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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • 一言集(11)

    ☆一瞬=永遠☆上には上があり、下には下がある☆今の皇居を国民に開放し、皇室は『京都御所』に戻ろう☆愛は大切だが、正義も忘れてはならない☆自衛隊は「国土警備隊」「国土防衛部隊」になれ!もちろん、尖閣諸島も守るんだ!専守防衛で進め!☆ある日突然、世界中に平和がやってきたら・・・と夢想する、妄想する☆スピノザはレンズ磨きで、ルソーは譜面づくりで生計を立てたという。大天才でもそうなら、凡人はどんな「仕事」でも文句はないはずだ☆平和な時代に、英雄は要らない。むしろ邪魔だ。凡人だけで良い。乱世の時代にこそ、英雄は必要である☆人間には“意地”というものがある☆お世辞や冗談を言えるのも、一つの才能だ☆地球への感謝父母への感謝先祖への感謝☆孫は最も可愛い一言集(11)

  • 2025年の日記、寸評など

    6月3日(火)「なんでも速い中国、なんでも遅い日本」という記事を書いたことがあるが、今回の小泉農水大臣の備蓄米放出の実施は実に速かったと思う。見事だった。マスコミは“小泉米”などと呼んでいるが、父親の純一郎さんが総理大臣の時、郵政民営化法案を成立させるため解散・総選挙を強行し(2005年)、多くの人から“小泉劇場”などと評されたことを思い出す。あの時は、郵政民営化に反対する候補の選挙区に、大勢の“刺客”候補を投入し、小泉チルドレンをたくさん作ったものだ。事の賛否はともかく、正に“小泉劇場”だった。小泉大臣は親父さんによく似ているようだ。「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄さんがけさ亡くなった。享年89歳。昭和を代表するプロ野球選手だったが、昔、ミスター長嶋を見るために、ジャイアンツファンでもない自分が、...2025年の日記、寸評など

  • 日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

    <2015年1月20日に書いた記事を原文のまま復刻します。>今年は戦後70周年だが、もし日本があの戦争に勝っていたらどうなっていただろう。そう想像するのは難しいが、少なくとも“引き分け”だったらどうなっていただろう。引き分けでも、たぶん「勝った、勝った」とお祭り騒ぎをして、ますます戦争の道を進んでいったに違いない。軍国主義がますます徹底し、戦線を拡大していっただろう。軍部はさらに増長し、占領地を増やしていったに違いない。来る日も来る日も戦争に明け暮れる。徴兵制がさらに拡大し、18歳以上の男子は必ず軍隊に入る。「生めよ、増やせよ」で、少子化なんて考えられなかっただろう。陸軍大臣、海軍大臣のほかに、空軍大臣も新設されただろう。要するに「1億火の玉」となって、天皇と大日本帝国の栄光のために御奉公しただろう。私な...日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

  • 大宅壮一さんのこと

    <2010年7月に書いた以下の記事を復刻します。>大宅壮一さん1)先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。しかし、私がこ...大宅壮一さんのこと

  • 『喜びもも悲しみも幾年月』

    1957年(昭和32年)に松竹が『喜びも悲しみも幾年月』という映画を制作・公開した。監督は木下恵介で、同名の主題歌を実弟の木下忠司が作詞・作曲し、これを若山彰(あきら)が歌ったところ、映画も歌も大ヒットしたのである。物語は、灯台守の夫婦が戦前から戦後にかけて、厳しい環境のもと北海道から九州に点在する灯台の任務につくというもので、この夫婦役を佐田啓二(俳優・中井貴一の実父)と高峰秀子が演じた。夫婦の半生には、息子の死亡など悲しい出来事があったが、それらを乗り越えて生きていくしかない。こうしたストーリーは、ある実話をもとにして作られたものだ。佐田と高峰の夫婦役も良かったし、若山彰の歌声も生き生きとしていた。喜びもも悲しみも幾年月若山彰s-32『喜びもも悲しみも幾年月』

  • 一言集(10)

    ☆生涯一記者真実を後世に伝える☆「老兵は死なずただ消え去るのみ」(マッカーサー)。老兵は消えるだがまだ生きてるぞ~っ!☆人間には必ず運不運がある☆間違った劣等感や優越感は持たないように注意しよう☆われ戦う故にわれあり生は戦いだ☆人類の歴史ほど面白いものはない☆“満ち足りる”のを知ることが幸福につながる☆人間も生き物もみんな死ぬということでは「平等」である☆闘争本能は生物が生きていく上での絶対条件である☆年を取ると、何かをするのに早すぎるということはない。一日も早く何かをしよう。放っておくと、だいたい遅すぎてしまうのだ☆「ベートーヴェン」を「ベートーベン」と表記するなら、「こんにちは、こんばんは」は、これから『こんにちわ、こんばんわ』と表記してやるぞ!☆映画館の座席のヘッドレストはまったく邪魔だ。首や肩が疲...一言集(10)

  • 一言集(9)

    ☆英雄は“いざという時”にしか姿を現わさない☆人生を肯定的に見よう!☆どんなに売国奴、非国民と罵倒されようとも、戦争に反対するべきだ。しかし、本当に「正義」のための戦争なら・・・?☆戦争が「合法的殺人行為」なら、テロは「非合法的殺人行為」なのだろう。しかし、どれほどの違いがあるのか☆街中で1人殺すと“殺人犯”になるが、戦場で100人殺すと“英雄”になるんだって!?☆年を取ると体力や能力が衰えるが、同時に精神力も衰える。意欲はあっても「まあ、いいや~」「あとでなんとかなるだろう」と思ってしまう☆人生とは燃焼すること、だから完全燃焼しよう☆愛とは“炎への憧れ”である(ゲーテ)☆老眼が進んで、文字が読みにくい!一言集(9)

  • 映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

    〈2018年10月に書いた以下の記事を復刻します。〉今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館へ行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定して...映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

  • 『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

    <2017年3月27日に書いた以下の記事を復刻します。>1)森友学園疑惑はもちろん重大な問題だが、われわれは最近の日本の動きを真剣に検証してみる必要があるのではないか。かく言う私も現象面にとらわれ過ぎて、根本的な問題をおろそかにしているのではと反省している。それは森友疑惑で露見したと言ってよいが、最近の日本は明らかに“右傾化”している。これは森友学園の問題だけでなく、その背後に大きな流れが起きているからだろう。端的に言うと、それは「日本会議(にっぽんかいぎ)」の存在が象徴的なものだと思う。不勉強な私は日本会議のことをほとんど知らなかったし、またその名称を聞いても無視していた。ところが森友問題が発生し、その関連でジャーナリストの菅野完(たもつ)氏や青木理(おさむ)氏の話を聞き、にわかに日本会議の重要性に気が...『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

  • 『イムジン河 』

    イムジン河(臨津江)とは、北朝鮮から国境を越えて韓国に流れる河である。この曲は、1968年(昭和43年)にザ・フォーク・クルセダーズが発表したものだが、リリース直前に発売中止になったいわくつきのフォークソングだ。理由は、朝鮮総連が「韓国側に偏向した日本語詞になっている」などと抗議したと言われ、原曲は北朝鮮の朴世永が作詞、高宋漢が作曲したものである。それを松山猛が日本語詞にして、ザ・フォーク・クルセダーズが楽曲にした。始めは発売中止になるなど苦難の連続だったが、その後、多くの人に愛され広く歌われるようになった。2001年(平成13年)には、NHKの紅白歌合戦で韓国の歌手キム・ヨンジャも歌っている。南北に分断された朝鮮半島の“哀歌”と言えるだろう。イムジン河임진강-ザ・フォーク・クルセダーズ『イムジン河』

  • 一言集(7)

    ☆全ての事は成るべくして成ったし、これからも成るように成る。ケ・セラ・セラ・・・成るようにしか成らない☆万物は流転する☆死ぬ時に、やれるだけのことはやったんだと思えるような、残りの人生を送ろう☆“脳梗塞”で体はやや不自由になったが、口は達者だぞ☆「黙れ!老害」と非難されても、言うべきことは言うぞ!☆劣等感を持つと、人はひがみっぽくなる。すると、いっそう“虚勢”を張るようになる☆国家とは税金である(税金で成り立っている)☆タバコを吸っていると、まるで“税金”を吸っているみたいだ。少しは国家のためになっているのか(笑)☆外国人も自由に参拝できる新しい「国立追悼施設」を建立しよう☆ロマン・ロランに比べると、自分は人格、識見、能力など全ての分野で劣っているが、ただ一つ、ロランは78歳で他界したので、寿命だけは勝っ...一言集(7)

  • 髪を梳く女

    ぼくが散歩をしていると家の外に出てきた女が長い髪を梳いていた中年風の女だったがなぜか気になる髪を梳くと女は美しく見えるのだろうかノースリーブのその女は気持良さそうに梳いている目と目が合うと彼女がほほ笑んだように見えたぼくもにこりとしたがそのまま通りすぎる髪は女の命なのかかぐわしい雰囲気が漂う(2010年6月17日)髪を梳く女

  • 石橋湛山元首相を讃える

    <以下の文を復刻します。>戦前、日本の帝国主義や軍部の拡大主義に反対した石橋湛山(元首相)のことをよく知らなかったが、以下のドキュメンタリーで少しは分かったつもりである。石橋は経済ジャーナリストとして出発したが弾圧を受け、戦後は政界に転身してGHQに対しても毅然とした態度を堅持した。まことに天晴れである。そして、首相にまで上り詰めたが、突然の病いで在任期間わずか65日で退陣を余儀なくされた。しかし、その後は国交のない中国を訪問するなど、彼なりの努力で世界平和に貢献したのである。極めて短い解説だが、石橋湛山に関心のある方はぜひ以下のNHKドキュメンタリーを見ていただきたい。日本にもこういう政治家がいたのだ。https://www.youtube.com/watch?v=kmYD01OwQPkhttps://...石橋湛山元首相を讃える

  • 『東京ブギウギ』

    『東京ブギウギ』は1947年(昭和22年)にリリースされ一躍ヒットしたが、のちの『青い山脈』と共に、敗戦直後の日本に明るい開放的な気分をもたらした曲と言えるだろう。両方とも服部良一が作曲したが、こちらの作詞は鈴木勝で、笠置シヅ子が歌った。笠置の歌声も元気いっぱいで良いが、なんと言っても、ブギウギのリズム感あふれる音色が素晴らしい。子供の頃に聴いた思い出がよみがえってくる。笠置シズ子東京ブギウギ歌詞付き『東京ブギウギ』

  • 一言集(6)

    ☆愛と平和が全てである☆人は、後世の人に全てを伝える使命がある☆SNS(ブログなど)は私の“命”☆自民党の憲法改正草案に断固反対!☆理想や夢がなくなったら、この世は終りだ☆革新陣営こそ、国民主権の「憲法改正」を訴えるべきである☆“銃規制”ができないアメリカは、最も危険で野蛮な国なのか?☆ご先祖ほど尊いものはない☆人間は努力する限り迷う一言集(6)

  • 一言集(5)

    ☆本当に「公僕」になりたいと思う人が役人になるべきだ☆我々の「命」は、祖先から受け継いだ“灯火”を子や孫へ、さらに次の世代へと引き継ぐものでしかない☆「もし勇気去らば、全てのもの汝より去る」(ゲーテ)☆ネット文化を確立しなければならない。自分もネット文化の“端くれ”として生きていきたい☆思い込みと思い上がりは、最も危うい精神状況である☆天才と狂人は紙一重だというが、英雄と馬鹿も紙一重の差だ。恋人とストーカーも紙一重の差だ☆命長ければ恥多し(人間だから仕方がないじゃないか!)☆大杉栄は生まれるのが100年早かった!☆みずから逆境に入るのが真の“英雄”である一言集(5)

  • 一言集(4)

    ☆文は人なり、文は命なり☆言葉は魂である。言霊(ことだま)とも言う☆弱肉強食から相互扶助へ◇いろいろな正義が地球を支配しているが、いつの日か“人類愛”がそれに取って代わる時が来るだろうか。そういう夢想をしても良いと思う◇朝8時前、小学生の一団がわが家の前の歩道を足早に登校していく。一日の中で最も微笑ましい光景だ◇口では“愛国”を唱えながら、日本を“亡国”の淵に陥れたあの「軍国主義」の罪悪を、絶対に忘れてはならない。自由と人権と幸福を踏みにじった、あの「軍国主義」の罪悪を決して忘れてはならない◇イラク戦争は、アメリカのブッシュ元大統領による“仇討ち”でしかなかった。仇討ちとは、実父(父もブッシュ元大統領)の敵であるサダム・フセインを討ったということだ。後世の歴史はそのように評価するだろう◇名優とは、演技が上...一言集(4)

  • 宗教法人の優遇税制を見直せ!

    <以下の記事は2011年2月1日に書いたものですが、もう一度皆さんに訴えたいと思います。>★宗教法人への税制優遇措置は、不公平税制の最たるものだ!朝日新聞の1月30日付の朝刊に、宗教法人が事実上「売買」されている特集記事が載っていた。興味を惹かれたので読んでみると、驚くことばかりだ。宗教法人は税制上かなりの優遇措置を受けているから、今やそのメリットが目的で、インターネット上でも堂々と売買の取り引きがされているという。その背景には、休眠中の宗教法人が急増していることがある。「休眠中」とは、1年間の活動報告が国や都道府県に提出されていないものだ。朝日新聞の調べでは、全国18万2527の宗教法人を調べたところ、休眠の法人が1万6750、全体の9,2%もあったという(2009年度末時点)。この休眠宗教法人を狙って...宗教法人の優遇税制を見直せ!

  • 思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

    〈2010年2月16日に書いた記事を復刻します。〉先日、私は自分のあるブログ記事の中で、日本社会は成熟してきたとコメンしたのだが、ある人から「日本社会は、どんどん幼稚化してきたのでは」というコメントをいただいた。その時、ハッと気がついたのだが、日本人だけでなく現代人は“劣化”しているのではと思った。どういう意味かというと、現代人はものを考えるという習性が弱くなってきたのではと思ったからだ。しかし、そんなことはない、私はものをよく考えていると言う人がいたら、まず先に謝っておきたい。世の中がコンピュータ化し機械化が進み、人々は便利な生活を享受するようになった。それは結構なことだと思うし、もう昔のような非文明的な暮しには戻れないだろう。科学技術は日進月歩だし、パソコンやら携帯電話やらコンピュータゲームなどが登場...思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

  • 歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

    史劇・『天安門は見ていた』のこれまでの主な資料です。他にもちろん、SNSからの情報などもありますが、新たな資料が入れば追って紹介する予定です。歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

  • 一言集(2)

    ☆戦争は人類にとって最悪の行為である☆脳死状態そのものが、人間の「尊厳」を冒涜するものではないか?☆戦争とは、一部の人間(“死の商人”や軍需産業など)の利益にはなる。しかし、大多数の人間の利益にはならない。いや、大多数の人に損害をもたらすものだ☆理想=夢がなくなったら、この世は終りだ☆謙虚さは良いが、卑屈になってはいけない☆礼の中に心あり☆言葉は“全人格”である☆世論とは、マスコミによって作られるものなのか・・・☆真理は時々「少数」の中にある一言集(2)

  • 一言集(1)

    ◇国家とは「税金」である。「税金」で成り立っている◇日一日の命、命の火を燃やせ!◇言葉は“生きもの”である言葉よありがとう◇全てが必然である☆不完全燃焼の人ほど、命に執着する。完全燃焼の人ほど命に執着しない☆役人がのさばると、国が滅ぶ◇むかし軍人、いま官僚◇一筆入魂◇いつの時代にもどこにでも、税金を食い物にする輩(やから)がいる◇資本主義と社会主義は、コインの“裏表”と同じようなものだ◇恋人とストーカーは“紙一重”の差だ☆歴史は「勝者」がつくる。「敗者」から見た歴史は抹殺されていく◇一手の違いは、千手の違い◇この世の原点はただ一つ、人道主義・ヒューマニズムしかない一言集(1)

  • 石橋政嗣さんのこと

    <石橋政嗣さんは2019年12月9日に亡くなりました。満95歳でした。ここに哀悼の意を捧げると共に、2014年12月12日に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>先日、総選挙の関連で昔の日本社会党(以下、社会党と記す)を調べていたら、元委員長の石橋政嗣(まさし)さんのことが分かった。満90歳だがご健在だという。懐かしくなって、昔のテレビ局記者時代のことを思い出した。私が社会党など野党の担当をしていたころ、石橋さんに何度か取材したことがあるのだ。石橋政嗣さんと言っても、今の人はほとんど知らないだろう。しかし、1960年代から80年代にかけて、旧社会党では最も代表的な政治家の一人だった。私は自民党の政治家については何人も取り上げたが、社会党では石橋さんが初めてだ。それほど、野党の中では印象に残る人だった。前...石橋政嗣さんのこと

  • フランスの美しい田園と原発

    〈2011年4月2日に書いた以下の記事を復刻します〉フランスの原発電力量が国内全体の80%近くもあると聞いて驚いた。これは福島原発事故の関連で伝えられたものだが、今のフランスは原発で国が成り立っているということだ。そこで嫌なことを思い出した。もう17年ほど前だが、フランスを単身で観光旅行したことがある。パリ見物がメインだったが、他に数件のオプション観光コースがあり、私は迷わず「ロワール川の古城めぐり」を選んだ。ロワール川はフランスの中央部を流れる大河で、その流域には中世の面影を残す古城が幾つも点在している。当時はそうでなかったが、今は世界遺産に登録されている所だ。ある朝、私はパリから観光バスに乗って出発した。すると、ほどなく田園地帯が広がってきた。フランスはもともと農業国なのだ。6月の陽光が田畑を照らし、...フランスの美しい田園と原発

  • “やまとなでしこ”は消えない!

    <今は少し考えが違いますが、2002年10月に書いた以下の記事を復刻します>1)2年ほど前だったが、民放テレビのドラマで「やまとなでしこ」というのを放送していた。「人生は金なり」という松嶋菜々子さん扮するスッチーが、やがて真実の愛に目覚めて、最後に魚屋の独身男性と結ばれるという話だったと思う。その時、久し振りに大和撫子(やまとなでしこ)という言葉を聞いたような気がした。なにか新鮮な感じがした。というのは、「大和撫子」という言葉自体が、化石か死語になってしまったと思っていたからだ。若い人達は「やまとなでしこ」とは何か、国語辞典をひもといただろう。そして「大和撫子」とは、日本女性の美しさ、清らかさを讃えた言葉であることを知ったに違いない。これは、日本の男性が永遠に憧れるものなのである。そういう意味で、「大和撫...“やまとなでしこ”は消えない!

  • アザレアの花

    鮮やかなアザレアの花アザレアの花

  • 『天安門は見ていた』第1部⑤ 鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

    それからおよそ6年後、中国は華国鋒ら最後の文革派グループが失脚し、代わって鄧小平の指導のもと、胡耀邦や趙紫陽らの改革・開放派が完全に実権を掌握していた。その間、国内は目覚ましい経済成長を続け、国力を増強していった。しかし、政権の内部では、民主化、自由化をめぐって対立がいっそう深まっていったのである。第5幕・・・鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂第1場<1985年の“春節”のころ、北京市・豊台区にある李慶之の自宅。彼が妻の摂栄花といるところに、宋哲元と新妻の李美瑛が訪ねてくる>宋哲元「やあ、久しぶりだね。里帰りなので伺ったが、みなさん、お元気かな?」李慶之「うむ、元気にやっているよ。美瑛はもうすぐ赤ちゃんが生まれるね、めでたいな」李美瑛「兄さんや栄花さんもお元気でなによりです。私はこの通り、お腹がふくらんでいます(...『天安門は見ていた』第1部⑤鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

  • 『天安門は見ていた』第1部④ 鄧小平の復活→華国鋒との戦い

    第4幕・・・鄧小平の復活→華国鋒との戦い第1場<1976年の10月下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平のほかに胡耀邦、趙刻明、卓琳夫人がいる>趙刻明「四人組が逮捕されたのを、多くの国民は歓迎していますよ。いたる所に壁新聞が貼られ、喜びのメッセージが寄せられています」胡耀邦「なにか世の中が大きく変わる感じがしますね。毛主席と四人組がいなくなって、これからどうなるのか。華国鋒氏が党主席の地位に就きましたが、彼は以前、湖南省で私の部下だった人物です。大変な“出世”だな」趙刻明「そうだったのですね、あなたは華国鋒氏に大きく水を開けられた感じだ(笑)」胡耀邦「参ったな~、ハッハッハッハ」鄧小平「うむ、私も四人組が逮捕されたあと、彼にすぐ書簡を送っておいた。新体制を全面的に支持すると言っておいたよ」趙刻明「...『天安門は見ていた』第1部④鄧小平の復活→華国鋒との戦い

  • 板門店(パンムンジョム)

    <以下の記事は2013年7月27日に書いたものです。>テレビで朝鮮戦争の休戦60周年を盛んに伝えているが、一昨年(2011年)、北朝鮮の板門店(はんもんてん)を見学したことを思い出した。詳しいことは以下の記事を読んでもらえれば分かるが(北朝鮮訪問記(後編)・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ba14ce746b47149fde9c618eb35bef7)、2年前の6月、板門店の休戦協定調印式場などを訪問したことが急に懐かしくなった。一言で言うと、北からの見学は実に楽である。それはあの戦争を北の「勝利」と見ているから、見学も寛大なのだろうか。ガイドさんがやたらに写真を撮れ、撮れと言うからそうなのだろう。我々日本人の眼から見れば、朝鮮戦争は南北の“引き分け”だと思...板門店(パンムンジョム)

  • アルメニア・コニャック

    ロシアで美味いものと言えば色々あるだろうが、私はアルメニア・コニャックをお勧めしたい。コニャック、つまりブランデーである。“飲み助”にはこたえられない。白ブドウから作られるが、このAPAPAT・アララトは特に素晴らしい。アルメニアには行ったことがないが、ロシアへ行くとこのコニャックが沢山売られている。以前、サハリンへ行った時に2本買ったが、うち1本は我慢できずホテルで飲んでしまった(笑)。もう1本を持ち帰り、大切にチビリ、チビリと飲んだ。アララトはアルメニアの聖なる山で(現在はトルコ領)、「ノアの箱舟」が行き着いた場所とされる。あのチャーチル(元イギリス首相)もヤルタ会談の時にこのAPAPATを大変気に入り、年に400本も個人で輸入したという。詳しいことは、以下の記事をぜひ読んでいただきたい。⇒http:...アルメニア・コニャック

  • 『天安門は見ていた』第1部③ 毛沢東の死と“四人組”の滅亡

    第3幕・・・毛沢東の死と“四人組”の滅亡第1場<8月上旬のある日、北京・中南海にある江青の居宅。江青ら四人組が集まっている>江青「唐山の大地震はすごかったですね。ようやく余震も治まってきましたが、被害は甚大だと聞いていますよ」張春橋「死者がどのくらいになるのか分からない。20万人、いや30万人以上になるとか・・・もっと多いかもしれない」王洪文「政府も党も一丸となって救援活動を続けていますが、復旧の見通しはまったく立っていません。恐るべき大地震でした」姚文元「外国からも救援の申し出がありましたが、わが国は“自力更生”がモットーですから、丁重にお断りしました。それに、もし外国の救援隊やマスコミを受け入れたら、どんな報道をされるか分かりませんよ」張春橋「うむ、ここは自力更生で行くしかない。わが国の底力が試されて...『天安門は見ていた』第1部③毛沢東の死と“四人組”の滅亡

  • 『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか? 小百合さん

    以下の復刻話は、オールド映画ファンの“戯れ言”として聞いてほしい。映画『忍ぶ川』(DVD・原作は三浦哲郎)を借りてきて見たが、最後の“初夜のシーン”が実に美しく素晴らしかった。ゆったりとしていて生命感にあふれている。加藤剛と栗原小巻が主演の映画だ。そこで『忍ぶ川』を調べていたら、面白い話が出てきた。熊井啓監督は当初、吉永小百合を主演に考えて、吉永の両親らともいろいろ打ち合わせをしていた。日活もその線で動いていた。しかし、熊井監督が吉永の自宅で泥酔し母親(和枝さん)と悶着を起こしたり、白黒映画にするかカラー作品にするかなどで父親(芳之さん)と対立したとのことだ。結局、吉永小百合の出演は“ご破算”になって、栗原小巻の登場になったという。映画(1972年)も俳優座の作品、東宝の配給となった。小巻さんが小百合さん...『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか?小百合さん

  • 国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

    <以下の記事は2006年11月7日に書いたものですが、基本的な考えは今でも変わっていません。一部修正して復刻します。>1)北朝鮮の衝撃的な核実験(2006年10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し1976年に批准している。それはそれで良いのだが、発効後36年経ってさまざまな矛盾や問題が生じている。ご承知のように、北朝鮮は2...国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

  • イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

    イエス・キリストの痛切な一言イエスの山上の垂訓(ブロッホ作)「自分の目には梁(はり)があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵(ちり)を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁(はり)を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵(ちり)を取りのけることができるだろう」(山上の垂訓より)他国を非難する前に、まず自分のことを振り返ったらどうだ!日本は「非核保有国」だから北朝鮮を非難する資格があるが、さんざん核実験をやった核保有国が、北朝鮮などを非難してもなんら説得力がない。核軍縮や核廃絶に向けて、なんら努力をしていない国々は、北朝鮮を非難する資格はない!NPT・核拡散防止条約に大きな問題点があるのだ!こんなに不公正、不平等な条約はほかにないのだ。核拡...イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

  • サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

    <2012年8月に行ったサハリンの州都・ユジノサハリンスクの記事を復刻します>サハリン(樺太)の州都・ユジノサハリンスクは、日本統治時代に「豊原」と言ったが、今でも戦前の面影が残っている所が幾つもある。中でも「郷土博物館」は1937年(昭和12年)に建てられた純日本風の建物で、和風の庭園には旧日本軍の戦車や大砲が置かれている。戦前にタイムスリップした感じがした。郷土博物館の全景旧日本軍の大砲の前でソ連邦が消滅してもう20年以上たつが、サハリンにはあちこちに「レーニン像」が立っている。そこが面白い。ロシア本土ではだいぶ撤去されたはずだが、極東のサハリンにはあまり影響がなかったのだろう。広場や通りの名前も共産主義時代の名残りを留めている。私個人はレーニンが大好きで、彼はガンジーと並ぶ20世紀最大の英雄だと思っ...サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

  • 『天安門は見ていた』第1部② 第1次天安門事件と鄧小平の失脚

    第2幕・・・第1次天安門事件と鄧小平の失脚第1場<2月中旬、北京市の郊外にある鄧小平の仮住まい。失脚した彼は、卓琳夫人と共にここに隠れ住んでいる。そこへ、長年の友人である趙刻明(ちょうこくめい・50歳ぐらい)が訪れてきた。彼は四川省出身で、某新聞の記者である>趙刻明「やあ、しばらくですね。ここに緊急避難ということですか?」鄧小平「党や政府の職務をすべて解任されたからね。もう“御用済み”ということだ(笑)」趙刻明「以前のように地方へ下放(かほう)されるよりはマシでしょう。あの時は紅衛兵に何をされるか分からなかったですからね」鄧小平「うむ、そうだね。あの時よりはマシかな」趙刻明「ところで、四人組はあなたの党籍をはく奪しようとしたんですって?」鄧小平「そうらしい。しかし、毛主席がそれだけは駄目だと断ったようだ」...『天安門は見ていた』第1部②第1次天安門事件と鄧小平の失脚

  • 『天安門は見ていた』第1部① “四人組”の権勢と周恩来の死

    <まえがき>このレーゼドラマ(読むための戯曲)は、40年前に書いた中国現代史劇『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場<1975年12月のある日。北京・中南海にある江青の居室。江青(61歳)のほかに、張春橋(58歳)、王洪文(40歳)、姚文元(44歳)が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中>江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてく...『天安門は見ていた』第1部①“四人組”の権勢と周恩来の死

  • 経済大国→ 老大国→ 老衰国・・・それで良いのか?

    <2019年10月17日に書いた以下の記事を復刻します>日本は経済大国である。戦後の経済復興で、アメリカに次いで世界第2位のGNP(国民総生産)を誇ったことがある。その当時は「ジャパンアズナンバーワン」「エコノミック・アニマル」などと言われたことがあった。日本は今でも経済大国に変わりないが、近年はどこか精彩がないようだ。それは経済力で中国に抜かれ、第3位に転落したこともあるが、全体的に停滞、あるいは沈滞している傾向がある。だから私は、経済大国からむしろ“老大国”になったのかと思うことがあるが、それはどうしてだろうか。経済の専門家ではない私なので、全体的な話をしよう。第1に、人口が減りつつあることだ。日本の総人口が1億人を突破したのは1966年(昭和41年・法務省統計局調べ)と言われるが、その当時は正に高度...経済大国→老大国→老衰国・・・それで良いのか?

  • 機密費について

    <機密費が問題になっているので、2010年5月20日に書いた以下の記事を復刻します。>“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。明石元二郎日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊さ...機密費について

  • 「南京大虐殺」はあった! 日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

    <2017年12月に書いた以下の記事を復刻します。>南京虐殺事件すでに多くの人が知っていることだが、日本テレビ系の各社は10月4日に、いわゆる「南京事件」のドキュメントを放送した。小野賢二さんという方の調査を本に構成したものだが、これは「南京事件」を知る上で大きな手がかりになるものだ。「南京事件」の全容については依然不明な点があるものの、小野さんらの努力でだいぶ明らかになった。中国側の見解には誇張した面があるかもしれないが、“南京大虐殺”があったのは事実である。犠牲者が何万人か、何十万人かといった視点ではなく、旧日本軍がかつて犯した事実を冷静に受け止めなければならない。今後日中関係はどうなるか分からないが、こうした歴史的事実の上に立って、新たな未来を切り開かなくてはならないと思う。そうした観点から、日本テ...「南京大虐殺」はあった!日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

  • 青春の苦しみ(15)

    16)卒業論文冬休みに入ると、彼は遅れがちだった卒業論文の作業を進めようとしたが、まだどうも気乗りがしなかった。そこで、近所に住む向井弘道の家へ遊びに行ったり、彼の方が行雄を訪ねてきたりして雑談を交わしていたが、向井も某石油化学会社への就職を決めていたため、将来の仕事や生活ぶりが話題の中心になった。彼は親元を離れ、会社の独身寮に入るということが相当に嬉しいようだった。日頃は温和で控え目な性格だったが、彼は独立心のある芯の強い人間なのだろう。行雄が「独身寮とは羨ましいね」と言うと、向井は「うん、親からいろいろ言われることもないしね」と明るい声で答えた。彼と話していると、自分も早く親元から離れたいと思うのだが、月給3万円では都内のアパートを借りることはとても無理だ。当分は浦和の自宅からFテレビに通うしかないが...青春の苦しみ(15)

  • 早とちり記者

    <2020年4月に書いた以下の記事を復刻します>“早とちり記者”とは私のことである。不名誉なことだが、昔、某テレビ局の記者をしていた時、数回はそんなことがあった。もちろん、他の新聞やテレビでもそういうことはある。まあ、勇み足とか早合点による失敗を言うのだが、記者とは他社に先駆けてネタをつかみたいと思うから、時々、そういう失敗をするものである。私の場合、数回の中で特に忘れられないものがある。というのは、記事になって放送されたりすると、それは“誤報”になるのだ。その場合、後で訂正して謝罪しなければならない。ところが、訂正や謝罪の機会がないまま、ずるずると行ってしまうこともある。つまり、結果的に“頬かぶり”したことになるのだ。だいぶ前置きが長くなったが、忘れられない失敗とは以下のようなことだ。反省を込めて言わね...早とちり記者

  • 『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の...『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

  • 『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

    <2015年7月12日に書いた以下の記事を復刻します>スポーツの国際試合の時によく『君が代』が演奏されるが、どうせなら『君が代行進曲』の方が良いのではないか。『君が代』は荘重だが、なにか“お通夜”か葬儀のような雰囲気だ。それに比べると『君が代行進曲』の方は元気や勇気が湧いてきて、よしっ、やるぞっ!という気分になる。また、躍動感に溢れている。以前、サッカーで有名な中田英寿選手は、『君が代』について「気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と言って歌わなかったそうだ。まったく同感である。君が代行進曲/KimigayoMarch『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

  • 青春の苦しみ(14)

    15)百合子の指Fテレビの研修が終って通常の大学生活に戻ると、また早稲田祭の季節になっていた。百合子は歌舞伎研究会の活動に熱心に参加していたが、行雄は蓼科での合宿に行けなかったことなどから歌舞研にはほとんど関心を失い、早稲田祭のサークル活動には加わらなかった。そんなある日、徳田と雑談を交わしていると、エール・フランスの採用試験に失敗した百合子が、彼の助力でフランス大使館への就職を決めたことが分かった。徳田の先輩が大使館に勤めているので、その筋から彼女の採用が内定したようである。「中野さんもホッとしているよ、とにかく良かったね」徳田が我がことのように言うので、行雄も「良かったね」と“おうむ返し”に答えた。「君も中野さんも就職が決まったのだ、もう何の心配もいらない。後は卒業するだけじゃないか」徳田の快活な語り...青春の苦しみ(14)

  • 青春の苦しみ(13)

    秋も深まり11月を迎えると、Fテレビで就職内定者の職場研修が始まった。一日目の午前中、まず総務局の河野人事部長から、23人の内定者に対して研修の目的や日程などの説明があり、そのあと研修生は7つの班に分けられ各職場へと配置された。制作関係を希望していた行雄は、同じようにドラマのディレクターを志望する他の3人と一緒に、まず制作現場に回された。テレビ局のスタジオを見るのは初めてなので、興味津々覗いてみると、何とそこには「クレージー・キャッツ」のメンバーがいるではないか!ハナ肇はむっつりとして怖そうな顔をしており、植木等はテレビで見るとおり軽薄で“お調子者”といった感じだ。谷啓は何を考えているのか分からないといった風情で、ぼんやりと椅子に腰かけている。これまで会ったこともない芸能人を間近に見て、行雄は“別世界”に...青春の苦しみ(13)

  • 『喫茶店の片隅で』

    1955年(昭和30年)の歌で、松島詩子(うたこ)が歌ってヒットした。喫茶店はいつの時代でも“憩い”の場所だ。誰にでも思い出の数々があるだろう。私にも無数にある。一つだけ言わせてもらうと、学生時代に憧れの女子大生とぜひ喫茶店に行きたいと願っていたが、ついにその夢は果たされなかった。理由は簡単、自分が奥手で不器用、意気地なしだったからだ。そんな情けない話は別として、永遠にあり続けてほしい“喫茶店”の歌を載せておこう。作詞・矢野亮、作曲・中野忠晴1アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店いつもあなたと逢った日の小さな赤い椅子二つモカの香りがにじんでた2ふたり黙って向きあって聞いたショパンのノクターンもれるピアノの音(ね)につれてつんでは崩しまたつんだ夢はいずこに消えたやら3遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶...『喫茶店の片隅で』

  • トランプとルーズベルト

    <2017年1月11日に書いた記事をそのまま復刻します>トランプ次期大統領F・D・ルーズベルト大統領アメリカのトランプ次期大統領のツイッターが話題になっているが、これを聞いて私は20世紀の偉大な政治家であるフランクリン・ルーズベルト大統領のことを思い出した。政治に興味のある方はむろん知っているだろうが、ルーズベルトは1933年に大統領に就任したあと、ラジオを使った「炉辺談話」を始めたことでも有名である。ラジオは1920年代からアメリカで大いに普及したが、実はルーズベルトはニューヨーク州知事時代(1929年~1932年)に真っ先にそれに目を付け、炉辺談話に使っていたそうである。つまり、彼は当時の最新のメディアであるラジオを有効に利用していたわけだ。そう考えると、トランプ氏も現代の最新のメディアであるインター...トランプとルーズベルト

  • <復刻> アメリカ大統領選でトランプ氏が復活

    アメリカの大統領選は、共和党のドナルド・トランプ氏が民主党のカマラ・ハリス氏に勝利し、4年ぶりに返り咲くことになった。当初の予想では大接戦になるかと見られていたが、意外にあっさりとトランプ氏の当確が出た。マスコミの予想が外れたのだろうか。ドナルド・トランプ氏テレビニュースなどを聞いていると、アメリカの「経済」が国民にとって芳しくないことが、トランプ氏有利に働いたようだ。物価高などによる生活苦、困窮化が最大の要因になったと見られる。要するに、バイデン民主党政権の経済政策が上手くいかなかったと言える。外交や安全保障なども重要だが、アメリカ国民にとってはやはり身近な「生活」の問題が最重要だったのだろう。他にもトランプ勝利の要因はいくつかあろうが、“アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ氏の主張が広く支持されたと...<復刻>アメリカ大統領選でトランプ氏が復活

  • 青春の苦しみ(12)

    14)研修就職が決まって一安心していると、歌舞伎研究会が夏休み中に長野県の蓼科で合宿を行なうということが分かった。行雄は以前ほど歌舞伎に関心は持っていなかったが、面倒臭い就職問題も片付いて気が楽になったせいか、気分転換も兼ねて合宿に参加しようと思った。また、蓼科高原の自然の中で、百合子と一緒に合宿生活を送るのは、他に多くの学生が参加していようとも何か“淡い期待”を抱かせるものがある。彼はこれまでの百合子との諍(いさか)いのことなどは忘れてしまい、歌舞研の幹事に合宿への参加を伝えた。ところが、その翌日(夏休みに入る直前だったが)、一学期の最後の講義に出席した後、教室を出た所で行雄は待ち構えていた百合子から声をかけられた。彼女の方から話しかけてくるのは滅多にないことなので、何事かと思ってしまう。「あなたが歌舞...青春の苦しみ(12)

  • 青春の苦しみ(11)

    13)就職戦線大学4年の新学期が始まって一週間ほど経ったある日、高村宗男が声をかけてきた。「おい、就職説明会があさって開かれるというが、一緒に聞きに行かないか?」と言う。新学年がスタートしたばかりだというのに、もう就職の話しが出てくるのかと行雄は“せっつかれる”思いがした。彼が志望していた出版関係の就職試験は、秋口にならないと始まらないので“のんびり”していたが、高村の目指す新聞社などはもっと早く試験を行なうというのだ。高村が誘ってきたのと、何か就職の参考になれば良いかと考え、行雄は彼と一緒に説明会に出てみることにした。当日の午後、就職説明会は本校舎の大教室で開かれたが、出席してみると驚いたことに、超満員の学生で会場は溢れ返っていた。両脇の通路にも学生がぎっしりと詰めかけて身動きが取れないほどだ。何か熱気...青春の苦しみ(11)

  • ヒトラーの出現に、ガンジーが喜んだ!

    マハトマ・ガンジードイツでヒトラーが政権を握った時、インドのガンジーが大喜びをし、祝電まで送ったと聞いて私は一時がっかりした。あの立派なガンジーがなんたることかと思ったが、よく考えてみると、それも不思議ではない。大英帝国・イギリスは当時、インドを征服するなど世界の7つの海を支配していた。ガンジーはインドの独立を切に望んでいたから、イギリスの“強敵”になるヒトラーの出現を喜んだのだろう。現に第2次世界大戦が勃発し、ヒトラー・ドイツはイギリスなど連合国に敗れたが、これを契機に世界中の植民地の独立運動が盛んとなり、インドもようやく独立したのである。国際政治とはそんなものだ。なにかの“異変”で世の中が変わっていく。「敵の敵は味方」だとよく言われるが、イギリスの敵であるヒトラー・ドイツは、力学的にインドの味方になっ...ヒトラーの出現に、ガンジーが喜んだ!

  • 少子化は当たり前だ! 少ない子供を大切に育てる

    <2014年7月26日に書いた以下の記事を復刻します>全国知事会が今月15日「少子化非常事態宣言」を採択したが、少子化で日本の人口が減っていくのは当然である。今さら非常事態宣言を発したからといってどうなるのか。国や地方は本当に少子化対策をとっているのか!?あやしいものだ。例えば第2子から30万円、第3子からは50万円、第4子以降は年間100万円の補助を行なうなど、思い切った対策をとる覚悟はできているのか!そういう具体的な方策もなく、ただ少子化は良くないと言うだけでは何の効果があるだろうか。何の効果もない。人口減少は当たり前で、日本は今の半分の6000万人ぐらいになって当然だと言う人もいる。だいたい、今は子供に金がかかり過ぎるのだ。わたしらが子供のころは学習塾なんかほとんどなく、パソコンもスマホもゲーム機も...少子化は当たり前だ!少ない子供を大切に育てる

  • 大プロデューサー・横沢彪さんのこと

    <2011年1月11日に書いた記事を一部修正して復刻します。>元フジテレビの大プロデューサー・横沢彪(たけし)さんが8日、都内の病院で亡くなった。73歳。横沢さんについては多くを語る必要はないだろう。彼のお陰で、視聴率最悪のフジテレビが、起死回生の復活を遂げたのだから。いわば、フジテレビの最大の功労者の一人である。何かテレビの“申し子”のような存在であった。横沢さんは私の2年先輩で、東大を出たあと1962年(昭和37年)にフジテレビに入社した。一時期を除いて、ほとんど制作現場を歩まれた人である。私は1964年(昭和39年)にフジテレビに入ったが、もっぱら報道畑にいたので横沢先輩とはほとんど接点がなかった。ただ、2回だけ横沢さんと酒を飲みながら話をする機会があった。以下はちょっとした思い出になるが、その話を...大プロデューサー・横沢彪さんのこと

  • 青春の苦しみ(10)

    12)1963年・昭和38年新しい年・昭和38年を迎えた。行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け衣装は豪華けんらんを極め、ぜひ一度まぢかで見たいと思っていた。それは歌舞伎の美しさの頂点を極めるものであった。その時、行雄は、大柄で色白の百合子が揚巻を演じたらどうなるだろうかと、勝手に空想したものだ。それは恍惚とした艶やかさの極致を想わせるものであった。それ以来、百合子と二人だけで「助六」を見るのが彼の夢となっていたのだが、...青春の苦しみ(10)

  • 青春の苦しみ(9)

    11)艶・・・妄想11月も半ばに差しかかると、歌舞伎研究会は早稲田祭の準備に追われていた。百合子は長唄の発表会があるのでその練習に余念がなかったようだが、行雄はまだ“新入り”なので大したことをやるわけでもなく、展示会場の手伝いをする程度だった。そんなある日、徳田誠一郎が久しぶりに行雄に声をかけてきたので、二人は仏文科の講義が終ったあとS喫茶店に入った。「家庭教師の方は順調にいっている?」と徳田が聞いてきたので、行雄は「問題ないよ」と答えた。「君に代ってもらって助かったよ、僕の方もどうにか上手くいっている」徳田はそう言うと、某商社のフランス製品販売促進キャンペーンのアルバイトについて、おおむね順調に取り組んでいることを説明するのだった。初めのうちはそのアルバイトも大変だったようだが、慣れてくるとスムーズに“...青春の苦しみ(9)

  • 青春の苦しみ(8)

    10)1周年行雄が歌舞伎研究会に入ってから半月ほど経った日曜日、浦和の自宅に森戸敦子の母である敏子が訪ねてきた。埼玉県・川口市の知人に用があったついでに立ち寄ったものだが、彼女は村上家を久しぶりに訪れたこともあって、行雄の父や母と歓談していった。敏子は最近の森戸家の写真も持ってきたが、特に娘の敦子のものを見せたかったらしい。同席した行雄が驚いたのは、敦子が大学の先輩とすでに婚約しており、その記念写真などを見せてくれたことだ。敦子と先輩のO氏は、翌年の3月に国際基督教大学のチャペルで結婚式を挙げることになっているという。二人が写っているカラー写真を見ると、O氏は背が高くてスポーツマンタイプだが理知的な感じのする好青年で、隣にいる敦子は花のような美しい笑顔を浮かべている。父の国義が「敦子ちゃんはまだ大学生だと...青春の苦しみ(8)

  • “叙景歌”は消えるのか ?

    <以下の文を復刻します。>日本人は豊かな自然に恵まれ、しかも“春夏秋冬”という四季の移ろいの中で育ってきたから、風景や季節の変化などにとても敏感な民族だと思う。自然を愛する心が、子供の頃から育まれてきたと言ってよい。ところが、最近は世の中の動きがせわしないのか、時代の変化が激しいのか、風景などを歌う唄が極端に少なくなってきたように思う。和歌や俳句では“叙景歌”が多いのは当然だが、歌曲の分野ではほとんど姿を消したのではないか。むろん“花鳥風月”にこと寄せて、愛や別れ、悲しみや喜びを表現する抒情歌は多い。しかし、純粋な叙景歌は歌曲の分野でほとんど消滅してしまったようだ。これが残念である。日本人ほど叙景歌が得意な民族はそういないのではないか。明治以降、外国の音楽が大量に流入してきたが、どんな音楽でも日本人はそれ...“叙景歌”は消えるのか?

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • 青春の苦しみ(6)

    6)呪い学生会館で百合子と会ってから、行雄は彼女への想いが“重圧”として感じられてくるようになった。彼はそういう自分の心境変化を不思議に思うのだが、どうしようもないことなのだ。なぜ重圧なのかと自問自答する。お前は百合子の肉体に魅惑されているだけではないのか。オスがメスを欲しがるように、お前は獣のように彼女の肉体を求めているのではないのか。お前が望んでいるのは、本能に基づく肉欲の充足だけではないのか。そう自問すると、もう一人の行雄が答える。いや、そんなことはない。俺は確かに百合子を愛しているし、その愛は純粋で崇高なものだ。彼女に書いた詩は、自分の真心であり本心なのだ。俺は献身的に百合子を愛していけると思う・・・しかし、自問自答は果てしなく続いていった。結局、行雄は自分の中に、矛盾する二人の人間を見い出すよう...青春の苦しみ(6)

  • 青春の苦しみ(5)

    5)恋文冬休みに入ると、行雄は百合子との関係をなんとか打開しなければと焦ってきた。しかし、妙案があるわけではない。電話で話しても、自分の気持を十分に伝えることは極めて難しい。思い切って彼女の自宅を訪れようかと考えたが、そうする勇気もないし、彼女だって自宅に来られるのは断るに違いない。どうしてよいか分からず、行雄は悶々たる気持で数日を過ごしたが、そのうちにある考えが固まってきた。百合子に心から謝罪し、自分の真心を伝える手紙を出すということだった。それ以外に良い方法はないだろう。行雄は決意を固め、クリスマスの二日後に百合子宛の手紙を書いた。それは敗軍の将が全面降伏し、勝った敵将の許しと憐れみをひたすら懇願するような内容のものとなった。「・・・十一月七日、僕は登校時に君の天使の微笑みを見てから、頭がフラフラにな...青春の苦しみ(5)

  • 秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

    <以下の記事を復刻します。>『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。良家の子女に生まれた秋瑾は大金持ちと結婚し、2人の子供にも恵まれ幸せな前半生を送る。しかし、19世紀から20世紀にかけての清朝は、外国の侵攻を受けて苦難の連続だった。また、どこの国もそうだったろうが、中国でも男尊女卑、女性差別が非常に根強かった。纏足(てんそく)などの風習がそうである。これらの矛盾に我慢できなくなった秋瑾はついに出奔を決意し、単身で日本へ渡る...秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

  • たかが将棋、されど将棋

    <このところ、AIとの将棋にハマっていたので、2004年1月に書いた以下の記事を復刻します。>将棋は日本の代表的な遊技の一つである。私も将棋が好きで子供の頃から指していたが、「下手の横好き」というか一向に上手くならない。しかし、将棋を指している時は、他の事には目もくれず熱中できるから楽しい。小学生の頃、親父から将棋を教わり、中学時代から社会人になるまで、断続的にやっていたことを覚えている。会社勤めをしてからも、職場で同僚とよく将棋を指していた。50歳を過ぎてからも、仕事の都合で出張に出かける時は、新幹線や飛行機の中で同僚とよく指した。将棋をやっていると、夢中になって時間の経過を忘れてしまう。気がついた時には、出張先に到着しているというわけだ。その間、まったく退屈しない。現代文明の発達のおかげで、今や将棋は...たかが将棋、されど将棋

  • 年寄りの昔と今(ざれ言)

    年寄りは今やろうとしていたことをもう忘れる年寄りは昔美人によろめいたのに、今は足元がよろめく年寄りは昔駅などの階段を勢いよく駆け上ったのに、今はエレベーターにすぐに乗り込む年寄りは昔恋人に会って喜んだのに、今は孫に会って喜ぶ年寄りは昔若妻の顔にキスしたのに、今は老妻から顔をそむける(笑)年寄りは昔ラブレターを心待ちにしていたのに、今は「年金通知」を待ち望む<蛇足>俺の入れ歯がない、見つからない!入れ歯はどこだ!?(あとで見つかる)年寄りの昔と今(ざれ言)

  • 青春の苦しみ(4)

    4)白昼夢十一月下旬の早稲田祭が近づいた頃、行雄は、中野百合子が歌舞伎研究会のサークル活動をしていることを思い出した。彼女は入学した時からサークル活動をしていたようで、教室でも時々、歌舞伎の話しをしていたことを行雄は覚えている。彼は歌舞伎にそれほど興味はなかったが、歌舞研(歌舞伎研究会)ももちろん早稲田祭に参加しているので、それを縁にぜひ百合子に接近したいと考えた。早稲田祭が始まる前日、行雄は意を決して荻窪の彼女の自宅に電話をかけた。大きな期待と小さな不安で心臓がドキドキしたが、電話口に出た百合子の母親の声は明るく、とても感じが良かったので行雄は胸をなで下ろした。百合子を呼び出してもらうと、彼女の弾んだ声が受話器の向うから流れてきた。「まあ、村上さん、なんの御用でしょうか」「うん、どうも。あしたから早稲田...青春の苦しみ(4)

  • 青春の苦しみ(3)

    3)中野百合子九月の二学期が始まって一週間ほど経ったある日、行雄は授業に出た後、甘泉園の方へ散歩してみることになった。大学の裏門を通り抜けて商店街に出たが、夏の蒸し暑さが残っていて、歩いていると汗がにじみ出てくる。商店街から路地に入ると人通りもほとんどなくなり、日影になったので行雄はほっとした。いつまでこの蒸し暑さが続くのだろうかと思いながら、彼は狭い路地から甘泉園前の広い通りに出た。その通りを横切ろうと、行き交う車や自転車に注意しながら前方を見ると、小柄な男がうつむきながら右の方向へとぼとぼと歩いていた。学生でもないようだし、さりとて社会人という風体でもない。青白い顔をしたその男は元気のない様子で、歩き方も弱々しく一見して浮浪者のような印象を与える。彼の横顔を見ているうちに、行雄は背筋がすう~っと寒くな...青春の苦しみ(3)

  • 小泉純一郎さんのこと

    <以下の記事は2002年2月に書いたものですが、原発の無責任な推進に警鐘を鳴らす小泉純一郎元首相に敬意を表し、復刻します。>1)今をときめく内閣総理大臣・小泉純一郎氏について語りたい。一言でいうと、彼は剛直で分かりやすく、親しみやすい人である。私が某テレビ局の政治部記者をしていた昭和49年(1974年)2月、自民党の福田派(清和会)を担当することになった。当時、小泉氏は衆議院当選一回の初々しい代議士であった。名前と顔だけは知っていたが、まったく面識はなかった。それは当然のことで、我々記者は福田派の会長である福田赳夫氏、派閥の幹部である園田直氏、松野頼三氏ら有力議員を取材するわけで、一年生議員の所には滅多なことでは行かないからだ。ある時、福田派の有力議員と我々記者との間で懇親会が催された。料理店で一次会をし...小泉純一郎さんのこと

  • 政治家たちの印象

    記者時代、何百人もの政治家や秘書たちに接したが、その中で印象に残る人たちを列挙してみた。☆最も心優しく円満だった人・・・谷垣禎一さん☆話が最も面白かった人・・・園田直さんと竹入義勝さん☆小柄だが最も迫力のあった人・・・野中広務さん☆大柄で怖い感じがした人・・・黒柳明さん☆態度が大きくて参った人・・・藤尾正行氏☆最も人間的な幅があると思った人・・・金丸信さん☆何がなんでも行動する人・・・浜田幸一さん(ハマコーさん)☆とても無口で居づらくなった人・・・石橋政嗣さん☆とてもせっかちで早口だった人・・・田中角栄さん☆最も礼儀正しく好印象だった人・・・石破茂さん☆最もインテリ風だった人・・・宮澤喜一さん☆最も貫録と風格があった人・・・佐藤栄作さん☆とにかく格好がよかった人・・・中曽根康弘さんと小泉純一郎さん☆初の女...政治家たちの印象

  • <過去の記事> 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します。新幹線にも、もちろん税金が投入されているのだ!!>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるか...<過去の記事>鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 青春の苦しみ(1)

    第2部1)安らぎ三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。どんな出題であろうとも、分からないものは分からないのだ。彼は教材を大ざっぱに斜め読みしただけで、初日の試験に臨んだ。結果の感触はまったく自信のないものだった。不可でなく、可が取れれば上出来というもので、次の試験課目も更にその次も同様であった。どのくらいの課目で落第するか見当も付かなかったが、行雄はとっくに開き直っていたので、それほど苦にならなかった。と...青春の苦しみ(1)

  • 毒性・抵抗力・免疫(後編)

    <後編>人体が丈夫で健康なことは素晴らしい。また、摂生して体を鍛えるのも良い。しかし、これが長生きに繋がるかといえば必ずしもそうではない。「一病息災」と言って、一つぐらい持病がある方が健康に気を使い、かえって長生きする例もある。また、見るからに弱々しくて、痩せ細っていても長生きする人が大勢いる。人さまざまだ。ところで、つい先日まで元気一杯だった人が急に亡くなったり、人間ドックで何の異常もないと診断された人が急逝することがある。あれは何なのか。こういう例を私は何度も見てきた。前置きが長くなったが、要は病気に対して「抵抗力」があるかないかの問題だろう。抵抗力がなければ、どんなに丈夫な人でもアッと言う間に亡くなる。この場合の「抵抗力」とは、病気や病原菌に耐える力のことである。そこで、最も一般的な抵抗力の話をしよ...毒性・抵抗力・免疫(後編)

  • 毒性・抵抗力・免疫(前編)

    <2012年6月23日に書いた以下の文を復刻します。><前編>先日、喫煙と肺がんの関係について一文を書いていたら、人体の「抵抗力」とは何かと考えるようになった。私は医師や科学者ではないから、もちろん専門的なことは分からない。しかし、病気と人体の抵抗力について考えるのは自由である。私は科学者ではないが、一人の自由な思想家なのだ。以下、独断と偏見を交えて人体の抵抗力を考えていきたい。この場合の「抵抗力」とは、病気や病原菌に耐える力のことである。タバコは人体にとって有害である。これは臨床医学で明らかになっているし、ニコチンやタールが健康に良いわけがない。非喫煙者は知らないだろうが、今のタバコの箱には肺がん、心筋梗塞、脳卒中、肺気腫などの原因になったり、それらの病気を悪化させる危険性があると、くどいように書いてあ...毒性・抵抗力・免疫(前編)

  • 私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

    1979年(昭和54年)小説『青春流転』(自費出版)1980年(昭和55年)戯曲『文化大革命』(自費出版)1981年(昭和56年)戯曲『血にまみれたハンガリー』(自費出版)小説『リビドーの果てに』⇒某出版社に送るが不明)1983年(昭和58年)小説『ある中年記者の一日』⇒紛失?)2005年(平成17年)小説『青春の苦しみ』2006年(平成18年)戯曲『明治17年・秩父革命』2013年(平成25年)小説『サハリン物語』小説『かぐや姫物語』2014年(平成26年)小説『新・安珍と清姫』2015年(平成27年)小説『老人=SNS=美人』2016年(平成28年)小説『啓太がゆく』第1部・仕事と恋とレジャー2017年(平成29年)小説『啓太がゆく』第2部・労働組合騒動小説『落城』2018年(平成30年)戯曲小説『藤...私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

  • 『青春時代』

    1976年(昭和51年)にリリースされた曲で、作詞は阿久悠、作曲は森田公一で、森田自身とトップギャランが歌った。発売から半年でミリオンセラーになったという。メロディーもいいが、阿久悠の歌詞が素晴らしい。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」「胸に刺(とげ)さすことばかり」だと聞くと、自分の青春時代をつい思い出してしまう。青春には大いに失恋や挫折などがあるだろう。しかし、それを乗り越えて前に進むしかないのだ。今の若い人たちは、この曲を聴いたらなんと思うだろうか。森田公一とトップギャラン《青春時代》1976年(原音)『青春時代』

  • <詩> ある日本兵の死

    ここは一体どこの島だインドネシア方面に送られてきて名前も知らない島を転々とさせられいま俺はヤシの木陰の下息を引き取ろうとしているこれが運命なのかなんと哀れな運命だこれが戦争なのかアメリカ兵と一度も戦うこともなくいま俺は朽ち果てようとしている食うものもなく飢え死にしそうだその上マラリアにかかったのか高熱が退かない栄養失調と熱病に弱り果てた俺には立ち上がる気力もないああ恵子よ今どうしているのかお前と結婚してからわずか2年二人の間に生まれた百合子は元気に育っているのか幼な子もようやく一歳になったはずだ百合子の顔を見たいヨチヨチと歩き始めただろうか出征する時生まれたばかりのお前は母の胸に抱かれてスヤスヤと眠っていたな軍用列車に乗って出発する時万歳の声や「勝ってくるぞと勇ましく」の軍歌が湧き起こるとお前はびっくりし...<詩>ある日本兵の死

  • アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

    <以下の文は2009年10月9日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>昨日の記事で私は、アメリカの軍需産業が不況の中でも好景気に沸いている話をしたが、よく考えるとそれは当然ではないかと思ってしまう。なぜならアメリカの経済自体が、戦争と軍需産業に頼っている面が大きいからそうなるのだ。アメリカは絶えず「戦争」に頼ってきた。19世紀のことはよく知らないが、20世紀に入ると第1次世界大戦が起き、アメリカは一気に景気を回復し、大戦が終わると一転して不況に陥った。そして、第2次世界大戦の時も参戦して不況を乗り切り“戦争特需”にあずかったのである。その戦争経済体質は非常に明らかで、「軍産複合体」というのは、アイゼンハワー元大統領が、1961年1月の退任演説で指摘したものである(末尾にウィキペディアの記事をリンク...アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

  • 辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

    <以下の記事は2002年3月28日に書いたものですが、原文のまま復刻します。>辻元清美さん(2009年当時)1)これほどパフォーマンスが豊かで、これほど自分勝手な、また往生際の悪い政治家も珍しい。社民党の辻元清美さんが、元政策秘書の給与不正流用疑惑の責任を取って、議員辞職した。疑惑が発覚してから1週間、テレビ、新聞などマスコミは完全に彼女に振り回されていた。また、社民党自体も、最後の方は彼女にキリキリ舞いさせられていたようだ。予定されていた記者会見はすっぽかすし、土井党首ら党幹部の説得も蹴飛ばして、自分勝手にテレビに二度も出て、言いたい放題なのだ。こう言うと叱られそうだが、テレビを見ている方としては、おもしろいと言うか、痛快と言うか、“笑劇”を見ているようだった。さぞや、関係者は苦労しただろうと察する。議...辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

  • <まとめ> 青春流転

    過去の小説をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。早稲田大学のキャンパス(2018年6月撮影)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0a92fcbf70cde312f68d5e282d742bc8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/564060ae124cff08c99eda50356f1cf0http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/1f0bc47dd1c0b2407c8c9f9a46b05a55http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/51bb23997be14f3968d8401554f181d7http://blog.go...<まとめ>青春流転

  • 青春流転(17・第1部完)

    彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。)プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天文博物館に入る。やがて場内が暗くなると、丸天井のスクリーンにいろいろな星座が映し出され、解説者の声が聞こえてきた。「わあ~、きれい」と子供達の歓声が上がる。北極星を中心に小熊、大熊、カシオペヤなどの星座が光を放つ。美しい。宇宙の生命と神秘の中に引きずり込まれていくようだ。季節ごとに、次々と星座が映し出されていく。うっとりと...青春流転(17・第1部完)

  • 青春流転(16)

    13)死から生へ一九六一年の元旦は、行雄にとってこの上もなく暗いうつろな幕開けとなった。彼は家族ともろくに口もきかず、ほとんど部屋に閉じこもって物思いに沈んでいた。時の流れが、これほど長く切ないものに感じられたことはなかった。全ての苦悩が、なんの仮借もなく彼の心を蝕んでいくようである。唯一の喜びは、森戸敦子から“ありきたり”の年賀状が届いたことだった。それは、神からも人間からも見捨てられた、哀れな孤児に届いた福音のようなものであった。行雄は嬉しさのあまり神経が高ぶり、その年賀状に口づけして涙ぐんだ。そして、無性に敦子に会いたいと思った。しかし、挫折した自分の惨めな様を、どうして彼女に見せることができるだろうか。こうして不様に虫けらのように生きている自分には、彼女に会う資格はないのだと思う。この哀れな男にも...青春流転(16)

  • JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

    <JASRACの“被害者”として、以下の文を復刻します。>「音楽著作権」によれば、歌詞の引用は原則的に禁じられているという。私も以前のヤフーブログに、良かれと思って大いに歌詞を引用し紹介したのだが、それらが著作権を侵害したとのことでブログが“全面削除”された。しかし、これははなはだ疑問である。著作権法第32条にも「引用利用権」が明記されている。歌詞を引用・紹介して音楽を大いに称賛したというのに、それがどのような“実害”を与えたのだろうか。CDの売り上げが減ったとでも言うのだろうか。そんな事はあり得ないだろう。むしろ、素晴らしい歌詞を紹介することによって、読者から歓迎されたと思う。そして、その音楽への関心や共感を高め、良い方向へ進んだものと信じている。音楽著作権の事でブログが全面削除され、私は音楽そのものへ...JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

  • 世界の“4大悪妻”か

    〈以下の記事を復刻します〉先日、S・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』をDVDで見ていたら、いかにも“悪妻”といった雰囲気のリンカーン夫人が出てきた。それでふと思い出したが、昔、リンカーン夫人のメアリー・トッドの伝記が評判になったことがあるが、それも彼女が稀に見る悪妻という話であった。メアリー・トッドはたしか嫉妬深くヒステリーな女だという話だったが、映画『リンカーン』でもそういう感じだった。しかし、人は偉人や天才などの夫人を概して“悪妻”に見立てるものだ。それは夫が余りにも偉大なため、妻が脇役となって悪く見られるケースが多い。3大悪妻だと、ギリシャの哲学者ソクラテスの妻・クサンティッペ、大音楽家モーツァルトの妻・コンスタンツェ、文豪トルストイの妻・ソフィアと言われるが、それが4人目となると、やはりリンカ...世界の“4大悪妻”か

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • 青春流転(15)

    12)挫折文学部自治会での主流派の敗退、池田内閣打倒デモの末期的な衰退と、行雄にとっては周りの学生運動が何もかも上手くいっていなかった。アナーキズムに賛同してくれる学生も皆無と言ってよかった。左膝の負傷はその後回復してきたが、痛みはなお残っていたので、歩く時に気になって仕方がなかった。加えて、彼は時たましか家に帰らず、クラスメートのアパートに泊まり込んだりしていたため、家族との交流も途絶えがちになっていた。そんなある日、行雄にとって信じがたい出来事が起きた。自宅で療養中の大川勇が自殺を図り、未遂に終ったというのだ。その情報を笹塚から聞いた時、彼は脳天をハンマーで打たれたようなショックを受けた。あの大川が・・・いつも毅然として自信に満ちあふれていた、あの大川が自殺を図るとは・・・行雄はすぐに、三ヵ月ほど前に...青春流転(15)

  • 青春流転(14)

    淺沼委員長を刺殺した少年が十七歳だと分かると、行雄はますます敗北感に似たものを感じた。十九歳の自分は行動力でも情熱や度胸でも、年下の者にはよもや負けないと思っていたから、なおさらショックだった。しかし、笹塚が言うように、テロだけでは革命運動を成就することはできないことも分かっていた。淺沼刺殺事件の後、全学連は直ちに抗議集会とデモを行なったが、集まった学生はわずかに三百人程度だった。“沼さん”と呼ばれて親しまれ、“人間機関車”と言われて国民的な人気があった淺沼委員長だったではないか。その人の暗殺に抗議する集会に、たった三百人の学生しか集まらないとは、全学連も見捨てられたものだと行雄は思った。これが学生運動の現実なのか。あの安保闘争の時の、潮のような盛り上がりを見せた学生運動はどこに消えてしまったのか。デモ行...青春流転(14)

  • 青春流転(13)

    11)暗雲九月。行雄は大いなる希望を持ってこの月を迎えた。夏休みを自分の故郷などで過ごした学生達が再び大学に姿を現わし、キャンパスに活気が蘇った。そんなある日、大川勇が警官隊の警棒で殴られ、相当な重傷を負ったという情報が耳に入った。大川は三井三池炭鉱の労働争議を支援するため、七月末から福岡県の大牟田市に行っていたが、警官隊と衝突した際に警棒で頭皮を割られ、鼻硬骨を砕かれたというのである。三池争議は前年の十一月から始まったが、この労働争議は「総労働」対「総資本」の対決と言われ、第一組合、第二組合、警察、右翼などが激突し、死傷者が出る流血の大闘争となっていた。当然、日本中の関心を集めていたが、全学連も第一組合を支援するため闘争に参加したのである。大川はこの三池闘争に参加して重傷を負い、東京に戻って新宿のK病院...青春流転(13)

  • 回転ドアは危ない、嫌いだ!

    <以下の記事は2004年3月31日に書いたものですが、復刻します>森タワーの回転ドア(2004年4月撮影)1)先日、東京の六本木ヒルズ「森タワー」で、6歳の男の子が回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故が起きた。このタワーでは昨年4月の開業以来、丸1年も経たないのにそれまでに32件もの回転ドア事故が起き、救急車が11回も出動したというから驚く。警視庁は業務上過失致死容疑で、森ビルなど関係7カ所の家宅捜索に入った。安全対策など、いろいろな面で問題点があると思う。しかし、私がここで問題にしたいのは、「回転ドア」そのものについてである。このドアは、人間にとって本当に好ましいものなのか。今回の死亡事故がなかったなら考えようともしなかったが、この回転ドアは実に忌々しいものだと思っていた。一体、回転ドアの利...回転ドアは危ない、嫌いだ!

  • 日本人はルールの変更に弱いのか?

    <2010年2月10日に書いた以下の記事を復刻します。>日本人は一定の「ルール」の中では、非常に優秀な成績を残す。それは勤勉でありよく努力するからだろう。その点は大いに誇ってよい。しかし、ルールを絶対視する傾向があるから、ルールの変更に慣れない面がある。ルールとは何か。平たく言えば、国の憲法だったりスポーツ競技の規則(ルール)などだ。憲法が現実社会とどんなに矛盾しようとも、それを変えたがらない。むしろその“ルール”に縛られようとする。無理をしてでもそのルールを守ろうとする。つまり、ルールを絶対視するのだ。それは日本人の性格だから仕方がないが、あまりにもルールを絶対視すると、とんでもない事態になることも想定すべきだ。スポーツ競技のルールはよく変わる。例えば水泳のバックストローク(背泳)でも、スキーのジャンプ...日本人はルールの変更に弱いのか?

  • 『ダイアナ』

    16歳のポール・アンカが1957年に発表したデビュー曲で、一躍彼は世界的に有名になった。日本でも、ロカビリー歌手の山下敬二郎や平尾昌晃がこの曲をカバーしたほどだ。少年の切ない恋心に、同じ年の私も夢中になった。未熟な英語を必死に調べ、もちろん歌詞を全部覚えたが、それが“思春期”の始まりだったのだろうか。あの時の衝撃が今でも忘れられない。ポール・アンカは現在83歳です(1941年7月30日生まれ)。ポール・アンカ(1961年)PAULANKA-DIANAHD『ダイアナ』

  • 青春流転(11)

    「四機(よんき)にやられた!」「だいぶ、ケガ人が出てるぞ!」「もう一度、スクラムを組み直せ!」学生達のわめき声が広がる。いつの間にか、けたたましいサイレンの音とともに、救急車がひっきりなしに駆けつけてきた。前方のデモ隊から多数の負傷者が出ていたのだ。四機とは第四機動隊のことで、警視庁の中で最も勇猛な部隊であり、常づね学生達から“鬼の四機”と恐れられていたが、その三千人が先頭のデモ隊に襲いかかったのだ。負傷者の続出に、中段から後段に控えていた学生達は一様に憤激した。ますます激しく石やビンが機動隊に投げ込まれていく。この頃には夜の帳(とばり)がすっかりおりて、八時ぐらいになっていただろうか。取材に来ていたテレビなどのライトが、眩しいほどに光を放っていた。デモ隊は再び隊列を整えて、じりじりと前進を始める。しかし...青春流転(11)

  • 青春流転(10)

    9)国会突入笹塚らと議論した翌日、行雄は早速、大川に会ってアナーキズムについて問題提起をしてみた。彼は行雄の話しを一通り聞いた後で、次のように語った。「村上君、笹塚は理想論ばかりを言っているんだよ。悪いけど、プチブルのたわ言だね。それより、僕らはマルクス主義について、まだ完全に熟知していない。マルキシズムを十分に理解していない者が、どうしてアナーキズムを云々することができるだろうか。君がもしマルキシズムに疑問を持つのなら、“クロカン”や本多さんにいろいろ聞いてみたらいいじゃないか」大川が行雄の問題提起に応じなかったので、彼はそれ以上話すのを止めた。仕方がないので、これから自分一人でアナーキズムを研究していこうと思ったが、行雄は、自由を尊重するこの思想に本能的に何か惹かれるものを感じていた。丁度その頃、ソ連...青春流転(10)

  • ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の“核武装”主義者

    <この記事は2004年9月21日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>ド・ゴール毛沢東1)ド・ゴール(1890年生れ)と毛沢東(1893年生れ)・・・共に20世紀を代表する世界的な政治家だが、両者の生い立ちや経歴、活躍した環境などは余りにも違いがある。フランスのド・ゴールは軍人出身で、右派の代表のような存在だが、中国の毛沢東はマルクス主義者で、左派の代表のような革命家である。しかし、この二人には妙に似通う点があるように思われる。それは何だろうか?まったく異質に見える二人なのに、共通項が大いにあると思えてならない。ド・ゴールは第二次大戦中に、ナチスドイツに対して徹底的な抵抗(レジスタンス)を呼びかけて戦った。毛沢東も同じく大戦中に、大日本帝国に対する徹底抗戦を完遂した。そこには、思想・信条を乗り越え...ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の“核武装”主義者

  • 長嶋亜希子さんとの電話

    <この記事は長嶋亜希子さんが急逝された翌日、2007年9月19日に書いたものですが、ここに復刻します>長嶋亜希子(あきこ)さんが昨日、心不全で急逝した。まだ64歳の若さである。亜希子さんは、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督である長嶋茂雄氏の奥さんとして有名だが、彼女が1965年(42年前)に、当時巨人軍の“スーパースター”であった長嶋選手と結婚した時は、日本中の話題をさらった。それは報道が伝えているように、前年の東京オリンピックが機縁となったもので、その時、報知新聞の五輪特別リポーターを務めていた長嶋氏が、コンパニオンをしていた美しくも賢い亜希子さんに“一目惚れ”をして、結婚に至ったのである。これは「東京オリンピック」に花を添えるような慶事だった。ところで、日本一の若夫婦の誕生から2年半ほどたった頃だろう...長嶋亜希子さんとの電話

  • 『二人の世界』

    〈2018年11月に書いた文を一部修正して復刻します〉今日、たまたまCSテレビを見たら、47年前のドラマを放送をしていたからビックリ!われわれ老夫婦も47年前は新婚ホヤホヤで、この『二人の世界』は忘れられないものだ。TBSの人気ドラマで竹脇無我、栗原小巻が主演、あおい輝彦が歌っている。感動したからもう一度見よう!(2018年11月14日)竹脇無我&栗原小巻(二人世界)『二人の世界』

  • 青春流転(9)

    そんなある日、行雄の一年先輩で、大学の国文科に籍を置く笹塚健一が「君とぜひ話しをしたい」と誘ってきた。笹塚も全学連の運動に参加していたから、行雄は高等学院の頃から彼とは顔見知りだった。笹塚はこれまで二、三度、話しをしたいと誘ってきたことがあるが、行雄は気乗りがせず、多忙を理由にして断ってきた。彼との話し合いが嫌だったのである。本当の理由は、笹塚の評判がマル学同の中で芳しいものでなかったからである。「彼は革命思想を食いものにしている人間だよ。自分だけを良い子に見せたがるアナーキストだ。いわば、革命の“ジプシー”みたいなものだね」大川やマル学同の学生達は、よくそんなことを言っていた。ジプシーとは、革命運動の“放浪者”ということか。いずれにしろ、安保闘争が高揚期を迎えて忙しい時に、どうしてジプシーとゆっくり話し...青春流転(9)

  • 青春流転(8)

    8)安保闘争一九六〇年の元旦を迎えた時、行雄は、この年が自分にとって計り知れないほど、意義深い年になるだろうと予感した。満十八歳になっていた彼は、大いなる希望と期待感に満ちあふれていた。日米安保条約改定については、これを粉砕できるかどうか自信はなかった。しかし、今後盛り上がっていくであろう安保闘争を通じて、全学連をはじめ自分達の進めている運動が、必ず大きく広がっていくという自信はあった。いや安保改定だって、先の警察官職務執行法改正案と同様に、潰すことができるかもしれない。警職法改正案は一九五八年十一月、革新陣営の猛反対で廃案になったが、この時の岸内閣の後退ぶりを見ていた行雄は、やればできるのだという希望を持ったことがある。もちろん、安保改定と警職法改正とでは次元の違う問題だが、同じ岸内閣が、革新陣営の猛反...青春流転(8)

  • ドン・キホーテよ、現われよ!

    <昔、書いた記事を一部修正して復刻します。念のため、2002年8月に書いたものです。>ドン・キホーテの像(スペイン・マドリッド)1)真夏の暑い日が続くので、家の中で何か本でも読もうと思い、図書館へ行って本を借りることにした。いろいろ物色していたら、スペインの作家・セルバンテスの「ドン・キホーテ」が目に付いたので借りてきた。50年ほど昔の少年時代に、たしか子供向けの「ドン・キホーテ物語」というのを読んだ記憶があるが、本物を読むのは初めてである。「ドン・キホーテ」(岩波書店発行・牛島信明訳)は膨大な分量があり、涼しいエアコンの下でじっくりと読むには相応しい大長編小説である。今から400年ほど前に書かれたこの小説は、世界文学の中でも最も有名な作品の一つに挙げられている。ストーリーは、“騎士道物語”を読み過ぎて頭...ドン・キホーテよ、現われよ!

  • 野中広務さんのこと

    (2002年11月に書いた以下の記事を、原文のまま復刻します。)1)私は自分の半生において、仕事上何百人という政治家と付き合う機会があったが、野中広務さん(自民党元幹事長)ほど印象に残っている政治家も珍しい。この人の“親分”である故金丸信さんも実に印象深かったが、両人は対照的な雰囲気を持っていた。金丸さんは今時の政治家には稀だが、ほのぼのとした春風のような雰囲気があった。これに対して野中さんは、非常に鋭い刃物のような趣(おもむき)があった。印象は極めて対照的だが、両人とも気配り(心遣い)の面では、どんな政治家にも優るものを持っていたと思う。また二人とも温情家であった。さて、両人の人柄のことはともかくとして、最近、北朝鮮問題について二人は厳しい批判にさらされている。金丸さんは既に他界されているので、ここであ...野中広務さんのこと

  • 『琵琶湖周航の歌』

    昔の琵琶湖の風景(1918年ごろ)多くの歌手がこの唄を歌ったそうだが、1971年(昭和46年)に加藤登紀子がカバーしたレコードが大ヒットした。個人的には50年以上も昔、某テレビ局の先輩Yさん(滋賀県出身・27歳ぐらい)が若くして不慮の死を遂げた際、葬儀・告別式の最後にこの唄をみんなで歌ったことを思い出す。Yさんも生前、この唄を愛唱していたのだろう。私がよくお邪魔する『二木絋三のうた物語』から、以下に歌詞を引用させてもらいあの頃を偲びたい。作詞・小口太郎、原曲・吉田千秋1われは湖(うみ)の子さすらいの旅にしあればしみじみとのぼる狭霧(さぎり)やさざなみの志賀の都よいざさらば2松は緑に砂白き雄松が里の乙女子(おとめご)は赤い椿の森蔭にはかない恋に泣くとかや3浪のまにまに漂えば赤い泊火(とまりび)なつかしみ行方...『琵琶湖周航の歌』

  • 青春流転(6)

    6)初めてのデモ翌日以降も連日、行雄は大川から教えられたマルクス主義の文献を読んでいった。彼はみるみるうちに、自分が確固としたマルキストになっていくのを自覚した。そして、十月三十日の全学連統一行動が近づくにつれて、行雄はみずからアジビラやポスターを書くことを思いつき、わら半紙やノート用紙に全学連のデモに結集するよう、激しい調子の文章を書き込んでいった。行雄はまるで不滅の信仰に目覚めた信徒のように、自分の体内に、何ものにも屈しない不思議な力が湧き上ってくるのを感じた。頭のてっぺんから爪先まで、マルクス主義・社会主義に貫かれた自分を見い出す時、彼は全身に新たな力がみなぎってくるのを覚えるのだった。そして、おのれのこの信念の前には、何ものも恐れるものはないことを知ったのである。そんなある日、行雄が帰宅すると、久...青春流転(6)

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