再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
成相寺の後に伊根の舟屋を見学しました。舟屋は一階部分は船置き場、2階部分が住居になっている独特な建物。最近は民宿を経営する家が多くなっている。舟屋の一階部分。舟屋の奥は道具置き場になっている。道路に沿って作られた土蔵。伊根に一軒だけある酒蔵。SONYα7Ⅱ丹後半島の旅(4)
二日目は天橋立近くの成相寺(なりあいじ)を参拝しました。成相寺の開祖は聖徳太子とも言われており、昔から願いが叶う寺として知られていました。現本堂は安永3年(1774年)の建築。本尊は美人観音として名高い、聖観世音菩薩。SONYα7Ⅱ丹後半島の旅(3)
次ぎに京都丹後鉄道に乗りました。鉄道には四所駅から乗車。停車しているのは丹後鉄道の観光列車。こちらの列車に乗車します。由良川橋梁。若狭湾が見えます。栗田駅(くんだえき)で下車しました。SONYα7Ⅱ丹後半島の旅(2)
2泊3日で丹後半島を回るツアーに参加しました。新幹線で米原下車。そこから観光バスに乗り換えて、先ずは三方五湖を見物しました。駐車場。シンボルのタヌキが。ケーブルかリフトで展望台まで上がります。展望台。SONYα7Ⅱ丹後半島の旅(1)
トンネルを抜けると間もなく横須賀中央駅になります。トンネルを抜けると大型ショッピングセンターの駐車場が見えます。京急線の後ろはホテル。京急線ガードをくぐると急に賑やかになります。横須賀中央駅前にやって来ました。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(6)
急階段を降りて少し広い道を歩きます。一旦汐入駅の方に歩きます。石垣から花が咲いていました。この先のトンネルで横須賀中央に出られます。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(5)
ちこく坂の横の急階段を登り丘の尾根に出ました。尾根に向かって急階段を登ります。尾根に出ました。この部分はバイクで通行できる道が付いています。切通のような階段を降ると、広めの道路に出ます。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(4)
次ぎに「ちこく坂」を登ってみましょう。ちこく坂入口。ちこく坂の名前の由来は戦前坂の上に置かれた重砲兵連隊の兵士が汐入の歓楽街で遊んだ後、連隊の閉門時刻に間に合うように、走って坂を駆け上がったことによるそうだ。ちこく坂は以前は美しい石畳だったが、現在はアスファルトに変わっている。坂は谷底を走っており、坂の両側は崖で急階段が作られている。この階段を登ってみよう。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(3)
学校通りの近くに私立の女子高校があります。おしゃれな洋館がありました。崖の上にも家があります。学校通り。広い通りに出ました。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(2)
京急線汐入駅下車。横須賀中央駅まで遠回りをして歩きます。先ずは汐入駅周辺を見てみます。改札口前のコンビニ。小道に入ったところにあるパン屋さん。汐入駅の下にはガードが4つある。中央駅方面から2番目のガード。一番中央駅寄りのガード。FUJIFILMX100Vf=23mm汐入駅~横須賀中央駅(1)
コースカベイサイドストアーズに入ります。地上6フロアに100以上の店舗が集結した、グルメ、エンタメ、ショッピングが楽しめる複合施設です。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm横須賀中央駅から(4)
市役所前公園から京急線汐入駅方面に向かいます。さいか屋は横須賀発祥のデパートです。ビルの間の老舗旅館。この時計・雑貨店も歴史があります。汐入駅に近づきました。FUJIFILMX100Vf=23mm横須賀中央駅から(3)
国道16号を歩くと市役所前公園になります。塗装工事かな。ガス会社前のガス灯。市役所前公園喫煙コーナー。FUJIFILMX100Vf=23mm横須賀中央駅から(2)
京急線横須賀中央駅下車。バス通りを歩きます。FUJIFILMX100V横須賀中央駅から(1)
県道をさらに進み、今日の目的の一つである神奈川県立近代美術館葉山館を見学しました。県立近代美術館特別展は中平卓馬と森山大道の写真展です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ葉山一色から(4)
一色ひかげ通りをさらに進むと葉山御用邸前に出ます。右側の県道を歩きます。御用邸前のバス停。葉山一色から(3)
葉山一色小学校前で下車。海岸方面に歩きました。葉山一色小学校前下車。SONYα7Ⅱ葉山一色から(1)
次ぎに小林酒造を見学しました。かって炭鉱街の銘酒と呼ばれた北の錦を生産。赤レンガの建物の中で酒は造られています。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(9)
三日目は先ず地球岬に行きました。地球岬。地球が丸いと感じられるでしょうか。函館方面を見ています。北海道駒ヶ岳が見えるそうです。有珠山、昭和新山方面。紫陽花が元気でした。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(8)
夕食後は室蘭工場夜景クルーズを行いました。室蘭港の夕暮れ。乗船するクルーズ船。白鳥大橋室蘭工場夜景。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(7)
三笠市立博物館では現存する中では北海道最古の北炭幾春別炭鉱錦立坑櫓を見学。三笠市立博物館園庭。錦橋。錦立坑櫓まで歩きます。錦立坑櫓。左上の星印は北炭のマーク。大正9年(1920年)完成。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(6)
二日目は先ず、赤平市炭鉱遺産ガイダンス(旧住友赤平炭鉱立坑櫓等)を見学しました。立坑櫓。立坑櫓ヤード(操車場)内自走枠整備工場内(ドラムカッター)SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(5)
その日は夜の小樽運河などを歩きました。人通りのなくなった商店街でストリートピアノを弾く人。小樽運河。運河に沿って遊歩道が付いています。小樽駅のランプ装飾。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(4)
積丹半島の先端にある神威岬展望台に行きました。駐車場。ここから歩きます。昔は女人禁制の地でした。尾根に沿って、岬の先端まで歩けます。猛烈な風で危険なために途中で引き返しました。風の強い日は岬は立ち入り禁止になります。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(3)
小樽市総合博物館内の、旧手宮鉄道施設を見学しました。機関車庫一号機関車庫三号。明治18(1885)年竣工。現存するレンガ造り機関車庫としては最古の建築。手前の転車台は可動する。大勝号。明治28(1895)年日本製の蒸気機関車としては2番目に作られた。現在見ることの出来る国産最古の蒸気機関車。アイアンホース号。日本で最古の動態保存の蒸気機関車。アメリカのポーター社製。実際に人を乗せて動く。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(2)
北海道の厳しい自然環境の中で「石炭」「鉄鋼」「港湾」とそれを繋ぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた北の産業革命「炭鉄港」は北海道の発展に大きく貢献してきました。その一部を訪ねるツアーに参加しました。飛行機は新千歳空港に到着。バスは小樽市街地に入りました。最初に小樽市総合博物館を見学しました。旧手宮鉄道施設と港湾のジオラマ。「しづか号」は明治17年(1884年)アメリカのポーター社で製造され、翌年手宮に配置された機関車です。SONYα7Ⅱ北の産業革命「炭鉄港」を訪ねる(1)
「ブログリーダー」を活用して、ほしがきさんをフォローしませんか?
再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
もんじゃ焼きの通りを歩いた後は路地を歩きました。路地に入りました。花を飾り、生活感に溢れています。公園のツツジはほぼ満開でした。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(2)
写真のグループで月島・門前仲町の撮影に出掛けました。先ずは月島でもんじゃ焼きを食べます。大江戸線月島駅下車。直ぐにもんじゃ焼きの店に入ります。従業員が焼き方を指南。キャベツ等の具材を焼き、円形の土手を作るのがポイント。もんじゃ焼きの店が連なっています。この日は平日とあって、昼時でもお客はまばら。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(1)
ツアーの最後は小諸城址懐古園を見物しました。懐古園も桜が見頃になっていました。小諸城内に入っていきます。枝垂れ桜も満開でした。園内にはたくさんのサクラがありました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ春の高山祭(10)
ツアー三日目は高山を出発し、先ず臥龍桜を見物しました。臥龍桜。樹齢1100年のエドヒガン桜です。龍が伏した樹形からその名が付きました。臥龍桜の近くには高山線飛騨一ノ宮駅があります。周辺にはたくさんのサクラが植えてありました。SONYα7Ⅱ春の高山祭(9)
獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
高山市内を見物して歩いていたら、賑やかな鐘や笛の音が聞こえてきた。音の方に向かうと獅子舞の一団だった。獅子舞の一団に出会いました。榊を先頭に、獅子、笛、鐘が続きます。保育園に入っていきました。園児の前で獅子舞が披露されました。獅子舞の一団は中学生くらいの少年・少女。よく練習しているようでとても上手でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(7)
からくり奉納鑑賞の後は、道路に並べられた屋台を見て回りました。高山祭の屋台は江戸時代に造られました。天保時代に彫刻師立川和四郎などが活躍し、屋台が豪華な彫刻で飾られるようになりました。屋台の屋根は屋根飾り、千木、勝男木などで飾られています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(6)
二日目は朝ホテルを出て、からくり奉納会場に急ぎます。3台の屋台がからくり奉納を行いました。奉納会場に急ぎます。会場は既にたくさんの人が集まっていました。からくり奉納のⅠ番目は少女が鬼夜叉に変身するからくりです。鬼夜叉の面を付けて、見事に変身成功。屋台の幕内に隠れている人の糸の操作で人形を動かします。二番目のからくりは箱の中の紙片を撒きます。SONYα7Ⅱ春の高山祭(5)
春の高山祭の夜祭は18時から21時。この間、商店街も店を開けています。店の様子を見てみましょう。住宅地の道も提灯などを灯しています。食べ物屋さんは人で賑わっています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(4)
高山にやって来ました。先ず夜祭りを見物しました。12台の屋台がそれぞれ約100個の提灯を灯して町を巡ります。賑やかな音楽とともに屋台がやって来ました。楽人達が屋台囃子を奏でます。道端はびっしりと観客が詰めかけています。道路を直角に曲がります。屋台は左の道に入っていきます。道路は人でいっぱいです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(3)
白川郷では内部が公開されている合掌造りの家を見学しました。このお宅を見学させていただきました。居間は囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋です。一階部分はがっしりした造りで、部屋もたくさんあります。二階・三階は養蚕をしたり倉庫として使われています。屋根裏もしっかりした材木で強固に組まれています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(2)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
谷中の街を歩き旧吉田屋酒店などを見学しました。旧吉田屋酒店。近くのお寺では花祭りをやっていました。谷中のヒマラヤスギ。SONYα7Ⅱ谷中散歩(5)
谷中霊園を出て谷中の街に入りました。SONYα7Ⅱ谷中散歩(4)
谷中霊園の中をもう少し歩きます。そにSONYα7Ⅱ谷中散歩(3)
谷中霊園に入りました。先ず、天王寺を参拝します。天王寺山門。SONYα7Ⅱ谷中散歩(2)
日暮里駅下車。今回は谷中を歩きます。日暮里駅改札を出て線路に沿って歩きます。階段を登ると谷中霊園です。SONYα7Ⅱ谷中散歩(1)
大光寺を後にして、JR衣笠駅に向かいます。衣笠公園。メタセコイア並木に囲まれています。横須賀線のガードをくぐります。JR衣笠駅に到着です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(4)
瘡守稲荷の後は大光寺を参拝しました。竹林はほとんど手入れがされていないようです。大光寺山門。境内は綺麗に清められ、フジも見事に咲いていました。「脚下照顧」。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(3)
横須賀しょうぶ園の次は瘡守稲荷に参拝しました。途中には畑もありました。瘡守稲荷。江戸時代には病気平癒の神社として多くの参拝者が訪れました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(2)
横須賀しょうぶ園のフジが満開のようなので見に行きました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(1)
沿道のサクラを見ながら下流の橋を渡り、反対岸からサクラを眺めました。反対岸から対岸を見ています。京急弘明寺駅に戻りましょう。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(4)
大岡川に沿ってサクラを見ながら歩きます。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(3)
弘明寺を出て、参道の商店街を進むと大岡川の橋になります。弘明寺参道の花屋さん。大岡川に架かる橋。両岸の桜は満開でした。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(2)
少し前になりますが3月30日、満開とのことで大岡川のサクラ見物をしましたのでお知らせします。京急線弘明寺駅下車。先ずは弘明寺のサクラ見物から。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(1)
しまなみ海道をさらに進み、大山祇神社や多々羅展望台に立ち寄りました。大山祇神社。乎知命(おちのみこと)お手植えの楠(樹齢2600年)。境内には楠の巨木が何本か見られました。多々羅展望台。正面は多々羅大橋。しあわせの鐘。さらに進むと尾道の街並みが見えてきました。しまなみ海道の終点は間近です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(7)
道後温泉を出て、しまなみ海道に入りました。しまなみ海道は愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ約60キロメートルの自動車専用道路です。橋梁部分には自転車や歩行者が通れる道が付いています。今治市からしまなみ海道に入ります。横には自転車道が付いています。途中にある、亀老山展望公園。隅研吾氏設計の展望台。半地下式で景観を壊さないように配慮されています。ここからの展望はしまなみ海道随一と言われています。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(6)
高松港から観光バスに乗り道後温泉に向かいました。温泉を少し散歩しました。道後温泉本館は外装工事中。温泉には入れるようでした。坊っちゃん列車からくり時計。ちょうど時を告げていました。時計の周りには沢山の見物人が。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(5)
岬の分教場の次は寒霞渓に登りました。山頂まではロープウエイで行きます。ロープウェイからは奇岩の作る渓谷美が見られます。山頂からの眺め。かわらけ投げ。丸い輪に向かって投げますがなかなか命中しません。山頂にある、平成2年完成の総工費一億円のトイレ。冷暖房完備、広い個室はウオシュレット付。小豆島を後にし、高松港に向かいます。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(4)
オリーブ園の次は映画「二十四の瞳」の撮影に使われた岬の分教場を見学しました。岬の分教場明治35年に建築、昭和46年まで実際に地域の学校として使用されました。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(3)
小豆島では最初にオリーブ園を見学しました。オリーブ園からの眺め。オリーブの原木。1919年に植えられ、現在も実を付けています。オリーブ油を作る圧搾機。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(2)
小豆島やしまなみ海道等を旅するツアーに参加しました。岡山から瀬戸大橋線で高松に向かいます。瀬戸大橋を渡ります。高松駅到着。高松港から小豆島(土庄港)行きのカーフェリーに乗船します。船は霧の中を航行しました。土庄港に接岸。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(1)