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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

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2015/04/12

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  • 史劇・『天安門は見ていた』ー54

    第7場(1987年1月の下旬、北京・天安門広場にあるベンチで、真昼間に瘋癲老人と徘徊老人が話し合っている)瘋癲老人「久しぶりだが、元気にやっているの?」徘徊老人「うん、まあまあだ。しかし、こういう寒い日は身に応えるね」瘋癲老人「いや、ごめん、夕方になる前に話をやめよう」徘徊老人「うん、ところで、胡耀邦が党総書記の地位をクビになったそうだな。みんながその話で持ち切りだ」瘋癲老人「そうなんだよ、彼が総書記から降ろされたことに、多くの人がショックを受けている。特に、若い人たちへの影響は大きいようだ」徘徊老人「なぜ降ろされたの?民主化とやらは遅れるのかね」瘋癲老人「党の長老たちが猛烈に“暗躍”したそうだ。そうした動きに、鄧小平さんも逆らえなかったのかな」徘徊老人「いや、鄧小平も胡耀邦に嫌気が差したというぞ。彼の民主化、...史劇・『天安門は見ていた』ー54

  • <小説> 緩利(ゆるり)さんという先輩記者ー2

    このように緩利は、自分勝手でわがままな青年に見えたが、私は妙に彼に惹かれるものがあった。それは彼があっけらかんとして、裏も表もない正直な性格だったからだろう。また、私は緩利から、取材上のいろいろな話を教えてもらっていたのだ。彼は私の3年先輩だが、入社して5年ぐらいなのに外務省や労働省、総評などの取材経験がある。それは、Fテレビが開局してから数年しかたっていないので人出が足りず、どんな若手でも取材現場に出していたからだろう。囲碁で黒石を全部取られた話は別として、私には忘れられないことがもう一つある。その数カ月前だったか、緩利が“春闘”の取材に全力を挙げていた時、総評のある幹部とテレビの生放送に出たことがあった。当時、報道番組の生放送はめずらしく、総評の幹部も緩利もだいぶ緊張していたようだ。新米の私はその番組のFD...<小説>緩利(ゆるり)さんという先輩記者ー2

  • 史劇・『天安門は見ていた』53

    第6場(12月末のある日、北京の鄧小平の自宅に胡耀邦が訪ねてくる。客間のテーブルを挟んで2人は話し始める)胡耀邦「面会の要望を聞いていただいて、ありがとうございます」鄧小平「いやいや、実は私の方からも内密に会いたかったのだよ」胡耀邦「そうですか、では、どうぞお話しを」鄧小平「うむ、それでは話すが、総書記は合肥(ごうひ)の科学技術大学で起きた学生たちのデモを、どう見ているのかね。デモは南京や上海などにも“飛び火”した。私は許せないと思うが・・・」胡耀邦「過激なデモにならない限り、私はそれで良いと思っています。学生たちは主に地方の党幹部の汚職などに反発し、抗議しているのですよ」鄧小平「それは分かっている。しかし、放っておくとデモは過激になるばかりで、学生たちの要求や抗議はますます拡大するばかりだ。デモとはそういうも...史劇・『天安門は見ていた』53

  • <小説> 緩利(ゆるり)さんという先輩記者(1)

    <これは小説=フィクションなので、事実と違う面があることもご了解願いたい>「おい、早くやれよ」「待ってくださいよ~、考えているんだから」先輩の緩利(ゆるり)がせわしなく言うが、私はじっくりと考えているのだ。そう簡単に手は指せない。碁盤に先手で4目(よんもく)置いて勝負しているのだから、やすやすと負けるわけにはいかないのだ。緩利は囲碁が強いと聞いていたが、たしかに要所、要所に巧みな手を打ってくる。それに比べて、私はまったくの“素人”と言ってよく、人が打つ囲碁をいつも横から眺めていた程度だから、遅いのは仕方がない。「まるで、椎名(しいな)みたいだな」「えっ、椎名?」「そうだよ、椎名だ。彼は打つのが遅くてイライラしたよ」緩利は去年まで外務省の担当記者をしていたから、外務大臣の椎名悦三郎と手合わせをしたことがあるようで...<小説>緩利(ゆるり)さんという先輩記者(1)

  • 史劇・『天安門は見ていた』52

    第5場(12月下旬、北京の李慶之・摂栄花夫妻の家に宋哲元が遊びに来ている)宋哲元「君は上海に行っていたんだね」李慶之「うん、公司(コンス・会社)の用でたまたま行っていたが、なかなか面白かったよ」宋哲元「ということは、学生たちのデモを見たということなの?」李慶之「うん、そうだ、かなり整然として統制がとれたデモだった。つまり政治の民主化を求めるというものではなく、一部の党幹部の汚職や腐敗に抗議するデモだったのさ」宋哲元「なんだ、合肥(ごうひ)の民主化要求デモとはずいぶん違うね」李慶之「そうさ、だから整然としているんだ。こういうデモなら、当局も安心して対応ができるのさ。上海市長の江沢民(こうたくみん・後の中国共産党総書記)という人はデモには反対だったが、いち早く学生たちの集会に出向き、彼らの要求は理解できると言ってう...史劇・『天安門は見ていた』52

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