chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/04/12

arrow_drop_down
  • 明治17年・秩父革命(6)

    第4場[10月下旬のある晩、上吉田村にある日下の家。藤吉がそっと忍び込んでくると、母のミツと妹のハルが驚いた表情で迎える。]ミツ「藤吉・・・大丈夫なの?」藤吉「うん、何とかやっている。二人とも元気だった?」ミツ「こちらは大丈夫だけど、お前のことが心配で夜もおちおち眠れなかったよ」ハル「兄さんったら何の連絡もないし、言(こと)付けでも良いからしてくれれば安心するのに」藤吉「ごめん、なにせ追われる身だからね。もっぱら群馬や長野に潜伏していたんだ。ところで、加藤さんから面倒を見てもらってる?」ミツ「ええ、それはとても。当座のお金も貸してくれたのよ」藤吉「それは良かった」ハル「母さんも私も働きに出るわ。加藤さんに早くお返しをしないと」藤吉「うん、あの人は“高利貸し”じゃないから助かるね。僕が何もして上げられなくて...明治17年・秩父革命(6)

  • 『モナ・リザ』

    <以下の文は、2002年7月5日に書いたものです。>1)8年ほど前にフランスへ旅行したことがある。パリでルーヴル美術館を観覧することができた。この大美術館は30万点に及ぶ美術品を抱えているだけあって、とても半日では見切れるものではない。当然、お目当ての絵画や彫刻に絞って見て回るだけだった。必ず見ようと思った作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『モナ・リザ』がある。『モナ・リザ』のある場所は事前に分かっていたから、そこへ近づくにつれて胸がときめいてきた。時間がそれ程ないというのに、“彼女”に近づくのにわざと時間をかけた。その部屋に入って『モナ・リザ』を遠くから見た瞬間、第一印象は「なんて小さいんだ」というものだった。ルネサンスの画集は子供の頃から見ているから、この名画は脳裏に焼き付いている。脳裏の画...『モナ・リザ』

  • 昔の話・・・新聞対テレビの戦い

    <2011年9月に書いた以下の文を復刻します>個人的な話をしたい。私がフジテレビという会社に入ったのは1964年(昭和39年)だったが、当時のメディアは新聞、通信社が圧倒的に強かった。中でも新聞は歴史と伝統があり、大勢の記者を抱えて日本社会の隅々まで取材網を張り巡らせていた。それに、新聞も通信社も海外支局を持ち、主な外国の取材も独自に行なっていた。それに比べると、テレビ(NHKを除く)は歴史が浅く取材網は貧弱なものだった。国内では国会や首相官邸、警視庁などにわずかな記者を配置して細々と報道を続けていたが、海外支局(外国特派員)などはまだなかったと思う。面白い話がある。私が入社する少し前だったか、千葉県内である事件が発生したため、報道の先輩が取材に行って地元の人に、「フジテレビですが・・・」と言って挨拶した...昔の話・・・新聞対テレビの戦い

  • 小説『若草物語』

    主な登場人物・・・星野英樹。宮寺恵子(1年下の女生徒)。宮寺和江(恵子の母)。星野久子(英樹の母)。鳥井信子(英樹の同級生)。島本昌弘(英樹の友人)時・・・1956年~57年場所・・・埼玉県浦和市(現さいたま市)英樹(ひでき)が恵子を知ったのは、たしか中学2年の真冬の頃だったと思う。昼休みに大勢の生徒が校庭で遊んでいた時、英樹は“お河童頭”の妙に頬っぺたが紅い少女に気がついた。彼女はあまり見かけない生徒たちと一緒に遊んでいたから、一学年下の女の子だとすぐに分かった。数日後、英樹がまたぼんやりと教室から校庭の方を見ていると、紅い頬っぺたのその少女が、仲間の生徒と元気良く戯れていた。真冬だから頬っぺたも真っ赤になるのだろうか。彼女はジャンパーのポケットに両手を突っ込んでいて、お河童頭のせいかまるで“男の子”の...小説『若草物語』

  • 明治17年・秩父革命(5)

    第2幕第1場[10月下旬、長野県南佐久郡の北相木村。養蚕農家・菊池貫平の家に、萩原勘次郎と日下藤吉が訪れている。]萩原「初めまして、萩原勘次郎と申します。こちらは日下藤吉と言って、同じ秩父に住む若い者ですが、よろしくお願い致します」(藤吉、頭を下げる)菊池「こちらこそ、よろしく。さて、田代さんと言う方からの“使者”と聞いていますが、きょうはどういうご用件でしょうな」萩原「私は秩父の侠客・田代栄助の子分なのですが、実は田代を首領にいただいて、近いうちに農民達が決起することになりました。つきましては、菊池さんを始め長野県の方々にも、ご協力いただきたく参上したものです」菊池「ほう、それはまた大胆なことだ。それで、準備は整っているのですか?」萩原「すでに何人もの者がお伝えしていると思いますが、秩父では農民達の生活...明治17年・秩父革命(5)

  • 明治17年・秩父革命(4)

    第11場[9月下旬、大宮郷警察署の署長室。鎌田署長らのいる所に、高岸善吉、落合寅市の他、数人の農民代表が入ってくる。]高岸「署長、きょうは最後のお願いに来ました」鎌田「さあ、どうぞ」(蒲田が席を勧めると、高岸、落合ら全員が着席する)高岸「すでに再三お願いに来ましたが、きょうは秩父28カ村の代表としてわれわれが参上したものです。各村の総代の委任状をここに持って来ました。従って、これが最終的な請願となりますので、お取り計らいのほどよろしくお願い致します」鎌田「うむ、これが最後とあらば、腹を割ってお話ししよう」高岸「まず、総代連名の請願書を持って来ましたので、署長にお渡しします。(請願書を鎌田に手渡す)そこに書いてあるように、何度もお願いしていることですが、第一点は農民が高利貸しや金貸し会社から借金しているもの...明治17年・秩父革命(4)

  • 日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

    <2004年3月に書いた以下の記事を復刻します。>1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要するに、琉球は日本人(和人)によって侵略され制圧されたのだ。私は個人的に、仕事や観光で何度も沖縄に行ったことがある。何度行ったか覚えていないくらいだ。沖縄にいると「ここは日本なのだろうか?」と、よく思ってしまう。特に石垣島など八...日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

  • 下手な“カメラマン ”とは自分のこと

    <以下の文を復刻します。>下手なカメラマンとは私のことだ。もう50年以上も昔の話だが、私はフジテレビの報道局に入ってから記者の仕事をしていた。当時は内勤の整理記者だったが、ある時、報道局の幹部が「テレビ記者というのはこれから、書けて、話せて、写せることが出来なければならい」と訓示した。要するに記事を書くだけでなく、テレビの前でレポートをし、さらにカメラで撮影しなければならないというのだ。記事だけ書いていれば良いと思っていた私は動揺したが、上司の命令だから仕方がない。それからカメラ撮影の“特訓”が始まった。当時の動画用カメラはモノクロの16ミリフィルムを使っていたが、たしかアメリカ・ベルハウエル社製の「フィルモ」だったと思う。ゼンマイ式のもので、100フィートのフィルムを装填し、2分50秒ぐらいしか撮影でき...下手な“カメラマン”とは自分のこと

  • 明治17年・秩父革命(3)

    第6場[9月初旬、上吉田村にある日下庄右衛門の家。座敷に庄右衛門の遺体が横たわっており、妻のミツ、娘のハルが傍らで嘆き悲しんでいる。そこへ、息子の藤吉が慌ただしく駆け込んでくる。]藤吉「父さんがほんとに亡くなったのか!」ハル「兄さん、遅いじゃないの。これを見て・・・」(ハルが泣き伏す)藤吉「何ということだ。(遺体の側に駆け寄って)父さん!父さんたらっ!何で死んだんだ!」(暫く沈黙)ミツ「けさ、座敷の鴨居に首を吊っているのが見つかったんだよ。ほんとに可哀想に・・・」(ミツがむせび泣く)藤吉「畜生・・・山中のせいだ。あいつのせいで、父ちゃんは亡くなったんだ!くそっ、あの強欲ジジイめ」ミツ「きのう、山中の息子が督促に来てね、これが最後だと言って帰っていったんだよ。父さんは平然とした顔をしていたけど、観念したんだ...明治17年・秩父革命(3)

  • 女優の確執

    <2011年2月に書いた記事を一部修正して復刻します。>映画『楢山節考』(1958年)のDVDを見たが、田中絹代の名演技に改めて感動した。素晴らしい。さすが大女優だと思った。この映画が作られた時、彼女はまだ50歳前だったが“老婆”の役を見事に演じている。表情はもちろん、歩き方など身のこなしは絶品である。老婆そのものだ。しかし、実は私は田中絹代が好きでなかった。昔、NHKの大河ドラマ『樅の木は残った』に出演した時、彼女にアドバイス(?)をした吉永小百合に腹を立てたと聞いていたからだ。“サユリスト”である私は許せないと思った。もっとも、天下の大女優である田中絹代から見れば、吉永小百合などはまだ駆け出しのヒヨッ子ぐらいにしか思えなかっただろう。想像するに、テレビドラマに不慣れな田中に対し、吉永は「田中先生」と言...女優の確執

  • “書痙”に苦しむ

    <以下の文を一部修正して再録します。>現役時代は恥ずかしくて言えなかったが、私は一時期、書痙(しょけい)という神経症に悩まされたことがある。書痙とは、明鏡国語辞典によると「文字を書くことを仕事とする人に多い職業神経症で、手に痙攣や麻痺(まひ)、疼痛(とうつう)などが起こり、書字が困難になる」とある。したがって、文筆家や速記者、代書人らに多く見られるそうだ。現役時代、私は主にテレビ局の報道記者の仕事をしていたからか、この書痙に悩まされた。30代の終わり頃のある日、外勤記者の原稿を電話で受けようとしたら、突然右手が震え出し、原稿を取ることができなくなった。傍にいた同僚が見かねて、私と代わってくれたのが始まりである。誰かが腱鞘炎(けんしょうえん)だろうと言っていたが、その晩、みんなと酒を飲みに行っても憂鬱だった...“書痙”に苦しむ

  • 決して怒らなかった政治家・竹下登氏

    <以下の文を復刻します。>竹下登元首相ある人のブログにお邪魔したら、「怒らない人になる禅の習慣」についての記事があった。しばらく読むうちに、決して怒らない温厚な人になるのは自分ではとても無理だと思ったが、ふと、昔の政治家で決して怒らなかった人を思い出した。それは、元総理大臣の竹下登氏(以下、敬称略)である。そのころ自民党担当の記者をしていた私は、たしか竹下本人から「自分は決して怒らない」と聞いたことがあるが、どうして彼は怒らないのだろうかと、いつしか疑問に思うようになった。そのうち、竹下自身の人生経験や履歴が分かるようになり、そのナゾが解けたのである。実はある政界関係者から、竹下登の過去について聞いたのがその“糸口”であった。今では、ウィキペディアにも載っていることだから、まずそれから見てみよう。<194...決して怒らなかった政治家・竹下登氏

  • 『早春賦』

    <過去の記事です。最も好きな歌の一つです>『二木紘三のうた物語』に立ち寄ったら、ちょうど10年前の2月に『早春賦』にコメントを書いていたのが分かった。歌を聴くうちに復刻したくなったのでお許し願いたい。(2018年2月某日)『早春賦』の舞台・安曇野の景色<2月に入り『立春』の頃を迎えると、いつもこの曲が蘇ってきます。安曇野はまだ厳冬のさなかでしょうが、関東地方に住む者にとっては、春がすぐそこに近寄ってきたかのように感じます。しかし、寒い風が吹いてそれが“錯覚”だと気づくと、よけいにこの曲に魅了されます。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」素晴らしい詩ですね。早春の思いをこれほど見事に歌った曲はないでしょう。あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春を待ちましょう。...『早春賦』

  • 明治17年・秩父革命(2)

    第3場[8月中旬、上吉田村にある高利貸し・山中常太郎の家。常太郎と妻のヨネ。]ヨネ「あなた、借金をした農民がきょうも何人かやって来て、ご主人に会わせてくれとか、返済を延期してほしいなどと言ってきましたよ」常太郎「まったく困ったものだ。返済は延期できないと、この前はっきりと言っておいたのに。ほんとに図々しい奴らだな。借用証書にも返済期限がちゃんと書いてあるじゃないか」ヨネ「1年とか2年の“年賦払い”にはできないのですか?」常太郎「それは無理だ、そんなことをしている仲間はいない。もしそんなことをしたら、同業の連中に迷惑をかけることになる。借りたものをきちんと返すのが、当り前じゃないか。それに、仮りに年賦払いに変えたところで、あいつらはまた返済を延ばしてくれと泣きついてくるに決まっている。だらしない奴らだからな...明治17年・秩父革命(2)

  • 明治17年・秩父革命(1)

    〈はじめに〉このレーゼドラマ(読むための戯曲)はフィクションではあるが、もとより史実に基づくことに留意している。私が最も参考にした著作は、「秩父事件」(井上幸治著・中公新書)と「秩父困民党」(井出孫六著・講談社現代新書)である。他の参考文献・ビデオ、映画などは以下の通りである。「秩父事件〈佐久戦争〉を行く」(上條宏之編・銀河書房)、「秩父コミューン伝説」(松本健一著・河出書房新社)、「秩父困民紀行」(浅尾忠男著・新日本出版社)、「女たちの秩父事件」(著者多数・新人物往来社)、「『明治』という国家」(司馬遼太郎著・日本放送出版協会)、小説「花埋(うず)み」(渡辺淳一著・角川文庫)、「参謀本部と陸軍大学校」(黒野耐著・講談社現代新書)、「図説日本の歴史14近代国家の展開」(編集責任者・小西四郎、集英社)、NH...明治17年・秩父革命(1)

  • <詩> 幸せな自転車

    僕は新品の自転車だ今日も元気いっぱい!先日美しいお嬢さんが僕を買ってくれた毎朝お嬢さんが僕を運転してくれる柔らかい両手が僕の“両手首”を握りしめるそれにお嬢さんの暖かい体が僕を包んでくれるかぐわしい息吹が漂ってきて僕はもう有頂天だ優しい運転で僕はスイスイと走る信号待ちになるとお嬢さんがいたわってくれるそして発車オーライまた僕は走り始める行き交う人々がお嬢さんと僕を見つめたますます元気が出てくるスイスイと軽やかに走るやがてお嬢さんと僕は会社に着いた自転車置き場で長~い休憩時間に入った僕は少し疲れたが満足感でいっぱい!周りの自転車を見ると色とりどりだ古いの新しいの・・・形もさまざま新品の僕は「皆さんどうぞ宜しく」と声をかけるゆっくり休んでいると夕方になったお嬢さんのお出ましだこれから帰宅の途へ柔らかい両手と暖...<詩>幸せな自転車

  • 『デジタル的思考』の浅はかさ ?

    <2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オールオアナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝...『デジタル的思考』の浅はかさ?

  • 『喫茶店の片隅で』

    1955年(昭和30年)の唄で、松島詩子(うたこ)が歌ってヒットした。喫茶店はいつの時代でも“憩い”の場所だ。誰にでも思い出の数々があるだろう。私にも無数にある。一つだけ言わせてもらうと、学生時代に憧れの女子大生とぜひ喫茶店に行きたいと願っていたが、ついにその夢は果たされなかった。理由は簡単、自分が奥手で不器用、意気地なしだったからだ。そんな情けない話は別として、永遠にあり続けてほしい“喫茶店”の歌を載せておこう。作詞・矢野亮、作曲・中野忠晴1アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店いつもあなたと逢った日の小さな赤い椅子二つモカの香りがにじんでた2ふたり黙って向きあって聞いたショパンのノクターンもれるピアノの音(ね)につれてつんでは崩しまたつんだ夢はいずこに消えたやら3遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶...『喫茶店の片隅で』

  • 司法は「犯罪者」の味方か? 江戸時代の方がずっとマシである

    <以下の記事は2002年3月22日に書いたものですが、一部修正して復刻します。なお、ここに出てくる「光市母子殺人事件」の被告は後日死刑が確定し、現在広島拘置所に収監されています。>1)1999年4月14日の午後、山口県光市の会社員宅に、強姦目的で侵入してきた18歳の少年が、会社員の妻(当時23歳)と長女(当時11ヵ月)を、暴行した上で惨殺した。いわゆる「光市母子殺人事件」である。3月14日、広島高裁の控訴審判決では、一審と同様に、被告に対して「無期懲役」の判決が言い渡された。私は刑法のことはよく分からないが、どうしても納得できない。極めて凶悪な事件なので、検察側は当然「死刑」を求刑していたが、却下された。判決では、被告は「更生の可能性がないとは言い難い」としている。判決とは、相変わらず持って回った言い方を...司法は「犯罪者」の味方か?江戸時代の方がずっとマシである

  • 『この子を残して』

    <以下の記事を復刻します。>長崎原爆の悲惨さを描いた著作であり映画だ。木下恵介監督の映画・DVDがいまリリースされているが、その中でも最も印象に残る作品。著者は原爆で被爆した長崎医大の永井隆博士で、戦後、子供だった私が初めて読んだ著作である。母が教えてくれなかったら理解できなかったが、子供心に分かったと思う。そういう意味で『この子を残して』は、忘れられない作品である。映画は1983年に公開されたが、加藤剛や十朱幸代、淡島千景らの演技が懐かしい。反戦・平和を訴えた最良の作品の一つだろう。以下は予告編の映像。http://www.youtube.com/watch?v=hjF5prmbyLQ『この子を残して』

  • 『サハリン物語』の背景とイメージ

    『サハリン物語』の背景は、まず分断された「南北朝鮮」がイメージとしてある。カラフト王国とロマンス王国がそれだ。次に、ヤマト帝国はもちろん日本、シベリア帝国はソ連邦、ないしはロシアである。ゲルマン帝国は当然ナチス・ドイツだ。スパシーバ王子やリューバ姫、マトリョーシカ女王らは完全に架空の人物で、スパシーバはロシア語で「ありがとう」、リューバは「愛」を意味する。マトリョーシカは有名な人形「マトリョーシカ」からとったものだ(リューバ姫とマトリョーシカ女王は、知人のロシア人女性を少しイメージする)。マリアとベラ、ナディアは、マリア・シャラポワ、べラ・チャスラフスカ、ナディア・コマネチらのスポーツ選手から名前を借りた。ヤマト帝国の皇帝イワレヒコノミコトは神武天皇、後の皇帝カワミミノミコトは綵靖(すいせい・すいの漢字は...『サハリン物語』の背景とイメージ

  • <まとめ> サハリン物語

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/35d73831cdeadad627897f278bb65974http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/80c7821795f4c82c4afc5262ad2b5d54http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/6ee26127da7c95e999d919d21635a446http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/ff529b4505da2aec6d63af3d8bcae632http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro...<まとめ>サハリン物語

  • サハリン物語(19・最終回)

    ヤマト帝国軍やサハリン軍が、旧都・トヨハラの一帯を完全に征圧したのは数日後のことでした。シベリア軍は主に西海岸の方へ撤退し反攻の機会をうかがうことになります。しかし、スターリン皇帝らは自信をもって臨んだシベリア艦隊が完敗したことに衝撃を受けていました。特に、あの「飛行船」の猛威はショックでした。ヤマト帝国がこれまでにない最新兵器を開発していたことに、してやられたと思わざるを得ません。戦いは振り出しに戻った感がありました。こうした中で、マトリョーシカらにとって最大の悲劇が訪れようとしていました。反転攻勢に出た人民義勇軍は、サハリン正規軍と協力して敵を追撃しました。マトリョーシカらの一隊も、マオカ(真岡)に退却したシベリア軍を追っていましたが、ある日のこと、敵兵を見失ったのです。それは敵の“罠”だったのでしょ...サハリン物語(19・最終回)

  • サハリン物語(18)

    ここでマリアやベラ、ナディアについてもっと詳しく述べたいと思います。マトリョーシカについては詳しく述べてきたつもりですが、他の3人については十分でありません。まずマリアですが、マトリョーシカの侍女として最も気心の知れた仲の良い娘です。叔母のカリンカの跡を継いで侍女になり、マトリョーシカとはほとんど行動を共にしてきました。「あなたは20歳になっても背が伸びるのね」とマトリョーシカにからかわれるほど、4人の中では最も背が高く190センチ近くもありました。大女ですね(笑)。次にベラですが、マトリョーシカの恋人・アレクサンドルの妹です。4人の中では最も優美で女らしく、その立ち居振る舞いは若い男性の憧れの的でした。兄妹そろって美男美女、こういう兄妹もいるんですね。最後にナディアです。ボーイッシュな風貌はマリアに似て...サハリン物語(18)

  • <小説> 世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

    その日は秋晴れの清々しい一日だった(1971年10月のある日)。山村秀樹は結婚ホヤホヤの新妻に車で送られ、いつものように国鉄(今のJR)の北浦和駅から国電に乗り込んだ。通勤・通学のラッシュ時よりやや遅めであったが、電車の中は通勤客などでまだかなり混んでいた。秀樹は某民放テレビ・Fテレビの政治記者をしていたので、いつも本社には行かず、取材先の国会の「野党クラブ」へ直接通っていた。野党クラブというのは社会党、公明党、共産党、民社党など野党各党を取材するもので、先輩の大場誠司記者と2人だけで担当していたから、仕事はけっこう忙しかった。まあ、若くなければ勤まらないだろう。今じゃとても無理だ(笑)。10月下旬のその日、大場先輩と秀樹はいつものように手分けをして、野党各党の国会対策委員長らの記者会見に出席した。その日...<小説>世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

  • アメリカへのコンプレックス・劣等感

    <以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢名古屋にも入ってきた。私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであ...アメリカへのコンプレックス・劣等感

  • 松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

    <以下の記事を原文のまま復刻します。>松永安左エ門翁タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚ど...松永安左エ門翁いわく「官僚は人間のクズだ!」

  • サハリン物語(17)

    一方、サハリンではスターリン皇帝の決断など知る由もなく、ツルハゲ王が退位し、マトリョーシカがついに国王に即位することになりました。ツルハゲ王は体調が悪いばかりでなく、精神的にも疲れ切っていたのです。その上、スターリンに“不義理”をした責任を感じていました。いわば、責任を取る形で退位したのです。こうすれば、少しはスターリンに義理が果たせるとでも思ったのでしょうか。マトリョーシカの即位式には、ヤマト帝国からスサノオノミコトが代表として参列することになりました。妻のナターシャが里帰りしているので、ちょうど都合が良かったのでしょう。ところが、シベリア帝国の方は案内状を出しても、誰も来ようとはしません。ツルハゲ王もマトリョーシカも、スターリンがひどく怒っているなと察しました。しかし、この時点で、まさかシベリア軍がサ...サハリン物語(17)

  • サハリン物語(16)

    マトリョーシカが20歳になったことで、ツルハゲ王はにわかに譲位の気持が高まってきました。王はこのところ体調が優れず、公務も休みがちになっていたのです。彼女が20歳になったら・・・と考えていたので、それも仕方がないでしょう。ある日、ツルハゲ王はマトリョーシカを呼びこう告げました。「夏にはお前に国王の位を譲りたい。私は足腰が弱ってきたし、体調も良くない。前にも言ったが、その点は分かっているね」「はい、覚悟しております」マトリョーシカは素直に答えました。すると、王の傍らにいたカチューシャ王妃が嬉しそうに言葉をかけてきました。「マトリョーシカ、どうもありがとう。あなたにそう言ってもらうと、私たちは本当に安心です。ソーニャ王太后もきっと喜んでくれるでしょう。また、スパシーバ王子もリューバ姫も草葉の陰で満足していると...サハリン物語(16)

  • テロリストと英雄

    <2022年9月2日に書いた以下の記事を復刻します>テロリストと英雄は紙一重の差である。もしテロリストが、わが身を犠牲にして、敵国の首脳や自国の「国賊」「売国奴」などを殺せば、その人は英雄と呼ばれるだろう。有名な例としては、韓国の安重根(アン・ジュングン)は日本の伊藤博文(初代首相)を暗殺して、英雄と呼ばれるようになった。韓国には安重根の銅像があちこちに建っている。恋人とストーカー、天才と狂人のように、テロリストと英雄も紙一重の差なのである。今回の安部元首相の暗殺事件では、犯人が“英雄的”かどうかは国民一人一人が判断すれば良い。ただ明らかなことは、今回の銃撃事件は、安部氏が韓国の邪悪な「反日宗教団体」に肩入れしたために起きたものだ。これを単なるテロと呼ぶのか、ある種の英雄的な行為として見るかは、個々人の自...テロリストと英雄

  • 日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

    <2016年8月に書いた以下の記事を復刻します。>日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛(とよひろ)さんのことを書きたくなってきた。と言っても、私は彼との付き合いがわずか2年余りなので、多くは語れない。しかし、30代中半の若いころ、記者クラブで一緒だった彼のことは決して忘れられない。だから書くのだ。もう40年以上も昔になるが、私がフジテレビの外務省詰めの記者をしていた時、秋山氏はTBSの記者として外務省クラブにやって来た。はじめは何か取っつきにくい感じのする人だったが、同じ民放テレビの記者同士で、席が1メートルぐらいの向かい隣りだったのですぐに仲良くなった。年齢が同じぐらいだったせいもあるだろう。(私の方が1歳年上なので、以後、親しみを込めて「秋山君」と呼ばせてもらうこともある。)彼は記者クラブが初めてだからか、...日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • “中国残留孤児”と日中関係

    <2011年に書いた以下の文を復刻します。>“中国残留孤児”(日本人、邦人)のことをたまたま思い出した。もうずいぶん昔のことだと思って調べたら、第一陣が正式来日したのが1981年3月と分かった。日中国交正常化が1972年だから、意外に時期が遅かったのではないか。いろいろ手間取ったのだろう。あの頃は毎年、中国残留孤児の話題で持ち切りだった。まだ戦後は終わっていないと思ったほどである。たしかに、日本人孤児を親身になって育ててくれた中国人も多かったのである。その点は感謝したい。政治とは関係なく“人道上”の問題であった。日本人を鬼とか侵略者などと罵倒する中国人も多いが、そうでない人達も大勢いるのだ。日中関係は難しくなったが、人道上はなお健全な面が残っている。残留孤児についても偽者(にせもの)騒ぎがあったが、先の東...“中国残留孤児”と日中関係

  • 五月の歌(Mailied・ゲーテの詩)

    若き日のゲーテドイツの大詩人・ゲーテが満21歳のころに作った詩。青春の恋心と自然の情景がこれほど見事に融合した詩は滅多にない。そして、生の喜びを謳っているのだ。大好きな詩である。訳者は大山定一氏で少し古い印象を受けるが、そのまま載せておこう。『自然はうつくしくわれに燃え太陽はかがやき野辺はわらう小枝に咲きみつる花々しげみを洩るる鳥のこえわが胸にわくよろこびおお大地よ太陽よおお幸福よ愉悦よ恋よ恋よ片岡の朝雲のあかねさすうるわしさよみがえる野面に立ちこめしむらさきの靄(もや)のいろ少女よ少女よひとえにわれは愛す黒き汝(なれ)が瞳を汝(なれ)もまたわれを愛するかな揚げ雲雀の歌と空を朝ごとの花の微風を愛するがごとくわれはあたたかき血もて汝(なれ)を愛すわれに青春と歓喜とあたらしき歌と舞踏をおくるものとこしえに汝(...五月の歌(Mailied・ゲーテの詩)

  • サハリン物語(12)

    クラスノヤルスク攻防戦は大変な激戦になりましたが、結局、スターリン軍が勝利を収めました。この戦いの詳細は省きますが、問題はその後の処置です。スターリンは反対派の息の根を止めるために、ここで“大虐殺”を行なったのです。それは極めて残酷・苛烈なもので、降伏しない者や抵抗する者は次々にその場で殺されました。また、捕らわれたジノヴィエフやカーメネフら敵の将軍たちは、簡単な裁判の結果、全員「国家反逆罪」で処刑されたのです。国家反逆罪と言っても、ただ勝者が敗者を裁く一方的なものでした。さらに、降伏した兵士たちもその後、シベリアの奥地や辺境に集団で移送され、強制収容所に入れられて過酷な労働を強いられたのです。このため、何万人という兵士たちが飢えや疲労で死んでいきました。スターリンはまことに恐るべき人物だったのです。こう...サハリン物語(12)

  • 日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

    <2015年1月20日に書いた以下の記事を復刻します。>今年は戦後70周年だが、もし日本があの戦争に勝っていたらどうなっていただろう。そう想像するのは難しいが、少なくとも“引き分け”だったらどうなっていただろう。引き分けでも、たぶん「勝った、勝った」とお祭り騒ぎをして、ますます戦争の道を進んでいったに違いない。軍国主義がますます徹底し、戦線を拡大していっただろう。軍部はさらに増長し、占領地を増やしていったに違いない。来る日も来る日も戦争に明け暮れる。徴兵制がさらに拡大し、18歳以上の男子は必ず軍隊に入る。「生めよ、増やせよ」で、少子化なんて考えられなかっただろう。陸軍大臣、海軍大臣のほかに、空軍大臣も新設されただろう。要するに「1億火の玉」となって、天皇と大日本帝国の栄光のために御奉公しただろう。私なんか...日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

  • “鑑識の神様”・岩田政義さん

    <2010年7月31日に書いた以下の記事を復刻します。>何十年も前の古い日記を読んでいたら、昔、警視庁の記者クラブにいた頃、岩田政義さんという鑑識課の人の所へよく伺っていたことを思い出した。岩田さんは“鑑識の神様”と言われた人で、その道の大変なベテランである。もう40年以上も前のことだが、私が警視庁記者クラブに配属され捜査1課・3課を担当した時、事件捜査のことなど全く分からなかった。先輩らにいろいろ聞きながら仕事を始めたが、そのうち「鑑識」というのが非常に重要なものだと知るようになった。今では科学捜査の観点からその重要性が多くの人に知られているが、当時、テレビ局の若造である私はほとんど関心を持っていなかった。しかし、ようやくその重要性が分かって、ある日、思い切って鑑識課を訪れることにした。その頃、テレビ記...“鑑識の神様”・岩田政義さん

  • サハリン物語(11)

    その頃、ロマンス・シベリア軍は首都のノグリキに迫っていました。何ヶ月も前、カラフト・ヤマト軍に包囲されていた時と全く逆の形になったのです。スパシーバ王子はヤマト帝国の“政変”をまだ知りませんでしたが、ヒゲモジャ王と共に和平への工作を考えていました。その結果、頃合を見てイワーノフ宰相をロマンス側に派遣し、ツルハゲ王の意向を打診するすることになりました。イワーノフも和平には積極的な姿勢を示していたのです。ただ、ロマンス・シベリア軍が攻勢に出てきた場合は、ある程度戦わざるを得ません。降伏するのではなく、あくまでも停戦から和平に結びつけたいと考えていました。このノグリキの王宮はツルハゲ王のものであり、しかもいま娘のリューバ妃もいるので、ここで和平会談を開けば必ず道は開けると読んでいたのです。一方、ツルハゲ王もオハ...サハリン物語(11)

  • 『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

    <2017年3月27日に書いた以下の記事を復刻します。>1)森友学園疑惑はもちろん重大な問題だが、われわれは最近の日本の動きを真剣に検証してみる必要があるのではないか。かく言う私も現象面にとらわれ過ぎて、根本的な問題をおろそかにしているのではと反省している。それは森友疑惑で露見したと言ってよいが、最近の日本は明らかに“右傾化”している。これは森友学園の問題だけでなく、その背後に大きな流れが起きているからだろう。端的に言うと、それは「日本会議(にっぽんかいぎ)」の存在が象徴的なものだと思う。不勉強な私は日本会議のことをほとんど知らなかったし、またその名称を聞いても無視していた。ところが森友問題が発生し、その関連でジャーナリストの菅野完(たもつ)氏や青木理(おさむ)氏の話を聞き、にわかに日本会議の重要性に気が...『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

  • 永遠の人

    あなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる100億年の宇宙の中で一瞬のこの時を共にできる幸せああ永遠の人よ私の女神よこれは奇跡ではないのかこの世に生まれこの世を去る一瞬の灯りの中の命よそれは儚(はかな)くても永遠の光に満ちている宇宙の彼方まで愛よ命よ灯りに群がる羽虫のように私は息づくこの世は夢か幻か今日も儚い命がひたすら生きる一瞬の中に永遠を願い永遠の中に憩いを求めてあなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる永遠の人

  • 大宅壮一さんのこと

    <2010年7月に書いた以下の記事を復刻します。>大宅壮一さん1)先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。しかし、私がこ...大宅壮一さんのこと

  • サハリン物語(10)

    プーシキンの遺体を返すと、スパシーバ王子は彼の最後の言葉が気になって仕方がありませんでした。プーシキンは「スパシーバよ、俺の負けだ。見事だったな。リューバ姫をよろしく」と言ったのです。そして、武人らしい立派な最期を遂げました。スパシーバはたしかに勝負には勝ちましたが、心の大きさ・広さで自分がプーシキンに負けたような気がしたのです。彼は最後にリューバ妃のことまで気遣っていました。それは純粋な気持の表れだったのでしょう。スパシーバは今や、宿敵を倒したことにかえって“空しさ”を感じていたのです。それは、戦うモチベーションを失うということでしょうか。ちょうどその頃、カラフト国のヒゲモジャ王一族は、ロマンス国の首都・ノグリキを訪れ王宮に入りました。リューバ妃にとっては待ちに待った里帰りでしたが、両親のツルハゲ王夫妻...サハリン物語(10)

  • 石橋湛山元首相を讃える

    <以下の文を復刻します。>戦前、日本の帝国主義や軍部の拡大主義に反対した石橋湛山(元首相)のことをよく知らなかったが、以下のドキュメンタリーで少しは分かったつもりである。石橋は経済ジャーナリストとして出発したが弾圧を受け、戦後は政界に転身してGHQに対しても毅然とした態度を堅持した。まことに天晴れである。そして、首相にまで上り詰めたが、突然の病いで在任期間わずか65日で退陣を余儀なくされた。しかし、その後は国交のない中国を訪問するなど、彼なりの努力で世界平和に貢献したのである。極めて短い解説だが、石橋湛山に関心のある方はぜひ以下のNHKドキュメンタリーを見ていただきたい。日本にもこういう政治家がいたのだ。https://www.youtube.com/watch?v=kmYD01OwQPkhttps://...石橋湛山元首相を讃える

  • 映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

    〈2018年10月に書いた以下の記事を復刻します。〉今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館へ行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定して...映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

  • 『伊勢佐木町ブルース』

    1960年代の後半は青江三奈の全盛時代だったが、この歌は昭和43年(1968年)にリリースされミリオンセラーとなった。冒頭の“色っぽい吐息”は有名だが、青江の可愛らしい色気は多くの男性ファンを魅了した。私はそれほどでもなかったが(?)、某先輩は青江がテレビに出てくると、それこそ首ったけになって画面にかじりついていたことを思い出す(笑)『伊勢佐木町ブルース』のヒットを記念して、その歌碑が横浜市中区のイセザキモールに建てられている。“ご当地ソング”の代表的なものだろう。青江三奈-伊勢佐木町ブルース『伊勢佐木町ブルース』

  • アザレアの花

    鮮やかなアザレアの花アザレアの花

  • サハリン物語(9)

    ノグリキの王宮では、ツルハゲ王とカチューシャ王妃が不安な日々を送っていました。王夫妻は、娘のリューバ妃と孫のマトリョーシカのことがいつも気になっていましたが、どうしようもありません。ツルハゲ王は時々後悔していました。カラフト国と和平を結んでいれば、今ごろ娘や孫とも会えたかもしれません。和平のチャンスは何度もあったのです。それがシベリア帝国などの甘言に乗せられ、サハリン統一王朝を実現しようと戦いを起こしたのが大動乱の始まりでした。しかし、あの頃は「娘のリューバを返せ」が大義名分だったので、父親としては当然だったかもしれません。ところが、シベリア軍が半分以上も帰国したため、今やロマンス国は大変な危機に陥ってしまったのです。運が悪いと言えばそれまでですが、ツルハゲ王の胸の内には、ひょっとしたら「降伏」もという思...サハリン物語(9)

  • サハリン物語(8)

    カラフト・ヤマト軍は敵よりも兵力が優勢だったので、緒戦からロマンス国内に攻め入りました。ほとんどの戦線でロマンス・シベリア軍を圧倒したのです。ここで戦争の話はさて置き、シベリアへ帰ったスターリン総司令官の話題に移りましょう。彼が帰国して間もなく、危篤状態だったイワン・レーニン皇帝が亡くなりました。多くの重臣や将軍らが見守る中、彼は静かに息を引き取ったのです。前にも言いましたが、シベリア帝国の皇帝は各部族長の投票、つまり選挙で選ばれます。したがって、各部族長はイワン・レーニンの葬儀に参列した後次期皇帝を選ぶわけですが、大方の意見が一致していれば、投票なしに新皇帝を決めることもあります。その辺は融通無碍ですが、ここで重要なポイントになるのが、前皇帝が“遺書”を残しているかどうかということです。イワン・レーニン...サハリン物語(8)

  • 思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

    〈2010年2月16日に書いた記事を復刻します。〉先日、私は自分のあるブログ記事の中で、日本社会は成熟してきたとコメンしたのだが、ある人から「日本社会は、どんどん幼稚化してきたのでは」というコメントをいただいた。その時、ハッと気がついたのだが、日本人だけでなく現代人は“劣化”しているのではと思った。どういう意味かというと、現代人はものを考えるという習性が弱くなってきたのではと思ったからだ。しかし、そんなことはない、私はものをよく考えていると言う人がいたら、まず先に謝っておきたい。世の中がコンピュータ化し機械化が進み、人々は便利な生活を享受するようになった。それは結構なことだと思うし、もう昔のような非文明的な暮しには戻れないだろう。科学技術は日進月歩だし、パソコンやら携帯電話やらコンピュータゲームなどが登場...思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

  • アルメニア・コニャック

    ロシアで美味いものと言えば色々あるだろうが、私はアルメニア・コニャックをお勧めしたい。コニャック、つまりブランデーである。“飲み助”にはこたえられない。白ブドウから作られるが、このAPAPAT・アララトは特に素晴らしい。アルメニアには行ったことがないが、ロシアへ行くとこのコニャックが沢山売られている。以前、サハリンへ行った時に2本買ったが、うち1本は我慢できずホテルで飲んでしまった(笑)。もう1本を持ち帰り、大切にチビリ、チビリと飲んだ。アララトはアルメニアの聖なる山で(現在はトルコ領)、「ノアの箱舟」が行き着いた場所とされる。あのチャーチル(元イギリス首相)もヤルタ会談の時にこのAPAPATを大変気に入り、年に400本も個人で輸入したという。詳しいことは、以下の記事をぜひ読んでいただきたい。⇒http:...アルメニア・コニャック

  • サハリン物語(7)

    マミヤリンゾウ司令官に率いられた艦隊はオホーツク海に出ると、海岸沿いにほぼ真っすぐ北上しました。兵員は3千人程度とマオカ上陸の時の半分ぐらいですが、一騎当千の“つわもの”が多く士気は旺盛でした。戦況が味方に完全に有利になったことが、さらに勢いをつけていたのでしょう。陸軍は幾つかの部隊に分かれましたが、カラフト軍ではやはりジューコフ将軍の部隊が勇猛果敢に戦いました。スパシーバは王子とはいえ、実戦ではジューコフ将軍の指揮下に入ります。彼は首都・トヨハラにいても差し支えないのですが、じっと待機しているのが苦手でいつも戦場に出てきました。それに今回の大動乱の原因は、自分がリューバ姫を奪ったことにあると自覚し、責任を感じていたのです。だから、可愛いマトリョーシカが成長する姿を見るのもそこそこに、たえず前線へと出てい...サハリン物語(7)

  • サハリン物語(6)

    勇猛なジューコフ隊の側面攻撃を受けて、敵の部隊は混乱しました。スパシーバも剣を振るって突進し何人かの敵兵をなぎ倒したのです。ジューコフ隊はそのまま敵の隊列を突破し、さらにその後方の部隊にも襲いかかりました。また、他の別働隊も違った方向から敵部隊を急襲します。いわばゲリラ戦、遊撃戦となったため、敵は相当に混乱し思うように前進できません。一方、地下トンネルを通って、ロマンス・シベリア軍の部隊がカラフト軍陣地に現われ、奇襲攻撃を仕掛けました。不意をつかれて、カラフト・ヤマト軍は初めは動揺しましたが、やがて奇襲部隊を包囲する形で逆に追い詰めていったのです。この奇襲作戦が成功しなかったのは、ミヤザワケンジ指揮官の卓越した采配が功を奏したのです。彼はこのトンネル奇襲攻撃を前もって予測し、包囲部隊を待機させていました。...サハリン物語(6)

  • 板門店(パンムンジョム)

    <以下の記事は2013年7月27日に書いたものです。>テレビで朝鮮戦争の休戦60周年を盛んに伝えているが、一昨年(2011年)、北朝鮮の板門店(はんもんてん)を見学したことを思い出した。詳しいことは以下の記事を読んでもらえれば分かるが(北朝鮮訪問記(後編)・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ba14ce746b47149fde9c618eb35bef7)、2年前の6月、板門店の休戦協定調印式場などを訪問したことが急に懐かしくなった。一言で言うと、北からの見学は実に楽である。それはあの戦争を北の「勝利」と見ているから、見学も寛大なのだろうか。ガイドさんがやたらに写真を撮れ、撮れと言うからそうなのだろう。我々日本人の眼から見れば、朝鮮戦争は南北の“引き分け”だと思...板門店(パンムンジョム)

  • 宗教法人の優遇税制を見直せ!

    <以下の記事は2011年2月1日に書いたものですが、もう一度皆さんに訴えたいと思います。>★宗教法人への税制優遇措置は、不公平税制の最たるものだ!朝日新聞の1月30日付の朝刊に、宗教法人が事実上「売買」されている特集記事が載っていた。興味を惹かれたので読んでみると、驚くことばかりだ。宗教法人は税制上かなりの優遇措置を受けているから、今やそのメリットが目的で、インターネット上でも堂々と売買の取り引きがされているという。その背景には、休眠中の宗教法人が急増していることがある。「休眠中」とは、1年間の活動報告が国や都道府県に提出されていないものだ。朝日新聞の調べでは、全国18万2527の宗教法人を調べたところ、休眠の法人が1万6750、全体の9,2%もあったという(2009年度末時点)。この休眠宗教法人を狙って...宗教法人の優遇税制を見直せ!

  • 石橋政嗣さんのこと

    <石橋政嗣さんは2019年12月9日に亡くなりました。満95歳でした。ここに哀悼の意を捧げると共に、2014年12月12日に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>先日、総選挙の関連で昔の日本社会党(以下、社会党と記す)を調べていたら、元委員長の石橋政嗣(まさし)さんのことが分かった。満90歳だがご健在だという。懐かしくなって、昔のテレビ局記者時代のことを思い出した。私が社会党など野党の担当をしていたころ、石橋さんに何度か取材したことがあるのだ。石橋政嗣さんと言っても、今の人はほとんど知らないだろう。しかし、1960年代から80年代にかけて、旧社会党では最も代表的な政治家の一人だった。私は自民党の政治家については何人も取り上げたが、社会党では石橋さんが初めてだ。それほど、野党の中では印象に残る人だった。前...石橋政嗣さんのこと

  • サハリン物語(5)

    その間、ソーニャ王妃やリューバ姫を乗せた馬車が全速力で発進しました。それを見たプーシキンの部下が追いかけようとしますが、オテンバ姫らが行く手を阻んで剣を振り回します。怒ったプーシキンは彼女らを排除しようと襲いかかりました。激しい戦闘が繰り返される中、馬車はどんどん遠ざかっていったのです。男勝りのオテンバ姫らはよく戦いましたが、さすがに強力な敵勢にはかないません。やがて、オテンバ姫もジャジャウマ嬢も切り伏せられました。馬車を取り逃がしたプーシキンらは、怒りの余り彼女らに“止め”を刺しました。オテンバ姫もジャジャウマ嬢もまだ20歳の若さでしたが、勇敢な彼女らのお陰で、ソーニャ王妃らは救われたのです。余談ですが、後でこの悲報を聞いたスパシーバ王子は、従姉妹のオテンバ姫を想って号泣しました。彼女を初めて戦場に連れ...サハリン物語(5)

  • フランスの美しい田園と原発

    〈2011年4月2日に書いた以下の記事を復刻します〉フランスの原発電力量が国内全体の80%近くもあると聞いて驚いた。これは福島原発事故の関連で伝えられたものだが、今のフランスは原発で国が成り立っているということだ。そこで嫌なことを思い出した。もう17年ほど前だが、フランスを単身で観光旅行したことがある。パリ見物がメインだったが、他に数件のオプション観光コースがあり、私は迷わず「ロワール川の古城めぐり」を選んだ。ロワール川はフランスの中央部を流れる大河で、その流域には中世の面影を残す古城が幾つも点在している。当時はそうでなかったが、今は世界遺産に登録されている所だ。ある朝、私はパリから観光バスに乗って出発した。すると、ほどなく田園地帯が広がってきた。フランスはもともと農業国なのだ。6月の陽光が田畑を照らし、...フランスの美しい田園と原発

  • 髪を梳く女

    ぼくが散歩をしていると家の外に出てきた女が長い髪を梳いていた中年風の女だったがなぜか気になる髪を梳くと女は美しく見えるのだろうかノースリーブのその女は気持良さそうに梳いている目と目が合うと彼女がほほ笑んだように見えたぼくもにこりとしたがそのまま通りすぎる髪は女の命なのかかぐわしい雰囲気が漂う(2010年6月17日)髪を梳く女

  • 日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

    <2011年10月22日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間320億円ぐらいあるという。共産党はよく、この320億円を大震災の被災者救援に回せと言っている。これも非常に立派な意見...日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

  • サハリン物語(4)

    その頃、カラフト領内では、ロマンス・シベリア連合軍が快進撃を続け、着々と戦果を収めていました。ロマンス国のプーシキンの活躍も目覚しかったのですが、シベリア帝国軍はついにスターリン総司令官が陣頭指揮をとることになりました。スターリンは途中から軍を二手に分け、サハリン島の東海岸と西海岸へ進めました。東へ向かったのがアントン・チェーホフ将軍らの部隊で、西へはユーリイ・ガガーリン将軍らが向かいました。このチェーホフ将軍は風変わりな人で、以前、何カ月もサハリンに滞在したことがあるのです。どういう目的で滞在したのか分かりませんが、よほどサハリンに興味を持ったのでしょう。したがって、彼はこの辺の地形などをよく知っていました。チェーホフの部隊は、東部の要衝・シスカ(ヤマト語で敷香)をあっという間に落とし南へ進撃していった...サハリン物語(4)

  • サハリン物語(3)

    その頃、ツルハゲ王の指示を受けたロマンス国のラスプーチン宰相は、少人数の部下を連れてシベリア帝国に乗り込みました。帝国の極東軍総司令部がハバロフスクという所にあり、そこを訪れる予定なのです。ラスプーチンはもともと親帝国派で、何度もシベリアの地を踏んだことがあり、極東軍総司令官のスターリン将軍とも面識がありました。スターリンはシベリア帝国軍の実力者で、あとで詳しく話しますが、「次期皇帝」の有力な候補者の1人だったのです。総司令部に着いたラスプーチンは、ただちにスターリンと面会し、久しぶりの出会いに二人は笑みを湛え、しっかりと握手しました。ラスプーチンはロマンス国で起きた事件など、これまでの経緯を詳しく説明しました。そして、カラフト国を討つために、スターリンに軍事援助を要請したのです。スターリンは答えました。...サハリン物語(3)

  • イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

    イエス・キリストの痛切な一言イエスの山上の垂訓(ブロッホ作)「自分の目には梁(はり)があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵(ちり)を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁(はり)を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵(ちり)を取りのけることができるだろう」(山上の垂訓より)他国を非難する前に、まず自分のことを振り返ったらどうだ!日本は「非核保有国」だから北朝鮮を非難する資格があるが、さんざん核実験をやった核保有国が、北朝鮮などを非難してもなんら説得力がない。核軍縮や核廃絶に向けて、なんら努力をしていない国々は、北朝鮮を非難する資格はない!NPT・核拡散防止条約に大きな問題点があるのだ!こんなに不公正、不平等な条約はほかにないのだ。核拡...イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

  • 国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

    <以下の記事は2006年11月7日に書いたものですが、基本的な考えは今でも変わっていません。一部修正して復刻します。>1)北朝鮮の衝撃的な核実験(2006年10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し1976年に批准している。それはそれで良いのだが、発効後36年経ってさまざまな矛盾や問題が生じている。ご承知のように、北朝鮮は2...国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

  • サハリン物語(2)

    「まあ、スパシーバ王子様では・・・」「そうです、スパシーバです。ご無沙汰していました」彼がそう言ってもリューバ姫は絶句したまま、なかなか言葉が出てきません。「どうして、あなた様がここに・・・」と言うのがやっとでした。「ごめんなさい。あなたにぜひ会いたくて、やって来たのです。私の商人(あきんど)姿は満更でもなかったですか、ハッハッハッハ。ところで、私が忍び込んできたことは、もちろん内密にしてくださいよ」「ええ、それはもう・・・でも、本当に驚きました。和平交渉の時以来ですね」「あの時は、あなたの美しさに見とれていました。今はそれよりもさらに美しくなりましたね。ずっとここにいたい気持です」「まあ・・・」「僕はあなたのことが忘れられず、どうしても会いたくて来ました。もし、ここで素性がばれ逮捕されようとも、あなたに...サハリン物語(2)

  • 『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか? 小百合さん

    以下の復刻話は、オールド映画ファンの“戯れ言”として聞いてほしい。映画『忍ぶ川』(DVD・原作は三浦哲郎)を借りてきて見たが、最後の“初夜のシーン”が実に美しく素晴らしかった。ゆったりとしていて生命感にあふれている。加藤剛と栗原小巻が主演の映画だ。そこで『忍ぶ川』を調べていたら、面白い話が出てきた。熊井啓監督は当初、吉永小百合を主演に考えて、吉永の両親らともいろいろ打ち合わせをしていた。日活もその線で動いていた。しかし、熊井監督が吉永の自宅で泥酔し母親(和枝さん)と悶着を起こしたり、白黒映画にするかカラー作品にするかなどで父親(芳之さん)と対立したとのことだ。結局、吉永小百合の出演は“ご破算”になって、栗原小巻の登場になったという。映画(1972年)も俳優座の作品、東宝の配給となった。小巻さんが小百合さん...『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか?小百合さん

  • 『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

    <2015年7月12日に書いた以下の記事を復刻します>スポーツの国際試合の時によく『君が代』が演奏されるが、どうせなら『君が代行進曲』の方が良いのではないか。『君が代』は荘重だが、なにか“お通夜”か葬儀のような雰囲気だ。それに比べると『君が代行進曲』の方は元気や勇気が湧いてきて、よしっ、やるぞっ!という気分になる。また、躍動感に溢れている。以前、サッカーで有名な中田英寿選手は、『君が代』について「気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と言って歌わなかったそうだ。まったく同感である。君が代行進曲/KimigayoMarch『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

  • 経済大国→ 老大国→ 老衰国・・・それで良いのか?

    <2019年10月17日に書いた以下の記事を復刻します>日本は経済大国である。戦後の経済復興で、アメリカに次いで世界第2位のGNP(国民総生産)を誇ったことがある。その当時は「ジャパンアズナンバーワン」「エコノミック・アニマル」などと言われたことがあった。日本は今でも経済大国に変わりないが、近年はどこか精彩がないようだ。それは経済力で中国に抜かれ、第3位に転落したこともあるが、全体的に停滞、あるいは沈滞している傾向がある。だから私は、経済大国からむしろ“老大国”になったのかと思うことがあるが、それはどうしてだろうか。経済の専門家ではない私なので、全体的な話をしよう。第1に、人口が減りつつあることだ。日本の総人口が1億人を突破したのは1966年(昭和41年・法務省統計局調べ)と言われるが、その当時は正に高度...経済大国→老大国→老衰国・・・それで良いのか?

  • サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

    <2012年8月に行ったサハリンの州都・ユジノサハリンスクの記事を復刻します>サハリン(樺太)の州都・ユジノサハリンスクは、日本統治時代に「豊原」と言ったが、今でも戦前の面影が残っている所が幾つもある。中でも「郷土博物館」は1937年(昭和12年)に建てられた純日本風の建物で、和風の庭園には旧日本軍の戦車や大砲が置かれている。戦前にタイムスリップした感じがした。郷土博物館の全景旧日本軍の大砲の前でソ連邦が消滅してもう20年以上たつが、サハリンにはあちこちに「レーニン像」が立っている。そこが面白い。ロシア本土ではだいぶ撤去されたはずだが、極東のサハリンにはあまり影響がなかったのだろう。広場や通りの名前も共産主義時代の名残りを留めている。私個人はレーニンが大好きで、彼はガンジーと並ぶ20世紀最大の英雄だと思っ...サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

  • 『トラジ(桔梗)』

    「トラジ」とは朝鮮語で「桔梗(キキョウ)」のことだという。その白い花に寄せる恋心を歌ったのがこの曲で、北朝鮮版の「トラジ」は愛くるしく微笑ましいものがある。その明るい歌声が私は好きだ。https://www.youtube.com/watch?v=ujEVGiGxlyg『トラジ(桔梗)』

  • たかが将棋、されど将棋

    <このところ、AIとの将棋にハマっていたので、2004年1月に書いた以下の記事を復刻します。>将棋は日本の代表的な遊技の一つである。私も将棋が好きで子供の頃から指していたが、「下手の横好き」というか一向に上手くならない。しかし、将棋を指している時は、他の事には目もくれず熱中できるから楽しい。小学生の頃、親父から将棋を教わり、中学時代から社会人になるまで、断続的にやっていたことを覚えている。会社勤めをしてからも、職場で同僚とよく将棋を指していた。50歳を過ぎてからも、仕事の都合で出張に出かける時は、新幹線や飛行機の中で同僚とよく指した。将棋をやっていると、夢中になって時間の経過を忘れてしまう。気がついた時には、出張先に到着しているというわけだ。その間、まったく退屈しない。現代文明の発達のおかげで、今や将棋は...たかが将棋、されど将棋

  • サハリン物語(1)

    <空想、夢想、幻想、妄想の物語>【主な登場人物】<カラフト王国>ヒゲモジャ王ソーニャ王妃スパシーバ王子(王室の長男。マトリョーシカの父)ナターシャ姫(王室の長女。のちにヤマト国・スサノオノミコトと結婚)オテンバ姫(スパシーバ王子の従姉妹)イワーノフ宰相ジューコフ将軍ゲジゲジサタン(重臣。裏切り者)ほか多数<ロマンス王国>ツルハゲ王カチューシャ王妃リューバ姫(王室の長女。マトリョーシカの母)ラスプーチン宰相ジェルジンスキー将軍スウォーロフ宰相(ラスプーチンの後任)プーシキン(ラスプーチンの息子)カリンカ(リューバ姫の侍女)<サハリン王国>(後の統一王朝)マトリョーシカ女王パーヴェル宰相アレクサンドル(マトリョーシカの夫)マリア(マトリョーシカの侍女)ベラ(マトリョーシカの友人、アレクサンドルの妹)ナディア(...サハリン物語(1)

  • 秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

    <以下の記事を復刻します。>『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。良家の子女に生まれた秋瑾は大金持ちと結婚し、2人の子供にも恵まれ幸せな前半生を送る。しかし、19世紀から20世紀にかけての清朝は、外国の侵攻を受けて苦難の連続だった。また、どこの国もそうだったろうが、中国でも男尊女卑、女性差別が非常に根強かった。纏足(てんそく)などの風習がそうである。これらの矛盾に我慢できなくなった秋瑾はついに出奔を決意し、単身で日本へ渡る...秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

  • 早とちり記者

    <2020年4月に書いた以下の記事を復刻します>“早とちり記者”とは私のことである。不名誉なことだが、昔、某テレビ局の記者をしていた時、数回はそんなことがあった。もちろん、他の新聞やテレビでもそういうことはある。まあ、勇み足とか早合点による失敗を言うのだが、記者とは他社に先駆けてネタをつかみたいと思うから、時々、そういう失敗をするものである。私の場合、数回の中で特に忘れられないものがある。というのは、記事になって放送されたりすると、それは“誤報”になるのだ。その場合、後で訂正して謝罪しなければならない。ところが、訂正や謝罪の機会がないまま、ずるずると行ってしまうこともある。つまり、結果的に“頬かぶり”したことになるのだ。だいぶ前置きが長くなったが、忘れられない失敗とは以下のようなことだ。反省を込めて言わね...早とちり記者

  • 名優・望月優子さんのこと

    <以下の文を復刻します。>右端が望月優子(映画『カルメン故郷に帰る』より)古いDVDを見ていたら、名優・望月優子(本名は鈴木美枝子さん)が出てきた。年配の人なら知っていると思うが、彼女は庶民的な“母親役”をやると天下一品の味が出ていた。歳に似ず、母親役が似合っていたのだと思う。調べてみると、1977年12月に60歳で亡くなっているから、若すぎる死だと言えよう。そこで望月優子にまつわる話を少ししたいのだが、彼女は54歳の時、なんと日本社会党から参議院議員に当選し政治家になったのである。いわゆる“タレント議員”だ。これが彼女にとって幸せだったかどうか分からないが、ブルーリボン主演女優賞を受賞した人にしては思い切った転身である。望月優子の政治家としての活動はまったく知らないが、ただ一つ、彼女の記者会見だけは覚え...名優・望月優子さんのこと

  • 「過去の記事」一覧表

    <2024年4月16日現在>①脳死と死生観。木を見て森を見ない日本人。喫煙と肺がんは関係ないのか?隠し子と出来婚。袴田事件と死刑囚の人権。「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か。②小沢裁判と陶片追放。小沢一郎とシーザー、信長、龍馬。毒性・抵抗力・免疫。思考の劣化こそ“現代病”ではないか。管理社会と感性の喪失。③無税国家論。日米安保条約の変質。天は人の上に人を造り、人の下に人を造る。デフレと市場原理。美しい田園と原発(フランス)。参議院選挙だって!?「一院制」こそ世界の大勢だ。“親バカ”共産主義者・金日成!スターリンや毛沢東との大きな違い。④諸悪の根源は「官僚支配」だ!土地は誰のものか。大宅壮一さんのこと。日本共産党はなぜ伸びないのか。アメリカこそ世界最大の戦争国家だ!⑤大杉栄とアナーキズム。坂本龍馬“夢と...「過去の記事」一覧表

  • 過去の記事(26・最終回)

    goo!のブログで停止になった記事2016年の日記③(9月1日~12月31日)12月31日(土)大晦日、本当に良い天気だ。日差しもわりと暖かい。体調はだんだん回復している。ダウンした孫も良くなっているようで、明日は皆がそろうだろう。女の赤ちゃんが生まれた親戚も来るようだ。オバマの最後っ屁(報復措置)にプーチンは対抗措置を取らずに知らん顔だ。これをトランプが称賛したから、米露関係は来年大きく変わる可能性がある。トランプとプーチンは気が合うらしい。いま書いている小説は「卒論」と同じだ。嫌でも書かなければならない。12月30日(金)今日は予想外に暖かい日和だ。2400歩ぐらい散歩をしたが、まだフラフラする。脳神経か視神経が1~2本切れたか?よく分からないが、焦らず様子を見よう。とにかく眠い。3番目の孫娘がインフ...過去の記事(26・最終回)

  • 過去の記事(25)

    ㉕参議院は必要か?その廃止を考えよう。政治家の失言・暴言。機密費について。「左翼的愛国主義」について。「君が代」は国歌にふさわしくない。新「国歌」の制定を!韓国よ、恩を仇(あだ)で返すな!参議院は必要か?その廃止を考えようまず私の経験談からお話しましょう。私はフジテレビという会社の報道局に28年以上在籍しましたが、その内10数年は、いわゆる「政治部」の記者をやっていました。従って、首相官邸や自民党、野党、外務省、旧大蔵省などの記者クラブを拠点にして、国会その他に随分多く取材をした経験があります。そうした中で常々感じていたことは、「一体、参議院は本当に必要なのだろうか」ということでした。つまり、大部分の法案がまず衆議院で審議され、可決通過すると参議院に送付されます。そして、参議院の各委員会で衆議院とほとんど...過去の記事(25)

  • 「南京大虐殺」はあった! 日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

    <2017年12月に書いた以下の記事を復刻します。>すでに多くの人が知っていることだが、日本テレビ系の各社は10月4日に、いわゆる「南京事件」のドキュメントを放送した。小野賢二さんという方の調査を本に構成したものだが、これは「南京事件」を知る上で大きな手がかりになるものだ。「南京事件」の全容については依然不明な点があるものの、小野さんらの努力でだいぶ明らかになった。中国側の見解には誇張した面があるかもしれないが、“南京大虐殺”があったのは事実である。犠牲者が何万人か、何十万人かといった視点ではなく、旧日本軍がかつて犯した事実を冷静に受け止めなければならない。今後日中関係はどうなるか分からないが、こうした歴史的事実の上に立って、新たな未来を切り開かなくてはならないと思う。そうした観点から、日本テレビ系の各社...「南京大虐殺」はあった!日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

  • 年寄りの昔と今(ざれ言)

    年寄りは今やろうとしていたことをもう忘れる年寄りは昔美人によろめいたのに、今は足元がよろめく年寄りは昔駅などの階段を勢いよく駆け上ったのに、今はエレベーターにすぐに乗り込む年寄りは昔恋人に会って喜んだのに、今は孫に会って喜ぶ年寄りは昔若妻の顔にキスしたのに、今は老妻から顔をそむける(笑)年寄りは昔ラブレターを心待ちにしていたのに、今は「年金通知」を待ち望む年寄りの昔と今(ざれ言)

  • 機密費について

    <機密費が問題になっているので、2010年5月20日に書いた以下の記事を復刻します。>“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊させようとい...機密費について

  • 過去の記事(24)

    ㉔憲法9条と自衛隊の問題について。盛田昭夫氏とマイケル・ジャクソン。復刻!ジリオラ・チンクエッティ。テレビ局への天下り。現代人の思考欠如はやむを得ないか。応接間。パク・クネは全責任を取って辞めろ!憲法9条と自衛隊の問題について1)自衛隊は憲法違反である。日本国憲法第9条の2項では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。自衛隊は仮に「陸海空軍」ではないとしても、「その他の戦力」に該当している。戦車や戦闘機、大砲は勿論のこと、イージス艦や潜水艦、ミサイルなど最新鋭の物凄い戦闘機能を大量に持っているのであるから、明らかに戦力を保持している。これは誰が見ても明白な事実であり、小学生でも分かることだ。よって、自衛隊の存在は憲法に違反する。昭和20年代の後半、警察予備隊から保安隊、自衛隊へと拡充していっ...過去の記事(24)

  • 過去の記事(23)

    ㉓金融資本という“化け物”。“左利き”と差別意識。「固有名詞」の読み方の大切さ。全てが“必然”である。宗教心とは何か。亡国・売国の「京都議定書」。『アジアの時代』が来た!交通安全か、桜の景観か。金融資本という“化け物”そもそも、経済とは何のためにあるのか。それは人々の生活を豊かにし幸せにするためにあるものだろう。ところが、最近の金融危機とその混乱を見ていると、今の経済は一体どうなっているのかと思ってしまう。私は経済学については素人だが、今の世界経済を見ていると巨大な金融資本が暴れまくり、まるでギャンブルかマネーゲームをしているようである。これが「新自由主義」と言うのだろうか。「グローバリズム」と言う体裁の良い名前の怪物が、わがもの顔で全世界にのさばろうとしているようだ。市場経済の拡大は当然のことだが、何百...過去の記事(23)

  • 『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の...『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

  • <詩> ある日本兵の死

    ここは一体どこの島だインドネシア方面に送られてきて名前も知らない島を転々とさせられいま俺はヤシの木陰の下息を引き取ろうとしているこれが運命なのかなんと哀れな運命だこれが戦争なのかアメリカ兵と一度も戦うこともなくいま俺は朽ち果てようとしている食うものもなく飢え死にしそうだその上マラリアにかかったのか高熱が退かない栄養失調と熱病に弱り果てた俺には立ち上がる気力もないああ恵子よ今どうしているのかお前と結婚してからわずか2年二人の間に生まれた百合子は元気に育っているのか幼な子もようやく一歳になったはずだ百合子の顔を見たいヨチヨチと歩き始めただろうか出征する時生まれたばかりのお前は母の胸に抱かれてスヤスヤと眠っていたな軍用列車に乗って出発する時万歳の声や「勝ってくるぞと勇ましく」の軍歌が湧き起こるとお前はびっくりし...<詩>ある日本兵の死

  • “叙景歌”は消えるのか ?

    <以下の文を復刻します。>日本人は豊かな自然に恵まれ、しかも“春夏秋冬”という四季の移ろいの中で育ってきたから、風景や季節の変化などにとても敏感な民族だと思う。自然を愛する心が、子供の頃から育まれてきたと言ってよい。ところが、最近は世の中の動きがせわしないのか、時代の変化が激しいのか、風景などを歌う唄が極端に少なくなってきたように思う。和歌や俳句では“叙景歌”が多いのは当然だが、歌曲の分野ではほとんど姿を消したのではないか。むろん“花鳥風月”にこと寄せて、愛や別れ、悲しみや喜びを表現する抒情歌は多い。しかし、純粋な叙景歌は歌曲の分野でほとんど消滅してしまったようだ。これが残念である。日本人ほど叙景歌が得意な民族はそういないのではないか。明治以降、外国の音楽が大量に流入してきたが、どんな音楽でも日本人はそれ...“叙景歌”は消えるのか?

  • 過去の記事(22)

    ㉒ドン・キホーテよ、現われよ!“やまとなでしこ”は消えない!田中耕一さんのノーベル賞受賞に思う。『援助交際』とは、良い意味なのか?日米安保問題とマスコミの怠慢。ドン・キホーテよ、現われよ!1)真夏の暑い日が続くので、家の中で何か本でも読もうと思い、図書館へ行って本を借りることにした。いろいろ物色していたら、スペインの作家・セルバンテスの「ドン・キホーテ」が目に付いたので借りてきた。50年ほど昔の少年時代に、たしか子供向けの「ドン・キホーテ物語」というのを読んだ記憶があるが、本物を読むのは初めてである。「ドン・キホーテ」(岩波書店発行・牛島信明訳)は膨大な分量があり、涼しいエアコンの下でじっくりと読むには相応しい大長編小説である。今から400年ほど前に書かれたこの小説は、世界文学の中でも最も有名な作品の一つ...過去の記事(22)

  • 過去の記事(20)

    ⑳日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本に民族問題はあるのか?回転ドアは大嫌い!ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の核武装主義者。昭和天皇が靖国神社への“A級戦犯合祀”に強く反発。「二大政党制」のどこが良いのか!?日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本に民族問題はあるのか?1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要...過去の記事(20)

  • 過去の記事(19)

    ⑲『大統領制』を導入せよ。新しい「国立追悼施設」を建立せよ。無駄な参議院。終戦の日を「平和の日」に。40年前の古新聞。野中広務さんのこと。ネット企業は「電話受け付け」も行なえ!(それに批判的なコメントも掲載)。『大統領制』を導入せよ日本の国政は「議院内閣制」によって成り立っているが、戦後、この制度がややもすると不透明で不信を招く事態を生じている。いわゆる“永田町政治”とか“密室での談合”と言われるものだが、国民の預かり知らない所で、一国の総理大臣が決まるというケースが何回か起きてきた。議院内閣制ではこれは当然のことで、国会に多数を持つ政党・与党が内閣を組織するわけだから、与党内の話し合いや調整でいくらでも首相を決めることができる。もちろん、与党である自民党は総裁選挙を実施して、新総裁を担いで国会での首班指...過去の記事(19)

  • 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるかもしれないが、私は表現の違いにこだわるのだ。端的に...鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 大プロデューサー・横沢彪さんのこと

    <2011年1月11日に書いた記事を一部修正して復刻します。>元フジテレビの大プロデューサー・横沢彪(たけし)さんが8日、都内の病院で亡くなった。73歳。横沢さんについては多くを語る必要はないだろう。彼のお陰で、視聴率最悪のフジテレビが、起死回生の復活を遂げたのだから。いわば、フジテレビの最大の功労者の一人である。何かテレビの“申し子”のような存在であった。横沢さんは私の2年先輩で、東大を出たあと1962年(昭和37年)にフジテレビに入社した。一時期を除いて、ほとんど制作現場を歩まれた人である。私は1964年(昭和39年)にフジテレビに入ったが、もっぱら報道畑にいたので横沢先輩とはほとんど接点がなかった。ただ、2回だけ横沢さんと酒を飲みながら話をする機会があった。以下はちょっとした思い出になるが、その話を...大プロデューサー・横沢彪さんのこと

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

    <以下の文は2009年10月9日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>昨日の記事で私は、アメリカの軍需産業が不況の中でも好景気に沸いている話をしたが、よく考えるとそれは当然ではないかと思ってしまう。なぜならアメリカの経済自体が、戦争と軍需産業に頼っている面が大きいからそうなるのだ。アメリカは絶えず「戦争」に頼ってきた。19世紀のことはよく知らないが、20世紀に入ると第1次世界大戦が起き、アメリカは一気に景気を回復し、大戦が終わると一転して不況に陥った。そして、第2次世界大戦の時も参戦して不況を乗り切り“戦争特需”にあずかったのである。その戦争経済体質は非常に明らかで、「軍産複合体」というのは、アイゼンハワー元大統領が、1961年1月の退任演説で指摘したものである(末尾にウィキペディアの記事をリンク...アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

  • 2024年の日記、寸評など

    4月13日(土)きょうはとても暖かい。桜も散り始め、いよいよ初夏の季節になったか。ジャニー喜多川の性加害や自民党の裏金問題について、大手マスコミの一部の記者はうすうす知っていたはずだ。それなのに前者は某週刊誌が、後者は「赤旗」の日曜版が暴いたという。大手マスコミは恥ずかしくないのか!?ジャニー喜多川の件については、あとでNHKや民放などが弁解し謝罪していた。自分たちに関わることは誰だって“知らんふり”をしたいだろうが、対処の仕方はいろいろあったはずだ。それができないのであれば、大手マスコミは哀れなものだ。今や週刊誌やインターネット、脇役メディアの方がニュースを掘り出す時代なのだ。あすは「遺影」の顔写真を撮りにいく。うちのバアバが撮ってもらったら、まるで“草笛光子”のように美しく写っていたからだ(笑)。遺影...2024年の日記、寸評など

  • 4月13日(土)

    きょうはとても暖かい。桜も散り始め、いよいよ初夏の季節になったか。ジャニー喜多川の性加害や自民党の裏金問題について、大手マスコミの一部の記者はうすうす知っていたはずだ。それなのに前者は某週刊誌が、後者は「赤旗」の日曜版が暴いたという。大手マスコミは恥ずかしくないのか!?ジャニー喜多川の件については、あとでNHKや民放などが弁解し謝罪していた。自分たちに関わることは誰だって“知らんふり”をしたいだろうが、対処の仕方はいろいろあったはずだ。それができないのであれば、大手マスコミは哀れなものだ。今や週刊誌やインターネット、脇役メディアの方がニュースを掘り出す時代なのだ。あすは「遺影」の顔写真を撮りにいく。うちのバアバが撮ってもらったら、まるで“草笛光子”のように美しく写っていたからだ(笑)。遺影ぐらいはきちんと...4月13日(土)

  • 過去の記事(18)

    ⑱中国人観光客。日航ジャンボ機墜落の謎。秋山豊寛さんのこと。土地税制を見直そう。特捜検事の逮捕。中国人観光客けさフジテレビの「新報道2001」を見ていたら、中国の旧正月(春節)には延べ20億人以上が帰省や観光旅行などで大移動すると報じていた。びっくりしてネットで調べたら、延べ25億人とも出ていた。観光客の多くは国内旅行だが、外国にも大勢の中国人が繰り出す。それを見込んで、アメリカ・ニューヨークでは中国人観光客の歓迎ムード一色になっていた。もちろん、日本にも大勢の中国人が来るわけで、旅行会社などが張り切って応対する模様が映し出されていた。要するに、沢山の金を落としていってくれるのだ。テレビは、今や世界の景気・経済は中国人にかかっているかのように伝えていた。それは少しオーバーな表現かなと思ったが、日本の観光地...過去の記事(18)

  • 政治家たちの印象

    記者時代、何百人もの政治家や秘書たちに接したが、その中で印象に残る人たちを列挙してみた。☆最も心優しく円満だった人・・・谷垣禎一さん☆話が最も面白かった人・・・園田直さんと竹入義勝さん☆小柄だが最も迫力のあった人・・・野中広務さん☆大柄で怖い感じがした人・・・黒柳明さん☆態度が大きくて参った人・・・藤尾正行氏☆最も人間的な幅があると思った人・・・金丸信さん☆何がなんでも行動する人・・・浜田幸一さん(ハマコーさん)☆とても無口で居づらくなった人・・・石橋政嗣さん☆とてもせっかちで早口だった人・・・田中角栄さん☆最も礼儀正しく好印象だった人・・・石破茂さん☆最もインテリ風だった人・・・宮澤喜一さん☆最も貫録と風格があった人・・・佐藤栄作さん☆とにかく格好がよかった人・・・中曽根康弘さんと小泉純一郎さん☆初の女...政治家たちの印象

  • 『琵琶湖周航の歌』

    多くの歌手がこの唄を歌ったそうだが、1971年(昭和46年)に加藤登紀子がカバーしたレコードが大ヒットした。個人的には50年以上も昔、某テレビ局の先輩Yさん(滋賀県出身・27歳ぐらい)が若くして不慮の死を遂げた際、葬儀・告別式の最後にこの唄をみんなで歌ったことを思い出す。Yさんも生前、この唄を愛唱していたのだろう。私がよくお邪魔する『二木絋三のうた物語』から、以下に歌詞を引用させてもらいあの頃を偲びたい。作詞・小口太郎、原曲・吉田千秋1われは湖(うみ)の子さすらいの旅にしあればしみじみとのぼる狭霧(さぎり)やさざなみの志賀の都よいざさらば2松は緑に砂白き雄松が里の乙女子(おとめご)は赤い椿の森蔭にはかない恋に泣くとかや3浪のまにまに漂えば赤い泊火(とまりび)なつかしみ行方定めぬ浪枕今日は今津か長浜か4瑠璃...『琵琶湖周航の歌』

  • 過去の記事(17)

    ⑰共産党はレーニンのように柔軟であれ!普天間基地をテニアンに移そう。TPP反対で「国民共同戦線」の結成を!感動もロマンもないプロ野球。「クジ加味」選挙とは。共産党はレーニンのように柔軟であれ!日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年...過去の記事(17)

  • 過去の記事(16)

    ⑯外国語と日本語と私。日本と中国。ゲーテ。ノーベル賞に落選したトルストイ。天皇の韓国訪問はあり得るのか?外国語と日本語と私1)日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人も多数いる。そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。我々高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。私...過去の記事(16)

  • JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

    <JASRACの“被害者”として、以下の文を復刻します。>「音楽著作権」によれば、歌詞の引用は原則的に禁じられているという。私も以前のヤフーブログに、良かれと思って大いに歌詞を引用し紹介したのだが、それらが著作権を侵害したとのことでブログが全面削除された。しかし、これははなはだ疑問である。著作権法第32条にも「引用利用権」が明記されている。歌詞を引用・紹介して音楽を大いに称賛したというのに、それがどのような“実害”を与えたのだろうか。CDの売り上げが減ったとでも言うのだろうか。そんな事はあり得ないだろう。むしろ、素晴らしい歌詞を紹介することによって、読者から歓迎されたと思う。そして、その音楽への関心や共感を高め、良い方向へ進んだものと信じている。音楽著作権の事でブログが全面削除され、私は音楽そのものへの興...JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、矢嶋武弘の部屋さんをフォローしませんか?

ハンドル名
矢嶋武弘の部屋さん
ブログタイトル
矢嶋武弘の部屋
フォロー
矢嶋武弘の部屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用