chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/04/12

arrow_drop_down
  • 明治17年・秩父革命(6)

    第4場[10月下旬のある晩、上吉田村にある日下の家。藤吉がそっと忍び込んでくると、母のミツと妹のハルが驚いた表情で迎える。]ミツ「藤吉・・・大丈夫なの?」藤吉「うん、何とかやっている。二人とも元気だった?」ミツ「こちらは大丈夫だけど、お前のことが心配で夜もおちおち眠れなかったよ」ハル「兄さんったら何の連絡もないし、言(こと)付けでも良いからしてくれれば安心するのに」藤吉「ごめん、なにせ追われる身だからね。もっぱら群馬や長野に潜伏していたんだ。ところで、加藤さんから面倒を見てもらってる?」ミツ「ええ、それはとても。当座のお金も貸してくれたのよ」藤吉「それは良かった」ハル「母さんも私も働きに出るわ。加藤さんに早くお返しをしないと」藤吉「うん、あの人は“高利貸し”じゃないから助かるね。僕が何もして上げられなくて...明治17年・秩父革命(6)

  • 『戒石銘』(かいせきめい)

    三度読んで三度泣いた碑文がある。福島県の二本松城にある「戒石銘」の碑文である。戒石銘の碑意訳すると「お前ら(藩士たち)がいただく俸禄は、民の汗と脂の結晶である。人民は虐(しいた)げやすいが、神を欺(あざむ)くことはできない」というものだ。この碑文の精神を体すれば、全ての官僚・公務員は立派な“公僕”になれる。そして、あらゆる“税金泥棒”や“年金泥棒”は姿を消すだろう。戒石銘・・・http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page001312.html『戒石銘』(かいせきめい)

  • 私のプロフィール

    1941年(昭和16年)9月新潟市に生まれる。現在83歳、埼玉県所沢市に在住。妻、2男1女があったが、次男は2022年3月に死亡。孫4人。血液型・O型、身長・165センチ、体重・58キロぐらい、老眼病歴と手術・・・大腸ガン、脳梗塞、前立腺肥大、胃潰瘍、肺浸潤など1964年早稲田大学第一文学部を卒業(専攻はフランス文学)、フジテレビジョンに入社2001年フジテレビジョンを定年退職。以後、自由な思想・創作活動に入る著作・・・小説『青春流転』『青春の苦しみ』『サハリン物語』『若草物語』『かぐや姫物語』『新・安珍と清姫』『啓太がゆく1部・2部・3部』『落城』『SNSと老人』『ある同窓会』『17歳の別れ』『1984年11月14日(グリコ・森永事件)』『たそがれ社員』など戯曲『文化大革命』『血にまみれたハンガリー』『...私のプロフィール

  • 山口百恵さんと松田聖子さん

    <2021年12月に書いた以下の記事を復刻します。>ふと、山口百恵さんと松田聖子さんのことを書きたくなった。そうは言っても、私は芸能界や歌の世界についてはまったく素人なので語る資格はない。しかし、なにか語りたくなったのでお許し願おう。一老人、一国民としてなんでもいいから話したくなったのだ。少し調べてみると、2人は1980年(昭和55年)ごろを軸に、国民的なアイドルとして人気を集めた。百恵さんは歌手、女優として有名だったが、この年の10月、日本武道館でのファイナルコンサートを最後に、俳優の三浦友和氏と結婚していさぎよく芸能界を引退した。最後の生放送は大変な話題となり、また、自叙伝『蒼い時』は200万部を超える大ベストセラーになったという。とにかく、国民的な関心を呼んだのだ。一方、聖子さんは1980年4月にレ...山口百恵さんと松田聖子さん

  • サハリン物語(19・最終回)

    ヤマト帝国軍やサハリン軍が、旧都・トヨハラの一帯を完全に征圧したのは数日後のことでした。シベリア軍は主に西海岸の方へ撤退し反攻の機会をうかがうことになります。しかし、スターリン皇帝らは自信をもって臨んだシベリア艦隊が完敗したことに衝撃を受けていました。特に、あの「飛行船」の猛威はショックでした。ヤマト帝国がこれまでにない最新兵器を開発していたことに、してやられたと思わざるを得ません。戦いは振り出しに戻った感がありました。こうした中で、マトリョーシカらにとって最大の悲劇が訪れようとしていました。反転攻勢に出た人民義勇軍は、サハリン正規軍と協力して敵を追撃しました。マトリョーシカらの一隊も、マオカ(真岡)に退却したシベリア軍を追っていましたが、ある日のこと、敵兵を見失ったのです。それは敵の“罠”だったのでしょ...サハリン物語(19・最終回)

  • 「88」はハイル・ヒトラーだって

    <以下の文を復刻します>テレビの報道によると、ドイツなどヨーロッパでは極右のネオ・ナチズムが台頭しているようだが、気になる映像があった。それは鉤十字・卐(ハーケンクロイツ)とともに、「88」の数字が落書きされていたことだ。調べてみると、これはアルファベットの8番目が「H」のため、88はH・Hでハイル・ヒトラーの隠語だそうである。同様に18はアルファベットの最初のAとHが組み合わさり、アドルフ・ヒトラーの意味になるそうだ。ネオ・ナチの勝手な隠語だと無視したくなるが、アメリカのある家庭用品メーカーが洗剤のマーケティングで、ドイツでこの88をうっかり使ったところ、商品の変更に追い込まれたというから物騒な話になってしまった。ところで日本では、この88がけっこう人気なのだ。8は末広がりを意味するからもちろん良いが、...「88」はハイル・ヒトラーだって

  • サハリン物語(14)

    マトリョーシカの一行は南部の旧首都・トヨハラで一泊した後、今の宗谷海峡を越えてヤマト帝国の北海道に入りました。その後も気球は順調に南下していきましたが、彼女やマリアは異国の風景に目を見張るばかりです。ほとんどが山林や田畑などですが、気温がどんどん暖かくなっていくのを実感しました。数日後に、気球はヤマト帝国の首都がある今の奈良盆地に到着しました。ナターシャと夫のスサノオノミコトが出迎えましたが、彼はすっかり美しく成長したマトリョーシカを見て驚いたのです。10数年ぶりの再会になりますね。あの頃、彼女はまだ幼児でしたから。ナターシャらに導かれ、マトリョーシカとマリアは国の“迎賓館”に案内されました。迎賓館と言っても静かな佇まいで質素なものです。そこで思わぬ女性がサハリン語で話しかけてきました。びっくりしたマトリ...サハリン物語(14)

  • サハリン物語(9)

    ノグリキの王宮では、ツルハゲ王とカチューシャ王妃が不安な日々を送っていました。王夫妻は、娘のリューバ妃と孫のマトリョーシカのことがいつも気になっていましたが、どうしようもありません。ツルハゲ王は時々後悔していました。カラフト国と和平を結んでいれば、今ごろ娘や孫とも会えたかもしれません。和平のチャンスは何度もあったのです。それがシベリア帝国などの甘言に乗せられ、サハリン統一王朝を実現しようと戦いを起こしたのが大動乱の始まりでした。しかし、あの頃は「娘のリューバを返せ」が大義名分だったので、父親としては当然だったかもしれません。ところが、シベリア軍が半分以上も帰国したため、今やロマンス国は大変な危機に陥ってしまったのです。運が悪いと言えばそれまでですが、ツルハゲ王の胸の内には、ひょっとしたら「降伏」もという思...サハリン物語(9)

  • 『ブルー・シャトウ』

    1967年(昭和42年)当時はグループ・サウンズの全盛時代だったが、この年、レコード大賞に輝いたのが、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』だった。グループ・サウンズは、他にもザ・スパイダースやザ・タイガースなど有名なものが幾つかあったが、私は特にブルー・コメッツが好きだった。それはある日、某テレビ局の地下通路で彼らとばったり出会ったからだろうか(笑)それはともかく、ブルー・コメッツの歌の中でもこの『ブルー・シャトウ』は今でも忘れられない曲だ。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ-ブルーシャトウ-1967『ブルー・シャトウ』

  • ド・ゴールは偉大だった

    〈以下の記事を復刻します。〉以前は、何か小論文を書こうと思ったらすぐに書けたが、最近は「集中力」が無くなってきたのか書けなくなった。歳だ(笑)。ド・ゴールについて書こうと思っても書けない。アルジェリアの独立を認めたド・ゴールは偉大だった。左翼や中道政権がアルジェリアの独立を認めても、フランスは分裂、内戦状態になってしまう。ド・ゴールは右翼や国粋派、軍人らから再三にわたって暗殺されそうになったが、屈しなかった。民族自決の理念を彼は尊重した。それが世界の良識だったのである。もし、アルジェリア戦争を起こしたら、フランスはもっと疲弊し困窮しただろう。ド・ゴールはそれを知っていたのだ。右翼や国粋派に推されて政権に就いたのに、彼はその陣営にくみしなかった。だから“裏切り者”として命を狙われたのだ。しかし、本当の意味で...ド・ゴールは偉大だった

  • 『ガード下の靴磨き』

    宮城まり子の歌を載せたくなった。この曲は1955年(昭和30年)にリリースされたものだが、敗戦後10年たっても、まだ“靴磨き”があったのだろうか。宮城さんの歌声は明るくのびのびとしていた。彼女はのちに肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」をつくり、身体障害児の養育に一生を捧げた。そして、2020年(令和2年)に亡くなられたのである。享年93歳。ガード下の靴磨き宮城まり子『ガード下の靴磨き』

  • “少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

    <以下の記事を復刻します。>新聞でもテレビでも、記者になったら一日も早く現場で仕事がしたいだろう。私もテレビ局入社後、報道に配属された時にそう思った。ところが、内勤の仕事などが長く続いてなかなか外へ出してくれない。早く記者クラブに出たいと希望を言うのだが、3年半ぐらい内勤の仕事をしていた。ようやく26歳になった頃、人事異動で「警視庁記者クラブ」への配属が決まった。私は嬉しくなって「よしっ、やるぞ!」と思ったが、初の外勤なので不安も一杯あった。旧国鉄の有楽町駅から徒歩で、初めて警視庁へ行った時のことは忘れられない。旧庁舎は灰色がかった厳めしい建物で、そこに入る時は身が引き締まる思いがした。すぐにキャップの指示で、殺人・強盗などを担当する捜査1課と、窃盗などを担当する捜査3課を受け持つことになった。それから取...“少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

  • 『高校三年生』

    1963年、舟木一夫のデビュー曲が「高校三年生」だ。今でも学園ソングの定番だそうだが、この曲を録音した当時、舟木自身も高校三年生だったという。自分が高校3年の時は、アメリカに留学する彼女を横浜港から見送ったことが今でも忘れられない。“日本の歌百選”にも選ばれているが、歌詞の中のフォークダンスというのがとても懐かしい。http://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc『高校三年生』

  • 『少年時代』

    真夏になると、いつも『少年時代』の歌を思い出す。同名の映画のテーマソングだが、井上陽水が平成2年(1990年)に作詞・作曲したものだ。映画の原作は遠い昔、太平洋戦争時代に富山に疎開したある少年の物語だが、陽水の音楽は幻想的、象徴的で詩情豊かなものになっている。YouTubeに素晴らしい映像があったので、拝借することにした。少年時代井上陽水『少年時代』

  • “書痙”に苦しむ

    <以下の文を一部修正して再録します。>現役時代は恥ずかしくて言えなかったが、私は一時期、書痙(しょけい)という神経症に悩まされたことがある。書痙とは、明鏡国語辞典によると「文字を書くことを仕事とする人に多い職業神経症で、手に痙攣や麻痺(まひ)、疼痛(とうつう)などが起こり、書字が困難になる」とある。したがって、文筆家や速記者、代書人らに多く見られるそうだ。現役時代、私は主にテレビ局の報道記者の仕事をしていたからか、この書痙に悩まされた。30代の終わり頃のある日、外勤記者の原稿を電話で受けようとしたら、突然右手が震え出し、原稿を取ることができなくなった。傍にいた同僚が見かねて、私と代わってくれたのが始まりである。誰かが腱鞘炎(けんしょうえん)だろうと言っていたが、その晩、みんなと酒を飲みに行っても憂鬱だった...“書痙”に苦しむ

  • <詩> 幸せな自転車

    僕は新品の自転車だ今日も元気いっぱい!先日美しいお嬢さんが僕を買ってくれた毎朝お嬢さんが僕を運転してくれる柔らかい両手が僕の“両手首”を握りしめるそれにお嬢さんの暖かい体が僕を包んでくれるかぐわしい息吹が漂ってきて僕はもう有頂天だ優しい運転で僕はスイスイと走る信号待ちになるとお嬢さんがいたわってくれるそして発車オーライまた僕は走り始める行き交う人々がお嬢さんと僕を見つめたますます元気が出てくるスイスイと軽やかに走るやがてお嬢さんと僕は会社に着いた自転車置き場で長~い休憩時間に入った僕は少し疲れたが満足感でいっぱい!周りの自転車を見ると色とりどりだ古いの新しいの・・・形もさまざま新品の僕は「皆さんどうぞ宜しく」と声をかけるゆっくり休んでいると夕方になったお嬢さんのお出ましだこれから帰宅の途へ柔らかい両手と暖...<詩>幸せな自転車

  • 『デジタル的思考』の浅はかさ ?

    <2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オールオアナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝...『デジタル的思考』の浅はかさ?

  • 過去の記事(11)

    ⑪松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」。カネ、カネ、カネの中国社会。「検察審査会」のデタラメは許さない!検察審査会のオソマツ。アジア大経済圏構想。パーキンソンの法則と役人。マルキストなら感動する場面。松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門翁である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから2年前、民主...過去の記事(11)

  • 過去の記事(10)

    ⑩“ヤスケン”さんの死を悼む。呪われた原子力船「むつ」。自然エネルギーと経済発展。文明の発達と少子化。疑わしきは罰する・推定有罪。松島やああ松島や松島や。日中戦争を画策!?アメリカの大謀略か“ヤスケン”さんの死を悼む1)“ヤスケン”こと安原顯(あきら)さんが先日、肺ガンで死去した。63歳だった。彼は、その道では大変有名な雑誌編集長であり、みずから「スーパーエディター」と豪語していた。ネット上で彼のホームページ(編集長日記)などを読むと、自分のことをよく「天才」だと言っていた。相当、自信があったのだろう。実は、私はヤスケンのことはよく知らない。ここ何ヵ月か、彼のホームページを時おり見ていた程度だ。それなのに、どうしてこの拙文を書くかというと、彼は大学時代の同窓生(早稲田大学・仏文科)という縁である。(ちなみ...過去の記事(10)

  • 松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

    <以下の記事を原文のまま復刻します。>松永安左エ門翁タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚ど...松永安左エ門翁いわく「官僚は人間のクズだ!」

  • アメリカへのコンプレックス・劣等感

    <以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢名古屋にも入ってきた。私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであ...アメリカへのコンプレックス・劣等感

  • 永遠の人

    あなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる100億年の宇宙の中で一瞬のこの時を共にできる幸せああ永遠の人よ私の女神よこれは奇跡ではないのかこの世に生まれこの世を去る一瞬の灯りの中の命よそれは儚(はかな)くても永遠の光に満ちている宇宙の彼方まで愛よ命よ灯りに群がる羽虫のように私は息づくこの世は夢か幻か今日も儚い命がひたすら生きる一瞬の中に永遠を願い永遠の中に憩いを求めてあなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる永遠の人

  • 過去の記事(4)

    ④諸悪の根源は「官僚支配」だ!土地は誰のものか。大宅壮一さんのこと。日本共産党はなぜ伸びないのか。アメリカこそ世界最大の戦争国家だ!諸悪の根源は「官僚支配」だ!昨日は、わが所沢市(埼玉県)へやって来た友人・Y君と一杯飲んだ。所沢では、年に4回ぐらい大規模な“古本市”が開かれるが、ジャーナリストで作家のY君は必ずと言っていいほどやって来る。その度に居酒屋で一杯やるのが通例だが、昨夜も飲みながら大いに議論した。先日、私は「一観光客」として北朝鮮へ旅行したのだが(以下、朝鮮と記す)、朝鮮通のY君は手ぐすねひいて待っていたのか、びしびしと追究してくる。彼はもの凄い知識人で、私よりもはるかに多くのことを知っている。何でも知っている感じだ。したがって、だいたい私がやり込められることが多い(笑)。でも、勉強にはなる。Y...過去の記事(4)

  • <まとめ> 啓太がゆく(全編)

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/028f248b3f1ee86c9aed42aababd6d84http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/7db32a06e1cd806143ffd739c2750378http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/2e841f88bcc8a4a528b605332337ac50http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0f1df2f3bcba8ce03babd12ec5f9e875http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro...<まとめ>啓太がゆく(全編)

  • 啓太がゆく ⑰(警視庁の記者時代・最終回)

    ちょうどそのころ、同僚の坂井則夫が婚約したと聞いて、啓太は多少うらやましく思った。相手は、日ごろ付き合っているSHIRAYURI(白百合)女子大卒のお嬢さんだ。「則ちゃんは順調にいったね。おめでとう、うらやましいよ」「いや~、僕は啓ちゃんより年上だからね。そろそろ年貢の納め時だよ、はっはっはっは」「年貢の納め時か、よく言うね。いつごろ結婚式を挙げるの?」「そうだね、秋口かな」啓太と坂井のやり取りを聞いていた辰野が口を挟んできた。「山本君はどうなんだ、好きな子がいるんだろ?」「いや、僕はまだですよ。坂井君と違って相手がいないから」「結婚なんて“出会い頭”にするようなもんだ。考えたって仕方がない。ヨーイドンで走り出すようなものさ」「そんなものですか」辰野キャップは2年前に結婚したばかりである。ごく若いころ女性...啓太がゆく⑰(警視庁の記者時代・最終回)

  • 啓太がゆく ⑫(警視庁の記者時代)

    (15)1968年・昭和43年キャップとのトラブルがあったあと、啓太と草刈の関係は多少の緊張感があったものの平穏に推移した。お互いが注意深く気をつけようと思ったのだろう。そして、大した事件・事故も起きずに年末を迎えた。啓太はたまたま大晦日が泊まり勤務だった。前にも述べたが、泊まりはNIPPONテレビ、NETテレビと交代で行なっていたが、その日はFUJIテレビの番だったのである。大晦日だろうと別に大したことではない。むしろ年末年始勤務は特別手当などがつくから、啓太のような“チョンガー”の若造にとってはありがたいくらいだ。大晦日の晩、TOKYO放送の泊まりは井上一馬だった。この局はラジオのニュースもあるため毎晩誰かが泊まっている。この日は小さな火事が1件あったので井上はラジオ用に短い原稿を送っていたが、あとは...啓太がゆく⑫(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑧(労働組合騒動)

    そうして数日がたつうちに、啓太は25歳の誕生日を迎えた。誕生日といっても別にどうってことはない。ああ、そうかという感じだが、このテレビ局は変わった会社でいちいち「記念品」などをくれる。社長の陣内は、そうしたことに気を配るのだろう。家族主義的な会社経営が彼の方針だからだ。大きなガス爆発事故で例の討論集会は1週間延びたが、その日、ほぼ全員が出席して集会が開かれた。2階の会議室に20数人の社員が集まったが、その中に新入りの高畑伸子が含まれていた。彼女は人事部から移ってきた“庶務担当”の社員で、半年前に入社したばかりの新人だ。庶務の仕事が増えてきたのと、古参の滝川和江が半年後に25歳の定年を迎えるので、補充の人事だったのだろう。報道部の社員は20数人だが、他にKYODOテレビの関係者が70数人いるから、庶務の仕事...啓太がゆく⑧(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ④(仕事と恋とレジャー)

    そして、昭和41年・1966年を迎えた。国外ではベトナム戦争が激しくなり、アメリカ軍の北ベトナム空爆がいっそう拡大した。また、隣の中国では「文化大革命」という大衆運動が勃興してきたが、これは得体の知れないなにか不吉な予感を与えるものだった。しかし、日本国内は“ミニスカート”が登場するなど一見して平和でのどかな感じである。そうしたある日、五代厚子と石黒からスキーに行こうという誘いがあった。また、同期の小出からもスキーの誘いがあったが、啓太は忙しさを理由に断った。忙しいだけでなくどうも乗り気がしない。みんなと行くのもいいが、自分だけの遊びがしたいという欲求がまた持ち上がったのだ。啓太は再び○✕風呂へ通い始めた。今度は石浜らに覚られないように、ごく内密に行くようになったのである。一方、五代や石黒、小出らはスキー...啓太がゆく④(仕事と恋とレジャー)

  • 『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の...『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

  • 『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

    <2015年7月12日に書いた以下の記事を復刻します>スポーツの国際試合の時によく『君が代』が演奏されるが、どうせなら『君が代行進曲』の方が良いのではないか。『君が代』は荘重だが、なにか“お通夜”か葬儀のような雰囲気だ。それに比べると『君が代行進曲』の方は元気や勇気が湧いてきて、よしっ、やるぞっ!という気分になる。また、躍動感に溢れている。以前、サッカーで有名な中田英寿選手は、『君が代』について「気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と言って歌わなかったそうだ。まったく同感である。君が代行進曲/KimigayoMarch『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

  • 『伊勢佐木町ブルース』

    1960年代の後半は青江三奈の全盛時代だったが、この歌は昭和43年(1968年)にリリースされミリオンセラーとなった。冒頭の“色っぽい吐息”は有名だが、青江の可愛らしい色気は多くの男性ファンを魅了した。私はそれほどでもなかったが(?)、某先輩は青江がテレビに出てくると、それこそ首ったけになって画面にかじりついていたことを思い出す(笑)『伊勢佐木町ブルース』のヒットを記念して、その歌碑が横浜市中区のイセザキモールに建てられている。“ご当地ソング”の代表的なものだろう。青江三奈-伊勢佐木町ブルース『伊勢佐木町ブルース』

  • 歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

    史劇・『天安門は見ていた』のこれまでの主な資料です。他にもちろん、SNSからの情報などもありますが、新たな資料が入れば追って紹介する予定です。歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

  • 『天安門は見ていた』第1部⑥ 胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

    第6幕・・・胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ第1場(1986年の8月下旬、ホンコン(香港)の繁華街を宋哲元と李慶之が並んで歩いている。2人は妻や幼い子供をホテルに残して散策中だ。)宋哲元「盂蘭盆(うらぼん)になると、ホンコンも大勢の人で賑わうね。僕らのような観光客が多いということだ」李慶之「そうだな、混んでるから、子供たちをホテルに置いてきて良かったよ。ところで、君は9月からまた大学に戻るんだね」宋哲元「うん、社会学を専門にやるよ。アメリカで大いに学んだからね」李慶之「1年間の留学が実を結んだわけだ。良かったな」宋哲元「君は都市工学系の公司(こんす)に入るの?」李慶之「うん、そのつもりだが、まだはっきりしない。なにせ志望者が多いから、競争率が大変なんだ」宋哲元「そうか、改革・開放の路線が上手くいっている...『天安門は見ていた』第1部⑥胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

  • 『天安門は見ていた』第1部② 第1次天安門事件と鄧小平の失脚

    第2幕・・・第1次天安門事件と鄧小平の失脚第1場<2月中旬、北京市の郊外にある鄧小平の仮住まい。失脚した彼は、卓琳夫人と共にここに隠れ住んでいる。そこへ、長年の友人である趙刻明(ちょうこくめい・50歳ぐらい)が訪れてきた。彼は四川省出身で、某新聞の記者である>趙刻明「やあ、しばらくですね。ここに緊急避難ということですか?」鄧小平「党や政府の職務をすべて解任されたからね。もう“御用済み”ということだ(笑)」趙刻明「以前のように地方へ下放(かほう)されるよりはマシでしょう。あの時は紅衛兵に何をされるか分からなかったですからね」鄧小平「うむ、そうだね。あの時よりはマシかな」趙刻明「ところで、四人組はあなたの党籍をはく奪しようとしたんですって?」鄧小平「そうらしい。しかし、毛主席がそれだけは駄目だと断ったようだ」...『天安門は見ていた』第1部②第1次天安門事件と鄧小平の失脚

  • 『青春時代』

    1976年(昭和51年)にリリースされた曲で、作詞は阿久悠、作曲は森田公一で、森田自身とトップギャランが歌った。発売から半年でミリオンセラーになったという。メロディーもいいが、阿久悠の歌詞が素晴らしい。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」「胸に刺(とげ)さすことばかり」だと聞くと、自分の青春時代をつい思い出してしまう。青春には大いに失恋や挫折などがあるだろう。しかし、それを乗り越えて前に進むしかないのだ。今の若い人たちは、この曲を聴いたらなんと思うだろうか。森田公一とトップギャラン《青春時代》1976年(原音)『青春時代』

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるかもしれないが、私は表現の違いにこだわるのだ。端的に...鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

    <以下の記事は2002年3月28日に書いたものですが、原文のまま復刻します。>辻元清美さん(2009年当時)1)これほどパフォーマンスが豊かで、これほど自分勝手な、また往生際の悪い政治家も珍しい。社民党の辻元清美さんが、元政策秘書の給与不正流用疑惑の責任を取って、議員辞職した。疑惑が発覚してから1週間、テレビ、新聞などマスコミは完全に彼女に振り回されていた。また、社民党自体も、最後の方は彼女にキリキリ舞いさせられていたようだ。予定されていた記者会見はすっぽかすし、土井党首ら党幹部の説得も蹴飛ばして、自分勝手にテレビに二度も出て、言いたい放題なのだ。こう言うと叱られそうだが、テレビを見ている方としては、おもしろいと言うか、痛快と言うか、“笑劇”を見ているようだった。さぞや、関係者は苦労しただろうと察する。議...辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

  • 『ブルー・ライト・ヨコハマ』

    1968年(昭和43年)12月にリリースされた曲で、横浜市の“ご当地ソング”ではナンバーワンの人気を誇る。作詞は橋本淳、作曲は筒美京平、歌ったのはいしだあゆみ(本名・石田良子)で当時20歳だった。発売されるやいなやすぐにミリオンセラーとなり、いしだあゆみはまたたく間に人気者になった。とても歌いやすい曲で、自分も新宿・歌舞伎町界隈のスナックバーなどでよく歌ったものだ。海なし県の埼玉にいると、海がある横浜は憧れの地だ。何度も横浜には行ったが、今でも友人や知人がいて親しく付き合っている。この歌を聴いていると、また遊びにでも行くか・・・(笑)いしだあゆみブルーライトヨコハマ『ブルー・ライト・ヨコハマ』

  • 一言集(12・最終回)

    ☆命長ければ恥多し☆育児こそ最も崇高な行為である。そこに“愛”があるから☆デジタルは知性アナログは感性その調和が大切だと思う☆旧統一教会などの邪悪な「反日宗教」は許せない!良い宗教は残すこと、悪い宗教はぶっつぶせ!☆疫病と戦争は決してなくならない。残念だが・・・☆女性がマスクをしていると、みんな美人に見える(笑)。いや、美人に思える。これは“想像力”の問題だろう☆日本は全ての国から愛される国であってほしい☆SNSが歴史をつくる、SNSの時代がやって来た!☆AIに今日も負けたかへぼ将棋、AIにたまには勝つよへぼ将棋☆浦和(うらわ)の逆は「わらう」「笑う」である☆革命家か俳優になりたいと思っていたが、なれなかった。生まれ変わったら、最も苦手な『物理学者』にでもなりたい。一言集(12・最終回)

  • 一言集(11)

    ☆平和な時代に、英雄は要らない。むしろ邪魔だ。凡人だけで良い。乱世の時代にこそ、英雄は必要である☆一瞬=永遠☆上には上があり、下には下がある☆今の皇居を国民に開放し、皇室は『京都御所』に戻ろう☆愛は大切だが、正義も忘れてはならない☆自衛隊は「国土警備隊」「国土防衛部隊」になれ!もちろん、尖閣諸島も守るんだ!専守防衛で進め!☆ある日突然、世界中に平和がやってきたら・・・と夢想する、妄想する☆スピノザはレンズ磨きで、ルソーは譜面づくりで生計を立てたという。大天才でもそうなら、凡人はどんな「仕事」でも文句はないはずだ☆人間には“意地”というものがある☆お世辞や冗談を言えるのも、一つの才能だ☆地球への感謝父母への感謝先祖への感謝☆孫は最も可愛い一言集(11)

  • <詩> ある日本兵の死

    ここは一体どこの島だインドネシア方面に送られてきて名前も知らない島を転々とさせられいま俺はヤシの木陰の下息を引き取ろうとしているこれが運命なのかなんと哀れな運命だこれが戦争なのかアメリカ兵と一度も戦うこともなくいま俺は朽ち果てようとしている食うものもなく飢え死にしそうだその上マラリアにかかったのか高熱が退かない栄養失調と熱病に弱り果てた俺には立ち上がる気力もないああ恵子よ今どうしているのかお前と結婚してからわずか2年二人の間に生まれた百合子は元気に育っているのか幼な子もようやく一歳になったはずだ百合子の顔を見たいヨチヨチと歩き始めただろうか出征する時生まれたばかりのお前は母の胸に抱かれてスヤスヤと眠っていたな軍用列車に乗って出発する時万歳の声や「勝ってくるぞと勇ましく」の軍歌が湧き起こるとお前はびっくりし...<詩>ある日本兵の死

  • アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

    <以下の文は2009年10月9日に書いたものですが、一部修正して復刻します。>昨日の記事で私は、アメリカの軍需産業が不況の中でも好景気に沸いている話をしたが、よく考えるとそれは当然ではないかと思ってしまう。なぜならアメリカの経済自体が、戦争と軍需産業に頼っている面が大きいからそうなるのだ。アメリカは絶えず「戦争」に頼ってきた。19世紀のことはよく知らないが、20世紀に入ると第1次世界大戦が起き、アメリカは一気に景気を回復し、大戦が終わると一転して不況に陥った。そして、第2次世界大戦の時も参戦して不況を乗り切り“戦争特需”にあずかったのである。その戦争経済体質は非常に明らかで、「軍産複合体」というのは、アイゼンハワー元大統領が、1961年1月の退任演説で指摘したものである(末尾にウィキペディアの記事をリンク...アメリカこそ世界最大の“戦争国家”ではないか

  • 一言集(2)

    ☆戦争は人類にとって最悪の行為である☆脳死状態そのものが、人間の「尊厳」を冒涜するものではないか?☆戦争とは、一部の人間(“死の商人”や軍需産業など)の利益にはなる。しかし、大多数の人間の利益にはならない。いや、大多数の人に損害をもたらすものだ☆理想=夢がなくなったら、この世は終りだ☆謙虚さは良いが、卑屈になってはいけない☆礼の中に心あり☆言葉は“全人格”である☆世論とは、マスコミによって作られるものなのか・・・☆真理は時々「少数」の中にある一言集(2)

  • 青春の苦しみ(10)

    12)1963年・昭和38年新しい年・昭和38年を迎えた。行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け衣装は豪華けんらんを極め、ぜひ一度まぢかで見たいと思っていた。それは歌舞伎の美しさの頂点を極めるものであった。その時、行雄は、大柄で色白の百合子が揚巻を演じたらどうなるだろうかと、勝手に空想したものだ。それは恍惚とした艶やかさの極致を想わせるものであった。それ以来、百合子と二人だけで「助六」を見るのが彼の夢となっていたのだが、...青春の苦しみ(10)

  • 青春の苦しみ(5)

    5)恋文冬休みに入ると、行雄は百合子との関係をなんとか打開しなければと焦ってきた。しかし、妙案があるわけではない。電話で話しても、自分の気持を十分に伝えることは極めて難しい。思い切って彼女の自宅を訪れようかと考えたが、そうする勇気もないし、彼女だって自宅に来られるのは断るに違いない。どうしてよいか分からず、行雄は悶々たる気持で数日を過ごしたが、そのうちにある考えが固まってきた。百合子に心から謝罪し、自分の真心を伝える手紙を出すということだった。それ以外に良い方法はないだろう。行雄は決意を固め、クリスマスの二日後に百合子宛の手紙を書いた。それは敗軍の将が全面降伏し、勝った敵将の許しと憐れみをひたすら懇願するような内容のものとなった。「・・・十一月七日、僕は登校時に君の天使の微笑みを見てから、頭がフラフラにな...青春の苦しみ(5)

  • 『森の水車』

    〈以下の文を復刻します。〉荒井恵子さんと言っても若い人は知らないだろうが、1950年代に活躍した歌手である。その彼女が80歳で亡くなった(2010年6月18日)のをつい最近知ったが、荒井さんの最も有名な歌『森の水車』を思い出した。早速ネットで調べてみたら、彼女の歌声よりも他の歌手の方が多く出ており、この中に大女優・高峰秀子が映画『秀子の車掌さん』で歌うものがあった。この映画は1941年(昭和16年・小生が生まれた年)の作品で、高峰はまだ17歳とういういしい。懐かしくなったので『森の水車』をアップしてみる。https://www.youtube.com/watch?v=6F9c_Wlk0nE『森の水車』

  • 青春の苦しみ(4)

    4)白昼夢十一月下旬の早稲田祭が近づいた頃、行雄は、中野百合子が歌舞伎研究会のサークル活動をしていることを思い出した。彼女は入学した時からサークル活動をしていたようで、教室でも時々、歌舞伎の話しをしていたことを行雄は覚えている。彼は歌舞伎にそれほど興味はなかったが、歌舞研(歌舞伎研究会)ももちろん早稲田祭に参加しているので、それを縁にぜひ百合子に接近したいと考えた。早稲田祭が始まる前日、行雄は意を決して荻窪の彼女の自宅に電話をかけた。大きな期待と小さな不安で心臓がドキドキしたが、電話口に出た百合子の母親の声は明るく、とても感じが良かったので行雄は胸をなで下ろした。百合子を呼び出してもらうと、彼女の弾んだ声が受話器の向うから流れてきた。「まあ、村上さん、なんの御用でしょうか」「うん、どうも。あしたから早稲田...青春の苦しみ(4)

  • <まとめ> 青春流転

    過去の小説をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。早稲田大学のキャンパス(2018年6月撮影)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0a92fcbf70cde312f68d5e282d742bc8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/564060ae124cff08c99eda50356f1cf0http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/1f0bc47dd1c0b2407c8c9f9a46b05a55http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/51bb23997be14f3968d8401554f181d7http://blog.go...<まとめ>青春流転

  • 青春流転(17・第1部完)

    彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。)プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天文博物館に入る。やがて場内が暗くなると、丸天井のスクリーンにいろいろな星座が映し出され、解説者の声が聞こえてきた。「わあ~、きれい」と子供達の歓声が上がる。北極星を中心に小熊、大熊、カシオペヤなどの星座が光を放つ。美しい。宇宙の生命と神秘の中に引きずり込まれていくようだ。季節ごとに、次々と星座が映し出されていく。うっとりと...青春流転(17・第1部完)

  • 青春流転(10)

    9)国会突入笹塚らと議論した翌日、行雄は早速、大川に会ってアナーキズムについて問題提起をしてみた。彼は行雄の話しを一通り聞いた後で、次のように語った。「村上君、笹塚は理想論ばかりを言っているんだよ。悪いけど、プチブルのたわ言だね。それより、僕らはマルクス主義について、まだ完全に熟知していない。マルキシズムを十分に理解していない者が、どうしてアナーキズムを云々することができるだろうか。君がもしマルキシズムに疑問を持つのなら、“クロカン”や本多さんにいろいろ聞いてみたらいいじゃないか」大川が行雄の問題提起に応じなかったので、彼はそれ以上話すのを止めた。仕方がないので、これから自分一人でアナーキズムを研究していこうと思ったが、行雄は、自由を尊重するこの思想に本能的に何か惹かれるものを感じていた。丁度その頃、ソ連...青春流転(10)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、矢嶋武弘の部屋さんをフォローしませんか?

ハンドル名
矢嶋武弘の部屋さん
ブログタイトル
矢嶋武弘の部屋
フォロー
矢嶋武弘の部屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用