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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 『相撲史発掘』No.103 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元立行司40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しております。〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①明治15年選手のⅡ梅ヶ谷常陸山は悪戦苦闘?小結1場所の緑嶋太刀山鎧袖一触的相撲は何%?46年ぶりの“1字名”甲酒に溺れた駒ヶ嶽〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで10名〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所5力士が東・西を異動柏戸、襲名後5連敗〇大正期の新聞記事から(15)◎栃木山30連勝ならず〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●昭和14夏~同18夏頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便なら120円切手同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa...『相撲史発掘』No.103頒布中!

  • 95年前、名古屋で幕下・壱岐ノ海

    ※昨日までのトータル訪問者数1,032,517離島の小さな島━壱岐出身の郷土力士、壱岐ノ海は最高位が三段目止り…と思っていたら、豈図らんや実は幕下に昇進していたのである。好角家S氏より頂戴した「昭和3年三月場所〔幕下以下〕番付」に、「西幕下31壱岐ノ海」とあるのだ。当該場所の開催地は、「名古屋市中区大池町仮設国技館」と某書にあり、遺憾ながら幕下以下星取表を欠いており、彼の成績はわからない。勝手に推察すれば、昭和二年京都場所の三段目上位で好成績〔非優勝〕を収めたので幕下へ上ったみたい。扨て、その翌場所である昭和三年夏の幕下・三段目・序二段のどこをさがしたって壱岐ノ海の名が見当らない。どうやら、幕下昇進を機会に35歳前後で角界に見切りをつけたのじゃぁないか…?95年前、名古屋で幕下・壱岐ノ海

  • 昭和初期「不都合な真実」

    昭和初期は、東京本場所と関西大場所とを“分離”した━別々に番附編成をやっていたので、奇っ怪な現象が起っていたのさ。極端な事例は、汐ヶ濱と名乗る力士。昭和二年一月十両42勝4敗〃二年五月十両122勝4敗〃三年一月幕下71勝2敗3休〃三年五月幕下162勝4敗一方、関西の土俵では……。昭和二年三月十両46勝5敗〃二年十月十両38勝3敗〃三年三月前頭113勝8敗〃三年十月幕下165勝1敗まさに「不都合な真実」なので、三年十月からの関西場所は「番附」の編成・発行をとりやめたのである。昭和初期「不都合な真実」

  • 「五分」の星が好きな壱岐ノ海

    ※昨日までのトータル訪問者数1,032,344大正末~昭和初期の郷土力士、壱岐ノ海の昭和二年十月(於京都)番附地位は、東三段目二十一枚目だが資料不備のため成績は全く不明なので翌三年春場所、西三段目三十二枚目における星取表である。●和田ヶ﨑(三段目32)〇公明山(〃29)や●會津竜(三段目28)や〇南部藤(三段目36)や〇秋田嶽(三段目35)=後十両や●松若(三段目26)=後幕内楯甲やまたしても3勝3敗の「五分」の星になっている。大抵、「同成績」同士で対戦していた。「五分」の星が好きな壱岐ノ海

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手を10枚同封のうえ下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 「汐」と「潮」のお話

    ※昨日までのトータル訪問者数1,032,109拙稿「“時代”を超えた力士たち━明治→大正篇」は、梅ヶ谷から数えて11番めの朝潮を鋭意執筆中である。明治四一年春、元大関の前頭十一枚目朝汐が番附に名を残して引退。その僅か5場所後の同四三年夏、関脇朝嵐が2代め朝汐を名乗った。そこまではいい。その後、明治おしまいの場所で元関脇朝汐が朝潮となったが、番附に「改名表示」はない。例えば、玉乃嶋が玉乃島と字を変えたが、「島」の“異体字”が「嶋」であり、単なる「変名」であって改名とは云えないと思う。ところが、「汐」と「潮」は“同音”ながら対義語乃至対照語であり、全然別の文字だ。すこしばかり話題を横道へ。『江戸時代相撲名鑑』で4字音「はつしお」なる醜名を調べたら、すべて「初汐」が8名ほど、「初潮」【註=音よみに非ず】は皆無な...「汐」と「潮」のお話

  • 『相撲史発掘』No.103 頒布中

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元立行司40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しております。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎写真=太刀山・駒ヶ嶽・緑嶋・甲折込み表面●明治に入幕、大正で引退した45力士折込み裏面〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで◎写真=常ノ花5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所折込み両面●関係勝負&星取表8~10ページ上段〇大正期の新聞記事から(15)◎写真=栃木山10ページ下段〇江戸三役陣18世紀“最初の記録”11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●戦前の15日間制9場所頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113...『相撲史発掘』No.103頒布中

  • 合流の旧大阪力士は87名

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,958旧東京大角力協會と・旧大阪大角力協會との「対等合併」とは名ばかり━実質的には、大阪協会を東京協会が“吸収”した恰好だった。それは両者の“質”の面ばかりじゃぁなく、“量”の面からみても明瞭であった。具体的には、横綱宮城山はその侭だったが、旧大阪の大関である荒熊や錦城山が昭和二年春の番附において、平幕へ据えられた─相当な“格差”があったことを如実にもの語っている。当該番附で幕内は宮城山以下6名、十両が5名で旧大阪関取は小計11名にすぎなかった。幕下以下は如何だったか。最近落手の『野球界臨時增刊夏場所相撲號』所載「昭和二年春場所全力士星取表」に元大阪力士が●で示してあるので、じっくり調べてみた。幕内6名十両5名幕下16名三段目16名序二段43名序ノ口1名総計87名番...合流の旧大阪力士は87名

  • 執念深い❔ 壱岐ノ海

    初の「関西大場所」である昭和二年の三月〔於大阪〕場所の幕下以下星取表は『野球界臨増』など調べたが載ってない。当初、大正末の「東西聯盟相撲」と同じ位置づけで、正規の「本場所」と同等にあつかわれていなかったみたい…。だから、当時在京の相撲記者諸氏も大阪まで出張取材したのは少数派だったかも知れない。したがって、郷土力士壱岐ノ海の成績も全然わからない。仕方なく昭和二年夏場所、西三段目四十六枚目━星取表である。〇濱錦(三段目43)や〇関高山(三段目45)や〇大岩(三段目47)や●和田ノ海(三段目41)や●玉舟(三段目28)や●吉ノ石(三段目42)=後幕内吉野岩序二段に落ちた侭と思っていたら再び三段目に戻って土俵へ……。でも、勝越せず「五分」の星だった。執念深い❔壱岐ノ海

  • 自殺を正当化できないが…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,750今日づけS紙「多面鏡」に鳥渡ばかり気になる記事が載っていた。〔前略〕著名人の自殺報道では昨今、〔中略〕「自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えない」といった世界保健機関(WHO)のガイドラインに留意するようになった。念頭にあるのは模倣自殺の防止〔後略〕たしか吾輩ら「団塊世代」における高校の「現代国語」教科書に、二十代半ばで自ら生命を絶った「北村透谷」も登場した。〔亡父の書斎にも「…透谷全集」が在るが全然読んでいない。〕現代日本では、小・中・高の教室で「命の大切さ」を指導するらしいが、北村透谷なんか教科書に相応しくないであろう…。拙稿「“時代”超越の力士…」では、同時入幕した元大関伊勢ノ濱と元横綱Ⅱ西ノ海について。前者は、N市へ失踪の挙句、服毒自殺、その約2年8箇...自殺を正当化できないが…

  • 炎鵬、12枚ダウンして…?!

    大相撲「名古屋本場所」は、昭和三三年七月六日開幕━「金山体育館」で「酸素の放出」をやっていたんだ。「関東大震災」で國技館焼失のため大正十三年春を史上初の“都落ち”で名古屋市で晴天10日間。直前本場所から11日間に延長されてたのに…。次いで、昭和三年三月・翌四年九月・七年三月の3場所は、「関西大場所」と呼称されていた。名古屋地方が「関西」なのか…鳥渡ばかり変だ。昭和三五年から同四十年まで名古屋場所の開幕日は、七月初旬に非ず、六月下旬だった。もっとも早かったのが昭和三九年で六月二一日~七月五日は千穐楽になっている。扨て、どうやら明朝発表の新「番附」で、人気力士炎鵬は大頭(おおがしら=幕下筆頭)に大幅ダウンか。炎鵬、12枚ダウンして…?!

  • 96年前、郷土力士が序ノ口V

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,606昭和二年京都〔十月〕場所の東序ノ口二枚目、松本(後関脇肥州山)の星取表である。〇北國(序二段55)〇汐曻(序ノ口4)〇金ノ花(〃2)〇時ノ里(??)〇駒ヶ谷(序ノ口12)やや〇時錦(?)ややや当場所の序ノ口優勝は郷土力士であった。尚、“記録不備”のため後横綱双葉山の当場所における4勝の相手が誰々であったのか未詳なのである。96年前、郷土力士が序ノ口V

  • 『相撲史発掘』第103号 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈いたします。〇“時代”を超えた力士たち●明治→大正篇①◎写真=太刀山・駒ヶ嶽・緑嶋・甲〇岡山県出身入幕力士一覧◎写真=常ノ花〇江戸大相撲熱戦譜●天保十四年春場所〇大正期の新聞記事から◎写真=栃木山〇江戸本場所三役陣18世紀“最初の記録”〇古今平幕最優秀力士星取表頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲史発掘』第103号頒布中!

  • 壱岐ノ海、昭和の土俵で…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,439昭和の番附に載らず、土俵へ上っていないだろう……との予測はまるっきり外れた。「新体制」移行の昭和二年春場所、西序二段五壱岐ノ海の星取表である。〇肥後ノ山(序二段2)●花甲(〃5)や●勝勇(三段目46)や〇福知嶽(三段目49)や●松若(三段目41)や〇紅葉川(三段目50格)やまたしても「五分」の星に漕ぎ着けた。尚、翌場所〔同年三月=大阪〕は資料不備かも知れない。双葉山だって昭和初期の「関西」大場所の一部対戦相手がわからない…?壱岐ノ海、昭和の土俵で…

  • 『新小説』乃至『文藝俱楽部』

    前稿のつづき。A新聞社発行の昭和三七年に終刊となった『……画報』の前号━前年「十一月場所展望號」へ彦山光三が連載・寄稿した「大相撲太平記」第30回〔「…黒白草紙」は彦山翁急逝で27回で終った。〕に拠れば、元大関伊勢ノ濱は趣味に小説を書いた。彼の明け荷には「原稿用紙」が入っていた。当時の雑誌、『新小説』もしくは『文藝俱楽部』に伊勢ノ濱の作品が掲載されていた云々。HPで調べてみたら━。『新小説』は、明治二二年に創刊、同二四年から二八年まで休刊し、翌二九年に復刊、昭和二年に廃刊。『文藝俱楽部』は、明治二八年の創刊、昭和八年に廃刊。発行元は、博文館。相撲関係の出版物も沢山あった。ところが肝腎の伊勢ノ濱が書いた小説類のタイトルがてんでわからない。御存知の方、是非とも御教示いただきたい。『新小説』乃至『文藝俱楽部』

  • 元大関…の服毒自殺

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,242昭和三年夏場所は、衝撃的事件が…。場所中の七日目、幕内の桂川力藏(旧大阪力士)が初日「強行出場」し大関能代泻に「寄出」され、翌二日目(不戦敗)から休場していたが…突然の現役急逝。翌八日目の五月十七日、大相撲協会監事(元理事)の中立〔元大関伊勢ノ濱慶太郎〕が遺書5通を認ためて「服毒自殺」━満44歳6箇月だった。鬼才芥川龍之介もたしか服毒なる方法であったが、元伊勢ノ濱の場合、「猫要らず」と云う殺鼠剤を使用したそうな。蛇足。母方の祖父が住んでいた押入れに鼠がいたみたいだったが猫は飼っていない。何十年も前、「溝鼠」をみた記憶━それ以来、鼠と出くわしたことはない。だから「猫いらず」なんて…つい最近知った。それから「窮鼠、猫を噛む」なる言葉を九重(千代の山)独立劇の波紋と...元大関…の服毒自殺

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 大正最後の場所1勝5敗

    ※昨日までのトータル訪問者数1,031,034旧東京大角力協會での最後の本場所である大正十五年夏、三十代で頑張る郷土力士、壱岐ノ海の星取表である。東三段目三十枚目や●稲ノ川(三段目29)●十勝石(〃24)や●富錦(三段目28)や●谷泉(三段目27)や●高雄山(三段目36)や〇肥後ノ山(三段目25)辛うじて…「全敗」を免れている。幕下が一段と遠くなったのは否定できそうもない。大正最後の場所1勝5敗

  • 『相撲史発掘』No.103 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元立行司40代・式守伊之助氏)を御希望の方に洩れなく進呈しております。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎横綱太刀山ら4力士の写真折込み表面●幕末に入幕、大正で引退した力士45名一覧折込み裏面〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで10名◎横綱常ノ花の写真5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所折込み両面●幕内関係勝負&星取表8~10ページ上段〇大正期の新聞記事から(15)●栃木山30連勝ならず◎横綱栃木山の写真10ページ下段〇江戸三役陣18世紀最初の記録11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(33)横書きコラム☆陽暦採用で花見が梅から桜へ…?頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便...『相撲史発掘』No.103頒布中!

  • 壱岐ノ海、踏ん張る…!

    ※昨日までのトータル訪問者数1,030,856再び、郷土力士の壱岐ノ海。大正十五年春、東三段目二六枚目や●鷲尾山(三段目24)や●伊勢錦(三段目20)=後十両や●大和錦(三段目7)=後幕内〇増毛海(〃11)や〇尾野ヶ濱(三段目22)や〇玉船(三段目46格)3連敗後3連勝して、またもや「五分」の星で、大正末━いや、昭和の土俵へも登場?壱岐ノ海、踏ん張る…!

  • 大関伊勢…、4場所連続負越し❔

    当ブログだって特定の郷土力士ばかりを採りあげる訳にいかない。バリエーションをもたせなくっちゃ……。現在、拙稿「“時代”を超えた力士達」の伊勢ノ濱慶太郎を鋭意執筆中なんです。大関伊勢ノ濱は、事実上・実質的に4場所つづけて負越しているのだ。それで大関の栄位に凡そ5年=10場所も居坐っている幸運力士だった。大正四年春西張大関1勝3敗・2分4休〃〃夏西大関4勝6敗〃五年春西張大関2勝零敗・8休〃〃夏西大関2勝6敗・1預り・1休初代朝汐なんか連続負越しじゃぁないのに大関から関脇へ陥落しているのである。大関伊勢…、4場所連続負越し❔

  • 三十代だって頑張る

    ※昨日の閲覧…577・訪問者…261トータル訪問者数1,030,643大正十四年夏場所、西三段目三二枚目郷土力士、壱岐ノ海の星取表。や〇熊ヶ嶽(三段目35)や〇常曻(三段目36)=後十両●常陸海(〃19)=戦中・後の幕内とは別人。や●土佐ノ海(三段目33)●八劔山(〃29)や〇隅田川(三段目40)や3勝3敗で五分の星は翌春の番附はどうなる…??三十代だって頑張る

  • 壱岐ノ海が引分け相撲

    大正十四年春場所、郷土力士の壱岐ノ海は三段目に残っていた。その星取表である。西三段目三十九枚目。や〇大谷川(三段目46)や〇出羽ノ浪(三段目38)や●小西山(三段目36)や●清花山(三段目33)✖汐風(〃48)〇立嵐(〃32)や3勝2敗1引分け━兎に角、勝越しだから立派。満30歳を越えているみたいなのに…。尚、当時未だ「分け・預り」は“規制”されていないが、大正初期から“減少”傾向に…。幕下以下ではもっと珍しい記録のはず。壱岐ノ海が引分け相撲

  • 99年前、後幕下 稲佐山と対戦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,030,382郷土力士、壱岐ノ海の星取表。大正十三年夏場所、東三段目二六枚目や●久松山(三段目27)や●後楽山(三段目22)や〇大響(三段目8)や●稲佐山(三段目5)や●御勝山(三段目14)●大筑志(〃16)1勝5敗の不成績で、翌春は序二段へ逆戻り…??尚、八日目の稲佐山は五島列島の出身〔長崎駅前附近に居住されてたんで、長崎市内出身と…ずっと思い込んでいた。〕99年前、後幕下稲佐山と対戦

  • 『相撲史発掘』第103号 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しています。〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎写真=横綱太刀山、大関駒ヶ嶽ら〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで◎写真=横綱常ノ花〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表〇大正期の新聞記事から(15)●『東京日日新聞』『國民新聞』◎写真=横綱栃木山〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●昭和14夏~同18夏の9場所頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲史発掘』第103号頒布中!

  • 壱岐ノ海の序二段は…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,030,181「父の日」に因んで、相撲嫌いの亡父〔…それでも「●大鵬─佐田の山〇」の録画をみていた。〕が、「大陸巡業」に於る双葉山━照國〔本場所で照國の3勝2敗〕を観戦したと云うので、詳細を調べて…と思ったが、時間的余裕がない。後日に。郷土力士の壱岐ノ海が大正十二年夏に「序ノ口優勝」相当の成績をあげたことは再掲しない。その翌十三年春、西序二段十一枚目の星取表を御覧いただこう。〇常陽山(序二段4)=後十両や〇立嵐(序二段10)や●大筑志(序二段8)や〇北ノ濱(序二段15)や〇筑志嶽(序二段17)や4勝1敗の好成績なので翌場所は三段目昇進だが、……。常陽山は「疑惑相撲」を師匠から睨まれ“貧乏神”に止められたばかりじゃぁなく、年寄稲川としても万年平年寄だったと記憶している。壱岐ノ海の序二段は…

  • 壱岐ノ海、数え30歳で入門?

    郷土力士の壱岐ノ海が初土俵を踏んだのは、大正十二年春かも知れない。S氏より頂戴した資料の星取表に、東方の序ノ口と新序のあいだに「別」とあり、番附外出場なのか…。●錦岩(序ノ口19)〇瀬戸山(〃14)=後十両●新高山(〃5)●古城山(〃6)●八重ヶ嶽(〃10)〇廣嶋(〃12)〇北光山(〃9)●十和田泻(〃8)やや問題は彼の年齢である。大正十年の「見習」〔行司の見習は番附に載った時期があった。〕の時点で、数え30歳に達していたようだ━当時としても、相当な「高齢入門」じゃぁなかったか。壱岐ノ海、数え30歳で入門?

  • 郷土力士、壱岐ノ海 詳細わかる

    ※昨日までのトータル訪問者数1,030,060さきに記載した「壱岐ノ海」は矢張り「郷土力士」だった。『武俠世界臨増相撲画報』大正十年(第十卷第二號)の122頁━〔井筒部屋〕見習壹岐ノ海長崎縣壹岐郡箱崎村瀨戸明治廿四年生前田山+彦〔下の名前は当PCで変換できず…。〕吾輩の母〔大10生れ〕方の祖父が明治二十四年生れなので…所謂“親近感”が沸くと云うものだ。当県の郷土力士と云えば、江戸期は島原半島から横綱級の名力士を数人輩出、その後諫早や大村とか佐世保方面でも三役級が出た。離島だって、大正期は大関對馬洋をはじめ、五島列島からも大鵬に柏戸よりも“肉薄”した佐田の山が出ているけれど、面積・人口とも規模の小さい壱岐からは古来、力士志願者も少数だったであろう…。上記、壱岐ノ海はどうやら三段目あたりが最高位で終ったらしい...郷土力士、壱岐ノ海詳細わかる

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手を10枚同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 後小結…に敗れ序二段V逸す

    ※昨日の閲覧…580・訪問者…325トータル訪問者数1,029,910昭和十六年春、東序二段十二枚目鬼竜川〔後幕内〕の星取表。〇千壽錦(序二段12)〇上毛山(〃11)や〇若ノ松(序二段13)やや〇玉潮(序二段19)や〇塩津山(三段目56)や〇三重桜(序二段10)や〇本田(三段目46)●山本(序二段30)=後小結大起や力士数増加で、“全勝同士”で対戦。後小結…に敗れ序二段V逸す

  • 相撲史発掘No.103 頒布中

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈いたします。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち●明治→大正篇①◎写真=太刀山・駒ヶ嶽・緑嶋・甲折込み表面●明治に入幕、大正で引退した力士45名折込み裏面〇岡山県出身入幕力士一覧◎写真=常ノ花5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜●天保十四年春場所◎幕内力士略歴表折込み両面●関係勝負&星取表8~10ページ上段〇大正期の新聞記事から◎写真=栃木山10頁下段〇江戸本場所三役陣18世紀“最初の記録”11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円、折らずに定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽...相撲史発掘No.103頒布中

  • 百年前、序ノ口6戦全勝

    ※昨日の閲覧…517・訪問者…311トータル訪問者数1,029,585興行日数が一日延長され11日間となった大正十二年夏、西序ノ口九枚目壱岐ノ海〔非関取〕の星取表です。や〇和歌嶋(序ノ口18)=後小結や〇大鶴(序ノ口22)=後十両や〇錦岩(序ノ口1)〇筑志嶽(〃19)や〇古城山(序ノ口4)や〇八重ヶ嶽(序二段29)楽日の相手は、序二段で1敗していた。尚、醜名から推察して、当県の壱岐地方出身と思われるが、当年九月の「大震災」の影響で、『野球界臨増相撲號』翌春号が入手困難なんです。百年前、序ノ口6戦全勝

  • 辻褄あわぬ玉椿の記事・星取表

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」━明治→大正篇②━の執筆を開始した。“悲運の大関”駒ヶ嶽と同時の明治三十六年夏場所に入幕した短躯・軽量力士、玉椿は『…なんでも七傑事典』(三宅充氏)に拠れば、「…三段目の古顔の柏森には子供のような扱いを受けた…」が、『…全三役力士略伝』(野宮明雄氏)の星取表では、明治三十一年の春は序ノ口、同夏序二段で何れも八日目「〇柏森」とあり、当方所蔵縮刷複写番附で、柏森助五郎と名乗る力士が同春は東三段目十八枚目、夏は同じく三二枚目(どん尻)に載っており、同一人なのか?或いは、序ノ口─三段目の取組なのか。更に、『七傑事典』に…三十二年春、柏森を投げ飛ばし…と云うが、前記星取表は「全休」となっている。てんで辻褄があわないのである。辻褄あわぬ玉椿の記事・星取表

  • 102年前の幕下優勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,029,274大正十年春場所、西幕下三十枚目出羽ノ花〔非関取〕の星取表。〇谷嵐(幕下38)や〇黒潮(幕下36)や〇立ノ山(幕下39)や〇高ノ濱(幕下25)や〇淀川(幕下34)や彼は、後入幕し戦後武蔵川理事長になった平幕止りの出羽ノ花國市ではなく、その“先代”に相当する。出羽海部屋では、□常陸や常陸□と同様、出羽ノ□などと命名する事例が少なくなかった。102年前の幕下優勝

  • 後関脇 玉椿、初の「土つかず」

    たしか読売新聞社刊『大相撲』誌における連載小説に鈴木彦次郎〔元、川端康成と同人。〕の「名人玉椿」が…。でも当時、過去の名力士に関する智識に乏しく殆んど読んでいない。その後関脇…玉椿憲太郎の明治三四年夏場所、東幕下九枚目の星取表である。〇有村(幕下4)=後幕内や〇五十千鳥(幕下7)や〇小西川(幕下13)や〇岩ノ森(幕下8)や〇草薙(幕下24)✖西郷(十両10)草薙は「くさなぎ」と読むのか…。大抵の個人別星取表には、対戦相手の「地位」まで記入せず、資料手的価値がもの足りない。三段目以下の場合、『日本相撲史』でも調査不能だ。後関脇玉椿、初の「土つかず」

  • 13日間の延長場所で…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,029,104昭和十二年夏、西序二段十枚目相模川〔後関脇〕の星取表である。〇玉登(序二段10)〇清山(〃9)や〇備州山(序二段13)=後関脇や〇増位山(三段目28)=後大関や〇高ノ峰(序二段25)や〇凾湊山(序二段13)や〇双見山(序二段2)=後幕内や序二段の階級での「7戦全勝」が記録されたのは初めてと思われる。尾上菊五郎(6代)が贔屓にしていた「未来の横綱」だったが、双葉山に1勝もできず…。戦後は“下り坂”になり、角界廃業後の数年を経て、たしか北九州あたりの炭鉱で逮捕されてしまった。13日間の延長場所で…

  • 『相撲史発掘』第103号 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しています。〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①明治15年選手のⅡ梅ヶ谷常陸山は悪戦苦闘?小結1場所の緑嶋太刀山鎧袖一触的相撲は何%?46年ぶりの“1字名”甲酒に溺れた駒ヶ嶽〇岡山県出身入幕力士一覧●明治24.5「廣角組」2名も…〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所5力士が東・西を異動柏戸、襲名後5連敗〇大正期の新聞記事から(15)●栃木山、30連勝成らず〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●昭和戦前15日間興行9場所頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円、折らずに定形外郵便なら120円の切手を同封のうえ…〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104...『相撲史発掘』第103号頒布中!

  • 三段目優勝

    ※昨日の閲覧…844・訪問者…371トータル訪問者数1,028,901昭和九年春場所、西三段目二枚目小松山貞造〔後幕内〕の星取表。〇野田ノ里(三段目2)〇若和泉(幕下22)や〇坂本(三段目1)=後幕内四海波辰男や〇鯱ノ里(三段目4)=後幕内や〇高鍋(三段目9)=後幕内竜王山〇生潮(幕下12)や〇錦谷(幕下22)=後幕内有明五郎三段目における「7戦全勝」の初の記録と思える。尚、引退後は年寄カブトム…いや甲山を襲名し、長く眼鏡をかけて…検査役を務めていたが、時津風一門利益代表なので、“物言い”の際、同系力士への不利な発言はしなかった?三段目優勝

  • 10年ぶりの原則破り…?

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第84回━天保十四年冬場所━が、やっとこさ脱稿した。けれど、第54回の「文政十一年春場所」以来の、本文・略歴表で3頁の“枠”に納めることができなかった。第53回は、文政十年の春・冬両季とも短期興行なので…4ページの分量だった。当初は、いつものとおり3ページ体裁で…煮詰めていけば、上手くまとめられると思っていたが、なにぶん浅智慧のため、如何ともしがたく、本文だけで3ページのスペースを要することになった。尚、幕内全取組を俎上に載せて記述せず、好取組を勝手にセレクトする方針に変りないが、今回の場合、両力士の勝負結果で、両者とも5連敗なのを採りあげた。10年ぶりの原則破り…?

  • 「関取試験」的取組は なし

    ※昨日までのトータル訪問者数1,028,530昭和十一年夏、西幕下十二枚目羽黒山〔後横綱=立浪取締〕の星。〇石狩嶽(幕下12)〇富田濱(〃13)=後十両〇桂山(〃15)〇神武山(〃11)=後幕内神東山〇白鷲(〃16)=後十両平戸灘〇源氏山(〃3)=後幕内●荒駒(〃1)=元十両〇陸錦(〃26)=後幕内九ヶ錦〇鹿嶋洋(〃7)=後幕内〇一渡(仝)=後幕内〇若潮(〃19)=後幕内序ノ口・序二段・三段目・幕下・十両と、すべて優勝し、しかも各段すべて1場所突破で入幕━この記録は未だ更新されていないと思うが…。「関取試験」的取組はなし

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 百科事典の「相撲」と「横綱」

    ※昨日の閲覧…988・訪問者…346トータル訪問者数1,028,331また昔ばなしで恐縮だが、はっきりと年・月…は覚えてないが、昭和四十年代なのは確かと思う。図書館で閲覧したのが平凡社刊『世界大百科事典』〔横書き〕━その「相撲」と「横綱」の項目に…。後者の署名原稿は「彦山光三」だったが、前者は彦山翁と「小池文貞」との共同執筆。その小池文貞なる人物像━肩書などが全然わからない。ネットで検索しても無駄と思われる。彦山爺さんとの関係も…?「横綱」の記述には、おしまいの箇所で、横綱審議委員会が発表したばかりの審議内規「連続優勝」なる基準に満たない若乃花〔初代〕を無理矢理推薦して輿論から囂々たる非難を浴びた━と云う趣旨で結んでいた。その彦山光三が若乃花引退の際、「立派な“実”を結んだ若乃花」と評価する記事を『大相撲...百科事典の「相撲」と「横綱」

  • 『相撲史発掘』No.103 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号を御希望の方に洩れなく進呈いたします。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎写真=太刀山・駒ヶ嶽・緑嶋・甲折込み裏面〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで◎写真=常ノ花5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所折込み両面●幕内関係勝負&星取表8~10頁上段〇大正期の新聞記事から(15)●写真=栃木山10ページ下段〇江戸本場所三役陣18世紀“最初の記録”11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表●昭和十四年夏~同十八年夏☆陽暦採用で花見が梅から桜へ…?頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…下記宛て━。〒852-8113長崎市上野町14-...『相撲史発掘』No.103頒布中!

  • 100年前の夏、幕下優勝

    ※昨日の閲覧…587・訪問者…257トータル訪問者数1,027,985大正十二年夏場所、西幕下十枚目岩木山〔後幕内〕の星取表である。〇九國山(幕下22)や〇高ノ濱(幕下4)や〇伊達ヶ峰(幕下25)や〇日吉山(幕下33)〇晴ノ海(〃10)=後幕内や〇若太刀(十両12)=後幕内や彼は、173cm・90kgと記録され、「筋肉質」の体だったのに、昭和十年…満39歳11箇月の若さで急逝してしまった。100年前の夏、幕下優勝

  • 180年前、不可解な取組編成

    令和の現代でも「取組編成」法が批判対象になる事例がすくなくない。いまから180年前の天保十四年冬場所、西方前頭六枚目の高根山改め雲生嶽〔当時数え28歳、熊本…出身、浦風部屋〕の星取表を御覧いただきたい。やや〇縄張(幕下)やや〇要石(前五)〇相生(同三)〇常山(同八)〇白山(同七)や対戦相手に、東方の大関劔山・関脇武隈・小結鏡岩、前頭筆頭の猪名川、同二枚目の小柳━と、云った上位陣と全然取組んでいないのである。因みに、同位の東前頭六枚目音羽山は、大関〔横綱〕不知火、関脇の岩見泻、小結の御用木━相手方の三役陣と何れも対戦している。敢えて、推察すれば、前半戦の五日目まで一日しか土俵へ上ってないので、後半戦においては予め上位との取組回避を想定していたのかも知れない。180年前、不可解な取組編成

  • 106年前、序二段で優勝同点

    ※昨日までのトータル訪問者数1,027,728大正六年夏、東序二段九三枚目大蛇山〔後幕内〕の星取表である。や〇出羽ノ濵(序二段92)や〇熊常陸(序二段95)や〇綾緑(序二段96)や〇赤城山(序ノ口13)や〇信ノ藤(序ノ口44)「熊常陸」なる醜名で、鳥渡ばかり…。一時期、出羽海部屋では□常陸とか常陸□と云う名が流行した。常陸岩は大関まで上った。熊常陸は熊本出身だろうか…。今は佐渡ヶ嶽部屋が「琴」の字一色だ。上記、楽日の信ノ藤は序ノ口どん尻で、全勝同士だった。当時も、序二段が多数派。106年前、序二段で優勝同点

  • 180年前、好取組3番が消えた?

    拙稿「天保十四年冬場所」は、トピックが多い所為もあって、なかなか脱稿できない。旧説では元幕内千年川(←大蛇泻)が幕尻格だったが、『相撲起顯』の取組順に拠って否定されそう。大きな問題箇所にまた出くわした。六日目中入り前の幕内取組がたった2番━異常に少ないのである。序盤戦の初日や二日目は、大抵が対幕下(現十両)戦なので、中入り前・後とも取組数が多くなるので、三日目からのそれを列記すれば……。三日目中入り前6番〃中入り後4番四日目中入り前4番〃中入り後5番五日目中入り前5番〃中入り後5番六日目中入前2〃中入り後5番七日目中入り前6番〃中入り後4番〔以下省略〕ずばり論考の末の結論。東関脇武隈━西前二荒馬〃大関劔山━〃前一友綱西大関不知火━東前一猪名川以上の好取組3番がなんらかの事情で“おじゃん”になったと思える。180年前、好取組3番が消えた?

  • 家齊「上覧相撲」は贅沢…?!

    ※昨日の閲覧…790・訪問者…311トータル訪問者数1,027,479「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の会長で、現横綱審議委員会委員長を任ずる山内昌之東大名誉教授が、江戸将軍「上覧相撲」7回のうち、寛政~文政期の5回を開催した德川家11代め家齊について“ぼろくそ”に酷評しているのは、鳥渡ばかり理解に苦しむ。今日のS紙に拠れば━。〔前略〕その治世下、内では財政赤字や社会不安で幕府の権威が崩れ、外では極東に進出したロシアとの間で緊張が高まった。「50年間も統治して、結局何をやったのか。自らの贅沢を続けるため、北方対策などの必要な支出を惜しみ、幕府の屋台骨を自ら毀損した〔後略〕徳川家斉の寛政期における「上覧相撲」に因って大相撲の“爛熟期”を迎えた史実を山内先生が御存知ないはずがない。それが「贅沢」と仰りた...家齊「上覧相撲」は贅沢…?!

  • 『相撲史発掘』103号 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第103号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方へ洩れなく進呈しています。〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎横綱太刀山・大関駒ヶ嶽らの写真つき●明治に入幕し大正で引退した45名一覧〇岡山県出身入幕力士一覧●雲井川から鷲羽山まで10名◎横綱常ノ花の写真〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表〇大正期の新聞記事から(第15回)●『東京日日新聞』・『國民新聞』◎横綱栃木山の写真〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●昭和14年夏~同18年夏頒布を御希望の方、定形郵便なら94円切手、定形外郵便なら120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで...『相撲史発掘』103号頒布中!

  • 初日・楽日の2敗で…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,027,168昭和二年夏、西前頭十五枚目格雷ノ峰伊助の星取表である。●玉碇(十両5)押出し〇一ノ濵(前七)寄倒し〇錦城山(同八)上手投〇泉洋(同九)吊出し〇晴ノ海(十両4)掬い投〇男女ノ川(〃1)寄切り〇阿久津川(前十一)…捻り〇吉野山(同四)吊出し〇寳川(同十三)浴せ倒し〇常陸嶋(十両1)寄倒し●荒熊(前十五)突放し当場所の「団体優勝」が西方で、その「優勝旗手」になっている。初日と千穐楽のみ黒星の事例は興行日数に関係なく…珍しいと思っている。初日・楽日の2敗で…

  • 180年前、不調同士の取組

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第84回「天保十四年冬場所」は、起・承・転・結のうち「転」に相当するところを鋭意執筆中である。七日目中入り前の取組で、西前頭四枚目常盤山〔当時、数え42歳〕対東…六枚目音羽山〔仝39歳〕のカードに注目した。前日までの常盤山の星は〇●●●●●で、音羽山のそれはや〇●●●●となっている。即ち、前者が5連敗で後者も4連敗と云う不調の両力士の対戦なのである。その勝負結果は、四十代の高齢力士常盤山が白星で6連敗を免れ、一方の音羽山は黒星なので5連敗を喫したのである。底の浅い平成・令和の「現代相撲」だって上記の如きは充分「想定」できるはず。問題は、〇●なんかじゃぁなく、「相撲内容」で観客が充分に「堪能」できるか・否か━なのである。尚、上記の古記録は残念ながら「決り手」も不詳で内容展開だって想像...180年前、不調同士の取組

  • 99年前の序ノ口優勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,026,930史上初の名古屋本場所である大正十三年春場所、西序ノ口十七枚目竜ヶ濱〔非関取〕の星取表である。や〇熊ノ山(序ノ口19)や〇巴礒(序ノ口20)や〇國ヶ濱(序ノ口29)=後幕内國ノ濵〇大高山(〃22)や〇和田ノ海(序ノ口21)や当場所の「序ノ口優勝」とされているが、「表彰」されたのかは保証の限りではない。尚、序ノ口力士は当時も人数が少ないので「5戦全勝」は他にいない。99年前の序ノ口優勝

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 99年前、三段目Vの天竜

    ※昨日までのトータル訪問者数1,026,742百年前の「関東大震災」は勿論角界への影響は大きかった。大正十三年春は、江戸勧進大相撲創始以来、はじめての…“都落ち”で名古屋での晴天興行となり、それに反撥して、ボイコット力士も少なくなかった。でも、真摯な力士はちゃんと土俵へ上っている。東三段目四枚目の天竜三郎〔後関脇→脱退→解説者〕の星。や〇朝浪(幕下31)や〇東泻(三段目13)や〇大麻山(幕下33)や✖矢留岩(三段目5)や〇佐賀ノ城(幕下28)過半を幕下と取組んでいる。✖は「痛み分け」かも知れない。尚、S氏提供の星取表に拠れば、幕下以下も「や」印の多いのが一目瞭然である。99年前、三段目Vの天竜

  • 『相撲史発掘』第103号 頒布中 !

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  • 百年前、幕下 優勝同点

    ※昨日までのトータル訪問者数1,026,508大正十二年春、東幕下二一枚目吉ノ山〔後幕内吉野山〕星取表。〇泰山(幕下27)●安藝ノ浦(〃22)〇晴ノ海(〃19)=後幕内〇青葉山(〃8)〇大矢﨑(〃27)=後十両〇若千鳥(〃14)●一ノ濵(〃9)=後幕内〇鬼ヶ嶽(〃32)〇西ノ梅(〃13)〇九國山(〃28)当場所、東幕下筆頭の錦洋が8勝2敗で幕下優勝となっている。百年前、幕下優勝同点

  • 百年前、序二段の好成績…

    大正十二年春、西序二段二八枚目若瀬川〔後小結若瀬川泰二とは別人〕〇最上山(序二段37)〇稲ノ川(〃33)〇葉颪(〃26)〇常ノ海(〃24)〇金竜山(〃27)〇大筑志(〃42)〇津軽冨士(三段目45)●白浪(序二段19)〇北ノ浪(〃31)〇立ノ海(序ノ口2)さきに掲げた「白浪」と“同点”だ。三段目や序ノ口とも取組んているが、例えば、楽日の立ノ海は前日まで2敗を喫している。尚、この若瀬川は最高位が前頭筆頭で、平成二年…満87歳の長寿を誇った。百年前、序二段の好成績…

  • 百年前、後横綱玉錦が……

    ※昨日までのトータル訪問者数1,026,263大正十二年春、東三段目四十枚目西田山〔後幕内駒錦〕の星取表。〇磐城濱(三段目32)〇藝州山(〃35)〇高瀬川(〃30)〇御勝山(〃27)〇浅錦(〃28)〇結城川(〃15)〇栃ノ花(〃37)=後十両●玉錦(〃13)=後横綱●白王山(〃36)〇友瀬川(〃45)後の大横綱や名大関だって、十両以下で「優勝体験」皆無の力士が存在━玉錦も…そのひとりだった。百年前、後横綱玉錦が……

  • 百余年前の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で

  • 百年前の三段目 最優秀…

    ※昨日の閲覧…534・訪問者…257トータル訪問者数1,026,064大正十二年春、西三段目三八枚目諏訪錦〔後十両霞ヶ浦〕の星取表。〇鷹ノ國(三段目41)〇友瀬川(〃45)〇陸奥川(序二段8)●劔嶽(三段目26)〇上州山(〃33)〇盛錦(〃55)〇千葉ノ花(〃36)〇綾ノ浪(〃34)=後幕内綾浪〇一ノ関(〃12)〇荻ノ濵(〃22)当時、十両以下各段最優秀力士に対する「表彰」制度が確立していたか…疑問である。一時期、十両の出場日数が上位と下位で一致してない事例もあった模様だ。百年前の三段目最優秀…

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