Amebloに書きました。対談昭和史発掘松本清張*** 意思による楽観のための読書日記 対談昭和史発掘松本清張***
面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ム
2025年7月
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意思による楽観のための読書日記 記事書きました。富士山はどうしてそこにあるのか山崎明雄
2025年7月
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意思による楽観のための読書日記 記事書きました。富士山はどうしてそこにあるのか山崎明雄
四字熟語は日本人なら誰しも耳にする機会がある言い回し。相撲取りが大関や横綱になる際に挨拶で使われることもある「不撓不屈」「一意専心」など、なにか自分の信念や思いを伝えたい時にも最適。幕末には「尊王攘夷」、日露戦争では「臥薪嘗胆」、その後も「八紘一宇」「天壌無窮」もあった。孔子孟子や中国故事、和製など様々だが、A対B、AandB、AbutB、AneverBなどその組み合わせも様々だが、二文字で一つの意味を表し、合計4文字で意味を持つ。本書では、中国に由来を持つ四文字熟語を中心に、歴史的背景やエピソードをまとめたもの。1.聖人が語ったものとしては孔子が論語で述べたものとして、「温故知新」古いことを知ることが新しいことを知る方法である「韋編三絶」韋編とは本の綴じ代のことであり、その綴じ代が三回切れてしまうほどに...四字熟語の中国史冨谷至***
8−9世8−9世紀に起きた数多くの地震とその被害に対して、時の朝廷、天皇はどのように対応したのか。特に、9世紀の貞観時代に起きた陸奥海溝津波と2011年の東日本大震災との関連にも言及する。奈良時代の天皇では、聖武、孝謙など天武直系の時代、その後は桓武とその直系の天皇たちの時代の地震、噴火をとりあげ、869年に起きた陸奥の国沖の地震ならびに海溝津波とその時代の清和の対応を詳述した。古代の歴史では疫病や飢饉と出来事の関連付けが多いが、地震や噴火は列島に暮らす人々にとっては非常に身近で生活に直結するものだった。この時代には朝鮮半島でも大きな地震があり、百済が滅亡した時代には新羅慶州で大地震があり、9-10世紀にも白頭山の大噴火の記録もあり、三陸沖、朝鮮半島、大陸の同緯度のマグマ活動との関連も議論されている。朝廷...歴史の中の大地動乱奈良平安の地震と天皇保立道久
東北六県などというが、歴史的経緯より9つの文化圏に分けられるという。北から津軽、南部、仙台、秋田、庄内、山形(置賜)、会津、福島中通り、福島浜通りとなっている。これは徳川政権時代に日本海航路の重要拠点である庄内に酒井氏が入り、福島地方には数多くの徳川家譜代の大名が入ったため。東北には伊達、佐竹、南部、津軽など江戸幕府にとっては油断のならない勢力を監視するため。こうしたことからそれぞれルーツの異なる文化圏が築かれることになる。元々の東北のにおいが強く残る津軽、南部、仙台と関東武士の文化が影響する秋田、東北ではないが越後の文化を上杉が持ち込んだ置賜、東海の徳川系が庄内と会津という具合。現在にまで残る各地の気質、風習やしきたりはこの時期の影響が色濃い。上杉氏が会津に入る前には蒲生氏郷が入っていたが、彼は千利休の...東北のしきたり鈴木士郎***
初版が1958年で、2021年76刷で改版発行され、本書は77刷、筆者は1962年に死去されているのに、その後もずっと販売され続けているという岩波新書「科学の方法」。科学に向き合う姿勢や考え方を整理した一冊。科学というものは自然の現象を人間として捉えるときに、その現象を他人にも理解可能な形で定量的、定性的に解説しようとする試みである。自然の現象は人間がこの世に居なくても起きていることではあるが、人間の五感で捉えられる範囲を中心に分析することであるために、どうしても誤差が生じ、全く同じ現象を再現させることができない場合もあるが、近似的に同等の事象が再現可能であれば実験成功と考えていることも多い。つまり人間による科学には誤差や限界が存在するのが実態。動物や植物が遺伝や親による教えにより子孫に伝えてきた特性や知...科学の方法中谷宇吉郎****
人は過去の出来事を学んで自分の行動に生かせるのか、という課題に挑む一冊。日本史の出来事は日本人にとっては教訓の宝庫であるはず。「歴史は繰り返さず、形を変えて何度も起きる」と言われるが、なかなか過去には学べないのが実情。古代から近代までのさまざまな出来事からの学びのポイントが一つのエピソードが4ページにまとめられ読みやすい。古代、当時の先進国隋や唐から取り入れた律令制だが、日本の実情には合わず、それでも当時の政権は律令制にこだわった。土地の国有性を進めたが、新規開拓推進のために三世一身の法から墾田永代私有へと開拓した田畑の私有を認めた。それでも、わざわざ税を余計に取られるために汗をかく農民はいなかった。なんとか税を逃れるため寺社や上級貴族への寄進を進めることで荘園が広がり、土地の公有制度は平安時代には、律令...日本のしくじり史大中尚一****
承久の乱は1221年に起こされ、鎌倉政権により1か月で反撃鎮圧された後鳥羽上皇による武力蜂起の呼びかけ。鎌倉政権の樹立は頼朝が征夷大将軍に叙された時なのか、鎌倉政権に主に東国における受領の任命権が与えられた時なのか、という問いかけがある。本書が取り上げたのは、当時の政権による施政権が及んでいた地域の土地の所有権、管轄権が京の朝廷から鎌倉により指名された武士に移行したきっかけになったのは承久の乱だったということ。これ以降650年に亘る武家による土地支配が続くことになった、という意味において日本史のターニングポイントだというのが本書。 たった一か月で鎮圧できるような武力蜂起の呼びかけはなぜ起こされたのか。その時点では鎌倉政権の頼朝、頼家、実朝という源氏将軍はいなくなり、北条氏による執権政権が朝廷からの親王の将...承久の乱日本史のターニングポイント本郷和人****
本ブログは今月よりAmebloに引っ越し中です。しばらくは共存いたしますが、引っ越し先のアドレスは以下のとおりですので、よろしくお願いします。意思による楽観のための読書日記 https://ameblo.jp/tetsu814-august/以上 Amebloに引っ越ししています
半藤一利さんの講演録、エッセイ集をテーマに従い再編集した一冊。第一章は1984年の埼玉県自治研修所における講演録で太平洋戦争における提督のリーダシップを主題として、その在り方を解説した内容。明治時代のリーダー、アメリカの提督であるニミッツ、マッカーサーのリーダシップ、そしてアメリカ海軍組織、日本型リーダーであった大山巌、東郷平八郎と日本海海戦、威厳と人望、評判が悪い指揮官とは、ミッドウェイの南雲中将、牟田口廉也とインパール作戦、とそこで半藤一利があげる8つのリーダーシップの条件とは、1.仕事の決断をする2.部下に対して明確な目標を与える3.常に権威を明らかにすること4.指揮官として常に焦点の場所にいる5.情報は自分で収集せよ6.想像と現実の分離7.部下には最善の遂行を要求8.規格化された理論にすがるな第二...歴史探偵開戦から終戦まで半藤一利**
2025年の今年、日本の観光地や大都会に行くと「インバウンド」の人数が半端なく多いので、面食らうことが増えている。観光地の代表格である京都の町では、とくに桜や紅葉の季節、電車やバスに乗っての移動や街中の徒歩移動でも人の多さに参ってしまう。しかしこれは小泉ー麻生政権で力を入れ始めたクールジャパン戦略がある意味成功してきた結果でもある可能性がある。しかし一番の理由は日本製アニメやゲームの世界浸透とSNSやYouTubeなどで自動翻訳により世界中から視覚情報を通して日本の文化や食、芸術、安全性などが紹介されてきたこと、そして昨今の円安。多くの旅行者が口にするのは、人が親切で礼節があり勤勉で誠実、治安がいい、食が美味しい、トイレが素晴らしい、都会での公共交通が便利、古いものがよく守られている、社会的規律が守られて...外国人が見た日本「誤解」と「再発見」の観光150年史内田宗治***
日本に存在する名字の種類は29万種、そのうち斎藤と斉藤、齋藤などのように類似名字で一字の漢字種類が微妙に異なる場合を除くと10万種類。名字と苗字は文部省によれば正式には名字、法務省は氏としており法律上は氏、氏名である。一方姓は一族や血族を表し、天皇の支配を受けるすべてのものが名乗る呼称であり、氏は古代の支配層であった藤原氏、大伴氏などで地方の中流豪族や庶民は氏としての組織はなかった。蘇我氏、葛城氏などは本拠地の地名、物部氏、鏡作氏などは大王から与えられた職名を世襲するものがあった。平安時代になり、武士の間で生まれた通称が名字で当初は姓とは明確に区別された。例えば北条時政は名字が北条、姓は平朝臣、徳川家康でも天皇に対しては源朝臣家康。江戸時代には名とは領地を表すため苗字として苗字帯刀令などの語ができたが、明...名字と日本人先祖からのメッセージ武光誠***
古事記は稗田阿礼の暗誦した神話や歴史を太安万侶が7-8世紀初頭に編纂したとされている。神話を語り継いできた人たちは、「大倭豊秋津島」と、その時代に日本が島国であることを知っていたことになるが、延々と長い海岸線を小さな船で一回りしたのであろうか。筆者は「倭人は海人だったに違いない」と考えた。同じ時代に編纂されたもう一つの歴史書が「日本書紀」、当時の知識人たちが中国の史書などを比較検討して編纂したものであり、それと比べるとその正当性に疑問がつけられてきたが、本当にそうであろうか。古事記は四国を次のように記述する。「面毎に名あり。伊予の国は愛比売、讃岐の国は飯依比古、粟の国は大宜都比売、土佐の国は健依別という」つまり東西南北にそれぞれ面した地域があり国となしているということ。九州は「筑紫島も面四あり。筑紫の国は...黒潮と倭人の国立石巌**
「激動の幕末、吉田寅次郎(松陰)は、弱冠9歳で長州藩校の教授を務めた天才教育家である。日本の行く末を想い純粋に道を究め続け、多くの若者の心を魅了して、主君・毛利慶親(敬親)までもが弟子入りを願った。獄中では獄囚たちを改心・放免させ、司獄(刑務官)までもが弟子入り。私塾「松下村塾」で3年足らずで多くの若者を開眼させ、多くが幕末・維新を奔走し、日本の将来のために若い命を捧げた。また、幕末を生き延び、明治新政府の中核を占める多くの人材を輩出した松陰の功績は計り知れない。松陰は「人は自分が持つ能力と立場において、何ができるのか。学び、考え、実践によって世の中に価値をもたらす。」という教えを貫き、「安政の大獄」で非業の死を遂げた。現代人が忘れかけている「立志」「使命感」を覚醒させてくれる「29年の短い生涯を熱狂的に...師・寅次郎と主君・慶親鶴田慎一***
信長・秀吉・家康が東海地方から西に向けて進出して天下統一を目指したとき、その鍵を握ったのが瀬戸内海。伊予は中国、四国、九州を結ぶ要、瀬戸内海での鍵となる地域となっていた。そこで活躍した海賊衆が村上氏、来島氏らで、彼らを束ねたのが河野氏と毛利氏。彼らは西国に向けて天下統一を進めようとする秀吉との衝突を余儀なくされた。日本における「海賊」は外国のように一般の船を追い回して積荷を奪うような盗賊ではなく、設けられた海における海関を通る商用船など一般の船から決められた関銭を徴収することを権力者から任された存在だった。彼らは軍船を巧みに操る技を持つため守護大名や戦国大名の軍隊の一翼を担うこともあり、学術的には水軍と呼ばれる。瀬戸内地域では水路は陸路と表裏一体の位置づけであり水軍である彼ら一族が荘園の代官を務めることも...秀吉と海賊大名藤田達生***
2024年大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を務めた筆者が、ドラマの主人公二人について、史実を一次資料をもとに確認しながら、中世史専門家として二人にまつわる歴史的流れを推測していく一冊。解説は章立てに従うと次の通り。1.紫式部と道長の生い立ち紫式部の父藤原為時は文章生出身の学者であり、式部は生母と早くに死別した。出身地は当時の東京極大路と鴨川の間であり、現在の廬山寺あたり。一方の道長は藤原兼家の五男として966年生まれ、紫式部が973年生まれとすると7歳年上と推定できる。兼家が藤原家系であっても摂関家として確立したシステムはその時点ではなく、天皇家との関係において、次期天皇を生むことになる后を誰の家系から入内させるかという権力闘争が始まっていた。道長の幸運としては兄たちが成人する時点では父親の立場が不遇であ...紫式部と藤原道長倉本一宏***
以下Amazon解説より。本書には、「カラー化された」戦前から戦後にかけての写真が収録されています。当時の写真は、もっぱらモノクロです。カラーの写真に眼が慣れた私たちは、無機質で静止した「凍りついた」印象を、白黒の写真から受けます。このことが、戦争と私たちの距離を遠ざけ、自分ごととして考えるきっかけを奪っていないでしょうか。私たちはいま、AI(人工知能)と人のコラボレーションによって写真をカラー化し、対話の場を生み出す「記憶の解凍」プロジェクトに取り組んでいます。戦前の広島・沖縄・国内のようす。そして開戦から太平洋戦線、沖縄戦・空襲・原爆投下・終戦。自動カラー化ののち、写真提供者との対話、資料、SNSでの時代考証などを踏まえて仕上げた、約350枚のカラー化写真が収録されています。しあわせな暮らしが、少しづ...AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争***
2021年1月に逝去した著者のエッセイ集。生涯のテーマの一つだった二・二六事件を始めたとした昭和史、幕末、戦国時代の歴史の真相に迫るエッセイが綴られている。2.26事件を引き起こしたメンバー内では、宮城の占領計画があったというのは「昭和史発掘」で紹介された。近衛歩兵第三連隊の中橋中尉は、当日の自連隊が宮城護衛当番であったことを利用して、高橋是清邸襲撃後に、宮城に侵入して天皇を奉戴しクーデターを成功させようともくろんでいた。それが、他の連隊からの襲撃報告を受けた宮城護衛任務に就いていた将校により入門を拒否され失敗していた。クーデター首謀者たちは蜂起さえすれば天皇は味方してくれると信じていたが、現実は正反対であり、天皇はクーデター軍を反逆軍として激怒した。エッセイーは古事記、日本書紀の時代から戦中、戦後史に至...歴史探偵昭和の教え半藤一利***
政治史学を専門分野とする筆者による日本における明治維新による近世から近代に向けた変革ポイントは何だったのかを解説した一冊。近世と近代の違いについては、19世紀後半に英国のジャーナリストであったウォルター・バジョットの考察を紹介。近代とは「議論による統治」であり、前近代でもある近世の要素とは「慣習の支配」だとした。バジョットが慣習の支配からの変革要因として示したのは貿易と植民地化であり、議論による統治のために必要だったのは憲法と議会だった。日本では議会制と政党政治が明治初期に成立し、幕藩体制で胚胎していた「公議輿論」の要請に対応し東アジアでは例外的に成立した複数政党制が成立した。貿易に関しては明治政府が掲げた「殖産興業」政策の実現が良い影響を与えた。もう一つは租税制度の確立で国家資本の源泉となった。その資本...日本の近代とは何であったかー問題史的考察三谷太一郎****
太平洋戦争において陸軍中枢にいた高級参謀の将校たちが、戦後の昭和51年に大いなる反省を込めて情報と意見交換を行った座談会を、半藤一利が解説付きで編集したもの。特に、昭和15年(1940年)9月の日独伊三国同盟、北部、南部仏印進駐、独ソ開戦、御前会議、東条内閣成立、対米開戦のタイミングをそれぞれ軍参謀本部ではどのような視点で分析議論決断していったのかを紹介する。実際の歴史では、ワシントン体制、ロンドン軍縮条約などで軍備を抑え込まれた反動として起きてしまった1931年の満州事変、リットン調査団、国連脱退あたりからすでに引き返すことができない坂道を下り始めていた日本だったはずだが、開戦決断の直前まで政府内部では開戦回避の努力は続けられていたということ。本座談会で分かるのは、日本軍部の内部構造として、陸軍対海軍、...なぜ必敗の戦争を始めたのか陸軍エリート将校反省会議半藤一利***
タイトルから見ると「なぜ京都人はイケズをするのか」などの解説本だと勘違いするが、京都礼賛本である。「奇跡のリンゴ」の筆者がなぜ京都が好きなのかを自己分析、日本人の多くが京都に憧れにも似た感情を抱く理由を考察した一冊。「イケズ」に思えるのは、京都人が旅人や客人、移住者との間に取る「少し遠めの距離感」に戸惑っているから。京都生まれ、宇治育ち、就職後は東京に暮らすの私から見ると、離れてみる京都の良さを再確認できる本、と考え手に取った。他府県民から見た京都と言えば「はんなり」で「みやび」な印象を持ちがちだが、そればかりではないのが京都、本書では京番茶を例に挙げる。京都人が毎日飲んでるお茶は、夏なら麦茶、その他の季節は番茶、ちょっとお客が来れば上等の「御煎茶」、めったに飲まないのが玉露。その番茶は筆者によれば煙草の...京都・イケズの正体石川拓治***
本書でいう戦国大名の「経済」とは土地所有のあり方を指している。奈良時代の律令制度で全国の土地所有は国有が建前となるが、奈良時代に荘園化して、地方豪族と中央の寺社や摂関家、そしてその後は将軍家が実質的な経済利益者となる。戦国時代には、その土地所有を巡り武力を背景とした武士による土地所有が進み、戦国とは土地所有を巡る争いとなる。そしてその流れには限界があった。本書ではそれを「覇者のジレンマ」と呼ぶ。戦国時代の覇者は、家臣たちへの戦い勝利への褒美として土地を領有する権利を与えることで戦いを進めていったが、土地は有限であり、覇者は土地の不足に悩む、というジレンマに陥るというモノ。信長はそのジレンマを国替え、転封、という形で変えようとしていた。信長は家臣の柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、佐々成政などほとんどの家臣に何...経済で謎を解く関ヶ原の戦い武田知弘****
10-20歳代と50-60歳代では、意見や考え方が大きく違うことはよくあること。同世代であっても、会社組織で働く人と個人経営者とでは意見表明の方法が違うだろうことも想像できる。会社や職場の組織では、そうしたことがある前提で、面と向かって複数の人とどのように過ごせるのか、が問われてきた。会社でも小さな組織でも同じ目的を共有していれば、異なる意見を集約、ある人は我慢、ある人の意見を尊重して、しぶしぶでも合意して前に進むことは可能である。戦後の経済成長時代には、今は貧しくても、今はできなくても将来はもっとましな社会になる可能性が感じられたので我慢できたことが、国としての経済的な成長が大きくは見込めない現在では、先の希望を持ちにくい若者が増えたように感じる。低成長ではあっても、みんなで共同生活しなくても、個人が自...「人それぞれ」がさみしい石田光規***
京都の景観を描いた絵画の中で、特に戦国時代に出現した屏風絵は京都の内外の様子を描き生活する貴賤の人々の姿を描き出し、当時の様子が伺える貴重な歴史史料である。現存する洛中洛外図は70点を超える。中でも戦国から安土桃山時代に描かれた価値が高いとされる、初期洛中洛外図の佐倉の国立歴史民俗博物館保管の町田本、東京国立博物館の狩野永徳による東博本、上杉家に伝わる狩野永徳作とされる米沢市立上杉博物館に保管される上杉本、国立歴史民俗博物館所有の高橋本の4点が名高い。本書では上杉本に関し、その作者、来歴などについて、定説と反論、筆者としての結論を記し、作品の位置づけを確定しようとしている。戦国時代からの大名家である上杉家に伝わる作品で、天正2年に信長が上杉謙信に贈ったとする近世の史料があり、1995年に国宝に指定されてい...謎解き洛中洛外図黒田日出男***
日本書紀が編纂されたのは1300年前のはるか昔だが、日本史は今でもその呪縛のもとにある、というのが本書。養老年間に編纂されたという日本書紀は、古代天皇制が開始された時期に、天皇家とそれを支える中臣氏(藤原氏)により過去、現在、未来を規定する歴史書として作成された。その内容は、その当時の政権担当者と天皇家が中心となり、政権担当者の氏素性が神話の時代から続く正当性を歴史書という形で国内外に宣言し証拠として残すことが目的だった。実際、日本書紀はそれに続く奈良時代、武家政権が始まる鎌倉時代以降においても一定の影響力を維持し、近代になると明治新政府は武家に代わり政治の頂点として規定した天皇を、ナショナリズム発揚のシンボルとして位置付ける原点として日本書紀を位置付けた。学校教育では国の始まりの歴史としてその内容を教育...シリーズ《本と日本史》①『日本書紀』の呪縛吉田一彦***
日本の文学には平安時代に大きな「山脈」とも思える大きな作品群がある。もちろんそれらは、源氏物語や枕草子、伊勢物語や蜻蛉日記などだが、その作品を書いた人物たちはなにを学ぶことでそのような物語や日記を紡げたのであろうか、またそのあとに続いた人たちに何を残したのだろうか、という問いにこたえようとした一冊。筆者は跡見女子大学の教授で王朝文学の専門家。概要をサラッと説明するのではなく、各エピソードごとに、選んだ一つの題材を深く分析し考察してみることで、読み手に王朝文学の奥深さを実感させてくれる、大変読み応えのある一冊、良書だと思う。大河ドラマ「光る君へ」で描かれる姫様たちを取り巻く勉強会、それは帝や上流公卿のプリンスたちの目に留まるためのサロン。サロンのトップは皇后・中宮、そして都にあったとされる斎宮のサロンであり...知られざる王朝物語の発見物語山脈を眺望する神野藤昭夫****
江戸時代末、幕末の歴史にはドラマチックな展開が多くて、小説や映画化も多くされているため、そちらのお話の方が記憶に残っていて、その内容が実際の歴史的史実とは若干離れてしまっている場合も多い。明治維新の逸話などは子母澤寛や司馬遼太郎の作品内容の方が人口に膾炙していることが多いと警鐘を鳴らすのが本書。薩長が多くを占めた明治の政治家や官僚より、小栗忠順や榎本武揚など、旧幕臣には優れた人が多かったと記している。本書は、実際はこうだった、という40のエピソードを記した一冊。脱藩して官軍と戦った大名がいたという、その名は林忠崇、古くから徳川家を支える譜代の上総請西藩主で、1867年に20歳で家督を継いだ青年大名だった。幕府陸軍の一隊に撒兵隊という組織があり、江戸開城に対して徹底抗戦したいと、主犯の大鳥圭介に率いられて上...幕末の大誤解熊谷充晃***
1941年6月ナチスドイツとその同盟国の軍隊は、独ソ不可侵条約を破りソビエト連邦に侵攻した。1945年まで続いたこの戦争を独ソ戦と呼ぶ。その戦線はフィンランドからコーカサスまで数千キロに広がり数百万人の大軍が衝突した。歩兵による対陣、装甲部隊による突破進撃、空挺作戦、要塞攻撃など現代陸戦のあらゆるパターンが展開されたという。この戦いの中で、ジェノサイド、捕虜虐殺など、軍事的には無意味である蛮行が繰り返され、絶滅戦争と称される。日本における太平洋戦争の死傷者数と比較すると、独ソ戦の規模が想像できる。1939年時点の日本の総人口は7138万人、動員された戦闘員のうち210-230万人が死亡、非戦闘員は55-80万人が死亡したとされる。一方、ソ連の1939年人口は1億8879万、戦闘員の死者数は866万ー114...独ソ戦絶滅戦争の惨禍大木毅***
NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「琉球の風」「篤姫」の時代考証を担当したことで知られる筆者は、南九州や琉球の近世、近代史の専門家。明治維新が成る直前に殺害された坂本龍馬は、海外との交易に関心が強かったことが知られるが、海外との窓口として開港された箱館、そして開拓の可能性にビジネスチャンスを見出されていた北海道に行くことを計画していたという。2009年には函館十字街に「北海道坂本龍馬記念館」が開設された。お菓子で有名な六花亭の包装紙は、坂本龍馬の姉の千鶴の子孫である画家の坂本直行が描いたことでも有名。記念館には坂本家ゆかりの品々が100点以上展示されており、姉の乙女宛の龍馬自筆の手紙には北辰一刀流千葉定吉の娘、佐那との相思相愛関係を示す文面がある。薩長同盟成立の期待の中で、姪に宛てた手紙もある。その中には命を...坂本龍馬と北海道原口泉***
ガザを巡るイスラエルとハマスの戦闘報道を見て、今までの経緯を知りたくて、家にある本を再読してみた。本書は1993年のイスラエルとPLOとの和平合意の1年後に書かれた一冊で、合意は同年9月13日、アメリカのクリントン大統領が立ち会い、ワシントンでイスラエルのラビン首相、パレスチナのアラファトPLO議長が握手し、パレスチナ暫定自治に関する原則宣言に調印、オスロ合意として確定した。合意内容は、今後相手、特にPLOをイスラエル政府が交渉当事者であると認め交渉開始に合意したということ。しかしその2年後、イスラエルの強硬派、和平反対派による和平合意のイスラエル側の当事者ラビン首相暗殺があり、オスロ合意は暗礁に乗り上げた。オスロ合意は相手の存在を認めたことに意義があった。イスラエルの合意以前の立場は、パレスチナ人という...中東共存への道パレスチナとイスラエル広河隆一****
筆者は、従来からの日本史は固有名詞の連続で、記憶を強いられることが理解への困難さを増長すると主張。本書では可能な限り固有名詞を使わずに通史として概説した。本書によれば、日本史を古代、中世、近代と3区分。約4万年前に日本列島に訪れた人類は、長い間おおむね平和な生活を送っていた。しかし約3000年前ころからコミュニティが発達し、戦争も増えていった。3世紀ころには列島を穏やかに支配する王権が生まれ、7世紀には最高権力者を「天皇」と称し、国号を「日本」と呼ぶことを定めた。こうした列島を一つにまとめようとする時代区分を古代と呼ぶ。12世紀になると天皇、上皇、貴族、武士、寺社など複数の権力が併存する中世へと移行していった。朝廷の権威と中央政権の勢力が弱まり地方勢力の力が増す時代だった。16世紀の戦国時代を経て、17世...絶対に挫折しない日本史古市憲寿***
第一次世界大戦は欧州中心に戦いが展開されたため、日本からは遠い戦争であるかのように思われているかもしれないが、戦死者は軍関係で850万人、民間人も含めると1600万人が亡くなった大変な戦争であった。原因としては、イギリスの3C政策とドイツの3B政策の対立だとか、三国同盟と三国協商との対立があったともいわれるが、いずれも戦争の直接の原因とはできない。1917年に発刊されたレーニンの「帝国主義論」では、帝国主国家同士が海外市場や植民地を求めて外側に進出すると、帝国同士が衝突して戦争になるという説が唱えられた。これは第二次世界大戦の原因をよく説明できるため、1940年代以降、その説が遡って第一次世界大戦にも適用されたという。確かに第一次大戦以前にも列強の間での対立はあったが、いずれも外交的な解決が行われ成功して...世界史としての第一次世界大戦飯倉章****
天慶の乱が起きたのは939年、平安時代のこと。将門の生年は不明、若い頃の史料は見当たらないが、参照できるものは軍記「将門記」で、将門の動向を克明に伝えるのはこの一冊と言って良い。原本は失われ、作者は不明、制作年は天慶三年6月と本文最後に記されているが、タイトルは徳川時代になって仮につけられたもの。また、残された写本の冒頭は欠けているという。この時代にはまだ正史としての歴史書が編纂されなくなった時代であり、公家が日記を書く習慣もなかった。その他の手がかりとしては、将門記の原本全部を読んで亡失部分を抄出した文献があり、「将門略記」「歴代皇紀」「今昔物語」そして後世にまとめられた系図類も参照できる。「将門記」は将門の言動も詳細に記されており、将門の陣営に属していた人物が作者と思われ、法話の色彩も強く、坂東の僧侶...平将門と天慶の乱乃至政彦***
「わかる」の第一歩は知覚することであり、知覚するためには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚により認識する必要がある。「第六感」とはこれ以外のひらめきのことだが科学的には証明されていない。知覚には鈍感な人と敏感な人がいるのは確かで、ソムリエは他人よりも味覚や嗅覚が敏感であり、その結果分析が細かく分類されているため、ワインの銘柄やブランド、産地などを言い当てることができる。このように、知覚を研ぎ澄ますことが「わかる」ことの第一歩。知覚をより研ぎ澄ますために、記号、言語が有用であり、記憶のちから、分類力、関係性の分析、論理性の理解などがその力をより一層研ぎ澄ませてくれる。記憶や分類力、比較分析、論理性分析がなければ「わかる」ことは難しい。逆に「わかる」ということは行為に置き換えられ、応用も可能となる。「わかる」と...「わかる」とはどういうことか認識の脳科学山鳥重***
埼玉県は、江戸時代までは現在の東京都、神奈川県北部とともに武蔵の国を構成。古い遺跡が多いことで有名で、稲荷山古墳から出土した鉄剣は「ワカタケル大王」の銘があるもので、五世紀後半の雄略大王との関係がこの東国でもあったことを示す貴重な歴史史料。吉見百穴も古墳跡で、古代史ファンには見どころが多い。中世には鎌倉を支える武士団が出現、室町時代には関東管領の扇谷上杉氏が河越城を根拠とするが、戦国時代には北条氏に押されて滅亡し、北条氏の支城が武蔵各地に作られ支配地となる。徳川の江戸入府以降は川越、忍、岩槻には城が置かれ老中居城となる。中山道、日光街道の宿場も設置され、埼玉エリアは大いに繁栄。明治維新以降は大宮県、川越県、忍県、岩槻県が成立、明治9年に現在の埼玉県となる。ただし、さいたま市誕生までは中心都市がなく、目立た...あなたの知らない埼玉県の歴史山本博文***
本書は再読、2015年に読了したので、内容はそちらをご参照いただきたい。本書主張のポイントは、政府による市場至上主義を前提とした効率化の名のもとによる行政民営化の弊害を示すこと。そして神谷秀樹による「強欲資本主義」や原ジョージさんによる「アメリカ式資本主義」に紹介される勢力が政府や議会に入り込んでいる実例紹介、マスコミの株主になり、本来は多様な主張を持つマスコミ経営者を統合することで、政府に批判的なマスコミも含めて、大企業に不都合になる報道の方向性にまで影響を与えている実態を示した。全米所得トップ1%の層が資本と政治に対する力で農業、教育、軍事、食品、公共サービス、そしてマスコミさえ牛耳る実態に戦慄する。市場原理こそが経済発展のカギであるというフリードマン理論では、政府機能は小さいほうが良くて規制緩和を進...(株)貧困大国アメリカ堤未果****
「エビデンスを示す」、これは古くからある課題認識で、主張をするためには事実を押さえてから、述べたい主張を支える定理や実証済みの論理も示せると説得力がある、というもの。本書では、個別の事情を拡大解釈して主張することには、世の中の平均化された状況や統計情報をベースに述べるよりも、説得力を持つ場合があるという解説。ドキュメンタリーでも、聞き手が特記すべきと感じるような特異な経験や特徴ある固有の事情を詳述することで、説得力ある主張や受け入れやすい説明が可能である事例を解説する。新書大賞2024で第3位を獲得した一冊。主観的な主張も、客観的測定結果や実証済みの定理や理論で裏付けることにより説得力を増すことはよくあること。しかし世の中には数値化できないことや個人の心の中の数値化には無意味なことも多いはず。統計学は世の...客観性の落とし穴村上靖彦***
「動物化するポストモダン」の続編だという本書。一読して実践編という位置づけであり、「東浩紀はなぜそう思ったのか」という本編の謎解き的位置づけだと分かった。ライトノベルの台頭は、従来の明治以来の自然主義的リアリズムに対して、近代的な現実から決別したマンガやアニメ的リアリズムのバリエーションとして世に出てきたとする。そこでは物語そのものよりもキャラクターが紡ぎだす一連の「データベース」を積み重ねて、そのデータベースを参照して更なるキャラクター小説が作り出される、という循環的な物語生成があるという。物語は衰退するが人工的環境の文学として生き残る、これはもはやオタクの世界というよりも、大きな社会的、文化的視野の中で捉える必要があるという。日本文学は100年ほども前に自然主義的文学を誕生させ、60年前にマンガが、そ...ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2東浩紀***
ヤマト王権は4世紀前半に成立したと想定され、律令制国家が形成される7世紀後半まで存続した王制の政治的権力機構である。この時代の文字資料は極めて少ないため、本書では中国の歴史史料、後代の史料、考古学資料を手掛かりに実像に迫る。邪馬台国と書かれた魏志倭人伝の時代の「台」の読み方について、現代の母音とは異なる5音甲類とは別に3音乙類があり、台の読み方は当時としては乙類、今の「づ」と「と」の中間音であり、現代音で書くとしたら「やまどぅ」国となる。当時の地名で奈良地方の大和は乙類、九州筑後や肥後の山門は甲類であり、音節でいえば近畿説が有利。また魏志倭人伝の使者は女王に会見したと書かれているが、実際に女王国に赴いたのかどうかは道程記述の伝聞調からは疑問がある。記述を信じるとしても様々な解釈が可能。しかし当時の魏呉蜀の...ヤマト王権シリーズ日本古代史②吉村武彦***
2010年に本書を読んだ。実録インタビューを中心に、教育ローン問題、社会保障の崩壊、医療保険問題、刑務所問題を取り上げた一冊。内容はそちらを参照してほしい。2009年からのオバマ政権発足で国民健康保険の導入、皆保険制度を謳った「オバマケア」に期待したリベラル派、民主党支持者だったが、保険業界のロビー活動で骨抜きにされ実現しなかった。私自身も1998-2000年に家族4人でカリフォルニアに暮らしたが、医療保険と医療費の高さに驚いた。個人で加入する医療保険は歯科医を除く健康保険掛け金が月額家族4人で900ドルだった。当時の為替レートは135円程度なので、月121500円となり、年額145万8千円。これ以外に歯科医療保険があり、アメリカでは、会社が負担する場合もあるが、年金も健康保険も個人で民間の保険会社と契約...ルポ貧困大国アメリカII堤未果****