

  • 8横綱と対戦した小結 清水川

    昭和戦後の名力士のひとり、元小結清水川は、小部屋所属のため「個人別」総当り同様の環境であった。最高位横綱力士との対戦成績を列記してみたい。対羽黒山政司零勝4敗対照國萬藏1勝3敗対東冨士欽壹1勝7敗対千代の山雅信2勝13敗対鏡里喜代治3勝16敗対吉葉山潤之輔6勝7敗対栃錦清隆2勝17敗対若乃花幹士3勝11敗但し、対戦当時の相手地位は必ずしも横綱と云うわけじゃぁない。上記のトータル18勝78敗、18.75%と算出したって、あんまり意味に乏しい。8横綱と対戦した小結清水川

  • 拙作 旧号の御紹介

    ※昨日までのトータル訪問者数1,214,938拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが揃って在ります。第99号(令和4年2月)【残部僅少】〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇昭和二十年代の重量力士●島根県出身入幕力士一覧第100号記念号(令和4年6月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和4年10月)〇“時代”を超えた力士たち(新連載)●天保十三年春場所〇昭和二十年代の短身力士●香川県出身入幕力士一覧第102号(令和5年2月)●時代を超えた力士たち(2)〇天保十三年冬場所●昭和二十年代の長身力士〇広島県出身入幕力士一覧第103号(令和5年6月)〇時代を超えた力士たち(3)●天保十四年春場所〇大正期の新聞記事から●岡...拙作旧号の御紹介

  • 破格の取組、御用木━大山

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━弘化三年春場所━を現在鋭意執筆中である。一応、起・承・転・結のうち、「起」と「承」に相当する部分はなんとか…まとめた。当場所、後半戦の六日目中入り後“結び”前の一番、西関脇の御用木VS大山が異例の“破格”の取組だ━と認識するに至った。御用木は前半戦をすべて欠場〔理由は不詳〕しており、問題は相手の幕下力士大山直吉である。通常、三役の対戦範囲は幕下の“一桁”〔現十両〕なのであるにも拘らず、大山の地位は東幕下十五枚目だ。前半の星は初日から、〇や〇●〇と記録されている。東方の幕内乃至幕下十枚目までに休場が多かったのではないのである。『江戸時代相撲名鑑』に拠れば、この大山は谷渡り→時ノ鐘→天秤→大山と改名を繰返している。天保十一年から幕下二桁に安住した恰好で、最後の弘化四年冬場所は幕下七枚...破格の取組、御用木━大山

  • 横綱 小錦8━0小結 鬼ヶ谷

    ※昨日までのトータル訪問者数1,214,690明治大相撲のパーフェクト記録。最高地位は、横綱対小結であった。①明治二一年夏場所五日目東前頭二●鬼ヶ谷━小錦〇西前頭九②同二二年春場所四日目西前頭筆頭〇小錦━鬼ヶ谷●東前頭五③同二二年夏場所四日目西小結〇小錦━鬼ヶ谷●東前頭四④同二四年春場所九日目東大関〇小錦━鬼ヶ谷●西前頭筆頭⑤同二七年春場所三日目東大関〇小錦━鬼ヶ谷●西前頭七⑥同二八年春場所三日目東大関〇小錦━鬼ヶ谷●西前頭八⑦同三十年春場所二日目東大兼横綱〇小錦━鬼ヶ谷●西前頭七⑧同三二年春場所七日目東別張横綱〇小錦━鬼ヶ谷●西前頭二2代め梅ヶ谷のコーチ格だった鬼ヶ谷が8戦全敗とは意外な記録であろう…。横綱小錦8━0小結鬼ヶ谷

  • 『相撲ロマン大事典』進呈

    『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。問題は、送本法なんですが、なにかいい智慧はありませんか…?jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』進呈

  • 三段目で全勝したのに…

    ※昨日の閲覧…563・訪問者…265トータル訪問者数1,214,441昭和十四年春場所、東三段目四三枚目西村〔後関脇豊嶋〕の星取表である。〇玉登(三段目42)や〇福光山(三段目45)や〇奥州山(三段目36)や〇陸奥ノ花(三段目48)や〇音羽嶽(三段目23)や〇大熊(三段目23)=後幕内〇日ノ出山(〃51)や当場所の三段目優勝は、後十両の錦竜で7戦全勝。三段目で全勝したのに…

  • 14勝をあげた鶴ヶ嶺

    拙稿「古今平幕最優秀力士星取表」は39回め━一応脱稿したので略記してみる。1枠昭和30.1時津山12勝3敗2枠〃30.3若前田11勝4敗3枠仝若ノ海仝4枠〃30.5時津山12勝3敗5枠〃30.9出羽錦12勝3敗6枠〃31.1鶴ヶ嶺14勝1敗7枠〃31.3若羽黒12勝3敗8枠〃31.5大晃12勝3敗9枠〃31.9時津山12勝3敗10枠に“双差し”の名人、鶴ヶ嶺の写真を……と、思って読売新聞社刊『大相撲』誌の昭和三一年「春場所特集」号を漁ってみたけれども適当なものがみつからない〔当時、同誌は「総決算号」を発行せず、場所前の「特集」号のみ。〕近日中にBマガジン社刊『相撲』の昭和三一年二月乃至三月号を引っ張り出してみる所存。14勝をあげた鶴ヶ嶺

  • 広島→下関を歩いた…!

    ※昨日の閲覧…511・訪問者…332トータル訪問者数1,214,176たまには、「編輯兼發行人彦山光三」の古雑誌『相撲』から抜萃してみたい。昭和十三年の新年號である。前年十一月、大阪國技館で行われた「四横綱・二大関顔揃ひ座談會」━出席者は、玉錦・男女ノ川・武藏山・双葉山、清水川元吉・鏡岩善四郎、協会監事の鳴戸(元大関太刀光)それに司会役が彦山━以上8名だった。「修行時代の思ひ出」との見出し箇所より。玉錦今では、一寸行くにも乗物に乗る。昔は五里〔註=約19.7km〕や、六里は歩いた。今は交通の便利が好くなったからな。鳴戸皆、歩いたもんだね。玉錦私らの相撲取になったはじめには、一日十里以上も歩いたものだ。広島の駅からだったか、貴方(鳴戸)と〔中略〕、下関まで歩いたね。十里、十三里と、二百里ぐらいは歩いたろう。...広島→下関を歩いた…!

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