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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

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2015/04/12

矢嶋武弘の部屋さんの人気ランキング

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  • 明治17年・秩父革命(11)

    明治17年・秩父革命(11)

    第5場[11月3日夕刻、皆野にある困民軍の本営・角屋旅館。田代、菊池、小柏、柴岡、井出ら幹部の他に、藤吉もいる。]菊池「憲兵隊が親鼻の渡し場に現われましたが、鉄砲隊がこれを撃退しました。まずは幸先の良い緒戦です」田代「それは良いが、敵は確実に包囲網を狭めてきたようだ。予想以上に早く皆野に現われたではないか」菊池「そうかもしれませんが、憲兵隊を撃退するなど、わが軍は非常に良く戦っています。敵の警備本部があったこの角屋旅館も奪取しましたからね。問題は、加藤さんや周三郎君が指揮している甲大隊が、どういう戦いをしているかです」藤吉「甲大隊は下吉田、太田を通って、いま大淵村辺りに進んでいるようですが、敵に遭遇したという連絡はまだ来ていません」小柏「憲兵隊がいるという斥侯の報告は、間違いだったのか」柴岡「仕方がない、...明治17年・秩父革命(11)

  • “少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

    “少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

    <以下の記事を復刻します。>新聞でもテレビでも、記者になったら一日も早く現場で仕事がしたいだろう。私もテレビ局入社後、報道に配属された時にそう思った。ところが、内勤の仕事などが長く続いてなかなか外へ出してくれない。早く記者クラブに出たいと希望を言うのだが、3年半ぐらい内勤の仕事をしていた。ようやく26歳になった頃、人事異動で「警視庁記者クラブ」への配属が決まった。私は嬉しくなって「よしっ、やるぞ!」と思ったが、初の外勤なので不安も一杯あった。旧国鉄の有楽町駅から徒歩で、初めて警視庁へ行った時のことは忘れられない。旧庁舎は灰色がかった厳めしい建物で、そこに入る時は身が引き締まる思いがした。すぐにキャップの指示で、殺人・強盗などを担当する捜査1課と、窃盗などを担当する捜査3課を受け持つことになった。それから取...“少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

  • “現代風美人”に一言

    “現代風美人”に一言

    〈以下の記事を復刻します。〉たまたま「食べて、祈って、恋をして」というDVD・映画を見たが、ジュリア・ロバーツというのはやたらに口が大きくて少しも美人ではない。こういう個性派の女優がもてるのか。そう言えば、キャメロン・ディアスとかアンジェリーナ・ジョリーというのもやたらに口が大きくて、少しも美人とは思えない。口が大きくないと、現代風美人ではないのか?美人と言うよりも“個性的”と言った方がいいだろう。昔のイングリッド・バーグマンやエリザベス・テイラー、グレース・ケリーらの方がはるかに美人だったと思う。現代はよくある口が大きな顔を美人と呼んで、大勢の女性が「私も美人」だと思いたいのか(笑)。どうでもいいが、美人の定義が完全に崩れたと思う。キャメロン・ディアスなんか、あれは“チンクシャ”だと呼んだ人がいるぞ!そ...“現代風美人”に一言

  • 八頭身美人と小顔美人

    八頭身美人と小顔美人

    <2008年8月2日に書いた以下の記事を復刻します。>つい最近、私がよくお邪魔する「正直ばあさん記」というブログを訪問したら、面白い記事が載っていた。この方は絵画が専門なのでよく裸婦のデッサンをされるが、最近とみに思うことは、モデルさんたちの容貌が実に童顔・幼顔(おさながお)になってきたというのである。彼女によれば、モデルの顔は要するに“小顔”で、目の位置が下の方にあって顎が小さく、大人の女の骨格ではないというのだ。そして、童顔はとても描きにくく、よほど上手な画家でないと、絵が台無しになってしまうといった趣旨のことを述べておられる。その文章を読んでいて、私がすぐに思い出したのは“八頭身美人”のことである。八頭身美人とは1953年(昭和28年)、伊東絹子さんという人がミス・ユニバース世界大会で3位に入賞した...八頭身美人と小顔美人

  • 明治17年・秩父革命(10)

    明治17年・秩父革命(10)

    第3幕第1場[11月3日早朝、秩父郡役所。田代、加藤、菊池、井上、高岸、落合、新井周三郎、小柏、飯塚、井出、大野苗吉の他、困民党の主だった幹部が作戦会議を開いている。]高岸「きょうは“天長節”だから、ちょうど良い。天皇の軍隊でも警察でも、一網打尽にやっつけるにはもってこいの日だ」大野「お恐れながら天朝様に敵対するので加勢しろ、と言ってきたからな」(笑)小柏「そうだ、我々全軍で国家権力の部隊を叩きのめそう」新井「総理は昨夜、実のお姉さんにも久しぶりに会えたそうで良かったですね」田代「ああ、ありがとう。ついつい話し込んでしまったよ」(苦笑)落合「寝不足のようですが、体調はいかがですか?」田代「まあまあだが、二、三日前から胸の痛みが少し酷くなってね。持病なんだよ、年も年だし」井上「けっこう無理をして、頑張ってき...明治17年・秩父革命(10)

  • 文通

    文通

    <2008年8月に書いた文を一部修正して復刻します>ブログでいろいろな人と話をしていると、昔、何人かの人と文通していたことを思い出した。もう50年以上も前になるが、その当時は「ペンフレンド」とか「ペンパル」と言って、手紙のやりとりで交わっていたのだ。私が高校1年の頃だったと思うが、よく覚えていないが『高一時代』といった学習雑誌で知ったのだろうか、数人の高校生と文通したことがある。そのうち、外国の少年少女とも文通したくなった。これは要するに、自分の和文英訳の能力を高めようという気持もあったが、外国の子と仲良くなりたいと思ったからだ。特に、外国の女の子と文通できれば幸せだな~というロマンチックな思いがあった。どういう手がかりだったかは忘れたが、ある日、私はドイツの女の子に英語で手紙を書いて投函した。返事が来る...文通

  • 『高校三年生』

    『高校三年生』

    1963年、舟木一夫のデビュー曲が「高校三年生」だ。今でも学園ソングの定番だそうだが、この曲を録音した当時、舟木自身も高校三年生だったという。自分が高校3年の時は、アメリカに留学する彼女を横浜港から見送ったことが今でも忘れられない。“日本の歌百選”にも選ばれているが、歌詞の中のフォークダンスというのがとても懐かしい。http://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc『高校三年生』

  • 「グローバリズム」という妖怪 ?

    「グローバリズム」という妖怪 ?

    <以下の記事は2008年4月18日に書いたものです。>1)昔から、コスモポリタニズム(世界市民主義)や世界連邦主義はあった。しかし、最近は「グローバリズム」というのが注目を集めている。国際主義と言うのだろうか、あるいは地球一体化運動とでも言うのだろうか、定義はさまざまなようである。私にはよく分からないが、経済的には市場主義と資本の論理の国際化を目指しているようだ。資本主義が世界的に拡大し、各国が経済的に緊密な関係を持つようになったのは事実だが、それを更に推進しようというのがグローバリズムなのだろうか。それだけなら別に問題はない。世界経済はいやでも緊密化してきている。問題は、そうした動きを意図的に、強制的に更に進めようという点にあるのではないか。そこには市場主義の強制と、資本の論理以外のものを排除しようとい...「グローバリズム」という妖怪?

  • 明治17年・秩父革命(9)

    明治17年・秩父革命(9)

    第19場[11月2日午後、武甲山の麓の坂道。伊藤栄郡長と郡役所の役人数人が、大きなカバンやふろしき包みを持って歩いている。彼らは制服を脱ぎ捨て、農民の身なりをしている。]伊藤「やれやれ、酷い目に遭ったものだ。大宮郷を暴徒どもに占領され、逃げ延びるだけとは情けない」役人1「郡長、これからどちらへ向かいましょうか?」伊藤「このまま名栗村(なぐりむら)へ行くしかないだろう。あそこはまだ安全だろうから、とにかく村役場を訪ねてみよう。それより重要な書類、印鑑などは全て持ってきただろうな?」役人2「はっ、何せ緊急事態でありましたので、全てとはいきませんが出来るだけ多く持ってきました」伊藤「仕方がない、役所で“うろうろ”していたら暴徒どもに殺されるだけだ。公証簿を全て運び出そうと思ってもそれは無理だ。君達は良くやってく...明治17年・秩父革命(9)

  • 明治17年・秩父革命(8)

    明治17年・秩父革命(8)

    第14場[11月2日午前、小鹿坂峠に近い音楽寺(札所23番)の境内。田代、加藤、菊池、井上ら困民党の幹部の他に、大勢の農民が勢揃いしている。]田代「諸君、我々はいま小鹿坂峠を越えた。眼下には大宮郷が広がり、秩父の山々全体が我々の前途を祝っているようではないか。武甲山の頂きは美しい紅葉に彩られ、荒川はゆったりと流れてわが軍勢の進撃を待っている。この美しい秩父は我々のものだ。間もなく、偵察隊の合図が出たら大宮郷へ進撃しよう!」加藤「我々の軍勢はすでに数千人に達している。この大部隊が進軍すれば、大宮郷は立ち所に我々の掌中に入ってしまう。ここを押さえれば秩父郡だけでなく、やがて埼玉県全体を解放することができるだろう。そうすれば、貧窮に喘ぐ農民は全て救われるのだ!」菊池「昨夜からの動員は順調に進んでいる。農民もその...明治17年・秩父革命(8)

  • 明治17年・秩父革命(6)

    明治17年・秩父革命(6)

    第4場[10月下旬のある晩、上吉田村にある日下の家。藤吉がそっと忍び込んでくると、母のミツと妹のハルが驚いた表情で迎える。]ミツ「藤吉・・・大丈夫なの?」藤吉「うん、何とかやっている。二人とも元気だった?」ミツ「こちらは大丈夫だけど、お前のことが心配で夜もおちおち眠れなかったよ」ハル「兄さんったら何の連絡もないし、言(こと)付けでも良いからしてくれれば安心するのに」藤吉「ごめん、なにせ追われる身だからね。もっぱら群馬や長野に潜伏していたんだ。ところで、加藤さんから面倒を見てもらってる?」ミツ「ええ、それはとても。当座のお金も貸してくれたのよ」藤吉「それは良かった」ハル「母さんも私も働きに出るわ。加藤さんに早くお返しをしないと」藤吉「うん、あの人は“高利貸し”じゃないから助かるね。僕が何もして上げられなくて...明治17年・秩父革命(6)

  • 『モナ・リザ』

    『モナ・リザ』

    <以下の文は、2002年7月5日に書いたものです。>1)8年ほど前にフランスへ旅行したことがある。パリでルーヴル美術館を観覧することができた。この大美術館は30万点に及ぶ美術品を抱えているだけあって、とても半日では見切れるものではない。当然、お目当ての絵画や彫刻に絞って見て回るだけだった。必ず見ようと思った作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『モナ・リザ』がある。『モナ・リザ』のある場所は事前に分かっていたから、そこへ近づくにつれて胸がときめいてきた。時間がそれ程ないというのに、“彼女”に近づくのにわざと時間をかけた。その部屋に入って『モナ・リザ』を遠くから見た瞬間、第一印象は「なんて小さいんだ」というものだった。ルネサンスの画集は子供の頃から見ているから、この名画は脳裏に焼き付いている。脳裏の画...『モナ・リザ』

  • 昔の話・・・新聞対テレビの戦い

    昔の話・・・新聞対テレビの戦い

    <2011年9月に書いた以下の文を復刻します>個人的な話をしたい。私がフジテレビという会社に入ったのは1964年(昭和39年)だったが、当時のメディアは新聞、通信社が圧倒的に強かった。中でも新聞は歴史と伝統があり、大勢の記者を抱えて日本社会の隅々まで取材網を張り巡らせていた。それに、新聞も通信社も海外支局を持ち、主な外国の取材も独自に行なっていた。それに比べると、テレビ(NHKを除く)は歴史が浅く取材網は貧弱なものだった。国内では国会や首相官邸、警視庁などにわずかな記者を配置して細々と報道を続けていたが、海外支局(外国特派員)などはまだなかったと思う。面白い話がある。私が入社する少し前だったか、千葉県内である事件が発生したため、報道の先輩が取材に行って地元の人に、「フジテレビですが・・・」と言って挨拶した...昔の話・・・新聞対テレビの戦い

  • 小説『若草物語』

    小説『若草物語』

    主な登場人物・・・星野英樹。宮寺恵子(1年下の女生徒)。宮寺和江(恵子の母)。星野久子(英樹の母)。鳥井信子(英樹の同級生)。島本昌弘(英樹の友人)時・・・1956年~57年場所・・・埼玉県浦和市(現さいたま市)英樹(ひでき)が恵子を知ったのは、たしか中学2年の真冬の頃だったと思う。昼休みに大勢の生徒が校庭で遊んでいた時、英樹は“お河童頭”の妙に頬っぺたが紅い少女に気がついた。彼女はあまり見かけない生徒たちと一緒に遊んでいたから、一学年下の女の子だとすぐに分かった。数日後、英樹がまたぼんやりと教室から校庭の方を見ていると、紅い頬っぺたのその少女が、仲間の生徒と元気良く戯れていた。真冬だから頬っぺたも真っ赤になるのだろうか。彼女はジャンパーのポケットに両手を突っ込んでいて、お河童頭のせいかまるで“男の子”の...小説『若草物語』

  • 明治17年・秩父革命(5)

    明治17年・秩父革命(5)

    第2幕第1場[10月下旬、長野県南佐久郡の北相木村。養蚕農家・菊池貫平の家に、萩原勘次郎と日下藤吉が訪れている。]萩原「初めまして、萩原勘次郎と申します。こちらは日下藤吉と言って、同じ秩父に住む若い者ですが、よろしくお願い致します」(藤吉、頭を下げる)菊池「こちらこそ、よろしく。さて、田代さんと言う方からの“使者”と聞いていますが、きょうはどういうご用件でしょうな」萩原「私は秩父の侠客・田代栄助の子分なのですが、実は田代を首領にいただいて、近いうちに農民達が決起することになりました。つきましては、菊池さんを始め長野県の方々にも、ご協力いただきたく参上したものです」菊池「ほう、それはまた大胆なことだ。それで、準備は整っているのですか?」萩原「すでに何人もの者がお伝えしていると思いますが、秩父では農民達の生活...明治17年・秩父革命(5)

  • 明治17年・秩父革命(4)

    明治17年・秩父革命(4)

    第11場[9月下旬、大宮郷警察署の署長室。鎌田署長らのいる所に、高岸善吉、落合寅市の他、数人の農民代表が入ってくる。]高岸「署長、きょうは最後のお願いに来ました」鎌田「さあ、どうぞ」(蒲田が席を勧めると、高岸、落合ら全員が着席する)高岸「すでに再三お願いに来ましたが、きょうは秩父28カ村の代表としてわれわれが参上したものです。各村の総代の委任状をここに持って来ました。従って、これが最終的な請願となりますので、お取り計らいのほどよろしくお願い致します」鎌田「うむ、これが最後とあらば、腹を割ってお話ししよう」高岸「まず、総代連名の請願書を持って来ましたので、署長にお渡しします。(請願書を鎌田に手渡す)そこに書いてあるように、何度もお願いしていることですが、第一点は農民が高利貸しや金貸し会社から借金しているもの...明治17年・秩父革命(4)

  • 日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

    日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

    <2004年3月に書いた以下の記事を復刻します。>1)以前(調べてみたら、1993年だった)、NHKテレビの大河ドラマ「琉球の風」(原作は陳舜臣さん)を見た時に、私は強烈な衝撃を受けたことを覚えている。もとより私は、沖縄(琉球)の歴史については素人であり、知っていないことが多い。しかし、かつてそこに「琉球王国」があったことぐらいは知っていた。その「琉球王国」が17世紀初頭(江戸時代初期)、薩摩藩の軍勢によって無惨にも征服されていく過程が、ドラマに実に印象的に描かれていたのである。要するに、琉球は日本人(和人)によって侵略され制圧されたのだ。私は個人的に、仕事や観光で何度も沖縄に行ったことがある。何度行ったか覚えていないくらいだ。沖縄にいると「ここは日本なのだろうか?」と、よく思ってしまう。特に石垣島など八...日本人、琉球人、アイヌ人etc.・・・日本にも民族問題はあるのか?

  • 下手な“カメラマン ”とは自分のこと

    下手な“カメラマン ”とは自分のこと

    <以下の文を復刻します。>下手なカメラマンとは私のことだ。もう50年以上も昔の話だが、私はフジテレビの報道局に入ってから記者の仕事をしていた。当時は内勤の整理記者だったが、ある時、報道局の幹部が「テレビ記者というのはこれから、書けて、話せて、写せることが出来なければならい」と訓示した。要するに記事を書くだけでなく、テレビの前でレポートをし、さらにカメラで撮影しなければならないというのだ。記事だけ書いていれば良いと思っていた私は動揺したが、上司の命令だから仕方がない。それからカメラ撮影の“特訓”が始まった。当時の動画用カメラはモノクロの16ミリフィルムを使っていたが、たしかアメリカ・ベルハウエル社製の「フィルモ」だったと思う。ゼンマイ式のもので、100フィートのフィルムを装填し、2分50秒ぐらいしか撮影でき...下手な“カメラマン”とは自分のこと

  • 明治17年・秩父革命(3)

    明治17年・秩父革命(3)

    第6場[9月初旬、上吉田村にある日下庄右衛門の家。座敷に庄右衛門の遺体が横たわっており、妻のミツ、娘のハルが傍らで嘆き悲しんでいる。そこへ、息子の藤吉が慌ただしく駆け込んでくる。]藤吉「父さんがほんとに亡くなったのか!」ハル「兄さん、遅いじゃないの。これを見て・・・」(ハルが泣き伏す)藤吉「何ということだ。(遺体の側に駆け寄って)父さん!父さんたらっ!何で死んだんだ!」(暫く沈黙)ミツ「けさ、座敷の鴨居に首を吊っているのが見つかったんだよ。ほんとに可哀想に・・・」(ミツがむせび泣く)藤吉「畜生・・・山中のせいだ。あいつのせいで、父ちゃんは亡くなったんだ!くそっ、あの強欲ジジイめ」ミツ「きのう、山中の息子が督促に来てね、これが最後だと言って帰っていったんだよ。父さんは平然とした顔をしていたけど、観念したんだ...明治17年・秩父革命(3)

  • 女優の確執

    女優の確執

    <2011年2月に書いた記事を一部修正して復刻します。>映画『楢山節考』(1958年)のDVDを見たが、田中絹代の名演技に改めて感動した。素晴らしい。さすが大女優だと思った。この映画が作られた時、彼女はまだ50歳前だったが“老婆”の役を見事に演じている。表情はもちろん、歩き方など身のこなしは絶品である。老婆そのものだ。しかし、実は私は田中絹代が好きでなかった。昔、NHKの大河ドラマ『樅の木は残った』に出演した時、彼女にアドバイス(?)をした吉永小百合に腹を立てたと聞いていたからだ。“サユリスト”である私は許せないと思った。もっとも、天下の大女優である田中絹代から見れば、吉永小百合などはまだ駆け出しのヒヨッ子ぐらいにしか思えなかっただろう。想像するに、テレビドラマに不慣れな田中に対し、吉永は「田中先生」と言...女優の確執

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