chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ロミオとジュリエットの城塞

    北イタリアの旅行で次の目的地であるヴィツェンツァに行く途中、モンテッキオ・マッジョーレという町を通りました。そこで偶然に、〈ロミオとジュリエットの城塞〉があることを知ったのです。地元の人によると、シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台になった町はヴェローナではなくてこのモンテッキオ・マッジョーレだ、とのことです。ロミオの城の実際の名前は〈CastellodellaVilla〉で、ジュリエットの城は〈CastellodellaBellaGuardia〉です。ウィキペディアの写真でロミオの城とジュリエットの城の位置関係がわかります。約300メートル離れているのです。二つの城の位置関係(ウィキペディアより)ロミオの城1&2ロミオの城からジュリエットの城を望むジュリエットの城1&2ジュリエットの城から...ロミオとジュリエットの城塞

  • 狩猟の館 〈森の平和〉

    大きな森の真ん中にある〈森の平和〉と名付けられたかつての狩猟の館は、こんにちホテル&レストランになっています。施設の入り口・ホテルホテルの本館1&2ハンブルクのほぼ真北約30㎞の所です。この建物はある船主のスタイリッシュな家屋として20世紀初頭に建てられ、現在でもその元々の小ぢんまり、上質、ロマンチックといった魅力を保持しているのです。最高級ではないが高級ホテルが会員である〈ロマンティック・ホテル〉という組織に属するホテル本館、別館のゲストハウス、庭に点在する催し物を行うコテージから成る施設です。ホテルと庭・庭とコテージ別館のゲストハウス本館はディズニーランドにあるような可愛い建物です。レストランの一角がレセプションになっていて、中年おばさんがテキパキとチェックイン手続きをしてくれます。私の部屋・そのバス...狩猟の館〈森の平和〉

  • ロッカ ・ ディ・リーヴァ水城

    リーヴァ・デル・ガルダという町はマルチェージネとならぶガルダ湖観光の中心です。ガルダ湖の北端にあり、人口約一万六千人。町は1919年までオーストリア・ハンガリーに属していて、第一次世界大戦後イタリアに属するようになったそうです。むかしの町の防御施設の大部分がまだ残っていて、見学できます。町の中央広場・山の中腹の歴史的建造物そのひとつが、港にあるロッカ・ディ・リーヴァ水城です。12世紀に建造され、14世紀に初めて記録に現れるそうです。この手の城の運命なのですが、度重なる戦争により色々な国の軍隊に占領されたり、掠奪されたり、焼き払われたりして来ました。こんにちの姿になったのは19世紀で、第一次大戦後にこの地方の基礎自治体の所有になったとのことです。城塞は水堀とガルダ湖によって周りを水に囲まれています。20世紀...ロッカ・ディ・リーヴァ水城

  • バイヒリンゲン城館

    バイヒリンゲン城館は私の住むハノーファーから南東に230km、旧東ドイツのテューリンゲン州にあります。城館の前庭と駐車場・入城門おそらく渓谷への重要な峠道を守るために建てられたと思われ、ある司教の11世紀初めの著書で初めて城として言及されました。それから数百年の間、武力紛争によって征服されたり破壊されたり再建されたりを繰り返すのみならず、貴族の間で売買されて来たようです。そして16世紀の中頃に、荒れ果てた城の基礎だけを残して利用する形でルネッサンス様式の城館に改築されました。その後も拡張と再建が続けられ、17世紀中頃の30年戦争によって受けた損傷も修復されました。城館がネオルネッサンス様式で根本的に再設計されて建てかえられたのは20世紀の初めです。城館施設内の建造物1城館施設内の建造物2&3第二次世界大戦...バイヒリンゲン城館

  • スカリジェロ城塞

    夏の休暇で山々に囲まれたイタリアで最も大きい湖、ガルダ湖に来ました。湖岸のマルチェージネという町に8泊するのですが、この町は人口約3.700人で、しばしば〈ガルダ湖の真珠〉と呼ばれる、ガルダ湖観光の中心のひとつです。マルチェージネの港・裏の山から城塞とオールドタウン今回紹介するスカリジェロ城塞は湖の交通を管理するのに良い位置、30mの高台にあります。最初の城塞建造は12世紀の前半と記録されているようです。何度も破壊と再建を繰り返してきて、18世紀から19世紀にかけてフランス人が占領したりオーストリア人が取ったり、はたまたイタリア王国に属したりしたのですが、1815年のウィーン会議の後オーストリア帝国に属するようになり、この時代、すなわち19世紀の後半に最後の根本的な改築がなされました。イタリアの独立戦争の...スカリジェロ城塞

  • シュヴァインスブルク城館

    私の住むハノーファーから南東に約350km、メッセで有名なライプツィヒから真南に約75㎞。旧東ドイツのこの位置にシュヴァインスブルク(豚の城)城館はあります。城館ホテルですので、昨年の夏ここに宿泊しました。昔は堀で囲まれていた城の建設は12から13世紀にかけて行われ、早くも13世紀中に城の所有者であり領主の家族は絶えたので、その後何度か所有者が代わりました。城は荘園の行政の中心地として機能し、15世紀後半からシュヴァインスブルクという名前が城に使用されるようになりました。17世紀中頃の30年戦争の際はスウェーデン軍の将軍の住居になったそうです。そして老朽化したシュヴァインスブルク城は18世紀の中頃バロック様式の城館に、さらに20世紀になってすぐの頃にネオ・バロック様式で改築と再建がなされたのです。城の外観...シュヴァインスブルク城館

  • B&B ホテル ベルクユヴェール

    ドイツのバイエルン州から国境を越えてオーストリアのチロル地方に入ると、山の中にフェルンシュタイン城塞があります。この城は13世紀の終わり頃に建造されたようで、おそらく、破壊、修理、再建、拡張などを経て現在に至るのでしょう。城に属するかたちで、美しい静かな湖があります。城はホテルになっているので、いつか宿泊してみたいと思います。フェルンシュタイン城塞・すぐ近くの湖妻と私はさらに南下し、〈ノイシュティフト・イム・シュトゥーバイタル〉という名前の村まで来ました。ノイシュティフトという地名はオーストリアにいくつかあるのでしょう。だから〈シュトゥーバイ谷にあるノイシュティフト〉というのです。この谷のことは妻も私も知らなかったのですが、奥の方に氷河が見える静かな良い谷です。さらに知らなかったことは、この村が草津町の姉...B&Bホテルベルクユヴェール

  • エフェンブルク水城

    昨年の夏は北ドイツに行く機会が多く、その都度古城を見学したのですが、そのひとつがエフェンブルク水城です。北ドイツの都市ハンブルクからほぼ真西に直線距離で約200km、オランダとの国境まで20km弱のところに、庭園に囲まれて建っています。城に続く並木道1&2最初のエヴェンブルク城は17世紀の中頃にバロック様式の水城として建てられました。実に精巧に設計された建物だったようです。ところが城は200年後の19世紀半ばには住民のニーズに対して小さすぎ、時代遅れになっていて、広範囲の修繕が必要でした。そして新しい城は2年間の建設期間で拡張と再建が行われたのです。城の外観1&2城の外観3&4城の外観5その際、新しい城には古い城の周囲の壁、いくつかの仕切り壁、地下室の曲面天井、そして玄関の大理石の床が再利用されました。新...エフェンブルク水城

  • クレメンスヴェルト城館

    昨年の5月、妻と一緒にクレメンスヴェルト城館を訪れました。我々の自宅があるハノーファーから北西の方向に直線距離で200km程、オランダとの国境まで30kmのところにあります。城館とパビリオンの航空写真菩提樹の並木道・中央の城館クレメンスヴェルト城は18世紀前半に建てられた狩猟小屋です。並木道の延長線上にある中央の城館とそれを囲む8棟のパビリオンからなるこの複合施設は、ヴェストファーレン・バロック様式の主要作品の1つとされています。8つのパビリオンのうち7つはゲストハウスと農場の建物として機能していました。20世紀の前半に某私企業の所有となり、主に資材の倉庫として使われていて長い間修復作業はなされていませんでしたが、20世紀の後半になってやっと複合施設の包括的な改修と修復が行われました。城館とパビリオンの一...クレメンスヴェルト城館

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、お城でグルメ!さんをフォローしませんか?

ハンドル名
お城でグルメ!さん
ブログタイトル
お城でグルメ!
フォロー
お城でグルメ!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用