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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • 司法は「犯罪者」の味方か? 江戸時代の方がずっとマシだ!

    <以下の記事は2002年3月22日に書いたものですが、一部修正して復刻します。なお、ここに出てくる「光市母子殺人事件」の被告は後日死刑が確定し、現在広島拘置所に収監されています。>1)1999年4月14日の午後、山口県光市の会社員宅に、強姦目的で侵入してきた18歳の少年が、会社員の妻(当時23歳)と長女(当時11ヵ月)を、暴行した上で惨殺した。いわゆる「光市母子殺人事件」である。3月14日、広島高裁の控訴審判決では、一審と同様に、被告に対して「無期懲役」の判決が言い渡された。私は刑法のことはよく分からないが、どうしても納得できない。極めて凶悪な事件なので、検察側は当然「死刑」を求刑していたが、却下された。判決では、被告は「更生の可能性がないとは言い難い」としている。判決とは、相変わらず持って回った言い方を...司法は「犯罪者」の味方か?江戸時代の方がずっとマシだ!

  • 過去の記事(16)

    ⑯外国語と日本語と私。日本と中国。ゲーテ。ノーベル賞に落選したトルストイ。天皇の韓国訪問はあり得るのか?外国語と日本語と私1)日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人も多数いる。そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。我々高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。私...過去の記事(16)

  • <小説> 世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

    その日は秋晴れの清々しい一日だった(1971年10月のある日)。山村秀樹は結婚ホヤホヤの新妻に車で送られ、いつものように国鉄(今のJR)の北浦和駅から国電に乗り込んだ。通勤・通学のラッシュ時よりやや遅めであったが、電車の中は通勤客などでまだかなり混んでいた。秀樹は某民放テレビ・Fテレビの政治記者をしていたので、いつも本社には行かず、取材先の国会の「野党クラブ」へ直接通っていた。野党クラブというのは社会党、公明党、共産党、民社党など野党各党を取材するもので、先輩の大場誠司記者と2人だけで担当していたから、仕事はけっこう忙しかった。まあ、若くなければ勤まらないだろう。今じゃとても無理だ(笑)。10月下旬のその日、大場先輩と秀樹はいつものように手分けをして、野党各党の国会対策委員長らの記者会見に出席した。その日...<小説>世紀の大誤報か・・・天皇狙撃!

  • 女優の確執

    <2011年2月に書いた記事を一部修正して復刻します。>映画『楢山節考』(1958年)のDVDを見たが、田中絹代の名演技に改めて感動した。素晴らしい。さすが大女優だと思った。この映画が作られた時、彼女はまだ50歳前だったが“老婆”の役を見事に演じている。表情はもちろん、歩き方など身のこなしは絶品である。老婆そのものだ。しかし、実は私は田中絹代が好きでなかった。昔、NHKの大河ドラマ『樅の木は残った』に出演した時、彼女にアドバイス(?)をした吉永小百合に腹を立てたと聞いていたからだ。“サユリスト”である私は許せないと思った。もっとも、天下の大女優である田中絹代から見れば、吉永小百合などはまだ駆け出しのヒヨッ子ぐらいにしか思えなかっただろう。想像するに、テレビドラマに不慣れな田中に対し、吉永は「田中先生」と言...女優の確執

  • 過去の記事(15)

    ⑮「君が代」は国歌にふさわしくない。新国歌の制定を!なまっちょろい国・日本。エリザベス・テイラー逝く。若草物語。「君が代」は国歌にふさわしくない。新国歌の制定を!大阪府の橋下知事が、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸している。たしかに、公務員は国歌や国旗に敬意を払うべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本...過去の記事(15)

  • 過去の記事(14)

    ⑭塩野七生さんと桐島洋子さん。鳩山首相はケレンスキーか。鳩山首相は大石内蔵助だって?“中国人様々”ではないか!デフレと市場原理。マスコミは自由を失ったのか。原発エゴイズム。小沢一郎氏、ネット重視を宣言。若者はなぜ怒らないのか。明日への遺言・・・岡田陸軍中将塩野七生さんと桐島洋子さんふと女性のことを書きたくなった。と言っても私は女性に詳しくないので、かつて面談したことのある人の中から、印象に残る2人について書いてみたい。前もって断っておくが、ろくな文章にはならないと思うのでお許しを(笑)。さて、20年ぐらい前だったか、私が某テレビ局の夜のニュースを担当していた時、キャスターの木村太郎氏(現在も活躍中)と相談して、毎晩“時の人”をゲストに迎えいろいろ話をしてもらったことがある。大抵は政治家や財界人などの男性が...過去の記事(14)

  • 過去の記事(13)

    ⑬消費税・増税論に騙されるな!金太郎アメ。デジタル的思考の浅はかさ。野焼きと御殿場“魔の空”。記者の“お見合い”。「18歳選挙権」を大歓迎。日本人の弱点。冤罪(えんざい)。T社長のこと。自衛隊は憲法9条に違反する。ただちに憲法を改正せよ!消費税・増税論に騙されるな!わが国に消費税が導入されてから21年になる。消費税がスタートした時、当時の自民党政権は何と言ったか。「これから日本は少子高齢化社会を迎えるので、その“財源”として消費税を導入する」と言ったのだ。あれから21年、日本は確かに少子高齢化社会になった。この点は、自民党政権の見通しは非常に正しかった。しかし、これまでの220兆円に及ぶ消費税収入は全て、高齢者の医療や介護、福祉といった社会保障に使われてきたのだろうか。これが全く怪しい。それどころか、介護...過去の記事(13)

  • <詩> 幸せな自転車

    僕は新品の自転車だ今日も元気いっぱい!先日美しいお嬢さんが僕を買ってくれた毎朝お嬢さんが僕を運転してくれる柔らかい両手が僕の“両手首”を握りしめるそれにお嬢さんの暖かい体が僕を包んでくれるかぐわしい息吹が漂ってきて僕はもう有頂天だ優しい運転で僕はスイスイと走る信号待ちになるとお嬢さんがいたわってくれるそして発車オーライまた僕は走り始める行き交う人々がお嬢さんと僕を見つめたますます元気が出てくるスイスイと軽やかに走るやがてお嬢さんと僕は会社に着いた自転車置き場で長~い休憩時間に入った僕は少し疲れたが満足感でいっぱい!周りの自転車を見ると色とりどりだ古いの新しいの・・・形もさまざま新品の僕は「皆さんどうぞ宜しく」と声をかけるゆっくり休んでいると夕方になったお嬢さんのお出ましだこれから帰宅の途へ柔らかい両手と暖...<詩>幸せな自転車

  • 『デジタル的思考』の浅はかさ ?

    <2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オールオアナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝...『デジタル的思考』の浅はかさ?

  • 『早春賦』

    <過去の記事です。最も好きな歌の一つです>『二木紘三のうた物語』に立ち寄ったら、ちょうど10年前の2月に『早春賦』にコメントを書いていたのが分かった。歌を聴くうちに復刻したくなったのでお許し願いたい。(2018年2月某日)『早春賦』の舞台・安曇野の景色<2月に入り『立春』の頃を迎えると、いつもこの曲が蘇ってきます。安曇野はまだ厳冬のさなかでしょうが、関東地方に住む者にとっては、春がすぐそこに近寄ってきたかのように感じます。しかし、寒い風が吹いてそれが“錯覚”だと気づくと、よけいにこの曲に魅了されます。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」素晴らしい詩ですね。早春の思いをこれほど見事に歌った曲はないでしょう。あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春を待ちましょう。...『早春賦』

  • 過去の記事(11)

    ⑪松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」。カネ、カネ、カネの中国社会。「検察審査会」のデタラメは許さない!検察審査会のオソマツ。アジア大経済圏構想。パーキンソンの法則と役人。マルキストなら感動する場面。松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門翁である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから2年前、民主...過去の記事(11)

  • 過去の記事(10)

    ⑩“ヤスケン”さんの死を悼む。呪われた原子力船「むつ」。自然エネルギーと経済発展。文明の発達と少子化。疑わしきは罰する・推定有罪。松島やああ松島や松島や。日中戦争を画策!?アメリカの大謀略か“ヤスケン”さんの死を悼む1)“ヤスケン”こと安原顯(あきら)さんが先日、肺ガンで死去した。63歳だった。彼は、その道では大変有名な雑誌編集長であり、みずから「スーパーエディター」と豪語していた。ネット上で彼のホームページ(編集長日記)などを読むと、自分のことをよく「天才」だと言っていた。相当、自信があったのだろう。実は、私はヤスケンのことはよく知らない。ここ何ヵ月か、彼のホームページを時おり見ていた程度だ。それなのに、どうしてこの拙文を書くかというと、彼は大学時代の同窓生(早稲田大学・仏文科)という縁である。(ちなみ...過去の記事(10)

  • 決して怒らなかった政治家・竹下登氏

    <以下の文を復刻します。>竹下登元首相ある人のブログにお邪魔したら、「怒らない人になる禅の習慣」についての記事があった。しばらく読むうちに、決して怒らない温厚な人になるのは自分ではとても無理だと思ったが、ふと、昔の政治家で決して怒らなかった人を思い出した。それは、元総理大臣の竹下登氏(以下、敬称略)である。そのころ自民党担当の記者をしていた私は、たしか竹下本人から「自分は決して怒らない」と聞いたことがあるが、どうして彼は怒らないのだろうかと、いつしか疑問に思うようになった。そのうち、竹下自身の人生経験や履歴が分かるようになり、そのナゾが解けたのである。実はある政界関係者から、竹下登の過去について聞いたのがその“糸口”であった。今では、ウィキペディアにも載っていることだから、まずそれから見てみよう。<194...決して怒らなかった政治家・竹下登氏

  • 『この子を残して』

    <以下の記事を復刻します。>長崎原爆の悲惨さを描いた著作であり映画だ。木下恵介監督の映画・DVDがいまリリースされているが、その中でも最も印象に残る作品。著者は原爆で被爆した長崎医大の永井隆博士で、戦後、子供だった私が初めて読んだ著作である。母が教えてくれなかったら理解できなかったが、子供心に分かったと思う。そういう意味で『この子を残して』は、忘れられない作品である。映画は1983年に公開されたが、加藤剛や十朱幸代、淡島千景らの演技が懐かしい。反戦・平和を訴えた最良の作品の一つだろう。以下は予告編の映像。http://www.youtube.com/watch?v=hjF5prmbyLQ『この子を残して』

  • 松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

    <以下の記事を原文のまま復刻します。>松永安左エ門翁タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚ど...松永安左エ門翁いわく「官僚は人間のクズだ!」

  • 過去の記事(9)

    ⑨選挙制度の抜本的な改革を!“火事場泥棒”が大手を振る福島県。政治家の資質・魅力とは。勇気について。ノイローゼ。除染で“焼け太り”の復興バブル。新聞は「体制擁護」に成り下がったのか。夢について。選挙制度の抜本的な改革を!国会議員の定数削減などが今国会で議論されているが、要は「選挙制度」の問題に帰着するだろう。断っておくが、100%完全な選挙制度というのはあり得ない。それは時代によって変わってくるからだ。以前は良かった制度も、今になっては悪くなる面がいくらでもある。ただ一つ言えることは、民意がいかに反映されるかで良し悪しが評価されるだろう。例えば、1994年に導入された現在の小選挙区制だが、20年近く経った今ではいろいろ問題点が指摘されている。当時、導入に積極的だった人たちも、今になって「あれは良くなかった...過去の記事(9)

  • 過去の記事(8)

    ⑧アメリカは野蛮な国か。政治家の失言・暴言。自分が認知症になったら・・・三島由紀夫事件との“接点”。美人論。革命と不倫アメリカは野蛮な国かつい最近、アメリカのアリゾナ州で、民主党の女性下院議員が集会を開いていたところ、22歳の男が銃を乱射し6人が死亡、14人が負傷するという衝撃的な事件が起きた。アメリカではこうした銃乱射事件がいつも起きており、不思議でも何でもないが、こういう悲劇が一向に無くならないのは何故なのか。よく言われることだが、アメリカの憲法に「権利章典」というのがあり、その中に「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文(修正第2条)があり、これが全ての“元凶”だとする説がある。私もこの説に賛成だが、この「権利章典」というのはアメリカ市民の“基本的人権”に関する最も重要な...過去の記事(8)

  • 日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

    <2016年8月に書いた以下の記事を復刻します。>日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛(とよひろ)さんのことを書きたくなってきた。と言っても、私は彼との付き合いがわずか2年余りなので、多くは語れない。しかし、30代中半の若いころ、記者クラブで一緒だった彼のことは決して忘れられない。だから書くのだ。もう40年以上も昔になるが、私がフジテレビの外務省詰めの記者をしていた時、秋山氏はTBSの記者として外務省クラブにやって来た。はじめは何か取っつきにくい感じのする人だったが、同じ民放テレビの記者同士で、席が1メートルぐらいの向かい隣りだったのですぐに仲良くなった。年齢が同じぐらいだったせいもあるだろう。(私の方が1歳年上なので、以後、親しみを込めて「秋山君」と呼ばせてもらうこともある。)彼は記者クラブが初めてだからか、...日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛さんのこと

  • 参議院無用論

    <2002年7月15日に書いた以下の記事を復刻します。>参議院本会議場1)私は別稿(「参議院は必要か?その廃止を考えよう」http://www.geocities.jp/yajimatakehiro/3.html)で、参議院の廃止を提唱したことがあるが、以前にも増してその意を強くしている。要するに、今の日本であれば「一院制」で十分であり、「二院制」はかえって混乱を引き起こしているからだ。“ねじれ”はその良い例である。それだけでなく、必要もない「二院制」のために、毎年莫大な国民の税金が浪費されていることに我慢できないのである。「一院制」というのは、参議院を廃止しても良いし、逆に参議院の権限を強化させて衆議院を廃止しても良い。要は無駄なものを廃止せよということである。一般的には現行憲法上、参議院の方を廃止する...参議院無用論

  • アメリカへのコンプレックス・劣等感

    <以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢名古屋にも入ってきた。私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであ...アメリカへのコンプレックス・劣等感

  • 過去の記事(5)

    ⑤大杉栄とアナーキズム。坂本龍馬“夢とロマン”を放つ男。ある“美人”のこと。坂崎出羽守直盛。「沖縄独立」を考えるまでに大杉栄とアナーキズム1)近代日本で、印象に残る人物は多士済々である。明治維新以降、日本は実に多くの人材を輩出してきた。どの分野にも、優れた日本人が登場してきた。その中で、最も印象に残る人物の1人として、私はアナーキスト・大杉栄を挙げたいと思う。大杉栄は歴史上、大したことをやった人物ではない。日本のアナーキズム(無政府主義)運動のリーダーだったというだけである。従って現代では、ほとんど忘れ去られてしまった人物と言ってよいだろう。しかし、その強烈で豊かな個性と自由奔放な精神は、近代日本の中に燦然と輝いていると、私は今でも思う。大杉が近代日本史上で有名になっているとすれば、大正12年(1923年...過去の記事(5)

  • カネ、カネ、カネの中国社会

    <2011年10月30日付の朝日新聞記事を要約した文章を、改めて復刻します。>4日前の朝日新聞(2011年10月30日付)に、中国社会について興味深い記事が載っていたので、ぜひ紹介したいと思う。まだ読んでいない人にとってはきっと参考になるだろう。中国は一言で云えば「金まみれ」の社会である。まず驚いたのが、「教師の職もカネ次第」というタイトルの中身だった。これは中国東北地方に住む30代の高校教師Aの話だが、数年前に教師採用の責任者になった。そして数人の男女を面接したら、ある男性から「絶対採用してほしい」との連絡があったので飲食店で会うと、1万元(約12万円)や高級酒、高級タバコの入った封筒を渡されたという。これは教師の初任給の4~5カ月分に当たるそうだ。また、他の女性は「お望みなら何でもします」と言ってきた...カネ、カネ、カネの中国社会

  • “中国残留孤児”と日中関係

    <2011年に書いた以下の文を復刻します。>“中国残留孤児”(日本人、邦人)のことをたまたま思い出した。もうずいぶん昔のことだと思って調べたら、第一陣が正式来日したのが1981年3月と分かった。日中国交正常化が1972年だから、意外に時期が遅かったのではないか。いろいろ手間取ったのだろう。あの頃は毎年、中国残留孤児の話題で持ち切りだった。まだ戦後は終わっていないと思ったほどである。たしかに、日本人孤児を親身になって育ててくれた中国人も多かったのである。その点は感謝したい。政治とは関係なく“人道上”の問題であった。日本人を鬼とか侵略者などと罵倒する中国人も多いが、そうでない人達も大勢いるのだ。日中関係は難しくなったが、人道上はなお健全な面が残っている。残留孤児についても偽者(にせもの)騒ぎがあったが、先の東...“中国残留孤児”と日中関係

  • 永遠の人

    あなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる100億年の宇宙の中で一瞬のこの時を共にできる幸せああ永遠の人よ私の女神よこれは奇跡ではないのかこの世に生まれこの世を去る一瞬の灯りの中の命よそれは儚(はかな)くても永遠の光に満ちている宇宙の彼方まで愛よ命よ灯りに群がる羽虫のように私は息づくこの世は夢か幻か今日も儚い命がひたすら生きる一瞬の中に永遠を願い永遠の中に憩いを求めてあなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる永遠の人

  • テロリストと英雄

    <2022年9月2日に書いた以下の記事を復刻します>テロリストと英雄は紙一重の差である。もしテロリストが、わが身を犠牲にして、敵国の首脳や自国の「国賊」「売国奴」などを殺せば、その人は英雄と呼ばれるだろう。有名な例としては、韓国の安重根(アン・ジュングン)は日本の伊藤博文(初代首相)を暗殺して、英雄と呼ばれるようになった。韓国には安重根の銅像があちこちに建っている。恋人とストーカー、天才と狂人のように、テロリストと英雄も紙一重の差なのである。今回の安部元首相の暗殺事件では、犯人が“英雄的”かどうかは国民一人一人が判断すれば良い。ただ明らかなことは、今回の銃撃事件は、安部氏が韓国の邪悪な「反日宗教団体」に肩入れしたために起きたものだ。これを単なるテロと呼ぶのか、ある種の英雄的な行為として見るかは、個々人の自...テロリストと英雄

  • 過去の記事(4)

    ④諸悪の根源は「官僚支配」だ!土地は誰のものか。大宅壮一さんのこと。日本共産党はなぜ伸びないのか。アメリカこそ世界最大の戦争国家だ!諸悪の根源は「官僚支配」だ!昨日は、わが所沢市(埼玉県)へやって来た友人・Y君と一杯飲んだ。所沢では、年に4回ぐらい大規模な“古本市”が開かれるが、ジャーナリストで作家のY君は必ずと言っていいほどやって来る。その度に居酒屋で一杯やるのが通例だが、昨夜も飲みながら大いに議論した。先日、私は「一観光客」として北朝鮮へ旅行したのだが(以下、朝鮮と記す)、朝鮮通のY君は手ぐすねひいて待っていたのか、びしびしと追究してくる。彼はもの凄い知識人で、私よりもはるかに多くのことを知っている。何でも知っている感じだ。したがって、だいたい私がやり込められることが多い(笑)。でも、勉強にはなる。Y...過去の記事(4)

  • 過去の記事(3)

    ③無税国家論。日米安保条約の変質。天は人の上に人を造り、人の下に人を造る。デフレと市場原理。美しい田園と原発(フランス)。参議院選挙だって!?「一院制」こそ世界の大勢だ。“親バカ”共産主義者・金日成!スターリンや毛沢東との大きな違い無税国家論今や消費税増税の是非をめぐって盛んに議論が行なわれているが、経営の神様と言われた故松下幸之助さんは「無税国家論」を唱えたことでも有名である。無税国家論は多くの人が聞いたことがあると思うが、松下さんがこれを提唱したのはもう30年以上も前になる。彼の発想の原点は、国が無駄遣いばかりして、その穴埋めを増税で賄おうとすれば、国民は必ず勤労意欲を失うだろうというものだ。そうなると国家も衰退する。こうした事態を避けるため、松下さんは国家予算を単年度で使い切るのではなく、必ず1割程...過去の記事(3)

  • 逸見政孝君のこと

    <古い記事ですが、以下の文を復刻します。>1)つい先日、逸見政孝君のことを思い出した。逸見君と言えばフジテレビの元アナウンサーで、その後フリーになってテレビで大活躍した人物である。覚えておられる方も多いだろう。その彼が48歳の若さで、胃癌で亡くなった時は驚いた。もう20年以上も昔の話である。私もかつてフジテレビの社員だったから、逸見君のことはよく覚えている。一緒に仕事をしたこともある。そこで彼の思い出話などをしようということだが、彼が私の4年後輩だったから、逸見君とか逸見などと気安く言うことをお許し願いたい。私が彼に出会ったのはたしか1971年頃である。逸見君がまだ駆け出しのアナウンサーの頃、当時「野党記者クラブ」担当だった私は、社会党本部で彼に出会った。私が取材をし逸見がレポートをする役割だったと思うが...逸見政孝君のこと

  • 『イムジン河 』

    イムジン河(臨津江)とは、北朝鮮から国境を越えて韓国に流れる河である。この曲は、1968年(昭和43年)にザ・フォーク・クルセダーズが発表したものだが、リリース直前に発売中止になったいわくつきのフォークソングだ。理由は、朝鮮総連が「韓国側に偏向した日本語詞になっている」などと抗議したと言われ、原曲は北朝鮮の朴世永が作詞、高宋漢が作曲したものである。それを松山猛が日本語詞にして、ザ・フォーク・クルセダーズが楽曲にした。始めは発売中止になるなど苦難の連続だったが、その後、多くの人に愛され広く歌われるようになった。2001年(平成13年)には、NHKの紅白歌合戦で韓国の歌手キム・ヨンジャも歌っている。南北に分断された朝鮮半島の“哀歌”と言えるだろう。イムジン河임진강-ザ・フォーク・クルセダーズ『イムジン河』

  • 過去の記事(2)

    ②小沢裁判と陶片追放。小沢一郎とシーザー、信長、龍馬。毒性・抵抗力・免疫。思考の劣化こそ“現代病”ではないか。管理社会と感性の喪失小沢裁判と陶片追放以前にも書いたが、古代ギリシャのアテネに「陶片追放」という制度があった。これは排除したい政治家などの名前を陶器のカケラに記し、一定数に達するとその者は国外に追放されるという制度だ。この「陶片追放」は紀元前508年から90年ぐらい続いたそうだが、完全に秘密投票だから、誰が誰の名前を書いたかは分からないシステムだ。ところが、この制度は“政争”に悪用され、民主政治が衆愚政治に陥ったので廃止になったと言われる。例えば、有名なペルシャ戦争で、アテネを勝利に導いた英雄テミストクレスもこの制度によって追放された。ここで「陶片追放」のことを長々と説明する時間はないが、私はふと...過去の記事(2)

  • 過去の記事(1)

    ①脳死と死生観。木を見て森を見ない日本人。喫煙と肺がんは関係ないのか?隠し子と出来婚。袴田事件と死刑囚の人権。「ベートーヴェン」か「ベートーベン」か脳死と死生観<はじめに>いま「脳死」の問題が臓器移植との関連で大きな関心を集めている。ここで専門的な話をするわけではないが、生と死をどのように考えたらいいのだろうか。結論から申し上げると、私は、脳死状態というのは死でもなく生でもなく、逆に言えば、死でもあり生でもあり、それ自体が人間と生命の『尊厳』を冒涜(ぼうとく)するものだと考える。医学の進歩が人間をそこまで至らしめたのである。この考えには当然異論もあるだろうが、それを前提にして私が過去に書いた『理想の死に方について』を復刻したいと思う。生と死について皆で考えようではないか。なお、以下の文は一部手直しして復刻...過去の記事(1)

  • 日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

    <2015年1月20日に書いた以下の記事を復刻します。>今年は戦後70周年だが、もし日本があの戦争に勝っていたらどうなっていただろう。そう想像するのは難しいが、少なくとも“引き分け”だったらどうなっていただろう。引き分けでも、たぶん「勝った、勝った」とお祭り騒ぎをして、ますます戦争の道を進んでいったに違いない。軍国主義がますます徹底し、戦線を拡大していっただろう。軍部はさらに増長し、占領地を増やしていったに違いない。来る日も来る日も戦争に明け暮れる。徴兵制がさらに拡大し、18歳以上の男子は必ず軍隊に入る。「生めよ、増やせよ」で、少子化なんて考えられなかっただろう。陸軍大臣、海軍大臣のほかに、空軍大臣も新設されただろう。要するに「1億火の玉」となって、天皇と大日本帝国の栄光のために御奉公しただろう。私なんか...日本が、もし戦争に勝っていたら・・・

  • “鑑識の神様”・岩田政義さん

    <2010年7月31日に書いた以下の記事を復刻します。>何十年も前の古い日記を読んでいたら、昔、警視庁の記者クラブにいた頃、岩田政義さんという鑑識課の人の所へよく伺っていたことを思い出した。岩田さんは“鑑識の神様”と言われた人で、その道の大変なベテランである。もう40年以上も前のことだが、私が警視庁記者クラブに配属され捜査1課・3課を担当した時、事件捜査のことなど全く分からなかった。先輩らにいろいろ聞きながら仕事を始めたが、そのうち「鑑識」というのが非常に重要なものだと知るようになった。今では科学捜査の観点からその重要性が多くの人に知られているが、当時、テレビ局の若造である私はほとんど関心を持っていなかった。しかし、ようやくその重要性が分かって、ある日、思い切って鑑識課を訪れることにした。その頃、テレビ記...“鑑識の神様”・岩田政義さん

  • 『喜びもも悲しみも幾年月』

    1957年(昭和32年)に松竹が『喜びも悲しみも幾年月』という映画を制作・公開した。監督は木下恵介で、同名の主題歌を実弟の木下忠司が作詞・作曲し、これを若山彰(あきら)が歌ったところ、映画も歌も大ヒットしたのである。物語は、灯台守の夫婦が戦前から戦後にかけて、厳しい環境のもと北海道から九州に点在する灯台の任務につくというもので、この夫婦役を佐田啓二(俳優・中井貴一の実父)と高峰秀子が演じた。夫婦の半生には、息子の死亡など悲しい出来事があったが、それらを乗り越えて生きていくしかない。こうしたストーリーは、ある実話をもとにして作られたものだ。佐田と高峰の夫婦役も良かったし、若山彰の歌声も生き生きとしていた。喜びもも悲しみも幾年月若山彰s-32『喜びもも悲しみも幾年月』

  • 2025年1月18日(土)

    何年か前に、フジテレビの制作部門が芸能プロと腐敗・堕落した関係にあるとの噂が一部のSNSに広がった。元社員である私は気になって、後輩の某局長に「どうなってるの?大丈夫?」と聞いたことがある。某局長は「大丈夫ですよ。ご心配なく」と答えてくれたのでひとまず安心した。ところが一昨年、ジャニー喜多川の“性加害問題”が発覚し、ジャニーズ事務所は閉鎖に追い込まれた。それと同時に、テレビ局の隠蔽体質や無責任さが問われるようになり、嫌な予感がしたのである。そうしたら今回、中居正広とフジテレビの元女性アナとのトラブルが発覚し大騒ぎになった。嫌な予感は的中したのだ。いろいろな問題があろうが、フジテレビは“真相”を明らかにしなければならない。OBの1人として、事態の推移をしっかりと見守っていきたい。2025年1月18日(土)

  • 『東京ブギウギ』

    『東京ブギウギ』は1947年(昭和22年)にリリースされ一躍ヒットしたが、のちの『青い山脈』と共に、敗戦直後の日本に明るい開放的な気分をもたらした曲と言えるだろう。両方とも服部良一が作曲したが、こちらの作詞は鈴木勝で、笠置シヅ子が歌った。笠置の歌声も元気いっぱいで良いが、なんと言っても、ブギウギのリズム感あふれる音色が素晴らしい。子供の頃に聴いた思い出がよみがえってくる。笠置シズ子東京ブギウギ歌詞付き『東京ブギウギ』

  • 大宅壮一さんのこと

    <2010年7月に書いた以下の記事を復刻します。>大宅壮一さん1)先日、ある方のブログを訪問したら、昭和の大評論家・大宅壮一氏の有名な言葉「一億総白痴化」の話が出ていた。この言葉は1957年(昭和32年)に、大宅氏が「テレビというのは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると一億総白痴化になる」といった趣旨で述べたと伝えられている。詳しいことは分からないが、この「一億総白痴化」というフレーズはとても有名になり、テレビを論じる時は長く使われた。調べてみると、同じ頃に作家の松本清張氏もテレビについて「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と述べたと言われる。とにかく、テレビ初期の時代は余りにも低俗な番組が多く(今でもそうかもしれないが)、知識人の多くが日本の将来を危惧したようである。しかし、私がこ...大宅壮一さんのこと

  • 『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

    <2017年3月27日に書いた以下の記事を復刻します。>1)森友学園疑惑はもちろん重大な問題だが、われわれは最近の日本の動きを真剣に検証してみる必要があるのではないか。かく言う私も現象面にとらわれ過ぎて、根本的な問題をおろそかにしているのではと反省している。それは森友疑惑で露見したと言ってよいが、最近の日本は明らかに“右傾化”している。これは森友学園の問題だけでなく、その背後に大きな流れが起きているからだろう。端的に言うと、それは「日本会議(にっぽんかいぎ)」の存在が象徴的なものだと思う。不勉強な私は日本会議のことをほとんど知らなかったし、またその名称を聞いても無視していた。ところが森友問題が発生し、その関連でジャーナリストの菅野完(たもつ)氏や青木理(おさむ)氏の話を聞き、にわかに日本会議の重要性に気が...『日本会議』・日本の右傾化、戦前回帰の危険な流れか?

  • <まとめ> 啓太がゆく(全編)

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/028f248b3f1ee86c9aed42aababd6d84http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/7db32a06e1cd806143ffd739c2750378http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/2e841f88bcc8a4a528b605332337ac50http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0f1df2f3bcba8ce03babd12ec5f9e875http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro...<まとめ>啓太がゆく(全編)

  • 啓太がゆく ⑰(警視庁の記者時代・最終回)

    ちょうどそのころ、同僚の坂井則夫が婚約したと聞いて、啓太は多少うらやましく思った。相手は、日ごろ付き合っているSHIRAYURI(白百合)女子大卒のお嬢さんだ。「則ちゃんは順調にいったね。おめでとう、うらやましいよ」「いや~、僕は啓ちゃんより年上だからね。そろそろ年貢の納め時だよ、はっはっはっは」「年貢の納め時か、よく言うね。いつごろ結婚式を挙げるの?」「そうだね、秋口かな」啓太と坂井のやり取りを聞いていた辰野が口を挟んできた。「山本君はどうなんだ、好きな子がいるんだろ?」「いや、僕はまだですよ。坂井君と違って相手がいないから」「結婚なんて“出会い頭”にするようなもんだ。考えたって仕方がない。ヨーイドンで走り出すようなものさ」「そんなものですか」辰野キャップは2年前に結婚したばかりである。ごく若いころ女性...啓太がゆく⑰(警視庁の記者時代・最終回)

  • 啓太がゆく ⑯(警視庁の記者時代)

    2月に入って、啓太はようやく京子と会えることになった。お互いに忙しくてデートができなかったが、彼はこの時、ある決意を胸に秘めていた。それは彼女が青年海外協力隊員になろうとも、終生変わらぬ“契り”を交わそうというものだ。まだ早いかもしれないが、こうと思ったらじっとしておれないのが啓太の性分である。彼はこの日、自分の本心を伝えようと思った。デートの場所も新宿・歌舞伎町にして、京子を和風レストラン『N』に呼んだのである。彼女は少し遅れてやって来た。「ごめんなさい、遅れてしまって。仕事が長引いたので申し訳ありませんでした」「いや、いつも僕が遅れていますから」京子が謝るのを啓太は軽く受け流した。2人はこのあと食事を注文してしばらくぶりの逢瀬(おうせ)を楽しんだが、彼女は3月いっぱいで『女性の未来社』を退職するという...啓太がゆく⑯(警視庁の記者時代)

  • 映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

    〈2018年10月に書いた以下の記事を復刻します。〉今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館へ行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定して...映画館などのヘッドレストは、まったく邪魔だから要らない!

  • 石橋湛山元首相を讃える

    <以下の文を復刻します。>戦前、日本の帝国主義や軍部の拡大主義に反対した石橋湛山(元首相)のことをよく知らなかったが、以下のドキュメンタリーで少しは分かったつもりである。石橋は経済ジャーナリストとして出発したが弾圧を受け、戦後は政界に転身してGHQに対しても毅然とした態度を堅持した。まことに天晴れである。そして、首相にまで上り詰めたが、突然の病いで在任期間わずか65日で退陣を余儀なくされた。しかし、その後は国交のない中国を訪問するなど、彼なりの努力で世界平和に貢献したのである。極めて短い解説だが、石橋湛山に関心のある方はぜひ以下のNHKドキュメンタリーを見ていただきたい。日本にもこういう政治家がいたのだ。https://www.youtube.com/watch?v=kmYD01OwQPkhttps://...石橋湛山元首相を讃える

  • 思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

    〈2010年2月16日に書いた記事を復刻します。〉先日、私は自分のあるブログ記事の中で、日本社会は成熟してきたとコメンしたのだが、ある人から「日本社会は、どんどん幼稚化してきたのでは」というコメントをいただいた。その時、ハッと気がついたのだが、日本人だけでなく現代人は“劣化”しているのではと思った。どういう意味かというと、現代人はものを考えるという習性が弱くなってきたのではと思ったからだ。しかし、そんなことはない、私はものをよく考えていると言う人がいたら、まず先に謝っておきたい。世の中がコンピュータ化し機械化が進み、人々は便利な生活を享受するようになった。それは結構なことだと思うし、もう昔のような非文明的な暮しには戻れないだろう。科学技術は日進月歩だし、パソコンやら携帯電話やらコンピュータゲームなどが登場...思考の劣化こそ“現代病”ではないか?

  • 啓太がゆく ⑮(警視庁の記者時代)

    (23)3億円強奪事件の発生東大など大学紛争が激化する中でも、記者クラブにいる時は忙中閑ありで、気持が安らぐことがある。ある日、草刈が笑いながら啓太に声をかけてきた。「山本君、いま暇なら総務部に行ってみないか。とても可愛い子がいるんだ。紹介しておこう」「えっ・・・いや、いいですよ」啓太があわてて断わったが、草刈は強引に彼を促した。「いいから、いいから。ちょっとだけだよ」そう言って、草刈は勝手に啓太を先導して歩き始めた。仕方なく彼は従ったが、エレベーターに乗って4階で降りると、2人はすぐ前にある総務部の部屋に入った。「皆さん、彼が山本啓太君です、よろしく。え~と、星野さんは・・・」草刈が部屋の奥に目をやると、星野由紀恵という若い女性は電話中だった。しばらくして彼女が電話を切ると草刈が声をかけた。「星野さん、...啓太がゆく⑮(警視庁の記者時代)

  • アルメニア・コニャック

    ロシアで美味いものと言えば色々あるだろうが、私はアルメニア・コニャックをお勧めしたい。コニャック、つまりブランデーである。“飲み助”にはこたえられない。白ブドウから作られるが、このAPAPAT・アララトは特に素晴らしい。アルメニアには行ったことがないが、ロシアへ行くとこのコニャックが沢山売られている。以前、サハリンへ行った時に2本買ったが、うち1本は我慢できずホテルで飲んでしまった(笑)。もう1本を持ち帰り、大切にチビリ、チビリと飲んだ。アララトはアルメニアの聖なる山で(現在はトルコ領)、「ノアの箱舟」が行き着いた場所とされる。あのチャーチル(元イギリス首相)もヤルタ会談の時にこのAPAPATを大変気に入り、年に400本も個人で輸入したという。詳しいことは、以下の記事をぜひ読んでいただきたい。⇒http:...アルメニア・コニャック

  • 宗教法人の優遇税制を見直せ!

    <以下の記事は2011年2月1日に書いたものですが、もう一度皆さんに訴えたいと思います。>★宗教法人への税制優遇措置は、不公平税制の最たるものだ!朝日新聞の1月30日付の朝刊に、宗教法人が事実上「売買」されている特集記事が載っていた。興味を惹かれたので読んでみると、驚くことばかりだ。宗教法人は税制上かなりの優遇措置を受けているから、今やそのメリットが目的で、インターネット上でも堂々と売買の取り引きがされているという。その背景には、休眠中の宗教法人が急増していることがある。「休眠中」とは、1年間の活動報告が国や都道府県に提出されていないものだ。朝日新聞の調べでは、全国18万2527の宗教法人を調べたところ、休眠の法人が1万6750、全体の9,2%もあったという(2009年度末時点)。この休眠宗教法人を狙って...宗教法人の優遇税制を見直せ!

  • アザレアの花

    鮮やかなアザレアの花アザレアの花

  • 啓太がゆく ⑭(警視庁の記者時代)

    こういう話を聞いても、啓太はあまりピーンと来ない。会社や系列局のことより、身近な仕事の方がどうしても気になるからだ。しかし、テレビ報道の重要性がいっそう増してきたことだけは、草刈の能弁によって分かった感じがしたのである。それから数日して、27日の火曜日が来た。その日は小雨が降るあいにくの天気だったが、啓太は弾むような気持ちでイタリアン・レストラン「T」へ向かった。午後1時前に店に着き待ち受けていると、やがて木内と白鳥が店に入ってきた。「やあ、お久しぶりです。白鳥さんもお元気そうですね」半年ぶりに会う彼女は、どこか穏やかで落ち着いた雰囲気に見える。この前は紺色のスーツ姿だったが、今日は明るいベージュ色の半袖姿だ。半年前は真冬だったが、今は暑い季節だからそうなって当然だ。3人は挨拶を交わして席に着くと、軽い昼...啓太がゆく⑭(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑬(警視庁の記者時代)

    (18)幼稚園児殺害事件4月、春らんまんの季節になる。桜が散ったちょうどその頃、記者クラブに素晴らしい知らせが入ってきた。それは、この夏から『警視庁ニュース記者会』が2階のより広い部屋に移り、それに伴うようにNIPPON、FUJI、NETのテレビ3局が毎日「泊まり勤務」を行なうことになった。これまで毎日泊まりをしていたのはTOKYO放送だけで、FUJIなどの3局は順番に交代で泊まっていた。しかし、ニュースの重要性が増すばかりの時代なので、3局ともそれぞれ泊まり込みをすることになったのだ。これには誰もが賛成で、民放4局のキャップは警視庁と交渉し、同じ2階のより広い部屋を確保することで話しがついた。同時に、FUJIなどの3局は記者の“増員”を会社側に要求し、それを夏までに実現しなければならない。これは草刈キャ...啓太がゆく⑬(警視庁の記者時代)

  • 板門店(パンムンジョム)

    <以下の記事は2013年7月27日に書いたものです。>テレビで朝鮮戦争の休戦60周年を盛んに伝えているが、一昨年(2011年)、北朝鮮の板門店(はんもんてん)を見学したことを思い出した。詳しいことは以下の記事を読んでもらえれば分かるが(北朝鮮訪問記(後編)・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ba14ce746b47149fde9c618eb35bef7)、2年前の6月、板門店の休戦協定調印式場などを訪問したことが急に懐かしくなった。一言で言うと、北からの見学は実に楽である。それはあの戦争を北の「勝利」と見ているから、見学も寛大なのだろうか。ガイドさんがやたらに写真を撮れ、撮れと言うからそうなのだろう。我々日本人の眼から見れば、朝鮮戦争は南北の“引き分け”だと思...板門店(パンムンジョム)

  • 石橋政嗣さんのこと

    <石橋政嗣さんは2019年12月9日に亡くなりました。満95歳でした。ここに哀悼の意を捧げると共に、2014年12月12日に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>先日、総選挙の関連で昔の日本社会党(以下、社会党と記す)を調べていたら、元委員長の石橋政嗣(まさし)さんのことが分かった。満90歳だがご健在だという。懐かしくなって、昔のテレビ局記者時代のことを思い出した。私が社会党など野党の担当をしていたころ、石橋さんに何度か取材したことがあるのだ。石橋政嗣さんと言っても、今の人はほとんど知らないだろう。しかし、1960年代から80年代にかけて、旧社会党では最も代表的な政治家の一人だった。私は自民党の政治家については何人も取り上げたが、社会党では石橋さんが初めてだ。それほど、野党の中では印象に残る人だった。前...石橋政嗣さんのこと

  • 髪を梳く女

    ぼくが散歩をしていると家の外に出てきた女が長い髪を梳いていた中年風の女だったがなぜか気になる髪を梳くと女は美しく見えるのだろうかノースリーブのその女は気持良さそうに梳いている目と目が合うと彼女がほほ笑んだように見えたぼくもにこりとしたがそのまま通りすぎる髪は女の命なのかかぐわしい雰囲気が漂う(2010年6月17日)髪を梳く女

  • 『みかんの花咲く丘』

    日本の童謡の中で、最も有名な歌の一つだろう。作られたのは昭和21年(1946年)8月だから、戦後1年しか経っていない。作詞は加藤省吾、作曲は海沼實で、歌ったのは当時ファンが多かった12歳の川田正子である。この童謡の完成は、NHKの「ラジオ二元放送」の直前(1日前)だったという有名なエピソードが残っており、正に“間一髪”の出来事だった。そうした経緯(いきさつ)がかえって幸いしたのか、発表直後から驚くべき反響を呼び、この童謡は一躍全国的に知られるようになった。敗戦直後だっただけに、多くの日本国民がこの歌に癒されたのだろう。もちろん「日本の歌百選」にも選ばれており、今でも人々に愛され歌い続けられているのだ。1946(昭和21)『みかんの花咲く丘』唄:川田正子『みかんの花咲く丘』

  • 啓太がゆく ⑫(警視庁の記者時代)

    (15)1968年・昭和43年キャップとのトラブルがあったあと、啓太と草刈の関係は多少の緊張感があったものの平穏に推移した。お互いが注意深く気をつけようと思ったのだろう。そして、大した事件・事故も起きずに年末を迎えた。啓太はたまたま大晦日が泊まり勤務だった。前にも述べたが、泊まりはNIPPONテレビ、NETテレビと交代で行なっていたが、その日はFUJIテレビの番だったのである。大晦日だろうと別に大したことではない。むしろ年末年始勤務は特別手当などがつくから、啓太のような“チョンガー”の若造にとってはありがたいくらいだ。大晦日の晩、TOKYO放送の泊まりは井上一馬だった。この局はラジオのニュースもあるため毎晩誰かが泊まっている。この日は小さな火事が1件あったので井上はラジオ用に短い原稿を送っていたが、あとは...啓太がゆく⑫(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑪(警視庁の記者時代)

    第3部・・・空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語(以下に主な登場人物)山本啓太(主人公)坂井則夫(啓太の同期)草刈俊平(警視庁クラブ・キャップ)蒲田二郎(先輩記者)松本邦明(先輩記者)森永徹郎(先輩記者)石浜報道部長花井久(ディレクター)村井隆(デスク)高山重男(デスク)小出誠一(啓太の同期)石黒達也(同期のアナ)木内典子(雑誌社の記者)白鳥京子(木内の同僚)山本久乃(母)山本国義(父)山本国雄(啓太の兄)など(13)警視庁ニュース記者会正面玄関の警察官に記者証を見せると、啓太は警視庁1階のロビーに入った。そこに横たわっている警察犬の銅像は、緊張した気持を幾分なごませてくれる。彼は回り階段を上って2階の『警視庁ニュース記者会』へと向かった。部屋に入ると、雑然とした雰囲気の中で数人の男たちがソファ...啓太がゆく⑪(警視庁の記者時代)

  • フランスの美しい田園と原発

    〈2011年4月2日に書いた以下の記事を復刻します〉フランスの原発電力量が国内全体の80%近くもあると聞いて驚いた。これは福島原発事故の関連で伝えられたものだが、今のフランスは原発で国が成り立っているということだ。そこで嫌なことを思い出した。もう17年ほど前だが、フランスを単身で観光旅行したことがある。パリ見物がメインだったが、他に数件のオプション観光コースがあり、私は迷わず「ロワール川の古城めぐり」を選んだ。ロワール川はフランスの中央部を流れる大河で、その流域には中世の面影を残す古城が幾つも点在している。当時はそうでなかったが、今は世界遺産に登録されている所だ。ある朝、私はパリから観光バスに乗って出発した。すると、ほどなく田園地帯が広がってきた。フランスはもともと農業国なのだ。6月の陽光が田畑を照らし、...フランスの美しい田園と原発

  • “やまとなでしこ”は消えない!

    <今は少し考えが違いますが、2002年10月に書いた以下の記事を復刻します>1)2年ほど前だったが、民放テレビのドラマで「やまとなでしこ」というのを放送していた。「人生は金なり」という松嶋菜々子さん扮するスッチーが、やがて真実の愛に目覚めて、最後に魚屋の独身男性と結ばれるという話だったと思う。その時、久し振りに大和撫子(やまとなでしこ)という言葉を聞いたような気がした。なにか新鮮な感じがした。というのは、「大和撫子」という言葉自体が、化石か死語になってしまったと思っていたからだ。若い人達は「やまとなでしこ」とは何か、国語辞典をひもといただろう。そして「大和撫子」とは、日本女性の美しさ、清らかさを讃えた言葉であることを知ったに違いない。これは、日本の男性が永遠に憧れるものなのである。そういう意味で、「大和撫...“やまとなでしこ”は消えない!

  • 日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

    <2011年10月22日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>日本共産党の本部ビル日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間320億円ぐらいあるという。共産党はよく、この320億円を大震災の被災者救援に回せと言っている。こ...日本共産党は「政党助成金」について、もっと柔軟で現実的になれ

  • 啓太がゆく ⑨(労働組合騒動)

    なかなか寝付かれない。今村や小出、それに木内典子ら組合員の顔が脳裏の浮かんでくる。彼らは啓太をじっと見据えて、「組合を脱退するのか?」と詰問しているみたいだ。それらの“幻覚”を振り払って啓太は眠りにつこうとする・・・しかし、眠れない。彼はベッドの上で上半身を起こし、しばらく放心状態になった。どうして俺は眠れないのだろうか。俺はそんなにも小心で気が弱いのか。啓太は自分が情けなくなった。両親にも石浜部長にも組合を脱退すると約束したのに、いざとなるとひるんでしまうのか。自問自答にもならない不毛の想念に、啓太は次第に疲れてきた。また横になって2時間、3時間・・・結局、彼は一睡もできずにその晩を過ごした。これなら、仮眠を取らず起きていた方がよっぽど良かったではないか。啓太は疲労を感じながら、再び職場に戻った。曽我と...啓太がゆく⑨(労働組合騒動)

  • 『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか? 小百合さん

    以下の復刻話は、オールド映画ファンの“戯れ言”として聞いてほしい。映画『忍ぶ川』(DVD・原作は三浦哲郎)を借りてきて見たが、最後の“初夜のシーン”が実に美しく素晴らしかった。ゆったりとしていて生命感にあふれている。加藤剛と栗原小巻が主演の映画だ。そこで『忍ぶ川』を調べていたら、面白い話が出てきた。熊井啓監督は当初、吉永小百合を主演に考えて、吉永の両親らともいろいろ打ち合わせをしていた。日活もその線で動いていた。しかし、熊井監督が吉永の自宅で泥酔し母親(和枝さん)と悶着を起こしたり、白黒映画にするかカラー作品にするかなどで父親(芳之さん)と対立したとのことだ。結局、吉永小百合の出演は“ご破算”になって、栗原小巻の登場になったという。映画(1972年)も俳優座の作品、東宝の配給となった。小巻さんが小百合さん...『忍ぶ川』・小巻さんに負けたか?小百合さん

  • イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

    イエス・キリストの痛切な一言イエスの山上の垂訓(ブロッホ作)「自分の目には梁(はり)があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵(ちり)を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁(はり)を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵(ちり)を取りのけることができるだろう」(山上の垂訓より)他国を非難する前に、まず自分のことを振り返ったらどうだ!日本は「非核保有国」だから北朝鮮を非難する資格があるが、さんざん核実験をやった核保有国が、北朝鮮などを非難してもなんら説得力がない。核軍縮や核廃絶に向けて、なんら努力をしていない国々は、北朝鮮を非難する資格はない!NPT・核拡散防止条約に大きな問題点があるのだ!こんなに不公正、不平等な条約はほかにないのだ。核拡...イエス・キリストの痛切な一言とNPT・核拡散防止条約

  • 国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

    <以下の記事は2006年11月7日に書いたものですが、基本的な考えは今でも変わっていません。一部修正して復刻します。>1)北朝鮮の衝撃的な核実験(2006年10月9日)から間もなく1カ月になるが、この出来事は核の問題についてさまざまなことを考えさせてくれた。とりわけ、北朝鮮が脱退した核拡散防止条約(以下、NPTと言う)については、これが現在の世界にとって有効なのか、あるいはその存在意義がどうなのかといったことが問われたと思う。私もNPTについて少し調べたが、考えれば考えるほど空しい気持になるとともに、憤りさえ感じてくるのである。この条約は1970年に発効され、日本もその年に署名し1976年に批准している。それはそれで良いのだが、発効後36年経ってさまざまな矛盾や問題が生じている。ご承知のように、北朝鮮は2...国際正義に反する“不条理”なNPT・核拡散防止条約

  • 啓太がゆく ⑧(労働組合騒動)

    そうして数日がたつうちに、啓太は25歳の誕生日を迎えた。誕生日といっても別にどうってことはない。ああ、そうかという感じだが、このテレビ局は変わった会社でいちいち「記念品」などをくれる。社長の陣内は、そうしたことに気を配るのだろう。家族主義的な会社経営が彼の方針だからだ。大きなガス爆発事故で例の討論集会は1週間延びたが、その日、ほぼ全員が出席して集会が開かれた。2階の会議室に20数人の社員が集まったが、その中に新入りの高畑伸子が含まれていた。彼女は人事部から移ってきた“庶務担当”の社員で、半年前に入社したばかりの新人だ。庶務の仕事が増えてきたのと、古参の滝川和江が半年後に25歳の定年を迎えるので、補充の人事だったのだろう。報道部の社員は20数人だが、他にKYODOテレビの関係者が70数人いるから、庶務の仕事...啓太がゆく⑧(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ⑦(労働組合騒動)

    時限ストの日が来た。みんな初めての体験だが、正午過ぎに会社の近くの○✖公園に集まる。啓太も小出や今村と連れ立って公園へ行った。すでに20人余りの組合員が集まっていたが、報道部では夜のニュースのADを務める木内典子(のりこ)が来ていた。「やあ、木内さんは早いね。張り切ってるな」今村が声をかけると彼女が答えた。「ええ、だって私は夜のニュースですもの。昼間はなんでもできます」木内がすっきりした笑顔を浮かべ啓太らを出迎えた。彼女は2歳年下だが、高校卒でFUJIテレビに入ったため社歴は古い。組合活動には熱心で、報道では女性ただ1人の発起人になっていた。すらりとした長身で背丈は啓太ほどあったが、知的で穏やかな性格が職場の人望を集めていた。やがて集会が始まるころには組合員も40人ほどに増えただろうか、ドラマ制作部の山村...啓太がゆく⑦(労働組合騒動)

  • 経済大国→ 老大国→ 老衰国・・・それで良いのか?

    <2019年10月17日に書いた以下の記事を復刻します>日本は経済大国である。戦後の経済復興で、アメリカに次いで世界第2位のGNP(国民総生産)を誇ったことがある。その当時は「ジャパンアズナンバーワン」「エコノミック・アニマル」などと言われたことがあった。日本は今でも経済大国に変わりないが、近年はどこか精彩がないようだ。それは経済力で中国に抜かれ、第3位に転落したこともあるが、全体的に停滞、あるいは沈滞している傾向がある。だから私は、経済大国からむしろ“老大国”になったのかと思うことがあるが、それはどうしてだろうか。経済の専門家ではない私なので、全体的な話をしよう。第1に、人口が減りつつあることだ。日本の総人口が1億人を突破したのは1966年(昭和41年・法務省統計局調べ)と言われるが、その当時は正に高度...経済大国→老大国→老衰国・・・それで良いのか?

  • サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

    <2012年8月に行ったサハリンの州都・ユジノサハリンスクの記事を復刻します>サハリン(樺太)の州都・ユジノサハリンスクは、日本統治時代に「豊原」と言ったが、今でも戦前の面影が残っている所が幾つもある。中でも「郷土博物館」は1937年(昭和12年)に建てられた純日本風の建物で、和風の庭園には旧日本軍の戦車や大砲が置かれている。戦前にタイムスリップした感じがした。郷土博物館の全景旧日本軍の大砲の前でソ連邦が消滅してもう20年以上たつが、サハリンにはあちこちに「レーニン像」が立っている。そこが面白い。ロシア本土ではだいぶ撤去されたはずだが、極東のサハリンにはあまり影響がなかったのだろう。広場や通りの名前も共産主義時代の名残りを留めている。私個人はレーニンが大好きで、彼はガンジーと並ぶ20世紀最大の英雄だと思っ...サハリンの州都・ユジノサハリンスク(豊原)の雑感

  • 大相撲の土俵は広げられないのか?

    <以下の記事は2014年11月26日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>相撲ファンとして一言いわせてもらいたいが、大相撲がなんとなく面白くなくなってきたと、多くの人が思っているかもしれない。それは日本人力士の優勝がずっとないとか、日本人の横綱誕生が途絶えているとか、いろいろな理由があるだろう。それはともかく、私はズバリ言って、土俵の広さにも原因があると思っている。現在の土俵は直径15尺・4,55メートルなのだが、これは1931年(昭和6年)以来続いているものだ。それまでは直径13尺・3,94メートルだったが、その年に、相撲をより面白いものにしようという趣旨で広げられた。これで、より攻防の激しい相撲になったと思うが、実は終戦直後の1945年(昭和20年)に、当時のGHQの指令で一時、土俵が16尺・...大相撲の土俵は広げられないのか?

  • 啓太がゆく ⑥(労働組合騒動)

    第2部<第1部に続いて空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語。>(6)報道部に戻る5月の連休明けに山本啓太は報道部に戻った。顔なじみの同僚にまじって数人の新人がいたが、意外だったのは同期の大橋剛(つよし)がいたことである。彼はスポーツ部を志望していたはずなのに、どうして報道に移ってきたのだろうか。啓太はすぐに声をかけた。「大橋、君はどうして報道に来たの?意外だな」「ハッハッハッハ、あとでゆっくり話すよ。それより、山本と同じ職場になるなんて考えてもみなかったさ」大橋は屈託のない笑みを浮かべた。彼はもともと陸上競技の選手で、そのスポーツマンらしい爽やかな態度に啓太は好感を持っていた。その日の午前中、ニュースの内勤整理の仕事をこなしたあと、昼休みに2人はさっそく連れ立って社員食堂に向かった。「“ゴウちゃ...啓太がゆく⑥(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ⑤(仕事と恋とレジャー)

    「そうですか、蔵原さんはそういう人ですか・・・」啓太はそれ以上は聞かなかったが、蔵原になにか不吉な予感を覚えた。そして、西尾と啓太は喫茶室を出たあとドラマ制作部に戻り、明日の予定を確認してから別れた。翌朝、出社すると岡山ディレクターが嬉しそうな顔をして言う。「放送予定日がようやく決まったよ。4月14日と21日の2回に分けて放送する。これで落ち着いてやっていけるね」啓太も安堵した気分になって聞いた。「時間枠はどこですか?」「うん、夜のシオノギ劇場の枠だそうだ。よかったよ」岡山はやっと安心して取り組めるといった表情を見せた。ほかのスタッフも約1カ月後の放送が決まって喜んだが、まだ心配なのは、ニッカツ映画社との交渉の行方である。これが決着しないかぎり、吉永ゆかりの出演は本決まりにはならないのだ。しかし、それは村...啓太がゆく⑤(仕事と恋とレジャー)

  • 「南京大虐殺」はあった! 日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

    <2017年12月に書いた以下の記事を復刻します。>南京虐殺事件すでに多くの人が知っていることだが、日本テレビ系の各社は10月4日に、いわゆる「南京事件」のドキュメントを放送した。小野賢二さんという方の調査を本に構成したものだが、これは「南京事件」を知る上で大きな手がかりになるものだ。「南京事件」の全容については依然不明な点があるものの、小野さんらの努力でだいぶ明らかになった。中国側の見解には誇張した面があるかもしれないが、“南京大虐殺”があったのは事実である。犠牲者が何万人か、何十万人かといった視点ではなく、旧日本軍がかつて犯した事実を冷静に受け止めなければならない。今後日中関係はどうなるか分からないが、こうした歴史的事実の上に立って、新たな未来を切り開かなくてはならないと思う。そうした観点から、日本テ...「南京大虐殺」はあった!日本テレビ系の素晴らしいドキュメント・小野賢二さんの調査

  • 機密費について

    <機密費が問題になっているので、2010年5月20日に書いた以下の記事を復刻します。>“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。明石元二郎日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊さ...機密費について

  • 『喫茶店の片隅で』

    1955年(昭和30年)の歌で、松島詩子(うたこ)が歌ってヒットした。喫茶店はいつの時代でも“憩い”の場所だ。誰にでも思い出の数々があるだろう。私にも無数にある。一つだけ言わせてもらうと、学生時代に憧れの女子大生とぜひ喫茶店に行きたいと願っていたが、ついにその夢は果たされなかった。理由は簡単、自分が奥手で不器用、意気地なしだったからだ。そんな情けない話は別として、永遠にあり続けてほしい“喫茶店”の歌を載せておこう。作詞・矢野亮、作曲・中野忠晴1アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店いつもあなたと逢った日の小さな赤い椅子二つモカの香りがにじんでた2ふたり黙って向きあって聞いたショパンのノクターンもれるピアノの音(ね)につれてつんでは崩しまたつんだ夢はいずこに消えたやら3遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶...『喫茶店の片隅で』

  • 啓太がゆく ④(仕事と恋とレジャー)

    そして、昭和41年・1966年を迎えた。国外ではベトナム戦争が激しくなり、アメリカ軍の北ベトナム空爆がいっそう拡大した。また、隣の中国では「文化大革命」という大衆運動が勃興してきたが、これは得体の知れないなにか不吉な予感を与えるものだった。しかし、日本国内は“ミニスカート”が登場するなど一見して平和でのどかな感じである。そうしたある日、五代厚子と石黒からスキーに行こうという誘いがあった。また、同期の小出からもスキーの誘いがあったが、啓太は忙しさを理由に断った。忙しいだけでなくどうも乗り気がしない。みんなと行くのもいいが、自分だけの遊びがしたいという欲求がまた持ち上がったのだ。啓太は再び○✕風呂へ通い始めた。今度は石浜らに覚られないように、ごく内密に行くようになったのである。一方、五代や石黒、小出らはスキー...啓太がゆく④(仕事と恋とレジャー)

  • 啓太がゆく ③(仕事と恋とレジャー)

    このコルト600は白銀色に輝いている。啓太は車に乗り込むとギアやブレーキなどを点検したあと、駐車場からゆっくりと出発した。初めての路上運転なので緊張する。絶対に「安全第一」と自分に言い聞かせながら、コルト600を走らせた。そうは言っても、自分の車だと思うと胸が高鳴ってくる。自然に誇らしい気持になるのだ。ところが、彼が山手通りに出て北へ向かう途中の西池袋付近だったか、車が何かの拍子で突然エンスト(エンジンストップ)を起こした。焦って何度もエンジンをかけようとしたが、なかなかかからない。道路の真ん中で立ち往生になった。すると、後ろのトラックの運転手が怒鳴った。「バッカヤロー!おんぼろ車に乗るな!!」そう叫んで、トラックの運転手はコルト600を追い越していった。啓太は冷や汗が出る思いだった。当時の車はよくエンス...啓太がゆく③(仕事と恋とレジャー)

  • 早とちり記者

    <2020年4月に書いた以下の記事を復刻します>“早とちり記者”とは私のことである。不名誉なことだが、昔、某テレビ局の記者をしていた時、数回はそんなことがあった。もちろん、他の新聞やテレビでもそういうことはある。まあ、勇み足とか早合点による失敗を言うのだが、記者とは他社に先駆けてネタをつかみたいと思うから、時々、そういう失敗をするものである。私の場合、数回の中で特に忘れられないものがある。というのは、記事になって放送されたりすると、それは“誤報”になるのだ。その場合、後で訂正して謝罪しなければならない。ところが、訂正や謝罪の機会がないまま、ずるずると行ってしまうこともある。つまり、結果的に“頬かぶり”したことになるのだ。だいぶ前置きが長くなったが、忘れられない失敗とは以下のようなことだ。反省を込めて言わね...早とちり記者

  • 『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の...『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

  • 『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

    <2015年7月12日に書いた以下の記事を復刻します>スポーツの国際試合の時によく『君が代』が演奏されるが、どうせなら『君が代行進曲』の方が良いのではないか。『君が代』は荘重だが、なにか“お通夜”か葬儀のような雰囲気だ。それに比べると『君が代行進曲』の方は元気や勇気が湧いてきて、よしっ、やるぞっ!という気分になる。また、躍動感に溢れている。以前、サッカーで有名な中田英寿選手は、『君が代』について「気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と言って歌わなかったそうだ。まったく同感である。君が代行進曲/KimigayoMarch『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

  • 『伊勢佐木町ブルース』

    1960年代の後半は青江三奈の全盛時代だったが、この歌は昭和43年(1968年)にリリースされミリオンセラーとなった。冒頭の“色っぽい吐息”は有名だが、青江の可愛らしい色気は多くの男性ファンを魅了した。私はそれほどでもなかったが(?)、某先輩は青江がテレビに出てくると、それこそ首ったけになって画面にかじりついていたことを思い出す(笑)『伊勢佐木町ブルース』のヒットを記念して、その歌碑が横浜市中区のイセザキモールに建てられている。“ご当地ソング”の代表的なものだろう。青江三奈-伊勢佐木町ブルース『伊勢佐木町ブルース』

  • 啓太がゆく ①(仕事と恋とレジャー)

    <これは空想、夢想、妄想の懺悔・告白のような自伝的物語で、2019年5月15日に完成しました。したがって、時制はその当時のものです。>主な登場人物<順不同>山本啓太(主人公)小出誠一(啓太の同期)五代厚子(先輩アナウンサー)江藤知子(同期アナ)石黒達也(同期アナ)森末太郎(同期アナ)木内典子(報道部員)山本久乃(母)山本国義(父)山本国雄(啓太の兄)陣内春彦社長星野ディレクター(報道番組)石浜副部長(報道番組デスク、のちに報道部長)金森次郎(報道番組)三雲大輔(ドキュメンタリー班)蔵原圭一(俳優)吉永ゆかり(女優)岡山太郎(ドラマ制作部・ディレクター)西尾、植木(AD)蔵原文枝(圭一の妹)ほか<主な参考文献・ネット資料など>ピエールとリュース(ロマン・ロラン、渡辺淳訳・鉄筆文庫)ロングラン(村上七郎)メデ...啓太がゆく①(仕事と恋とレジャー)

  • トランプとルーズベルト

    <2017年1月11日に書いた記事をそのまま復刻します>トランプ次期大統領F・D・ルーズベルト大統領アメリカのトランプ次期大統領のツイッターが話題になっているが、これを聞いて私は20世紀の偉大な政治家であるフランクリン・ルーズベルト大統領のことを思い出した。政治に興味のある方はむろん知っているだろうが、ルーズベルトは1933年に大統領に就任したあと、ラジオを使った「炉辺談話」を始めたことでも有名である。ラジオは1920年代からアメリカで大いに普及したが、実はルーズベルトはニューヨーク州知事時代(1929年~1932年)に真っ先にそれに目を付け、炉辺談話に使っていたそうである。つまり、彼は当時の最新のメディアであるラジオを有効に利用していたわけだ。そう考えると、トランプ氏も現代の最新のメディアであるインター...トランプとルーズベルト

  • <復刻> アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利

    アメリカの大統領選は、共和党のドナルド・トランプ氏が民主党のカマラ・ハリス氏に勝利し、4年ぶりに返り咲くことになった。当初の予想では大接戦になるかと見られていたが、意外にあっさりとトランプ氏の当確が出た。マスコミの予想が外れたのだろうか。ドナルド・トランプ氏テレビニュースなどを聞いていると、アメリカの「経済」が国民にとって芳しくないことが、トランプ氏有利に働いたようだ。物価高などによる生活苦、困窮化が最大の要因になったと見られる。要するに、バイデン民主党政権の経済政策が上手くいかなかったと言える。外交や安全保障なども重要だが、アメリカ国民にとってはやはり身近な「生活」の問題が最重要だったのだろう。他にもトランプ勝利の要因はいくつかあろうが、“アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ氏の主張が広く支持されたと...<復刻>アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利

  • 大プロデューサー・横沢彪さんのこと

    <2011年1月11日に書いた記事を一部修正して復刻します。>元フジテレビの大プロデューサー・横沢彪(たけし)さんが8日、都内の病院で亡くなった。73歳。横沢さんについては多くを語る必要はないだろう。彼のお陰で、視聴率最悪のフジテレビが、起死回生の復活を遂げたのだから。いわば、フジテレビの最大の功労者の一人である。何かテレビの“申し子”のような存在であった。横沢さんは私の2年先輩で、東大を出たあと1962年(昭和37年)にフジテレビに入社した。一時期を除いて、ほとんど制作現場を歩まれた人である。私は1964年(昭和39年)にフジテレビに入ったが、もっぱら報道畑にいたので横沢先輩とはほとんど接点がなかった。ただ、2回だけ横沢さんと酒を飲みながら話をする機会があった。以下はちょっとした思い出になるが、その話を...大プロデューサー・横沢彪さんのこと

  • 歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

    史劇・『天安門は見ていた』のこれまでの主な資料です。他にもちろん、SNSからの情報などもありますが、新たな資料が入れば追って紹介する予定です。歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

  • 『天安門は見ていた』第1部⑥ 胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

    第6幕・・・胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ第1場(1986年の8月下旬、ホンコン(香港)の繁華街を宋哲元と李慶之が並んで歩いている。2人は妻や幼い子供をホテルに残して散策中だ。)宋哲元「盂蘭盆(うらぼん)になると、ホンコンも大勢の人で賑わうね。僕らのような観光客が多いということだ」李慶之「そうだな、混んでるから、子供たちをホテルに置いてきて良かったよ。ところで、君は9月からまた大学に戻るんだね」宋哲元「うん、社会学を専門にやるよ。アメリカで大いに学んだからね」李慶之「1年間の留学が実を結んだわけだ。良かったな」宋哲元「君は都市工学系の公司(こんす)に入るの?」李慶之「うん、そのつもりだが、まだはっきりしない。なにせ志望者が多いから、競争率が大変なんだ」宋哲元「そうか、改革・開放の路線が上手くいっている...『天安門は見ていた』第1部⑥胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

  • 『天安門は見ていた』第1部⑤ 鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

    それからおよそ6年後、中国は華国鋒ら最後の文革派グループが失脚し、代わって鄧小平の指導のもと、胡耀邦や趙紫陽らの改革・開放派が完全に実権を掌握していた。その間、国内は目覚ましい経済成長を続け、国力を増強していった。しかし、政権の内部では、民主化、自由化をめぐって対立がいっそう深まっていったのである。第5幕・・・鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂第1場<1985年の“春節”のころ、北京市・豊台区にある李慶之の自宅。彼が妻の摂栄花といるところに、宋哲元と新妻の李美瑛が訪ねてくる>宋哲元「やあ、久しぶりだね。里帰りなので伺ったが、みなさん、お元気かな?」李慶之「うむ、元気にやっているよ。美瑛はもうすぐ赤ちゃんが生まれるね、めでたいな」李美瑛「兄さんや栄花さんもお元気でなによりです。私はこの通り、お腹がふくらんでいます(...『天安門は見ていた』第1部⑤鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

  • 『天安門は見ていた』第1部④ 鄧小平の復活→華国鋒との戦い

    第4幕・・・鄧小平の復活→華国鋒との戦い第1場<1976年の10月下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平のほかに胡耀邦、趙刻明、卓琳夫人がいる>趙刻明「四人組が逮捕されたのを、多くの国民は歓迎していますよ。いたる所に壁新聞が貼られ、喜びのメッセージが寄せられています」胡耀邦「なにか世の中が大きく変わる感じがしますね。毛主席と四人組がいなくなって、これからどうなるのか。華国鋒氏が党主席の地位に就きましたが、彼は以前、湖南省で私の部下だった人物です。大変な“出世”だな」趙刻明「そうだったのですね、あなたは華国鋒氏に大きく水を開けられた感じだ(笑)」胡耀邦「参ったな~、ハッハッハッハ」鄧小平「うむ、私も四人組が逮捕されたあと、彼にすぐ書簡を送っておいた。新体制を全面的に支持すると言っておいたよ」趙刻明「...『天安門は見ていた』第1部④鄧小平の復活→華国鋒との戦い

  • 『天安門は見ていた』第1部③ 毛沢東の死と“四人組”の滅亡

    第3幕・・・毛沢東の死と“四人組”の滅亡第1場<8月上旬のある日、北京・中南海にある江青の居宅。江青ら四人組が集まっている>江青「唐山の大地震はすごかったですね。ようやく余震も治まってきましたが、被害は甚大だと聞いていますよ」張春橋「死者がどのくらいになるのか分からない。20万人、いや30万人以上になるとか・・・もっと多いかもしれない」王洪文「政府も党も一丸となって救援活動を続けていますが、復旧の見通しはまったく立っていません。恐るべき大地震でした」姚文元「外国からも救援の申し出がありましたが、わが国は“自力更生”がモットーですから、丁重にお断りしました。それに、もし外国の救援隊やマスコミを受け入れたら、どんな報道をされるか分かりませんよ」張春橋「うむ、ここは自力更生で行くしかない。わが国の底力が試されて...『天安門は見ていた』第1部③毛沢東の死と“四人組”の滅亡

  • 『天安門は見ていた』第1部② 第1次天安門事件と鄧小平の失脚

    第2幕・・・第1次天安門事件と鄧小平の失脚第1場<2月中旬、北京市の郊外にある鄧小平の仮住まい。失脚した彼は、卓琳夫人と共にここに隠れ住んでいる。そこへ、長年の友人である趙刻明(ちょうこくめい・50歳ぐらい)が訪れてきた。彼は四川省出身で、某新聞の記者である>趙刻明「やあ、しばらくですね。ここに緊急避難ということですか?」鄧小平「党や政府の職務をすべて解任されたからね。もう“御用済み”ということだ(笑)」趙刻明「以前のように地方へ下放(かほう)されるよりはマシでしょう。あの時は紅衛兵に何をされるか分からなかったですからね」鄧小平「うむ、そうだね。あの時よりはマシかな」趙刻明「ところで、四人組はあなたの党籍をはく奪しようとしたんですって?」鄧小平「そうらしい。しかし、毛主席がそれだけは駄目だと断ったようだ」...『天安門は見ていた』第1部②第1次天安門事件と鄧小平の失脚

  • 『昴(すばる)』

    日本だけでなく、中国や韓国などアジアでも広く歌われた名曲である。谷村新司の作詞・作曲で、1980年(昭和55年)にリリースされ大ヒットした。「昴」はプレアデス星団の和名で、これに別れを告げる青年の心を表わしたものだろう。谷村は実は石川啄木の愛読者で、彼自身、啄木の歌集『悲しき玩具』を「読んで食べた糧が、曲や詩となって出てくる」と語ったという。ちなみに、啄木の歌は「呼吸すれば胸の中にて鳴る音あり凩よりもさびしきその音!。眼閉づれど心にうかぶ何もなしさびしくもまた眼をあけるかな」である。谷村が啄木の歌を、巧みに取り込んだと言えよう。谷村新司昴歌詞付き『昴(すばる)』

  • 年寄りの昔と今(ざれ言)

    年寄りは今やろうとしていたことをもう忘れる年寄りは昔美人によろめいたのに、今は足元がよろめく年寄りは昔駅などの階段を勢いよく駆け上ったのに、今はエレベーターにすぐに乗り込む年寄りは昔恋人に会って喜んだのに、今は孫に会って喜ぶ年寄りは昔若妻の顔にキスしたのに、今は老妻から顔をそむける(笑)年寄りは昔ラブレターを心待ちにしていたのに、今は「年金通知」を待ち望む<蛇足>俺の入れ歯がない、見つからない!入れ歯はどこだ!?(あとで見つかる)年寄りの昔と今(ざれ言)

  • 小泉純一郎さんのこと

    <以下の記事は2002年2月に書いたものですが、原発の無責任な推進に警鐘を鳴らす小泉純一郎元首相に敬意を表し、復刻します。>1)今をときめく内閣総理大臣・小泉純一郎氏について語りたい。一言でいうと、彼は剛直で分かりやすく、親しみやすい人である。私が某テレビ局の政治部記者をしていた昭和49年(1974年)2月、自民党の福田派(清和会)を担当することになった。当時、小泉氏は衆議院当選一回の初々しい代議士であった。名前と顔だけは知っていたが、まったく面識はなかった。それは当然のことで、我々記者は福田派の会長である福田赳夫氏、派閥の幹部である園田直氏、松野頼三氏ら有力議員を取材するわけで、一年生議員の所には滅多なことでは行かないからだ。ある時、福田派の有力議員と我々記者との間で懇親会が催された。料理店で一次会をし...小泉純一郎さんのこと

  • 『青春時代』

    1976年(昭和51年)にリリースされた曲で、作詞は阿久悠、作曲は森田公一で、森田自身とトップギャランが歌った。発売から半年でミリオンセラーになったという。メロディーもいいが、阿久悠の歌詞が素晴らしい。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」「胸に刺(とげ)さすことばかり」だと聞くと、自分の青春時代をつい思い出してしまう。青春には大いに失恋や挫折などがあるだろう。しかし、それを乗り越えて前に進むしかないのだ。今の若い人たちは、この曲を聴いたらなんと思うだろうか。森田公一とトップギャラン《青春時代》1976年(原音)『青春時代』

  • 秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

    <以下の記事を復刻します。>『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。良家の子女に生まれた秋瑾は大金持ちと結婚し、2人の子供にも恵まれ幸せな前半生を送る。しかし、19世紀から20世紀にかけての清朝は、外国の侵攻を受けて苦難の連続だった。また、どこの国もそうだったろうが、中国でも男尊女卑、女性差別が非常に根強かった。纏足(てんそく)などの風習がそうである。これらの矛盾に我慢できなくなった秋瑾はついに出奔を決意し、単身で日本へ渡る...秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • 『天安門は見ていた』第1部① “四人組”の権勢と周恩来の死

    <まえがき>このレーゼドラマ(読むための戯曲)は、40年前に書いた中国現代史劇『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場<1975年12月の某日。北京・中南海にある江青の居室。江青(61歳)のほかに、張春橋(58歳)、王洪文(40歳)、姚文元(44歳)が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中>江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてくだ...『天安門は見ていた』第1部①“四人組”の権勢と周恩来の死

  • 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるかもしれないが、私は表現の違いにこだわるのだ。端的に...鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

    1979年(昭和54年)小説『青春流転』(自費出版)1980年(昭和55年)戯曲『文化大革命』(自費出版)1981年(昭和56年)戯曲『血にまみれたハンガリー』(自費出版)小説『リビドーの果てに』⇒某出版社に送るが不明)1983年(昭和58年)小説『ある中年記者の一日』⇒紛失?)2005年(平成17年)小説『青春の苦しみ』2006年(平成18年)戯曲『明治17年・秩父革命』2013年(平成25年)小説『サハリン物語』小説『かぐや姫物語』2014年(平成26年)小説『新・安珍と清姫』2015年(平成27年)小説『老人=SNS=美人』2016年(平成28年)小説『啓太がゆく』第1部・仕事と恋とレジャー2017年(平成29年)小説『啓太がゆく』第2部・労働組合騒動小説『落城』2018年(平成30年)戯曲小説『藤...私の主な創作活動・年表(未完などを含む)

  • 辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

    <以下の記事は2002年3月28日に書いたものですが、原文のまま復刻します。>辻元清美さん(2009年当時)1)これほどパフォーマンスが豊かで、これほど自分勝手な、また往生際の悪い政治家も珍しい。社民党の辻元清美さんが、元政策秘書の給与不正流用疑惑の責任を取って、議員辞職した。疑惑が発覚してから1週間、テレビ、新聞などマスコミは完全に彼女に振り回されていた。また、社民党自体も、最後の方は彼女にキリキリ舞いさせられていたようだ。予定されていた記者会見はすっぽかすし、土井党首ら党幹部の説得も蹴飛ばして、自分勝手にテレビに二度も出て、言いたい放題なのだ。こう言うと叱られそうだが、テレビを見ている方としては、おもしろいと言うか、痛快と言うか、“笑劇”を見ているようだった。さぞや、関係者は苦労しただろうと察する。議...辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

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