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  • 純信・お馬・・・・恋の結末。

    物見高いは人の常です。金比羅の宿屋高知屋で捕縛された純真・お馬は高知で関所破りの罪で受牢後3日間晒者にされました。この時、一目彼らを見ようと大勢の人達が押し寄せたそうです。そして純真と・お馬は高知を追放されました。純真は土佐国以外(伊予国川之江)にお馬さんは安芸川から東へ追放されます。お馬さんは神峰寺(安芸郡安田町)の麓の宿屋で働き平穏な日が戻ってきました。しかしそれも束の間、純信が行商人に身をやつして、お馬を連れ戻しに来るという事件が起きました。結構な騒動となったようです。そして純真とお馬は再び追放処分を受けます。土佐市市野々にある純信・お馬の看板。野々市の純信堂純真は再び土佐国外に追放となり支援者のいる川之江に行きます。一方お馬は今度は仁淀川以西へ追放となり、須崎の池ノ内の庄屋にお預けとなります。お馬...純信・お馬・・・・恋の結末。

  • 純信とお馬さん、恋の逃避行

    女犯の破戒僧という烙印を押された純信は、お馬と新生活を求めて意を決して京都を目指して逃避行に出ます。安政二年(1855)五月一九日のことだそうです。この時、純信三七歳、お馬一七歳です。お馬を稚児姿であったそうです。楠目村の安右衛門なる人の道案内で、現在の国道195号を東北・高知と阿波の国境に向かいます。四国山脈の山奥深い杣道なので記録に残るルートだけを記述します。今は便利な時代でGoogleEarthで地名を検索すれば大体のことが分かると思います。R-195号→永瀬ダム→林道松床楮佐古線(舗装工事がされ整備されたときに「恋の峠」の記念碑を建立五月二十日午後、二人は此処を越えたといわれる⇒GoogleEarthには写真がリンクされています)→大栃→笹(番所・関所があった。ここで阿波に抜けるより讃岐へとの助言...純信とお馬さん、恋の逃避行

  • 「よさこい節」・・・純信とお馬さん

    当ブログは高知県には何度となく行っています。仕事での出張もありますが、高知県には「奈路」と云う特有の地名があります。それに興味を覚えて高知県ほぼ全域を走り回りました。当時は気付かなかったのですが高知県内には「純信・お馬」ゆかりの地がこんなに沢山あるとは思いませんでした。純信・お馬の恋の始まりの地は五台山竹林寺です。竹林寺の脇坊に妙高寺があったそうです。純信はこの妙高寺の住職でした。妙高寺跡は現在牧野植物園になっています。竹林寺の東参道入口に鋳掛屋・大野新平宅があったそうです。この鋳掛屋の娘が「馬」ことお馬さんです。お馬さんがお寺に洗濯物などを届けるなどの用事で出入りするうちに純信と恋仲になったのが事の起こりです。一説によるとお馬さんは当初「わりない仲になったのは純信ではなく学僧であった慶全」であったと言わ...「よさこい節」・・・純信とお馬さん

  • 「よさこい節」土佐の高知の播磨屋橋で・・・・

    「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見たよさこいよさこい」幕末頃から歌われだしたそうで、今では日本人であれば誰でも知っているお馴染みの高知県の民謡です。「よさこいよさこい」と云う囃子詞には幾通りかの解釈があるそうですが、一般には「夜さり来い(夜にいらっしゃい)」が変化したとされているようです。続いて「はりまや橋」ですが、当ブログが始めて高知市を訪ねた頃には「がっかり橋」と揶揄される存在感のないものでした。その後、橋は架け替えられて一帯を親水公園として整備されていました。はりまや橋は元々山内氏の藩政初期(1600年頃)に堀川を挟んであった「播磨屋宗徳」と「櫃屋道清」が双方の家を行き来するために架けた私設の橋が原型だそうです。播磨屋の初代宗徳は播磨国飾磨の人で天正6年(1578)に長宗我部元親が讃岐...「よさこい節」土佐の高知の播磨屋橋で・・・・

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