chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/04/12

arrow_drop_down
  • 2025年の日記、寸評など

    3月31日(月)きょうで3月も終わりだが、妙に寒い。冬物のセーターを着る。天気予報の「177」がきょうで終わりだというから、177にかけたら終了宣言が出ていた。1955年から70年も続いていたが、スマホ時代の到来で打ち切りだという。最後にもう一度かけよう。177よ、さようなら。あすから4月だが、食品などいろいろな物が値上がりするそうだ。フジテレビ元社員として、第三者委員会のきょうの調査報告書に注目しよう。3月24日(月)高安残念。優勝を逃す3月22日(土)きょうはドイツの文豪・ゲーテの命日だ。1832年のきょう亡くなっているから、7年後の2032年には200回忌を迎える。あと7年、生きていられるかどうか。大相撲大阪場所は、平幕の高安が11勝2敗で単独トップに立っている。高安はこれまで何度も優勝を逃しており...2025年の日記、寸評など

  • 草食系男子の増加で 女性優位に

    <2012年7月29日に書いた以下の記事を復刻します>先日、日本では草食系男子が増えている話をしたが、その原因についてはいろいろ議論のあるところだ。ところで、ある人から、職業を持つ女性が増え強くなったことが、男性の“草食化”を促しているのではというご意見があった。考えてみると、それも然りである。マイホーム型の男性が多くなってから久しい。立身出世にあくせくするよりも、幸せな家庭を第一に考える男が増えてきた。最近は、主婦ならぬ“主夫”も当たり前になっている。日本の男性は、一般的に優しく穏やかになって、どちらかと言うと弱々しくなったのだろうか。その善し悪しをここで論じるつもりはない。それも時代の流れ、現代社会の表われではないかと思うのだ。ところで、ロンドン・オリンピックが開幕したが、この前、日本の男女別参加選手...草食系男子の増加で女性優位に

  • 過去の記事(21)

    ㉑国際正義に反する不条理なNPT・核拡散防止条約。秩父あれこれ。デフレのどこが悪いのか!?100円ショップ万歳!!仮に自衛隊が“合憲”なら、憲法9条を改正する必要はない!!辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う国際正義に反する不条理なNPT・核拡散防止条約1)北朝鮮の衝撃的な核実験(10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し197...過去の記事(21)

  • 昔の話・・・新聞対テレビの戦い

    <2011年9月に書いた以下の文を復刻します>個人的な話をしたい。私がフジテレビという会社に入ったのは1964年(昭和39年)だったが、当時のメディアは新聞、通信社が圧倒的に強かった。中でも新聞は歴史と伝統があり、大勢の記者を抱えて日本社会の隅々まで取材網を張り巡らせていた。それに、新聞も通信社も海外支局を持ち、主な外国の取材も独自に行なっていた。それに比べると、テレビ(NHKを除く)は歴史が浅く取材網は貧弱なものだった。国内では国会や首相官邸、警視庁などにわずかな記者を配置して細々と報道を続けていたが、海外支局(外国特派員)などはまだなかったと思う。面白い話がある。私が入社する少し前だったか、千葉県内である事件が発生したため、報道の先輩が取材に行って地元の人に、「フジテレビですが・・・」と言って挨拶した...昔の話・・・新聞対テレビの戦い

  • 閑さや岩にしみ入る蝉の声

    〈2014年7月11日に書いた以下の記事を原文のまま復刻します。〉朝テレビを見ていたら、予備校の有名な“林先生”が松尾芭蕉の俳句について語っていた。面白そうなので聞いていたら、『奥の細道』の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」について語っている。私は俳句に興味がなく批判的だが、この句が山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれたことは知っている。というのは53年前、学生時代に東北地方を旅行した時に立石寺に立ち寄ったからだ。そこで、がぜん興味がわいて話に聞き入ったが、面白かったのはこのセミは何の種類かで論争が巻き起こったことである。有名な歌人・斎藤茂吉はアブラゼミだと主張し、ドイツ文学者・小宮豊隆はニイニイゼミだと反論した。対立したまま結論が出なかったため、後日、斎藤茂吉が現地調査などをしたところ、芭蕉が句を詠んだ...閑さや岩にしみ入る蝉の声

  • 過去の記事(20)

    ⑳日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本に民族問題はあるのか?回転ドアは大嫌い!ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の核武装主義者。昭和天皇が靖国神社への“A級戦犯合祀”に強く反発。「二大政党制」のどこが良いのか!?日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本に民族問題はあるのか?1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要...過去の記事(20)

  • 過去の記事(19)

    ⑲『大統領制』を導入せよ。新しい「国立追悼施設」を建立せよ。無駄な参議院。終戦の日を「平和の日」に。40年前の古新聞。野中広務さんのこと。ネット企業は「電話受け付け」も行なえ!(それに批判的なコメントも掲載)『大統領制』を導入せよ日本の国政は「議院内閣制」によって成り立っているが、戦後、この制度がややもすると不透明で不信を招く事態を生じている。いわゆる“永田町政治”とか“密室での談合”と言われるものだが、国民の預かり知らない所で、一国の総理大臣が決まるというケースが何回か起きてきた。議院内閣制ではこれは当然のことで、国会に多数を持つ政党・与党が内閣を組織するわけだから、与党内の話し合いや調整でいくらでも首相を決めることができる。もちろん、与党である自民党は総裁選挙を実施して、新総裁を担いで国会での首班指名...過去の記事(19)

  • 過去の記事(18)

    ⑱中国人観光客。日航ジャンボ機墜落の謎。秋山豊寛さんのこと。土地税制を見直そう。特捜検事の逮捕中国人観光客けさフジテレビの「新報道2001」を見ていたら、中国の旧正月(春節)には延べ20億人以上が帰省や観光旅行などで大移動すると報じていた。びっくりしてネットで調べたら、延べ25億人とも出ていた。観光客の多くは国内旅行だが、外国にも大勢の中国人が繰り出す。それを見込んで、アメリカ・ニューヨークでは中国人観光客の歓迎ムード一色になっていた。もちろん、日本にも大勢の中国人が来るわけで、旅行会社などが張り切って応対する模様が映し出されていた。要するに、沢山の金を落としていってくれるのだ。テレビは、今や世界の景気・経済は中国人にかかっているかのように伝えていた。それは少しオーバーな表現かなと思ったが、日本の観光地な...過去の記事(18)

  • 純子17歳

    (遠い夏の思い出)けさ純子の夢を見た純子17歳僕も17歳君が旅立つ前に僕らは何度も会ったね六甲山を散歩したりわが家でも会ったり僕らは手を握り合って別れを惜しんだ君は水色のブラウスがとてもよく似合ってたよ「1年間さようなら手紙をちょうだいね」僕がそう言うと君は黙ってうなずいた横浜の埠頭に五色のテープが飛びかい君は船のデッキから手を振りほほ笑んだ純子は太平洋を渡り遠いアメリカへ行ってしまうひとり取り残される自分はどうなるんだ・・・僕の写真を胸にしまってくれただろうか君の胸に抱かれて僕も太平洋を越えるのだ真夏の日差しがデッキを照らす輝く17歳の少女君にはあふれる未来と希望があるそれにくらべて自分は・・・急に僕は悲しくなった涙をこらえ顔を伏せたその場に居たたまれず僕は駆け足で埠頭を去る純子よさようならうしろで汽笛...純子17歳

  • 日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

    <2004年3月に書いた以下の記事を復刻します。>1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要するに、琉球は日本人(和人)によって侵略され制圧されたのだ。私は個人的に、仕事や観光で何度も沖縄に行ったことがある。何度行ったか覚えていないくらいだ。沖縄にいると「ここは日本なのだろうか?」と、よく思ってしまう。特に石垣島など八...日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

  • 過去の記事(16)

    ⑯外国語と日本語と私。日本と中国。ゲーテ。ノーベル賞に落選したトルストイ。天皇の韓国訪問はあり得るのか?外国語と日本語と私1)日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人も多数いる。そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。我々高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。私...過去の記事(16)

  • 過去の記事(15)

    ⑮「君が代」は国歌にふさわしくない。新国歌の制定を!なまっちょろい国・日本。エリザベス・テイラー逝く。若草物語。「君が代」は国歌にふさわしくない。新国歌の制定を!大阪府の橋下知事が、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸している。たしかに、公務員は国歌や国旗に敬意を払うべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本...過去の記事(15)

  • 司法は「犯罪者」の味方か? 江戸時代の方がずっとマシだ!

    <以下の記事は2002年3月22日に書いたものですが、一部修正して復刻します。なお、ここに出てくる「光市母子殺人事件」の被告は後日死刑が確定し、現在広島拘置所に収監されています。>1)1999年4月14日の午後、山口県光市の会社員宅に、強姦目的で侵入してきた18歳の少年が、会社員の妻(当時23歳)と長女(当時11ヵ月)を、暴行した上で惨殺した。いわゆる「光市母子殺人事件」である。3月14日、広島高裁の控訴審判決では、一審と同様に、被告に対して「無期懲役」の判決が言い渡された。私は刑法のことはよく分からないが、どうしても納得できない。極めて凶悪な事件なので、検察側は当然「死刑」を求刑していたが、却下された。判決では、被告は「更生の可能性がないとは言い難い」としている。判決とは、相変わらず持って回った言い方を...司法は「犯罪者」の味方か?江戸時代の方がずっとマシだ!

  • 女優の確執

    <2011年2月に書いた記事を一部修正して復刻します。>映画『楢山節考』(1958年)のDVDを見たが、田中絹代の名演技に改めて感動した。素晴らしい。さすが大女優だと思った。この映画が作られた時、彼女はまだ50歳前だったが“老婆”の役を見事に演じている。表情はもちろん、歩き方など身のこなしは絶品である。老婆そのものだ。しかし、実は私は田中絹代が好きでなかった。昔、NHKの大河ドラマ『樅の木は残った』に出演した時、彼女にアドバイス(?)をした吉永小百合に腹を立てたと聞いていたからだ。“サユリスト”である私は許せないと思った。もっとも、天下の大女優である田中絹代から見れば、吉永小百合などはまだ駆け出しのヒヨッ子ぐらいにしか思えなかっただろう。想像するに、テレビドラマに不慣れな田中に対し、吉永は「田中先生」と言...女優の確執

  • 決して怒らなかった政治家・竹下登氏

    <以下の文を復刻します。>竹下登元首相ある人のブログにお邪魔したら、「怒らない人になる禅の習慣」についての記事があった。しばらく読むうちに、決して怒らない温厚な人になるのは自分ではとても無理だと思ったが、ふと、昔の政治家で決して怒らなかった人を思い出した。それは、元総理大臣の竹下登氏(以下、敬称略)である。そのころ自民党担当の記者をしていた私は、たしか竹下本人から「自分は決して怒らない」と聞いたことがあるが、どうして彼は怒らないのだろうかと、いつしか疑問に思うようになった。そのうち、竹下自身の人生経験や履歴が分かるようになり、そのナゾが解けたのである。実はある政界関係者から、竹下登の過去について聞いたのがその“糸口”であった。今では、ウィキペディアにも載っていることだから、まずそれから見てみよう。<194...決して怒らなかった政治家・竹下登氏

  • 過去の記事(14)

    ⑭塩野七生さんと桐島洋子さん。鳩山首相はケレンスキーか。鳩山首相は大石内蔵助だって?“中国人様々”ではないか!デフレと市場原理。マスコミは自由を失ったのか。原発エゴイズム。小沢一郎氏、ネット重視を宣言。若者はなぜ怒らないのか。明日への遺言・・・岡田陸軍中将塩野七生さんと桐島洋子さんふと女性のことを書きたくなった。と言っても私は女性に詳しくないので、かつて面談したことのある人の中から、印象に残る2人について書いてみたい。前もって断っておくが、ろくな文章にはならないと思うのでお許しを(笑)。さて、20年ぐらい前だったか、私が某テレビ局の夜のニュースを担当していた時、キャスターの木村太郎氏(現在も活躍中)と相談して、毎晩“時の人”をゲストに迎えいろいろ話をしてもらったことがある。大抵は政治家や財界人などの男性が...過去の記事(14)

  • 過去の記事(13)

    ⑬消費税・増税論に騙されるな!金太郎アメ。デジタル的思考の浅はかさ。野焼きと御殿場“魔の空”。記者の“お見合い”。「18歳選挙権」を大歓迎。日本人の弱点。冤罪(えんざい)。フジテレビのT社長のこと。自衛隊は憲法9条に違反する。ただちに憲法を改正せよ!消費税・増税論に騙されるな!わが国に消費税が導入されてから21年になる。消費税がスタートした時、当時の自民党政権は何と言ったか。「これから日本は少子高齢化社会を迎えるので、その“財源”として消費税を導入する」と言ったのだ。あれから21年、日本は確かに少子高齢化社会になった。この点は、自民党政権の見通しは非常に正しかった。しかし、これまでの220兆円に及ぶ消費税収入は全て、高齢者の医療や介護、福祉といった社会保障に使われてきたのだろうか。これが全く怪しい。それど...過去の記事(13)

  • 「北斎展」について思ったこと

    <2014年10月に書いた以下の記事を復刻します><先日、ある人から「北斎展」を東京・上野でやっていると教えられた。葛飾北斎の展覧会である。私は絵画や美術には素人だから、ネットで調べたら「ボストン美術館浮世絵名品展」とあった。ボストン美術館??さらに調べたら、北斎の名品140点ほどを展示しているという。つまり、葛飾北斎の傑作はほとんど日本にないということか。そんな馬鹿な!そこでもっと調べたら、明治時代に北斎の多くの作品がアメリカのボストンに渡ったという。日本で最も著名な画家・葛飾北斎の作品が日本にはないのか!その事実に、素人の私は唖然とした。そういえば、あの有名な『富嶽三十六景』などの実物をこの目で見たことがない。みんな写真や印刷物でしか見たことがないのだ・・・>実はこの文章を書いていて、途中で止めてしま...「北斎展」について思ったこと

  • バラバラの時代

    <2008年頃に書いた少しオーバーな詩を復刻します>何もかもバラバラバラバラ年金記録もバラバラ人間関係もバラバラバラバラ殺人にバラバラ死体殺す相手もバラバラ殺し方までバラバラ衆参両院もバラバラ親子関係もバラバラ何もかもバラバラバラバラ個性の時代だって?君には本当の盟友がいるのか誓い合った友がいるのかケンカしても仲良くなれる人がいるのかデモやストはなぜ起きないの?「団結」なんて言葉は消えたのか信条をともに語りともに分かち合う人はいないのかスクラムを組んで行進することはないのか個人の自由だって?そうか自由が大切だ自由は尊いしかし自分の殻に閉じこもって“オタク”でいるのが自由なのかうす暗い部屋で君はいま何を考えているのかきょうもバラバラあしたもバラバラ心もバラバラ人生もバラバラああ何もかもバラバラバラバラ(20...バラバラの時代

  • レーニン的暴力革命論から、ガンジー的非暴力・不服従運動へ

    <2015年10月に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>安保法・戦争法への政治闘争を見ていると、日本では完全に“ガンジー的非暴力・不服従運動”が定着したと言えよう。何を今さらそんなことを言うのかと思われるだろうが、かつての60年安保(1960年)、70年安保(1970年)の闘争を体験してきた筆者にとっては、21世紀の日本の政治闘争が非暴力・不服従型になってきたと思えるのだ。20世紀はレーニンや毛沢東らの「暴力革命論」が主流であった。日本でもその傾向が強かったが、70年安保闘争後に、一般市民や社会から嫌われ衰退していったと思う。日本共産党も戦後まもなく武装闘争方針を取ったことがあるが、今では完全に平和主義、議会主義である。このように、過激な暴力的左翼運動は姿を消したのだろうか。多分そうだと思う。6...レーニン的暴力革命論から、ガンジー的非暴力・不服従運動へ

  • 過去の記事(9)

    ⑨選挙制度の抜本的な改革を!“火事場泥棒”が大手を振る福島県。政治家の資質・魅力とは。勇気について。ノイローゼ。除染で“焼け太り”の復興バブル。新聞は「体制擁護」に成り下がったのか。夢について。選挙制度の抜本的な改革を!国会議員の定数削減などが今国会で議論されているが、要は「選挙制度」の問題に帰着するだろう。断っておくが、100%完全な選挙制度というのはあり得ない。それは時代によって変わってくるからだ。以前は良かった制度も、今になっては悪くなる面がいくらでもある。ただ一つ言えることは、民意がいかに反映されるかで良し悪しが評価されるだろう。例えば、1994年に導入された現在の小選挙区制だが、20年近く経った今ではいろいろ問題点が指摘されている。当時、導入に積極的だった人たちも、今になって「あれは良くなかった...過去の記事(9)

  • 過去の記事(8)

    ⑧アメリカは野蛮な国か。政治家の失言・暴言。自分が認知症になったら・・・三島由紀夫事件との“接点”。美人論。革命と不倫アメリカは野蛮な国かつい最近、アメリカのアリゾナ州で、民主党の女性下院議員が集会を開いていたところ、22歳の男が銃を乱射し6人が死亡、14人が負傷するという衝撃的な事件が起きた。アメリカではこうした銃乱射事件がいつも起きており、不思議でも何でもないが、こういう悲劇が一向に無くならないのは何故なのか。よく言われることだが、アメリカの憲法に「権利章典」というのがあり、その中に「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文(修正第2条)があり、これが全ての“元凶”だとする説がある。私もこの説に賛成だが、この「権利章典」というのはアメリカ市民の“基本的人権”に関する最も重要な...過去の記事(8)

  • 『モナ・リザ』

    <以下の文は、2002年7月5日に書いたものです。>1)8年ほど前にフランスへ旅行したことがある。パリでルーヴル美術館を観覧することができた。この大美術館は30万点に及ぶ美術品を抱えているだけあって、とても半日では見切れるものではない。当然、お目当ての絵画や彫刻に絞って見て回るだけだった。必ず見ようと思った作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『モナ・リザ』がある。『モナ・リザ』のある場所は事前に分かっていたから、そこへ近づくにつれて胸がときめいてきた。時間がそれ程ないというのに、“彼女”に近づくのにわざと時間をかけた。その部屋に入って『モナ・リザ』を遠くから見た瞬間、第一印象は「なんて小さいんだ」というものだった。ルネサンスの画集は子供の頃から見ているから、この名画は脳裏に焼き付いている。脳裏の画...『モナ・リザ』

  • 『この子を残して』

    <以下の記事を復刻します。>長崎原爆の悲惨さを描いた著作であり映画だ。木下恵介監督の映画・DVDがいまリリースされているが、その中でも最も印象に残る作品。著者は原爆で被爆した長崎医大の永井隆博士で、戦後、子供だった私が初めて読んだ著作である。母が教えてくれなかったら理解できなかったが、子供心に分かったと思う。そういう意味で『この子を残して』は、忘れられない作品である。映画は1983年に公開されたが、加藤剛や十朱幸代、淡島千景らの演技が懐かしい。反戦・平和を訴えた最良の作品の一つだろう。以下は予告編の映像。http://www.youtube.com/watch?v=hjF5prmbyLQ『この子を残して』

  • 日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

    <2016年8月に書いた以下の記事を復刻します。>日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛(とよひろ)さんのことを書きたくなってきた。と言っても、私は彼との付き合いがわずか2年余りなので、多くは語れない。しかし、30代中半の若いころ、記者クラブで一緒だった彼のことは決して忘れられない。だから書くのだ。もう40年以上も昔になるが、私がフジテレビの外務省詰めの記者をしていた時、秋山氏はTBSの記者として外務省クラブにやって来た。はじめは何か取っつきにくい感じのする人だったが、同じ民放テレビの記者同士で、席が1メートルぐらいの向かい隣りだったのですぐに仲良くなった。年齢が同じぐらいだったせいもあるだろう。(私の方が1歳年上なので、以後、親しみを込めて「秋山君」と呼ばせてもらうこともある。)彼は記者クラブが初めてだからか、...日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

  • 『学生時代』

    1964年(昭和39年)にリリースされた曲で、作詞・作曲は平岡精二、これをペギー葉山が歌った。実は2人とも東京の青山学院の出身で、平岡がペギーのために作ったようなものだ。それはともかく、傷つきやすい青春時代を明るくさわやかに謳い上げた曲として、昭和世代の人には今でも人気があるようだ。なお、青山学院の礼拝堂の前には、この曲の歌碑が建てられているという。学生時代ペギー葉山『学生時代』

  • 過去の記事(7)

    ⑦危険な国・アメリカ(続発する銃乱射事件)。「ノーベル経済学賞」なんて、廃止しろ!電気こぼれ話。「グローバリズム」という妖怪。原発エゴイズムは止めろ!土地税制を見直そう。「マニュアル人間」だらけの日本。末次一郎氏のこと。安部晋太郎家の夜回り。八木亜紀子さんの結婚を祝う危険な国・アメリカ(続発する銃乱射事件)今月8日(2011年1月)にアメリカ・アリゾナ州で、民主党のギフォーズ下院議員の集会で銃の乱射事件があり6人が死亡、14人が負傷する悲劇が起きた。ギフォーズ議員(女性)も重体だと伝えられている。ところが、意外なことに、この事件の直後からアメリカでは拳銃の販売が急増しているというのだ。要するに、自分の身は自分で守ろうということらしいが、銃規制が進む前に“買い溜め”をしておこうという動きもあるそうだ。一体、...過去の記事(7)

  • 過去の記事(6)

    ⑥現代の英雄か・・・小出裕章さん。アリ(蟻)の話。福田赳夫氏の回顧録から。「死の商人」とアメリカ軍需産業。酒。普天間基地をテニアンへ!機密費。平山画伯と竹下元首相。遅い日本、速い中国現代の英雄か・・・小出裕章さん3月11日の東日本大震災、そして福島原発事故と恐るべき災害が日本に起きたが、今月上旬、旅行で国交のない(北)朝鮮を訪れた際も色々な人から質問を受けた。この2つの出来事は、正に世界的なニュースになっているのである。さて、原発事故から数日後のことだったろうか、私がある方のブログにお邪魔したら小出裕章(こいでひろあき)さんと言う人の記事が載っていた。もちろん初めて知る名であり、小出さんが原子力学者だということが分かった。私は文系なので、原子力のことはほとんど勉強したことがない。これまで時々、原子力発電所...過去の記事(6)

  • 過去の記事(5)

    ⑤大杉栄とアナーキズム。坂本龍馬“夢とロマン”を放つ男。ある“美人”のこと。坂崎出羽守直盛。「沖縄独立」を考えるまでに大杉栄とアナーキズム1)近代日本で、印象に残る人物は多士済々である。明治維新以降、日本は実に多くの人材を輩出してきた。どの分野にも、優れた日本人が登場してきた。その中で、最も印象に残る人物の1人として、私はアナーキスト・大杉栄を挙げたいと思う。大杉栄は歴史上、大したことをやった人物ではない。日本のアナーキズム(無政府主義)運動のリーダーだったというだけである。従って現代では、ほとんど忘れ去られてしまった人物と言ってよいだろう。しかし、その強烈で豊かな個性と自由奔放な精神は、近代日本の中に燦然と輝いていると、私は今でも思う。大杉が近代日本史上で有名になっているとすれば、大正12年(1923年...過去の記事(5)

  • 参議院無用論

    <2002年7月15日に書いた以下の記事を復刻します。>参議院本会議場1)私は別稿(「参議院は必要か?その廃止を考えよう」http://www.geocities.jp/yajimatakehiro/3.html)で、参議院の廃止を提唱したことがあるが、以前にも増してその意を強くしている。要するに、今の日本であれば「一院制」で十分であり、「二院制」はかえって混乱を引き起こしているからだ。“ねじれ”はその良い例である。それだけでなく、必要もない「二院制」のために、毎年莫大な国民の税金が浪費されていることに我慢できないのである。「一院制」というのは、参議院を廃止しても良いし、逆に参議院の権限を強化させて衆議院を廃止しても良い。要は無駄なものを廃止せよということである。一般的には現行憲法上、参議院の方を廃止する...参議院無用論

  • 過去の記事(3)

    ③無税国家論。日米安保条約の変質。天は人の上に人を造り、人の下に人を造る。デフレと市場原理。美しい田園と原発(フランス)。参議院選挙だって!?「一院制」こそ世界の大勢だ。“親バカ”共産主義者・金日成!スターリンや毛沢東との大きな違い無税国家論今や消費税増税の是非をめぐって盛んに議論が行なわれているが、経営の神様と言われた故松下幸之助さんは「無税国家論」を唱えたことでも有名である。無税国家論は多くの人が聞いたことがあると思うが、松下さんがこれを提唱したのはもう30年以上も前になる。彼の発想の原点は、国が無駄遣いばかりして、その穴埋めを増税で賄おうとすれば、国民は必ず勤労意欲を失うだろうというものだ。そうなると国家も衰退する。こうした事態を避けるため、松下さんは国家予算を単年度で使い切るのではなく、必ず1割程...過去の記事(3)

  • カネ、カネ、カネの中国社会

    <2011年10月30日付の朝日新聞記事を要約した文章を、改めて復刻します。>4日前の朝日新聞(2011年10月30日付)に、中国社会について興味深い記事が載っていたので、ぜひ紹介したいと思う。まだ読んでいない人にとってはきっと参考になるだろう。中国は一言で云えば「金まみれ」の社会である。まず驚いたのが、「教師の職もカネ次第」というタイトルの中身だった。これは中国東北地方に住む30代の高校教師Aの話だが、数年前に教師採用の責任者になった。そして数人の男女を面接したら、ある男性から「絶対採用してほしい」との連絡があったので飲食店で会うと、1万元(約12万円)や高級酒、高級タバコの入った封筒を渡されたという。これは教師の初任給の4~5カ月分に当たるそうだ。また、他の女性は「お望みなら何でもします」と言ってきた...カネ、カネ、カネの中国社会

  • “中国残留孤児”と日中関係

    <2011年に書いた以下の文を復刻します。>“中国残留孤児”(日本人、邦人)のことをたまたま思い出した。もうずいぶん昔のことだと思って調べたら、第一陣が正式来日したのが1981年3月と分かった。日中国交正常化が1972年だから、意外に時期が遅かったのではないか。いろいろ手間取ったのだろう。あの頃は毎年、中国残留孤児の話題で持ち切りだった。まだ戦後は終わっていないと思ったほどである。たしかに、日本人孤児を親身になって育ててくれた中国人も多かったのである。その点は感謝したい。政治とは関係なく“人道上”の問題であった。日本人を鬼とか侵略者などと罵倒する中国人も多いが、そうでない人達も大勢いるのだ。日中関係は難しくなったが、人道上はなお健全な面が残っている。残留孤児についても偽者(にせもの)騒ぎがあったが、先の東...“中国残留孤児”と日中関係

  • 『あなたの心に』

    1969年(昭和44年)にリリースされた曲で、作詞は中山千夏(ちなつ)、作曲は都倉俊一で、中山自身が歌った。清らかな乙女心を見事に表現した歌詞だと思うので、以下に載せておきたい。中山千夏は子供の頃から“名子役”と言われ、舞台などで活躍していたが、のちに女優やテレビタレント、声優や歌手でも名をはせた。まさに“女性マルチタレント”の元祖のような存在で、誰もが彼女のことを知っていたと思う。それだけでなく、ウーマン・リブ運動に参画したあと、1980年(昭和55年)には参議院議員に当選し、一時は「革新自由連合」の党首も務めたのだ。私が知るかぎり、政党会派の“女性党首”になったのは中山千夏が日本で初めてである。このように多彩な活動で注目されたが、彼女が初めて作詞したこの曲は、清純な乙女心が見事に表現されていると思う。...『あなたの心に』

  • 過去の記事(2)

    ②小沢裁判と陶片追放。小沢一郎とシーザー、信長、龍馬。毒性・抵抗力・免疫。思考の劣化こそ“現代病”ではないか。管理社会と感性の喪失小沢裁判と陶片追放以前にも書いたが、古代ギリシャのアテネに「陶片追放」という制度があった。これは排除したい政治家などの名前を陶器のカケラに記し、一定数に達するとその者は国外に追放されるという制度だ。この「陶片追放」は紀元前508年から90年ぐらい続いたそうだが、完全に秘密投票だから、誰が誰の名前を書いたかは分からないシステムだ。ところが、この制度は“政争”に悪用され、民主政治が衆愚政治に陥ったので廃止になったと言われる。例えば、有名なペルシャ戦争で、アテネを勝利に導いた英雄テミストクレスもこの制度によって追放された。ここで「陶片追放」のことを長々と説明する時間はないが、私はふと...過去の記事(2)

  • 過去の記事(1)

    ①脳死と死生観。木を見て森を見ない日本人。喫煙と肺がんは関係ないのか?隠し子と出来婚。袴田事件と死刑囚の人権。「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か脳死と死生観<はじめに>いま「脳死」の問題が臓器移植との関連で大きな関心を集めている。ここで専門的な話をするわけではないが、生と死をどのように考えたらいいのだろうか。結論から申し上げると、私は、脳死状態というのは死でもなく生でもなく、逆に言えば、死でもあり生でもあり、それ自体が人間と生命の『尊厳』を冒涜(ぼうとく)するものだと考える。医学の進歩が人間をそこまで至らしめたのである。この考えには当然異論もあるだろうが、それを前提にして私が過去に書いた『理想の死に方について』を復刻したいと思う。生と死について皆で考えようではないか。なお、以下の文は一部手直しして復刻...過去の記事(1)

  • 「過去の記事」一覧表

    <2025年3月28日現在>①脳死と死生観。木を見て森を見ない日本人。喫煙と肺がんは関係ないのか?隠し子と出来婚。袴田事件と死刑囚の人権。「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か。②小沢裁判と陶片追放。小沢一郎とシーザー、信長、龍馬。毒性・抵抗力・免疫。思考の劣化こそ“現代病”ではないか。管理社会と感性の喪失。③無税国家論。日米安保条約の変質。天は人の上に人を造り、人の下に人を造る。デフレと市場原理。美しい田園と原発(フランス)。参議院選挙だって!?「一院制」こそ世界の大勢だ。“親バカ”共産主義者・金日成!スターリンや毛沢東との大きな違い。④諸悪の根源は「官僚支配」だ!土地は誰のものか。大宅壮一さんのこと。日本共産党はなぜ伸びないのか。アメリカこそ世界最大の戦争国家だ!⑤大杉栄とアナーキズム。坂本龍馬“夢と...「過去の記事」一覧表

  • <小説> 世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

    その日は秋晴れの清々しい一日だった(1971年10月のある日)。山村秀樹は結婚ホヤホヤの新妻に車で送られ、いつものように国鉄(今のJR)の北浦和駅から国電に乗り込んだ。通勤・通学のラッシュ時よりやや遅めであったが、電車の中は通勤客などでまだかなり混んでいた。秀樹は某民放テレビ・Fテレビの政治記者をしていたので、いつも本社には行かず、取材先の国会の「野党クラブ」へ直接通っていた。野党クラブというのは社会党、公明党、共産党、民社党など野党各党を取材するもので、先輩の大場誠司記者と2人だけで担当していたから、仕事はけっこう忙しかった。まあ、若くなければ勤まらないだろう。今じゃとても無理だ(笑)。10月下旬のその日、大場先輩と秀樹はいつものように手分けをして、野党各党の国会対策委員長らの記者会見に出席した。その日...<小説>世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

  • 『瀬戸の花嫁』

    1972年(昭和47年)に小柳ルミ子が歌った大ヒット・ソングで、結婚披露宴の定番ソングにもなった。当時はどこへ行ってもこの曲が流れ、人々の心を潤したものだ。これほど愛された歌も珍しいだろう。作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃1瀬戸は日暮れて夕波小波あなたの島へお嫁にゆくの若いと誰もが心配するけれど愛があるから大丈夫なの段々畑とさよならするのよ幼い弟行くなと泣いた男だったら泣いたりせずに父さん母さん大事にしてね2岬まわるの小さな船が生まれた島が遠くになるわ入江の向うで見送る人たちに別れ告げたら涙が出たわ島から島へと渡ってゆくのよあなたとこれから生きてくわたし瀬戸は夕焼け明日も晴れる二人の門出祝っているわavi瀬戸の花嫁avi小柳ルミ子avi『瀬戸の花嫁』

  • 逸見政孝君のこと

    <古い記事ですが、以下の文を復刻します。>1)つい先日、逸見政孝君のことを思い出した。逸見君と言えばフジテレビの元アナウンサーで、その後フリーになってテレビで大活躍した人物である。覚えておられる方も多いだろう。その彼が48歳の若さで、胃癌で亡くなった時は驚いた。もう20年以上も昔の話である。私もかつてフジテレビの社員だったから、逸見君のことはよく覚えている。一緒に仕事をしたこともある。そこで彼の思い出話などをしようということだが、彼が私の4年後輩だったから、逸見君とか逸見などと気安く言うことをお許し願いたい。私が彼に出会ったのはたしか1971年頃である。逸見君がまだ駆け出しのアナウンサーの頃、当時「野党記者クラブ」担当だった私は、社会党本部で彼に出会った。私が取材をし逸見がレポートをする役割だったと思うが...逸見政孝君のこと

  • 啓太がゆく ⑯(警視庁の記者時代)

    2月に入って、啓太はようやく京子と会えることになった。お互いに忙しくてデートができなかったが、彼はこの時、ある決意を胸に秘めていた。それは彼女が青年海外協力隊員になろうとも、終生変わらぬ“契り”を交わそうというものだ。まだ早いかもしれないが、こうと思ったらじっとしておれないのが啓太の性分である。彼はこの日、自分の本心を伝えようと思った。デートの場所も新宿・歌舞伎町にして、京子を和風レストラン『N』に呼んだのである。彼女は少し遅れてやって来た。「ごめんなさい、遅れてしまって。仕事が長引いたので申し訳ありませんでした」「いや、いつも僕が遅れていますから」京子が謝るのを啓太は軽く受け流した。2人はこのあと食事を注文してしばらくぶりの逢瀬(おうせ)を楽しんだが、彼女は3月いっぱいで『女性の未来社』を退職するという...啓太がゆく⑯(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑮(警視庁の記者時代)

    (23)3億円強奪事件の発生東大など大学紛争が激化する中でも、記者クラブにいる時は忙中閑ありで、気持が安らぐことがある。ある日、草刈が笑いながら啓太に声をかけてきた。「山本君、いま暇なら総務部に行ってみないか。とても可愛い子がいるんだ。紹介しておこう」「えっ・・・いや、いいですよ」啓太があわてて断わったが、草刈は強引に彼を促した。「いいから、いいから。ちょっとだけだよ」そう言って、草刈は勝手に啓太を先導して歩き始めた。仕方なく彼は従ったが、エレベーターに乗って4階で降りると、2人はすぐ前にある総務部の部屋に入った。「皆さん、彼が山本啓太君です、よろしく。え~と、星野さんは・・・」草刈が部屋の奥に目をやると、星野由紀恵という若い女性は電話中だった。しばらくして彼女が電話を切ると草刈が声をかけた。「星野さん、...啓太がゆく⑮(警視庁の記者時代)

  • テロリストと英雄

    <2022年9月2日に書いた以下の記事を復刻します>テロリストと英雄は紙一重の差である。もしテロリストが、わが身を犠牲にして、敵国の首脳や自国の「国賊」「売国奴」などを殺せば、その人は英雄と呼ばれるだろう。有名な例としては、韓国の安重根(アン・ジュングン)は日本の伊藤博文(初代首相)を暗殺して、英雄と呼ばれるようになった。韓国には安重根の銅像があちこちに建っている。恋人とストーカー、天才と狂人のように、テロリストと英雄も紙一重の差なのである。今回の安部元首相の暗殺事件では、犯人が“英雄的”かどうかは国民一人一人が判断すれば良い。ただ明らかなことは、今回の銃撃事件は、安部氏が韓国の邪悪な「反日宗教団体」に肩入れしたために起きたものだ。これを単なるテロと呼ぶのか、ある種の英雄的な行為として見るかは、個々人の自...テロリストと英雄

  • “鑑識の神様”・岩田政義さん

    <2010年7月31日に書いた以下の記事を復刻します。>何十年も前の古い日記を読んでいたら、昔、警視庁の記者クラブにいた頃、岩田政義さんという鑑識課の人の所へよく伺っていたことを思い出した。岩田さんは“鑑識の神様”と言われた人で、その道の大変なベテランである。もう40年以上も前のことだが、私が警視庁記者クラブに配属され捜査1課・3課を担当した時、事件捜査のことなど全く分からなかった。先輩らにいろいろ聞きながら仕事を始めたが、そのうち「鑑識」というのが非常に重要なものだと知るようになった。今では科学捜査の観点からその重要性が多くの人に知られているが、当時、テレビ局の若造である私はほとんど関心を持っていなかった。しかし、ようやくその重要性が分かって、ある日、思い切って鑑識課を訪れることにした。その頃、テレビ記...“鑑識の神様”・岩田政義さん

  • 『イムジン河 』

    イムジン河(臨津江)とは、北朝鮮から国境を越えて韓国に流れる河である。この曲は、1968年(昭和43年)にザ・フォーク・クルセダーズが発表したものだが、リリース直前に発売中止になったいわくつきのフォークソングだ。理由は、朝鮮総連が「韓国側に偏向した日本語詞になっている」などと抗議したと言われ、原曲は北朝鮮の朴世永が作詞、高宋漢が作曲したものである。それを松山猛が日本語詞にして、ザ・フォーク・クルセダーズが楽曲にした。始めは発売中止になるなど苦難の連続だったが、その後、多くの人に愛され広く歌われるようになった。2001年(平成13年)には、NHKの紅白歌合戦で韓国の歌手キム・ヨンジャも歌っている。南北に分断された朝鮮半島の“哀歌”と言えるだろう。イムジン河임진강-ザ・フォーク・クルセダーズ『イムジン河』

  • 啓太がゆく ⑭(警視庁の記者時代)

    こういう話を聞いても、啓太はあまりピーンと来ない。会社や系列局のことより、身近な仕事の方がどうしても気になるからだ。しかし、テレビ報道の重要性がいっそう増してきたことだけは、草刈の能弁によって分かった感じがしたのである。それから数日して、27日の火曜日が来た。その日は小雨が降るあいにくの天気だったが、啓太は弾むような気持ちでイタリアン・レストラン「T」へ向かった。午後1時前に店に着き待ち受けていると、やがて木内と白鳥が店に入ってきた。「やあ、お久しぶりです。白鳥さんもお元気そうですね」半年ぶりに会う彼女は、どこか穏やかで落ち着いた雰囲気に見える。この前は紺色のスーツ姿だったが、今日は明るいベージュ色の半袖姿だ。半年前は真冬だったが、今は暑い季節だからそうなって当然だ。3人は挨拶を交わして席に着くと、軽い昼...啓太がゆく⑭(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑬(警視庁の記者時代)

    (18)幼稚園児殺害事件4月、春らんまんの季節になる。桜が散ったちょうどその頃、記者クラブに素晴らしい知らせが入ってきた。それは、この夏から『警視庁ニュース記者会』が2階のより広い部屋に移り、それに伴うようにNIPPON、FUJI、NETのテレビ3局が毎日「泊まり勤務」を行なうことになった。これまで毎日泊まりをしていたのはTOKYO放送だけで、FUJIなどの3局は順番に交代で泊まっていた。しかし、ニュースの重要性が増すばかりの時代なので、3局ともそれぞれ泊まり込みをすることになったのだ。これには誰もが賛成で、民放4局のキャップは警視庁と交渉し、同じ2階のより広い部屋を確保することで話しがついた。同時に、FUJIなどの3局は記者の“増員”を会社側に要求し、それを夏までに実現しなければならない。これは草刈キャ...啓太がゆく⑬(警視庁の記者時代)

  • 日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

    <2015年1月20日に書いた記事を原文のまま復刻します。>今年は戦後70周年だが、もし日本があの戦争に勝っていたらどうなっていただろう。そう想像するのは難しいが、少なくとも“引き分け”だったらどうなっていただろう。引き分けでも、たぶん「勝った、勝った」とお祭り騒ぎをして、ますます戦争の道を進んでいったに違いない。軍国主義がますます徹底し、戦線を拡大していっただろう。軍部はさらに増長し、占領地を増やしていったに違いない。来る日も来る日も戦争に明け暮れる。徴兵制がさらに拡大し、18歳以上の男子は必ず軍隊に入る。「生めよ、増やせよ」で、少子化なんて考えられなかっただろう。陸軍大臣、海軍大臣のほかに、空軍大臣も新設されただろう。要するに「1億火の玉」となって、天皇と大日本帝国の栄光のために御奉公しただろう。私な...日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

  • 大宅壮一さんのこと

    <2010年7月に書いた以下の記事を復刻します。>大宅壮一さん1)先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。しかし、私がこ...大宅壮一さんのこと

  • 『喜びもも悲しみも幾年月』

    1957年(昭和32年)に松竹が『喜びも悲しみも幾年月』という映画を制作・公開した。監督は木下恵介で、同名の主題歌を実弟の木下忠司が作詞・作曲し、これを若山彰(あきら)が歌ったところ、映画も歌も大ヒットしたのである。物語は、灯台守の夫婦が戦前から戦後にかけて、厳しい環境のもと北海道から九州に点在する灯台の任務につくというもので、この夫婦役を佐田啓二(俳優・中井貴一の実父)と高峰秀子が演じた。夫婦の半生には、息子の死亡など悲しい出来事があったが、それらを乗り越えて生きていくしかない。こうしたストーリーは、ある実話をもとにして作られたものだ。佐田と高峰の夫婦役も良かったし、若山彰の歌声も生き生きとしていた。喜びもも悲しみも幾年月若山彰s-32『喜びもも悲しみも幾年月』

  • 啓太がゆく ⑪(警視庁の記者時代)

    第3部・・・空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語(以下に主な登場人物)山本啓太(主人公)坂井則夫(啓太の同期)草刈俊平(警視庁クラブ・キャップ)蒲田二郎(先輩記者)松本邦明(先輩記者)森永徹郎(先輩記者)石浜報道部長花井久(ディレクター)村井隆(デスク)高山重男(デスク)小出誠一(啓太の同期)石黒達也(同期のアナ)木内典子(雑誌社の記者)白鳥京子(木内の同僚)山本久乃(母)山本国義(父)山本国雄(啓太の兄)など(13)警視庁ニュース記者会正面玄関の警察官に記者証を見せると、啓太は警視庁1階のロビーに入った。そこに横たわっている警察犬の銅像は、緊張した気持を幾分なごませてくれる。彼は回り階段を上って2階の『警視庁ニュース記者会』へと向かった。部屋に入ると、雑然とした雰囲気の中で数人の男たちがソファ...啓太がゆく⑪(警視庁の記者時代)

  • 『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

    <2017年3月27日に書いた以下の記事を復刻します。>1)森友学園疑惑はもちろん重大な問題だが、われわれは最近の日本の動きを真剣に検証してみる必要があるのではないか。かく言う私も現象面にとらわれ過ぎて、根本的な問題をおろそかにしているのではと反省している。それは森友疑惑で露見したと言ってよいが、最近の日本は明らかに“右傾化”している。これは森友学園の問題だけでなく、その背後に大きな流れが起きているからだろう。端的に言うと、それは「日本会議(にっぽんかいぎ)」の存在が象徴的なものだと思う。不勉強な私は日本会議のことをほとんど知らなかったし、またその名称を聞いても無視していた。ところが森友問題が発生し、その関連でジャーナリストの菅野完(たもつ)氏や青木理(おさむ)氏の話を聞き、にわかに日本会議の重要性に気が...『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

  • 映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

    〈2018年10月に書いた以下の記事を復刻します。〉今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館へ行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定して...映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

  • 石橋湛山元首相を讃える

    <以下の文を復刻します。>戦前、日本の帝国主義や軍部の拡大主義に反対した石橋湛山(元首相)のことをよく知らなかったが、以下のドキュメンタリーで少しは分かったつもりである。石橋は経済ジャーナリストとして出発したが弾圧を受け、戦後は政界に転身してGHQに対しても毅然とした態度を堅持した。まことに天晴れである。そして、首相にまで上り詰めたが、突然の病いで在任期間わずか65日で退陣を余儀なくされた。しかし、その後は国交のない中国を訪問するなど、彼なりの努力で世界平和に貢献したのである。極めて短い解説だが、石橋湛山に関心のある方はぜひ以下のNHKドキュメンタリーを見ていただきたい。日本にもこういう政治家がいたのだ。https://www.youtube.com/watch?v=kmYD01OwQPkhttps://...石橋湛山元首相を讃える

  • 『東京ブギウギ』

    『東京ブギウギ』は1947年(昭和22年)にリリースされ一躍ヒットしたが、のちの『青い山脈』と共に、敗戦直後の日本に明るい開放的な気分をもたらした曲と言えるだろう。両方とも服部良一が作曲したが、こちらの作詞は鈴木勝で、笠置シヅ子が歌った。笠置の歌声も元気いっぱいで良いが、なんと言っても、ブギウギのリズム感あふれる音色が素晴らしい。子供の頃に聴いた思い出がよみがえってくる。笠置シズ子東京ブギウギ歌詞付き『東京ブギウギ』

  • 啓太がゆく ⑩(労働組合騒動)

    季節は6月に入った。しばらくすると、景気が非常に良くて夏のボーナスは過去最高になるという噂が広まった。組合も協議会も会社側と交渉しているが、こんなに早くボーナスアップの話が出てきたことはない。世の中はどうだろうか・・・東京オリンピック後の反動で景気は一時悪化したが、今や完全に回復している。それどころか、未曽有の“いざなぎ景気”というのが実現し好景気の話に沸き立っていた。「3C」というカー、クーラー、カラーテレビの売れ行きは絶好調になり、この年(昭和42年)、テレビの契約世帯は2000万を突破した。それもあってか、東京の各キー局はカラー放送の実施に全力を挙げるようになり、新聞のテレビ欄には「カラー」という表示が増えてきた。こうなると世の中の風潮も明るくなり、ミニスカートが大流行したりグループサウンズが人気を...啓太がゆく⑩(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ⑨(労働組合騒動)

    なかなか寝付かれない。今村や小出、それに木内典子ら組合員の顔が脳裏の浮かんでくる。彼らは啓太をじっと見据えて、「組合を脱退するのか?」と詰問しているみたいだ。それらの“幻覚”を振り払って啓太は眠りにつこうとする・・・しかし、眠れない。彼はベッドの上で上半身を起こし、しばらく放心状態になった。どうして俺は眠れないのだろうか。俺はそんなにも小心で気が弱いのか。啓太は自分が情けなくなった。両親にも石浜部長にも組合を脱退すると約束したのに、いざとなるとひるんでしまうのか。自問自答にもならない不毛の想念に、啓太は次第に疲れてきた。また横になって2時間、3時間・・・結局、彼は一睡もできずにその晩を過ごした。これなら、仮眠を取らず起きていた方がよっぽど良かったではないか。啓太は疲労を感じながら、再び職場に戻った。曽我と...啓太がゆく⑨(労働組合騒動)

  • 髪を梳く女

    ぼくが散歩をしていると家の外に出てきた女が長い髪を梳いていた中年風の女だったがなぜか気になる髪を梳くと女は美しく見えるのだろうかノースリーブのその女は気持良さそうに梳いている目と目が合うと彼女がほほ笑んだように見えたぼくもにこりとしたがそのまま通りすぎる髪は女の命なのかかぐわしい雰囲気が漂う(2010年6月17日)髪を梳く女

  • 宗教法人の優遇税制を見直せ!

    <以下の記事は2011年2月1日に書いたものですが、もう一度皆さんに訴えたいと思います。>★宗教法人への税制優遇措置は、不公平税制の最たるものだ!朝日新聞の1月30日付の朝刊に、宗教法人が事実上「売買」されている特集記事が載っていた。興味を惹かれたので読んでみると、驚くことばかりだ。宗教法人は税制上かなりの優遇措置を受けているから、今やそのメリットが目的で、インターネット上でも堂々と売買の取り引きがされているという。その背景には、休眠中の宗教法人が急増していることがある。「休眠中」とは、1年間の活動報告が国や都道府県に提出されていないものだ。朝日新聞の調べでは、全国18万2527の宗教法人を調べたところ、休眠の法人が1万6750、全体の9,2%もあったという(2009年度末時点)。この休眠宗教法人を狙って...宗教法人の優遇税制を見直せ!

  • 思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

    〈2010年2月16日に書いた記事を復刻します。〉先日、私は自分のあるブログ記事の中で、日本社会は成熟してきたとコメンしたのだが、ある人から「日本社会は、どんどん幼稚化してきたのでは」というコメントをいただいた。その時、ハッと気がついたのだが、日本人だけでなく現代人は“劣化”しているのではと思った。どういう意味かというと、現代人はものを考えるという習性が弱くなってきたのではと思ったからだ。しかし、そんなことはない、私はものをよく考えていると言う人がいたら、まず先に謝っておきたい。世の中がコンピュータ化し機械化が進み、人々は便利な生活を享受するようになった。それは結構なことだと思うし、もう昔のような非文明的な暮しには戻れないだろう。科学技術は日進月歩だし、パソコンやら携帯電話やらコンピュータゲームなどが登場...思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

  • 啓太がゆく ⑦(労働組合騒動)

    時限ストの日が来た。みんな初めての体験だが、正午過ぎに会社の近くの○✖公園に集まる。啓太も小出や今村と連れ立って公園へ行った。すでに20人余りの組合員が集まっていたが、報道部では夜のニュースのADを務める木内典子(のりこ)が来ていた。「やあ、木内さんは早いね。張り切ってるな」今村が声をかけると彼女が答えた。「ええ、だって私は夜のニュースですもの。昼間はなんでもできます」木内がすっきりした笑顔を浮かべ啓太らを出迎えた。彼女は2歳年下だが、高校卒でFUJIテレビに入ったため社歴は古い。組合活動には熱心で、報道では女性ただ1人の発起人になっていた。すらりとした長身で背丈は啓太ほどあったが、知的で穏やかな性格が職場の人望を集めていた。やがて集会が始まるころには組合員も40人ほどに増えただろうか、ドラマ制作部の山村...啓太がゆく⑦(労働組合騒動)

  • 石橋政嗣さんのこと

    <石橋政嗣さんは2019年12月9日に亡くなりました。満95歳でした。ここに哀悼の意を捧げると共に、2014年12月12日に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>先日、総選挙の関連で昔の日本社会党(以下、社会党と記す)を調べていたら、元委員長の石橋政嗣(まさし)さんのことが分かった。満90歳だがご健在だという。懐かしくなって、昔のテレビ局記者時代のことを思い出した。私が社会党など野党の担当をしていたころ、石橋さんに何度か取材したことがあるのだ。石橋政嗣さんと言っても、今の人はほとんど知らないだろう。しかし、1960年代から80年代にかけて、旧社会党では最も代表的な政治家の一人だった。私は自民党の政治家については何人も取り上げたが、社会党では石橋さんが初めてだ。それほど、野党の中では印象に残る人だった。前...石橋政嗣さんのこと

  • アザレアの花

    鮮やかなアザレアの花アザレアの花

  • フランスの美しい田園と原発

    〈2011年4月2日に書いた以下の記事を復刻します〉フランスの原発電力量が国内全体の80%近くもあると聞いて驚いた。これは福島原発事故の関連で伝えられたものだが、今のフランスは原発で国が成り立っているということだ。そこで嫌なことを思い出した。もう17年ほど前だが、フランスを単身で観光旅行したことがある。パリ見物がメインだったが、他に数件のオプション観光コースがあり、私は迷わず「ロワール川の古城めぐり」を選んだ。ロワール川はフランスの中央部を流れる大河で、その流域には中世の面影を残す古城が幾つも点在している。当時はそうでなかったが、今は世界遺産に登録されている所だ。ある朝、私はパリから観光バスに乗って出発した。すると、ほどなく田園地帯が広がってきた。フランスはもともと農業国なのだ。6月の陽光が田畑を照らし、...フランスの美しい田園と原発

  • 啓太がゆく ⑥(労働組合騒動)

    第2部<第1部に続いて空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語。>(6)報道部に戻る5月の連休明けに山本啓太は報道部に戻った。顔なじみの同僚にまじって数人の新人がいたが、意外だったのは同期の大橋剛(つよし)がいたことである。彼はスポーツ部を志望していたはずなのに、どうして報道に移ってきたのだろうか。啓太はすぐに声をかけた。「大橋、君はどうして報道に来たの?意外だな」「ハッハッハッハ、あとでゆっくり話すよ。それより、山本と同じ職場になるなんて考えてもみなかったさ」大橋は屈託のない笑みを浮かべた。彼はもともと陸上競技の選手で、そのスポーツマンらしい爽やかな態度に啓太は好感を持っていた。その日の午前中、ニュースの内勤整理の仕事をこなしたあと、昼休みに2人はさっそく連れ立って社員食堂に向かった。「“ゴウちゃ...啓太がゆく⑥(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ⑤(仕事と恋とレジャー)

    「そうですか、蔵原さんはそういう人ですか・・・」啓太はそれ以上は聞かなかったが、蔵原になにか不吉な予感を覚えた。そして、西尾と啓太は喫茶室を出たあとドラマ制作部に戻り、明日の予定を確認してから別れた。翌朝、出社すると岡山ディレクターが嬉しそうな顔をして言う。「放送予定日がようやく決まったよ。4月14日と21日の2回に分けて放送する。これで落ち着いてやっていけるね」啓太も安堵した気分になって聞いた。「時間枠はどこですか?」「うん、夜のシオノギ劇場の枠だそうだ。よかったよ」岡山はやっと安心して取り組めるといった表情を見せた。ほかのスタッフも約1カ月後の放送が決まって喜んだが、まだ心配なのは、ニッカツ映画社との交渉の行方である。これが決着しないかぎり、吉永ゆかりの出演は本決まりにはならないのだ。しかし、それは村...啓太がゆく⑤(仕事と恋とレジャー)

  • 板門店(パンムンジョム)

    <以下の記事は2013年7月27日に書いたものです。>テレビで朝鮮戦争の休戦60周年を盛んに伝えているが、一昨年(2011年)、北朝鮮の板門店(はんもんてん)を見学したことを思い出した。詳しいことは以下の記事を読んでもらえれば分かるが(北朝鮮訪問記(後編)・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ba14ce746b47149fde9c618eb35bef7)、2年前の6月、板門店の休戦協定調印式場などを訪問したことが急に懐かしくなった。一言で言うと、北からの見学は実に楽である。それはあの戦争を北の「勝利」と見ているから、見学も寛大なのだろうか。ガイドさんがやたらに写真を撮れ、撮れと言うからそうなのだろう。我々日本人の眼から見れば、朝鮮戦争は南北の“引き分け”だと思...板門店(パンムンジョム)

  • “やまとなでしこ”は消えない!

    <今は少し考えが違いますが、2002年10月に書いた以下の記事を復刻します>1)2年ほど前だったが、民放テレビのドラマで「やまとなでしこ」というのを放送していた。「人生は金なり」という松嶋菜々子さん扮するスッチーが、やがて真実の愛に目覚めて、最後に魚屋の独身男性と結ばれるという話だったと思う。その時、久し振りに大和撫子(やまとなでしこ)という言葉を聞いたような気がした。なにか新鮮な感じがした。というのは、「大和撫子」という言葉自体が、化石か死語になってしまったと思っていたからだ。若い人達は「やまとなでしこ」とは何か、国語辞典をひもといただろう。そして「大和撫子」とは、日本女性の美しさ、清らかさを讃えた言葉であることを知ったに違いない。これは、日本の男性が永遠に憧れるものなのである。そういう意味で、「大和撫...“やまとなでしこ”は消えない!

  • アルメニア・コニャック

    ロシアで美味いものと言えば色々あるだろうが、私はアルメニア・コニャックをお勧めしたい。コニャック、つまりブランデーである。“飲み助”にはこたえられない。白ブドウから作られるが、このAPAPAT・アララトは特に素晴らしい。アルメニアには行ったことがないが、ロシアへ行くとこのコニャックが沢山売られている。以前、サハリンへ行った時に2本買ったが、うち1本は我慢できずホテルで飲んでしまった(笑)。もう1本を持ち帰り、大切にチビリ、チビリと飲んだ。アララトはアルメニアの聖なる山で(現在はトルコ領)、「ノアの箱舟」が行き着いた場所とされる。あのチャーチル(元イギリス首相)もヤルタ会談の時にこのAPAPATを大変気に入り、年に400本も個人で輸入したという。詳しいことは、以下の記事をぜひ読んでいただきたい。⇒http:...アルメニア・コニャック

  • 『みかんの花咲く丘』

    日本の童謡の中で、最も有名な歌の一つだろう。作られたのは昭和21年(1946年)8月だから、戦後1年しか経っていない。作詞は加藤省吾、作曲は海沼實で、歌ったのは当時ファンが多かった12歳の川田正子である。この童謡の完成は、NHKの「ラジオ二元放送」の直前(1日前)だったという有名なエピソードが残っており、正に“間一髪”の出来事だった。そうした経緯(いきさつ)がかえって幸いしたのか、発表直後から驚くべき反響を呼び、この童謡は一躍全国的に知られるようになった。敗戦直後だっただけに、多くの日本国民がこの歌に癒されたのだろう。もちろん「日本の歌百選」にも選ばれており、今でも人々に愛され歌い続けられているのだ。1946(昭和21)『みかんの花咲く丘』唄:川田正子『みかんの花咲く丘』

  • 啓太がゆく ③(仕事と恋とレジャー)

    このコルト600は白銀色に輝いている。啓太は車に乗り込むとギアやブレーキなどを点検したあと、駐車場からゆっくりと出発した。初めての路上運転なので緊張する。絶対に「安全第一」と自分に言い聞かせながら、コルト600を走らせた。そうは言っても、自分の車だと思うと胸が高鳴ってくる。自然に誇らしい気持になるのだ。ところが、彼が山手通りに出て北へ向かう途中の西池袋付近だったか、車が何かの拍子で突然エンスト(エンジンストップ)を起こした。焦って何度もエンジンをかけようとしたが、なかなかかからない。道路の真ん中で立ち往生になった。すると、後ろのトラックの運転手が怒鳴った。「バッカヤロー!おんぼろ車に乗るな!!」そう叫んで、トラックの運転手はコルト600を追い越していった。啓太は冷や汗が出る思いだった。当時の車はよくエンス...啓太がゆく③(仕事と恋とレジャー)

  • 日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

    <2011年10月22日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>日本共産党の本部ビル日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間320億円ぐらいあるという。共産党はよく、この320億円を大震災の被災者救援に回せと言っている。こ...日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

  • 『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか? 小百合さん

    以下の復刻話は、オールド映画ファンの“戯れ言”として聞いてほしい。映画『忍ぶ川』(DVD・原作は三浦哲郎)を借りてきて見たが、最後の“初夜のシーン”が実に美しく素晴らしかった。ゆったりとしていて生命感にあふれている。加藤剛と栗原小巻が主演の映画だ。そこで『忍ぶ川』を調べていたら、面白い話が出てきた。熊井啓監督は当初、吉永小百合を主演に考えて、吉永の両親らともいろいろ打ち合わせをしていた。日活もその線で動いていた。しかし、熊井監督が吉永の自宅で泥酔し母親(和枝さん)と悶着を起こしたり、白黒映画にするかカラー作品にするかなどで父親(芳之さん)と対立したとのことだ。結局、吉永小百合の出演は“ご破算”になって、栗原小巻の登場になったという。映画(1972年)も俳優座の作品、東宝の配給となった。小巻さんが小百合さん...『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか?小百合さん

  • イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

    イエス・キリストの痛切な一言イエスの山上の垂訓(ブロッホ作)「自分の目には梁(はり)があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵(ちり)を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁(はり)を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵(ちり)を取りのけることができるだろう」(山上の垂訓より)他国を非難する前に、まず自分のことを振り返ったらどうだ!日本は「非核保有国」だから北朝鮮を非難する資格があるが、さんざん核実験をやった核保有国が、北朝鮮などを非難してもなんら説得力がない。核軍縮や核廃絶に向けて、なんら努力をしていない国々は、北朝鮮を非難する資格はない!NPT・核拡散防止条約に大きな問題点があるのだ!こんなに不公正、不平等な条約はほかにないのだ。核拡...イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

  • 国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

    <以下の記事は2006年11月7日に書いたものですが、基本的な考えは今でも変わっていません。一部修正して復刻します。>1)北朝鮮の衝撃的な核実験(2006年10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し1976年に批准している。それはそれで良いのだが、発効後36年経ってさまざまな矛盾や問題が生じている。ご承知のように、北朝鮮は2...国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

  • 啓太がゆく ②(仕事と恋とレジャー)

    そういう仕事を続けているうちに、いよいよ秋も本番となり素晴らしい季節になってきた。東京オリンピックの開幕が近づき、日本中が浮き立つような気分になってきた。聖火リレーが国中を回り、高速道路やモノレールが開通する。そして、10月1日には東海道新幹線も開通した。これは超ビッグイベントで、国内外の注目を浴びた。テレビは中継に大わらわで、外国メディアももちろん絶賛する。こんなに速く走る列車は世界中どこにもないのだ!日本中がなにか偉くなったような感じがした。そういう精神的興奮状態の中で、10月10日、ついに東京オリンピックの開会式を迎えたのだ。その日は快晴に恵まれ、さわやかな秋らしい一日となった。啓太はむろん開会式の模様をテレビで見たが、正直言って感動した。古関裕而(こせきゆうじ)作曲の「オリンピックマーチ」が奏でら...啓太がゆく②(仕事と恋とレジャー)

  • 啓太がゆく ①(仕事と恋とレジャー)

    <これは空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語で、2019年5月15日に完成しました。したがって、時制はその当時のものです。>主な登場人物<順不同>山本啓太(主人公)小出誠一(啓太の同期)五代厚子(先輩アナウンサー)江藤知子(同期アナ)石黒達也(同期アナ)森末太郎(同期アナ)木内典子(報道部員)山本久乃(母)山本国義(父)山本国雄(啓太の兄)陣内春彦社長星野ディレクター(報道番組)石浜副部長(報道番組デスク、のちに報道部長)金森次郎(報道番組)三雲大輔(ドキュメンタリー班)蔵原圭一(俳優)吉永ゆかり(女優)岡山太郎(ドラマ制作部・ディレクター)西尾、植木(AD)蔵原文枝(圭一の妹)ほか<主な参考文献・ネット資料など>ピエールとリュース(ロマン・ロラン、渡辺淳訳・鉄筆文庫)ロングラン(村上七郎)メデ...啓太がゆく①(仕事と恋とレジャー)

  • 経済大国→ 老大国→ 老衰国・・・それで良いのか?

    <2019年10月17日に書いた以下の記事を復刻します>日本は経済大国である。戦後の経済復興で、アメリカに次いで世界第2位のGNP(国民総生産)を誇ったことがある。その当時は「ジャパンアズナンバーワン」「エコノミック・アニマル」などと言われたことがあった。日本は今でも経済大国に変わりないが、近年はどこか精彩がないようだ。それは経済力で中国に抜かれ、第3位に転落したこともあるが、全体的に停滞、あるいは沈滞している傾向がある。だから私は、経済大国からむしろ“老大国”になったのかと思うことがあるが、それはどうしてだろうか。経済の専門家ではない私なので、全体的な話をしよう。第1に、人口が減りつつあることだ。日本の総人口が1億人を突破したのは1966年(昭和41年・法務省統計局調べ)と言われるが、その当時は正に高度...経済大国→老大国→老衰国・・・それで良いのか?

  • サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

    <2012年8月に行ったサハリンの州都・ユジノサハリンスクの記事を復刻します>サハリン(樺太)の州都・ユジノサハリンスクは、日本統治時代に「豊原」と言ったが、今でも戦前の面影が残っている所が幾つもある。中でも「郷土博物館」は1937年(昭和12年)に建てられた純日本風の建物で、和風の庭園には旧日本軍の戦車や大砲が置かれている。戦前にタイムスリップした感じがした。郷土博物館の全景旧日本軍の大砲の前でソ連邦が消滅してもう20年以上たつが、サハリンにはあちこちに「レーニン像」が立っている。そこが面白い。ロシア本土ではだいぶ撤去されたはずだが、極東のサハリンにはあまり影響がなかったのだろう。広場や通りの名前も共産主義時代の名残りを留めている。私個人はレーニンが大好きで、彼はガンジーと並ぶ20世紀最大の英雄だと思っ...サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

  • 機密費について

    <機密費が問題になっているので、2010年5月20日に書いた以下の記事を復刻します。>“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。明石元二郎日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊さ...機密費について

  • 『天安門は見ていた』第1部⑤ 鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

    それからおよそ6年後、中国は華国鋒ら最後の文革派グループが失脚し、代わって鄧小平の指導のもと、胡耀邦や趙紫陽らの改革・開放派が完全に実権を掌握していた。その間、国内は目覚ましい経済成長を続け、国力を増強していった。しかし、政権の内部では、民主化、自由化をめぐって対立がいっそう深まっていったのである。第5幕・・・鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂第1場<1985年の“春節”のころ、北京市・豊台区にある李慶之の自宅。彼が妻の摂栄花といるところに、宋哲元と新妻の李美瑛が訪ねてくる>宋哲元「やあ、久しぶりだね。里帰りなので伺ったが、みなさん、お元気かな?」李慶之「うむ、元気にやっているよ。美瑛はもうすぐ赤ちゃんが生まれるね、めでたいな」李美瑛「兄さんや栄花さんもお元気でなによりです。私はこの通り、お腹がふくらんでいます(...『天安門は見ていた』第1部⑤鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

  • 「南京大虐殺」はあった! 日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

    <2017年12月に書いた以下の記事を復刻します。>南京虐殺事件すでに多くの人が知っていることだが、日本テレビ系の各社は10月4日に、いわゆる「南京事件」のドキュメントを放送した。小野賢二さんという方の調査を本に構成したものだが、これは「南京事件」を知る上で大きな手がかりになるものだ。「南京事件」の全容については依然不明な点があるものの、小野さんらの努力でだいぶ明らかになった。中国側の見解には誇張した面があるかもしれないが、“南京大虐殺”があったのは事実である。犠牲者が何万人か、何十万人かといった視点ではなく、旧日本軍がかつて犯した事実を冷静に受け止めなければならない。今後日中関係はどうなるか分からないが、こうした歴史的事実の上に立って、新たな未来を切り開かなくてはならないと思う。そうした観点から、日本テ...「南京大虐殺」はあった!日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

  • 早とちり記者

    <2020年4月に書いた以下の記事を復刻します>“早とちり記者”とは私のことである。不名誉なことだが、昔、某テレビ局の記者をしていた時、数回はそんなことがあった。もちろん、他の新聞やテレビでもそういうことはある。まあ、勇み足とか早合点による失敗を言うのだが、記者とは他社に先駆けてネタをつかみたいと思うから、時々、そういう失敗をするものである。私の場合、数回の中で特に忘れられないものがある。というのは、記事になって放送されたりすると、それは“誤報”になるのだ。その場合、後で訂正して謝罪しなければならない。ところが、訂正や謝罪の機会がないまま、ずるずると行ってしまうこともある。つまり、結果的に“頬かぶり”したことになるのだ。だいぶ前置きが長くなったが、忘れられない失敗とは以下のようなことだ。反省を込めて言わね...早とちり記者

  • 『喫茶店の片隅で』

    1955年(昭和30年)の歌で、松島詩子(うたこ)が歌ってヒットした。喫茶店はいつの時代でも“憩い”の場所だ。誰にでも思い出の数々があるだろう。私にも無数にある。一つだけ言わせてもらうと、学生時代に憧れの女子大生とぜひ喫茶店に行きたいと願っていたが、ついにその夢は果たされなかった。理由は簡単、自分が奥手で不器用、意気地なしだったからだ。そんな情けない話は別として、永遠にあり続けてほしい“喫茶店”の歌を載せておこう。作詞・矢野亮、作曲・中野忠晴1アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店いつもあなたと逢った日の小さな赤い椅子二つモカの香りがにじんでた2ふたり黙って向きあって聞いたショパンのノクターンもれるピアノの音(ね)につれてつんでは崩しまたつんだ夢はいずこに消えたやら3遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶...『喫茶店の片隅で』

  • 『天安門は見ていた』第1部④ 鄧小平の復活→華国鋒との戦い

    第4幕・・・鄧小平の復活→華国鋒との戦い第1場<1976年の10月下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平のほかに胡耀邦、趙刻明、卓琳夫人がいる>趙刻明「四人組が逮捕されたのを、多くの国民は歓迎していますよ。いたる所に壁新聞が貼られ、喜びのメッセージが寄せられています」胡耀邦「なにか世の中が大きく変わる感じがしますね。毛主席と四人組がいなくなって、これからどうなるのか。華国鋒氏が党主席の地位に就きましたが、彼は以前、湖南省で私の部下だった人物です。大変な“出世”だな」趙刻明「そうだったのですね、あなたは華国鋒氏に大きく水を開けられた感じだ(笑)」胡耀邦「参ったな~、ハッハッハッハ」鄧小平「うむ、私も四人組が逮捕されたあと、彼にすぐ書簡を送っておいた。新体制を全面的に支持すると言っておいたよ」趙刻明「...『天安門は見ていた』第1部④鄧小平の復活→華国鋒との戦い

  • 『天安門は見ていた』第1部③ 毛沢東の死と“四人組”の滅亡

    第3幕・・・毛沢東の死と“四人組”の滅亡第1場<8月上旬のある日、北京・中南海にある江青の居宅。江青ら四人組が集まっている>江青「唐山の大地震はすごかったですね。ようやく余震も治まってきましたが、被害は甚大だと聞いていますよ」張春橋「死者がどのくらいになるのか分からない。20万人、いや30万人以上になるとか・・・もっと多いかもしれない」王洪文「政府も党も一丸となって救援活動を続けていますが、復旧の見通しはまったく立っていません。恐るべき大地震でした」姚文元「外国からも救援の申し出がありましたが、わが国は“自力更生”がモットーですから、丁重にお断りしました。それに、もし外国の救援隊やマスコミを受け入れたら、どんな報道をされるか分かりませんよ」張春橋「うむ、ここは自力更生で行くしかない。わが国の底力が試されて...『天安門は見ていた』第1部③毛沢東の死と“四人組”の滅亡

  • 戦後の名曲・コメント一覧③(連載中)

    101『天使の誘惑』1968年(昭和43年)にリリースされた曲で、作詞はなかにし礼、作曲は鈴木邦彦で、黛(まゆずみ)ジュンが歌った。黛ジュンはコケティッシュな風貌で人気を集めていたが、この歌で1968年のレコード大賞を受賞した。前年の『恋のハレルヤ』などからこの年にかけては彼女の全盛時代で、レコードの売り上げが約500万枚に達したと言われるから凄い。丁度そのころミニスカートが大流行したが、黛ジュンはそれにぴったりの容姿だったろう。102『春一番』1976年(昭和51年)3月にリリースされた曲で、作詞・作曲は穂口雄右で、歌ったのはラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤村美樹)の3人から成るコーラスグループの「キャンディーズ」だ。当時の「キャンディーズ」は人気絶頂で次々とヒット曲を出したが、この『春一番』...戦後の名曲・コメント一覧③(連載中)

  • 戦後の名曲・コメント一覧②

    51『あなたの心に』1969年(昭和44年)にリリースされた曲で、作詞は中山千夏(ちなつ)、作曲は都倉俊一で、中山自身が歌った。清らかな乙女心を見事に表現した歌詞だと思うので、以下に載せておきたい。中山千夏は子供の頃から“名子役”と言われ、舞台などで活躍していたが、のちに女優やテレビタレント、声優や歌手でも名をはせた。まさに“女性マルチタレント”の元祖のような存在で、誰もが彼女のことを知っていたと思う。それだけでなく、ウーマン・リブ運動に参画したあと、1980年(昭和55年)には参議院議員に当選し、一時は「革新自由連合」の党首も務めたのだ。私が知るかぎり、政党会派の“女性党首”になったのは中山千夏が日本で初めてである。このように多彩な活動で注目されたが、彼女が初めて作詞したこの曲は、清純な乙女心が見事に表...戦後の名曲・コメント一覧②

  • 戦後の名曲・コメント一覧①

    拙フェイスブックに連載中の「戦後の名曲」シリーズのコメントを、参考までに転載しておきます。戦後の名曲1)『夏の思い出』夏がくると、つい思い出してしまうのがこの曲だ。昭和24年(1949年)にNHKラジオで放送されたもので、作詞は江間章子、作曲は中田喜直である。蒸し暑い夏ではあるが、この曲を聴くと少しは涼しさを感じるような気持ちになる。2)『少年時代』真夏になると、いつも『少年時代』の歌を思い出す。同名の映画のテーマソングだが、井上陽水が平成2年(1990年)に作詞・作曲したものだ。映画の原作は遠い昔、太平洋戦争時代に富山に疎開したある少年の物語だが、陽水の音楽は幻想的、象徴的で詩情豊かなものになっている。YouTubeに素晴らしい映像があったので、拝借することにした。3)『ブルー・シャトウ』1967年(昭...戦後の名曲・コメント一覧①

  • 大相撲の土俵は広げられないのか?

    <以下の記事は2014年11月26日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>相撲ファンとして一言いわせてもらいたいが、大相撲がなんとなく面白くなくなってきたと、多くの人が思っているかもしれない。それは日本人力士の優勝がずっとないとか、日本人の横綱誕生が途絶えているとか、いろいろな理由があるだろう。それはともかく、私はズバリ言って、土俵の広さにも原因があると思っている。現在の土俵は直径15尺・4,55メートルなのだが、これは1931年(昭和6年)以来続いているものだ。それまでは直径13尺・3,94メートルだったが、その年に、相撲をより面白いものにしようという趣旨で広げられた。これで、より攻防の激しい相撲になったと思うが、実は終戦直後の1945年(昭和20年)に、当時のGHQの指令で一時、土俵が16尺・...大相撲の土俵は広げられないのか?

  • 一言集(10)

    ☆生涯一記者真実を後世に伝える☆「老兵は死なずただ消え去るのみ」(マッカーサー)。老兵は消えるだがまだ生きてるぞ~っ!☆人間には必ず運不運がある☆間違った劣等感や優越感は持たないように注意しよう☆われ戦う故にわれあり生は戦いだ☆人類の歴史ほど面白いものはない☆“満ち足りる”のを知ることが幸福につながる☆人間も生き物もみんな死ぬということでは「平等」である☆闘争本能は生物が生きていく上での絶対条件である☆年を取ると、何かをするのに早すぎるということはない。一日も早く何かをしよう。放っておくと、だいたい遅すぎてしまうのだ☆「ベートーヴェン」を「ベートーベン」と表記するなら、「こんにちは、こんばんは」は、これから『こんにちわ、こんばんわ』と表記してやるぞ!☆映画館の座席のヘッドレストはまったく邪魔だ。首や肩が疲...一言集(10)

  • トランプとルーズベルト

    <2017年1月11日に書いた記事をそのまま復刻します>トランプ次期大統領F・D・ルーズベルト大統領アメリカのトランプ次期大統領のツイッターが話題になっているが、これを聞いて私は20世紀の偉大な政治家であるフランクリン・ルーズベルト大統領のことを思い出した。政治に興味のある方はむろん知っているだろうが、ルーズベルトは1933年に大統領に就任したあと、ラジオを使った「炉辺談話」を始めたことでも有名である。ラジオは1920年代からアメリカで大いに普及したが、実はルーズベルトはニューヨーク州知事時代(1929年~1932年)に真っ先にそれに目を付け、炉辺談話に使っていたそうである。つまり、彼は当時の最新のメディアであるラジオを有効に利用していたわけだ。そう考えると、トランプ氏も現代の最新のメディアであるインター...トランプとルーズベルト

  • <復刻> アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利

    アメリカの大統領選は、共和党のドナルド・トランプ氏が民主党のカマラ・ハリス氏に勝利し、4年ぶりに返り咲くことになった。当初の予想では大接戦になるかと見られていたが、意外にあっさりとトランプ氏の当確が出た。マスコミの予想が外れたのだろうか。ドナルド・トランプ氏テレビニュースなどを聞いていると、アメリカの「経済」が国民にとって芳しくないことが、トランプ氏有利に働いたようだ。物価高などによる生活苦、困窮化が最大の要因になったと見られる。要するに、バイデン民主党政権の経済政策が上手くいかなかったと言える。外交や安全保障なども重要だが、アメリカ国民にとってはやはり身近な「生活」の問題が最重要だったのだろう。他にもトランプ勝利の要因はいくつかあろうが、“アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ氏の主張が広く支持されたと...<復刻>アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利

  • 大プロデューサー・横沢彪さんのこと

    <2011年1月11日に書いた記事を一部修正して復刻します。>元フジテレビの大プロデューサー・横沢彪(たけし)さんが8日、都内の病院で亡くなった。73歳。横沢さんについては多くを語る必要はないだろう。彼のお陰で、視聴率最悪のフジテレビが、起死回生の復活を遂げたのだから。いわば、フジテレビの最大の功労者の一人である。何かテレビの“申し子”のような存在であった。横沢さんは私の2年先輩で、東大を出たあと1962年(昭和37年)にフジテレビに入社した。一時期を除いて、ほとんど制作現場を歩まれた人である。私は1964年(昭和39年)にフジテレビに入ったが、もっぱら報道畑にいたので横沢先輩とはほとんど接点がなかった。ただ、2回だけ横沢さんと酒を飲みながら話をする機会があった。以下はちょっとした思い出になるが、その話を...大プロデューサー・横沢彪さんのこと

  • 『天安門は見ていた』第1部① “四人組”の権勢と周恩来の死

    <まえがき>このレーゼドラマ(読むための戯曲)は、40年前に書いた中国現代史劇『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場<1975年12月の某日。北京・中南海にある江青の居室。江青(61歳)のほかに、張春橋(58歳)、王洪文(40歳)、姚文元(44歳)が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中>江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてくだ...『天安門は見ていた』第1部①“四人組”の権勢と周恩来の死

  • 一言集(9)

    ☆英雄は“いざという時”にしか姿を現わさない☆人生を肯定的に見よう!☆どんなに売国奴、非国民と罵倒されようとも、戦争に反対するべきだ。しかし、本当に「正義」のための戦争なら・・・?☆戦争が「合法的殺人行為」なら、テロは「非合法的殺人行為」なのだろう。しかし、どれほどの違いがあるのか☆街中で1人殺すと“殺人犯”になるが、戦場で100人殺すと“英雄”になるんだって!?☆年を取ると体力や能力が衰えるが、同時に精神力も衰える。意欲はあっても「まあ、いいや~」「あとでなんとかなるだろう」と思ってしまう☆人生とは燃焼すること、だから完全燃焼しよう☆愛とは“炎への憧れ”である(ゲーテ)☆老眼が進んで、文字が読みにくい!一言集(9)

  • 一言集(8)

    ☆やれる時にやるやれるうちにやるやるのは今だ!行ける時に行く行けるうちに行く行くのは今だ!人生は二度とない☆高額納税者にも生活保護者にもなれるわけはないが、どちらかと言えば高額納税者になりたい。でも、無理だ(笑)☆賢者も1票・馬鹿も1票、善人も1票・悪人も1票、天才も1票・阿呆も1票・・・それが民主主義なのか。しかし、基本的人権に、差別があってはならない☆民主主義の基本は“多様性”である☆小さなこと、些細なことに喜びを感じるのは幸せである。身近なことに“やりがい”を感じるのも幸せである☆雨にも負けず風にも負けず・・・みんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい(宮沢賢治の詩)☆平和な時代には英雄は要らない。かえって邪魔だ。不幸な乱世の時代にこそ英雄が必要だ☆負けるのは...一言集(8)

  • 少子化は当たり前だ! 少ない子供を大切に育てる

    <2014年7月26日に書いた以下の記事を復刻します>全国知事会が今月15日「少子化非常事態宣言」を採択したが、少子化で日本の人口が減っていくのは当然である。今さら非常事態宣言を発したからといってどうなるのか。国や地方は本当に少子化対策をとっているのか!?あやしいものだ。例えば第2子から30万円、第3子からは50万円、第4子以降は年間100万円の補助を行なうなど、思い切った対策をとる覚悟はできているのか!そういう具体的な方策もなく、ただ少子化は良くないと言うだけでは何の効果があるだろうか。何の効果もない。人口減少は当たり前で、日本は今の半分の6000万人ぐらいになって当然だと言う人もいる。だいたい、今は子供に金がかかり過ぎるのだ。わたしらが子供のころは学習塾なんかほとんどなく、パソコンもスマホもゲーム機も...少子化は当たり前だ!少ない子供を大切に育てる

  • ヒトラーの出現に、ガンジーが喜んだ!

    マハトマ・ガンジードイツでヒトラーが政権を握った時、インドのガンジーが大喜びをし、祝電まで送ったと聞いて私は一時がっかりした。あの立派なガンジーがなんたることかと思ったが、よく考えてみると、それも不思議ではない。大英帝国・イギリスは当時、インドを征服するなど世界の7つの海を支配していた。ガンジーはインドの独立を切に望んでいたから、イギリスの“強敵”になるヒトラーの出現を喜んだのだろう。現に第2次世界大戦が勃発し、ヒトラー・ドイツはイギリスなど連合国に敗れたが、これを契機に世界中の植民地の独立運動が盛んとなり、インドもようやく独立したのである。国際政治とはそんなものだ。なにかの“異変”で世の中が変わっていく。「敵の敵は味方」だとよく言われるが、イギリスの敵であるヒトラー・ドイツは、力学的にインドの味方になっ...ヒトラーの出現に、ガンジーが喜んだ!

  • 一言集(6)

    ☆愛と平和が全てである☆人は、後世の人に全てを伝える使命がある☆SNS(ブログなど)は私の“命”☆自民党の憲法改正草案に断固反対!☆理想や夢がなくなったら、この世は終りだ☆革新陣営こそ、国民主権の「憲法改正」を訴えるべきである☆“銃規制”ができないアメリカは、最も危険で野蛮な国なのか?☆ご先祖ほど尊いものはない☆人間は努力する限り迷う一言集(6)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、矢嶋武弘の部屋さんをフォローしませんか?

ハンドル名
矢嶋武弘の部屋さん
ブログタイトル
矢嶋武弘の部屋
フォロー
矢嶋武弘の部屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用