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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 後横綱 若乃花4━3大蛇潟

    「大蛇泻」と名乗った幕内力士が江戸・明治・大正・昭和に各々1人いた。そのなかで昭和戦後の大蛇泻が後横綱若乃花〔当時は若ノ花〕と対戦しており、その記録を調査した。①昭和二五年春場所四日目東前十七〇大蛇泻(外掛け)若ノ花●西前十八②同二五年夏場所千穐楽東前頭九〇若ノ花(寄倒し)大蛇泻●西前十七③同二五年秋場所千穐楽東前頭四●若ノ花(寄切り)大蛇泻〇西前頭十④同二六年春場所千穐楽東前頭七●若ノ花(寄切り)大蛇泻〇西前十五⑤同二七年秋場所八日目西前頭七●大蛇泻(切返し)若ノ花〇西前頭九⑥同二九年初場所八日目西関脇〇若ノ花(突出し)大蛇泻●西前頭筆頭⑦同二九年秋場所九日目西関脇〇若ノ花(…出投)大蛇泻●東前頭三昭和三十年代に入ると、若ノ花が大関→横綱と躍進したのに対して、大蛇泻が大抵平幕二桁→十両と下り坂で対戦の機...後横綱若乃花4━3大蛇潟

  • 花坂、序ノ口で後大関を破る

    ※昨日までのトータル訪問者数1,038,984旧両国國技館焼失のため2年=4場所靖國神社で━その大正七年春場所における東序ノ口三十枚目、花坂の星取表である。や●兼六山(序ノ口32)=後幕内や〇清水川(序ノ口25)=後大関清水川米作→元吉や〇鳴門藤(新序4)や〇最上川(序ノ口21)や〇淀川(新序11)花坂、序ノ口で後大関を破る

  • 関脇 時津山6━6小結 清水川

    昭和戦後の好取組で、対戦成績が拮抗している事例を調べてみた。最高位は関脇対小結であった。①昭和二六年夏場所十一日目東前頭三〇清水川(打棄り)時津山●東前頭六②同二七年春場所十四日目西小結●時津山(寄切り)清水川〇西前頭六③同二七年夏場所七日目西前頭六〇時津山(寄切り)清水川●東前頭十④同二八年秋場所三日目東小結〇時津山(叩込み)清水川●東前頭二⑤同二九年初場所二日目東関脇〇時津山(切返し)清水川●西前頭四⑥同二九年春場所五日目東前頭筆頭●時津山(寄倒し)清水川〇西前頭六⑦同三十年初場所十四日目東前頭七●清水川(掬い投)時津山〇西前頭九⑧同三一年秋場所十日目西前頭七〇時津山(掬い投)清水川●西前十一⑨同三二年秋場所十二日目東関脇●時津山(寄倒し)清水川〇東前頭筆頭⑩同三二年九州場所五日目東張関脇●時津山(叩...関脇時津山6━6小結清水川

  • 太刀山の「還暦」祝い

    ※昨日の閲覧…410・訪問者…251トータル訪問者数1,038,784秋場所前なのか…現八角理事長(元横綱北勝海)が「還暦手数入(でずいり)」を披露されるらしい。昭和十二年二月八日づけ『中外商業新報』に「老いても衰へぬ太刀山の四股盛大な還暦の宴」と云う見出しの相撲記事を御紹介しよう。剛力無双、明治時代最後の横綱太刀山關は角界を引退後本名の老本彌次郎にかへり淀橋區〔註=現新宿区〕百人町の自宅で老後を養つてゐたが、今年既に六十一歳となつた、このため舊太刀山會の連中が集まつて六日午後四時から上野精養軒で盛大な還暦祝を催した、頭山滿翁を始め西郷從德侯、奥平、柳澤兩伯、望月圭介氏、相撲協會役員、男女ノ川、双葉山等三百余名が參會、余興あつて後小雨そぼふる中庭で藤棚の柱を四本柱にして還暦祝とあつて眞つ赤な「橫綱」をしめ...太刀山の「還暦」祝い

  • 横綱 東冨士14━8大関 三根山

    たまには“あんこ”型の両力士における好取組を採りあげよう。①昭和十九年秋場所四日目西関脇〇東冨士(上手投)三根山●東前頭筆頭②同二十年夏場所二日目東関脇〇東冨士(上手投)三根山●西小結③同二十年秋場所六日目東大関〇東冨士(上手投)三根山●西前頭六④同二二年夏場所八日目西張大関〇東冨士(上手投)三根山●東張小結⑤同二三年夏場所五日目西大関②〇東冨士(寄倒し)三根山●西小結⑥同二三年秋場所十一日目(楽日)西大関〇東冨士(引落し)三根山●東関脇⑦同二四年春場所四日目西張横綱●東冨士(寄切り)三根山〇東前頭二⑧同二四年夏場所八日目東横綱〇東冨士(引落し)三根山●西小結⑨同二四年秋場所二日目西張横綱〇東冨士(…出投)三根山●西前頭筆頭⑩同二五年春場所八日目西横綱〇東冨士(…出投)三根山●西関脇⑪同二五年夏場所二日目...横綱東冨士14━8大関三根山

  • 105年前、花坂が序二段で負越す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,038,533大正七年夏場所、西序二段四二枚目花坂〔最高位幕下〕の星取表である。や●有礒海(序二段31)や〇茂木山(序二段62)や●高ノ濵(序二段42)や●峰岩(序二段32)や〇粂ヶ濵(序二段34)惜しくも2勝3敗━1点の負越しを記録している。105年前、花坂が序二段で負越す

  • 104号の進捗率50%

    十月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第104号の進捗状況を御報告いたします。1~4ページ〇“時代”を超えた力士たち(第4回)◎原稿清書完了。5~8ページ上段〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)◎原稿清書完了。●幕内関係勝負&星取表は清書してない。8ページ下段~10ページ〇大正期の新聞記事から◎8頁のみ原稿清書完了11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表●現在鋭意作成中。対象は昭和22年までになることが確定している。4ページ下段は、拙文に非ず相撲絵の大家、鰭崎英朋画の玉椿─西ノ海の取組を転載。104号の進捗率50%

  • 若瀬川、平幕最優秀…

    ※昨日の閲覧…757・訪問者…336トータル訪問者数1,038,367昭和十九年秋場所、西前頭十四枚目若瀬川〔後小結〕の星取表である。〇若潮(前九)押倒し〇不動岩(同十八)打棄り〇双見山(同五)寄切り〇鶴ヶ嶺(同十九)吊出し〇小松山(同十)上手櫓〇二瀬川(同十一)寄切り〇大ノ海(同十六)吊出し●三根山(同一)寄倒し〇琴錦(同十七)上手櫓〇葦葉山(同十三)寄切り葦葉山は、引退し年寄枝川として時津風理事長(元横綱双葉山)の信任あつく在京理事になったが、48歳で急逝してしまった。江戸っ子力士。若瀬川、平幕最優秀…

  • 全勝だってVとは成らず

    大正十年夏場所、西三段目四九枚目稲ノ森〔後幕内〕の星取表である。〇豊田川(三段目46)や〇稲穂山(三段目52)や〇紅葉山(序二段12)や〇太郎山(三段目35)=後幕内や〇時汐(序二段27)や5番相撲は、「全勝同士」だが鳥渡ばかり地位が離れすぎている感じ。当場所の三段目優勝は、後幕内の岩木山。西三段目二枚目の大岩が前名だった。全勝だってVとは成らず

  • 花坂、序二段で4勝1敗

    ※昨日までのトータル訪問者数1,038,031大正八年春場所、東序二段五十枚目花坂〔非関取〕の星取表である。や〇千石山(序二段41)や〇松代泻(序二段55)や●大峰山(序二段61)や〇出羽ヶ﨑(序二段26)や〇茂木山(序二段31)当時、下位力士だって分け・預りが珍しくなかったため、2番相撲以降の「同成績対戦」は必ずしも容易じゃぁなかった━と、思われる。花坂、序二段で4勝1敗

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 60年前、元横綱…が語った

    ※昨日までのトータル訪問者数1,037,835久しぶりに古雑誌『大相撲』より抜萃してみたい。60年前の昭和三十八年六月号収載、江馬盛編集長の「諸國相撲帳」(58)神奈川県(完)━夏場所を前に訪問して懐旧談を聞いた。「一番印象に残っているのは新入幕で男女ノ川関との初顔に勝った1番です。春秋園事件については語りたいことがありますが、なかでもボクシング転向問題は、私の全然知らぬことで、デマをまかれたのであることを言明します。協会を去ったのは、終戦直前に、日新兵器という会社へ、現職のまま手伝ったので二足の草鞋を履いた者はやめるべきだ、という考えから辞表を出した〔中略〕力士生活中、八百長組合に加入しなかったことを誇りとしています」不運の元横綱武藏山の言葉であった━。60年前、元横綱…が語った

  • 8戦全勝なのに…!

    昭和十八年春、東序二段三七枚目杉村〔後横綱千代の山→九重監事〕の星。〇野村山(序二段36)〇三嶋山(〃34)や〇角竜山(序二段31)や〇石見泻(序二段28)や〇大花(序二段51)やや〇朝日鶴(序二段24)や〇岩平(序二段32)=後小結若葉山〇朝比奈(〃22)や優勝は上位の後十両泉州山。8戦全勝なのに…!

  • 104年前、序二段で5戦全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,037,616大正八年夏場所、東序二段二枚目花坂〔最高位幕下〕の星取表。〇石曻(三段目52)や〇朝日達(三段目50)=後世話人?若者頭?や〇三浦泻(序二段1)〇浦登(三段目25)やや〇大洋(三段目27)や当場所の「序二段優勝」━但し、「表彰状」の授与はなかったかも知れない。104年前、序二段で5戦全勝

  • 関脇 信夫山9━7関脇 鶴ヶ嶺

    昭和戦後の好取組とその結果━最高位関脇の両名力士の対戦だ。①昭和二八年夏場所七日目東前十一〇信夫山(寄切り)鶴ヶ嶺●東前十六②同三十年春場所八日目西小結●信夫山(寄切り)鶴ヶ嶺〇東前頭七③同三十年夏場所五日目西小結〇信夫山(外掛け)鶴ヶ嶺●東前頭二④同三十年秋場所三日目東小結〇信夫山(寄倒し)鶴ヶ嶺●東前頭五⑤同三一年夏場所五日目西関脇●鶴ヶ嶺(外掛け)信夫山〇西前頭三⑥同三一年秋場所十三日目西小結〇鶴ヶ嶺(寄切り)信夫山●東前頭七⑦同三二年初場所十一日目東小結●鶴ヶ嶺(寄切り)信夫山〇西前頭筆頭⑧同三二年春場所十一日目東小結●信夫山(上手投)鶴ヶ嶺〇西前頭三⑨同三二年夏場所千穐楽東小結〇鶴ヶ嶺(打棄り)信夫山●東前頭四⑩同三三年春場所千穐楽東前頭四〇信夫山(寄倒し)鶴ヶ嶺●東前頭十⑪同三三年夏場所二日目...関脇信夫山9━7関脇鶴ヶ嶺

  • 名古屋…“7人衆” 綜括&寸評

    ※昨日までのトータル訪問者数1,037,434東前頭三●翠富士4勝11敗「肩透し」を封印したのかな…?でも、今年中の三役入りは無理かも…。西前頭六●王鵬6勝9敗相撲ぶりが「二刀流」的━突き・押しに徹するのか、或いは四つ相撲で“型”を身につけるのか、どっちつかずじゃぁ飛躍できまい。十両十三●輝鵬7勝5敗3休関取最軽量の111kgだが、十二日目(不戦敗)から休場してしまった。幕下筆頭●炎鵬全休“夏休み”を早期に採れば復活も早くなるはず。長期欠場なら関取復帰も難しくなりそう─年齢的にも、もう若くはないのだから…。三段目八十●翔傑3勝4敗7番相撲で黒星を喫して負越してしまった。秋場所前、満47歳となる。50まで取れるか。序二段二四〇芳東4勝3敗元幕内力士。現在46歳、夏は三段目で2勝しかできず序二段へ陥落。未だ頑...名古屋…“7人衆”綜括&寸評

  • 相対的には大栄翔だって…!

    黄泉の彦山光三に来たる秋場所の三役番附「私製版」をつくって貰った。横綱〈該当力士なし〉東大関豊昇龍智勝33勝12敗西大関大栄翔勇人31勝14敗東関脇霧島鐵力29勝14敗・2休西関脇若元春港30勝15敗東小結照ノ富士春雄15勝4敗・26休西小結琴ノ若傑太28勝17敗94年前の昭和四年春場所番附は、直前3場所の地位・成績を勘案して編成。今場所マスコミは、大関昇進基準として「33勝」ばかりの数字至上主義に陥ってしまった。それに到達せずとも、相対的な星で融通の利いた編成━だから「駄目大関」は1場所で陥落してしまうのである。相対的には大栄翔だって…!

  • 一進一退の花阪

    ※昨日までのトータル訪問者数1,037,189大正九年春、西三段目二一枚目花坂〔番附表記は花阪?〕の星。●吉田川(三段目22)や〇鯱鉾(三段目8)や〇雷ヶ谷(三段目10)や〇吉ノ山(三段目29)=後幕内吉野山、双葉山の兄弟子や●生田川(三段目筆頭)や大抵、同成績同士で対戦してるみたい。一進一退の花阪

  • 149年前の冬、引分け19番

    明治七年冬場所における引分け相撲は次のとおり。初日・二日目なし三日目前一・浦風━前四・手柄山関脇・雷電━前五・清見泻大関・綾瀬川━前七・荒虎四日目関脇・朝日嶽━……・手柄山〃・雷電━前六・梅ヶ谷……・綾瀬川━前五・若島五日目前六・鷲ヶ濵━前七・鬼面山……・浦風━〃・荒虎六日目……・荒虎━藤ノ戸(幕下)……・雷電━……・浦風七日目……・朝日嶽━前一・佐野山八日目……・手柄山━……・清見泻前三・武藏泻━……・若島小結・大纒━……・浦風大関・境川━……・朝日嶽九日目……・武藏泻━……・鷲ヶ濵前三・勝ノ浦━……・清見泻……・佐野山━……・浦風……・境川━……・綾瀬川当年春場所の17番を上回る19番を記録した。149年前の冬、引分け19番

  • 「実力試験」的な取組なし

    ※昨日までのトータル訪問者数1,036,961大正九年夏場所、西三段目五枚目花坂〔S氏作成星取表は花阪〕の星。や〇加州泻(三段目18)や●千田川(三段目12)や〇稲穂山(三段目15)や●黒潮(三段目19)や〇輪嶋山(三段目13)翌十年春は幕下昇進なのだから1~2番は幕下に挑戦させるべきであろう…。「実力試験」的な取組なし

  • 似非芸術論…❔

    今夜のNHKTV番組のなかで「裸体彫刻」の話題で、「モンローのやうな女」も作品にある舟橋聖一著『相撲記』(昭和十八年刊)の一節を想い出した〔以前に援用した〕。〔前略〕外國風の、男は肌を包み、女は肌をあらはすといふやうな、意味に於て裸體を考へるのと、日本人の裸體觀とは、大變な径庭が存するのである。日本では女こそ肌を包み、男はいざとなれば、眞つ裸となる意氣をもつのが、男前とされてゐる〔後略〕私見・愚考では、彫刻の男性全裸像が大抵下半身を露骨に表現されており、「猥褻」感がある。対して、女性の全裸彫刻には猥褻な感じは殆んどない━でも、「似非芸術」だ。しかしながら、芸術作品でも「絵画」の場合は違う。嘗て明治時代、フランスから帰国して『朝妝』を発表した黒田清輝━風俗を乱すとして大問題・騒動となった。裸体画が芸術か否か...似非芸術論…❔

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,036,768百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てにお送りいただければ折返し御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 68年前、「叩込み」は3%だった…!

    現在、拙稿「大正期の新聞記事から」を鋭意執筆中である。『國民新聞』の大正七年五月二三日附は、相撲記事が満載と云う感じだが、迚もじゃぁないが全部転載は不可能なのである。当該記事で幕下以上の34番ほど決り手が載っているが、うち4番のそれが「はたきこみ」と記録。これは意外に多いと感ずる━全体の1割超じゃぁないのか…。著者から進呈いただいた『…なんでも七傑事典』に拠れば、昭和二十九~三十年の幕内取組で「叩き込み」の割合は3%と記録されているのだ。68年前、「叩込み」は3%だった…!

  • 149年前、引分け相撲17番

    ※昨日までのトータル訪問者数1,036,537明治七年春場所、幕内取組における引分け相撲は次のとおり。初日なし二日目西前一・磐石━荒虎(幕下)三日目西前二・浦風━東前四・手柄山〃小結・朝日嶽━荒虎東関脇・雷電━梅ヶ谷(幕下)西大関・綾瀬川━東前六・若島四日目大関・綾瀬川━前四・手柄山東大関・境川━西前四・清見泻五日目大関・境川━前二・浦風六日目前四・手柄山━梅ヶ谷西前三・鬼ヶ﨑━東前五・鷲ヶ濵関脇・雷電━前二・浦風七日目西前五・鬼面山━達ヶ﨑(幕下)八日目前六・若島━西前六・武藏泻前三・鬼ヶ﨑━前四・手柄山大関・境川━西関脇・朝日嶽九日目前一・磐石━前四・手柄山東前一・佐野山━前二・浦風幕末、嘉永三年春の16番を24年ぶりに上回る17番を記録したのだった。149年前、引分け相撲17番

  • 対三段目1勝1敗…

    大正十年春場所、西幕下四十枚目花坂〔非関取〕の星取表である。や〇小田ノ山(幕下28)=最高位十両3や●緑岩(三段目8)や〇浪ノ花(三段目4)や●葵竜(幕下41)や〇常州山(幕下45)三段目から黒星を頂戴するようじゃぁ……。尚、楽日の対戦相手は五日目まで欠場しており、勝手に想像すれば「病みあがり」かも知れない。対三段目1勝1敗…

  • 163年前、吉岡・岩井の両姓行司も

    ※昨日までのトータル訪問者数1,036,301幕末、大関雲龍の横綱免許前、萬延元(1860)年冬場所の番附に注目したい。『江戸時代力士名鑑』に拠れば、「行司」欄の人名は次のとおり。木村庄之助式守伊之助木村庄太郎式守勘太夫木村喜代治吉岡左軍太式守要人式守伊七郎木村宗四郎式守四郎次郎木村庄五郎木村庄介木村由三郎木村庄吉木村嘉市木村小太郎木村八百吉木村左門式守錦太夫木村伊介岩井秀二郎〔以下、7名を割愛。〕木村・式守の両姓だけになったのは、翌萬延二年春からなのである。京・阪相撲と江戸大相撲との交流が吉岡・岩井姓行司の臨時加入の要因❔163年前、吉岡・岩井の両姓行司も

  • 173年前、引分け相撲16番

    幕末の嘉永三(1850)年春場所、幕内力士の引分け相撲ラッシュであった。初日なし二日目西前三・嚴嶋━縄張(幕下)〃前一・常山━谷嵐(〃)東前一・猪王山━緑川(〃)〃関脇・小柳━寳川(〃)三日目東前二・荒熊━西前五・黒岩四日目関脇・小柳━前五・黒岩五日目前三・嚴嶋━東前六・武藏野西小結・荒馬━東前五・雲早山六日目前五・黒岩━東前七・増位山七日目前六・武藏野━西前七・一力前一・猪王山━前五・黒岩東大関・劔山━前一・常山八日目前五・雲早山━寳川前一・常山━前二・荒熊九日目前五・雲早山━前五・黒岩小結・荒馬━前一・猪王山前年冬の14番をあっさり更新したのである。173年前、引分け相撲16番

  • 楽日、惜しい負越し

    ※昨日までのトータル訪問者数1,036,111大正十年夏場所、西幕下二十二枚目花坂吉兵衛の星取表である。や●葵竜(幕下25)や〇獅子ヶ嶽(幕下32)や〇金ノ鯱(幕下21)や●緑岩(幕下33)や●岩戸泻(幕下18)千穐楽(十日目)、2勝2敗同士の対戦に敗北、惜しくも1点の負越し。楽日、惜しい負越し

  • 関脇 明武谷10━5小結 若 浪

    最高位関脇の明武谷(一時吉葉洋)の得意手は某書に「吊り・上手投」とあり、凡そ4年あとに入幕、最高位小結の若浪のそれは「吊り・打棄り」となっている━昭和後期の好取組の範疇に入ると思っており、対戦成績を調べた。①昭和三八年名古屋場所七日目東前頭九〇若浪(櫓投げ)吉葉洋●西前十一②同三九年夏場所十四日目西前頭筆頭〇明武谷(打棄り)若浪●西前頭八③同三九年名古屋場所四日目西小結〇若浪(櫓投げ)明武谷●西前頭筆頭④同三九年秋場所八日目東前頭筆頭〇明武谷(吊出し)若浪●東前頭三⑤同四十年秋場所八日目東前頭五〇明武谷(外掛け)若浪●西前十一⑥同四二年初場所九日目西前頭四〇明武谷(吊出し)若浪●東前十二⑦同四二年夏場所十一日目東関脇〇明武谷(寄切り)若浪●東前頭二⑧同四三年初場所九日目東前頭六●明武谷(吊出し)若浪〇西前...関脇明武谷10━5小結若浪

  • 174年前、引分け相撲14番

    ※昨日の閲覧…474・訪問者…261トータル訪問者数1,035,884幕末の嘉永二(1849)年冬場所、引分け相撲が次のように14番。初日東前六・一力━友桂(幕下)〃前四・武藏野━縄張(〃)二日目東前二・常山━西前六・君ヶ嶽三日目西前一・猪王山━前六・一力〃関脇・荒馬━東前七・黒岩四日目前四・武藏野━前六・君ヶ嶽西前二・荒熊━前六・一力五日目東前五・雲早山━荒岩(幕下)前二・荒熊━前七・黒岩六日目前六・君ヶ嶽━前七・黒岩七日目前四・武藏野━西前四・熊ヶ嶽八日目前六・君ヶ嶽━緑川(幕下)東小結・小柳━前二・荒熊九日目前五・雲早山━前六・君ヶ嶽享和三年冬の13番を46年ぶり更新したものである。174年前、引分け相撲14番

  • 三段目からの白星で勝越す

    大正十一年春場所、西幕下二十七枚目花坂〔某氏提供星取表は花阪〕の星。●錦竜(幕下39)〇八幡浦(〃43格)や〇吉ノ山(幕下11)=後幕内吉野山や●江戸﨑(幕下17)や〇大洋(三段目6)やや國技館ができる前の話。狡い力士は、序盤戦で2勝1敗程度の星勘定になると以後休場━“勝逃げ”で隠語では「烏賊を決める」と云う。「や」を「●」と同一視されず…番附が上るためだ。でも、そんなやつが“出世”した事例を寡聞にして全然知らない。三段目からの白星で勝越す

  • 220年前、引分け相撲13番

    ※昨日までのトータル訪問者数1,035,623享和三(1803)年冬場所、引分け相撲は下記のとおり記録されている。初日西前四・山颪━荒熊(幕下)二日目東前七・生田野━八角(幕下)四日目西前三・佐渡嶽━東前六・鏡岩五日目西前四山颪━前七(幕尻)生田野六日目前四山颪━東前五・諭鶴羽東前四・緋縅━西前六・荒岩西関脇・千田川━前六鏡岩七日目前七生田野━濵ヶ関(幕下)東前一・鬼面山━西前五・大綱八日目西前一・鳴滝━前六鏡岩九日目前六鏡岩━前七(幕尻)稲川前四緋縅━前五大綱関脇千田川━前一鬼面山享和元年春場所の12番を上回る13番が水入り後(?)引分けた。220年前、引分け相撲13番

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手を10枚同封のうえ下記宛て…お送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 物言い→預り相撲が多かった?

    ※昨日までのトータル訪問者数1,035,420大正十一年夏、西幕下十一枚目花坂〔番附表記は、花阪?〕の星。や△高ノ濵(幕下18)や〇東川(幕下23)や●弥彦山(幕下28)や●花ノ山(幕下13)や〇朝風(幕下19)2勝2敗1預りの五分の成績であった。物言い→預り相撲が多かった?

  • 222年前、引分け相撲12番

    享和元(1801)年春場所の引分け相撲は、下記の如く計12番も記録されている。初日西前四・山颪━八ヶ峰(幕下)二日目東前六・鯱(しゃちほこ)━鳰ノ里(幕下)西前五・達ヶ関━荒海(仝)三日目西前二・桟シ━東前五・田子ノ浦六日目東小結・鬼面山━西前二桟シ七日目西前五達ヶ関━出潮(幕下)〃前四山颪━東前五田子ノ浦東前二・大綱━西前二桟シ八日目東前四・靏翼━西前五達ヶ関九日目西前二桟シ━東前三・鴻ヶ峰〃関脇・千田川━〃小結・鬼面山千穐楽東前六(幕尻)鯱━千歳川(幕下)寛政六年冬の11番を7年ぶり上回ったのである。222年前、引分け相撲12番

  • 花坂 1勝7敗2預り

    ※昨日の閲覧…434・訪問者…259トータル訪問者数1,035,196大正十二年春場所、東幕下六枚目花坂〔非関取〕の星取表である。●岩城川(別席=幕下尻格?)●燧洋(幕下6)〇大岬(〃1)●岩木山(〃3)=後幕内●雷ヶ谷(〃10)△一ノ鳥(〃11)●生田川(〃4)●三杉岩(〃18)△若桜(〃17)●南州山(〃15)幕下ひと桁なのに十両と対戦なし。当場所は、幕下以下も出来るかぎり「連日出場」の方針とみえて、序ノ口だって星取表に「や」印が少ない。花坂1勝7敗2預り

  • 229年前、11番の引分け相撲

    寛政六(1794)年冬場所の引分け相撲は下記のとおり。二日目東前六・伊勢ノ濵━宮城野(幕下)四日目東前四・和田ヶ原━靏渡(幕下)〃前三・勢見山━宮城野西前二・千田川━東前五・大空東前二・玉垣━西前四・稲妻五日目東前六伊勢ノ濵━鴻ヶ峰(幕下)〃前四和田ヶ原━西前七・出羽海六日目西前三・鳴滝━東前五大空七日目東関脇・陣幕━鴻ヶ峰八日目西前一・錦木━東前三勢見山東関脇陣幕━西前二千田川安永期の引分け記録を17年ぶりに更新して、11番が引分けた。但し、すべて“水入り”だったかは保証の限りではない。229年前、11番の引分け相撲

  • 100年前の花坂…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,937安永七(1778)年以来の興行日数が延長━収入増を望むならば「労働時間」の延長で…と、云う訳で大正十二年夏の11日間興行で、西幕下二一枚目の花坂〔花阪となってるか。〕〇朝風(幕下30)や△伊達ヶ峰(幕下25)や●宇出ッ山(幕下36)〇海風(〃24)や●朝嵐(幕下8)や〇日ノ出山(幕下41)や辛うじて1点の勝越し。100年前の花坂…

  • 246年前、引分け相撲10番

    安永六(1777)年春場所〔旧暦四月なので「夏」場所が穏当?〕の引分け相撲。三日目西前一・越ノ海━巻ノ戸(幕下)〃小結・十万海━八ッヶ峰(〃)四日目西小結十万海━東前三・風師山五日目東関脇・天津風━十万海六日目東前四・沖津風━西前四・虹ヶ嶽〃前三・風師山━三千ノ川(幕下)西前一・越ノ海━東前二・黒岩東小結・石見泻━西小結十万海七日目西前一越ノ海━風師山八日目〔千穐楽〕西前四虹ヶ嶽━八ッヶ峰一場所で10番の引分け記録は、大相撲史上はじめての快挙〔?〕であった。246年前、引分け相撲10番

  • 3─2で最高位へ躍進か

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,759大正十三年春、西幕下十一枚目花坂の星取表である。●雷ノ峰(幕下3)=後幕内や●太郎山(幕下5)=後幕内や〇荒山(幕下15)や〇鳥ヶ峰(幕下20)=後十両や〇青葉山(幕下6)や双葉山時代、「バケツ」の綽名━即ち、“水入り”常習者だった青葉山とは別人である。3─2で最高位へ躍進か

  • 元横綱…の寄稿

    昨夜は、元横綱武藏山の寄稿を採りあげる心算が、脱線してしまった。綜合雑誌『文藝春秋』の昭和三四年十月号「八百長華やかなりし頃」副題━宿命のライバル天竜と私の立場━“小見出し”を列記、凡その内容が銘記されると信じて……。出羽海部屋新弟子の頃八百長奨励の声天竜との真剣勝負大関をめぐる争い天竜との確執春秋園事件の真相大ノ里との対決八百長の実体尚、原文は「出羽ノ海…」・「天龍」・「大の里」となっているがあやまり。更に、「実態」が正で「実体」が誤なんて思うのは勘違いだ。元横綱…の寄稿

  • 幕下2花坂 6戦全敗

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,615大正十三年夏場所、西幕下二枚目花坂吉兵衛の星取表。や●汐ヶ濱(十両15)=後幕内潮ヶ濱や●古賀ノ浦(幕下2)=後幕内●小田ノ山(十両12)や●雄勝山(十両10)や●荒浪(幕下12)=後十両や●大麻山(幕下15)関取昇格の機会に6戦全敗を記録してしまった。幕下2花坂6戦全敗

  • 35周年記念に…

    すこしばかり気が早いが、来春の拙作『相撲史発掘』第105号は「創刊35周年記念号」と銘打ち、現在連載中の「“時代”を超えた…」を休載して、特別読切りを冒頭に掲げる。〔増頁などはしない。〕創刊30周年記念号劈頭には、『文藝春秋』昭和三二年六月号所載「讀物大日本相撲協會」(天竜三郎)を一部カットして転載したが、次に同誌三四年十月号収載「八百長華やかなりし頃」(武藏山武)をできれば全文を転載する所存。この昭和三四年…の誌面には、岸信介ら“昭和の顔”が沢山登場する。岸首相の他、武者小路實篤・德川夢聲・今東光・犬養健・五味康祐…etc殊に眼をひいたのが、菅原通濟である。彼は、「三惡追放」のリーダーと云うぺき存在で、実は特別出演した東映映画を映画館へ観賞した。主演はアクションスター千葉真一で題名は「麻薬売春Gメン」━...35周年記念に…

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,476百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様に譲渡いたします。120円切手を10枚同封のうえ、下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 預り相撲も取っていた…

    大正十四年春場所、西幕下十七枚目花坂の星取表。や〇狼(幕下6)や〇八坂濵(幕下31)=後幕内海光山や△星甲(幕下9)=後幕内や●綾ノ浪(幕下28)=後幕内〇大岩﨑(〃15)●九國山(〃30)や3勝2敗1預りで辛うじて勝越し。尚、綾ノ浪俊一郎は「ノ」をカットして綾浪となったが、短縮醜名では土俵へ上らず脱退。長寿力士で満82歳10箇月で逝く。預り相撲も取っていた…

  • 取組編成が作為的…?

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,274大正十四年夏場所、西幕下九枚目花坂の星取表である。や✖友瀬川(幕下26)や〇三ッ石(幕下28)や●日吉山(幕下31)や●雷ノ海(幕下2)●羽後錦(〃6)や〇駒ヶ峰(幕下10)2勝3敗1引分けで負越している。幕下“ひと桁”なのに…なんで前半戦に幕下中・下位〔当時幕下は東西で約70名。〕と対戦させているのは、“作為的”なものを感ずる。寧ろ、十両下位との取組の方が不自然じゃぁない。取組編成が作為的…?

  • 花坂…の土俵歷、調査開始

    未だ誰も試みていないと思えるので、相撲研究家花坂吉兵衛氏の「土俵歷」を調査してみよう━と心に決めた。大正十五年夏は、「全休」なので、同年春場所、東幕下十八枚目の星取表。〇伊達ヶ峰(幕下18)や〇朝浪(幕下24)や●三ッ石(幕下26)〇友瀬川(〃15)や●日吉山(幕下13)やや〇東達(幕下32)4勝2敗で勝越しているので、当場所限りで土俵と訣別━とは思われないが…。花坂…の土俵歷、調査開始

  • 超巨漢出羽ヶ嶽、唯一の全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,034,083大正八年夏、西序二段五一枚目出羽ヶ嶽〔後関脇〕の星取表。や〇境野(序二段56)や〇千石山(序二段44)や〇高瀬川(序ノ口3)や〇雷光山(序二段54)や〇友錦(序二段32)既述の如く、当場所は序二段上位の花坂〔「花阪」との記載もある〕が優勝相当の5戦全勝だった。尚、出羽ヶ嶽の入幕前における「全勝」は当場所だけであった。超巨漢出羽ヶ嶽、唯一の全勝

  • 個人的な見解…?

    『國民新聞』(明治二三年~昭和十七年)の大正七年五月二三日づけ相撲記事。▼早くも朝潮の橫綱説實力は充分ある某有力なる年寄は曰く『朝潮の實力は認めぬ譯に行かぬ外の力士では栃木に對してアヽは持たない〔中略〕其實力を買つて橫綱とするに差支はない今の時世が時世だから』「某有力なる年寄」とは実際に誰のことか。当時の大相撲協会の役員首脳陣を調べてみた。取締出羽海(元横綱常陸山)〃友綱(元前1海山)勝負検査役待乳山(元横綱大砲)=当時、療養中?峰﨑(元行司木村銀治郎)関ノ戸(元関脇逆鉾)熊ヶ谷(元幕下荒玉)花籠(元大関荒岩)入間川(元小結両國)=後出羽海雷(いかずち)(元横綱梅ヶ谷)阿武松(元前2大見﨑)二所ノ関(元関脇海山)伊勢ヶ濱(元前3鶴ヶ濱)まぁ、取締を「有力な年寄」なんて表現はしないと思うが如何。名大関荒岩の...個人的な見解…?

  • 104年前、後関脇…序二段で全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,033,839大正八年夏場所、西序二段二四枚目山錦〔後関脇〕の星取表。〇茂木山(序二段30)や〇北海山(序二段16)や〇府中山(序二段13)や〇土佐錦(序二段11)や〇茅ノ濵(序二段35)や当場所、東序二段二枚目の花坂が5戦全勝なので「上位優勝」となっている。尚、花坂吉兵衛はのち相撲史の研究家で関聯の本も出していた。104年前、後関脇…序二段で全勝

  • 105年前に「5横綱」を想定…?!

    現日本相撲協会の実質的な前身である東京大角力協會は、大正時代に入って横綱・大関の「粗製・濫造」を以て、それが「興行政策」をプラスに作用させる━と誤認識していた“ふし”がある。それの象徴的な「番附」が大正七年夏場所であった。東方正横綱大錦卯一郎張出横綱栃木山守也張2横綱西ノ海嘉治郎←灘右エ門正大関九州山十郎西方正横綱鳳(おおとり)谷五郎正大関千葉ヶ﨑俊治張出大関伊勢ノ濱慶太郎張2大関朝潮太郎←朝汐現代感覚そのままで検証すべきじゃぁなく、当時は力士個人の成績よりも、東・西の“均衡”を重視せねばならなかった。そのため前場所新関脇で4勝3敗2預り…の九州山を無理やり大関に推薦した。そればかりではない。徳富蘇峰が創刊した『國民新聞』の相撲記事に朝潮の横綱問題に某年寄が言及━「5横綱」を想定していたわけで、なにをか況...105年前に「5横綱」を想定…?!

  • 神風に敗れ全勝を逸す

    ※昨日までのトータル訪問者数1,033,647昭和十五年春場所、東三段目五枚目輝曻勝彦(19歳=後関脇)星取表。〇清錦(三段目6)や〇玉竜(三段目4)や〇日ノ出山(三段目3)や〇立ノ海(三段目6)や〇大和泉(幕下46)=後十両大泉や〇鶴錦(三段目13)〇九州錦(〃40)=後幕内や●神風(幕下38)=後関脇や彼は、風貌が俳優の片岡千恵蔵に似ているとの評判だった。吾輩の“初土俵”の2年ほど前、角界を去ったが、『大相撲』誌の座談会へ出席したこともあった。尚、当該場所、神風は若瀬川に痛恨の1敗を記録している。神風に敗れ全勝を逸す

  • 2年前から揃ってます

    拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが下記の如く在ります。第96号(令和三年二月)〇改名の嫌いな力士たち(中)●天保十年冬場所〇明治・大正の新聞記事から⑧●大分県出身入幕力士一覧〇大関追手風喜太郎の相手地位つき星取表第97号(令和三年六月)●改名の嫌いな力士たち(下)〇天保十一年春場所●明治・大正の新聞記事から⑨〇横綱稲妻雷五郎相手地位つき星取表●愛媛県出身入幕力士一覧第98号(令和三年十月)〇全勝力士が消えた星●天保十一年冬場所〇明治・大正の新聞記事から⑩●昭和二十年代の軽量力士〇高知県出身入幕力士一覧第99号(令和四年二月)●全勝力士が消えた星〇天保十二年春場所●明治・大正の新聞記事から⑪〇昭和二十年代の重量力士●島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和四年六月)〇日本國技の洋風化について...2年前から揃ってます

  • 後大関常陸岩、序二段で全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,033,443大正八年春、東序二段六十枚目常陸岩〔後大関〕の星取表。〇一ノ汐(序二段51)や〇亀ヶ谷(序二段44)や〇大木嶽(序二段55)や〇茨木(序二段43)や〇葵竜(序ノ口27)や当場所、西序二段筆頭の吉田川が5戦全勝なので、「表彰」制度が在ったとしても、「優勝」じゃぁない。尚、葵竜の後身は天竜一派の「関西角力協會」所属だったか…否、駿河海の前名とは別人みたい。後大関常陸岩、序二段で全勝

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 後小結若瀬川の幕下V

    ※昨日までのトータル訪問者数1,033,218昭和十五年春場所、東幕下六枚目若瀬川(忠雄→泰二)〔後小結→解説者〕〇西村(幕下7)=後関脇豊嶋〇八方山(〃10)=後幕内〔不知火監事〕や〇若潮(幕下2)=後幕内〇富ノ山(〃25格)=元幕内ややや〇北見泻(幕下16)〇神風(〃38)=後関脇〔解説者〕〇双見山(十両12)=後幕内ややや〇薬師山(十両13)彼は、昭和三二年、国会へ参考人として出席、「天下の力士は八百長しない」と大見得を切った。後小結若瀬川の幕下V

  • 玉椿ら6力士を俎上に…

    拙稿「“時代”を超えた力士たち(第4回)━明治→大正篇②」が漸く脱稿した。本文は凡そ3ページ半になる。〇辻褄あわぬ玉椿の記事と星取り本文は21行〇長寿の元関脇浪ノ音本文は12行〇大関伊勢…連続4負越し?本文は32行〇功労横綱Ⅱ西ノ海本文は27行〇初代引退5場所後Ⅱ朝汐本文は18行〇新大関…の足を取った碇泻本文は18行尚、「江戸大相撲熱戦譜」(84)は原稿清書完了であります。玉椿ら6力士を俎上に…

  • 三役陣に遜色なかった…?

    ※昨日までのトータル訪問者数1,033,052「掻っ弾き」の碇泻と云われる、碇泻卯三郎の名力士との対戦成績を鳥渡ばかり調べてみた。対横綱Ⅱ梅ヶ谷0勝2敗対横綱・太刀山2勝3敗対大関・國見山1勝1敗対大関伊勢ノ濵2勝2敗・1預り対関脇・玉椿1勝3敗対小結千年川(金)2勝3敗対小結・有明5勝1敗対小結・緑嶋5勝1敗註。碇泻の入幕後に限る。対手力士の最高位のとき取組んだとは限らない。三役陣に遜色なかった…?

  • 夏場所の「序ノ口優勝」

    去る夏場所、「序ノ口優勝」の春山〔西方力士の最下位〕星取表が面白い。初日や二日目〇糸賀(序ノ口22)三日目や四日目や五日目〇藤原(序ノ口19)=前日迄2敗六日目や七日目や八日目〇風佑城(序ノ口19)=前日迄2勝1敗九日目〇相馬(〃15)=前日迄4勝。十日目や十一日目〇実富士(序ノ口4)=前日迄4勝1敗十二日目〇夢之富士(〃8)=前日迄4勝1敗十三日目〇黎大丸(〃6)=前日迄6勝。十四日目や楽日や三日目以降、出場全力士が“偶数”にならんかったらしい…。でも、7番相撲が全勝同士で目出度し。夏場所の「序ノ口優勝」

  • 貧乏神で幕内6力士を撃破

    ※昨日までのトータル訪問者数1,032,904明治三十九年夏場所、十両筆頭碇泻の星取表である。●玉椿(前二)=後関脇〇緑嶋(同四)=後小結〇大戸﨑(同三)〇鬼竜山(同十二)〇海山(同十)=後関脇●浪ノ音(同六)=仝〇小柳(同十二)〇谷ノ川(同十三)●錦洋(同十)=後西ノ海〇朝嵐(十両1)=後大関朝潮十両力士なのに楽日以外すべて幕内力士に挑戦、6人を撃破。翌春は堂々たる新入幕だった。貧乏神で幕内6力士を撃破

  • 幕内最多勝利数の軌跡 その160

    天保年間最後の本場所である十五(1844)年冬、前場所までトップの関脇武隈(元大関湖東山←手柄山←小柳)は二日目から出場し、4勝をあげて入幕以来の通算勝利数が118となった。彼を追う立場である大関劔山(←鰐石)は、初日に幕下戦に勝利したものの、翌二日目から欠場してしまった。通算…は92勝━まさに“三桁”への道程は険しい…と云った感じではある。当場所も、幕内力士の「や」が多く、24人中、関脇猪名川や小結荒馬のほか、平幕3人━の計5力士が「全休」となっており、回向院はいささか白ける雰囲気に包まれたのじゃぁなかったか…?幕内最多勝利数の軌跡その160

  • 新大関太刀山の足を取った…!

    ※昨日までのトータル訪問者数1,032,750東京地裁の書記官だったN氏が昭和五八年に限定300部の非売品『明治大正の全三役力士略伝』を自費出版━当時1万2千円で購入した。全三役…とあるが、勝ノ浦(←鬼若)ら平幕止りも数名対象にしており、貴重な労作・資料である。明治四十年春、朝嵐らと同時入幕の碇泻も対象に入れて慾しかった…と思う。前頭筆頭止りながら、在幕勝率5割台〔江戸・明治の平幕だって5割未満が少なくない。〕であるばかりか、超剛太刀山を2度倒している━太刀山が平幕止りに2敗は彼だけ。某書に碇泻の得意手が「下手投」と「掻っ弾き」となっているが、明治四二年の國技館杮落しの七日目、新大関の太刀山をなんと…「足取り」で倒した記録が残っているのである。新大関太刀山の足を取った…!

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