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矢嶋武弘の部屋さんのプロフィール

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941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

ブログタイトル
矢嶋武弘の部屋
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro
ブログ紹介文
沖縄は独立せよ!
更新頻度(1年)

171回 / 365日(平均3.3回/週)

ブログ村参加:2015/04/12

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矢嶋武弘の部屋さん
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矢嶋武弘の部屋

矢嶋武弘の部屋さんの新着記事

1件〜30件

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』ー7

    第7場<1月中旬過ぎのある日、北京・中南海にある毛沢東の居宅。書斎にいる毛沢東(82歳)がよろけながら立ち上がると、窓越しに外を眺めながらモノローグ>毛沢東「ああ、わしもすっかり年を取った。医者に来てもらったり病院へ行くなど、体は“がたがた”でいつ死んでもおかしくない。が、わしより5歳年下の周恩来が先に亡くなるとは・・・これも寿命だから仕方がないか。周恩来の後継総理を誰にするか、それが問題だ。鄧小平には絶対にしない。それは彼も分かっているだろう。わしに会いたいと言ってきたり、政治局に自己批判書を出したりしているが、そんなことは問題外だ!だからと言って、江青らが推す張春橋を充てるわけにはいかない。党幹部や官僚、軍部の大半は張春橋に反対している。彼らは“文革派”を嫌っているのだ。しかし、彼らが推す李先念(りせんねん...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』ー7

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』ー6

    第6場<1月16日の夕方、北京大学の構内。ベンチに座って読書中の陶円方に、宋哲元が声をかけて隣に座る。近くに学生が数人いる>宋哲元「やあ、お待たせ、少し立ち寄るところがあったので遅れてしまった。ごめん」陶円方「いや、いいよ。本を読んでいたから」宋哲元「昨日(きのう)の周総理の追悼大会は立派なものだったね。様子をテレビで見たけど人民大会堂が人で一杯だったよ」陶円方「うん、僕も見た。みんな、周総理の死去を悲しんでいたね。あの模様は、日本など外国でも大きく報道されたそうだ。周総理が亡くなって、これからどうなるのだろう?」宋哲元「いや、まったく分からない。政治は混迷するのかな・・・鄧小平副総理が弔辞の中で『団結して、大きな勝利を勝ち取ろう』と言っていたが、党の幹部が団結するなんてまったく見通しが立たないよ。あの四人組が...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』ー6

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』ー5

    第5場<それから数日後、鄧小平の家に葉剣英・党副主席兼国防部長(78歳)が訪れてくる。彼は卓琳に居間に案内され、鄧小平と話し始める>鄧小平「これはこれは、副主席、用があれば私の方からそちらへ伺ったのに」葉剣英「いや、一刻も早く相談しなければならないから。周総理の死去にはみんなが悲しんでいる。それで、あなたは筆頭副総理だから、追悼大会の“弔辞”の準備を始めているんでしょうね」鄧小平「もちろんですとも。いま、いろいろ考えています」葉剣英「それはけっこうだ。ところが昨日、あの張春橋が私のところへやって来て、私に弔辞をやってくれないかと言ってきたのだ」鄧小平「えっ、そんな・・・」葉剣英「もちろん私は断った。つまり、四人組はあなたに絶対に弔辞を読ませないように、いろいろ画策しているんだね」鄧小平「そうですか、それは驚きま...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』ー5

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』ー4

    第4場<1976年1月8日の夜。江青の家の書斎に、江青と張春橋、王洪文の3人がいる。姚文元は他の用事があって欠席>江青「今年は何が起きてもおかしくないわね。だから、私たちも体に気をつけてこの冬を越しましょう」張春橋「春節(注・旧正月のこと)は楽しく過ごしたいですね」王洪文「上海へ行って旧友たちと賑やかにやりたいな~」張春橋「君は若いからエネルギーが余っているのだろう。ほどほどにしないといけないぞ!(笑)」江青「ホッホッホッホ、王洪文同志は元気がいいですね。うらやましい」王洪文「いや、そう願っているだけです。北京にいると息が詰まってくることもあるので、馴染みの上海で羽を伸ばせないかと思っているだけですよ(笑)」張春橋「そうだな、上海はいいなあ~、知り合いも多いし遠慮がいらないから」(その時、書斎の電話が鳴る)江青...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』ー4

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見た・激動の1976年』まとめ(連載中)

    <まえがき>この戯曲は中国現代史劇・第1部『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場<1975年12月の某日。北京・中南海にある江青の居室。江青(61歳)のほかに、張春橋(58歳)、王洪文(40歳)、姚文元(44歳)が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中>江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてください」江青「ホッホッホッホ、私は大丈夫、ま...中国現代史劇・第2部『天安門は見た・激動の1976年』まとめ(連載中)

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』③

    第3場<1975年12月の下旬、北京・中南海にある鄧小平の居宅。鄧小平(71歳)が居間で、妻の卓琳(59歳)とウーロン茶を飲みながら話している>鄧小平「周総理の容体は相当に厳しいようだな。また、お見舞いに行かなければ」卓琳「そんなに危ない状態なのですか」鄧小平「うむ、もう2~3カ月というところか・・・医者がそう言っている」卓琳「また、政情が不安になるのですか」鄧小平「たぶん、そうなるだろう。あの“四人組”がいろいろ画策しているようだから。毛主席にも最近何か進言したらしい。主席はバランス感覚があるからそこは上手に采配すると思うが、周総理が亡くなったら、私の立場も微妙にならざるを得ない」卓琳「あなたは筆頭副総理ではありませんか。順序から言えば、あなたが周総理の後を継いでなんらおかしくはありません。党の長老たちもそれ...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』③

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』②

    第2場<1975年12月の某日、北京・海淀区(かいでんく)の学生街にある大衆食堂。北京大学の学生・宋哲元が、友人である精華大学の学生・李慶之と会食している。2人は楽しく談笑中、背後に数人の学生の姿が見える>宋哲元「本当に久しぶりだね。ところで、君のご両親や妹さんは元気に過ごしているの?」李慶之「ああ、元気にやってるよ。父は少し老けた感じだが、母は元気そのものだ。妹はいま受験勉強中で頑張っているよ」宋哲元「そうか、それはけっこうだ。うちも両親や弟、妹とも元気にやってるよ。健康が一番だね」李慶之「うん、そうだね。ところで、大学の授業の方はどうなの?」宋哲元「僕は経済や管理学の方だけど、まあ面白いかな。君は理系だけど何が専門なの?」李慶之「建築関係だよ。特に都市計画などに興味があるね」宋哲元「そうか、僕は理系の方はま...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』②

  • 中国現代史劇・第2部 『天安門は見ていた・激動の1976年』

    <まえがき>この戯曲は中国現代史劇・第1部『文化大革命』の続編である。対象の期間は1975年12月末から1989年6月(第2次天安門事件)にかけてだ。史実に基づいてはいるが、戯曲のため創作・フィクションであることをご了解願いたい。なお、登場人物や参考文献などについては、後日まとめて表示する予定である。(2020年10月12日)第1幕・・・“四人組”の権勢と周恩来の死第1場(1975年12月の某日。北京・中南海にある江青の居室。江青のほかに張春橋、王洪文、姚文元が集まっている。4人はテーブルを囲んで歓談中)江青「この冬は特に寒いわね。みなさん、お体に気をつけてくださいよ」張春橋「私たちは大丈夫です。江青同志こそお体に気をつけてください」江青「ホッホッホッホ、私は大丈夫、まだやらなければならないことが沢山ありますか...中国現代史劇・第2部『天安門は見ていた・激動の1976年』

  • 9月8日(火)

    きょうは3カ月に1回の定期健診で病院に行く、特に異常はなかった。大型で強い台風10号は朝鮮半島の方へ去ったが、このところ、北朝鮮が台風被害の模様をテレビ中継しているのが面白い。以前はなかったことだが、国民生活を重視しようということか。自民党の総裁選がきょう告示されたが、ここに来て、にわかに「衆院解散」の話が取りざたされている。新政権が発足する来週以降に注目。新しいノートパソコンを息子がセットしてくれたが、まだ慣れないし、わからないことが多い。ヒューレットパッカード社のものだが、いろいろ試していくしかない。9月8日(火)

  • 印象に残った政治家たち

    記者時代、何百人もの政治家や秘書たちに接したが、その中で印象に残る人たちを列挙してみた。☆最も心優しく円満だった人・・・谷垣禎一さん☆最も礼儀正しく好印象だった人・・・石破茂さん☆最も話が面白かった人・・・園田直さんと竹入義勝さん☆小柄だが最も迫力のあった人・・・野中広務さん☆大柄で怖い感じがした人・・・黒柳明さん☆態度が大きくて参った人・・・藤尾正行氏☆最も人間的な幅があると思った人・・・金丸信さん☆何がなんでも行動する人・・・浜田幸一さん☆とても無口で居づらくなった人・・・石橋政嗣さん☆とてもせっかちで早口だった人・・・田中角栄さん☆最もインテリ風だった人・・・宮澤喜一さん☆最も貫録と風格があった人・・・佐藤栄作さん☆とにかく格好がよかった人・・・中曽根康弘さんと小泉純一郎さん☆初の女性首相になると思ったが...印象に残った政治家たち

  • 9月3日(木)

    自民党の総裁選は菅、岸田、石破の3氏の争いに絞られることになった。始めは混戦になると思っていたが、党内の大多数の派閥が菅氏を支持し、党員投票がなくなったことで菅氏の勝利が確定的になったようだ。なんだか面白くないな~(笑)一方、野党も“合流新党”が今月中旬、新党首を選ぶという。昔、レーニンは「働く女性ほど美しいものはない」と言ったが、安倍首相も女性の活躍を讃美している。権力者、為政者には何か“思惑”があるようだが、スーパーのレジなどで働く女性を見ていると、つい声をかけたくなる。もっとも、彼女たちは日々の生活に追われているのだろう。大型の強い台風10号が今週末、九州に接近するそうだ。要注意。9月3日(木)

  • 8月31日(月)

    8月も今日で終わるが、相変わらず蒸し暑い日が続く。安倍首相が28日に健康問題で辞任を表明、自民党は一気に総裁選の渦中に放り込まれた。今のところ、菅官房長官や岸田政調会長、石破元幹事長らが次期総裁候補に挙げられているが、状況はまだ混沌としている。焦点は両院議員総会で決めるのか、党員を含めた投票を行なうかにかかっている。明日の総務会で日程が決まるとか・・・いつになったら『首相公選制』が実現するのか!?パソコンの調子が悪いので、新しいのに替える予定だ。最近、生きているのが“面倒くさく”感じることがある。もちろん、自殺はしたくないが、同じ年配(80歳前後)の中にはそう感じる人もかなりいるとか。8月31日(月)

  • 『私は貝になりたい』

    〈以下の記事を復刻します。〉CSテレビで映画『私は貝になりたい』(2008年)を見たが、実に良かった。主演の中居正広、仲間由紀恵も素晴らしかった。この物語はあまりにも有名だが、何度見ても涙がこぼれてくる。昔、フランキー堺主演のテレビドラマが最初だったが、ドラマ史上に画期的なものだった。あれからテレビそのものが認知されたのではないか。「生まれ変わるなら人間にはなりたくない。牛や馬にもなりたくない、人間にいじめられるから。私は貝になりたい。貝なら、海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もないから。兵隊にとられることもない。戦争もない・・・」戦争の悲惨さをこれほど切実に表わした言葉はない。(2013年1月某日)『私は貝になりたい』

  • 8月22日(土)

    たまには日記をつけないとボケてしまうので何か書こう(笑)わがボロ屋の書斎は雨漏りがするので、昨日、業者さんに修復してもらった。しかし、これで万全かどうかは分からない。大雨の日には要注意。将棋の藤井聡太棋聖が4連勝で王位戦も制し、18歳になったばかりで二冠を達成、八段にも昇段し大変な話題になっている。天才、いや神才か。八冠も夢ではない。今日、TBS系の『サワコの朝』に白鴎大学教授の岡田晴恵さんが登場した。感染症が専門だが、コロナ騒動で岡田さんほど毎日テレビに出演している人はいない。子供向けの感染症のカルタや絵本が面白かった。DVD・映画を片っ端から観ているが、最近、良かったと思ったのは第2次大戦直後のドイツのハンブルクを背景とした『モーガン夫人の秘密』と、邦画では北海道開拓の先駆者・依田勉三を描いた『新しい風』だ...8月22日(土)

  • 8月16日(日)

    今日も猛暑が続く。浜松などで軽く40度を超えた。昨日は親戚とお盆で集まり近くの「木曽路」で食事、客はかなりいたが店のコロナ対策は十分な感じだった。次は年末に集まる予定。うちの“鬼ババア”と小遣いアップの交渉をしたが、今の月額6万円は据え置きのままになった。この夏はシャツやズボンなどの購入にだいぶ金がかかり(太ったので)、弁当代や酒代などで少し赤字になった。しかし、財布のヒモを握る鬼ババアは「あんた、貯金があるでしょ」と言って“賃上げ”を拒否した。まあ、賃下げにならなくて良かったか・・・スマホで孫たちとラインをやっているが、まだまだ不十分だ。孫たちに迷惑をかけないよう続けるつもり。8月16日(日)

  • 8月9日(日)

    昨日は、ソ連の対日参戦75周年の日だと言ったら老妻に笑われたので書かなかったが、そういう日なのだ。しかし、広島、長崎への原爆投下は100年たっても、いやそれ以上たっても語り継がれていくべきだ。新型コロナウイルスの発祥元は中国の武漢である。だから、俗に『武漢ウイルス』と言われても仕方がないだろう。この件で、中国政府首脳が一言「ご迷惑をかけた」と言えば、対中感情は少しは和らぐはずだ。英断を期待する。コロナ禍で自宅待機が長くなると、ゲームをやる時間やタバコの本数が増える。気をつけよう。任天堂のゲーム機がバカ売れだとか。近所のスーパーの女性が気になるが、なかなかアタックできない。どうしようか、もう一度作戦を考えよう(笑)最近見た古い邦画の感想・・・『この街の命に』は動物の愛護と処分の“葛藤”が心に残る。犬や猫は人間が思...8月9日(日)

  • 8月3日(月)

    8月に入り関東地方はようやく梅雨が明けた。長い梅雨の期間だった。今日は快晴の素晴らしい天気、気温は軽く30度を超えたようだ。大相撲7月場所は、幕内どん尻の元大関・照ノ富士が2度目の優勝を飾った(13勝2敗)。照ノ富士は怪我に苦しみ大関陥落後序二段にまで降格、一時は引退も考えたようだが、その後不屈の闘志でカムバックし今回の優勝に至った。こんな力士は他にいない。まことにあっ晴れと言う以外にない。再び大関、横綱を目指して欲しい。「やれば出来る」の見本のようなものだ。コロナ禍は全国に広がっているが、日本は重症、死亡が他の先進国に比べ極めて少ない。これは大いに誇れるものだ。ただし、油断は禁物、“長期戦”の覚悟で頑張っていこう。8月3日(月)

  • 閑さや岩にしみ入る蝉の声

    〈2014年7月に書いた以下の記事を復刻します。〉朝テレビを見ていたら、予備校の有名な林先生が松尾芭蕉の俳句について語っていた。面白そうなので聞いていたら、『奥の細道』の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」について語っている。私は俳句に興味がなく批判的だが、この句が山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれたことは知っている。というのは53年前、学生時代に東北地方を旅行した時に立石寺に立ち寄ったからだ。そこで、がぜん興味がわいて話に聞き入ったが、面白かったのはこのセミは何の種類かで論争が巻き起こったことである。有名な歌人・斎藤茂吉はアブラゼミだと主張し、ドイツ文学者・小宮豊隆はニイニイゼミだと反論した。対立したまま結論が出なかったため、後日、斎藤茂吉が現地調査などをしたところ、芭蕉が句を詠んだのは太陽暦で7月上旬であり...閑さや岩にしみ入る蝉の声

  • 7月31日(金)

    11月もきょうで終わり。コロナ禍は全国に広がっているが、経済のことを考えれば妙策はない。どうなる日本・・・また雨が降ってきた。梅雨はいつまで続くのか。気象予報士は「間もなく明ける」とずっと言ってきたが、まったく当てにならない。歯医者で入れ歯の後始末をする。問題はないが、話す時に多少の違和感が残る。大相撲7月場所は白鵬が2敗で後退、1敗の朝乃山と照ノ富士が優勝をかけてきょう対戦する。新旧両大関の対決は見ものだ。世の中はテレワーク、オンラインの時代だが、人間は「集まる」ことに意義があるのだろう。7月31日(金)

  • 「君が代」は国歌として失格。新国歌の制定を!

    <以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の被災地を慰問されるのを見ると、...「君が代」は国歌として失格。新国歌の制定を!

  • 呪われたネズミ年

    今年はネズミ年コロナウイルスの忌まわしい年だ呪われたネズミ年!年賀状にミッキーマウスのスタンプを押したのにこんな有り様になるとは・・・もうネズミは大嫌いだ!ミッキーマウスも大嫌いだ!(7月27日)呪われたネズミ年

  • 7月23日(木)

    東京のコロナ新感染者が366人、過去最多となった。今日から4連休、Gotoトラベルが叫ばれているが、コロナ禍も怖いのであまり遠くへは行けないか。それに梅雨で天気が悪い。毎日、雨が降っている状況だ。Gotoトラベルは東京を除外、また現場でいろいろ混乱も起きそうなので、Gotoトラブルだそうだ(笑)。まあ、4連休をなんとか乗り切って欲しい。いま大相撲の中継を見ているが、観客がいつもの4分の1程度に抑えられ寂しい感じだ。しかし、中止にならなくて良かった。大関に昇進した朝乃山の活躍に注目、目下4戦全勝だ。7月23日(木)

  • 昔の公明党の幹部たち(その10・終り)

    夫婦そろって議員だった人も忘れられない。国対委員長などを務めた渡部一郎氏夫妻だが、奥さんの通子さんは非常に“生活実感”のある質問をしていた。たしか予算委員会に大根などの野菜類を持ち込み、時の佐藤栄作首相たちに鋭く迫ったのだ。大根などを委員会に持ち込むなんて、それまでの国会では考えられないことだった。正に国民生活に根ざした公明党の政治姿勢だったのだろう。最後に、当時は若手のホープと言われた大久保直彦(なおひこ)さんと二見伸明(のぶあき)さんのことだ。小生にとって、2人とも早稲田大学の先輩である。大久保さんはすでに他界されたが、当時の矢野書記長にはずいぶん可愛がられたようだ。国会での質問を前に、矢野氏から質疑応答の“模擬試験”をじっくりとやらされたいう(笑)。彼は私に、同窓だった自民党の河野洋平氏にぜひ会って欲しい...昔の公明党の幹部たち(その10・終り)

  • 昔の公明党の幹部たち(その9)

    拙披露宴に出席のお願いをした時、浅井さんは始め大阪での予定が入っているので難しいと言っていたが、最後になってようやく了解してくれた。出るつもりはあっても、わざと焦(じ)らしたのだろうか(笑)。それは分からないが、私は感謝の意を表した。もう1人、民社党の国会議員・麻生良方(よしかた)さんにも出席をお願いした。私は主に公明、民社両党を担当していたので、どうしてもお二人には出て欲しかったのだ。麻生さんはすぐに快諾してくれたが、彼は仲人の石川士郎さんの親友だったからそうなったのだろう。もう故人になられたが、麻生さんとの思い出は数多くある。ただし、公明党の話をしているので、ここでは失礼しよう。浅井さんの次に忘れられないのが、党の政策審議会長を長らく務めた正木良明(よしあき)さんだ。この人は作詞家としても活躍されただけあっ...昔の公明党の幹部たち(その9)

  • 7月17日(金)

    梅雨冷えだ、いつまで続くのか。未明や早朝、深夜はストーブをつけている。将棋の『棋聖戦』で17歳11カ月の藤井聡太七段がタイトルを獲得、大変な話題になっている。敗れた渡辺明前棋聖がブログで「負け方がどれも想像を超えている」と述べたとか・・・AIも通じない驚くべき天才が現れた。地元の愛知県瀬戸市はお祭り騒ぎだ。彼なら8大タイトルを制するだろう。首都圏を中心にコロナ禍がさらに拡大している。在宅の時間が長くなると、タバコの本数が増えるみたい(いかんね)。また、ゲームの時間も増えた。DVD・映画を見る時間も。7月17日(金)

  • 昔の公明党の幹部たち(その8)

    話がそれたが、“眼鏡事件“”から少したった頃だろうか、私は議員宿舎でまた矢野氏に会った。しかし、これは担当記者としてでなく、通りがかりにふと立ち寄ったのだ。その頃社内で政経デスクをしていた私は、暇を見ては国会や議員宿舎周辺をぶらぶらしていた。それで矢野さんの所に立ち寄ったのだが、本当は事前に了解を取ってお邪魔するのが筋である。ところが、図々しいというか、記者根性丸出しの“礼儀知らず”というか、私は急に矢野さんに会いたくなってお邪魔したのだ。しかし、彼は嫌な顔をせず私を迎え入れてくれた。ちょうどその時、地元の大阪からお客さんが2人ぐらい来ていたが、私は矢野さんと1時間近く話し込んだ。何を話したかは覚えていないが(どうせ政局のことだろう)、一つ気になる点があった。それはお邪魔してから帰るまで、矢野さんは一度も私の顔...昔の公明党の幹部たち(その8)

  • 7月13日(月)

    この1週間、東京や首都圏では新型コロナウイルスの感染者が相当に増えているが、経済への影響もあるので緊急事態宣言などは発令されていない。やむを得ないだろう。東京では4日連続で200人以上の感染者が出ている。九州を中心とした大雨による被害は死者、行方不明が80人以上、豪雨禍はまだ拡大するかもしれない。今年はコロナ禍のネズミ年、ネズミの『ミッキー・マウス』が大嫌いになった!最近見たDVD・映画の中では『奇跡のリンゴ』(無農薬リンゴのこと)と『ガリレオ』シリーズが良かった。東野圭吾“先生”はミステリーの巨匠か。ついて行くのに頭が疲れる(笑)7月13日(月)

  • 昔の公明党の幹部たち(その7)

    Tさんの後のキャップ・Sさんと、ある日、赤坂だかの議員宿舎に矢野氏の夜回り取材をしたことがある。政局や国会の話を短時間したと思うが、彼はすぐに話題を変えて言った。「Sさん、あなたは囲碁が強いと聞いているが、どうですか、一局やりませんか」Sは囲碁が好きなので、断る気にもなれず黙っている。すると、矢野さんはさっさと囲碁盤を持ってきて先手で黒石を打った。私は横で見ているだけで、取材に来たというのに矢野氏にまんまと“してやられた”感じだ。囲碁に興じる彼の表情はとても楽しそうだ。腕前はSの方が上だが、矢野さんは嬉々として戦っている。こうして1時間ぐらいが過ぎただろうか、勝負はもちろんSが制したが、対局が終わると矢野氏が言った。「いや、楽しかったよ。今日はこれまで」それでSと私は議員宿舎を後にしたが、彼の別の一面を見たよう...昔の公明党の幹部たち(その7)

  • 中産階級の復権を図れ!(でも、それは無理かな?)

    〈2007年2月に書いた以下の記事を復刻します。〉1)21世紀に入って、日本は「格差社会」が進行したと言われる。いろいろの統計からそう言われるのだろうが、生活実感からも格差が進んでいると思ってしまう。一方で金持ちが高級車やブランド品、ぜいたく品を買いあさり、他方で庶民は安売りスーパーや100円ショップに群がっている。どんな時代にも、どんな社会にも“格差”は存在する。格差自体は当然のことかもしれない。しかし、戦後の日本は最も格差の少ない社会だと言われてきた。それはどういうことか。私なりに考えれば、それは膨大な数の「中産階級」(あるいは「中流家庭」)が存在していたからだと思う。「中産階級」とは中間層とか、マルクス主義用語では別名“プチ・ブルジョア”と呼ばれる階層で、社会の中間的位置にあるものと一般に理解されている。...中産階級の復権を図れ!(でも、それは無理かな?)

  • 昔の公明党の幹部たち(その6)

    竹入委員長のことで忘れられないのが、1971年9月の党大会の最中に、暴漢に襲われ重傷を負った事件だ。日本は戦後、この種の“政治テロ”が極めて少なく、公明党としても初めての出来事だったろう。私はその日、党大会の取材を終えて南浦和(現さいたま市)のアパートに帰ると、結婚して間もない新妻が大声を出して言った。「大変よ、竹入委員長が暴漢に刺されたんですって!」それを聞いて、私はすぐに党大会の会場に戻った。いろいろ周辺取材をしたが、翌日だったか、党員を前に矢野書記長が入院中の竹入氏の症状などについて報告した。それによると、彼は一命をとりとめたものの重傷だという。矢野書記長のくわしい報告は忘れたが、犯人は『矢島(やじま)』だと言った。矢島だって?自分と同じ名字(矢嶋)ではないか!それで、このテロ事件は余計に忘れられないもの...昔の公明党の幹部たち(その6)

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