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お城でグルメ!
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ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。
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43回 / 360日(平均0.8回/週)

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お城でグルメ!さんの新着記事

1件〜30件

  • オルヴィエートのお城アパートメント

    この秋のイタリア旅行では色々なアパートメントを利用しましたが、そのひとつがウンブリア州のオルヴィエート郊外、人里離れたところにポツンと立つ小さなお城アパートメントです。城塔に泊まりました。。入城門、お城はここから車で数分・お城1お城2・お城3このお城の歴史は残念ながら分かりません。所有者である30歳くらいの夫婦の英語があまりうまくなくて、込み入った話は出来ないからです。わかったことは、彼らが昔の城主の子孫ではないということです。この若い好感の持てる夫婦は、この建物のほかに広大な農地と牧草地を手に入れて、農業とヒツジの飼育をしているそうです。敷地の一部・プール脇お城アパートメントの経営と、同じ敷地の少し離れた所にある自宅でのペンション経営は、2年前に始めたとのことです。彼らは小さな犬と親子猫3匹を飼っているのです...オルヴィエートのお城アパートメント

  • オルヴィエートの要塞

    オルヴィエートは、イタリア共和国ウンブリア州テルニ県にある、人口約20.000人の基礎自治体(コムーネ)です。町の鳥瞰図・町の全貌町の中心部オルヴィエートという町の名前は中世に使われていた名前で、ここは実は紀元前300年ごろに存在したエトルリアの町Velznaの所在地だ、といわれていますが、本当のところは分からないそうです。とはいえ、崖の下にはエトルリア時代の墓地があります。オルヴィエートはしばらくの間中世の教皇の居所でした。町の様子1・町の様子2町の様子3・劇場1劇場2・墓地1墓地2第2次世界大戦のとき、オルヴィエートに軍用飛行場が造られましたが、町自体は戦争被害を被らなかったそうです。それで歴史的な建物がたくさん残っているのですが、圧巻は何といっても教会で、素晴らしいのひとことです。教会1・教会2教会3・教...オルヴィエートの要塞

  • メディチ家 の 要塞 in ヴォルテッラ

    フィレンツェに滞在しているとき、南西に車路1時間半くらい離れた町ヴォルテッラを訪れました。小高い丘にある町に近づいていくと、数世紀の古さをもつメディチ家の要塞がこの中世の町のシルエットの大部分を形造っていることに気が付きます。町の様子1・町の様子2教会1・教会2古代遺跡要塞の最も古い部分は13世紀の末に建造されましたが、現在の形になったのは14世紀の後半だそうです。それ以来、この要塞がヴォルテッラの町を守ってきたのです。この当時の要塞はこんにち刑務所として使われており、一般人は入ることができません。しかしながら、毎月一度、一般の訪問客に所内のレストランが解放され、そこで食事ができるようです。その料理ですが、イタリアの複数の有名シェフの指導のもとで囚人が自分たちで調理し、サーヴィスも行うとのことです。いち度ここで...メディチ家の要塞inヴォルテッラ

  • モンテプルチャーノ の お城

    イタリアのトスカナ地方ではシエナとフィレンツェがたいへん有名ですが、われわれが訪れたモンテプルチャーノは、シエナから南東に約45㎞、フィレンツェからは南南東に約85㎞の位置にあります。人口約14.000人の小さなこの町は、600mの丘の上に、中世の市壁に囲まれてたたずんでいるのです。町の鳥観図モンテプルチャーノの歴史は、紀元前715年までさかのぼれるとのことです。この地は13世紀の初めまでシエナの保護下にありましたが、その後フィレンツェとの間で領有権が争われ、16世紀の初めには最終的にフィレンツェの影響下に落ちました。そして同世紀の中頃には、司教座の所在地となりました。第2次世界大戦のとき、ドイツ軍がイタリアのゲリラ隊員による攻撃の報復として、歴史的旧市街の破壊を計画していました。が、これは数人のイタリア人有力...モンテプルチャーノのお城

  • トンダ の ハピマック・リゾート

    数年前にスペインのマジョルカ島にあるハピマック・リゾートを紹介しましたが、イタリアはトスカナ地方のトンダにも、そのリゾート施設があります。というか、実は人里離れたこの地に11世紀から第二次大戦までトンダという小さな村がありました。その後村人がみんな離村し、荒れ果ててしまったのです。そして数十年後にスイスの不動産会社ハピマックがその廃村を丸ごと購入して、アパートメント群に改増築しました。現在は、プールやサウナなどのリラクゼーション施設を併設したリゾートです。どこの国にあるハピマック・リゾートでも、公用語はドイツ語なので何かと便利だし気が楽です。昔は村だったので、リゾート施設なのに教会があります。低い山の尾根に位置するので、けっこう高低がある地形です。周りには糸杉が並ぶトスカナ地方の典型的な景色が広がっています。ハ...トンダのハピマック・リゾート

  • フィレンツェ

    フィレンツェはイタリアの有名な都市なので、日本でもたやすく情報が得られます。それで街の説明は省きます。フィレンツェ1・フィレンツェ2フィレンツェ3・フィレンツェ4フィレンツェ5・フィレンツェ6ただ、30年ぐらい前に行った時に比べて、中国人の団体旅行客が格段に多くなっていました。そして中国人の男性もですが、特に女性が奇抜なポーズをとって記念写真に納まる姿は異様でした。人気のある建造物に入るには長蛇の列に並ばなければならないので、並ばずにすむものだけ見たのです。フィレンツェ7・フィレンツェ8フィレンツェ9・フィレンツェ10フィレンツェ11・フィレンツェ12フィレンツェ132泊したのですが、宿泊は旧市街にあるアパートメントです。たいへん古そうな重厚な建物で、各階に行く階段にそれぞれ鍵のかかる鉄格子がある、物々しい暗い...フィレンツェ

  • マリエンブルク城

    マリエンブルク城は、私の住む町ハノーファーの国王ゲオルク五世が19世紀の後半に、夏の居城兼狩猟用離宮として建てさせました。同時にこのお城は、彼の伴侶であるマリーの39歳の誕生プレゼントでもありました。それでマリエンブルク(マリーのお城)という名前なのです。130室もの部屋を持つお城は135mの小山の上に建っています。このお城にはマリー女王と娘が数年住んで、政治的理由からハノーファーを離れた後、約80年間にわたり、管理人だけが住んでいました。終戦直後は、お城の所有者の家族の他に東欧地域からの引揚者が一時的に住んでいたそうです。遠景1・遠景2馬車(自動車)の衝突避け周り1・周り2周り3・周り42012年から2014年にかけて、何度か娯楽映画やドキュメンタリー、そして連続テレビドラマの舞台として撮影されました。今日で...マリエンブルク城

  • 田舎の別荘 „ニジマスを求めて“

    われわれの住むハノーファーから東に約1時間半、当時の東西ドイツにまたがってハルツ山岳地方があります。魔女の住処といわれるところです。先週、この国立公園で一番高い(1000m以上)ブロッケン山に登って来ました。「登った」といっても、蒸気列車で頂上まで行って約8kmの道のりを歩いて下山しただけなのですが、、、、、。蒸気列車・線路沿いのハイキング道ところで、このハルツの北端の、空気の良い保養地イルゼンブルクに田舎の別荘風ホテル„ニジマスを求めて“があるのですが、ここに宿泊しました。„マス湖“の畔で牧歌的な環境に建つこのホテルの起源は、16世紀の末までさかのぼるそうです。過去には、ハインリッヒ・ハイネ、フリードリッヒ・シラーと彼の妻、童話作家のアンデルセン、ロシアのピョートル大帝、ドイツのウィルヘルム皇帝などがここに旅...田舎の別荘„ニジマスを求めて“

  • ホテル・ベンターベルク

    我々の住むハノーファーから近い村に、この近隣でよく知られたホテルがあります。ホテル1・ホテル2ホテル3このホテル・べンターベルクは、20世紀初頭にその礎石が置かれ、第一次世界大戦で営業が中断された後、20世紀の前半に近代化されました。第二次世界大戦中は、捕虜と強制労働者の収容所としてゲシュタポ(ナチスドイツの秘密国家警察)から押収され、その被収容者は近くの弾薬工場で働いていたそうです。戦後10年たって再びホテルの営業が始まり、1970年、新しい時代に対応できるように改めて近代化されました。その4年後には、当時のサッカー世界チャンピオンであったブラジルチーム(ペレを含む)が宿泊したことによって、ホテル・べンターベルクは広く知られるようになり、お客さんが増えたので1982年に増築されて大きくなったのです。その後も、...ホテル・ベンターベルク

  • 湖畔ホテル・ウェーバーファールト

    休暇を北イタリアで過ごした帰路、ミュンヘンの南のテゲルン湖畔にあるホテルに一泊しました。ホテルの玄関に車で乗りつけると、男性スタッフが車を地下ガレージに駐車してくれて、あとでスーツケースなどの荷物を部屋まで届けてくれます。ロビーではピアノの生演奏をしています。ホテルのロビー・廊下とソファー廊下は広く、その突き当りにはソファーを置いてあり、湖を望むことが出来ます。立派な家具が備え付けられた私たちの部屋はたいへんに豪華で、湖が見えるバルコニーがあります。そして歓迎の意味でしょうか、テーブルには菓子と果物とミネラルウオーターを置いてあります。バルコニーから湖を望む・菓子と果物我々が旅装を解いて汗を流した後夕食に行っている間に、部屋係のスタッフが、一度使ったタオルを全部取り替え、すぐ寝られるように寝具を整え、部屋を片付...湖畔ホテル・ウェーバーファールト

  • マラーノ・ラグナーレ

    マラーノ・ラグナーレは人口約1.800人の、漁港がある小さな町です。紀元前1世紀頃にローマ軍の町として出来たようです。そして16世紀の中頃にはヴェネチアに支配されました。ところでこの町では、フリウリ語(ロマンス語系の言語)を話すウーディネ県に属するにもかかわらず、今日なおヴェネチアの言語を話しているそうです。町の中心に大きな広場があり、1.000年以上もの歴史を持つ塔が建っています。塔港に来ると、ちょうど船が出るところです。向かいの半島の先端にある結構大きい町、リニャーノに行く船のようです。片道40分というのを確かめて飛び乗りました。が、リニャーノの町には興味がないので、乗ってきた船ですぐにマラーノ・ラグナーレに帰って来ました。リニャーノの滞在時間15分。リニャーノの海岸・ラグーン1ラグーン2・マラーノ・ラグナ...マラーノ・ラグナーレ

  • パルマノヴァ

    16世紀の末に計画都市として造られたパルマノヴァは人口約5.500人の町で、その星形の外観は今日まで大変良く保たれています。1600年頃のパルマノヴァ(ウィキペディアより)こんにちのパルマノヴァ(ウィキペディアより)この町は本来城塞都市として、トルコのオスマン帝国からヴェネチア共和国を防衛するために、そしてその後、ハプスブルク帝国から守るために造られたのです。この任務は、ナポレオンに征服されるまで、200年以上にわたって果たされました。18世紀末から、オーストリアが委託統治するようになったり、イタリアに属するようになったりしましたが、19世紀の中頃を過ぎたころ、最終的にイタリアの手に落ちました。第一次世界大戦のとき、パルマノヴァはイタリアの重要な軍事基地になり、それに応じて野戦病院や軍の訓練場などが設置されまし...パルマノヴァ

  • アドリア海沿岸のグラード

    トリエステからアドリア海沿岸を北西に1時間ほど走ると、人口8000人ほどの町グラードに着きます。グラードは、そこより少し内陸の都市であるアクイレイアの港湾都市として、おそらく紀元前2世紀頃出現し、発展していったと思われています。ここは、ヴェネチア湾の最東端にあたります。数百年にわたってグラードは海賊や近隣の町の悪党団から襲われ、略奪されたにもかかわらず、旧市街には歴史的に重要な教会や建物が残っています。教会・遠浅の海グラードをヴェネチア共和国が支配した時代は、中世の末期から18世紀の終わりまでです。そして19世紀の初め頃から、ハプスブルク帝国に属するようになりました。この時代にグラードは海水浴場および漁港として発展したのですが、第一次世界大戦の勃発により、「オーストリアの避暑地」の時代は終わりました。そして19...アドリア海沿岸のグラード

  • アドリア海沿岸のイゾラ

    イタリア国トリエステから国境を越えてスロベニア国に入ったところにある小さな港町イゾラ。この町のあたりには、西暦1世紀から人が住んでいたそうです。13世紀からヴェネチア共和国に属するようになり、18世紀の末頃からオーストリアはハプスブルク家の王政が敷かれました。19世紀前半には温泉が発見されて観光資源になり、漁業も盛んになって、19世紀の終わり頃、イゾラは繁栄を謳歌する町になりました。20世紀初めには、5326人のイタリア人、20人のスロベニア人、そして17人のドイツ人が住んでいたそうです。1918年に、このイゾラを含むアドリア海の沿岸地方はイタリアの領土になり、1954年に、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の共和国のひとつ、スロベニアの一地方になりました。ユーゴスラビアの崩壊後、1991年からこの地域はユーゴス...アドリア海沿岸のイゾラ

  • トリエステ

    トリエステはイタリアの北東部、アドリア海とスロベニア国の間の細長いイタリア国土にある港湾都市です。古い歴史がある町なので、興味がある人はGoogleってみるといいでしょう。トリエステ1・トリエステ2トリエステ3・トリエステ4トリエステ5私たちはここで8日間過ごします。我々のアパートメントからの景色(昼と夜)劇場など、ローマ帝国時代の遺跡の他、大変に栄えた過去の名残の、立派な目を見張るような建物がたくさんあります。ローマの遺跡1・ローマの遺跡2トリエステ6・トリエステ7トリエステ8・トリエステのイカ釣り漁船さらに、見事な広場もいくつかあるのです。そしてその間には、中世の雰囲気を醸し出している小道が複雑に入り組んでいます。レストラン、バー、カフェ、アイスクリーム屋が軒を連ねる通りを、外国人を含む大勢の観光客がそぞろ...トリエステ

  • サン・ジュスト城塞

    サン・ジュスト城塞は、15世紀から17世紀にかけてイタリアの北東部にあるトリエストの、市街地を望む丘陵に建造されました。この丘陵は、青銅器時代から紀元前1000年頃の鉄器時代に、ある種の砦として使われていたと考えられているそうです。そして紀元前2世紀には、軍事拠点が設けられました。さらに1世紀前半には寺院が建てられ、2世紀にはバシリカ(古代ローマの建築様式のひとつ)が建造されました。時は過ぎ、14世紀後半にトリエステはオーストリアに併合されました。そしてトリエステの街の自衛のために、この丘の上に城塞が建設されたのです。その後次々に増築が進み、17世紀の中頃完成しました。完成後、18世紀中頃までオーストリア軍の指揮官の居城として使われていましたが、その後牢獄などとして使われることもあったとのことです。城塞1・城塞...サン・ジュスト城塞

  • ドロミーティのアッレゲ

    ドロミテとも表記されるドロミーティはイタリア北東部にある山地で、東アルプス山脈の一部です。その真ん中あたりにアッレゲ湖という小さなせき止め湖があり、湖畔にある人口約1300人の町がアッレゲです。我々の夏休みの第一週目を、アッレゲの南隣にあるマザレという、やはり湖畔の集落で過ごしました。アッレゲ・マザレアパートメントからの景色アッレゲはひっそりした田舎町だと思っていましたが、トレッキングや登山をして休暇を過ごす人で賑わっています。イタリア人はもとより、他のヨーロッパ人、アメリカ人、東アジア人もたくさんいます。中でも意外だったのは、個人とグループ合わせて10人以上の日本人に会ったことです。なんでも、日本では最近、それほど有名でない地方で山歩きをするツアーがあるそうですね。アッレゲからケーブルカーを乗り継いで山頂に行...ドロミーティのアッレゲ

  • ゲッツェンブルク城館

    このお城の起源は15から16世紀にまでさかのぼります。その後何度も改築や増築を繰り返しましたが、最後の非常に大規模な工事は19世紀の後半になされました。こんにち、フォン・ベルリヒンゲン家の所有で、アレクサンドラという男爵夫人と賃借り人の家族が住んでいるそうです。城館の遠景・城館1城館2・城館3このお城がゲッツェンブルク城館と呼ばれるようになったのは比較的最近のことで、以前はヤンクストハウゼン城塞という名前でした。名前が変わった理由に、あの文豪、ヴォルフガング・フォン・ゲーテがからんでいるのです。ゲーテは18世紀の後半にこのお城に滞在し、史実の人物であるゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンを題材にした、「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」という戯曲を書きました。その戯曲はドイツ中の注目を集め、ゲーテの名を一躍有名...ゲッツェンブルク城館

  • バンベルク宮殿

    レーゲンスブルクに講演に行く途中、バンベルクに一泊しました。旧市街がユネスコの世界遺産になっている町です。バンベルク1・バンベルク2バンベルク3こんにちバンベルクで「宮殿」と呼ばれる建物は、18世紀の後半に大学病院として建てられました。当時としてはヨーロッパでもっとも現代的な病院だったそうです。その後教育病院としての役割を終えて、19世紀前半に市民病院になりました。そして20世紀の後半、別の場所に新しい市民病院が出来たときから5年間、今度はホテルとして再利用されるようになるまで、この建物は全く利用されていませんでした。ホテルが開業して建物の改装が進むにつれて、だんだんと客室の数が増えていき、今では184の客室とスイート、10のセミナールーム、レストラン、カフェ、リラクゼーション施設、そしてバロック風の礼拝堂があ...バンベルク宮殿

  • 城館ホテル・ミュンヒハウゼン(再訪)

    城館ホテル・ミュンヒハウゼンは2010年の12月にいち度投稿したのですが、家から近いし再訪する価値のある城館ホテルであり、そして先回は料理の写真を載せなかったので、改めて投稿することにしました。城館の前面・城館から庭園を見るお堀と城壁・お堀とカフェテリアかなり大きいゴルフ場が隣接しているからか、結構お客さんがいます。建物の前面に幾何学的な庭園があり、後ろには少し起伏があって小川が流れる整備の行き届いた公園が広がっています。ここに、ロシアのピエトロ大帝がパイナップルの農園を訪れた時の記念碑があるのですが、昔はこの地でパイナップルが出来たのでしょうか。入り口・ロビーから階上へロビー・ロビーの天井城館の歴史は先回の投稿に簡単に書いたのでここでは繰り返しませんが、この城館ホテルには、2004年に5つ星ホテルとして開業し...城館ホテル・ミュンヒハウゼン(再訪)

  • 妙見温泉 忘れの里 雅叙苑

    鹿児島県霧島市、観光客で賑わう旅館街の喧噪から離れた天降川沿いに、茅葺屋根の古民家を移築し、創業から50年経とうとする、昔ながらの集落のような宿屋があります。1974年、フランスに誕生し、自治運営する非営利団体の協会組織「ルレ・エ・シャトー」に加盟している宿なのです。このルレ・エ・シャトーですが、加盟するのは相当に敷居が高く、厳格な審査と、ルレ・エ・シャトーの価値を共有できる、個性あるホテル・レストランのみが加盟を認められるそうです。谷の斜面の狭い敷地にある宿にタクシーで乗り付けると、(雨が降っていたので)傘を持ったスタッフが数人駆け寄ってきました。チェックインタイムまでまだ時間があったので、まず「囲炉裏小屋」に案内されました。この小屋は雅叙苑のロビーにあたり、夕食後にはここで、囲炉裏で温めた「かっぽ酒」が振る...妙見温泉忘れの里雅叙苑

  • 城山ホテル鹿児島

    鹿児島市の中央部にある丘陵、城山(しろやま)は、あの西南戦争最後の激戦地で、国の史跡および天然記念物に指定されています。現在は城山公園として整備されているのですが、その公園の南部に城山ホテル鹿児島があるのです。鹿児島市内と桜島・午前と午後城山ホテルは1963年に開業し(開業時の名前は「城山観光ホテル」)、薩摩の迎賓館ともよばれる鹿児島を代表するデラックスホテルです。初代の社長は東京帝国ホテルで経営のノウハウを学び、それを導入しました。しかしながら2代目のバカが(失礼!)倒産させてしまい、京セラの購買提案を断ったところ、新しい社長が鹿児島銀行から来ました。ということで、もう5、6年来銀行の管理下にあるのですが、経営は黒字になっているそうです。エントランスを入ると、そこは洗練された館内で、鹿児島市内や桜島を一望でき...城山ホテル鹿児島

  • 市場と乾物問屋街

    台北で妻が興味を持っていた場所が、市場と乾物問屋街です。やはり食材を売っている所が気になるし、乾物をいくつか買いたかったようです。市場にはもちろん、肉、野菜、魚、、、、、などなど、色々とたくさんあるのですが、豚足や豚の頭の縦割りをそのまま売っているのは、いささかびっくりしますね。面白いのは入り口近くに神棚があることです。日本の神道のそれとは違って、大きくて色がけばけばしいので目立ちます。市場1・市場2市場3・市場4市場にある神棚車道から問屋街を見渡すと、店の看板がずらりと並んでいます。その道路の両側には屋根のついた歩道があり、所狭しと道まではみ出して商品が並べられています。この問屋街に買い物に来るのは8割がた日本人だそうで、日本語の片言ができたり、かなり上手に話す店員さんがたくさん居ました。本当にいろいろな、中...市場と乾物問屋街

  • 九份

    台北から程近い、台湾観光の目玉の一つと思われる、九份という小さな町に行きました。昔は鉱山で栄えた町だそうですが、今は観光一色なのです。ある日本のアニメ作品が人気に拍車をかけているとのことです。狭い階段と路地、そして赤ちょうちんが印象深い町です。我々はあまり混んでいない時間帯に訪れましたが、それでも、特にお土産品と食べ物を販売する店が密集している路地はたいへんな人込みでした。階段道路・観光路地1観光路地2・観光路地3小籠包屋・焼き貝屋ここで妻が臭豆腐を買いました。思っていたほど悪臭ではなく、味は悪くありません。でも私は一口だけ食べて、残りは妻が全部食べました。臭豆腐屋・臭豆腐階段道路の中頃にあるお茶屋で休憩しました。上述のアニメ作品に出てくるといわれている建物です。台湾式茶道の説明を受けて、それに従って喫茶したの...九份

  • 士林夜市

    宿泊しているホテルの近くに、台北で最も大きく、観光客がよく訪れる士林夜市があります。ずっと以前にいち度行ったことがあるのですが、また行って見る事にしました。士林夜市では多数の露天商や店舗が商いをしており、ありとあらゆるものが買えます。私たちは買い物にはあまり興味がなかったので、ブラブラといろいろ見て回りました。金魚すくいもありましたが、面白いのはエビ釣りです。釣ったエビはその場で焼いてくれるので、食べられるのです。しばらく見ていましたが、誰も釣った人はいませんでした。士林夜市・エビ釣り買い物をする気がないのになぜ士林夜市に行ったかというと、「食」です。台湾のB級グルメで夕食をとるつもりなのです。20数年前に来たときは多くの露店屋台が軒を連ねていた、というあまり確かではない記憶がありますが、今は広大なホールの一角...士林夜市

  • 街角のレストラン・イン・台北

    台湾名物の足マッサージをやった後、すぐ近くのレストランに入りました。レストランの内部中華系レストランとは思えないほど西洋風な雰囲気の、清潔感があるレストランで、英語も日本語もほとんど出来ないながらも、親切でよく気がつくスタッフたちがいます。大きな水槽に、生きている伊勢海老やカニが沢山。その他各種の貝類が並んでいます。ここで何をどう料理して欲しいか言う、注文の仕方のようです。烏龍茶ミネラルウォーター・紹興酒テーブルにつくとすぐにおしぼりとお茶が出てきました。地元のミネラルウォーターと紹興酒を頼んだのですが、わたしは紹興酒より日本酒の方が好きですね。妻もあまり飲まずに、4分の3ぐらい残したのでホテルに持って帰りました。まず、店のお薦めの茹でタケノコです。今が旬ですね。少し甘くてマヨネーズに似たソースをつけて食すので...街角のレストラン・イン・台北

  • 台北圓山大飯店

    圓山大飯店は1952年に蒋介石夫人である宋美齡が台北市の高地に建てた、台湾第1号の5つ星ホテルです。14階建て中国宮殿様式の本館は、赤い柱と金の瓦の堂々たる優雅な外観。豪華絢爛でクラシカルな雰囲気がオリエンタルな芸術的美しさを際立たせていて、台北市を代表するランドマークの1つなのです。このホテルは273室の客室、及び中華料理や海外の洗練された料理を楽しめる4軒のレストランを有していて、各種美食を堪能出来ます。パンフレットには、「都会の喧騒に佇むオアシス」とあり、さらに次のように書かれています。「現在に至るまで各国元首、使節、政府要人、著名人など2000名以上を招待してきました。過去には、アメリカ合衆国のアイゼンハワー大統領、タイのプミポン国王、韓国の朴正熙大統領、日本の佐藤栄作首相、シンガポールのリー・クアンユ...台北圓山大飯店

  • エバー航空

    台湾のエバー航空に初めて乗りました。まだ結構新しい機材で、特に背もたれ、窓の遮光、モニターの表示などに新しさが見られます。搭乗客の扱いも丁寧で、また機会があったらこの会社を使おう、という気にさせられるのです。私の座席から・背もたれの機能窓の遮光1・窓の遮光2モニターの表示さて、往路の食事は日本料理、西洋料理、中華料理の中から選べ、妻も私も中華料理を選びました。なんでも、この中華料理をエバー航空に納入したのは、台湾国内のみならず、世界的に有名で数々の賞を受けたことのあるレストランだそうです。飲み物は、ドイツで飲めないカルピスと、痩せるのに良いといわれるブーアール茶にしました。カルピスとブーアール茶前菜は伝統的中華惣菜で、内容はカンパオ豆腐に百合茎添え、そして姫筍と鶏肉の辛味炒めです。上の二皿が前菜で、右下の小皿二...エバー航空

  • スイスホテル南海大阪

    日本に一時帰国して翌日台湾に発つときに宿泊した、大阪の難波にあって関空へ行くのに大変便利なホテルです。客室から昼・客室から夜私はこれまでにも何度か利用したことがあるのですが、数年前、私の住むハノーファーのすぐ近くにあるゴスラー出身のスイスホテル女性社員が、2年間の予定で研修に来ていました。あの人、今どこにいるのかな?ドイツの食生活から台湾料理に移るつかの間の一夜、ホテルのレストランで典型的な和食を食べました。和装の女性と黒いスーツの男性が、きびきびとサーヴィスをしてくれます。飲み物は、東広島市の「賀茂鶴」を代表する「特製ゴールド大吟醸」です。大吟醸先付けは、小蛸柔煮、菜の花、花びら百合根。小鉢に、桜豆腐、蚕豆、くこの実の旨出汁ジュレかけ。四角い食器に、草胡麻浸しと糸花鰹です。もちろん、季節の桜が添えてあります。...スイスホテル南海大阪

  • ホテル・べレポク (美しい時代)

    世界的に有名な温泉地バーデンバーデンは19世紀にその全盛期を迎えました。諸外国の皇帝や国王は政治の激務の骨休みに訪れ、たくさんの文筆家や芸術家が群がるように来て、当地での滞在記を書いたりこの地の痕跡を彼らの作品に残しました。その他、オーストリア・ハンガリーの皇妃エリザベス(シシ)も来たことがあるそうです。そのバーデンバーデンに、企業家でもある男爵が19世紀の後半に居城を建設することに決めたのです。そしてそれは保養都市の静かな住宅地に建つ優雅な堂々とした建物になりました。ホテルのパンフレットには次のように書いてあります。「特にフランスの富裕層が多く訪れ、フランス語が話されたため、今でも街のあちこちにパリの雰囲気が感じられます。このホテル・べレポクは、バーデンバーデンが“ヨーロッパの夏の首都“と呼ばれた、華やかなそ...ホテル・べレポク(美しい時代)

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