再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
西浦賀の街並みを歩きます。江戸時代に繁栄した様子が残された石倉から分かります。西叶神社を出て街並みを歩きます。あちこちに石倉を見ることが出来ます。古い商店には鏝絵(こてえ)が飾ってありました。SONYα7Ⅱペリー来航(6)
西浦賀の街並みを歩いています。ハト小屋。昔は近所でも沢山のハトが飼われていました。西叶神社。見事な彫刻は安房の代表的彫刻師後藤利兵衛義光によるもので、天保13年(1842年)建立。SONYα7Ⅱペリー来航(5)
船が浦賀港に戻ってきました。レンガドックを覗いたら浦賀の町を探訪します。下船します。レンガドックの底では改修工事が行われています。手前の水色のクレーンの模型は取り壊された巨大なクレーンを偲ばせます。ドックを出て、西浦賀の市街地に向かいます。右側の道に入ると旧市街地です。SONYα7Ⅱペリー来航(4)
船はペリーが航行した浦賀湾や久里浜湾等の沖を進みました。観音崎の灯台を見たら反転しました。久里浜湾に向かいます。久里浜湾入口のアシカ島。江戸時代はアシカが群れをなしていたそうです。久里浜海岸でペリーは幕府の役人にアメリカ大統領からの国書を渡しました。浦賀港に戻ってきました。東叶神社。この辺りは江戸時代は干鰯(ほしか)問屋が軒を連ねていました。SONYα7Ⅱペリー来航(3)
船は浦賀湾内を航行し東京湾に出ます。カヌーの練習をしているグループがおりました。西叶神社を通過します。船番所跡。江戸湾に入ってくる船はこの場所で乗員や積んでいる荷物を調べました。灯明堂が浦賀港の入口です。ペリー艦隊は浦賀港内にも入ってきています。SONYα7Ⅱペリー来航(2)
ペリー提督が浦賀に入港し、久里浜で国書を幕府に渡したのが1853年。今年はそれから170周年になります。ペリー来航の跡をたどるツアーに参加しました。集合場所は浦賀ドック。明治32年(1899年)建設のレンガ造りのドック。ドック横のクレーン船に乗り込みます。出港しました。SONYα7Ⅱペリー来航(1)
京成線町屋駅の周辺を歩きます。京成線町屋駅この人大丈夫だろうか。京成線ホームの上です。ご安心を。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(7)
都電荒川線に乗って町屋にやって来ました。町屋は三ノ輪橋とは大分様子が違います。都電荒川線町屋駅。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(6)
三ノ輪橋商店街をもう少し歩きます。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(5)
三ノ輪橋商店街を歩きます。昭和の雰囲気が残る商店街です。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(4)
三ノ輪橋周辺をさらに歩きます。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(3)
路地裏を歩くうちに、都電荒川線三ノ輪橋駅に着きました。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(2)
今回は三ノ輪・町屋周辺を歩きます。先ずは東京メトロ日比谷線三ノ輪駅下車。東京メトロ日比谷線三ノ輪駅周辺。常磐線のガードをくぐります。SONYα7Ⅱ三ノ輪・町屋(1)
しょうぶ園では花がら摘みをする早乙女姿の女性が沢山見られました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(3)
ショウブの花々を鑑賞します。赤い紫陽花も見頃でした。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(2)
横須賀しょうぶ園ではショウブが見頃とのことで行ってきました。(6月4日取材)バス停からしょうぶ園まで歩きます。途中の中学校グランド。しょうぶ園到着。期待が高まります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園(1)
大阪巡りの最後は大阪駅です。この後新幹線で帰宅の途につきました。ところで、たまたまNHK「ブラタモリ」で大阪駅や周辺を扱い。タモリは「ここはカオスだ。」と表現しましたが私は三日間歩き回り、そのことを充分に体験しました。大阪駅中央北口から入ります。中央北口。3階通路このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大阪巡り(13)
梅田スカイビル空中庭園に入ってみます。二つのビルの間に空中庭園があります。チューブで空中庭園展望台に登り降りします。展望台SONYα7Ⅱ大阪巡り(12)
大阪城の後は、いったん大阪駅に戻り梅田スカイビル空中庭園展望台に向かいます。大阪駅桜橋口から歩き始めます。ガードをくぐります。梅田地区はビルの建設ラッシュです。梅田スカイビル空中庭園展望台が見えてきました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(11)
大阪三日目は先ず大阪城を見学しました。内部は「大坂夏の陣」、大阪城の歴史など博物館になっています。SONYα7Ⅱ大阪巡り(10)
通天閣内部をもう少し見て、次に新世界を歩きます。通天閣。「新世界」を歩きます。SONYα7Ⅱ大阪巡り(9)
通天閣にやって来ました。通天閣に入ってみます。道路の先に通天閣が。通天閣展望台。何やら人だかりが。地上で火事が発生。消防活動が始まりました。火事は間もなく消火されました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(8)
四天王寺の参道から一心寺の裏を通って通天閣に向かいます。四天王寺の参道を歩きます。一心寺裏の細い道を進みます。通天閣が見えてきました。SONYα7Ⅱ大阪巡り(7)
あべのハルカスの次ぎに四天王寺を参拝しました。四天王寺にやって来ました。度々の天災・火災に遇いましたが、ほぼ創建当時の姿で再建されたそうです。回廊の中に金堂や五重塔があります。金堂五重塔SONYα7Ⅱ大阪巡り(6)
仁徳天皇陵古墳の次は天王寺駅まで乗車し、あべのハルカスに行きました。あべのハルカスに向かいます。さらにハルカス300へ。吹き抜け空間の周りはガラス張りの天上回廊。高さ300メートルからの眺望。SONYα7Ⅱ大阪巡り(5)
二日目は先ず仁徳天皇陵古墳へ。三重の壕が巡らされている。墳丘長約486メートル。日本で最大の前方後円墳。「前方部」正面の拝所から参拝。堺市博物館では仁徳天皇陵古墳や周辺の古墳を詳細に解説している。堺市の祭りや歴史なども紹介・展示されていた。SONYα7Ⅱ大阪巡り(4)
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再び大江戸線に乗り、隣の門前仲町に移動しました。懐かしい車がありました。このカツ丼は食べでがありそうです。深川不動堂にやって来ました。ここで願い事を書いてこの水に浮かべると、不思議なことに紙は溶けていきます。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(3)
もんじゃ焼きの通りを歩いた後は路地を歩きました。路地に入りました。花を飾り、生活感に溢れています。公園のツツジはほぼ満開でした。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(2)
写真のグループで月島・門前仲町の撮影に出掛けました。先ずは月島でもんじゃ焼きを食べます。大江戸線月島駅下車。直ぐにもんじゃ焼きの店に入ります。従業員が焼き方を指南。キャベツ等の具材を焼き、円形の土手を作るのがポイント。もんじゃ焼きの店が連なっています。この日は平日とあって、昼時でもお客はまばら。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(1)
ツアーの最後は小諸城址懐古園を見物しました。懐古園も桜が見頃になっていました。小諸城内に入っていきます。枝垂れ桜も満開でした。園内にはたくさんのサクラがありました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ春の高山祭(10)
ツアー三日目は高山を出発し、先ず臥龍桜を見物しました。臥龍桜。樹齢1100年のエドヒガン桜です。龍が伏した樹形からその名が付きました。臥龍桜の近くには高山線飛騨一ノ宮駅があります。周辺にはたくさんのサクラが植えてありました。SONYα7Ⅱ春の高山祭(9)
獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
高山市内を見物して歩いていたら、賑やかな鐘や笛の音が聞こえてきた。音の方に向かうと獅子舞の一団だった。獅子舞の一団に出会いました。榊を先頭に、獅子、笛、鐘が続きます。保育園に入っていきました。園児の前で獅子舞が披露されました。獅子舞の一団は中学生くらいの少年・少女。よく練習しているようでとても上手でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(7)
からくり奉納鑑賞の後は、道路に並べられた屋台を見て回りました。高山祭の屋台は江戸時代に造られました。天保時代に彫刻師立川和四郎などが活躍し、屋台が豪華な彫刻で飾られるようになりました。屋台の屋根は屋根飾り、千木、勝男木などで飾られています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(6)
二日目は朝ホテルを出て、からくり奉納会場に急ぎます。3台の屋台がからくり奉納を行いました。奉納会場に急ぎます。会場は既にたくさんの人が集まっていました。からくり奉納のⅠ番目は少女が鬼夜叉に変身するからくりです。鬼夜叉の面を付けて、見事に変身成功。屋台の幕内に隠れている人の糸の操作で人形を動かします。二番目のからくりは箱の中の紙片を撒きます。SONYα7Ⅱ春の高山祭(5)
春の高山祭の夜祭は18時から21時。この間、商店街も店を開けています。店の様子を見てみましょう。住宅地の道も提灯などを灯しています。食べ物屋さんは人で賑わっています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(4)
高山にやって来ました。先ず夜祭りを見物しました。12台の屋台がそれぞれ約100個の提灯を灯して町を巡ります。賑やかな音楽とともに屋台がやって来ました。楽人達が屋台囃子を奏でます。道端はびっしりと観客が詰めかけています。道路を直角に曲がります。屋台は左の道に入っていきます。道路は人でいっぱいです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(3)
白川郷では内部が公開されている合掌造りの家を見学しました。このお宅を見学させていただきました。居間は囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋です。一階部分はがっしりした造りで、部屋もたくさんあります。二階・三階は養蚕をしたり倉庫として使われています。屋根裏もしっかりした材木で強固に組まれています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(2)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
朝倉彫塑館通りを歩いたら、日暮里駅に戻ります。朝倉彫塑館通りに入ります。朝倉彫塑館。谷中せんべい。この辺りから日暮里駅に戻ります。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ谷中散歩(6)
谷中の街を歩き旧吉田屋酒店などを見学しました。旧吉田屋酒店。近くのお寺では花祭りをやっていました。谷中のヒマラヤスギ。SONYα7Ⅱ谷中散歩(5)
谷中霊園を出て谷中の街に入りました。SONYα7Ⅱ谷中散歩(4)
谷中霊園の中をもう少し歩きます。そにSONYα7Ⅱ谷中散歩(3)
谷中霊園に入りました。先ず、天王寺を参拝します。天王寺山門。SONYα7Ⅱ谷中散歩(2)
日暮里駅下車。今回は谷中を歩きます。日暮里駅改札を出て線路に沿って歩きます。階段を登ると谷中霊園です。SONYα7Ⅱ谷中散歩(1)
大光寺を後にして、JR衣笠駅に向かいます。衣笠公園。メタセコイア並木に囲まれています。横須賀線のガードをくぐります。JR衣笠駅に到着です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(4)
瘡守稲荷の後は大光寺を参拝しました。竹林はほとんど手入れがされていないようです。大光寺山門。境内は綺麗に清められ、フジも見事に咲いていました。「脚下照顧」。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(3)
横須賀しょうぶ園の次は瘡守稲荷に参拝しました。途中には畑もありました。瘡守稲荷。江戸時代には病気平癒の神社として多くの参拝者が訪れました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(2)
横須賀しょうぶ園のフジが満開のようなので見に行きました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(1)
沿道のサクラを見ながら下流の橋を渡り、反対岸からサクラを眺めました。反対岸から対岸を見ています。京急弘明寺駅に戻りましょう。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(4)
大岡川に沿ってサクラを見ながら歩きます。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(3)
弘明寺を出て、参道の商店街を進むと大岡川の橋になります。弘明寺参道の花屋さん。大岡川に架かる橋。両岸の桜は満開でした。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(2)
少し前になりますが3月30日、満開とのことで大岡川のサクラ見物をしましたのでお知らせします。京急線弘明寺駅下車。先ずは弘明寺のサクラ見物から。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(1)
しまなみ海道をさらに進み、大山祇神社や多々羅展望台に立ち寄りました。大山祇神社。乎知命(おちのみこと)お手植えの楠(樹齢2600年)。境内には楠の巨木が何本か見られました。多々羅展望台。正面は多々羅大橋。しあわせの鐘。さらに進むと尾道の街並みが見えてきました。しまなみ海道の終点は間近です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(7)
道後温泉を出て、しまなみ海道に入りました。しまなみ海道は愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ約60キロメートルの自動車専用道路です。橋梁部分には自転車や歩行者が通れる道が付いています。今治市からしまなみ海道に入ります。横には自転車道が付いています。途中にある、亀老山展望公園。隅研吾氏設計の展望台。半地下式で景観を壊さないように配慮されています。ここからの展望はしまなみ海道随一と言われています。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(6)
高松港から観光バスに乗り道後温泉に向かいました。温泉を少し散歩しました。道後温泉本館は外装工事中。温泉には入れるようでした。坊っちゃん列車からくり時計。ちょうど時を告げていました。時計の周りには沢山の見物人が。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(5)
岬の分教場の次は寒霞渓に登りました。山頂まではロープウエイで行きます。ロープウェイからは奇岩の作る渓谷美が見られます。山頂からの眺め。かわらけ投げ。丸い輪に向かって投げますがなかなか命中しません。山頂にある、平成2年完成の総工費一億円のトイレ。冷暖房完備、広い個室はウオシュレット付。小豆島を後にし、高松港に向かいます。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(4)
オリーブ園の次は映画「二十四の瞳」の撮影に使われた岬の分教場を見学しました。岬の分教場明治35年に建築、昭和46年まで実際に地域の学校として使用されました。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(3)
小豆島では最初にオリーブ園を見学しました。オリーブ園からの眺め。オリーブの原木。1919年に植えられ、現在も実を付けています。オリーブ油を作る圧搾機。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(2)