4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
円覚寺を出て、バス通りを浄智寺に向かって歩きます。道の両側は商店や住宅が混在しています。浄智寺に近づきました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(2)
ミツマタを求めて鎌倉を歩きました。先ずは北鎌倉円覚寺へ。(3月13日に訪問)北鎌倉駅下車。円覚寺山門一番奥の黄梅院でミツマタを見付けました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(1)
民家園を出て、登戸の街を通りJR登戸駅に向かいました。夕刻が近づいてきました。登戸市街地。JR登戸駅このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(8)
菅の船頭小屋は大水の時に移動できるようになっています。菅の船頭小屋。大水の時は柱の円い金具に丸太を通し、移動できるようになっています。屋根の葺き替え工事中。ミツマタが咲いていた。商家の建物。17世紀末~18世紀初期SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(7)
今度は旧船越の舞台を見ます。三重県志摩市から移築された安政4年(1857年)建築の歌舞伎舞台です。旧船越の舞台。三重県英虞郡船越村の船越神社境内に建てられた歌舞伎舞台。手前の平たい屋根が花道。かなり大がかりなもので、漁村で歌舞伎舞台を持つことは珍しい。縁の下には回り舞台の装置がある。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(6)
次ぎに蚕影山祠堂(こかげさんしどう)を見ます。養蚕の神を祭っています。蚕影山祠堂。茅葺き建物は覆堂。覆堂の中に宮殿(くうでん)が安置されています。江戸時代の建築です。宮殿側面の彫刻。蚕の神である金色姫の伝説を施した彫刻です。金色姫は日本に養蚕を伝えたと言われています。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(5)
次に合掌造りの建物を見ます。富山県南砺市から移築された合掌造りの家。18世紀初期の建築。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(4)
民家園の中を歩いています。今度は水車小屋を見ましょう。水車小屋江戸時代末期の建物。長野市郊外の山村にあったものが民家園に寄贈された。製粉・精米のための挽き臼や石臼が備わっている。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(3)
川崎市立日本民家園は急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に作られました。東日本の代表的民家の他に、船頭小屋、高倉、歌舞伎舞台など25軒の建物があります。建物を守るために、囲炉裏には火が入れられます。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(2)
川崎市立日本民家園を見学いたしました。民家園は古民家の屋外博物館です。原家住宅。明治22年上棟。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(1)
舞阪宿の見付石垣の先に、旧東海道舞阪宿松並木が続きます。700メートルにわたり大小340本の松が植栽され、往時を偲ぶことが出来る。浪小僧の石像。JR舞阪駅。浜松駅に戻り新幹線で帰途につきました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(14)
舞阪宿脇本陣を見た後は舞阪宿を歩きます。道幅や少しカーブしているところなど宿場町らしい。この店はしらす干し、たたみいわし、海苔などの海産物の乾物を扱う。宿場内に一里塚があった。見付石垣。宿場の入口にあり、番人が人馬の出入りの監視・治安の維持にあたった。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(13)
舞阪漁港の横は旧東海道舞阪宿があります。宿場町を歩いてみます。舞阪宿入口の常夜灯。舞阪宿は江戸からは東海道の30番目の宿場にあたる。当時の姿に復元された脇本陣。上段の間のある書院棟は江戸時代の遺構。宿場町は新しい建物に置き換わっているが街並みは宿場町の雰囲気が残る。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(12)
三日目は一旦浜松に戻り、JRで浜名湖の入口である弁天島駅に向かいました。JR弁天島駅下車。辨天神社弁天島海水浴場。後ろは国道Ⅰ号線。海水浴場の近くにある舞阪漁港。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(11)
浜名湖遊覧船を下船してから舘山寺温泉市街地を散策しました。温泉街西海岸志ぶき橋SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(10)
舘山寺の後は浜名湖遊覧船に乗船しました。遊覧船が近づいてきました。約30分間の遊覧です。乗客は1組の家族連れと私だけでした。東名高速道路の下をくぐったらもとの港に戻りました。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(9)
浜名湖オルゴールミュージアムの後は、愛宕神社・舘山寺を参拝しました。愛宕神社の鳥居をくぐり石段を登ります。河津桜がほぼ満開でした。舘山寺。舘山寺縁結び地蔵舘山寺聖観世音菩薩。昭和12年建立。高さ16メートル。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(8)
二日目はJR浜松駅からバスで浜名湖かんざんじ温泉に向かいました。舘山寺温泉では先ずかんざんじロープウエイに乗り込みました。ロープウェイは内浦を越え、対岸の大草山に向かいます。大草山では浜名湖オルゴールミュージアムを見学。2階ホールには約70点の貴重なコレクションが展示されています。自動演奏オルガン。自動演奏ピアノ。下の巻物状の紙に楽譜が刻まれています。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(7)
浜松市立音楽博物館を見学しました。世界各地の楽器が展示してあります。ジャワ島のガムラン。たくさんの金属楽器や打楽器を30名ほどで合奏します。インドネシアの竹の打楽器。中国の編鐘いろいろなハープ鍵盤楽器のコーナーでは演奏を聴かせてもらいました。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(6)
JR浜松駅の前を通り、浜松市楽器博物館に向かいます。浜松市のシンボルである浜松アクトタワーは地上45階213メートルの超高層ビル。アクトタワーは複合施設でショッピングセンターやレストランなども併設されている。浜松市楽器博物館。日本で唯一の市立の楽器博物館。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(5)
浜松城から浜松の盛り場を通ってJR駅方面に歩きました。綺麗にデザインされた防犯カメラ付きの外灯。おしゃれな通りです。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(4)
浜松城にやって来ました。浜松城は元亀元年(1570年)徳川家康が遠江(とおとうみ)を治める拠点として入城。天正14年(1586年)まで家康の本城として使われた。天守門天守閣入り口日本庭園では紅梅が満開。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(3)
JR浜松駅から遠州鉄道のガードの下を少し歩き、浜松城方面に向かいます。遠州鉄道新浜松駅前。遠州鉄道のガード。静岡銀行浜松営業所。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(2)
浜松・浜名湖方面を旅行しました。新幹線で浜松駅下車。浜松駅前はゆったりとした植栽のある広場になっています。地下通路に降りてみます。壁面をオブジェが飾っていました。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(1)
撮影ツアーの最後は麻布台ヒルズです。麻生台ヒルズは2013年11月開業。中心となる森JPタワーは高さ325メートル64階と日本一の高さ。商業施設に向かうエレベーター。森JPタワー33階は展望フロアになっている。東南方向には東京タワーが見え、夕刻にはライトアップされた。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(11)
国立新美術館の次は最後の撮影場所、新しくできた麻布台ヒルズに向かいます。この辺りからバスに乗りました。バスから降りたら至る所に工事フェンス。この辺りかな。迷子にならないように必死です。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(10)
国立新美術館の建物に入りました。ここではいろいろな撮影を経験しました。スローシャッター。ガラス板が鏡のような働きをしました。高いところから見下ろしました。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(9)
六本木から国立新美術館に向かって歩いています。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(8)
昼食後は六本木を少し歩きました。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(7)
東京タワーを下から見た後は、地下鉄で六本木に移動しました。ビルに映り込む東京タワー。こちらのレストランで昼食を取りました。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(6)
東京タワーの下に来ました。東京タワーは1958年(昭和33年)完成の東京のランドマーク。2013年には日本の有形文化財となった。下から見上げるとトラス構造を組み合わせていることがよく分かる。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(5)
国道Ⅰ号線を更に進みます。東京タワーが大分大きくなりました。慶應義塾大学三田キャンパス東門SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(4)
国道1号線を東京タワーに向かって歩きます。途中で横道に入ってみました。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(3)
JR田町駅の北口から国道1号線に出ると東京タワーが道路の正面に見えました。田町駅北口。国道Ⅰ号線に出ると東京タワーが見えました。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(2)
東京タワーの周りを歩く撮影会に参加しました。JR田町駅からスタートです。JR田町駅下車。先ず、南側の運河などのある地区を歩きます。SONYα7Ⅱ東京タワーの周りを歩く(1)
深浦湾はクサフグの産卵地としても知られています。クサフグは五月後半から7月前半の新月や満月の満潮時に大群で岩場に押し寄せ、波打ち際の岩場などで産卵します。深浦湾の反対岸にある化学工場の施設。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(8)
深浦湾には造船所の他にヨットハーバーや小さな漁港があります。ヨットハーバー。漁港。ワカメ干し場。2月にはワカメ収穫祭が行われます。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(7)
梅田トンネルからバス通りに戻りに日向トンネルを越えると深浦湾です。造船所があるので覗いてみます。日向(ひなた)トンネル。昭和8年(1933年)竣工。トンネル内の歩道は0.7mと狭い。深浦湾の手前岸には造船所があります。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(6)
長浦港を出てバス通りを少し歩くと梅田トンネルに至る道があります。梅田トンネル。横須賀で最初に作られたトンネル。明治20年竣工。地元有志により掘られた。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(5)
工場の裏は長浦港。戦前は海軍や軍需工場により使用され、当時の遺構が多数残されている。長浦港の一部は海上自衛隊の基地になっている。資材を積み降ろすための施設だったのだろうか。セメント工場の製品を積み出す港ともなっている。軍艦の建造に利用したガントリクレーンの基礎部分。上部のクレーン部分は撤去された。資材の運搬のために港内には線路が敷設されていた。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(4)
田浦にある旧海軍工廠造兵部の建物は戦後はそのまま一般工場として利用されています。田浦の街をもう少し歩きます。旧海軍工廠造兵部正門。建物は一般工場として利用されています。工場の側面。現在も稼働しているようです。裏門から正門側を覗きました。戦前の建物が現在も現役なのは相当頑丈に作られたものだったのでしょう。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(3)
商店街から少し外れると、また違った田浦が見られます。旧田浦町役場。アールデコ風のモダンな建物。大正15年建築。田浦の近代化遺産だそうだが、整備して公開すべきではないでしょうか。この辺りは戦前は色街だったという。当時の建物はほんのわずかしか残っていない。戦前の雰囲気のあるカフェなどが入った建物が解体され更地になっていた。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(2)
京急田浦駅下車。駅前から田浦の商店街を歩きます。京急田浦駅は国道16号線沿いにあります。国道沿いの花屋さん。国道から商店街に入りました。以前より寂れた感じです。大分前に廃業したお店。FUJIFILMX100Vf=23mm京急田浦駅から(1)
横浜ベイスターズのファーム球場を見たら追浜駅に戻ります。ベイスターズファーム球場。見学席。練習時間ではなかったようで、選手の姿は見えませんでした。商店街を通って駅に向かいます。追浜駅が見えてきました。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(6)
鷹取川に沿って河口まで歩き、川を渡ると高等学校のグランドがありました。鷹取川河口に向かって歩きます。カワウが川に飛び込んだ瞬間。鷹取川河口川を渡ると高等学校のグランドがあります。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(5)
追浜の商店街の一部は鷹取川にはみ出ています。鷹取川。奥が商店街。この辺りの商店は川に建物の支柱を立てています。道路拡張のために川に支柱を立てて店を後退させました。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(4)
追浜の裏通りを歩きます。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(3)
追浜駅から雷神社や傍示堂(ほうじどう)を参拝しました。雷神社。傍示堂。六地蔵や庚申塔などが祀られています。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(2)
京急線追浜駅下車。今回は追浜地区を歩きます。追浜駅構内。追浜は横浜DeNAベイスターズのファーム球場を持つ。駅前の歩行者デッキ。駅前には国道16号線が通る。FUJIFILMX100Vf=23mm追浜散策(1)
渋谷散策の最後はNHKホール。NHKホール。素晴らしいNHK交響楽団の演奏を堪能しました。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm渋谷散策(5)
その後は松濤美術館に向かいます。松濤美術館に向かって歩きます。松濤美術館。ゆっくりと鑑賞いたしました。美術館を出て夕食を食べて、街に出たら人波は多くなっていました。FUJIFILMX100Vf=23mm渋谷散策(4)
小道に入ると大きなライブハウスや映画館がありました。この辺りから小道に入ります。ライブハウスは長蛇の列。映画館。FUJIFILMX100Vf=23mm渋谷散策(3)
歩道橋に上がると渋谷駅が正面に見えます。国道246に沿って少し歩きます。渋谷駅の工事はまだ続いているようです。FUJIFILMX100Vf=23mm渋谷散策(2)
東急東横線渋谷駅下車。今回は渋谷を歩いてみます。地下から上がって地上に出ると、イラスト画が並んでいました。忠犬ハチ公は外国人に人気。スクランブル交差点。まだ時間が早いからこの程度の混雑。FUJIFILMX100Vf=23mm渋谷散策(1)
宮古島ツアーの最後に東平安名崎を見物しました。宮古島特産のサトウキビは収穫期を迎えています。手前は刈り取られた跡で奥は残っています。東平安名崎は宮古島最東端に2キロにわたって突き出した岬です。風が猛烈に吹いていました。ここには太平洋の荒波が押し寄せていました。宮古空港。宮古島ともお別れです。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ宮古島(6)
夕方からクルーズ船にに乗船しました。宮古島平良港を出港。夕食はバイキング。船底では海中展望が楽しめます。珊瑚礁にはたくさんの魚。船底。乗船したクルーズ船。SONYα7Ⅱ宮古島(5)
次ぎに砂山ビーチに行きました砂山の斜面を下ると短い洞窟が現れます。砂の斜面を下ります。短い洞窟が現れました。以前は洞窟を通り、先の海岸まで行けたそうですが落石の危険があり立ち入り禁止になっていました。海からの風で砂が舞い上がり、谷の高い部分まで砂が堆積しています。裸足かサンダル履きで歩くのがお勧め。SONYα7Ⅱ宮古島(4)
二日目は先ず、パワースポットとしても有名な下地島の通り池を見学しました。ホテルを出発します。下地島。点在する岩は津波で打ち上げられたそうです。マングローブの林を進むと。通り池が現れました。鍾乳洞の天井が崩れて穴が開いたもので、鍾乳洞は海に通じています。塩分濃度や潮位で青~緑などに色を変える不思議な池です。池は二カ所あり、付近を見物する道が作ってあります。SONYα7Ⅱ宮古島(3)
次ぎに与那覇前浜ビーチに行きました。トライアスロンのスタート地点としても有名です。亜熱帯性気候で主要な農作物はサトウキビですがバナナも収穫できます。与那覇前浜ビーチ。イカの群れが見られました。Ⅰ日目が終了です。SONYα7Ⅱ宮古島(2)
2泊3日の宮古島ツアーに行ってきました。先ず目に飛び込んでくるのは、宮古ブルーと言われる美しい海です。宮古島には川が無いため、海の透明度が高く、一番美しい海と言われています。今回は宮古諸島の五つの島を巡ります。先ずは来間島(くりまじま)。竜宮城展望台に登ります。展望台からの眺め。正面は最も大きな宮古島です。宮古島と来間島を結ぶ来間大橋。SONYα7Ⅱ宮古島(1)
目黒駅に通じる道路に出ました。散策の最後は東京都庭園美術館を鑑賞します。庭園美術館の本館は1933(昭和8)年に皇族朝香宮家の自邸として建てられ、1983(昭和58)年美術館として開館しました。訪問した日は美術館は閉館しており、外観を見た後、庭園を見学しました。日本庭園。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(7)
JRの線路に沿って歩き、目黒駅近くまでやって来ました。JRに沿って歩きます。目黒駅近くに出てきました。道路を北東に向かって歩きましょう。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(6)
東京都写真美術館から目黒方面に進みます。JR線路に沿って歩きます。JRの跨線橋。正面はJR線の土盛。JR線の高架をくぐると踏切がありました。湘南新宿ラインの線路でしょうか。しばらく待ちましたが電車は通りませんでした。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(5)
恵比寿駅に戻り動く歩道を使ってガーデンプレイスを通り、東京都写真美術館を見学しました。動く歩道。恵比寿ガーデンプレイス。東京都写真美術館。ここは撮影OKでした。東京都写真美術館を出て目黒方面に進みます。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(4)
更に恵比寿周辺を歩きます。この通りをさらに進みます。公園では子供達が元気よく遊んでいました。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(3)
恵比寿周辺を歩いてみます。渋谷川SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(2)
JR恵比寿駅下車。今回は途中寄り道をしながら目黒駅を目指します。恵比寿駅。先ず、駅の周辺を歩きます。SONYα7Ⅱ恵比寿駅から目黒駅(1)
横浜駅に近づくと通りやお店には人が多くなりました。横浜駅は利用客でいっぱいです。横浜駅前。横浜駅。長かった改良工事も終わり、とても便利で綺麗な駅に生まれ変わりました。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(7)
更に歩くと、横浜のビル街に入ってきました。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(6)
旧東海道から横道に入ると、工場や学校がある地域になりました。旧東海道を離れ横道に入りました。中学校のグランド横を通ります。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(5)
松原商店街を過ぎると静かな住宅地になります。松原商店街から離れていきます。この辺りは倉庫や小さな事業所が多いです。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町から横浜駅(4)
旧東海道を歩くと松原商店街があります。大変な賑わいです。松原商店街入口この八百屋さんが凄い。魚が新鮮で安い。いつ行ってもお客がいっぱいの商店街です。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(3)
天王町駅前から帷子川を渡り橘樹神社を参拝しました。天王町駅前の商店街。帷子川を渡ります。橘樹神社を参拝します。茅の輪くぐりをやっていました。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(2)
相鉄線天王町駅下車。駅周辺を少し歩いてから横浜駅方面に向かいます。相鉄線天王町駅。駅の周囲を少し歩きます。駅前広場は公園になっています。この辺りには旧東海道が通っていました。橋もあったそうで欄干の一部が残っています。FUJIFILMX100Vf=23mm天王町駅から横浜駅(1)
市内を更に歩きます。最後に琵琶嶋神社を参拝しました。うなぎ屋さんは人気があります。憲法草創之碑。この辺りで伊藤博文を中心に明治憲法の草案作りが行われました。琵琶嶋神社琵琶嶋神社側面。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ金沢八景散歩(8)
金沢八景市内を歩きます。大きなお寺があります。龍華寺。茅葺きの鐘楼。SONYα7Ⅱ金沢八景散歩(7)
国道を渡り、金沢八景の市街地を歩きます。国道を渡ります。左側が市街地。クーラーボックスや釣り竿を持った人が歩いています。この辺りは釣り船が集まっています。平潟湾。ここにも歌川広重の絵が。SONYα7Ⅱ金沢八景散歩(6)
瀬戸神社を出て、京急の駅近くの踏切を渡ります。京急線の踏切を渡ります。踏切から見た金沢八景駅。京浜急行検車区。宮川は平潟湾に注ぎます。FUJIFILMX100Vf=23mm金沢八景散歩(5)
シーサイドラインの高架の下を通り、近くの瀬戸神社に行ってみます。シーサイドラインの高架の下を少し歩きます。瀬戸神社が見えてきました。神社は源頼朝、北条氏、徳川家康に篤く崇敬されていました。境内には茅の輪が作られていました。FUJIFILMX100Vf=23mm金沢八景散歩(4)
和風旅館の横を通って平潟湾に出ます。旅館の横を通ります。平潟湾に出ました。釣り船や漁船が係留されています。シーサイドライン。FUJIFILMX100Vf=23mm金沢八景散歩(3)
京急に平行した住宅街から国道に出て、国道を少し入ったところにお寺がありました。京急線と平行した通りです。小さなガードがあります。国道に出ます。国道から入ったところにお寺がありました。FUJIFILMX100Vf=23mm金沢八景散歩(2)
金沢八景は昔から景勝地として知られています。幕末の浮世絵師歌川広重もその絶景を描きました。今回は金沢八景を少しだけ散歩しました。京急線金沢八景駅下車。構内に掲示された歌川広重の大きなポスター。八景駅前。左はシーサイドラインホーム。駅裏に見えるのは金沢八景権現山公園。茅葺きの建物は旧円通寺客殿。トンネルをくぐって駅の表に出てきます。さて、市内を歩いてみましょう。FUJIFILMX100Vf=23mm金沢八景散歩(1)
汐入の市街地に入ってきました。賑やかになりましたが、古い建物は残っています。子之神社。夏祭りは盛大です。アーケードのために、建物の上の様子は分かり難いです。京急線汐入駅前に来ました。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(7)
汐入に通じるバス通りに出ました。ここから下り坂が続きます。急坂を下ると汐入市街地です。荷車を引く馬が、しばしばここの登り坂で死んだので、供養のための馬頭観音が祀られています。銅板葺の家が時々見られます。出桁造りの商店がありました。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(6)
運動公園の横を通ると、小学校や中学校がありますが戦前は陸軍重砲兵連隊の練兵場でした。左側は中学校。小学校の校門は重砲兵連隊練兵場の門をそのまま使っています。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(5)
しばらく進むとバス通りに出ました。バス通りに出ました。お風呂屋さんがありました。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(4)
横道をさらに進むと、比較的広い道に出ました。広い道に出ました。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(3)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。上町商店街から横道に入りました。上町商店街。横道に入りました。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(2)
横須賀中央駅下車。上町から山側を歩いて汐入に向かいました。始めに上町商店街の看板建築の商店を見ながら歩きます。商店街の裏道に入りました。FUJIFILMX100Vf=23mm上町から汐入(1)
見尻坂を下ってから元町通りの一本裏道を歩きました。暗くなってきたので、今日はこれで帰ります。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横浜山手西洋館のクリスマス(7)
山手西洋館の方はそこまでにして、見尻坂を元町方面に下りました。山手本通りを歩きます。アメリカ山公園。アメリカ山公園の横が見尻坂です。外人墓地の横を通る道で何か寂しい。SONYα7Ⅱ横浜山手西洋館のクリスマス(6)
ブラフ18番館の次はベーリック・ホールに行きました。ベーリック・ホール。オーストリアのクリスマスで飾られています。オーストリアではサンタクロースではなく、「幼いキリスト」とされるクリストキントが子供達にプレゼントを届けます。SONYα7Ⅱ横浜山手西洋館のクリスマス(5)
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4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
円覚寺を出て、バス通りを浄智寺に向かって歩きます。道の両側は商店や住宅が混在しています。浄智寺に近づきました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(2)
ミツマタを求めて鎌倉を歩きました。先ずは北鎌倉円覚寺へ。(3月13日に訪問)北鎌倉駅下車。円覚寺山門一番奥の黄梅院でミツマタを見付けました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(1)
民家園を出て、登戸の街を通りJR登戸駅に向かいました。夕刻が近づいてきました。登戸市街地。JR登戸駅このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(8)
菅の船頭小屋は大水の時に移動できるようになっています。菅の船頭小屋。大水の時は柱の円い金具に丸太を通し、移動できるようになっています。屋根の葺き替え工事中。ミツマタが咲いていた。商家の建物。17世紀末~18世紀初期SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(7)
今度は旧船越の舞台を見ます。三重県志摩市から移築された安政4年(1857年)建築の歌舞伎舞台です。旧船越の舞台。三重県英虞郡船越村の船越神社境内に建てられた歌舞伎舞台。手前の平たい屋根が花道。かなり大がかりなもので、漁村で歌舞伎舞台を持つことは珍しい。縁の下には回り舞台の装置がある。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(6)
次ぎに蚕影山祠堂(こかげさんしどう)を見ます。養蚕の神を祭っています。蚕影山祠堂。茅葺き建物は覆堂。覆堂の中に宮殿(くうでん)が安置されています。江戸時代の建築です。宮殿側面の彫刻。蚕の神である金色姫の伝説を施した彫刻です。金色姫は日本に養蚕を伝えたと言われています。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(5)
次に合掌造りの建物を見ます。富山県南砺市から移築された合掌造りの家。18世紀初期の建築。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(4)
民家園の中を歩いています。今度は水車小屋を見ましょう。水車小屋江戸時代末期の建物。長野市郊外の山村にあったものが民家園に寄贈された。製粉・精米のための挽き臼や石臼が備わっている。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(3)
川崎市立日本民家園は急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に作られました。東日本の代表的民家の他に、船頭小屋、高倉、歌舞伎舞台など25軒の建物があります。建物を守るために、囲炉裏には火が入れられます。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(2)
川崎市立日本民家園を見学いたしました。民家園は古民家の屋外博物館です。原家住宅。明治22年上棟。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(1)
舞阪宿の見付石垣の先に、旧東海道舞阪宿松並木が続きます。700メートルにわたり大小340本の松が植栽され、往時を偲ぶことが出来る。浪小僧の石像。JR舞阪駅。浜松駅に戻り新幹線で帰途につきました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(14)
舞阪宿脇本陣を見た後は舞阪宿を歩きます。道幅や少しカーブしているところなど宿場町らしい。この店はしらす干し、たたみいわし、海苔などの海産物の乾物を扱う。宿場内に一里塚があった。見付石垣。宿場の入口にあり、番人が人馬の出入りの監視・治安の維持にあたった。SONYα7Ⅱ浜松・浜名湖の旅(13)
沿道のサクラを見ながら下流の橋を渡り、反対岸からサクラを眺めました。反対岸から対岸を見ています。京急弘明寺駅に戻りましょう。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(4)
大岡川に沿ってサクラを見ながら歩きます。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(3)
弘明寺を出て、参道の商店街を進むと大岡川の橋になります。弘明寺参道の花屋さん。大岡川に架かる橋。両岸の桜は満開でした。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(2)
少し前になりますが3月30日、満開とのことで大岡川のサクラ見物をしましたのでお知らせします。京急線弘明寺駅下車。先ずは弘明寺のサクラ見物から。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(1)
しまなみ海道をさらに進み、大山祇神社や多々羅展望台に立ち寄りました。大山祇神社。乎知命(おちのみこと)お手植えの楠(樹齢2600年)。境内には楠の巨木が何本か見られました。多々羅展望台。正面は多々羅大橋。しあわせの鐘。さらに進むと尾道の街並みが見えてきました。しまなみ海道の終点は間近です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(7)
道後温泉を出て、しまなみ海道に入りました。しまなみ海道は愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ約60キロメートルの自動車専用道路です。橋梁部分には自転車や歩行者が通れる道が付いています。今治市からしまなみ海道に入ります。横には自転車道が付いています。途中にある、亀老山展望公園。隅研吾氏設計の展望台。半地下式で景観を壊さないように配慮されています。ここからの展望はしまなみ海道随一と言われています。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(6)
高松港から観光バスに乗り道後温泉に向かいました。温泉を少し散歩しました。道後温泉本館は外装工事中。温泉には入れるようでした。坊っちゃん列車からくり時計。ちょうど時を告げていました。時計の周りには沢山の見物人が。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(5)
岬の分教場の次は寒霞渓に登りました。山頂まではロープウエイで行きます。ロープウェイからは奇岩の作る渓谷美が見られます。山頂からの眺め。かわらけ投げ。丸い輪に向かって投げますがなかなか命中しません。山頂にある、平成2年完成の総工費一億円のトイレ。冷暖房完備、広い個室はウオシュレット付。小豆島を後にし、高松港に向かいます。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(4)
オリーブ園の次は映画「二十四の瞳」の撮影に使われた岬の分教場を見学しました。岬の分教場明治35年に建築、昭和46年まで実際に地域の学校として使用されました。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(3)
小豆島では最初にオリーブ園を見学しました。オリーブ園からの眺め。オリーブの原木。1919年に植えられ、現在も実を付けています。オリーブ油を作る圧搾機。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(2)
小豆島やしまなみ海道等を旅するツアーに参加しました。岡山から瀬戸大橋線で高松に向かいます。瀬戸大橋を渡ります。高松駅到着。高松港から小豆島(土庄港)行きのカーフェリーに乗船します。船は霧の中を航行しました。土庄港に接岸。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(1)
最後に見学したのは迎賓館赤坂離宮です。残念ながら本館内部は国宝で撮影禁止でした。迎賓館本館の正面。迎賓館主庭(本館の裏側)の噴水。本館前(前庭)の休憩スペース。正門。工事中でした。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱバス旅(4)
浜離宮の後は柴又に行きました。最初に柴又帝釈天に参拝。参道を駅に向かって歩きます。柴又駅前。「フーテンの寅」像SONYα7Ⅱバス旅(3)
場外市場の次は浜離宮を見学しました。浜離宮。大手門。鴨場。小のぞき。庭園の池は海水を引き入れている。FUJIFILMX100Vf=23mmバス旅(2)
横須賀発の一日バス旅に参加しました。1番目は築地場外市場。この道をさらに進むと。築地・波除神社。獅子頭。外国人旅行者は大分戻ってきていました。FUJIFILMX100Vf=23mmバス旅(1)
杉田の商店街を歩き、京急杉田駅に向かいました。シーサイドライン新杉田駅と京急杉田駅は400メートルほど離れており、その間は商店街が続きます。京急杉田駅改札は駅ビルにあります。京急線に乗って帰宅します。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mmシーサイドラインに乗って(8)
臨海緑地から少し先にシーサイドラインの終点の新杉田駅があります。杉田の街に入りました。JR根岸線の高架。国道16号線を渡り、京急杉田駅に向かいます。FUJIFILMX100Vf=23mmシーサイドラインに乗って(7)
産業道路を少し歩くと臨海緑地がありました。飛行機工場?臨海緑地。小さなマリーナもあります。FUJIFILMX100Vf=23mmシーサイドラインに乗って(6)
産業道路脇にある横浜南部市場に立ち寄りました。シーサイドライン南部市場駅入口にあるモニュメント。南部市場は横浜の食の台所。肉屋さん。FUJIFILMX100Vf=23mmシーサイドラインに乗って(5)
旧海岸道路から広い道路に出ました。さらに進むと産業道路にぶつかります。広い道にはマンションが並んでいます。広い道は産業道路と交差しています。左に曲がって産業道路横を歩きます。産業道路の上にはシーサイドラインや高速道路が走ります。産業道路を進みます。左はシーサイドラインの高架、上は高速道路。産業道路の回りは工業団地です。FUJIFILMX100Vf=23mmシーサイドラインに乗って(4)