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市居嗣治の「今日のお気に入り」 https://blog.goo.ne.jp/tsuguji19

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再

市居嗣治の「今日のお気に入り」
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2015/08/06

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  • 不輸不入 Long Good-bye 2024・11・30

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「高野山みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「政所(まんどころ)・慈尊院」と題された小文の中から、数節を抜粋して書き写す。書き写す手が止まらない。引用はじめ。「高野山へ登るのはいまはケーブル・カーか自動車道路によるが、かつては七つの登山口があった。高野街道西口、京街道不動坂口、龍神街道湯川口、熊野街道相浦口、同大滝口、大峰街道東口、大和街道粉搗(こつき)口である。このうち、平安朝いらいもっとも繁く人々が踏みならした道は、慈尊院から登っていく高野街道西口で、町石道(ちょういしみち)とよばれたりした。いまはほとんど廃道になっているらしい。十年ばかり前、この旧道を高野山大学の若い先生と学生十人ほどが、ところど...不輸不入LongGood-bye2024・11・30

  • こうやくん Long Good-bye 2024・11・28

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「高野山みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「真田庵」と題された小文の中から、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「私は『城塞』という大坂ノ陣を背景にした小説を書いたとき、取材というほどの大げさなつもりではなしに九度山にきたことがある。真田氏の父子が関ケ原で敗れたあと、徳川氏に処罰されてこの地に配流された。やがて父の昌幸がこの九度山で老いて死に、子の幸村(信繁)が、当時、一種孤立の状態にあった豊臣秀頼に招かれ、大坂に入城する。ともかくもかれらは、この店と道路一つへだてた九度山の集落で十余年をすごしたのである。九度山で暮らしたのは、昌幸とその夫人、幸村とその夫人、およびかれらの侍女たち、それに信州から随(...こうやくんLongGood-bye2024・11・28

  • くどやま Long Good-bye 2024・11・26

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「高野山みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「真田庵」と題された小文の中から、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「九度山(くどやま)とは町の名で、山ではない。紀伊国(きいのくに)高野山が、北にむかって山々や谷々を重ね、ようやく紀ノ川に至ろうとする岸辺にある。『九度山から高野山に登ってみましょうか』と須田画伯に電話で相談すると、画伯は、横笛でも吹くような息使いで、梅雨じぶんなら山の花が咲いているでしょう、といった。」「九度山は、古い集落である。中世以来、高野山領の行政や年貢の集散はこの九度山に置かれた政所(まんどころ)がそれをつかさどった。このため九度山町はきわめて小規模な城下町のような機能でもって発展...くどやまLongGood-bye2024・11・26

  • いちもんふち Long Good-bye 2024・11・24

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。今日は、「一文不知(いちもんふち)」と題された小文の後半の数節を書き写す。法然上人が登場する話の舞台は、引き続き播州室津である。引用はじめ。「ふたたび軒と軒とにはさまれたこの町特有の狭い坂をのぼり、このあたりの地形ではその頂上にあるかのような浄土宗・浄運寺の石段を登った。山門も小ぶりでよく、境内も建物の配置が狭さとよく適(あ)っている。老婦人が、まだ口もきけない年端(としは)のお孫さんをつかまえて、懇々と説諭している。幼児は、男の児である。石畳のそばのわずかな土の上の草を抜いてしまったらしい。『ただの草ならね、抜いてもいいの。この草はね、だめなの。そのわけはね、...いちもんふちLongGood-bye2024・11・24

  • からのみふね Long Good-bye 2024・11・22

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。「播州室津」について書かれた数節を追加抜粋して書き写す。以下は、「一文不知」と題された小文の前半の数節で、船の話。作家の思案は、あっちゃこっちゃ忙しなく飛ぶ。タイトルの「一文不知」や法然上人と「むろのとまり」のゆかりの話は、まだである。引用はじめ。「室津の加茂明神の石段を降りながら、中世日本における船のことを考えた。日本歴史には、海洋の要素が乏しい。この国がまわりを海にかこまれていながら、みずからを海洋国家であるとして自覚するのは幕末においてであり、その実質へ出発するのはかろうじて日露戦争前後ごろからといっていい。室津は、すでに幾度もふれてきたように日本でもっと...からのみふねLongGood-bye2024・11・22

  • 花のことども Long Good-bye 2024・11・20

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「花のことども」と題された小文の中から、数節を抜粋して書き写す。室津の宿の夕べ、旅の同行者と過ごした作家の至福の時間。引用はじめ。「夜になると、この歴史のみが重い漁港にも、集落(まち)らしい灯火の群れが、暗い湾をかこみはじめた。それらの灯を崖の中腹から見おろしながら、私どもは夕食をとった。編集部のHさんをのぞいては、下戸がほとんどの夕食である。『本当に結構ですね』と、言われたのは、平素、極端に少食な安田幸子夫人であった。インドで天人という形而上的存在がうまれたのは、現世ですでに諸欲すくなくうまれついている人々がいて、宗教的な空想家がその煩悩の少なさに...花のことどもLongGood-bye2024・11・20

  • むろのとまり Long Good-bye 2024・11・18

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「播州室津」について書かれた数節を追加抜粋して書き写す。引用はじめ。「室津の町並の特徴は、ほとんどの古い民家が二階建てであることと、重厚な本瓦ぶきであることである。」「『千軒』というのは、その地方地方の代表的な商業地であることを指す。城下町の場合は、戸数がたとえ千軒あったとしても、千軒とはよばない。」「・・・千軒というのは、千軒と呼称するにふさわしい共通点が、町並にあったにちがいない。ただし、室津千軒のさびれはいかにもいちじるしく、この崖の中腹の宿から遠目で入江と町並を見おろしているだけでも、そのことが青っぽい空気とともににおい立ってくるように思われ...むろのとまりLongGood-bye2024・11・18

  • 室津 船泊 Long Good-bye 2024・11・16

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「播州室津」について書かれた数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「播州平野でもっとも海近くをとおっている道路は、国道250号である。そこまで出ても途中の山がさえぎって、まだ海が見えるに至らない。ただ海風のにおいはする。道路上で、一軒みつけた。いかにも付近の農家が田ンボを潰してやっているといったふうの泥くさいドライブ・インで、入るとあざとい色調のミュージック・ボックスが置かれている。元青線のネオンのようなこの種の音楽箱のデザインというのはいまの日本のどの層の感覚に迎合しているのかわからないが、ともかくもこれが置かれている店に入る場合には、多くの期待は禁...室津船泊LongGood-bye2024・11・16

  • 赤蜻蛉 Long Good-bye 2024・11・14

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、「播州龍野」について書かれた数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「龍野藩というのは江戸期も明治後もこの小さな城下町の内外から多くの学者、名僧あるいは文人墨客を出したように、江戸期は学問が盛んだった。脇坂氏五万一千石の居城の城山(鶏籠山(けいろうざん))の名称をことさらに唐様(からよう)で呼称したのは、この地が播州における漢学の一淵叢(えんそう)だったことと無縁ではないかもしれない。」「詩人三木露風(1889~1964)は、播州龍野の人である。」「私などは詩に暗いために、三木露風といえば明治末年から大正にかけて北原白秋とともに詩壇を両分した人ということ...赤蜻蛉LongGood-bye2024・11・14

  • 因幡街道 Long Good-bye 2024・11・11

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。以下は、この紀行文「播州揖保川・室津みち」の旅がはじまる前の導入部分。作家の旅の同行者の紹介などもある。挿絵を担当する須田画伯や編集部のHさんは、「街道をゆく」の常連さん。備忘のため、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「私どもは、大阪湾をかこむ地方に住んでいる。淀川の河口を中心とすれば、私はその東郊の中河内の猥雑な低湿地に住み、須田画伯はその西郊の摂津(せっつ)夙川(しゅくがわ)という高燥閑雅な住宅地に古くから住んでいる。文学博士安田章生(やすだあやお)氏は、やや内陸?に入った北摂の石橋に住む。石橋には歌の名所の待兼(まちかね)山があり、歌人であるほか、『古今...因幡街道LongGood-bye2024・11・11

  • 播州揖保川・室津みち Long Good-bye 2024・11・08

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「播州揖保川・室津みち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「播州については『播磨灘物語』を書いているころ、あちこちとあるいた。もっともこの小説は、主として東播の三木や西播の姫路付近が舞台だったので、歩くについても、ついそのあたりにかぎられた。たとえば因幡(いなば)とのさかいにつづく宍粟(しそう)郡の山崎までは行っていない。そのころ、山崎に行っていないことが絶えず気になっていた。」「山崎は、三木や姫路のように播州平野の真只中にある集落ではない。因幡や但馬(たじま)の山なみが播州の宍粟郡にまで南下し、山崎で尽きる。山崎という地名は、京都府の山崎もそうだが、おそらく山なみの先端...播州揖保川・室津みちLongGood-bye2024・11・08

  • 小作争議 Long Good-bye 2024・11・06

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「潟のみち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。備忘のため、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「新潟市の東方にある豊栄(とよさか)市は、国道ぞいだけが、とりとめもなく都市化している。国道から、木崎という旧村へゆくべく枝道に入ると、昔ながらの田園がひろがりはじめる。昨夜降った雨があちこちに溜まって、日射しをはねかえしたり、樹影をうつしたりしている。村内に入ると、道は水をたっぷりふくんでいて、スポンジを踏むような感がある。木崎村は亀田郷とおなじ低湿地だが、亀田郷のようにいかにも超現代的共同体というような基盤や自治的規制をもたないために、どこにでもある都市近郊農村のように、集落としての景色も秩序美ももっていない。」(⌒∇⌒)...小作争議LongGood-bye2024・11・06

  • 潟(かた)のみち Long Good-bye 2024・11・04

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「潟のみち」。今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に連載されたもの。述べられている風景は、こんにちでも余りかわっていないのではないか。知らんけど。備忘のため、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「幾度ものべたように、新潟市の南につらなる亀田郷は、まことに一望鏡のように平坦である。『潟のみち』と自分で勝手に名づけてこの変哲もない田園を歩いているのだが、こんにち、ただ一つの例外を除いて潟は残っていない。鳥屋野潟(とやのがた)だけが、残っている。この潟を地図でみるとカタチは琵琶湖に似ている。むろん湖などというほど大きいものでなく、潟のまわりは一〇キロほどでしかない。」「亀田郷はことごとく干上がって陸地になったが、鳥屋野潟のみは可憐にも古代以来の潟...潟(かた)のみちLongGood-bye2024・11・04

  • 滄桑の変 Long Good-bye 2024・11・02

    今日の「お気に入り」は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」の「潟のみち」。備忘のため、数節を抜粋して書き写す。引用はじめ。「『潟』という日本語はよほど古いものらしく、『万葉集』にも紀州の和歌の浦の潟(滷)を詠んだ歌として『若の浦に潮満ち来れば滷(かた)を無(な)み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る』というのがある。潟とは、この歌がその地理的特徴を的確に言いあらわしている。河川の河口などで海が、河川が流す土砂のために遠浅になっており、そこに潮が満ちてくる、『滷を無み』でもって海に化してしまうが、潮が干ると洲になって現れる場所をいう。」「かつて潟だった土地が信濃川や阿賀野川の活動で潟がうずまって自然に野になってしまった土地――たとえば新潟市のように――もあるが、新潟市の南郊の亀田郷のように、人間が他から泥を運んでき...滄桑の変LongGood-bye2024・11・02

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