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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • スピノザと汎神論

    スピノザ<以下の文を復刻します。>今日は少し“七面倒臭い”話をしたい。苦しみから脱却しようとする時、大抵の人はさまざまな思想や宗教などに頼ろうとする。しかし、納得のいく思想や宗教がないと、人はさらに苦しみの中へ落ち込んでいく。私の場合ももちろんそうだった。若い頃、過激な学生運動・革命運動に没頭していた私は、ある時、マルクス主義やアナーキズムが信じられなくなり、運動から離脱した。寂しかった。これを自分なりに「転向」と受け止めたものの、一種の懐疑論、虚無主義へと陥っていった。しかし、それでは生きていく“張り”がなくなり、私は必死になって自分が救われる思想を追い求めた。ところが、そんな救いの思想や宗教はなかなか現われない。苦悶の時間がどんどん過ぎていったが、ある日、東京・新宿駅の雑踏の中で、一瞬の閃きから「この...スピノザと汎神論

  • 燃焼

    人生とは燃焼することだから出来るだけ完全燃焼しよう!不完全燃焼は良くない最後は“燃えかす”になることだ燃焼

  • 日本で最初の女医・荻野吟子

    〈2020年2月に書いた以下の記事を復刻します。〉日本初の女医・荻野吟子の生涯を描いた映画『一粒の麦』が間もなく公開されるという。荻野さんは今の埼玉県熊谷市出身だから、言わば埼玉の“偉人”である。私は以前、荻野さんのことを描いた作家・渡辺淳一さんの『花埋(うず)み』という小説を読んだことがあるが、深い感銘を受けた。明治時代、女性蔑視という過酷な環境の中で、荻野さんは初志を貫徹し日本初の女性医師となった。そこには筆舌に尽くしがたい苦悩があったのである。蛇足だが、小生の戯曲『明治17年・秩父革命』の中でも、荻野さんを手本に医師を目指す若い女性を描いたことがある。そういう意味でも、『一粒の麦』は一見の価値があるだろう。皆さんにお薦めしたい。(2020年2月3日)日本で最初の女医・荻野吟子

  • 『およげ!たいやきくん 』

    1975年(昭和50年)、フジテレビの子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で発表された童謡で、史上最高の450万枚以上のレコード売り上げを記録したものとして有名だ。当時、世の中は国鉄(今のJR)の「スト権スト」で多くのサラリーマンが出勤できず、やむなく自宅に待機し子供たちと戯れていた。そこにテレビからこの歌が流れると、親子そろっていつの間にか親しむようになったという。子門真人(しもんまさと)の歌声も素晴らしかったが、史上最高の売り上げでレコード会社は大儲けしたとか・・・やむなく自宅待機になったサラリーマンだが、毎日の出勤から解放され、かえってこの歌詞に共鳴したのかもしれない。およげ!たいやきくん/子門真人『およげ!たいやきくん』

  • キャンドル・ベイビー

    〈東日本大震災の直後、2011年3月20日に書いた以下の記事を復刻します。〉東日本大震災で、ほとんどの人が憂うつな気分になっているだろう。私も同様だ。そこで、もやもやした気分を吹っ飛ばすために、思い切ってロマンチックでエロチックな話をしたい。少しは元気が出てくるかも・・・関東地方は先週、かなりの計画停電があった。そこで思い出したのが、アメリカ・ニューヨークの大停電のことだ。ニューヨークの停電は過去に数回あったらしいが、最も有名なのは1965年11月9日のものだ。冬の寒さで暖房などの電力需要が一気に高まり、ナイアガラの発電所に不具合が生じたらしい。このため、アメリカ北部やカナダで12時間も停電になったのだが、この後、大都市ニューヨークでの“出生率”が大幅に上がったと伝えられている。それはそうだろう。12時間...キャンドル・ベイビー

  • 文豪レフ・トルストイはなぜ「ノーベル文学賞」に落選したのか?

    <2010年10月16日に書いた以下の記事を復刻します。>ノーベル賞は世界で最も有名な賞だが、その平和賞は極めて“政治的”な意味合いが濃いものになっている。同時に、文学賞もまた政治的な理由で決められることがよくある。その象徴的な出来事が第1回のノーベル文学賞の時に起きた。それが、『戦争と平和』などで有名な世界的な文豪レフ・トルストイの落選であった。ノーベル賞が創設された1901年当時、世界最大の文豪と言えば誰もがロシアのトルストイを挙げただろう。彼の文学作品の影響力はロシア、ヨーロッパだけでなく、遠く日本にまで及んでいた。だから、ほとんどの人がノーベル文学賞は文句なくトルストイが受賞するものと思っていたようだ。ところが、トルストイは落選し、フランスの某詩人が受賞したので皆が驚く結果になったのだ。この件で、...文豪レフ・トルストイはなぜ「ノーベル文学賞」に落選したのか?

  • 『砂の器』より

    <以下の文を復刻します>老眼なので最近は小説類をあまり読まないが、このあいだ松本清張の『砂の器』を読了した。野村芳太郎監督の同名の映画(1974年の作品)に感動したのでつい手が出てしまったが、読んで良かったと思う。内容はあまりにも有名なので省略するが、怨恨ではなく宿命的な“生い立ち”が原因で、稀に見る善人(恩人でもある)を殺害するところがミソだ。ハンセン病が早期治療で治ることは分かっているが、昔は遺伝性疾患の“不治の病”と言われた。日本型悲劇を描いた長編推理小説の力作だろう。『砂の器』より

  • 『太陽がいっぱい』

    1960年のフランス・イタリアの合作映画で、テーマ音楽の作曲はイタリアの巨匠ニーノ・ロータ。貧乏な青年が大金持ちの友人を殺し、その財産と恋人を奪い取るという物語だが、最後は思わぬ出来事が起きて彼の策略は失敗する。哀愁に満ちた物悲しいメロディーが、貧乏青年の心を表わしているのだろう。主役の彼に扮したアラン・ドロンはこの映画でいちやく有名となり、世界の輝かしい“イケメン”の象徴となった!(笑)「太陽がいっぱい」サウンド・トラック『太陽がいっぱい』

  • 脳死と死生観

    <以下の文を一部修正して復刻します。>いま「脳死」の問題が臓器移植との関連で大きな関心を集めている。ここで専門的な話をするわけではないが、生と死をどのように考えたらいいのだろうか。結論から申し上げると、私は、脳死状態というのは死でもなく生でもなく、逆に言えば、死でもあり生でもあり、それ自体が人間と生命の『尊厳』を冒涜(ぼうとく)するものだと考える。医学の進歩が人間をそこまで至らしめたのである。この考えには当然異論もあるだろうが、それを前提にして私が過去に書いた『理想の死に方について』を復刻したいと思う。生と死について皆で考えようではないか。なお、2002年9月に書いた以下の文を、一部手直しして復刻しておきたい。(2009年6月26日)1)生の結末が死である。生があるから死が訪れるわけで、そういう意味で生死...脳死と死生観

  • 紺野美沙子さんのこと

    紺野美沙子さん<2024年8月4日に書いた以下の記事を復刻します>ここ数日書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。というのは、私は女優の紺野美沙子さんとは個人的な友人関係などは一切ない。まったくの他人である。しかし、ある“事実”を覚えているので、やはり書いていこうと思う。その前に、大相撲名古屋場所の話から入る。名古屋場所は1週間前に終わったが、その7日目(7月20日の土曜)に、ネット上で大きな反響が起きた。というのは、実に美しい女性が相撲を見ていたという話題だったのである。私は最近大相撲に関心が薄れ、7日目の土俵はNHKのテレビ中継をほとんど見ていなかった。だが、あとでSNSの反響を知り、その実に美しい女性が紺野美沙子さんだということが分かった。紺野さんは土俵近くの“砂かぶり席”で相撲を観戦していたのだ...紺野美沙子さんのこと

  • どうして、参議院から1人も総理大臣が選ばれないの? おかしいじゃないか!

    憲法第67条には「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とある。つまり、総理大臣(以下、首相と呼ぶ)は“衆参両院の国会議員”の中から選ばれるのだ。ところが、戦後79年も経っているのに、すべての首相は衆議院議員から選ばれている。憲法には、参議院議員は首相になってはいけないという条文はない。それなのに、これはどういうことか?私にもその理由が分からない。参議院議員が、衆議院議員よりはるかに劣っているというのか。そんなことは絶対にないだろう。参議院の中にも優秀で、識見の高い人が大勢いるはずだ。それなのに、なぜ参議院議員から首相は生まれないのか。戦後79年、首相は“偶然にも”衆議院議員から選ばれてきたというのか。その辺の事情も私には分からない。同じように国民の選挙で選ばれたのに、なぜ、参議院...どうして、参議院から1人も総理大臣が選ばれないの?おかしいじゃないか!

  • 参議院の廃止は当然である(2)

    参議院が国政に混乱をもたらすとはよく言われるが、別にこれは「衆参ねじれ」状態を指すとは思わない。二院制であれば「ねじれ状態」が起きても当然であり、むしろ衆議院での政権与党の暴走に歯止めをかける効果もあるのだ。二院制論者はよくそう言うが、私も同感である。そんな「ねじれ」のことではなく、もっと大きな問題がある。参議院には「解散」がないということだ。つまり、議員が6年間身分を保証されている。それは一見良いかもしれないが、衆議院に比べると余りにも“特権階級化”していると言えよう。その好例が実際に起きた。2005年の夏、時の小泉純一郎内閣は「郵政民営化法案」を成立させるため全力を挙げていた。いわゆる「郵政法案」は衆議院で可決され、参議院に送られた。ところが、郵政民営化に反対する自民党議員が造反し、参議院では郵政法案...参議院の廃止は当然である(2)

  • 参議院の廃止は当然である(1)

    〈2012年に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。〉戦前、日本には衆議院と貴族院があったが、敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)が日本国憲法の草案を作った時には、新しい日本は一院制が好ましいという方針が打ち出された。マッカーサー元帥もそういう意向だったという。これは「史録日本国憲法」(児島襄著文春文庫)に出ている話だ。ところが、GHQが日本側と折衝すると、日本側は二院制が良いと主張した。折衝の詳しいことは分からないが、結局、GHQの方が妥協して、新憲法の案文では二院制が採用されることになった。それで衆議院と参議院が誕生したのだ。歴史的な経緯をもう少し述べると、私(現在81歳)らが子供の頃は「衆議院は政党で、参議院は人物で選ぼう」と、学校で教わったものである。私はそれが正しいと永い間信じていた。だから、参...参議院の廃止は当然である(1)

  • 『ジャイアンツ』

    1956年のアメリカ映画で、テキサス州を舞台にした“一大スペクタクル”である。また、テーマ音楽も軽快で華やかだ。主演はエリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン、ロック・ハドソンだが、ディーンはこの映画の撮影が終わった1週間後に、交通事故で24歳の命を落とした。また、23歳ぐらいのエリザベス・テイラーが実に美しい。1920年代の油田ブームを背景に、アメリカが世界的な大国にのし上がっていく状況が見て取れる。しかし、一方で深刻な人種差別の問題も垣間見えるのだ。史実を元にした歴史的な大作と言えるだろう。「ジャイアンツ、Giant」ジェームズ・ディーン、JamesDean『ジャイアンツ』

  • 管理社会と感性の衰退?

    <以下の文を復刻します。>成熟した社会は「管理社会」になると先に書いたのだが、これには世の中がコンピュータ化したことが大いに寄与している。言ってみれば、コンピュータに管理されているようなものだ。それが良いとか悪いとかという問題でなく、現実がそうなってしまった。しかし、それによって人間の実感とか体感というものが劣化したのは間違いない。例えば、私の会社員時代に最も大きなショックを受けたのは、給料が「振り込み」になったことである。これはほとんどのサラリーマンが経験していることだが、私の場合はもう何十年前だろうか、それまで現金の入った給料袋を受け取っていたのに、ある日突然、給与の明細書だけ渡され、月給は全て銀行振り込みになってしまった。その時は実に寂しい思いをしたものである。しかし、会社が事務処理を早く円滑に進め...管理社会と感性の衰退?

  • バブルに踊る

    <2011年2月に書いた一文を復刻します。>(前編)恥ずかしくてあまり話したくないことだが、バブルの頃の思い出を書いておこう。これも人生の一つの“通過点”だったと思えば許してもらえるだろう。20数年前だったが、日本はバブル経済の絶頂期にあった。地価も株価も給料もどんどん上がっていた。今では想像も出来ないほどである。以下にまず、妻とのやり取りを紹介しよう。私「おい、NTTの株がもの凄く上がったぞ。そろそろ売ってもいいじゃないのか」妻「そうね。2株のうち1株を売ったら?」私「うん?いま2株売れば、300万円以上は儲かるぞ!」妻「2株も売ったら勿体ないじゃないの。1株は“家宝”として持っておくべきよ」私「家宝だって?ふん、たかが株じゃないか・・・まあ、いいや。とりあえず1株を売ろう」これは1987年(昭和62年...バブルに踊る

  • 不滅の女性アスリート・人見絹江

    <2009年8月2日に書いた以下の記事を復刻します。>ユーチューブの森を散歩していたら、戦前の日本で陸上の“万能選手”として活躍した人見絹江さんの映像が見つかった(以下、敬称略)。実は昨年8月、北京オリンピックの陸上競技・男子400mリレーで、日本が3位に入り銅メダルを獲得した時、オリンピックのトラック種目で日本がメダルを取ったのは、1928年のアムステルダム五輪の人見絹江(ひとみきぬえ)以来80年ぶりだという記事を書いたことがある。人見絹江と言えば、私はすぐに中学時代の体育の女性教諭であるK先生を思い出す。K先生は何かというと人見絹江の話をしてくれた。よほど彼女を尊敬していたのだろう。アムステルダム五輪の女子800m競走で、人見が当時世界最強のドイツのリナ・ラトケ選手と死闘を演じ、わずかの差で2着となり...不滅の女性アスリート・人見絹江

  • 『北へ』

    私は小林旭の歌声が好きだ。この唄は男の哀愁、切なさ、わびしさを歌ったものだろうが、一方でほのぼのとした温かみも感じられるのが良い。昔、友人のW君一家とゴルフに行ったことがある。その前夜、W君とお兄さん、私の3人がカラオケルームで歌を楽しんだが、やがて、お兄さんがこの唄を歌い出した。その時の情景が忘れられない。私はメロディーも歌詞もいっぺんに好きになったのである。男は心に傷を持つと“北へ”向かうのだろうか、逆に女性は“南へ”向かうのだろうか・・・まったく根拠のない話だが、どうもそのように思えてならない。余談だが、浅丘ルリ子が実に可愛い。作詞・石坂まさを、作曲・叶弦大111年秋季班練習【北へ】唄:小林旭『北へ』

  • 中国初の原爆実験は東京五輪(1964年)の真っ最中だった!

    <以下の記事を復刻します。>古い話を思い出したが、中国初の原爆実験が東京オリンピックの真っ最中だったことを覚えているだろうか。1964年(昭和39年)の10月10日、東京オリンピックは華やかに開幕した。今でもよく覚えている。ところが、この東京五輪はいろいろな出来事が起きたことでも有名だ。特にソ連のフルシチョフ首相が解任された政変は有名だが、中国が初の原爆実験に成功したことも大きなニュースになった。もちろん、東京オリンピックを意識してのことだろうが、10月16日に核実験は成功したのである。あの頃は「2つの中国」と言って、北京政府と台湾政府が中国代表権を争っていた時期だ。それもあって、北京政府は東京五輪に不参加だったが、ソ連とも対立が激化しつつあった。いわゆる「中ソ対立」である。国防上、核実験は必要だったろう...中国初の原爆実験は東京五輪(1964年)の真っ最中だった!

  • “妹”への憧れ

    <以下の文を一部修正して復刻します。>つい最近、ある有名女優が自分の妹になった夢を見て嬉しくなったが、私には“妹”への憧れがあるようだ。そこで暇なので、ざっくばらんに妹について考察していきたい。何の準備もしていないので、話が極めて散漫になることをお許し願いたい。私には15歳年上の姉がいたが、すでに亡くなっている。また、かなり年上の兄が2人いるが、2人ともすでに亡くなった。だから“一人っ子”みたいな気分で育ったので、年下の弟や妹がいたらいいな~と勝手に思ったものである。このためか特に、妹のいる友人や同僚がなんとなく羨ましいと思ったものだ。これを心理学的に「妹コンプレックス」とでも言うのだろうか。妹にも駄目な者や嫌な者もいるだろうが、昔から、多くの兄妹愛が語られてきた。例えば、詩人・宮沢賢治は2歳年下のトシを...“妹”への憧れ

  • 日本共産党の小笠原貞子さんは吉永小百合さんの“叔母”だって

    〈2017年12月5日に書いた以下の文を復刻します。〉小笠原貞子さんと言っても、今は知らない人がほとんどだろう。小笠原さんは故人だが、彼女は日本共産党の参議院議員だった人で、かつて4期24年も議員を勤めた。その人が女優・吉永小百合の叔母だって・・・?その話を知った時、私は非常に驚き今も半信半疑である。しかし、本当だと思って話を続けよう。もし間違っていたら、この記事は直ちに削除するか訂正する。事実をいろいろ知っている方がいるなら、ぜひ教えてもらいたい。冒頭に、それをお願いしてからとにかく記事を書いていこう。昔、1970年ころだったか、私は某テレビ局の政治記者をしていた。政治記者というのは国会を中心に取材活動をするのだが、私は「野党」担当だった。そのころの野党は社会党を中心に公明党、共産党、民社党などがあり、...日本共産党の小笠原貞子さんは吉永小百合さんの“叔母”だって

  • 平壌(ピョンヤン)冷麺

    13年前、北朝鮮で食べた『ピョンヤン冷麺』がとても美味しかった。忘れられないので、写真を載せておく。平壌(ピョンヤン)冷麺

  • 『インターナショナル』

    学生時代にデモに参加した時、最も多く聞いたり歌ったのが『インターナショナル』だった。あれから60年以上たったが(笑)、今でも忘れられない。軍歌も元気が出てくるが、こういう革命歌や労働歌も元気が出てくる。最近はほとんど聞かないが、名曲の一つには違いない。「インターナショナル」『インターナショナル』

  • 天下の悪法・「生類憐れみの令」と動物愛護

    (以下の文は2002年4月8日に書いたものですが、一部修正して復刻します。)1)犬や猫など動物を可愛がる人は多い。日本でもペットブームが完全に定着した。テレビやユーチューブ、雑誌にも可愛いペットが登場してくる。スーパーマーケットなどへ行けば、犬や猫などのペットフードがいやというほど置いてある。動物を可愛がる人達にとっては、まことに素晴らしい時代である。さて、動物愛護のことを考えていると、よく思い出すのが「生類(しょうるい)憐れみの令」という、江戸時代の法律だ。この法律については、知っておられる人も多いはずだ。5代将軍・徳川綱吉が発布した“天下の悪法”と言われるものだ。歴史書やインターネットで調べてみると、これが実に興味深いので、少し詳しく紹介しながら話を進めたい。徳川綱吉の画像(土佐光起筆)2)「生類憐れ...天下の悪法・「生類憐れみの令」と動物愛護

  • 日本は実に良い国だ(2)(例・アメリカは救急車を呼ぶと70万円も払うんだって!)

    <2023年8月29日に書いた以下の記事を復刻します>昨日、テレビ朝日の『徹子の部屋』を見ていたら、元女子プロレスラーのマッハ文朱(ふみあけ)さん(64歳)が出演していた。暇なので見ていたら、一つだけ驚くべきことが印象に残った。それは彼女の夫(台湾系のアメリカ人パイロット)が昨年、大怪我をして“救急車”で病院に運ばれた際に、日本円でなんと70万円もかかったというのだ。70万円!?私は耳を疑った。日本では最近、コロナ禍や熱中症などで救急車で病院に搬送されるケースが増えている。しかし、どんな場合でも搬送は無料だ。タダだ!私はアメリカの例を聞いて、日本はなんと素晴らしい良い国ではないかと思った。もちろん、医療や介護など社会保障の面で、日本もさまざまな問題を抱えている。しかし、アメリカの場合は、高齢者や障がい者な...日本は実に良い国だ(2)(例・アメリカは救急車を呼ぶと70万円も払うんだって!)

  • 日本は実に良い国だ(1)

    <以下の記事を復刻します。>以前、スーパーへ行った時、あやまって日本酒のワンカップを取り落とし、1本がフロアーに落ちて割れてしまった。当然、200円ぐらい弁償しなければと思っていたら、店員に「大丈夫ですか。お怪我はありませんか?」と言われ、まったく弁償しないで済んだ。他の店員がすぐにガラス片やこぼれた酒の掃除をしてくれた。私は嬉しくなってワンカップを“余計”に買って帰宅したが、実に温かい気持になったものだ。どこのスーパーもサービス精神が旺盛で、日本は本当に良い国だと思う。これはヨーロッパの国々とえらい違いだ。ヨーロッパはスリが多いし、サービス精神も劣る。特にイタリアはスリが多かった。以前書いたことがあるが、フランスへツアー旅行した時実に嫌な気分になったことがる。それは、ある店の自動販売機に額の大きなコイン...日本は実に良い国だ(1)

  • 『大脱走』

    1963年公開のアメリカ映画だが、これまでに見た外国映画の中で、最も面白いものの1つである。第2次大戦中に、ドイツ軍の捕虜収容所から連合国軍の兵士らが集団脱走する物語だ。脱走にはいろいろな方法や手段が用いられるが、それが興味深くて面白い。またスティーブ・マックイーンらの俳優も魅力的だ。中でもマックイーンがバイクで草原を疾走するシーンは、爽快な「大脱走マーチ」(作曲はエルマー・バーンスタイン)と共に話題になったのである。「大脱走マーチTheGreatEscapeMarch」『大脱走』

  • <小説> 1984年11月14日(グリコ・森永事件)

    <まえがき><映画『罪の声』を見ていたら、どうしてもグリコ・森永事件について何か書きたくなった。この小説は、当時の個人的な体験が元になっている。悪しからずご了承願います。>その日、山本啓太はテレビ局の“遅番勤務”のため、午後2時過ぎに家を出た。彼はそのままTOKYO(東京)テレビの報道局の部屋に入ったが、時間があったので“早番”の政経デスク・熊沢と少し雑談を交わしていた。「このところ、中曽根と金丸(かねまる)の関係はうまくいっているようだね」「うん、まあまあだな。長い目で見ないと・・・」第2次中曾根改造内閣の発足にともない、自民党幹事長の金丸信(かねまるしん)と中曽根康弘首相の関係について雑談を交わしたのだが、2人は共に政経デスクとして仕事をしていた。「それより、地方デスクがさっきから忙しそうにしているよ...<小説>1984年11月14日(グリコ・森永事件)

  • 大腸ガンにご注意を

    <2010年7月6日に書いた記事ですが、復刻します。>某テレビ局の番組を見ていたら、大腸ガンによる死者が増えていて、女性では癌の死亡率で1位、男性では3位で、5年後には男女ともトップになると報じていた。なぜ大腸ガンによる死者が増えたかというと、食生活が欧米化して肉食が多くなったからだと言われている。それはともかく、私も55歳の時に大腸ガンの手術をして助かった経験があるので、この癌については敏感だ。要は「ガンの早期発見」が最も重要で、発見が遅れるのが一番悪い。大腸ガンの検査はお尻から内視鏡を入れてするのが一般的だが、女性は「恥ずかしい」とか「痛そう」とか言って、なかなか受けたがらない。しかし、それは駄目だ。一刻も早く癌を見つけることが、転移などを防いで助かる道なのである。内視鏡検査は医師の手腕によって違って...大腸ガンにご注意を

  • <復刻> 21世紀・日本の政治的課題(後編)

    4)参議院を廃止、一院制にせよ今の日本では、参議院は全く無駄なものであり、ただちに廃止した方が良い。要するに、国政に混乱をもたらすか、衆議院のカーボンコピーになるかのどちらかである。一院制が良いのか二院制が良いのかは、それぞれの国によって違うところだが、連邦制の国とか貴族制度が残っている国はほぼ二院制である。しかし、単一国家の場合は圧倒的に一院制が多く、ここ数十年の間に二院制を廃止して一院制に移った国もいくつかある(デンマークやスウェーデンなど)。戦後、貴族院が廃止されて参議院が発足した当時は、参議院に対してそれなりの役割や存在意義が期待されていた。「衆議院は政党で選び、参議院は人物で選ぶ」という考えが一般的だったから、参議院には『緑風会』といった無所属議員の会派ができ、是々非々の高い立場から国政に参加し...<復刻>21世紀・日本の政治的課題(後編)

  • <復刻> 21世紀・日本の政治的課題(前編)

    〈以下の記事を復刻します〉<はじめに>この記事は14年ほど前に書いたものですが、今でも考えはほとんど変わっていません。21世紀の「日本のあり方」を追求してきたもので、自分の考えを率直に述べたつもりです。(2022年9月6日)1)総論・憲法改正の必要性憲法改正は必然的に高まっている。憲法はわれわれ国民のものであり、われわれ自身が決めなければならない。現行憲法はもう60年以上も変えられずに続いてきたが、いろいろな面で矛盾、ほころび、不備を露呈してきた。具体的なことは後で述べるが、全体的に見ると早急に改正すべき点がいくつもある。それは「9条」の問題だけではない。時代のニーズに応えなければならないものが数多くあるのだ。9条の改正はむしろ“短期的”なものである。自衛力の保持と自衛権の行使を明文化すれば済むことで、あ...<復刻>21世紀・日本の政治的課題(前編)

  • 昔の会社・今の会社

    <以前書いた記事を復刻します。>「ユニクロはブラック企業か?」という記事を書いたら、ある人から質問をいただいた。昔、私がテレビ局に勤めていたことをご存知らしく、「そのテレビ局もブラックではなかったか」というものだ。考えてみると、昔のテレビ局も忙しかった。多忙であることには今と変わりがない。しかし、何かが違っていたと思う。それは何だったのだろうかと考えてみたが、よく分からない。そこで私なりに、今の会社(企業)と昔の会社の違いを勝手に考えてみた。一番の違いは、「終身雇用制」と「年功序列制」が厳然としてあったかどうかということだろう。今の企業のことはよく知らないが、そういう制度が崩れてきたと聞いている。というのは、去年のいつだったかよく覚えていないが、野田前内閣が「40歳定年制」の導入について、専門家や識者に諮...昔の会社・今の会社

  • 坂本龍馬 “夢とロマン”を放つ男

    <以下の文は2010年10月20日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)8年ほど前、所用があって高知市へ出かけたことがある。私が泊まったホテルは坂本龍馬の生誕地の近くにあったが、たまたま11月15日に「龍馬誕生祭り」が行なわれ、それを見る機会があった。偶然とはいえ、ラッキーだった。坂本龍馬は高知では大変な英雄だが、今や全国的に最も有名な歴史上の人物となっている。なぜ、龍馬はそれ程までに人気があるのか。日本史を少しかじった人なら大体分かっているだろうが、彼が明治維新に果たした役割は絶大なものがある。そして、それ以上に、我々は龍馬の中に、不朽の“夢とロマン”を感じるのではなかろうか。1835年(天保6年)11月15日に土佐に生まれた龍馬は、1867年(慶応3年)の同じ11月15日に、京都で盟友の中...坂本龍馬“夢とロマン”を放つ男

  • ロシア人よ、スターリンたちのお陰ではないか!

    <以下の文は2014年7月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>ヨシフ・スターリン旧ソ連の独裁者・スターリンはいろいろ批判されてきたが、一昨年(2012年)、サハリン・樺太を旅行するうちに、サハリンや千島列島の「ロシア領有」は彼のお陰ではないかと強く思うようになった。いや、事実、ヤルタ秘密協定などで、スターリンとその一派が戦後の極東アジアの領有権体制を確立したのだ。そういう意味で、ロシア人はスターリンに感謝しなければならないだろう。スターリンは残酷な性格で、大粛清に見られるように反対派を容赦なく弾圧、処刑したりした。また、独裁を強化して“個人崇拝”を推し進め、ソ連社会を歪(いびつ)なものにしたのは間違いない。このため死後、スターリン批判が巻き起こり、彼の名声や権威は大きく失墜したのである。しかし、...ロシア人よ、スターリンたちのお陰ではないか!

  • 「角さんは天才、福田は秀才」

    <以下の記事は2013年12月に書いたものですが、そのまま復刻します。>田中角栄元首相福田赳夫元首相田中角栄元首相が亡くなって今月でちょうど20年だそうだが、ふと、昔のことを思い出した。もう40年以上も前だが、当時、私は某テレビ局の政治記者をしていた。そして、福田赳夫氏(元首相)がリーダーである清和会(自民党福田派)を担当していたが、ある晩、福田邸へ取材に行った。たまたまその晩は福田さんと2人きりになって話したが、彼は御手洗辰雄氏の話として、「角さんは天才、福田は秀才」というのを紹介した。御手洗氏というのはその頃有名な政治評論家で、角さんというのはもちろん田中角栄氏(当時の首相)のことである。話のトーンとしては、しょせん秀才は天才に勝てないというものだが、自民党総裁選で田中に負けた福田はやや自嘲気味に、角...「角さんは天才、福田は秀才」

  • 「かなりや祭」・・・初めての取材

    某テレビ局の報道に入って、初めて取材に行ったのが「かなりや祭」だった。これは毎年4月3日に、東京・上野の不忍池(しのばずのいけ)のほとりで開かれるもので、有名な童謡『かなりや』を記念するものだ。今でも開かれているのだろうか・・・私が某テレビ局に入ったのが昭和39年(1964年)だから、とんでもなく古い話だ。古いのは承知で、これも思い出の一つだからお許し願おう。当時は“デンスケ”という重さが10キロ近いゼンマイ式の録音機を担いで、私はカメラマンとともに上野に出向いた。現場に着くともう大勢の人たちが来ていたが、その中には地元の小学生が20人ぐらいいた。やがて祭りの式典が始まると、歌碑の前で『かなりや』の作詞者・西條八十(さいじょうやそ)さんが挨拶を述べた。何を話したかよく覚えていないが、たぶん、この童謡の由来...「かなりや祭」・・・初めての取材

  • 政治家とは何か

    <だいぶ前の記事ですが復刻します。>政治家とは「何をするか」「何をしたか」で評価が決まるものだ。何もしない、何もできない政治家なんて無用の長物であり、ただ歳費を食っているだけだ。政治家にはまず「能力」が求められる。何かをする場合、当然能力が問われるのだ。もちろん、悪いことをしてはならないが、違法か適法かは「法律」によって決まることだ。例えば、田中角栄という非常に能力のある政治家がいた。彼は日中国交回復という大事業を成し遂げたが、ロッキード事件で逮捕され有罪判決を受けた。有能ではあったが有罪になったのだ。しかし、田中角栄の日中国交回復という大事業は、日本の政治史に永久に残るものだ。一方、品行方正で清廉潔白、クリーンな人でも、ほとんど何もしなかった、何もできなかった政治家は無数にいる。これらの人は政治生活を安...政治家とは何か

  • 『ブーベの恋人』

    1963年のイタリア・フランスの合作映画。第2次大戦直後の混乱したイタリアで、ブーベ(ジョージ・チャキリス)という青年がマーラ(クラウディア・カルディナーレ)という若い女性に恋をし婚約する。しかし、ブーベはパルチザン活動が原因で、仲間を殺害した警察署長らを殺して国外に逃亡した。やがて彼は逮捕されイタリアに移送され、裁判の結果、懲役14年の刑に服することになった。マーラは覚悟を決めて、ブーベが釈放されるのを待ち続ける・・・以上が大まかなストーリーだが、クラウディア・カルディナーレの悲しげな女の魅力が評判になった。彼女は当時の人気女優マリリン・モンロー(MM)やブリジット・バルドー(BB)と並んで、ⅭⅭの愛称で呼ばれ、セクシー女優のシンボルになったのである。「ブーベの恋人、LaragazzadiBube」サウ...『ブーベの恋人』

  • カネ、カネ、カネの中国社会

    <2011年11月3日に書いた以下の記事を復刻します。>はじめに・・・中国寄りとも言われる朝日新聞が、一昨年10月30日に、中国社会を厳しく分析する記事を載せていたことを思い出した。非常に参考になったので、当時の私の記事を以下に復刻したい。要するに、中国は“金まみれ”の社会なのだ。首都・北京の金融街『4日前の朝日新聞(10月30日付)に、中国社会について興味深い記事が載っていたので、ぜひ紹介したいと思う。まだ読んでいない人にとってはきっと参考になるだろう。中国は一言で云えば「金まみれ」の社会である。まず驚いたのが、「教師の職もカネ次第」というタイトルの中身だった。これは中国東北地方に住む30代の高校教師Aの話だが、数年前に教師採用の責任者になった。そして数人の男女を面接したら、ある男性から「絶対採用してほ...カネ、カネ、カネの中国社会

  • 放送事故を起こし「始末書」を書かされた!

    <2008年8月に書いた以下の記事を復刻します。>誰だって「始末書」なんか書きたくない。事故を起こした場合、その当事者が事故の経緯を上司に報告する文書だからだ。しかし、私にはその嫌な経験が1回だけある。実に不名誉なことだ。私の場合は、いつものようにテレビ放送に関するものだが、もう20年近く前になるだろうか、昼ニュースのデスクを担当していた時に不祥事が起きた。ニュースというものはしばしば“追い込み”で入ってくるのだが、放送時間の5分ほど前に原稿を仕上げておけば全く問題はない。後はアナウンサーに原稿を渡して放送するだけなのだ。ある日のこと、ニュースが追い込みになった。現場からの原稿が2~3本だったか遅れて入ってきた。しかし、そんなことはよくあることで、手際良く原稿をチェックして放送時間(オンエアタイム)までに...放送事故を起こし「始末書」を書かされた!

  • フジテレビ・産経新聞記者の“受難”

    <以下の記事を一部修正して復刻します。>最近、古い日記を読んでいたら、昔の「フジサンケイグループ」というのは、日本の左翼はもとより、中国や北朝鮮など共産圏諸国から徹底的に嫌われていたのを思い出した。それは当時、フジサンケイグループを取り仕切っていた鹿内信隆(しかない・のぶたか)氏が、日経連出身の根っからの“反共主義者”だったからだろう。例えば、中国と台湾の位置付けについても「台湾一辺倒」だったから、中国側から猛烈に反感を持たれていた。そこで嫌な思い出として残っているのは(45年以上前になるが)、フジテレビの私が野党クラブの記者をしていた頃、野党議員らが中国や北朝鮮を訪問するのに同行取材しようとすると、フジテレビと産経新聞の記者だけは必ず拒否された。つまり、中国や北朝鮮から入国は「絶対ノー」と言われるのだ。...フジテレビ・産経新聞記者の“受難”

  • <復刻> 現代の英雄か・・・小出裕章さん

    <以下の記事は2011年6月30日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>3月11日の東日本大震災、そして福島原発事故と恐るべき災害が日本に起きたが、今月上旬、旅行で国交のない北朝鮮を訪れた際も色々な人から質問を受けた。この2つの出来事は、正に世界的なニュースになっているのである。さて、原発事故から数日後のことだったろうか、私がある方のブログにお邪魔したら小出裕章(こいでひろあき)さんという人の記事が載っていた。もちろん初めて知る名であり、小出さんが原子力学者だということが分かった。私は文系なので、原子力のことはほとんど勉強したことがない。これまで時々、原子力発電所が事故を起こしたりすると、にわか勉強で原発のことを知るだけだった。原発にはまず“無関心”であり、事故が起きてもいつの間にか忘れる感じだっ...<復刻>現代の英雄か・・・小出裕章さん

  • 昔のフジテレビ(4・最終回)

    13)個人的な話になるが、その頃の私は報道の職場が嫌になっていた。入社以来28年もいると飽きも出てくる。N報道局長ともあまり上手くいかないし、50歳になると体力も衰える。前にも言ったが、組合出身の同期生らが非組合系の私よりどんどん上役に就く。不満が溜まっていた。ある日、同期のM君(組合出身)が私に「部長になる気はないか」と言ってきた。たぶん、N局長の意向を受けて話してくれたのだろうが、私は「いや、もう報道を離れたい」と答えた。それから間もなくして、私はN局長と人事局長に対し配置転換を強く求めた。“報道人間”を止めて“会社人間”になろう、一介のサラリーマンになろうと思ったのだ。さて会社の上層部では、鹿内宏明議長と日枝社長との対立がますます抜き差しならないものになった。相手を公然と批判、非難している話がわれわ...昔のフジテレビ(4・最終回)

  • 昔のフジテレビ(3)

    10)前にも話したが、私がお世話になった石川報道局長は「電波の私物化」に反対し、鹿内信隆会長と対立、その挙句に左遷され社外に飛ばされた。電波とは国家・国民のもの、公けのものである。それを私物化するのは何事だと反対するのは分かるが、皮肉なことに、息子の春雄氏がFテレビの実権を握ると、視聴率は3冠王になるし営業成績も民放トップに躍り出た。こうなると“勝てば官軍”である。私は石川さんのFテレビ復帰を秘かに願っていたが、それはますます絶望的になった。春雄氏の経営方針で、労働組合出身でも優秀な人材は次々に登用されたので、報道局にもそれらの人が復帰してきた。石川さんが陣頭指揮した組合潰しは終わったのである。そうなると、組合出身の同期生らが私よりも上の役職に就く。これには面白くなかったが、時勢が変わったのだから仕方がな...昔のフジテレビ(3)

  • 中産階級の復興を図ろう

    〈2007年2月に書いた以下の記事を復刻します。〉1)21世紀に入って、日本は「格差社会」が進行したと言われる。いろいろの統計からそう言われるのだろうが、生活実感からも格差が進んでいると思ってしまう。一方で金持ちが高級車やブランド品、ぜいたく品を買いあさり、他方で庶民は安売りスーパーや100円ショップに群がっている。どんな時代にも、どんな社会にも“格差”は存在する。格差自体は当然のことかもしれない。しかし、戦後の日本は最も格差の少ない社会だと言われてきた。それはどういうことか。私なりに考えれば、それは膨大な数の「中産階級」(あるいは「中流家庭」)が存在していたからだと思う。「中産階級」とは中間層とか、マルクス主義用語では別名“プチ・ブルジョア”と呼ばれるような階層で、社会の中間的位置にあるものと一般に理解...中産階級の復興を図ろう

  • JASRACよ、歌詞の引用・紹介がなぜ悪いのか!?

    <以下の記事を復刻します。>JASRAC・日本音楽著作権協会の本部(東京都渋谷区)「音楽著作権」によれば、歌詞の引用は原則的に禁じられているという。私も以前のヤフーブログに、良かれと思って大いに歌詞を引用し紹介したのだが、それらが著作権を侵害したとのことでブログが全面削除された。しかし、これははなはだ疑問である。著作権法第32条にも「引用利用権」が明記されている。歌詞を引用・紹介して音楽を大いに称賛したというのに、それがどのような“実害”を与えたのだろうか。CDの売り上げが減ったとでも言うのだろうか。そんな事はあり得ないだろう。むしろ、素晴らしい歌詞を紹介することによって、読者から歓迎されたと思う。そして、その音楽への関心や共感を高め、良い方向へ進んだものと信じている。音楽著作権の事でブログが全面削除され...JASRACよ、歌詞の引用・紹介がなぜ悪いのか!?

  • 『風と共に去りぬ(タラのテーマ)』

    歴代の興行収入で“ナンバーワン”と言われるアメリカ映画の超大作。作られたのが1939年(昭和14年)だというのに、その壮大で迫力のある内容には驚くばかりである。子供のころ、この映画を観た時「これじゃ、日本はアメリカに(戦争で)負けるわけだ」と思ったものだ。また、長編カラー映画のパイオニアとしても知られている。アメリカの南北戦争を背景にしたその内容はあまりにも有名なので省略するが、主役のヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルの個性豊かな演技は強く印象に残っている。なお、タラとはジョージア州の架空の農園のことだが、そのテーマ音楽も忘れられない。「風と共に去りぬタラのテーマGonewiththeWindTara'sTheme」マックス・スタイナー、MaxSteiner『風と共に去りぬ(タラのテーマ)』

  • 昔のフジテレビ(2)

    5)昨年亡くなった元Fテレビの名プロデューサー・横沢彪(たけし)さんも、組合活動が災いして全く違うセクション(関連会社)に飛ばされた。彼は何年かそこで“冷や飯”を食わされていたわけだ。組合員への露骨な人事異動が続いたが、それで職場環境が良くなるわけがない。Fテレビはだんだん落ち込んでいった。鹿内信隆社長の経営方針が徹底され、組合対策があったのかどうか知らないが、制作部門が本社から切り離され幾つものプロダクション・子会社が誕生した。これは「競争原理」を導入したのだが、制作現場を全く無視した経営第一主義の誤りだったと思う。だって、プロデューサーが子会社の「社長」になれば、ドラマなどの内容よりも収益をいかに上げるかの方が優先されるのだ。早い話が制作費を出来るだけ抑え、利益を増やそうということになる。そうなれば、...昔のフジテレビ(2)

  • 昔のフジテレビ(1)

    <はじめに>以前、「Yahoo!」のマイブログに書いた連載記事だが、ブログを“全面削除”されたため幾つかの記事が消失してしまった。しかし、その後、親切な方々のご支援により、全面的に復元することができた。この場を借りて、感謝の意を捧げたい。復刻に当たっては、一部記事を修正・補筆している。(2012年4月9日)フジテレビの旧本社ビル(東京・新宿区の河田町)1)ふと、昔いたテレビ局の思い出話を書きたくなった。年を取ったからだろうか。だからと言って、○×テレビと名前を出すのはどうも照れくさい。どうせ自分の身元はばれているのだが、やや「エッセイ」風に書くのが良いようだ。その方が自然に、客観的に書けそうだ。つまらない話だが、若い頃を振り返るのも悪くないだろう。これから折々に書いていくつもりだ。まず労働組合騒動から話し...昔のフジテレビ(1)

  • 20歳で夭折した“天才”エヴァリスト・ガロア

    <2010年10月に書いた以下の記事を復刻します。>最近、ある事でフランスの数学者エヴァリスト・ガロア(1811年~1832年)を思い出した。ガロアと言っても、数学の関係者はよく知っているはずだが、一般の文系の人はあまり知らないだろう。しかし、数学が大の苦手の私だが、ガロアの名前だけはよく覚えている。ガロアを知った切っ掛けは、もう50年以上も昔だが、理系の友人から「これを読んでみたまえ」と言われ、『神々の愛(め)でし人』と題する本を借りたからだ。中身はガロアだけでなく、何人もの夭折した天才たちの物語だったと記憶するが、後で調べたら、この本はポーランドの代表的な物理学者であるレオポルト・インフェルトが書いたものだと知った。(インフェルトはあのアインシュタインの弟子でもある。)さて“神々の愛でし人”という意味...20歳で夭折した“天才”エヴァリスト・ガロア

  • 「もんじゅ」・史上最悪の無駄だった!

    <2011年11月25日に書いた以下の記事を復刻します>「もんじゅ」世の中には色々な無駄があるが、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」ほど無駄なものはないだろう。「もんじゅ」についてはさんざん議論されてきたが、先の行政刷新会議の政策仕分けでも、抜本的見直しの提言が行なわれた。ここで、結論から先に言うと、直ちに廃炉にすべきである。もう皆さんご存知のはずだが、「もんじゅ」はこれまでに1兆円以上の金を使ってきたのに、事故ばかり起こしてほとんど稼動していないのだ。しかも、完成するのにあと40年もかかるという。一体、どれだけ金がかかるのか・・・これを聞いただけでも、何をやってるんだと思ってしまうが、国が原子力政策を推進してきたからまだ存続している。ところが稼動してから17年間、1キロワットも発電していないのだ!...「もんじゅ」・史上最悪の無駄だった!

  • 『禁じられた遊び(愛のロマンス)』

    ギターを習う人はよくこの曲から始めるというが、1952年のフランス映画『禁じられた遊び』の挿入曲が『愛のロマンス』だ。映画は第2次世界大戦中にドイツ軍の爆撃で、両親を亡くした5歳のフランス人少女・ポーレットの物語である。詳細は省くが、全編に“戦災孤児”の悲しい運命が語られている。そして、所々にこの『愛のロマンス』が奏でられているのだ。ポーレットは結局、孤児院へと連れられていく。禁じられた遊び(1952)Jeuxinterdits『禁じられた遊び(愛のロマンス)』

  • <まとめ> 文化大革命

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。毛沢東http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/3ec5a00ef55f07eb52405332dae0aea1http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/ea2a083bc5bf3c058c54e0a04ec28611http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/41508a12dc1e6890f7a911808c9647e8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/a479f167622453db118bf6a2d8b1e067http://blog.goo.ne.jp/yajimatakeh...<まとめ>文化大革命

  • 文化大革命(17)

    第十三場(同じく9月11日の夕刻。上海市革命委員会の一室。毛沢東と王洪文)毛沢東「やれやれ、君には随分世話になったな。万事、手際良くやってくれたので、わしの遊説も実に順調にこなせた。明日はここで、最後の大演説をぶってやるぞ。君は、張春橋や姚文元らとは仲良くやっているのかね」王洪文「はい、張春橋同志らとは、いつも心を一にして仕事をしてきました」毛沢東「そうか、上海の連中は若くて頭のいいのが揃っているな。頼もしいぞ。いずれ、君達が中国を支えていくことになる、頑張れよ」王洪文「はい、有難うございます。主席から、そのような御言葉を頂いて光栄です」毛沢東「なに、わしも先はそう長くない。君達のような若い人に、これから頑張ってもらわないとな。ところで、明日の演説会には相当集まるだろうな」王洪文「はい、何万という聴衆が集...文化大革命(17)

  • 脳のMRI検査

    〈以下の詩は2008年5月29日に書いたものです。〉「30分ぐらいで終わります顔を動かさないでください」担当の医師がそう言った検査台にあお向けになった俺は額と顎にしっかりとベルトをかけられる「工事現場のような音がしますよでは始めましょう」やがてガガガガガガ~ギギギギギギ~ブルンブルンブルンゴンゴンゴンゴン・・・こりゃまったく道路工事現場の音だ電波でも磁気でも俺の頭に入ってくるのかどうでもいいが早く終わってくれガガガガガガ~ゴンゴンゴンゴンゴン・・・騒音になれたのか少し眠くなった電磁波でもなんでもいいから俺の頭を良くしてくれ老化した脳に不思議な力を与えてくれ脳髄を刺激してすばらしい知性を与えてくれ脳漿を揺さぶってみずみずしい感性を回復してくれ検査の間じゅう俺は勝手な空想をしていた脳に異変があろうがなかろうが...脳のMRI検査

  • 吉永小百合讃歌

    <以下の記事を復刻します。>私が最も好きな女優は吉永小百合である。われわれの年代(70歳~80歳代ぐらいか)では吉永小百合ファンが多いが、これを一般に『サユリスト』と言う。私はファンクラブに入ったことはないが、熱烈な『サユリスト』だと自負している。何故か?この名前を聞くだけで心が温まり、吉永小百合の名前を書いたり、こうして打ち込んでいるだけで気持が晴れやかになるからだ。つまり、吉永小百合は私(われわれ)の太陽であり、天女であり、女神であり、崇敬と憧れの的なのである。どうしてそうなるかと言うと、われわれが20代の若い頃、吉永小百合は銀幕(スクリーン)とテレビに彗星のごとく颯爽と現われてきたからだ。映画「キューポラのある街」や、歌謡曲「寒い朝」「いつでも夢を」などで彼女は一躍“スター”になった。しかも、清純で...吉永小百合讃歌

  • 『国際学連の歌』

    1960年(昭和35年)の日米安保反対闘争時に、『インターナショナル』とともによく歌われたのが『国際学連の歌』だった。日本の全学連は前年の1959年に国際学生連盟に加入したばかりだったから、より意識して学生にこの曲を歌わせたのだろうか。集会やデモ行進の時にこれを歌うと、自分らが“正義”を代表していると強く思ったものだ。今でもこの曲を聴くと闘志が湧いてくる感じだ。国際学連の歌『国際学連の歌』

  • 〈小説〉 『ある同窓会』

    〈故・鳥飼浩二君と村瀬良臣君の2人の思い出に・・・〉村上行雄が仕事から帰宅すると、妻の日向子(ひなこ)が1通の封書を渡して言った。「これが来ていたわよ」彼がそれを受けて裏を見ると、差出人は徳田誠一郎になっていた。なつかしいな~、彼は元気にやっているんだなと思った。封書を開けると、大学時代の同窓会の案内である。「20年ぶりかな、いやそれ以上だよ。大学の同窓会の案内だ」行雄が独り言のように言うのを日向子は黙って聞いている。案内状には10月某日、東京・六本木のフランス料理店で同窓会を開くと書いてあった。幹事は徳田と、同じくクラスメートだった鳥山慎吉の2人だ。行雄はもちろん出席しようと思った。同時に、なつかしい2人と事前に会えないものかと考えた。本来なら、クラス委員だった行雄も幹事に加わって当然である。そう思いな...〈小説〉『ある同窓会』

  • 永遠の大女優・原節子

    <2012年3月9日に書いた以下の記事を復刻します>先日、DVDを借りてきて見たが、戦前(1939年・昭和14年)の映画『上海陸戦隊』というもので、若い頃の原節子が出ているというからレンタルしてきた。ところが、見てがっかり!原節子がシナ(今の中国)の少女を演じていて、端役だからほとんど出てこないのだ。DVDのケースの表紙に騙された感じだ。(表紙には原節子の名前や写真が載っていた。)役柄も日本に激しい敵意を持っている“汚らしい少女”で、やたらに唾を吐いたりする。見ていて嫌になった。完全に“汚れ役”なのだ。原節子はその頃(19歳)、すでに新進女優として売り出していたのに、どうしてこんな役をするのかと疑問に思った。そこで、調べたら何となく分かった。彼女の義兄(次姉の夫)である熊谷久虎監督が、この映画のメガフォン...永遠の大女優・原節子

  • ヤフーの“暴虐行為”を断固として糾弾する!

    〈2012年3月に書いた以下の記事を復刻します。〉私はいまgooのブログを使っているが、実は2月23日にヤフー(Yahoo!)のマイブログを「全面削除」されたのでこちらに移ってきたのである。ヤフーのブログを全面削除されたのは、私の記事が音楽著作権を侵害したという理由からだ。この件について、Yahoo!ブログカスタマーサービスより以下のようなメールが届いた。参考になると思うので、紹介しておきたい。「Yahoo!ブログカスタマーサービス竹光です。お問い合わせの「『マイブログ』のページが表示されない」件について、ご案内いたします。お客様のブログにつきまして、以下のとおり通知を受け、弊社でコミュニティーサービスガイドラインに照らし確認を行い、削除措置を行いました。[通知者]一般社団法人日本音楽著作権協会調査部部長...ヤフーの“暴虐行為”を断固として糾弾する!

  • ゲーテ・永遠の人

    <2002年5月に書いた文を一部修正して復刻します。>1)ドイツの文豪・ゲーテという人をどう理解したらいいのだろうか。我々人間が感じること、考えること、想像することの全てをこの人は把握しているようだ。それだけではなく、我々が感じ、考え、想像することの全てを越えるものを、この人は体験しているようだ。その精神の広さと深さにおいて、この人の右に出る者はいないのではないか。例えば、最も崇高なものも、最も醜悪なものもこの人は理解でき、そして体得して実行することができるだろう。つまり、人間が持っているものを全て保有しているということだ。ナポレオンがゲーテに会った時、「あなたは人間だ」と言ったことは十分に分かるような気がする。この汲めども尽きない人から、我々は何事でも学び、教えられることができるだろう。そういう意味で、...ゲーテ・永遠の人

  • 『いとしのクレメンタイン(映画・荒野の決闘)』

    日本では『雪山讃歌』として有名だが、この曲は映画『荒野の決闘』のテーマ・ミュージックである。映画は1946年に公開され、OK牧場の決闘をテーマに保安官ワイアット・アープ(俳優はヘンリー・フォンダ)らが登場し、当時の西部劇では最も評判になった作品だ。この中で、元外科医ドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)の許嫁者クレメンタインに扮したキャシー・ダウンズは、清楚で気品のある美しさで有名になった。まさに“クレメンタイン”という感じである。映画の最後に、ワイアット・アープが「あなたの名前が好きです」と言って、クレメンタインと別れるシーンが印象に残る。荒野の決闘いとしのクレメンタインMyDarlingClementine『いとしのクレメンタイン(映画・荒野の決闘)』

  • 文化大革命(16)

    第九場(8月上旬。北京・中南海にある毛沢東の居宅。毛沢東、江青、張春橋)江青「どうしても行くというのですか」毛沢東「ああ、行かねばならない」江青「本当に危険ですよ。林彪一味は何をするか、分かったものではありません。あなたにもし万一のことがあったら、私はどうなるのでしょうか」毛沢東「ハッハッハッハッハ、お前も年を取ったな。取越し苦労をするな。わしはこれまで、どんな危険もどんな苦労も乗り越えてきたのだ。天はいつも最後には、わしに味方してくれた。今度だって、必ずわしが勝つことになっているのだ。しかも、わしは党主席だぞ。わしが敗れるようなことがあるもんか」江青「それは分かっています。あなたが敗れるようなことはありません。でも、私が心配しているのは、林彪一味が何かとんでもないことを、例えばあなたの暗殺などを、考えて...文化大革命(16)

  • 山上徹也被告と赤穂浪士(義士)の共通性について

    <2022年8月13日に書いた記事を“原文のまま”復刻します。>1)一国の元総理大臣が公衆の面前で暴漢に射殺されるというのは、尋常なことではない。ご存知のように、安部晋三元総理大臣が7月8日、参議院選挙の応援演説に行った奈良市内で、山上徹也という男に手製の銃で撃たれて死亡した。この事件は日本中を驚かせた。戦前ならいざ知らず、戦後の平和な日本でこのような“テロ事件”が起きるとは、ほとんどの人が予測しなかっただろう。もちろん、私も驚いた。しかし、その後の山上容疑者の取り調べで、彼が旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)と縁の深かった安部元首相を狙ったことが分かってきた。この辺の事実関係については連日、マスメディアが盛んに伝えてきたので大方の人は分かっているだろう。だから、詳しいことは省略し、私なりに事件...山上徹也被告と赤穂浪士(義士)の共通性について

  • 赤穂浪士の討ち入りは“テロ”ではないか

    <以下の記事を復刻します。>赤穂浪士の姿日本人に最も親しまれている物語に『忠臣蔵』がある。ごぞんじ赤穂浪士47人の討ち入りを描いたもので、あまりにも有名だから説明する必要もないだろう。それほど赤穂浪士の討ち入りは、300年以上にわたって日本人の心を揺さぶってきた。俗に“元禄赤穂事件”と呼ばれるこの討ち入りは、今で言うと正に“テロ行為”だと私は思う。テロとは一般に政治的暴力行為を意味するが、ここで討ち入りの性格を詳しく分析するつもりはない。ただ、この事件が江戸幕府の「裁き」に起因して起きたものだから、政治的意味合いが強いと考えているのだ。つまり、江戸城で起きた浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷沙汰は殿中抜刀の罪に当たるとして、彼は即日切腹を申し渡されたのである。一方、斬られた吉良上野介(こうずけのすけ)に対し...赤穂浪士の討ち入りは“テロ”ではないか

  • 文化大革命(15)

    第五幕(4月下旬。北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、周恩来、康生、江青、張春橋)毛沢東「林彪のやつ、泡(あわ)を食って北京に戻ってきたが、その後の動きはどうかね」康生「相変らず、自宅に黄永勝達を呼んでは対策を練っているようです」江青「林彪一派が、私達の住まいに爆弾を仕掛けるという情報もありますよ。気を付けなければなりませんわ」毛沢東「それはデマだろう。しかし、追い詰められたネズミは何をするか分からんからな」張春橋「主席、用心するのに越したことはありません。林彪一派は、本気で主席や総理の命を狙っているかもしれません。あいつらは、陳伯達が自殺未遂に追い込まれ、黄永勝達が名指しで非難されたことに強い衝撃を受けています。危機感と焦りから、何をするか分かりません」毛沢東「うむ、気を付けなくてはな。こちらとし...文化大革命(15)

  • 日本は“役人天国”だ 「公僕」という言葉は消えたのか?

    〈以下の記事を復刻します。〉☆もう10年以上前に書いた記事だが、内容を一部修正して復刻したい。官僚や公務員のあり方が問われているのに、10年前とほとんど変わっていない。いや、むしろ「役人天国」が進んでいるのではないか!?公務員制度改革などに真剣に取り組んで欲しい。このままでは、日本は“公僕”によって滅びるのではないか。(2012年3月12日)1)国家とは領土(国土)、国民、主権の3つの要素から成り立っている。これは、国家の定義ということだが、3つの要素があっただけでは、国家は機能しない。国家機能はいろいろな組織によって運営されているが、その組織は公務員らによって成り立っている。公務員の給与や組織の運営費は、国民の税金によって賄われている。ということは、国家とは税金で成り立っているのだ。国民は、税金を国家や...日本は“役人天国”だ「公僕」という言葉は消えたのか?

  • 源氏と平家、好き嫌いが逆になった

    <以下の文を復刻します。>源氏と平家・・・日本人には最も馴染みの深い武家の名字である。私たちは子供の頃から「平家物語」や「源平盛衰記」などに慣れ親しんできた。源義経(幼名・牛若丸)の活躍や平敦盛の悲話など、数多くの物語に共感して育ってきたのである。子供の頃はだいたい、源氏が好きになるものだ。私も源氏が大好きだった。武士らしく勇ましい“坂東武者”が、平家の軍勢を次々に打ち破っていく姿に心をときめかせた。特に一谷(いちのたに)、屋島、壇ノ浦と続く源平最後の決戦は、義経の天才的な采配を軸に見事な軍記物語になっている。平家一門が入水する安徳天皇を奉じて滅亡する姿はなんとも哀れで、「驕れる人も久しからず・・・たけき者もついには滅びぬ」の言葉が胸に響いてくるのだ。平清盛を中心に権勢を振るった平家はこうして滅んだのだが...源氏と平家、好き嫌いが逆になった

  • 『ケ・セラ・セラ』

    『ケ・セラ・セラ』は1956年のアメリカ映画『知りすぎていた男』の挿入歌で、ドリス・デイがこれを歌い、一躍世界的に有名になった。ケ・セラ・セラは、スペイン語を変形させた「なるようになるさ」という意味で、ドリス・デイが歌ったあと、いたる所で使われるようになった。私もこの言葉が大好きで今でもよく使っている。この言葉には「世の中も人生も、全てはなるようになってきたし、これからもなるようにしかならない」という必然論、運命論、決定論的な意味が込められていると思う。私の思想、哲学と同じなのだ。kyudoukagoshimaケ・セラ・セラ訳詞付)ドリス・デイ-YouTube2『ケ・セラ・セラ』

  • 文化大革命(14)

    第五幕林彪死す第一場(1971年1月上旬。北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、康生、江青、張春橋)江青「新年を迎えて、今年こそは陳伯達と、林彪グループを放逐する時が来たようですわね」毛沢東「まず、陳伯達を抹殺してやる。その後に、陳伯達批判を利用して、それに余り乗り気でない林彪一派を追い詰めていく。黄永勝や呉法憲達の権限を奪い取っていけば、林彪自身も手足をもぎ取られたように、身動きができなくなるだろう」張春橋「じわじわと、林彪を追い込んでいくわけですね」毛沢東「そうだ、真綿(まわた)で首を絞めるようにな。そうすれば、林彪だって何もできなくなるはずだ」康生「ただ心配なのは、林彪が苦し紛れに、とんでもない事を仕出かすこともありえますね」毛沢東「それはないだろう。林彪は唯一の副主席であり、私の“後継者”とい...文化大革命(14)

  • 文化大革命(13)

    第五場(12月下旬。北京・中南海にある林彪の居宅。林彪、葉群、黄永勝、呉法憲、林立果)黄永勝「いや、ひどい目にあったものだ。衆人環視の中で、私や葉群同志ら五人の陳伯達批判が足りないと、名指しで追及されたんだからな」呉法憲「毛主席が、林彪副主席も陳伯達批判に同意しているのだ、君達もやらなくちゃいかんと凄い目付きで迫ってくるので、やることにしますと答えてしまった。それにしても、あれはわれわれ五人を吊るし上げるようなやり方だな」葉群「大勢の幹部がいる中で、恥をかきましたわ。まるで、われわれだけが党中央の方針に従ってこなかったような言い方をするんですからね」林立果「解放軍を目の敵(かたき)にしている連中が、最近、結束してわれわれに圧力をかけてきたのではないでしょうか」林彪「いや、そんなことは考えられない。ただ、わ...文化大革命(13)

  • ムダ・ムリ・ムラを恐れるな

    死んだ親父から教わったものはほとんどないが、二つ三つ格言みたいなものはある。その一つに「無駄、無理、斑(むら)を無くせ」というものがあった。つまり、父は自分の人生からその“格言”を私に残したかったのだろう。この言葉は他でも聞いたことがあるが、ほとんど興味が持てなかった。なぜなら、私の人生はムダ・ムリ・ムラの連続だったと思うからだ。したがって、私は父の教えに背いたことになるが、少しも後悔していない。そうならざるを得なかったからだ。38年もサラリーマン生活を続けたということは、ムダ・ムリ・ムラが比較的少なかったと思われるだろう。しかし、現実には相当に無駄なことをしてきた。無駄な金や労力を使ってきた。買わなくても良いものもずいぶん買ったし、徒労に終わった努力もずいぶんしてきた。また、必要以上に無理を重ねたことも...ムダ・ムリ・ムラを恐れるな

  • 『戦場にかける橋(クワイ河マーチ)』

    1957年のイギリス・アメリカの合作映画で、そのテーマ音楽である「クワイ河マーチ」は行進曲として有名だ。映画は第2次世界大戦中の1943年、日本軍がタイとビルマ(現在はミャンマー)の国境に鉄道を敷設しようとして、イギリス軍の捕虜を動員した話を元にしている。この橋は結局、脱走兵らによって爆破されるが、その経緯が映画の根幹になっているのだ。日本軍の大佐に扮した早川雪洲をはじめ、ウィリアム・ホールデンやアレック・ギネスといった名優が出演し、「クワイ河マーチ」と共に映画を盛り上げている。監督はイギリスのデヴィッド・リーン。クワイ河マーチ(ミッチ・ミラー楽団)『戦場にかける橋(クワイ河マーチ)』

  • 文化大革命(11)

    第十二場(1967年1月6日。北京・中南海にある劉少奇の家。劉少奇と王光美)王光美「あなた、清華大学の『井崗山報』に載った、濤の文章のことを聞きましたか」劉少奇「いや、まだ聞いていない」王光美「ああ、あなたがその文章のことを聞いたら、絶望のあまり気を失うかもしれませんわ。一体、あの子はなんて子なんでしょう。これまで、私達に大切に育てられてきたというのに、あの子はあなたや私のことを、有ること無いこと出たら目なことばかり書いて、中傷の限りを尽くしているのです」劉少奇「そんな酷いことを書いているのか」王光美「いくら周りが紅衛兵だらけといっても、親を誹謗しつくすなんて、あんまりですわ。私はもう、目の前が暗んで何も手に付きません」劉少奇「濤はなんと言っているのだ」王光美「あなたのことを、破廉恥きわまりない汚職人間だ...文化大革命(11)

  • 『終身刑』の導入を考えよう

    <2011年10月13日に書いた以下の記事を復刻します。>死刑制度が良いか悪いかは別にして、日本には「終身刑」制度がないことはご存知だろう。私は以前にも書いたことがあるが、死刑制度の存廃がどうなろうとも、終身刑が導入されれば量刑判断の幅が広がり、一般の“裁判員”もやり易くなると思っている。「裁判員制度」には色々な問題があるが、それはさておき、裁判員は『量刑』についても考えなければならない。それが大変だと思う。懲役○×年というのは良いとしても、殺人など凶悪犯罪の場合は死刑か、無期懲役かの判断をしなければならない。これが厄介だ。「無期懲役刑」には仮釈放がある。凶悪な殺人犯を仮釈放して良いのかと思っても、さりとて、死刑に処するには抵抗を感じたりすることもあるだろう。こういう場合に「終身刑」制度があると、そこに落...『終身刑』の導入を考えよう

  • 断捨離だ! ゴミ出しはジジイの仕事

    <2018年2月に書いた以下の記事を復刻します。ゴミ出しジジイの戯言なので大目に見てください。>昨年9月に妻が入院・手術をしたために、一時、すべての家事や雑務をせざるを得なくなった。といっても、夫婦2人暮らしだから大した仕事量ではない。しかし、ふだん一切の家事を妻に任せていた亭主関白(?)の自分にはショックだった。具体的には食事、洗濯、ゴミ出しが主な仕事だ。このうち、食事と洗濯は大したことではなかった。食事は、料理とまったく無縁な自分はスーパーやコンビニで弁当や総菜を買うしかなかったが、店に通ううちにそれらを買うのがかえって楽しくなった。スーパーなどには様々な弁当や総菜があり、物色するのが楽しくなったのである。本当に便利だった。また洗濯も、全自動の洗濯機に下着などを入れてしまえばすべてOKである。あとは干...断捨離だ!ゴミ出しはジジイの仕事

  • 駿府城公園をゆく

    <2016年11月に書いた以下の記事を復刻します>小学生のころ2年近くだったが、静岡市に住んでいたことがある。父親の転勤によるものだが、そのころはよく駿府城公園へ遊びに行ったものだ。私は相当な“悪ガキ”で棒切れなどを持ち、仲間と一緒に公園の中をよく徘徊した。今度、久しぶりに駿府城跡地へ行ったので、懐かしくて写真を何枚か撮った。思い出にそれらを載せておきたい。(2016年11月24日)駿府城公園をゆく

  • 静岡の懐かしい日々

    <2016年11月に書いた以下の記事を復刻します>小学生のころ住んでいた静岡市・西千代田町へ行った。景色はずいぶん変わったが、変わらないのが家の前を流れる小川だ。澄んだ水は昔のまま流れている。60数年の歳月が流れたのに、小川の流れは変わらない。ここから歩いて10分あまり、いつも通った横内小学校がある。懐かしい。ちょうど小学生たちが列をつくって通った。急いでカメラに収めたが、われわれも昔はこんな感じだったのか。歩いて登呂遺跡まで往復したことを思い出した。静岡の懐かしい日々

  • 文化大革命(10)

    第九場(12月上旬。北京・中南海にある中央文革小組の本部。陳伯達、江青、張春橋、王力)江青「紅衛兵のお陰で、彭真も陸定一も、羅瑞卿も楊尚昆も次々と逮捕されました。気の弱い羅瑞卿などは、飛び下り自殺を図りましたが、失敗して脚の骨を折るという不様な格好で逮捕されましたよ。人民解放軍の元総参謀長にしては、惨めな末路としか言いようがありませんわね」王力「まったく哀れな奴らだ。紅衛兵の襲撃に遭うと、あいつらは猫に襲われたネズミのように、悲鳴を上げて叩きのめされるだけだからな」張春橋「近いうちに、連中を公開の場で闘争しなければならない。そうしてやれば、連中の政治生命は完全に息の根を止められるわけだ」陳伯達「それはいい考えだ。すぐにでもそうしよう。江青同志、紅衛兵達に“公開闘争”を指示したらどうだ」江青「そうしましょう...文化大革命(10)

  • 文化大革命(9)

    第四場(9月中旬。北京・中南海にある毛沢東の家。毛沢東、陳伯達、江青)陳伯達「主席。紅衛兵運動は今や、北京から全国のほとんどの主な都市に、燎原の火のように勢い良く広まっています。北京では、これまで実権派に与していた学者や文化人、芸術家らが、紅衛兵によって次々に叩きのめされており、文化大革命は、予想以上の速さで成果を収めつつあります」毛沢東「うむ、それは良いことだ。昨日行なわれた天安門前広場での、紅衛兵との三回目の会見も凄かったな。百万人はいただろうか。まるで大津波が押し寄せるように、後から後から、いつ果てるともなく紅衛兵の大群が連なってきて、わしは気が遠くなりそうだった。こんなにも盛り上がるものかな」江青「学者や文化人だけでなく、紅衛兵は至る所で元大地主どもを懲らしめています。もう二万人近い地主達が逮捕さ...文化大革命(9)

  • 北朝鮮訪問記(後編)

    <復刻>板門店(はんもんてん)はピョンヤンから南へ220キロぐらいの所にあり、韓国と朝鮮の軍事境界線が通っていることで有名だ。分断国家と冷戦の“象徴”のような所だから、ぜひ行ってみたいと思っていた。朝9時ごろ、高麗ホテルを出発。「統一通り」と言って、南へ一直線に伸びる道をワゴン車でひたすら走る。途中に休憩所が1カ所あり、そこでトイレに行ったりコーヒーを飲んだりした。軍事境界線に近づくと検問所がたしか3カ所あり、軍人の検問を受けた。何となく緊張感が高まる。しかし、開城(ケソン)に近づくとのどかな田園地帯が広がり、気分が和らいだ。牛が何頭か草を食んでいる。やがて、右手に開城の「工業団地」が見えてきた。ここは韓国と朝鮮が経済協力をしている所で、今のところ順調に協力が進んでいるらしい。板門店に到着すると、すでに大...北朝鮮訪問記(後編)

  • 北朝鮮訪問記(前編)

    <復刻>以下の記事は、2011年6月に北朝鮮を訪問した時のもので、日時や年齢などは全てその当時のものです。☆6月4日から7日(注・2011年)までの短い期間だったが、北朝鮮(以下、朝鮮と記す)を観光旅行してきた。もちろん初めての朝鮮訪問だが、今年最大の行動目標だっただけに今はホッとした気分である。以下、ざっくばらんに印象を書いていきたいと思う。日本を立ったのは3日朝で、羽田空港から中国の北京へと飛んだ。日本と朝鮮は国交がないので、中国などを経由して行くしかない。余談だが、28年ぶりの北京はまったく様変わりしていて、完全に近代都市に変貌した感がある。3年前にオリンピックを開催しただけあって、高速道路は車の波、波・・・隔世の感があった。オリンピックに備えてオープンした北京第3空港は途方もない広さで、躍進する中...北朝鮮訪問記(前編)

  • 「あれ、あれ、あれ・・・」(年寄りの決まり文句)

    〈以下の文を復刻します〉年を取ると物忘れがひどくなる。特に人の名前や地名などは、一度覚えてもすぐに忘れることが多い。こういう固有名詞ならいざ知らず、最近は普通名詞などもなかなか思い浮かばないことがあるのだ。例えば「アドバイス」とか、自分が手術を受けたのにもかかわらず「前立腺」という単語が出てこなかったりする。まるで“認知症”の初期段階みたいだ(笑)。私がそうだからといって、もちろん後期高齢者の皆さんが同様だとは言わない。しっかりされている方も多いと付け加えておく。さて、昔、私の父の友人にSさんという方がいた。Sさんはよくわが家に遊びに来られたが、父と何かを話している時に、しばしば「あれ、あれ、あれ・・・」と言って言葉を詰まらせる。つまり、話したい単語が思い出せないのだ。子供だった私はおかしくなって、後で母...「あれ、あれ、あれ・・・」(年寄りの決まり文句)

  • 文化大革命(7)

    第十六場(8月8日。北京・中南海にある懐仁堂。第八期中共中央委員会・第十一回全体会議が開かれている。毛沢東、劉少奇、周恩来、登小平、林彪を始めとして、多くの中央委員、同候補らが多数出席。舞台の両側から、北京の大学、高専の『革命的教員と学生の代表』がしばしば、甲高い喚声と激しいヤジを飛ばしている)毛沢東「われわれはもう一週間以上にわたり、議論を尽くしてきた。これ以上、口を酸っぱくして言い争ってみても、議論は平行線をたどるだけだ。もうこの辺で、プロレタリア文化大革命を遂行するかしないか、決めるべきではないか。私としては、文化大革命の遂行を、是非とも党議で正式に決めて欲しいと思う」文革派学生・教員の声「異議なーしっ!毛主席の言われるとおり決めろーっ!」劉少奇「議論は、まだ十分に尽くされていない。もっと多くの委員...文化大革命(7)

  • 文化大革命(6)

    第十二場(7月20日。北京・中南海にある周恩来の家。周恩来、江青のいる所に、登小平が入ってくる)周恩来「ようこそ、登同志。さあ、こちらに座って下さい」江青「総書記、私も同席させてもらいます」(登小平が椅子に座り、3人がテーブルを囲む)登小平「総理、一体どういうご用件で、私を呼び出したのですか」周恩来「他でもない。明日からの十一中全会の準備は整いましたか」登小平「ええ、おかげさまで。書記処としては、予定どおり明日から会議を開くことにしています。総理にも、重ねてご協力をお願い致します」江青「その点についてですが、毛主席から、会議を延期せよという指示が総書記にあったはずではないのですか」登小平「ええ、数日前にありました。しかし、その時にはすでに、二十一日開会の通知を全国の中央委員に出しており、変更はできない状況...文化大革命(6)

  • “木を見て森を見ない”日本人

    (2011年7月に書いた記事を復刻します。)先日、日本には「マニュアル人間」が多いという記事を書いたが、どうも日本人は訓練とか演習、練習といったものが好きなようだ。ルールや規則、マニュアルを尊ぶのは良いが、日本人にはどうも大局的な視点が欠ける嫌いがある。私も70年以上生きてくると、日本人の長所や欠点がだいたい見えてくる。日本人は真面目で律義で努力家が多いと思う。しかし、細かいこと、目先のことにはよく気が付くが、大所高所から物を見るのが不得手なようだ。例えばいま、原発のストレステスト(耐性検査)をするかどうかで民主党政権が揉めているが、こんなものはやってもやらなくても大して関係はない。気休めでやればやったで良いし、やらなくてもどうってことはない。要は原発を存続するか、廃止していくかの問題である。“ストレステ...“木を見て森を見ない”日本人

  • 57年前・沖縄の旅

    <以前書いた記事を一部修正して復刻します。>沖縄の象徴・首里城(那覇市)57年前(1967年)の真夏のある日、私は友人のW君と一緒に、東京・晴海埠頭から船に乗り沖縄へ向かった。当時の沖縄はアメリカ軍の管理下に置かれていたため、旅行をするにはパスポートや検疫証明書などを用意しなければならず、また通貨も全てドル建てだったので、事前にずいぶん手間がかかった。晴海埠頭を出発してから丸二日(二昼夜)の船旅だったが、沖縄にだいぶ近づいた頃、船が一晩じゅう荒波に揺れたので酔う人が相当に出た。たしか46時間以上の船旅だったが、朝、那覇港に着いた時は私も含めてほとんどの人が疲れていたと思う。それでも、私とW君は若かったこともあり、すぐに摩文仁(まぶに)の丘やひめゆりの塔、健児の塔などの南部戦跡巡りに出かけた。バスから景色を...57年前・沖縄の旅

  • 『乙女の祈り』

    昔、ピアノで・・・ある女子高生が私のために『乙女の祈り』を弾いてくれた。つっかえつっかえだったが、真心がこもっていた。今でも忘れられない。乙女の祈りMaiden'sPrayer『乙女の祈り』

  • 文化大革命(5)

    第八場(6月中旬。武漢市内の某所。毛沢東、陳伯逹、江青)毛沢東「全てはだいたい上手くいっている。彭真を北京市長から引きずり降ろしてやったし、小うるさい陸平も、北京大学学長をクビにしてやった。林彪の息のかかった解放軍は、すでに北京周辺を制圧し、劉少奇らにニラミをきかせている。わしが先月十六日に党幹部に出した通知によって、中央文革小組の成立は揺るぎないものとなった。すでに北京大学では、聶元梓らが目覚ましい活動を始めたし、清華大学の付属中学にも“紅衛兵”が誕生している。水が高きより低きに流れるように、全てが順調に進んでいるようだが、一つ気になるのは、劉少奇らが紅衛兵運動を弾圧するために、工作組というやつを各大学や学校に派遣していることだ。あいつらは工作組をますます増強して、われわれの“奪権闘争”を妨害しようとし...文化大革命(5)

  • 全員生還! 奇跡のキスカ島撤退作戦

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>キスカ島戦史に詳しい人はとっくにご存知のはずだが、太平洋戦争中にアリューシャン列島のキスカ島から、日本軍の守備隊5200人余りが1人残らず無事に生還するという“快挙”があった。この史実を題材にした映画(DVD)を最近見たばかりなので、どうしても書きたくなった。日本の戦争映画というと、玉砕・玉砕・玉砕の物語が多いが、玉砕は最も悲劇的で最悪のパターンである。ただ、そういう映画を見ると胸にジ~ンときて涙がこぼれてくる。これに対して、映画『太平洋奇跡の作戦キスカ』は、強力な米軍の包囲網下で、“濃霧”を利用して決死の救出作戦を行なう物語だ。もちろん、幸運にも恵まれたが、運を味方にして綿密な作戦が成功した。このキスカ撤退作戦は、後にアメリカ軍をも感嘆させた。結果的に...全員生還!奇跡のキスカ島撤退作戦

  • 『べったら市と可愛い女子アナ』(後編)

    その夜、啓太が南浦和のアパートに帰ると、妻の春江が少し恥ずかしそうに声をかけてきた。「最近、ちょっと太ってきたから体操教室へ通っていいかしら」「えっ、体操教室だって?」啓太が問い返すと、春江は東京・渋谷のM教室に通いたいと言う。彼女は最近、たしかに太めになった感じがする。啓太は別に気にも留めなかったが、若い女性はなにかと気にするのだろう。レッスン代はそんなに高くないようだ。「ああ、いいじゃないか、やってみな」彼は気軽に返事をして晩飯の食卓についた。しかし、夕方の焼き肉弁当のお陰であまり空腹ではない。ビールを飲みながら軽い夜食となった。すると、夕方のニュースを見た春江が声をかけてきた。「今日のべったら市は面白そうだったわね。ああいうお祭りに私も行ってみたいわ」「うん、人出も多かったし賑わっていたな」「あの新...『べったら市と可愛い女子アナ』(後編)

  • 『べったら市と可愛い女子アナ』(前編)

    〈ある若い報道部員の物語〉啓太が社員食堂で昼食を終え報道部の部屋に戻ってくると、遊軍デスクの下地(しもじ)が待ってましたとばかりに彼を呼んだ。「山本君、あさっての夕方のニュースで『べったら市』の生中継をやりたいと思うんだが、君がやってくれ。技術部のデスクにはもう連絡したよ」「えっ、中継ですか。僕で大丈夫ですかね・・・」啓太は思わず下地に問い返したが、彼は10月の異動で外勤の野党クラブ担当からこの遊軍班に移ってきたばかりである。「大丈夫だよ、細かいことは技術の原田デスクと打ち合わせてくれ。中継にも早く慣れることだな」下地はさも当然だと言わんばかりに、新入りの啓太をにらみつけるように言い放った。テレビ報道の遊軍班というのは、いろいろな取材はもちろん現場の中継もしなければならない。いわば“なんでも屋”といった感...『べったら市と可愛い女子アナ』(前編)

  • 『慕情』

    1949年の香港を舞台にしたアメリカ映画で、主演はウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズ。妻と不仲な新聞記者が、あるきっかけで美しい女医と恋愛関係におちいるが、彼はやがて朝鮮戦争の取材中に命を落とすという悲恋物語だ(一応、実話を元にしている)。私事で恐縮だが、若いころ会社の同僚と英会話のレッスンを受けた時、先生から最初に教わったのがこの『慕情』の歌詞だった。その時は英語の歌詞を全部覚えたが、今はだいぶ忘れてしまった(笑)また、30年ほど前に仕事で香港へ行った時、合間を縫ってこの恋人同士がよく落ち合った“あの丘”(ヴィクトリアピーク)に登ったことがある。そういう意味で、忘れられない映画の主題歌だ。最後に、英語の歌詞だけだと寂しいので、以下に岩谷時子さんの訳詞も載せておこう。「春浅きあした風に揺れて...『慕情』

  • 文化大革命(3)

    第二幕毛沢東、文化大革命を発動第一場(11月上旬。上海市党委員会の一室、毛沢東のモノローグ)毛沢東「つい三週間ほど前、北京にいた時がウソのように、わしは今、この上海に来て生き返ったような気がする。ここには、彭真らのうるさい監視の目もなければ、尊大な劉少奇の顔を見ることもない。ここには、わしに心から忠実な張春橋や、姚文元ら可愛い連中が沢山いる。しかも、林彪の部隊がわしを守ってくれているし、黄永勝や陶鋳のオルグにも成功した。あとはわしに敵対する憎っくき羅瑞卿を、人民解放軍から追放してやればいいが、これは林彪が上手くやってくれるだろう。近いうちに、あの薄のろを杭州にでもおびき出して、逮捕してやればいいのだ。そこの所は上手くいくだろう。劉少奇がもうすぐ南西アジアを訪問するから、その時を見計らって、わしが軍事クーデ...文化大革命(3)

  • 『こんにちは赤ちゃん』

    1963年(昭和38年)7月に発表された曲で、またたく間にみんなに知れ渡った。その頃、どこへ行っても、梓(あずさ)みちよが歌うこの曲が流れていたのを思い出す。いわゆる“六・八コンビ”の永六輔の作詞、中村八大の作曲で、こんなに愛くるしい曲は滅多にない。梓みちよはその年のレコード大賞を受賞し、また、この歌はのちに「日本の歌百選」にも選ばれている。誰が聞いてもほのぼのとする曲だ。こんにちは赤ちゃん『こんにちは赤ちゃん』

  • <天才・英雄が歴史をつくる> 信長、レーニン、ヒトラー etc.

    <以下の文を復刻します。>1)私がここで述べたいのは、唯物史観(史的唯物論とも言う)による俗物的な見方に反論することである。この俗物的な見方は、歴史における個人の存在や行動を極めて過小評価し、個人の人間性の重大さを軽視するからである。例えば、分かりやすいことから述べてみよう。織田信長がもし生存していなかったら、16世紀後半の日本の歴史は、一体どうなっていただろうか。勿論、誰にも予測がつかないだろう。信長が存在していたことを踏まえて、我々はその当時の歴史をあれこれ検証しているだけだ。信長個人の存在を抜きにして、戦国時代末期を語ることはできない。信長について、今更あれこれ言うつもりはない。別の視点から見てみよう。信長がいたからこそ、その下にいた秀吉や家康の歴史的役割が初めて実現したのである。ということは、歴史...<天才・英雄が歴史をつくる>信長、レーニン、ヒトラーetc.

  • 日航ジャンボ機墜落の謎

    〈2011年8月12日に書いた以下の記事を復刻します。〉<はじめに>1985年8月12日、日本航空123便が群馬県の山中に墜落し、520人が死亡した。いわゆる「日航ジャンボ機墜落事故」である。そこで過去の記事になるが、この事故を風化させないためにも、復刻することにしたい。第1部は「圧力隔壁損壊への疑問」、第2部は「米軍機による誤射説」としておく。墜落した日航ジャンボ機・JA8119第1部日航機墜落の事故調査委員会によれば、ジャンボ機(ボーイング747)の後部圧力隔壁の損壊が事故の主な原因だとしているが、これは極めて怪しい。関連するインターネット記事を徹底的に調べたが、そんなことは有り得ないという心証を強くするばかりである。もとより私は航空工学の専門家ではないが、多くの人の証言、分析を集約するとそういう結論...日航ジャンボ機墜落の謎

  • 『乾杯』

    とても前向きの素晴らしい曲だと思う。リリースされたのは1980年(昭和55年)で、シンガーソングライターの長渕剛(つよし)が作詞、作曲した。長渕のことはよく知らないが、彼の地元である鹿児島の友人が結婚すると聞いて、祝福のために作ったと言われる。もちろんヒットしたが、結婚披露宴だけでなく卒業式でも歌われ、今では小学校の音楽の教科書にも載っているそうだ。長渕剛の代表曲と言えよう。長渕剛乾杯1980『乾杯』

  • 文化大革命(2)

    第三場(10月上旬の某日。北京・中南海にある毛沢東の居宅。毛と江青)毛沢東「先日の中央委員会の時には参った。陳伯逹らの言うとおりだったな。わしが一声あげれば、大抵の連中はわしの言うとおりになると思っていたが・・・失敗だった」江青「あなたが倒れたので、私はもう駄目かと思いました。でも、よく回復してくれましたね」毛沢東「わしは、つくづく自分が情けないと思う。もう、北京にいては何をやっても上手くいきそうにない。この北京では、確かに“水一滴も通さず、針一本も刺せない”という状況だ」江青「でも、あなたは数日で健康を回復しました。元気を出して、やり直そうではありませんか。中国の人民大衆は、今でもあなたの味方のはずです。それに、なんと言っても、林彪国防部長はあなたに忠誠を誓っています。林彪部長さえ私達に味方してくれれば...文化大革命(2)

  • 文化大革命(1)

    《前書き》中国の現代史を彩る「文化大革命」とはなんだったのか。それは、政治における凄まじい権力闘争ではなかったのか。1966年の夏、突如“紅衛兵”が出現した時の衝撃を、私は今でも忘れることができない。私なりに「文化大革命」を追究したくて筆を執った。なお、これは“レーゼドラマ”(読むための戯曲)であり、あくまでもフィクションである。時代背景・・・1965年から1971年にかけての中国構成は「第一幕・・・苦境に立つ毛沢東。第二幕・・・毛沢東、文化大革命を発動。第三幕・・・紅衛兵旋風!!劉少奇派の没落。第四幕・・・毛沢東・林彪体制に亀裂。第五幕・・・林彪死す」となっている。《登場人物》毛沢東(中国共産党主席)劉少奇(中華人民共和国・国家主席)林彪(国防部長・後の党副主席)周恩来(国務院総理)登(とう)小平(党総...文化大革命(1)

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