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矢嶋武弘の部屋 https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro

沖縄は独立せよ!

941年生まれ。早大仏文科卒、フジテレビに就職、定年退職後、自由な思想生活に入る。 好きなもの⇒孫、美人、空想(妄想)、歴史、映画、音楽、インターネット、旅行、散歩

矢嶋武弘の部屋
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2015/04/12

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  • 明治17年・秩父革命(9)

    第19場[11月2日午後、武甲山の麓の坂道。伊藤栄郡長と郡役所の役人数人が、大きなカバンやふろしき包みを持って歩いている。彼らは制服を脱ぎ捨て、農民の身なりをしている。]伊藤「やれやれ、酷い目に遭ったものだ。大宮郷を暴徒どもに占領され、逃げ延びるだけとは情けない」役人1「郡長、これからどちらへ向かいましょうか?」伊藤「このまま名栗村(なぐりむら)へ行くしかないだろう。あそこはまだ安全だろうから、とにかく村役場を訪ねてみよう。それより重要な書類、印鑑などは全て持ってきただろうな?」役人2「はっ、何せ緊急事態でありましたので、全てとはいきませんが出来るだけ多く持ってきました」伊藤「仕方がない、役所で“うろうろ”していたら暴徒どもに殺されるだけだ。公証簿を全て運び出そうと思ってもそれは無理だ。君達は良くやってく...明治17年・秩父革命(9)

  • 相合い傘

    <以下の文を復刻します。>ある人から「相合い傘」について質問があったが、これは“死語”ではない。今も相合い傘は生きている。しかし、なんと傘の種類や本数が増えたことか!今はビニール傘や使い捨ての傘、置き傘などが沢山ある。傘があり余っている。それに天気予報で、気象予報士がしょっちゅう傘の有無を話題にする。傘がいっぱいだ!昔のことを言うとまた笑われそうだが、傘は貴重品だった。子供が多いと、傘を持たない子もいた。「雨々降れ降れ母さんが蛇の目のお迎えうれしいな~」という歌もあった(蛇の目は傘の一種)。それほど傘は大切なものだった。だから、しょっちゅう相合い傘の風景が見られ、それは日常的だった。相合い傘はいいものである。子供のころ、好きな女の子と相合い傘になったことがある。それを“悪がき”に冷やかされたものだ。相合い傘

  • 女性は「体裁」を重んじる?

    <2010年8月に書いた記事を一部修正して復刻します。>今日、ある方のブログを訪問したら面白い記事が載っていた。『世論調査はウソ?』という題だが、その中に、アメリカのある香水メーカーが女性たちに「どんな香水を好みますか?」と質問したところ、圧倒的多数の女性が“清潔感のある香り”だと答えたというのだ。そこで、この香水メーカーは要望通りの香水を作ったのだが、全く売れなかったという。この話には笑ってしまった。そこで、ふと思い出したのが、私が昔勤務していた○○テレビのアンケート調査のことである。ある情報番組(ワイドショー)の担当者である先輩が、女性が関心や興味を持つ話は何だろうかと思い、アンケート調査をした。こういう調査にはもちろん金がかかるが、視聴者の考えを知ることは大切なのでよくやることだ。そうしたら、教養、...女性は「体裁」を重んじる?

  • 明治17年・秩父革命(8)

    第14場[11月2日午前、小鹿坂峠に近い音楽寺(札所23番)の境内。田代、加藤、菊池、井上ら困民党の幹部の他に、大勢の農民が勢揃いしている。]田代「諸君、我々はいま小鹿坂峠を越えた。眼下には大宮郷が広がり、秩父の山々全体が我々の前途を祝っているようではないか。武甲山の頂きは美しい紅葉に彩られ、荒川はゆったりと流れてわが軍勢の進撃を待っている。この美しい秩父は我々のものだ。間もなく、偵察隊の合図が出たら大宮郷へ進撃しよう!」加藤「我々の軍勢はすでに数千人に達している。この大部隊が進軍すれば、大宮郷は立ち所に我々の掌中に入ってしまう。ここを押さえれば秩父郡だけでなく、やがて埼玉県全体を解放することができるだろう。そうすれば、貧窮に喘ぐ農民は全て救われるのだ!」菊池「昨夜からの動員は順調に進んでいる。農民もその...明治17年・秩父革命(8)

  • 明治17年・秩父革命(7)

    第7場[10月31日午後、風布(ふうっぷ)村の路上。大野苗吉、大野長四郎、木島善一郎の他に、農民多数が参集している。多くの者が白鉢巻きに白たすき姿で、手に手に刀や槍、猟銃を持っている。]苗吉「みんな、ついに決起する時が来たぞ~っ!いいか、われわれはこれから秩父の中心を目指して進撃する。すでに、大野福次郎君らの先発隊は荒川へ向って進んだが、警官隊と衝突し逮捕者が何人も出ているという。ぐずぐずしてはいられない!ただちに行動を起こそう!」農民達「おーっ!」「戦うぞーっ!」「敵を倒せーっ!」「高利貸しをぶっ殺せーっ!」長四郎「俺達は金尾村から駆けつけた。これは風布と金尾の連合軍だ!隣にいる木島さんが、朝からここの金比羅(こんぴら)山でノロシを打ち上げたんだ!同志達が続々と集まっている、決起の日は明日だったがもう待...明治17年・秩父革命(7)

  • 五月の歌(Mailied・ゲーテの詩)

    若き日のゲーテドイツの大詩人・ゲーテが満21歳のころに作った詩。青春の恋心と自然の情景がこれほど見事に融合した詩は滅多にない。そして、生きる喜びを高らかに謳っているのだ。大好きな詩である。訳者は大山定一氏で少し古い印象を受けるが、そのまま載せておこう。『自然はうつくしくわれに燃え太陽はかがやき野辺はわらう小枝に咲きみつる花々しげみを洩るる鳥のこえわが胸にわくよろこびおお大地よ太陽よおお幸福よ愉悦よ恋よ恋よ片岡の朝雲のあかねさすうるわしさよみがえる野面に立ちこめしむらさきの靄(もや)のいろ少女よ少女よひとえにわれは愛す黒き汝(なれ)が瞳を汝(なれ)もまたわれを愛するかな揚げ雲雀の歌と空を朝ごとの花の微風を愛するがごとくわれはあたたかき血もて汝(なれ)を愛すわれに青春と歓喜とあたらしき歌と舞踏をおくるものとこ...五月の歌(Mailied・ゲーテの詩)

  • アメリカの銃乱射事件

    <2022年5月26日に書いた以下の記事を復刻します>アメリカのバイデン大統領が日本訪問を終えて帰国する直前に、テキサス州の小学校で銃の乱射事件が起き、児童19人と教師2人が死亡した。犯人は18歳の男子高校生でその場で射殺されたというが、まことに痛ましい事件である。バイデン大統領もすぐに「もううんざりだ」と述べ、銃規制の強化を急ぐ考えを表明した。しかし、アメリカでは果たして銃規制がスムーズに進むだろうか。大いに疑問である。なぜなら、アメリカの憲法は『権利章典』で「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文(修正第2条)があり、これはアメリカ市民の基本的人権に関する最も重要なものだからだ。また、アメリカは完全に“銃社会”であり、「全米ライフル協会」とか、もっと強硬な「米国銃所有者協会...アメリカの銃乱射事件

  • 酒飲み

    〈以下の記事は2009年11月の“元気な頃”に書いたものです。〉「酒は百薬の長」と言うが、それを良いことに私は毎晩酒を飲んでいる。だいたい夕方5時頃から食事を挟んで飲む。発泡酒、ビール、焼酎、日本酒、ワイン、ウィスキーなど何でもござれだ。必ず3~4種類は飲む。昨夜は発泡酒、日本酒、ワイン、焼酎だった。もちろん少量ずつだが、4種類も飲めばかなりの量になる。最近は飲み過ぎに注意しノンアルコール・ビールをたしなむこともあるが、これは酒ではない。匂いはビールとあまり変わらないが、清涼飲料水みたいなものだ。したがって酒量にはカウントしないが、なんだか(酒を)飲んだ気持にはなれる。のん兵衛とは困ったものだが、しかし、飲めるうちが“華”だと思っている。飲んでいる時の方が感覚が冴えて良い文章を書けることもある。他方、最近...酒飲み

  • 明治17年・秩父革命(6)

    第4場[10月下旬のある晩、上吉田村にある日下の家。藤吉がそっと忍び込んでくると、母のミツと妹のハルが驚いた表情で迎える。]ミツ「藤吉・・・大丈夫なの?」藤吉「うん、何とかやっている。二人とも元気だった?」ミツ「こちらは大丈夫だけど、お前のことが心配で夜もおちおち眠れなかったよ」ハル「兄さんったら何の連絡もないし、言(こと)付けでも良いからしてくれれば安心するのに」藤吉「ごめん、なにせ追われる身だからね。もっぱら群馬や長野に潜伏していたんだ。ところで、加藤さんから面倒を見てもらってる?」ミツ「ええ、それはとても。当座のお金も貸してくれたのよ」藤吉「それは良かった」ハル「母さんも私も働きに出るわ。加藤さんに早くお返しをしないと」藤吉「うん、あの人は“高利貸し”じゃないから助かるね。僕が何もして上げられなくて...明治17年・秩父革命(6)

  • 明治17年・秩父革命(5)

    第2幕第1場[10月下旬、長野県南佐久郡の北相木村。養蚕農家・菊池貫平の家に、萩原勘次郎と日下藤吉が訪れている。]萩原「初めまして、萩原勘次郎と申します。こちらは日下藤吉と言って、同じ秩父に住む若い者ですが、よろしくお願い致します」(藤吉、頭を下げる)菊池「こちらこそ、よろしく。さて、田代さんと言う方からの“使者”と聞いていますが、きょうはどういうご用件でしょうな」萩原「私は秩父の侠客・田代栄助の子分なのですが、実は田代を首領にいただいて、近いうちに農民達が決起することになりました。つきましては、菊池さんを始め長野県の方々にも、ご協力いただきたく参上したものです」菊池「ほう、それはまた大胆なことだ。それで、準備は整っているのですか?」萩原「すでに何人もの者がお伝えしていると思いますが、秩父では農民達の生活...明治17年・秩父革命(5)

  • 『戒石銘』(かいせきめい)

    三度読んで三度泣いた碑文がある。福島県の二本松城にある「戒石銘」の碑文である。戒石銘の碑意訳すると「お前ら(藩士たち)がいただく俸禄は、民の汗と脂の結晶である。人民は虐(しいた)げやすいが、神を欺(あざむ)くことはできない」というものだ。この碑文の精神を体すれば、全ての官僚・公務員は立派な“公僕”になれる。そして、あらゆる“税金泥棒”や“年金泥棒”は姿を消すだろう。戒石銘・・・http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page001312.html『戒石銘』(かいせきめい)

  • ジストニアと書痙

    <以下の文を一部修正して復刻します。>以前、スポーツ紙の芸能欄に、人気男性デュオ「コブクロ」のボーカル・小渕健太郎さんが、発声時頸部ジストニアを発症したという記事が載っていた。それによると、高い音域の声を出そうとすると、首周りの筋肉が異常に硬直してしまい、声が出しづらい症状が続いていたというのだ。私は「コブクロ」というフォークデュオを全く知らなかったが、興味を持ってさらに読んでいくと、ジストニアという病気の意味がだいたい分かった。ジストニアとは、ある動作をしようとすると、自分の意思に反して体の筋肉が異常に硬直する病気なのだ。そして、精神的ストレスが掛かった時などに症状がさらに強くなるらしい。(以上、「スポーツニッポン」の記事より)私はこれを読んで、ハッと我に返る思いがした。というのは、40年以上も前になる...ジストニアと書痙

  • 私のプロフィール

    1941年(昭和16年)9月新潟市に生まれる。現在83歳、埼玉県所沢市に在住。妻、2男1女があったが、次男は2022年3月に死亡。孫4人。血液型・O型、身長・165センチ、体重・58キロぐらい、老眼病歴と手術・・・大腸ガン、脳梗塞、前立腺肥大、胃潰瘍、肺浸潤など1964年早稲田大学第一文学部を卒業(専攻はフランス文学)、フジテレビジョンに入社2001年フジテレビジョンを定年退職。以後、自由な思想・創作活動に入る著作・・・小説『青春流転』『青春の苦しみ』『サハリン物語』『若草物語』『かぐや姫物語』『新・安珍と清姫』『啓太がゆく1部・2部・3部』『落城』『SNSと老人』『ある同窓会』『17歳の別れ』『1984年11月14日(グリコ・森永事件)』『たそがれ社員』など戯曲『文化大革命』『血にまみれたハンガリー』『...私のプロフィール

  • 『今日の日はさようなら』

    1967年(昭和42年)に森山良子の歌でリリースされ、非常にポピュラーな曲になった。作詞・作曲は金子詔一で、「日本の歌百選」にも選ばれている。以下の映像がとても印象的だったので、載せておきたい。今日の日はさようなら『今日の日はさようなら』

  • 明治17年・秩父革命(4)

    第11場[9月下旬、大宮郷警察署の署長室。鎌田署長らのいる所に、高岸善吉、落合寅市の他、数人の農民代表が入ってくる。]高岸「署長、きょうは最後のお願いに来ました」鎌田「さあ、どうぞ」(蒲田が席を勧めると、高岸、落合ら全員が着席する)高岸「すでに再三お願いに来ましたが、きょうは秩父28カ村の代表としてわれわれが参上したものです。各村の総代の委任状をここに持って来ました。従って、これが最終的な請願となりますので、お取り計らいのほどよろしくお願い致します」鎌田「うむ、これが最後とあらば、腹を割ってお話ししよう」高岸「まず、総代連名の請願書を持って来ましたので、署長にお渡しします。(請願書を鎌田に手渡す)そこに書いてあるように、何度もお願いしていることですが、第一点は農民が高利貸しや金貸し会社から借金しているもの...明治17年・秩父革命(4)

  • 明治17年・秩父革命(3)

    第6場[9月初旬、上吉田村にある日下庄右衛門の家。座敷に庄右衛門の遺体が横たわっており、妻のミツ、娘のハルが傍らで嘆き悲しんでいる。そこへ、息子の藤吉が慌ただしく駆け込んでくる。]藤吉「父さんがほんとに亡くなったのか!」ハル「兄さん、遅いじゃないの。これを見て・・・」(ハルが泣き伏す)藤吉「何ということだ。(遺体の側に駆け寄って)父さん!父さんたらっ!何で死んだんだ!」(暫く沈黙)ミツ「けさ、座敷の鴨居に首を吊っているのが見つかったんだよ。ほんとに可哀想に・・・」(ミツがむせび泣く)藤吉「畜生・・・山中のせいだ。あいつのせいで、父ちゃんは亡くなったんだ!くそっ、あの強欲ジジイめ」ミツ「きのう、山中の息子が督促に来てね、これが最後だと言って帰っていったんだよ。父さんは平然とした顔をしていたけど、観念したんだ...明治17年・秩父革命(3)

  • 『されど われらが日々ー』

    <以下の文を復刻します。>『されどわれらが日々ー』題名からして郷愁・ノスタルジーを感じさせてくれる。ご存知、柴田翔(しょう)さんの芥川賞受賞の小説だが、1964年の作品だからもう半世紀以上がたつ。何回も読んだが、読むたびに新たな感慨が湧く。こういう作品を名作と言うのだろうか。最近、また読んだ。いつも泣けてくるが、今回は不思議に涙が出なかった。頭が悪いのでディテールを忘れていることが多い。頭が悪いということは、新たな発見があるから良いことなのか(笑)。また、いくつか発見があった。主人公のフィアンセ・節子が婚約を破棄し、田舎の学校の英語教師として再出発するところは、いつもながら胸を打つ。いつも感動するところだが、今回は登場する若い女性の“ふしだら”な行状が多いことに気がついた。昭和20年代から30年代にかけて...『されどわれらが日々ー』

  • 山口百恵さんと松田聖子さん

    <2021年12月に書いた以下の記事を復刻します。>ふと、山口百恵さんと松田聖子さんのことを書きたくなった。そうは言っても、私は芸能界や歌の世界についてはまったく素人なので語る資格はない。しかし、なにか語りたくなったのでお許し願おう。一老人、一国民としてなんでもいいから話したくなったのだ。少し調べてみると、2人は1980年(昭和55年)ごろを軸に、国民的なアイドルとして人気を集めた。百恵さんは歌手、女優として有名だったが、この年の10月、日本武道館でのファイナルコンサートを最後に、俳優の三浦友和氏と結婚していさぎよく芸能界を引退した。最後の生放送は大変な話題となり、また、自叙伝『蒼い時』は200万部を超える大ベストセラーになったという。とにかく、国民的な関心を呼んだのだ。一方、聖子さんは1980年4月にレ...山口百恵さんと松田聖子さん

  • 『白いブランコ』

    1969年(昭和44年)、兄弟デュオ「ビリーバンバン」がレコードデビューした曲で、いきなり大ヒットした。http://www.youtube.com/watch?v=oFGhLfxEmxg『白いブランコ』

  • 明治17年・秩父革命(1)

    〈はじめに〉このレーゼドラマ(読むための戯曲)はフィクションではあるが、もとより史実に基づくことに留意している。私が最も参考にした著作は、「秩父事件」(井上幸治著・中公新書)と「秩父困民党」(井出孫六著・講談社現代新書)である。他の参考文献・ビデオ、映画などは以下の通りである。「秩父事件〈佐久戦争〉を行く」(上條宏之編・銀河書房)、「秩父コミューン伝説」(松本健一著・河出書房新社)、「秩父困民紀行」(浅尾忠男著・新日本出版社)、「女たちの秩父事件」(著者多数・新人物往来社)、「『明治』という国家」(司馬遼太郎著・日本放送出版協会)、小説「花埋(うず)み」(渡辺淳一著・角川文庫)、「参謀本部と陸軍大学校」(黒野耐著・講談社現代新書)、「図説日本の歴史14近代国家の展開」(編集責任者・小西四郎、集英社)、NH...明治17年・秩父革命(1)

  • 江戸川乱歩の『芋虫』にショック!

    <以下の文を復刻します。>文芸評論などは滅多にしないが、江戸川乱歩の短編小説『芋虫』については何か書かざるを得ない。ショッキングな小説である。一言で云えば“グロテスク”な嗜虐(しぎゃく)趣味の極致だろうが、なかなかこんな作品は書けるものではない。乱歩だから書けたのか。1929年(昭和4年)の作品というから、当時のエロ・グロ・ナンセンスの風潮を背景にしていたのか。それは分からないが、ミステリーと言うよりも猟奇小説、怪奇小説の類いだろう。内容は簡単に言ってしまえば、戦争で両手両足を失い、話もできず音声も聞こえない重度の傷痍(しょうい)軍人とその妻の物語である。戦前は戦争ばかりしていたので、戦死者ばかりでなくこういう傷痍軍人も多かったのだろう。今では考えられないことだ。この夫は視覚と触覚だけは無事だったが、あと...江戸川乱歩の『芋虫』にショック!

  • 電気あれこれ

    <この記事は2011年7月13日に書いたものです。>「電気予報」が毎日出る世の中だが(注・東日本大震災の直後だったから)、近代国家には電気が欠かせない。昔、ロシアの革命家・レーニンのことを何かの本で読んだことがあるが、革命を起こして政権を取った後、レーニンが最も頭を痛めたのが電気・電力のことだったと覚えている。革命を起こす前は電気のことなど全く関心がなかっただろうが、自分が新政権をつくり「為政者」になって初めて、電気の重要性を知る羽目になったようだ。レーニンはたしか、アメリカの電力会社の社長を招き、電気・電力のことをいろいろ教わったと記憶している。ロシア革命後の内戦や混乱の収拾も大変だったろうが、首相(人民委員会議議長)になればまず「電気」の確保が最大の課題だったのだろう。先月、北朝鮮を旅行してきたが、あ...電気あれこれ

  • フランスとフランス人

    <2015年11月18日に書いた以下の文を復刻します。>若い人はあまり知らないだろうが、フランスと言えば、戦後日本のいわば“憧れの的”だった。それは芸術や思想、学問だけでなくファッション、映画、シャンソン、グルメに至るあらゆる分野において憧れの的だったと思う。そして、多くの精神的分野において、日本と日本人に大きな影響を与えたはずだ。そのフランスがいま、イスラム過激派との“戦争状態”で揺れている。政治的、軍事的話は別にして、私自身もかつてフランスに憧れていたので、思いつくままに話を進めたいと思う。フランスには2度しか行っていないし、この国を私より知っている人は他に大勢いるだろう。しかし、何か書かざるを得ないのだ。個人的な感想で、支離滅裂なのでお許し願いたい。最もポピュラーな話から入るが、戦後、映画と言えばフ...フランスとフランス人

  • 『広瀬中佐』

    広瀬武夫中佐NHKの超大作テレビドラマ『坂の上の雲』(司馬遼太郎さんの原作)をDVDで見ていたら、日露戦争の冒頭で、旅順港の閉塞作戦中に戦死した広瀬武夫中佐の話が出てきた。するとすぐに、あの『広瀬中佐』の歌を思い出した。この歌は軍歌の中でも最も好きな歌である。個人的な話で恐縮だが、昔、私が某テレビ局に入社した際、職場で新入社員の歓迎会が行われた。会もたけなわになった頃、管理職の上司が好きな歌があったら歌えと言う。そこで、数人の新入社員がいろいろ歌っていったが、私の番になったので『広瀬中佐』を歌い出した。すると、楽しい場がなんとなく“白けた”雰囲気になったように感じた。それもそうだろう。今ごろ軍歌など歌う奴はそういない。しかし、この歌が大好きな私はお構いなく歌い続けて終わった。上司のMさんはやや呆れた表情を...『広瀬中佐』

  • 選挙報道の失敗談

    〈2014年12月3日に書いた以下の記事を復刻します。〉総選挙の公示で昔、テレビ局でいろいろな選挙報道を手がけたことを思い出した。大変だったが、今になれば楽しい思い出である。冬の選挙となると、雪の多い地域の取材は大変だった。ある時、たしか北陸地方や長野などを担当したことがあるが、短い期間に強行スケジュールで取材をしなければならない。ちょうどこの季節だったと思うが、長野県のある所で一泊し、北陸の方へローカル線で行く予定を立てていた。ところが、朝になるとこの地域一帯が“猛吹雪”となり、列車が不通になってしまったのだ。こうなると予定がメチャクチャに狂ってしまう。取材先を変更したり、列車時刻表と首っ引きで、遠回りして別の取材先に向かうなど苦労した。次の総選挙の時はたしか、東海地方や三重などに変えてもらったことを思...選挙報道の失敗談

  • 『サハリン物語』の背景とイメージ

    『サハリン物語』の背景は、まず分断された「南北朝鮮」がイメージとしてある。カラフト王国とロマンス王国がそれだ。次に、ヤマト帝国はもちろん日本、シベリア帝国はソ連邦、ないしはロシアである。ゲルマン帝国は当然ナチス・ドイツだ。スパシーバ王子やリューバ姫、マトリョーシカ女王らは完全に架空の人物で、スパシーバはロシア語で「ありがとう」、リューバは「愛」を意味する。マトリョーシカは有名な人形「マトリョーシカ」からとったものだ(リューバ姫とマトリョーシカ女王は、知人のロシア人女性を少しイメージする)。マリアとベラ、ナディアは、マリア・シャラポワ、べラ・チャスラフスカ、ナディア・コマネチらのスポーツ選手から名前を借りた。ヤマト帝国の皇帝イワレヒコノミコトは神武天皇、後の皇帝カワミミノミコトは綵靖(すいせい・すいの漢字は...『サハリン物語』の背景とイメージ

  • <まとめ> サハリン物語

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。サハリンの郷土博物館(ユジノサハリンスク)http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/35d73831cdeadad627897f278bb65974http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/80c7821795f4c82c4afc5262ad2b5d54http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/6ee26127da7c95e999d919d21635a446http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/ff529b4505da2aec6d63af3d8bcae632http://blog.goo...<まとめ>サハリン物語

  • サハリン物語(19・最終回)

    ヤマト帝国軍やサハリン軍が、旧都・トヨハラの一帯を完全に征圧したのは数日後のことでした。シベリア軍は主に西海岸の方へ撤退し反攻の機会をうかがうことになります。しかし、スターリン皇帝らは自信をもって臨んだシベリア艦隊が完敗したことに衝撃を受けていました。特に、あの「飛行船」の猛威はショックでした。ヤマト帝国がこれまでにない最新兵器を開発していたことに、してやられたと思わざるを得ません。戦いは振り出しに戻った感がありました。こうした中で、マトリョーシカらにとって最大の悲劇が訪れようとしていました。反転攻勢に出た人民義勇軍は、サハリン正規軍と協力して敵を追撃しました。マトリョーシカらの一隊も、マオカ(真岡)に退却したシベリア軍を追っていましたが、ある日のこと、敵兵を見失ったのです。それは敵の“罠”だったのでしょ...サハリン物語(19・最終回)

  • サハリン物語(18)

    ここでマリアやベラ、ナディアについてもっと詳しく述べたいと思います。マトリョーシカについては詳しく述べてきたつもりですが、他の3人については十分でありません。まずマリアですが、マトリョーシカの侍女として最も気心の知れた仲の良い娘です。叔母のカリンカの跡を継いで侍女になり、マトリョーシカとはほとんど行動を共にしてきました。「あなたは20歳になっても背が伸びるのね」とマトリョーシカにからかわれるほど、4人の中では最も背が高く190センチ近くもありました。大女ですね(笑)。次にベラですが、マトリョーシカの恋人・アレクサンドルの妹です。4人の中では最も優美で女らしく、その立ち居振る舞いは若い男性の憧れの的でした。兄妹そろって美男美女、こういう兄妹もいるんですね。最後にナディアです。ボーイッシュな風貌はマリアに似て...サハリン物語(18)

  • 私感・4大ブス女優(失礼!)

    <市原悦子さん、樹木希林さんが亡くなったのでご冥福をお祈りし、過去の記事を復刻します>昨日、たまたまNHKテレビを見たら泉ピン子が出ていたが、彼女は自分のことを何度か“ブス”と呼んでいた。確かにそうだが、今日はヒマなのでブスについて考えてみたい。ブスとは「醜女」と書くが、これを「しこめ」と呼ぶことが多い。要するに容貌が醜い女のことだ。泉ピン子は謙遜の意味も込めて自分を“ブス”と呼んだのだろうが、彼女は個性豊かで芸達者な女優だと思う。それで人気もあるし、能面みたいに無表情で、演技が下手な美人女優よりははるかに良い。そこで、日本を代表するブス女優は誰かと考えてみた。すると、2人の女優がす~っと私の脳裏に浮かんできたが、1人は樹木希林である。ところが、もう1人の名前がなかなか思い出せない。ボケてきたのだろう(笑...私感・4大ブス女優(失礼!)

  • 4大美人女優

    <以下の文は2013年11月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>先に4大“ブス”女優というのを選んだが、これは比較的簡単だった(笑)。しかし、日本の4大美人女優となると、これはもう候補がキラ星のごとくいて絞るのは極めて難しい。正直言って無理だ。したがって、あえて4人に絞るとなると“独断と偏見”が必要になる。つまり、個人的な意思が必要になることをご了承願いたい。前置きが長くなったが、30人ぐらいの候補から選ぶのは本当に難しい。したがって、美貌だけでなくその人の活躍ぶり、芸術性、人気度なども併せて評価するのが妥当だろう。そう考えると、まず第一に挙がってくるのが原節子だ(以下、敬称略)。戦前から活躍した大女優で、年配の者なら知らない人はまずいないだろう。日本人離れした美貌の持ち主だった。20世紀の映画...4大美人女優

  • 『 明日があるさ』

    1963年(昭和38年)にリリースされたが、作詞は青島幸男、作曲が中村八大で坂本九が歌った。今日が駄目でも明日があるさ、今年が駄目でも来年があるさと、この歌を聴くと“希望”が湧いてくる感じがする。歌詞もメロディーも大好きな曲だ。【歌詞付き】明日があるさ-坂本九『明日があるさ』

  • 「88」はハイル・ヒトラーだって

    <以下の文を復刻します>テレビの報道によると、ドイツなどヨーロッパでは極右のネオ・ナチズムが台頭しているようだが、気になる映像があった。それは鉤十字・卐(ハーケンクロイツ)とともに、「88」の数字が落書きされていたことだ。調べてみると、これはアルファベットの8番目が「H」のため、88はH・Hでハイル・ヒトラーの隠語だそうである。同様に18はアルファベットの最初のAとHが組み合わさり、アドルフ・ヒトラーの意味になるそうだ。ネオ・ナチの勝手な隠語だと無視したくなるが、アメリカのある家庭用品メーカーが洗剤のマーケティングで、ドイツでこの88をうっかり使ったところ、商品の変更に追い込まれたというから物騒な話になってしまった。ところで日本では、この88がけっこう人気なのだ。8は末広がりを意味するからもちろん良いが、...「88」はハイル・ヒトラーだって

  • サハリン物語(17)

    一方、サハリンではスターリン皇帝の決断など知る由もなく、ツルハゲ王が退位し、マトリョーシカがついに国王に即位することになりました。ツルハゲ王は体調が悪いばかりでなく、精神的にも疲れ切っていたのです。その上、スターリンに“不義理”をした責任を感じていました。いわば、責任を取る形で退位したのです。こうすれば、少しはスターリンに義理が果たせるとでも思ったのでしょうか。マトリョーシカの即位式には、ヤマト帝国からスサノオノミコトが代表として参列することになりました。妻のナターシャが里帰りしているので、ちょうど都合が良かったのでしょう。ところが、シベリア帝国の方は案内状を出しても、誰も来ようとはしません。ツルハゲ王もマトリョーシカも、スターリンがひどく怒っているなと察しました。しかし、この時点で、まさかシベリア軍がサ...サハリン物語(17)

  • 松島や ああ松島や 松島や(松尾芭蕉?)

    以前、俳句のことでいろいろ話したことがあるが、日本人はどうも「権威」や「形式」に弱い。今は民主主義社会だから、昔のように「お上」にひれ伏すことは少なくなったが、権威に弱い風習は未だに残っているようだ。そこで、以前取り上げた俳句の話を、もう一度書き直しながら論じていきたい。松尾芭蕉像(葛飾北斎の画)「松島やああ松島や松島や」という句がある。素人や俳句を始めたばかりの人がこういう句を作ったら、俳句の専門家や批評家は何と言うだろうか。たぶん「何だ、こりゃあ。こんなものが俳句か!」と一笑に付すのではないか。ところが、これは俳聖・松尾芭蕉の句だとなると、「こんなものが俳句か!」とはまず言わないだろう。つまり、素人が作ったか俳聖が作ったかで、評価が変わる可能性が高いのだ。これを「権威主義」と言う。実はこの句は、後世の...松島やああ松島や松島や(松尾芭蕉?)

  • 織田信長・日本史上、不世出の改革者

    〈以下の記事を復刻します〉織田信長の肖像画(三宝寺所蔵)織田信長については、実に多くの伝記や歴史小説が出ているので、ほとんどの人がその存在を知っていると思う。また、私などよりも、信長について詳しく知っている人は大勢いるはずである。従って、具体的な事例を示しつつも、むしろ私の“信長観”をできるだけ語っていきたいと思う。一言でいって信長は、日本史上、類例を見ない改革者であり、おそらく今後も、このような改革政治家は、二度と出現することはない存在と言えよう。そういう意味で、“不世出”の人物である。1)信長の奇行や残虐さはよく知られている。父・信秀の葬儀の時に、礼装するどころか、茶せん曲げの髪に袴もはかず、抹香を仏前に投げつけて、さっさと退場したことは有名な話だ。誰もが、尾張の大うつけ(大馬鹿者)と思ったにちがいな...織田信長・日本史上、不世出の改革者

  • 唾液腺が崩壊する時

    <2022年8月20日に書いた以下の記事を復刻します><はじめに>「旧統一教会」のことばかり考えていると、暗たんとした気持ちになる。救いようのない感じになるのだ・・・ほかになにか書くことはないかと模索していたら、唾液腺のことを思い出した。少し下品な話になるかもしれないがお許し願いたい。1)よく涙腺が崩壊して涙がとまらないと言うが、唾液腺ももちろん崩壊する時がある。私は医学的、生理学的なことには素人だが、今や老境に入ったので、自分の体験を話していきたい。唾液腺が崩壊した主な体験は3つある。まず、それは小学6年の時の“給食”の時間に起きた。育ち盛りの頃は誰でも経験しているだろうが、並んで給食を待っている時(当時は順番待ちで給食を受けた)、カレーライスなどの匂いがただようと、急に唾液が湧き上がり口中に広がった。...唾液腺が崩壊する時

  • サハリン物語(15)

    宴席ではシベリアの歌や踊りも披露されました。若い男女がかわるがわる歌ったり、みなで踊ったりとマトリョーシカを歓待したのです。スターリン皇帝はますます上機嫌になり、拍手をしたり大笑いしたりとご満悦の様子でした。「マトリョーシカ殿、どうですか。サハリンの歌でも踊りでもやってみませんか」スターリンがそう言うので、せっかくの勧めを断るわけにはいきません。マトリョーシカは歌も得意です。彼女は立ち上がると、サハリンの民謡を歌い始めました。なかなかの美声ですが、宴席の人たちはそれよりも、彼女の愛くるしい美貌に改めて見とれている感じです。民謡を歌い終えると、万雷の拍手が巻き起こりました。「いや素晴らしい、素晴らしい!ハラショー!」スターリンも盛んに拍手を送りました。こうして宴会は和やかに盛り上がりましたが、やがてスターリ...サハリン物語(15)

  • <復刻> みんな “コロナ”に負けるな!

    左翼も右翼も負けるな!中道も負けるな!みんな負けるな!新型コロナウィルスに負けるな!みんな頑張っていこう!!(2020年4月12日)<復刻>みんな“コロナ”に負けるな!

  • 映画『アレクサンドリア』

    <以下の文を復刻します>ヒュパティアの想像画久しぶりに素晴らしい映画・DVDを観た。『アレクサンドリア』という2009年のスペイン映画で、レイチェル・ワイズ(ヴァイス)が知的で美しい女性天文学者を演じる。ヒュパティアという4世紀から5世紀に実在した女性の話だが、彼女は最後にキリスト教徒によってなぶり殺される。熱狂的なキリスト教に批判的なヒュパティアは、学問でもキリスト教の天動説に疑問を持ち地動説に傾いていく。それをキリスト教徒は絶対に認めず、彼女を“魔女”などと非難して惨殺するのだが、ユダヤ教とキリスト教の対立、学問と宗教の葛藤が見事に描かれた最高級の作品だろう。レイチェル・ワイズという女優はほとんど知らなかったが、彼女にぴったりの役柄だったのか。魅力的で美しかった。(2014年6月27日)『アレクサンド...映画『アレクサンドリア』

  • 『みかんの花咲く丘』

    終戦後、最も有名になった曲は『みかんの花咲く丘』だろう。この童謡がNHKラジオで放送された直後に、全国の津々浦々からもの凄い反響があったという。敗戦に打ちひしがれた人々は、きっと心の潤いと慰めを求めていたのだろう。川田正子さんの歌声が今でも忘れられない。https://www.youtube.com/watch?v=9JLubaIMfeI『みかんの花咲く丘』

  • サハリン物語(14)

    マトリョーシカの一行は南部の旧首都・トヨハラで一泊した後、今の宗谷海峡を越えてヤマト帝国の北海道に入りました。その後も気球は順調に南下していきましたが、彼女やマリアは異国の風景に目を見張るばかりです。ほとんどが山林や田畑などですが、気温がどんどん暖かくなっていくのを実感しました。数日後に、気球はヤマト帝国の首都がある今の奈良盆地に到着しました。ナターシャと夫のスサノオノミコトが出迎えましたが、彼はすっかり美しく成長したマトリョーシカを見て驚いたのです。10数年ぶりの再会になりますね。あの頃、彼女はまだ幼児でしたから。ナターシャらに導かれ、マトリョーシカとマリアは国の“迎賓館”に案内されました。迎賓館と言っても静かな佇まいで質素なものです。そこで思わぬ女性がサハリン語で話しかけてきました。びっくりしたマトリ...サハリン物語(14)

  • サハリン物語(13)

    マトリョーシカはオオドマリを探訪しながら、父母の思い出をたどっていました。スパシーバ王子には膝の上に乗せられあやされたこと、リューバ妃にはお菓子を貰ったり手を繋いで歩いたことなど、全てが幼い頃の思い出です。4歳から5歳の頃でしたか、父母が相次いで亡くなった時、泣きじゃくったこともよく覚えています。そうした思い出にマトリョーシカは浸っていました。ナターシャは、夫のスサノオノミコトがこの辺りで戦いを重ねていたことを想像していました。ヤマト帝国軍の彼がまさか自分と結ばれようとは、初めのうちは思ってもみなかったのです。2人はそれぞれの感慨を胸に秘めながら、オオドマリから北へと向かいました。マオカ(真岡)からエストル(恵須取)、シスカ(敷香)などを経てノグリキに戻った時は、馬車でとはいえ長い旅でさすがに疲れました。...サハリン物語(13)

  • モンゴルの思い出

    <以下の記事は、2002年6月にモンゴルを旅行した時のものです。>モンゴルの草原1)大学時代からの友人・Y君の強い誘いがあって、私は6月5日から12日までモンゴルを旅することができた。Y君は大変なモンゴル通で、彼と国内の旅行会社がコースを企画して、今回の観光旅行となったものである。モンゴルの窓口は首都・ウランバートル(「赤い英雄」という意味)である。4月から成田とウランバートルの間にモンゴル航空の直行便が就航したので、我々11人のツアー客はそれに乗り込みモンゴル入りした。到着した5日と翌日はウランバートルの市内観光を楽しんだが、7日にはそこから1100キロほど西北西にある、オブス県のウランゴムという所へ国内便に乗って訪れた。ここはロシアとの国境に近い極めて辺ぴな地域である。何故こんな所に旅行したかというと...モンゴルの思い出

  • <過去の記事> 日中戦争を画策? アメリカの大謀略か

    <最近また、日本と中国の戦争を画策する者がいるようなので、2009年1月14日に書いた以下の記事を復刻します。>ジョセフ・ナイ氏世の中は何が起きてもおかしくない。国際政治というのは、一言で云うと“謀略戦”なのである。それは分かっているつもりだが、今回、アメリカのオバマ次期政権の下で駐日大使に任命される予定のジョセフ・ナイ氏が、過去に恐るべき謀略を画策していたことを取り上げよう。これは、ある方のサイトで知り元の記事を読んだので、末尾にリンクしておきたい。ナイ氏はかつて、アメリカ大統領直属の国家安全保障会議(NSC)の議長を務めるなど、外交戦略を専門とする国際政治学者である。また、アメリカ民主党政権の高官をしばしば務め、知日派としても知られているそうだ。その彼が過去に、日本に対する戦略会議の報告書をまとめた。...<過去の記事>日中戦争を画策?アメリカの大謀略か

  • <過去の記事> 日本医師会と“町医者”は何をやってるんだ!?

    <以下の記事を復刻します。>きょう(2021年8月10日)、フジテレビの情報番組『バイキング』を見ていたら、兵庫県尼崎市の医師・長尾和宏さんが、新型コロナの感染症について非常に鋭いことを言われていた。こういう医師を知ったのは、不勉強だが初めてである。すぐにネットで調べたら、長尾さんは6月にも「デイリー新潮」で同じようなことをおっしゃっている。とても参考になった。医療にはもちろん素人の私だが、日本医師会や一般の開業医(町医者)、さらに政府・厚労省の対応は正しいのかどうか、皆さんも長尾さんの発言をよく読んで、ぜひ考えて欲しい!以下に6月17日配信の「デイリー新潮」の記事を載せておく。(2021年8月10日)https://news.yahoo.co.jp/articles/7ed58cd377da861da7...<過去の記事>日本医師会と“町医者”は何をやってるんだ!?

  • サハリン物語(11)

    その頃、ロマンス・シベリア軍は首都のノグリキに迫っていました。何ヶ月も前、カラフト・ヤマト軍に包囲されていた時と全く逆の形になったのです。スパシーバ王子はヤマト帝国の“政変”をまだ知りませんでしたが、ヒゲモジャ王と共に和平への工作を考えていました。その結果、頃合を見てイワーノフ宰相をロマンス側に派遣し、ツルハゲ王の意向を打診するすることになりました。イワーノフも和平には積極的な姿勢を示していたのです。ただ、ロマンス・シベリア軍が攻勢に出てきた場合は、ある程度戦わざるを得ません。降伏するのではなく、あくまでも停戦から和平に結びつけたいと考えていました。このノグリキの王宮はツルハゲ王のものであり、しかもいま娘のリューバ妃もいるので、ここで和平会談を開けば必ず道は開けると読んでいたのです。一方、ツルハゲ王もオハ...サハリン物語(11)

  • 三島由紀夫事件との“接点”

    〈2010年11月30日に書いた以下の記事を復刻します。〉三島由紀夫氏(31歳の時)今月25日は三島由紀夫(本名は平岡公威)が割腹自殺してからちょうど40周年に当たるのだが、私は何も書く気になれなかった。ネットではいろいろ記事が出ていたが、無視していた。ところが一昨日、ある人が寄せてくれたコメントの中に三島事件に関する記述があり、にわかに色々なことを思い出したのである。1970年11月25日午前、三島由紀夫は「楯の会」のメンバー4人を引き連れ、東京・市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込んだ。そして、M総監を人質に取って立てこもり、集まった自衛官らを前に“決起”を促す演説をした後、日本刀で割腹自殺した。これが世に言う「三島由紀夫事件」であり、当時は国内外に大きな反響を巻き起こしたのである。あれから4...三島由紀夫事件との“接点”

  • 歌に見る欧米人の感性も見事なもの

    (以下の記事を復刻します。)私が好きな「二木紘三のうた物語」の中に『夜霧のしのび逢い』がある。これが素晴らしい演奏なので、いつもうっとりと聴いてしまう。それはいいが、この歌の原曲は『LaPlaya』(スペイン語で“浜辺”という意味)だそうで、原詩はピエール・バルーというフランス人の歌詞を使っていた。原詩を調べてみたら、これも『LaPlage』というフランス語の“浜辺”がタイトルになっていて、中身は夏の浜辺をバックに愛を歌ったものである。日本語詞の『夜霧のしのび逢い』とは、ずいぶん趣きが違うのだ。それはいいとして、原詩を追っていったらハッと気がつくことがあった。それは「私たちが愛し合った美しい日々の跡を波が消し去る」とでも訳したらいいのか、そういう詩が出てきたのである。(原詩・・・Lavagueefface...歌に見る欧米人の感性も見事なもの

  • 「もったいない」精神を大切に

    <以下の文を復刻します。>飽食大国・日本を批判していたら、「もったいない」という言葉を思い出した。一時、故ワンガリ・マータイさん(ケニアのノーベル平和賞受賞者)が世界に広めてくれて有名になった言葉だが、最近はあまり聞かない。「もったいない」は英語だと"wasteful"で、むだづかいが多い、浪費的な、不経済なという意味だから、より分かりやすく現実的だろう。しかし、この日本語には物に対する畏敬の念、感謝の気持が込められているように思う。その点が素晴らしいのではないか。かつてバブル経済全盛の頃は、よく「消費は美徳」と言われたり、使い捨てが励行されたように記憶しているが、再び経済が活性化されようとも、そんなことは二度とあってはならない。「もったいない」は日本人が作り出した、日本発の言葉だ。「おもてなし」も良いが...「もったいない」精神を大切に

  • サハリン物語(10)

    プーシキンの遺体を返すと、スパシーバ王子は彼の最後の言葉が気になって仕方がありませんでした。プーシキンは「スパシーバよ、俺の負けだ。見事だったな。リューバ姫をよろしく」と言ったのです。そして、武人らしい立派な最期を遂げました。スパシーバはたしかに勝負には勝ちましたが、心の大きさ・広さで自分がプーシキンに負けたような気がしたのです。彼は最後にリューバ妃のことまで気遣っていました。それは純粋な気持の表れだったのでしょう。スパシーバは今や、宿敵を倒したことにかえって“空しさ”を感じていたのです。それは、戦うモチベーションを失うということでしょうか。ちょうどその頃、カラフト国のヒゲモジャ王一族は、ロマンス国の首都・ノグリキを訪れ王宮に入りました。リューバ妃にとっては待ちに待った里帰りでしたが、両親のツルハゲ王夫妻...サハリン物語(10)

  • サハリン物語(9)

    ノグリキの王宮では、ツルハゲ王とカチューシャ王妃が不安な日々を送っていました。王夫妻は、娘のリューバ妃と孫のマトリョーシカのことがいつも気になっていましたが、どうしようもありません。ツルハゲ王は時々後悔していました。カラフト国と和平を結んでいれば、今ごろ娘や孫とも会えたかもしれません。和平のチャンスは何度もあったのです。それがシベリア帝国などの甘言に乗せられ、サハリン統一王朝を実現しようと戦いを起こしたのが大動乱の始まりでした。しかし、あの頃は「娘のリューバを返せ」が大義名分だったので、父親としては当然だったかもしれません。ところが、シベリア軍が半分以上も帰国したため、今やロマンス国は大変な危機に陥ってしまったのです。運が悪いと言えばそれまでですが、ツルハゲ王の胸の内には、ひょっとしたら「降伏」もという思...サハリン物語(9)

  • 現代社会と考えること・・・人間は考える葦である

    <以下の文を一部修正して復刻します。>散歩をしていたらたまたま同期生のSさんに出会った。彼女とはW大学仏文科で一緒だったが、今は偶然同じ地域に住んでいる。Sさんと立ち話をしているうちに昔の文学部を思い出したが、50年以上も前の文学部というのはそれなりに人気があったと思う。今はどうだろうか。その頃はフランス文学とかロシア文学などに一定の魅力があったと思う。戦後の混乱期を経て欧米の文学や実存主義、はてはシャンソンなどの大衆文化にも惹かれたものだ。しかし、今は仏文科や露文科などがほとんど存在しないという。つまり、そういう専門分野の存在価値がなくなったということか。世の中はますます合理主義や実利が尊ばれ、そんな“文学趣味”は無益だということか。外国文学よりも外国語、つまり会話やヒアリングなどが重視される。それは実...現代社会と考えること・・・人間は考える葦である

  • 美しいトキ・Nipponia nippon

    <この記事は2007年1月13日に書いたものでそのまま復刻します。>最後の日本産トキ「キン」の剥製正月早々、東京・渋谷区で兄が妹を殺して遺体をバラバラにしたかと思うと、同じ渋谷区で今度は妻が夫を殺しバラバラにして遺棄するなど、恐るべき事件が相次いで発覚した。殺伐とした世相の中で、何か明るい話題はないものかと新聞を読んでいたら、中国から年内にも、数羽のトキが日本に贈呈されるという記事が目に留まり、ほっとした気分になって筆を執りたくなった。トキ(朱鷺・鴇)は国際保護鳥であり、また特別天然記念物にも指定されている極めて貴重な鳥である。“日本産”のトキはすでに絶滅しているが、8年前に中国から番(つがい)のトキが贈られてきて、人工増殖や自然繁殖が行われている。トキは今や「日中友好」のシンボルとなっているようだ。残念...美しいトキ・Nipponianippon

  • エリザベス・テイラー

    <2011年3月にまとめた以下の記事を復刻します。>ふと、エリザベス・テイラーのことを思い出した。彼女に関する記事と映像を以下に載せておきます。映像はきっと目の保養になるだろう。<エリザベス・テイラー逝く>ハリウッドの大女優エリザベス・テイラーさんが死去した。79歳。謹んで哀悼の意を捧げたい。小学生の頃、彼女が出た映画を初めて観て、その美しさに茫然自失とした。アメリカにはこんなに美しい人がいるのかと思ったものだ。戦後、アメリカの栄光を象徴するかのような大女優であった。以下の文は2009年7月に書いたものだが、“永遠の美女”エリザベス・テイラーを偲んで原文のまま復刻しておきたい。リズよ、いろいろ楽しませていただきありがとう!ご冥福をお祈りします。(2011年3月24日)<永遠の美女・エリザベス・テーラー>1...エリザベス・テイラー

  • 『青葉城恋唄』

    以前、仕事などの関係で仙台には何度も行ったが、実に落ち着いた雰囲気の街で“杜の都”の名にふさわしい所だと思う。そこで生まれたこの唄は、初恋の人をしのんで歌っているのだろうか。久方ぶりに故郷に戻ると、七夕の飾りや街並みは昔と変わらないのに、ただあの人だけがもういないといった感じだ。その後、仙台の街並みはだいぶ変わったようだが、この『青葉城恋唄』は末永く続いていく名曲だと思う。青葉城恋唄さとう宗幸YouTube『青葉城恋唄』

  • サハリン物語(7)

    マミヤリンゾウ司令官に率いられた艦隊はオホーツク海に出ると、海岸沿いにほぼ真っすぐ北上しました。兵員は3千人程度とマオカ上陸の時の半分ぐらいですが、一騎当千の“つわもの”が多く士気は旺盛でした。戦況が味方に完全に有利になったことが、さらに勢いをつけていたのでしょう。陸軍は幾つかの部隊に分かれましたが、カラフト軍ではやはりジューコフ将軍の部隊が勇猛果敢に戦いました。スパシーバは王子とはいえ、実戦ではジューコフ将軍の指揮下に入ります。彼は首都・トヨハラにいても差し支えないのですが、じっと待機しているのが苦手でいつも戦場に出てきました。それに今回の大動乱の原因は、自分がリューバ姫を奪ったことにあると自覚し、責任を感じていたのです。だから、可愛いマトリョーシカが成長する姿を見るのもそこそこに、たえず前線へと出てい...サハリン物語(7)

  • サハリン物語(6)

    勇猛なジューコフ隊の側面攻撃を受けて、敵の部隊は混乱しました。スパシーバも剣を振るって突進し何人かの敵兵をなぎ倒したのです。ジューコフ隊はそのまま敵の隊列を突破し、さらにその後方の部隊にも襲いかかりました。また、他の別働隊も違った方向から敵部隊を急襲します。いわばゲリラ戦、遊撃戦となったため、敵は相当に混乱し思うように前進できません。一方、地下トンネルを通って、ロマンス・シベリア軍の部隊がカラフト軍陣地に現われ、奇襲攻撃を仕掛けました。不意をつかれて、カラフト・ヤマト軍は初めは動揺しましたが、やがて奇襲部隊を包囲する形で逆に追い詰めていったのです。この奇襲作戦が成功しなかったのは、ミヤザワケンジ指揮官の卓越した采配が功を奏したのです。彼はこのトンネル奇襲攻撃を前もって予測し、包囲部隊を待機させていました。...サハリン物語(6)

  • 日本への移民増加は必至

    <2024年9月に書いた以下の記事を復刻します>深刻な人手不足が言われているが、日本への在留外国人は341万人を超え(令和5年末現在)、過去最多を更新している。そのうち、外国人労働者は約204万人で、技能実習生が40万人を占めているという。人出不足だから、外国人労働者は今後、さらに増えていくだろう。驚いたのは、日本はOECD加盟35カ国の中で、ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで第4位の移民受け入れ大国だという。極東アジアのわが国が、こんなに移民を受け入れているとは!しかし、それも当然なのだろう。少子化、人手不足だから仕方がない。しかも日本はとても安全な国だと言われているから、外国人も安心して来るに違いない。問題は、移民が増えることによって、どうしても起きるトラブルや犯罪、事件などの増加だ。最近もベトナム人...日本への移民増加は必至

  • 『ブルー・シャトウ』

    1967年(昭和42年)当時はグループ・サウンズの全盛時代だったが、この年、レコード大賞に輝いたのが、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』だった。グループ・サウンズは、他にもザ・スパイダースやザ・タイガースなど有名なものが幾つかあったが、私は特にブルー・コメッツが好きだった。それはある日、某テレビ局の地下通路で彼らとばったり出会ったからだろうか(笑)それはともかく、ブルー・コメッツの歌の中でもこの『ブルー・シャトウ』は今でも忘れられない曲だ。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ-ブルーシャトウ-1967『ブルー・シャトウ』

  • 少子化、人手不足などで“移民”の受け入れは不可避に?

    <以下の記事を一部修正して復刻します。>日本の少子化は避けられないし、人口は少しずつ減っていく。ちょっとやそっとの少子化対策をとっても、それで人口が増えるわけではない。本気で少子化に歯止めをかけたいのなら、国家予算の半分ぐらいを出産、育児対策などに使わなければならないが、そんなことをする政治家はいないだろう。前にも言ったが、文明が発達し社会が高度化すれば、子育てにはどうしても金がかかる。一人の子供にパソコン、テレビ、スマホや携帯電話、ゲーム機などを買ってやれば物凄く金がかかる。その上、学習塾や習い事など教育費に金がかかるので子育ては大変だ。昔はそんなものはなかったから、貧乏人の子沢山ではないが、一家に子供が8人や10人いても不思議ではなかった。ところが今や、一般のサラリーマン家庭では、子供を1人~2人育て...少子化、人手不足などで“移民”の受け入れは不可避に?

  • サハリン物語(5)

    その間、ソーニャ王妃やリューバ姫を乗せた馬車が全速力で発進しました。それを見たプーシキンの部下が追いかけようとしますが、オテンバ姫らが行く手を阻んで剣を振り回します。怒ったプーシキンは彼女らを排除しようと襲いかかりました。激しい戦闘が繰り返される中、馬車はどんどん遠ざかっていったのです。男勝りのオテンバ姫らはよく戦いましたが、さすがに強力な敵勢にはかないません。やがて、オテンバ姫もジャジャウマ嬢も切り伏せられました。馬車を取り逃がしたプーシキンらは、怒りの余り彼女らに“止め”を刺しました。オテンバ姫もジャジャウマ嬢もまだ20歳の若さでしたが、勇敢な彼女らのお陰で、ソーニャ王妃らは救われたのです。余談ですが、後でこの悲報を聞いたスパシーバ王子は、従姉妹のオテンバ姫を想って号泣しました。彼女を初めて戦場に連れ...サハリン物語(5)

  • 昔の“テレビ新局”づくり&「小選挙区制」

    〈以下の記事を復刻します。〉サラリーマンとしてFテレビにいた時、最もやりがいがあったのは地方のテレビ新局づくりである。いつも失敗談ばかりしているので、たまには自慢話もいいだろう(笑)。しかし、これは本当の自慢ではなく、思いがけないことが幸いした話だ。やや専門的になるので、難しい話がいやな人とはここでお別れしよう。私は「小選挙区制」というのが嫌いで、今でもその思いは変わらない。できれば中選挙区制に戻して欲しいのだが、実はその「小選挙区制」が新局づくりに絶大な効果を挙げたという話である。以前、高知県は衆議院選挙も全県一区で、自民党は複数の代議士を擁立していた。ここでは分かりやすくA代議士とB代議士としておこう。AとBは互いに支持基盤が違って、争いを繰り広げていた。中選挙区制の場合はそれが当たり前だったのである...昔の“テレビ新局”づくり&「小選挙区制」

  • ド・ゴールは偉大だった

    〈以下の記事を復刻します。〉以前は、何か小論文を書こうと思ったらすぐに書けたが、最近は「集中力」が無くなってきたのか書けなくなった。歳だ(笑)。ド・ゴールについて書こうと思っても書けない。アルジェリアの独立を認めたド・ゴールは偉大だった。左翼や中道政権がアルジェリアの独立を認めても、フランスは分裂、内戦状態になってしまう。ド・ゴールは右翼や国粋派、軍人らから再三にわたって暗殺されそうになったが、屈しなかった。民族自決の理念を彼は尊重した。それが世界の良識だったのである。もし、アルジェリア戦争を起こしたら、フランスはもっと疲弊し困窮しただろう。ド・ゴールはそれを知っていたのだ。右翼や国粋派に推されて政権に就いたのに、彼はその陣営にくみしなかった。だから“裏切り者”として命を狙われたのだ。しかし、本当の意味で...ド・ゴールは偉大だった

  • 『ガード下の靴磨き』

    宮城まり子の歌を載せたくなった。この曲は1955年(昭和30年)にリリースされたものだが、敗戦後10年たっても、まだ“靴磨き”があったのだろうか。宮城さんの歌声は明るくのびのびとしていた。彼女はのちに肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」をつくり、身体障害児の養育に一生を捧げた。そして、2020年(令和2年)に亡くなられたのである。享年93歳。ガード下の靴磨き宮城まり子『ガード下の靴磨き』

  • サハリン物語(3)

    その頃、ツルハゲ王の指示を受けたロマンス国のラスプーチン宰相は、少人数の部下を連れてシベリア帝国に乗り込みました。帝国の極東軍総司令部がハバロフスクという所にあり、そこを訪れる予定なのです。ラスプーチンはもともと親帝国派で、何度もシベリアの地を踏んだことがあり、極東軍総司令官のスターリン将軍とも面識がありました。スターリンはシベリア帝国軍の実力者で、あとで詳しく話しますが、「次期皇帝」の有力な候補者の1人だったのです。総司令部に着いたラスプーチンは、ただちにスターリンと面会し、久しぶりの出会いに二人は笑みを湛え、しっかりと握手しました。ラスプーチンはロマンス国で起きた事件など、これまでの経緯を詳しく説明しました。そして、カラフト国を討つために、スターリンに軍事援助を要請したのです。スターリンは答えました。...サハリン物語(3)

  • “現代風美人”に一言

    〈以下の記事を復刻します。〉たまたま「食べて、祈って、恋をして」というDVD・映画を見たが、ジュリア・ロバーツというのはやたらに口が大きくて少しも美人ではない。こういう個性派の女優がもてるのか。そう言えば、キャメロン・ディアスとかアンジェリーナ・ジョリーというのもやたらに口が大きくて、少しも美人とは思えない。口が大きくないと、現代風美人ではないのか?美人と言うよりも“個性的”と言った方がいいだろう。昔のイングリッド・バーグマンやエリザベス・テイラー、グレース・ケリーらの方がはるかに美人だったと思う。現代はよくある口が大きな顔を美人と呼んで、大勢の女性が「私も美人」だと思いたいのか(笑)。どうでもいいが、美人の定義が完全に崩れたと思う。キャメロン・ディアスなんか、あれは“チンクシャ”だと呼んだ人がいるぞ!そ...“現代風美人”に一言

  • 八頭身美人と小顔美人

    <2008年8月2日に書いた以下の記事を復刻します。>つい最近、私がよくお邪魔する「正直ばあさん記」というブログを訪問したら、面白い記事が載っていた。この方は絵画が専門なのでよく裸婦のデッサンをされるが、最近とみに思うことは、モデルさんたちの容貌が実に童顔・幼顔(おさながお)になってきたというのである。彼女によれば、モデルの顔は要するに“小顔”で、目の位置が下の方にあって顎が小さく、大人の女の骨格ではないというのだ。そして、童顔はとても描きにくく、よほど上手な画家でないと、絵が台無しになってしまうといった趣旨のことを述べておられる。その文章を読んでいて、私がすぐに思い出したのは“八頭身美人”のことである。八頭身美人とは1953年(昭和28年)、伊東絹子さんという人がミス・ユニバース世界大会で3位に入賞した...八頭身美人と小顔美人

  • サハリン物語(2)

    「まあ、スパシーバ王子様では・・・」「そうです、スパシーバです。ご無沙汰していました」彼がそう言ってもリューバ姫は絶句したまま、なかなか言葉が出てきません。「どうして、あなた様がここに・・・」と言うのがやっとでした。「ごめんなさい。あなたにぜひ会いたくて、やって来たのです。私の商人(あきんど)姿は満更でもなかったですか、ハッハッハッハ。ところで、私が忍び込んできたことは、もちろん内密にしてくださいよ」「ええ、それはもう・・・でも、本当に驚きました。和平交渉の時以来ですね」「あの時は、あなたの美しさに見とれていました。今はそれよりもさらに美しくなりましたね。ずっとここにいたい気持です」「まあ・・・」「僕はあなたのことが忘れられず、どうしても会いたくて来ました。もし、ここで素性がばれ逮捕されようとも、あなたに...サハリン物語(2)

  • サハリン物語(1)

    <空想、夢想、幻想、妄想の物語>【主な登場人物】<カラフト王国>ヒゲモジャ王ソーニャ王妃スパシーバ王子(王室の長男。マトリョーシカの父)ナターシャ姫(王室の長女。のちにヤマト国・スサノオノミコトと結婚)オテンバ姫(スパシーバ王子の従姉妹)イワーノフ宰相ジューコフ将軍ゲジゲジサタン(重臣。裏切り者)ほか多数<ロマンス王国>ツルハゲ王カチューシャ王妃リューバ姫(王室の長女。マトリョーシカの母)ラスプーチン宰相ジェルジンスキー将軍スウォーロフ宰相(ラスプーチンの後任)プーシキン(ラスプーチンの息子)カリンカ(リューバ姫の侍女)<サハリン王国>(後の統一王朝)マトリョーシカ女王パーヴェル宰相アレクサンドル(マトリョーシカの夫)マリア(マトリョーシカの侍女)ベラ(マトリョーシカの友人、アレクサンドルの妹)ナディア(...サハリン物語(1)

  • “少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

    <以下の記事を復刻します。>新聞でもテレビでも、記者になったら一日も早く現場で仕事がしたいだろう。私もテレビ局入社後、報道に配属された時にそう思った。ところが、内勤の仕事などが長く続いてなかなか外へ出してくれない。早く記者クラブに出たいと希望を言うのだが、3年半ぐらい内勤の仕事をしていた。ようやく26歳になった頃、人事異動で「警視庁記者クラブ」への配属が決まった。私は嬉しくなって「よしっ、やるぞ!」と思ったが、初の外勤なので不安も一杯あった。旧国鉄の有楽町駅から徒歩で、初めて警視庁へ行った時のことは忘れられない。旧庁舎は灰色がかった厳めしい建物で、そこに入る時は身が引き締まる思いがした。すぐにキャップの指示で、殺人・強盗などを担当する捜査1課と、窃盗などを担当する捜査3課を受け持つことになった。それから取...“少年探偵団”と“ひょっこりひょうたん記者”

  • 『高校三年生』

    1963年、舟木一夫のデビュー曲が「高校三年生」だ。今でも学園ソングの定番だそうだが、この曲を録音した当時、舟木自身も高校三年生だったという。自分が高校3年の時は、アメリカに留学する彼女を横浜港から見送ったことが今でも忘れられない。“日本の歌百選”にも選ばれているが、歌詞の中のフォークダンスというのがとても懐かしい。http://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc『高校三年生』

  • 『少年時代』

    真夏になると、いつも『少年時代』の歌を思い出す。同名の映画のテーマソングだが、井上陽水が平成2年(1990年)に作詞・作曲したものだ。映画の原作は遠い昔、太平洋戦争時代に富山に疎開したある少年の物語だが、陽水の音楽は幻想的、象徴的で詩情豊かなものになっている。YouTubeに素晴らしい映像があったので、拝借することにした。少年時代井上陽水『少年時代』

  • “書痙”に苦しむ

    <以下の文を一部修正して再録します。>現役時代は恥ずかしくて言えなかったが、私は一時期、書痙(しょけい)という神経症に悩まされたことがある。書痙とは、明鏡国語辞典によると「文字を書くことを仕事とする人に多い職業神経症で、手に痙攣や麻痺(まひ)、疼痛(とうつう)などが起こり、書字が困難になる」とある。したがって、文筆家や速記者、代書人らに多く見られるそうだ。現役時代、私は主にテレビ局の報道記者の仕事をしていたからか、この書痙に悩まされた。30代の終わり頃のある日、外勤記者の原稿を電話で受けようとしたら、突然右手が震え出し、原稿を取ることができなくなった。傍にいた同僚が見かねて、私と代わってくれたのが始まりである。誰かが腱鞘炎(けんしょうえん)だろうと言っていたが、その晩、みんなと酒を飲みに行っても憂鬱だった...“書痙”に苦しむ

  • <詩> 幸せな自転車

    僕は新品の自転車だ今日も元気いっぱい!先日美しいお嬢さんが僕を買ってくれた毎朝お嬢さんが僕を運転してくれる柔らかい両手が僕の“両手首”を握りしめるそれにお嬢さんの暖かい体が僕を包んでくれるかぐわしい息吹が漂ってきて僕はもう有頂天だ優しい運転で僕はスイスイと走る信号待ちになるとお嬢さんがいたわってくれるそして発車オーライまた僕は走り始める行き交う人々がお嬢さんと僕を見つめたますます元気が出てくるスイスイと軽やかに走るやがてお嬢さんと僕は会社に着いた自転車置き場で長~い休憩時間に入った僕は少し疲れたが満足感でいっぱい!周りの自転車を見ると色とりどりだ古いの新しいの・・・形もさまざま新品の僕は「皆さんどうぞ宜しく」と声をかけるゆっくり休んでいると夕方になったお嬢さんのお出ましだこれから帰宅の途へ柔らかい両手と暖...<詩>幸せな自転車

  • 『デジタル的思考』の浅はかさ ?

    <2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オールオアナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝...『デジタル的思考』の浅はかさ?

  • 過去の記事(11)

    ⑪松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」。カネ、カネ、カネの中国社会。「検察審査会」のデタラメは許さない!検察審査会のオソマツ。アジア大経済圏構想。パーキンソンの法則と役人。マルキストなら感動する場面。松永安左エ門翁曰く「官僚は人間のクズだ!」タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門翁である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから2年前、民主...過去の記事(11)

  • 過去の記事(10)

    ⑩“ヤスケン”さんの死を悼む。呪われた原子力船「むつ」。自然エネルギーと経済発展。文明の発達と少子化。疑わしきは罰する・推定有罪。松島やああ松島や松島や。日中戦争を画策!?アメリカの大謀略か“ヤスケン”さんの死を悼む1)“ヤスケン”こと安原顯(あきら)さんが先日、肺ガンで死去した。63歳だった。彼は、その道では大変有名な雑誌編集長であり、みずから「スーパーエディター」と豪語していた。ネット上で彼のホームページ(編集長日記)などを読むと、自分のことをよく「天才」だと言っていた。相当、自信があったのだろう。実は、私はヤスケンのことはよく知らない。ここ何ヵ月か、彼のホームページを時おり見ていた程度だ。それなのに、どうしてこの拙文を書くかというと、彼は大学時代の同窓生(早稲田大学・仏文科)という縁である。(ちなみ...過去の記事(10)

  • 松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

    <以下の記事を原文のまま復刻します。>松永安左エ門翁タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚ど...松永安左エ門翁いわく「官僚は人間のクズだ!」

  • アメリカへのコンプレックス・劣等感

    <以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>1)私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢名古屋にも入ってきた。私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであ...アメリカへのコンプレックス・劣等感

  • 永遠の人

    あなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる100億年の宇宙の中で一瞬のこの時を共にできる幸せああ永遠の人よ私の女神よこれは奇跡ではないのかこの世に生まれこの世を去る一瞬の灯りの中の命よそれは儚(はかな)くても永遠の光に満ちている宇宙の彼方まで愛よ命よ灯りに群がる羽虫のように私は息づくこの世は夢か幻か今日も儚い命がひたすら生きる一瞬の中に永遠を願い永遠の中に憩いを求めてあなたと同じ空気を吸い同じ陽光を浴び同じ雨に濡れる永遠の人

  • 過去の記事(4)

    ④諸悪の根源は「官僚支配」だ!土地は誰のものか。大宅壮一さんのこと。日本共産党はなぜ伸びないのか。アメリカこそ世界最大の戦争国家だ!諸悪の根源は「官僚支配」だ!昨日は、わが所沢市(埼玉県)へやって来た友人・Y君と一杯飲んだ。所沢では、年に4回ぐらい大規模な“古本市”が開かれるが、ジャーナリストで作家のY君は必ずと言っていいほどやって来る。その度に居酒屋で一杯やるのが通例だが、昨夜も飲みながら大いに議論した。先日、私は「一観光客」として北朝鮮へ旅行したのだが(以下、朝鮮と記す)、朝鮮通のY君は手ぐすねひいて待っていたのか、びしびしと追究してくる。彼はもの凄い知識人で、私よりもはるかに多くのことを知っている。何でも知っている感じだ。したがって、だいたい私がやり込められることが多い(笑)。でも、勉強にはなる。Y...過去の記事(4)

  • <まとめ> 啓太がゆく(全編)

    過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/028f248b3f1ee86c9aed42aababd6d84http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/7db32a06e1cd806143ffd739c2750378http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/2e841f88bcc8a4a528b605332337ac50http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0f1df2f3bcba8ce03babd12ec5f9e875http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro...<まとめ>啓太がゆく(全編)

  • 啓太がゆく ⑰(警視庁の記者時代・最終回)

    ちょうどそのころ、同僚の坂井則夫が婚約したと聞いて、啓太は多少うらやましく思った。相手は、日ごろ付き合っているSHIRAYURI(白百合)女子大卒のお嬢さんだ。「則ちゃんは順調にいったね。おめでとう、うらやましいよ」「いや~、僕は啓ちゃんより年上だからね。そろそろ年貢の納め時だよ、はっはっはっは」「年貢の納め時か、よく言うね。いつごろ結婚式を挙げるの?」「そうだね、秋口かな」啓太と坂井のやり取りを聞いていた辰野が口を挟んできた。「山本君はどうなんだ、好きな子がいるんだろ?」「いや、僕はまだですよ。坂井君と違って相手がいないから」「結婚なんて“出会い頭”にするようなもんだ。考えたって仕方がない。ヨーイドンで走り出すようなものさ」「そんなものですか」辰野キャップは2年前に結婚したばかりである。ごく若いころ女性...啓太がゆく⑰(警視庁の記者時代・最終回)

  • 啓太がゆく ⑫(警視庁の記者時代)

    (15)1968年・昭和43年キャップとのトラブルがあったあと、啓太と草刈の関係は多少の緊張感があったものの平穏に推移した。お互いが注意深く気をつけようと思ったのだろう。そして、大した事件・事故も起きずに年末を迎えた。啓太はたまたま大晦日が泊まり勤務だった。前にも述べたが、泊まりはNIPPONテレビ、NETテレビと交代で行なっていたが、その日はFUJIテレビの番だったのである。大晦日だろうと別に大したことではない。むしろ年末年始勤務は特別手当などがつくから、啓太のような“チョンガー”の若造にとってはありがたいくらいだ。大晦日の晩、TOKYO放送の泊まりは井上一馬だった。この局はラジオのニュースもあるため毎晩誰かが泊まっている。この日は小さな火事が1件あったので井上はラジオ用に短い原稿を送っていたが、あとは...啓太がゆく⑫(警視庁の記者時代)

  • 啓太がゆく ⑧(労働組合騒動)

    そうして数日がたつうちに、啓太は25歳の誕生日を迎えた。誕生日といっても別にどうってことはない。ああ、そうかという感じだが、このテレビ局は変わった会社でいちいち「記念品」などをくれる。社長の陣内は、そうしたことに気を配るのだろう。家族主義的な会社経営が彼の方針だからだ。大きなガス爆発事故で例の討論集会は1週間延びたが、その日、ほぼ全員が出席して集会が開かれた。2階の会議室に20数人の社員が集まったが、その中に新入りの高畑伸子が含まれていた。彼女は人事部から移ってきた“庶務担当”の社員で、半年前に入社したばかりの新人だ。庶務の仕事が増えてきたのと、古参の滝川和江が半年後に25歳の定年を迎えるので、補充の人事だったのだろう。報道部の社員は20数人だが、他にKYODOテレビの関係者が70数人いるから、庶務の仕事...啓太がゆく⑧(労働組合騒動)

  • 啓太がゆく ④(仕事と恋とレジャー)

    そして、昭和41年・1966年を迎えた。国外ではベトナム戦争が激しくなり、アメリカ軍の北ベトナム空爆がいっそう拡大した。また、隣の中国では「文化大革命」という大衆運動が勃興してきたが、これは得体の知れないなにか不吉な予感を与えるものだった。しかし、日本国内は“ミニスカート”が登場するなど一見して平和でのどかな感じである。そうしたある日、五代厚子と石黒からスキーに行こうという誘いがあった。また、同期の小出からもスキーの誘いがあったが、啓太は忙しさを理由に断った。忙しいだけでなくどうも乗り気がしない。みんなと行くのもいいが、自分だけの遊びがしたいという欲求がまた持ち上がったのだ。啓太は再び○✕風呂へ通い始めた。今度は石浜らに覚られないように、ごく内密に行くようになったのである。一方、五代や石黒、小出らはスキー...啓太がゆく④(仕事と恋とレジャー)

  • 『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

    <2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>大阪市の橋下市長は、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸してきた。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。しかし、問題は国歌「君が代」にあると思う。「日の丸」は問題ないとしても、「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。このことはずっと以前から言ってきたのだが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の...『君が代』は民主主義・日本の国歌としては失格。新国歌の制定を

  • 『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

    <2015年7月12日に書いた以下の記事を復刻します>スポーツの国際試合の時によく『君が代』が演奏されるが、どうせなら『君が代行進曲』の方が良いのではないか。『君が代』は荘重だが、なにか“お通夜”か葬儀のような雰囲気だ。それに比べると『君が代行進曲』の方は元気や勇気が湧いてきて、よしっ、やるぞっ!という気分になる。また、躍動感に溢れている。以前、サッカーで有名な中田英寿選手は、『君が代』について「気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と言って歌わなかったそうだ。まったく同感である。君が代行進曲/KimigayoMarch『君が代』より『君が代行進曲』の方がずっといい!

  • 『伊勢佐木町ブルース』

    1960年代の後半は青江三奈の全盛時代だったが、この歌は昭和43年(1968年)にリリースされミリオンセラーとなった。冒頭の“色っぽい吐息”は有名だが、青江の可愛らしい色気は多くの男性ファンを魅了した。私はそれほどでもなかったが(?)、某先輩は青江がテレビに出てくると、それこそ首ったけになって画面にかじりついていたことを思い出す(笑)『伊勢佐木町ブルース』のヒットを記念して、その歌碑が横浜市中区のイセザキモールに建てられている。“ご当地ソング”の代表的なものだろう。青江三奈-伊勢佐木町ブルース『伊勢佐木町ブルース』

  • 歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

    史劇・『天安門は見ていた』のこれまでの主な資料です。他にもちろん、SNSからの情報などもありますが、新たな資料が入れば追って紹介する予定です。歴史ドラマ『天安門は見ていた』の資料

  • 『天安門は見ていた』第1部⑥ 胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

    第6幕・・・胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ第1場(1986年の8月下旬、ホンコン(香港)の繁華街を宋哲元と李慶之が並んで歩いている。2人は妻や幼い子供をホテルに残して散策中だ。)宋哲元「盂蘭盆(うらぼん)になると、ホンコンも大勢の人で賑わうね。僕らのような観光客が多いということだ」李慶之「そうだな、混んでるから、子供たちをホテルに置いてきて良かったよ。ところで、君は9月からまた大学に戻るんだね」宋哲元「うん、社会学を専門にやるよ。アメリカで大いに学んだからね」李慶之「1年間の留学が実を結んだわけだ。良かったな」宋哲元「君は都市工学系の公司(こんす)に入るの?」李慶之「うん、そのつもりだが、まだはっきりしない。なにせ志望者が多いから、競争率が大変なんだ」宋哲元「そうか、改革・開放の路線が上手くいっている...『天安門は見ていた』第1部⑥胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ(休止)

  • 『天安門は見ていた』第1部② 第1次天安門事件と鄧小平の失脚

    第2幕・・・第1次天安門事件と鄧小平の失脚第1場<2月中旬、北京市の郊外にある鄧小平の仮住まい。失脚した彼は、卓琳夫人と共にここに隠れ住んでいる。そこへ、長年の友人である趙刻明(ちょうこくめい・50歳ぐらい)が訪れてきた。彼は四川省出身で、某新聞の記者である>趙刻明「やあ、しばらくですね。ここに緊急避難ということですか?」鄧小平「党や政府の職務をすべて解任されたからね。もう“御用済み”ということだ(笑)」趙刻明「以前のように地方へ下放(かほう)されるよりはマシでしょう。あの時は紅衛兵に何をされるか分からなかったですからね」鄧小平「うむ、そうだね。あの時よりはマシかな」趙刻明「ところで、四人組はあなたの党籍をはく奪しようとしたんですって?」鄧小平「そうらしい。しかし、毛主席がそれだけは駄目だと断ったようだ」...『天安門は見ていた』第1部②第1次天安門事件と鄧小平の失脚

  • 『青春時代』

    1976年(昭和51年)にリリースされた曲で、作詞は阿久悠、作曲は森田公一で、森田自身とトップギャランが歌った。発売から半年でミリオンセラーになったという。メロディーもいいが、阿久悠の歌詞が素晴らしい。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」「胸に刺(とげ)さすことばかり」だと聞くと、自分の青春時代をつい思い出してしまう。青春には大いに失恋や挫折などがあるだろう。しかし、それを乗り越えて前に進むしかないのだ。今の若い人たちは、この曲を聴いたらなんと思うだろうか。森田公一とトップギャラン《青春時代》1976年(原音)『青春時代』

  • 「死の商人」とアメリカの軍需産業

    <2009年1月30日に書いた以下の記事を復刻します>昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。アメリカに限らず、世界...「死の商人」とアメリカの軍需産業

  • 『この広い野原いっぱい』

    1967年のフォークソングで、森山良子が歌ってヒットした。これほど“乙女心”が伝わる歌はないだろう。最後の「だから私に手紙を書いて~~」のフレーズは忘れられない。作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子1この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずあなたにあげる赤いリボンの花束にして2この広い夜空いっぱい咲く星をひとつ残らずあなたにあげる虹に輝くガラスにつめて3この広い海いっぱい咲く舟をひとつ残らずあなたにあげる青い帆にイニシャルつけて4この広い世界中の何もかもひとつ残らずあなたにあげるだから私に手紙を書いて手紙を書いて(「二木絋三のうた物語」より)https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M『この広い野原いっぱい』

  • 鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

    <2015年4月24日に書いた以下の記事を復刻します>書こうかどうか迷っていたが、やはり書こう。先月(3月)のことだが、北陸新幹線が金沢まで「開業」したことをテレビ、新聞などが大々的に報道していた。それを聞いた時、開業ではなく「開通」が正しい表現ではないかと思ったものだ。それで、新幹線が初めて開通した1964年(昭和39年)10月当時の新聞記事などを調べてみると、ほとんどが「開業」という表現になっていた。私が調べたかぎり、講談社の『20世紀全記録』だけが「開通」となっていたが(さすが講談社である)、あとは全て「開業」という表現だった。正直言って、私はがっかりしたのである。別に開業でも開通でも、間違ってはいない。そんなことはどうでも良いではないかと言われるかもしれないが、私は表現の違いにこだわるのだ。端的に...鉄道は「開通」と言おう。「開業」は業者の言い方ではないか

  • 辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

    <以下の記事は2002年3月28日に書いたものですが、原文のまま復刻します。>辻元清美さん(2009年当時)1)これほどパフォーマンスが豊かで、これほど自分勝手な、また往生際の悪い政治家も珍しい。社民党の辻元清美さんが、元政策秘書の給与不正流用疑惑の責任を取って、議員辞職した。疑惑が発覚してから1週間、テレビ、新聞などマスコミは完全に彼女に振り回されていた。また、社民党自体も、最後の方は彼女にキリキリ舞いさせられていたようだ。予定されていた記者会見はすっぽかすし、土井党首ら党幹部の説得も蹴飛ばして、自分勝手にテレビに二度も出て、言いたい放題なのだ。こう言うと叱られそうだが、テレビを見ている方としては、おもしろいと言うか、痛快と言うか、“笑劇”を見ているようだった。さぞや、関係者は苦労しただろうと察する。議...辻元清美さん“ドタバタ劇”に思う(復刻)

  • 『ブルー・ライト・ヨコハマ』

    1968年(昭和43年)12月にリリースされた曲で、横浜市の“ご当地ソング”ではナンバーワンの人気を誇る。作詞は橋本淳、作曲は筒美京平、歌ったのはいしだあゆみ(本名・石田良子)で当時20歳だった。発売されるやいなやすぐにミリオンセラーとなり、いしだあゆみはまたたく間に人気者になった。とても歌いやすい曲で、自分も新宿・歌舞伎町界隈のスナックバーなどでよく歌ったものだ。海なし県の埼玉にいると、海がある横浜は憧れの地だ。何度も横浜には行ったが、今でも友人や知人がいて親しく付き合っている。この歌を聴いていると、また遊びにでも行くか・・・(笑)いしだあゆみブルーライトヨコハマ『ブルー・ライト・ヨコハマ』

  • 一言集(12・最終回)

    ☆命長ければ恥多し☆育児こそ最も崇高な行為である。そこに“愛”があるから☆デジタルは知性アナログは感性その調和が大切だと思う☆旧統一教会などの邪悪な「反日宗教」は許せない!良い宗教は残すこと、悪い宗教はぶっつぶせ!☆疫病と戦争は決してなくならない。残念だが・・・☆女性がマスクをしていると、みんな美人に見える(笑)。いや、美人に思える。これは“想像力”の問題だろう☆日本は全ての国から愛される国であってほしい☆SNSが歴史をつくる、SNSの時代がやって来た!☆AIに今日も負けたかへぼ将棋、AIにたまには勝つよへぼ将棋☆浦和(うらわ)の逆は「わらう」「笑う」である☆革命家か俳優になりたいと思っていたが、なれなかった。生まれ変わったら、最も苦手な『物理学者』にでもなりたい。一言集(12・最終回)

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