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  • 武甲山に似ている福岡県の香春岳

    大祓の日なので書きます。気になる山を発見。福岡県ですが、「香春岳(かわらだけ)」という石灰岩の山。この山は、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と呼ばれ、三つの峰で構成されている。しかし、山頂は首をきられて無残な姿。古い写真をみると、横瀬の二子山にも似ているコブの山がある。石灰岩だし、まるで武甲山のようだ。この山の麓に、香春神社があります。『延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座だが、その半分にあたる三座が香春神社にある。(残りの三座はすべて宇佐神宮内)三座は、辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比咩神社。』『和銅2年(709年)に山頂の三社を現在地に移設したのが、現在の香春神社。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、承和10年(843年)で、...武甲山に似ている福岡県の香春岳

  • 故人を思うアジサイ寺

    回想す。4,5年ぶりになるでしょうか。久しぶりに、アジサイ寺と称される北山にある資福寺へ行きました。このお寺には思い入れがありました。ずっと前に、ピアカウンセリングのボランティア活動をしていたのですが、その時に皆と一緒に訪れたお寺でした。今年2月、その会にいつも参加してくれた方から突然、連絡がありました。3年ぶりの連絡です。「会って話がしたい」との事でした。久しぶりなので驚いたのですが、連絡をもらって嬉しかったのです。私のことを忘れてくれてなかったんだ、という思いが。会を解散、というか、去ったことを皆に何も言わなかったことが、ずっと気にかかっていた事もあり、これを機会に、あの時のわだかまりがなくなり、もう一人連絡がとれた方とお会いすることになりました。私は介護に入りボランティア活動ができなくなり、またいろいろと...故人を思うアジサイ寺

  • 閖上に眠る富主姫

    考えてみれば、鶴シンクロがぱったりなくなって忘れていたのが、真名井の泉は籠神社でしたよね。これは亀ですよね?今度は亀か!ということで、亀シンクロが鶴のように始まりました。陰陽統合というのはわかります。鶴亀統べってるのもわかります。ですが、それが身近にどのように起こるのか、といったことが理解できない。そこを理解したい!智の欲求がとまらん。で、今までのブログ記事をふりかえり、まとめることが重要ということに気づきました。暇な時にぼちぼちまとめてますが、「始まりは鶴だった」の2018年からまとめてます。たった1年の間なのに、相当な情報量なんです。もう嫌になります・・・。けど、また明らかなことがわかり、終わらない探訪なのですが、応用編になっているような。。。あ、666は、573という意味がわからなかったのですが、「七五三...閖上に眠る富主姫

  • 匏と豊受大神のひとりごと

    真野は枕詞にも使われており、「真野の萱原」の枕詞は、奈良時代が発祥との事。松尾芭蕉も石巻にきて、「まのの萱はら」と歌っており、石巻の萱原地区といわれる。また、和名抄では、「陸奥国行方郡真野郷」とあり、現在の南相馬鹿島町。ここが真野であるとされる。秩父も昔は焼畑農業が主流で、サスという地名が多い。飯舘村にもサスがあり、共通しているのは狼信仰。海部氏のこともあるんだけれど、この人はわからない。が!海部氏はわからないけど、匏(ひさご)の意味がわかった!瓢箪やら匏やら、何度も繋がるので何を意味するのかわかりませんでした。海部氏は、古代の籠神社の神職を務めていたのですが、海部家の始祖、彦火明命が創祀した「宮」を「匏宮(よさのみや」と言っていた!!知らなんだ~~「ひさご」じゃなくて「よさのみや」という匏のことだったのかーっ...匏と豊受大神のひとりごと

  • 猿田彦命降臨の立石と真名井の真野①

    繋がりすぎて困った。長くなる・・・相変わらず、終わりがない・・・まほろば探訪。令和になってバージョンアップされた・・・。笑『由緒によれば、景行天皇の時代に日本武尊が東夷征伐の勅命を受けて奥州にやってきた。その時、地主神である猿田彦命より霊示があり、皇御孫尊(天津彦火邇邇芸命)を勧請して17日間祭祀を行った。陣を引いた山は四方を川に囲まれており、日本武尊は地の利を生かして夷賊を倒して無事平定を進めることができたという。地主神である猿田彦命は道祖神であり、道陸神とも呼ばれていた。冠嶺神社が勧請された山は、道陸神の霊験があった山のため「道陸神山(現在の堂六神山)」と名付けられたという。道陸神山の南麓に天の真名井の水をもって「真野の池」という水場を設け冠嶺神の御手洗とした。真野川の名前はこの「真野の池」にちなむと伝わる...猿田彦命降臨の立石と真名井の真野①

  • 真野の冠嶺神社

    今年1月に南相馬原町区の冠嶺神社に参拝してきまして、その時、鹿島区の方に行きたかったけど、原町区の山の方の冠嶺神社へ行ってしまいました。なので、今回はようやくその鹿島区の方の冠嶺神社へ。冠嶺神社は南相馬に2社あり、由来より「佐藤氏」という名の人が、他の村から来て冠嶺神社を祀り、農家に住み初めて祠を修理し祀ったとあった。やはりこのあたり、佐藤姓の立派な石碑がいくつかあり、村の田園風景に癒されます。(雷神)冠嶺神社は、1800年代に郡官が調査しようとしたことを村の人が不審に思い、拒否したかでずっと調査できなかった話がある。しかし、相馬には二宮尊徳が農業復興策をした所なので、それから冠嶺神社を復興させるよう命じられたそうです。ご祭神は、少彦名命と天津彦火々出見命(ホオリ)あんまり聞かないホオリ。以前、ホツマの先生が、...真野の冠嶺神社

  • 大祓の6と光の兆し

    6月だからか、「6」の夢をみました。コンビニで買物をしていると、お釣りが「666円」のレシートをもらう。レシートの紙に大きく「666」の数字。店員のお兄さんが、「今日は6の数字が多いんだよね~」とつぶやく。6の数字・・・ロト6じゃなくて?とか言ってる場合じゃなく。財布がなかなかバッグに入らなくて、もたもたしているうちに、店員さんは配達があるからといっていなくなるけれど、私がもたもたしているから、遠くでイライラしながらみている店員さん。買った物は、小さく細長い箱に入っていて中身はみえないけど、持ったら重かったのでびんに入った飲み物のような感じがした。そんな夢でした。6月の梅雨時期に予定してた大蛇窪ともうひとつ一関の登山がどちらも雨で中止。秩父から帰ってきて1週間。久しぶりに国常立命がふってきた感じが?西洋では66...大祓の6と光の兆し

  • ディープな秩父@芦ヶ久保郷の悲劇

    1717年横瀬郷はそれまでなかった日照りと干ばつに見舞われ、人々は生死の淵に立たされた。幕府(忍藩)への嘆願書『誠に申し訳ございませんが、書面でお願いいたします。一、今年は旱が続き作物はことごとく枯れてしまいました。二、稲も少しばかりは植えつけましたが、残らず枯れてしまいました。三、昨年の冬から今日まで雨がとても少なく麦の出来が予想しなかったほど悪く、秋の植えた野菜などを除いては、米、麦、稗、粟などがほとんど枯れてしまいました。これから葉大根などを蒔いても天候が悪ければ、収穫は望めません。このような理由ですべての百姓が困っていますので、この上はどうか御慈悲をもちまして御救い下さいますよう、お願い申し上げます。』※芦ヶ久保道の駅から白髭神社そして、翌年の1718年もまた前年に続いて旱魃に見舞われた。再び、幕府へ格...ディープな秩父@芦ヶ久保郷の悲劇

  • ディープな秩父@神々の昇格

    江戸時代、実は、芦ヶ久保が最も栄えていた賑やかな町で、大きな屋敷を構える家々が並んでいたそうだ。今では想像できませんが。横瀬町が最も栄えていたのは、東の入口だからでしょう。江戸城からくれば、深~い深い峠を越えると広がる盆地の入口として栄えていたと思います。現在の芦ヶ久保は、道の駅があって繁盛してます。さて、芦ヶ久保の災害の前に、秩父神社が昔から災害がある度に昇進している話を。(以前書いた内容をのせます)秩父神社の名前が現れるのは、862年。秩父神社は7月21日、「武蔵国正五位下。勲七等秩父神正五位上」と、検非違使を1名づつ置いた年。この頃、神の位があがっている事が記されています。秩父神社がこの頃の律令制度に深く関わっていた事が、すでに奈良時代にあったわけです。それだけ、秩父神社の権力や財政的な威力が強かったと思...ディープな秩父@神々の昇格

  • ディープな秩父@滝の枕と人魚沼

    帰省した日、秩父の方が寒かった・・・。夕方時間があったのでちょっと散歩してこようかと思い、以前から「滝の枕」という滝がどこにあるのか行ってみたかった。父に「滝の枕はどこにあるの?」と聞いたら、電車からみえる根古屋の橋の下んとこ。というのですが、全然、わからない。googlemapにはあるが。電車から滝なんて見えないし。「滝つっても滝なんてもんじゃねーな。誰もいきゃあしねぇよ。あんなとこ」と、秩父弁炸裂で滝じゃねえ~という。誰もいこうとしないあんな所に、行きたがる私は変わり者らしい。いやいや、武蔵風土記に登場する有名な「滝の枕」だ。昔は有名だったし、父も子供の頃はすごい滝だったという。が、今は「滝じゃねぇ」という事らしい。誰もいかなくなった滝を見たい・・・。父も子供の頃以来行ってないというので、父の車で連れて行っ...ディープな秩父@滝の枕と人魚沼

  • ディープな秩父@影森

    久しぶりの帰省です。もー秩父は濃ゆい~。自分もなっ。ディープすぎる秩父の地で、今回集まったメンバーは、8人。毎回、新しい方との出会いもあり、久々のGarさんにも会い、皆で知っている情報や体験話を共有する時間が大事なんだ!ということを、こっちでも秩父でもやっています。大体、破壊の歴史というか影の武甲山=エミシの歴史とかぶる。もうコーフンですよ。今回の帰省目的は、大蛇窪でしたがフラれました。その流れについては・・・今年の311の祈りの会の時に南相馬で秩父からきた方とお会いしました。その時に、興味深い話を聞きましたが、ちょっとしか時間がなかったので、後でそのことについて教えてもらおうと思っていました。今までずっと「武甲御嶽大神氷雨除守護」「熊野大神氷除御秡」が、何だか気になってました。結局はわからないのですが、何を魔...ディープな秩父@影森

  • 荒沢湿原の鳥の歌

    やくらいガーデンからお昼を食べて、いつもはそのまま道の駅によって帰るのですが(加美町は野菜がおいしいのよ~)薬莱山より西へ行ったことは一度もなく。この先へいくと何があるんだろう?とマップをみてみると、「荒沢湿原」というのを発見。さっそく、行ってみました。この先へもっともっといくと、船形山に。登山を始めたばかりの頃、知人と船形山に登りました。とっても深~いブナの森。深すぎて遭難者が多いと聞きます。実際、ブナの森が広がっていて確かに酔いそうでした。山頂で、埼玉からきた登山グループに会った時は驚いた。その時、雷がなっている時で、山頂で雷が聞こえたら落ちる確率高いと。即、危険なので避難しろ、と言われ、山小屋があったので良かったのですが。雷は、山に落ちることが多いので、落雷で亡くなる登山者もいるのです。高山は高い木がない...荒沢湿原の鳥の歌

  • 黄色の丘:やくらいガーデン

    加美町の薬莱山の方へ行ってきました。主人が「やくらいガーデン」で何かやってる。という。う~ん、いつもあそこは、何かやってるよねぇ。(船形山)今回、花が群生しているらしいけど、「何か咲いている」らしいので行ってみた。したら、素敵だったのよー。美しい菜の花の丘が広がっていました。写真で撮るとインスタ映えっての?インスタやってないけど、北海道にきたみたいな。こんな美しい世界があるのに、世の中は落ち込む事件ばかり。どうなんでしょ?こういう世界が当たり前だと思うのですが、例えば、花に魅了されたり、自然に癒されたり、空をみて雄大な景色に自分が映る時、なんて世界はこんなに広いんだろう。という風に思えない人がいるってことだ。そういう世界は、自分には縁がない。と、思う人がいるってことだ。そんな世界を私はみたい。と、思えば、見られ...黄色の丘:やくらいガーデン

  • 京都探訪のおまけ@東山道の粟田口

    京都の街を歩いていた時に「白川」という風情ある川があって、「もっこ橋」という小さな橋が小川にかかっているような所でした。三条通は旧東海道で、白川橋から東、蹴上付近までの広範囲を「粟田口」と言います。蹴上(けあげ)の地名は、昔、江戸時代くらいには処刑場があり、処刑される人を蹴っていたことから由来するそうです。この粟田郷というのは、奈良時代以前から開かれた土地で、粟田氏が本拠とし、平安京ができると東国との交通の要地や、軍事上の要衝にあたることから、やがて粟田口(三条口)とよばれ、京都七口の一つに数えられたと。鎌倉、室町時代はここを通って馬借や車借など運送業者が物資を運んだという。また、立ち寄らなかったのですが、粟田神社というのがあり、平安時代末期、刀鍛冶たちが住居を構え、童子に化けた狐に鍛冶の手伝いをしてもらい、名...京都探訪のおまけ@東山道の粟田口

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