再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
JR中野駅に戻ってきました。人だかりは空手グループが発表をやっていました。中野駅の南口に回って見ます。南口も建築工事が行われており、大きく変わる気配です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ中野巡り(7)
次に中野ブロードウエイに入りました。2階・3階は異次元の世界です。SONYα7Ⅱ中野巡り(6)
中野の裏通りをさらに歩きます。この日はものすごく暑く、ミストは大助かりでした。SONYα7Ⅱ中野巡り(5)
中野の路地や裏通りに入ります。SONYα7Ⅱ中野巡り(4)
長く親しまれた中野サンプラザはこの7月3日に閉館しました。周辺ビルとともに再開発され2028年オープン予定。SONYα7Ⅱ中野巡り(3)
レンガ坂の後は、JRのガードを潜り中野駅の北側に出ます。JR中野駅の北側の歩道橋に上がりました。SONYα7Ⅱ中野巡り(2)
JR中野駅下車。今回は中野周辺を歩きます。先ずはレンガ坂。中野駅南口に出ました。レンガ坂入口のワンちゃん。SONYα7Ⅱ中野巡り(1)
ペリー公園のペリー提督像に挨拶して、そろそろ函館にお別れです。ペリー提督来航記念碑。浦賀来航の翌年の安政元年(1854年)ペリー艦隊は函館に来航しました。このことが函館開港のきっかけになったと言われています。基坂を下ります。相馬株式会社。日本最古のコンクリート電柱。大正12年(1923年)設置、現在も現役。函館駅から新函館北斗駅に向かいます。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ函館旅行(16)
旧相馬邸を見学しました。明治41年(1908年)建設の北海道屈指の豪商相馬哲平氏の旧私邸。引き分けの板扉。引き手は透明緑色のウランガラスを使用。SONYα7Ⅱ函館旅行(15)
三日目。函館市地域交流まちづくりセンターの建物は大正12年(1923年)丸井今井呉服店函館支店として完成。館内には昭和9年(1934年)設置の手動式エレベーターがあるというので見学に行った。正面のドームのある建物がまちづくりセンター。エレベーターを見たいと言ったら、女性従業員が出てきてくれた。現在稼働している手動式エレベーターは日本で3台しかないそうだ。網状の扉が内扉。操作盤。ゴンドラをちょうど良い位置に止めるのは至難の業だそうだ。SONYα7Ⅱ函館旅行(14)
函館二日目はずいぶん歩き回りました。元町からホテルに戻ります。元町から大三坂を降ります。SONYα7Ⅱ函館旅行(13)
元町にはいくつかの美しい教会がある。一部を見てみよう。函館ハリストス正教会。函館聖ヨハネ教会。カトリック元町教会。SONYα7Ⅱ函館旅行(12)
旧函館区公会堂を見学しました。元町公園旧函館区公会堂130坪の大広間衣装体験の子供達。SONYα7Ⅱ函館旅行(11)
八幡坂を登り元町を歩きます。洋風・和風の建物が混在しています。SONYα7Ⅱ函館旅行(10)
金森赤レンガ倉庫の後は、八幡坂を登り元町方面に進みました。旧ホテルニューハコダテ(旧安田銀行函館支店)。八幡坂は結構な登りです。SONYα7Ⅱ函館旅行(9)
金森赤レンガ倉庫へ。倉庫はリノベされてショッピングモールやレストランなどになっていた。金森赤レンガ倉庫。急に雨が降り出した。SONYα7Ⅱ函館旅行(8)
記念船摩周丸の後は函館朝市を通り、赤レンガ倉庫方面に向かいます。函館朝市の前を通ります。SONYα7Ⅱ函館旅行(7)
青函連絡船記念船摩周丸を見学しました。青函連絡船は明治41年(1908年)から昭和63年(1988年)まで函館駅と青森駅を海上交通で結んでいました。摩周丸は昭和40年(1965年)から連絡船が終了するまで就航を続け、現在は博物館船として余生を送っている。当時のままの操舵室などを見学できる。青函連絡船は貨物を貨車ごと運ぶ車両航送を行った。車両甲板には15トン積み有蓋車を48両積むことが出来た。SONYα7Ⅱ函館旅行(6)
函館旅行二日目は先ずトラピスチヌ修道院に向かいました。修道院入り口。大天使ミカエル。悲しみの聖母マリア像庭園は美しく整備されていた。高台にたたずむ修道女の祈りの場。明治31年(1898年)フランスから派遣された8名の修道女により設立された。SONYα7Ⅱ函館旅行(5)
日が暮れるのを待って函館山に登りました。五稜郭の往復は市電を利用。市電はパスモも使えて便利。割安な一日乗車券もあります。ホテルで休憩し、暗くなるのを待って駅前から函館山登山バスに乗車。展望台からの夜景に大感激。さて、見学を終えてバス停に行ってみると長蛇の列。こんなに沢山の人では乗り切れないと思ったが、バスはどんどん詰め込む。後から来た人もすべて乗せ、予定時刻を大幅に遅れて発車。バス内は超満員。バスから降りたときには疲れ果てていました。SONYα7Ⅱ函館旅行(4)
五稜郭に入ります。五稜郭は日本で初めて築かれた西洋式の城郭。五稜郭入り口。五稜郭の石垣。上部に武者返しをもうけ、敵の侵入を防いだ。復元された箱館奉行所。2010年、昔の資料を基に建築様式や木材の種類まで、当時にならって再現された。SONYα7Ⅱ函館旅行(3)
市電に乗って向かったのは五稜郭。先ず手前にある五稜郭タワーに上がりました。五稜郭タワーに上がります。展望台。高さ地上から90メートル。素晴らしい眺望です。五稜郭全体が見渡せます。函館の市街地や函館山。五稜郭の歴史が学べる展示もありました。SONYα7Ⅱ函館旅行(2)
函館に2泊3日で旅行しました。東京駅を「はやぶさ」で出発。「はやぶさ」。東京、函館北斗間を約4時間で結びます。函館北斗駅到着。続いて「快速はこだてライナー」で函館に向かいます。豪華寝台列車「四季島」に出会いました。函館到着。先ずは市電に乗ります。行き先は……。SONYα7Ⅱ函館旅行(1)
古墳群に隣接する「かみつけの里博物館」を見学します。保渡田古墳群をはじめ、様々な古墳や埴輪、古墳時代の人々の生活などが解説されていました。王の館。幅広い壕に囲まれており、防御施設の機能もある。刀に手をつがえる武人。古墳は基本の設計図があり、古墳の縦・横などの比率は決まっていたという。さて、帰るとしましょう。このシリーズを終わります。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(4)
次ぎに八幡塚古墳を見学しました。発掘調査成果をもとに整備され1500年前の築造当時の姿に復元されました。古墳は葺石で覆われていました。古墳の上部には円筒埴輪が並んでいました。頂上から内部に降り、石をくりぬいた巨大な舟形石棺を見ることが出来ます。全国的にも珍しい、内堤の区画に並べられた人物埴輪や動物埴輪。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(3)
保渡田古墳群は3基の古墳からなります。最初に二子山古墳に登ります。二子山古墳。保渡田古墳群で最初に築造された墳丘108メートルの前方後円墳五世紀第3四半期の築造。二重の堀と4つの中島を備える。前方部から後円部を見た。後円部の竪穴式石室には舟形石棺が納められていた。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(2)
先日、群馬県高崎市にある保渡田古墳群を見学に行きました。(6月18日実施)高崎駅前。古墳群には市内循環バスに乗車します。バスを下車して歩きます。ものすごく暑い。群馬県は昔は養蚕が盛んだった。この家は養蚕農家ではないかな。収穫前の麦畑が広がる。味噌作りのための契約栽培。無農薬・有機肥料で栽培しているとのこと。FUJIFILMX100Vf=23mm保渡田古墳群(1)
次のバス停まで歩きます。和菓子屋さんがありました。両側の太い樹木はお寺の山門のようです。八百屋さん。道路には高い崖が迫っていました。次のバス停にやって来ました。バスに乗って帰ります。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱペリー来航(7)
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再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
もんじゃ焼きの通りを歩いた後は路地を歩きました。路地に入りました。花を飾り、生活感に溢れています。公園のツツジはほぼ満開でした。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(2)
写真のグループで月島・門前仲町の撮影に出掛けました。先ずは月島でもんじゃ焼きを食べます。大江戸線月島駅下車。直ぐにもんじゃ焼きの店に入ります。従業員が焼き方を指南。キャベツ等の具材を焼き、円形の土手を作るのがポイント。もんじゃ焼きの店が連なっています。この日は平日とあって、昼時でもお客はまばら。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(1)
ツアーの最後は小諸城址懐古園を見物しました。懐古園も桜が見頃になっていました。小諸城内に入っていきます。枝垂れ桜も満開でした。園内にはたくさんのサクラがありました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ春の高山祭(10)
ツアー三日目は高山を出発し、先ず臥龍桜を見物しました。臥龍桜。樹齢1100年のエドヒガン桜です。龍が伏した樹形からその名が付きました。臥龍桜の近くには高山線飛騨一ノ宮駅があります。周辺にはたくさんのサクラが植えてありました。SONYα7Ⅱ春の高山祭(9)
獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
高山市内を見物して歩いていたら、賑やかな鐘や笛の音が聞こえてきた。音の方に向かうと獅子舞の一団だった。獅子舞の一団に出会いました。榊を先頭に、獅子、笛、鐘が続きます。保育園に入っていきました。園児の前で獅子舞が披露されました。獅子舞の一団は中学生くらいの少年・少女。よく練習しているようでとても上手でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(7)
からくり奉納鑑賞の後は、道路に並べられた屋台を見て回りました。高山祭の屋台は江戸時代に造られました。天保時代に彫刻師立川和四郎などが活躍し、屋台が豪華な彫刻で飾られるようになりました。屋台の屋根は屋根飾り、千木、勝男木などで飾られています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(6)
二日目は朝ホテルを出て、からくり奉納会場に急ぎます。3台の屋台がからくり奉納を行いました。奉納会場に急ぎます。会場は既にたくさんの人が集まっていました。からくり奉納のⅠ番目は少女が鬼夜叉に変身するからくりです。鬼夜叉の面を付けて、見事に変身成功。屋台の幕内に隠れている人の糸の操作で人形を動かします。二番目のからくりは箱の中の紙片を撒きます。SONYα7Ⅱ春の高山祭(5)
春の高山祭の夜祭は18時から21時。この間、商店街も店を開けています。店の様子を見てみましょう。住宅地の道も提灯などを灯しています。食べ物屋さんは人で賑わっています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(4)
高山にやって来ました。先ず夜祭りを見物しました。12台の屋台がそれぞれ約100個の提灯を灯して町を巡ります。賑やかな音楽とともに屋台がやって来ました。楽人達が屋台囃子を奏でます。道端はびっしりと観客が詰めかけています。道路を直角に曲がります。屋台は左の道に入っていきます。道路は人でいっぱいです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(3)
白川郷では内部が公開されている合掌造りの家を見学しました。このお宅を見学させていただきました。居間は囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋です。一階部分はがっしりした造りで、部屋もたくさんあります。二階・三階は養蚕をしたり倉庫として使われています。屋根裏もしっかりした材木で強固に組まれています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(2)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
谷中の街を歩き旧吉田屋酒店などを見学しました。旧吉田屋酒店。近くのお寺では花祭りをやっていました。谷中のヒマラヤスギ。SONYα7Ⅱ谷中散歩(5)
谷中霊園を出て谷中の街に入りました。SONYα7Ⅱ谷中散歩(4)
谷中霊園の中をもう少し歩きます。そにSONYα7Ⅱ谷中散歩(3)
谷中霊園に入りました。先ず、天王寺を参拝します。天王寺山門。SONYα7Ⅱ谷中散歩(2)
日暮里駅下車。今回は谷中を歩きます。日暮里駅改札を出て線路に沿って歩きます。階段を登ると谷中霊園です。SONYα7Ⅱ谷中散歩(1)
大光寺を後にして、JR衣笠駅に向かいます。衣笠公園。メタセコイア並木に囲まれています。横須賀線のガードをくぐります。JR衣笠駅に到着です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(4)
瘡守稲荷の後は大光寺を参拝しました。竹林はほとんど手入れがされていないようです。大光寺山門。境内は綺麗に清められ、フジも見事に咲いていました。「脚下照顧」。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(3)
横須賀しょうぶ園の次は瘡守稲荷に参拝しました。途中には畑もありました。瘡守稲荷。江戸時代には病気平癒の神社として多くの参拝者が訪れました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(2)
横須賀しょうぶ園のフジが満開のようなので見に行きました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(1)
沿道のサクラを見ながら下流の橋を渡り、反対岸からサクラを眺めました。反対岸から対岸を見ています。京急弘明寺駅に戻りましょう。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(4)
大岡川に沿ってサクラを見ながら歩きます。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(3)
弘明寺を出て、参道の商店街を進むと大岡川の橋になります。弘明寺参道の花屋さん。大岡川に架かる橋。両岸の桜は満開でした。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(2)
少し前になりますが3月30日、満開とのことで大岡川のサクラ見物をしましたのでお知らせします。京急線弘明寺駅下車。先ずは弘明寺のサクラ見物から。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(1)
しまなみ海道をさらに進み、大山祇神社や多々羅展望台に立ち寄りました。大山祇神社。乎知命(おちのみこと)お手植えの楠(樹齢2600年)。境内には楠の巨木が何本か見られました。多々羅展望台。正面は多々羅大橋。しあわせの鐘。さらに進むと尾道の街並みが見えてきました。しまなみ海道の終点は間近です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(7)
道後温泉を出て、しまなみ海道に入りました。しまなみ海道は愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ約60キロメートルの自動車専用道路です。橋梁部分には自転車や歩行者が通れる道が付いています。今治市からしまなみ海道に入ります。横には自転車道が付いています。途中にある、亀老山展望公園。隅研吾氏設計の展望台。半地下式で景観を壊さないように配慮されています。ここからの展望はしまなみ海道随一と言われています。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(6)
高松港から観光バスに乗り道後温泉に向かいました。温泉を少し散歩しました。道後温泉本館は外装工事中。温泉には入れるようでした。坊っちゃん列車からくり時計。ちょうど時を告げていました。時計の周りには沢山の見物人が。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(5)
岬の分教場の次は寒霞渓に登りました。山頂まではロープウエイで行きます。ロープウェイからは奇岩の作る渓谷美が見られます。山頂からの眺め。かわらけ投げ。丸い輪に向かって投げますがなかなか命中しません。山頂にある、平成2年完成の総工費一億円のトイレ。冷暖房完備、広い個室はウオシュレット付。小豆島を後にし、高松港に向かいます。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(4)
オリーブ園の次は映画「二十四の瞳」の撮影に使われた岬の分教場を見学しました。岬の分教場明治35年に建築、昭和46年まで実際に地域の学校として使用されました。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(3)
小豆島では最初にオリーブ園を見学しました。オリーブ園からの眺め。オリーブの原木。1919年に植えられ、現在も実を付けています。オリーブ油を作る圧搾機。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(2)
小豆島やしまなみ海道等を旅するツアーに参加しました。岡山から瀬戸大橋線で高松に向かいます。瀬戸大橋を渡ります。高松駅到着。高松港から小豆島(土庄港)行きのカーフェリーに乗船します。船は霧の中を航行しました。土庄港に接岸。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(1)