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「円空の冒険」追跡ノート https://shiryoushitsu.jugem.jp/

「円空仏」で知られる山岳修行僧円空は、冒険家・登山家としてもヒーローだった! 山馬鹿岐阜県民ぼっちがその足跡を5年計画で追跡する記録

ぼっち
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大垣市
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2015/12/14

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  • 第1回北海道踏査(15)ー太田権現

    太田権現に現在円空の像は伝わっておらず、『福山秘府』にも記載はない。しかし、円空が太田権現に行ったであろうことは、寛文6年から123年後になる寛政元(1789)年の5月に太田権現に参詣した菅江真澄が、権現の窟(いわや)に、円空が修行の合間に

  • 第1回北海道踏査(14)ー熊石根崎神社

    八雲町熊石泊川を後に、根崎神社のある熊石根崎をめざす。鮎川海岸という長い砂浜の海岸が続くので、漁港などが設けにくいせいか、しばらく集落がとだえる。根崎の後に向かう予定の太田権現は、まだはるか先。『津軽一党志』では、「阿いぬき内川有四拾軒狄お

  • 第1回北海道踏査(13)ー相沼八幡神社泊川北山神社

    乙部町花磯を後に国道229号線を進むと、多くの犠牲者を出した1962年の山津波の後にできた豊浜トンネルをくぐる。トンネルを出たところが、八雲町熊石。2005年に八雲町と合併する前は、熊石町(注)。熊石という地名は、アイヌ語のクマウシ、すなわ

  • 第1回北海道踏査(12)ー乙部町花磯本誓寺

     三ツ谷を後に、鮪の岬トンネルを通過し、花磯集落に。振り返ると、鮪の岬の玄武岩の見事な柱状節理が眺められる。花磯は乙部町最北の集落で、漁港の名前は檜山豊浜港。かつては蚊柱村といい、その字として、花磯、豊浜、潮見があった。浜から少し

  • 第1回北海道踏査(11)ー乙部町三ツ谷観音菩薩坐像

    元和八幡宮から断崖上を約3.5�進むと三ツ谷へ。集落が海辺の小さな谷に固まっている。このような谷が三つあることが地名の由来だろうか。『福山秘府』には、三ツ谷の寛文5年建造の観音堂に「神体円空作」があるとされる。『円空仏と北海道』や図録などに

  • 第1回北海道踏査(10)ー乙部町元和八幡宮

    栄浜から漕ぎあがって、突符岬の上に出る。岬の上は平坦地になっており、岬周辺は元和台海浜公園として整備されており、公園の北に接して元和地区の乙部港がある。元和八幡宮は、そんな海辺を見下ろす高台にある。ようやく雨が止み、レイン・ポンチョを脱ぐこ

  • 第1回北海道踏査(9)ー乙部町龍寶寺

    鳥山神社を後に、小茂内川を渡り、突符川に架かる来拝橋を渡ると、乙部町栄浜に入る。『津軽一党志』だと、「こしない小川有家拾軒程狄有 もない川有拾四軒程」とあるあたりだろうか。栄浜には、栄浜八幡神社、日蓮宗の本昭寺、そして浄土宗の龍寶寺があり、

  • 第1回北海道踏査(8)ー乙部町鳥山神社

    江差町を北上すると乙部町。『津軽一党志』では、「たて家三軒 おとへ是迄二リ家五拾程狄村とな見候内 こしない小川有家拾軒程狄有 もない川有拾四軒程 あいとたり家五軒 とつふ小舟有家拾四軒 三つや家拾軒 岡内家五軒 大岩家拾軒程 かはし羅小舟間

  • 第1回北海道踏査(7)ー江差町尾山町岩城神社

    泊町の観音寺から国道227号線を北上すること約1�、分岐から旧道に入ったところにある尾山町の岩城神社へ。『津軽一党志』では「とまり家六拾軒 大山(=尾山)家拾軒 田沢四十程狄前となみろく」とある。『福山秘府』「神体円空像」があったとされるの

  • 第1回北海道踏査(6)ー江差町泊町観音寺

    五勝手柏森神社から江差の中心街までは約3�。江差がニシンの漁場および北前船によるヒノキアスナロなどの交易港として、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど栄えるのは、円空の訪れた寛文6年頃よりやや後に、東廻航路(寛文11年)、西廻航路(同

  • 第1回北海道踏査(5)ー江差町五勝手柏森神社

    上ノ国町を後に、江差町へ。『津軽一統志』では、「ごかて家拾軒程 もしりから家有 江指是迄一リから家有めな崎有 汰めき石家三拾軒程但から家有 とまり家六拾軒 大山家拾軒 田沢四十程狄前となm ふしきど一書にふし木から家九軒 あつさふ川有」と続

  • 第1回北海道踏査(4)ー上ノ国町北村地蔵庵

    上ノ国から天の川に架かる橋を渡ると、町役場や学校などのある現在の中心地大留、そして上ノ国目名川の橋を渡ると北村。そのコミュニティーセンターに接して北村地蔵庵がある。14:00に町の教育委員会のご担当と、地蔵庵のお守り役の方と待ち合わせ。よろ

  • 第1回北海道踏査(3)ー上ノ国町旧笹浪家住宅

    木ノ子を後に、砂浜の浜辺を走り、ふたたび段丘上に漕ぎあがって長い坂を下ると上ノ国町上ノ国に。この間、7.5�ほど。『津軽一統志』では、「し禰こ間有家四軒 と里う泊家十五軒 上の国是迄五リ家百四五軒狄もあり」と記される。寛文年間の松前藩の人口

  • 第1回北海道踏査(2)ー上ノ国町木ノ子光明寺

    上ノ国町石崎を後に、北上。このあたり、国道228号線をMTBで高度50m分あまり漕ぎあがらなくてはいけない。そのかわり、ササに覆われた断崖の向こうに日本海が輝きながら大きく広がる。『津軽一統志』では、「は禰さし家三軒 塩ふき家十五軒 扇子石

  • 第1回北海道踏査(1)ー上ノ国町石崎八幡宮

    「円空はなぜ蝦夷を訪れたのか」を考察しながらの第1回目踏査いよいよ開始。円空の足取りを追いかけるには、当時の蝦夷の絵図(地図)を参考にしたいところ。しかし、そのような絵図は現存しない。そのかわり、津軽藩の官選史書『津軽一統志』には、寛文9(

  • 第1回北海道踏査(松前藩日本海側)のメインテーマ

    この夏は、「『円空の冒険』追跡」前半のハイライト、当時蝦夷と呼ばれた北海道での円空の足取りを追いかける予定。踏査は、事前調査「北海道の円空像分析から推定する蝦夷巡錫ルート」を踏まえ、6月と8月の2回に分けて計画。1回目の6月は、松前藩領(和

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