三陸は繰り返し津波の被害を受けています。自然災害伝承碑がありました。JR陸中八木駅。二日目はここからトレイルを開始しました。線路に沿って歩きます。東日本大震災で被害を受けた倉庫がそのままになっていました。踏切の先には津波防潮扉が。大浜通踏切。踏切の先は直ぐに砂浜。海に一番近い踏切として知られています。自然災害伝承碑。「地震に気を緊め津波に避難」昭和8年3月3日、昭和三陸地震津波で大きな被害を受けました。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(7)
JR中野駅に戻ってきました。人だかりは空手グループが発表をやっていました。中野駅の南口に回って見ます。南口も建築工事が行われており、大きく変わる気配です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ中野巡り(7)
次に中野ブロードウエイに入りました。2階・3階は異次元の世界です。SONYα7Ⅱ中野巡り(6)
中野の裏通りをさらに歩きます。この日はものすごく暑く、ミストは大助かりでした。SONYα7Ⅱ中野巡り(5)
中野の路地や裏通りに入ります。SONYα7Ⅱ中野巡り(4)
長く親しまれた中野サンプラザはこの7月3日に閉館しました。周辺ビルとともに再開発され2028年オープン予定。SONYα7Ⅱ中野巡り(3)
レンガ坂の後は、JRのガードを潜り中野駅の北側に出ます。JR中野駅の北側の歩道橋に上がりました。SONYα7Ⅱ中野巡り(2)
JR中野駅下車。今回は中野周辺を歩きます。先ずはレンガ坂。中野駅南口に出ました。レンガ坂入口のワンちゃん。SONYα7Ⅱ中野巡り(1)
ペリー公園のペリー提督像に挨拶して、そろそろ函館にお別れです。ペリー提督来航記念碑。浦賀来航の翌年の安政元年(1854年)ペリー艦隊は函館に来航しました。このことが函館開港のきっかけになったと言われています。基坂を下ります。相馬株式会社。日本最古のコンクリート電柱。大正12年(1923年)設置、現在も現役。函館駅から新函館北斗駅に向かいます。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ函館旅行(16)
旧相馬邸を見学しました。明治41年(1908年)建設の北海道屈指の豪商相馬哲平氏の旧私邸。引き分けの板扉。引き手は透明緑色のウランガラスを使用。SONYα7Ⅱ函館旅行(15)
三日目。函館市地域交流まちづくりセンターの建物は大正12年(1923年)丸井今井呉服店函館支店として完成。館内には昭和9年(1934年)設置の手動式エレベーターがあるというので見学に行った。正面のドームのある建物がまちづくりセンター。エレベーターを見たいと言ったら、女性従業員が出てきてくれた。現在稼働している手動式エレベーターは日本で3台しかないそうだ。網状の扉が内扉。操作盤。ゴンドラをちょうど良い位置に止めるのは至難の業だそうだ。SONYα7Ⅱ函館旅行(14)
函館二日目はずいぶん歩き回りました。元町からホテルに戻ります。元町から大三坂を降ります。SONYα7Ⅱ函館旅行(13)
元町にはいくつかの美しい教会がある。一部を見てみよう。函館ハリストス正教会。函館聖ヨハネ教会。カトリック元町教会。SONYα7Ⅱ函館旅行(12)
旧函館区公会堂を見学しました。元町公園旧函館区公会堂130坪の大広間衣装体験の子供達。SONYα7Ⅱ函館旅行(11)
八幡坂を登り元町を歩きます。洋風・和風の建物が混在しています。SONYα7Ⅱ函館旅行(10)
金森赤レンガ倉庫の後は、八幡坂を登り元町方面に進みました。旧ホテルニューハコダテ(旧安田銀行函館支店)。八幡坂は結構な登りです。SONYα7Ⅱ函館旅行(9)
金森赤レンガ倉庫へ。倉庫はリノベされてショッピングモールやレストランなどになっていた。金森赤レンガ倉庫。急に雨が降り出した。SONYα7Ⅱ函館旅行(8)
記念船摩周丸の後は函館朝市を通り、赤レンガ倉庫方面に向かいます。函館朝市の前を通ります。SONYα7Ⅱ函館旅行(7)
青函連絡船記念船摩周丸を見学しました。青函連絡船は明治41年(1908年)から昭和63年(1988年)まで函館駅と青森駅を海上交通で結んでいました。摩周丸は昭和40年(1965年)から連絡船が終了するまで就航を続け、現在は博物館船として余生を送っている。当時のままの操舵室などを見学できる。青函連絡船は貨物を貨車ごと運ぶ車両航送を行った。車両甲板には15トン積み有蓋車を48両積むことが出来た。SONYα7Ⅱ函館旅行(6)
函館旅行二日目は先ずトラピスチヌ修道院に向かいました。修道院入り口。大天使ミカエル。悲しみの聖母マリア像庭園は美しく整備されていた。高台にたたずむ修道女の祈りの場。明治31年(1898年)フランスから派遣された8名の修道女により設立された。SONYα7Ⅱ函館旅行(5)
日が暮れるのを待って函館山に登りました。五稜郭の往復は市電を利用。市電はパスモも使えて便利。割安な一日乗車券もあります。ホテルで休憩し、暗くなるのを待って駅前から函館山登山バスに乗車。展望台からの夜景に大感激。さて、見学を終えてバス停に行ってみると長蛇の列。こんなに沢山の人では乗り切れないと思ったが、バスはどんどん詰め込む。後から来た人もすべて乗せ、予定時刻を大幅に遅れて発車。バス内は超満員。バスから降りたときには疲れ果てていました。SONYα7Ⅱ函館旅行(4)
五稜郭に入ります。五稜郭は日本で初めて築かれた西洋式の城郭。五稜郭入り口。五稜郭の石垣。上部に武者返しをもうけ、敵の侵入を防いだ。復元された箱館奉行所。2010年、昔の資料を基に建築様式や木材の種類まで、当時にならって再現された。SONYα7Ⅱ函館旅行(3)
市電に乗って向かったのは五稜郭。先ず手前にある五稜郭タワーに上がりました。五稜郭タワーに上がります。展望台。高さ地上から90メートル。素晴らしい眺望です。五稜郭全体が見渡せます。函館の市街地や函館山。五稜郭の歴史が学べる展示もありました。SONYα7Ⅱ函館旅行(2)
函館に2泊3日で旅行しました。東京駅を「はやぶさ」で出発。「はやぶさ」。東京、函館北斗間を約4時間で結びます。函館北斗駅到着。続いて「快速はこだてライナー」で函館に向かいます。豪華寝台列車「四季島」に出会いました。函館到着。先ずは市電に乗ります。行き先は……。SONYα7Ⅱ函館旅行(1)
古墳群に隣接する「かみつけの里博物館」を見学します。保渡田古墳群をはじめ、様々な古墳や埴輪、古墳時代の人々の生活などが解説されていました。王の館。幅広い壕に囲まれており、防御施設の機能もある。刀に手をつがえる武人。古墳は基本の設計図があり、古墳の縦・横などの比率は決まっていたという。さて、帰るとしましょう。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(4)
次ぎに八幡塚古墳を見学しました。発掘調査成果をもとに整備され1500年前の築造当時の姿に復元されました。古墳は葺石で覆われていました。古墳の上部には円筒埴輪が並んでいました。頂上から内部に降り、石をくりぬいた巨大な舟形石棺を見ることが出来ます。全国的にも珍しい、内堤の区画に並べられた人物埴輪や動物埴輪。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(3)
保渡田古墳群は3基の古墳からなります。最初に二子山古墳に登ります。二子山古墳。保渡田古墳群で最初に築造された墳丘108メートルの前方後円墳五世紀第3四半期の築造。二重の堀と4つの中島を備える。前方部から後円部を見た。後円部の竪穴式石室には舟形石棺が納められていた。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(2)
先日、群馬県高崎市にある保渡田古墳群を見学に行きました。(6月18日実施)高崎駅前。古墳群には市内循環バスに乗車します。バスを下車して歩きます。ものすごく暑い。群馬県は昔は養蚕が盛んだった。この家は養蚕農家ではないかな。収穫前の麦畑が広がる。味噌作りのための契約栽培。無農薬・有機肥料で栽培しているとのこと。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(1)
次のバス停まで歩きます。和菓子屋さんがありました。両側の太い樹木はお寺の山門のようです。八百屋さん。道路には高い崖が迫っていました。次のバス停にやって来ました。バスに乗って帰ります。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱペリー来航(7)
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三陸は繰り返し津波の被害を受けています。自然災害伝承碑がありました。JR陸中八木駅。二日目はここからトレイルを開始しました。線路に沿って歩きます。東日本大震災で被害を受けた倉庫がそのままになっていました。踏切の先には津波防潮扉が。大浜通踏切。踏切の先は直ぐに砂浜。海に一番近い踏切として知られています。自然災害伝承碑。「地震に気を緊め津波に避難」昭和8年3月3日、昭和三陸地震津波で大きな被害を受けました。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(7)
二日目は先ず「もぐらんぴあ水族館」を見学しました。ここでは「南部もぐり」の様子も見ることが出来ます。朝の久慈駅。三陸鉄道リアス線が発車したところです。もぐらんぴあ水族館。水族館は地下深くにあります。魚にさわれる水槽。「南部もぐり」の実演。20キロのヘルメットをかぶり、更に胸や靴にも重りが付いています。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(6)
ツアーⅠ日目も夕方になりました。久慈市内を歩いて夕食会場に向かいました。JR久慈駅。三陸鉄道の起点にもなっています。久慈駅はNHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年度上半期放送)ロケ地で北三陸駅として登場しています。市内は静かでした。こんな店もありました。寒いのでストーブは必須です。夕食会場。地元料理がたくさん出ました。「まめぶ汁」は絶品。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(5)
ひろの水産会館(ウニーク)にやって来ました。水産会館は東日本大震災の津波で全壊した種市ふるさと物産館の跡地に建てられた建物で復興のシンボルとなっています。イカ釣り漁船が係留されていました。ひろの水産会館(ウニーク)。地元で水揚げされた水産物を直売したり、物産の展示などをします。隣接する、種市うに栽培漁業センター。ウニを卵からある程度の大きさになるまで育てます。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(4)
小さな漁港や巨大な津波防潮扉が現れました。小さな漁港先に見えるのは密漁監視小屋。サーチライトも備わっています。津波防潮扉。電動で閉じます。厚い扉です。津波避難ビル。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(3)
浜の鳥居の後は防潮堤に沿って歩きます。防潮堤の上をしばらく歩きます。オダマキ。岩手県立種市高等学校。海洋開発科では「南部もぐり」で知られる潜水士を育成する全国唯一の学校です。この辺りの浅い海ではウニやホヤを養殖しています。サーチライト。密漁を監視しています。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(2)
みちのく潮風トレイルのツアーに参加しました。みちのく潮風トレイルとは青森県八戸市から福島県相馬市までの雄大な太平洋に沿って歩く旅を楽しむ道です。八戸線角の浜駅が今回のトレイルのスタートで、洋野町・種差海岸等を歩きます。浜の鳥居。鳥居は海に向かって立っているようです。雑木林の中を歩いて。防潮堤の上を歩きます。SONYα7Ⅱみちのく潮風トレイル(1)
特攻平和会館から指宿(いぶすき)駅に行きました。そこから絶景列車特急「指宿のたまて箱」に乗車しました。指宿駅。郵便ポストがなぜか黒白に塗り分けられていました。指宿駅ホームに特急「指宿のたまて箱」が入ってきました。列車内は超豪華。龍宮伝説をテーマにした観光列車です。観光列車は鹿児島を縦断しています。桜島が見えてきました。鹿児島中央駅で下車。降りようとしたら白い煙が・・・・・・。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(11)
西大山駅の次は知覧特攻平和会館に行きました。知覧は第二次世界大戦の末期、陸軍特攻基地が置かれた町です。平和会館には特攻隊員として戦死した1036名の遺品や遺書が展示されています。松林の中に三角兵舎がありました.三角兵舎は特攻隊員たちが沖縄に出撃する前夜過ごした建物です。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(10)
三日目は最初に西大山駅を訪れました。JR日本の最南端にある小さな無人駅です。西大山駅にやって来ました。開聞岳がよく見えます。列車がやって来ました。乗降客はいませんでした。一日7本、1時間から4時間おきです。続いて釜蓋神社を参拝しました。開運と勝負に御利益があると言われています。釜の蓋を頭に乗せて参拝します。落とさずに参拝できれば御利益があるそうです。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(9)
池田湖の次は薩摩半島最南端に突き出た岬の長崎鼻にやって来ました。長崎鼻です。ここからは開聞岳が美しく見えます。薩摩長崎鼻灯台。長崎鼻は浦島太郎が龍宮へ旅立った岬と伝えられています。乙姫様を祀った龍宮神社があります。乙姫様は縁結びの神様と信じられています。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(8)
鹿児島港から南に下り開聞岳麓の池田湖を目指します。池田湖。九州最大のカルデラ湖。池田湖には幻の怪獣「イッシー」が棲んでいると言われています。体長2メートルにもなる大ウナギが実際に棲んでいます。数匹が水槽に展示されていました。海からの開聞岳の眺め。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(7)
黒酢見学の後は、桜島港からカーフェリーで鹿児島港に向かいました。桜島の麓を回り桜島港に向かいます。バスごとカーフェリーに乗り込みました。カーフェリーの甲板。鹿児島港に入っていきます。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(6)
曽木の滝の次は黒酢作りを見学しました。壺畑。黒酢を作る壺が野外に約2万本並べてある。壺の蓋を開け、一つ一つチェックし攪拌する作業が続く。黒酢がこのように作られることを初めて知りました。黒酢作りの説明。壺を使った美術品。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(5)
二日目は最初に曽木の滝を見物しました。東洋のナイアガラとも称される壮大な瀑布だそうです。水量の多さに驚いた。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(4)
仙巌園の次は霧島神宮に参拝しました。大きな手水舎です。三の鳥居。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(3)
仙巌園の庭園の後は反射炉跡や旧集成館に回りました。反射炉の石垣。強固に造られている。石垣の上面には反射炉の基礎部分が残されています。反射炉の鉄で鉄製砲が造られました。旧集成館旧集成館機械工場。1865年竣工の現存する日本最古の西洋式機械工場。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(2)
2泊3日で鹿児島を巡るツアーに参加しました。最初に訪れたのは仙巌園でした。先ず庭園や御殿を見学します。庭園入口の錫門庭園御殿御殿に上がって見学しました。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(1)
浅草からJR両国駅に移動しました。国技館周辺を歩きます。両国駅下車。構内には歴代の横綱の写真が並びます。国技館このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ浅草から(6)
東武浅草駅の前の通りは、とても賑やかでした。こんな車が通りました。SONYα7Ⅱ浅草から(5)
三ノ輪橋周辺をさらに歩きます。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(3)
路地裏を歩くうちに、都電荒川線三ノ輪橋駅に着きました。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(2)
今回は三ノ輪・町屋周辺を歩きます。先ずは東京メトロ日比谷線三ノ輪駅下車。東京メトロ日比谷線三ノ輪駅周辺。常磐線のガードをくぐります。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(1)
しょうぶ園では花がら摘みをする早乙女姿の女性が沢山見られました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(3)
ショウブの花々を鑑賞します。赤い紫陽花も見頃でした。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(2)
横須賀しょうぶ園ではショウブが見頃とのことで行ってきました。(6月4日取材)バス停からしょうぶ園まで歩きます。途中の中学校グランド。しょうぶ園到着。期待が高まります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(1)
大阪巡りの最後は大阪駅です。この後新幹線で帰宅の途につきました。ところで、たまたまNHK「ブラタモリ」で大阪駅や周辺を扱い。タモリは「ここはカオスだ。」と表現しましたが私は三日間歩き回り、そのことを充分に体験しました。大阪駅中央北口から入ります。中央北口。3階通路このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大阪巡り(13)
梅田スカイビル空中庭園に入ってみます。二つのビルの間に空中庭園があります。チューブで空中庭園展望台に登り降りします。展望台SONYα7Ⅱ大阪巡り(12)
大阪城の後は、いったん大阪駅に戻り梅田スカイビル空中庭園展望台に向かいます。大阪駅桜橋口から歩き始めます。ガードをくぐります。梅田地区はビルの建設ラッシュです。梅田スカイビル空中庭園展望台が見えてきました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(11)
大阪三日目は先ず大阪城を見学しました。内部は「大坂夏の陣」、大阪城の歴史など博物館になっています。SONYα7Ⅱ大阪巡り(10)
通天閣内部をもう少し見て、次に新世界を歩きます。通天閣。「新世界」を歩きます。SONYα7Ⅱ大阪巡り(9)
通天閣にやって来ました。通天閣に入ってみます。道路の先に通天閣が。通天閣展望台。何やら人だかりが。地上で火事が発生。消防活動が始まりました。火事は間もなく消火されました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(8)
四天王寺の参道から一心寺の裏を通って通天閣に向かいます。四天王寺の参道を歩きます。一心寺裏の細い道を進みます。通天閣が見えてきました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(7)
あべのハルカスの次ぎに四天王寺を参拝しました。四天王寺にやって来ました。度々の天災・火災に遇いましたが、ほぼ創建当時の姿で再建されたそうです。回廊の中に金堂や五重塔があります。金堂五重塔SONYα7Ⅱ大阪巡り(6)
仁徳天皇陵古墳の次は天王寺駅まで乗車し、あべのハルカスに行きました。あべのハルカスに向かいます。さらにハルカス300へ。吹き抜け空間の周りはガラス張りの天上回廊。高さ300メートルからの眺望。SONYα7Ⅱ大阪巡り(5)
二日目は先ず仁徳天皇陵古墳へ。三重の壕が巡らされている。墳丘長約486メートル。日本で最大の前方後円墳。「前方部」正面の拝所から参拝。堺市博物館では仁徳天皇陵古墳や周辺の古墳を詳細に解説している。堺市の祭りや歴史なども紹介・展示されていた。SONYα7Ⅱ大阪巡り(4)
中之島を出て堺筋を歩くと、レトロなビルがありました。大阪証券取引所ビル新井ビル生駒ビルヂング生駒ビルヂングの装飾SONYα7Ⅱ大阪巡り(3)
中之島のレトロなビルを見てみます。日本銀行大阪支店。大阪府立中之島図書館。コリント式円柱が並ぶギリシャ神殿風建築。図書館中央ホールのドーム天井。大阪市中央公会堂。東京駅にも携わった辰野金吾氏の設計。中央公会堂の正面。内部は会議室などがあり、現在も市民に愛用されている。SONYα7Ⅱ大阪巡り(2)
新幹線で大阪へ。大阪は八百八橋と言われていますが、先ずは中之島で橋を見てみます。淀屋橋。1935年(昭和10年)に完成した重厚な作りです。水晶橋。難波橋。SONYα7Ⅱ大阪巡り(1)
鬼子母神横の小道を歩き、池袋に入ってきました。今回は17000歩。結構歩きました。いきなりこんなバスに遭遇しました。いろいろな車が走っています。歩道にはこんな休憩所もありました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ江戸川橋から池袋(8)