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  • 川崎橋・・「ぜにとり橋」と言われた橋。

    川崎橋は大川(旧淀川)架かる橋です。大阪市の公式HPによると「江戸時代このあたりの大川は、過書船・伏見船が往来し、四季折々には涼み船・月見船などで大そうにぎわったという。対岸の備前島(現在の網島町の一部)は京橋口に接し、京・大和へ向かう街道に通じており、ここ川崎の地(現在の天満1丁目の一部)には幕府の材木蔵や城代および町奉行配下の役人宅、諸藩の蔵屋敷などが建ち並んでいた。両岸を結ぶ川崎渡しは元禄年間にはすでに存在していた記録がある。明治10年(1877)になり私設の木橋、川崎橋が架けられたが、同18年(1885)の大洪水によって惜しくも流失した。その後、渡しが復活され人々に利用されてきたが、昭和20年(1945)には廃止されている。このような由来から、かつての渡しや橋の名を世にとどめる本橋を「川崎橋」と命名した...川崎橋・・「ぜにとり橋」と言われた橋。

  • 日本昔話「けちんぼ六さん」

    「日本昔話データーベース」(http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=199)から引用します。『あらすじ』東京の石神井川(しゃくじいがわ)に、今も下頭橋(げとうばし)という橋が架かっています。昔、この橋は江戸と川越を結ぶただ一つの木の橋として、とても人通りの多い橋でした。この橋の周囲には大勢の乞食がたむろしていましたが、町の人々も乞食たちも仲良くおだやかに暮らしていました。この中に「六さん」という古株の年寄り乞食がいましたが、朝から晩までせっせと物乞いし、全く無駄遣いをしなかったので「けちんぼ六さん」と呼ばれていました。ある日、六さんは一人ひっそりと死んでしまいました。乞食仲間や町の人々が、六さんをねんごろに葬ってあげて住んでいた小屋を片...日本昔話「けちんぼ六さん」

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