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自分という存在、この世界の存在、一体、なぜ、存在するのか?
何故何もないではなく何かがあるのか?それも、よりによって、何故自分が存在するのか?
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東浩紀は真面目に人生の意味について探求するかと期待したが、だんだんダメになっていくのではないだろうか?とくにアルコール依存になっていくような気がする。。。残念だ。。。東浩紀雑談3チャンネル...
真実を覆い隠すためか、この世の多くの事象は幻想にすぎない。本当の真理に気づかせないように巧妙に張り巡らされた罠・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
真面目で真剣なのも大事だ・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
http://utantomyu.blog89.fc2.com/blog-entry-752.html?spへの訂正人生に何故苦しみや不幸があるのかという問いに対する答えに、「苦しみがあってこそ他者に同情・共感できるから」というのがある。他者に心から同情するのはとても大事な行為だ。そもそも他者とコミュニケーションし同じ価値観で協力協調して生きるのが人生の目的かもしれない。もちろん、幸せや喜びを他者と共感というのは無理であろう。むしろ、幸せや喜びなど幻...
記憶は時間の経過を現わすもの。時間の経過はこれからの将来の自分には必ずしも必要ではない。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
本来人はこの人という生き物の行動、社会、人生について、不条理さや理不尽さや汚らしさなどを感じて、自分自身や人生について嫌悪感を持たなくてはいけないと思う。よく、三度の飯より自分自身が好きという自己愛性パーソナリティの人がいるが、それはそれでうまくいっているのは運がいいだけで、本当に正しい人生は、自分や自身の生き方や人生について嫌悪感や憤りを抱きながら真剣に向き合うことなのではないかと思う。にほんブ...
ユニバース25というネズミを使った実験が再現性があるのかどうかわからないしかしだいたい想定範囲の内容だユニバース25にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
未来や宇宙や技術の発展に心躍らせられるのはもうないだろう...
意識に記憶が無かったらどんなに生きやすいかしかし実際には記憶がある。記憶があるから、進歩するのだろうがにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
人生に何故苦しみや不幸があるのかという問いに対する答えに、「苦しみがあってこそ幸せがより幸せに感じられるから」というのがある。これは本当に馬鹿な答えであり、まったく間違っている。まるで、美味しい物をより美味しく食べるために1週間絶食して空腹にして食べると美味しさが倍増すると言っているのと同じくらい馬鹿げている。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
夜に意識をなくして熟睡すること。これは寝てから翌朝目覚める間の、自分という魂が試されているチャンスであり、普段強く思っていることが、この睡眠中に出てこなかったらそれは訓練が足りないという証と言えるだろう・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
今でも時々苦しかった学生のころの記憶が頭に浮かんでくる。とくにあの頃聞いていた曲を聴くと連想されて思い出す。良い思い出だろうと嫌な思い出だろうと、このような記憶の回想法が何か重要なのかもしれない。昔のことを思い出すとそれが懐かしいと、その記憶がどうこうではなく、あの頃に戻りたいという非現実的な空想に向かってしまう。それは良いことなのかどうか。記憶は懐かしむためにあるのではなく、不可能なことを羨望す...
記憶があることで、朝目覚めた時に自分が何者でどこにいてどういう生活・人生を送っていて、などの情報をすぐに思い出して、普段通りの、昨日の続きの人生をスムーズに再開できている。そして、自分というものを考えるとき、こういう生活背景や自分の個人情報などをまとめて自分自身だと認識していることが多い。しかし、全ての記憶を亡くした全生活史健忘のような人でも自分は自分だと認識できているはずだし、自分というものの本...
もしかしたら、やめたほうがいいかもしれない...
人生はかならず誰かを不幸にしてそのおかげで自分が勝ち上がっている。他人を蹴落としているというほど明らかな自覚をもたらすわけではないけれど、それを気づこうとしないのも罪であろう。人に迷惑をかけている以上、もう自分の幸せをますます追い求めるのは明らかに間違っている。もっと自分を捨てて、自分を犠牲にして、追求していかなければいけない。にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
人は本当に人生に絶望すると意欲もなくなるし、食欲もなくなるし、もちろん性欲もなくなる。意欲があるならそれは絶望ではない。食欲がまったくなくても、服薬と同じように無理して栄養を摂っている場合はあるだろうが、性欲はないはずだ。むしろ自律神経の勝手な反応はあるだろうが、人間の大脳新皮質、とくに前頭葉がそれどころではないはずだ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
人間の感じる時間の流れの速さ、植物の感じる時間の流れの速さ、細胞内小器官のの感じる時間の流れの速さ、みな違う。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
クオリアを論じる際に、自分の見ている赤色が他人の見ている赤色と同じかどうかもそうだが、自分の感じる時間の感覚や、自分が感じる音の大きさなど、いろいろ評価しづらいであろう。昨日の自分と今日の自分でも比較しづらいだろう。しかし、人工知能に目的意識はあるか?何故美味しいとか気持ち良いとか感じる意識が存在するのか?存在しなくても構わないはずだし、感じることなくただプログラムに従って行動を選択して実行するよ...
昨日の自分は24時間前の自分?それとも時間がなく、まったく別物??...
憎しみをもつのは不平等があるからだそりゃあ、楽しい人、話題豊富な人、気遣いの上手な人、笑顔の素敵な人などなど、そういう人が多くの人から好まれるのは当然だが、そういう口のうまさや頭の回転の良さや容姿の良さなどを一切なくしても、良い感情を持てる人間関係が一番の理想だにほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
アダムが神に対して抱いた感情もカインがアベルに抱いた感情も自分という存在を特別に感じて他の存在に対して憎しみや悔しさを持ったことが原因だ蛇というかサタンというかそういう悪は人間の自意識を伸ばすように憎しみを持たせるのが目的なのだろうにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
将来もタイムマシンが発明されないであろうことは、未来からタイムマシンが来ない現実が証明となっている。それと同じくらい、人生に意味が無いことを証明しているものはあるだろうか?いや、ない。タイムマシンがないのと同じくらいわかりやすい証明がほしい。。。...
わたしがよく見るブログでは仏教やギリシャ哲学やその他いろいろな思索をブログで語ってくれてとても参考になります。そのブログに1週間前更新さUpされた記事がパルメニデスの存在論でした。このブログは何カ月も更新がなかったりで、更新されていても気づかないことが多いのですが、本当に貴重です・・・これからも参考にさせてもらい、インスパイアを受け、自分も切磋琢磨したいものです。...
世界はどのような存在によって創造されたのか知らないが、当初ンの目的からどんどん逸脱していっているのか。。。初めの気持ちがどんどん裏切られていく...
成功する人生大勢の友人らとともにうまくやっていく人生そういう人生だったら、人生を大きく誤解して生きていったことだろう。今のような孤独な人生消化不良のような冴えない人生だからこそ、人生の意味について真摯に追究していくモチベーションを維持しいつまでも考え続けることができるのだろう・・・だから、もしかしたらもっと不幸なことが起きれば思索がさらに飛躍できるのかもしれないが・・・実際に不幸なことが起きなくて...
質や内容など全くどうでもよくとにかく、さっさとこの人生を無難に終えられればそれでいいという人もいるだろう。それでいいのだろうか?...
人間は楽しく生きるために生まれたのではないと思う。こまごまとした利のためにこの世に生み出されたわけじゃないと思う。やれ、おいしい物を食べるためとか、やれ、ギャンブルで一勝するためとか、やれ、誰かに勝つためとか、やれ、1円でも安い値段で買うためとか、やれ、少しでも早く椅子に座るためとか、、、そんなことのために生きるのは全く馬鹿げているし、むしろ安楽や幸福のために今生きているのではない。にほんブログ村...
一回こっきりの人生、楽しまなきゃ損損!という人の心理はよくわかる、まるで、釣りの餌を食べようとする愚かな魚のよう・・・あるいは屠殺されるのも知らずに餌をもりもり食べさせられる鶏のように・・・彼らの共通点が人生においてそんなに大きな理不尽な不幸に遭遇していないことだ。そりゃあ、小さな不運くらいだったら、その不運の意義などどうだっていいと思えるだろう。しかし、めったにないような理不尽な出来事を経験した...
吹けば飛ぶような小さな存在いつか無に帰ってしまうこの宇宙僕が心配しなくても、生物が死を迎えれば全くの無に帰して、地獄も輪廻転生もなく永遠の非存在でいられて、もう二度と存在することなく済むのなら・・・にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
ポジティブな人や明るい人人生を肯定的にとらえる人、人生を悟ったかのようにひそかにドヤ顔の人、みんな、大腸内にうごめく腸内細菌叢のように縄張り争いをしながら一定の割合を保って恒常性を維持しながら何の意味もなく存在し、死滅し、また再生し続ける。。。...
反出生主義は、百人中一人でも苦しい人生を歩む人がいる限り人類は存在しないほうがましだという論理である。逆に、実際の現実世界は百人中一人しか幸福・成功する人生を歩めれば残りの99人が苦しかろうがその種は繁栄存続している。ウミガメが何百個も卵を産んでもその中から大人になれるのは1匹しかおらず、それ以外は鳥や魚に取って食われるように。ここに、苦しむという実感が必要かどうかという問題がある。苦しまないと進...
自分が認知や思考を変えたり工夫したりしたからといって世界が変わるわけではないはずだけど、やはり変わっているように感じるのは、たしかに無視できないものなのであろう。この世界は自分の一部なのではないか?他人も自分の一部?この世界や他人を含めた自分という存在のみが、実際に存在しているだけなのか?...
この世界に存在している自分を偉いなんて思っていない、ただ、何故この自分が選ばれたのか、その理由が知りたい。...
この広大な世界の真理を知ろうなんて大それたことを望んではいない。ただこの自分という存在がいる理由が知りたいだけ・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
今日はコロナ禍前までよく言っていた教会に約3年ぶりに行くことができた。そもそも3年前は韓国でキリスト教の教会でクラスターが発生してニュースで大きく非難され本当にかわいそうだった。もちろん、マスクもせず讃美歌を大声で熱狂的に歌うのはリスクあるし、私もあまり大声で歌うのは嫌いなので、静かなカトリックの厳かな雰囲気が好きで、韓国は少し怖いなあとも思ったが・・・コロナ流行のごく初期は、コロナなんかに負けない...
まるで恐竜時代の小さな哺乳類のように、ただただ諦めて必要最低限の暮らしをしていくのか、それとも、ただ生存するためだけに生き延びるという動物の本能から脱して人間の人間だけの人間らしい人生を追求していくか?(モームのロータスイーターという小説はこの考えを諫めているのだが。。。。)にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
キリスト教のイエスはもともと大工の家に生まれ、自身も大工をやっていた。大工という職業はポピュラーな仕事かつ社会の中で重要な仕事だ。どんなに不況でも建設・建築業では労働者をいつも必要としている。そんな労働者に、子供はべつにあこがれを抱くわけもなく、なりたい職業ランキングにランクインすることもない。結局、少子化とか国力とかいっても、国が欲しいのはこういう底辺で働く労働者なのだ。2022年出生数が初の80万人...
一番古い記憶。幼稚園の幼い時に、何か怖い物を見た時。そばには母親はいなくて、自分一人で対処しなければいけないと、そう思ったのが、自分という意識の始まりなのかもしれない・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
自分自身を自覚する存在としての意識これがあったのはいつからだろう?幼稚園生のとき?寝ながら天井の縞模様を眺めながら今ここに存在することを自覚したのを覚えている。記憶記憶・・・一番古い記憶・・・・意識は何故...