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  • 人間は政治家になると堕落する。(人間の心理構造その24)

    人間は、政治権力を握ると、必ず、堕落する。それを助長しているのは大衆である。大衆が、政治権力の内実や政治家の実態に迫ることなく、好みの政党や政治家に期待するから、政治権力者は好き放題のことを行うのである。人間には誰しも支配欲があり、大衆は自分に代わる政治家に期待するから、政治権力を握った者は自分は何をやっても許されると思い、支配欲を発揮して、自我の欲望のままに行動するのである。大衆が、政治権力の内実や政治家の実態を批判的に見ようとしない限り、政治権力を握った者は、自我の欲望のままに、傲慢不遜に行動をするのである。大衆が、統一教会と一心同体の自民党と政教分離を果たしていない公明党の連立政権を支持しているから、岸田首相は膨大な予算を軍備増強に充てたのである。大衆が、国政選挙で、自民党・公明党の連立政権を大勝ち...人間は政治家になると堕落する。(人間の心理構造その24)

  • 人間は快楽と苦痛に動かされて生きている。(人間の心理構造その23)

    人間は、先天的に、快楽を求め苦痛から逃れるために行動するようにできている。快楽があるから、それを求めて行動するのである。苦痛があるから、それから逃れようと行動するのである。しかも、快楽も苦痛も、自らの意志に関わりなく、人間の心に生まれてくるのである。さらに、自らの意志に関わりなく、快楽を求める欲望も苦痛から逃れる欲望も、人間の心に生まれてくるのである。なぜ、快楽を求める欲望が生まれてくるのか。それは、人間に、快楽を求めるような行動を起こさせるためである。なぜ、苦痛から逃れる欲望が生まれてくるのか。それは、人間に、苦痛から逃れるような行動を起こさせるためである。人間は、快楽そのものも苦痛そのものも自分で生み出すことはできないのに、快楽を求めるためにに生き、苦痛から逃れるために生きるようにさせられているのであ...人間は快楽と苦痛に動かされて生きている。(人間の心理構造その23)

  • むなしく時が過ぎても、それで良いではないか。(人間の心理構造その22)

    むなしいのは、希望が無いと思うからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、それは絶望も無いことを意味するからである。むなしいのは、明日も今日と同じような生活が続くと思われるからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、それは、耐えられないほどの苦悩や苦痛が現在無いことを意味するからである。むなしいのは、自分を認めてくれる人がいないと思うからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、人間は、誰しも、自分の欲望に合致している人を認めるのであり、正当な評価というものは存在しないからである。むなしいのは、自分に地位や肩書が無いと思い、引け目を感じているからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、この世には、その地位や肩書にふさわしい人は、一人もいないからである。むなしいのは、職...むなしく時が過ぎても、それで良いではないか。(人間の心理構造その22)

  • 真理を求める自我の欲望について。(人間の心理構造その21)

    人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、構造体の中で自我を得て、初めて、人間として活動できるのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体...真理を求める自我の欲望について。(人間の心理構造その21)

  • どうして自我にこだわるのか。(人間の心理構造その20)

    人間には、自分という一つの生き方は存在しない。人間は、常に、自我として生きている。自我とは、構造体の中での自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、総理大事・国会銀・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルと...どうして自我にこだわるのか。(人間の心理構造その20)

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