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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • 明治17年・秩父革命(2)

    第3場[8月中旬、上吉田村にある高利貸し・山中常太郎の家。常太郎と妻のヨネ。]ヨネ「あなた、借金をした農民がきょうも何人かやって来て、ご主人に会わせてくれとか、返済を延期してほしいなどと言ってきましたよ」常太郎「まったく困ったものだ。返済は延期できないと、この前はっきりと言っておいたのに。ほんとに図々しい奴らだな。借用証書にも返済期限がちゃんと書いてあるじゃないか」ヨネ「1年とか2年の“年賦払い”にはできないのですか?」常太郎「それは無理だ、そんなことをしている仲間はいない。もしそんなことをしたら、同業の連中に迷惑をかけることになる。借りたものをきちんと返すのが、当り前じゃないか。それに、仮りに年賦払いに変えたところで、あいつらはまた返済を延ばしてくれと泣きついてくるに決まっている。だらしない奴らだからな...明治17年・秩父革命(2)

  • 松島や ああ松島や 松島や(松尾芭蕉?)

    以前、俳句のことでいろいろ話したことがあるが、日本人はどうも「権威」や「形式」に弱い。今は民主主義社会だから、昔のように「お上」にひれ伏すことは少なくなったが、権威に弱い風習は未だに残っているようだ。そこで、以前取り上げた俳句の話を、もう一度書き直しながら論じていきたい。松尾芭蕉像(葛飾北斎の画)「松島やああ松島や松島や」という句がある。素人や俳句を始めたばかりの人がこういう句を作ったら、俳句の専門家や批評家は何と言うだろうか。たぶん「何だ、こりゃあ。こんなものが俳句か!」と一笑に付すのではないか。ところが、これは俳聖・松尾芭蕉の句だとなると、「こんなものが俳句か!」とはまず言わないだろう。つまり、素人が作ったか俳聖が作ったかで、評価が変わる可能性が高いのだ。これを「権威主義」と言う。実はこの句は、後世の...松島やああ松島や松島や(松尾芭蕉?)

  • 唾液腺が崩壊する時

    <2022年8月20日に書いた以下の記事を復刻します><はじめに>「旧統一教会」のことばかり考えていると、暗たんとした気持ちになる。救いようのない感じになるのだ・・・ほかになにか書くことはないかと模索していたら、唾液腺のことを思い出した。少し下品な話になるかもしれないがお許し願いたい。1)よく涙腺が崩壊して涙がとまらないと言うが、唾液腺ももちろん崩壊する時がある。私は医学的、生理学的なことには素人だが、今や老境に入ったので、自分の体験を話していきたい。唾液腺が崩壊した主な体験は3つある。まず、それは小学6年の時の“給食”の時間に起きた。育ち盛りの頃は誰でも経験しているだろうが、並んで給食を待っている時(当時は順番待ちで給食を受けた)、カレーライスなどの匂いがただようと、急に唾液が湧き上がり口中に広がった。...唾液腺が崩壊する時

  • 『翼をください』

    フォークグループの「赤い鳥」が1971年(昭和46年)に発表した曲で、作詞は山上路夫、作曲は村井邦彦である。多くの歌手が歌っているが、山本潤子のものを載せよう。私もこの曲には思い出があり、特に23年前、定年でテレビ局を去る時の送別会で、後輩の女子社員やアルバイト女性らが、この唄を歌って見送ってくれたことが忘れられない。人間も死に際には、この唄の歌詞のような気持ちで“天国”へ行ければ幸せではないだろうか。つい最近、映画「耳をすませば」のDVDを見ていたら、主題歌としてこの曲が歌われたのも印象的だった。2007年(平成19年)には「日本の歌百選」に選ばれている。翼をください(昭和46年赤い鳥)SongforMemories(山本潤子・鈴木康博・細坪基佳)『翼をください』

  • 明治17年・秩父革命(1)

    〈はじめに〉このレーゼドラマ(読むための戯曲)はフィクションではあるが、もとより史実に基づくことに留意している。私が最も参考にした著作は、「秩父事件」(井上幸治著・中公新書)と「秩父困民党」(井出孫六著・講談社現代新書)である。他の参考文献・ビデオ、映画などは以下の通りである。「秩父事件〈佐久戦争〉を行く」(上條宏之編・銀河書房)、「秩父コミューン伝説」(松本健一著・河出書房新社)、「秩父困民紀行」(浅尾忠男著・新日本出版社)、「女たちの秩父事件」(著者多数・新人物往来社)、「『明治』という国家」(司馬遼太郎著・日本放送出版協会)、小説「花埋(うず)み」(渡辺淳一著・角川文庫)、「参謀本部と陸軍大学校」(黒野耐著・講談社現代新書)、「図説日本の歴史14近代国家の展開」(編集責任者・小西四郎、集英社)、NH...明治17年・秩父革命(1)

  • 『みかんの花咲く丘』

    終戦後、最も有名になった曲は『みかんの花咲く丘』だろう。この童謡がNHKラジオで放送された直後に、全国の津々浦々からもの凄い反響があったという。敗戦に打ちひしがれた人々は、きっと心の潤いと慰めを求めていたのだろう。川田正子さんの歌声が今でも忘れられない。https://www.youtube.com/watch?v=9JLubaIMfeI『みかんの花咲く丘』

  • 織田信長・日本史上、不世出の改革者

    〈以下の記事を復刻します〉織田信長の肖像画(三宝寺所蔵)織田信長については、実に多くの伝記や歴史小説が出ているので、ほとんどの人がその存在を知っていると思う。また、私などよりも、信長について詳しく知っている人は大勢いるはずである。従って、具体的な事例を示しつつも、むしろ私の“信長観”をできるだけ語っていきたいと思う。一言でいって信長は、日本史上、類例を見ない改革者であり、おそらく今後も、このような改革政治家は、二度と出現することはない存在と言えよう。そういう意味で、“不世出”の人物である。1)信長の奇行や残虐さはよく知られている。父・信秀の葬儀の時に、礼装するどころか、茶せん曲げの髪に袴もはかず、抹香を仏前に投げつけて、さっさと退場したことは有名な話だ。誰もが、尾張の大うつけ(大馬鹿者)と思ったにちがいな...織田信長・日本史上、不世出の改革者

  • <復刻> みんな “コロナ”に負けるな!

    左翼も右翼も負けるな!中道も負けるな!みんな負けるな!新型コロナウィルスに負けるな!みんな頑張っていこう!!(2020年4月12日)<復刻>みんな“コロナ”に負けるな!

  • 映画『アレクサンドリア』

    <以下の文を復刻します>ヒュパティアの想像画久しぶりに素晴らしい映画・DVDを観た。『アレクサンドリア』という2009年のスペイン映画で、レイチェル・ワイズ(ヴァイス)が知的で美しい女性天文学者を演じる。ヒュパティアという4世紀から5世紀に実在した女性の話だが、彼女は最後にキリスト教徒によってなぶり殺される。熱狂的なキリスト教に批判的なヒュパティアは、学問でもキリスト教の天動説に疑問を持ち地動説に傾いていく。それをキリスト教徒は絶対に認めず、彼女を“魔女”などと非難して惨殺するのだが、ユダヤ教とキリスト教の対立、学問と宗教の葛藤が見事に描かれた最高級の作品だろう。レイチェル・ワイズという女優はほとんど知らなかったが、彼女にぴったりの役柄だったのか。魅力的で美しかった。(2014年6月27日)『アレクサンド...映画『アレクサンドリア』

  • 山上徹也被告と赤穂浪士(義士)の共通性について

    <2022年8月13日に書いた記事を“原文のまま”復刻します。>1)一国の元総理大臣が公衆の面前で暴漢に射殺されるというのは、尋常なことではない。ご存知のように、安部晋三元総理大臣が7月8日、参議院選挙の応援演説に行った奈良市内で、山上徹也という男に手製の銃で撃たれて死亡した。この事件は日本中を驚かせた。戦前ならいざ知らず、戦後の平和な日本でこのような“テロ事件”が起きるとは、ほとんどの人が予測しなかっただろう。もちろん、私も驚いた。しかし、その後の山上容疑者の取り調べで、彼が旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)と縁の深かった安部元首相を狙ったことが分かってきた。この辺の事実関係については連日、マスメディアが盛んに伝えてきたので大方の人は分かっているだろう。だから、詳しいことは省略し、私なりに事件...山上徹也被告と赤穂浪士(義士)の共通性について

  • 赤穂浪士の討ち入りは“テロ”ではないか

    <以下の記事を復刻します。>赤穂浪士日本人に最も親しまれている物語に『忠臣蔵』がある。ごぞんじ赤穂浪士47人の討ち入りを描いたもので、あまりにも有名だから説明する必要もないだろう。それほど赤穂浪士の討ち入りは、300年以上にわたって日本人の心を揺さぶってきた。俗に“元禄赤穂事件”と呼ばれるこの討ち入りは、今で言うと正に“テロ行為”だと私は思う。テロとは一般に政治的暴力行為を意味するが、ここで討ち入りの性格を詳しく分析するつもりはない。ただ、この事件が江戸幕府の「裁き」に起因して起きたものだから、政治的意味合いが強いと考えているのだ。つまり、江戸城で起きた浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷沙汰は殿中抜刀の罪に当たるとして、彼は即日切腹を申し渡されたのである。一方、斬られた吉良上野介(こうずけのすけ)に対しては...赤穂浪士の討ち入りは“テロ”ではないか

  • 『ロンドンデリーの歌』

    多くの訳詞がある歌の中で、この『ロンドンデリーの歌』ほど様々な歌詞があるのは珍しいだろう。それだけ皆に愛され、歌い継がれてきたと思う。歌詞は野上彰。https://www.youtube.com/watch?v=VMWbXEtjz0Q『ロンドンデリーの歌』

  • <過去の記事> 日中戦争を画策? アメリカの大謀略か

    <最近また、日本と中国の戦争を画策する者がいるようなので、2009年1月14日に書いた以下の記事を復刻します。>ジョセフ・ナイ氏世の中は何が起きてもおかしくない。国際政治というのは、一言で云うと“謀略戦”なのである。それは分かっているつもりだが、今回、アメリカのオバマ次期政権の下で駐日大使に任命される予定のジョセフ・ナイ氏が、過去に恐るべき謀略を画策していたことを取り上げよう。これは、ある方のサイトで知り元の記事を読んだので、末尾にリンクしておきたい。ナイ氏はかつて、アメリカ大統領直属の国家安全保障会議(NSC)の議長を務めるなど、外交戦略を専門とする国際政治学者である。また、アメリカ民主党政権の高官をしばしば務め、知日派としても知られているそうだ。その彼が過去に、日本に対する戦略会議の報告書をまとめた。...<過去の記事>日中戦争を画策?アメリカの大謀略か

  • モンゴルの思い出

    <以下の記事は、2002年6月にモンゴルを旅行した時のものです。>モンゴルの草原1)大学時代からの友人・Y君の強い誘いがあって、私は6月5日から12日までモンゴルを旅することができた。Y君は大変なモンゴル通で、彼と国内の旅行会社がコースを企画して、今回の観光旅行となったものである。モンゴルの窓口は首都・ウランバートル(「赤い英雄」という意味)である。4月から成田とウランバートルの間にモンゴル航空の直行便が就航したので、我々11人のツアー客はそれに乗り込みモンゴル入りした。到着した5日と翌日はウランバートルの市内観光を楽しんだが、7日にはそこから1100キロほど西北西にある、オブス県のウランゴムという所へ国内便に乗って訪れた。ここはロシアとの国境に近い極めて辺ぴな地域である。何故こんな所に旅行したかというと...モンゴルの思い出

  • <過去の記事> 日本医師会と“町医者”は何をやってるんだ!?

    <以下の記事を復刻します。>きょう(2021年8月10日)、フジテレビの情報番組『バイキング』を見ていたら、兵庫県尼崎市の医師・長尾和宏さんが、新型コロナの感染症について非常に鋭いことを言われていた。こういう医師を知ったのは、不勉強だが初めてである。すぐにネットで調べたら、長尾さんは6月にも「デイリー新潮」で同じようなことをおっしゃっている。とても参考になった。医療にはもちろん素人の私だが、日本医師会や一般の開業医(町医者)、さらに政府・厚労省の対応は正しいのかどうか、皆さんも長尾さんの発言をよく読んで、ぜひ考えて欲しい!以下に6月17日配信の「デイリー新潮」の記事を載せておく。(2021年8月10日)https://news.yahoo.co.jp/articles/7ed58cd377da861da7...<過去の記事>日本医師会と“町医者”は何をやってるんだ!?

  • 『サハリン物語』の背景とイメージ

    『サハリン物語』の背景は、まず分断された「南北朝鮮」がイメージとしてある。カラフト王国とロマンス王国がそれだ。次に、ヤマト帝国はもちろん日本、シベリア帝国はソ連邦、ないしはロシアである。ゲルマン帝国は当然ナチス・ドイツだ。スパシーバ王子やリューバ姫、マトリョーシカ女王らは完全に架空の人物で、スパシーバはロシア語で「ありがとう」、リューバは「愛」を意味する。マトリョーシカは有名な人形「マトリョーシカ」からとったものだ(リューバ姫とマトリョーシカ女王は、知人のロシア人女性を少しイメージする)。マリアとベラ、ナディアは、マリア・シャラポワ、べラ・チャスラフスカ、ナディア・コマネチらのスポーツ選手から名前を借りた。ヤマト帝国の皇帝イワレヒコノミコトは神武天皇、後の皇帝カワミミノミコトは綵靖(すいせい・すいの漢字は...『サハリン物語』の背景とイメージ

  • <まとめ> サハリン物語

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。サハリンの郷土博物館(ユジノサハリンスク)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/35d73831cdeadad627897f278bb65974http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/80c7821795f4c82c4afc5262ad2b5d54http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/6ee26127da7c95e999d919d21635a446http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/ff529b4505da2aec6d63af3d8bcae632http://blog.goo...<まとめ>サハリン物語

  • サハリン物語(19・最終回)

    ヤマト帝国軍やサハリン軍が、旧都・トヨハラの一帯を完全に征圧したのは数日後のことでした。シベリア軍は主に西海岸の方へ撤退し反攻の機会をうかがうことになります。しかし、スターリン皇帝らは自信をもって臨んだシベリア艦隊が完敗したことに衝撃を受けていました。特に、あの「飛行船」の猛威はショックでした。ヤマト帝国がこれまでにない最新兵器を開発していたことに、してやられたと思わざるを得ません。戦いは振り出しに戻った感がありました。こうした中で、マトリョーシカらにとって最大の悲劇が訪れようとしていました。反転攻勢に出た人民義勇軍は、サハリン正規軍と協力して敵を追撃しました。マトリョーシカらの一隊も、マオカ(真岡)に退却したシベリア軍を追っていましたが、ある日のこと、敵兵を見失ったのです。それは敵の“罠”だったのでしょ...サハリン物語(19・最終回)

  • サハリン物語(18)

    ここでマリアやベラ、ナディアについてもっと詳しく述べたいと思います。マトリョーシカについては詳しく述べてきたつもりですが、他の3人については十分でありません。まずマリアですが、マトリョーシカの侍女として最も気心の知れた仲の良い娘です。叔母のカリンカの跡を継いで侍女になり、マトリョーシカとはほとんど行動を共にしてきました。「あなたは20歳になっても背が伸びるのね」とマトリョーシカにからかわれるほど、4人の中では最も背が高く190センチ近くもありました。大女ですね(笑)。次にベラですが、マトリョーシカの恋人・アレクサンドルの妹です。4人の中では最も優美で女らしく、その立ち居振る舞いは若い男性の憧れの的でした。兄妹そろって美男美女、こういう兄妹もいるんですね。最後にナディアです。ボーイッシュな風貌はマリアに似て...サハリン物語(18)

  • 三島由紀夫事件との“接点”

    〈2010年11月30日に書いた以下の記事を復刻します。〉三島由紀夫氏(31歳の時)今月25日は三島由紀夫(本名は平岡公威)が割腹自殺してからちょうど40周年に当たるのだが、私は何も書く気になれなかった。ネットではいろいろ記事が出ていたが、無視していた。ところが一昨日、ある人が寄せてくれたコメントの中に三島事件に関する記述があり、にわかに色々なことを思い出したのである。1970年11月25日午前、三島由紀夫は「楯の会」のメンバー4人を引き連れ、東京・市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込んだ。そして、M総監を人質に取って立てこもり、集まった自衛官らを前に“決起”を促す演説をした後、日本刀で割腹自殺した。これが世に言う「三島由紀夫事件」であり、当時は国内外に大きな反響を巻き起こしたのである。あれから4...三島由紀夫事件との“接点”

  • 歌に見る欧米人の感性も見事なもの

    (以下の記事を復刻します。)私が好きな「二木紘三のうた物語」の中に『夜霧のしのび逢い』がある。これが素晴らしい演奏なので、いつもうっとりと聴いてしまう。それはいいが、この歌の原曲は『LaPlaya』(スペイン語で“浜辺”という意味)だそうで、原詩はピエール・バルーというフランス人の歌詞を使っていた。原詩を調べてみたら、これも『LaPlage』というフランス語の“浜辺”がタイトルになっていて、中身は夏の浜辺をバックに愛を歌ったものである。日本語詞の『夜霧のしのび逢い』とは、ずいぶん趣きが違うのだ。それはいいとして、原詩を追っていったらハッと気がつくことがあった。それは「私たちが愛し合った美しい日々の跡を波が消し去る」とでも訳したらいいのか、そういう詩が出てきたのである。(原詩・・・Lavagueefface...歌に見る欧米人の感性も見事なもの

  • 「もったいない」精神を大切に

    <以下の文を復刻します。>飽食大国・日本を批判していたら、「もったいない」という言葉を思い出した。一時、故ワンガリ・マータイさん(ケニアのノーベル平和賞受賞者)が世界に広めてくれて有名になった言葉だが、最近はあまり聞かない。「もったいない」は英語だと"wasteful"で、むだづかいが多い、浪費的な、不経済なという意味だから、より分かりやすく現実的だろう。しかし、この日本語には物に対する畏敬の念、感謝の気持が込められているように思う。その点が素晴らしいのではないか。かつてバブル経済全盛の頃は、よく「消費は美徳」と言われたり、使い捨てが励行されたように記憶しているが、再び経済が活性化されようとも、そんなことは二度とあってはならない。「もったいない」は日本人が作り出した、日本発の言葉だ。「おもてなし」も良いが...「もったいない」精神を大切に

  • サハリン物語(17)

    一方、サハリンではスターリン皇帝の決断など知る由もなく、ツルハゲ王が退位し、マトリョーシカがついに国王に即位することになりました。ツルハゲ王は体調が悪いばかりでなく、精神的にも疲れ切っていたのです。その上、スターリンに“不義理”をした責任を感じていました。いわば、責任を取る形で退位したのです。こうすれば、少しはスターリンに義理が果たせるとでも思ったのでしょうか。マトリョーシカの即位式には、ヤマト帝国からスサノオノミコトが代表として参列することになりました。妻のナターシャが里帰りしているので、ちょうど都合が良かったのでしょう。ところが、シベリア帝国の方は案内状を出しても、誰も来ようとはしません。ツルハゲ王もマトリョーシカも、スターリンがひどく怒っているなと察しました。しかし、この時点で、まさかシベリア軍がサ...サハリン物語(17)

  • 現代社会と考えること・・・人間は考える葦である

    <以下の文を一部修正して復刻します。>散歩をしていたらたまたま同期生のSさんに出会った。彼女とはW大学仏文科で一緒だったが、今は偶然同じ地域に住んでいる。Sさんと立ち話をしているうちに昔の文学部を思い出したが、50年以上も前の文学部というのはそれなりに人気があったと思う。今はどうだろうか。その頃はフランス文学とかロシア文学などに一定の魅力があったと思う。戦後の混乱期を経て欧米の文学や実存主義、はてはシャンソンなどの大衆文化にも惹かれたものだ。しかし、今は仏文科や露文科などがほとんど存在しないという。つまり、そういう専門分野の存在価値がなくなったということか。世の中はますます合理主義や実利が尊ばれ、そんな“文学趣味”は無益だということか。外国文学よりも外国語、つまり会話やヒアリングなどが重視される。それは実...現代社会と考えること・・・人間は考える葦である

  • 美しいトキ・Nipponia nippon

    <この記事は2007年1月13日に書いたものでそのまま復刻します。>最後の日本産トキ「キン」の剥製正月早々、東京・渋谷区で兄が妹を殺して遺体をバラバラにしたかと思うと、同じ渋谷区で今度は妻が夫を殺しバラバラにして遺棄するなど、恐るべき事件が相次いで発覚した。殺伐とした世相の中で、何か明るい話題はないものかと新聞を読んでいたら、中国から年内にも、数羽のトキが日本に贈呈されるという記事が目に留まり、ほっとした気分になって筆を執りたくなった。トキ(朱鷺・鴇)は国際保護鳥であり、また特別天然記念物にも指定されている極めて貴重な鳥である。“日本産”のトキはすでに絶滅しているが、8年前に中国から番(つがい)のトキが贈られてきて、人工増殖や自然繁殖が行われている。トキは今や「日中友好」のシンボルとなっているようだ。残念...美しいトキ・Nipponianippon

  • 『青葉城恋唄』

    以前、仕事などの関係で仙台には何度も行ったが、実に落ち着いた雰囲気の街で“杜の都”の名にふさわしい所だと思う。そこで生まれたこの唄は、初恋の人をしのんで歌っているのだろうか。久方ぶりに故郷に戻ると、七夕の飾りや街並みは昔と変わらないのに、ただあの人だけがもういないといった感じだ。その後、仙台の街並みはだいぶ変わったようだが、この『青葉城恋唄』は末永く続いていく名曲だと思う。青葉城恋唄さとう宗幸YouTube『青葉城恋唄』

  • サハリン物語(16)

    マトリョーシカが20歳になったことで、ツルハゲ王はにわかに譲位の気持が高まってきました。王はこのところ体調が優れず、公務も休みがちになっていたのです。彼女が20歳になったら・・・と考えていたので、それも仕方がないでしょう。ある日、ツルハゲ王はマトリョーシカを呼びこう告げました。「夏にはお前に国王の位を譲りたい。私は足腰が弱ってきたし、体調も良くない。前にも言ったが、その点は分かっているね」「はい、覚悟しております」マトリョーシカは素直に答えました。すると、王の傍らにいたカチューシャ王妃が嬉しそうに言葉をかけてきました。「マトリョーシカ、どうもありがとう。あなたにそう言ってもらうと、私たちは本当に安心です。ソーニャ王太后もきっと喜んでくれるでしょう。また、スパシーバ王子もリューバ姫も草葉の陰で満足していると...サハリン物語(16)

  • エリザベス・テイラー

    <2011年3月にまとめた以下の記事を復刻します。>ふと、エリザベス・テイラーのことを思い出した。彼女に関する記事と映像を以下に載せておきます。映像はきっと目の保養になるだろう。<エリザベス・テイラー逝く>ハリウッドの大女優エリザベス・テイラーさんが死去した。79歳。謹んで哀悼の意を捧げたい。小学生の頃、彼女が出た映画を初めて観て、その美しさに茫然自失とした。アメリカにはこんなに美しい人がいるのかと思ったものだ。戦後、アメリカの栄光を象徴するかのような大女優であった。以下の文は2009年7月に書いたものだが、“永遠の美女”エリザベス・テイラーを偲んで原文のまま復刻しておきたい。リズよ、いろいろ楽しませていただきありがとう!ご冥福をお祈りします。(2011年3月24日)<永遠の美女・エリザベス・テーラー>1...エリザベス・テイラー

  • サハリン物語(15)

    宴席ではシベリアの歌や踊りも披露されました。若い男女がかわるがわる歌ったり、みなで踊ったりとマトリョーシカを歓待したのです。スターリン皇帝はますます上機嫌になり、拍手をしたり大笑いしたりとご満悦の様子でした。「マトリョーシカ殿、どうですか。サハリンの歌でも踊りでもやってみませんか」スターリンがそう言うので、せっかくの勧めを断るわけにはいきません。マトリョーシカは歌も得意です。彼女は立ち上がると、サハリンの民謡を歌い始めました。なかなかの美声ですが、宴席の人たちはそれよりも、彼女の愛くるしい美貌に改めて見とれている感じです。民謡を歌い終えると、万雷の拍手が巻き起こりました。「いや素晴らしい、素晴らしい!ハラショー!」スターリンも盛んに拍手を送りました。こうして宴会は和やかに盛り上がりましたが、やがてスターリ...サハリン物語(15)

  • 日本への移民増加は必至

    <2024年9月に書いた以下の記事を復刻します>深刻な人手不足が言われているが、日本への在留外国人は341万人を超え(令和5年末現在)、過去最多を更新している。そのうち、外国人労働者は約204万人で、技能実習生が40万人を占めているという。人出不足だから、外国人労働者は今後、さらに増えていくだろう。驚いたのは、日本はOECD加盟35カ国の中で、ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで第4位の移民受け入れ大国だという。極東アジアのわが国が、こんなに移民を受け入れているとは!しかし、それも当然なのだろう。少子化、人手不足だから仕方がない。しかも日本はとても安全な国だと言われているから、外国人も安心して来るに違いない。問題は、移民が増えることによって、どうしても起きるトラブルや犯罪、事件などの増加だ。最近もベトナム人...日本への移民増加は必至

  • 『ブルー・シャトウ』

    1967年(昭和42年)当時はグループ・サウンズの全盛時代だったが、この年、レコード大賞に輝いたのが、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』だった。グループ・サウンズは、他にもザ・スパイダースやザ・タイガースなど有名なものが幾つかあったが、私は特にブルー・コメッツが好きだった。それはある日、某テレビ局の地下通路で彼らとばったり出会ったからだろうか(笑)それはともかく、ブルー・コメッツの歌の中でもこの『ブルー・シャトウ』は今でも忘れられない曲だ。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ-ブルーシャトウ-1967『ブルー・シャトウ』

  • サハリン物語(14)

    マトリョーシカの一行は南部の旧首都・トヨハラで一泊した後、今の宗谷海峡を越えてヤマト帝国の北海道に入りました。その後も気球は順調に南下していきましたが、彼女やマリアは異国の風景に目を見張るばかりです。ほとんどが山林や田畑などですが、気温がどんどん暖かくなっていくのを実感しました。数日後に、気球はヤマト帝国の首都がある今の奈良盆地に到着しました。ナターシャと夫のスサノオノミコトが出迎えましたが、彼はすっかり美しく成長したマトリョーシカを見て驚いたのです。10数年ぶりの再会になりますね。あの頃、彼女はまだ幼児でしたから。ナターシャらに導かれ、マトリョーシカとマリアは国の“迎賓館”に案内されました。迎賓館と言っても静かな佇まいで質素なものです。そこで思わぬ女性がサハリン語で話しかけてきました。びっくりしたマトリ...サハリン物語(14)

  • 『ガード下の靴磨き』

    宮城まり子の歌を載せたくなった。この曲は1955年(昭和30年)にリリースされたものだが、敗戦後10年たっても、まだ“靴磨き”があったのだろうか。宮城さんの歌声は明るくのびのびとしていた。彼女はのちに肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」をつくり、身体障害児の養育に一生を捧げた。そして、2020年(令和2年)に亡くなられたのである。享年93歳。ガード下の靴磨き宮城まり子『ガード下の靴磨き』

  • サハリン物語(13)

    マトリョーシカはオオドマリを探訪しながら、父母の思い出をたどっていました。スパシーバ王子には膝の上に乗せられあやされたこと、リューバ妃にはお菓子を貰ったり手を繋いで歩いたことなど、全てが幼い頃の思い出です。4歳から5歳の頃でしたか、父母が相次いで亡くなった時、泣きじゃくったこともよく覚えています。そうした思い出にマトリョーシカは浸っていました。ナターシャは、夫のスサノオノミコトがこの辺りで戦いを重ねていたことを想像していました。ヤマト帝国軍の彼がまさか自分と結ばれようとは、初めのうちは思ってもみなかったのです。2人はそれぞれの感慨を胸に秘めながら、オオドマリから北へと向かいました。マオカ(真岡)からエストル(恵須取)、シスカ(敷香)などを経てノグリキに戻った時は、馬車でとはいえ長い旅でさすがに疲れました。...サハリン物語(13)

  • 昔の“テレビ新局”づくり&「小選挙区制」

    〈以下の記事を復刻します。〉サラリーマンとしてFテレビにいた時、最もやりがいがあったのは地方のテレビ新局づくりである。いつも失敗談ばかりしているので、たまには自慢話もいいだろう(笑)。しかし、これは本当の自慢ではなく、思いがけないことが幸いした話だ。やや専門的になるので、難しい話がいやな人とはここでお別れしよう。私は「小選挙区制」というのが嫌いで、今でもその思いは変わらない。できれば中選挙区制に戻して欲しいのだが、実はその「小選挙区制」が新局づくりに絶大な効果を挙げたという話である。以前、高知県は衆議院選挙も全県一区で、自民党は複数の代議士を擁立していた。ここでは分かりやすくA代議士とB代議士としておこう。AとBは互いに支持基盤が違って、争いを繰り広げていた。中選挙区制の場合はそれが当たり前だったのである...昔の“テレビ新局”づくり&「小選挙区制」

  • ド・ゴールは偉大だった

    〈以下の記事を復刻します。〉以前は、何か小論文を書こうと思ったらすぐに書けたが、最近は「集中力」が無くなってきたのか書けなくなった。歳だ(笑)。ド・ゴールについて書こうと思っても書けない。アルジェリアの独立を認めたド・ゴールは偉大だった。左翼や中道政権がアルジェリアの独立を認めても、フランスは分裂、内戦状態になってしまう。ド・ゴールは右翼や国粋派、軍人らから再三にわたって暗殺されそうになったが、屈しなかった。民族自決の理念を彼は尊重した。それが世界の良識だったのである。もし、アルジェリア戦争を起こしたら、フランスはもっと疲弊し困窮しただろう。ド・ゴールはそれを知っていたのだ。右翼や国粋派に推されて政権に就いたのに、彼はその陣営にくみしなかった。だから“裏切り者”として命を狙われたのだ。しかし、本当の意味で...ド・ゴールは偉大だった

  • 『春よ来い』

    1923年(大正12年)に発表された童謡で作詞は相馬御風(ぎょふう)、作曲は弘田龍太郎である。相馬御風は早稲田大学の校歌『都の西北』などで有名だが、この歌は自分の幼い娘をモデルにして作詞したと言われている。なお、歌詞の中の「じょじょ」は草履(ぞうり)のことである。♪春よ来い-HaruYoKoi|♪春よ来い早く来いあるきはじめたみいちゃんが【日本の歌・唱歌】『春よ来い』

  • サハリン物語(11)

    その頃、ロマンス・シベリア軍は首都のノグリキに迫っていました。何ヶ月も前、カラフト・ヤマト軍に包囲されていた時と全く逆の形になったのです。スパシーバ王子はヤマト帝国の“政変”をまだ知りませんでしたが、ヒゲモジャ王と共に和平への工作を考えていました。その結果、頃合を見てイワーノフ宰相をロマンス側に派遣し、ツルハゲ王の意向を打診するすることになりました。イワーノフも和平には積極的な姿勢を示していたのです。ただ、ロマンス・シベリア軍が攻勢に出てきた場合は、ある程度戦わざるを得ません。降伏するのではなく、あくまでも停戦から和平に結びつけたいと考えていました。このノグリキの王宮はツルハゲ王のものであり、しかもいま娘のリューバ妃もいるので、ここで和平会談を開けば必ず道は開けると読んでいたのです。一方、ツルハゲ王もオハ...サハリン物語(11)

  • 少子化、人手不足などで“移民”の受け入れは不可避に?

    <以下の記事を一部修正して復刻します。>日本の少子化は避けられないし、人口は少しずつ減っていく。ちょっとやそっとの少子化対策をとっても、それで人口が増えるわけではない。本気で少子化に歯止めをかけたいのなら、国家予算の半分ぐらいを出産、育児対策などに使わなければならないが、そんなことをする政治家はいないだろう。前にも言ったが、文明が発達し社会が高度化すれば、子育てにはどうしても金がかかる。一人の子供にパソコン、テレビ、スマホや携帯電話、ゲーム機などを買ってやれば物凄く金がかかる。その上、学習塾や習い事など教育費に金がかかるので子育ては大変だ。昔はそんなものはなかったから、貧乏人の子沢山ではないが、一家に子供が8人や10人いても不思議ではなかった。ところが今や、一般のサラリーマン家庭では、子供を1人~2人育て...少子化、人手不足などで“移民”の受け入れは不可避に?

  • “現代風美人”に一言

    〈以下の記事を復刻します。〉たまたま「食べて、祈って、恋をして」というDVD・映画を見たが、ジュリア・ロバーツというのはやたらに口が大きくて少しも美人ではない。こういう個性派の女優がもてるのか。そう言えば、キャメロン・ディアスとかアンジェリーナ・ジョリーというのもやたらに口が大きくて、少しも美人とは思えない。口が大きくないと、現代風美人ではないのか?美人と言うよりも“個性的”と言った方がいいだろう。昔のイングリッド・バーグマンやエリザベス・テイラー、グレース・ケリーらの方がはるかに美人だったと思う。現代はよくある口が大きな顔を美人と呼んで、大勢の女性が「私も美人」だと思いたいのか(笑)。どうでもいいが、美人の定義が完全に崩れたと思う。キャメロン・ディアスなんか、あれは“チンクシャ”だと呼んだ人がいるぞ!そ...“現代風美人”に一言

  • 八頭身美人と小顔美人

    <2008年8月2日に書いた以下の記事を復刻します。>つい最近、私がよくお邪魔する「正直ばあさん記」というブログを訪問したら、面白い記事が載っていた。この方は絵画が専門なのでよく裸婦のデッサンをされるが、最近とみに思うことは、モデルさんたちの容貌が実に童顔・幼顔(おさながお)になってきたというのである。彼女によれば、モデルの顔は要するに“小顔”で、目の位置が下の方にあって顎が小さく、大人の女の骨格ではないというのだ。そして、童顔はとても描きにくく、よほど上手な画家でないと、絵が台無しになってしまうといった趣旨のことを述べておられる。その文章を読んでいて、私がすぐに思い出したのは“八頭身美人”のことである。八頭身美人とは1953年(昭和28年)、伊東絹子さんという人がミス・ユニバース世界大会で3位に入賞した...八頭身美人と小顔美人

  • サハリン物語(10)

    プーシキンの遺体を返すと、スパシーバ王子は彼の最後の言葉が気になって仕方がありませんでした。プーシキンは「スパシーバよ、俺の負けだ。見事だったな。リューバ姫をよろしく」と言ったのです。そして、武人らしい立派な最期を遂げました。スパシーバはたしかに勝負には勝ちましたが、心の大きさ・広さで自分がプーシキンに負けたような気がしたのです。彼は最後にリューバ妃のことまで気遣っていました。それは純粋な気持の表れだったのでしょう。スパシーバは今や、宿敵を倒したことにかえって“空しさ”を感じていたのです。それは、戦うモチベーションを失うということでしょうか。ちょうどその頃、カラフト国のヒゲモジャ王一族は、ロマンス国の首都・ノグリキを訪れ王宮に入りました。リューバ妃にとっては待ちに待った里帰りでしたが、両親のツルハゲ王夫妻...サハリン物語(10)

  • サハリン物語(9)

    ノグリキの王宮では、ツルハゲ王とカチューシャ王妃が不安な日々を送っていました。王夫妻は、娘のリューバ妃と孫のマトリョーシカのことがいつも気になっていましたが、どうしようもありません。ツルハゲ王は時々後悔していました。カラフト国と和平を結んでいれば、今ごろ娘や孫とも会えたかもしれません。和平のチャンスは何度もあったのです。それがシベリア帝国などの甘言に乗せられ、サハリン統一王朝を実現しようと戦いを起こしたのが大動乱の始まりでした。しかし、あの頃は「娘のリューバを返せ」が大義名分だったので、父親としては当然だったかもしれません。ところが、シベリア軍が半分以上も帰国したため、今やロマンス国は大変な危機に陥ってしまったのです。運が悪いと言えばそれまでですが、ツルハゲ王の胸の内には、ひょっとしたら「降伏」もという思...サハリン物語(9)

  • “少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

    <以下の記事を復刻します。>新聞でもテレビでも、記者になったら一日も早く現場で仕事がしたいだろう。私もテレビ局入社後、報道に配属された時にそう思った。ところが、内勤の仕事などが長く続いてなかなか外へ出してくれない。早く記者クラブに出たいと希望を言うのだが、3年半ぐらい内勤の仕事をしていた。ようやく26歳になった頃、人事異動で「警視庁記者クラブ」への配属が決まった。私は嬉しくなって「よしっ、やるぞ!」と思ったが、初の外勤なので不安も一杯あった。旧国鉄の有楽町駅から徒歩で、初めて警視庁へ行った時のことは忘れられない。旧庁舎は灰色がかった厳めしい建物で、そこに入る時は身が引き締まる思いがした。すぐにキャップの指示で、殺人・強盗などを担当する捜査1課と、窃盗などを担当する捜査3課を受け持つことになった。それから取...“少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

  • 文通

    <2008年8月に書いた文を一部修正して復刻します>ブログでいろいろな人と話をしていると、昔、何人かの人と文通していたことを思い出した。もう50年以上も前になるが、その当時は「ペンフレンド」とか「ペンパル」と言って、手紙のやりとりで交わっていたのだ。私が高校1年の頃だったと思うが、よく覚えていないが『高一時代』といった学習雑誌で知ったのだろうか、数人の高校生と文通したことがある。そのうち、外国の少年少女とも文通したくなった。これは要するに、自分の和文英訳の能力を高めようという気持もあったが、外国の子と仲良くなりたいと思ったからだ。特に、外国の女の子と文通できれば幸せだな~というロマンチックな思いがあった。どういう手がかりだったかは忘れたが、ある日、私はドイツの女の子に英語で手紙を書いて投函した。返事が来る...文通

  • 『高校三年生』

    1963年、舟木一夫のデビュー曲が「高校三年生」だ。今でも学園ソングの定番だそうだが、この曲を録音した当時、舟木自身も高校三年生だったという。自分が高校3年の時は、アメリカに留学する彼女を横浜港から見送ったことが今でも忘れられない。“日本の歌百選”にも選ばれているが、歌詞の中のフォークダンスというのがとても懐かしい。http://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc『高校三年生』

  • サハリン物語(8)

    カラフト・ヤマト軍は敵よりも兵力が優勢だったので、緒戦からロマンス国内に攻め入りました。ほとんどの戦線でロマンス・シベリア軍を圧倒したのです。ここで戦争の話はさて置き、シベリアへ帰ったスターリン総司令官の話題に移りましょう。彼が帰国して間もなく、危篤状態だったイワン・レーニン皇帝が亡くなりました。多くの重臣や将軍らが見守る中、彼は静かに息を引き取ったのです。前にも言いましたが、シベリア帝国の皇帝は各部族長の投票、つまり選挙で選ばれます。したがって、各部族長はイワン・レーニンの葬儀に参列した後次期皇帝を選ぶわけですが、大方の意見が一致していれば、投票なしに新皇帝を決めることもあります。その辺は融通無碍ですが、ここで重要なポイントになるのが、前皇帝が“遺書”を残しているかどうかということです。イワン・レーニン...サハリン物語(8)

  • サハリン物語(7)

    マミヤリンゾウ司令官に率いられた艦隊はオホーツク海に出ると、海岸沿いにほぼ真っすぐ北上しました。兵員は3千人程度とマオカ上陸の時の半分ぐらいですが、一騎当千の“つわもの”が多く士気は旺盛でした。戦況が味方に完全に有利になったことが、さらに勢いをつけていたのでしょう。陸軍は幾つかの部隊に分かれましたが、カラフト軍ではやはりジューコフ将軍の部隊が勇猛果敢に戦いました。スパシーバは王子とはいえ、実戦ではジューコフ将軍の指揮下に入ります。彼は首都・トヨハラにいても差し支えないのですが、じっと待機しているのが苦手でいつも戦場に出てきました。それに今回の大動乱の原因は、自分がリューバ姫を奪ったことにあると自覚し、責任を感じていたのです。だから、可愛いマトリョーシカが成長する姿を見るのもそこそこに、たえず前線へと出てい...サハリン物語(7)

  • 金太郎アメ

    <以下の記事は2002年3月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)2月下旬のある日、私は東京の湯島天神に出かけた。梅の名所だというので、初めての参詣に赴いたのである。晴天のもと、数多くの白梅が可憐な花を咲かせていた。所々に、紅梅も美しい姿を見せている。300本ほどの梅の木があるのだそうだ。ウィークデイの昼下がりだというのに、境内は梅の見物客で賑わっていた。ほとんどが中年から年配の人達で、女性が圧倒的に多かった。梅の花にカメラを向ける人もかなりいる。“学問の神様”菅原道真公を祭っているだけあって、合格祈願の絵馬の多さには驚いた。至る所に鈴生りになっているのだ。境内を散策していると、露店の列が目についた。別に買いたいものがあるわけではないが、近寄って見ると、昔なじみのいろいろな玩具や甘酒などが売ら...金太郎アメ

  • 「グローバリズム」という妖怪 ?

    <以下の記事は2008年4月18日に書いたものです。>1)昔から、コスモポリタニズム(世界市民主義)や世界連邦主義はあった。しかし、最近は「グローバリズム」というのが注目を集めている。国際主義と言うのだろうか、あるいは地球一体化運動とでも言うのだろうか、定義はさまざまなようである。私にはよく分からないが、経済的には市場主義と資本の論理の国際化を目指しているようだ。資本主義が世界的に拡大し、各国が経済的に緊密な関係を持つようになったのは事実だが、それを更に推進しようというのがグローバリズムなのだろうか。それだけなら別に問題はない。世界経済はいやでも緊密化してきている。問題は、そうした動きを意図的に、強制的に更に進めようという点にあるのではないか。そこには市場主義の強制と、資本の論理以外のものを排除しようとい...「グローバリズム」という妖怪?

  • 『瀬戸の花嫁』

    1972年(昭和47年)に小柳ルミ子が歌った大ヒット・ソングで、結婚披露宴の定番ソングにもなった。当時はどこへ行ってもこの曲が流れ、人々の心を潤したものだ。これほど愛された歌も珍しいだろう。作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃1瀬戸は日暮れて夕波小波あなたの島へお嫁にゆくの若いと誰もが心配するけれど愛があるから大丈夫なの段々畑とさよならするのよ幼い弟行くなと泣いた男だったら泣いたりせずに父さん母さん大事にしてね2岬まわるの小さな船が生まれた島が遠くになるわ入江の向うで見送る人たちに別れ告げたら涙が出たわ島から島へと渡ってゆくのよあなたとこれから生きてくわたし瀬戸は夕焼け明日も晴れる二人の門出祝っているわavi瀬戸の花嫁avi小柳ルミ子avi『瀬戸の花嫁』

  • 『モナ・リザ』

    <以下の文は、2002年7月5日に書いたものです。>1)8年ほど前にフランスへ旅行したことがある。パリでルーヴル美術館を観覧することができた。この大美術館は30万点に及ぶ美術品を抱えているだけあって、とても半日では見切れるものではない。当然、お目当ての絵画や彫刻に絞って見て回るだけだった。必ず見ようと思った作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『モナ・リザ』がある。『モナ・リザ』のある場所は事前に分かっていたから、そこへ近づくにつれて胸がときめいてきた。時間がそれ程ないというのに、“彼女”に近づくのにわざと時間をかけた。その部屋に入って『モナ・リザ』を遠くから見た瞬間、第一印象は「なんて小さいんだ」というものだった。ルネサンスの画集は子供の頃から見ているから、この名画は脳裏に焼き付いている。脳裏の画...『モナ・リザ』

  • 小説『若草物語』

    主な登場人物・・・星野英樹。宮寺恵子(1年下の女生徒)。宮寺和江(恵子の母)。星野久子(英樹の母)。鳥井信子(英樹の同級生)。島本昌弘(英樹の友人)時・・・1956年~57年場所・・・埼玉県浦和市(現さいたま市)小説の舞台になった現在の「さいたま市立本太中学校」英樹(ひでき)が恵子を知ったのは、たしか中学2年の真冬の頃だったと思う。昼休みに大勢の生徒が校庭で遊んでいた時、英樹は“お河童頭”の妙に頬っぺたが紅い少女に気がついた。彼女はあまり見かけない生徒たちと一緒に遊んでいたから、一学年下の女の子だとすぐに分かった。数日後、英樹がまたぼんやりと教室から校庭の方を見ていると、紅い頬っぺたのその少女が、仲間の生徒と元気良く戯れていた。真冬だから頬っぺたも真っ赤になるのだろうか。彼女はジャンパーのポケットに両手を...小説『若草物語』

  • サハリン物語(6)

    勇猛なジューコフ隊の側面攻撃を受けて、敵の部隊は混乱しました。スパシーバも剣を振るって突進し何人かの敵兵をなぎ倒したのです。ジューコフ隊はそのまま敵の隊列を突破し、さらにその後方の部隊にも襲いかかりました。また、他の別働隊も違った方向から敵部隊を急襲します。いわばゲリラ戦、遊撃戦となったため、敵は相当に混乱し思うように前進できません。一方、地下トンネルを通って、ロマンス・シベリア軍の部隊がカラフト軍陣地に現われ、奇襲攻撃を仕掛けました。不意をつかれて、カラフト・ヤマト軍は初めは動揺しましたが、やがて奇襲部隊を包囲する形で逆に追い詰めていったのです。この奇襲作戦が成功しなかったのは、ミヤザワケンジ指揮官の卓越した采配が功を奏したのです。彼はこのトンネル奇襲攻撃を前もって予測し、包囲部隊を待機させていました。...サハリン物語(6)

  • サハリン物語(5)

    その間、ソーニャ王妃やリューバ姫を乗せた馬車が全速力で発進しました。それを見たプーシキンの部下が追いかけようとしますが、オテンバ姫らが行く手を阻んで剣を振り回します。怒ったプーシキンは彼女らを排除しようと襲いかかりました。激しい戦闘が繰り返される中、馬車はどんどん遠ざかっていったのです。男勝りのオテンバ姫らはよく戦いましたが、さすがに強力な敵勢にはかないません。やがて、オテンバ姫もジャジャウマ嬢も切り伏せられました。馬車を取り逃がしたプーシキンらは、怒りの余り彼女らに“止め”を刺しました。オテンバ姫もジャジャウマ嬢もまだ20歳の若さでしたが、勇敢な彼女らのお陰で、ソーニャ王妃らは救われたのです。余談ですが、後でこの悲報を聞いたスパシーバ王子は、従姉妹のオテンバ姫を想って号泣しました。彼女を初めて戦場に連れ...サハリン物語(5)

  • 純子17歳

    (遠い夏の思い出)けさ純子の夢を見た純子17歳僕も17歳君が旅立つ前に僕らは何度も会ったね六甲山を散歩したりわが家でも会ったり僕らは手を握り合って別れを惜しんだ君は水色のブラウスがとてもよく似合ってたよ「1年間さようなら手紙をちょうだいね」僕がそう言うと君は黙ってうなずいた横浜の埠頭に五色のテープが飛びかい君は船のデッキから手を振りほほ笑んだ純子は太平洋を渡り遠いアメリカへ行ってしまうひとり取り残される自分はどうなるんだ・・・僕の写真を胸にしまってくれただろうか君の胸に抱かれて僕も太平洋を越えるのだ真夏の日差しがデッキを照らす輝く17歳の少女君にはあふれる未来と希望があるそれにくらべて自分は・・・急に僕は悲しくなった涙をこらえ顔を伏せたその場に居たたまれず僕は駆け足で埠頭を去る純子よさようならうしろで汽笛...純子17歳

  • 『少年時代』

    真夏になると、いつも『少年時代』の歌を思い出す。同名の映画のテーマソングだが、井上陽水が平成2年(1990年)に作詞・作曲したものだ。映画の原作は遠い昔、太平洋戦争時代に富山に疎開したある少年の物語だが、陽水の音楽は幻想的、象徴的で詩情豊かなものになっている。YouTubeに素晴らしい映像があったので、拝借することにした。少年時代井上陽水『少年時代』

  • サハリン物語(3)

    その頃、ツルハゲ王の指示を受けたロマンス国のラスプーチン宰相は、少人数の部下を連れてシベリア帝国に乗り込みました。帝国の極東軍総司令部がハバロフスクという所にあり、そこを訪れる予定なのです。ラスプーチンはもともと親帝国派で、何度もシベリアの地を踏んだことがあり、極東軍総司令官のスターリン将軍とも面識がありました。スターリンはシベリア帝国軍の実力者で、あとで詳しく話しますが、「次期皇帝」の有力な候補者の1人だったのです。総司令部に着いたラスプーチンは、ただちにスターリンと面会し、久しぶりの出会いに二人は笑みを湛え、しっかりと握手しました。ラスプーチンはロマンス国で起きた事件など、これまでの経緯を詳しく説明しました。そして、カラフト国を討つために、スターリンに軍事援助を要請したのです。スターリンは答えました。...サハリン物語(3)

  • 閑さや岩にしみ入る蝉の声

    〈2014年7月11日に書いた以下の記事を原文のまま復刻します。〉朝テレビを見ていたら、予備校の有名な“林先生”が松尾芭蕉の俳句について語っていた。面白そうなので聞いていたら、『奥の細道』の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」について語っている。私は俳句に興味がなく批判的だが、この句が山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれたことは知っている。というのは53年前、学生時代に東北地方を旅行した時に立石寺に立ち寄ったからだ。そこで、がぜん興味がわいて話に聞き入ったが、面白かったのはこのセミは何の種類かで論争が巻き起こったことである。有名な歌人・斎藤茂吉はアブラゼミだと主張し、ドイツ文学者・小宮豊隆はニイニイゼミだと反論した。対立したまま結論が出なかったため、後日、斎藤茂吉が現地調査などをしたところ、芭蕉が句を詠んだ...閑さや岩にしみ入る蝉の声

  • 下手な“カメラマン ”とは自分のこと

    <以下の文を復刻します。>下手なカメラマンとは私のことだ。もう50年以上も昔の話だが、私はフジテレビの報道局に入ってから記者の仕事をしていた。当時は内勤の整理記者だったが、ある時、報道局の幹部が「テレビ記者というのはこれから、書けて、話せて、写せることが出来なければならい」と訓示した。要するに記事を書くだけでなく、テレビの前でレポートをし、さらにカメラで撮影しなければならないというのだ。記事だけ書いていれば良いと思っていた私は動揺したが、上司の命令だから仕方がない。それからカメラ撮影の“特訓”が始まった。当時の動画用カメラはモノクロの16ミリフィルムを使っていたが、たしかアメリカ・ベルハウエル社製の「フィルモ」だったと思う。ゼンマイ式のもので、100フィートのフィルムを装填し、2分50秒ぐらいしか撮影でき...下手な“カメラマン”とは自分のこと

  • サハリン物語(2)

    「まあ、スパシーバ王子様では・・・」「そうです、スパシーバです。ご無沙汰していました」彼がそう言ってもリューバ姫は絶句したまま、なかなか言葉が出てきません。「どうして、あなた様がここに・・・」と言うのがやっとでした。「ごめんなさい。あなたにぜひ会いたくて、やって来たのです。私の商人(あきんど)姿は満更でもなかったですか、ハッハッハッハ。ところで、私が忍び込んできたことは、もちろん内密にしてくださいよ」「ええ、それはもう・・・でも、本当に驚きました。和平交渉の時以来ですね」「あの時は、あなたの美しさに見とれていました。今はそれよりもさらに美しくなりましたね。ずっとここにいたい気持です」「まあ・・・」「僕はあなたのことが忘れられず、どうしても会いたくて来ました。もし、ここで素性がばれ逮捕されようとも、あなたに...サハリン物語(2)

  • サハリン物語(1)

    <空想、夢想、幻想、妄想の物語>【主な登場人物】<カラフト王国>ヒゲモジャ王ソーニャ王妃スパシーバ王子(王室の長男。マトリョーシカの父)ナターシャ姫(王室の長女。のちにヤマト国・スサノオノミコトと結婚)オテンバ姫(スパシーバ王子の従姉妹)イワーノフ宰相ジューコフ将軍ゲジゲジサタン(重臣。裏切り者)ほか多数<ロマンス王国>ツルハゲ王カチューシャ王妃リューバ姫(王室の長女。マトリョーシカの母)ラスプーチン宰相ジェルジンスキー将軍スウォーロフ宰相(ラスプーチンの後任)プーシキン(ラスプーチンの息子)カリンカ(リューバ姫の侍女)<サハリン王国>(後の統一王朝)マトリョーシカ女王パーヴェル宰相アレクサンドル(マトリョーシカの夫)マリア(マトリョーシカの侍女)ベラ(マトリョーシカの友人、アレクサンドルの妹)ナディア(...サハリン物語(1)

  • 『あなたの心に』

    1969年(昭和44年)にリリースされた曲で、作詞は中山千夏(ちなつ)、作曲は都倉俊一で、中山自身が歌った。清らかな乙女心を見事に表現した歌詞だと思うので、以下に載せておきたい。中山千夏は子供の頃から“名子役”と言われ、舞台などで活躍していたが、のちに女優やテレビタレント、声優や歌手でも名をはせた。まさに“女性マルチタレント”の元祖のような存在で、誰もが彼女のことを知っていたと思う。それだけでなく、ウーマン・リブ運動に参画したあと、1980年(昭和55年)には参議院議員に当選し、一時は「革新自由連合」の党首も務めたのだ。私が知るかぎり、政党会派の“女性党首”になったのは中山千夏が日本で初めてである。このように多彩な活動で注目されたが、彼女が初めて作詞したこの曲は、清純な乙女心が見事に表現されていると思う。...『あなたの心に』

  • 日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

    <2004年3月に書いた以下の記事を復刻します。>1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要するに、琉球は日本人(和人)によって侵略され制圧されたのだ。私は個人的に、仕事や観光で何度も沖縄に行ったことがある。何度行ったか覚えていないくらいだ。沖縄にいると「ここは日本なのだろうか?」と、よく思ってしまう。特に石垣島など八...日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

  • “書痙”に苦しむ

    <以下の文を一部修正して再録します。>現役時代は恥ずかしくて言えなかったが、私は一時期、書痙(しょけい)という神経症に悩まされたことがある。書痙とは、明鏡国語辞典によると「文字を書くことを仕事とする人に多い職業神経症で、手に痙攣や麻痺(まひ)、疼痛(とうつう)などが起こり、書字が困難になる」とある。したがって、文筆家や速記者、代書人らに多く見られるそうだ。現役時代、私は主にテレビ局の報道記者の仕事をしていたからか、この書痙に悩まされた。30代の終わり頃のある日、外勤記者の原稿を電話で受けようとしたら、突然右手が震え出し、原稿を取ることができなくなった。傍にいた同僚が見かねて、私と代わってくれたのが始まりである。誰かが腱鞘炎(けんしょうえん)だろうと言っていたが、その晩、みんなと酒を飲みに行っても憂鬱だった...“書痙”に苦しむ

  • <小説> 世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

    その日は秋晴れの清々しい一日だった(1971年10月のある日)。山村秀樹は結婚ホヤホヤの新妻に車で送られ、いつものように国鉄(今のJR)の北浦和駅から国電に乗り込んだ。通勤・通学のラッシュ時よりやや遅めであったが、電車の中は通勤客などでまだかなり混んでいた。秀樹は某民放テレビ・Fテレビの政治記者をしていたので、いつも本社には行かず、取材先の国会の「野党クラブ」へ直接通っていた。野党クラブというのは社会党、公明党、共産党、民社党など野党各党を取材するもので、先輩の大場誠司記者と2人だけで担当していたから、仕事はけっこう忙しかった。まあ、若くなければ勤まらないだろう。今じゃとても無理だ(笑)。10月下旬のその日、大場先輩と秀樹はいつものように手分けをして、野党各党の国会対策委員長らの記者会見に出席した。その日...<小説>世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

  • 女優の確執

    <2011年2月に書いた記事を一部修正して復刻します。>映画『楢山節考』(1958年)のDVDを見たが、田中絹代の名演技に改めて感動した。素晴らしい。さすが大女優だと思った。この映画が作られた時、彼女はまだ50歳前だったが“老婆”の役を見事に演じている。表情はもちろん、歩き方など身のこなしは絶品である。老婆そのものだ。しかし、実は私は田中絹代が好きでなかった。昔、NHKの大河ドラマ『樅の木は残った』に出演した時、彼女にアドバイス(?)をした吉永小百合に腹を立てたと聞いていたからだ。“サユリスト”である私は許せないと思った。もっとも、天下の大女優である田中絹代から見れば、吉永小百合などはまだ駆け出しのヒヨッ子ぐらいにしか思えなかっただろう。想像するに、テレビドラマに不慣れな田中に対し、吉永は「田中先生」と言...女優の確執

  • <詩> 幸せな自転車

    僕は新品の自転車だ今日も元気いっぱい!先日美しいお嬢さんが僕を買ってくれた毎朝お嬢さんが僕を運転してくれる柔らかい両手が僕の“両手首”を握りしめるそれにお嬢さんの暖かい体が僕を包んでくれるかぐわしい息吹が漂ってきて僕はもう有頂天だ優しい運転で僕はスイスイと走る信号待ちになるとお嬢さんがいたわってくれるそして発車オーライまた僕は走り始める行き交う人々がお嬢さんと僕を見つめたますます元気が出てくるスイスイと軽やかに走るやがてお嬢さんと僕は会社に着いた自転車置き場で長~い休憩時間に入った僕は少し疲れたが満足感でいっぱい!周りの自転車を見ると色とりどりだ古いの新しいの・・・形もさまざま新品の僕は「皆さんどうぞ宜しく」と声をかけるゆっくり休んでいると夕方になったお嬢さんのお出ましだこれから帰宅の途へ柔らかい両手と暖...<詩>幸せな自転車

  • 司法は「犯罪者」の味方か? 江戸時代の方がずっとマシだ!

    <以下の記事は2002年3月22日に書いたものですが、一部修正して復刻します。なお、ここに出てくる「光市母子殺人事件」の被告は後日死刑が確定し、現在広島拘置所に収監されています。>1)1999年4月14日の午後、山口県光市の会社員宅に、強姦目的で侵入してきた18歳の少年が、会社員の妻(当時23歳)と長女(当時11ヵ月)を、暴行した上で惨殺した。いわゆる「光市母子殺人事件」である。3月14日、広島高裁の控訴審判決では、一審と同様に、被告に対して「無期懲役」の判決が言い渡された。私は刑法のことはよく分からないが、どうしても納得できない。極めて凶悪な事件なので、検察側は当然「死刑」を求刑していたが、却下された。判決では、被告は「更生の可能性がないとは言い難い」としている。判決とは、相変わらず持って回った言い方を...司法は「犯罪者」の味方か?江戸時代の方がずっとマシだ!

  • 決して怒らなかった政治家・竹下登氏

    <以下の文を復刻します。>竹下登元首相ある人のブログにお邪魔したら、「怒らない人になる禅の習慣」についての記事があった。しばらく読むうちに、決して怒らない温厚な人になるのは自分ではとても無理だと思ったが、ふと、昔の政治家で決して怒らなかった人を思い出した。それは、元総理大臣の竹下登氏(以下、敬称略)である。そのころ自民党担当の記者をしていた私は、たしか竹下本人から「自分は決して怒らない」と聞いたことがあるが、どうして彼は怒らないのだろうかと、いつしか疑問に思うようになった。そのうち、竹下自身の人生経験や履歴が分かるようになり、そのナゾが解けたのである。実はある政界関係者から、竹下登の過去について聞いたのがその“糸口”であった。今では、ウィキペディアにも載っていることだから、まずそれから見てみよう。<194...決して怒らなかった政治家・竹下登氏

  • 『デジタル的思考』の浅はかさ ?

    <2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オールオアナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝...『デジタル的思考』の浅はかさ?

  • 『早春賦』

    <過去の記事です。最も好きな歌の一つです>『二木紘三のうた物語』に立ち寄ったら、ちょうど10年前の2月に『早春賦』にコメントを書いていたのが分かった。歌を聴くうちに復刻したくなったのでお許し願いたい。(2018年2月某日)『早春賦』の舞台・安曇野の景色<2月に入り『立春』の頃を迎えると、いつもこの曲が蘇ってきます。安曇野はまだ厳冬のさなかでしょうが、関東地方に住む者にとっては、春がすぐそこに近寄ってきたかのように感じます。しかし、寒い風が吹いてそれが“錯覚”だと気づくと、よけいにこの曲に魅了されます。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」素晴らしい詩ですね。早春の思いをこれほど見事に歌った曲はないでしょう。あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春を待ちましょう。...『早春賦』

  • 過去の記事(26・最終回)

    goo!のブログで停止になった記事2016年の日記③(9月1日~12月31日)12月31日(土)大晦日、本当に良い天気だ。日差しもわりと暖かい。体調はだんだん回復している。ダウンした孫も良くなっているようで、明日は皆がそろうだろう。女の赤ちゃんが生まれた親戚も来るようだ。オバマの最後っ屁(報復措置)にプーチンは対抗措置を取らずに知らん顔だ。これをトランプが称賛したから、米露関係は来年大きく変わる可能性がある。トランプとプーチンは気が合うらしい。いま書いている小説は「卒論」と同じだ。嫌でも書かなければならない。12月30日(金)今日は予想外に暖かい日和だ。2400歩ぐらい散歩をしたが、まだフラフラする。脳神経か視神経が1~2本切れたか?よく分からないが、焦らず様子を見よう。とにかく眠い。3番目の孫娘がインフ...過去の記事(26・最終回)

  • 過去の記事(25)

    ㉕参議院は必要か?その廃止を考えよう。政治家の失言・暴言。機密費について。「左翼的愛国主義」について。「君が代」は国歌にふさわしくない。新「国歌」の制定を!韓国よ、恩を仇(あだ)で返すな!参議院は必要か?その廃止を考えようまず私の経験談からお話しましょう。私はフジテレビという会社の報道局に28年以上在籍しましたが、その内10数年は、いわゆる「政治部」の記者をやっていました。従って、首相官邸や自民党、野党、外務省、旧大蔵省などの記者クラブを拠点にして、国会その他に随分多く取材をした経験があります。そうした中で常々感じていたことは、「一体、参議院は本当に必要なのだろうか」ということでした。つまり、大部分の法案がまず衆議院で審議され、可決通過すると参議院に送付されます。そして、参議院の各委員会で衆議院とほとんど...過去の記事(25)

  • 過去の記事(24)

    ㉔憲法9条と自衛隊の問題について。盛田昭夫氏とマイケル・ジャクソン。復刻!ジリオラ・チンクエッティ。テレビ局への天下り。現代人の思考欠如はやむを得ないか。応接間。パク・クネは全責任を取って辞めろ!憲法9条と自衛隊の問題について1)自衛隊は憲法違反である。日本国憲法第9条の2項では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。自衛隊は仮に「陸海空軍」ではないとしても、「その他の戦力」に該当している。戦車や戦闘機、大砲は勿論のこと、イージス艦や潜水艦、ミサイルなど最新鋭の物凄い戦闘機能を大量に持っているのであるから、明らかに戦力を保持している。これは誰が見ても明白な事実であり、小学生でも分かることだ。よって、自衛隊の存在は憲法に違反する。昭和20年代の後半、警察予備隊から保安隊、自衛隊へと拡充していっ...過去の記事(24)

  • 『この子を残して』

    <以下の記事を復刻します。>長崎原爆の悲惨さを描いた著作であり映画だ。木下恵介監督の映画・DVDがいまリリースされているが、その中でも最も印象に残る作品。著者は原爆で被爆した長崎医大の永井隆博士で、戦後、子供だった私が初めて読んだ著作である。母が教えてくれなかったら理解できなかったが、子供心に分かったと思う。そういう意味で『この子を残して』は、忘れられない作品である。映画は1983年に公開されたが、加藤剛や十朱幸代、淡島千景らの演技が懐かしい。反戦・平和を訴えた最良の作品の一つだろう。以下は予告編の映像。http://www.youtube.com/watch?v=hjF5prmbyLQ『この子を残して』

  • アメリカへのコンプレックス・劣等感

    <以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢名古屋にも入ってきた。私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであ...アメリカへのコンプレックス・劣等感

  • 松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

    <以下の記事を原文のまま復刻します。>松永安左エ門翁タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚ど...松永安左エ門翁いわく「官僚は人間のクズだ!」

  • 参議院無用論

    <2002年7月15日に書いた以下の記事を復刻します。>参議院本会議場1)私は別稿(「参議院は必要か?その廃止を考えよう」http://www.geocities.jp/yajimatakehiro/3.html)で、参議院の廃止を提唱したことがあるが、以前にも増してその意を強くしている。要するに、今の日本であれば「一院制」で十分であり、「二院制」はかえって混乱を引き起こしているからだ。“ねじれ”はその良い例である。それだけでなく、必要もない「二院制」のために、毎年莫大な国民の税金が浪費されていることに我慢できないのである。「一院制」というのは、参議院を廃止しても良いし、逆に参議院の権限を強化させて衆議院を廃止しても良い。要は無駄なものを廃止せよということである。一般的には現行憲法上、参議院の方を廃止する...参議院無用論

  • 日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

    <2016年8月に書いた以下の記事を復刻します。>日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛(とよひろ)さんのことを書きたくなってきた。と言っても、私は彼との付き合いがわずか2年余りなので、多くは語れない。しかし、30代中半の若いころ、記者クラブで一緒だった彼のことは決して忘れられない。だから書くのだ。もう40年以上も昔になるが、私がフジテレビの外務省詰めの記者をしていた時、秋山氏はTBSの記者として外務省クラブにやって来た。はじめは何か取っつきにくい感じのする人だったが、同じ民放テレビの記者同士で、席が1メートルぐらいの向かい隣りだったのですぐに仲良くなった。年齢が同じぐらいだったせいもあるだろう。(私の方が1歳年上なので、以後、親しみを込めて「秋山君」と呼ばせてもらうこともある。)彼は記者クラブが初めてだからか、...日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

  • カネ、カネ、カネの中国社会

    <2011年10月30日付の朝日新聞記事を要約した文章を、改めて復刻します。>4日前の朝日新聞(2011年10月30日付)に、中国社会について興味深い記事が載っていたので、ぜひ紹介したいと思う。まだ読んでいない人にとってはきっと参考になるだろう。中国は一言で云えば「金まみれ」の社会である。まず驚いたのが、「教師の職もカネ次第」というタイトルの中身だった。これは中国東北地方に住む30代の高校教師Aの話だが、数年前に教師採用の責任者になった。そして数人の男女を面接したら、ある男性から「絶対採用してほしい」との連絡があったので飲食店で会うと、1万元(約12万円)や高級酒、高級タバコの入った封筒を渡されたという。これは教師の初任給の4~5カ月分に当たるそうだ。また、他の女性は「お望みなら何でもします」と言ってきた...カネ、カネ、カネの中国社会

  • テロリストと英雄

    <2022年9月2日に書いた以下の記事を復刻します>テロリストと英雄は紙一重の差である。もしテロリストが、わが身を犠牲にして、敵国の首脳や自国の「国賊」「売国奴」などを殺せば、その人は英雄と呼ばれるだろう。有名な例としては、韓国の安重根(アン・ジュングン)は日本の伊藤博文(初代首相)を暗殺して、英雄と呼ばれるようになった。韓国には安重根の銅像があちこちに建っている。恋人とストーカー、天才と狂人のように、テロリストと英雄も紙一重の差なのである。今回の安部元首相の暗殺事件では、犯人が“英雄的”かどうかは国民一人一人が判断すれば良い。ただ明らかなことは、今回の銃撃事件は、安部氏が韓国の邪悪な「反日宗教団体」に肩入れしたために起きたものだ。これを単なるテロと呼ぶのか、ある種の英雄的な行為として見るかは、個々人の自...テロリストと英雄

  • 過去の記事(23)

    ㉓金融資本という“化け物”。“左利き”と差別意識。「固有名詞」の読み方の大切さ。全てが“必然”である。宗教心とは何か。亡国・売国の「京都議定書」。『アジアの時代』が来た!交通安全か、桜の景観か金融資本という“化け物”そもそも、経済とは何のためにあるのか。それは人々の生活を豊かにし幸せにするためにあるものだろう。ところが、最近の金融危機とその混乱を見ていると、今の経済は一体どうなっているのかと思ってしまう。私は経済学については素人だが、今の世界経済を見ていると巨大な金融資本が暴れまくり、まるでギャンブルかマネーゲームをしているようである。これが「新自由主義」と言うのだろうか。「グローバリズム」と言う体裁の良い名前の怪物が、わがもの顔で全世界にのさばろうとしているようだ。市場経済の拡大は当然のことだが、何百兆...過去の記事(23)

  • “中国残留孤児”と日中関係

    <2011年に書いた以下の文を復刻します。>“中国残留孤児”(日本人、邦人)のことをたまたま思い出した。もうずいぶん昔のことだと思って調べたら、第一陣が正式来日したのが1981年3月と分かった。日中国交正常化が1972年だから、意外に時期が遅かったのではないか。いろいろ手間取ったのだろう。あの頃は毎年、中国残留孤児の話題で持ち切りだった。まだ戦後は終わっていないと思ったほどである。たしかに、日本人孤児を親身になって育ててくれた中国人も多かったのである。その点は感謝したい。政治とは関係なく“人道上”の問題であった。日本人を鬼とか侵略者などと罵倒する中国人も多いが、そうでない人達も大勢いるのだ。日中関係は難しくなったが、人道上はなお健全な面が残っている。残留孤児についても偽者(にせもの)騒ぎがあったが、先の東...“中国残留孤児”と日中関係

  • 逸見政孝君のこと

    <古い記事ですが、以下の文を復刻します。>1)つい先日、逸見政孝君のことを思い出した。逸見君と言えばフジテレビの元アナウンサーで、その後フリーになってテレビで大活躍した人物である。覚えておられる方も多いだろう。その彼が48歳の若さで、胃癌で亡くなった時は驚いた。もう20年以上も昔の話である。私もかつてフジテレビの社員だったから、逸見君のことはよく覚えている。一緒に仕事をしたこともある。そこで彼の思い出話などをしようということだが、彼が私の4年後輩だったから、逸見君とか逸見などと気安く言うことをお許し願いたい。私が彼に出会ったのはたしか1971年頃である。逸見君がまだ駆け出しのアナウンサーの頃、当時「野党記者クラブ」担当だった私は、社会党本部で彼に出会った。私が取材をし逸見がレポートをする役割だったと思うが...逸見政孝君のこと

  • 過去の記事(22)

    ㉒ドン・キホーテよ、現われよ!“やまとなでしこ”は消えない!田中耕一さんのノーベル賞受賞に思う。『援助交際』とは、良い意味なのか?日米安保問題とマスコミの怠慢ドン・キホーテよ、現われよ!1)真夏の暑い日が続くので、家の中で何か本でも読もうと思い、図書館へ行って本を借りることにした。いろいろ物色していたら、スペインの作家・セルバンテスの「ドン・キホーテ」が目に付いたので借りてきた。50年ほど昔の少年時代に、たしか子供向けの「ドン・キホーテ物語」というのを読んだ記憶があるが、本物を読むのは初めてである。「ドン・キホーテ」(岩波書店発行・牛島信明訳)は膨大な分量があり、涼しいエアコンの下でじっくりと読むには相応しい大長編小説である。今から400年ほど前に書かれたこの小説は、世界文学の中でも最も有名な作品の一つに...過去の記事(22)

  • 『イムジン河 』

    イムジン河(臨津江)とは、北朝鮮から国境を越えて韓国に流れる河である。この曲は、1968年(昭和43年)にザ・フォーク・クルセダーズが発表したものだが、リリース直前に発売中止になったいわくつきのフォークソングだ。理由は、朝鮮総連が「韓国側に偏向した日本語詞になっている」などと抗議したと言われ、原曲は北朝鮮の朴世永が作詞、高宋漢が作曲したものである。それを松山猛が日本語詞にして、ザ・フォーク・クルセダーズが楽曲にした。始めは発売中止になるなど苦難の連続だったが、その後、多くの人に愛され広く歌われるようになった。2001年(平成13年)には、NHKの紅白歌合戦で韓国の歌手キム・ヨンジャも歌っている。南北に分断された朝鮮半島の“哀歌”と言えるだろう。イムジン河임진강-ザ・フォーク・クルセダーズ『イムジン河』

  • 『喜びもも悲しみも幾年月』

    1957年(昭和32年)に松竹が『喜びも悲しみも幾年月』という映画を制作・公開した。監督は木下恵介で、同名の主題歌を実弟の木下忠司が作詞・作曲し、これを若山彰(あきら)が歌ったところ、映画も歌も大ヒットしたのである。物語は、灯台守の夫婦が戦前から戦後にかけて、厳しい環境のもと北海道から九州に点在する灯台の任務につくというもので、この夫婦役を佐田啓二(俳優・中井貴一の実父)と高峰秀子が演じた。夫婦の半生には、息子の死亡など悲しい出来事があったが、それらを乗り越えて生きていくしかない。こうしたストーリーは、ある実話をもとにして作られたものだ。佐田と高峰の夫婦役も良かったし、若山彰の歌声も生き生きとしていた。喜びもも悲しみも幾年月若山彰s-32『喜びもも悲しみも幾年月』

  • 過去の記事(21)

    ㉑国際正義に反する不条理なNPT・核拡散防止条約。秩父あれこれ。デフレのどこが悪いのか!?100円ショップ万歳!!仮に自衛隊が“合憲”なら、憲法9条を改正する必要はない!!辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う国際正義に反する不条理なNPT・核拡散防止条約1)北朝鮮の衝撃的な核実験(10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し197...過去の記事(21)

  • 永遠の人

    あなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる100億年の宇宙の中で一瞬のこの時を共にできる幸せああ永遠の人よ私の女神よこれは奇跡ではないのかこの世に生まれこの世を去る一瞬の灯りの中の命よそれは儚(はかな)くても永遠の光に満ちている宇宙の彼方まで愛よ命よ灯りに群がる羽虫のように私は息づくこの世は夢か幻か今日も儚い命がひたすら生きる一瞬の中に永遠を願い永遠の中に憩いを求めてあなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる永遠の人

  • “鑑識の神様”・岩田政義さん

    <2010年7月31日に書いた以下の記事を復刻します。>何十年も前の古い日記を読んでいたら、昔、警視庁の記者クラブにいた頃、岩田政義さんという鑑識課の人の所へよく伺っていたことを思い出した。岩田さんは“鑑識の神様”と言われた人で、その道の大変なベテランである。もう40年以上も前のことだが、私が警視庁記者クラブに配属され捜査1課・3課を担当した時、事件捜査のことなど全く分からなかった。先輩らにいろいろ聞きながら仕事を始めたが、そのうち「鑑識」というのが非常に重要なものだと知るようになった。今では科学捜査の観点からその重要性が多くの人に知られているが、当時、テレビ局の若造である私はほとんど関心を持っていなかった。しかし、ようやくその重要性が分かって、ある日、思い切って鑑識課を訪れることにした。その頃、テレビ記...“鑑識の神様”・岩田政義さん

  • 過去の記事(18)

    ⑱中国人観光客。日航ジャンボ機墜落の謎。秋山豊寛さんのこと。土地税制を見直そう。特捜検事の逮捕中国人観光客けさフジテレビの「新報道2001」を見ていたら、中国の旧正月(春節)には延べ20億人以上が帰省や観光旅行などで大移動すると報じていた。びっくりしてネットで調べたら、延べ25億人とも出ていた。観光客の多くは国内旅行だが、外国にも大勢の中国人が繰り出す。それを見込んで、アメリカ・ニューヨークでは中国人観光客の歓迎ムード一色になっていた。もちろん、日本にも大勢の中国人が来るわけで、旅行会社などが張り切って応対する模様が映し出されていた。要するに、沢山の金を落としていってくれるのだ。テレビは、今や世界の景気・経済は中国人にかかっているかのように伝えていた。それは少しオーバーな表現かなと思ったが、日本の観光地な...過去の記事(18)

  • 日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

    <2015年1月20日に書いた以下の記事を復刻します。>今年は戦後70周年だが、もし日本があの戦争に勝っていたらどうなっていただろう。そう想像するのは難しいが、少なくとも“引き分け”だったらどうなっていただろう。引き分けでも、たぶん「勝った、勝った」とお祭り騒ぎをして、ますます戦争の道を進んでいったに違いない。軍国主義がますます徹底し、戦線を拡大していっただろう。軍部はさらに増長し、占領地を増やしていったに違いない。来る日も来る日も戦争に明け暮れる。徴兵制がさらに拡大し、18歳以上の男子は必ず軍隊に入る。「生めよ、増やせよ」で、少子化なんて考えられなかっただろう。陸軍大臣、海軍大臣のほかに、空軍大臣も新設されただろう。要するに「1億火の玉」となって、天皇と大日本帝国の栄光のために御奉公しただろう。私なんか...日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

  • 『喫茶店の片隅で』

    1955年(昭和30年)の唄で、松島詩子(うたこ)が歌ってヒットした。喫茶店はいつの時代でも“憩い”の場所だ。誰にでも思い出の数々があるだろう。私にも無数にある。一つだけ言わせてもらうと、学生時代に憧れの女子大生とぜひ喫茶店に行きたいと願っていたが、ついにその夢は果たされなかった。理由は簡単、自分が奥手で不器用、意気地なしだったからだ。そんな情けない話は別として、永遠にあり続けてほしい“喫茶店”の歌を載せておこう。作詞・矢野亮、作曲・中野忠晴1アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店いつもあなたと逢った日の小さな赤い椅子二つモカの香りがにじんでた2ふたり黙って向きあって聞いたショパンのノクターンもれるピアノの音(ね)につれてつんでは崩しまたつんだ夢はいずこに消えたやら3遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶...『喫茶店の片隅で』

  • 大宅壮一さんのこと

    <2010年7月に書いた以下の記事を復刻します。>大宅壮一さん1)先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。しかし、私がこ...大宅壮一さんのこと

  • 過去の記事(17)

    ⑰共産党はレーニンのように柔軟であれ!普天間基地をテニアンに移そう。TPP反対で「国民共同戦線」の結成を!感動もロマンもないプロ野球。「クジ加味」選挙とは共産党はレーニンのように柔軟であれ!日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間...過去の記事(17)

  • 過去の記事(16)

    ⑯外国語と日本語と私。日本と中国。ゲーテ。ノーベル賞に落選したトルストイ。天皇の韓国訪問はあり得るのか?外国語と日本語と私1)日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人も多数いる。そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。我々高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。私...過去の記事(16)

  • 『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

    <2017年3月27日に書いた以下の記事を復刻します。>1)森友学園疑惑はもちろん重大な問題だが、われわれは最近の日本の動きを真剣に検証してみる必要があるのではないか。かく言う私も現象面にとらわれ過ぎて、根本的な問題をおろそかにしているのではと反省している。それは森友疑惑で露見したと言ってよいが、最近の日本は明らかに“右傾化”している。これは森友学園の問題だけでなく、その背後に大きな流れが起きているからだろう。端的に言うと、それは「日本会議(にっぽんかいぎ)」の存在が象徴的なものだと思う。不勉強な私は日本会議のことをほとんど知らなかったし、またその名称を聞いても無視していた。ところが森友問題が発生し、その関連でジャーナリストの菅野完(たもつ)氏や青木理(おさむ)氏の話を聞き、にわかに日本会議の重要性に気が...『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

  • 映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

    〈2018年10月に書いた以下の記事を復刻します。〉今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館へ行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定して...映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

  • 石橋湛山元首相を讃える

    <以下の文を復刻します。>戦前、日本の帝国主義や軍部の拡大主義に反対した石橋湛山(元首相)のことをよく知らなかったが、以下のドキュメンタリーで少しは分かったつもりである。石橋は経済ジャーナリストとして出発したが弾圧を受け、戦後は政界に転身してGHQに対しても毅然とした態度を堅持した。まことに天晴れである。そして、首相にまで上り詰めたが、突然の病いで在任期間わずか65日で退陣を余儀なくされた。しかし、その後は国交のない中国を訪問するなど、彼なりの努力で世界平和に貢献したのである。極めて短い解説だが、石橋湛山に関心のある方はぜひ以下のNHKドキュメンタリーを見ていただきたい。日本にもこういう政治家がいたのだ。https://www.youtube.com/watch?v=kmYD01OwQPkhttps://...石橋湛山元首相を讃える

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