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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 106年前、靖國…で物言いの結果

    靖國神社参拝は、日本国内問題なのであり、中・韓両国から“物言い”をつけられる筋合のものに非ず=内政干渉以外のなにものでもないはず。その靖國神社で晴天10日間興行された大正七年夏場所の二日目、東方大関九州山━西方前頭筆頭の弥高山の一番について、当方所蔵の『國民新聞』同年五月十四日づけの相撲記事は……。〔前略〕結局土俵勝負附共預りにて彌高丸星九州半星と决す手許の『…野球界臨時増刊春場所相撲號』収載、全力士星取表に拠れば両力士とも△印=預り━となっていて、「丸星」とか「半星」など曖昧の彼方なのだ。106年前、靖國…で物言いの結果

  • 来年は法人認可1世紀…!

    ※昨日の閲覧…621・訪問者…293トータル訪問者数1,183,254現日本相撲協会が「財団法人」を仰々しく当時の文部省から認可されたのは、大正十四(1925)年十二月二十八日の御用納に辷り込んでいた。〔設立申請代表者は古川九八(元小結両國=諫早出身)。〕来年は丁度100年に当る。この法人認可まで紆余曲折━大きく三つのプロセスを辿る経緯があった。①大正十四年四月に摂政宮(後昭和天皇)の誕生日を祝賀する「台覧相撲」が行われ、その下賜金をもとに作製されたのが「賜杯」である。この摂政杯を東京大角力協會で独占する恰好になるのは忝い━それで……。②大正初期、大阪相撲の大木戸の横綱問題をめぐって紛糾→絶縁状態だった東・西の両協会が融和→合体する機運が盛りあがった。③当時の右翼の大立者、杉山茂丸〔探偵作家夢野久作は子息...来年は法人認可1世紀…!

  • 大正後期の十両対幕下

    大正十二年春場所、東幕下九枚目一ノ濵〔後幕内〕の星取表である。〇大岬(幕下1)△岩城川(〃8格)●弥彦山(〃5)〇荒浪(〃?格)〇淀川(〃3)〇大海(〃19)〇吉ノ山(〃21)=後幕内吉野山〇西ノ梅(〃13)〇緑岩(十両14)●兼六山(幕下16)=後幕内幕下2桁でなければ、積極的に関取と対戦させている。大正後期の十両対幕下

  • 日本人および力士の堕落

    ※昨日の閲覧…1,458・訪問者…308トータル訪問者数1,182,961〔訪問者数の4.7倍超の閲覧数なの…?〕今日づけS紙「言葉のひと解き▼勤労と農業━見出し消えた「汗水たらし働く」美風━を読んで、次の2点を聯想した。先ず、彦山光三のライフワーク・還暦記念出版『橫綱傳』(昭和二八年末刊)において、日本を「農業国」と書いている。たしかに…昭和二十年代まで“瑞穗國”にちがいなかった。その後、高度経済成長で第2次・第3次産業へ発展、即ち「先進工業国」の仲間入りだ。次に、「講釈師みてきたような嘘を…」云う心算はないが、某日の花籠部屋における「朝稽古」━土俵の中心的存在は、「土俵の鬼」&「異能力士」の横綱Ⅰ若乃花で、その猛稽古の最中、稽古場に異様な臭いとは、“汗”のなかにアルコールが混った“酒臭い”匂い。即ち、...日本人および力士の堕落

  • 三段目で5戦全勝だが…

    昭和十九年秋〔十一月〕場所、東三段目二四枚目櫻國〔後幕内〕〇川錦(三段目別格)〇玉輝(〃25)〇津軽冨士(〃19)〇梅錦(〃8)=後幕内〇鮓本(〃29)当場所の三段目優勝は、上位の藤ノ浪だが非関取であった。三段目で5戦全勝だが…

  • 後横綱 玉錦、三段目で7勝

    ※昨日の閲覧…1,593・訪問者…273トータル訪問者数1,182,653【「1593」は鳥渡ばかり可笑しい…?】幕下以下も原則的に「全日出場」だった大正十二年春場所、東三段目十三枚目の玉錦〔後横綱〕の星取表である。〇谷嵐(三段目21)〇勝嵐(〃9)●結城川(〃15)〇大麻山(〃6)〇若響(〃10)〇浅錦(〃28)〇劔嶽(〃26)=後幕内劔岳とは別人。〇西田山(〃40)●荒山(幕下36)●雷ノ峰(三段目3)=後幕内玉錦は、後横綱栃錦らと同様、「下位優勝」を記録せず、入幕前の最高成績となっている。後横綱玉錦、三段目で7勝

  • 『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、出羽錦忠雄7㎝✖10.5㎝2、時津山仁一8㎝✖12㎝3、安念山治仝4、若ノ海正照7㎝✖10.5㎝5、栃光正之8㎝✖12㎝御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚進呈

  • 102年前、新入幕9力士

    ※昨日の閲覧…566・訪問者…281トータル訪問者数1,182,380江戸時代は、「幕内格附出し」が少なくなかった。明治時代も大阪系力士の番附外幕内格附出しを除いて、5~6人の「新入幕」が数場所記録されている。102年前の大正十一年春場所、9名の新入幕力士を現出した。後小結・秋田・光風貞太郎大阪・常陸嶋朝次郎青森・綾錦由之丞宮城・陸奥ノ山→眞砂石三郎滋賀・伊吹山末吉愛媛・朝見冨士→朝響信親島根・若常陸恒吉和歌山・高ノ山三郎島根・太刀ノ海浪右エ門“勝負の世界”は頗る厳しい。小結光風のほか8力士は、平幕止りで土俵から去っている。尚、春秋園事件で大関大ノ里とか関脇天竜ら多数脱退したあとの昭和七年春“改編”番附で十両・幕下から10名が繰上げ入幕━そのなかに双葉山や出羽ノ花の後理事長が2人も…。102年前、新入幕9力士

  • 前半連勝→後半連敗

    大正十二年春場所、西幕下十三枚目西ノ梅〔「西ノ海」に非ず〕の星取表。〇朝嵐(幕下22)〇晴ノ海(〃19)=後幕内〇青葉山(〃8)〇淀川(〃3)〇錦洋(〃1)=後関脇…与三郎●兼六山(〃16)=後幕内●荒山(〃36)●一ノ濵(〃9)=後幕内●吉ノ山(〃21)=後幕内吉野山●弥彦山(〃5)典型的な「竜頭蛇尾」なので特に採りあげてみた。前半連勝→後半連敗

  • 雷電の「連続出場」は66日

    ※昨日の閲覧…674・訪問者…347トータル訪問者数1,182,099江戸~大正期の本場所大相撲における各種記録調査は、昔の相撲研究家━例えば星取りマニアの山本義一氏あたりだって、あんまり熱心に追求していたとは…残念ながら思えない。そこで古今最強力士とされる雷電爲右エ門の「連続出場」記録を調べてみた。文化三(1806)年春三日目や2日出場〔5日間限り〕同年冬10日間出場同四年春場所9日間出場〔楽日欠場は不問〕同冬場所10日間出場同五年春場所8日出場〔八日目入れ掛け・楽日不問〕同冬場所10日間出場同六年春場所9日出場〔五日目“日歿”のため不問〕同冬場所8日間出場〔九日目欠場〕以上、連続出場回数は66日で、4年=8場所を要している。尚、相手に休まれた場合、連続出場を“中断”しないものとするのに躊躇した。あまり...雷電の「連続出場」は66日

  • 大関としてキャリア不足なのに

    彦山光三〔『相撲』編輯長⇒相撲評論家〕の最後の「総評座談会」発言を鳥渡ばかり━。横綱〔力士〕というものは絶対に全勝優勝を2場所も3場所も続けるようなものでなくちゃならん…。嘗て、C・K・Yら横綱同士の“疑惑相撲”を厳し批判・避難する際、従前〔明治末期〕の不文律である「2場所連続全勝」乃至「4場所連続土つかず」〔分・預り原則廃止後は「3場所連続優勝」〕より、もっと・もっと厳正にする意味で、「3場所全勝」か「5場所連続優勝」を提唱したことがあった。でも、そんなの現実的に非ず、何十年も新横綱は誕生できない。“理想化肌”の戯言である。でも、上記に「……も続ける“ようなもの”」と云う“含み”をもたせていたことも事実。横綱審議委員会の推薦内規「2場所連続優勝」を恰も「金科玉条」みたいにNHK・各新聞社の担当者が思考し...大関としてキャリア不足なのに

  • 九州…、「7人衆」なで斬り帖

    ※昨日の閲覧…639・訪問者…368トータル訪問者数1,181,752九州場所、勝手に選抜した“7人衆”〔前回と同じメンバー。〕の綜括&寸評であります。東前頭筆頭●王鵬6勝9敗喫した黒星の5番が「押し…」だった。やっぱり“負けない相撲”大鵬のDNAが…。押し相撲対策を真剣に実践しなければ、今後の飛躍は期待外れになりそうだ。同九枚目●翠富士7勝8敗「肩透し」を封印しなければ、上位進出は難しいと思う。幕尻●朝紅龍6勝9敗幕内下位━十両のエレベーターになるかも…?幕下四二枚目〇北石番磨5勝2敗「押出し」で白星3箇だから、関取復帰の可能性零ではないが、「再入幕」は相当困難と思える。三段目五六枚目〇炎鵬6勝1敗初場所幕下再昇進は難しく、三段目“一桁”あたりにとどまるに違いない。幕下に上っても全勝して1場所で突破でき...九州…、「7人衆」なで斬り帖

  • 初場所 三役「番附」決定…!

    吾輩も何十年も前は、大相撲協会が編成する新「番附」の“予想”を楽しんでいたけれど、協会の“変動相場制”には次第に莫迦々々しくなってきたのである。読売新聞社刊『大相撲』誌の総決算号は「私製番付」と称していたのに、軈て「予想…」に変更してしまった。では、恒例の来年初場所の三役番附の私製版を御披露しよう。横綱<該当力士なし>東大関千葉・琴櫻将傑32勝13敗西大関石川・大の里泰輝31勝14敗東関脇M國・豊昇龍智勝30勝13敗・2休西関脇仝・照ノ富士春雄12勝3敗・30休東小結仝・霧島鐵力26勝19敗西小結埼玉・阿炎政虎24勝21敗尚、大の里と豊昇龍は、最近2場所に限れば1勝だけ前者が上回っている。阿炎と大栄翔は、2~3場所通算が同点なので九州…の成績で前者優勢としたい。初場所三役「番附」決定…!

  • 108号 劈頭連載記事 脱稿

    ※昨日の閲覧…621・訪問者…354トータル訪問者数1,181,384来春二月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第108号の冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」━明治→大正篇⑤が漸く脱稿した。但し、原稿清書は終っていない。小結・新潟・柏戸宗五郎見出し日露戦争に出征した8代め…本文27行前四・千葉・滝ノ音啓五郎見出し勝越しは2場所だけの…本文13行関脇・青森・綾浪源鋭見出し関脇2場所、勝越せなかった…本文27行前一・高知・土州山役太郎見出し明治6場所“皆勤”の快記録本文28行小結・千葉・竜ヶ﨑松太郎見出し入幕前、全9場所勝越し本文27行108号劈頭連載記事脱稿

  • 三段目で9勝1敗

    大正十二年春、西三段目四五枚目津軽冨士〔非関取〕の星取表である。〇越ノ花(三段目53)〇若錦(〃49)〇鶴ノ里(〃52)〇上州山(〃33)〇筑地川(〃49)〇佐原山(序二段17)●若瀬川(〃28)=後幕内〇東泻(〃5)〇千葉ノ花(三段目36)〇白王山(〃36)当場所の三段目優勝は、上位の同成績、諏訪錦(後十両霞ヶ浦)であった。三段目で9勝1敗

  • 藤闘志3━1炎 鵬

    ※昨日の閲覧…720・訪問者…405トータル訪問者数1,181,030昨十三日目の三段目取組、藤闘志━炎鵬は「阿吽の呼吸」が合わず乱戦と云うより“凡戦”でファンをがっかりさせた。5点満点の評価は、タイトルのとおりだ。炎鵬が、相手より0.1秒でも先に立とうとして、双葉山流「後の先」ならぬ「後の後」の立合いになった恰好で、結局は相手の「独り相撲」で完敗だった。邪推すれば、炎鵬は仕切り→立合いのプロセスにおいて、気ばかり焦っていた…としか思えない。攻防の末に“惜敗”するのならば、すこしは同情の余地があると云うものだが、昨日の相撲は、炎鵬の黒星のパターンとして最低の範疇に属する━と、愚考する。こんな取口を根絶させねば…もう「再入幕」なんか絶対無理。年齢的なハンディもあり、来年中の「関取復帰」は実現しても……。藤闘志3━1炎鵬

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主なる内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役、力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、蹲踞の姿勢出羽錦忠雄2、胸を出す構え時津山仁一3、体の汗を拭く安念山治4、支度部屋で若ノ海正照5、鉄砲柱にて栃光正之尚、勝手ながら力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず御諒承下さい。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 横綱北の富士を評価すれば…

    ※昨日の閲覧…608・訪問者…363トータル訪問者数1,180,625読売新聞社刊『大相撲』誌の昭和四六年九月号は劈頭9ページ余の「八百長はなくせるか」と題して特集した。そのなかで、双葉山以後、八百長のない横綱は一人もいないようだ。しかし、八百長の嫌いな横綱はいた。照國・東冨士・栃錦・若乃花〔註初代〕・柏戸・佐田の山(現役は除く)などである。註釈を加える。「双葉山以後」は「羽黒山(政司)以後」が正確・穏当ではないか。更に、「嫌いな…」は「少ない」と云う表現が適切だと愚考する。32年前、上京した際、当該記事執筆者の三宅充氏の御自宅を訪ねて、〔当時“現役”の〕「北の富士と玉の海(正洋=前名玉乃島)は、八百長が多かったんですか?」と訊いた。「玉の海はやっていない」と応じて、それ以上の追及は避けた━八百長談義は愉...横綱北の富士を評価すれば…

  • 或る醜聞…

    昭和三十九年の「布哇巡業」が発端の「密輸事件」━元大関W逮捕で拡がった。Wの証言から柏・鵬の両横綱も“幼稚な犯罪”━当時、芸能人等々有名人が「銃刀剣類等不法所持」などで相次いで逮捕され、両横綱も怖くなって「隅田川から捨てっちまった云々」━もっと邪推かも知れぬが、柏戸が捨てたやつは“破片”がみつかり、大鵬のそれは全然発見されなかったみたい。でも、両横綱とも「書類送検」で一件落着。昭和四十年夏場所の土俵にダメージが大きく、両者9勝6敗の惨憺たる星に終った。この一連の事件、当時の九重親方(元横綱千代の山=未だ出羽海部屋からの独立前)が、北の冨士から預った拳銃一丁〔実弾の有無は失念〕を警視庁へ…。だから北の富士も「事情聴取」をうけたんじゃないの…?ともあれ、当時の「税関」はなにをしてたんだろう…。その後、「黒い交...或る醜聞…

  • 元横綱力士「長寿記録」更新 !

    ※昨日の閲覧…544・訪問者…320トータル訪問者数1,180,262「毀誉褒貶」色んなことが脳裡に浮ぶ人物だが、先ずは目出度い「記録更新」だ。◎横綱力士長寿5傑①福岡・梅ヶ谷藤太郎83歳2箇月(弘化2.3.16~昭和3.6.15)②青森・栃ノ海晃嘉82歳10箇月(昭和13.3.13~令和3.1.29)③北海道・北の富士勝晃82歳7箇月(昭和17.3.28~令和6.11.12)④青森・若乃花幹士82歳5箇月(昭和3.3.16~平成22.9.1)⑤青森・鏡里喜代治80歳9箇月(大正12.4.30~平成16.2.29)初代梅ケ谷の大記録は96年間No.1を維持している。或る意味で、双葉山「69連勝」同様、「不滅の金字塔」と云えるのじゃぁないか…。元横綱力士「長寿記録」更新!

  • 炎鵬、絶好調の6戦全勝…!

    上位・三役陣の相撲よりも、なんてったって元幕内の軽量力士、炎鵬がほぼ完璧に「復調」の波に乗って6戦全勝━今日の相手は「押し相撲」の重量級じゃぁないけれど、“難敵”だと思っていた。兎に角、真っ向勝負&速攻相撲で満点の取口だった。流石は「技能賞」受賞者のキャリア力士だ━と愚考する。扨て、十三日目に予想される、もう1人の三段目における全勝者と全勝同士で事実上のV決定戦。また「押し相撲」だが超あんこ型ではないみたい。そいつは上位なので1敗しても幕下昇進は確実。逆に、炎鵬は黒星を喫すると、「三段目優勝」のみならず「幕下再昇進」が“春”まで1場所見送りになりそう。【追記】なんか噂では、炎鵬が三段目Vの“暁”には、インタビュールームで「喜びの声」を披露するとか・しないとか。元幕内のプライドは全然ないの……?!炎鵬、絶好調の6戦全勝…!

  • 幕下で8勝2敗

    ※昨日の閲覧…464・訪問者…316トータル訪問者数1,179,942大正十二年春場所の好成績者をもうひとり━東幕下二一枚目、吉ノ山〔後幕内吉野山=双葉山の兄弟子〕の星取表である。〇泰山(幕下27)=後関取?●安藝ノ浦(〃22)〇晴ノ海(〃19)=後幕内〇青葉山(〃8)〇大矢﨑(〃27)=後十両〇若千鳥(〃14)●一ノ濵(〃9)=後幕内〇鬼ヶ嶽(〃32)〇西ノ梅(〃13)〇九國山(〃28)平幕止りながら、年寄中川としては協会理事にまで推されたのではなかったか…。昭和三一年、60歳で逝去した。幕下で8勝2敗

  • 入幕力士に列したが…

    序ノ口まで10日間「全日出場」が原則的だった大正十二年春場所、東幕下十六枚目兼六山〔後幕内〕の星取表である。〇燧洋(幕下6)〇南州山(〃15)〇若千鳥(〃14)〇弥彦山(〃5)=後十両開心〇大海(〃19)〇西ノ梅(〃13)●錦洋(〃1)=後幕内…与三郎〇九國山(〃28)●汐ヶ濵(〃14)=後幕内潮ヶ濵〇一ノ濵(〃9)=後幕内この兼六山は、大正最後の本場所で新入幕を果したが、病欠して幕内力士として全然土俵へ上ってない悲運力士のひとり。当該本場所の幕下で優勝同点。入幕力士に列したが…

  • 5勝5敗で番附下降…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,179,626明治~大正期の小結、竜ヶ﨑松太郎は、入幕前が凄い。序ノ口1場所3勝2敗序二段2場所4勝1敗4勝1敗三段目2場所4勝1敗3勝2敗幕下3場所4勝1敗4勝1敗4勝2敗十両1場所3勝零敗1分1預り“全勝”こそないけれど、全9場所すべて勝越しの快記録を残している。そして新入幕の場所も4勝3敗…の勝越し。問題は入幕2場所めの明治四三年夏である。●玉椿(前一)〇上ヶ汐(同九)〇藤嶋(幕尻)●梅ノ花(前十二)〇有明(同五)●緑嶋(同六)〇陣立(同八)●伊勢ノ濵(関脇)●黒瀬川(前十一)〇鶴渡(同七)九日目まで4勝5敗なので、負越し寸前のピンチだったが、千穐楽は逆星の5勝4敗だった鶴渡に勝利して“五分”に漕ぎ着けた━相手と同成績なので、現代の眼からは疑惑の色眼鏡かも…。ところが...5勝5敗で番附下降…

  • 115年前も「入幕試験」なし

    旧両国國技館の“杮落し”である明治四二年夏場所、西十両六枚目竜ヶ﨑〔後小結〕の星取表を御覧ください。〇土州山(十両4)や〇朝日嶽(十両8)や〇平ノ海(幕下6)や✖沖ノ嶋(幕下4)や△陣立(十両8)や成績は3勝零敗・1引分け1預りなので一応“土つかず”だけど、幕内力士と全然対戦しておらず、幕下と引分け相撲を取り、翌場所「入幕」しているのは幸運すぎる。115年前も「入幕試験」なし

  • 炎鵬、1敗すれば幕下お預け…?!

    ※昨日の閲覧…372・訪問者…261トータル訪問者数1,179,383九州場所、三段目五六枚目で5番め━押し相撲を制して5戦全勝の元幕内炎鵬。はっきり云ってしまえば、7戦全勝優勝でなければ、6勝1敗だって来場所の幕下への再昇進は成らないだろう。まぁ…、6番相撲は勿論、7番相撲も幕下とは対戦回避だけど、全勝同士の取組になるに違いない。再出発以来、黒星皆無じゃぁないのでいつ取り零しがあるか…気が気でない。炎鵬、1敗すれば幕下お預け…?!

  • 曖昧な規則で誤審が…?

    日本相撲協会の「相撲規則」等々の規程は大抵のものが昭和三十年、当時の秀ノ山理事(元関脇笠置山=早大出。双葉山に17戦全敗)が中心になってまとめたもの。そのなかで“古くて新しい”問題箇所をピックアップしてみたい。勝負規定第十四条相手の体を抱えるか、褌を引いていて一緒に倒れるか、または手が少し早くついても、相手の体が重心を失っている時、即ち体が死んでいる時は、かばい手といって負けにならない。昭和四七年初場所八日目、横綱北の富士━関脇貴ノ花は、前者が「外掛け」で白星だが、「つき手」なのか「かばい手」なのかで物議を醸した。木村庄之助(25代)は、貴ノ花に団扇をあげて“差し違い”になり謹慎処分をうけ、当場所限り行司生活に終止符をうった。曖昧な規則で誤審が…?

  • 『日本相撲大鑑』+名力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…510・訪問者…348トータル訪問者数1,179,122窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月は不明です。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。尚、勝手ながら力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず御諒承ください。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック」…にて発送いたします。〒852-8113長崎市上...『日本相撲大鑑』+名力士写真進呈

  • 初の序ノ口8戦全勝…

    「15日間制」劈頭の昭和十四年夏場所、西序ノ口六枚目、沖ノ浪〔非関取〕の星。〇白崎(序ノ口5)〇赤坂(〃3)や〇陣ノ花(序ノ口8)=後幕内小野錦や〇愛知山(序ノ口10)=後幕内やや〇稲田山(序ノ口20)や〇吉葉山(序二段68)=後横綱や〇小高(序二段76)や〇古森(序二段71)“後横綱”とは「全勝同士」だったが、7~8番相撲の相手は既に1敗していた。この沖ノ浪は、青森県出身の湊川部屋、当時数え23歳だった。初の序ノ口8戦全勝…

  • 戦前の土俵は今より15㎝高かった

    ※昨日の閲覧…575・訪問者…370トータル訪問者数1,178,774古い資料で恐縮だが、昭和三七年刊『なんでもわかる相撲百科』より抜萃。土俵の高さは約一尺八寸(54㎝)の台形に土を盛り上げる。戦前は二尺三寸(69㎝)あったが、土俵が高いと土俵に近い観客席では観にくいし、また土俵下へ力士が転落した際に怪我の少ないようにと、低くしたのである〔後略〕「戦前の土俵」とは、多分、双葉山時代の旧両国國技館〔後日大講堂〕の土俵を代表例としているように思う。兎に角、高く設置してあるのは、観客が観戦し易いように━力士の横転→負傷なんか“二の次”の発想だろう。もひとつ指摘したいのは、力士の「平均体重」が150kgを相当超過しているので、“体質”が怪我し易い━昭和以前の力士に較べ平成・令和の「現代力士」は怪我のリスクをつねに...戦前の土俵は今より15㎝高かった

  • 西ノ海8━0土州山

    明治・大正のパーフェクト記録を御紹介しよう。最高地位は、横綱対前頭筆頭であった。①明治四三年夏場所初日東大関〇西ノ海(浴せ掛け)土州山●西前頭二②同四四年春場所五日目東張大関〇西ノ海(寄倒し)土州山●西前頭五③同四五年春場所千穐楽西張大関〇西ノ海(突落し)土州山●東前頭二④同四五年夏場所二日目東張大関〇西ノ海(突出し)土州山●西前頭六⑤大正三年春場所七日目西大関〇西ノ海(押倒し)土州山●東前頭六⑥同三年夏場所八日目東大関〇西ノ海(叩込み)土州山●西前頭三⑦同四年春場所二日目東大関〇西ノ海(押切り)土州山●西前頭五⑧同六年夏場所三日目西張出横綱〇西ノ海(小手投)土州山●東前頭筆頭怪記録と云えそうだが、土州山は金星も銀星も全然獲得していないのであります。西ノ海8━0土州山

  • 矢張り素人の偏見だ

    ※昨日の閲覧…498・訪問者…303トータル訪問者数1,178,404萩原朔太郎の短篇「角力と電擊戰」の冒頭箇所のみ抜萃し、解説ならぬ怪拙を述べてみたい。ラヂオで角力の放送を聞いてると、兩力士が土俵に現はれてから、仕切直しをする時間が非常に長く、容易のことでは立上らない。だが「立ちました」と放送者が言つたと思ふと、その瞬間にもう勝負が終つてる。〔後略〕先ず、前提として当時の「制限時間」は幕内取組で10分間であった。しかし、昭和戦後以降の力士と異なり、大抵の力士は時間一杯まで“無意味な”仕切りを繰返した訳じゃぁなく、数分乃至5分以内に立上っていたと想像・推察している。皮肉にも、朔太郎歿の昭和十七年から時間短縮が実施され、7分となり、現行の4分になったのは戦後の二十五年秋からである。長い仕切り直しで定評・評判...矢張り素人の偏見だ

  • 横綱〇常陸山(浴せ倒し)土州山●前5

    明治末期から大正前期にかけてのハンサム力士、土州山は“金星”など全然獲得していない。でも善戦・健闘した相撲がない訳じゃぁない。今夜は、古雑誌『大相撲』に連載された「明治十大力士年代実戦記」より明治四四年春場所六日目の対横綱常陸山戦を“再現”してみたい。〇土州山「土州が突っかけると常陸は相手の左を引っ張り込み、泉川にためようとするが、そのたびに土州は左から肩透かしにいき、なかなかつかまえられず、常陸があせって出るところを巻き落とし、常陸は前へ落ちかかったがよく残し、二本差しになった土州を浴びせ倒した」念のため、両力士の体格を『…人物大事典』より転記しておく。常陸山は、174㎝・146㎏土州山は、164㎝・94㎏となっている。横綱〇常陸山(浴せ倒し)土州山●前5

  • 大関 松登7━7関脇 羽嶋山

    ※昨日の閲覧…461・訪問者…282トータル訪問者数1,178,101昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は大関対関脇である。①昭和二六年秋場所六日目西前頭六〇羽嶋山(上手投)松登●東前十六②同二七年春場所千穐楽西前頭四●羽嶋山(押出し)松登〇東前頭七③同二九年初場所九日目西前頭二●松登(寄切り)羽嶋山〇東前頭四④同二九年春場所二日目西関脇●松登(寄切り)羽嶋山〇東前頭五⑤同二九年夏場所八日目東張関脇〇松登(寄倒し)羽嶋山●西前頭筆頭⑥同二九年秋場所千穐楽東張関脇〇松登(寄切り)羽嶋山●西張小結⑦同三十年初場所五日目西張関脇●松登(叩込み)羽嶋山〇東前頭二⑧同三十年春場所千穐楽西張関脇〇松登(押出し)羽嶋山●東前頭二⑨同三十年夏場所初日東関脇●松登(上手投)羽嶋山〇東前頭三⑩同三十年秋場所四日目東関脇〇松...大関松登7━7関脇羽嶋山

  • 初の15日制で〇●〇●…

    昭和十四年夏、東序二段二四枚目竹旺山〔後幕内〕の星取表である。〇江戸ヶ嶋(序二段25)●陣錦(〃28)や〇竜錦(序二段16)や●宮城竜(序二段21)やや〇秋田洋(序二段20)や●國ノ花(序二段12)や〇巴竜(序二段32)●鉄山(〃15)や翌場所は序二段ひと桁へ。「負越し以外は下げられない」なんて不文律が存在していだろうか…?初の15日制で〇●〇●…

  • 赤字で休刊を余儀なく…!

    ※昨日までのトータル訪問者数1,177,819過日、老舗の書店で…協会機関誌『相撲』を購入の際、自らの眼に入った相撲雑誌の表紙。どうやら競合する機関誌以外の両誌のうち一方が“赤字”に我慢できず廃刊するらしい。その編集長をやってるのが、読売新聞社刊『大相撲』に“籍”をおいていたN記者だったみたい。そのN氏のスタンスなるものが、アンチ彦山派であると同時に、100%でもないけれど、どっちかと云えば相撲協会に対する「迎合主義」と当方なんか勝手に判断してしまう。即ち、『大相撲』誌の編集方針とは相容れない━と思わざるを得ず、実際に方針が変化したのは間違いあるまい。以前にも書いたが、当初N記者は江戸相撲について「プロレス並み」云々━これなんか寧ろプロレスファンから“物言い”をつけられたんじゃぁないかしらねぇ……。赤字で休刊を余儀なく…!

  • 大正六年春、土州山は3人に休まれた

    本場所大相撲の「記録」について、渡邊光太郎〔『相撲』では港太郎〕・三谷光司・佐竹義惇の諸氏いずれも江戸~大正期のそれを大抵対象外にされているのが、鳥渡ばかりおもしろくない。例えば、「連続出場」記録なんか、「不戦勝」制度確立前の調査が困難と云えば云えなくもない。この度、綿密に土州山の幕内連続出場記録を調べてみた。相手休場に因る「や」は「出場数」に含めないけれど、連続出場を“中断”しないものとするのは穏当だと信じて疑わない。土州山の場合、大正六年春場所は四日目に君ヶ濵、六日目に紫雲竜、翌七日目に大門岩にそれぞれ休まれ、現代ならば「不戦勝」が適用されるはず。当場所の彼の出場回数は「7」とする。土州山の連続出場回数は、156だ。明治が6場所、完全皆勤の60。大正二年度19、三年~五年が小計60。六年度17。大正七...大正六年春、土州山は3人に休まれた

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…427・訪問者…261トータル訪問者数1,177,584窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466頁ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士モノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真は、撮影年月は不明です。1、関脇出羽錦忠雄2、関脇時津山仁一3、関脇安念山治4、小結若ノ海正照5、大関栃光正之尚、力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 朔太郎→二子山→土州山60日連続出場

    短篇「角力と電擊戰」や長篇「日本國技の洋風化について」と題する作品も発表した萩原朔太郎(明治十九~昭和十七年歿)にたしか郷土望景詩「二子山附近」なる詩ものこしている。二子山…と云えば理事長にも就いた元横綱若乃花幹士(初代)を聯想するであろう。その在任期間は2期・4年だが、どこかの総理大臣みたいに1年で「投出し」たやつの方が無責任の誹りを免れまい。〔故安倍氏が「いしばし」を叩いて渡る…現首相は1年もつかな?〕“借株”を別にすれば、上記二子山勝治の“先代”は、昭和三五年三月に71歳で逝った元幕内の土州山役太郎だった。この土州山が“快記録”を残していることに最近気づいたばかり。それは、明治四三年春の入幕以来明治末の6場所✖10日間を“皆勤”しているのである。「不戦勝」制度がない頃、皆勤は“運”に左右されることを...朔太郎→二子山→土州山60日連続出場

  • 5力士✖4回=残るは20力士

    ※昨日の閲覧…434・訪問者…281トータル訪問者数1,177,323拙稿「“時代”を超えた力士たち」━━明治→大正篇の次号以降の予定はほぼ確定している。第108号(令和7年2月)予定⑤小結・新潟・柏戸宗五郎(←八國山)前四・千葉・滝ノ音啓五郎(→五十嵐→御舩泻)関脇・青森・綾浪源鋭(←源逸)前一・高知・土州山役太郎小結・千葉・竜ヶ﨑松太郎第109号(令和7年6月)予定⑥前六・新潟・桂山勘五郎関脇・秋田・大蛇泻粂藏小結・滋賀・近江冨士初太郎前七・青森・雲竜辰五郎前六・福岡・佐賀ノ海初太郎第110号(令和7年10月)予定⑦前四・青森・八甲山純司〃・福島・平ノ石辰治郎関脇・福井・玉手山勝司前一・東京・石山昇之助前十・兵庫・明石竜兵太郎第111号(令和8年2月)予定⑧前二・青森・櫻川五良藏前九・富山・寒玉子為治...5力士✖4回=残るは20力士

  • 登場済の25力士

    拙稿冒頭連載記事「明治→大正篇」に登場の名力士を列記してみたい。第103号(令和5/6)横綱・梅ヶ谷藤太郎(←梅ノ谷)〃・常陸山谷右エ門小結・緑嶋友之助横綱・太刀山峰右エ門前四・甲(かぶと)吾郎大関・駒ヶ嶽國力第104号(令和5/10)関脇・玉椿憲太郎〃・浪ノ音健藏大関・伊勢ノ濵慶太郎横綱・西ノ海嘉治郎(←錦洋)大関・朝潮太郎(←朝汐←朝嵐)前一・碇泻卯三郎第106号(令和6/6)関脇・髙見山酉之助(←加增山)小結・大ノ川甚太郎前一・紫雲竜吉之助〃・鶴渡清治郎小結・千年川金之助前二・鏡川正光関脇・小常陸由太郎第107号(令和6/10)横綱・鳳(おおとり)谷五郎前二・八嶋山平八郎関脇・黒瀬川浪之助小結・小錦八十吉(←山泉)関脇・大鳴門灘右エ門(←司天竜)前四・梅ノ花市五郎扨て、今後の予定は明日の心だ。登場済の25力士

  • 後幕内…、三段目V逸す

    ※昨日の閲覧…592・訪問者…251トータル訪問者数1,177,042大正十二年夏場所、西三段目三五枚目太刀若〔後幕内〕の星取表である。〇大泰山(三段目25)や〇常陽山(三段目41)=後十両筆頭や〇松錦(三段目36)や〇勝田嶽(三段目52)〇伊勢錦(序二段5)=後十両●綾ノ浪(三段目12)=後幕内やや当場所の三段目優勝は、後関脇天竜らを破った筆頭の筑波嶽〔非関取〕で6戦全勝だった。後幕内…、三段目V逸す

  • 言葉も生きもの…

    角界と各界との“接点”は、言葉を介して…━それが主流かも知れない。早い話が、相撲「隠語」から一般語化した例は少なくない。その代表的なものが「八百長」で、政界の“馴合い”も多分に八百長的じゃぁないか…。300年ほど前の享保の頃の力士、成瀬川土左衞門がグロテスクな容貌・身体だったので…「土左衛門」も一般語になっている。いつだったかの『時事放談』で、細川隆元氏が“若者言葉”で「ナウい」を例に挙げて非難していた。平成の若者が使ったか・令和の若者が使っているのか知らない。言葉は変化・流行語的で「自然淘汰」されそうだ。年長者が絶対使用しないか・否か━わからないが、鳥渡ばかり採りあげてみたい。●きもい〇「気持悪い」の略語。●ださい◎意味不明。●うざい◎仝最後に、否定・肯定が使用する老・若で“逆”になってる端的な例が「全...言葉も生きもの…

  • 酒は避けられない…?

    ※昨日までのトータル訪問者数1,176,791昨日づけS紙1面コラムに、大酒呑みのことを「蛇之助」と表現するなんて全然知らなかった。源典は『古事記』にあり、「八岐の大蛇」の話はうっすらと……。力士の醜名に「大蛇」がつくものは、江戸時代以来数名存在していた。しかし、下の名前が蛇之助なんて寡聞にして知らぬ。鳥渡ばかり蛇足を書けば、当長崎の祭に「おくんち」があり、有名な「蛇踊り」は当地では「龍踊り」と表記して“じゃ…”と読ませるのである。更に、「凧あげ」が当地の場合は「ハタ揚げ」と書くのである。閑話休題。幕末の大関、猪王山は当時大変な酒豪で、“酒気帯び”相撲を取ったと云われる。最優秀成績を2度も記録の名大関だった。「古今珍名番附」で大阪力士だが、明治の序二段にずばり、酒呑山清二郎がいつも赤い顔で土俵へ上っていた...酒は避けられない…?

  • 横綱 大砲は“志願兵”だったのか

    明治後期の横綱力士、大砲万右エ門が三十六年夏からの3場所「全休」━その理由を東京地裁書記官N氏の労作『……全三役力士略伝』に拠れば、日露の戦雲迫る…自ら志願して野砲聯隊に入営〔後略〕他の例えば、『…古今名力士百傑傳』など「入営」なんかに全然ふれていない。何故なのか。大砲以外の横綱で本場所を欠場して戦地に赴いた事例は皆無と思える。拙稿に登場させる綾浪源逸〔鋭は誤記?〕なんか、三段目の4場所、更に幕下のとき兵役にとられ、通算7場所のブランクを記録している。横綱大砲は“志願兵”だったのか

  • 元大関 朝乃山に「幸運の女神」は…?!

    ※昨日までのトータル訪問者数1,176,549昭和三十三年と云えば本場所大相撲の「6場所制」が確立したが、もひとつの特徴として、番附幕下2段めのうち十両の人員が全場所を通じて東・西各々24枚━計48力士を記録していたのである。そんな多人数ならば、十両三枚目の元大関朝乃山の如き仮令零勝の「全休」だって一挙幕下まで陥落なんてあり得ない。朝乃山と云えば、この度アメリカ大統領に復権が決ったトランプ氏から國技館の土俵上で「Asanoyama」…と呼びあげられた異例の表彰式を御本人も・ファンも忘れまい。でも、もう満30歳に達して…幕下から再大関までの“道程”は決して生易しいものじゃぁあるまい。トランプは「暗殺未遂」まで“超越”したけれど、朝乃山は「無事是名馬」の境遇にはあまりにも乖離していると思う。元大関朝乃山に「幸運の女神」は…?!

  • 最高位 前頭四 滝ノ音啓五郎

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━━明治→大正篇⑤は、Ⅷ柏戸につづいて滝ノ音啓五郎〔最高位のとき〕の項を記述した。谷町から頂戴した五十嵐(いそあらし)敬之助では5〔番附面では6〕場所も名乗っているが、改名場所以外は負越しを記録している。彼は、殊勲の星は次の2番だろう。明治四四年春場所九日目関脇●朝汐━五十嵐〇前頭九大正三年春場所八日目前十四●對馬洋━御舩泻〇前十八最高位前頭四滝ノ音啓五郎

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数1,176,315窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月は不明です。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。尚、勝手ながら力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず…。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjh...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 白けムードの回向院境内…?

    天保年間の不名誉な記録を採りあげてみたい。天保十(1839)年春場所の幕内取組数は55番しかなかった。番附最上段に掲載の幕内力士は18名プラス番附に不掲載の横綱稲妻が西方大関濃錦里より“上”の大関格として出場したものの、1勝3敗・1引分け4休─見事に〔?〕負越してしまった。更に、全休が多かった。東関脇手柄山、東小結鰐石、平幕の髙砂・錦・十万ノ海・靏翼━以上、計6力士である。初日9名出場二日目9名三日目11名出場四日目9名出場五日目8名出場六日目9名出場七日目10名出場八日目8名出場九日目3名出場千穐楽は幕内全員不出場。なので、全休力士を除外して出場すべき延べ日数は13✖9=11776÷117=64.96%白けムードの回向院境内…?

  • 明治45春3日目「●朝汐─柏戸〇」

    ※昨日の閲覧…893・訪問者…567トータル訪問者数1,176,074拙作&私家版『相撲史発掘』の次号=第108号の冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」(第7回)明治→大正篇⑤を現在鋭意執筆中である。劈頭登場の八國山〔入幕前、幕内対戦〕改めⅧ柏戸〔フルネーム…宗五郎なら5代め、その後代は名乗っていない。〕の項を一応書き終えた。この柏戸は最高位が小結だが、たった1場所在位、しかも当該場所は全然土俵へ上っていない。更に、過小評価したくなる記録がある。最高位が横綱・大関の力士からの白星は再入幕の明治四五年春場所三日目「〇朝汐(前十一)」以外にございません。明治45春3日目「●朝汐─柏戸〇」

  • 『相撲史発掘』旧号あります

    拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが次のとおり揃っております。第99号(令和4年2月)〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治・大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和4年10月)〇“時代”を超えた力士たち(新連載)●天保十三年春場所〇大正期の新聞記事から(13)●昭和二十年代の短身力士〇香川県出身入幕力士一覧第102号(令和5年2月)●“時代”を超えた力士たち(2)〇天保十三年冬場所●大正期の新聞記事から(14)〇昭和二十年代の長身力士●広島県出身入幕力士一覧第103号(令和5年6月)〇“時代”を超えた力士たち(3)●天保十四年...『相撲史発掘』旧号あります

  • 忘れ難き好角家諸氏

    ※昨日の閲覧…741・訪問者…386トータル訪問者数1,175,507HP『相撲古美術』最新稿に29人の好角家諸氏の御芳名が列記されている。このなかで拙作『相撲史発掘』をお送りしていた方をここに記しておきたい。小島貞二(東京)香山磐根(東京)田中邦文(長野)花谷幸三(島根)木本伸英(徳島)森國弘(愛知)竹森章(京都)正木昭吾(大阪)三浦健(山形)直接御対面いただいたのは、香山・竹森の両氏であった。忘れ難き好角家諸氏

  • 天保3年冬「出場率」83.6%

    天保年間で幕内関係取組数が最多だったのは、三年(1832)の冬場所で97番を記録している。〔幕内人員は20名+番附外幕尻格1〕初日18名出場二日目16名仝三日目20名仝四日目18名仝五日目17名仝六日目18名七日目15名八日目13名九日目15名千穐楽8名21✖9を延べ出場日数とする。158÷189=83.6%が出場率。天保3年冬「出場率」83.6%

  • “曖昧さ”を全面否定しないで…

    ※昨日の閲覧…523・訪問者…307トータル訪問者数1,175,121著者より進呈・頂戴した『大相撲なんでも七傑事典』583頁に「休場と不出場を明確に」なる見出し記事から抜萃。〔前略〕故障があって個人の都合で休む休場と、一場所七日間出場制という協会の都合による不出場を区別せず、ともに「や」としていること。〔略〕不出場は区別して「──」で示すのがよくはないか。〔後略〕江戸時代、番附とともに三河屋版の“公式”記録である「勝負附け」は、片方が欠場して取組不成立のものは一切削除され…星取表だって、相手が休場すれば自らの星取表にも「や」印が記入されるため、不戦勝制度が確立前は、自らの休場か・否か…不明瞭な箇所・場合がすくなくなかった。大相撲界では、「曖昧」な仕来りが沢山あり、それを“全否定”するのも如何なものか─と...“曖昧さ”を全面否定しないで…

  • 「や」は「意味深長」なのに…!

    日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』最新号で、幕下以下の「や」が「━」に変った。協会発行「勝負星取表」も変った?でも、私見では或る“伝統無視”だと愚考する次第。全力士中の最低地位たる序ノ口最下位の星取表をみれば……。────〇●●────────〇──〇〇●──これじゃぁ鳥渡ばかり奇異に感ずると愚考する次第。「や」は「意味深長」なのに…!

  • 松 登0━5小城ノ花

    ※昨日の閲覧…471・訪問者…293トータル訪問者数1,174,814昭和戦後のパーフェクト記録。最高位は、大関対関脇であった。①昭和三五年初場所五日目東前頭七●松登(寄切り)小城ノ花〇西前頭九②同三五年春場所九日目西前頭六〇小城ノ花(寄切り)松登●西前頭八③同三五年名古屋場所十日目東前頭六〇小城ノ花(下手捻)松登●西前十一④同三六年夏場所五日目西前頭七〇小城ノ花(寄切り)松登●西前頭九⑤同三六年名古屋場所十三日目西前頭七●松登(寄倒し)小城ノ花〇東前十一元大関の「ぶちかまし」も後関脇には通じなかったと思える。松登0━5小城ノ花

  • 星の内容は正代<王鵬だった…!

    鳥渡ばかり遅くなったが、新「番附」編成の吟味━と云うより批判を述べたい。秋…の土俵で、西前頭二枚目の王鵬が9勝・6敗、東前頭四枚目の正代が10勝・5敗。勝越し1点につき1枚昇進の基準ならば、一応両者半枚の“差”で正代に有利と云えなくもない。でも、その内容━対戦相手の白星を仔細に検証すれば、王鵬が断然優っていた。即ち、王鵬は琴櫻・豊昇龍の両大関、阿炎・貴景勝の両関脇、小結大栄翔━役力士を5人も破っている。一方、正代は関脇阿炎と小結平戸海以外の三役からの白星がなかった。星の内容は正代<王鵬だった…!

  • 降水確率100%の予報は空振り !

    ※昨日の閲覧…448・訪問者…282トータル訪問者数1,174,521今朝、当地方の「降水確率」100%なんて云うので、車の運転が大変…と、思いきや予想外に天気の恢復は早く…聊か拍子抜け。この機会に気象行政等々に“物言い”をつけずにいられない。先ず、30%の降水確率で傘を用意したら全然雨なんか降らず、20%なので傘不要と思ったら雨に濡れて帰宅━想定内だから、「降雨量」を予測してもらう方が実利的。我々団塊世代の端くれが少年時代、気象庁は「梅雨入り・…明け」宣言なんかしなかった。そんなことより、最高気温が平年〔過去30年間の平均値〕を5度以上も上回った場合「異常高温注意報」を発令し、一般に注意を促すのみならず、農作物管理にも注意を喚起すべきであろう。〔前者は「熱中症対策」…〕兎に角、颱風の進路方向が北→南とか...降水確率100%の予報は空振り!

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 無代進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)ならびに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明です。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。尚、力士写真のみの御希望には応じられませんので、悪しからず。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し、「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで...『日本相撲大鑑』+5力士写真無代進呈

  • 紅葉の前に…大活躍の若葉山

    ※昨日の閲覧…421・訪問者…254トータル訪問者数1,174,239昭和四年夏場所、東方小結若葉山(元関脇)の星取表である。〇幡瀬川(前九)押出し〇太郎山(同五)押切り〇古賀ノ浦(同七)押出し〇豊國(大関)仝●朝潮(前二)突出し●能代泻(大関)寄出し〇宮城山(横綱)寄倒し〇吉野山(前六)突放し〇眞鶴(小結)押切り〇雷ノ峰(前三)仝〇清瀬川(同一)仝現代ならば、殊勲・敢闘・技能の「三賞独占」的な大活躍ぶり。、尚当時「制限時間」が実施されており、松内アナの「…、紅葉の頃に立上り」は不可能と思われる。「押出し」は相手を土俵際で一気に土俵外へ出す技。「押切り」は相手が懸命に堪えるのを更に全力で土俵外へ…内容が脳裡に浮ぶでしょう…。紅葉の前に…大活躍の若葉山

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