chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/04/12

arrow_drop_down
  • 文明の発達で“少子化”になる

    <以前書いた記事を一部修正して復刻します。>文明が発達すると、少子化になるようだ。社会が豊かになったとしても、子供が増えるわけではない。どういうことかと言うと、現代ではテレビ、パソコン、携帯電話、スマホ、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電子レンジ、電卓などがないと文明生活に遅れる。したがって、それらを購入するために金が要る。ところが、私が子供の頃は、そんな電気製品やパソコン、テレビなどはなかった。それだけ金がかからなかったのだ。つまり少しぐらい貧乏であっても、十分に生活が出来た。だから「貧乏人の子沢山」という言葉もあったほどだ。特に戦前は、一家に子供が10人ぐらいいても何らおかしくはなかった。しかし、現代では電気製品の他に、塾などの教育費、数多くの趣味や遊び、稽古事など色々あるから、非常に金がかかる。それで、給料...文明の発達で“少子化”になる

  • 大隈重信の「人生125歳説」と死生観

    〈2018年7月に書いた以下の記事を復刻します。〉〈おことわり〉この記事を書いているうちに、長生きするよりどう生きるか、どう死ぬかが重要だという話になってしまった。途中からテーマが変わってしまったので、はじめにお断りしておきます。先日、大学時代の同窓会を高田馬場の早稲田で開いたが、その時、妙に気になったのが大学の創設者・大隈重信の「人生125歳説」である。これは大隈の持論だと言われるが、たしかなことは分からない。ただし同窓会では、知ったかぶりの私がこの説を引用して、「みんな長生きしようではないか」と挨拶したのだ。そこでネットなどで調べてみると、大隈重信は野口英世らとの雑談中に「我輩は125歳まで生きるのじゃ」と述べたという。そこから人生125歳説が出回ったようだが、大隈が本気でそう思っていたかどうかは分か...大隈重信の「人生125歳説」と死生観

  • 最も驚き、感動した金メダル・・・岩崎恭子選手

    オリンピックはほとんどの人が好きだろうが、私も大好きだ。テレビのない時代は、ラジオにかじりついてよく聞いたものだ。日本は1952年に、フィンランドのヘルシンキで開かれた夏季オリンピックに戦後初めて参加した。当時はラジオで必死になって聞いたものだが、やがてテレビ時代となり、1964年の東京オリンピックでは、放送が完全に“テレビ中継”になったのである。日本選手の活躍もその頃から特に目覚ましくなり、われわれはテレビの前で大いに声援を送ったものだ。前置きが長くなったが、こうした中で、特に忘れられない日本選手の金メダル獲得の実況中継があった。それがまだ中学生の岩崎恭子選手の活躍である。1992年にスペインのバルセロナで開かれた夏季オリンピックで、岩崎選手は女子200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた。彼女は当時14歳...最も驚き、感動した金メダル・・・岩崎恭子選手

  • 『君恋し』(戦後版)

    原曲は戦前に作られたものだが、昭和36年(1961年)にフランク永井が歌って再びヒットした。だから、戦後版として取り上げる。作詞は時雨音羽、作曲は佐々紅華だが、歌詞がまことに見事だと思う。フランク永井の低音は実に魅力的で、その声のファンが多かった。私もそうである。彼は他にも『有楽町で逢いましょう』『東京ナイト・クラブ』『おまえに』などのヒット曲を世に送り、戦後の歌謡界に名をとどろかせた。君恋し/フランク永井『君恋し』(戦後版)

  • まず、個人が幸福であれ

    <2002年5月22日に書いた文章を一部修正して復刻します>1)幸福のとらえ方は、個人によって様々な違いがある。しかし、人間が幸福であると思う(感じる)心境はそれほど違わない。人間は幸福を追い求めてきたし、現に追い求めているだろう。そして、幸福であるか否かということが、人間にとって最大の命題であることに変わりはないと思う。ところが、この幸福を論じることが、往々にして軽視されているきらいがある。幸福というものが、卑近で浅はかなものに矮小化されてきた傾向があるのではないか。もしそうなら、それこそ不幸なことである。人間が幸福である時、その人はおおむね他人に対して寛容であり、優しく思いやりのある態度を取ることができるだろう。幸福であれば、おのずと機嫌が良くなり、笑いも多くなり、善意で他人に接することにもなる。逆に...まず、個人が幸福であれ

  • “食”への感謝と畏敬の念を

    <以下の文を復刻します。>ここに一つの遺言がある。「父上様母上様三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様おすし美味しうございました。勝美兄姉上様ブドウ酒リンゴ美味しうございました・・・」まだまだ、美味(おい)しうございましたが続く。これはかつて有名なマラソンランナーだった円谷幸吉(つぶらやこうきち)選手が、27歳で自殺する直前に書いた遺書の冒頭部分である。年配の人なら覚えておられるだろう。これを読んでいると、涙が堪えきれない。円谷選手は1964年の東京五輪ではマラソンで銅メダルに輝き、次のメキシコ五輪でも大いに活躍が期待されていた。ところが椎間板ヘルニアを発症するなど健康を害し、1968年の1月9日に“帰らぬ人”になった。冒頭の「三日とろろ」というのは、正月料理や酒で...“食”への感謝と畏敬の念を

  • <詩> 天上の喫茶店

    かつて憧れの女子大生がいた僕が夢見たのは彼女と喫茶店に行くことだ何度も何度もその機会をうかがったしかし一度も行くことができなかったどうしてだろう僕が不器用で誘い下手なのか意気地なしで奥手なのか彼女が高慢ちきで冷たいのか僕を嫌って避けていたのかそれは分からないそれは分からないが彼女を誘い出せなかったのが悔やまれるかつて喫茶店は“オアシス”だった片隅の古びたシートに座ると美しいクラシックが流れ疲れた心と体を癒してくれるテーブルには一杯のコーヒーそれをすすりながら僕はいつも夢想に耽った過去のこと将来のこと彼女のこととりとめのない想いが目の前をよぎり消え去っていくのだ僕はあの世へやって来たもよりの喫茶店に入るするといちばん奥の席になんと彼女が座っているではないか僕はわが目を疑った本当に彼女なのだろうか間違いない正...<詩>天上の喫茶店

  • 黒岩神奈川県知事のこと

    【神奈川県の黒岩知事については週刊誌などでいろいろ取り沙汰されたが、私の“後輩”であるため、ここに一文を復刻します。悪しからずご了解願います。もし何か不都合があれば、この記事を削除します。なお、これは「2011年3月19日」に書いたものです。】元フジテレビキャスターの黒岩祐治君が神奈川県知事選に出馬するそうだ。新聞に出ていたが、彼は私の後輩で長い間報道局で勤務していた。昔、私が政経デスクをやっていたころ黒岩君は配下にいたのだが、初めは何かモタモタしていて、「こいつ、大丈夫かな~?」と思ったりしたが、その内しっかりした記者に成長していった。まあ、駆け出しのころはどんな記者でも不安なものだ。当時、自民党に田中六助という大物国会議員がいたが、彼は田中氏によく食い込み何回か特ダネを取ってきた。「ほう、なかなかやる...黒岩神奈川県知事のこと

  • 『牧場の朝』

    こういう“叙景歌”はもう消えたのだろうか。文部省唱歌で、1932年(昭和7年)の作品とされる。聴いていると心が洗われる感じだ。牧場の朝・・・http://www.youtube.com/watch?v=OPdSbZbvPxY『牧場の朝』

  • 天は人の上に人を造り、人の下に人を造る

    <以下の文を復刻します。>「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのは、福澤諭吉の著書『学問のすすめ』に出てくる有名な言葉だ。この言葉は福澤自身のものではなく、アメリカの独立宣言から引用したものだというが、日本では福澤自身の言葉のように受け取られている。それほど人々に行き渡った名言として価値のあるものだ。この言葉には“万民平等”という意味があり、福澤は同じ書で「人は生まれながらにして貴賎上下の別はない」としている。ただし「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」と述べ、学問を修めることを勧めているのだ。明治初期の新しい時代の幕開けには、まことに相応しい言葉であったと思う。『学問のすすめ』の前置きから入ったが、それは題名の「天は人の上に人を造り、人の...天は人の上に人を造り、人の下に人を造る

  • 昭和天皇 開戦の詔書(昭和16年・1941年12月8日)

    <昭和16年12月8日は太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦記念日です。それを決して忘れないためにも、昭和天皇の詔書を以下に掲載しておきます>昭和天皇開戦の詔書(昭和16年12月8日)<現代語意訳文>神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはか...昭和天皇開戦の詔書(昭和16年・1941年12月8日)

  • あの夏の日々

    少年は東京駅から列車に乗る十数時間後に姫路駅に着いた少女がやさしく出迎える少年は少女の家に泊めてもらった少女の母が少年の母に電話で「無事に着いた」と報告する次の日少年と少女は姫路城を見に行った木や草に夏の薫りがただよう麗しい城天守閣に登ると汗がにじんだ肌をそよ風が心地よく撫でていく帰宅すると少女はピアノを弾くつっかえつっかえだが「乙女の祈り」をこれは彼のために弾いているのか彼女自身のために弾いているのか真心だけが伝わってくる少女と御両親と幼い弟と5人で夕げの卓につく明日はどこへ行こうかと話しが弾む小豆島は少し遠いから六甲山にすればと御両親が言う少年と少女はうなずいた翌日二人は幼い弟と一緒に姫路駅から電車に乗り六甲山へと向かうジリジリと照りつける陽光帽子をかぶっていても目がくらむようだケーブルカーを降りてか...あの夏の日々

  • 『夜明けのうた』

    文化実業社『新婦人』より、1965年岸洋子さんはシャンソン歌手、越路吹雪のように華やかではなかったが、その歌声が好きだった。難病に苦しんで57歳で逝ったが忘れられない歌手だ。作詞・岩谷時子、作曲・いずみたくhttps://www.youtube.com/watch?v=2oZYxUhR8FQ『夜明けのうた』

  • 矢嶋じゃなくて、失嶋(しつじま)だって! (笑)

    <以下の記事を再録します。>以前、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授の話を聞いていたら、思わず大笑いしたことがある。それは山中教授が研修医だった若い頃、手術が相当に下手だったようで、上手な医師なら10分ほどで終わるものを、なんと1時間以上もかかったというのだ。このため、先輩や同僚から「山中でなく、邪魔中(じゃまなか)だ」と皮肉られたという。これには笑ってしまったが、山中先生の話を聞いて、急に自分の若い頃を思い出した。ノーベル賞受賞者でさえそうだから、普通の人間ならなおさら失敗が多いのではないか。ここで自分の恥を書こうと思う。私がフジテレビの報道に入り暫くして、たしか「番組部」に配属されたと思う。詳しいことは覚えていないが、ある報道番組を担当した時、ミス・失敗ばかりを重ねていた。例えば、BGMを流すというので、...矢嶋じゃなくて、失嶋(しつじま)だって!(笑)

  • 気象会社をつくりたかった! でも、力不足だった

    <以下の記事を復刻します。テレビ局時代の思い出>今やテレビなどでは「気象予報士」が“花盛り”である。若い女性から初老のオジサンまで毎日、天気予報を伝えている。中には気象予報の“花形”みたいな人もおり、注目を集めている。大いに結構なことだ。この「気象予報士」というのは今から20年以上前に誕生したが、当時は“天気予報の自由化”と言われ、気象の民間業務がようやく拡大しようとしていた。その頃、私は某テレビ局に勤めていたが、できれば自前の「気象会社」をつくれないものかと考えるようになった。もともと天気予報が好きだったのである。幸い、テレビ局というのは何でもやろうという所なので、フラワーショップでも美術館でも、また“サーカス”やオリエンタル急行を走らせることまでやっていた。要するに、放送外収入でもうければ良いのである...気象会社をつくりたかった!でも、力不足だった

  • 『ブーベの恋人』

    1963年のイタリア・フランスの合作映画で、ブーベという青年とその恋人のマーラの物語。ストーリーは省略するが、一途で切ない女心を描いたもので、マーラに扮したクラウディア・カルディナーレ(CC)は日本でも大変な人気になった。この映画のテーマ音楽が美しいので、動画でなく静止画をバックにお聴き願いたい。ブーベの恋人(アントニオ・マルチーニ)『ブーベの恋人』

  • 『北へ』

    男は心が傷つくと北へ逃れ、女は逆に南へ行くと誰かが言ったが、本当にそうだろうか。真相は分からないが、小林旭が歌う『北へ』は忘れられない一曲だ。昔、旧友とそのお兄さんと3人でカラオケに行ったことがあるが、その時、お兄さんが歌った『北へ』に、強烈な印象を受けたことを思い出す。彼の歌声は素晴らしかったが、それよりも切々たる想いが伝わってくるようで、以来、この歌が大好きになった。自分も心が傷つくと、おのずと北へ旅するようになるのか・・・111年秋季班練習【北へ】唄:小林旭『北へ』

  • 〈まとめ〉 歴史ロマン『落城』

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。埼玉県・所沢市内の標識https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/62ab8c36dda5f411411e6975a83b4756https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/16b93d5c49aed18095bc698d3394c540https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/8d0d0680201c0f2fb0885c4ec5515741https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/e478ece8933f4e547c9363af7c1fa465https://blog.goo.ne.j...〈まとめ〉歴史ロマン『落城』

  • 歴史ロマン『落城』(6・最終回)

    寄せ手の連合軍はいよいよ総攻撃の準備を始めた。兵力も4000人近くにふくらみ、藤沢勢が兵糧攻めでますます追い詰められているのが分かる。豊島範泰は軍勢を3つの部隊に編制して万全を期したが、ちょうどそういう時、山口貞清が範泰に意見具申にやって来た。「父上、総攻撃を前に、わが方から軍使をつかわせ、敵に“全面降伏”を呼びかけたらいかがでしょうか。もう勝敗の目途はついています。藤沢勢も無益な戦いはしたくないでしょう。お互いに、無駄な血を流すのは避けたいところです。降伏の条件を整え、使者をつかわすのが一番かと思いますが」「うむ・・・」貞清の意見に範泰は一旦うなずいたが、それでは決着が遅れるかもしれない。「そなたの気持は分かるが、公方さまから早く城を攻め落とせと言われておるんだな」範泰は、貞清が忠則夫妻のことを思ってい...歴史ロマン『落城』(6・最終回)

  • 歴史ロマン『落城』(5)

    上杉氏憲は各領主から人質を取っていたものの、その頃から、関東の情勢は次第に氏憲方に不利な様相を呈してきた。一つには、将軍・義持が氏憲らを“逆賊”と決めつけ、これを討伐する態度をはっきりと表明したからである。日頃は優柔不断な義持だが、断固として戦う姿勢を示したことが大きな要因だろう。もう一つはこの戦乱から、公方の足利持氏と管領の上杉憲基が生き長らえたことである。前にも述べたように、持氏は駿河の今川範政のもとに逃れ、憲基は越後の上杉房方に庇護された。そして、範政と房方はこの2人を擁して逆襲に転じてきたのだ。やがて12月下旬になって、まず氏憲方の軍勢と今川勢が駿河国で戦うことになった。この戦いの詳しいことは分からないが、持氏を擁した今川勢が氏憲軍に圧勝し、氏憲らはほうほうの体(てい)で鎌倉に逃げ帰ったという。こ...歴史ロマン『落城』(5)

  • 草食系が増えた理由

    <過去の記事を一部追加・修正して、復刻します。>ある国会議員がネットで、「草食系」が多くなった理由として、20代の若者の8割が年収200万円以下だからだと話していた。結論から言うと、私もその意見に賛成である。草食系については色々な定義があるようだが、特に男子で増えてきたという。草食系とは元気がないとか、恋愛に消極的で性欲(肉欲)に淡々としているとか、優しくて争いを好まないとか、色々な定義がある。少し言い方を変えると、いつも冷めていて積極的でないということか。しかし、マスコミや広告代理店が、車が売れない理由として「草食男子が物を買わせないからだ」と評していると、これは明らかに所得や給料が低いということだ。金があれば、ほとんどの若者は良い車を買うだろう。ところが、前述したように、20代の若者の8割が年収200...草食系が増えた理由

  • 『なごり雪 』と感動的な文章

    youtubeで素晴らしい文章を発見したので掲載します。念のため、ご本人から抗議などが来れば、ただちに削除します。感動的な文章は以下の通りで、お名前は「よしおかともかず」さんです。この文章を読んで何度も泣きました。「今から二十数年前の春、故郷での就職を選び帰郷する彼女を東京駅まで見送りに行きました。動き始めた新幹線の窓の向こうから泣き笑いで手を振る彼女の顔を今でも覚えています。『東京に残れ』と言いたかったけれど、まだ若かった私にはそれがどうしても言えませんでした・・・彼女の人生をすべて背負ってしまうようで怖くて・・・。大好きだった笑顔が大学生活の思い出を連れて早春の鉄路の向こうに去ってゆきました。あの時、勇気を振り絞って引き留めていたら、どんな人生が待っていたのだろう、そんなことを考えることもあります。『...『なごり雪』と感動的な文章

  • 魏志倭人伝・・・「長里」か「短里」か決めてくれ!

    1)日本の古代史に関する書物を読んでいくうちに、いちばん苛立ってくるのは、古代中国の文献に出てくる『距離の問題』である。我々日本人にとって最も興味深い「三国志・魏志倭人伝」では、3世紀に魏王朝が治めていた朝鮮半島の帯方郡から倭(日本)の邪馬壹国(やまいちこく)までの距離が1万2千余里となっているが、肝心の「里」の長さがどのくらいか明示されていない。そこで、いくつかの本を読んでいくと、驚くなかれ、一里の距離の規定がまったく違うのである。まったく違うと言うのは、5倍から6倍も差があるからである。ある本では、1里は434メートルになっているかとおもえば、他の本ではそれが77メートルになっているのだ。434メートルと77メートルでは5~6倍も違う!これでは、帯方郡から邪馬壹国までの1万2千余里という道のりは、途方...魏志倭人伝・・・「長里」か「短里」か決めてくれ!

  • 『早春賦』

    <過去の記事です。最も好きな歌の一つです>『二木紘三のうた物語』に立ち寄ったら、ちょうど10年前の2月に『早春賦』にコメントを書いていたのが分かった。歌を聴くうちに復刻したくなったのでお許し願いたい。(2018年2月某日)『早春賦』の舞台・安曇野の景色<2月に入り『立春』の頃を迎えると、いつもこの曲が蘇ってきます。安曇野はまだ厳冬のさなかでしょうが、関東地方に住む者にとっては、春がすぐそこに近寄ってきたかのように感じます。しかし、寒い風が吹いてそれが“錯覚”だと気づくと、よけいにこの曲に魅了されます。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」素晴らしい詩ですね。早春の思いをこれほど見事に歌った曲はないでしょう。あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春を待ちましょう。...『早春賦』

  • 歴史ロマン『落城』(4)

    ちょうどその頃、鎌倉公方方にも明るい知らせが入った。それは安否が不明だった足利持氏が、駿河国まで逃げ延びて今川範政(のりまさ)に保護されたというのだ。また、同じく逃亡していた関東管領の上杉憲基は、越後国にいる伯父の上杉房方(ふさかた)のもとへ落ち延びたという。これで京都の室町幕府は、公方と管領を助けるために、氏憲らの勢力を駆逐する方針を決めた。そして、関東を中心とした諸大名・諸豪族に呼びかけ、軍勢を動員して討伐作戦を開始するよう命じたのである。しかし、緒戦の勝利で氏憲方の勢力はまだ非常に強かった。関東を二分する大がかりな戦乱がこうして始まったのである。しばらくして、氏憲方の連合軍1000人余りが山口城に攻めかかってきた。守る方はわずかに約130人である。しかし、兵力の差は圧倒的であっても城を攻めるのはけっ...歴史ロマン『落城』(4)

  • 歴史ロマン『落城』(3)

    (3)それからほぼ半年がたち、時は応永23年(西暦1416年)の初夏の頃になった。(ちなみに山口貞清は31歳、尾高武弘は29歳になっていた)山口領内はこれといった出来事もなく、農民を始め庶民は平穏な生活を送っている。関東の情勢探索の旅を終えた武弘は、久しぶりに領内の様子を見て回ることにした。付き人の佐吉を従えてだが、そろそろ“田植え”の時期に入るので農民は忙しそうにしている。1年前に設置した幾つかの水車もスムーズに動いているようだ。「今年は天候もよさそうで、豊作は間違いないようですね」「うむ、ありがたいことだ。山口領は安泰のようだが、関東の北部では米づくりに苦労している所もある。また、畿内(きない)では“土一揆”が起きている地域があるそうだな。そうなったら大変なことだ」「ええ、コメが取れなくなったら終わり...歴史ロマン『落城』(3)

  • 自費出版と私

    <2002年12月に書いた以下の文を、一部修正して復刻します。>1)相当以前だが、自費出版ブームというのがあった。人間誰しも“自分史”みたいなものを書いてみたいと思うだろうし、それが実現すれば、その人の人生の証しということになる。また、俳句や短歌などの自費出版も多い。実は私も、今から20年以上も前に、3冊の本を自費出版したことがある。一つは自伝的小説で、残りの二つは戯曲(史劇)であった。友人や知人に贈ったり、一部は買ってもらったものもある。ところで、鮮烈に覚えているのは、自費出版していく「過程」のことである。なにしろ安く仕上げたいものだから、校正・校閲は勿論のこと、印刷所を見つけて費用の交渉などの全てを、自分一人でやった。当時は活版印刷が主流だったが、オフセット印刷で安く仕上げ、3冊で100万円はかからな...自費出版と私

  • まったく“デタラメ”な古代史研究

    <2008年1月29日に記した以下の記事を復刻します。>1)「邪馬台国(やまたいこく)」などは存在しなかったということを、私は以前の小論(「日本は『邪馬壹国(やまいちこく)』から始まった」を参照・・・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ae75694993b9869f4382964cd686597)で述べたが、これは日本古代史の碩学・古田武彦氏の著作から大いなる感銘を受けて記したものである。そこにも述べたように、中国古代の史書である「三国志・魏志倭人伝」の版本には「邪馬台国」などという言葉は一つもなく、全て「邪馬壹国」となっていることを古田氏は立証されたのだ。ところが、日本の多くの古代史研究家は邪馬壹を「やまと」と読ませたいために、原文にはない「邪馬臺(台)」に...まったく“デタラメ”な古代史研究

  • 日本は「邪馬壹(やまいち)国」から始まった!

    古田武彦氏は2015年10月14日に京都市内の病院で亡くなられた。享年89歳。ここに謹んでご冥福をお祈りするものである。(2008年1月1日に書いた以下の文を復刻します。なお、この記事に批判的な方のコメントもきちんと載せていますので、ぜひご覧ください。日本の古代史について、関心が高まることを切に願っています。)1)日本の古代史について、私は古田武彦氏の学説に大いに共鳴し感謝している。古田氏によれば、中国の三国志の中の有名な「魏志倭人伝」には、邪馬臺(台)国(やまたいこく)と記述したものは一つもなく、全て「邪馬壹(壱)国(やまいちこく)」となっているのだ。それでは、どうして「邪馬壹(壱)国」が「邪馬臺(台)国」に変わってしまったのだろうか。これは江戸時代後期の儒者である松下見林という者が、邪馬壹国を「ヤマト...日本は「邪馬壹(やまいち)国」から始まった!

  • 歴史ロマン『落城』(1)

    <空想、夢想、幻想の歴史ロマン>『主な登場人物』<山口家関係>山口貞清(山口城主)牧の方(貞清の妻・豊島範泰の娘)山口武貞(貞清の父)薫(貞清の母)和田信春(家臣)稲村幸正(家臣)幸若丸と桔梗(貞清の子供)<尾高家関係>尾高武弘(主人公・山口貞清の家臣)小巻(武弘の妻・筒井泰宗の娘)尾高武則(武弘の父)栞(武弘の母)佐吉(武弘の家来)太郎丸と鈴(武弘の子供)<藤沢家関係>藤沢忠則(藤沢城主)小百合の方(忠則の妻・山口貞清の妹)藤沢忠道(忠則の父)藤沢忠宗(忠則の義弟)志乃の方(忠則の母)幸と国松(忠則の子供)詩織(小百合の付き人)<その他>上杉氏憲(前の関東管領・法名は禅秀)足利持氏(鎌倉公方)豊島範泰(石神井城主・牧の方の父)筒井泰宗(範泰の家臣・小巻の父)庄太(山口領の農民)(注・・・赤字は実在の人物...歴史ロマン『落城』(1)

  • 奇跡の人・伊能忠敬とシュリーマン

    <2002年2月22日に書いた以下の記事を復刻します。>1)江戸時代の末期、日本の地図を作製した伊能忠敬は、あまりにも有名である。最近では、「伊能ウォーク」という全国行脚の催しも行われている。伊能忠敬がなぜ人気を集めているかと言えば、50歳を過ぎてから一念発起して勉学を始め、55歳から日本全国を歩き回って、精密な地図を完成させた所にある。当時は「人生50年」の時代だったから、55歳というのは正に高年齢ということになる。これは、我々日本人を大いに勇気づけるものだ。忠敬の壮挙については、数々の伝記が著されているので、ここで詳しく述べることは控えるが、日本人、特に我々年配者にとっては仰ぐべき存在であると言ってよい。忠敬のことを思い出している時、私がいつも連想するのは、ハインリッヒ・シュリーマンというドイツ人のこ...奇跡の人・伊能忠敬とシュリーマン

  • <小説> 高齢期 ②(休止)

    (4)ミッチー・サッチー騒動そういう日々を送っているうちに、先輩の大森、山口が相次いで定年退職を迎えた。視聴者センターでは2人の送別会を手厚く行なったが、彼らがいなくなったので行雄が山崎室長に次ぐ“ナンバー2”の立場についたのである。彼は日報・月報作りを初めて担当したり、レスポンスはもちろんのこと、センターの勤務表を作ったりとけっこう忙しく充実した毎日を送っていった。こうして新しい年(平成11年・1999年)を迎えたが、間もなく、センターの職場は14階に引っ越した。そこは外の景色が眺められる所なのでみんな気分を良くしたのだ。また、この頃から、レスポンスをするメンバーは“通り名”を準備するようになった。それはクレーマーやストーカーみたいな視聴者が増えたからだ。通り名とは“偽名”と同じものだが、厄介な視聴者も...<小説>高齢期②(休止)

  • <小説> 高齢期 ①

    〈懺悔、告白のような自伝的物語。ただし、以下は小説だからフィクション=虚構である〉(1)視聴者センターそれは6月末に起きた。行雄がFUJIテレビの外で同僚と昼食をとったあと職場に戻ると、栗橋総務担当部長が彼を呼び寄せた。「村上さん、いま石黒人事局長から連絡が入って、7月の異動で視聴者センターへ行って欲しいということです。これは内示ですから、正式には来週発表になります。よろしくどうぞ」栗橋は機械的に淡々と述べたが、これを聞いて行雄は耳を疑うほど驚いた。「視聴者センター」だって!?彼はまったく予想もしなかった人事に愕然としたのだ。しかも、内示は総合開発局の天野局長からではなく総務担当部長の栗橋からである。行雄はしばらく放心したような状態になり、目の前のいつもの仕事に身が入らなくなった。視聴者センターなんて、落...<小説>高齢期①

  • 『五番街のマリーへ』

    1973年(昭和48年)にペドロ&カプリシャスが発表した曲で、作詞は阿久悠、作曲は都倉俊一だ。これを髙橋真梨子(当時は髙橋まり)が歌ってヒットした。五番街とはアメリカのニューヨーク市中心の大通りで、今は世界最高級の商店街だが、昔は若いミュージシャンや作家、詩人らが多く住んでいたという。歌の主人公は以前、そこにいるマリーという娘と一緒に暮らしていたが、今はどうなっているのか見て来てほしいと知り合いに頼む・・・そんな歌詞だが、昔の恋人はいつまでたっても気になるものだ。彼女を悲しませたという思いが伝わってくる。それが情感豊かな曲になったのだろう。五番街のマリーへ/高橋真梨子(歌詞入り)『五番街のマリーへ』

  • 理想の生き方・死に方について

    <以下の文は2002年9月6日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)生の結末が死である。生があるから死が訪れるわけで、そういう意味で生死は一体のものである。良い死に方をするということは、良い生き方を全うするのと同じ意味を持つ。日本語では「死生観」という相応しい言葉があるが、死をもって生が成就するのである。人間誰しも、良い死に方をしたいと思っているだろう。眠るがごとく大往生を遂げるというのが、大方の人の願望だと思う。病苦の激痛に苛まれて、七転八倒して悶死するような死に方はしたくない。誰でも安らかに死にたいと願っているはずだ。私のように還暦を過ぎると、そろそろ死に方のことが気にかかってくる。家族や周囲の人にも、出来るだけ迷惑がかからないように安らかに死にたいものだ。そういう意味で、安楽死や尊厳死に...理想の生き方・死に方について

  • 悔しかった77年前(1948年)のロンドン五輪

    〈以下の記事を一部修正して復刻します。〉オリンピックのことだが、77年前(1948年)のロンドン五輪のことを思い出した。あの時は第2次大戦直後だっただけに、敗戦国の日本やドイツは参加を認められなかった。仕方がなかったが、今でも残念に思う。当時、日本の水泳陣は敗戦直後だというのに“全盛期”を迎えていた。古橋広之進や橋爪四郎といった選手は、自由形ですでに世界記録を上回るタイムを出していた。ところが、敗戦国の日本は国際水泳連盟から「除名」されていたため、古橋らがどんなに良いタイムを出しても公式記録として認められなかった。こうした中で1948年にロンドン五輪が開かれたが、参加できない日本国民はみな悔しがった。また、日本水連もよほど悔しかったのだろう。ロンドンでの水泳競技の日程に合わせ、あえて同じ日に日本選手権大会...悔しかった77年前(1948年)のロンドン五輪

  • 自民党の総裁選について(復刻)

    <2024年9月28日に書いた記事を復刻します>昨日の自民党総裁選、決選投票の大逆転で石破茂氏が当選した。1回目の投票では高市早苗氏が党員・党友票で1位になるなど優位に立ったが、結果は石破氏が逆転勝利と予想外の展開になった。しかし、近く行なわれる解散・総選挙を思うと、石破氏の方が自民党は戦いやすいだろう。高市さんではあまりに“守旧派”だから、野党は攻めやすいのだ。石破氏は穏健、中道的だから野党は攻めにくい。それは立憲民主党の幹部も言っている。だから、今回の総裁選は、自民党の“良識派”の多くの議員が最後に石破氏に投票したものと見られる。それが逆転勝利を生んだのだろう。40年以上も昔の話だが、当時某テレビ局の記者だった私は、何かのことで旧田中派(田中角栄派)の事務局員だった石破氏に会ったことがある。彼はいわば...自民党の総裁選について(復刻)

  • 『ドクトル・ジバゴ(ラーラのテーマ)』

    1965年のアメリカ・イタリアの合作映画。第一次世界大戦からロシア革命を通じて、時代に翻弄される人々の運命を描いた超大作である。主演はオマー・シャリフとジュリー・クリスティーだが、クリスティーが演じる「ラーラのテーマ」がとても流麗な感じがして印象深い。何度でも聴きたくなる挿入曲だ。ユーリ・ジバゴ役のオマー・シャリフ「ララのテーマLara'sTheme」モーリス・ジャール、Maurice・JarrewithTrailer『ドクトル・ジバゴ(ラーラのテーマ)』

  • <まとめ> 新・安珍と清姫

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。安珍・清姫伝説の画『道成寺縁起』http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/fa3d318cd8446de1b3ed0afe12daf192http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/37324dae98096a0188d14c08ad1931efhttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/4347cd2c0edc4ca26fcad4fdb493504chttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/869fbc25e149956663cd8f89da270d8fhttp://blog.goo.ne.j...<まとめ>新・安珍と清姫

  • 新・安珍と清姫(5)

    山寺で休息をとった安珍ら4人は、その後、清次の館がある中辺路(なかへち)へ戻るかどうかで議論になりました。安珍とメフィストフェレスはこのまま先に向かいたいと言いましたが、ドン・キホーテとハムレットはこれに強く反対しました。とりわけ、ドン・キホーテは声を荒げて安珍らを叱ったのです。「安珍よ、このまま国へ帰るのは卑怯だぞ!清姫殿に自分の気持をはっきり伝えたらいいじゃないか。男らしく振る舞え!」友の叱責に安珍は苦しげな表情を浮かべましたが、彼の気持は変わりません。このまま故郷の白河へ帰りたいのです。もう一度清姫に会ったら、仏道に精進しようという自分の決意が崩れるかもしれません。いえ、清姫の魅力にすっかり参っている自分を、安珍は痛いほど分かっているのです。彼はドン・キホーテの主張に懸命に抵抗しました。ドン・キホー...新・安珍と清姫(5)

  • インフレの方がデフレよりはるかに怖い。 100円ショップ万歳!(消費者魂だよ)

    <以下の記事は定年退職後の2002年6月23日に書いたものですが、現在にも通じる点があるので一部修正して復刻します。>1)この2~3年、テレビなどを見ていると、エコノミスト=経済学者が出てきて盛んにデフレの悪口を言っている。正確に言うと、デフレスパイラルが良くないということだ。経済語事典などによると、デフレスパイラルとは、物価が下落しているにもかかわらず、消費や投資などの需要が回復せず、売り上げや所得が減少し、それが需要を一層減少させて、更なる物価下落を招く“悪循環”を言うのだそうだ。つまり、物価下落と景気後退が繰り返されるので、経済は縮小し不況になるというわけだ。確かに景気後退は良くない。失業者も増えるので悪いに決まっている。そんなことは、経済の専門家でもない私にも分かる。しかし、物価の下落自体は、消費...インフレの方がデフレよりはるかに怖い。100円ショップ万歳!(消費者魂だよ)

  • 世界が驚倒! 衝撃の『独ソ不可侵条約』 そして世界大戦へ

    <2002年4月25日に書いた以下の記事を復刻します。>1)20世紀にはさまざまな戦争、革命、大事件があったが、第2次世界大戦を引き起こした「独ソ不可侵条約」ほど、世界を驚かせたものは他にないだろう。これほど電撃的に、秘密裏に超スピードで締結された条約も珍しい。まさに、世界にとって青天の霹靂(へきれき)となった条約である。締結されたのは、1939年8月23日であった。ファシズムを信奉し共産主義を最大の敵とするナチス・ドイツと、共産主義をイデオロギーとしファシズムを最大の敵とするソ連邦が、このような不可侵条約を結ぶとは、常識では考えられないことである。しかし、歴史の現実はそれを可能にした。そして、世界は破局へと向かった。1週間後に第2次世界大戦が勃発したのである。この条約の締結については、歴史的大事件なので...世界が驚倒!衝撃の『独ソ不可侵条約』そして世界大戦へ

  • 『真珠貝の歌』

    ハワイアン・ポップスの中でも最も好きな曲。http://www.youtube.com/watch?v=TPFXbiG6Cpg『真珠貝の歌』

  • 寒い冬はニット帽

    寒い冬もニット帽で乗り越える。ニット帽よ、ありがとう!寒い冬はニット帽

  • 新・安珍と清姫(4)

    こうして、晶子が安珍を出迎えに行くことで話が付き、みんなはこれで一安心といった様子を見せたのです。しかし、この頃、安珍らの一行に微妙な“変化”が現われました。熊野三山のお参りが終わると、ドン・キホーテとハムレットは、せっかく熊野へ来たのだから、もっと他の場所も見て回りたいと言い出しました。那智の滝などをゆっくりと見たいと言うのです。もっともな話ですが、安珍とメフィストフェレスはあまり気が乗りません。安珍はこの辺に何回も来ているし、清姫との約束があるので早く帰りたいのです。また、メフィストは少々疲れたのと飽きっぽい性格だったので、もう山を降りたいと言い出しました。結局、ドン・キホーテらはしばらく熊野の観光を続け、安珍らは一足先に引き上げることになりました。ところが、このことが思わぬ事態に発展するとは・・・誰...新・安珍と清姫(4)

  • 文世光事件と“日帰り”海外出張

    <2008年10月21日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します>文世光事件・陸英修女史狙撃事件若い頃は出張が楽しみだった。もちろんキツイ仕事で大変なものもあるが、まだ行ったこともない所へ出張するのは、どんな所だろうかと胸がわくわくするものである。出張先では地元の人たちと一杯やることも楽しみだし、まだ見たことのない風景や土地柄を探訪することもできる。国内出張も良いが、これが海外出張になるともっと興味津々となる。外国を見たいという気持は、若い頃は特に強いようだ。ところで、私の最初の海外出張は『日帰り』という無残なものであった。国内でも日帰りというのは嫌なもので、時間に追われてゆっくりできないし、地元の人たちと一杯やることもできない。仕事だからやむを得ないが、日帰り出張だけはしたくないものだ。もう34年も...文世光事件と“日帰り”海外出張

  • 消費税は“悪魔のような税”か

    以下の記事は2011年9月24日に書いたものですが、復刻します。<はじめに>消費税論議が相変らず続いているが、今年1月に書いた記事を再び載せたくなった。消費税が引き上げられれば物価高になるのは当然で、われわれ消費者が困るのは誰もが分かっている。しかし、それよりもはるかに打撃をこうむるのは、全国に800万人いるという中小・零細企業の事業者たちである。たぶん、自殺者が増えることは間違いない。その一方で、輸出大企業は「消費税還付金」の形で事実上、大儲けするのは明らかである。前の記事を一部修正しながら以下に再録してみたい。☆消費税引き上げ論議が盛んになってきたが、私はある人から紹介されて、『消費税のカラクリ』(講談社現代新書)という本を買って読んでみた。この本は斎藤貴男(たかお)さんというジャーナリストが著したも...消費税は“悪魔のような税”か

  • gooの方がヤフーよりはるかにグー!

    <2012年3月に書いた以下の記事を復刻します。>私はいまgooのブログを使っているが、実は2012年2月23日にヤフー(Yahoo!)のマイブログを「全面削除」されたのでこちらに移ってきたのである。ヤフーのブログを全面削除されたのは、私の記事が音楽著作権を侵害したという理由からだ。この件について、Yahoo!ブログカスタマーサービスより以下のようなメールが届いた。参考になると思うので、紹介しておきたい。「Yahoo!ブログカスタマーサービス竹光です。お問い合わせの「『マイブログ』のページが表示されない」件について、ご案内いたします。お客様のブログにつきまして、以下のとおり通知を受け、弊社でコミュニティーサービスガイドラインに照らし確認を行い、削除措置を行いました。[通知者]一般社団法人日本音楽著作権協会...gooの方がヤフーよりはるかにグー!

  • 『枯葉』

    消え失せた愛への切ない想いを歌った名曲。日本人に最も愛されたシャンソンだろう。岸洋子(文化実業社『新婦人』より、1965年)枯葉LesFeuillesMortes岸洋子YokoKishi『枯葉』

  • 新・安珍と清姫(2)

    清姫はしばらく考えていましたが、やがて口を開きました。「ヒュパティアやベアトリーチェの言うことは分かるわ。近いうちに両親にも話そうと思うの。安珍様は私をお嫁さんにもらいたいと言っているので、きっと両親も分かってくれると思う。もし、婿養子でなければならないとしたら、その時は安珍様とじっくりと相談するわ。みんなも私を助けて」清姫は自分の気持を正直に明かしました。でも、婿養子と言っても安珍が快く還俗(げんぞく)するでしょうか。ドン・キホーテは賛成していましたが・・・ヒュパティア「彼はいつも師僧の珍念和尚様のことを言ってたというじゃないの。その珍念様がお許しにならない限り、正直言って還俗は難しいと思う。それに、修行僧の妻帯も無理だと思うわ。あなたは駄目になった時の覚悟が出来ているの?」ヒュパティアが厳しいことをは...新・安珍と清姫(2)

  • 寿命・・・昔と今

    <以下の文を一部修正して復刻します。>寿命について考えてみたい。この前ふと、夏目漱石のことを調べていたら、彼は49歳で他界しているのだ。え~!?、そんなに若くして亡くなったのかと思ったが、事実である。「則天去私」などと悟りきったことを言っていた漱石は、今の自分より30歳以上も若いうちにあの世へ旅立ったのだ。49歳なんて、自分から見れば“若造”もいいところである。それなのに、大作家ともなるとやけに老成した印象を受ける。昔は「人生50年」などと言われた。平均寿命が今よりずっと短かったからだ。これはどこの国でもそうで、ロシアでは50歳を過ぎて生きているのは一種の“罪悪”といった格言もあった。レーニンが50歳を超えた時に、その格言を引用していたのを何かの本で読んだことを覚えている。(レーニンは53歳で亡くなった。...寿命・・・昔と今

  • 南大門(ナムデムン)悲歌

    <2008年2月12日に書いた詩を復刻します>燃えさかる紅蓮の炎にナムデムンは身をよじらせて崩れ落ちた絶世の美女よソウルの韓国の誇りよ貴女は姿を消したのかこれまで何度も貴女を拝み見たのにその姿は灰になってしまったのか韓国の人々は悲しみに沈んでいるだろうそして憤っているだろう私も悲しい放火した奴が憎いなぜ絶世の美女に火をつけたのか美しいから妬ましいのか国の宝だから騒ぎを起こしたかったのかにぎやかな街中にナムデムンは静かに居をかまえる貴女の姿を見れば心が安らぎ車も人の往来も気にならないうるわしくおごそかに立っている貴女私の心はいやされはるか昔のこの国の姿が見えてくるナムデムンよ貴女はソウルの韓国の星だったなぜ今消えてしまったのかどうして姿を見せないのかしかし貴女は蘇るだろうきっと蘇るだろう絶世の美女よ貴女は韓...南大門(ナムデムン)悲歌

  • 『冬の夜』

    『冬の夜』は1912年(明治45年)の文部省唱歌で、もう1世紀以上も昔になる。ほのぼのとした一家団らんの様子が伝わってくるようだ。なお、末尾に少し長くなるが、2008年10月4日に「二木紘三のうた物語」に寄せた一文を載せておきたい。https://www.youtube.com/watch?v=07AMCmv4XFA☆この歌を聴いていると、亡き母を思い出します。母が生まれたのは明治37年末の日露戦争の真っ最中でしたが、子供のころ「父(私の祖父)からずいぶん日露戦争の話を聞いた」と語っていました。また、子供の間で流行った尻取りの“手まり唄”をよく歌っていたので、私もほとんどそれを覚えてしまいました。『冬の夜』が出来たころの女の子の歌ですが、これも「文化」の一つだと思うので、紹介させてください。『にっぽんの乃...『冬の夜』

  • 新・安珍と清姫(1)

    <空想、夢想、幻想、妄想の物語・2013年10月19日スタート>むかしむかし、今から1000年以上もむかしのことですが、奥州の白河という所に安珍(あんちん)という若い僧がいました。安珍は年のころ23~4歳ぐらいでしょうか、毎年、紀州の熊野権現(くまのごんげん)に山伏姿で参詣していました。そして、この年もお参りする時期がやってきたのです。安珍にはハムレットとドン・キホーテという親友がいましたが、2人とも今年はどうしても“熊野詣で”に同行したいと言ってききません。もちろん初めての同行です。彼らは出家僧ではないので、安珍は困ってしまいました。できることなら、連れて行きたくないのです。ある日のこと、出立を前にして3人は顔を合わせました。「安珍、われわれをぜひ熊野に連れて行ってくれ。君には決して迷惑をかけないから」...新・安珍と清姫(1)

  • 国民主権の「新憲法」草案・骨子

    新憲法の草案・骨子第1章「国民主権」を高らかに謳うこと。☆現行の憲法は第1章で「天皇の地位」「天皇の国事行為」などについて記しているが、これは民主主義、主権在民の精神に反する。天皇に関する条項はもっと下に記す。日本国の元首は、国民から直接選ばれた大統領(または、総統)とする。第2章「戦争の放棄」「永久平和主義」・・・現行憲法の第9条を遵守する。自衛隊の名称は現状のままか、「国土警備隊」か「国土防衛隊」とする。第3章「基本的人権の尊重」を謳うこと。☆生命の尊厳と生存権、思想、良心、信条、信教、言論、集会・結社、出版など諸々の自由。法の下の平等、請願権、プライバシーの権利、アクセス権など。第4章立法権・・・国権の最高機関である「国民議会」の創設。一院制とする(参議院の廃止)。小選挙区制を廃止、全国を道州別、ブ...国民主権の「新憲法」草案・骨子

  • 花火中継、大失敗

    <2012年5月に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>テレビ局時代に多くの失敗をしたが、中でも花火中継の失敗は忘れられない。もう40年近く昔のことだが、私がFテレビのローカルニュース担当デスクの時にそれは起きた。たしか東京の江戸川河川敷で花火大会があり、わが社の事業局や営業局などがそれに絡んでいたようだ。花火大会の数日前、社の関係者が集まり打ち合せを行なった。報道局から私が出席すると、ぜひニュースでも取り上げて欲しいと要望を受けた。江戸川で大々的に花火大会を開くなら、それは結構なネタである。夏の風物詩としては最高のイベントではないか。私は快くその要望を受け入れた。さて、その後は担当の事業局と私が話を詰めていけば良いのだが、なにせ双方とも毎日忙しく働いているので、花火大会の当日に“時間的”な詰めを行なえ...花火中継、大失敗

  • 『慕情』

    香港(ホンコン)のことを考えていたら、1955年の映画『慕情』のテーマソングを思い出した。昔、○✖外国語学院の先生に英会話を習った時、始めに教えられたのがこの音楽だった。その時は歌詞を全部覚えたが、今ではほとんど忘れている(笑)。しかし、あのメロディーは素敵だった。そして、ジェニファー・ジョーンズとウィリアム・ホールデン、悲恋映画の傑作だったか。Loveisamanysplendoredthing・・・Loveisamanysplendoredthing(OldFilm)-MiraLove『慕情』

  • <まとめ> かぐや姫物語

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。月へ帰っていく“かぐや姫”http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/d266a10b35d3e5a9935ec572504fe899http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/7213aec67818d3273b7a2450f5109039http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0193d4e52e734a41a16fbfd881a82d20http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5a64541c1cf6c504ad297b0be0c112c8http://blog.goo.ne.jp/y...<まとめ>かぐや姫物語

  • かぐや姫物語(6・最終回)

    早朝に目が覚めると、藤吉はかぐや姫の膝の上に伏していました。先日も同様のことがあったのですが、さすがに藤吉はがばっと跳ね起きると、姫に向かって告げたのです。「姫様、今日は八月十五日です。こうしてはいられません!全てのことが今日中に決まりますので、私はすぐに竹取の翁様のもとへ参ります」藤吉が息せき切ってこう述べると、かぐや姫が落ち着いた声で答えました。「藤吉殿、そうです。今日中に全てのことが決まりますので、覚悟を決めてください」そして八月十五日、竹取の翁の館は朝早くから物々しい雰囲気に包まれました。この日、かぐや姫が月に帰るというのです。竹取の翁も嫗(おうな)も早く目を覚ましましたが、そこへ藤吉(とうきち)が朝一番にやって来ました。「お早うございます。今日は一日中、私は翁様の側にいて命令通りにしますが、嫗様...かぐや姫物語(6・最終回)

  • 『海その愛』

    1976年(昭和51年)5月に“永遠の若大将”加山雄三が発表した曲だ。作詞は岩谷時子で、作曲は弾厚作、つまり加山自身である。スケールの大きな男らしい曲として、海を愛する人たちによって歌われてきた。なお、加山が幼少時から住んでいた神奈川県茅ケ崎市には、歌詞などのモニュメントが設置されている。映像はあまり良くないが、彼の歌声が最も伸びやかなものを載せておこう。加山雄三海その愛『海その愛』

  • かぐや姫物語(5)

    「な、なにをするのですか?はしたないことは止めてください!」驚いた藤吉が叫びました。「“はしたない”って何のこと?藤吉殿、私はあなたを愛しているのです。それがなぜ悪いのですか?」かぐや姫は今度は白い両手を回し、藤吉の首筋にからませました。姫の熱い吐息が顔にかかり、藤吉は緊張のあまり息も絶え絶えになりました。芳(かぐわ)しい香りが辺りに満ちてきます。すると、かぐや姫は両手で彼の顔を強く挟み、バラ色の唇を彼の唇に押し当てました。藤吉は気が動転して何もかも分からなくなりました。姫の唇が彼を飲み干そうとするかのように燃えます。藤吉は身も心もぐったりして、全てを姫に預けた感じになりました。不思議なことに、かぐや姫の“手足”が伸びて藤吉にからみつきます。まるで、大木の枝が伸びて何もかも締めつけるようです。「や、やめて...かぐや姫物語(5)

  • 外国語と日本語と私

    <2002年7月に書いた記事を、一部修正して復刻します。>1)日本人は外国語に弱いと言われる。それは特に、話し方(スピーキング)と聞き方(ヒアリング)においてと言われる。私は自分の頭(センス)の悪さを棚に上げてそう述べているので、お許し願いたい。例えば、英語については、中学1年から大学4年まで10年間も勉強したのに、一向に会話(カンバセーション)が上手にならない。日本人の中には勿論、英会話の上手な人もいるが、大学の英文科を卒業したというのに、ほとんど英語が話せないという人もけっこういる。そういう人達を見ると、私は自分の頭の悪さを放っておいて、なんとなく安心してしまう。われわれ高年齢の日本人は、一般的に英語など外国語の会話がどうして下手なのだろうか。私も何度も英会話に挑戦したが、少しも上手くならず今日に至っ...外国語と日本語と私

  • 愛の巣

    ここは君と僕との愛の巣だよ3DKと小さな家だけど二人にとっては広い巣だだけど赤ちゃんが次々に生まれたらどうしよう狭くなるかなでも今は広い愛の巣だ今は僕らにとって充分な家だ35年払いのローンそれが何だと言うのだ僕らには愛がある朝はいつも君に見送られて僕は家を出る仕事でどんなに遅く帰っても君は待っていてくれる暖かい食事と素敵な音楽が僕らを満たしてくれるのだ君と付き合ってから3年結婚してから半年僕は本当に幸せだどうしてこんなに幸せなのだろうそれはきっと君が素晴らしいからだ君は僕の太陽だ美しくて朗らかで優しくて愛嬌があって・・・それに比べるとああ僕はとても君に値しない男だ春に結婚してからもう半年夢のように時は過ぎた秋も深まり吹く風もどこか寒々としてくるでも僕らの愛の巣はいつも温かく華やいでいる新築の家の香りがかす...愛の巣

  • 『神田川』に思う

    <『神田川』の作詞者・喜多條忠さん(74歳)が亡くなったので、8年前に書いた以下の文を復刻します。合掌。2021年12月1日>嫁さん(長男の妻)と話していたら、南こうせつが歌う『神田川』の話題になった。音楽に疎い私だが、この歌はもちろん知っている。『神田川』の話になると、大風呂敷を広げたくなるのでいつも皆に迷惑をかけるようだ(笑)。しかし、お許し願おう。この歌が登場したのは、ちょうど40年前の1973年だ。私はそこに時代の“節目”を感じる。その頃が時代の転換点だったと思う。というのは、60年安保、70年安保と続いた「変革の闘争」がその頃に終止符を打ったのだ。70年安保闘争は、全共闘運動を中心に大きな広がりを見せた。東大闘争、日大闘争などの学園紛争が全国に渦巻き、赤軍派などの超過激派が登場した。しかし、過激...『神田川』に思う

  • 9人の乙女、自決の跡(サハリン・樺太)

    <2012年8月29日に書いた記事を原文のまま復刻します。>サハリン・樺太へ旅行したのは(2012年8月)、第2次大戦の終戦時に、集団自決した9人の乙女を弔うことが最大の目的だった。つまり、慰霊の旅である。1945年8月、旧ソ連は日本との中立条約を一方的に破棄し、樺太などに侵攻してきた。そして、日本人は至る所で殺された。樺太南部の西海岸に真岡(まおか)という町があったが、今はロシア領・サハリン州のホルムスクと言う。8月22日の午後、私はガイドのLさんと共に州都ユジノサハリンスクを立ち、車で真岡へ向かった。約2時間の行程だったが、途中美しい田園地帯が広がっていたのが忘れられない。真岡は昔から港町として栄えていたが、今でも漁港として賑わっている。海の近くまで山裾が迫り、その小高い丘に当時郵便電信局があった。1...9人の乙女、自決の跡(サハリン・樺太)

  • かぐや姫物語(4)

    かぐや姫はこのように言うと、さらに激しくむせび泣きました。藤吉(とうきち)は心配でなりません。思わず姫の両手を取ると諌めるように言いました。「姫様、あの頃のことはもうおっしゃいますな。過ぎた昔の話ではないですか。それよりも、姫様が月に帰るとはただ事ではありません。翁様にも嫗(おうな)様にもおっしゃっているそうですが、聞き捨てならぬこと。一体、どうされたのですか?」「藤吉殿、あと1ヶ月もすれば私は月に帰ります。それはお爺様にもお婆様にも伝えました。だからあなたにも、本当のことを明かしているではありませんか。八月の十五日、私は月に帰ります。それまでに、本当のことを全て明かすのが私の務めなのです」「八月の十五日、あなたは月に帰るのですか?そんなことがあってたまるものか!」藤吉は思わず吐き捨てるように言いました。...かぐや姫物語(4)

  • 太宰治 VS 三島由紀夫(未完)

    <昭和の人気作家・太宰治と三島由紀夫について、思いつくままに自由に論じていきたいと思う。ただし、私は文芸評論家でもないし、両氏の著作を全て詳しく読んだわけでもない。したがって、素人の論評ということでお許し願いたい。2021年9月12日>最近、2年前の映画『人間失格・太宰治と3人の女たち』をDVDで見た。この中でけっこう面白かったのが、若い作家の三島由紀夫(高良健吾役)が太宰(小栗旬役)を激しく罵倒するシーンだった。三島がある会合の席で太宰を面罵したことは聞いていたが、映画ではなかなか迫力があった。実際はどうだったか知らないが、要約すると三島のセリフはこんなものだ。「僕は太宰さんの文学が嫌いです。やたらと死を臭わせる弱々しい文学が・・・死の臭いでどれだけ客の気を引いても、みんなあなたがどうくたばるかにしか興...太宰治VS三島由紀夫(未完)

  • かぐや姫物語(3)

    かぐや姫が宮仕えを拒否したことで、帝(みかど)の姫への好奇心はますます高まりました。こうなったら、意地でも姫に会わねばなりません。帝の権威、面子から言ってもこのまま引き下がるわけにはいかないのです。帝はいろいろ考えました。そして、出た結論としては、狩の行幸をする振りをしてかぐや姫の館に立ち寄れないかというものでした。これならばごく自然に、大げさでなく姫に会えるかもしれません。さっそく、竹取の翁を呼んで相談してみると、その方がかぐや姫も不意を衝かれ、会わざるを得なくなるだろうということでした。そして数日後、帝は急に思い立ったように狩をして、帰りに竹取の翁の館を訪れました。大成功です。かぐや姫はぼんやりとした風情で物思いに耽っていました。初めて見る彼女は光り輝いていて、この世の人とは思えない美しさに溢れていま...かぐや姫物語(3)

  • 『オホーツクの舟歌』

    一般的には『知床旅情』で知られているが、その元歌が『オホーツクの舟歌』である。いずれも名優・森繫久彌が作詞作曲したもので、『オホーツクの舟歌』は1963年(昭和38年)に森繁自身によってレコーディングされた。しかし、私は倍賞千恵子のものが大好きだ。彼女の歌声は日本語がこんなに美しいのかと思わせるものだ。森繁の作詞作曲も素晴らしいが、以前、倍賞の歌声を聴き感動して涙したことがある。(2024年3月2日)「オホーツクの舟歌」#倍賞千恵子#OkhotskBarcarolle#BaisyouChieko#年金生活翁の漫遊記【#美国旅情】『オホーツクの舟歌』

  • かぐや姫物語(2)

    石作皇子(いしづくりのみこ)は仏の御石の鉢を求めて天竺・インドへ行くのは、あまりに馬鹿げていると考えました。天竺へ行っても、宝物が手に入るとは限りません。それに、莫大な費用がかかることも確かです。しかし、かぐや姫となんとか結婚したいので、当分の間姿をくらまし、天竺へ行った振りをすることにしました。そして3年ほど経ったら、仏の御石の鉢に似せたそれらしい鉢を持ってこようと考えたのです。次に車持皇子(くらもちのみこ)も蓬莱の玉の枝も取りに行くと言って、行方をくらましました。皇子は遠くへ行く振りをして実は難波(今の大阪)に赴き、そこに鍛冶細工師を集めて精巧な偽物を作ろうとしたのです。このため、16ヶ所の荘園や蔵の財産を全て注ぎ込むと意気込んだそうです。このほか、右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)は、大金をはたいて...かぐや姫物語(2)

  • ある孝行息子からの手紙(阪神・淡路大震災)

    <以下の記事は2021年1月17日に書いたものです。阪神・淡路大震災から満26年がたっていました。>6434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災から、今日で丸26年を迎えた。テレビなどでいろいろ報道しているが、いつも思い出すのが、犠牲になったある大学生から母親に宛てた手紙である。この手紙に接したある音楽家が感動して、バラード曲をつくったことを新聞で知り私も忘れられなくなった。手紙の主は当時神戸大学生だった加藤貴光さん(21歳)で、大震災で亡くなる2年ほど前に母親の律子さんに贈ったものである。律子さんは大学に入学した貴光さんの下宿先のマンション(兵庫県西宮市)を訪ねた後、広島へ帰る直前に息子さんから受け取ったものだ。その手紙を読んで、私も感動し涙にむせんだ。内容をご紹介したい。「親愛なる母上様あなたが私に生命...ある孝行息子からの手紙(阪神・淡路大震災)

  • 銃規制ができないアメリカは“野蛮国”なのか!?

    <またも、またも、またも銃乱射事件!2011年1月13日に書いた記事を、一部修正して復刻します。>アメリカのラスベガスで10月1日、高層ホテルから男が銃を乱射し58人が死亡、500人以上が負傷するというアメリカ史上最悪の事件が起きた。アメリカではこうした銃乱射事件がいつも起きており、不思議でも何でもないが、こういう悲劇が一向に無くならないのは何故なのか。よく言われることだが、アメリカの憲法に「権利章典」というのがあり、その中に「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文(修正第2条)があり、これが全ての“元凶”だとする説がある。私もこの説に賛成だが、この「権利章典」というのはアメリカ市民の“基本的人権”に関する最も重要なもので、そう簡単に廃止したり修正することができないようだ。アメ...銃規制ができないアメリカは“野蛮国”なのか!?

  • かぐや姫物語(1)

    <空想、夢想、幻想、妄想の物語。2013年4月30日スタート>むかしむかし、かぐや姫という美しいお姫様がいました。かぐや姫は竹取の翁(おきな)というお爺さんに見つけられ、その妻の嫗(おうな)の手元で健やかに育てられました。かぐや姫が見つかったいきさつは、以下のとおりです。竹取の翁は野山に入り竹を取っていましたが、ある日のこと、根元が光る竹を一本見つけました。不思議に思って近寄って見ると、竹の筒の中に、3寸ぐらいのとても可愛いらしい赤ちゃんが座っていたそうです。それが、かぐや姫と翁の出会いでした。翁は朝な夕なに姫に会いに行きましたが、やがて、この子を自分の子にしようと思い、手の平に入れて家に持ち帰りました。そして、彼の妻に預けたのですが、とても小さいので籠(かご)の中に入れて育てました。それにしても、かぐや...かぐや姫物語(1)

  • 摩周湖

    <2008年11月に行った北海道の摩周湖が忘れられないので、以下に写真と当時の記事を掲載します。>☆先月後半、格安ツアーで北海道各地を周ってきたが、最も印象に残った所に摩周湖(ましゅうこ)がある。“霧の摩周湖”として有名だが、30数年前の真夏に訪れた時も湖全体に霧が立ち込めて全く見えなかった。夏は特に霧に覆われるというので、初冬の季節なら湖が見られるのではと淡い期待を抱いて訪れた。湖に近づくにつれて上空に霧が出ていたので、今度も美しい摩周湖は見られないのではと心配になった。すると、バスガイドさんが「やんごとない人が訪れると霧が立ち込めるのですよ。平民が見に来ると湖が見られるかもしれません」と変なことを言った。皆がいぶかしんでいると、彼女は「昔、昭和天皇は5回も見に来られたのですが、5回とも霧に覆われて湖が...摩周湖

  • SNSの時代が来た! テレビの時代は去ったのか?

    <2024年12月1日に書いた以下の記事を復刻します。>1)私のような83歳のジジイがSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を語る資格はないが、あえて話しをしていこう。元テレビ局員の話しだ。さて、先月の兵庫県知事選挙は、失職した斎藤元彦氏の再選で終わったが、その後、選挙の「広報活動」の在り方などが問題になっている。これが公職選挙法に違反しているのではと議論を呼んだが、そういうことは選挙の専門家に任せておこう。ここでは、あくまでも「SNS」について話していきたい。冒頭に述べたように、私のようなジジイがSNSについて語るのは変だが、それを無視して話しを進めていく。まず、SNSのお陰で知事選の“投票率”が大幅に上がった。これは明らかなことだ。特に、若者の投票が増えたという。今回の知事選では7人も立候補...SNSの時代が来た!テレビの時代は去ったのか?

  • <過去の記事> 野田佳彦氏における人間の研究

    <2012年8月8日に書いた以下の記事を復刻します。>(1)哲学も信念もないこのところブロガーのご意見を聞いているうちに、野田佳彦(首相)という男の人間性に興味を持つようになった。まず思ったのが、この男は“人間失格”ではないかということだ。彼の有名な演説である「書いてあることは命がけで実行する。書いてないことはやらないんです」という言葉は、全く逆の結果になった。政治家は多少はウソを言うこともあるだろうが、問題は大ウソをついても何ら恥じることもなく、謝罪もせずに平然としていることだ。つまり厚顔無恥、破廉恥、鉄面皮の代表みたいな男だと思ったのだ。ところが、最近になって、この男には空虚な言葉だけあって、中身が“空っぽ”ではないかと思うようになった。つまり、知識や才覚はあるが、信念や政治哲学、思想というものが全く...<過去の記事>野田佳彦氏における人間の研究

  • <過去の記事> 保守反動の使い走り・野田佳彦氏

    <2012年6月17日に書いた以下の記事を復刻します。>大飯原発の再稼動について野田首相はゴーサインを出したが、消費増税に狂奔する姿と共に、彼はつくづく保守反動の“使い走り”になった感じがする。原発や消費税の問題をここで詳しく論じるつもりはない。すでに出尽くしている。要は、日本が「脱原発」へ進むのか、また国民に負担を強いる消費増税を止めるのかといった基本的な問題なのである。日本の保守反動勢力は原発を維持し、消費増税を推進しようとしている。自民党は元々そういう路線だが、これに野田政権が相乗りする形となった。原発や消費税については多くの議論があるが、今や野田首相は自民党の路線をまっしぐらに突き進もうとしている。これでは“第2自民党政権”と言われても仕方がないし、いやむしろ、野田一派は自民党に吸収されてもおかし...<過去の記事>保守反動の使い走り・野田佳彦氏

  • 日本人と島国根性(日本とイギリスの比較など)

    <以下の文を復刻します。>昔、地政学に関する本を読んだことがあるが、日本とイギリスを比較する箇所がずいぶんあった。両国とも「島国」だから著者は比較したかったのだろう。内容はあまり覚えていないが、日本もイギリスも“海洋国家”として進む運命にあると書いてあったように思う。その時は、西洋のイギリスに対する東洋の日本という位置づけは、何か自尊心をくすぐられるようで悪い気がしなかった。しかし、いま考えると、日英両国の間には歴史的に大きな差があったと思わざるを得ない。それは両国とも島国なのに、日本が江戸時代に鎖国政策を取り“太平の眠り”に耽っていた頃、イギリスは地球上の7つの海に乗り出し、世界中に植民地をつくっていたのだ。つまり、日の沈まない「大英帝国」を樹立したのである。植民地主義が悪いとか仕方がないといった問題で...日本人と島国根性(日本とイギリスの比較など)

  • 金太郎アメ

    <“飽食”の時代に、以下の記事を一部修正して復刻します。ただし、2002年3月に書いたものなので、時代錯誤の面があることをご了承ください。>1)2月下旬のある日、私は湯島天神に出かけた。梅の名所だというので、初めての参詣に赴いたのである。晴天のもと、数多くの白梅が可憐な花を咲かせていた。所々に、紅梅も美しい姿を見せている。300本ほどの梅の木があるのだそうだ。ウィークデイの昼下がりだというのに、境内は梅の見物客で賑わっていた。ほとんどが中年から年配の人達で、女性が圧倒的に多かった。梅の花にカメラを向ける人もかなりいる。“学問の神様”菅原道真公を祭っているだけあって、合格祈願の絵馬の多さには驚いた。至る所に鈴生りになっているのだ。境内を散策していると、露店の列が目についた。別に買いたいものがあるわけではない...金太郎アメ

  • 極左の人、極右の人・・・小野正春氏と野村秋介氏

    <2020年6月18日に書いた以下の文を復刻します>〈前書き〉極左や極右の人で知っている人はほとんどいないが、私には忘れられない人が2人いる。いずれももう他界されたが、1人は小野正春さん、もう1人が野村秋介さんだ。野村さんは右翼の大物として有名だが、小野さんは革共同・中核派の幹部で、一般にはそれほど知られていない。ただし、ここでは時代の経過と私の体験上、まず小野さんのことから語っていきたい。A)小野正春さんのこと60年前の1960年(昭和35年)のことだが、当時はいたる所で安保反対闘争が盛んに行われていた。ちょうどその年、早稲田大学に入った私は全学連の闘争に参加していたが、ある日、同じセクトの学友に誘われ、大学の2年先輩である小野さんと某喫茶店で初めて会った。彼は同じ文学部で新潟県出身だと言ったが、私が新...極左の人、極右の人・・・小野正春氏と野村秋介氏

  • 『野球小僧』

    1951年(昭和26年)にリリースされた曲で、作詞は佐伯孝夫、作曲は佐々木俊一で、灰田勝彦が歌った。「野球の歌はヒットしない」という当時のジンクスを破って大ヒットしたという。戦後6年になり世の中がようやく落ち着いたのか、こういう明るい楽しい曲が大いに受けたようだ。小学生の私もこの歌が好きになり、これが主題歌になった映画『歌う野球小僧』を見に行ったものだ。灰田勝彦は戦前戦後を通じて人気のあった歌手で、彼自身野球が大好きで映画でも主役を演じている。他にも多くのヒット曲を出した。野球小僧1973灰田勝彦氏『野球小僧』

  • <過去の記事>「 goo」の方が「ヤフー」よりずっと素晴らしい!

    <2012年4月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。>私はいまgooのブログを使っているが、実は2月23日にヤフー(Yahoo!)のマイブログを「全面削除」されたのでこちらに移ってきたのである。ヤフーのブログを全面削除されたのは、私の記事が音楽著作権を侵害したという理由からだ。この件について、Yahoo!ブログカスタマーサービスより以下のようなメールが届いた。参考になると思うので、紹介しておきたい。「Yahoo!ブログカスタマーサービス竹光です。お問い合わせの「『マイブログ』のページが表示されない」件について、ご案内いたします。お客様のブログにつきまして、以下のとおり通知を受け、弊社でコミュニティーサービスガイドラインに照らし確認を行い、削除措置を行いました。[通知者]一般社団法人日本音楽著作権協...<過去の記事>「goo」の方が「ヤフー」よりずっと素晴らしい!

  • 雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと(田捨女)

    <以下の記事を復刻します。>以前、表題の句をもとに「俳句は芸術なのか?」という一文を書いたことがある。そこで、一部修正を加えながらもう一度書き直してみたい。田捨女の彫像(兵庫県丹波市)「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」この俳句に接すると実に爽やかな気分になる。雪の朝の情景がすぐに目に浮かんでくるのだ。私も子供の頃はよく下駄をはいて、雪が積もった庭を歩いたことがある。その時のことが思い出されて懐かしさが込み上げてくる。ところで、この句は誰が作ったのだろうかと調べたら、これは田捨女(でんすてじょ)という江戸時代初期の俳人が作ったもので、7月22日の「下駄の日」によく紹介されるそうだ。この句が世に出て370年が経つが、今でも人口に膾炙(かいしゃ)するというのは正に“名句”なのだろう。さて私が最も驚いたのは、捨女...雪の朝二の字二の字の下駄のあと(田捨女)

  • 『リンゴの木の下で』

    向田邦子さんの古いテレビドラマ(TBS)を見ていると、大戦前によく歌われた『リンゴの木の下で』が頻繁に出てくる。ダンスホールなどでずいぶん演奏されたそうだが、ジャズが昭和15年に“敵性音楽”として禁止されると、ほとんど歌われなくなったという。清楚な白い花の木に実ってくる赤いリンゴ・・・伊東ゆかりのなつかしい歌声(元の歌手はディック・ミネ)とともに、もう一度聞きたくなった。伊東ゆかり|林檎の木の下でYukariItoringonokinoshitade『リンゴの木の下で』

  • 吉永小百合の写真集

    <以下の日記は2024年9月22日に書いたものです>世の中は自民党と立憲民主党の党首選の動向、斎藤兵庫県知事の不信任案可決、大谷翔平選手の50本ホームラン・50盗塁の達成などが話題になっている。海外ではイスラエルとハマス、ヒズボラの戦闘、ウクライナ・ロシア戦争などが注目されるが、停戦、和平にはほど遠い状況だ。大相撲秋場所は、関脇・大の里が13勝1敗で14日目に2度目の優勝を決めた。これで来場所の大関昇進は間違いない。中国の深圳で日本人学校に通う10歳の男の子が18日、中国人男性(44歳)に刺し殺された。この男は過去に、電信設備の破壊など複数の前科があったという。それにしても痛ましい事件だ。許されない。先日の自分の誕生日(83歳)に、娘や孫娘たちから吉永小百合の若い日の写真集(文芸春秋刊)が贈られてきた。う...吉永小百合の写真集

  • <まとめ> 血にまみれたハンガリー

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。処刑されたナジ・イムレ氏http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/9f3ba2ee9487bfcbdd963bec1dcb5dd6http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/f32ec83a9d5e1e99b48a905065d497a2http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/24387461ac4f5dd78298cfb958a6d8ddhttp://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/fc1befd06cafa4f077ce99c9a7ca4178http://blog.goo.ne.jp/ya...<まとめ>血にまみれたハンガリー

  • 血にまみれたハンガリー(13・最終回)

    第十場(ブダペストの社会主義労働者党本部。カダルの部屋。カダルのいる所にアプロが入ってくる)アプロ「いま入った報告だ、ナジ夫妻を逮捕したぞ」カダル「そうか・・・それで、ルーマニアへ連行するというのか」アプロ「うむ、隠密のうちにソ連軍兵士が連行している。国民は誰も知るまい」カダル「私は、知って知らぬ振りをするわけか」アプロ「仕方がないだろう」カダル「ナジは反逆者ということで、処刑されるのだろうか」アプロ「ソ連が許すわけはない」カダル「政治とは非情なものだ。運命の歯車がちょっと狂っただけで、私の方が処刑されたかもしれないのに・・・アプロ同志、私はナジがいなくなっても、彼の政治路線を推し進めていきたい。勿論、ワルシャワ条約の廃棄や中立宣言は取り消すが、社会主義圏の中で、このハンガリーを最も自由で、民主化された豊...血にまみれたハンガリー(13・最終回)

  • 血にまみれたハンガリー(12)

    第七場(ブダペストの社会主義労働者党本部。カダル、アプロ、ミュニッヒ、マロシャン)アプロ「民衆の暴動はようやく鎮圧されたようだ。まだ、所によっては、散発的な抵抗が続いているが、大したものではない。国防軍も大人しくなってきたし、なにしろ、強大なソ連軍が要所要所を押さえてしまったから、反政府分子はもう身動きが取れない状態だ」ミュニッヒ「思っていたより、容易に暴動を鎮めることが出来たようだ。これも、われわれが疾風迅雷のごとく新政府を創り、ブダペストにやって来れたからだ。あとは、反政府分子の残党狩りを早くやるだけだ」マロシャン「しかし、困ったことは、まだ労働者評議会の権限が強くて、労働者の大部分がそこに結集していることだ。評議会の意向を無視して、われわれが新しい政治を行なうことは出来ない。いや、むしろ彼等の団結と...血にまみれたハンガリー(12)

  • 革命と不倫

    <以下の記事を再録します。>ある方とブログで会話をしていたら、私が何かの拍子で「革命と不倫は似ている」と言ってしまった。革命と不倫の愛は全く別次元のものだが、心理的な側面は非常によく似ているという意味である。世界には理想に燃えて行動している革命家も少なからずいるだろう。その人たちに対して失礼な言い方をしたのであれば許してもらいたいが、それはそれとして、革命がなぜ不倫に似ているかを説明したい。革命も不倫の愛も、既成の社会秩序から見れば「反社会的行動」なのである。それがどんなに純粋で崇高なものであろうとも、両方とも社会秩序に違反し背くものである。したがって、既存の権力や体制から厳しく糾弾されるだろう。ところが、革命も不倫も弾圧されればされるほど、激しく燃え上がるものである。それは両方とも強い情念によって支えら...革命と不倫

  • 「左翼的愛国主義」について

    〈2002年1月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。〉現行憲法の精神の中で、最も個人にとって重要なものは「基本的人権」であろう。我々は戦後の教育でその重要性を徹底的に教えられてきたと思う。そして、政治的にはその上に、「国民主権」が高らかに謳われている。いずれも侵されてはならない、民主主義の貴重な原理だと思う。あのフランス大革命の「人権宣言」以来、この民主主義の原理は脈々と今日まで受け継がれてきている。これらの原理を最も強くアピールしたのは、「ジャコバン派」と呼ばれる左翼であった。そういう意味では、21世紀の今日、「基本的人権」や「国民主権」が近代国家に生かされていることは、国家の基本が充分に左翼的になってきたと言えるのではないだろうか。勿論、現代においては、右翼といえどもこれらの民主主義の原理を否...「左翼的愛国主義」について

  • 血にまみれたハンガリー(11)

    第四場(ブダペストのペスト地区の街路。小銃などを手にした市民や学生が、右往左往している。ソ連軍戦車が行き来する音。時々、機関銃の発射音が聞こえる)市民一「おい、みんな、戦車がこっちの方へ来るぞ!建物の陰に隠れろ!」(市民達、建物の陰に集まる。その場に、機関銃を持ったソ連兵が10人ほど登場)ソ連兵一「無駄な抵抗は止めろ!」ソ連兵二「この一画は、すでにソ連軍の戦車に包囲されているのだ!武器を捨てて、大人しく出てこい!」ソ連兵三「もし降伏しないなら、お前達を“反革命分子”と見なして、全員射殺するぞ!」市民二「うるさい!お前達“侵略者”は、とっとと立ち去れ!」市民三「お前達は、誰に発砲しようというのだ!」ソ連兵四「貴様達は“ファシスト”か。ファシストなら容赦しないぞ!」市民四「なんだと、われわれはハンガリー革命に...血にまみれたハンガリー(11)

  • 「何もかも遅い日本、何もかも速い中国」なのか?

    <2011年7月に書いた記事を思い出したので、一部修正して復刻します>中国の温州で起きた高速鉄道事故は日本でも大きく報道されている。少なくとも39人が死亡、192人以上が負傷したというから大変な事故だ。事故の詳細をここで述べるつもりはないが、日本人から見ると、信じられないような驚くべきことが相次いでいる。なにしろ、脱線事故直後に問題の車両を穴に埋めたり、わずか1日半で線路を開通させたりしている。また、事故から3日目には、犠牲者の遺族に50万元(約625万円)の賠償金を支払うことを決めたというのだ。事故車両を穴に埋めたのは、証拠隠滅を図るものだとして強い批判を受けたせいか、今度は車両を掘り出したりした。日本人から見ると何もかも異例である。それはともかく、中国の高速鉄道は安全性に疑問があると指摘されていただけ...「何もかも遅い日本、何もかも速い中国」なのか?

  • 血にまみれたハンガリー(10)

    第四幕第一場(ブダペスト工科大学の講堂。30人ほどの学生の中に、メレーやペジャも加わっている。舞台の両側から、学生達の喚声や掛け声が聞こえてくる)学生の代表「祖国ハンガリーを愛する学友諸君、すでにご承知のように、ソ連軍は今日未明から、全国の主だった都市へ一斉に攻撃を開始し、ここブダペストにも大部隊が侵入してきた。国会議事堂や放送局は、すでにソ連軍によって占拠されたようだし、キリアン兵舎やチェペルなどでも激戦が繰り広げられている。未だかつて、このように不法で破廉恥な軍事介入があっただろうか。露助どもは、まるでナチス・ドイツが犯したのと同じような手口で、突如、大部隊をもってハンガリーに侵入してきた。このような悪辣きわまる野蛮な侵略を、われわれは黙って見ていて良いと言うのか!諸君、ハンガリーを愛し、その自由と独...血にまみれたハンガリー(10)

  • 血にまみれたハンガリー(9)

    第七場(ブダペストのソ連大使館。アンドロポフ大使の部屋。ミコヤン、スースロフ、アンドロポフがいる所に、カダル、アプロ、マロシャン、ミュニッヒが入ってくる)カダル「おや、ミコヤン同志、スースロフ同志もおられたのですか」ミコヤン「ええ、今日は重大な話しがあるので、あなた方をお待ちしていたのです。さあ、そこに座って下さい」(カダルら、ミコヤンらとテーブルを挟んで椅子に座る)カダル「重大な話しとは、どういうことですか」ミコヤン「いいですか、驚かないでいただきたい。単刀直入に申し上げる。ソ連共産党は一昨日の緊急政治局会議で、ナジ政府がもはや、ハンガリーを統治する能力を失ったと判断し、明日11月4日を期して、ハンガリー人民共和国を救済するため、ソ連軍を出動させることを決定したのです」カダル「えっ、そんな馬鹿な・・・」...血にまみれたハンガリー(9)

  • 教科書がなくなる日?

    <以下の記事を復刻します。>テレビを見ていたら「デジタル教科書」のことをやっていた。詳しくは見なかったが、近いうちにそういう時代が来るという。教科書というのはあくまでも「図書」だから、デジタル教科書というのは少し語弊がある。要するに「タブレット」などを使った“教科書”のことである。断っておくが、私はITやメカに詳しくない。そういうものに素人の老人だ(笑)。しかし、そういう者でも確実にITが進んでいくと思っている。「デジタル教科書」のメリットやデメリットが論じられているが、世の中は日進月歩なのだ。例えば、自分はいま「電子辞書」を使っているが、これも以前と比べると格段に進化している。老人は漢字やローマ字、言葉の意味などを調べるだけだが、他に図形や写真、絵などがふんだんにあり、また音声で言葉を紹介している。私は...教科書がなくなる日?

  • 『希望』

    好きだった岸洋子さんの歌。作詞・藤田敏雄、作曲・いずみたくhttp://www.youtube.com/watch?v=d_q8RnZSykA『希望』

  • 血にまみれたハンガリー(7)

    第三幕第一場(ブダペストのウィラキ家の応接間。メレー、ノーラ、彼女の母親のアニコー)メレー「お母さん、退院できて良かったですね。病状もすっかり回復しましたね」アニコー「ありがとう、オルダスさん。もう、あまり咳き込まなくなったし、熱も治まってきたようです。デアーグ先生の話しですと、このままゆっくりと療養していれば、きっと快方に向うということです。でも、肺炎って怖いものですね」メレー「そうですか、それは結構なことです。僕もこのところ、政治のことで頭が一杯でしたが、お母さんの病気がどうなっているか、とても心配でした。でも、ノーラがお母さんに付いているから、きっと大丈夫だとは思っていました」ノーラ「私は何もできないけど、お母さんにもしものことがあったら大変と、それだけが気がかりだったわ。3年前に、お父さんに先立た...血にまみれたハンガリー(7)

  • 私のFacebook

    私のFacebookです。https://www.facebook.com/私のFacebook

  • ロマン・ロラン

    <以下の文を復刻します。>1)20世紀で最も偉大な文学者を挙げろと言われれば、私はロマン・ロランを挙げるだろう。「ジャン・クリストフ」などの文学作品のみならず、20世紀前半の世界に及ぼした彼の存在の影響は計り知れない。その人類愛、ヒューマニズムと共に、彼の人格の高潔さは、正にその当時の世界の“良心”であった。しかし、ロマン・ロランの人類愛、ヒューマニズムは余りに理想主義的な要素が強かったために、現実の国家観や政治観で、大きな禍根を残したことも否定できないと思う。具体的には、当時のソ連邦への対応が間違っていたのではないか。理想主義は良いとしても、現実の政治がどういうものか、理解できなかった側面があったと言ってよい。私自身の話で恐縮だが、若い頃の私のロマン・ロランへの傾倒、心酔は尋常ではなかったと思う。高校時...ロマン・ロラン

  • 現代美人論

    <以下の記事を復刻します。>政治や外交などの話をすると腹が立ってくるので、今日は「美人」について語ってみたい。その方が精神衛生上、良いのではないか。ある方のブログにお邪魔したら、「キャメロン・ディアスは美人か・・・」という記事が載っていた。読んでみたら、キャメロン・ディアスやジュリア・ロバーツなどの話だったが、要するに彼女らは魅力的(チャーミング)だが美人ではないというのである。私は最近のハリウッド映画はあまり見ていないが、テレビの芸能ニュースなどで2人の女優のことは知っている。たしかに美人とは思えない。2人とも口がデカく(大きく)、とても美顔には見えない。(参考までに、末尾に画像を添付しておく。)その方の記事では、キャメロン・ディアスは昔で言えば“チンクシャ”、つまり狆(ちん)がくしゃみをしたような顔だ...現代美人論

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、矢嶋武弘の部屋さんをフォローしませんか?

ハンドル名
矢嶋武弘の部屋さん
ブログタイトル
矢嶋武弘の部屋
フォロー
矢嶋武弘の部屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用