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  • 「勝負谷橋」(3)天竺山石蓮寺はどこにある?

    豊中市若竹町1丁目に服部緑地から寺内町に抜ける小径に設置されてそう古くない写真のような石碑があります。利生山興法寺があります。同じく若竹町1丁目、興法寺と呼指の距離に若宮住吉神社があります。利生山興法寺の由来興法寺の開基は摂州橘御園庄今福村(尼崎市今福)に住む今福佐衛門源道悟(源経基の子孫)一郷守護の武士で承元元年三月頃法然上人が神崎に立ち寄った時その教化にあずかり又親鸞聖人が関東から帰洛の節(天福、文暦年間)一座の御感化を受け歓喜の泪身に余り早速今福村に一宇を建立翌年御礼の為上洛し聖人より御法を興した法師として寺号を興法寺と賜わり以来十一代専宗迄今福村に存在したその後天正二年顕如上人が法敵織田信長と合戦をまじえた際十一代専宗が加勢を申し上げたのを信長がにくみ今福村道場を焼失せよと配下に桜井なる武士など多数をさ...「勝負谷橋」(3)天竺山石蓮寺はどこにある?

  • 「勝負谷橋」(2)天竺川の名前の由来。

    勝負谷橋の架かる天竺川は神崎川の支流です。「勝負谷(橋)」と云うのも興味を引きますが同じように「天竺川」と云う名の由来にも大いに関心があります。手元の資料やネットで調べていましたが、緊急事態措置が解除され図書館が利用できるようになったので早速、図書館の郷土資料を閲覧しました。もっとも納得のできるのは「大阪府の地名Ⅰ」日本歴史地名大系28(平凡社)の記述です。「天竺川」千里丘陵の上新田に発し、熊野田を経て、小曾根と椋橋の境界を流れて菰江の三国橋上流で神崎川に合流。途中熊野田で南流してきた兎川を合る。流路延長七六キロ。(・・省略・・)水量もあまりなかったようであるが、時には洪水氾濫の被害をもたらしたらしい。(・・省略・・)千里丘陵から平坦地へ出る個所が危険であり、ここには山ノ池・中ノ池・こも池(現在いずれも服部緑地...「勝負谷橋」(2)天竺川の名前の由来。

  • 「勝負谷橋」

    勝負谷橋は豊中市東泉丘2-1(東泉丘第21号)天竺川に架かるコンクリート橋です。豊中市地形地図豊中市地形地図・勝負谷橋付近拡大天竺川は豊中市北部千里丘陵上新田より南西に約7.7km流れ神崎川に合流する一級河川です。天竺川はたびたび洪水に見舞われ、その度に決壊した堤防を高く修復したために典型的な天井川となり、その堤防は松並木となり美しい景観を作り出しています。豊中市河川地図勝負谷橋付近の天竺川公園「勝負谷橋」

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