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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • フィリピンで日本兵が最も多く“犠牲”になったのか

    <以下の文を一部修正して復刻します。>第2次世界大戦で日本兵が最も多く“犠牲”になったのは、中国本土とばかりに私は思い込んでいた。ところが、それは間違いである。フィリピンだった。それを知ったのは数年前だったが、今回、レイテ島が台風の大被害に遭って思い出したのだ。ちなみに、レイテ島は日米両軍が死闘を繰り広げた所だが、先の大戦で日本兵は約50万人以上がフィリピンで亡くなった。この中には戦死はもちろん、餓死や病死も含まれている。中国大陸では“15年戦争”と言われるほど戦闘が長く続いたのに、日本兵の戦死など犠牲者は約45万人であった。つまり、フィリピンでは短期間に大勢の日本人犠牲者が出たのだ。なぜこうなったか?詳しく説明する時間も軍事的興味もないので、資料だけ末尾にリンクしておきたい。ただ一つだけ言いたいのは、フ...フィリピンで日本兵が最も多く“犠牲”になったのか

  • イエス・キリストと「山上の垂訓」

    <以下の記事は2002年4月6日に書いたものです。一部修正>山上の垂訓(C・H・ブロッホ作)1)私はクリスチャンではないので、キリスト教のことはよく知らない。しかし、「山上の垂訓」といわれるイエス・キリストの言葉(教え)は知っている。この言葉は、人類が発する言葉の中では、二度と現われることのない高貴なものであろう。人類が滅亡するまでに、このような言葉は決して現われないだろう。それほどまでに、崇高なものであると思う。多分、この言葉の中に、イエス・キリストの教えの全てが凝縮されているのではないか。故遠藤周作さんの文言を借りれば、「おそらく人間にはなすことの不可能な愛の呼びかけ」(『イエスの生涯』遠藤周作著・新潮文庫)だったと思わざるをえない。「もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい」...イエス・キリストと「山上の垂訓」

  • 『友よ』

    ふと、昔の歌を思い出した。今から50年以上も前、いわゆる“1970年安保闘争”と言われた時期に、民放テレビの一記者として学生運動を取材していた私は、この歌を繰り返し耳にした。取材が終わって喫茶店などでくつろいでいる時、いつの間にか私はこの歌を口ずさんでいた。今の若い人は、この歌を聴いたらどう思うだろうか・・・作詞・岡林信康、鈴木孝雄作曲・岡林信康友よ夜明け前の闇の中で友よ戦いの炎をもやせ夜明けは近い夜明けは近い友よこの闇の向こうには友よ輝くあしたがある友よ君の涙君の汗が友よむくわれるその日がくる夜明けは近い夜明けは近い友よこの闇の向こうには友よ輝くあしたがある友よのぼりくる朝日の中で友よ喜びをわかちあおう夜明けは近い夜明けは近い友よこの闇の向こうには友よ輝くあしたがある友よ-高石友也/岡林信康『友よ』

  • 10月21日とは・・・

    <2021年10月21日に書いた以下の記事を復刻します>けさ、テレビを見ていたら「きょう、10月21日はなんの日?」なんてやっていた。答えは“あかりの日”で、アメリカの発明王トーマス・エジソンが世界で初めて実用的な白熱電球を開発した日だそうである(1879年)。それは結構だが、10月21日というと、私のような年寄りはすぐに「学徒出陣の日」と「国際反戦デー」を思い出す。ネットで調べたら、東京新聞がきょうの紙面で78年前(1943年)の学徒出陣を特集しているそうだ。その日、明治神宮外苑の競技場で行われた壮行会は、あの有名な映像とともに今でも忘れられないものだろう。ところが、年寄りでも私のような“戦後派”は(笑)、実体験として国際反戦デーの印象が根強く残っている。これは1966年のきょう、総評(日本労働組合総評...10月21日とは・・・

  • 瀬戸内寂聴(晴美)さんのこと

    <瀬戸内寂聴さんは2021年11月9日に他界されました。享年99歳。この記事は2015年6月に書いたものです。>先日、作家で文化勲章受章者、僧侶の瀬戸内寂聴さんが、新安保法案に反対し「反安部」の強い決意を表明して大きな話題となった。その模様を見て私も感銘し、彼女の小説『夏の終り』などを初めて読んだしだいである。93歳の瀬戸内さんが“反戦”にかける思いは強烈なもので、それはご自身の体験に深く根ざしたものだ。ここで彼女の体験談を紹介するのは時間の都合で省くが、瀬戸内さんの小説を読んでいて、どうしても過去の思い出を書きたくなった。そういうことでご了承願いたい。もう50年近くも昔のことだが、私がFテレビの“駆け出し”報道部員だったころ、年末に「今年の100人」という報道特番を放送することになった。その年の話題にな...瀬戸内寂聴(晴美)さんのこと

  • 昭和天皇 終戦の詔書

    昭和天皇終戦の詔書(昭和20年8月14日)<現代語意訳文>私(昭和天皇)は、深く世界情勢と日本国の現状とを考慮して、非常の措置によって事態を収拾しようと考えて、ここに、忠良なあなた方日本国民に訴える。私は、日本国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ連に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨を通告させた。日本国民の平和と安寧をはかり、世界との共栄を喜びとすることは、代々の天皇の遺範であって、私も常々心にとどめてきたことである。先に、アメリカとイギリスの2か国に対して宣戦したのは、ただ日本国の存続とアジアの安定とを願ったためであり、ポツダム宣言に書かれているような他国の主権を排除して領土を侵すというようなことは、もとより私の考えていたことではない。しかしながら、戦争がすでに4年を経過した今、わが国の陸...昭和天皇終戦の詔書

  • ポツダム宣言

    日本の降伏のための定義および規約1945年7月26日、ポツダムにおける宣言1.我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。2.アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。3.世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要...ポツダム宣言

  • 『異国の丘』

    戦後まもなく、最もよく歌われた曲が『異国の丘』だろう。昭和23年(1948年)にNHKの「のど自慢」でシベリアからの復員兵が歌ってから知れ渡ったが、はじめは誰が作詞・作曲したのか分からなかった。やがて、シベリアから帰還した吉田正が自身が作曲したと名乗り出た。作詞者も分かって多くの歌手が歌うようになり、同名の映画『異国の丘』も作られて国民的な曲になったのである。シベリアやモンゴル、北朝鮮などに抑留された日本人は約65万人、いや一説には107万人とも言われ、劣悪な環境のもと、強制労働に従事させられて“望郷の念”を深めていたのだ。この曲を聴く時、その気持ちが痛切に伝わってくる。異国の丘『異国の丘』

  • 『北の国から 遙かなる大地より~』

    1982年(昭和57年)9月にリリースされた曲で、フジテレビのドラマ「北の国から」の主題歌である。作曲はさだまさしだが、歌詞は特についていない。いわゆる“スキャット”だ。ドラマは主役の田中邦衛を含めて高い評価を受けたが、曲の方も美しいメロディーが多くの人に愛された。広大な北の国~北海道を連想させるおおらかさが受けたのだろう。北の国から遙かなる大地より~螢のテーマ(高音質)『北の国から遙かなる大地より~』

  • 歴史に見るマスゴミ、いやマスコミの正体

    <以下の記事を復刻します。>マスコミ出身の私がマスコミの“悪口”を言うのは少し気が引けるが、これも日本国民のためにと思えば、何らおかしくはないだろう。実は高校生の頃に読んだら、とても面白かったので忘れられない話がある。いま手元に詳しい資料はないが、ほぼ覚えているので紹介したい。歴史の事実から、マスゴミ、いやマスコミの正体というものが分かるだろう。時は1814年。ナポレオンはヨーロッパ連合軍との戦いに敗れ、フランス皇帝の座を退位することになった。彼は地中海に浮かぶ小さな島・エルバ島に流される。ヨーロッパはナポレオン戦争から解放されて、新しい平和な時代を迎えるはずであった。ところが、ヨーロッパの列強がウィーンに集まって欧州の新秩序を話し合うのだが、「会議は踊る」で、各国の利害が対立し話し合いが進まなかった。ま...歴史に見るマスゴミ、いやマスコミの正体

  • 『クワイ河マーチ(戦場にかける橋)』

    <2021年4月4日に書いた以下の記事を復刻します。>昨夜、TBSテレビを見たら、泰緬(たいめん)鉄道の話を放送していた。これは第2次大戦中に日本軍がタイとミャンマー(旧ビルマ)の間に鉄道を敷設する話だが、多くの外国人捕虜が過酷な労働の末に亡くなった。このため戦後、捕虜虐待の罪でB・C級戦犯が裁かれるドキュメンタリーだった。しかし、1957年になって、これがイギリス・アメリカの合作映画『戦場にかける橋』となって生まれ変わり、日本でも上映された。もちろん私も見に行ったが、ウィリアム・ホールデンやアレック・ギネス、早川雪洲らの名優が出演して話題となった。そして、なんと言っても「クワイ河マーチ」である。実に軽快で生き生きとしており、過酷で悲惨な戦場とは対照的に鳴り渡っていたのだ。(2021年4月4日)クワイ河マ...『クワイ河マーチ(戦場にかける橋)』

  • シルヴァーナ・マンガーノと『にがい米』

    <以下の文を復刻します>ふと、往年のイタリアの大女優であるシルヴァーナ・マンガーノを思い出した。彼女が初出演した『にがい米』(1949年)は、戦後間もない日本の男性たちに強烈な印象を与え、“原爆女優”などと呼ばれた。当時は衝撃的な映像だったのだろう。ArrozAmargo(1949)シルヴァーナ・マンガーノと『にがい米』

  • 普天間基地をテニアンに移そう

    <以下の記事を復刻します。>在日米軍の普天間航空基地以前、沖縄の「普天間基地をテニアンに移せ!」という記事を書いたが、米国家安全保障会議(NSC)が同じことを検討していたという公文書が明らかになり、ますますその思いを強くした。以下に「琉球新報」の記事を引用するとともに、小生の拙記事も併せて掲載しておきたい。普天間基地の移設先はテニアンが最適なのだ!http://ryukyushimpo.jp/news/entry-166835.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitterhttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/303df387bcd4f830cfcfb40299731481普天間基地をテニアンに移そう

  • 『恋人よ』

    1980年(昭和55年)の大ヒット曲で、五輪真弓が作詞・作曲し彼女自身が歌ったものだ。ある人が、これは「アクティブな生き方をしているインテリ女性の失恋というイメージがある」と語っているが、私もそのような印象を受ける。ちょうどこの頃は、男女間の雇用機会均等が叫ばれ、女性の社会進出が当然のことのように言われた時期だ。現実に5年後に「男女雇用機会均等法」が制定された。そうした背景の中で、インテリ女性の“痛切な失恋”を思わせるこの曲が世の中に広まったのだろう。五輪真弓の硬質な歌声とメロディーによって、切々たる哀感が伝わってくるようだ。しかし、アクティブな女性は挫けない。失恋という挫折を乗り越えて前へ進んでいくに違いない。なお、この曲は韓国やベトナムなど、アジア各国でも大いにヒットしたという。五輪真弓「恋人よ」/M...『恋人よ』

  • (まとめ) <小説> 老人=SNS=美人

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。サハリンの郷土博物館(ユジノサハリンスク)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0f3716f39b7ef73eaa64833f936115b6http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0d523d81db347a2b5636dc9bb65fe897http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/45c0a203db9c4c8006d048762d72d21chttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/c78f2eaf12ea894f85e37f3cc50c1936(まとめ)<小説>老人=SNS=美人

  • <小説> 老人=SNS=美人④⇒老いらくの恋か(最終回)

    9月の上旬、エレーナから初めてスカイプ・Skypeで通話があった。秀樹はどんなものかといぶかっていたが、実によく聞こえるので驚いた。まるで、隣の部屋から電話がかかっているみたいだ。2人は20分以上話したが、彼は無料の国際電話に改めて感心したのである。エレーナとスカイプで話した夜、秀樹は感動したのか彼女を夢に見た。彼はエレーナと何を話したか覚えていないが、この夢が引き金になったのかある“幻想小説”を書くことになった。彼はこれを『サハリン物語』と名付けたが、どんな小説になるかは全く見当がつかなかった。ただ気分良く、秀樹はブログに打ち込んでいったのである。こうして2人はスカイプでの交流を始めたが、エレーナの方が積極的に通話をしてきた。ただし、秀樹の方が「ビデオ通話」を好んだのに対し、彼女は顔を見せるのを嫌がった...<小説>老人=SNS=美人④⇒老いらくの恋か(最終回)

  • <小説> 老人=SNS=美人③⇒秀樹とエレーナ

    「Mさんの方がお姉さんだね。昔のことをよく知っているだろうな~」秀樹がそう言うと、Mさんは少し笑ってから思い出話を次々にした。彼女の父は戦時中に朝鮮半島から“徴用”で南樺太に連れてこられ、炭鉱の仕事をしていたという。Mさんの一家は旧ソ連領だった北樺太のすぐ南にいたそうだが、終戦直後には多くの日本人がソ連軍に殺された話をした。海が死体の血で赤く染まったという。彼女は当時まだ5歳だったが、終戦時のことを覚えていると言うのだ。車がユジノサハリンスクへ向かう途中、緑豊かな森林が左右に広がっていた。「この森林はみな日本人が植えたんですよ。戦前には大きな製紙工場が幾つもありましたから」Mさんが秀樹の顔を見ながら言った。そうか、これが日本の製紙工場でパルプの原材料になったのかと、秀樹は思った。戦前、南樺太には王子製紙な...<小説>老人=SNS=美人③⇒秀樹とエレーナ

  • 『私は貝になりたい』

    〈以下の記事を復刻します。〉CSテレビで映画『私は貝になりたい』(2008年)を見たが、実に良かった。主演の中居正広、仲間由紀恵も素晴らしかった。この物語はあまりにも有名だが、何度見ても涙がこぼれてくる。昔、フランキー堺主演のテレビドラマが最初だったが、ドラマ史上で画期的なものだった。あれからテレビそのものが認知されたのではないか。「生まれ変わるなら人間にはなりたくない。牛や馬にもなりたくない、人間にいじめられるから。私は貝になりたい。貝なら、海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もないから。兵隊にとられることもない。戦争もない・・・」戦争の悲惨さをこれほど切実に表わした言葉はない。(2013年1月某日)『私は貝になりたい』

  • 漢字の“ルネッサンス”

    <2008年2月1日に書いた記事を復刻します>1)先日(1月28日)、文化審議会の国語分科会が、「常用漢字」に新たに11の漢字(表外漢字)を加える案を承認した。私が驚いたのは、それらは府県名に出てくる「岡」「阪」「熊」「奈」「埼」「茨」「栃」「鹿」「梨」「阜」「媛」の11の漢字である。私は不勉強だったので、これらの漢字はとっくの昔に常用漢字に含まれていると思っていた。なぜなら、小学生だって高学年になれば「岡山」「福岡」「大阪」「奈良」「熊本」「埼玉」「栃木」などと、書けて当然だと思っていたからである。したがって、大いに驚いたのだが、学校で習わないからといって、まさか「おか山」「大さか」「な良」「くま本」「さい玉」「とち木」などと、子供たちが書いているとは考えられない。百歩譲って、他の地域の府県名などを書く...漢字の“ルネッサンス”

  • 『王将』

    村田英雄が歌ったあまりにも有名な“演歌”だ。リリースされたのは1961年(昭和36年)で、西條八十が作詞、船村徹が作曲した。累計売り上げ枚数は、最終的に300万枚を超えたと言われる大ヒット曲だ。浪曲で鍛え上げられた村田英雄の声は、なんとも太くて渋みがある。この曲は大阪出身の有名な将棋棋士・坂田三吉をモデルにしており、関西では特に人気があって歌われていた。王将村田英雄『王将』

  • <小説> 老人=SNS=美人②⇒ヤフー!のブログ消滅

    大間(おおま)の原発建設予定地には建設反対の地権者がおり、その数少ない一つが「あさこハウス」であった。電源開発は現地の通行量調査を行なって、いかに人の“出入り”が少ないかを実証したかったようだ。しかし、郵便配達人が頻繁に出入りすれば、建設反対に有利に作用することになる。だから湯川さんらは「あさこハウス」に郵便物をどんどん出して、通行量を増やそうと呼びかけたのである。秀樹はこれを“ラブレター作戦”と勝手に呼んでいたが、数日に1回は葉書を出した。文面はなんでも良かった。「お元気ですか?」とか「もうすぐ暖かい季節になりますね」などと書いたのである。その日は2月23日だった。秀樹は「こちらはもう春の気配がしますが、そちらはどうですか?」などと書いて8通目の葉書を出した。そして、午後5時前だったろうか、ブログにその...<小説>老人=SNS=美人②⇒ヤフー!のブログ消滅

  • <小説> 老人=SNS=美人①⇒老後とインターネット

    <これは自伝的な“物語”である。>私(関口秀樹と言う)がブログを始めたのは、息子の勧めがあったからだ。60歳の定年を過ぎてホームページをするようになったが、6年ぐらいたつと息子がブログの方が良いと言う。理由は詳しく覚えていないが、ホームページよりは便利で訪問者とすぐに親しくなれるから・・・だったと思う。そこで秀樹は「ヤフー・Yahoo!」のマイブログを立ち上げたが、始めのうちはほとんど興味が持てなかった。ホームページから大半の記事を転載したが、相変わらず以前のパソコンのやり方を続けていた。ブログへの訪問も少ないので、ホームページを続けるしかなかったのだ。しかし、半年ぐらいたって訪問者が次第に増え、日によっては5~60人になることもあった。こうなると秀樹もブログに惹きつけられるようになり、日々の更新も頻繁に...<小説>老人=SNS=美人①⇒老後とインターネット

  • 秩父あれこれ

    〈2002年4月に書いた以下の記事を復刻します。〉1)私は時たま秩父へ行くのが好きだ。もちろん全ての所に行っているわけではないが、ひなびた風情がとても良い。都会の生活に疲れたり飽き飽きしてくると秩父に行く。山あいや田舎の景色が心をなごませてくれるし、季節の移り変わりが新鮮に感じる。40年以上も前になるが、大学1年だった私は、極左過激派の闘争や思想についていけずに挫折し、転向を余儀なくされた。挫折・転向というのは苦しく切ないもので、それを味わった人でないとなかなか理解できないと思う。悶々たる気持に苛まれていた私は、とにかくどこかへ行きたい、逃げたいという心境になっていた。当時は旧浦和市(現在のさいたま市)にいたが、金もないので同じ埼玉県の秩父へ行ってみることにした。秩父のどこへ行くという当てもなかったが、足...秩父あれこれ

  • ロマンに乏しい現代

    <以下の文を一部修正して復刻します>古い映画(DVD)を片っぱしから見ているが、先日、三船敏郎主演の『日本海大海戦』を見ているうちに、21世紀の現代はつくづく“ロマン”が少ないと痛感した。この映画は日露戦争の日本海海戦をテーマにしたものだが、東郷平八郎司令長官率いる日本の連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を撃破するものだ。私は別に戦争が好きではないが、日本人なら誰もが知っている有名な海戦である。だから詳しく述べる必要はないと思うが、わが連合艦隊はバルチック艦隊がいつ現われるかと、それこそ一日千秋の思いで待ち受けている。現代なら衛星で、艦隊どころか一人一人の人間の居場所まで探知できるというのに、100年以上前はそれが全く分からない。東郷長官を始め皆、じりじりした思いで敵艦隊の到来を待ち焦がれているのだ。バル...ロマンに乏しい現代

  • 『峠のわが家』

    アメリカの民謡。1870年代に作られたというが、最もポピュラーな歌の一つだろう。世界中に広まり歌詞も様々に付けられた。1979年(昭和54年)の映画『衝動殺人息子よ』のテーマミュージックになったのが印象深かったので、取り上げさせてもらう。https://www.youtube.com/watch?v=MA50ZV7vRNo『峠のわが家』

  • メディアの栄枯盛衰

    ☆以下の記事(2011年9月17日付)を復刻します。<記者クラブは特権組織ではない>福島原発の周辺地域を「死の町」と呼んで鉢呂経産大臣がクビになったが、これはマスコミの“言葉狩り”が功を奏したのである。ここで、「死の町」発言が失言かどうかはもう論じない。再三論じてきたからだ。この発言は“客観的事実”をはっきり述べたものだと高く評価しておこう。それよりもまず、マスコミのあり方について述べていきたい。マスコミとは「大衆伝達」のことである。伝達とは送り手と受け手がいることで成り立つが、その媒体になるのが「メディア」である。よくマスメディアと言う。普通、マスコミとはこの「マスメディア」のことを指しているのだ。この辺のことはもう多くの人が知っているのだが、問題は媒体になるメディアがどういう性格を持ち、正しく伝えてい...メディアの栄枯盛衰

  • 「曽野綾子さんって、だれ?」

    <作家の曽野綾子さんが2月28日に老衰のため死去されました。93歳。ご冥福をお祈りいたします。だいぶ昔の話で長くなりますが、2002年3月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。>1)テレビ局には、実にさまざまな電話がかかってくる。私は定年前の約3年間、某テレビ局の「視聴者なんでもサービスセンター」という部署にいたので、いやと言うほど、視聴者からの電話を受けた経験がある。電話の大半は、問い合わせである。放送予定や番組内容、出演者、曲名、テレビ局のことなどが、問い合わせの主だったものである。そうした問い合わせは良いのだが、厄介な電話が入ってくることも多い。特に、番組内容やテレビ局の姿勢に対する苦情は、激しかったり、延々と続くことがよくある。こういう時は、我々も心して対応しないと、とんでもないトラブルに発...「曽野綾子さんって、だれ?」

  • 『ひまわり』

    1970年公開の映画だが、イタリア、フランス、ソ連、アメリカの合作というのは極めて異例だ。ストーリーは簡単に言えば、新婚の夫が第2次大戦で戦場に行って行方不明になり、彼を探しに妻が異国の地まで訪ねるが、そこで夫は別の若い女性と結婚していたため、涙に暮れて帰るという悲恋物語だ。主人公にはイタリアの大女優ソフィア・ローレンが扮し、その夫はこれも有名なマルチェロ・マストロヤンニが演じている。哀愁に満ちたテーマ音楽は世界各地で親しまれた。また、若い後妻に扮したリュドミラ・サベーリエワは、ソ連制作(1966年)の映画『戦争と平和』でナターシャ・ロストフ役を演じ、私も観たが、日本でも人気を博したことが忘れられない。なお、題名にちなんだ“ひまわり畑”は戦場となったウクライナ各地にあり、そこで多くの兵士が戦死したという。...『ひまわり』

  • 高倉健、緒形拳、渡辺謙・・・名優3ケン人

    DVDでよく映画を見ているが、最近もイケメンやハンサムな男優は多い。先日も数年前のある映画を見たが、主役の男性は誰とは言わないが、実にハンサムで美青年だった。相手の女優も美しくて恋愛映画にはもってこいのコンビだったと思う。それはいいが、見終わるとなんとなく物足りない感じもした。美男美女はいいが、私のような年寄り(ジジイ)にとっては、ただイケメンだけでは空しい感じがするのだろうか。俳優にはやはり存在感というか、オーラが欲しい。その人が持っている“独特な雰囲気”なのだ。例えば少し古くなるが、三船敏郎や三國連太郎といった俳優が持っている雰囲気なのだ。こんな話をすると、若い人にはそっぽを向かれるだろうが、いま活躍している俳優だって多かれ少なかれオーラを持っているだろう。例えば真田広之や、三國の息子である佐藤浩市と...高倉健、緒形拳、渡辺謙・・・名優3ケン人

  • 日本の鉄道は大隈重信と伊藤博文が造った

    <2002年2月6日に書いた以下の記事を復刻します。>日本の鉄道は、大隈重信と伊藤博文が造った。私は昨年(2001年)12月のある日、たまたまNHKのテレビ番組「その時歴史が動いた」を見た。題名は「汽笛一声・日本の産声(うぶごえ)」であった。その番組を見て、最後の方で涙があふれにあふれて止まらなかった。これほど感動した番組はない。内容は、大隈と伊藤が、あらゆる難関と障害を乗り越えて、日本に初めて鉄道を開通させる物語であった。二人の不撓不屈の精神が、日本に初めて文明開化の証しを打ち立てたのである。このNHKの番組を見ていない人も多いだろうから、以下、VTRに保存した番組に忠実に従って、私見も入れながら内容を紹介させていただく。1)大隈と伊藤が日本に鉄道を開設しようと思い立った時、二人はまだ30歳そこそこの少...日本の鉄道は大隈重信と伊藤博文が造った

  • 呪われた北朝鮮の“工作船”

    <2003年10月3日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します>沈没した北朝鮮の工作船船尾から見た工作船先日、東京の台場にある「船の科学館」(品川区東八潮)で、北朝鮮の工作船を見てきた。月曜日の午前中なので人出は少ないだろうと思って行ったら、けっこう混雑している。一般の見学者の他に、修学旅行で上京した地方の高校生の姿も見られた。工作船の母船は全長30メートルほどで、それほど大きいとは思わなかった。海底から引き揚げられただけに汚れもひどく、数多くの弾痕が残っていて痛ましい感じがする。子船もみすぼらしい風情であったが、説明書きには最高時速93キロと出ていたので、ややびっくりした。後から後から見物客が続くので、10分ぐらいしか見られなかったが、母船も子船も“残骸”そのものという感じで侘びしいものがある。船に...呪われた北朝鮮の“工作船”

  • 狂句

    <以下の狂句を復刻します>春風よゆるゆる吹いておくれかな飲めや酔え狂わんばかりの桜花孫たちにまた会おうねと春休み四月バカ気をつけていて引っかかるさようなら来年またねとストーブかな飲んで寝てまた起きて飲む春の夜ドタキャンで飲む酒わびし春の宵葉桜を観て来年もよろしくね狂句

  • 『夏の日の恋』

    「夏の日の恋」は1959年のアメリカ映画『避暑地の出来事』のテーマミュージックである。映画自体は大したことはなかったが、音楽の方は歴史的な大ヒットをしたので今でも忘れられない。http://www.youtube.com/watch?v=bz4DOlnh64Y『夏の日の恋』

  • 日米安保条約の変質

    ☆2012年12月7日に書いた以下の記事を復刻します。日米安保条約(いわゆる「60年安保条約」)が締結されて今年で52年になるが、その間に、安保条約の“位置づけ”が大きく変化したようである。実は、あいば達也氏のブログを読んで気がついたのだが、もともとの日米安保は、ソ連などの共産主義国家に対抗して、極東の平和と安全、とりわけ日本の平和と安全を守るために締結されたものである。ところが、最大の仮想敵国であるソ連が1991年に消滅し、東西冷戦時代は終結してしまった。本来はこの時点で、安保条約の“見直し”をすべきであったのだが、自民党政権は何もせずにズルズルと日米安保体制を続けてきたのである。その評価は別にして、先のブログを読んで分かったのは(以下を参照・http://blog.goo.ne.jp/aibatatu...日米安保条約の変質

  • 『第三の男』

    1949年のイギリスのミステリー映画。第2次大戦直後のオーストリアの首都・ウィーンを舞台にした物語だが、内容は複雑なので省略する。この映画にはオーソン・ウェルズやジョゼフ・コットンらの名優が出演しているが、なんと言っても印象に残るのがテーマ音楽である。アントン・カラスが作曲し、みずからチター(ツィター)で演奏したこの曲は、日本でも大きな反響を呼んだ。「第三の男TheThirdMan」アントン・カラスAntonKaras『第三の男』

  • 『ローレライ』

    ローレライ像昔はよく聴いた歌だが、最近はあまり聞かれないという。歌詞の素晴らしさに、いつも惚れぼれとする。作詞・ハインリッヒ・ハイネ作曲・フリードリヒ・ジルヒャー訳詞・近藤朔風なじかは知らねど心わびて昔のつたえはそぞろ身にしむさびしく暮れゆくラインのながれいりひに山々あかくはゆるうるわしおとめのいわおに立ちてこがねの櫛とり髪のみだれを梳きつつくちずさぶ歌の声のくすしき魔力(ちから)に魂(たま)もまようこぎゆく舟びと歌に憧れ岩根もみやらず仰げばやがて浪間に沈むるひとも舟もくすしき魔歌(まがうた)うたうローレライhttps://www.youtube.com/watch?v=zbJy_EuY-mE&list=RDzbJy_EuY-mE&start_radio=1『ローレライ』

  • 鶴岡八幡宮の霊体験

    <以下の文を復刻します。>鎌倉に鶴岡八幡宮という有名な観光スポットがある。ご存知の方も多いだろう。そこにまつわる霊体験と言うか、超常現象が今でも忘れられない。もう40年ぐらい前になるが、当時、某テレビ局の報道にいた私は、夕方になって何故か急に鶴岡八幡宮へ行きたくなった。その理由が今でも分からない。暫く行っていないから行きたいとは思っていたが、なにも夜に行く必要はない。休日の昼間に行けば済むことだ。しかし、その時は無性に行きたくなって夕刻に東京・新宿区内の会社を出た。地下鉄やJRを乗り継ぎ、鶴岡八幡宮に着いた時はとっぷりと日が暮れていた。私は参拝したかったのだろうか?その辺が今でも分からないのだが、何かに導かれている感じだった。とにかく真っすぐに八幡宮へと向かった。そして、例の大銀杏を眺めたりしながら本宮の...鶴岡八幡宮の霊体験

  • 夏雲

    自転車を夢中で漕いでくる汗びっしょりだ荒川の土手にのぼると僕は草むらに寝転がった夏草が頬にかぶり乾いた匂いがかすかに漂う仰向いて空を見上げると限りなく青空が広がっている真っ白な夏雲が幾つも幾つも流れてくる僕はその雲を眺めた形をわずかに変えながら雲は頭上を通り過ぎてゆくゆったりとゆっくりとすると白い“綿”の中から少女の面影が現われたそれはしだいに大きくなり青空を背に広がってゆく僕はそのしなやかな姿態にうっとりと見とれる少女は何日も前にアメリカへ留学してしまった別れの挨拶にわが家へ来たとき僕の部屋で君はただ微笑んでいたね家を去るとき君と僕は軽く手を握り合った一年間の別れが耐えられないほどの長さに感じるそしてあの日横浜の埠頭に見送りに行ったとき君は船のデッキから手を振って応えてくれた嬉しそうなでも別れを惜しむよ...夏雲

  • 水色の振袖

    卒業式の日君は水色の振袖を着ていたね別れの日だった君と言葉をかわすこともなく僕はひとり街をさまよったさようならさようなら・・・心の中で君につぶやく水色の振袖はとても似合っていたよその君ともう会えないかもしれない春は別れの季節なのださびしくて心残りだが人と別れそして人はよみがえるのだろうか春の光はあたたかく僕らを包むけれど心の傷は癒えることはないでも僕らは別れなければならないせめてひとこと言わせてほしいお元気でいつまでも幸せにと僕は決して君を忘れないだろうそして水色の君の振袖姿をそれは明るく清らかだった僕の心にいつまでも春の光とともに残るだろう水色の振袖

  • 『長崎の鐘』

    長崎市への原爆投下昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍によって長崎に原爆が投下された。当時、長崎医大に勤務していた永井隆博士も被爆して頭に重傷を負ったが、すぐに他の被爆者の救護活動に全力を尽くした。永井博士は11日に帰宅したが、台所跡から骨片だけになった妻の遺骸を発見し、悲しみに暮れながらこれを埋葬した。被爆直後の永井博士の実状は以上である。敗戦後も博士は白血病などに苦しみながら、被爆者の救護、救援に全力を挙げたが、昭和26年5月、入院中に帰らぬ人となった。まだ43歳の若さだった。闘病生活を続けながらも、永井博士の献身的な活動は多くの人々の感動を呼び、内外に広く伝えられた。巡行中の昭和天皇が見舞いに訪れたり、ローマ教皇庁が2度にわたって見舞いの特使を派遣するなどした。こうした中で、昭和24年7月に...『長崎の鐘』

  • 『千の風になって』

    芥川賞作家の新井満が、2001年(平成13年)にアメリカの原詩に曲をつけて発表したものだ。通常、生きている者が死者を悼むのだが、歌詞の冒頭には「私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません」とある。これは人の死を嘆き悲しむ者に対して、死者の方から“いたわり”の言葉を投げかけているのだ。親しい人が亡くなれば悲しい。その想いが募るとこのような歌詞が生まれるのだろうか。人は亡くなっても、いつもあなたの側に寄り添っている・・・それは永遠に続くのだ。秋川雅史の歌声で聴いてみよう。千の風になって歌:秋川雅史『千の風になって』

  • 宮沢賢治と妹・トシ

    (以下の文を復刻します)宮沢賢治『宮澤賢治その愛』という映画(DVD)を見たが、賢治が妹トシ(とし子)に寄せる想いがいかに深いかを知った。これは家族愛、兄妹愛なのだろう。しかし、なにかそれを越えて神秘的、宗教的な感じさえする。トシは肝炎や結核の闘病生活を経て、わずか24歳の若さで他界する。その時の賢治の悲嘆、憔悴は尋常のものではなかった。病床の妹を献身的に看護していた彼にとって、その死は痛恨の極みだったのだろう。宮沢賢治は生涯独身だったが、自分の短命(彼も病身であった)を予知して妻を娶らなかったという。しかし、それだけで妻帯しなかったのだろうか。どうも違うような気がする。それは、彼にとってトシは“永遠の女性”だったかもしれないのだ。私は宮沢賢治のことはよく知らない。しかし、映画を見たり話を聞くと、彼は極め...宮沢賢治と妹・トシ

  • たかが野球、されど野球

    <2004年6月18日に書いた以下の記事を復刻します>イチロー選手1)3年ほど前のことだが、私が60歳の定年退職で会社を辞めた時、家に引きこもってもする事がなくヒマを持て余していた。その時、ただ一つ“救い”となったのが、テレビの大リーグ中継を見ることである。ちょうど、イチロー選手が「シアトルマリナーズ」に入団して大活躍をしていた時だった。NHKの衛星放送はほとんど毎朝、マリナーズの試合を実況中継していた。“ほとんど毎朝”というのは、大リーグでは17連戦とか、23連戦というのが当り前のように行なわれるからである。日本のプロ野球は大部分が3連戦で、たまに6連戦ぐらいが行なわれる程度だ。23連戦ともなると、大リーグの物凄さを実感せざるを得なかった。お陰で午前中は、イチロー選手の活躍ぶりを楽しみながら、ほとんど飽...たかが野球、されど野球

  • 『学生街の喫茶店』

    フォークグループの「ガロ」が1972年(昭和47年)に発表した曲で、作詞は山上路夫、作曲はすぎやまこういち(椙山浩一)だ。この歌のモデルは東京・御茶ノ水駅近くの喫茶店だそうだが、あの辺は今でも学生が大勢いるだろう。学生が入るのは“カフェ”なのか・・・なにか時代の変遷を感じる。歌詞にあるように「君とよくこの店に来たものさ」なら良い。不器用で意気地のない私は、大好きな女子大生を一度も喫茶店に誘い出すことができなかった。残念!今でも悔やまれる。大野真澄(ガロ)♪学生街の喫茶店『学生街の喫茶店』

  • 『冬の星座』

    1947年(昭和22年)に発表された日本の唱歌。作詞は堀内敬三、メロディーはアメリカの作曲家ウィリアム・ヘイスのもの。土居裕子さんの歌声でお届けする。左は北半球、右は南半球の星座https://www.youtube.com/watch?v=5I31jJF_UXo『冬の星座』

  • 国会議員こそ“シロアリ”ではないのか!?

    <以下の記事は2012年7月に書いたものですが、もう一度復刻します。>過日、東京新聞に「政治家の懐」と題する特集記事が連載されていたが、それを読むと、国会議員こそ税金に群がる“シロアリ”ではという思いを強くした。すでにご存知の人も多いと思うが、彼らの年収は大ざっぱに言って7千万円にも達する。細かい話は省略するが、議員歳費・期末手当の約2106万円の他に、文書通信交通滞在費1200万円、公設秘書給与や政党交付金、役職手当などを加えると約7000万円に達するというのだ。歳費はアメリカ、イギリスなどの先進各国よりもはるかに多く、正に世界のトップレベルだ。ちなみに、アメリカは約1400万円、イギリスは約780万円とずっと少ない!3年前の衆院選で初当選したある議員は「特に生活が変わったわけではないけど、1500万円...国会議員こそ“シロアリ”ではないのか!?

  • 小説『氷点』に見る感動のマルキスト・共産党員

    <以下の記事を復刻します>以前書いた記事をふと思い出した。それは有名な小説『氷点』(三浦綾子作)の映画についてだが、その中で日本舞踊の師匠(森光子役)である女性が、主人公の義父(船越英二役)に対し、自分の秘密を打ち明けるシーンがあった。彼女は「実は子供を産んだことがあるのよ。すぐ死んだけど」と言って、相手の男性についてこう述べる。「その人はマルキストでね。節を曲げずに戦時中、牢屋で死んだの。惜しい人だった。あんな男とはもうご対面できなくなっちゃった。でも、生き甲斐はあったわ」というものだ。森光子がきっぷの良い爽やかな役柄を演じていたから、この告白は余計に素敵な印象を受けた。義父が「ふ~む、ロマンチックな秘密ですね~」と語ると、彼女は「言わなかったのよ、大事にして。絶対だれにも」と答えた。私はこの場面を見て...小説『氷点』に見る感動のマルキスト・共産党員

  • (過去の記事) 裏切られた“日中友好” 醜悪な反日暴動事件

    <2005年4月17日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します>1)まったく呆れた事が起きるものだ。過日(4月9日)、北京の日本大使館に反日デモ隊が押し寄せ、投石を繰り返して窓ガラスなどが破損した事件で、中国当局は謝罪もしなければ、補償をしようという態度も示さない。そればかりか、今回の暴力デモ事件の責任は中国側にはなく、日本側にあるというのだ。こんな理不尽な態度が、国際的に認められるとでも思っているのだろうか。愛国・反日教育を推し進めてきた中国が、日本を憎いと思うのは勝手だが、国際法のルールを守ることは最低限の責務である。それを歴史問題だとか日本の教科書問題などにかこつけて、謝罪も補償も拒否しようという姿勢は、まことに傲慢不遜で馬鹿げていると言わざるを得ない。日本に反中国感情が起きて当然である。マスコ...(過去の記事)裏切られた“日中友好”醜悪な反日暴動事件

  • 『白いブランコ』

    1969年(昭和44年)にリリースされた曲で、菅原孝・進の兄弟2人組のビリー・バンバンが発表した。作詞は小平なほみ、作曲は弟の進である。われわれ爺婆(じじばば)が青春時代を送った頃、よく耳にしたのがフォークソングだった。この『白いブランコ』は、その代表的な曲の一つだと思う。ちょっと寂しい時にこの曲を聴くと、なんとも癒された気持ちになる。そして、明日への希望を取り戻して歩んでいく・・・そうした曲ではなかろうか。白いブランコビリー・バンバン本人歌唱【歌詞付き】(ハモコーラス入り)『白いブランコ』

  • 『エデンの東』

    “永遠の青年”ジェームズ・ディーンが初主演した1955年の映画。彼はその年の9月に自動車事故で他界したが、24歳の若さであった。しかし、ジミーの面影は今なお多くの人々の心に生き続けているだろう。青春の愛憎と苦悩、生きざまを、これほど鮮やかに演じ切った俳優も珍しい。映画のテーマ音楽とともに“永遠の青年”ジェームズ・ディーンは不滅なのだ。「エデンの東、EastofEden」ビクター・ヤングVictorYoung『エデンの東』

  • 映画のリメイクは難しいのか

    <以下の文を復刻します。>映画のリメイクは、つくづく難しいと思った。つい最近、横溝正史原作『犬神家の一族』の2006年版映画(DVD)を見たが、その30年前の映画に比べるとずいぶん劣っているように感じた。一番驚いたのが、1976年の映画と同じ市川崑監督がメガフォンを取ったことだ。映画界の巨匠が同じものを二度作るのも珍しい。たぶん、30年前の『犬神家の一族』がとても評判が良かったので、その味が忘れられなかったのか。人生の最後に(これが市川監督の遺作となった)、夢よ再びと思ったのかもしれない。それはともかく、第1作は「日本映画の金字塔」と呼ばれたぐらい評判が良かった。もちろん私も見たが、主役の私立探偵・金田一耕助に石坂浩二が扮し、女優陣では犬神松子役に高峰三枝子、野々宮珠世役に島田陽子が扮した。あの「角川映画...映画のリメイクは難しいのか

  • ムハンマド(マホメット)を讃美した大詩人・ゲーテ

    <以下の記事を一部修正して復刻します>青年時代のゲーテヨーロッパ人が最も敬愛する文学者と言えば、ドイツの大詩人であるゲーテもその1人だろう。イギリスのシェークスピアと並ぶ文豪と言ってよい。私もゲーテは大好きだが、彼はペルシャやアラビアなどにも深い造詣を持っていた。晩年の有名な『西東(せいとう)詩集』は、「ヘジラ」と言って、ムハンマドが信者たちを連れてメッカからメジナへ移住したことをモチーフにしている。このようにゲーテはムハンマドから強い影響を受けているが、それは彼が23歳の時に作った『マホメットの歌』という詩を読めば明らかである。若い時からゲーテはムハンマドに傾倒していた。『コーラン』も繰り返し読んだという。この詩はムハンマドの一生を讃えたもので、その壮大で英雄的な内容は、正に“疾風怒涛”の天才詩人にふさ...ムハンマド(マホメット)を讃美した大詩人・ゲーテ

  • 『元寇』 元と高麗の連合軍が侵略してきた!

    <2016年に書いた以下の記事を原文のまま復刻します。>韓国のパク・クネ大統領は「加害者と被害者の歴史的立場は千年たっても変わらない」と言ったが、元寇があったことを忘れたのか!?それとも知らないのか!?今から700年以上も前だが、中国大陸を支配していた「元」と朝鮮半島の「高麗」が連合軍を組んで、日本に攻め込んできたのが“元寇”(げんこう)である。しかも高麗はそれの御先棒をかついで、対馬などで日本人を虐殺したのだ!今や日本は尖閣・竹島問題で、非常に似たような状況に立たされている。これからどうなるか分からないが、“元寇”を聴いて少しは元気を出そう!元寇・文永の役の戦い元寇『元寇』元と高麗の連合軍が侵略してきた!

  • シューベルトの『セレナーデ』

    フランツ・シューベルトセレナーデは本来は求愛の歌だそうだが、自分にはそう感じられない。少しつつましくなって、この大自然に感謝したい気持になるものだ。シューベルトの『セレナーデ』https://www.youtube.com/watch?v=ylYGdCOpe4k&list=RDJPX_1nowjSI&index=25シューベルトの『セレナーデ』

  • 石川啄木と伊藤博文と安重根

    <以下の記事は2013年12月13日に書いたものですが、内容を一部修正して復刻します。>「誰(た)そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ」という短歌がある。これは石川啄木の歌だが、知っておられる人も多いだろう。伊藤とは伊藤博文のことで、1909年10月に彼が今の中国・黒龍江省のハルビンで、朝鮮の民族活動家・安重根(あん・じゅうこん)に暗殺された直後に作られた歌である。意味は「誰か私にピストルでも撃ってくれないか。伊藤のように死んで見せよう」というものだろう。私は啄木の研究家ではないが、この歌は明らかに伊藤博文の死を悼んで作られたものだと思う。そして、当時23歳の血気にはやる啄木らしい、侠気に満ちた青年の歌だと言えるのだ。それほど、伊藤博文の“存在感”は大きかったのだろう。ここで伊藤の歴史...石川啄木と伊藤博文と安重根

  • 最も焦った時

    もう50年以上も昔のことだが、当時勤めていたテレビ局の朝のニュース番組に「記者席」というコーナーがあった。ここでは毎日、記者が取材したものを話すことになっていたが、ある日、私がそのコーナーで話しをする番になった。早朝なのでいつものように車で局に駆けつけるのだが、その日は、首都高速道に入ると間もなく大渋滞に巻き込まれてしまった。どうやら交通事故が起きたらしく、車はにっちもさっちも進まない。時間に余裕を持たせて家を出たのだが、刻々と時は過ぎていく・・・その当時は「携帯電話」がないから、局と連絡の取りようもない。気ばかり焦るのだが、車はほとんど前に進まない。このままでは遅刻して、放送に“大穴”を開けてしまう!大変だあ~・・・やむを得ず高速道路を走ることに決めた。運転手さんに聞くと、北の丸ランプが一番近いというの...最も焦った時

  • ドラマ小説・『藤原薬子(くすこ)』(休止)

    空想、幻想、妄想の物語今から1200年あまり前、長岡京から平安京時代にかけて1人の傑出した女性がいた。名を藤原薬子(ふじわらのくすこ)と言う。彼女は名門・藤原家の1人だが、歴史上「薬子の変」で有名になった。このドラマは、藤原薬子を中心として描くもので、できるだけ現代風に書いていくつもりである。なお、文体はドラマ風と小説の混合体となっている。第1部<長岡京にある藤原縄主(ただぬし)の館。縄主の妻・薬子が独りでいる部屋に、兄の藤原仲成(なかなり)が入ってくる。>仲成「いや~、今日は忙しかった。ようやく時間が取れたから来たが、薬子、東宮(とうぐう)へ参内する準備は整ったのかな」薬子「ええ、なんとかできましたよ。久子も心の準備は万端です」仲成「あの子が“嫁入り”するとは、早いものだな~」薬子「ええ、ついこの間まで...ドラマ小説・『藤原薬子(くすこ)』(休止)

  • 『柔(やわら)』

    歌の女王・美空ひばりの最大のヒット曲の一つで、1964年(昭和39年)にリリースされ、半年足らずで180万枚以上を売り上げたという。作詞は関沢新一、作曲は古賀政男だ。日本テレビのドラマ『柔』のテーマソングで、テレビの主題歌では「演歌は当たらない」という当時のジンクスを破り、見事に大ヒットしたのだ。1964年の東京オリンピックで、柔道が初めて正式競技に採用されたという背景もあったが、やはり、美空ひばりの歌唱力が視聴者を惹きつけたのではないか。彼女の素晴らしい歌声を聴いてみよう。「柔」YAWARA美空ひばり『柔(やわら)』

  • あるトラブル

    <2021年8月4日に書いた以下の記事を再録します>「ココカラファイン」というドラッグストアへ買い物に行ったら、2つのカウンターで爺さんと婆さんがそれぞれ、店員とトラブルになっていた。ポイントやレシートがどうのとかやり合っているみたいで、われわれ次の客は待たされっぱなしで、10人ぐらいが並んでいた。“蜜”になっていたよ!(笑)ようやく爺さんはレジから離れたが、店員に「お前の方が間違っていただろう、あやまれ!」と怒鳴っていた。どうしてトラブルになったのか分からないが、最近はやたらにポイントがどうの、スマホで決済がどうのとか、年寄りには分からないことが多い。世の中が便利になっていくのは良いが、ますます“複雑怪奇”になっているようだ。年寄りは「IT弱者」などと呼ばれているが、それは仕方がない。前述の婆さんはまだ...あるトラブル

  • 小選挙区制のどこが良いのか?

    <2021年11月に書いた以下の記事を復刻します><まえがき>先の衆院選(10月31日に投開票)を私はボイコットしたが、それにはもちろん理由がある。くわしくは以下の記事を読んでもらいたいが、具体的な事例を1つだけ挙げておきたい。私がいる選挙区は埼玉8区だが今回、立候補したのはたった2人だった。自民党のSさんと無所属のOさんである。普通、県議選や市議選などでは、各党各会派から多くの立候補者が出馬するものだ。その中で、各党各会派の政策や立候補者の人柄などを吟味して投票するのだが、それがけっこうやりがいを感じるものなのだ。ところが、国政選挙だというのに立候補者が2人だけだと、なにか気が抜けたように感じる。候補者が自分の支持する政党の人ならいいが、2人だけだと“選択の幅”がぐっと狭まるので、どうでもいいと感じる有...小選挙区制のどこが良いのか?

  • 『恋するフォーチュンクッキー』

    〈以下の記事を復刻します〉昔のおニャン子クラブの『セーラー服を脱がさないで』を調べていたら、たまたまAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』に出くわした。ジジイにはまったく無縁の曲だが、聴いていると元気になってくる。同じ秋元康の作詞だが、昔は大胆で積極的な歌詞なのに、今はおとなしく謙虚になっている。これも時代の変化で、若者が“さとり世代”になったからだろうか・・・【MVfull】恋するフォーチュンクッキー/AKB48[公式]『恋するフォーチュンクッキー』

  • パーキンソンの法則と役人の増殖

    <2011年11月に書いた以下の記事を復刻します。>学生時代に「パーキンソンの法則」というのを教わったことがあるが、最近、官僚制度について考えているうちにこれを思い出し、実に的確だと思うようになった。この法則(主張)は、イギリスの経済学者シリル・パーキンソンが1957年に発表したものだが、要約して言うと「役人は常に部下の増加を望むが、競争相手を持つことは望まない」「役人は相互の利益のために仕事を作り出す」というものだ。私はこの言葉を聞いて、日本の官僚制度も正にそうではないかと思った。パーキンソンは第2次大戦後のイギリス社会を研究したのだが、多くの植民地を失った大英帝国なのに、「植民地省」の役人の数は逆に増えたことに気が付いたという。アジアなどで多くの植民地を失えば、植民地省の仕事は減るのが当然である。とこ...パーキンソンの法則と役人の増殖

  • スピノザと汎神論

    スピノザ<以下の文を復刻します>今日は少し“七面倒臭い”話をしたい。苦しみから脱却しようとする時、大抵の人はさまざまな思想や宗教などに頼ろうとする。しかし、納得のいく思想や宗教がないと、人はさらに苦しみの中へ落ち込んでいく。私の場合ももちろんそうだった。若い頃、過激な学生運動・革命運動に没頭していた私は、ある時、マルクス主義やアナーキズムが信じられなくなり、運動から離脱した。寂しかった。これを自分なりに「転向」と受け止めたものの、一種の懐疑論、虚無主義へと陥っていった。しかし、それでは生きていく“張り”がなくなり、私は必死になって自分が救われる思想を追い求めた。ところが、そんな救いの思想や宗教はなかなか現われない。苦悶の時間がどんどん過ぎていったが、ある日、東京・新宿駅の雑踏の中で、一瞬の閃きから「この世...スピノザと汎神論

  • 「世界3大悪妻」だって? 違うじゃないか!

    <2011年2月に書いた以下の記事を復刻します>「悪妻は60年の不作」と言うが、今は寿命が伸びたから“80年の不作”だろうか(笑)。さて、自分の女房が悪妻か良妻かは人それぞれだが、少し興味を持ったので調べたら「世界3大悪妻」というのがあった。それがギリシャの哲学者ソクラテスの妻・クサンティッペ、大音楽家モーツァルトの妻・コンスタンツェ、文豪トルストイの妻・ソフィアだというのである。しかし、一見してこれはおかしいと思った。私が知る限り(そうは言ってもそんなに詳しく知っていないが)、この3人の女性は決して“悪妻”ではないし、いや、むしろ良妻だと思っているからだ。そもそも、人は世界3大○○という言い方を好む。世界3大美女だとか3大数学者、3大殺人鬼などいろいろあるのだ。だから、この「世界3大悪妻」も極めて興味本...「世界3大悪妻」だって?違うじゃないか!

  • 日本被団協にノーベル平和賞

    <2024年10月14日に書いた以下の記事を復刻します>先週は日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)にノーベル平和賞の授与が決まり、大きな反響を呼んだ。今週は自分は中学時代の「同窓会」に出るため、18日に浦和(現さいたま市)へ行く。最後の同窓会だというが、約200人の同窓生のうち34人が参加するというから結構なことだ。大いに楽しもう。5月に大学時代の同窓会を早稲田でやったが、年を取ると同窓会ぐらいしか楽しみはない。また、一大行事だ。同期の人はもう少なからず他界しているので、意義のあることだ。女子マラソンでケニアの選手が2時間9分台の世界記録を出したというが、こうなると、男子マラソンは1時間台が出るのも時間の問題だろう。現在の男子世界記録は、ケニアの選手の2時間00分35秒である。明日はいよいよ衆院選の公...日本被団協にノーベル平和賞

  • 文豪レフ・トルストイはなぜ「ノーベル文学賞」に落選したのか?

    <2010年10月16日に書いた以下の記事を復刻します。>ノーベル賞は世界で最も有名な賞だが、その平和賞は極めて“政治的”な意味合いが濃いものになっている。同時に、文学賞もまた政治的な理由で決められることがよくある。その象徴的な出来事が第1回のノーベル文学賞の時に起きた。それが、『戦争と平和』などで有名な世界的な文豪レフ・トルストイの落選であった。ノーベル賞が創設された1901年当時、世界最大の文豪と言えば誰もがロシアのトルストイを挙げただろう。彼の文学作品の影響力はロシア、ヨーロッパだけでなく、遠く日本にまで及んでいた。だから、ほとんどの人がノーベル文学賞は文句なくトルストイが受賞するものと思っていたようだ。ところが、トルストイは落選し、フランスの某詩人が受賞したので皆が驚く結果になったのだ。この件で、...文豪レフ・トルストイはなぜ「ノーベル文学賞」に落選したのか?

  • 日本で最初の女医・荻野吟子

    〈2020年2月に書いた以下の記事を復刻します。〉日本初の女医・荻野吟子の生涯を描いた映画『一粒の麦』が間もなく公開されるという。荻野さんは今の埼玉県熊谷市出身だから、言わば埼玉の“偉人”である。私は以前、彼女のことを描いた作家・渡辺淳一さんの『花埋(うず)み』という小説を読んだことがあるが、深い感銘を受けた。明治時代、女性蔑視という過酷な環境の中で、荻野吟子は初志を貫徹し日本初の女性医師となった。そこには筆舌に尽くしがたい苦悩があったのである。蛇足だが、小生の戯曲『明治17年・秩父革命』の中でも、荻野さんを手本に医師を目指す若い女性を描いたことがある。そういう意味でも、『一粒の麦』は一見の価値があるだろう。皆さんにお薦めしたい。(2020年2月3日)日本で最初の女医・荻野吟子

  • 燃焼

    人生とは燃焼することだから出来るだけ完全燃焼しよう!不完全燃焼は良くない最後は“燃えかす”になることだ燃焼

  • 脳死と死生観

    <2002年9月に書いた文を一部修正して復刻します。>いま「脳死」の問題が臓器移植との関連で大きな関心を集めている。ここで専門的な話をするわけではないが、生と死をどのように考えたらいいのだろうか。結論から申し上げると、私は、脳死状態というのは死でもなく生でもなく、逆に言えば、死でもあり生でもあり、それ自体が人間と生命の『尊厳』を冒涜(ぼうとく)するものだと考える。医学の進歩が人間をそこまで至らしめたのである。この考えには当然異論もあるだろうが、それを前提にして私が過去に書いた『理想の死に方について』を復刻したいと思う。生と死について皆で考えようではないか。なお、2002年9月に書いた以下の文を、一部手直しして復刻しておきたい。(2009年6月26日)1)生の結末が死である。生があるから死が訪れるわけで、そ...脳死と死生観

  • 『砂の器』より

    <以下の文を復刻します>老眼なので最近は小説類をあまり読まないが、このあいだ松本清張の『砂の器』を読了した。野村芳太郎監督の同名の映画(1974年の作品)に感動したのでつい手が出てしまったが、読んで良かったと思う。内容はあまりにも有名なので省略するが、怨恨ではなく宿命的な“生い立ち”が原因で、稀に見る善人(恩人でもある)を殺害するところがミソだ。ハンセン病が早期治療で治ることは分かっているが、昔は遺伝性疾患の“不治の病”と言われた。日本型悲劇を描いた長編推理小説の力作だろう。『砂の器』より

  • 紺野美沙子さんのこと

    紺野美沙子さん<2024年8月4日に書いた以下の記事を復刻します>ここ数日書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。というのは、私は女優の紺野美沙子さんとは個人的な友人関係などは一切ない。まったくの他人である。しかし、ある“事実”を覚えているので、やはり書いていこうと思う。その前に、大相撲名古屋場所の話から入る。名古屋場所は1週間前に終わったが、その7日目(7月20日の土曜)に、ネット上で大きな反響が起きた。というのは、実に美しい女性が相撲を見ていたという話題だったのである。私は最近大相撲に関心が薄れ、7日目の土俵はNHKのテレビ中継をほとんど見ていなかった。だが、あとでSNSの反響を知り、その実に美しい女性が紺野美沙子さんだということが分かった。紺野さんは土俵近くの“砂かぶり席”で相撲を観戦していたのだ...紺野美沙子さんのこと

  • 『原爆を許すまじ』

    <2024年8月6日に書いた以下の記事を復刻します>今日は広島に原爆が投下されてから79年目の日です。ただし、この曲が作られたのは昭和29年(1954年)のことです。その年の3月、アメリカは中部太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行ないました。その影響で、静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」が“死の灰”を浴び、久保山愛吉無線長が約7か月後に死亡しました。このため、原水爆禁止運動が一気に沸き起こり、それを背景に『原爆を許すまじ』の曲が作られました。作詞は浅田石二、作曲は木下航二です。(2024年8月6日)原爆を許すまじ『原爆を許すまじ』

  • キャンドル・ベイビー

    〈東日本大震災の直後、2011年3月20日に書いた以下の記事を復刻します。〉東日本大震災で、ほとんどの人が憂うつな気分になっているだろう。私も同様だ。そこで、もやもやした気分を吹っ飛ばすために、思い切ってロマンチックでエロチックな話をしたい。少しは元気が出てくるかも・・・関東地方は先週、かなりの計画停電があった。そこで思い出したのが、アメリカ・ニューヨークの大停電のことだ。ニューヨークの停電は過去に数回あったらしいが、最も有名なのは1965年11月9日のものだ。冬の寒さで暖房などの電力需要が一気に高まり、ナイアガラの発電所に不具合が生じたらしい。このため、アメリカ北部やカナダで12時間も停電になったのだが、この後、大都市ニューヨークでの“出生率”が大幅に上がったと伝えられている。それはそうだろう。12時間...キャンドル・ベイビー

  • 不滅の女性アスリート・人見絹江

    <2009年8月2日に書いた以下の記事を復刻します。>ユーチューブの森を散歩していたら、戦前の日本で陸上の“万能選手”として活躍した人見絹江さんの映像が見つかった(以下、敬称略)。実は昨年8月、北京オリンピックの陸上競技・男子400mリレーで、日本が3位に入り銅メダルを獲得した時、オリンピックのトラック種目で日本がメダルを取ったのは、1928年のアムステルダム五輪の人見絹江(ひとみきぬえ)以来80年ぶりだという記事を書いたことがある。人見絹江と言えば、私はすぐに中学時代の体育の女性教諭であるK先生を思い出す。K先生は何かというと人見絹江の話をしてくれた。よほど彼女を尊敬していたのだろう。アムステルダム五輪の女子800m競走で、人見が当時世界最強のドイツのリナ・ラトケ選手と死闘を演じ、わずかの差で2着となり...不滅の女性アスリート・人見絹江

  • どうして、参議院から1人も総理大臣が選ばれないの? おかしいじゃないか!

    参議院本会議場憲法第67条には「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とある。つまり、総理大臣(以下、首相と呼ぶ)は“衆参両院の国会議員”の中から選ばれるのだ。ところが、戦後79年も経っているのに、すべての首相は衆議院議員から選ばれている。憲法には、参議院議員は首相になってはいけないという条文はない。それなのに、これはどういうことか?私にもその理由が分からない。参議院議員が、衆議院議員よりはるかに劣っているというのか。そんなことは絶対にないだろう。参議院の中にも優秀で、識見の高い人が大勢いるはずだ。それなのに、なぜ参議院議員から首相は生まれないのか。戦後79年、首相は“偶然にも”衆議院議員から選ばれてきたというのか。その辺の事情も私には分からない。同じように国民の選挙で選ばれたのに...どうして、参議院から1人も総理大臣が選ばれないの?おかしいじゃないか!

  • 参議院の廃止は当然である(2)

    参議院本会議場参議院が国政に混乱をもたらすとはよく言われるが、別にこれは「衆参ねじれ」状態を指すとは思わない。二院制であれば「ねじれ状態」が起きても当然であり、むしろ衆議院での政権与党の暴走に歯止めをかける効果もあるのだ。二院制論者はよくそう言うが、私も同感である。そんな「ねじれ」のことではなく、もっと大きな問題がある。参議院には「解散」がないということだ。つまり、議員が6年間身分を保証されている。それは一見良いかもしれないが、衆議院に比べると余りにも“特権階級化”していると言えよう。その好例が実際に起きた。2005年の夏、時の小泉純一郎内閣は「郵政民営化法案」を成立させるため全力を挙げていた。いわゆる「郵政法案」は衆議院で可決され、参議院に送られた。ところが、郵政民営化に反対する自民党議員が造反し、参議...参議院の廃止は当然である(2)

  • 参議院の廃止は当然である(1)

    〈2012年に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。〉参議院本会議場戦前、日本には衆議院と貴族院があったが、敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)が日本国憲法の草案を作った時には、新しい日本は一院制が好ましいという方針が打ち出された。マッカーサー元帥もそういう意向だったという。これは「史録日本国憲法」(児島襄著文春文庫)に出ている話だ。ところが、GHQが日本側と折衝すると、日本側は二院制が良いと主張した。折衝の詳しいことは分からないが、結局、GHQの方が妥協して、新憲法の案文では二院制が採用されることになった。それで衆議院と参議院が誕生したのだ。歴史的な経緯をもう少し述べると、私らが子供の頃は「衆議院は政党で、参議院は人物で選ぼう」と、学校で教わったものである。私はそれが正しいと永い間信じていた。だから、参...参議院の廃止は当然である(1)

  • 『およげ!たいやきくん 』

    1975年(昭和50年)、フジテレビの子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で発表された童謡で、史上最高の450万枚以上のレコード売り上げを記録したものとして有名だ。当時、世の中は国鉄(今のJR)の「スト権スト」で多くのサラリーマンが出勤できず、やむなく自宅に待機し子供たちと戯れていた。そこにテレビからこの歌が流れると、親子そろっていつの間にか親しむようになったという。子門真人(しもんまさと)の歌声も素晴らしかったが、史上最高の売り上げでレコード会社は大儲けしたとか・・・やむなく自宅待機になったサラリーマンだが、毎日の出勤から解放され、かえってこの歌詞に共鳴したのかもしれない。およげ!たいやきくん/子門真人『およげ!たいやきくん』

  • 管理社会と感性の衰退?

    <以下の文を復刻します。>成熟した社会は「管理社会」になると先に書いたのだが、これには世の中がコンピュータ化したことが大いに寄与している。言ってみれば、コンピュータに管理されているようなものだ。それが良いとか悪いとかという問題でなく、現実がそうなってしまった。しかし、それによって人間の実感とか体感というものが劣化したのは間違いない。例えば、私の会社員時代に最も大きなショックを受けたのは、給料が「振り込み」になったことである。これはほとんどのサラリーマンが経験していることだが、私の場合はもう何十年前だろうか、それまで現金の入った給料袋を受け取っていたのに、ある日突然、給与の明細書だけ渡され、月給は全て銀行振り込みになってしまった。その時は実に寂しい思いをしたものである。しかし、会社が事務処理を早く円滑に進め...管理社会と感性の衰退?

  • 中国初の核実験は東京五輪(1964年)の真っ最中だった!

    <以下の記事を復刻します。>古い話を思い出したが、中国初の原爆実験が東京オリンピックの真っ最中だったことを覚えているだろうか。1964年(昭和39年)の10月10日、東京オリンピックは華やかに開幕した。今でもよく覚えている。ところが、この東京五輪はいろいろな出来事が起きたことでも有名だ。特にソ連のフルシチョフ首相が解任された政変は有名だが、中国が初の原爆実験に成功したことも大きなニュースになった。もちろん、東京オリンピックを意識してのことだろうが、10月16日に核実験は成功したのである。中国初の核爆弾の模型あの頃は「2つの中国」と言って、北京政府と台湾政府が中国代表権を争っていた時期だ。それもあって、北京政府は東京五輪に不参加だったが、ソ連とも対立が激化しつつあった。いわゆる「中ソ対立」である。国防上、核...中国初の核実験は東京五輪(1964年)の真っ最中だった!

  • <まとめ> 文化大革命

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。毛沢東http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/3ec5a00ef55f07eb52405332dae0aea1http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/ea2a083bc5bf3c058c54e0a04ec28611http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/41508a12dc1e6890f7a911808c9647e8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/a479f167622453db118bf6a2d8b1e067http://blog.goo.ne.jp/yajimatakeh...<まとめ>文化大革命

  • 文化大革命(18・最終回)

    第十六場(同じく9月12日夜。北京・中南海にある毛沢東の執務室。周恩来、汪東興、江青がいる所に、毛沢東が入ってくる)江青「あなた、よく御無事で!」周恩来「おお、主席、心配していました」毛沢東「九死に一生を得たぞ。林彪を逮捕したか」汪東興「黄永勝や呉法憲達はすでに逮捕しましたが、林彪夫妻は北京を出て、北載河にいます。従って今、公安部隊が北載河に急行しています」毛沢東「あの男を必ず逮捕しろ、いいか」汪東興「大丈夫です、必ず逮捕します」毛沢東「極悪非道の裏切り者め、わしを殺して共産党と中国を乗っ取ろうとしても、そうはいかんぞ!」周恩来「もう、われわれの勝ちです。それにしても、危なかったですね」毛沢東「うむ、上海で張春橋と王洪文に助けられた。彼らがいなければ、わしは今頃、殺されているところだった」江青「林彪一派を...文化大革命(18・最終回)

  • 文化大革命(17)

    第十三場(同じく9月11日の夕刻。上海市革命委員会の一室。毛沢東と王洪文)毛沢東「やれやれ、君には随分世話になったな。万事、手際良くやってくれたので、わしの遊説も実に順調にこなせた。明日はここで、最後の大演説をぶってやるぞ。君は、張春橋や姚文元らとは仲良くやっているのかね」王洪文「はい、張春橋同志らとは、いつも心を一にして仕事をしてきました」毛沢東「そうか、上海の連中は若くて頭のいいのが揃っているな。頼もしいぞ。いずれ、君達が中国を支えていくことになる、頑張れよ」王洪文「はい、有難うございます。主席から、そのような御言葉を頂いて光栄です」毛沢東「なに、わしも先はそう長くない。君達のような若い人に、これから頑張ってもらわないとな。ところで、明日の演説会には相当集まるだろうな」王洪文「はい、何万という聴衆が集...文化大革命(17)

  • “妹”への憧れ

    <以下の文を一部修正して復刻します。>つい最近、ある有名女優が自分の妹になった夢を見て嬉しくなったが、私には“妹”への憧れがあるようだ。そこで暇なので、ざっくばらんに妹について考察していきたい。何の準備もしていないので、話が極めて散漫になることをお許し願いたい。私には15歳年上の姉がいたが、すでに亡くなっている。また、かなり年上の兄が2人いるが、2人ともすでに亡くなった。だから“一人っ子”みたいな気分で育ったので、年下の弟や妹がいたらいいな~と勝手に思ったものである。このためか特に、妹のいる友人や同僚がなんとなく羨ましいと思ったものだ。これを心理学的に「妹コンプレックス」とでも言うのだろうか。妹にも駄目な者や嫌な者もいるだろうが、昔から、多くの兄妹愛が語られてきた。例えば、詩人・宮沢賢治は2歳年下のトシを...“妹”への憧れ

  • バブルに踊る

    <2011年2月に書いた一文を復刻します。>(前編)恥ずかしくてあまり話したくないことだが、バブルの頃の思い出を書いておこう。これも人生の一つの“通過点”だったと思えば許してもらえるだろう。20数年前だったが、日本はバブル経済の絶頂期にあった。地価も株価も給料もどんどん上がっていた。今では想像も出来ないほどである。以下にまず、妻とのやり取りを紹介しよう。私「おい、NTTの株がもの凄く上がったぞ。そろそろ売ってもいいじゃないのか」妻「そうね。2株のうち1株を売ったら?」私「うん?いま2株売れば、300万円以上は儲かるぞ!」妻「2株も売ったら勿体ないじゃないの。1株は“家宝”として持っておくべきよ」私「家宝だって?ふん、たかが株じゃないか・・・まあ、いいや。とりあえず1株を売ろう」これは1987年(昭和62年...バブルに踊る

  • 日本共産党の小笠原貞子さんは吉永小百合さんの“叔母”だって

    〈2017年12月5日に書いた以下の文を復刻します。〉小笠原貞子さんと言っても、今は知らない人がほとんどだろう。小笠原さんは故人だが、彼女は日本共産党の参議院議員だった人で、かつて4期24年も議員を勤めた。その人が女優・吉永小百合の叔母だって・・・?その話を知った時、私は非常に驚き今も半信半疑である。しかし、本当だと思って話を続けよう。もし間違っていたら、この記事は直ちに削除するか訂正する。事実をいろいろ知っている方がいるなら、ぜひ教えてもらいたい。冒頭に、それをお願いしてからとにかく記事を書いていこう。昔、1970年ころだったか、私は某テレビ局の政治記者をしていた。政治記者というのは国会を中心に取材活動をするのだが、私は「野党」担当だった。そのころの野党は社会党を中心に公明党、共産党、民社党などがあり、...日本共産党の小笠原貞子さんは吉永小百合さんの“叔母”だって

  • 文化大革命(16)

    第九場(8月上旬。北京・中南海にある毛沢東の居宅。毛沢東、江青、張春橋)江青「どうしても行くというのですか」毛沢東「ああ、行かねばならない」江青「本当に危険ですよ。林彪一味は何をするか、分かったものではありません。あなたにもし万一のことがあったら、私はどうなるのでしょうか」毛沢東「ハッハッハッハッハ、お前も年を取ったな。取越し苦労をするな。わしはこれまで、どんな危険もどんな苦労も乗り越えてきたのだ。天はいつも最後には、わしに味方してくれた。今度だって、必ずわしが勝つことになっているのだ。しかも、わしは党主席だぞ。わしが敗れるようなことがあるもんか」江青「それは分かっています。あなたが敗れるようなことはありません。でも、私が心配しているのは、林彪一味が何かとんでもないことを、例えばあなたの暗殺などを、考えて...文化大革命(16)

  • 平壌(ピョンヤン)冷麺

    14年前、北朝鮮で食べた『ピョンヤン冷麺』がとても美味しかった。忘れられないので、写真を載せておく。平壌(ピョンヤン)冷麺

  • 日本は実に良い国だ(2)(例・アメリカは救急車を呼ぶと70万円も払うんだって!)

    <2023年8月29日に書いた以下の記事を復刻します>昨日、テレビ朝日の『徹子の部屋』を見ていたら、元女子プロレスラーのマッハ文朱(ふみあけ)さん(64歳)が出演していた。暇なので見ていたら、一つだけ驚くべきことが印象に残った。それは彼女の夫(台湾系のアメリカ人パイロット)が昨年、大怪我をして“救急車”で病院に運ばれた際に、日本円でなんと70万円もかかったというのだ。70万円!?私は耳を疑った。日本では最近、コロナ禍や熱中症などで救急車で病院に搬送されるケースが増えている。しかし、どんな場合でも搬送は無料だ。タダだ!私はアメリカの例を聞いて、日本はなんと素晴らしい良い国ではないかと思った。もちろん、医療や介護など社会保障の面で、日本もさまざまな問題を抱えている。しかし、アメリカの場合は、高齢者や障がい者な...日本は実に良い国だ(2)(例・アメリカは救急車を呼ぶと70万円も払うんだって!)

  • 日本は実に良い国だ(1)

    <以下の記事を復刻します。>以前、スーパーへ行った時、あやまって日本酒のワンカップを取り落とし、1本がフロアーに落ちて割れてしまった。当然、200円ぐらい弁償しなければと思っていたら、店員に「大丈夫ですか。お怪我はありませんか?」と言われ、まったく弁償しないで済んだ。他の店員がすぐにガラス片やこぼれた酒の掃除をしてくれた。私は嬉しくなってワンカップを“余計”に買って帰宅したが、実に温かい気持になったものだ。どこのスーパーもサービス精神が旺盛で、日本は本当に良い国だと思う。これはヨーロッパの国々とえらい違いだ。ヨーロッパはスリが多いし、サービス精神も劣る。特にイタリアはスリが多かった。以前書いたことがあるが、フランスへツアー旅行した時実に嫌な気分になったことがる。それは、ある店の自動販売機に額の大きなコイン...日本は実に良い国だ(1)

  • 『太陽がいっぱい』

    1960年のフランス・イタリアの合作映画で、テーマ音楽の作曲はイタリアの巨匠ニーノ・ロータ。貧乏な青年が大金持ちの友人を殺し、その財産と恋人を奪い取るという物語だが、最後は思わぬ出来事が起きて彼の策略は失敗する。哀愁に満ちた物悲しいメロディーが、貧乏青年の心を表わしているのだろう。主役の彼に扮したアラン・ドロンはこの映画でいちやく有名となり、世界の輝かしい“イケメン”の象徴となった!(笑)「太陽がいっぱい」サウンド・トラック『太陽がいっぱい』

  • 文化大革命(15)

    第五幕(4月下旬。北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、周恩来、康生、江青、張春橋)毛沢東「林彪のやつ、泡(あわ)を食って北京に戻ってきたが、その後の動きはどうかね」康生「相変らず、自宅に黄永勝達を呼んでは対策を練っているようです」江青「林彪一派が、私達の住まいに爆弾を仕掛けるという情報もありますよ。気を付けなければなりませんわ」毛沢東「それはデマだろう。しかし、追い詰められたネズミは何をするか分からんからな」張春橋「主席、用心するのに越したことはありません。林彪一派は、本気で主席や総理の命を狙っているかもしれません。あいつらは、陳伯達が自殺未遂に追い込まれ、黄永勝達が名指しで非難されたことに強い衝撃を受けています。危機感と焦りから、何をするか分かりません」毛沢東「うむ、気を付けなくてはな。こちらとし...文化大革命(15)

  • 文化大革命(14)

    第五幕林彪死す第一場(1971年1月上旬。北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、康生、江青、張春橋)江青「新年を迎えて、今年こそは陳伯達と、林彪グループを放逐する時が来たようですわね」毛沢東「まず、陳伯達を抹殺してやる。その後に、陳伯達批判を利用して、それに余り乗り気でない林彪一派を追い詰めていく。黄永勝や呉法憲達の権限を奪い取っていけば、林彪自身も手足をもぎ取られたように、身動きができなくなるだろう」張春橋「じわじわと、林彪を追い込んでいくわけですね」毛沢東「そうだ、真綿(まわた)で首を絞めるようにな。そうすれば、林彪だって何もできなくなるはずだ」康生「ただ心配なのは、林彪が苦し紛れに、とんでもない事を仕出かすこともありえますね」毛沢東「それはないだろう。林彪は唯一の副主席であり、私の“後継者”とい...文化大革命(14)

  • <小説> 1984年11月14日(グリコ・森永事件)

    <まえがき><映画『罪の声』を見ていたら、どうしてもグリコ・森永事件について何か書きたくなった。この小説は、当時の個人的な体験が元になっている。悪しからずご了承願います。>その日、山本啓太はテレビ局の“遅番勤務”のため、午後2時過ぎに家を出た。彼はそのままTOKYO(東京)テレビの報道局の部屋に入ったが、時間があったので“早番”の政経デスク・熊沢と少し雑談を交わしていた。「このところ、中曽根と金丸(かねまる)の関係はうまくいっているようだね」「うん、まあまあだな。長い目で見ないと・・・」第2次中曾根改造内閣の発足にともない、自民党幹事長の金丸信(かねまるしん)と中曽根康弘首相の関係について雑談を交わしたのだが、2人は共に政経デスクとして仕事をしていた。「それより、地方デスクがさっきから忙しそうにしているよ...<小説>1984年11月14日(グリコ・森永事件)

  • 天下の悪法・「生類憐れみの令」と動物愛護

    (以下の文は2002年4月8日に書いたものですが、一部修正して復刻します。)1)犬や猫など動物を可愛がる人は多い。日本でもペットブームが完全に定着した。テレビやユーチューブ、雑誌にも可愛いペットが登場してくる。スーパーマーケットなどへ行けば、犬や猫などのペットフードがいやというほど置いてある。動物を可愛がる人達にとっては、まことに素晴らしい時代である。さて、動物愛護のことを考えていると、よく思い出すのが「生類(しょうるい)憐れみの令」という、江戸時代の法律だ。この法律については、知っておられる人も多いはずだ。5代将軍・徳川綱吉が発布した“天下の悪法”と言われるものだ。歴史書やインターネットで調べてみると、これが実に興味深いので、少し詳しく紹介しながら話を進めたい。徳川綱吉の画像(土佐光起筆)2)「生類憐れ...天下の悪法・「生類憐れみの令」と動物愛護

  • 『ジャイアンツ』

    1956年のアメリカ映画で、テキサス州を舞台にした“一大スペクタクル”である。また、テーマ音楽も軽快で華やかだ。主演はエリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン、ロック・ハドソンだが、ディーンはこの映画の撮影が終わった1週間後に、交通事故で24歳の命を落とした。また、23歳ぐらいのエリザベス・テイラーが実に美しい。1920年代の油田ブームを背景に、アメリカが世界的な大国にのし上がっていく状況が見て取れる。しかし、一方で深刻な人種差別の問題も垣間見えるのだ。史実を元にした歴史的な大作と言えるだろう。「ジャイアンツ、Giant」ジェームズ・ディーン、JamesDean『ジャイアンツ』

  • 文化大革命(13)

    第五場(12月下旬。北京・中南海にある林彪の居宅。林彪、葉群、黄永勝、呉法憲、林立果)黄永勝「いや、ひどい目にあったものだ。衆人環視の中で、私や葉群同志ら五人の陳伯達批判が足りないと、名指しで追及されたんだからな」呉法憲「毛主席が、林彪副主席も陳伯達批判に同意しているのだ、君達もやらなくちゃいかんと凄い目付きで迫ってくるので、やることにしますと答えてしまった。それにしても、あれはわれわれ五人を吊るし上げるようなやり方だな」葉群「大勢の幹部がいる中で、恥をかきましたわ。まるで、われわれだけが党中央の方針に従ってこなかったような言い方をするんですからね」林立果「解放軍を目の敵(かたき)にしている連中が、最近、結束してわれわれに圧力をかけてきたのではないでしょうか」林彪「いや、そんなことは考えられない。ただ、わ...文化大革命(13)

  • 文化大革命(12)

    第四幕毛林体制に亀裂第一場(約3年半後の1970年7月下旬。北京・中南海にある陳伯達の家。陳伯達のモノローグ)陳伯達「なにもかも面白くない。文化大革命で俺はあれほど活躍し、劉少奇や登小平ら実権派の連中を根こそぎ葬り去ってやった。おかげで俺は、去年の九全大会で、毛沢東、林彪、周恩来に次いで、党内でナンバー4(フォー)の地位に就くことができた。ところがどうだ。その後、党内で大きな顔をしてのさばり出したのは、江青を中心とする張春橋らの上海グループだ。あいつらは毛主席の信頼と厚い庇護のもとで、すっかり主流中の主流におさまってしまった。その結果、毛主席の側近として、長い間実権を振ってきた俺の立場は、しだいに影の薄いものとなってしまったのだ。張春橋や姚文元など大して実績のない青臭い連中が、文化大革命の果実を独り占めに...文化大革命(12)

  • <復刻> 21世紀・日本の政治的課題(後編)

    4)参議院を廃止、一院制にせよ今の日本では、参議院は全く無駄なものであり、ただちに廃止した方が良い。要するに、国政に混乱をもたらすか、衆議院のカーボンコピーになるかのどちらかである。一院制が良いのか二院制が良いのかは、それぞれの国によって違うところだが、連邦制の国とか貴族制度が残っている国はほぼ二院制である。しかし、単一国家の場合は圧倒的に一院制が多く、ここ数十年の間に二院制を廃止して一院制に移った国もいくつかある(デンマークやスウェーデンなど)。戦後、貴族院が廃止されて参議院が発足した当時は、参議院に対してそれなりの役割や存在意義が期待されていた。「衆議院は政党で選び、参議院は人物で選ぶ」という考えが一般的だったから、参議院には『緑風会』といった無所属議員の会派ができ、是々非々の高い立場から国政に参加し...<復刻>21世紀・日本の政治的課題(後編)

  • <復刻> 21世紀・日本の政治的課題(前編)

    〈以下の記事を復刻します〉<はじめに>この記事は14年ほど前に書いたものですが、今でも考えはほとんど変わっていません。21世紀の「日本のあり方」を追求してきたもので、自分の考えを率直に述べたつもりです。(2022年9月6日)1)総論・憲法改正の必要性憲法改正は必然的に高まっている。憲法はわれわれ国民のものであり、われわれ自身が決めなければならない。現行憲法はもう60年以上も変えられずに続いてきたが、いろいろな面で矛盾、ほころび、不備を露呈してきた。具体的なことは後で述べるが、全体的に見ると早急に改正すべき点がいくつもある。それは「9条」の問題だけではない。時代のニーズに応えなければならないものが数多くあるのだ。9条の改正はむしろ“短期的”なものである。自衛力の保持と自衛権の行使を明文化すれば済むことで、あ...<復刻>21世紀・日本の政治的課題(前編)

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